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前日までのあらすじ・・・友達と、いきって、ラスベガスに週末に行こうとした終末思想であった。関空に着いた我々は、既に、することがなくなった。酒が入り、2,3時間馬鹿騒ぎするときには、意味のない会話をだらだらとするのだが、実際、2日間も一緒になるとすれば、久しぶりでも、特に大きな会話もなく、飛行機に乗り込む。9時間の疾走であり(帰りは偏西風のためか12時間、そして北海道から突っ込み、鳥取岡山をUターンして関空に入るためか)席も離れたので、ではまた9時間後サンフランで会いましょうということで、しばしのサラバであった。途中、ちょっと、様子みたら、ゲイのスチュワードの方に猛烈アタックを受けている彼を見て、ケケケと笑う。 そうこうするうちに、あっという間に9時間の歳月が流れ、空港にも到着し、税関を抜ける。が、さすが、アメリカ、大国である。ホリデイ?バケーション?何故背広なのだ?という鋭いまっしぐらな質問に鋭く、会社帰りだからだと返し、君は8月にも9月にも亜米利加に来ているが、何だ?という質問にも、するどく、経由単なる経由だよ、どこそこの行き帰りですわ、と答え、そうこうするうちに、すっかり、友達にも順番を抜かされ、痺れを切らして待っていたのであった。ついでに、荷物検査もされたのであるが、2回目の経験であり、まあ、だいたい抜き打ちでやっているのだが、オマエ荷物もないのかよ、と少々馬鹿にする感じの税関の方々だったのであった。 しまった!あれほど友達に寒いからコート持ってくるようにいったのに、自分が会社にコートを置き忘れてき たことに、今更気がつき、寒いじゃねえかよ、とノタマウのであった。ともかく、昨晩、ネットで予約したホテルに向かう。向かうはいいが、チェックインするはいいが、彼は、ローミングサービスを受けており、ネットにはまっていて、電池が切れそうになったので充電することにし、その間に、私はサンクスギビングホリデーに合わせて、大安売りしていたので、急いで防寒着だかコートだかを買いにいく私であった。それで、購入したあと、ホテルに戻ると、またもやすることがなくなったので、じゃあ、まあ、飯でも食いに行こうか、まあ、折角だから、あれだな、クラムチャウダーだな、まあ、折角きたからケーブルカーでも乗るかな、まあ、そんな感じでぼらブラでかけたのであった。そのあと、そうだ、せっかく来たからには ゴールデンゲートブリッジ行こうぜということになり、私も行ったことがないので、行くことにし、バスを待つが全然来ないので、とぼとぼ次のバス亭まで歩いてみたりしたが、面倒になってきたので、たかが、橋だからもう海辺に出て遠くからみたらそれでいいんじゃない?という私の真摯な提案にも、そやなたかが橋やなというすんなり受け入れ状態になり、橋を遠くからみると、つり橋の電球が省エネか切れていたので、なんだ、無理して行かなくてもよかったな、ということになる。今回は、是非、私は、ゲイとヒッピーの発祥の地、カストロ、ヘイトストリートを散策しようぜということを最初に提案していたのだが、午後も何故かうだうだしているうちに、20時ころになってしまい、まあ、飯くて帰るかということになり、 チャイナタウンで飯食ってホテルに戻ったのであった。明日は、いよいよ帰国である。2009年サンフランシスコ WAX MUSEUM 1 WAX MUSEUM 2 WAX MUSEUM トーチャーズコーナー WAX MUSEUM 3 WAX MUSEUM 女性編 信じるか信じないかあなた次第1 信じるか信じないかあなた次第2 信じるか信じないかあなた次第3 信じるか信じないかあなた次第4 信じるか信じないかあなた次第5 サンフランシスコ風物詩 ラスベガスをぶっとばせ1 ラスベガスをぶっとばせ2 サンフランシスコgourmetの旅
2010.11.30
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山師として「生まれた」私としては、いっちゃあ、何だが、博才がないまま人生を歩み続けた。某ハルジ氏アオタ女史には、寂しい中年の奇妙な意味なき明日への暴走一人旅と映っていくかもしれないが、今回の趣旨は違うのである。それは1ヶ月ほど前の話になるのである。久しぶりに、高校の同級生と酒をのでいたのだが、その前に、ラスベガスで一山当てようではないかという話を何気なく意味ありげにすると、それに乗ってきたのである。しかし、彼も私もしがないサラリーパーソンの束縛された身であるがゆえに、そう莫大な資産も時間も何もナイナイ尽くしなのである。ナイナイとばかりいっておれば人生は、大袈裟にいうと、ナイナイ尽くしになるのである。計画は、トイモイ博士に任してもらえるとして、そうだよな、高校や大学のときみたいな馬鹿なこと、あれから人生倍も生きてきてしまったのであるからにして、またたまにはやってみてもいいじゃん、と彼はその気になりつつ、よくよく考えれば、たまにではなく、いつもやっている自分のことはヒタスラ隠しながらも、そのとおり、たまには、人に自慢できる馬鹿なギャグネタとくろうぜ!あ、ネタで旅行するの、それだめね、といいつつも、結局は、ラスベガスで一山当てようという話で盛り上がりつつ、そしたら、来週イコウヤと私は提案したのだが、それはさすがに・・・・と彼は一瞬躊躇しながらも、2,3週間後なら何とか都合つけるよ、と意気揚々とその日はお開きになったのであった。 速攻で、翌日より、チケットの手配に西へ東へ駆け巡りながら、なかなか、そう簡単にチケットはとれないまま、ずるずると日々は過ぎ、遂に、飲み会から1ヶ月歩度が過ぎ、ラスベガスにはロサンゼルスかサンフランシスコ経由でいくのだが、ラスベガスの終末は混んでおり、私も以前、2回程度トライしようとして「諦めた」経緯がある程、前途多難な道であった。遂に、彼も激務の間をぬって、やっと行ける週末が近づきつつあったが、その水曜日、まだラスベガスからサンフランシスコ、ロサンゼルスまでの切符が手配できずに、最終木曜日まで待て!と彼にいうのであった。というか、出発は金曜の夜である。 木曜日、私は彼に言った。「ラスベガスのガイドブック(ネットでプリントアウトしただけ)を用意したのだが、どうしても取れない、仕方ないので、サンフランシスコと珍スポでどうだ!」 彼は、勢い良く返答してくれた。ほんの5分ぐらいの沈黙のあとに。「いいでしょう!何がいいかはワカリマセンが、オレもせっかくだから、ついていくよ!」ラスベガスは、昼遅くに到着し、徹夜で遊んで朝一(朝方)の飛行機に乗って帰ってくる予定であったが、サンフランシスコなら、ホテル1泊分を手配するが、それでもいいか?」と私は更に追及すると、彼は、少し考えたふりをしながら、「それもいいでしょう!」とノタマウんであった。 じゃあ、決まりだ。明日、行くぜ、と息巻いて、息巻いたまま、金曜日(翌日)を迎えたのであった。そして、我々は、仕事帰り、背広姿のまま、仕事のカバンを持ったまま、関空に向かうの勇姿であった。こうして寂しい中年男性2人旅は始まったのであった。(つづく・・・・のか)2009年サンフランシスコ WAX MUSEUM 1 WAX MUSEUM 2 WAX MUSEUM トーチャーズコーナー WAX MUSEUM 3 WAX MUSEUM 女性編 信じるか信じないかあなた次第1 信じるか信じないかあなた次第2 信じるか信じないかあなた次第3 信じるか信じないかあなた次第4 信じるか信じないかあなた次第5 サンフランシスコ風物詩 ラスベガスをぶっとばせ1 ラスベガスをぶっとばせ2 サンフランシスコgourmetの旅
2010.11.29
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詳細は、また後日、報告しようと思っていたりなんかして。
2010.11.28
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冷蔵庫の中を紹介するのは実は勇気のいること、だそうである。しかし、あれからかなり一生ものを整理した結果、とてもすっきりしてきたので、今日はそのつまらぬ成果を披露するまでである。賞味期限も一部食べて整理した。冷蔵庫の底は、ほぼ水と酒だけにまで減らすというダイエットに成功中。冷蔵庫上層部も、貢物の生ラーメンがほぼ独占寡占状態。ドア側については、未だ整理つかず、我未だ山麓にあり状態。冷凍庫も随分整理され、いつまでもなくならないのは冷凍しているの韓国のりぐらいと相成る。そんな訳で、ほぼ、冷蔵庫の中の一生物は一掃されつつあり、事態は収束に向かいつつあるのであった。しかし、同時にかつてあった部屋内の在庫一掃については、エアコンが一台なくなったぐらいなもので(部屋数とエアコン台数間違えてエアコン買ったため)まだまだ、(在庫に勤しむ気配も感じられないのであるが)下記在庫が認められたのであった。 本の向こう側に少しだけ見えているものが、再生専用ビデオである。私自身ももうビデオを見なくなってから5年はたつのではないか。たまには、DVDになっていない昔の映画を借りてきたものであったが、もうツタやもビデオなくなったんじゃない?折りたたみ椅子。一度も使ったことがないが、どうしようすればいいのか、予断を許さない状況である。ファックス。購入したものの、自宅で一度も使わないまま(仕事先で何故か2年ほど使用)終焉を迎えるのであった。というか、まだ使えるとは思うのだが。食器洗い乾燥機(新品、の、まま)次購入する家につけようと思いつつ、まだ家を手当てできない状態。そういううちに型がどんどん古くなっていくような気がするのであった。お金。余っている。というか、端数を使いきれぬままに持って帰ってきてしまったのだが、また行くかなあ、カンボジア、ビルマ、フィリピン、アルゼンチンマネーなど、多数(全て100円以下の価値)。会社などへのお土産。まだ行っていないのに、買うのが面倒なとき、帰ってきても、すでに用意されているという用意周到さ。脱帽である。
2010.11.26
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ハゲについて書いたのであるが白髪も思い違いがあるのである。白髪を抜くと白髪が増えるというのは全くの迷信であるということは、白髪もない子供時代から知ってました、ウッフン! 親には、本を読むのに暗いところで読むなとよく怒られた。目が悪くなるといわれていたし、実際、そうなるものだと思っていた。目は疲れるかもしれないが、目は光を調節するので、目を休めると、まあ、悪くなるということでもないようだ。まあ、近くでもみるのは疲れ目になる。それより、年取って垂れ目になる! 小学校の時、プール上がると、目を洗う天に向かって2本ちょちょいと小さなシャワーが上がる目を洗う水道があったけど、あれまだあるのかなあ。今は、ゴーグルつけて泳いでいるのかな。レンズを傷すけるからかウィルスが入るからか知らないけど、ダメらしいね。子供のころは、プール内でガッチリ目を開けて、水道でガンガン洗って、そんでもって平気だったけど。ミミクソ、である。あれは子供のころ、こまめにとらにゃああかん思っとった。というより、耳ってキムチいいんだよなあ。ほんま、恥ずかしい話やけど、高校なっても、耳掃除のときだけは、おかん、すまんけど、耳ほじくってかと、膝枕してもらっていたのが、そこだけ見られたらまるでマザコンである。でも、オカンは耳掃除がうまかったように思える。で、結論的には、、耳掃除してもしゃあないというか、せんでもええらしいな。棒でつついて、皮膚うわしてもたりするので危険らしいね。ちなみに、アジア人というか日本人は耳の中が湿っているのは10パーセントに満たないが白人は八割、黒人はほぼ99パーセントがジクジク系らしいね。だから、麺棒だね、基本、あ、綿棒ね。印度のデリーのコンノートプレースにいっぱいいた耳掃除屋を思い出す。「あなた見るね、にほんじん、みな、キモチイイ、これ日本人が感想かいたノートね、ミルダケフリーね」日本語で、「こいつにはごるぴーもはらうひゆようありません」と書いていた。
2010.11.25
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天道虫を潰して進むほど、私の心は荒れていない。ガキの頃に、セミやザリガニを鬼のように殺してしまった因果のせいか、今は命を大切にする蚊とゴキブリしか殺さぬ隠者である。日本中どこにでも散在するファストな郊外風景を見ながら八尾東大阪方面から北上を続ける。高槻行くか、寝屋川行くか、それとも大阪いくか、伊賀にする?とかいいながら枚方に入ってきたそれともフェイントかけて京都戻りますか?京都からきてないけど。枚方大橋を156キロで疾走中(メーターは100キロ未満は必要ないので改造済)高槻はいると、木枯らしピープー吹いてました。茨木インターから帰ります。時速250キロ程度です。仕事を終えたら、ちょっと、甘党です。もうろく青年の食べるものではありませんが・・・。注文間違えたふりしました。写真とりたかっただけです(オトナの言い訳)
2010.11.24
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がきのころ、いろいろ応急処置はしたものの昔、言われたことも大層変わってきたことであろう。少し調べてみたのである。 というのも、最近、相変わらず、休みで何もない休日は昼まで起きることができない会社日にどんなけガンバットンねん!を彷彿させる私ではあるが、目の前で知り合いが食後に薬飲む時に、ああ、水で飲まなきゃと、出されていたお茶を脇に置いて、持参のペットボトルで水を飲んでいたからであった。何となく、昔はそういわれていたが、今はそうでもないということを小耳に挟んだことがあったような気がしたからであった。どうやら、それは本当のようで、お茶のタンニンは薬の吸収を妨げるのであるが、影響がない程度であるということが分かってきたようである。勿論、飲み合わせの悪い特殊な薬と特定の飲み物はあるようだが、お茶や珈琲で飲んでもいいようである。私も昔から面倒なんでそのへんにあるもので飲んでいたのだが、私の実践も正しかったようである。但し、私の実践のひとつ、薬にビールは正しいかどうかは、まだ不明である。多分ダメそうな気配はする。 そういえば、小学校時代に急に意味がないと判明しなくなったのが座高測定だ。正に屈辱測定であった。私のように人より進化して歩く必要が減っている進化形の私に対して旧人類たちは、足が短いと馬鹿にするのではないかと思い、誰にも測定記録を見せず隠していた屈辱の小学生低学年の日々を思い出す。 最近は熱が出たら暖かくして汗をかくほうがいいのか、というとそういう訳でもないそうである。確かに熱くて夜中に何度も着替えたという経験はあるが、脇や首を冷たいタオルで体の温度を下げるほうが脱水予防の観点からもよいらしい。発汗療法がウソだったと大人になってから分かったときは、眩暈で熱がでそうになった。ついでに風邪のときは風呂に入るなといわれたが、昔は外が寒かったので、出て湯冷めして余計に寒くなるからだったのかもしれない。今は、普通に入ってよろしいとされている。 子供のころ、ネギを焼いて首に巻くといいと言われて巻いたことがあるが、これは多少効果はあるようである。多分ジンジャーやニンニクと同じであろう。ほんまかいなというのもまだまだ捨てがたいところもあるのであろう。(厚揚げを体に塗るのは明らかな迷信です)とにかく、ニンニク食え!そして人前に姿現すな!
2010.11.23
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チョット前に、何だか小さな子供がいる会社の人々と話していると習い事を結構掛け持ちさせていて、何だか知らないけど、我々ビジネスエリートパーソンより忙しいぐらいである。会社の男性諸君は、ま、周りがやっているからやらせてるんじゃないの?よく分からないけどという状態で、まあ、前面よめに任しておるような状態のようであった。 私も何だか、1年ぐらい英会話を習ったような記憶があるが、何だか、私の母が中心となって、先生を家に呼んで10人ぐらい子供を集めて週に1度やっていたという薄い記憶しかなく、テキストはなく、遊び形式で学びましょうといった感じで太った西洋人のおばちゃん、どこから来ていたのであろうか。ニックネームもつけられ、私自身は忘れたが、友達は、オーバーとかピッキーとか呼ばれていた気がする。しかし、歌を2つ覚えた以外はひとつの単語も覚えることなく、元々目的もなく、遊び盛りなんで、母にやめるといい、そのままやめた。 言い訳であるが、私はイマイチ耳がよく聞こえないようで、いわれたことをそのまま発音できないようである。 その他として、書道も習った。書道自体は、母も先生なのだが、近所の団地の集会所で友達と一緒に学ぶことになったのだが、その辺の経緯は忘れたが、3,4ヶ月して、6級のときに、先生がお亡くなりになって、私も辞めた。書道に関しては、母に散々厳しい指導を受けたので今でも象形文字のままで、字は人をあらわすなんか言われたら大変な問題である。しかし、今、10年以上一緒に仕事しているような人しかその人の字体を知らず、今は隣の人がどんな字を書くのか知らないぐらいだ。 一番役に立った習い事は、1年間の水泳であろう。公営がやっていた水泳教室で、私は小学校2年のときは12メートル息継ぎできずがやっとであったが、1年間教えてもらうと、バタフライ以外は簡単に出来るようになり、連続2キロ泳げるようにもなった。中学校に入ると、陸上部長距離に入ったので、肺活量も増えて、中学校の水泳大会も決勝にでるようにもなりつつ、高校ともなると、前にも2回ぐらい書いたが、潜水が50メートル(今なら5メートルもいければいいか)。タイムトライアルもしかりである。これもそれも、この教室がベースになっている珍しい習い事の例である。 あ、それから、小学校4年のとき、週に1回教育委員会か何かが開催する卓球も習いました。
2010.11.22
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正直、心なしか、5年程前から、20歳のころより、髪の毛力がなくなってきているなあと漠然と感じることがありつつ、散髪屋で髪の毛の密度濃いですねえといわれたことも何度かあったなあと思い出しつつあり、まあ、そりゃ体がぼろっちくなってくるから仕方ねえよなと思いつつ、実は、その他大勢と同じで自分ではなかなか認め固い事実でもあるのである。それに、気にする人は、毎日見ているので、徐々に髪の毛が薄くなっていくのに気がつかないようで(認めたくないようで)、最悪の場合、バーコード人間となり、寄せて寄せてうすーく状態になりつつも、本人はあまり気がついていないのである。 私も、まあまあゲイの知り合いはいるので、まあまあ「この人ゲイだろうなあ」というのは、分かるのだが、本人がカミングアウトして初めて本当にそうだったんだと分かるものであるが、ハゲの人が、勇気をもって実はハゲてるんですとカミングアウトしたところで、聞かされた者は、はあ、そうですか、そんなこと知っているよ、と知らぬは本人のみという悲しい状況に陥るのである。 まあゲイの人は、勇気を出してカミングアウトしても、まあ、だいたい、あっそう、とかそれがなにか、とかいわれそうなものだが、ハゲがカミングアウトしたら、無言になられそうだ。どう返事すればいいんですか、洒落になりません!って感じに思えるのですが。まああれか、後ろからはげたらホンマに本人気がつかないかもね。 まあ、私の場合は、どうやら親父やおじいちゃんを見ていたらわかるけど、ハゲ型ではなく白髪型のようですわ。苦悩が足りないんでしょうか。ははっはは。 もとより、日本は古来より、ハゲを象徴する江戸文化はあったんだよね、チョンマゲ!とはいいつつ、チョンマゲの原点は兜をかぶる時に髪の毛で滑るといけないから剃って台座みたいにしていたということだよね)
2010.11.21
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11221, 2のどちらかは、ポルトガルの免税店で購入し、どちらかはバンコクのチャイナタウンで購入。どちらかは多分本物で、どちらかは多分ニセモノです。真似をされることは、大変困った問題であるが、真似もされないようじゃあちっとも価値がないちゅうか有名でないということですな。ハロッズは1985年に(確かそうだったと思うけど)エジプトの富豪に買収されて、それが後のその息子がダイアナとつきってたんだよね。それで、最後、パリで殺されちゃって。1回行ったことあるけど。何か買ったかというと覚えておらん、多分、何も買っていないと思う。 そういえば、今日、帰りに創業際か何かでユニクロが安くなっていていっちょ回りしたのだが、特にほしい物ががいという事実。その帰りにクリーニング受け取ったら背広の上下が違いました。
2010.11.20
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昨年の好評に引き続き今年の総括問題である、てか、まだ2ヶ月あるぞー1ヒント かつて中東のパリです2ヒント 独特の鳥居です3ヒント 地名も出てますが、分かるかな4ヒント 靴下にも穴が開きました。5ヒント イスラエルじゃないよ6ヒント オッサン1人では行けない場所です7ヒント ブラジルじゃないよ8ヒント 湖がない国だよそんな感じでというか、ちょっと時間があり、去年の今頃何してたのかなあと開けてみたら、宗教考えてました。でも、儲からないので、尻切れトンボ状態になっています。もう1年もたつと考えると、早いねえ。てか、気がついたら、何の進化も後退もないままボケ老人のように1年が過ぎ去った。もう俺の1年は一生の4分の1、子供時代の10歳の1年一生の10分の1より、もう加速度的に人生やり過ごしをすかしている。嗚呼スカスカ。ビールでも今から買ってこよ。宗教のまとめ。
2010.11.19
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ちょいとばかり、たんまにアメリカ過ぎるぐらいなら、何も見えてこないのだが、アメリカ一番の産業は軍事なんだろうねえ。アメリカの破産って、アッケラカンのカーたちがカード使ってお買い物しすぎちゃったから、というのは、少数派で、医療費が払えなくなって破産する人が多いらしいね。国民医療保険制度ないからね。オバマがやろうとしたけど、猛反対にあったわけだが、いったいどういうことなんだろうねえ。4人に1人は医療保険に入ってないから、病気になっちゃったら終わりなんだね。学歴社会だね、身分社会じゃないから強烈な学歴社会で、そのくせ大学は年々ガンガン値上がりしてるだろ、年額200万とか300万円とか。でも、貧困から抜け出しために、何とかカードで若者は大学に行って平均200万円ぐらいの借金しとるわけなんだよね。食糧配給切符で1人1日2ドル以下で食べている人がたっくさんいるんだよね。安くて高カロリーなものしか食べられないから、太っちゃうんだな。 イラク侵攻する金があったら2000万人を大学にやれたのに・・・。大学にいけますよ、最前線に逝く可能性は3パーセント程度ですよ、と高校生をリクルートして、バンバン戦地に送り、心に傷を負って帰ってきて、3割ぐらいしかからくりがあって大学に行けない。PTSDなんかになっても、軍事費がかかって医療費減らされているからほったらかしなんだよな。そういえば、無事戦争から帰ってきて病気にならなくても、準要員で籍を残されて、いついかなければならないか分からないので就職できない、次回軍隊に戻ることを拒否すれば、問題人間として登録され就職できなくなる、といったどうしようもない状況に置かれるのが怖いね。 詐欺国家、おそろしいねえ。ニッポンも見習うのかねえ。はじまりのモウロク力 駅まで行って定期券を忘れて一旦家に帰りました。 クリーニングから帰ってきた背広を着ていると、上下が違うことを3人に指摘されました。 シャンプーしたまま洗い流すのを忘れて出かけたことが以前ありましたが、会社に行く途中に髭をするのを忘れた!と思いきや、昨晩風呂に入るのを忘れていました。 会社近くで飲んでいたので、友達の心斎橋君も近くで飲んでいないかメールしたところ、100メートルぐらい向こうの店で飲んでいるとのこと。じゃあ、行こうと思い、ビールを空けた後、まっすぐ家に帰ってしまいました。 パスタを茹でて、火を止めて、そのまま食べるのを忘れ、精一杯にふやけのびきりました。 そのわりには、自分でいうのも自慢だが、容姿は変わらず、見た目もどうやら実質年齢以下に見られるようである。そういえば10代の頃も20代の頃もオッサンに見られていたのに、今やベビーフェイスである。モーロクのベビーフェイスである。終わり。
2010.11.18
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昔、例えばイヌイットやエスキモーの地域では、雪は雪だけでなく、みぞれ雪、朝に降る雪、11月に降る雪等、生活に密着しているので何種類も一言の単語で表現する言葉があったり、ラクダの国では、妊娠中のラクダ、2歳までのオスラクダ、死んだばかりのラクダとかそれぞれ単語があるということを読んで、ああ、地域によって随分言語も違うもんだなあと思ったが、そのあと、アルグアイラウンドがあったり、今回FTAでまた日本も農業とそれ以外で賛否両論対立しているに関して、今までちゃんと対処してきてなかったツケがどんどん溜まっているなあという印象を誰もがもっているのではないだろうか。 英語では米はライスしかないが、先程の件でいうと、もみ、米、御飯、など段階において言い方が変わってくる。食糧問題、農協支配の弊害、為替とか、まあ、結局、協議している人たちはあと20年後30年後のことなんか知ったこっちゃないよ、ってな感じなんでしょうか。 そういえば、日本の家電技術者も、メーカーが韓国に負け、リストラされ中国企業に就職し、日本向けに日本人技術者による商品が入ってきだしている。日本メーカーは優秀な人を切って逆襲に会っている感じになってしまっているわけね。 みんな変化が怖い、何か奥に邪悪なことがあるんじゃないか、あれよあれよとやられてしまうのではないか、そう感じてしまうのではないか。これでダメージ受ける人、得する人、あくまで既得権益にしがみつく人、あーあ。ところで工業製品が10パーセントの関税がかかっていて、EUでは他の商品より元値が同じでも1割高くなるのだが、売れなかったら仕方ないし、売れたら10パーセントEUの懐に入るのだねえ。農業もどうしたらいいのか分からないが、韓国みたいに専業農家にのみ補填してあげることだろうか。終身年金というか所得保障である。もう高年齢の人ばかりだから、それもあと、2,30年でほぼ国の支出も終わりだ。死んだら、土地を国が買い上げていって、大規模農業するか?どうするんか知らんけど。ほかの農業は「あまおう」みたいに、海外輸出するか?まあ、評論家みたいなこといっても仕方ないわ。ごめん、ここ2年ぐらい米買ったことないわ・・・。
2010.11.17
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9月25日に出国して、バンコク、カルカッタ経由でネパールに入り今カグペニにいます。トレーニングのため1ヶ月かけてアンナプルナ山域を一周して内院も制覇して(*注意。アンアプルナ内院とは、聖域のことである)、これからはエベレスト6000メートル峰をめぐります。カトマンドゥではいいサーダー(*注意。シェルパ頭のこと。*注意。シェルパはシェルパ族のことであるが、山岳民族であり、山岳ガイドや荷物もちで生計を立てる人も多い。)年末年始には帰ります。 俺たちは、学生時代、こうやって、3ヶ月ぐらいブラブラしていたのだが、ジジイになる前に再び2000万円以上の収入を捨てて親友がこういうことをやるとは、驚きである。(*注意。私なんか年間全部合わせて2,3週間である。)やっぱ、おまえも20歳前後で人生が規定されたのか。どんなに金をもうけても、嫁子供がいても、キャンプ、旅行、カヌー、登山、ジャンキーは止められないか・・・。 しかし、今時、絵葉書、よろしいな。(メールもきたけど)彼女とはいろいろあったけどいやいや彼女とはいろいろあったけどここも押してねブチッ
2010.11.16
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最近、私は、ピンクフロイドの「ザ・ウォール」が急に懐かしくなって、オークションで落札しようとしたのですが、負けました。飲みにって、陽気になり、イキりました。昔、いきっている奴嫌われてたのに、いきっとうと気がつかれずに、もう長い間いきってます。何度も、自分の好みや趣味やスタイルや考え方は20歳前後で概ね規定されてしまうと、何度も主張してますが、昔の人みたい・・・20代半ばからは、余生となり、余りの人生ってことでしょうか。何の悲観もないけれど。何かを思い出そうかと思いつつ、思い出せない状態なんだよ。インテリとかエリートとかむかついていたけど、そんなことを言うやつがインテリとかエリートにならなければ誰にならなあかんねん、と言われそうだ。フランスの理系の最高峰ポリテクニークの学生をホームステイさせたことがるが、インド料理に連れて行ったたら、インド料理初めてだよ、と嬉しそうだった。これからも経験積めよ、20代のオレはちょっと大人的な立場になった。18歳、初めて印度に言った時の飛行機は夜中に到着し、空港で寝たメンバーが、東大、東北大、早稲田、私、大阪芸大であったが、タクシーの交渉からチャイの手配まで全て大阪芸大の人がリーダーシップを取ってやってくれた。1回生の私は金魚の糞であったが、その他の将来のエリートたちも金魚であった。扶養家族がなくて賃貸でであったら、所得税と住民税だけで、額面収入の3割近くも搾取されている。これに車や固定資産税(貸家の)やガソリン税、消費税とか考えたら、見返りないのに、ムカついてきた。散財しているからだけではなかったのだ。ストリートスマートでないといけないのに、年取ればブックスマートになりつつある、てか、ブックファットになりつつあることを危惧する。何かを今宵、思い出そうとしているのだが、出てこないのである。モウロク時代に突入か。だめだ。
2010.11.15
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先日音楽特集をしたのであるが、その他についても探ってみていたことはここだけの公然の秘密なのである。そういえば、こういう本も読んだなあ。とりあえず、ウキペディアから拾ってみるのである。1月-理系として受験勉強をしてきた私は、国公立志望であったが、滑り止めに近所の私立を受けることにし願書を取り寄せると、全ての学科の願書が入っており、それをしばし眺めながら私立も一つ受けてもいいいのではないかと邪推し、同級生に一番難しい学部を尋ねたのである。何せ文系で受ける数学はもう100点なのである。じゃあ残り半分ぐらい点数取ったら受かるんじゃないの?と邪推したのである。2月- 改正風俗営業法施行、正式名称変更。ノーパン喫茶が姿を消す 。2月-田中角栄元首相が脳梗塞で倒れ入院。以降、政治活動の一線から姿を消すことに。 3月 第2回名古屋国際女子マラソンで、佐々木七恵(エスビー食品)が大会初優勝(自身は前々年の東京国際以来2度目の優勝)。日本女子マラソン界の先駆者と称される佐々木は同レースを以て競技者から引退。 3月-ソ連のゴルバチョフ書記長就任。(前日チェルネンコ死去)3月-何故か、本命の受験に破れ、滑り止めの受験にも破れ、なんちゃってで受けた文系だけが合格。1浪して上の大学目指すか、面倒なのでそこで手を打つか迷うが、面倒さが勝ち、急遽経済を勉強するふりをすることに決定。(大学に入ってから、こんなことなら東京の大学も受けたら良かったと思った次第)3月-東北新幹線の大宮~上野間が開通。でも私が初めて乗ったのは 5,6年前。3月-日本初のエイズ患者を認定。 死亡第一号は神戸であった。よくその船員バーに行っていた。好きな音楽が流れており、マスターは大学のずっと上の先輩であった。大きな声では言えないが、もう今はなき「ローズ」という店である。4月 - 日本電信電話公社(電電公社)が日本電信電話株式会社(NTT)に、日本専売公社が日本たばこ産業株式会社(JT)に民営化。 4月-入学式、ジーンズで行ったら、みんな背広でびびった。(卒業式は欠席。まさか、みんな出ているとは知らなかった。謝恩会って女子大にしかないのかと思っていた。てかボルネオ島にいました)4月 - 桑田真澄・清原和博の「KKコンビ」を擁する大阪・PL学園高校は準決勝で敗退。 超大物はプロを意識していて、根性でやりすぎて肩や体を壊さない。適当に高校時代はやってましたと。いいねえ。適度に当てるという意味だねえ。4月-履修届けを出す際に、私は理系の矜持(別名、見栄、いきっとう)の残滓が生き残っており、数理経済学とか数学とかそういうのを選択し、1,2度授業に出席して辞めた。4月-家島諸島の無人島に行って、キャンプファイヤーで逆上して踊りまくる。踊っていたのは、当時新人類といわれた人たちばかりであった。5月-男女雇用機会均等法が成立。これが、結局難しいものでなかなかエライことになってしまったんだねえ。結果的に、今の現状を見る限り、女性が男性と同じように頑張ってしまうと、どうなっているか現実の通りであり、旧泰然としたセクハラ企業のほうが何故だが女性定着率が高いというか、おばさん比率が高いようにみえるのは何故か。5月-大学1年なのに、週休4日となる。(大半の授業を捨ててしまったため)6月- エホバの証人の信者が、自転車でダンプカーに巻き込まれる交通事故に遭った当時10歳の息子への輸血を拒否、息子が搬送先の聖マリアンナ医科大学病院で死亡する。 このことをキリスト教学の試験で自分の私見を書きまくったところ、見回りの先生がやってきて、宗教ですからみなさんいろんな考えがあるかもしれませんが、私の教えたことをちゃんと書いてくださいといわれ、ガビバーンとなり、結局単位落とす。(その後最終学年までキリスト教学1を落とし続け、キリスト教については詳しくなりました、が、実は授業には1回も出てません)6月- 豊田商事の永野一男会長が自室玄関前にマスコミ取材班が集まる中、マンション内で刺殺される(豊田商事会長刺殺事件)。 6月-大峰山に篭る。死んだ。6月-松田聖子と神田正輝が結婚。 6月-バイトもする。7月-古都税反対して京都の寺が拝観停止。坊主と役所の醜い争い勃発。翌月韓国の学生を招くことになっていて、これで京都の案内もなくなると喜ぶ。7月-安土町、琵琶湖キャンプに行く8月-初めての海外旅行にフィリピンに出かける。2週間。人生ヤバクなることが決定つけられる。 8月 - 日本航空123便が群馬県上野村の高天原山の御巣鷹の尾根に墜落、520名の死者(坂本九含む)を出すも乗客4人が奇跡的に生存。 朝までテレビ見ていた。8月 - グリコ・森永事件で犯行グループから「終結宣言」が送付され、以降動きが途絶える。 8月- ユニバーシアード神戸大会、108カ国3949人が参加し開催。 オカンが韓国のマラソン選手に電車で席を譲った。学生時代の優雅な遊び9月 -乗用車の前席シートベルトの着用が義務化。 でも最初は緩やかで学生時代はシ-トベルトしたことない。9月 - ロス疑惑の三浦和義が逮捕される。 私の解釈、無学な男が派手な活動をして金満になると世間のうらみをかう。9月 - 夏目雅子が急性骨髄性白血病により死去(享年27)。 9月- 「スーパーマリオブラザーズ」発売。 インベーダーゲームにはなんぼつっこんだか分からないけど、テレビゲームにはもうはまらなくなっていた。9月 - メキシコでマグニチュード8.1の大地震、メキシコシティ付近を中心に大被害、9千人以上死亡、3万人以上がけが、9万人以上が家屋を失う被害。 9月- アメリカのニューヨークでG5がプラザ合意。翌日ドルは暴落。この後日本は円高不況を経てバブル景気へ向かう。 これが、日本のすごい経済変化のきっかけになったものだったね。高度経済成長の完全な終わりだったのかも。そうはいっても、プラザホテル自体売られてしまったね。9月 -『8時だョ!全員集合』終了、16年間全803回の歴史に幕。 子供時代のひとつの終わり。というか最後の数年は見てない。9月 - つばくろから槍ヶ岳目指す。雪で停滞テントの中で2日間。 10月- テレビ朝日、『ニュースステーション』(キャスター:久米宏)放送開始。 10月-印度病に染まりつつある。来年2月の行き先はインドに決定。10月-10月16日 - テレビ朝日系ワイドショー番組『アフタヌーンショー』にて女子中学生のリンチ事件報道につき「やらせ」であることが発覚、同番組ディレクターが逮捕され、2日後の同月18日放送を以て番組は打切りとなる。 これで、やらせ、流行る。11月 - コロンビアのネバドデルルイス火山が噴火、2万人超の死者が出る大惨事。 コロンビアは泥棒とコケインの国という印象しかなかったのは事実。11月 - 過激派による国電同時多発ゲリラ事件。首都圏、大阪を初め各地で線路のケーブルが切断されダイヤが混乱。600万人に影響が出る。そのあと、大阪市立大学の友達が、授業中に中核派が入ってきて、教授を捕まえ、我々は成功した!と演説をぶっていたと言っていた。12月-NTTフリーダイヤル開始、だって、そうだったんだ。12月-事故ってパノラマ現象おこす
2010.11.14
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放浪さんのコメントで思い出したので、探し出してきたのであるが、舌が切れたのはもう10年ぐらい前の話である。 教訓を得たことを10年のときを経て列記しつつ、その後10年間忠実に注意して生きながらえているか検証したのであった。1. チェーンゲート等にやたら突っ込むな。→アレ以来、さすがに畏怖する心を持ち合わせ、後続車として突っ込むことはなくなった、というか無断でチェーンゲート内にも入らないように健康優良児となった。しかし、アレ以来のチェーンゲートというと、何か多分、チェーンに引っかかって大きな事件があっんだと思う。廃車になったとか死人がでたとかあったのか、強行突破すればチェーンゲートは切れるようになっている。(私のときは勿論、旧型で切れることはなく、横の機械をなぎ倒した)そんな訳で、今は、車を盗んだ泥棒も、チェーン目掛けて、走り、切って逃走できるように犯罪者に優しいチェーンゲート試用となっており、はっきりいって私としては許せない。2. 舌を切ったら、液体しか飲めなくなり、マックシェイクを頼み、朝昼夜3回ともマックシェイクで栄養を補給する。その際、沁みるので、吐きそうになるぐらいまでストローを口の奥に突っ込む必要があり、割とツライ。あとは、栄養を確保するため、何でもかんでも(おでんとか)ドロドロにして溶かして飲むのも有効ではあるが、あまり多くの種類を混ぜると、何が何だか分からないおぞましい味になることは請け合いである。3. 舌を縫うのは、口の中が塗れているので、縫うだけしか出来ず、そのあとはほったらかしという状況になり、2,3日すると、縫い目から膿のような白いものがでてくるので、ビビルと、それは腐ってきているのではなく、一生懸命治そうとする恐るべき自然治癒力であることが判明。安心されたし。4. 舌が自由でないと、話が出来にくい。できるだけ、他人と話をしたり、独り言を言わないことをおススメする。下手に話し出すと、相手も、こいつの篭ったような発音なんじゃと不信感を抱かせる原因となる。昔、舌に大きなピアスを入れた奴が何を言っているのか分かりにくかったことを思い出す。野生の獣のように、静かに鋭気を黙って隠れて癒し、復活するまで集中することが得策である。5. 車は危険である。安全性とスピードで車を買うことにしよう。(できれば高級車で、他人が注意してくれて舐められない他力本願的な車が望ましい)そして、舌を切っても死なないことが証明された(大量の血や舌で食道を詰まらせて窒息することはあるらしい)。
2010.11.13
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応急処置についてはかくかくしかじか書いてはみたものの、応急処置では済まない事態も子供時代にはあった、カモシレナイ。 何かと長らく生き耐えておる体がボロッチクなりつつある不肖40男の私目であるが、幸いにも入院はしたことがなく、病院で寂しい夜を過ごしました!という体験はなく、経験もないのである。何をもって手術というかと言うと、体をいじくるということを考えると、縫ったことが2回だけである。足と舌である。さすがに、傷口がぱっくり当たると、唾つけては治らない。小学校6年になる前の春休みのことであった。 中学校に網を越えて、野球をしていたときのことであった。ボールを追う、鉄板と鉄板の隙間があいており、ずぼりハマッタのであった。その瞬間って興奮しているから痛くなく、それに、友達も皆一緒だったので、大丈夫大丈夫とかいいながら野球をまだ続けていたのであった。しかし、徐々にすねが痛くなってくるのであった。仕方ないので、ジーンズをめくり上げると、わわっ、骨が見えとる!こりゃまずい、血がどぼどぼでとる!こりゃまずいと思った。一番近くに住んでいた友達(あだ名コマピー)がオカンを呼びにいってくれた。オカンはびびって、もう私と身長が変わらないというのに、私をおんぶしてくれた。オカンがつぶれそうで、申し訳なく思った。だから私は今でも自分のオカン以外に一番覚えている少年時代の親戚以外のオカンはコマピーのオカンなのである。何度も、歩きますよといったのであるが、果敢にもコマピーのオカンはオンブしてくれて家まで2,300メートルも私を背負ったまま歩いてくれ、そこからタクシーで緊急病院に行ったのである。何せ私は、タクシーもろくに乗ったことのない田舎者である。自宅には車があったので、タクシーといえばお葬式にしか乗らないものだったのである。なんだか、俺もリッチだなあ(あ、小学生だから贅沢だなあか)と思いながら、隣の駅の病院までなんてなんて長い間タクシー乗ってんだという感じになりつつ(3キロぐらいである)病院についた。コマピーのオカンは緊急なんですと、自分の保険証を出した。 お医者さんは派手にやったなあ、とニコヤカに笑い、順調に7針縫ってくれた。私はなされるがまま目を抑えていたのであった。帰りも自宅まで豪華絢爛タクシーである。自宅で出迎えてくれた私のリアルオカンはコマピーのオカンに礼を言った。(多分お金も払った)麻酔が切れて、その夜、痛くて眠れなかった。今も、勲章の傷跡は残っている。孤独自由孤独自由孤独自由孤独自由孤独自由孤独自由孤独自由孤独自由孤独自由孤独自由孤独自由孤独自由孤独自由孤独自由孤独自由孤独自由ちょっとイケメン
2010.11.12
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確かに盟友風任さんがいうようにガキのころは応急処置というのがあった。そいつを思い出してみた。擦り傷・・・勿論天下の赤チンであった。70年代に消えた赤チンだが、水銀が入っていて、いい感じなんだが、どうやら水銀は薄すぎて毒性は薄く、水銀がやたら規制物質になったのでコストの問題で廃止されたというか、体に悪いとされたか、赤い液体が気色悪いとされたのか?しかし、手軽なものであった。しゅっと1塗りイージウエイである。販売中止を聞きつけ我が家では赤チンの在庫を増やしたほどであった。全然減らないのも医療界にとっては由々しき事態だったのかもしれない。そういえば、味の素だったか唐辛子メーカーだったかの営業会議でどうやったら売り上げが伸びるのかガンガン会議していたときに、お茶を出した女性が、ああ、出口を大きくすればいいんじゃないですか、といい、一挙に売り上げが倍増したというエピソードもあったな。売ることだけを考えた涙ぐましい物語である。私も辛いものは好きだが、あれ、結構辛さに対して耐性ができてしまい、麻痺するんだよなあ。10代でインドにいったときは完全カレーにやられたのであるが、2年後いけば、すっかりカレーの辛さの虜になり、舌が大人になったと自画自賛していたものであるが、実は麻痺化現象をおこしていたのかもしれない。それとも、中国から陸路で抜けてきたため、中国の何を食べても同じ豚脂の味共産圏の味に辟易しすぎていたのであろうか。まあとにかく、乱暴に塗る野暮ったさが最高の赤チンであったが、効き目の方はそう感じることもなく、本当は効いていたのかもしれないが、子供のスーパー治癒力では、多分、唾でも同じだったような気がするのは、単なるノスタルジーか。はなぢ・・・中学校1年まで、少し疲れると、すぐ鼻血を出していた。男の子は結構血を見てビビルものである。上向きにはならず、下を向いて、鼻の上の方(どちらかというと両目の間のしたぐらい)をぐっと握れ、ということを学んだのであるが、実際、授業中なんかで鼻血が出ると、テッシュペーパーを突っ込んでしまうのである。鼻血が上がり、パリパリの血液が鼻の中を覆うのを掃除するのも、まあまあ、達成感の後の掃除というか、安堵の印というかスガスガシイものであった。10年程前、仕事中、いきなり、鼻血が出てきて、トイレに駆け込み、洗面台にダラダラ血を流しながら、なんだか懐かし感で満たされてしまったのであった。そげ・・・トゲと外国では言うのかもしれないが、私の地域では、トゲがなまったのか、ソゲであった。関西の人そういわないか?何かの鋭い破片が指の皮膚の奥に入り込んで、痛くなるやつだよね、毛抜きピンセットでギャンと取り除くのが子供の矜持。蜂さされ・・・これは、少年時代、迷信に惑わされた。だいたい、蜂のいる巣を子供なのでよく攻撃して、襲いかかられて、逃げ回ったものだが、何故だか、刺されたのは、スズメバチはないし、その他の蜂だって数回しか刺されたことがないのである。きっと、逃げ隠れするのがうまかったに違いない。おもろかったな~ははは、といいながら家路に向かう友達が急にイテとかいってうずくまった。帽子の裏に最後の一匹が隠れており、巣を攻撃してから10分程度の間、帽子にしがみついていたようである。静かにうずくまり、そいつは泣いた(そいつは大人になって893になった)。 たまたま家の近くで、妹と草むらを歩いていて蜂に刺されたのであるが、家に帰り、いてえいてえというと、オカンはプラスチックタライを持って来て、妹に「あんたここに早くオシッコしなさい!」といい、純朴で3歳ぐらいだった妹はそこにシャーっと小便をした。私は、ボーっと、刺された首を押さえながら、その姿を見ていたのであるが、オカンは溜まった小便を布ですくい、「アンモニアで中和せな!」と叫びながら、私の首に布を当てた。「わあ、やめてくれえ、きたねーよ」と6歳の私はジタバタしたが、オカンに押さえつけられ、「これで安心」と全くの迷信を信じて安心したのであった。そのかいあって(実は自然に治った)痛みは治まり、悪いことに20歳になっても、まだ蜂に刺されたら小便という悪魔的刷り込みされたままなのであった。漆負け・・・子供のころは、すぐ山に入っていったもんだ。そんでもって、ウルシの葉を千切ったりして、よくもあんな葉にぶつぶつがあるのに、気色悪いから退治するなんかいって千切って何度かウルシに負けた。ウルシにかぶれるという方ではなく、漆に負けるという言い方をするほどポピュラーな表現であった。私は、結構肌が弱く、銭湯に行くだけでかぶれていたのであった(今は20代前半に酔っ払って週に1,2日はカプセルホテルの大浴場で過ごしたので鍛えられたのかもねえ)。そんでもって、ある日、生のアゲを漆にかぶれたこところを拭き、それを食べるといいという大人の意見を聞き(誰に聞いたか覚えていない)、いい話を聞いたとかぶれた時、こっそりアゲを買い、部屋で裸になり、体をアゲで拭いた。う、こんな食べたら体内から漆が回るのでは、いやそれもあるけど垢もこのアゲに刷り込まれているはずで、汚いぞ!と小学生高学年の私は思ったのであるが、胃を決して、目をつむり、アゲを食べた。気分が悪かった。悪かったが、それから漆に負けていない。負けてはいないが、それは迷信だと後で知った。漆にまけていないのは、オトナになったからであり、漆がなっている中に入っていかないだけだったのだが。(追伸)私の母の妹の旦那は漆職人でした。やはり漆に負けるそうです。負けて負けて負けて耐性を得て漆に負けなくなるそうです。
2010.11.11
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まだ11月というのに、余り画像とはなんだ、ネタがねえのか、オメエといわれそうだが、正にその通りなのだが、このネタ画像探し、意味なく結構時間がかかるんだぜ。 その日、神戸市役所に行きました。ポルトガルまで3時間もドイツから南下すると、暖かくなり活発に歩きました。 地図も、雪に触れてしわくちゃになり、やがて道は凍結し、そして明日空港閉鎖になるキエフの夜。 今年は東北日帰り旅行1回だけでした。アーティチョークがメインの御飯を初めて食べました。でも、昔からアペタイザーでお腹がいっぱいになり、なかなかメインをたらい上げることは至難の業なんです。花見、行きました。ベイルートでは朝の6時から4時間ぐらい散歩しました。 アンマンでも朝の6時から3時間ぐらい散歩しました。奈良県にも行って見ました。 テルアビブではリゾートしました。アヤソフィア、イランやトルコはチューリップの産地。塩とタバコについて勉強してきました。何でだったんだろう。野球ファンなんで見に行きました。韓国は子供心に水族館に行きました。 韓国では、少女心に珈琲も飲みました。 国会議論にも参加しました。 アンジェリーナジョリーに会いにいったら旦那も出てきました。アル全チン大統領府ニイクト、エビータに会いました。そういえば、最近、カリスマ性のないアルゼンチン大統領が亡くなり、妻が困ってますね。2泊でアルゼンチンですか!といわれたが、いいえ違います、アルゼンチンとウルグアイです!バハレーンでは結構、空港滞在時間長かったんです。ロイヤル君もいってきたんです。今年は東京に6回ぐらいいったかなあ。 花もよく見に行ったものです。
2010.11.10
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1985年は時代的にも私事でも印象深いとしであった。そんでもって、どんな曲がはやっていたか、ちょいノスタルジック的に調べてみたのであった。てか調べたところでなんいになるんだ、オマエは暇か!ハイ、すみません!そう云えば、今日16時半ころ打ち合わせ先の企業に向かって歩いている途中で、別の取引先の人とすれちがい、「あれ、今日はもうお帰りですか?」と言われ、「もう疲れたから帰るよ」と面倒なので答えておいた。「なんたってったってアイドル」「スターダストメモリー」小泉今日子・・・あのころは、確かにカリスマ的可愛さだったと記憶する。でも分からないけど、多分、今は、整形手術のたるみみたいなのが出てきているような気がして、大型テレビと画像が良くなった事から、見るも半泣きになる私であるので、自宅テレビ半壊れでよかったなあと思う、我が家では、テレビは聞くものである。「フレンズ」レベッカ・・・徹夜バイトで工場で働いていたのだが(今年その工場が閉鎖、何を隠そう森永製菓塚口工場である)、暇なのを見越して、誰かがラジカセ(今は死語か?)を持ち込み、やたらレベッカとか、ほか軟弱で魂の入っていないような曲を持ち込んだ奴がいて、頭の中が機会の音と、チョコレートの臭いと眠気があの曲を聴くと今もきっと思い出すに違いない。(レベッカはまあまあ魂あるよ。ノッコも特徴的な顔だしね)「六本木心中」アンルイス・・・最近どうなったん?格好良かっただけに、怖い。何故か、内田裕也の映画のワンシーンに出てたこと思い出すなあ。それに、嗚呼無情と共に、微妙に若者とおっさんとおばちゃんと生娘がそれぞれに歌うカラオケ定番だったりなんかして。「セーラー服を脱がさないで」おにゃンこクラブ・・・私、見てませんでしたから。「天使がウインク」松田聖子・・・もう一切歌謡曲を聴くこともなかったのに、同級生に無理矢理カセットテープをもらい、松田聖子ベスト、みたいなものを貰い、郵便局のバイト帰りに聞いた。「ミアモーレ」中森明菜・・・この人、歌上手かったと思うんだけど。デビューはじめに、高校の近くのシヨッピングセンターにやってきて見た事がある。売り出し前の中森明菜と早見優と、落ちぶれた後のザボンチを見た。30人ぐらいだったよなあ、集まってたの。勿論、私も偶然通りがかって見たんだよね。他にも何人か見たけど、メジャーデビューしなかったんだろうねえ。世の中は厳しいなあ。 考えてみれば、どの世代も知ってるよって流行の曲があったのは80年代ぐらいが最後であろうか。今、はまさきあゆみとかAKB48とかメガヒット、史上最高の売り上げ?をセール更新したりしていくのに、一定の年齢を超えると誰も知らない・・・山口ももえやピンクレディーは子供からじいちゃんまで知っていたような気がする。ほかに余暇がなかたのか?それとも、今は、若者が極度に同じ曲を聴いて仲間はずれにされないようにしているのか? それから、聞いていた外国の曲であく流行った1985年の曲はというと・・・「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」 BRUCE SPRINGSTEEN・・・「ならず者」を聞いていた私は、何たる迎合とちょっと憤慨したが、おじさんなのに頑張っているなあと同情もした次第。「ケアレス・ウィスパー フリーダム」 WHAM!・・・こいつ、城持っているほど金持ちなんだろ。道楽で音楽成功したら、なーんちゃってあ~あだよね。もともとにやけてる感がいやーな感じだったな。「イージー・ラヴァー ススーディオ ワン・モア・ナイト」 H PHIL COLLINS・・・彼の属するバンド、ジェネシスはプログレバンドだったんだよなあ。それからするとなんだこりゃって曲群だったような気もするが、彼のデブ顔とそれとは比例しない声のギャップがおもろいか。「涙のフィーリング」 REO SPEEDWAGON・・・1981年ムチャンコ売れたレコードがあったよな。何だか聞くのが恥ずかしいロックだったのだが、「禁じられた夜」レコード持ってましたごめん。でも青春時代は早いものだ。4年の月日が流れ、ああ、懐かしいなと思ったものだ。「マテリアル・ガール クレイジー・フォー・ユー 」 MADONNA・・・すみません、なんだかんだいって、未だにクレイジーフォーユーがマドンナで一番好きなままなんです。ごめんよ~。「カリフォルニア・ガールズ」 DAVID LEE ROTH・・・このカルフォルニアガールは全部俺のおんな~というノー天気さ、デビリーロスの派手派手さ、そのアホさ、いいなあ。何だか知らないけど、バリ島のカセット屋でレゲエ一式と、デビッドリーロス買っちゃったりなんかして。あのころはアメリカに行ったことはなかったが、アメリカ人って馬鹿な人がいて楽しいねと思った次第であった。「オンリー・ザ・ヤング」 JOURNEY・・・ボーカルのスティーブペリー、ギターも弾けないのに、ギター弾くまねするのが、何とも悲しかった。挑発でロッカーなのに、への字眉毛が似合うんなんて恥ずかしかった。でも、音楽ビデオで美人ばっかり出演するのが、ちょっとだけ羨ましかった。ZZTOPもすぐ美人出演させるし、だいたい、神戸女学院の大学祭で高中正義が出演して、女の子を持ち帰ったのが許せなかったというか、ギター弾ければ無茶顔でももてるんだなあ、と危うく勘違いするところであった。「リラックス」 FRANKIE GOES TO HOLLYWOOD・・・考えれば、MTVが出てきて、ビデオバンドが出てきて、魂のないバンドが売れて(デュランデュランとかスパンアバレイとかとは言わないが・・・)、まあ、それでもおもろいビデオはあり、このビデオは面白く、いろんなバージョンがあり、レーガンとチェルネンコがリングで戦うのはおもろかった。ちなみに歴代書記長の頭はハゲ白髪の連続であったことは有名なことだね(ハゲシチョフ、フサレジノフ、ハゲンドロポフ、フサネンコ、ハゲバチョフ、フサツィン、ハゲーチン・・・「ウィ・アー・ザ・ワールド」 U.S.A. FOR AFRICA・・・「エヴリタイム・ユー・ゴー・アウェイ」 PAUL YOUNG・・・飛行機が飛んでいくのを新大阪駅のコンコースで見た。それで夜行バスでスキーに行ったんだよな。「シャウト」 TEARS FOR FEARS・・・シャラップ!「ザ・パワー・オブ・ラヴ」 HUEY LEWIS & THE NEWS・・・赤いパンツ。「マネー・フォー・ナッシング」 DIRE STRAITS・・・そこらのポップとはなんか一線をがしていて、アルバムものっていたのだが、MTVを馬鹿にしたこの曲が、MTVで一気に大ブレイクしてしまいましたとな。「孤独のヒーロー」 TINA TURNER・・・男を連れて来い、って本当かな「テイク・オン・ミー」 A-HA・・・A-HO「ダンシング・イン・ザ・ストリート」 MICK JAGGER & DAVID BOWIE・・・かっこいいね。「パートタイム・ラヴァー」 STEVIE WONDER・・・昔バンコクで、アーチスト呼び屋の人と知り合い、スティービーワンダーは凄くいい人だ、一緒に来ている取り巻きは最低だ、ただ着いてきているだけの素行の悪いチンピラだったといっていた。スティービーはさ、目が見えなくても、全身が音楽で、何故かフィーリングで女の子を軟派するんだといっていた。 呼び屋のおっちゃんと屋台で食ったアンミツみたいのうまかったなあ。何で甘いの欲しくなっちゃうんだろうねえ。 まあ、そんなわけで、(どんな訳で?)1985年は私にとってエポックメーキングでメルクマールになる年だったのであった。
2010.11.09
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いい加減にしろのパート7である。
2010.11.08
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ややもすると、昨晩も、勢いよく飲みに出かけたのであるが、そのうちのかつて一緒に仕事をしていた人が、人事に移り、4人応募のところに120人の応募がありてんてこ舞いであったとのこと。そして、採用した4人のうち一人がいきなり初日から失踪。そこまで勝ち抜いても、まだ仕事やめちゃうか。集まってくる人数には、不況を感じるが、コンプラとか何とかで年齢性別を限定してはいけないらしく、定年間近の人が来たり、オメエ大丈夫かというおかしな人が来たりなんかして、ああ、優秀な人は、企業側が募集かける前にひっぱるのかなあ、という感じもするのであった。 しかし、やっと採用した人がすぐ辞めるって、自分に合ってないと思うのだろうか。自分らしく、というのは、自分らしさを大切にすると公言するやつほど、自分らしさがなく、低所得者に陥りやすいのであろう。自分の好きなことが仕事にできるという人は、よっぽど幸せかラッキーな人であり、普通は、仕事に自分を慣れさせたり、自分からすすりよっていくものなんじゃねえか。個性を大切にしようといちいちいう人、個性を伸ばそうといちいち言う人、おかしいのである。まずは、教えるべきことは協調性なんである。規則であり、決まりであり、社会性その方法である。個性は、いわなくても、勝手に育つし形成されるんだ。 そうやって、白ワイン、赤ワインとじゃんじゃんボトルを開け、予定通り、醜くくだを巻き、家路に向かうが、普通電車の中で、立ったまま気を失い、自分の降りる駅で目が偶然覚めた。お、おれ、脚カックンならんかったんやと少し感心した次第であった。しかし、普通電車っていう普通という言い方、関東にはないんだよねえ。翌朝、年齢を重ねてよくあることなんだが、寒くてかぜをひいたのか、二日酔いか、そのミックスなのか分からない状態であった。なかなか体がボロっちいくなってきたという実感の瞬間でもあった。 それにしても、先日、高校の同級生と飲みに行ったとき、おまえアルマーニのシャツ着ているのかいな、といわれ、勿論バンコクで買ったパチモンである、と宣言したら、あれやなあ、年齢もそれ相当になっちまうと、パチモンでもホンマモンに見えるもんやなあ、と感心しているだけでなく、役職や立場がその人をつくるのと同じである、ん、何が同じだ。先日若手の注目劇作家の柴幸男の芝居を見てきた。劇作界の芥川賞を受けてからもう関東ではチケットも取れなくなってきているとのことである。まあ、そんな感じで、近くの家電ショップに出かけ、無料マッサージ機を受けてきました。
2010.11.07
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中学高校大学時代の1980年代、(あ、年齢ばれちゃった。)そもそも、ベストセラーというのは、普段本を読まない人が手にする事なので、基本的に分かりやすいか、簡単か、センセーショナルか、えろか、滑稽かそれらの複合体になるわけで、確かに、読んだという記憶がなく、先日1970年代のベストセラーを考えたふりをしたついでに、次の10年に駒を進めてみるって感じなのである。 その中でも、結構ちゃんとタイムリーに読んだベストセラーもあって、恥ずかしながら「ノルウエーの森」は1日でじっくり読んでしまい、思わず、このいんぽてつのぬれ場は何だ!何でブサイクで受身一心のこいつがもてまくるのだ(主人公だからだけど)、とちょっと面白くて、ちょっとケッ、そんな言葉思いつかねえよ、オメ小説だからだろってのはあったけど、あれから20年もたつと、現在の恋愛小説(読んでないけど、飛行機で映画でみたりする)の数々のほとんどの要素がここに入っているのではないかと思うぐらいである。 あとは筒井先生の文学部唯野教授、山田詠美のベッドタイムアイズ、島田雅彦優しいサヨクのための嬉遊曲ぐらいか。いや、これらは、ベストセラーではないのか・・・そうだそうだ、家にこれまたあった森村誠一の「悪魔の飽食」があったわ。写真が一部違ったからといってえらい叩かれていたが、題目がよかったのだろうか、さすがに731石井部隊とマルタ(実験体の中国人)という言葉が頭から離れることがなかった。(確か研究結果を亜米利加に渡す条件で石井はA級戦犯どころか犯罪そのものを逃れていたはず)おまけに、元々小説家なので、いやはや見てきたかのような表現が非常に紛らわしいものでしたわ。 反対に、読む気もしなかったのが、窓際のとっとちゃん、きくばりのすすめ、ビジネスマンの父より息子への30通の手紙、愛される理由、そしてナンクリのことなんとなくクリスタル・・・まあ政治家になってよかったよね、面白い批評はしてくれるけど、小説はからっきしだよね。ぺろぐりにっきも気色悪いしねえ。といっても尼崎を拠点にしてるから結構関西にきちゃったりなんかして、この前みちゃったし・・・村上龍と同じくらい顔がでかいから・・・ニューヨークで見たことがあるけど、第一印象、顔デカっ。あはは。
2010.11.06
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2010.11.05
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わーどひらいたわ
2010.11.05
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あれわーどがでない
2010.11.05
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今晩は、芝居を見てからの凱旋ご自宅ご帰還である。 今年は、ヨオロッパと中東が2回、南米あたりに行ったので、次の候補地を決めようと地球儀を回した、というのはウソではあるが、私もそんなに湯水のようにお金があるわけではなく、チョロチョロ水ぐらいしかないのである。考えれば、贅沢な家に住み、いい車に乗り、着飾り、いいものを食い、旅行をしまくるといったお金持ちの姿を想像して浪費を思い浮かべるものだが、人間の食欲や体力や時間には限界があり、お金持ちが基本的に家族全員でガンガン贅沢しても、それで財産を目減りさせるということは、実際は少ないものと考えられる。不動産は別にしても、どんなに贅沢したところで何十億円も使えないのである。 結局は、投資や投機の選択に失敗したり、景気に左右されて財産を大きく増やしたり、減らしたりしているのが、概ねお金持ちの世界である。お金持ちは、お金をいかに減らさないか常に気を使うことが原則としてある訳である。 ところで、随分前にも書いたが、お金持ちを相手に仕事をしている投資顧問会社の知り合いの話によると、基本的に財産が減ることがなくなるのは、5億円だそうである。かれなら流石に日本の定期預金だけでは利子だけでというのは厳しいが、元金を減らすことなく、そこそこに安泰な生活ができるというものなのである。資産運用2パーセント、生活費年間1000万円ででも、5億円の元手があれば計算上は財産は減らない計算になる。そうなると、多少積極的なリスクをとって投資することもできるようになる。十分な元手があり、情報を得やすい目に見えない財産があり、リスクに挑戦するということがあれば、財産を増やせるという訳である。しかし、幸せかどうかは、健康と人間関係も更に加わり、健康で家族や知人に恵まれているほうが、孤独で病気がちなお金持ちよりは幸せであるが、人間関係を壊すのもお金がないとかありすぎるとか絡んできたりもするところが悲しいところである。 む、今日の話題はそういうことではなかったが、ここにいけないかと、いまのところ、まずは空港のHPをみてどの飛行機が飛んでいるSXM空港を確認中である。おわり
2010.11.04
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迂闊にも昨晩は、会社員には厳しいノルマであるパーティに出席し、ちょっと嫌な自己顕示欲オオラをオラオラ系で出しながらも、いったい平日寝るまで何されているんですかという人間根本的単純な質問を受け付け、しばし、沈思彷徨してしまうのであった。 掃除しよう、洗濯しよう、瞑想しようなどと決意するまでの時間が長いのか、その他大勢の時間はネット映画DVDそして読書ぐらいしか思いつかないのが関の山であり、それにしても、学生時代から本を読み出したが、焼酎学生時代に間違った、小中学生時代に出版されたベストセラーの影響はどうなのか、今一度掘り返し、印象を考えてみたのであった。勿論、出版された時期が70年代というだけで、読んだのはもっと後だったかもしれない。小学生が、恍惚の人とか日本人とユダヤジンとか中上健次とか読むはずないのである。(だんだん訳の分からない感じになってきたので、本題に移ろう) やはり、皆さん同世代子供時代に最も悪影響を受けた本といえば、「ノストラダムスの大予言」であろう。いやはや、内容もよく知らないのに、1999年に、みーんな30何歳でしんじゃウンだね、それまでどうすっぺかあ、って感じで、小学生ながらに終末論を熱く語り合ったではないか。しかし、さすがに大きくなってから本をペラペラめくると、すぐにムチャクチャな解釈やなあアハハ、日本の研究者でもない人が、中世のラテン語を読みこなすこと事態大変だよなあ、てな感じなのだが、やはり五島勉先生のすごいところは、その後何弾も出し続け、これで飯食いました!ってところで、滑稽すぎて多分誰からもうそつきと訴えられたことがなさそうな点にあるかも知れないねえ。 そしてもうひとつ、小学生の我々を奈落の底に落としたのが、小松左京の「ニッポンチンポツ」であり、映画にもなり(近年もはリメイク版かと思うが)、ドラマもあったような気がして、土が崩れて海に土地が沈んでいるシーンを見て、火山の国だけにこれはほんまに起こるんではないかと不用意にデザスターで子供心に不安を煽りまくられたのであった。 高校ぐらいの時に読んだ遠藤周作「ぐうたら人間学」はへえーこりゃおもろいなあと思ったものであるが、今は何ひとつ内容は覚えておらん。覚えているのは、家にあった村上龍の「限りなく透明に近いブルー」で高校生にはその離人感と性とドラッグの世界が強烈で、3度も繰り返し読んでしまったのであった。ちなみに、出版前に却下された原題は「お○○こにバターを」。 学生となり、1970年代に出版されたベストセラーをいくつか読んでみたが、やはり、学生的気分と相成り、面白かったものといえば、高野悦子「二十歳の原点」、阿部公房シリーズ、山崎豊子シリーズ、壇一雄「火宅の人」、中上健次シリーズ、井上ひさし「きりきりじん」などかねえ。考えたら何事も若いときにやっちゃうというのはいいことかも知れないが、若いときに読んでもさっぱり分からない本もいっぱいあるのである。
2010.11.03
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不肖、恥ずかしながら、今回、(といっても、もう1ヶ月前だけど)の中東の旅行は、貧しい食事であったといえよう。大きな声では言えないのだが。エミレーツ航空の短時間フライトでは、パン2つとリンゴとジュースが出るという按配。ファラフェル食べるのはいいんだけど、さすが、オマーン、酒がなく、30円のペプシコーラを胃に流す。歯が溶ける気分がハイな感じ。ツライ(自業自得)日々というか、不眠に近い状態を越え、オマーンでついつい3時間夕刻に寝てしまい、夜は、ちょっと外に出て、ケバブをひとつ食べる。シャウルマといいます。インチキタクシーの中でハンバーガーを食べた。なんだか、フィリピンを思い出した。帰国して家の鍵を出したら車の鍵がチョコレートで固まってたのですが、灼熱の地獄を思い出しました。今も鍵は甘い。
2010.11.02
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月曜だけは、朝早くから出勤なんかするのが、私の週の始まりであり、何とか、サザエさんの亡霊を吹き飛ばす時間である。月曜のスケジュールは毎週、年中同じであり、週の中で一番休みにくい日である。休みにくいといっても、ずる休みはしたことないのである。自慢だが、強烈二日酔いでも、這ってでも会社にいき、休んだことはないのである。 月曜日は、会社員なので、9時から社内会議、10時から社内会議、11時からは半分ぐらいは他社の報告会、13時からは社内会議、14時半からは他社との会議であり、そのあと、夕方何かがあるという按配で、月曜はじっくり仕事をするふりして考えたり、作業するふりをする時間はあまりないといっても差し支えないのである。 火曜日からは、まあ、毎週違うので、そんなに何をするということはないのだが、月曜日の会議は、概ね報告会議で、どないすんねん、どうしてくれるねん、どないなっとんねん会議であり、他の曜日の建設的な会議会合とはまた一味違った過去を見つつ未来を考えるのかねえ、会議になるのであるので、結果の悪い翌週は、これでも憂鬱(なふり)なのである。火曜以降は、週の定期定例が3,4個はあるが、あとは、業者との打ち合わせ、クレーム処理、そして他社では全く役に立たない書類作りである。その間をぬぐって業者の売り込みがガンガンやってきて、といった按配で、ま、そりゃどこのサラリーマンも同じである。それと、今週は火曜日と金曜日に飲み会であり、火曜日にいたっては21時からである。金曜は重要な何億円という取引があり、そのまま、実は、高校時代のトモダチとアメリカに行く予定であったが、飛行機が混んでいるので、延期にし、木曜日の夜は芝居を見に行き、その他の夜は、じっくり冬の計画をそろそろ具体的に考えようかとしている模様である。終末の珍スポ日帰り旅行も概ね飽きちゃったので、寝たきり中年。でも、心は、結構、いつも暇・・・性格かねえ・・・。暇じゃないと死ぬから。
2010.11.01
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