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国境を越え、10分も走ると、人口6000人ばかりというコパンルイナスの町に入った。昼飯時であった。観光客も多いが、のんびり石畳を馬車が走ったり、オート三輪が走り、穏やかで、褒め言葉を使えば牧歌的でさえある。町に入ったと思えば、すぐに、町の中心部辺りで下ろされ、どうやら、それだけで、1周10~20分で回れてしまう町だと分かる。しかし、ここは、安宿の密集、土産物屋、インターネットカフェ、感じのいいカフェ、安い宿屋があり、西洋人は、のんびり過ごす旅行者も多いようで、隣り合わせたカナダ人も、正月を迎えると3、4泊はするとのことであった。間違っても、1泊とは、言えない大忙しのビジネスマンとしての私とは大違いであった。彼女は、日本の関西、守口市でもECCで9ヶ月滞在したことがあると言っていたが、旅行をしていると、多く、そういった人を見かけるし、日本で空港まで迎えにいき、受け入れたこともある。共通することは、誰も、日本語を覚えていないということで、そのくせ、スペイン語はすぐに習えば覚えたわと、微笑むのであった。 インターネットで予約しようとした、コパンルイナス髄一の一流ホテルを予約しようとしたのであるが、返事がスペイン語であったので、英語でもう一回返事をくれと返答したのだが、そのメールを確認することができていなかった。勿論、スペイン語でも、どうやら、部屋は満室であるような雰囲気はあった。中央にプールのある最高級ホテルは、80ドルである。返事がないので、2番目の高級ホテル40ドルも予約メールしたのだが、空いているよウエルカムという返事を受け取ったのが、コパンを去ってからのことであった。しかし、そのホテルは、雰囲気は外から見てよかったが、夜は、大通りに面し、結構うるさい感じなのであった。 石畳を歩き出し、髄一のホテルに向かってはみたものの、満室で、予約は入っていなかったので、そこに荷物を預け、4件、近くを外観から判断し、空き室を尋ねるが、どこも満室であった。しかし、そこに、たまたま隣のホテルのオーナーがヒマツブシに遊びに来ていて、部屋が空いているというので、もう面倒になり25ドルの大枚を払い、その部屋とする。部屋はいまいちだが、屋上テラスと、入り口の雰囲気はまあまあというところか、とにかく寝るだけなので、まあ、いいかと、まあいいか攻撃であり、正月前だから仕方ない攻撃である。旅行というのは、結構、拠点というか、宿を確保すると、脱力してしまうものである。昔なら、ここで、早速一服つけるかと、宿を確保した時点で1日が終わりという自堕落な旅行スタイルではあったが、ビジネスマンとしての私は、早速、荷物を置くやいなや、座ってしまうとお尻に根が生えるので、市場に向かうのであった。そして、飯を食う。何故か、旅行者も飯を食うぐらいしかすることがないというのに、皆さん、コカインでもたしなんでいるのか、昼飯時にどのレストランにも客がいないという状況であった。 飯を食い、銃を持った警備員をすり抜け、銀行のCD機でレンピラのキャッシングをして、くるりと回るともう町は終わりである。次にすることは、夕食である。 夜になると、町中の誰もがが意味もなく散歩に出かけ、中央公園に集結し世間話をしている。アジアでも見かける光景であるが、こういうときは、男女問わず、皆、手ぶらだ。その脱力感が良い。公園には、いいのかどうだか知らないが、マヤ遺跡物を展示しているのが見られるのであった。 考えてみれば、タイやインドでアメリカ人やカナダ人を見ることができるが、彼らにとって、中南米って我々がアジアに行くような距離なのだなあ、と思う。ヨーロッパ人は少ないし、断然、日本人はいない。そして、旅行から帰っても、「何しにそんなところ行ったの」といわれるのが関の山なのだが、そう言われるのも悪い気がしないところが、問題ではある。 ふと、立ち止まり、太陽を見上げ、風景を目にして、ああ、俺は今遠いところまで来ているんだなあ、と多少ナルシステックになってしまうのが、正直、ちょっぴり嬉しいと、吐露しておく。そう思うと、来年は南米かなと思ったりなんかもするのであった。2008年正月旅行 ハリウッド、蝋人形館1 ハリウッド、蝋人形館2 ハリウッド、蝋人形館3 ハリウッド、蝋人形館4 市内から空港に戻る、Los Angeles アンティグア観光1 Guatemala アンティグア観光2 Guatemala アンティグア観光3 Guatemala アンティグア観光4 Guatemala グアテマラ歴史のお勉強 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の昼 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の夜 Guatemala パカヤ火山登山 Guatemala ホンジュラスの歴史 Honduras マヤ遺跡コパンにいく Honduras コパン,マヤ遺跡1 Honduras コパン,マヤ遺跡2 Honduras コパンルイナスの夜 Honduras Honduras→El Salvador陸路移動 エルサルバドルのお勉強の時間 El Salvador エルサルバドルの夜 El Salvador サンサルバドル→ロサンジェルス El Salvador サンタモニカへブルーバスで行く、Los Angeles ベニスビーチで今年最後の夕陽、Los Angeles サンタモニカ、Los Angeles ロサンゼルスでお正月、Los Angeles サンディエゴからティファナに向かうMexico メキシコ入国ティファナMexico メキシコ入国ティファナ2Mexico メキシコ入国ティファナ3Mexico サンディエゴの朝夜 San Diego サンフランシスコから帰国 San Francisco アメリカ中米gourmetの旅 お土産 ジャンピングビーン・ジャンピングビーン2
2008.01.31
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最近、不覚なことにも、病気にもなっていないにもかかわらず、5つ星のホテルに2回も泊まったという豪遊をかましまくり、輝かしい実績を持つ弱冠弱めのダンディな男の物語。 男は、そういった厳しく激しい中米の旅を、何とかしのぎ耐え、漫然と、アメリカロサンゼルス空港に舞い戻ってきたのである。しかし、往路にして、既に、15時間ぐらいのロサンゼルス大名滞在を終え、概ね、このだだっぴろい街の興味深いところは、ほとんど網羅し尽くしていたのであった。例えば、ワックスミュージアムとか、或いは、ワックスミュージアムとかである。 空港に着いた私は、更に物価の高いアメリカででも5つ星ホテルに泊まろうというみみっちいことはしないのである。だいたい、もうロサンゼルスは前述の通り、広すぎるということが分かったので、おまけに、市内にいけば、その地域に縛られるというか、もう少し具体的に言えば、市内では、たいしたホテルでもないのに値段は高い、ましてやたいしたホテルは言わんがなである。熟考に思考を重ね重ね、空港を拠点にするというナイスなアイデアというか、空港付近が金額も安くなってしまうというしがない面もあるが、画期的によいのは、空港に近いということである。その他の理由として、飛行機に活気的にぎりぎりまでチェックイアウトを延ばせるということさえ考えられるのであった。 ロサンゼルスの空港の北側には、それはそれは、ヒルトンだの何だの聞いたことしかないような大手5つ星ホテルチェーンが並ぶが、こんな場所で豪遊するには、本当の豪遊とはいえず、小遊ぐらいにかならないので、ここは、空港まで無料シャトルがブイブイ走っている唯一の空港の裏側のホテルを選択するのであった。勿論、値段だけで決めたわけではあるが、その他、値段などでも決め手になったのである。勿論、空港から電話してみると、部屋は空いているからシャトルでおいで、と名前の確認もしてくれないほど親切で歓迎的なフロント受付嬢であった。(しかし、ホテルに行ってみると、お嬢さんではなく、どういう訳か、アメリカ式栄養過多贅肉製造場さんに変化していた。間違いなく声に騙されたアンタが悪いといわんばかりの、相変わらず親切な方であった) 空港では、ホテルの無料送迎バスがじゃんじゃん来るのだが、我が予約してない部屋空いてるホテルの5つ星ではないが超豪華だろうホテルのシャトルバスは、なかなか来ないので、ぼーとしていると、1台目が通り過ぎ、そのホテルが存在することを十分に確認し、証明された瞬間であった。しかし、2台目が来たのは、それから30分後であった。それほど、貴重な類まれなホテルというかシャトルバスということが判明し、こういう無駄なところで経費を削減し、ホテル本体に情熱を100パーセント注ぎ、切磋琢磨して、他の5つ星ホテルに比べ3分の1程度という価格で部屋を提供しているということが想像されたのであった。 ホテルでは、荷物を置くという真摯な作業を5分程度で終え、またシャトルバスに乗るのである。しかも、今度は手ぶらなので、チップも払わないという無常な算段であった。 空港に戻ると、空港からいかに抜け出すかが、当面の課題であり、最大の課題であることが、容易に想像された。しかし、ここは、清く正しく醜悪な観光をするために、敢えてホテル代を抑えた形に結果的にはなっていたのであるが、市内までタクシーやシャトルバスなんかで堕落して行ってしまうと、結局札束に羽が生えたのと同じ状態になってしまうのである。危険である、せめて、カード払いにしておかなければ・・・ ともかく、その前に行き先を決めることにし、ともかく、空港からいくつかのバスは無料で、近くまで身体を運んでくれるというサービスバスがあり、前回はメトロの駅まで無料で送ってもらい、今回は、市バス乗り場まで無料で連れていってもらうことにした。ここで何番に乗るか、適当に乗ろうものなら、単純に空港内でぐるぐる回るだけであり、一歩も空港から抜け出せないので注意と散漫が必要であった。そんなわけで、空港内に案内所があり、そこには人が永遠に不在にしていたので、その近くにある、パソコン画面での案内で確認しようとするが、それが順調に故障しているのであった。世の中には親切な人もいるものだ。そうでないヒトもいるものだ。親切な人の方が、「どうしたのかね、何かお困りかね」と尋ねてきてくれたので、世知辛い世の中に親切なヒトもいるものだと、単純明快に思ったのであった。 順調に、無料バスを降り、バス停で市バスを待つこと、20分。バスに乗っていると、見知らぬ人同士(黒人若者男性、白人若者学生、中年に差し掛かりそうな女性)が話始めた。アメリカでもこうである。見知らぬ人が隣り合わせれば、ついつい話を始めてしまうというのは、インドもフィリピンもエルサルバドルも同じであり、日本以外は、結構世界共通のことなのかもしれないと感じつつあり、同時に感じたのであった。 市バスは遠慮なくまあまあ鈍くて、どちらかというと、市民を乗降させるためだけに走っているという感じであり、女性の太った黒人運転手も、何だか、ハンズフリーの携帯電話で、誰か知り合いか親か友達かテレフォンなんちゃらで、陽気に喋り、とても運転に集中しているというよりは、真剣な談義に笑顔で集中しているようであった。 これが、カルフォルニアの太陽が成せる業なのか!と私が感歎こそすれ感嘆するはずはなく、非常に重要なことに気がついたのであった。私にとってカルフォルニアは、桜田じゅんこの「きてきてきてきてぇサンタモーニカー」でもルイスモニカでもハーモニカでもなかったのである。窓越しに太陽を見たときに気がついてしまったのである。ブルーバス・・・ドアーズは、UCLAの学生で、音楽の拠点は、サンタモニカ横のベニスビーチ周辺であったことを思い出した。そして、名曲「ジエンド」で、青いバスが走る・・・青いバスが・・・と歌っているのである。あ、ブルーバスとは、これのことだったのか!と私は、今回の旅で、自分探しの旅の到達点を見たように勘違いしたのであった。死ぬまで自分探ししながら勘違いして、現実は本当の自分じゃない、どこかにいるここではないカリソメの自分をいたわってあげる自分へのご褒美への旅へと変貌したのであった。なーんちゃってカクカクカク。といいつつ、私は、熱いまなざしではなく、熱い日差しを避けるためにサングラスをかけようとしたが、サングラスを持っていないし購入もしてないので、かけることができなかったのであった。 ようやく、サンタモニカに到着したが、サンタモニカのことは、サンタモニカでの出来事として、遠い将来発表するかもしれないので、ここでは、省略することにする。2008年正月旅行 ハリウッド、蝋人形館1 ハリウッド、蝋人形館2 ハリウッド、蝋人形館3 ハリウッド、蝋人形館4 市内から空港に戻る、Los Angeles アンティグア観光1 Guatemala アンティグア観光2 Guatemala アンティグア観光3 Guatemala アンティグア観光4 Guatemala グアテマラ歴史のお勉強 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の昼 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の夜 Guatemala パカヤ火山登山 Guatemala ホンジュラスの歴史 Honduras マヤ遺跡コパンにいく Honduras コパン,マヤ遺跡1 Honduras コパン,マヤ遺跡2 Honduras コパンルイナスの夜 Honduras Honduras→El Salvador陸路移動 エルサルバドルのお勉強の時間 El Salvador エルサルバドルの夜 El Salvador サンサルバドル→ロサンジェルス El Salvador サンタモニカへブルーバスで行く、Los Angeles ベニスビーチで今年最後の夕陽、Los Angeles サンタモニカ、Los Angeles ロサンゼルスでお正月、Los Angeles サンディエゴからティファナに向かうMexico メキシコ入国ティファナMexico メキシコ入国ティファナ2Mexico メキシコ入国ティファナ3Mexico サンディエゴの朝夜 San Diego サンフランシスコから帰国 San Francisco アメリカ中米gourmetの旅 お土産 ジャンピングビーン・ジャンピングビーン2
2008.01.30
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これは、結局、美しい友達です。 これは、結局、私の友人だけに、最後に、私たちの緻密な計画は、 最後に、観衆席のすべてのことは、 最後には、安全性や驚きは、 終わりです。 もう二度と再び目を見てみましょう。 どのようなことをされる画像は、 無限と自由なので、 必死になって困って 幾許かの見知らぬ人の手には、 死に物狂いで土地です。 ローマの荒野で失われたような痛み、 すべての子供たちが非常識とは、 すべての子供たちは非常識です。 夏の雨を待って、うん。 端っこの危険性のある町にして、 王様の高速道路に乗るのは、赤ちゃんです。 変なシーン内部の金鉱 高速道路に乗る西、赤ちゃんです。 ヘビに乗るのは、 ヘビに乗ります。 湖には、古代湖は、赤ちゃんです。 ヘビは長い間、 7マイル。 ヘビに乗るのは、 昔の彼は、自分の肌は、寒さとします。 西には最良のは、 西には最良のは、 ここで取得し、残りをしましょう。 キャスリンは、 青色のバスには'私たちは、 キャスリンは、 青色のバスには'私たちです。 ドライバは、あなたが私たちはどこですか? 夜明け前の殺人犯が目を覚ました時、 彼はブーツを履いてます。 彼は、古代から顔展覧会は、 彼は廊下を歩いている。 彼はその部屋に入る 妹はどこに住んで それから彼は 有給を訪問して、弟は、 それから彼は、 彼は廊下を歩いて、うん。 そして彼がやって来て、ドアを、 と、彼は目の内側です。 "父ですか? " "はい、息子" "わたしはしたい、あなたを殺す 母は、私waaaaaaしたい… " ええと、ええと、すべての権利、うん! 勘弁してよ、お母さん、うん! おいおい、赤ちゃんは、私たちを取るチャンスで、 おいおい、赤ちゃんは、私たちにチャンスを取る おいおい、赤ちゃんは、我々としてチャンスを取る 私に会うの背面には、青色のバスです。 夜明け、青い岩 バスの上に青い。 おいおい、うん… コロス!コロス!コロス!コロス!コロス!コロス!コロス!コロス!これは、結局、美しい友達は、 これは、結局、私の友人にのみ、 最後には、それが痛い自由に設定することは、 しかし、決してついてきていただく思います。 柔らかな笑いと嘘の終わりには、 夜の終わりにしようとして死ぬ。 これは、終わりです。2008年正月旅行 ハリウッド、蝋人形館1 ハリウッド、蝋人形館2 ハリウッド、蝋人形館3 ハリウッド、蝋人形館4 市内から空港に戻る、Los Angeles アンティグア観光1 Guatemala アンティグア観光2 Guatemala アンティグア観光3 Guatemala アンティグア観光4 Guatemala グアテマラ歴史のお勉強 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の昼 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の夜 Guatemala パカヤ火山登山 Guatemala ホンジュラスの歴史 Honduras マヤ遺跡コパンにいく Honduras コパン,マヤ遺跡1 Honduras コパン,マヤ遺跡2 Honduras コパンルイナスの夜 Honduras Honduras→El Salvador陸路移動 エルサルバドルのお勉強の時間 El Salvador エルサルバドルの夜 El Salvador サンサルバドル→ロサンジェルス El Salvador サンタモニカへブルーバスで行く、Los Angeles ベニスビーチで今年最後の夕陽、Los Angeles サンタモニカ、Los Angeles ロサンゼルスでお正月、Los Angeles サンディエゴからティファナに向かうMexico メキシコ入国ティファナMexico メキシコ入国ティファナ2Mexico メキシコ入国ティファナ3Mexico サンディエゴの朝夜 San Diego サンフランシスコから帰国 San Francisco アメリカ中米gourmetの旅 お土産 ジャンピングビーン・ジャンピングビーン2
2008.01.30
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サンディエゴの町からトラム(路面電車)で40分で国境である。それでは、サンディエゴでいったいナニをしていたのか、という些細なことを気にされては困る。ものの本質は重要ではないのである、そこに居たということが重要だったのである。トラムやバスは片道2.5ドルであるが、1日乗り放題パスが5ドル。往復しても5ドルなので、悩み悩んで、1DAYPASSを購入。アダルトスクールとは、それは、淫靡な世界でもなく、わいせつ猥雑な学校でもない。大人対象に、英語(だけではないようだが)をボランティア同然で教えてくれる米国政府の公共サービスの学校プログラムであり、いきなり、英語教えてくださいと行って入って行けば、1時間1ドルとかで優しく教えてくれるという按配であり、さすがにスペイン語圏から入ってきたら、真面目なおっさんは、ここに行くのであろう。さすが移民の国である。この辺りは、アメリカはエライのである。それにしても、何だか、結構、トラムは空いている。終点の駅も、何だかのんびりした印象を受ける。どちらかとすれば、文学的に言えば、モワーンとしているのである。この国境で、私の目の見えないところで、トテモ重要な薬物が、車のエンジンルームの中や、土産物の粘土細工の中や、人の校門の奥底やらに、他の一般ブツや一般人と極秘裏に運ばれているとは、想像しかできないのである。アメリカからメキシコへ、出て行くものは、何も文句はいわないという感じで、昔、ビデオでみたカストロの若き日の演説を思い出した。「革命は成功した。キューバにもう用のないものは、アメリカに出て行くがよい。もう我々は追いかけはしない」と。(そういいながら、結構、犯罪者もキューバ難民船に乗せて追放したとか。) 本当に経済格差というのは、かく、液体の水のようなものであり、高いところから文句なく低い所に流れていくものなのである。低いところから高いところに上るためには気体化するしかないのである。まあ、国際用語で言えば、労働ビザというものである。勿論、名前は、何度変えようが、生きていくためには、気体化である。勿論、国際用語として、固体化というのもある。難民として氷になれば、水の体積より、溢れて、押し出されるのである。 風景を見ていると、アメリカ側は、優雅な家に、不毛地帯に、自分の体を洗うのを我慢しても、頑張って芝生に水撒き、って感じなのであるが、ほんの国境向こうに見える、ティファナの町は、ぎゅうぎゅうに丘の上までぎっしりと建物が詰まっているのである。詰まって詰まって、民俗学的に言うと、糞ズマリである。もう少しで、国境を押し出すぞって感じなのである。 もう、出て行く奴は勝手に出て行けという態度は、メキシコへ行く歩きのゲートが、ほんまに、動物園の出口と同じなのである。反対に開かない金属製のガタガタ音のなる回転ドアなのである。勿論、外にあるので、当然ながら雨が降れば、雨に濡れるような構造になる吹きさらしなのである。 そもそも、アメリカ合州国は、えらそぶっているので、入国には、顔写真や指紋を取り、入国者全員を犯罪者扱いしてくれるのであるが、出る時は、スタンプさえ押さないのである。出て行く奴は勝手に出て行くがよい、あとは知らんといった不親切放任主義なのである。初めてニューヨークに行った帰りなんかは、途中デトロイト経由で、いつになったら、スタンプ押してくれるのか、出国はどうなっているのか、このまま乗り換えたら次に日本に帰っちゃうよ、それでもいいのかアメリゴベスプーチ!なんか思っていたのであった。スタンプを押さないことを知ったのは、その後、カナダのバンクーバーと成田で出国したのに、飛行機に乗れず、また入国したのであるが、昨年の夏、サンフランシスコからメキシコ、メキシコシティに乗れなかった時なんかは、乗れなかったらまた、横から外に出るだけというシステムで、初めて、あ、そっか、出国手続きしてないから、乗れなかったらそのまま戻ればいいのか、セキュリティチェックだけしたらいいのか、と気がついたのであった。そんな訳で、出国審査待ちで、「○○行の人いませんか~」とかいう空港職員が叫ぶ風物詩がないのであった。ちなみに、成田では乗り遅れると、どうなるか、ここで遠慮がちにも披露しておくと、空港職員の後ろを万引きした犯罪者少年のように、とぼとぼ後ろをうなだれながら着いていき、何か変な駅の窓口みたいなところに行き、出国スタンプの上に、赤で、VOIDという取り消しスタンプをボムっと押してくれるのである。まだ中国みたいに「淫」のマークを押されて国外追放強制送還って感じ程ではないのであるが、多少、照れくさいのである。 国境ですることといえば、誰もがアホになる。俺の左はメキシコ、スペイン語、俺の右半分はアメリカ、米語、イエイ、って感じである。こんなことは、中年になってもやるのである。やらなくても、心の中でそう心の叫びゲームをしてしまう悲しい性なのである。もう来るなよ、帰ってくるなよ。 随分、話題は、哲学的な話にそれてしまった感があるが、話をメキシコに戻そうではないか。勿論、私は、大変、勉強家をも兼ねているので、72時間以内のメキシコ入国なら入国審査さえいらないということを知っていたのである。しかし、一応、それはどこにあるのかと探しているうちに勝手に回転ドアに来てしまい、俺がこのまま、南米まで陸路でいくつもりだったら、メキシコ政府はどう責任を取ってくれるつもりだったのだろうかと苦言を呈したくもなったのだが、そのあたりは、アミーゴ、ケセラセラってか。 それにしても、私も、こうハンサムやゼンサムに見えながらも、ヨーロッパだけでなく、アジアの国境をいくつか陸路で抜けたものであるが、考えれば、そう経済格差があるわけではなかったので、ガラーン、ドカーンと風景や人々が変化するってこともなく、言語や風習も、概ね、国境の町の人々は、どちらも文化も受け継いでいるものだが、経済格差が数倍(か?)も違う国境は初めてである。日本とインドが陸でいきなり繋がっていると想像すれば、分かりやすいかもしれない。それでも、昔から繋がっていると、アジア的緩やかさで、お互いの文化を融合させつつあっただろうが、ここにあるのは、アメリカ側からの明るい断絶と、メキシコ側からの陽気な嗚咽である。・・・・・・・・・・・・・・・さてメキシコことは中略前略省略するのである。にっくきアメリカなのか、これはアメリカを料理してやるというメキシコの怨念因縁なのか。しかし、アメリカも負けては居ないのである。あと歩いて5分といいながら3分歩いても、まだあと5分の看板だったのである。もしかすると、メキシコが経済学的理由により、同じ看板をいっぱい作ってしまったのかも知れないという悲しき事実に気がつき、涙せざるえないのである。結構、人知れず私も泣いているのである、世の中の不条理に・・・なーんちゃってカクカックカク。といっても、オイ、コラ、テメーラ、アメリカ来るなよ、ウットシーンダヨ、との叫びが聞こえてくるがそれは、クラクション語である。勿論、商魂たくましき、アミーゴは、商売をするのである。いやはや、この中に、どんだけ、イケナイブツがあるのか、想像すると、全く想像するだけなのである。しかし、一般的に経済学的に言うと、経済が上位にある国から下位にある国にいくのは、技術的に発展したものが主で、その逆が農作物など、第一次産業的なものが多いのである。そんな訳で、地球はいわゆる先進国という国がどんどん重くなっていくのである。地球相対の総合質量は変わらないが、アメリカやヨーロッパがどんどん重くなるのである。偏在である。偏重である。といいつつ、飯を食って、残飯捨てて、プーっと屁もこいで、外に出して、蒸発したり、海に流れたりして回遊して、そんで、どっかにいって、ああ、輪廻転生・・・ 入国には、それは、911後は3時間はかかったという噂を聞き、これは、覚悟して、飯の用意が必要ではないか、そして免税店で酒をしこたま飲んでいなければならないと思っていたが、割とすんなり、どちらかというと、10分ぐらいで、入国できたのである。ここのアメリカ人も日本人には甘いのであった。コンイチワとか間違っても言いながらも、パスポートをペラペーラと見るような感じで、見ただけで終了である。嗚呼助かったんであった。しかし、覚えとけよ、と私は、心の中で思うのであった。なんだかさ、ベトナム人自転車君はこちらってメッセージを受け取ったよ。またね、メキシコ。巨大な国旗は虚しく羽ばたいているのである。2008年正月旅行 ハリウッド、蝋人形館1 ハリウッド、蝋人形館2 ハリウッド、蝋人形館3 ハリウッド、蝋人形館4 市内から空港に戻る、Los Angeles アンティグア観光1 Guatemala アンティグア観光2 Guatemala アンティグア観光3 Guatemala アンティグア観光4 Guatemala グアテマラ歴史のお勉強 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の昼 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の夜 Guatemala パカヤ火山登山 Guatemala ホンジュラスの歴史 Honduras マヤ遺跡コパンにいく Honduras コパン,マヤ遺跡1 Honduras コパン,マヤ遺跡2 Honduras コパンルイナスの夜 Honduras Honduras→El Salvador陸路移動 エルサルバドルのお勉強の時間 El Salvador エルサルバドルの夜 El Salvador サンサルバドル→ロサンジェルス El Salvador サンタモニカへブルーバスで行く、Los Angeles ベニスビーチで今年最後の夕陽、Los Angeles サンタモニカ、Los Angeles ロサンゼルスでお正月、Los Angeles サンディエゴからティファナに向かうMexico メキシコ入国ティファナMexico メキシコ入国ティファナ2Mexico メキシコ入国ティファナ3Mexico サンディエゴの朝夜 San Diego サンフランシスコから帰国 San Francisco アメリカ中米gourmetの旅 お土産 ジャンピングビーン・ジャンピングビーン2
2008.01.29
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エルサルバドルは観光資源の乏しい国であり、旅行者らしき人は見かけることがなく、東洋人が歩いていると、やたら目立ち、振り向かれるのである。インドやアラブ世界においては、人々は好奇心の塊なのか、じろじろ見られるが、久しぶりに、なんだいこのヒトという感じで、ちろちろ見られたのであった。少し、郷土料理ププサを屋台で食う。 宿をとったのは、サンサルバドル随一のホテル、「インターコンチネンタル」。宿が少ないのか分からないが、いろいろ調べても、ホットシャワーが確保されている宿が2つしか見当たらないのであった。インターコンチというぐらいだから、宿泊料もインターナショナルな値段かと思いきや、グアテマラからネット予約すると、60ドルであった。ホテルは、いわゆる上級ホテルだが、広く新しく清潔そのものであった。別世界のようであった。荷物を運んでくれたボーイも英語を話してくれ、1階に寿司バーがあるので、日本人も来るのか聞いてみると、4ヶ月に1度仕事で来る日本人が一人いるとのこと。(分からないが、ネットで検索するとYKKの工場があった) 街の中心部、猥雑で賑やかなところから、5キロほど離れたこのホテルの前では、中米一のショッピングモール、メトロセントロがあり、ここもこぎれいにした、それでも、またもや渋滞するほど多くの人だかりがあった。この活気あるショッピングモールは、世界のどことも変わらず、面白みのないものであったが、ネットカフェが1分1セント(まあ、1円)と安く、思わず30分程度はまっていたのであった。スーパーマーケット、愉快なことに、ジュースのオマケにパンがついてたりなんかして。そういえば、かつての中国のようにグアテマラでは基本的にトイレで紙は流してはいけないということであったが、さすがにここでは、尻も拭き放題、紙も流し放題。 ここの地下にはスーパーマケットがあり、世界の珈琲の1.2パーセントの生産量を占めるインスタント珈琲と粉を挽き済みの珈琲を購入し、あとは、ひたすらビールを購入し、レジを終えると商品がない。少年が袋に詰め、5歩ほど離れた出口に立って待っているのであった。国挙げての先進のピカピカの施設の中にも、こうやって収入を得ようとする子供たちがいる。今まで、スーパーに入り込み、レジ袋に商品を入れるということを仕事にしている子供に出会ったことはない。 化粧は派手で、ケバい服や装飾も身に着けた女性は多いが、強盗追いはぎなどが、多いようで、装飾はイミテーションである。かつて、コロンビアは泥棒に、麻薬からみの殺人が多かったが、ここ2,3年で随分治安は回復したというニュースを読んだことがある。エルサルバドル案内もやたら治安の悪さを脅しているが、歩いてみると、そういう感じは少なかった。どこを歩いていても、恐怖を感じるのは、若者たちがたむろしている暗がりである。案外、スラムであろうが、家族がいたり、生活が十分に見えるようなところは、見掛けより危険ではないのである。 街の中心部まで、ホテルからタクシーで出かけたが、帰りは、住宅街を通ってみようと、5キロほど歩いてホテルに戻っていく。そんな中で、スラムに近い住宅街を通りながら、もう夜になり、少しびびるのではあるが、洗濯物を見たり、トルティーヤを焼いている姿や、小さな子供をあやす家族を見たりすると、ほっとするのである。あと、実際の安全とは関係ないのであるが、体の大きい黒人の集団は怖いが、自分より背の低いチンピラ数人は見た目だけの問題ではなるが、怖く見えないから不思議である。フィリピンのマニラでも数人のチンピラに絡まれたことがあるが、実際には恐ろしいのであるが、どこか数パーセントの愛嬌を感じてしまい、他人事にように見えてしまうというか、しばらくすると解決しそいだという感じに思えてしまうから不思議だ。 小さな屋台はともかく、大衆食堂であっても、メニュー表がなかったりするので、並べているものがあれば指差すか、人の食べている皿を指差すというスタイルになる。なんだかんだと、結構、皆、フレンドリーな感じであった。 さすが、市内唯一の5つ星である、24時間プール入り放題なんで、私は、メニメニガールダンシングと共に、プールサイドに行ってみた(だけ) 第三国というのは、中流階級というのは、ド級の金持ちであり、結婚式をしているのかと思えば、何故か新婦が若く(インドのように初めて結婚日当日顔を見るのか?)、新郎が見えず(トイレか?)、音楽はハッピーバスデーと思いきや、お誕生日会であった。 サンサルバドルだけでなく、グアテマラでも、そして、サンフランシスコの空港でも見たのだが、ビニル袋でスーツケース等の荷物をぐるぐる巻きにするサービスがあるのだが、どういう意味があるのか良く分からないところが、しぶい。2008年正月旅行 ハリウッド、蝋人形館1 ハリウッド、蝋人形館2 ハリウッド、蝋人形館3 ハリウッド、蝋人形館4 市内から空港に戻る、Los Angeles アンティグア観光1 Guatemala アンティグア観光2 Guatemala アンティグア観光3 Guatemala アンティグア観光4 Guatemala グアテマラ歴史のお勉強 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の昼 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の夜 Guatemala パカヤ火山登山 Guatemala ホンジュラスの歴史 Honduras マヤ遺跡コパンにいく Honduras コパン,マヤ遺跡1 Honduras コパン,マヤ遺跡2 Honduras コパンルイナスの夜 Honduras Honduras→El Salvador陸路移動 エルサルバドルのお勉強の時間 El Salvador エルサルバドルの夜 El Salvador サンサルバドル→ロサンジェルス El Salvador サンタモニカへブルーバスで行く、Los Angeles ベニスビーチで今年最後の夕陽、Los Angeles サンタモニカ、Los Angeles ロサンゼルスでお正月、Los Angeles サンディエゴからティファナに向かうMexico メキシコ入国ティファナMexico メキシコ入国ティファナ2Mexico メキシコ入国ティファナ3Mexico サンディエゴの朝夜 San Diego サンフランシスコから帰国 San Francisco アメリカ中米gourmetの旅 お土産 ジャンピングビーン・ジャンピングビーン2
2008.01.28
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世界のほかの国に、僕のささやかな努力を求めている人々がいる。君がキューバの指導者として拒否せざるを得ないことが、僕にはできる。僕たちは別々の道を行く時がきたのだ。 (カストロに宛てた別れの手紙)他国で戦いに行くために、快適な生活を捨てる覚悟のあるものだけが、革命家の名に値する。正直言って、自分の骨をどこに埋めることになるのかも分からない。いまや、「私」という概念は「われわれ」に完全に変わりました。これが共産主義的な考え方です。僕にはなくてはならないものがふたつある。たばこと読み物だ。いずれにしても、僕は銃を取るつもりだ。正義を勝ち取るための武装だ。ヤンキーどもに、他人の家に土足で勝手に入れないことを分からせるために戦うのだ。カストロとの出会いは、政治的な事件だ。若く知的で自信にあふれ、きわめて大胆な男だ。僕たちは互いに共感を得たはずだ。 確かにカストロ伝説はいっぱいある。勿論、その際たるものが、8人乗り老朽船グランマ号に82人ものゲリラを乗せて、キューバに上陸、その後、キューバ政府を転覆させ革命を成功させたことであろう。上陸というものではなく、まさにゲロまみれで漂着、計画もバチスタ政府に駄々漏れで、生き残ったのが12人。そのとき誰もがもうだめだと思ったのに、カストロはここで勝利宣言をしたのであった。チェゲバラのチェは、アルゼンチン地方の「ねえ、きみ」といった呼びかけ言葉である。グアテマラやキューバ、メキシコと同じスペイン語といっても、訛りは違う。誰も、チェという言葉は使わなかったので、いつしか、ゲバラは、チェゲバラといわれるようになったいう。彼もその呼ばれ方を好んでいた。1967年ボリビアでつかまり処刑されて以来、その遺体は行方不明になっていたが、1997年、遺骨が発掘される。今は、キューバにて眠る。ところで、産業相として、1959年、ゲバラは日本にも来たことがある。日本への感心ごとは工業化についてであった。12日間、31歳のゲバラは政府要人と会談、トヨタ愛知工場、三菱重工、久保田鉄工堺工場などを視察。会った人々は一様に「ぶっきらぼうで口数が少ない(ラテン系なのに)が、異常に目が澄んでいた」と口にしている。 広島へは自費で訪れ献花。こんなにまでされてなお、米国のいいなりになるのか、とその後の論文では書いている。このあたりで、そろそろ、大学新入生時代にトラウマと化したロマンチシズムに気分が悪くなった頃と判断し、現在の名言集に切り替えたいと思います。「あなたの国にも黒人がいますか?」(Jブッシュ大統領、ブラジル大統領との会談で)「僕は子供が好きなんだ。僕も以前は子供だったんだ」(トムクルーズ)「もし普通に知能が高い程度ならなんとかやっていけたと思うのよ。でも私尿に異常に知能が高いと恐怖さえ感じるのよ」(シャロンストーン)「行ったクラブの名前までいちいち覚えてないよ」(ギリシャ滞在中に、パルチノンに行ったかと記者に質問されたシャッキールオニール選手)「テレビを見ていて、世界中の飢えた子供たちを見ていると、かわいそうで涙が出てくるわ。あれくらい痩せられたらいいと思うけど、ハエにたかられたり、死んだりするのはごめんだわ」(マライアキャリー)「何かするといって、実際に何もしない人のことを、信頼できる人、というんだ」(ブッシュ大統領)「死人は嫌い」(パリスヒルトン)「ところで、来年のカンヌ映画祭はどこで開かれるの?」(クリスティーナアレギラ)中国は、中国人が大勢住む国だ(シャルルドゴール)2008年正月旅行 ハリウッド、蝋人形館1 ハリウッド、蝋人形館2 ハリウッド、蝋人形館3 ハリウッド、蝋人形館4 市内から空港に戻る、Los Angeles アンティグア観光1 Guatemala アンティグア観光2 Guatemala アンティグア観光3 Guatemala アンティグア観光4 Guatemala グアテマラ歴史のお勉強 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の昼 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の夜 Guatemala パカヤ火山登山 Guatemala ホンジュラスの歴史 Honduras マヤ遺跡コパンにいく Honduras コパン,マヤ遺跡1 Honduras コパン,マヤ遺跡2 Honduras コパンルイナスの夜 Honduras Honduras→El Salvador陸路移動 エルサルバドルのお勉強の時間 El Salvador エルサルバドルの夜 El Salvador サンサルバドル→ロサンジェルス El Salvador サンタモニカへブルーバスで行く、Los Angeles ベニスビーチで今年最後の夕陽、Los Angeles サンタモニカ、Los Angeles ロサンゼルスでお正月、Los Angeles サンディエゴからティファナに向かうMexico メキシコ入国ティファナMexico メキシコ入国ティファナ2Mexico メキシコ入国ティファナ3Mexico サンディエゴの朝夜 San Diego サンフランシスコから帰国 San Francisco アメリカ中米gourmetの旅 お土産 ジャンピングビーン・ジャンピングビーン2
2008.01.27
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帰ってきて金額と乗り継ぎを覚えておくためにメモ日記を書いておいた。 そんな訳で、ドアツードア約300キロから400キロの移動に10時間少々かかった移動は終わったのであった。 ホテルの窓から、活火山サンサルバドル山を望み、荷物を置き、移動は終了だ。 久しぶりに、乗り継ぎ5回10時間の移動をした。風景を楽しんでいた。しかし、風景の中、頭の中は、やはり、どんどん違うことを考えたり、うつらうつら眠ってしまったりするものだ。 泊まっているホテルの屋上から、バス出発の場所が見えた。勿論、ただの脇道だ。1台も車が走っていない午前5時50分。屋上から通りを見ると、やがて、一組の大きなバッグを抱えた家族がやってきた。どうやら、昨晩に聞いたとおり、ここにバスが来るのではないだろうかと思う。サンペドロスーラ行バスは6時くらいに来て、満員になったら出発するという。だいたい7時までには出発するみたいだよ、なんて暢気な説明を受けた。不安なので、2件その後も聞いてみたが、その通りだった。そのうちの1件は、ラエントラーダで降りると、エルサルバドルまで直通のあるデラックス国際バスが1日2本出ていて、○○ホテルに行ってみれば分かると思うよというアドバイスを受けた。 やがて、バスがやってきたので、急いで、部屋に戻り荷物を持ち、バスのところまで行った。バスは、8割ほどの人数が集まり、案外早く6時半にバスは出発した。 こうやってバスで移動していると、何故か、かつてのバスの移動のことを思い出してしまうものである。ボルネオ島からマレー半島のマレーシアの首都クアラルンプールの国内線を飛び、そこから、その日のうちに、バスを乗り継ぎ、タイのコサムイ島を目指す。疲れ果て、眠ってしまうのだが、眠りながら、なんて人間ってこんな不快な中ででも眠れてしまうのだろうか、と思うのであった。熱風が顔を当たり、コサムイ島の対岸の町、スラタニーまで国境から数時間、ほとんど目をつぶっていたし、意識も半分、どこかに飛んでいたというのに、数時間後の夢のようなビーチに到着しているんだと思いつつ、夢を見ているのであった。 石油大国イランは道は綺麗で、立派なベンツのバス。しかし、8時間走っても、バス代は1ドル。イスタンブールからアテネまで24時間のバス、ギリシアに入り、ギリシア通貨ドラクマがなく、昼食中、エーゲ海沿いで腹を減らせてタバコをただ吸っていたと思えば、ちょっと来いよと地元の人に誘われ、ご馳走になる。 最悪のバスは、インドネシアスマトラ島の3日間のジャカルタ行のバスに、パキスタンからイラン国境に向かう砂漠を横断するジャンピングバス。 景色は最高なのに、頭の中は高山病で、自分が詩人であると勘違いしている3日間のチベットバス。近年では、バンクーバーからシアトルまでの4時間の国際バス、乗客全員がデブであった。 ラエントラーダでは、道沿いで降ろされたので、そのホテルが分からず、通りがかった3輪タクシーに乗ると、30秒ぐらいでそのホテルに着き、久しぶりに、またこちらから金額の交渉やり直しをする。おまえなあ、そこって初めから指差してくれよ、といいながら、こちらから勝手に金額を10円と決めて、後は無視する。いや、無視はせずに、シェイクハンドだ、一方的にこちらからニコニコ笑いながら。 しかし、バスはないようで、フロントの人は、何やらスペイン語で言っているのだが、だいたい、こちらの知識と基本単語(バスとか、地名とか)で理解し、バスが集まっている方向を目指す。バスはどれだろうか、と思っていると、乗り合いミニバンが、「それなら途中の街まで行く」といい、無理やり、荷物を取られる。急いで、値段を確認し、まあ、それなら、ミニバンもたまには面白いよね、と急遽、バスからミニバスに変更。小回りが効き、多少早いかもしれないという投げやりな判断であった。とにかく方向はあっているので、先に進め、前へ、前へ、という意識が何だか愉快な気がしたのであった。 ミニバンに乗れば、乗ったで、今までのミニバンの思い出も甦ってくるのも、不思議なものだ。注意深く、他の人が払う金額を確認しながらぼられていないことを確認するのだが、とにかく、運転手と呼び込みにいちゃんは、多分、バンは借り物なので、呼び込んで人数乗せてナンボのものである。その呼び込みはスザマジク、見ていて楽しい。「サンタロ~サ、サンタロッサアァ~」と車から身を半分乗り出し叫んでいる。まさか、もう乗らないだろうなんて思っても、子供なんかは、私の膝の上に乗ってくるのだから愉快だ。でも、私は常識人なので、女の子よりも、性別問わず小さな子の方が嬉しいのである。 サンタローサデコパンのバス停に着き、まだ南に向かうのだが、まずは、スーパーにトイレ、そして、コーヒー。どんなときも、コーヒーやビールやチャイといった嗜好品は私たちの味方であり、心落ち着かせてくれるものであり、一服の瞬間である。国境をヌエバオクテペケ(発音できないので、人に見せるしかない)を通るバスには既に満員の人が乗っているので、1時間ぼーとして次の便にしようかと思いながら30分程経過し、まだ、出発していないので、仕方なくソレに乗ろうと、バスの前まで行き、呼び込みの人に、地名の単語を見せる。そのバスは、こっちか後いて、道を見ると、バスが走ってきて止まった。「おお、ちょうど来た、これに乗れ」とやたらタイミングよくバスが来て、コーヒーショップから出て何故か1分後に、やってきたバスに乗り込むということになった。丘の上にある町を後にして、また山岳地帯に入っていく。 バスは少しばかり高級で、多分前の家族も、ホンジュラス人ではなさそうだ。どうやらこのバスは、エルサルバドル国境手前の町で、ぐいっと北上してグアテマラの国境の町に行くバスのようだ。地図を見ると1時間半もあれば着きそうなのに、やはり道は、山岳地帯をくねりながら行き、そう予想通りには着かない。 しかし、やがて、2時間半走ると、少しした町になり、数人が降り、運転手が手招きをしてくれたので、降りた。降りた瞬間に、またもやミニバンが「エルポイ、エルポーイ!」と叫びながら通りがかり、ニエバオクテペケの町には15秒ぐらいしか大地に足をつけないままに、乗り込む。料金はどうなんだと思っていると、親切にも、フロントガラスに10レンピラ(60円)と書かれていた。 10分少々走ると、やがて免税店や税関やと数戸の建物が道に現れ、遮断機が2,3本現れた。ここで終点、あとは、歩いて行く。どこが、イミグレで、どこが税関でというのがはっきりしないまま、パスポートを兎に角、どんどん見せていくのであるが、どの係員も見るだけで終了。スタンプも何もないまま、荷物検査もないままに、エルサルバドル入国。道端に一人だけ、札束を持っていた男から、レンピラをドルに両替する。エルサルバドルは2001年頃から、自国の通貨を捨て、米ドルとなり、プライドどころか、国家を捨てたようである。グアテマラとホンジュラスの国境では札束を持った闇両替商が十数人いたというのに、何だか、寂しいというか、こうやって歩いて通過している人、いないんだけど・・・。 そこで、バス停を聞くと、スペイン語で、多分、このまままっすぐ行き、3つ目の曲がり角のところにバスステーションがあるというようなことを言っていたので、歩く。400メートルぐらい、道路わきをトロトロと歩いているが、誰も、相変わらず歩いていない。 かつて、イランからトルコに入国した時もそうであった。山の山頂に両国共同の建物があり、トルコに抜けると、確かに何もなかった。バスもタクシーもなかったのである。そこには、荒野しかなく、トラックをヒッチハイクかと思って座っていると、タクシーが一台、客を乗せてやってきた。降りたのは日本人だった。当時、ノービザで入国できるのは日本人だけだったのだ。こんな荒野で出会った日本人と情報交換をして、そのまま、そのタクシーで50キロ先のトルコ最初の町までいく。そこには、多くの西洋人旅行者が何とかイランに入国できないものかと、糞ズまりのように溜まっていた。 バスは、正に出ようとしていた。「サンサルバドル?」と確認し、バスステーションから道に頭を突き出したバスを止め、乗り込む。100キロで1.6ドル200円しないという値段である。ちょうど席は、満席ぐらいとなり、100キロなら2時間もあればと思っていたのだが、もう完全にエンジンがいかれていて、山道をスゴイトロイスピードで進む。 国が変わった。大人しく、農耕のホンジュラスから、派手なエルサルバドルに入った。乗ってきた女性は、子供からセニョリータって感じで、メイクが派手。濡れたような髪の毛が流行っているのか、ツヤのでるものをつけていたりする。そして、バスは、大音量で音楽を流し始める。半分は、エルサルバドルポップスだが、半分は何故か70年代アメリカイギリス流行歌。ノリノリである。主な見所もなく、何だかノリノリなところが、少しフィリピンに似ているのではないかという感じがした。もう音楽はいつまでも大音量で続き、50キロ走ったところで、既に3時間たっていた。平均時速20キロ以下である。しかし、ここからは快速である、山道でなくなり、残り50キロは1時間で、ついにサンサルバドルに着いたのであった。 サンサルバドルでは、地図を見ながら、適当なところで降り、タクシーを捕まえて、交渉5ドルで、ホテルに向かう。タクシーは、ぼったくられているのもあるが、概ね、町のどこかにいくなら3,4,5ドルと書いていたのでそんなものなのかも知れない。(しかし、翌朝、空港までの40キロは、20ドルであった)2008年正月旅行 ハリウッド、蝋人形館1 ハリウッド、蝋人形館2 ハリウッド、蝋人形館3 ハリウッド、蝋人形館4 市内から空港に戻る、Los Angeles アンティグア観光1 Guatemala アンティグア観光2 Guatemala アンティグア観光3 Guatemala アンティグア観光4 Guatemala グアテマラ歴史のお勉強 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の昼 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の夜 Guatemala パカヤ火山登山 Guatemala ホンジュラスの歴史 Honduras マヤ遺跡コパンにいく Honduras コパン,マヤ遺跡1 Honduras コパン,マヤ遺跡2 Honduras コパンルイナスの夜 Honduras Honduras→El Salvador陸路移動 エルサルバドルのお勉強の時間 El Salvador エルサルバドルの夜 El Salvador サンサルバドル→ロサンジェルス El Salvador サンタモニカへブルーバスで行く、Los Angeles ベニスビーチで今年最後の夕陽、Los Angeles サンタモニカ、Los Angeles ロサンゼルスでお正月、Los Angeles サンディエゴからティファナに向かうMexico メキシコ入国ティファナMexico メキシコ入国ティファナ2Mexico メキシコ入国ティファナ3Mexico サンディエゴの朝夜 San Diego サンフランシスコから帰国 San Francisco アメリカ中米gourmetの旅 お土産 ジャンピングビーン・ジャンピングビーン2
2008.01.26
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昨日、私は、このお題を完成させたというのに、どこかに消えてしまっている。今は、ショックでパー状態である。気を取り直して、再び書物を読み解き、ネットサーフィンするしかないような状態である。とにかく、中南米は、アメリカ合州国にけちょんけちょんにやられてきた歴史がある。エルサルバドルは、隣国、ニカラグアと違い、右翼政権に対して左翼ゲリラが立ち向かい、1960年代より内戦状態になった。 この国は、スペイン系白人支配国家で、14家族という一族によって大企業や綿花農地を支配されてきたのであった。この貧富の差と社会正義のため武装蜂起したのが、ゲリラ組織と、共産党、左翼政権が合体してできたFMLN(ファラブンドマルティ解放戦線)であった。指揮高き、FMLNは滅法強くて、あれよあれよという間に、山岳部を中心に国土の3分の1を支配区にしたのであった。よわっちかったのは、右翼政府軍で9時5時サラリーマン軍隊と呼ばれ、もはや、空港と首都の道でさえ、確保できないほどになっていた。ここで、現れたのが、レーガン政権であり、お決まりの軍事顧問団、軍隊、経済援助と3段階論法で、軍事介入した。まずは、山岳部をガンガン空爆したのだが、これには、農民も激怒、あっという間に、農民たちがみーんなゲリラになった。こりゃいかんと、レーガンはびびり、ベトナム戦争で使ったいわゆる戦略村作戦にでて、農民を強制移動させ、ゲリラとの切り離しに躍起になったのであった。 徐々に力を取り戻した右翼政権は、左翼有力者や司祭を白昼堂々暗殺し始めたのであった。このあたり、映画「サルバドル」を2回見た私も、エルサルバドルアブねえところだな、やばいなと思っていたものであった。 なんとか、その後、1992年、ようやく20数年続いた内戦も、右翼左翼の和解により、終結したのであった。今や、FMLNは政府第2党となっているが、元々、寄せ集めであり、分裂が相次いではいる。膨大な年表有ちなみにエルサルバドルは、グアテマラ、ホンジュラスと国境を接し、面積は四国ぐらいであるが、中米一人口密度が高く、中米2番目に人口の多い都市が首都サンサルバドルである。ちなみに、エルサルバドルだけが、中米でカリブ海に面しておらず、そのため、台風の影響はあまりないが、地震国家ではある。GNPは一人当たり、年収50万円ぐらいで中米では、パナマ、コスタリカに次ぐのである。エルサルバドルとは救世主という意味で、漢字で書くと救世主国となる。人口570万人であるが、国外に270万人いるといわれている。どんなときも、出かけるのが市場である。しかし、この国、観光資源がほとんどないのである。私も町をブラブラ何時間も歩き、そして終わりである。市場は、人が通ることが出来れば、あとは、店を拡張し放題である。闇市のようである。お祭り好きなのか、やたら長い(1メートル以上)の花火があちらこちらに売られている。観光案内には、いきなりカテドラルが紹介されている程度である。メルカドール(市場)は広く、人がひしめき、そして、公衆道徳が低く、ゴミは道端に落ち放題。そのあたりがフィリピンとも似ていると思うのであった。日本がバブルに浮かれていた頃、この国は内戦状態であった。何故だか、分からないのだが、私の大学にも、「沖縄問題」「女性問題」「在日問題」「米軍基地問題」「学長糾弾」など、いろんな問題、解放戦線勉強会などがあったのだが、何故かそんな中に、数人でやっている「FMLN解放戦線研究会」というのがあって、私も、そこに何となく出席してみて、スライドを見た。こんな遠い国のことを考えてみるんだなと一番後ろの席で思うのであるが、こういった社会問題や戦争に対して、おおむね、出席者はかぶっているようで、概ねがどっぷりはまり、このFMLNにしても、気がつくと、部外者は私だけという危機的状況に陥っており、皆が真剣に討論している中で、「中南米は、陸路で旅行できるのか」とかやや、かなり的外れな質問をいくつかしたようなノンポリぶりを発揮したものである。そんな訳で、エルサルバドルといえば、首都がサンサルバドルでおもろいなあ、という一般的意見の他に、私には、オリバーストーンの「サルバドル」とこの学生時代の会合のことを思い出す。ちなみに、サンサルバドルとは聖なる救世主だね。ちなみに、ニューシネマパラダイスのサルバドーレとか、サルバドルダリとかサルバドールフェラガモとかいましたわな。そのFMLNもアンテナショップなんかがある。とにかく、キューバを除き、左翼が最も成功した政党なのであろう。DVDやらキーホルダーやらが、売られている訳。それにしても、エルサルバドルもパスポートにスタンプくれなんだ。おお、人形発見。通貨は2001年頃からUSドル。属国やなあという感じがしてしまう。ATMでドルがでてきて、ここはアメリカかよおと思ってしまうのである。ちなみにエクアドルやパナマもドルである。紙幣はその国の印刷技術水準であり、芸術である。ドチラガ偽物か?どちらもフェイクか。2008年正月旅行 ハリウッド、蝋人形館1 ハリウッド、蝋人形館2 ハリウッド、蝋人形館3 ハリウッド、蝋人形館4 市内から空港に戻る、Los Angeles アンティグア観光1 Guatemala アンティグア観光2 Guatemala アンティグア観光3 Guatemala アンティグア観光4 Guatemala グアテマラ歴史のお勉強 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の昼 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の夜 Guatemala パカヤ火山登山 Guatemala ホンジュラスの歴史 Honduras マヤ遺跡コパンにいく Honduras コパン,マヤ遺跡1 Honduras コパン,マヤ遺跡2 Honduras コパンルイナスの夜 Honduras Honduras→El Salvador陸路移動 エルサルバドルのお勉強の時間 El Salvador エルサルバドルの夜 El Salvador サンサルバドル→ロサンジェルス El Salvador サンタモニカへブルーバスで行く、Los Angeles ベニスビーチで今年最後の夕陽、Los Angeles サンタモニカ、Los Angeles ロサンゼルスでお正月、Los Angeles サンディエゴからティファナに向かうMexico メキシコ入国ティファナMexico メキシコ入国ティファナ2Mexico メキシコ入国ティファナ3Mexico サンディエゴの朝夜 San Diego サンフランシスコから帰国 San Francisco アメリカ中米gourmetの旅 お土産 ジャンピングビーン・ジャンピングビーン2
2008.01.25
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僕は1日16時間から18時間働き、出来るなら6時間眠る。でもそんな睡眠時間はなかなかとれないね。 どこで死のうと、我々の雄たけびが誰かの耳に届き、我々の武器をとるために別の手が差し出され、他の人が立ち上がるなら、喜んで死を受け入れよう(ボリビアで捕らえられたさいに。射殺ためらった兵士たちに自分を撃つように促した) ここにいるのは英雄ではない、ただの一人の男だ、臆病者!「(ボリビアで捕らえられたさいに。射殺ためらった兵士たちに自分を撃つように促した)アメリカ帝国主義の直ぐ近くで奇跡とも言える社会主義革命を現した我々は、光を手に入れるために犠牲をも払わなければならない!世界のどこかで、誰かが不正な目にあっているとき、それを感じることができるようになりなさい。それが革命家の最も素晴らしい性質だ。私はラモンです。お父さんの友達でスペインから来ました(たった一度だけ、息子の授業参観を見るために、キューバに極秘で戻っている。学校でゲバラは息子こう挨拶した)一の皮下、この端の下を、手に手を取って渡ろう。子供たちの叫び声に包まれて。(妻に)僕を待たないで欲しい。コーヒーカップはそのまま使って、僕の変わりに別の人にコーヒーを入れてくれ。(平凡になれなかった夫、革命家)僕はキリストじゃないし、慈善事業家でもない。キリストとは正反対だ。正しいと信じるもののために、手に入る武器は何だって使う。自己犠牲なんてクソ食らえ、ただ信じる道を行くのみだ!信じられない偶然のおかげで、僕は今分かった。僕は旅する運命にあるのだ、と。第2、第3のベトナムを作れ!僕を導くものは、真実への情熱だけだ。あらゆる問題について、僕はこの点から考える。人間には誰でもその人也の欠点があるが、僕の欠点は誰にでも分かりやすく、互いに矛盾しあっている。もし、革命に対する確信が弱まったのだったら、まわりくどいことはやめて、直接私に言え。私は、ここから去るものを止めはしないし、咎めもしない。打撃は絶え間なく与えなければならない。「ゲリラ戦争」・・・繰り返しの波状攻撃で敵の準備や休息の時間を奪え。あらゆる国家は平和的に共存しなければならない。国の規模、それまでの歴史的関係、国家間で何か起きた時に持ち上がる問題とは切り離して考えるべきだ。酒は飲まない。タバコは吸う。女を好きにならないくらいなら男をやめる。だからといって、あるいはどんな理由があっても、革命家としての任務を最後までもっとうできないならば、僕は革命家をやめる。モシ我々が空想家のようだといわれるならば、救いがたい理想主義者といわれるならば、できもしないことを考えているといわれるならば、何千回でも答えよう「その通り」だと。2008年正月旅行 ハリウッド、蝋人形館1 ハリウッド、蝋人形館2 ハリウッド、蝋人形館3 ハリウッド、蝋人形館4 市内から空港に戻る、Los Angeles アンティグア観光1 Guatemala アンティグア観光2 Guatemala アンティグア観光3 Guatemala アンティグア観光4 Guatemala グアテマラ歴史のお勉強 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の昼 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の夜 Guatemala パカヤ火山登山 Guatemala ホンジュラスの歴史 Honduras マヤ遺跡コパンにいく Honduras コパン,マヤ遺跡1 Honduras コパン,マヤ遺跡2 Honduras コパンルイナスの夜 Honduras Honduras→El Salvador陸路移動 エルサルバドルのお勉強の時間 El Salvador エルサルバドルの夜 El Salvador サンサルバドル→ロサンジェルス El Salvador サンタモニカへブルーバスで行く、Los Angeles ベニスビーチで今年最後の夕陽、Los Angeles サンタモニカ、Los Angeles ロサンゼルスでお正月、Los Angeles サンディエゴからティファナに向かうMexico メキシコ入国ティファナMexico メキシコ入国ティファナ2Mexico メキシコ入国ティファナ3Mexico サンディエゴの朝夜 San Diego サンフランシスコから帰国 San Francisco アメリカ中米gourmetの旅 お土産 ジャンピングビーン・ジャンピングビーン2
2008.01.24
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多分、私が行った中で、一番聞きなれない国の名前なんだろうなと思う。中米にいくつかの国、カリブにいくつかの国があるが、今回、その位置を始めて正確に覚えたような気がする。中米の優等生は、環境国家にして、軍隊を持たない国、コスタリカぐらいである。昔は、その北側にあるニカラグアと同じような経済状況であったというのに、ニカラグアは内戦、アメリカの格好の餌食となり、今や、4,5倍の差がついている状況となってしまった。そのニカラグアの北、エルサルバドルの東、グアテマラの南にある国がホンジュラスである。 当然ながら、アメリカの植民地みたいな国である。当然、グアテマラと同様、ユナイテッドフルーツ社、スタンダードフルーツ社のアメリカ資本に格好の餌食となり、バナナ一大プランテーションとなった。それ以前から鉱山などは、アメリカ資本が押さえており、この国のインフラは殆どアメリカが作ったといっていいのである。この国の人々は、性格が大人しいのか、農業国家だからなのか、隣国ニカラグアやエルサルバドル、グアテマラなど、国民民衆が独立や、民族紛争で蜂起する中、常に、アメリカがその軍事拠点を、ホンジュラスに置き、そこから、これら国々に攻撃をしかけたのである。その属国主義ゆえなのか、周辺諸国が陥った内戦にはまることはなかったのだが、その搾取ゆえか、アメリカ両大陸の中では、ニカラグアと並ぶ最貧国である。ところで、かつて、エルサルバドルと、何とも名前がいけてない「サッカー戦争」というのがあった。これは100時間で終了したのであるが、1969年、サッカーの国際試合で負けた勝ったで、戦争になったのだが、勿論、それはきっかけに過ぎない。中米では、エルサルバドル、グアテマラ、コスタリカなどが工業化を促進され、ニカラグアやホンジュラスは農業国のままであったのだが、狭い国土(四国ぐらい)のエルサルバドルは、小数の家族が国を支配しており、人口密度が中南米一高く、農業をするため、多くのエルサルバドル人がホンジュラスに渡ったのであるが、ホンジェラスは公有地の分配をこれらの人々にはしなかったため、くすぶりが生じていたところに、このサッカーの遺恨が起こったという訳である。エルサルバドルに負けたホンジュラスは、これら出稼ぎに来ている農民に出て行けと強制送還を初め、それに怒ったエルサルバドルが軍事行為に走ったのであった。広さ、日本の3分の1。メツチーソ(先住民との混血)が9割で、グアテマラから来ると、民族色がなくなった感じがする。やはり、印象として、国民は大人しい。農業国家で、GNPは1200ドル。最貧国で、日本も500億円弱の債務免責をしたそうだ。ほとんどの日本人が知らない国にも、国民1人あたり、400円ぐらい、どうぞ、をしているわけだ。ちなみに、最貧国か故か、中南米では最も海外青年協力隊が多いとのことである。 確かに、ホンジェラスをキーワードにいろいろ検索してみると、ブログは彼らのものがよくヒットしてくるのだ。アメリカの属国である証明のひとつとして、アメリカのイラクへの不法戦争がある。日本も名を連ねた連合諸国であるが、アメリカを忌み嫌う中南米から派兵したのは、ニカラグア、エルサルバドル、ドミニカ、そしてホンジュラスだけである。ドミニカはカリブ海に浮かぶ島であるが、この隣り合う中米3国は、当時のレーガン政権が中米取り込みで無茶苦茶にした経緯がある。ニカラグア左翼政権を転覆させようとするCIA経由の反政府ゲリラ(いわゆるコントラね)の送り込み、その前線基地をホンジュラス、エルサルバドルの左翼ゲリラ革命を阻止すべく、軍事支援し、その前線基地にホンジュラス。ところで、このニカラグア外相暗殺計画なんてのもあった。ホンジュラスのニカラグア大使館勤務の女性を手なずけてスパイに仕立て上げ、毒入りワインで毒殺しようとした事件である。しかし、愛国心の彼女は、最初から騙されたふりをしており、ニカラグアの国防省に、しっかり届け出たおかげで未遂に終わったのであった。 ところで、このニカラグアを転覆させようとする、アメリカ支援の反政府ゲリラは、ホンジュラスに基地を構え、夜に国境を越え、チョコチョコと小規模な攻撃を加えるぐらいで、ムチャ弱かったので、業を煮やしたレーガンは直接攻撃に乗り出すのであった。そして、イランコントラ事件が発覚したのであった。ああ、ノース中佐懐かしいね。イランに売った武器の資金でニカラグア反政府を支援していたっていうあの事件ね。ところで、ほら、あの映画モスキートコーストのモスキートコーストがあるんだよね。[テグシガルパ 2008年1月3日 ロイター] 中米ホンジュラスのミルトン・ヒメネス外相が3日、飲酒運転で逮捕された後に警官を殴った姿が地元テレビで放映されたのを受け辞任した。2008年正月旅行 ハリウッド、蝋人形館1 ハリウッド、蝋人形館2 ハリウッド、蝋人形館3 ハリウッド、蝋人形館4 市内から空港に戻る、Los Angeles アンティグア観光1 Guatemala アンティグア観光2 Guatemala アンティグア観光3 Guatemala アンティグア観光4 Guatemala グアテマラ歴史のお勉強 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の昼 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の夜 Guatemala パカヤ火山登山 Guatemala ホンジュラスの歴史 Honduras マヤ遺跡コパンにいく Honduras コパン,マヤ遺跡1 Honduras コパン,マヤ遺跡2 Honduras コパンルイナスの夜 Honduras Honduras→El Salvador陸路移動 エルサルバドルのお勉強の時間 El Salvador エルサルバドルの夜 El Salvador サンサルバドル→ロサンジェルス El Salvador サンタモニカへブルーバスで行く、Los Angeles ベニスビーチで今年最後の夕陽、Los Angeles サンタモニカ、Los Angeles ロサンゼルスでお正月、Los Angeles サンディエゴからティファナに向かうMexico メキシコ入国ティファナMexico メキシコ入国ティファナ2Mexico メキシコ入国ティファナ3Mexico サンディエゴの朝夜 San Diego サンフランシスコから帰国 San Francisco アメリカ中米gourmetの旅 お土産 ジャンピングビーン・ジャンピングビーン2
2008.01.23
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憩いの場、中央公園の中心に位置する噴水までも、胸からピュー。看板類はできるだけ、小さく大人しくと規制されているのだが、鋭い装飾で主張も忘れないのである。蝋人形ではありません。何だか、サルサ教室も多いみたいで、踊っている姿も見ることができたりなんかもする。やっぱり、機能していない、教会を発見。有料公衆トイレもなんだか、オシャレですなあ。街でひとつしか見当たらないガソリンスタンドの横から。 さて、実際問題、最終回ではあるが、ここでは、市内を一望するのである。かつては首都機能を持っていたとはいえ、地震もあり、数万人の都市規模であり、1キロ四方に街の大部分が収まるという、歩くのにいい感じの街なのであった。オイ、頑張ってコーヒー売りまくれよと励まされる、歩きコーヒー売り。十字架の丘を目指せ。といいながら、実は、比較的安全なこの街でも、やはり、人里は慣れると、相変わらず、ゴートーゴーカン事件が多発しているということなので、ツーリストポリスが、1日2回、丘までのツアーに連れて行ってくれるのであった。そんなことを言われると、まあ、一応、今は、普段は勤労しており、日本社会に貢献しており、家族に貢献している一家の大黒柱としての私は、(あ、一人だったので、私が私を支えているんだった)、若人のように、危険を顧みずという訳には行かないので、15時きっかりに、ツーリストポリス前にノコノコでかけていったのである。そこに、基調するのだが、既に集まっているメンバー、十数人は、死海の人(女性)を除き、全員、アメリカ人かカナダ人であった。やはり、グアテマラタイムをここでも満喫、何もないのに、とにかく出発は15時半過ぎとなった。勿論、15時きっかりにきた私の後に集合した人はいなかったとうのいにである。とにかく、ブラブラ歩いていくだけで、当然、警察のスンゲエ警備の下、出発だと思いきや、先頭とシンガリだけを警察がサンドイッチにしていてくれたのは最初だけであり、旅行者も警察も、徐々に弛んでくるのであった。一人、歩いている中で、アジア人女性がいて、彼氏が、西洋人であり、一瞬日本人かと思ったが、名簿には国籍が違うので、恐らく、中華系カナダ人かと思われた。既に夫婦である。その後ろを歩きながら、やっぱり、ハルジさんの指摘の通り、アジア人男性は最低ランクなんだなあ、と思うのであった。私の妹もそうであるが、逆のカップルは本当に少ないのである。3組しかしらないが、そのうち2組がこの楽天日記の中の人だから、スゲエなあと単純に思うのであった。それにしても、ツアー参加で、おちょけた乗り合いテレビみたいなカナダ人ポール君が、同国人一人女性を軟派に成功しつつあったのであるが、途中でアメリカ人3人女性組に、自ら浮気ココロを出し、組み込まれていき、カナダ人一人女性に呆れられていたのであった。しかし、最終的には、アメリカ人3人組のパシリをさせられ、食べ物を後で届けるとか何とか言う約束をさせられていたのであったが、その後、一人カナダ人女性の元に戻り、関係を修復させようと躍起になっているのであった。ジャストドーイット!しかし、その他、一人男性組の2人はそれぞれ、本を読み出したり、ネッコロガッタリして、死海の人は、暇そうにしていたり、していて、当の警官2人は、談笑が永遠に終わらず、ポール君以外は、既に丘に15分も滞在していたら帰りたいモードに陥っていたのであった。よく見ると、山の中腹から火山の煙があがっていた。まあ、そんな訳で無事、ピクニックは終了し、五月雨式に解散し、闇夜に消えるわたくしであった。(というか飯を食った)ポールはその後、うまくやったのか、あまり気にならないが、少し今思ったのであった。3000メートル超えの山が3つ見えた。何となく得した気分になった。2008年正月旅行 ハリウッド、蝋人形館1 ハリウッド、蝋人形館2 ハリウッド、蝋人形館3 ハリウッド、蝋人形館4 市内から空港に戻る、Los Angeles アンティグア観光1 Guatemala アンティグア観光2 Guatemala アンティグア観光3 Guatemala アンティグア観光4 Guatemala グアテマラ歴史のお勉強 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の昼 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の夜 Guatemala パカヤ火山登山 Guatemala ホンジュラスの歴史 Honduras マヤ遺跡コパンにいく Honduras コパン,マヤ遺跡1 Honduras コパン,マヤ遺跡2 Honduras コパンルイナスの夜 Honduras Honduras→El Salvador陸路移動 エルサルバドルのお勉強の時間 El Salvador エルサルバドルの夜 El Salvador サンサルバドル→ロサンジェルス El Salvador サンタモニカへブルーバスで行く、Los Angeles ベニスビーチで今年最後の夕陽、Los Angeles サンタモニカ、Los Angeles ロサンゼルスでお正月、Los Angeles サンディエゴからティファナに向かうMexico メキシコ入国ティファナMexico メキシコ入国ティファナ2Mexico メキシコ入国ティファナ3Mexico サンディエゴの朝夜 San Diego サンフランシスコから帰国 San Francisco アメリカ中米gourmetの旅 お土産 ジャンピングビーン・ジャンピングビーン2
2008.01.22
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さて、実際問題、アンティグア全4回シリーズの3回目にして、既に飽きられてきているのは事実である。しかし、しつこいのである、ねちっこい性格にならざる得ないのである。早朝に、空港から着いたホテルである。3件目にして、空きがあり、早朝であるにもかかわらず、もうチェックインしなよと入れてくれたのである。安宿ではあるが、冷たいシャワーで夜は死にそうになる部屋以外は快適である。インターネット無料で、今後のホテルの予約をオンラインでするのであった。中庭も気持ちよく、朝食つきだが、いつも、朝食前にチェックアウトするので、朝食は、毎回移動手段の中でのビスケットなどである。蝋人形ではありません。 しかし、地震の国、今ここでまた地震がおこるのではないかという恐怖は多少ある。たまたま生きるほうに神に選ばれてしまった13年前であるが、今後も分からない。部屋の上からものが落ちてきて死ぬかもしれない。もし、もし、過去にもしは、言っても仕方ないのであるが、あの阪神大震災の日も、もし、前日の友達の部屋で、ヘベレケになりすぎて、眠ってしまえば、古いアパートの瓦礫の中に埋もれてしまっていたかもしれないし、地震の時刻が5時台でなく、7時8時台なら、通勤途中の電車が横転などして、死者は10倍に増えたかも知れないし、夏なら町中腐敗臭でドエライことになっていただろう。知り合いも、たまたまトイレに行っていてベッドが潰れたとか、たまたま出張でいなかったらそのまま家がなくなったとか、古アパートの2階に住んでいて、一瞬に2階が1階になったけど、1階の方は亡くなったとか、神は、いろんなくじ引きを用意したものであった。しかし、たまたま、であるだけに、死んでしまった人になにか申し訳ない気になるのであるそして、歩き疲れてもないのに、まずは、ゴアテマラコヒーである。実は、20数年前、まだこの地がメジャーではなかった頃、この小さなカフェから街全体に観光化がスタートしたというのである。そのため、世界のどのガイドブックにも載っているということであった。そんな訳で、行ってみると、客はいなかったし、ウエイトレスの対応が、別の感じのいいカフェのようではなく、またハエも多かった。もう寂れているのかと思ったが、夕方通りがかると、満員満席であった。珍しく、機能している、教会を発見。何だか、写真禁止って書いているのに、地元の人が率先してパチパチシャッターを切っていた。さすが、アミーゴの国である。公共洗濯場。ああ、足元の板は、膝を置く場所なのね、と、頭の中で豆電球が光る。サンタクララ教会は廃墟なのだが、何故か入場料が必要で、それが180円と結構高い。どうやら、ガイドがついてくれるようだったのだが、スペイン語なので、いいよいいよ、というと、何だか、あらそう、と残念そうな顔をされたのであった。今は、廃墟に花が咲き、この街、廃墟だらけじゃのおを堪能できるシステムである。そう、彷徨うのである。茶しばきが終了すると、また次のビールどつき場を目指して歩くのである。ペンション田代さんさて、次のビールを求めて彷徨うのである。2008年正月旅行 ハリウッド、蝋人形館1 ハリウッド、蝋人形館2 ハリウッド、蝋人形館3 ハリウッド、蝋人形館4 市内から空港に戻る、Los Angeles アンティグア観光1 Guatemala アンティグア観光2 Guatemala アンティグア観光3 Guatemala アンティグア観光4 Guatemala グアテマラ歴史のお勉強 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の昼 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の夜 Guatemala パカヤ火山登山 Guatemala ホンジュラスの歴史 Honduras マヤ遺跡コパンにいく Honduras コパン,マヤ遺跡1 Honduras コパン,マヤ遺跡2 Honduras コパンルイナスの夜 Honduras Honduras→El Salvador陸路移動 エルサルバドルのお勉強の時間 El Salvador エルサルバドルの夜 El Salvador サンサルバドル→ロサンジェルス El Salvador サンタモニカへブルーバスで行く、Los Angeles ベニスビーチで今年最後の夕陽、Los Angeles サンタモニカ、Los Angeles ロサンゼルスでお正月、Los Angeles サンディエゴからティファナに向かうMexico メキシコ入国ティファナMexico メキシコ入国ティファナ2Mexico メキシコ入国ティファナ3Mexico サンディエゴの朝夜 San Diego サンフランシスコから帰国 San Francisco アメリカ中米gourmetの旅 お土産 ジャンピングビーン・ジャンピングビーン2 an
2008.01.21
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証言1 これは東京麻布のビール瓶高級マンションである。 証言2 今日は、雪の舞う、寒空の中、午前、午後と2回も餅つきに行った。 証言3 しかし、何を隠そう、餅は、もう数年食ってないのである。毎年、正月(元旦は日本にいないので)、頃に実家に帰ると、何故だか分からないが、餅を持たされ、何故だか、分からないが、そのうち一個も食べないうちに、カビが生えて捨てているという、環境破壊もったいない第一人者凶器の悪者なのである。 証言4 それでも、今年は何とか、インスタントラーメンを1月11日頃の夜中に急に腹が減り、夜中にインスタントラーメンを作り出したのであるが、出来上がり直前に「そうだ、餅ラーメンにしよう」と餅の存在(=れぞんどーとる)に気がついたのであった。しかし、餅には既に幾許かのカビが生えており、ソレを良く切れる甲斐印の包丁でちょん切り、ぶち込んだのであるが、餅が煮えるのが早いか、水分が蒸発してラーメン自体がダメになるのが早いか、早々に決断を迫られることに気がついたのであった。結局、全部捨てるか、硬い餅だけを取り出して捨てるかの究極の選択に迫られた私は、常識人でもあるので、どちらも捨てるという悪行に走るおいうことはなかった。証言4 家に、ラーメンマーク?いやいや、これは今光教の建物なるぞ。証言5 1月といえば、遂に、受験である。私も、4,5年前の生々しい話でではある。証言6 4,5年前までは、胸痛一次私権などと呼ばれていて、理系である私は、当然、数学は少なくとも満点(200点)を取らなければならなかった。しかし、私は、何故だか、実は、自慢だが、試験問題を早く解きすぎて、何だか忘れたけど、7,8択中、5つの大きな枠を選ばなくてはならず、1つの枠が40点の合計200点満点であった。暇だったので、1、2,3、7,8の設問にすべてマークシート終えた後、8の設問を消して、ためしに、4をしてみようと、4を解き、8を全部消し、4を入れた。それが失敗だった。一番最初に、設問は番号順と書かれていたのに気がつかなかったのだ。そういうわけで、勝手に、1,2,3,7,4の順番に回答した私の数学のテストは、無事4が全部×の160点だったのであった。さすが本番に弱い私である。証言7 かといって、私は数学だけが得意だったのであるが、証明問題で、いつも先生(学校も塾も)に怒られていたのである。「証明なのに、途中を省略しすぎだ。答えだけがあっている。詳しくちゃんと証明しなさい」と。証言8 しかし、数学は常に触れていないと、忘れてしまうのである。大学に入った翌年、暇だったので、新聞に載っていた試験を解いてみると、数学物理化学はさっぱり分からなくなっていたが、世界史は、得点がアップしてしまていたのであった。何だかちょっぴり悔しかったのであった。証言9 大学も試験があるんである。私は、ドイツ語が得意であったので、前期試験でドイツ語甲が54点であった。パスするのは前期後期あわせて120点である。平均60点で「可」でパスであるので、私は後期試験で66点以上取る必要があったので、猛勉強したのである。まずは、教科書を買いに行ったぐらいである。 そして、成績表をみると、ドイツ語甲の成績が、「27点」であった。これって、後期試験0点じゃん。多分、名前を書き忘れたのであろう。私は本番にやっぱり弱いということが証明されたのである。証言10 そんな訳で1月というのは大変である。私の場合、正月前後の旅行のブロクがまだ半分ぐらいしかアップできていない(まだ書いていない)というほど、大変である。証言11 何を隠そう、これは、チョコレートの元、カカオである。驚いたか?私は、驚いた。証言12 テレビを見ているとびっくりした。何と、我が大好きなゴールデンエッグスがこんなにメジャーになって。私の周りでは、誰一人知らないのに、もしかして、20代で流行っているのか?不思議に思ったどころか、試乗しに行こうかと思ったぐらいであった。
2008.01.20
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蝋人形シリーズは、一部マニアを除き、不評なことを知りつつ、もしかして、マニアしか読んでいないとすれば、危機的状況かと思いきや、製作者のトイモイ氏は、俺は俺のやりたいようにヤルなんて、強がっているのである。やせ我慢は美しいのである。見栄は大切なのである。はったりでこそ、世の中を渡れるのである。ハリウッド見物も、これで終わりである。 何か、片目のジャックが驚いた~とかいうテレビコマーシャルなかったかな。↑おい、お前の馬、目がいってないか?クリントイーストウッドの日本語の声優がルパン三世と同じ人なので、テレビ映画でみると、どうしても不二子ちゃああんって感じなんだよね。ズイブン、筋肉つけました。ボディビル大会優勝です。私、ほとんど、蝋人形と言うより、マネキン人形みたいでチープだわ。最後の晩餐のほんまものをミラノのサンタ・マリア・デ・クレ・グラッチェ教会で見たが、偽者人形は、ロサンゼルスのワックスムージアムで見たが、写真に撮ると絵画のようだ、さすが名作だ。モッコリダーマン!出た!少し右曲がりか!わしは左曲がり標準タイプだぞー!ちょっと頭髪が多すぎたか・・・ブルース。メンインブラックって、なかなかつまらない映画だって、思ったんだけど・・・うわ、むちゃチープなトリニティ。それに、陰が薄いぞキアヌ!弱そうだぞネオ!あ、放浪さんとこの犬が出ているヨーダ!ルーク、レイラ姫を救えよ。かぶりものの蝋人形はダメね、蝋の部分がないじゃん!007はやっぱりボンドガールだね。考えれば、一番最初のスターウォーズのハリソンフォード、若かったね。それに、アメリカングラフティみてたら、ハリソンフォードチョイ役ででててびっくらこいたよ。告白します。つい1年ぐらい前まで、エンジェル・ワシントンかと思ってました。すみません、死にます。<ほんま似てないチャーリーやなあ。告白すると、中学校の時、テレビシリーズのチャーリーズエンジェルのファラフォーセットが好きでした。でも、シェリルラッドの方がもっと好きでした。秘密にしてもらってここで終わりになりますので、喜んでください。いやあ、蝋人形ってほんとうにいいですね、それではみなさん、サヨナラ、サヨナラ、さよなら。2008年正月旅行 ハリウッド、蝋人形館1 ハリウッド、蝋人形館2 ハリウッド、蝋人形館3 ハリウッド、蝋人形館4 市内から空港に戻る、Los Angeles アンティグア観光1 Guatemala アンティグア観光2 Guatemala アンティグア観光3 Guatemala アンティグア観光4 Guatemala グアテマラ歴史のお勉強 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の昼 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の夜 Guatemala パカヤ火山登山 Guatemala ホンジュラスの歴史 Honduras マヤ遺跡コパンにいく Honduras コパン,マヤ遺跡1 Honduras コパン,マヤ遺跡2 Honduras コパンルイナスの夜 Honduras Honduras→El Salvador陸路移動 エルサルバドルのお勉強の時間 El Salvador エルサルバドルの夜 El Salvador サンサルバドル→ロサンジェルス El Salvador サンタモニカへブルーバスで行く、Los Angeles ベニスビーチで今年最後の夕陽、Los Angeles サンタモニカ、Los Angeles ロサンゼルスでお正月、Los Angeles サンディエゴからティファナに向かうMexico メキシコ入国ティファナMexico メキシコ入国ティファナ2Mexico メキシコ入国ティファナ3Mexico サンディエゴの朝夜 San Diego サンフランシスコから帰国 San Francisco アメリカ中米gourmetの旅 お土産 ジャンピングビーン・ジャンピングビーン2
2008.01.19
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今年は、報道があったのか、なかったのか。そういうわけで、昨日、そして18日の今日と、2箇所にお参りに行ってきたのであった。まずは、杭全である。杭全神社である。関西圏に住んでいない人で「くまた」と読める人は、全国で17,8人しかいないという噂の地名である。かくいう関西在住歴数十年の私も、働いて大阪に出てくるまで知らなかったし読めなかった地名でもある。まずは、いきなり、木の上に石が置いてあるのは、何故なのか、分からないが有難いのである。 この方々も、阪神大震災を祈ってくれている。犬もである。 何を隠そう、大阪で最も古い建築物であるという噂である。 6000人の命、それ以来、生かされている気がする人生です。水鉄砲で撃たないで下さい。しかし、中にははいることができないのであった。外から祈るのみである。牛無視。説明は面倒なので、興味があれば読んでけれ。そして、昨年に続き、境内に信号機のある寝屋川市成田神社である。ゴマを焚き、交通安全を祈るばしょ。お経はハイな状態になります。6000の命、私は何故生き残ったのか。 お金持ち神社です、松下幸之助(昔、この近くに住んでいた。)、アサヒピール、そこう、ロートせやくー。エクスカリバーでしょうか、霧島山でしょうか。リアル地蔵、蝋燭嫌い。超デカ門松。不動尊、何故かほんまもんの刃持ってる。お滝。滝の丁寧語か?奥の院、もう誰もここまで来ないよ。 中に入るとちょと怖いよ。 祈ります。僕は生きている。それだけで、ありがとう。
2008.01.18
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ホウロウサンやハルジサンがいろいろ素晴らしい絵や美術館を紹介しているので、私もそれに対抗しているように、ここのレトロ館を紹介します。 ピンクレディがせくしいぽーずで迎えてくれるレトロなところです。 350円です。店の暇そうな主は、自由に触ってくれていいよといってくれました。ピンクレディ踊れたらあなたもレトロ。なめんなよシリーズでつっぱってたあなたレトロ。黒い電話使ってたらあなたレトロ。「ダイヤル回した手とトメタ~」なんて歌、もう今時の小学生には意味不明、回すものではなく、押すものです。馬喰う一族の方々はレトロ。高校教師見た人レトロ、私の高校時代は、高校生夫婦、十分レトロ。愛染かつら知ってる人レトロ、愛染きょうこ思い出す人、エロ。飛行機買って来て飛ばしまくった子供の時代、レトロ。こんな凧揚げ小さい頃に飛ばしてレトロ、小学校3年になると、勿論、ゲイラカイト。釣りバカのつるものは、ただのトロ。夢に新幹線、フランス語に意訳したら、メトロ。ピンクレディー振り付けで踊れる人、やっぱりレトロ。ピンクレディの財布持ってる人、やっぱりレトロ駄菓子屋で長居して、追い出されたことある人レトロ。何かくれるのかと思って、店の前で待ってたら日が暮れた人、レトロ。このカップルだれかわかる人レトロ。この人の結婚引退が実は22歳だったこと知ってる人、レトロ。こんなモリナガ商品ネーミング知ってる人レトロ。ペロリーノ、ナウイじゃん。日光がまん、これで体焼いたことアル人レトロ。こちらのネーミングもイマイじゃん。友達の家にこんなボーリングゲームあって熱中した人レトロ。こんな人形と乳母車持ってた妹、レトロ。それを取り上げた私もまあまあレトロ。こんな餅を男同士で分け合うのが嫌いと思う人、ヘテロ。母を訪ねて三千里の主人公の名前、猿の名前、母の名前知ってる人レトロ。こんな世界地図のあるメテオが地球に向かってます。家の扉が開くままごとセット持ってた人レトロ。こんな怖い子供たちを可愛いと思ってた人たちレトロ。子供の頃のメインの遊びが塗り絵だった人レトロ。マネキン好きな人レトロ、蝋人形好きな人新しい人。人力車乗ってた人レトロ。でもインドのコルカタで乗った人、昨日にもいっぱい。抱っこちゃん人形知ってる人レトロ、持ってた人超レトロ。ここで立ち読み、30分、レトロな時間でした。桃太郎の桃を切ったおばちゃんの腕裁き(桃太郎は切らなかった)に感心する人レアリスト。このメンバーの名前全員分かる人、そろそろレトロ。あっとおどろく為五郎分かる人レトロ、シェー。もうノリカもレトロなんですか?髭の人はもうレトロすぎて糖尿病で今ニトロが必要。好きでした。特にタクシーの臭いが芳しかったです。もうレトロ三昧。
2008.01.17
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なんじゃら昼編で、このホテルを論破し尽した感があるが、何を隠そう夜編までご用意されているぐらいなので、さすが5つ星である。勿論、5つ星は、雰囲気やサービスが良いという意味ではなく、設備が揃っていれば、それで5つ星なのであり、決して、人気とは関係ないのである。さすが、5ツ星であり、ぼーっとしていると、日が暮れていくのである。さすが、5ツ星であり、やがて、ぼーっとしていくと、3766メートルの山のシルエットも消えつつあるのである。さすが、5ツ星であり、街の明かりも灯り始め、私も、ホテル内を再度散策の旅に出なければならないという義務感に駆られつつあるのであった。さすが、5ツ星であり、部屋を出たところの噴水はまだ夜になっても出ているのである。(夜中にはやはり音がするので止まるのである。さすが星が5個ある) さすが、5ツ星であり、回廊ギャラリーの壁には蝋燭が灯り、教会音楽が流れているのである。さすが、5ツ星であり、24時間プールに入っていいのであるが、夜は、高地ということもあり、寒くなるのである。さすが、寒さに耐えて泳ぐ人間はいないのである。さすが、5ツ星であり、天使が合唱していたりなんかもする。さすが、5ツ星であり、教会廃墟にも行ける様になっている。さすが、5ツ星であり、歩いているとカップルに声を掛けられ、スペイン語分からないというと、英語で、押すだけ、でもフラッシュ焚かないので5秒ぐらい押し続けて、といわれ、頼まれるまま撮ると、5秒間ディープなキスをし続けるのだから、さすが、ラテンである。さすが、5ツ星であり、蝋燭使いまくりである。しかし、蝋研究家の私としては、蝋人形も少しお願いしたい気にもなったのであった。さすが、5ツ星であり、野外ステージでは、何の催しもなされてなかったが、ステージのバックは教会廃墟の壁である。何故か、数珠が吊り下げられていたりなんかする。さすが、5ツ星であり、噴水ありまくりである。昨日、バンで火山登山ツアー全8名で参加したが、乗っていたアメリカ人が、このホテルの前を通り、このホテルは一見の価値有りよ、と自慢げに語っていた。俺を褒めてオ仕方ないよ。さすが、5ツ星であり、廃墟は順調に活用されており、集客を図っている。あっ、見学客は1銭にもならんか。その奥には、ミニ博物館もある。さすが、5ツ星であり、地震で崩れた廃墟には、聖人が祭られているのであった。さすが、5ツ星であり、中庭は、電飾の嵐である。さすが、5ツ星であり、噴水にも、しっかり、蝋燭を置いているが、夕方に蝋燭係が配膳していた雄姿を見かけたのも事実である。そして、朝方には、また取るのであった。さすが、5ツ星であり、入り口エントランスの回廊も、まあまあウエルカムである。さすが、5ツ星であり、決してバリアフリーに組しないのである。さすが、5ツ星であり、レストランでも値段は一流なので、無料ワンドリンクだけ注文するセコサでもある。さすが、5ツ星であり、聖人が骸骨のまままつられているのは、2つであり、あと何十とあるのは、空っぽになっているので、敷地内に地震で散らばってしまったのであろう。さすが、どこかに人骨のあるホテルである。さすが、5ツ星であり、レストラン入り口も、なんだか、ゴツゴツして強そうなのである。着飾った紳士、淑女も歩いているのである。背中のパックリ開いたドレス姿を見て、夜は結構寒いよ、と思うのである。それにしても、綺麗な背中、味噌である。手入れしにくいだけに。さすが、5ツ星であり、人形が佇んでいたりなんかもするのである。さすが、5ツ星であり、これが第2フロントである。何を隠そう、翌日、ホンジェラスに向かう車が午前4時に来るというので、ここで、待っていたのだが、さすがに迎えに来たのは5時。1時間も、ほんまに来るのか不安にしていたが、早朝4時にうろうろしているフロント荷物配達係あたりは、あまり教育されていないようで、不良ぽくていい感じで、タバコくれよぉなんて言われて愉快であった。1時間も世話してくれたので、タバコ一箱あげたが、これは、元々、陸路国境越えの賄賂用に買ったものである。さすが、5ツ星であり、昔は、イミグレの賄賂に目くじらをたて、乗り物も何度も交渉して乗っていたのであるが、さすがに体制側に人間になってきたので、賄賂で30分早く出られるなら、もういっか、なんて、怒る若者に顰蹙を買うのである。昔は、交渉もせずにタクシーに乗るおっさんなかがいるから、わしらぼられるのやと怒っていたが、今は、怒られる軟弱な立場になったのである。さすが、5ツ星であり、早朝はホテルの扉を閉め切っていて、車が迎えに来てくれても分からないのではないかと不安にもなるのであった。今回の旅行は、ほんま、毎日3時半から5時半までの間に起きるといった健康的過ぎるものであった。さすが、5ツ星であり、そうやってホテル内散策も終わり、部屋に戻るのである。この階段を上がったところが、私が宿投した、190ドル+22パーセントTAXの、この旅行の資金の4分の1を、使ってしまったのであった。(存在を事前に知っていたら、安売りホテル検索サイトでもっと安く泊まれたかもしれないが、遊びに行くと、どうしても泊まりたくなってしまったの我侭ココロなのであった)部屋に戻れば、お決まりのビールだ。勿論、ホテル内散策といいながら、外にも出て、ビールを買いに行ったのは公然の秘密である。2008年正月旅行 ハリウッド、蝋人形館1 ハリウッド、蝋人形館2 ハリウッド、蝋人形館3 ハリウッド、蝋人形館4 市内から空港に戻る、Los Angeles アンティグア観光1 Guatemala アンティグア観光2 Guatemala アンティグア観光3 Guatemala アンティグア観光4 Guatemala グアテマラ歴史のお勉強 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の昼 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の夜 Guatemala パカヤ火山登山 Guatemala ホンジュラスの歴史 Honduras マヤ遺跡コパンにいく Honduras コパン,マヤ遺跡1 Honduras コパン,マヤ遺跡2 Honduras コパンルイナスの夜 Honduras Honduras→El Salvador陸路移動 エルサルバドルのお勉強の時間 El Salvador エルサルバドルの夜 El Salvador サンサルバドル→ロサンジェルス El Salvador サンタモニカへブルーバスで行く、Los Angeles ベニスビーチで今年最後の夕陽、Los Angeles サンタモニカ、Los Angeles ロサンゼルスでお正月、Los Angeles サンディエゴからティファナに向かうMexico メキシコ入国ティファナMexico メキシコ入国ティファナ2Mexico メキシコ入国ティファナ3Mexico サンディエゴの朝夜 San Diego サンフランシスコから帰国 San Francisco アメリカ中米gourmetの旅 お土産 ジャンピングビーン・ジャンピングビーン2
2008.01.16
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一昨年は松島まで牡蠣の食い放題に行ったことを思い出し、またもや、今年も、牡蠣を食いに、同じところに、急遽行くことにした。 勿論、ハルジさんパパの自宅慰問という目標もあったのだが、住所を聞くのを忘れていたと言う特殊事情もあり、想像だけに留めてしまったのであった。 まずは、空港に行き、ユニバーサルスタジオ便に乗るのである。自ら動く広告塔となるのである。 そうすることにより、仙台にはあっという間に着くのである。乗車率3割である。空港からの松島行リムジンバス(といってもマイクロバス)は、あまりに利用客がおらず、昨年の3月に廃止されてしまっていたのである。その代わりといっては何だが、仙台まで、途中名取で東北本線と合流する空港線の電車が昨年3月頃に完成しており、順調な滑り出して、まず、20分少々で仙台駅に向かうのである。 外は、寒そうなのに、何故か、名取駅の構内で電車を待つ女性や女子高生のほとんどが、ミニスカートだったので、その根性に感嘆する次第であった。 それより感嘆したのは、外国みたいに、乗り降りする時は、ボタンを押して開閉することであった。少しでも寒さから身を守る庶民の知恵に間違いない。 ところで、今回は、牡蠣食べまくり2回目ということで(3回目はもうなさそう)、同じものを大量に飽きると、いくら旨いものでもげっぷが出るという脳の法則により、島胡椒(石垣島産)とマヨネーズとポンズと辛子を用意したのであった。もう少し詳しくいうと、辛子は、途中の食堂から失敬してきたのである。それにしても、感嘆すべきことではあったのだが、仙台で乗り換え、松島行の東北本線に乗り換えたのであったが、塩釜前後から、雪が残っているのに、車中から見える民家の窓が開いていたり、カーテンが閉じられてなかったりして、ステテコの爺さんとか、こたつにみかんの婆さんが何度も見受けられるのであった。もしかしたら、密かに郡山パパを見たのかも知れないと危惧する。松島駅を降りると、空いていた乗客の大半が、競艇おっさんであり、やはり松島観光は、松島海岸であったのだなと思いつつ、駅前に何もないので、とりあえず、駅前張り出し地図を頭にインプットして、出かけるのである。とりあえず、日本三景から火が出るのである。気をつけたほうがいいのでは、と老婆心ながら思う。何だか、奇妙な人生というか、けったいな人生というか、牡蠣バーガーである。何でもはさめば、それで安泰世界平和一日一膳腹減ったって感じである。そんな訳で、日本津々浦々歩いていると、奇妙なハリボテにも出会うのである。惜しくも2003年に誰からも愛されることなく閉館した大正ロマンの泊まれるお城、松島城であった。おそらく、松島を訪れた事のある方なら誰でも気がつく天守閣であるが、あまりに景色に溶け込んでいるため、誰もが忘れてしまう風景である。丘の上に聳え立つ松島観光ホテル城は、その立地が故にまるで、この街が城下町のようにさえ感じてしまう優雅さである。しかし、木造疑似天守閣というのは、全国でも珍しく、今後も永遠に保存して欲しいと切に願うのである。それにしても、懸命に撮影していると、本物と間違えた韓国人か台湾人か香港人の観光客の方も、パチピチとシャッターをつられて押しているんであった。申し訳ない。しかし、ながら、事実は小説より黄なりというではないか、裏側はトタンのハリボテ丸出しである。素晴らしい。さて、いよいよ、腹も限りなく減ってきたので、挑戦だ。エスピオナージ!おお、昨年も見た「俊一」号も健在だ!何と、昨年は一瞬にして入ることができたのに、今回は腹を空かせた野獣のような客でイッパイである。2000円食べ放題、制限時間40分1本勝負なので、しっかり、寒空の中、40分待つこととなってしまった。本来なら食べ物で待つぐらいなら不味いものを食べると言う時間至上主義の私ではあるが、ここは、今回、こいつが目的という特殊事情もあり、仕方なく、寒空で鼻を垂らす。他の客は名前を呼ばれるのを待つ一人を残して、皆、車で待機である。私には、残念ながら、関西から車で行くほどの力量もパワーもガソリン代もない。飢えたハエアナ達に授ける餌を大型スコップで運ぶのであった。待ちに待った牡蠣の時間である。バカ程食っても、食いきれない程あり、開け方も忘れながらも、何とか思い出しながら、食いだすのである。勿論、50個ほど食うと、もう飽きてしまうので、ここで、秘密兵器、調味料の登場である。隠すように、しながらも、食うのである。もう今年は、この牡蠣で終わりである。もう見たくもないぞ。の状態である。突然のことである。牡蠣の殻の中に牡蠣が入っておらず、魚が入っていた。これには、店の人もびっくり。おお、と店中が騒然として、そして、捨てられた。そうして、3万個程、牡蠣を食って終了したのであった。
2008.01.15
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さて、実際問題、何をするのだといわれると、忙しくても、暇でも、だいたい、市場や、スーパーマーケットを覗いてみるのが趣味なのである。市場というのは、人が多いので、一応貴重品には注意するのだが、どうも、注意散漫の街の無防備君から抜け出せない。そして、歩き疲れると、でっかく、ビールをしばいたり、たまにはコーヒーをどつく程度である。そのほかは、だいたい無駄な時間であり、その無駄な時間もさえ、楽しいのである。街全体が世界遺産ということだが、世界遺産なら観光客の入場を制限または中止するばよいのにと思いつつ、何で、中米にこんな歴史的な街があるのだろうかと、不思議に思う。前にも書いたが、ここの日用品コーナーで、会社員としてのカッターシャツを買ったのだが、ピエールカルダンのカッターシャツも300円ぐらいなので、随分安くなったと思う。(先日、会社に着て行ったら、数人に、目が痛いと言われた始末であった。蛍光色がいけなかったのか?)山から、先住民も降りてくるようだ。いろいろ生鮮野菜だの、何だのを売っている。どうやら、古代マヤの時代から翡翠の装飾品が多いようで、あらゆるところでヒスイが売られている。Jade(ハデ)っていうんだねえ。民族衣装のウイピルだけでなく、アバクロやプーマもちゃんと売っている。 中南米に行ってみたかった理由は、昔から、アジアは土、中南米は空の文化という気がしていて、比較してみたかったからであった。もっといえば、インド人は土、アメリカンインディアンは空という気がしていたからであった。心地よい、カフェがあれば、それでいいと思う。魚がゲロはいていればそれでいいと思う。何故か、胸からピュー。店を変えてもいい頃と思い出し、今度の店は客がいないのに、やたら今回も心地よく、私は、スノッブじゃないけど、何時間もいても平気となる。そんなこと言ってる間に夕方になりやがて、夜になる。夕刻も散歩の快適な時間、世界共通。夜だって、無意味に散歩し、無意味に、ビールを買う喜び。ああ、何だか、アメリカヨーロッパでないところは気楽に思ってしまう自分。石畳に、車は走りにくい。ガタゴト走っているのが、何となく、ざまあ、みろって感じがする。やがて、早々に、人通りもなくなってきて、宿に帰る。そうやって、無意味の愉快。コンコン!2008年正月旅行 ハリウッド、蝋人形館1 ハリウッド、蝋人形館2 ハリウッド、蝋人形館3 ハリウッド、蝋人形館4 市内から空港に戻る、Los Angeles アンティグア観光1 Guatemala アンティグア観光2 Guatemala アンティグア観光3 Guatemala アンティグア観光4 Guatemala グアテマラ歴史のお勉強 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の昼 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の夜 Guatemala パカヤ火山登山 Guatemala ホンジュラスの歴史 Honduras マヤ遺跡コパンにいく Honduras コパン,マヤ遺跡1 Honduras コパン,マヤ遺跡2 Honduras コパンルイナスの夜 Honduras Honduras→El Salvador陸路移動 エルサルバドルのお勉強の時間 El Salvador エルサルバドルの夜 El Salvador サンサルバドル→ロサンジェルス El Salvador サンタモニカへブルーバスで行く、Los Angeles ベニスビーチで今年最後の夕陽、Los Angeles サンタモニカ、Los Angeles ロサンゼルスでお正月、Los Angeles サンディエゴからティファナに向かうMexico メキシコ入国ティファナMexico メキシコ入国ティファナ2Mexico メキシコ入国ティファナ3Mexico サンディエゴの朝夜 San Diego サンフランシスコから帰国 San Francisco アメリカ中米gourmetの旅 お土産 ジャンピングビーン・ジャンピングビーン2
2008.01.14
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なんじゃら世界ホテルベスト何番かに選ばれたということが、さりげなく、大々的に主張していた。 お若い時と違って、体力と気力とヤル気がなくなってきたので、と、自分で認めるのは嫌でもないのだが、実は、若い頃も金さえあれば、快楽に身を溺れさせたいところであったが、このあたりでイイワケは終わりにして、今回は、たまたま遊びに行ったホテルが、修道院跡を改造してつくったいいホテルだったので、ついつい、ホテルを急遽移動、泊まったという経緯があった。さすが、5つ星であり、この何の変哲もない狭い入り口のさりげなさが憎い。">さすが、5ツ星であり、長い回廊を通り、フロントが遠い。さすが、5ツ星であり、回廊の横を向くと、噴水や川や、部屋がある。莫大な敷地内に部屋は125部屋であり、1泊目、とめさせてくれや、といっても、満室で断られたという経緯がある。 さすが、5ツ星であり、敷地内に教会の廃墟がある。">さすが、5ツ星であり、敷地内に400年の歴史を持つ教会の廃墟は一般の人も自由見学である。奥は野外ステージになっており、クラッシクコンサート程度ならイエイである。さすが、5ツ星であり、英語が通じる。何故か、スタッフはお高くとまっている印象も多少ある。しかし、敷地内に何故か、伝統的機織をしている女の子は寡黙である。蝋は蝋でもろうけつどめである。さすが、5ツ星であり、フロント近くではオウムが鳴いている。">さすが、5ツ星であり、エントランス近くでもオウムが鳴いている。さすが、5ツ星であり、敷地内に大木がゴロゴロしている。">さすが、5ツ星であり、生きた教会もあり、教会の前に、誰かさんの愛する人形もある。蝋ではなく木彫りではあるが。さすが、5ツ星であり、噴水ありまくりである。勿論、プールやサウナもあるが、さすがに、日向ぼっこをしているのは、大人だが、泳いでいるのは子供たちで、下手にカメラを向けると昨今の経済事情が故、ロリーコンと間違われるので、そのあたりは控えたのであった。さすが、5ツ星であり、部屋に向かう教会跡を改造した壁面はギャラリーになっているが、柵の向こうは、泊り客しか入ってはいけない。あっ、泊まっているんだった。さすが、5ツ星であり、部屋はコの字型に配置された2階建ての建物が4つあり、中庭がある。さすが、5ツ星であり、花で溢れていて、大変静かで誰も歩いていないのだが、たまに、警備員がうろうろして、そいつが何となく怪しいというか、何でお前、宿泊客かというような疑いの顔をされる。さすが、5ツ星であり、午後の3時になると、ココア無料サービスがあるのであり、さすがに、ガブ飲みするのである。さすが、5ツ星であり、ついに部屋に入場を果たすと、いきなり、メンチ切られるのである。さすが、5ツ星であり、暖炉があり、寒かったら、木を燃やすようになっている。ほんまに燃やしていいホテルに泊まったのは、ホテル泊まり歴100回を超える私でも初めてである。さすが、5ツ星であり、隠れ家的になっており、外界から遮断されているが、隣の部屋からも、バルコニーに泊り客が出てきたが、私が座っているのを見て、また部屋に入っていった。男二人・・・。安宿なら部屋をシェアしているのだなと分かるが、さすが、5ツ星であり、怪しい関係を邪推するのである。さすが、5ツ星であり、ケツに根が生えてもう動かないのココロなのであった。2008年正月旅行 ハリウッド、蝋人形館1 ハリウッド、蝋人形館2 ハリウッド、蝋人形館3 ハリウッド、蝋人形館4 市内から空港に戻る、Los Angeles アンティグア観光1 Guatemala アンティグア観光2 Guatemala アンティグア観光3 Guatemala アンティグア観光4 Guatemala グアテマラ歴史のお勉強 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の昼 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の夜 Guatemala パカヤ火山登山 Guatemala ホンジュラスの歴史 Honduras マヤ遺跡コパンにいく Honduras コパン,マヤ遺跡1 Honduras コパン,マヤ遺跡2 Honduras コパンルイナスの夜 Honduras Honduras→El Salvador陸路移動 エルサルバドルのお勉強の時間 El Salvador エルサルバドルの夜 El Salvador サンサルバドル→ロサンジェルス El Salvador サンタモニカへブルーバスで行く、Los Angeles ベニスビーチで今年最後の夕陽、Los Angeles サンタモニカ、Los Angeles ロサンゼルスでお正月、Los Angeles サンディエゴからティファナに向かうMexico メキシコ入国ティファナMexico メキシコ入国ティファナ2Mexico メキシコ入国ティファナ3Mexico サンディエゴの朝夜 San Diego サンフランシスコから帰国 San Francisco アメリカ中米gourmetの旅 お土産 ジャンピングビーン・ジャンピングビーン2
2008.01.13
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5時30分、起床。バンが安宿の前まで迎えに来てくれるという。早朝からチェックアウトし、荷物をフロントの脇に預けてもらい、朝焼けの中、6時に来るという車を待っているが、当然、客を拾いながらやってくるので、6時半にようやく、バンがやってくる。昨晩、フト歩いていた旅行代理店のキャッチに捕まって、急遽、7ドルを払い、山に登ることにしたのであった。 そんなことを思い出しながら、朝焼けの中、1時間程、車は進み、山道に入り、2250メートルの火山の麓に着いた。体力に自身のない人は、馬で登ることができるという軟弱なコースではある。ガイドをつけないといけないのだが、親しげな60代のスペイン語で一生懸命説明してくれるじいさんだった。 入山料を払い、2時間歩くと、景色は急変し、溶岩が流れて来ているところに出る。 山登りというと、泊りがけの山登りの体験が、後世のトラウマとなった時期があった。それは、大峰山であり、荷物を35キロ持たされて、特段、訓練もしていないのに、肩に重みが食い込み、雨が永遠に降り、景色のかけらもないブッシュの中を4日間歩き続け、そうして、立派に山は嫌いになったのであった。食料が減り、荷物が軽くなっていくと思いきや、雨で、水分をたっぷり吸った荷物は重くなり、バリる人間が続出し、そいつの荷物を手分けして持ち、テント場に夕方3時に着く予定が、毎晩8時に着くという強行軍。そこから、先輩たちはウムっと休息を取るのだが、我々、奴隷兵隊は、そこから飯の準備を始め、野菜を切り、肉を入れ、カレーを作った頃には、既に夜の11時という状態であった。腹ペコ状態の悪魔先輩に大方の食事を奪われ、テントで寝ていると大雨になり、私の顔の横に、川が流れるというテントの役目を果たしていない状態。しかも、何度も言うが、それを振り切るような素晴らしい景色はなく、ひたすら、笹の間を進み、深山を進み、1時間に1回の休憩だけを祈りながら、拷問を受け続けたのであった。 それを払拭してくれたのが、北アルプスであり、ネパールの山々であった。景色と言うものがあり、達成感というものがあることを知った。溶岩の上を歩くと、熱いのだ。靴が溶けるのではないかという恐怖感を多少感じながらも、ずっとここでじッとしているという拷問にあえば、大変恐ろしい気がすると感じながらも、足場が不安定で、こけたらマグマにぶち当たると心配しながらも、顔は相変わらずヘラヘラして歩く。グアテマラは、国内に37の活火山休火山を持つ火山国家でもある。中米最高峰の山(4220メートル)を初め、3000メートルを越える山は14ある。(日本は21)溶岩の上を1時間程度、歩いて休憩し、山を下りるのであった。昔の時から、こうやって、毎日、山の上にきて商売をする。外界を知らないということは、日常が当たり前と言うことで、幸せなことかも知れない。しかし、この外国人たち、いったい、何なんだと思っているだろうな。軽い!ウム、軽い。昔、高校の地学の先生が、課外授業で、火山弾だか火山礫を持ちながら、うっとり、していたのを思い出し、こういうのを今で言う火山フェチというか、火山おたくというものであろう。一応、強盗が出たりするので、集団で登りますわな。数年前は、この火山の噴火により、グアテマラ空港が一時閉鎖されたこともある。犬の足、溶ける。2008年正月旅行 ハリウッド、蝋人形館1 ハリウッド、蝋人形館2 ハリウッド、蝋人形館3 ハリウッド、蝋人形館4 市内から空港に戻る、Los Angeles アンティグア観光1 Guatemala アンティグア観光2 Guatemala アンティグア観光3 Guatemala アンティグア観光4 Guatemala グアテマラ歴史のお勉強 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の昼 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の夜 Guatemala パカヤ火山登山 Guatemala ホンジュラスの歴史 Honduras マヤ遺跡コパンにいく Honduras コパン,マヤ遺跡1 Honduras コパン,マヤ遺跡2 Honduras コパンルイナスの夜 Honduras Honduras→El Salvador陸路移動 エルサルバドルのお勉強の時間 El Salvador エルサルバドルの夜 El Salvador サンサルバドル→ロサンジェルス El Salvador サンタモニカへブルーバスで行く、Los Angeles ベニスビーチで今年最後の夕陽、Los Angeles サンタモニカ、Los Angeles ロサンゼルスでお正月、Los Angeles サンディエゴからティファナに向かうMexico メキシコ入国ティファナMexico メキシコ入国ティファナ2Mexico メキシコ入国ティファナ3Mexico サンディエゴの朝夜 San Diego サンフランシスコから帰国 San Francisco アメリカ中米gourmetの旅 お土産 ジャンピングビーン・ジャンピングビーン2
2008.01.12
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中央公園の1500年代から100年あまりの間に建設され、幾度の地震で繰り返し崩壊、修復しているカテドラルから歩き始めよう。 様々なところへ行くと、街が面白い、人々の営みが面白い、風習が面白い、異文化が面白いということになるが、なかなか何か目的や、そして知人友人が出来ないと、行きにくいところは特に、再訪しようという気になかなかなれないものだ。 コロニアルな古都アンティグアはかつて、グアテマラの首都であった。大地震により、首都は現在のグアテマラシティーに移されている。石畳のこの町は半径1キロ程度の人口3万人程度の碁盤目の街で、町全体を散歩でき、非常に分かりやすい、旅行者ならこの等身大の街を気に入るだろうと思う。街全体が世界遺産ということもあって、北米からの観光客が多いが、さすがに、日本人らしき人は1回しか見受けられなかった。世界遺産なのか、派手な看板は禁止されており、それが何とも心地よい。バーガーキングマクドナルドやバーガーキングも例外ではない。醜悪な看板を見なくて良いのは嬉しいものだ。マクドナルドの敷地内は吹き抜けの中庭となっている。マクドと廃墟と噴水と火山。さて、何をするのか、市場を冷やかし、歩き疲れるとカフェでビールを飲む。だいたいそれで、終わりである。とにかく、歩いて、終わり。時計台市庁舎修道院廃墟2008年正月旅行 ハリウッド、蝋人形館1 ハリウッド、蝋人形館2 ハリウッド、蝋人形館3 ハリウッド、蝋人形館4 市内から空港に戻る、Los Angeles アンティグア観光1 Guatemala アンティグア観光2 Guatemala アンティグア観光3 Guatemala アンティグア観光4 Guatemala グアテマラ歴史のお勉強 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の昼 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の夜 Guatemala パカヤ火山登山 Guatemala ホンジュラスの歴史 Honduras マヤ遺跡コパンにいく Honduras コパン,マヤ遺跡1 Honduras コパン,マヤ遺跡2 Honduras コパンルイナスの夜 Honduras Honduras→El Salvador陸路移動 エルサルバドルのお勉強の時間 El Salvador エルサルバドルの夜 El Salvador サンサルバドル→ロサンジェルス El Salvador サンタモニカへブルーバスで行く、Los Angeles ベニスビーチで今年最後の夕陽、Los Angeles サンタモニカ、Los Angeles ロサンゼルスでお正月、Los Angeles サンディエゴからティファナに向かうMexico メキシコ入国ティファナMexico メキシコ入国ティファナ2Mexico メキシコ入国ティファナ3Mexico サンディエゴの朝夜 San Diego サンフランシスコから帰国 San Francisco アメリカ中米gourmetの旅 お土産 ジャンピングビーン・ジャンピングビーン2
2008.01.11
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昨日の夜、僕は、大学の同級生で、この前まで入院していたO君と、これまた大学の後輩で、奴隷で、今度、子供が出来るというSとで、しめやかに、新年会ダボ飲みをしました。本当は、もう一人、大学の後輩でハメドリカメラマンのYも参加予定だったのですが、来ないので早く来いとメールすると、明日じゃなかったんですか?もう家に帰っている途中ですと、生意気な返事が返ってきました。そこでの、誠実で生活に密着した会話を記録的に書きとめておくことにしました。でも書こうとしたら、すっかり、二日酔いにはならない程度ですけど、飲んだので、すっかり内容を忘れている自分に気がつきました。この正月は、僕は、中米とアメリカに行ってきたのですが、僕の周りで、唯一グアテマラに行ったことがあるのが、この同輩のO君です。今からおおよそ17,8年前になりますが、当時も今回も、やっぱり、日本人はほとんどいなかったようです。グアテマラの話で盛り上がったかといえば、それは、結構忘れてしまいましたが、何か話はしたと思います。アメリカの国境のメキシコのティファナの話でも盛り上がりましたが、当時も今もメキシコ人の不良が溜まっているという話になりました。メキシコ人はとっても親切という話になり、病院に行った具体的な親切な目にあった話をしてもらいましたが、具体的には忘れてしまいました。Sは子供がもう直ぐ生まれるので、でも、彼の嫁が産むので、彼は関係ないのですが、最近は、妊娠中も太らせないようにしているそうですね。昔は、何だか、何が何でも栄養栄養とかいってダボ食べさせていたような気もします。そこで、僕たち(僕とO君)は、僕たちの名前を一文字づつ、彼の子供(女の子)にあげることにしました。でも、Sは生意気なので、政治家のように、前向きに検討しますといいました。O君は、なんだか、盲腸が腐って膿が出て腸も腐ってきたので、入院していて、何とか薬で治そうとしたのですが、結局時間がかかり、その間長いこと、苦しむということが判明して、手術をすることにしまいた。手術しますと医者に言うと、そうかね、と嬉しそうに揉み手しながら、じゃあ今日の3時からでいいムフとか言われて即刻切ったらしいです。でも保険で儲かりましたといってました。すかさず、もうすぐメクラになるSも、私も保険で儲かってますと自慢気にいうので、僕は、ちょっとだけ、痛みと苦痛のない入院をしたいなと思いました。僕も、用意周到なので、入院すると、1日1万5000円もらえるのです。ちなみに、O君は手術後、痛くてたまらないので、モルヒネを打ってもらったのですが、痛みがすっと消えるらしくて、快感で、でも、6時間おきにしか打ってくれないので、3時間ぐらいから切れてきて、看護婦さんに、「注射してくれ~、打ってくれえ」とまるで、ヤクチュウのような懇願を繰り返していたようです。特別サービスで5時間45分ごとに打ってもらったそうです。モルヒネは、アヘン、ということで、やっぱりそっち談義が永遠に展開されていってしまったんですね、都合上。で、3日たつと、座薬に変わってしまい、座薬嫌だとダダをこねて、まだむちゃくちゃ痛いと嘘をいい、特別に5日間モルヒネを受けたと満面笑顔のO君でした。僕たちは、今、ヤクチュウじゃなくてよかったなあ、ヤクチュウやったら、鎮静剤としてモルヒネじゃあ、効かないからねえ。ヤクチュウの人が手術されたら麻酔効き難いのでむっちゃ痛いからなあーというお話にも発展していきました。困ったことに、アメリカから帰ってきてから12時頃になると、すんごく眠くなって、若干、朝の目覚めがよくなりました。何せ、9日間すべて、朝4時から6時までの間に起きたものですから。でも、その話はしなかったような気がします。トヨタは昔潰れかけた時に、三井銀行や新日鉄に助けられたので恩義があり、住友銀行と川崎製鉄に逃げられたので、今もグループ挙げて出入り禁止だけど、三井住友になってしまって、最近は困っているという話から就職と産業構造の話に低下していき、シルバーセンターからバブルの話になり、実はジュリアナ東京は、考えたら全盛期はバブルはじけた後のカーニヴァルだったんだよね、とか、コンビに弁当の恐怖とかのオ話になりました。結局最終的には、バンコクの新空港のお話とか、フィリピンのゴーゴーバー壊滅状態のお話とか、インドや中国の悪口とか、アジア人としてはアジアの話に落ち着いてきたりするんですよね。
2008.01.10
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昨年はボクの彼女達以外にボクの子分やボクの全財産やボクのペットを紹介論破しつくしたのですが、今日は、その後1年たって彼女達がいかに、私の寄進により、若返ったかを紹介したいなあ、なんて思っている次第です。仕事の激務の中から僅かに残された時間を遣り繰りして、祭り或るところトイモイ登場ってな感じでありました。そんな訳で、1年もたつと彼女達は立派に成長していました。何が立派かと言うと、具体的には守秘義務があるので、顔、姓名、個人情報、血液型、学歴、私以外の彼氏の有無は、出すことはできませんが、少しだけ遠巻きに紹介だけしたいと思います。(よく見ると西洋人にまでなっちゃった彼女もいます)そんな訳で、今回は、遠慮しつつも、笹にいろいろつけてもらいました。地下鉄に乗ると、車両内の全員が、ああ、えべっさんにいかなければ、と思いました。オフィス街を歩くと、サラリーマンも自営業者もOLも店の人も銀行員も、ああ、えべっさんいかなきゃ、と思いました。会社で、壁に飾ると、社内の平社員から社長まで全員が、ああ、仕事さぼってきたんだなあ、と思いました。蝋人形達も、感激しました(おわり)
2008.01.09
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遠い地平線が消えて、ふかぶかとした夜の闇に心を休める時、はるか雲海の上を音もなく流れ去る気流は、たゆみない宇宙の営みを告げています。満天の星をいただく、はてしない光の海をゆたかに流れゆく風に心を開けば、きらめく星座の物語も聞こえてくる、夜の静寂の、なんと饒舌なことでしょうか。光と影の境に消えていったはるかな地平線も瞼に浮かんでまいります。トイモイ航空があなたにお送りする音楽の定期便ジットストリーム 皆様の夜間飛行のお供をするパイロットは私、トイモイ整備士ですサンサルバドル空港で待ちます。市内から44キロ郊外にありますが、タクシーで20ドルです。頑張ります。朝焼けの元。エルサルバドル火山の噴火口上空を飛びます。中米から北米に移っていきます。丸いのは、いわゆるエリア51でしょうか?もう合州国本土です。見よ、あれがロサンゼルスの灯火です。汚い円で囲まれた部分を拡大しますと・・・それはいわゆるところの、ハリウッドサインであります。14メートル高さ昔はLANDという文字もあったここから自殺した女優もいる。まさに、マルホランドドライブ、セクシーな映画でした。滑走路が平行しており、飛行機が併走して下りていくほど、お盛んです。飛びました。飛んだら、搭乗券くれました。30人乗り飛行機でロサンゼルスから40分飛べば、だいたいサンディエゴです。機内は2バイ1の10列です。高知大阪の40分飛行でもあめちゃんがでますが、ここでは何もでませんでした。(ちなみにシアトル、バンクーバーの国際線30人乗り40分飛行では、飲み物がでました)少しうとうとする間もなく、サンディエゴの橋が見えてきました。市内に空港があり、ダウンタウンまでタクシーで10分ぐらいで、だいたい9ドルぐらいで着きます。空港の建物がウエルカムしてくれますた。サンディエゴは早朝です。サンフランシスコまで1時間少々です。サンフランシスコに着く前に海上にキーウエストみたいな海にかかる長い橋がありました。 サンフランシスコ上空にやってきました。サンフランシスコを出発すると、ダウンタウンの摩天楼が見えました。サンフランシスコダウンタウンまで列車(バート)で30分です。ゴールデンゲートブリッジです。英語で言うと金門橋です。しかし、10分も飛ぶと、民家もなくなる地域となります。アメリカは広いな~。飛行後はノンストップで12時間ぐらいすると、いつの間にか関西の上空でした。夜間飛行のジェット機の翼に点滅するランプは遠ざかるにつれ次第に星のまたたきと区別がつかなくなりますお送りしております、この音楽も美しく、あなたの夢に、溶け込んでいきますようにトイモイ航空がお送りした音楽の定期便、ジットストリーム 夜間飛行のお供をいたしましたパイロットは私、トイモイ整備士でしたまた明日、ブログにてお会いしましょう2008年正月旅行 ハリウッド、蝋人形館1 ハリウッド、蝋人形館2 ハリウッド、蝋人形館3 ハリウッド、蝋人形館4 市内から空港に戻る、Los Angeles アンティグア観光1 Guatemala アンティグア観光2 Guatemala アンティグア観光3 Guatemala アンティグア観光4 Guatemala グアテマラ歴史のお勉強 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の昼 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の夜 Guatemala パカヤ火山登山 Guatemala ホンジュラスの歴史 Honduras マヤ遺跡コパンにいく Honduras コパン,マヤ遺跡1 Honduras コパン,マヤ遺跡2 Honduras コパンルイナスの夜 Honduras Honduras→El Salvador陸路移動 エルサルバドルのお勉強の時間 El Salvador エルサルバドルの夜 El Salvador サンサルバドル→ロサンジェルス El Salvador サンタモニカへブルーバスで行く、Los Angeles ベニスビーチで今年最後の夕陽、Los Angeles サンタモニカ、Los Angeles ロサンゼルスでお正月、Los Angeles サンディエゴからティファナに向かうMexico メキシコ入国ティファナMexico メキシコ入国ティファナ2Mexico メキシコ入国ティファナ3Mexico サンディエゴの朝夜 San Diego サンフランシスコから帰国 San Francisco アメリカ中米gourmetの旅 お土産 ジャンピングビーン・ジャンピングビーン2
2008.01.08
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グルメなので、まず、アメリカに上陸したら、いきなりアメリカ料理となりつつあるメキシコファーストフード店でちょとだけ腹を膨らませる。チップスにルーはつけ放題だが、コリアンダーが効いていて、クィ~って感じなのだが、こんなの毎日食ってたら、そら体に悪いわ、太るわ、びびるわ、になるわと思った。グルメなので、グアテマラでは、このビールがすべての銘柄を飲んだ後で、一番コクがあってズキューンと旨かったです、基本的に、ライトタイプ、サッパリタイプより、濃厚タイプが好きです。グルメなのでいうが、ポジョエンホコンというグアテマラ風シチューである。もしかしたら間違えているかもしれないが、とにかく郷土料理には間違いない。パクチーが効いていて、グイィーンとくる。グルメなのでいうが、ペアピンというグアテマラ郷土料理である。もしかしたら間違えているかもしれないが、とにかく郷土料理には間違いない。パッチィーンといった感じでともかく、グアテマラに来たぜっていうナルシスな感じがする。グルメなのでいうが、ちょっと疲れたら、カフェで、ビールをグビグビやってしまうのである。でも正直いうと、ちょっとも疲れてなくても、ビールをガンガンやってしまうのである。グルメなのでいうが、ホンジュラスに来たからといって、ちょっとのどが渇いたので、カフェで、ビールをグビグビやってしまうのである。でも正直いうと、ちょっとも喉が乾いてなくても、ビールをガンガンやってしまうのである。グルメなのでいうが、基本的に、席数も作っている人も少ない食堂やレストランの方が、結構ヒットするの可能性が高いことを知っている。ただし、外すと、ずっこける不味さの拷問にあう。大手ホテルや大手有名店での食事は、まず、不味くはないが、ムチャウマイということもない。雰囲気や気分も代金に入ってしまっている気がする。この店は、郷土料理の店で、おばちゃんがやっていて、メニュー表がなく、客もいなかったが、ニコニコおばちゃんがでてきて、昼の定食はこれでどうだと、野菜がなんだ、チキンの両面に何かプレスして味付けして何かと、言う感じのことを身振り手振りで、スペイン語で伝えてくれ、それにした。おまけに、ビールを頼むと、外に買いに行ってくれたので、これは、本格的に旨いぞ、と思ったら、この旅行で一番旨かった。値段も一流で、450円ぐらいした。しかし、味は、ムーチョスグー!グルメなのでいうが、ホンジュラスに来たからといって、随分のどが渇いたので、カフェで、ビールをグビグビやってしまうのである。でも正直いうと、全然喉が乾いてなくても、ビールをガンガンやってしまうのである。ついでに2階のネットカフェでネットをするのである。30分60円、こんな田舎でもネットと携帯電話は十分に入ってきているのが不思議だ。グルメなのでいうが、とりあえず、以前、スペインにいったとき、最初に覚えたことばは、セルベッサ(ビール)であり、その後順調に語彙を伸ばし、いまでは、セルベッサとトイレはどこぐらいまで話せるようになったのであった。何か、森の中にあるような雰囲気あるレストランで、ホンジュラスビール銘柄征服のために時を無為に過ごしながらムイムイ飲む。グルメだからいうが、俺こんなの頼んでないよ、と思うが、これが、突き出しであったことが判明。初めは、頼んだ料理がこれかと思い、随分、イメージの違うものですなあ、と思った。私が頼んだのはサラダのハーフサイズである。私の目は節穴なので、このチップスにつける具がいわゆるサラダなのだと思ったわけだよ。グルメだから叫ぶが、出たピンチョ!ホンジュラス代表肉料理!普段、肉を食べない私も、テスティングの世界ではこうやって、食ってみるのである。肉と野菜の炭火焼き、ヤキヤキ!グルメだからいうのだが、すっかり、エルサルバドルに入ると、移動に次ぐ移動で、疲れ果ててしまったので、とりあえず、ホテルで先ほど買ってきた缶ビールをプハアと飲むのである。でも本当は疲れてなくても飲むのである。いちおう、夜中用にマンゴーレモンジュースなんかも買ってしまったのであるが、すっぱいほうが、勝っていたのであった、ここだけの話。グルメだから言うが、エルサルバドルのビール銘柄も飲み尽くしたが、このチェコテイストのピルスなーが一番旨く、思わず、ピルスピルースと意味不明の言葉を叫んでしまうのであった。でも本当は、心の中で思っただけの小心者で、決して叫んでいないのであった。グルメなのでいうが、先ほど、レストランで飲んだという理由だけで、旨かったと感じたという理由だけで、またもや、スーパーで買ってきて、引き続き部屋に戻り寝る前にグイグイやるのである。何をやるかって、そりゃアヤトリとかシリトリに決まっているのである。グルメなのでいうが、アメリカってほんと、旨くもないのに焼き加減とか、ソースは何にするかって五月蝿いんだよね。このマグロ、焼き加減はレアよ。バーナーで表面だけ焦げ目入れてるけど、中身は赤いよ。グワシ。グルメだからいうけど、間違って、鮭サラダまで頼んでしまったので、もう夜飯は昼飯も兼ねることに決定って感じよ。グルメだからいうけど、アメリカって食べ物安いけど、ドコが安いかというと単価辺りが安いわけで、できれば量と値段を半分にして欲しいと切に願います。いつも総額と量が多くて困ります。正月の瞬間は、グルメなので、虚しく、部屋で過ごすと思いきや、その通りで、食料(カルフォルニアロールなど)食ってたのココロ。しかし、0時の瞬間には、すでにシャンペンが切れていたので、多少、時間の流れと、自分のペース配分に激怒である。グルメなので、翌朝、40分飛行機に乗ってサンディエゴに行き、路面トローリーに40分乗って、メキシコに入り、メキシコ料理を食べるんだな、でもその前にちょとだけビールね、OK?ナチョスは前菜だよ、勝手に出てくる突き出しだよ。グルメなので、タコスの肉を切り出す瞬間を見ていたり、料理する姿を見ていたりなんかするんだよね。調理を見せるのはいいことだね。高級寿司屋は、魚の入ったガラスケースがないので、料理する手が良く見えていいね。寿司屋で一番特徴がでるのが、こはだとかんぴょうまきね。最初と最後に頼むといいらしいね。高級寿司屋は、時価ばっかで価格表がないので、ほんといやらしいし、うっとうしいし、緊張するものだね、できたら行きたくないね、でも接待でいくとかなら、どういえばいいかというと、1万円で握ってとか、いえばいいね。昼なら、5000円でいいんじゃない?半ダースは食えるよ。アミーゴ。グルメなので、メキシコタコス店で魚を頼んでみたよ。ちょと生臭かったけど、トルティーヤで野菜と一緒に巻いて、食うと、ベサメムーチョスアミーゴ。グルメなので、何故だか、サンディエゴでインド料理食べちゃったんだよね。インド行った経験者としては、なんだか、インド人の女性が洋服してて、ペラペラ話して、注文取りに来る姿が不思議なんだよね。キングズフィシャーは主にムンバイ系だね、シンガポールでも飲めるね、少しかび臭い感じがするのが、インドを思い出すって感じなのだわ。グルメなので、サンフランシスコの空港でイースト菌使ってない(遺伝子クミカエテナーイ、かどうかは知らんが)サワドゥ(サワディーではない)に、アツアツドボドボクラムチャウダーを入れると、ムーチョス、あ、もう英語圏だった、ベリベリベリーサンなのである、あ、ベルベリーグーなのである。そんな感じで、グルメによる、グルメ人による、グルメ大全の発表を終わります。(しかし、実際、グルメは苦手な部門なので、この日記は1時間ぐらいかかってしまいました。(私の実生活の時給にすると、800円ぐらいにはなってしまいます)。2008年正月旅行 ハリウッド、蝋人形館1 ハリウッド、蝋人形館2 ハリウッド、蝋人形館3 ハリウッド、蝋人形館4 市内から空港に戻る、Los Angeles アンティグア観光1 Guatemala アンティグア観光2 Guatemala アンティグア観光3 Guatemala アンティグア観光4 Guatemala グアテマラ歴史のお勉強 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の昼 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の夜 Guatemala パカヤ火山登山 Guatemala ホンジュラスの歴史 Honduras マヤ遺跡コパンにいく Honduras コパン,マヤ遺跡1 Honduras コパン,マヤ遺跡2 Honduras コパンルイナスの夜 Honduras Honduras→El Salvador陸路移動 エルサルバドルのお勉強の時間 El Salvador エルサルバドルの夜 El Salvador サンサルバドル→ロサンジェルス El Salvador サンタモニカへブルーバスで行く、Los Angeles ベニスビーチで今年最後の夕陽、Los Angeles サンタモニカ、Los Angeles ロサンゼルスでお正月、Los Angeles サンディエゴからティファナに向かうMexico メキシコ入国ティファナMexico メキシコ入国ティファナ2Mexico メキシコ入国ティファナ3Mexico サンディエゴの朝夜 San Diego サンフランシスコから帰国 San Francisco アメリカ中米gourmetの旅 お土産 ジャンピングビーン・ジャンピングビーン2
2008.01.07
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ベリーベリーサンの指摘の通り、マダムタッソー蝋人形博物館と比較すればリアル性にかなり劣るのだが、さすがハリウッド、やたらエンタメ性を強調した、ハリウッドワックスムージアムは今回で終わりではなく、パート5ぐらいまで続きそうな悲しい勢いでもある。 やっぱり、子供が出来たからこういう映画を作ったのか、チャリとチョコ工場よ。ハリウッドの2大パーティ好きの一人さんよ(もう一人は、ギルバートグレイブに弟役で共演してましたな) どうやら、アメリカでは、オドリーヘプバーンよりキャサリンヘプバーンの方が人気あったらしいね。何度も書いてるけど、ヘボン式のヘボンとヘップバーンは同じなんだよね。ハートブレイクホテルさん、影薄いな~。なんで、ロジャーベーコン叫ぶか。多分、「ベネジクトエッグーにいっぱいベーコンつけてぇ~」と叫んでいる。フォレストガンプが何であんなに人気あったのか?そりゃ、アメリカンドリームだったから?でも、何だか、今回中米行って、更に、反米的になっちゃった気がします。ついでに、アメリカンファミリー、子供の頃は、アメリカって、大草原の小さな家かと思ってました。この映画も何で、ここまで人気でタンかなといいつうつ、船に乗ったらついつい先頭に出てしまい、知人がいれば、ついつい、抱きかかえて飛行機のポーズを取ってしまうのは、私だけではあるまい。ハリウッドの2大パーティ好きの一人さんよ(もう一人は、ギルバートグレイブに兄役で共演してましたな)。このおっさんだれや、まさか、ジャンギャバンちゃうやろな、あ、フランス人やった・・・これは、笑うせーるすまんか?あれは、いい漫画やったわ。まさか、グレートザコナンですか?何ですか?筋肉好きですか?上記と似たキャラだね。アメリカって何でマッチョ好きなの?それが何で性的なものに直結するの?そうやって神経症的に何故メディアは伝えるの?まあ、儲け先を見つけるためか・・・昔、テレビ映画でアランドロンのゾロを見たけど、あれがゾロで一番格好良かったと思う。多分、子供の時に見たからだと思う。敵役の尻に、ZOROと剣でズボンを裂いたのが格好よかったぞ。M★A★S★H オもろい題名やな。西部劇なのか、コメディなのか、はっきりして下さい!最近のチャックノリスは、北米在住のハルジ氏の情報によると、ドラマに出演していたりなんかするそうである。しかし、ドラゴンの道で、ローマのコロッセオでブルースリーに胸毛を引きちぎられたチャックノリス、渋かったなあ。明日に向かって撃てと書いていたが、どっちがPニューマンでどっちがRレッドフォードじゃ?中学校の頃はビデオデッキ(高級品としてはあった)もレンタルビデオ屋もまだなく(早稲田の学生企業として初めて始めた頃)、ついつい新聞欄を見逃し、同時に放映していた「火の鳥」を見てしまい、次の日学校に行って、映画好き数人からバカにされた苦い思い出があるのであった。こいつは誰?もう結構わかりません。これも分かりません。分かりません、OK牧場?タカ派ジョンウエインは、ほんと、ネイティブインディアンをケチョンケチョンにやっつけて、悪者に仕立て上げるプロパガンタに協力したよねえ。レッドパージの先頭にも立ってたし、強いアメリカの牽引機やったわな。2008年正月旅行 ハリウッド、蝋人形館1 ハリウッド、蝋人形館2 ハリウッド、蝋人形館3 ハリウッド、蝋人形館4 市内から空港に戻る、Los Angeles アンティグア観光1 Guatemala アンティグア観光2 Guatemala アンティグア観光3 Guatemala アンティグア観光4 Guatemala グアテマラ歴史のお勉強 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の昼 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の夜 Guatemala パカヤ火山登山 Guatemala ホンジュラスの歴史 Honduras マヤ遺跡コパンにいく Honduras コパン,マヤ遺跡1 Honduras コパン,マヤ遺跡2 Honduras コパンルイナスの夜 Honduras Honduras→El Salvador陸路移動 エルサルバドルのお勉強の時間 El Salvador エルサルバドルの夜 El Salvador サンサルバドル→ロサンジェルス El Salvador サンタモニカへブルーバスで行く、Los Angeles ベニスビーチで今年最後の夕陽、Los Angeles サンタモニカ、Los Angeles ロサンゼルスでお正月、Los Angeles サンディエゴからティファナに向かうMexico メキシコ入国ティファナMexico メキシコ入国ティファナ2Mexico メキシコ入国ティファナ3Mexico サンディエゴの朝夜 San Diego サンフランシスコから帰国 San Francisco アメリカ中米gourmetの旅 お土産 ジャンピングビーン・ジャンピングビーン2
2008.01.06
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私は、実家が近いと言う特殊事情もあり、正月と言うイベントもあり、元旦はアメリゴベスプーチとメキシコアミーゴにいたという特殊事情もああったので、やっと今日、実家に挨拶に帰ったのであった。勿論、大富豪が故、タイ米、否、大枚のお年玉を持ってである。タイ米ではないが、米で出来た酒も親父向けに買って言ったという特殊事情もあるのである。勿論、グアテマラのマヤ先住民族の刺繍土産の鍋つかみも持っていったが、母は、派手やねえというのであったし、郊外アウトレットで買った14ドルのラルフローレンキーホルダーを渡したが、車のキーには既に妹からプレゼントされたであろうコーチのピースマークのキーホルダーがついていた。これは、アウトレットで8ドルだったのになあと思いつつ、密かに入れ替えちゃろかと思ってたら、母は、ちょと出かけるからと最愛の息子を無視して、車ででこかにでかけてしまったので、こそっと入れ替えることができなかったという特殊事情があった。テレビをひたすら見続ける親父の前に、ひたすらラルフローレンのキーホルダーが横たわっていただけであった。親父と二人になると、二人ただテレヴィを見ているだけで、結局何の会話もなく、私は2階のブログネタを探しに行っただけにすぎないという特殊事情というか、ナツカシズムに陥るしかなかったのであった。その成果を今日、恥ずかしながら隠者の告白してみたりなんかするのであった。小学校1年生小学校2年生小学校3年生小学校4年生小学校5年生高校3年卒業だ!
2008.01.05
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かつて、岸田秀の精神分析を国家に当てはめて、初めにインディアンを襲撃して、各国への征服干渉を繰り返す歴史を持つアメリカに、うまいこと説明するものだなあ、と感心したことがある。 最近知ったことであるが、面白い、というかうまい具合にいう法則もあった。題して、リメンバーの法則。その1、アメリカやその企業に都合の悪い政権を悪の枢軸だの民族浄化だのテロリストだの古いが共産主義だのいって、とにかく難癖をつける。その2、反政府放送などによって、謀略宣伝を国内外に流しまくる。その3、アメリカのいいなになり反政府ゲリラを組織して、自分の手を汚さずに、資金援助及び指導指揮して都合の悪い政権を潰しにかかる。その4、ゲリラを周辺から侵攻させる。ゲリラ兵力が頼りない時は、アメリカ本体が顧問団として支援する。その5、領土の一部でも占領できたら、傀儡政権を作る。そしてその政権からアメリカに支援要請させる。その6、要請を受けて、アメリカ軍が出動、メチャンコに武力制圧する。但し、相手がムチャンコに弱ければ(グレナダやパナマ)、面倒な手続きは省いて、直接乗り込む。名目は、海外在留アメリカ人と資産を保護するというものだ。リメンバーアラモ アメリカは、イギリスの独立戦争で西方の領土を獲得し、フランスからルイジアナを買い入れ(フランスはイギリスと戦う戦費が欲しかった)、スペインからフロリダ周辺を購入し、先住民インディアンを虐殺しまくった後、メキシコ州テキサスを狙ったのであった。メキシコ人はお人よしでノー天気の寛容さで、勝手にアメリカ政府が無断でテキサスを開拓し始めたのを、どうせ不毛の地だからご自由にどうぞ、と移民を歓迎までしていたのであった。 しかし、次第に人口は増加し、メキシコから独立して、テキサス共和国を作るよ、なんて独立運動までしはじめたものだから、メキシコ政府はびっくりして、移民を禁止した。メキシコ政府は、それに、奴隷制度への道義的反発もあったので、取り締まったのであった。逆切れしたアメリカは、勝手にテキサス革命と称して、自由を守るためと、義勇軍と称して武装勢力がゾクゾクとテキサスにやってきて、200人たらずがアラモの古い教会に立てこもったのであった。自国を勝手にされると思ったメキシコは、この200人を5000人の兵士で蹴散らす。さて、罪もない同胞を殺した卑怯なメキシコ人をケチョンケチョンにやってしまおう、とまんまと町の名前にもなる司令官ヒューストンは大軍を送り込み、テキサスを独立させ、速効でアメリカに併合させたのであった。哀れなメキシコ、ひさしを貸したら母屋を取られた訳だ。それどころではなく、怒ったメキシコはアメリカと国交断絶を通告するが、またこれがあだとなり、宣戦され、ニューメキシコ、カルフォルニアを巻き上げられてしまったのであった。これで、メキシコは国家が半分になってしまったのであった。特に不毛の地と思われていたカルフォルニアは講和条約後1週間で、黄金がザクザクで出したというのだから、これは、初めから分かっていたのであろう。メキシコの名言「メキシコの悲劇は、天国にあまりに遠く、アメリカにあまりに近いことだ」(これは、占領で、憲法違反だと言った議員もいたにはいた。若き日のリンカーンであった。こんな発言をしたので、人気はだだ下がりとなった)この戦争で海岸部を指揮したのがペリーであり、同じ陰謀手法で日本の一部、沖縄や小笠原も取ろうとしていたのであったが、何とか、徳川幕府、うまく切り抜けたのであった。メイン号を忘れるな カリブ海は、キューバを中心にスペインが征服していた。キューバの砂糖と領土が欲しいだけなのに、スペインからカリブ海を救うなどというまたお決まりの名目を作ったのであった。そこで、キューバのハバナに戦艦メイン号を派遣するのだが、謎の大爆発を起こした(多分、自作自演だろう)。日本人も数人乗っていたようである。さて、怒り心頭のアメリカは、やったのはスペインであると新聞の謀略記事で世論を味方につけ、ガンガン戦争をしかける。実は、新聞はセンセイショナルなことを書いて部数を伸ばしたかっただけだったと、判明しており、ハバナの特派員も銃声がないので帰国しますよ、と会社に連絡すると、もうすぐ戦争を起こすから待てといわれたそうである。この戦争で名を売ったのがセオドアルーズベルトである。素手でスペイン人を殺しまくったと嬉しい手紙を友人に送っている。何のことはない、人員は10倍もいたからである。こいつは、自分の都合のいいように、日露戦争を調停させて、ノーベル平和賞を貰ったが、単なる暴力団だ。ところで、キューバ人を救え!のスローガンはどうなったかはもう明白である。キューバとプエルトリコをもついでにもぎ取ったわけだが、当然軍事基地もおいて、傀儡政権を作って終わりって感じであった。「独立を支援してくれるっていったじゃないですか」とキューバは言ったが、「でも文章がないから」と蹴散らし、基地の返還には、アメリカの合意が必要と言う不平等な条約を結ばされ、今でも年間4000ドルの小切手をキューバに送っているが、カストロは当然、小切手の現金化を拒否し続けている。これと同じ手法をアジアのフィリピンでも使ったことは明白である。スペインからの独立を支援すると言う形で、スペインを追い出し、自分たちが占領、怒ったフィリピンはゲリラを組織し、更に立ち上がるが、この人々を虐殺しまくった指揮官が、ダグラスマッカーサーのパパであった。ハワイに至っては、宣教師がだまし討ちして、カメハメハのハワイを併合。助けを求められた明治政府はこれを断っている。その後、リメンバーパールハーバー、そして、リメンバー911と続いていくのであった。どうしようもない国だね。追記 十字架はイラクで死んだ兵士ですわ2008年正月旅行 ハリウッド、蝋人形館1 ハリウッド、蝋人形館2 ハリウッド、蝋人形館3 ハリウッド、蝋人形館4 市内から空港に戻る、Los Angeles アンティグア観光1 Guatemala アンティグア観光2 Guatemala アンティグア観光3 Guatemala アンティグア観光4 Guatemala グアテマラ歴史のお勉強 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の昼 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の夜 Guatemala パカヤ火山登山 Guatemala ホンジュラスの歴史 Honduras マヤ遺跡コパンにいく Honduras コパン,マヤ遺跡1 Honduras コパン,マヤ遺跡2 Honduras コパンルイナスの夜 Honduras Honduras→El Salvador陸路移動 エルサルバドルのお勉強の時間 El Salvador エルサルバドルの夜 El Salvador サンサルバドル→ロサンジェルス El Salvador サンタモニカへブルーバスで行く、Los Angeles ベニスビーチで今年最後の夕陽、Los Angeles サンタモニカ、Los Angeles ロサンゼルスでお正月、Los Angeles サンディエゴからティファナに向かうMexico メキシコ入国ティファナMexico メキシコ入国ティファナ2Mexico メキシコ入国ティファナ3Mexico サンディエゴの朝夜 San Diego サンフランシスコから帰国 San Francisco アメリカ中米gourmetの旅 お土産 ジャンピングビーン・ジャンピングビーン2
2008.01.04
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誠実と無実と果実の人でしかない私は、基本的には年賀状廃止論者であるが、それは何故かと言う事はおいといて(おいとかないとすると、面倒だからである。プリンター壊れてるし、郵便局を儲けさせるのが蹴ったクソ悪いからでもある)、年賀状で自分の子供の写真を送ってこられるのが苦手である(通称、不幸と手紙)。正直言って確かに、現物の他人の2歳ぐらいまでの子供を見るのは、かわいらしいとは思うのだが、基本的に残念ながら年賀状を見て、かわいいなとか、大きくなったなあとか、うらやましいなとか、嬉しいなとか、大きくなれよとか、たくましく育って欲しい丸大ハムとか、思えないのである。更に赤ちゃんの場合は、どれも、同じ赤ちゃんに見えるのである。多少肥えてる痩せてるぐらいはあるかも知れないが、目が3つあるとか、慎重が2メートルあるとか、タバコを吸っているとか、乳を飲ませている瞬間とか、そういったトリッキーまたはハプニングまたは特異な特徴がないので、鑑識眼のない私には全部同じに見えるのである。 同時に、私は、正直、ひねくれているので、他人の子供はちっともかわいくないのである。年賀状をみても、せいぜいため息をつくぐらいである。勿論、「これが、あなたの子です」とかいって、年賀状が着たら、それはそれで、冷や汗とマジ汗が出るだろうが、多分、それでも、我が子との対面で、かわいいと思えないと想像されるのである。最近では、子供は絶対いらないといわれていて、子供付年賀状を送ってくる人の気が知れないといっていた人までが、結婚までして、子供産んで、子供写真付年賀状を送ってきたのだから、自分のいったこと、自分の思想、自分の信念が、そう強くない理性の揺らぎグラグラが証明されてしまっているんどえある。かといってインタビューするつもりはないが、若干、驚愕してしまったんである。送る人の気持ちが分かったということであろうか?送られる人の気持ちを考えたことがないのであろうか。しかし、実は、会社に正月明けに出たら、子供大きくなりましたね、とか、かわいいですね、とか社員同士会話をしているのを聞いたことがあるので、もしかして、好きな人もいるのかも知れないとフト思ってしまったのであった。不思議な人たちだ・・・。しかし、私の場合、もう、貰った年賀状、住所名前隠して裏面見ても、誰の子だかさっぱり分からないというか、それら年賀状に何の記憶もない状態である。くそう、民営化したといっても、ちっとも、陰謀が消えてないのではないか、と、日本の将来を危惧するのであった。ところで、友人から、子供もでかくなってくるとムカつくと書いてあったので、転載しておく。●手塩にかけてキャンプサーバントに育成したのに、今では誘うとロコツに嫌がる。●乳児の頃からストーンズ、ジョップリン、ドアーズ、その他多くのブルースやレゲエの名盤を聞かせてやったのにEXILEとかオレンジレンジとか愛も感動もないクダラン音楽を聞いてる。●笑顔は小遣いもらう時だけ●長男の身長176センチ、体重88キロでプロレスのスタン・ハンセンそっくり。そばに寄ると男のクサイ臭いがする。●次男、水泳バカで全然勉強しない。水泳部のアホとイチビッテばかりで学校の風紀担当から目をつけられている。●近頃はやりの超安い焼肉食いに行っても三万円かかる。クルクル寿司に行っても一万円かかる。食うな!●ほっとくと夕方まで寝ている●エロ本大好き。な、コスモさん、そう思わない?
2008.01.03
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総じて、中南米という国々はアメリカ合州国にメチャンコにやられてきた歴史がある。その手法をアジアや中東に応用しているということである。 アメリカが英国、スペイン、メキシコから領土を奪って、領土が拡大するとともに、ヨーロッパから移民が多くなり、食糧確保のために、中南米を生産拠点にしていったという歴史がある。 アメリカにはチキータブランドのユナイテッドフルーツ社というのがあるが(もうひとつがドールブランドの元マフィアが作ったスタンダードフルーツ社である)、こいつがいろいろ経緯あって、バナナ畑のため、現地政治家と癒着しまくって、特に脆弱で腐敗していたグアテマラの土地をじゃんじゃん接収していったのであった。一企業が、国政に介入し、独裁政権を支持し続けたのであった。資金を提供し、免税やアメリカ企業進出を促進させ口八丁手八丁で土地をただ同然で手に入れ、現地国民を公共事業など強制労働させてきたという歴史がある。そのうち、この企業は、グアテマラの国家予算より大きい資金を動かし、グアテマラ最大の土地所有者になってしまったのであった。 そうこういううちに、当然民衆蜂起となり、ちゃんとグアテマラ利益を確保したい大統領が生まれるが、当然、この企業とアメリカは怒り出す。なんとか、この企業を追い出そうとしたのであった。このとき日本の3分の1を持つこの国土の4割をこの企業が所有していたのであった。この頃(1940年代)の10年間だけは、民主的な国であり、社会主義的な政策に共鳴するラテンアメリカの拠点となり、若きチェゲバラなんかも活動していたのであった。 当然、この政権がおもしろくないので、クーデタのお膳立てをして転覆させてしまう。指揮したのは、CIA長官のアレンダレスのアニキであるジョンダレス国務長官であった。2人は、この企業の顧問弁護士であったので、当然、自分たちの利益のためにアメリカ国家を動かしたのであった。(アメリカは、現石油ブッシュや軍事産業重役チェイニーのように、自分たちの利益のために動く国家である) 傀儡政権も3年で暗殺され、その後は40年近くクーデタが相次ぎ、内戦状態となり、平和協定が調印されたのが1996年であった。 政情ががようやく安定してきたのか、急いで、最近、国際空港を造ったようで、グアテマラシティ郊外6キロのラ・アウロラ国際空港は拡張工事中で、いきなり、入国審査は10秒以内、外に出ると、案内所、両替所、飲食店の1件もなく、2階に行くが、ここにも、店の一軒もなく、ただカウンターがあるだけの不思議な空港であった。早朝であったので、バスもなく、何が何だか分からなかったので、タクシーに乗ることにした。グアテマラシティーは近いが、一気に50キロ程離れている世界遺産都市アンティグアに行くのだが、値段が分からない。少し躊躇したが、声を掛けてきた人相の悪いタクシー運転手に値段を聞くと、30ドル。(通貨ケツアルは持っていない)まだアメリカの感覚が残っていたので、紙に書いてまで確認した。各国では、降りる時に10倍言われることがあるので、びびったのであるが、そこは、旅行者の過去の感覚で、大丈夫と判断し、乗り込む。標高1500メートル、坂を上りだし、雲海が見え、思わず、ジンときてしまったのであった。登山していないのに雲海とは。早朝からチェックインでき、フロントで5ドル分だけ両替し、屋上に上り、3766メートルの富士山のようなアグア火山を眺めた後、茶を飲みに出かける。2008年正月旅行 ハリウッド、蝋人形館1 ハリウッド、蝋人形館2 ハリウッド、蝋人形館3 ハリウッド、蝋人形館4 市内から空港に戻る、Los Angeles アンティグア観光1 Guatemala アンティグア観光2 Guatemala アンティグア観光3 Guatemala アンティグア観光4 Guatemala グアテマラ歴史のお勉強 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の昼 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の夜 Guatemala パカヤ火山登山 Guatemala ホンジュラスの歴史 Honduras マヤ遺跡コパンにいく Honduras コパン,マヤ遺跡1 Honduras コパン,マヤ遺跡2 Honduras コパンルイナスの夜 Honduras Honduras→El Salvador陸路移動 エルサルバドルのお勉強の時間 El Salvador エルサルバドルの夜 El Salvador サンサルバドル→ロサンジェルス El Salvador サンタモニカへブルーバスで行く、Los Angeles ベニスビーチで今年最後の夕陽、Los Angeles サンタモニカ、Los Angeles ロサンゼルスでお正月、Los Angeles サンディエゴからティファナに向かうMexico メキシコ入国ティファナMexico メキシコ入国ティファナ2Mexico メキシコ入国ティファナ3Mexico サンディエゴの朝夜 San Diego サンフランシスコから帰国 San Francisco アメリカ中米gourmetの旅 お土産 ジャンピングビーン・ジャンピングビーン2
2008.01.02
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そろそろ正月を迎えるに当たって、かぶりもののひとつでも用意しなければならないのではないかという衝動に駆られてきた。外を歩くも、2008と書かれた紙の帽子を被るばか者たちやバカじいさんや、バカ子供も増えてきたので、ワタシも、そろそろバカ青年しなければならないのではないかという義務感と焦燥感が胸のココロの内なる道徳心から芽生えてきたのであった。ボンズという公害型、否、郊外型安売り店にて突入の上、いろいろ買い込むのであった。VONSは、会員になればその場でおおよそ7パーセントから20パーセント安くなるという素晴らしき制度が導入されているという噂を聞き、店内を見回すのであるが、ちっともそんな案内はないので、定員に「ボンズスペシャルメンバーにただでなりたいんだけど」というと、「ほんとになるの?」みたいな顔をされ、横の引き出しから申込書を出してきた。勿論、記入する台も、ペンもないので、立ったまま日本の住所を記入(それも適当に)し、よろしくというと、また引き出しからカードを出してきた店員は、そのまま、記入用紙にカードを見ながらその番号を記入し、即席電撃の如く、優秀なカードに優秀なカスタマーが一丁出来上がったのであった。買い物を終え、コーヒーを飲んだ私は、早速、正月その瞬間を迎えるため、街に出る・・・ということはなく、疲れていることと、また元旦早朝から飛行機に乗り南下していくという特殊事情ゆえ、ホテルに戻るのであった。しかし、ホテルに戻っても、更に正月に向けて酒が不足していることに気がつき、近くにあった24時間スーパーに突入するのであった。シャンペンの買い足しを順調に行い、そのときを、テレビの前で待つのであった。そういえば、昨年もワシントンDCのテレビの前で迎えたということをフト思いつき、2年連続テレビ前正月と言うショボイ快挙に気がついた10分15秒前。と思いきや、ごそごそしていると、2008年を2秒程超えてしまったのであった。ウィ、遅れてきたハピニューイヤー。ハッピーニューイヤーでシャンペンを開けるワタシではなく、もう空っぽなのであった。こんなことでいいのですか、心斎橋さん。パナマでもハッピー。コロンビアでもオッハッピー。同じアメリカでも、時差が3つぐらい分かれているので、東海岸のニューヨークは2時間ぐらい前にすでに、ハッピニューヤーしてるんですよね。ロサンゼルスに戻ってきた私なんか、日本より17時間遅れの、ハッピニュウイイヤアな状態である。テレビでは、シャンペン頭被りキャンペーンをしているが、机の上ではマメがカチャカチャなっているのである。孵化しないことを祈りつつ。オマケ:12月31日今年最後の夕陽。~サンタモニカ海岸~2008年正月旅行 ハリウッド、蝋人形館1 ハリウッド、蝋人形館2 ハリウッド、蝋人形館3 ハリウッド、蝋人形館4 市内から空港に戻る、Los Angeles アンティグア観光1 Guatemala アンティグア観光2 Guatemala アンティグア観光3 Guatemala アンティグア観光4 Guatemala グアテマラ歴史のお勉強 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の昼 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の夜 Guatemala パカヤ火山登山 Guatemala ホンジュラスの歴史 Honduras マヤ遺跡コパンにいく Honduras コパン,マヤ遺跡1 Honduras コパン,マヤ遺跡2 Honduras コパンルイナスの夜 Honduras Honduras→El Salvador陸路移動 エルサルバドルのお勉強の時間 El Salvador エルサルバドルの夜 El Salvador サンサルバドル→ロサンジェルス El Salvador サンタモニカへブルーバスで行く、Los Angeles ベニスビーチで今年最後の夕陽、Los Angeles サンタモニカ、Los Angeles ロサンゼルスでお正月、Los Angeles サンディエゴからティファナに向かうMexico メキシコ入国ティファナMexico メキシコ入国ティファナ2Mexico メキシコ入国ティファナ3Mexico サンディエゴの朝夜 San Diego サンフランシスコから帰国 San Francisco アメリカ中米gourmetの旅 お土産 ジャンピングビーン・ジャンピングビーン2
2008.01.01
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