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自宅から成田空港あたりまで まあ、大きな声では言えないのであるが、税金のかからないイミグレ後の本屋で、今週発売された本を数冊買うのである。何百円か得したかも知れないが、今後荷物を引きずりながら1週間程度お世話になるのである、勿論、読み終われば、宿にこっそり置いていき、次の日本人に見てもらうのである。一応、最後のページにメールアドレス書くのであるが、一度もメールが来たことがない。学生時代インドのアジャンタ遺跡の近くにあるアジャンタ村の安宿に泊まった時に、文庫本、ヘルマンヘッセのシャダルタだったと思うが、それを貰い、自分の持っていたアベコウボウの終わりし道の標にを置いて言ったような気がする行った。逆かも知れない。そこに住所が書かれていて、これは面白いと思い、読みましたよ、と葉書を帰国してから出してみたが返事はなかった。 そういえば、あったのは、ボルネオ島の奥地に行った時に、日本人にお世話になったのでこの写真集を日本から送ってくれと宿屋の人にいわれ、分厚い写真集を1ヶ月以上意味なく持ち歩きながら、日本に帰ってから送ったらお礼状が来たことぐらいだ。断ればよかったけど、当時も今も俺は生粋のお人よしなので、まあ、よっしゃよっしゃである。宿代負けてもらった程度では済まない苦労だったのにである、まあ、それは今は、オレの単価があがっているからに過ぎない。学生時代は500円だか1,000円だか負けてもらって、その後の1ヶ月を荷物1キロぐらい増やしたわけだ。まあ、あの時は、持っていたゴムボートが35キロだったから、屁のカッパと思ったのだろう。きっと。ちなみに今回の南米の旅行は、冬装備もしたので9キロである。帰りも9キロである。アビアンカ以外は全て機内客室持ち込みである。 いやはや、飛行機には今まで1、20回以上は乗っているの思うのだが(正確には何百回、千は越えてないし百回以下はない)、客室持込の動物(犬)に気がついたのは初めてであった。いや鳴いて煩かったのが初めてかもしれない。空港会社によってまちまちだが、絶対客室には入れない会社もあれば寛大な会社もあるが、まあ、追加料金で2万円とか4万円とか取られる。面白いのはアラブ系だ。カーゴ預けでなく、客室に持ち込める動物は盲導犬か鷹、これが多いのである。アラブの金持ちの要望だろう。 まあ、いい、とにかく14時間ぐらいのフライトである、正確には分からないが、昨日の睡眠3時間に加え、お尻が痛くならないようにもう3時間ぐらいは余裕の立ちっぱなしで、オオ、座りたいぜ状態である。マア、安全度はなんもいえないのだが、(どこから落ちるによる)1,2割の割合で後ろのほうが安全なんだろうかと想像される。しかし、機体の大きさとかパイロットの資質のほうがでかいだろうが。 まあ、何でもいいがエコノミークラスの最高の席は、好みに夜がバシネットの通路側である。いやはや今回はそうである。 ビジネスのシートナンバーの次の席でエコノミーの1番目で、前のパネルにベビーベッド?を釣れる仕様になっている席だ。まあ、足元に荷物を置けないだけで、足元は広く、トイレにもまあ行ける、ということだ。そんでもって、尻痛い、尻面ずらせてハシタナイケド、壁に足置きながら5本の映画を鑑賞したために、いやはや無眠に近い状態でアメリカに到着してしまった。寝ておかないと明日エライ目にあうという恐怖感がないだけに、夜更かし愉し。ここから乗り継ぎが90分であり、いやはやイミグレでロングキューどころか、税関でさえ並ばされるのであった。急げである。急いでいるのに回れである。一度アメリカに入国してすぐにトランスファーであるが、搭乗口に来ると誰もいない。もはや皆さん搭乗済みであり、いや、まだ出発まで言い訳すれば40分あったのに、夜便だからか既に乗り込み済みだったのである。暇そうな職員は、ああ、ハイハイ、日本からだっのね、まだ席ないね、今作るね、ということであり、また5,6時間もあるフライトタイムであるが、さすがに時差は無茶苦茶であるが、自宅で3時間とアメリカまでの機内で1時間程度の睡眠だったので、すぐ着いたということは、多分、かなりの長い間気を失っていたことなのだろうと想像されたのである。6,7時間もかかるよいえば、日本からではバンコクやシンガポール並みの遠さであるが、さすがに気がつかなかったなあ、多分寝てたんであろう。草々にペルーに到着した。1度だけ日本語のアナウンスが入ってびびった。ペルー→ボリビア走り出したら止まらないボリビア→コロンビア止まってしまえば死んじゃう、サメか。コロンビアから帰国まで 1995夏南米 出発(リンク) 南米gourmetの旅(リンク) ペルー リマの夜 ペルー リマ ラインキシオン宮殿(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内1(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内2(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内3(リンク) ペルー→ボリビア(リンク) ボリビア ラパス 干しミイラ(リンク) ボリビア女子プロ(リンク) ボリビア デスロード(リンク) ボリビア ウユニ塩湖(リンク) ボリビア ラパス世界一標高が高い首都(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ1(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ2(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ3(リンク) ボリビア ラパス正しい観光案内(リンク) ボリビア ラパス終了(リンク) ボリビア→コロンビア(リンク) コロンビア ボコタ到着(リンク) 親日コロンビア (リンク) コロンビア ボコタの印象(リンク) コロンビア人(リンク) コロンビア ボコタ フェルナンドボテロ1(リンク) コロンビア ボコタ フェルナンドボテロ2(リンク) コロンビア ボコタ シモンボリバル(リンク) コロンビア ボコタのなんだこりゃ(リンク) コロンビア ボコタ正しい観光案内(リンク) コロンビア ボコタ 黄金博物館1(リンク) コロンビア ボコタ 黄金博物館2(リンク) 南米gourmetの旅(リンク) 米国便(リンク) コロンビア→日本(リンク) インカへの道(リンク) 正しい帰国(リンク) 今回の移動一覧(リンク)
2015.09.30
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いやはや、航空業界において全世界の収益の半分以上を占める米国系航空会社の業績が好調らしいのだ。何セ国土が広いのでやたら移動は飛行機の国である。6時間乗ったら日本じゃバンコク行けるが、アメリカじゃ東海岸から西海岸に行ける程度の距離である。ニュースによると、収益上昇の理由は利用者の増加ではないらしい。 どうやら航空券に付随するサービスの売り上げが年々増えているらしく、もはや売り上げの約3分の1ほどになるという。 付帯サービスとは何か?それはかつてないぼッタクリサービスである。いや、それとも今までが無料だったのがおかしかったのか?荷物の有料化や、座席の有料アップグレード、機内食の販売、フリークエントフライヤー(俺みたいにバカ見たいにアソビでしょっちゅう乗る奴ではなく、仕事でしょっちゅう会社の金で乗られるビジネスパーソンね)へのマイル販売、レンタカーのコミッションなどだそうだ。 いま航空会社の世界的なビジネスモデルは、座席を埋めることよりも、付帯サービス重視に変化してきている。要は金を落としてくれればそれでいいじゃん、ってことだからね、何せ、LCCの搭乗で運賃自体がバスみたいになっちまったんでね。それでどこの航空会社も重視しているのが、ビジネス旅行客だ。だから、遊びにいくような観光地(ハワイとか)は、まあ、さっぱり儲からないんじゃないか?知らんけど。日本だったら、グアム、サイパン、儲からないだろうな、だれも仕事で行かない、ファミリーが初めてなけなしの金払ってエコノミーで、行くようなところだ。やはり、アメリカの仕事のある主要都市路線が大切だ、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ニューヨーク、ワシントンDC、シカゴとかね。 まず、大きく変わったのが、2015年からデルタ航空やユナイテッド航空が導入した新しいルールでは、今まで飛行距離で加算されていたマイルを、実際の利用金額に応じて加算する方式に変更した。急な出張などで会社の金で短距離を正規料金で乗るビジネスパーソンにとっては、ま、嬉しいんじゃねえか。価格至上主義で航空会社はどこでもいいよという観光快楽旅行客は、まあ、二の次である。それから最近、マジめにビジネスクラスが増設されている。フルフラットがビジネスで当たり前になってきて、希少価値のなくなってきたファーストクラスを減らして、ビジネスクラスを充実させているのだ。ユナイテッドも全便なくなるという噂を聞いた。アメニティや機内食の充実など、航空会社によって異なるサービスで競い合っている、とのことだが、フルフラットに勝るものはなく、あとのエンターテーメントはまあオマケだ。映画イッパイいろいろ選択できて見ることが出来て、アルコール飲み放題の3つが揃えば、まあ、おれは飯もサービスもいらんな。(実際ファーストは静かであり、クレームもほとんどない。必死のパッチでビジネス乗った人ほど要求が多く、まあうるさい、というのが、まあ、これ仕方ないよね。) ビジネスクラスを充実させている一方で、犠牲になっているのがエコノミークラスだ。米国系の航空会社では、通常のエコノミーよりスペースを若干気持ち広くした「エコノミープラス」のような座席も提供している。確か、1万円ぐらい払えばそれにしてくれる。しかし、世界的なトレンドは「プレミアムエコノミー」クラスだ。ビジネスクラスとエコノミークラスの中間となる新しいクラスで、エコノミー料金の約1.5倍ほどの金額で利用できるらしい、が、実は、これには、オレもよく分かっていない。限りなくビジネスクラスに近い快適な座席とアップグレードされた機内食やサービスとのことだが、それがどこまでなのか?よく覚えてないのだが、日本発で一番快適な欧州行ビジネスクラスはオーストリア航空だと思う。もしかしたらスイスエアもフルフラットだったかもしれない。SASもそうだったかな?もう随分前で忘れた。そっか、ルフトのエアバス380もフルフラットか。まあ、どちいらにせよ、米国路線では「プレミアムエコノミー」クラスはまだ導入されていないが、そのうちできてくるのかも知れないね。それから、航空会社のビジネスを大きく変えているのが、ビジネスパーソンからの需要が高い有料Wi-Fiサービスの導入らしい。 WIFIについては、以下の記述がある。・・・機内Wi-Fiの大手プロバイダーで、米国でトップシェアを誇る「Gogo」は、アメリカン航空、デルタ航空やヴァージン航空など、現在2000機以上に導入されている。Gogoは、ダイナミック・プライシングと言われる、フライトごとのWi-Fi利用状況によって利用料金を変えるユニークな手法を取っている。そのため、路線や曜日によって利用料金が変動してしまう。同社によると、利用者が多いのはビジネス旅行客が多い路線で、サンフランシスコ~ニューヨーク、ボストン~シアトル、ロサンゼルス~ニューヨーク間だという。これらの路線では、月曜日と木曜日の料金が最も高く、40ドルもする。火曜日、水曜日、金曜日、日曜日は、34ドル。利用料金が一番安いのは、土曜日で28ドルになる。その他の平均的な路線の利用料金が、およそ12ドルなのと比べると、かなり高額になっている。こうしたプライシングで、最大の利益を得る方法を採用している。ちなみに一部の路線で、Gogoの利用料が高額になってしまうのは、需要が増えすぎるとサービスのキャパシティを超えてしまうからだという。そこで、より安定したサービスと低価格を実現させるため、サテライト(衛星通信)を使った機内Wi-Fiの提供が注目されている。機内でいかに、ストレスフリーなネット環境を提供できるかは重要なポイントとなりそうだ。 たしかに、オレも着くまでにホテルの予約や観光地探すのに、10ドル20ドルぐらいなら8時間ぐらい飛行時間あるんだったら利用してしまうかな。空港の搭乗口の前で、ギリギリまでホテルの予約したり、空港からの行き方調べたり、面倒だものな。いやー、便利な時代になったねえ。 投資家の間では、米国系航空会社の供給過剰が収益性を圧迫するとの声が上がっているが、IATAによれば、北米の航空会社の利益は乗客1人当たり18.12ドルで世界最高となる見通し。2位が中東の9.61ドル、3位が欧州の6.30ドルだ。とのことである。いやはや、米系の航空会社は、需要があるからやってるけど、確かにサービス面からみてよくやってるなという感じはあったが、こうやって川っていくんだろうか。アメリカンとサウスウエストにはまだ乗ったことないんだよね・・・。1995夏南米 出発(リンク) 南米gourmetの旅(リンク) ペルー リマの夜 ペルー リマ ラインキシオン宮殿(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内1(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内2(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内3(リンク) ペルー→ボリビア(リンク) ボリビア ラパス 干しミイラ(リンク) ボリビア女子プロ(リンク) ボリビア デスロード(リンク) ボリビア ウユニ塩湖(リンク) ボリビア ラパス世界一標高が高い首都(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ1(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ2(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ3(リンク) ボリビア ラパス正しい観光案内(リンク) ボリビア ラパス終了(リンク) ボリビア→コロンビア(リンク) コロンビア ボコタ到着(リンク) 親日コロンビア (リンク) コロンビア ボコタの印象(リンク) コロンビア人(リンク) コロンビア ボコタ フェルナンドボテロ1(リンク) コロンビア ボコタ フェルナンドボテロ2(リンク) コロンビア ボコタ シモンボリバル(リンク) コロンビア ボコタのなんだこりゃ(リンク) コロンビア ボコタ正しい観光案内(リンク) コロンビア ボコタ 黄金博物館1(リンク) コロンビア ボコタ 黄金博物館2(リンク) 南米gourmetの旅(リンク) 米国便(リンク) コロンビア→日本(リンク) インカへの道(リンク) 正しい帰国(リンク) 今回の移動一覧(リンク)
2015.09.29
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ミュージアムと称する土産物屋エメラッルド博物館は、普通のビルの近く深くに潜っており、体験型アムーズメント。値段も高いのでやめておく。ヘルメット着用である。Iglesia de san Francisco サンタンデル公園で休憩中。カテドラル カッセーラ7を下って行く。ボゴタは南下するほど治安悪化するぞ。ボリバル広場 カテドラル市庁舎裁判所国会議事堂と、まあ4面に囲まれた広場である。Iglesia de la candelariaplazuela camilo torres 人の名前のようだが・・多分、勝手に想像するに、国会議事堂の横にある飯屋なので、ギイン御用達の飯屋かも知れない。隣は、Iglesia de San Ignacio de Loyola.あれ、イグナチウスロヨラ記憶しおていたような。あ、あってるじゃん。今、ストリートビュー見たら、写真は教会だね。コロン劇場。コロン劇場っていうと、ブエイノスアイレスを思い出すが、あれは巴里オペラ座、ミラノスカラ座とで3大劇場とされるが、ここにもあるんだね。ここの向かいが政府の迎賓館ね。まあ、そんな感じで、さくっと終わり。何のか分からんけど、ナンカのパフォーマンス上がらないね。芸術や何だか派手な行動、みたいなのがパフォーマンスの意味だったと思うけど、IT用語が一般用語になりつつあるね、性能とか能力、実績、効率みたいな。高校のときは遂行って覚えたけどね。Iglesia del Carmen1995夏南米 出発(リンク) 南米gourmetの旅(リンク) ペルー リマの夜 ペルー リマ ラインキシオン宮殿(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内1(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内2(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内3(リンク) ペルー→ボリビア(リンク) ボリビア ラパス 干しミイラ(リンク) ボリビア女子プロ(リンク) ボリビア デスロード(リンク) ボリビア ウユニ塩湖(リンク) ボリビア ラパス世界一標高が高い首都(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ1(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ2(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ3(リンク) ボリビア ラパス正しい観光案内(リンク) ボリビア ラパス終了(リンク) ボリビア→コロンビア(リンク) コロンビア ボコタ到着(リンク) 親日コロンビア (リンク) コロンビア ボコタの印象(リンク) コロンビア人(リンク) コロンビア ボコタ フェルナンドボテロ1(リンク) コロンビア ボコタ フェルナンドボテロ2(リンク) コロンビア ボコタ シモンボリバル(リンク) コロンビア ボコタのなんだこりゃ(リンク) コロンビア ボコタ正しい観光案内(リンク) コロンビア ボコタ 黄金博物館1(リンク) コロンビア ボコタ 黄金博物館2(リンク) 南米gourmetの旅(リンク) 米国便(リンク) コロンビア→日本(リンク) インカへの道(リンク) 正しい帰国(リンク) 今回の移動一覧(リンク)
2015.09.28
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コロンビアだけではないのだが、特に南米はお尻である。ヨーロッパもそうだが皆さん男性もそうだが尻がでかい。特に女性は尻がでかく、男性は尻が好きなゆである(私のセイグセを日記に暴露するわけにはいかないが、シリにはあまり興味がなく、大きくても小さくてもストーンとなっててもボボーンと出ていても関係ない。しり、んー、そっちは興味ないなーって感じ)。 よく言われるのは尻がでかい=骨盤でカイ=安産=子孫繁栄=DNAにインプット=男性はシリ好き、自分の子孫イッパイ残したいDNA=そそられる、の構造なんだろうか。日本人ってあまりそういうのないね。商売マクド?公衆トイレメンテナンスいまいち、アメリカ人のほうが劣化早いね。ごめん、中学校の時、ラブ、ナースターシャキンスキーでした。ボゴダのフリーメーソン1995夏南米 出発(リンク) 南米gourmetの旅(リンク) ペルー リマの夜 ペルー リマ ラインキシオン宮殿(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内1(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内2(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内3(リンク) ペルー→ボリビア(リンク) ボリビア ラパス 干しミイラ(リンク) ボリビア女子プロ(リンク) ボリビア デスロード(リンク) ボリビア ウユニ塩湖(リンク) ボリビア ラパス世界一標高が高い首都(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ1(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ2(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ3(リンク) ボリビア ラパス正しい観光案内(リンク) ボリビア ラパス終了(リンク) ボリビア→コロンビア(リンク) コロンビア ボコタ到着(リンク) 親日コロンビア (リンク) コロンビア ボコタの印象(リンク) コロンビア人(リンク) コロンビア ボコタ フェルナンドボテロ1(リンク) コロンビア ボコタ フェルナンドボテロ2(リンク) コロンビア ボコタ シモンボリバル(リンク) コロンビア ボコタのなんだこりゃ(リンク) コロンビア ボコタ正しい観光案内(リンク) コロンビア ボコタ 黄金博物館1(リンク) コロンビア ボコタ 黄金博物館2(リンク) 南米gourmetの旅(リンク) 米国便(リンク) コロンビア→日本(リンク) インカへの道(リンク) 正しい帰国(リンク) 今回の移動一覧(リンク)
2015.09.27
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陸が見えてから30分以上飛んでいる。眼下に町の光が輝き、やがて、また山間に入っていく、それを3度も4度も繰り返す。 山の上を飛んでいるときは、闇の中を飛んでいるのに、何秒か毎に稲妻が走り、全体を垂らす。入道雲が目の前にあり、遠くの山の端をくっきり照らす。恐怖映画か張りポッター系のファンタジー映画の冒頭のワンシーンのようだ。いや、映画でしかみたことのないウソっぽい光景が展開される。本当に、光った時は先まで見えるんだ、違うのは、それが恐怖の序章とか怖い顔がいきなり映る、ということだ。強いていえばカメラのフラッシュの残光の時間が微妙に長く、そして、何十キロ先を照らす強力な雲の衝突。デジカメで動画とってみたものの、まったく駄目だ。マニラ6とかマニラ2とか、マニラ3とかアップしてみたが、全く駄目だ、目とカメラは違う。光が少し閃光するが、実は、これが全世界を照らしている。 そして、やがて、あっけなくマニラに到着した。 学生時代は、飛行機に乗ると、早く降ろしてくれと思って、いざつくと、これから大変だ面倒との戦いだ、とワクワク感8割、面倒感と不安感があったが、それは今も同じだが、学生時代は、早く着けといいながらいざつくと、あと1時間ぐらい飛行時間長くても良かったよ、と面倒さの先延ばし希望をしたいぐらいであったが、今は、イミグレを先頭集団で辿りつく確率がまあ、6割から7割だ。後ろの席でも早足忍び足で抜かしていく。途中のゲートから出てくる人をみては、「チッ」と悪態をつきながらも、その方々も順調に抜かしていく。何故だ。分からないが、何年も同じく国で3泊以上したことがない性がそうさせるんでえあろう。常にオレには時間がない。無駄にダラダラ過ごしたい時間が少ないのである。1分でも早く着いて、無駄にダラダラしたいのである。だからイミグレも税関も抜けて、速攻で両替なんかして、物価が安い国だったらさっさとタクシーに乗るのである。そして、ほぼ100パーセントの確率でチェックインしたら15分以内には出て行くのである。ダラダラぶらぶらしにである。ホテル出た瞬間に路上に立ち止まって、地図広げてたりするのである。地図広げて旅行者丸出し街の無防備君を演出し、イナカッペを演出するのも、別にいいのである。 本題である、タラップなり、ボーディングブリッジだの、要は、飛行機を降りた瞬間にその国の空気を吸い込む。吸い込んで異国情緒を感じるというか、違う国に来たぞと感じるか、なのである。しかし、それは、到着数秒に感じることであり、鼻は馬鹿なんで速攻で慣れてしまう。慣れてしまうが、その数秒で、思いだす。匂いは脳に直結しているから。それも、久しぶりであるほどよく、文化圏が違うほどよい、と言うか、文化圏ではなく、多分、食い物とか煙草酒みたいな口に入れるものが匂いに反映しているのかも知れない、というのは、ヨーロッパやアメリカに行っても、何も感じないのである。特に感じるのは、韓国、タイ、フィリピン、インド、インドネシアである。キムチと言うかニンニク、ナンプラーというか魚の醤油、モツというか甘酢パイ、香辛料、ガラム(丁子)である。そういえば、何人かの西洋人が、日本に来たら醤油臭いと言ってたけど、この一瞬の話なのだろう。 それは、別に日本からでなくても、タイからフィリピンに行った時も、キタキタと思ったし、タイから韓国に行った時も、歯磨き忘れたと思ったし、飛行機どころかシンガポールからインドネシアまで船で行ったときも、埠頭を降りた瞬間に、甘い匂いが漂ってきた。国中を覆っているのだろう。薄い膜が。感じるのは入国5秒までだ。で、それは、脳に直結しているので、飛行機を降りた瞬間に感じるのだ、帰ってきたと。ヨーロッパやアメリカは帰ってきた感ないが、アジアの国々は、匂いがあって帰ってきた感を一瞬にして感じ、帰ってきたと確認する5秒の間に、溶け込んでいく。 今回もフィリピンに到着した瞬間、機内から1歩でてボーディングブリッジに足を踏み入れた瞬間に、ここはフィリピンと分かった。おー、懐かしい、と嬉しがった瞬間は5秒以内に終わった。あ、分からなくなった。ボーディングブリッジをわたり終えたころには、もう匂いは終わった。 こういう感覚的なことは覚えていても、イミグレまでどういって、税関どう抜けたか、ということは、1日もしないうちに忘れるぐらいだ。いつの間にか、入国し、両替し、不思議である、8年前も25年前もわけの分からん奴が寄ってたかって、タクシーじゃ闇両替じゃやてきたのに、誰も来ない。やけに空港も明るく、どんより感が消えていた。あやしさ感とヤバイ感はどこにいったのであろうか、まあ、いいよ。まあいいよ、の22時前であった。 外に出ると、割と、ホテルのプラカード上げている男がいっぱいいて、なんだ、オレの泊まる高級ホテルの男もいるじゃないか、と思って、送迎無料バスだと思って着いていくと、ニコヤカにアメリカナイズされているのか、オレのファーストネームを呼んで、それも、日本人だからサンづけで、ちょとまてとうことである、が、800ペソね領収書でるから大丈夫、って大丈夫じゃない、それは単純に2,000円だ、オレの計算によると数百円でいけるはずだ、だから黙って戦線離脱である。(帰りは先述の通り日記で書いたが、150ペソ400円、彼の子供の為に100ペソのチップでまあ、6,700円であった。オレはチップするのが好きなのである。ムカつくときはチップの国でも最小端数で、楽しく快適だったらおつりは全部チップだ。) そうやってホテルに着くのである。フィリピンは前もそうだったが、フロントでもおれのことをファーストネム+さんで呼ぶのである。割とクスッとするのである。トイモイさん、ではないのである、イチローサン、である。「イチローサン、(あとは英語)ホテルの予約が取れてませんね、どうしますか。」みたいな感じである。部屋に着くと、まあ、飲みに行くのである、部屋の滞在時間は5分程度である、外に出るのは飲むだけなので、1万円ぐらい緊急用に隠し持ち、ポケットには、ペソを突っ込み、カメラビデオ、パスポルテ、財布、要は全ておいて、すぐそこにある危機的に手ぶらででかけ、出てすぐ一番近い店に入りビイルを飲むのである。マニラ グアム 出発1(リンク) 出発1(リンク) 出発2(リンク) マニラ到着(リンク) マニラアキノ空港1(リンク) マニラアキノ空港2(リンク) バロット(リンク) チェックアウト10時、フライト22時1(リンク) チェックアウト10時、フライト22時2(リンク) リサール公園(リンク) マニラgourmetの旅(リンク) マニラまとめ(リンク) グアムニュース(リンク) グアム何しに1(リンク) グアム何しに2(リンク) グアムgourmetの旅(リンク) グアムgourmetの旅(リンク) 帰国へ(リンク) 1(リンク) 2(リンク)
2015.09.26
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いやはや、マニラの空港は明るくキレイになっていた。 この日記の中で書いていたように、マニラは2011年以降、ちゃんと「良くない空港」のベスト10入りを果たしていた。確かに8年前はこんな写真の感じであった。ごった返していて、もうチェックインに1時間、イミグレ通過に1時間である。 コレによると、2014年、ワースト1位はイスラマバード空港(パキスタンの首都)、2位ジッダ空港(サウジ)、3位カトマンドゥ空港、そして堂々の4位である。ちなみにベストは、シンガポ、インチョン韓国、3位がヘルシンキ、アア確かにベッドあったわ。以下、ミュンヘン、バンクーバー、クアラルンプル、香港、羽田、アムス、ズーリックであった。偶然にも全部利用しているが、まあ、チェックインやセキュリティすぐに通れて、フリーワイファイあったら、もうそれで別にいいやって感じ。ちなみに、2013年は、1. Manila NAIA (Terminal 1) 2. Bergamo(イタリア) 3. Calcutta 4. Islamabad 5. Paris Beauvais 6. Chennai 7. Frankfurt Hahn(フランクフルトマインじゃないよ) 8. Mumbai 9. Rome Fiumicino 10. Los Angeles2012年も2011年もマニラが1位だね。多分、来年度は、ランクもっとあげていくだろうな。それにしても1981年にマルコスが作ったって、1985年に初海外行ったときには既にぼろかったような印象があるのだが、色のせいか?暑い国はすぐに施設、建物がボロッちくなるけど、初めての海外で、税関終わると、外に出るのだが、外に出ると、両脇に柵があって、その柵がだんだん狭くなっていって、最後に2人ぐらいがやっと通れるぐらいで外にでるのだが、その柵の両脇に人が溢れ、全員が泥棒に見え、何で道が細くなってるんだよ、三角形の底辺から頂上の点に行かないと外に出られないんだよ、と思った、思ったどころか、出た瞬間に、争奪戦、タクシーなのか、乗り合いなのか、両替なのか、ただ声を掛けているのか、いくなり意味なくチップくれとか、何が何だか分からない。 どういうわけか、分からないけど、とにかく、どこかのホテルの専用バスに乗った。(泊まろうとしているホテルとは確実に違うが)その時のバス代が36ペソだと覚えている。そしてあのとき1ペソ14円だったので、500円ぐらいである。あれから毎年フィリピンに行ったのだが、プラザ合意以降の円高と(1985年はまだ1ドル250円ぐらいだった)、ペソがガタガタになって、物価は上がっているのに、旅行代は安くなるというシステムだった。今、フィリピン経済は、割と順調みたいだが、1ペソ2.5円である。ドル連動しているので、多分もう少し前は2円ぐらいだったのかも知れない。確か、ビールが3.5ペソの時があって、そのとき、30~35円ぐらいだな、と思っていたが、今回コンビニで買ったら40~45ペソだったので、100~120円ぐらいになっている。学生時代にでさえ、ビールが安く感じ(というか、ソフトドリンクが5円ぐらい安いだけで、ミネラルウォーターがなかったので)、歯磨きもビールするよ、の幸福な時代であった。 今のマニラ空港 そういえば、8年前も、空港タクシーはブタっクリやばいので、空港の前の道まで5分程歩いてからタクシーを拾ったな。マニラ グアム 出発1(リンク) 出発1(リンク) 出発2(リンク) マニラ到着(リンク) マニラアキノ空港1(リンク) マニラアキノ空港2(リンク) バロット(リンク) チェックアウト10時、フライト22時1(リンク) チェックアウト10時、フライト22時2(リンク) リサール公園(リンク) マニラgourmetの旅(リンク) マニラまとめ(リンク) グアムニュース(リンク) グアム何しに1(リンク) グアム何しに2(リンク) グアムgourmetの旅(リンク) グアムgourmetの旅(リンク) 帰国へ(リンク) 1(リンク) 2(リンク)
2015.09.25
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恥ずかしいことに、8月14日に南米から帰国して、今回の出国の9月20日までの間、1日しか休んでいなかったので、力を盛り返さないといけないと痛切に感じる、はず・・・・・なんかないじゃないか。マニラから帰国して、家に帰って冷蔵庫開けたら、生卵が落ちてきて全部割れた。祟りかなどと、冗談で書いたのだが、15ペソ(40円弱)で買ってきたバロットを解体するのである。昔もっと高くて、普通のゆで卵の倍してたと思うんだけど、コンビニではゆで卵13ペソ、ゆで卵大14ペソ、バロット15ペソ、て、そりゃ、そこまで栄養価高くて値段差なかったら、ゆで卵大買うだろ。・・・あれ?バロットは?そっか安くなりすぎて、バロット専門売りいなくなったのだろうか・・・見ないな。学生時代アレだけいたのに。アヒル有精卵オエッ(ブッシュジュニアが寿司見て叫んだのと同じ状態でどうぞ。勿論ブロッコリーは嫌いです。)いや、解体ではない、ご開帳である。神聖である。本当は、ちょとだけ、殻を開けると、ストローで体液を吸わないといけないんだけど、羽が見えた。羽が濡れている~。私はひなのや雛子という名の女性と友達になれるかな。体液じゃなかった、スープだった、ごめん。スープも、実はストローなんかいらず、オレは、ワイルドサイドを歩いているので、顔を上に上げて、重力にしたがって落ちてくるスープ飲めばよかったんだ。日本語でいてば、クイッとね。言われてみれば、カニ味噌よ。言っておくが、卵の角度の低いほうを注意深く殻を開けろよ、鋭角側を開けると、スープを下手したら漏らしてしまうぞ。あ、逆だわ。おれ、逆に開けてもたやないか。スープこぼれたやないか。おー、モッタイナイー。モッタイナイーって言葉を世界遺産に~。無形文化財に~。 何だか、血管とか、内臓も見えてきたよ。嘔吐は駄目よ、それはサルトルに任せて。(でもサルトルは、エッチでずるい奴ってのが私の印象なんだなあ。事実婚のヴォーヴオワールもよく許したね。まあ、本心知らんけど。)バロットは、衛生的である、グロクテモ、不衛生ではないのである。ちゃんと、生まれかけの成長過程で、熱湯に放り込むのであるから。何セ、もう生を授けてから16日から18日が経過しているんである。スクスク育ちの熱湯ホカホカである。20日目は、ま、ほぼ完成形である。何だか、体液も漏れて来て、どうしよっかなーって感じだけど、フィリピン人は、すぐ、力がつくとかいって、腕の筋肉を出して力こぶを見せる仕草をする。カワイイ女の子も嬉しそうに力こぶを見せるのである、まあそんなことで100年の恋は冷めない頑丈なオレである。頑強な男はあまりフィリピン人にはいないのであるが、そいつが力こぶみせても、あ、そ、とあまり説得力ないのである。1ミリも恋してないので冷めようがないのである。ひょろひょろのフィリピン人(割と多い、でも栄養悪いので腹でてる)が力こぶみせたら、まあ、オレは割と同情する。せいぜいガンバレと。滋養強壮、これで、連続勤務もぶっ放すのである、筈がない。それは願いである。プレイヤーである、遊ぶ人playerではなく祈る人prayerの方である。勿論自力更生ではなく他力本願方面である。おれ、マオイストじゃないから。上座部仏教でなく大乗仏教だから。そうやってフィリピン人の名誉を守るために、何度もバロット食べたよ、泣いたよ。泣いても、ワラっても、ばろっと(尾崎ホーサイ改作)フィリピンで有名だけど、ちゃんと上海でもカンプチアでもベトナムでもあるからね。見たよ、見ない振りしてみたよ。もっかい初めて自らの意思で食べてみたら、少し硬くなった卵の黄身だった。プディングだよ。あと、1、2日たったら(20日目ね)鶏肉に近い味になるだろう。そういうクリーミーじゃないのもある。嘴や骨は、まあ、そうだね、エビせんだ。パリッと感満載の。えびせん95パーセント愛知県産だが、ここはピリピン、立場は、卵。え、全部食べたのか?ゴメン。ボクには勇気と根性と向上心と道徳心と倹約の心と清貧の思想とドグマとやる気とお金と勇気と宗教心と持ち家と克己とチャレンジ精神とフロンティア精神と執着心と安寧と強めの意思と夢がない。コンサバでごめん。ネオコンでごめん。冷たくてごめん。生まれてごめん。終わり。 GOSH 。豆腐食べながら日記書いてたら、豆腐がバラバラになって、バロットに見えてきて気分悪くなってきた。気が弱いな、オレ。寂しい中年(と書いたものの、寂しくない中年だけに困った事態である、問題だ。) マニラ グアム 出発1(リンク) 出発1(リンク) 出発2(リンク) マニラ到着(リンク) マニラアキノ空港1(リンク) マニラアキノ空港2(リンク) バロット(リンク) チェックアウト10時、フライト22時1(リンク) チェックアウト10時、フライト22時2(リンク) リサール公園(リンク) マニラgourmetの旅(リンク) マニラまとめ(リンク) グアムニュース(リンク) グアム何しに1(リンク) グアム何しに2(リンク) グアムgourmetの旅(リンク) グアムgourmetの旅(リンク) 帰国へ(リンク) 1(リンク) 2(リンク)
2015.09.24
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全荷物は手提げ鞄一つである。ソウルの地下鉄の路上で買ったエスポである。ぎりぎりまで、飲んでいる。飲んでいるが、あとは、タクシーに乗るだけだ。22時20分発であるが、8年前は、やたらカウンターがとろく、1時間かかってやっとチェックインしたと思ったら、イミグレも長蛇の列となっており、1時間もかかり、セキュリティを越えた頃には出発5分前であった。まだ後ろにいっぱいチェックインで並んでいたから、30分は遅れるだろうとの見立てをするものの、ゲートまでダッシュでの日々であった。 そういう記憶が甦り、3時間前にはタクシーに乗るかと思っていたのだが、ついつい飲み食いしている間に20時を超えてしまったので、道端に出て、5秒でタクシーを捕まえ、たニノイアキノ空港(ベニグノアキノ父ちゃん空港)ターミナル1をオーダーした。運転手は、1日子供の教育費に300ペソ、食費に200ペソ、税金などのセーブに200ペソ、奥さんに100ペソ、自分に0ペソ、合計必ず800ペソ(約2000円)は稼がないと駄目なんだ、だからタクシーも朝の6時からだいたい21時、おそければ23時頃まで働いているんだ苦しいんだ、と話していたので、エルミタから空港まで150ペソ(400円ぐらい)であったが、これは子供たちの教育費にと100ペソを追加チップであげてしまう気前のよさ。彼は大変喜んでた。そういえば、さきほど屋台の飲み食いから勘定してもらったときも、お釣りはとっときなさいと、ウエイトレスに言うと、ニコっと笑顔がほとばしり、速攻でポケットにお釣りを入れていた。まあ、明らかに気分次第のサービス次第であり、屋台でもセルフサービスって張り紙してあったが、ガイコツジンが来ないような店で、私も勝手が分からず、ウエイトレスがちゃんと支給してくれていたのであった。 飛行機は22時20分である。空港には20時25分に到着し、30分にはチェックイン、40分にはイミグレとセキュリティを通過したのであった。やたらキレイになっているではないか。場所は同じなのにまえはどんより濁った空気が流れていたが、なんか、むっちゃ明るくて垢抜けている。・・・マニラ新聞によると・・・2015年4月、老朽化したマニラ空港第1ターミナルの改修工事がほぼ完了。新しい玄関港に、ということであった。 フィリピンの表玄関、マニラ空港の第1ターミナルの改修工事がこのほど、8割以上完成、新装なった清潔感あふれたロビーにはエアコンがほどよく効き、外国人旅行客などでにぎわっている。 2014年4月から冷房がほとんど効かず、酷暑のロビーは蒸し風呂状態だったが、 今年5月には空港設備の改修工事が完成予定で、利用客にやさしい「おもてなし」が着々と進んでいる。 第1ターミナルは、1日に約1万5000人の搭乗客が利用し、マニラ空港の中でも最も多くの航空会社が集まる国際線専用ターミナルだ。新しく改装された第1ターミナルの到着ロビーはまるで高級ホテルにいるような雰囲気が漂い、白く塗り替えられたターミナルが利用客を明るく迎える。現在85%が完成している第1ターミナルだが、改装の対象となったのは、搭乗口、到着・出発コンコース、 到着・出発ロビー、入国管理、搭乗手続き、乗り継ぎ用待合室、手荷物受取所など。 以前は群青色や青色を使用していた壁や天井、床が真っ白に塗り替えられた。カーペットは以前の濃紺、茶色から、薄緑や明るい青色などの清潔感を感じさせる色に取り替えられた。全てのエアコンと照明の一新。地震に備えた耐震素材の入替。白く塗り替えられたロビーの床に反射してさらに空間が明るく見えるようなった。フライト情報案内表示も、行き先などの情報が順繰りに回転して表示される以前の「フラップ式」からLEDの「デジタル式」へと取り替えられた。築33年がたち老朽化が進んでいた第1ターミナルは、マルコス政権下の1981年に建設されたたが、2011年以降は、世界各国空港施設を評価する民間ウェブサイト「スリーピング・イン・エアポート」の調査で、3年連続「世界最悪の空港」に選ばれるという汚名をきせられた過去があった。(冨田すみれ子さん記事)確かに、マニラは空港自体がわりと危険であった。金を払えば、別口から順番抜かして出入国できるわ、土産物を買わせるためにトランシーバーで、あの日本人こちらからそちらぬ向かったとかやっているわ、トイレに入ると、お絞り持った兄ちゃんが肩のマッサージしてくるわのなかなか恐ろしい空港であった。さすがに8年前は、もうチケット持った人間しか空港に入れないようにしていて、それは今回もそうであった。いやはやこんなに早くチェックインできるのだったら、もうイッパイだけ飲んでくればよかったぜ、と思うぐらいであった。そういえば、恐ろしかったのは、1988年頃帰国した日に、タクシーで空港に向かっていた日本人が発砲されて腕を失ったというニュースで知ったときである。うわっ、バスで空港来たからなあ。と思ったのである。後日談として、数年後(多分1993年頃)、1987年上海でわたしのことをアニキと呼んでずっとついてきた当時名古屋の高校生が、関西に来ているので会いませんかと電話があり、会っていろいろ話していると、マニラで銃で撃たれたのは、彼の父であったということが分かった。彼は人をひきつける何かがあったのかも知れない。上海でであった時は、彼が上海に着いた日で、右も左も分からず、アニキアニキついていっていいですか、と怯えた高校生だったのだが、オレチベットに行くからじゃあな、というと、彼は、上海駅まで来てくれて、寂しそうにしていたのだが、ラサにいると、1週間後突然彼は現れた。アニキがラサに行くっていうから来てしまいましたよ!そして彼は見違えるように立派になっており、彼についてくる日本人が数名おりすでにグループになって、高校生なのに、ボスみたいになっていた。当時は最低でも上海からラサまでは列車とバスで1週間かかったので、その間の各地で日本人と出会っては声を掛け、チベットに行こうと連れてきたようなのである。それは、まるで当時の香港人みたいであった。香港人は当時、中国には自由に行けて、僻地に行けば行くほど、途中でグループ化してチベットやウイグルや敦煌カシュガルハミてところでは団体客と化していたのであった。 日本で数年ぶりに会うと、彼は更に大人になり、オヤジもどうやらフィリピンでエンターテーメント系の仕事をしているようで、あまりかたぎではなさそうな感じで、彼は、オヤジに反発して上海に勝手に来たということであった、が、オヤジが銃で撃たれ、すっかり、オヤジに同情したのか、彼はオヤジの後を継ぎつつあり、フィリピンエンターテーメント系にドッポり浸かりつつあったのであった。 「オマエ、フィリピンで仕事してて金あったら、死ぬほどモテルだろ?」というと、照れながら、「その通りです、勝手にボクみたいな顔でも史上まれなるハンサムになるみたいです」と笑った。今、彼はどうしているのだろう。学生時代はマニラ空港を何度か利用しているが、到着した時に、どうやって知り合ったか覚えてないが、エアポートポリスが、もう仕事も終わったので、何なら町まで一緒に行くかということで、車に乗せてもらったが、そこからチップ法外な値段みたいなことぉいわれ険悪なムードになったなあ。まあ、オレもせこかったからなあ、何とかタダで町にいけたら嬉しかったけど、向こうは、まあタクシー代ぐらいくれてもいいんじゃないの?と思ったのだろう。 そんな訳で、早めに着いたのでゲートで缶ビールでも飲むかと缶ビール買うと100ペソと空港としては250円安いね、という感じで、鞄に入れたのだが、イレッパナシのまま、入れたことを忘れてしまい、ゲートで、液体持ち込み駄目ですといわれ、あ、買ったこと忘れてた、ヤバイでも捨てるのもったいないからと、ちょっと待って、じゃあ、戻っていい?5分ぐらいで飲むからさといい、何だかトランジットというカード貰って、ゲートの外に出て、急いでドリンクするのである。味わうか、サンミゲルビール、いやいや流し込む。フィリピンのサンミゲルもタイのシンハやチャンも現地で飲むと美味い。やはりなんだか雰囲気と気候がマッチしているのである。美味いが、今は、流し込み作業である。機内に乗り込み、エンターテーメントで「ソロモンの偽証」を見る。そんな訳で3時間半のフライトも随分寝ないままにグアムに到着。ところで、その前に、土産物をビール一気飲みしているときに忘れたようである。乗務員の方が、「誰かお土産忘れてませんか」と言いながら機内を歩いているのを見て、不思議なもので「間抜けな奴もいるんだな、あの土産、おれと全く一緒やん」と思っていたのである。夜中、ふと気がついたのである、あれ、オレ土産物鞄に入れず手に持ってたよな、あれ、あの忘れてませんかコールって、もしかしてオレ?オレ、探すがやはり土産物はない。乗務員に言いにいくと、あれ日本人ですか?といわれやたら流暢な日本語を話すので、グアムベースの日本人の方と推測する。3往復ぐらいアナウンスしたんですけどねえ、と笑いながら言われ、申し訳ないです、あなたが土産物を見せながら誰か忘れてませんかといってたときに、私はオレと同じお土産忘れた間抜けな奴がいると笑ってみてたんです、すみません、それ私自身でした。私が間抜けなんです。 そいうえば、昨日、マニラに到着する多分30分以上前から陸上(島)が見えており、稲妻が光り、映画の序章みたいな光景が印象的名夜であった。光ると、周りの雲が一斉に照らされ、入道雲が現れるのである。そして山間を越えると町が見え、また山間に入り、あれ、『マニラかな、あれマニラかなと2回ほど間違えるのであった。地図を見てみると、レイテ島、サマール島あたりを通貨したのかしてないのか、ルソン島南部から入っていったのではないか。と考えられる。なんだろう、タイって良く行くからあれだけどフィリピンは行くと懐かしさを感じるから不思議だ、まあ、働いてから行くの2回目だからね。まあグアムで3時間待ちで、ベンチで寝て、機内でも寝てたら関空に到着、ドンという着陸で目が覚めた。いやタクシング中はまた寝た。勿論、大阪に向かうバスの中でも寝ていた。 家に帰って冷蔵庫開けたら、生卵がパッケージごと落ちてきて、5個中5個割れた。床が卵の黄身白身の海と化した。バロットの祟りかも。マニラ グアム 出発1(リンク) 出発1(リンク) 出発2(リンク) マニラ到着(リンク) マニラアキノ空港1(リンク) マニラアキノ空港2(リンク) バロット(リンク) チェックアウト10時、フライト22時1(リンク) チェックアウト10時、フライト22時2(リンク) リサール公園(リンク) マニラgourmetの旅(リンク) マニラまとめ(リンク) グアムニュース(リンク) グアム何しに1(リンク) グアム何しに2(リンク) グアムgourmetの旅(リンク) グアムgourmetの旅(リンク) 帰国へ(リンク) 1(リンク) 2(リンク)
2015.09.23
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前回までの粗筋・・・・・乗れるんじゃないかと思って関西空港タイ航空カウンターに行くと、乗れませんと言われて、帰ってきたの夜中の12時半である。それもボヤボヤしていて、大阪駅行きでJR最終に間に合うバスを目の前で乗り過ごし、少しお値段の高い神戸行きに乗るといったはめとなり、スマートフォンで7、80分間、「では、いったいお膝元でどこに行けるのか」をチェックし始め、まずは、明日の朝のタイ航空とJALのHPでそれぞれバンコク行を見ると、どちらも、1席とか2席とかとなっており、帰りは、△なので、行けたら帰ることができるってことなのか、と思いながら、その他は、と大韓とアシアナを見ると、韓国ほんま人気なくなってんな、ユルユルで空席がある。エバー航空とチャイナエアラインズをみると台北は空席ないが、エバーなら高雄に若干の余裕があることが判明。シンガポールは満席、フィリピンエアも満席、まさかの香港や上海や北京のANAも満席であった。韓国いかずとも中国行くのか、いやあっちの人が帰るのか。まあ、そんなことをあちこちの公式HP開けながら確認していると、さくっと三ノ宮駅に到着し、それも少し早めに到着したので、そこからタクシーで帰らずに済んだのであるばかりか、最終2本前にも間に合った事の次第である。 夜中となり、再度、TGとJLを見ると、席がなくなっており、夜中の3時にバンコク行を断念する事の次第であった。これは急いで、もう諦めちまったらいいのに、そうは問屋じゃないけど降ろさない悲しき性である。高雄か・・・高雄を今から調べると、ちょっと時間かかるな、前にも行ったしな、台湾新幹線で、とか思いながら、ムクムクとチベタイビールを飲みたくなったので、やっぱり、ここは、いや何もヤッパリではないのだが、今調べると2007年だから8年間行っていないマニラに挑戦するのは、いかがかしらん、とオサレに思ったのだ。というか、もう朝型で、地図なくても行ける街はバンコクとマニラぐらいだからである。調べなくても、まあ、行けるということで、ただ直行便はないので、時間かけて行って何になる、と自問自答を繰り返しながら、まあ、いろんなルートがあってもいいじゃないか、コップの底に顔があってもいいじゃないか、的な全方位型志向で波を乗り切るのである。波?それは睡魔という波である。とにかく、旅行計画書と地図を目盛るのである。 飛行機は11時である。朝起きて準備してシャワーして、を考えると6時半起きだな、むむ、あと2時間しか寝る時間がない、こいつはヤバイ、急いで目覚ましセットといった事の次第であった。 朝、多分、目覚ましはなったのでろう、微かにそんな記憶が手繰り寄せつつ、長く浅い夢だな、と思った瞬間に、ヤバイこのパターンは!とガバッrと起きると、時間は8時を越えている。しまった、3時間後だ、カットオフ40分前、リムジンバス60分、電車20分、電車の待ち時間バスの待ち時間2、30分と考えると、1秒も無駄に出来ない、余裕はないが敢えて引き算すれば、家を20分以内に出なければならない、急いで、歯磨きとトイレとパッキングだ、とりあえず、パッキングは3分だ!穴あき捨てる靴下を探せ!から始まり着替え1着、パスポートと、7年前に残ってたフィリピンペソとUSドルを詰め込み、走れ、オレ、未来に向かって!ではなく、駅に向かって!という事の次第であった。 電車に乗っている間に悪い予感がしてきた。今、リムジンバス、混んでいるのではないか、次便にまわされるのであはないか、そうなるともう完全アウトである。そう気がついたのは尼崎を出てからであって、尼崎からリムジンバスに乗ればよかったと後悔するんであった。後悔は、ちゃんと後悔となり表現され、大阪駅前阪急ホテル前リムジンバス停には長蛇の列(言いすぎた)となっており、私の6人前で、ここまでです、あとは次の便ですと無情なことを言われ、おれもここまでか(いや、まだ50分の1も旅行してない)と思いきや、バスの補助席などを勘案していくと、まあ、結論からいうと、9時のリムジンバスに乗れたという事の次第である。乗れたからには、到着は50分後の9時50分に到着し、10時で1時間前にチェックインできるってことだ、ははっははー、と思いきや、これははじめての経験なのだが、渋滞がありそれを避けるために堺で一旦高速を降り、優雅に下道を走っているのである。まずい、と思ったが、もっとまずいのは、チウゴクジン女性が気分が悪いといいだしたのだ。気分なんか気分次第の事の次第だろ!とオレは心の中でチョトダケ心の叫びをしたが、運転手は紳士である、泉佐野のパーキングで一旦止まります、とアナウンスで宣言し、まあ、本当にそうなって、申し訳ないけど、もうこの人ここで降りてくれないかな、と無情にも思ったのである。 まあ、そういう経緯というかエピソードを経て、トイレから戻って来たチウゴクジン女性も席に戻ってきて、GOGOGOであるが、さすがにマッハGOGOGOではなく、そういえば、あの原作者は車の免許持ってないんだよね、だから常識に囚われない作品が出来たってことか、走ってる車が跳ねるか?まあ、いいよ、あれは子供の頃、面白かった、オトナになってCG映画も観てしまったし・・・と思い出したが、それより到着は30分遅れの10時20分である。 私がマッハ55号にならなければならないときが来た。出発45分前である。勿論、並んでいる乗客は何回数えても0人。カウンターには片付けモードに入っている人がカウンターレディが2人、オレは、息を切らせながら、スミマセーン、と走りこみ、搭乗券を貰うと、走った、走った走った、カウンターレディーが見えなくなるところまで。順調に20分前にゲートに着くと、係員が、だらしなく近くに座っている人たちに、「グアム行きですか」と声を掛けている様子が見えたので、またもや、私は、走り出して、息を切らせるフリをしながらすみません!といいつつゲートを抜けるのであった。これであとは余裕である、と思いきや、機長よりアナウンス。グアムの天候が悪いので、一旦サイパンに着陸しますねー。とのこと。マジカ、まあ、グアムでの待ち時間は3時間半あるからいいか。とそのときは思ったのである。サイパンに到着して、燃料入れますねー、と言われ、グアムの天候良くなったから燃料入れたらデマスネー、といわれ、良かったと思いきや、管制塔からまだ出たら駄目って言われてますんで、指示待ちですねーと言われ、他にも2便グアム行きがダイバートしてきてますからねーーとのアナウンスが入り、その間にも、サイパンも晴れたり大雨降ったり激しい天候の変化である。さて、管制塔からOKでましたけど、またグアム天候悪くなったのでもう暫くマチナスネーと、言われたときには既にサイパンの機内に閉じ込められて90分が経過した事の次第である。ようやく、いよいよ出発のときが来た、来たが、もう乗り継ぎまで1時間半を切っている。もう諦めた、予約したマニラのホテル代はNO SHOWで諦めた、てかどうするよ、日本帰るか、明日の朝便まで12時間、グアムでホテルとるのか、空港で無為に過ごして、マニラ行って、10時間ぐらい過ごして帰るか、選択を迫られつつあった。ちっとも回復の方向にはなかった事の次第である。グアムまでの飛行時間は25分です、天候が悪いので乗務員はずっと座ってます、とのアナウンスが入り、グアムに遂に到着したのが6時半過ぎであった。日本を出てから7時間半を経過しており、私の薄いケツも横に半割れ状態である。そんなことは良い、このまえ、サイパンにグアム経由で行ったときに、イミグレで2時間並んだので、もはや、あと50分切っているので無理だな、と思って、一応、機内から出て、全員を抜かして、トップを走ってイミグレにいくと、おおー、3,4人しか並んでない、ウホホホーでアメリカの入国し、速攻で出国し、マニラ行きのゲートに辿り着いたのが、到着から30分後の19時である。19時20分発に間に合ったのである。素晴らく順調な旅行の事の次第であった。(ちなみにパラオ行きは、これらに合わせてか2時間の遅延になっていた。マニラは乗り継ぎする野郎はいないので、じんちょうな定期運航の事の次第なのであった)マニラ グアム 出発1(リンク) 出発1(リンク) 出発2(リンク) マニラ到着(リンク) マニラアキノ空港1(リンク) マニラアキノ空港2(リンク) バロット(リンク) チェックアウト10時、フライト22時1(リンク) チェックアウト10時、フライト22時2(リンク) リサール公園(リンク) マニラgourmetの旅(リンク) マニラまとめ(リンク) グアムニュース(リンク) グアム何しに1(リンク) グアム何しに2(リンク) グアムgourmetの旅(リンク) グアムgourmetの旅(リンク) 帰国へ(リンク) 1(リンク) 2(リンク)
2015.09.22
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帰ってきました。交通費3,000円ほど散財しましたマニラ グアム 出発1(リンク) 出発1(リンク) 出発2(リンク) マニラ到着(リンク) マニラアキノ空港1(リンク) マニラアキノ空港2(リンク) バロット(リンク) チェックアウト10時、フライト22時1(リンク) チェックアウト10時、フライト22時2(リンク) リサール公園(リンク) マニラgourmetの旅(リンク) マニラまとめ(リンク) グアムニュース(リンク) グアム何しに1(リンク) グアム何しに2(リンク) グアムgourmetの旅(リンク) グアムgourmetの旅(リンク) 帰国へ(リンク) 1(リンク) 2(リンク)
2015.09.19
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と思い立ったので今から空港行く、でも満席、ノーショー祈るのみマニラ グアム 出発1(リンク) 出発1(リンク) 出発2(リンク) マニラ到着(リンク) マニラアキノ空港1(リンク) マニラアキノ空港2(リンク) バロット(リンク) チェックアウト10時、フライト22時1(リンク) チェックアウト10時、フライト22時2(リンク) リサール公園(リンク) マニラgourmetの旅(リンク) マニラまとめ(リンク) グアムニュース(リンク) グアム何しに1(リンク) グアム何しに2(リンク) グアムgourmetの旅(リンク) グアムgourmetの旅(リンク) 帰国へ(リンク) 1(リンク) 2(リンク)
2015.09.19
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人の良さリスト。調査国ではフィリピン人が最も人を信用しないということだね。言われてみれば、そうかも知れない。現地の人が、乗り合いバスに乗ったら全員が泥棒で金巻き上げられたといってたな。幸福を感じる国って、そらカタールって石油以外なんもないけど、年収1000万円以上が平均で税金もないし教育費もないし結婚したら家くれるし、幸福やろな。それにしてもキルギスが幸福なのか、まあ怖いのは警察にイチャモンつけられるぐらいか。自然災害を受け易い国なのに、先進国な日本。日本もやたら地震や水害多いけど、バングラの水害はスザマジナー。河氾濫して、少し引き始めて中州が出来たら、競って田植えするって。日本って割と侵入強盗は多いのね。まあ、泥棒がどこから入るのか、で一番多いのは、戸締りしてない家の玄関だから、安全神話に支えられておるのであろう。そういうオレも鍵閉め忘れはないけど、鍵刺さりっぱなしで、朝気がつくというのは2,3度ある。人間は何を食べているのか。まあ、バングラはコメコメコメであるのは知っていたが、フィリピンも米食うなあ、ああ、そういえば、クリスチャンの国だけど、飯は米ばっかりやったなあ。マア東南アジアは米よ。ベトナム意外と肉食うねんなあ。さすが、肉肉といえばアルゼンチンか。(一人当たりはウルグアイじゃなかったかな)みなさん日本料理好きなのね。まあ、各国でかなりアレンジされて、それはそれで愉快である。それにしても、確かに、へえ、こんなとこに日本料理店あるんだね、って感じだものね。行く理由も、味のつぎに、オサレだからってさ。日本料理の何が好きかというと、勿論寿司が一番にくるが、ラーメンもスゴイ。中国に日本みたいなラーメンないからね。ちなみに、おされでいうと、ニューヨークやロサンゼルスでのおされラーメン店では食前酒とかあって、予算が1人5,000円とか7,000円で、コース料理的なのが人気だそうだ。日本のゲンパツは安いな~。常に一番コストが安くなるように計算してくれるんだよ。処分費入ってないんだろうな。スペイン人すぐ食べに行く。だからエンゲル係数も高いってことか。タイとかは自宅にキッチンない家も多く、外食または買って帰るが普通である。日本も外食率は低い。頑張って俺があげているのだが・・・。もう20年以上、基本朝ご飯は食べないが、朝ごはんは食べなければならないというものえはなく、個人差があるようだ。朝起きて、ゆっくりする時間があれば食べたいが、気分も悪いので食べないが、これが旅行に行けば食べる、気分もいいからもあるかもしれないが、暇だから、朝食付きだからといった具体的理由もある。子供の頃は、まあ、パンとご飯は半々ぐらいだったかな。でも、朝からたまにヤキメシやラーメンが出てくると、嬉しかったわ。まあ、これはいままで臭いもので何度も日記に書いたね。縄文初期って日本人2万人だったんだね、弥生時代に入って59万人。明治維新から日本人は4倍ぐらい増えて、ついに2007年ピークを迎え、これから日本人は減っていく。妹もそうだが、日本に住む外国人比較からしては外国人との結婚率は高い。20人にひとりぐらいか。まあ、多くは韓国中国人のようだが、離婚率も高いねえ。 アメリカ人結構早く死んじゃうんだね。貧困格差激しいのとストレス社会だからなのかしら。日本人寝ませんよ。適性睡眠時間は、かなりの個人差があり、何時間がよいというのはないが、割と他国の人寝ているんだねえ・・・私は何時間寝てもすっきり起きた記憶がないので、それならば短いほうがいいと思っている。普通の平日に清々しく起きたのは中学校か高校のとき1回だけで、そのときの清々しさに自分自身びびった。なんて気持ちのいい朝なんだ、コウ感じたことないぞ、と。もしかしたら、その分か秒単位の睡眠時間がマイベスト睡眠時間なのかも知れない。いやそれは体調によるか。最近忙しぶっているけど、世の中の日本人、ほんま忙しいんだね。生産性ムチャ悪いね。金にならないことしてんだな。今でも一応経済大国だけど、効率考えると、なんだかなーだね。23時代も割と多いやん、おっそ。働いてないと食えないから死んでしまう。旧共産圏は昔からよく自殺する。韓国は割りといろんな事象で日本を後追いするが、自殺率も後追いどころか抜いてしまったってことね。意外なのはスリランカだね、
2015.09.19
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といっても、いつの間にか、シルバーウィークってのができて、年に4回もまとまった休日ができたのではと危惧しながらも、今年は何だか自己ブラック企業状態と化しているのである。悲しいかな、夏休み(お盆休み)が終了してから会社に行かなかったのは1日だけである。もう1ヶ月たつというのにである。だから計画、どころか、そのままシルバーウィークも今のところ関係無しだ。もし関係あるとすれば、良く知っているところをサクリとひっそりダンディーに訪れるぐらいである。おまけに、カード払い残高不足で彦とされませんでした、なんて郵送も本日届いて、そうだったんだ、と気がつく始末である。要は金もない、ということのようだ。去年のシルバーウィークも、盆休み働いたので、密かにヒソヒソとモナコに出張に行っているのである。まあ、モナコはセレブなので、俺は、行くだけクラブである。宿泊は勿論の隣国フランスのニースである。それで、何となく、グーグルニュースを見るのである、というかいくつかのキーワードで登録しているのである。 そうすると、海外での被害という記事があり、旅慣れた人ほどホールドアップやスリ窃盗にあっていることが判明。気がぬケルンであろう。初心者のトラブルで、旅慣れた人を唯一抜いた項目は交通。まあ、そらそうだろう、あっちこっち移動するのに分からないことだらけでトラブルになる=よく分からない、時間に遅れる、行き方が分からない、ということだ。おー、やはり私は旅行の素人である。脅迫類の暴力略奪詐欺はもうキルギスでポリ公にカツアゲ以来4年も巻き込まれていないのである。その後、交通トラブルは何度かあったぞ、だって、4年だからねえ。といっても、だいたいたいしたことないんだよねえ。それ以降の交通トラブルを調べても、あ、そかという程度であった。マーシャル諸島からの帰国マケドニアからの飛行機まあそのくらいである、あとミクロネシア共和国からの移動で、ひと悶着あったのだが、まあ、結局乗れたので、日記記録は見当たらなかった。まあ、そういうことで、コロンビアに行っても初心に帰って危険度の感度を高め、素人でいることが大切なのである、らしい・・・というか、まだ旅行初心者なのである。それで、何となく、グーグルニュースを見るのである、というかいくつかのキーワードで登録しているのである。 そうすると、オレには、携帯のエクスペリアと旅行会社のエクスペディアの区別が一向につかないのであるが(つかなくても生活に支障がないからである)、アジアでは旅行者は1日、東京で6万円、ソウルで3万円、ハノイで1万円、バンコクも1万円強、台北で1.5マン円、とのことである。私の場合は、基準ホテル価格7,000円前後、1日予算、お金持ちなので1万円である(ホテル代含め)、なんと学生時代の1日の予算のドドーンの10倍である、特にインド予算になると20倍である。そういう訳で物価の高い国は公共機関での移動、安い国及び仕方なしの夜中早朝はタクシー移動である。6万円ってすごいな、オレなんか、今、カード引き落としされなくて止まっているのに。なんと日今年口座に27万円のカード請求に対し、17万円しか入っていないことが判明。明日ぐらい督促状が来るだろう。まあ、それから払えばいいか。払えるのかな・・・。ちなみに、日本人にとって安全な国はナンバルワンが台湾、次シンガポ。あ、アジアで旅行したいアンケートの順位と同じだね。台湾は親日だからってのも大きな理由だね。ま、沖縄が2時間だから、台湾すぐその先、だから延長やね、まあ韓国なんか沖縄より近いから。まあ、台湾はご存知の通り収入に対して一番義捐金くれた国だからね。タイも結構くれてるね。ニュースによると、タイ人に日本へのビザ緩和されたのでタイ人旅行者増えているけど、なんと、日本が気に入る人が多いようで、7割がリピーターとなり、そのうち1年以内に4割の人がまたリピートするらしい。ニュースによると、LOTが日本就航するらしいね。磨く航空だよ、ポーランド、割とヨーロッパの中では日本人密かに行っているんだよね。2014年の発表見ると、お、15位、全然行ってないじゃん、ドイツ、フランス、スペイン、イタリア、スイス、英国、オーストリア、クロアチア、チェコ、オランダ、ベルギー、フィンランド、ハンガリー、ポルトガル、スエーデンの次か。まあ、オーストリアまでは直行便があるが、クロアチアとチェコやってんじゃん。オランダ、フィンの直行便あるけど、その隣国あおりでベルギー、スエーデンか。お、ポーランドぐらいに南米、ペルー登場やん。南米遠いからなあ。タイやフィリピン行くのに意思いらんけど、南米は確固たる「ワイは行くぞ」という意思が必要だからな。 ちなみに、日本人は、欧米が好きなんだね。調査方法によって国が違うけど。
2015.09.18
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南米五各国を独立に導いた思想家英雄軍人革命家政治家解放者。ベネズエラの名家の出身、クレオールのおぼっちゃま出身である。数々のスペインからの独立運動で、亡命や撤退を繰り返しながらも、ベネズエラ、大コロンビア、ペルー、ボリビアの大統領になる。(ボリビアは名誉職みたいなもので、すぐに公認のスクレ(首都の名前)に任せる)。ちなみに大コロンビアとは、今のコロンビア、ベネズエラ、パナマ、エクアドルを合わせた地域の国であった。しかし、この大コロンビアも、ベネズエラやエクアドルが独立していって、10年ぐらいしかもたなかったのであった。ボリバルの力はなくなりつつあり、健康も害していたのであった。もうだめだと思ったボリバルはヨーロッパで余生を過ごそうとするが、行く間際に腸チフスで亡くなった。ボヤボヤ歩いておると、シモンボリバル邸があったので、何となく入ったら中学生ぐらいの学習遠足部隊とジジッババ部隊の嵐である。そういえば、日本でも、なんでこんなところに西洋人いるの(黒人ならなおさら)?ってのに遭遇するけど、なんでこんなところに日本人?あれ、何かテレビの番組の名前でそんなんなかった?という感じなのだろう。まあ、そういえば、昔は、座ってたら、隣の日本人旅行者達が、「なあ、隣に座っている人何人だと思う?」などとコソコソ話していて、振り向きザマに「日本人ですが何か?」と威圧したことも何度かあるな(威圧した、は話盛りすぎた、爽やか笑顔で振り返り、「日本人ですよ~」、と、あ、話掘りすぎた)ボリバルの名はボリビアの国名の語源だし、ベネズエラはベネズエラ・ボリバル国(チャベスが変更した)、ベネズエラの首都カラカスの空港はシモンボリバル空港、(恥ずかしいことに、今回アメリカでは、ヒューストンジョージブッシュ空港を経由。パパのほうなんだろうか)、ベネズエラにはシモンボリバル大学はあるし、シモンボリバル交響楽団もあれば、通貨ボリバルもありゃ、南米の各地にボリバル通り、ビリバル広場がある。 ところで、ベネズエラのウゴチャベス、あっけなく大統領就任中に死んじゃったけど、反ベイの先鋒のオモロイ大統領だったなあ。あからさまなブッシュ批判(国連の席で、さきほどもまでここで悪臭がしていた、とブッシュの演説のあとに演説台に立って批判したり、。皆さん私に靴を投げないで下さいねと茶化したり、オモロイ大統領だったのだが)で有名だが、有名なのは、毎日曜日の午前中は「こんにちは大統領」という専門番組(演説しまくり4時間マラソン番組)を持っていたというのが笑える。ベネズエラは、もともと、やられる国家だ。何故なら石油が出るからだ。石油の出る国は国民は貧乏になるか独裁者に支配される仕組みだ。石油狙って他国や自国の支配者に搾取されるからだ。日本が良かったところは天然資源がなかったところだ、誰も見向きしない。世界中が北朝鮮よりイランに注視しるのはそのためだ。アメリカにとって北朝鮮はやっかいなだけだ。イランはやっかいだけど、石油がアル。世界情勢は、基本的に敵の敵は味方になるので、今はアイスルがでてきて、共通の敵同士ということで、イランとアメリカが接近している。イランの観光業は今、花が咲き始め、欧米からの観光客がバイバイゲームで、間違った、サヨナラではなく倍々ゲームで増えている。私はイランにはいい時代に行ったと思う。まあ、それはいい、チャベスの話だ。何故彼はサウジアラビアの王族みたいに石油成金でなれたのにならなかったのか。確か間違いかも知れないが、この国は貧乏国家の売値だったか、自国の売値だったか忘れたけどそれが、原虫だったか石油だったかも忘れたけど、リッター30円だったと思う いやいや、チャベスの話ではなかった、ボリバルの話である。ボリバルの魅力はなんだろうか、勝手に想像すれば、お坊ちゃま君が解放者の側に回ったこと、よわっちくて何度も負けたり撤退したり亡命したりするけど不屈の精神で帰ってくる、盛り返すってところだろうか。弱っちさが、一般ピーポーが、俺たちと同じじゃないか、との共感を得るのではないだろうか。ボリバルて邸に入場するとき、前は先生が入場料を払おうとしていたが、それはまあたいがい100人以上のお金をイッキに払おうと金を勘定し、領収証を貰いの作業でやたら手間取っていたが、不思議なもので、スーパーのレジに並んでたらイライラするのに、初めて見る光景なので、学校の先生も大変だな、ネコババしたくならないのか、団体割引どんなんやねん、コロンビアの領収証こんなんかいな、と漠然と見ているだけで、5分ぐらいは待たされたが苦痛ではなかった。まあ、急ぎだったら寄ってないところだからという心の余裕も加担したわけよ。世の中、そういう仕組みよ。1995夏南米 出発(リンク) 南米gourmetの旅(リンク) ペルー リマの夜 ペルー リマ ラインキシオン宮殿(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内1(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内2(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内3(リンク) ペルー→ボリビア(リンク) ボリビア ラパス 干しミイラ(リンク) ボリビア女子プロ(リンク) ボリビア デスロード(リンク) ボリビア ウユニ塩湖(リンク) ボリビア ラパス世界一標高が高い首都(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ1(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ2(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ3(リンク) ボリビア ラパス正しい観光案内(リンク) ボリビア ラパス終了(リンク) ボリビア→コロンビア(リンク) コロンビア ボコタ到着(リンク) 親日コロンビア (リンク) コロンビア ボコタの印象(リンク) コロンビア人(リンク) コロンビア ボコタ フェルナンドボテロ1(リンク) コロンビア ボコタ フェルナンドボテロ2(リンク) コロンビア ボコタ シモンボリバル(リンク) コロンビア ボコタのなんだこりゃ(リンク) コロンビア ボコタ正しい観光案内(リンク) コロンビア ボコタ 黄金博物館1(リンク) コロンビア ボコタ 黄金博物館2(リンク) 南米gourmetの旅(リンク) 米国便(リンク) コロンビア→日本(リンク) インカへの道(リンク) 正しい帰国(リンク) 今回の移動一覧(リンク)
2015.09.17
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会社帰りに、満員とは言わないまでも、割りと混んでいる電車や、プラットホーム(あれ?電車待つ何番線ってホームだっけ?)でビールや焼酎の350缶持っている一人おっさんをよく見かけるが、あれは恥ずかしくてできない。休日でも基本朝から飲むとか昼から飲むということはない。まあ昨晩のアルコールを引きずっているからな、という意味合いもあるのだが、多分それでも夜は毎晩飲むので、やっぱり軽症のアル中を20年以上続けている。仕事で朝、起きたら、早く家に帰って飲みたいな、と思うことも1ヶ月に、正直1回はある。学生時代は、基本的にその何ヶ月はフィリピンと中国を除いて、特別な日にしかアルコールを体内注入しなかった、代替物を注入し、休肝日の連続となった。アルコール高かったし。働いてからは、基本、問題なく飲む、お金持ちになったので、ビールを買い込んで、ホテルで飲んだり、バーで飲んでみたり、まあ、休暇だからな、という意識が働くのか、ビール程度なら昼から飲む。飲むときは、いつもトイレを勘案して、コンビニで買ったりして外で飲むときはまあ、1缶である。それでも、周りは昼間から外で飲んでいるバカヤロウはいないので、公園や道端や歩きながら飲むときは白いビニールで缶を隠して、羞恥心の塊で飲んだりする(テラスで飲むとかは別だけど)。それがマナーである。何のマナーだ? 昼間から酒なんか日本では飲まないのに、ついつい飲んでしまうんだなあ、外国じゃあ。コロンビアでもさ。隠すようにしてだけどね。ペルーのビール紹介。ピルゼンビールを雑貨屋で買ってきて、飲むのである。それにしても、皆さんはインカコーラが大好きだ。ペルーでは、勿論コカコーラのシェアを上回る甘く炭酸の緩い飲み物である。日本でも売っているが、まあそんなに飲みたいわけでもなかったので飲まなかったが、今回初めて飲んでみた。今は色は着色料のようだが、もともとはレモングラスかキナ(キニーネのもと)だったようだ。確かにこんな色になる。レモングラスジュースは、もっと美味いけどな。キナは、確かマルタにその飲み物があったな。ところで、コカコーラは悔しいので、腹いせにインカコーラを買収しますた。カマロネス系で。ボリビア朝食で。キャンディー系でボリビアのビール紹介。パッセーニャビール。高所で飲む酒は染みるなあ。そんな訳で風邪を引いていたのでメシ余り食わない旅行でしたね。1日1食2ドリンク。空港でチョトダケセルベッサ雑貨屋でクラブコロンビアを買おうとしたら、店員のネエさんが、「こっちのほうが美味しいんだから、こっちにしなきゃ駄目よ~」といって、取り替えられた。勿論、私は大人しく従った。コステーニャ、海の人という意味、ん?うみんちゅ?しかしすぐエンプティになったので、違う雑貨屋にGO追加注文。昼間は金ラベルだが、今度は黒ラベルのクラブコロンビア。小腹空いたと思ってちょと頼んだつもりが残すはめに。しかも、食欲なく、のそって食べてたら、あとから来たコロンビア美人達に飲食速度を抜かれるという事態もついでに発生。まあ、そんな感じよ。1995夏南米 出発(リンク) 南米gourmetの旅(リンク) ペルー リマの夜 ペルー リマ ラインキシオン宮殿(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内1(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内2(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内3(リンク) ペルー→ボリビア(リンク) ボリビア ラパス 干しミイラ(リンク) ボリビア女子プロ(リンク) ボリビア デスロード(リンク) ボリビア ウユニ塩湖(リンク) ボリビア ラパス世界一標高が高い首都(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ1(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ2(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ3(リンク) ボリビア ラパス正しい観光案内(リンク) ボリビア ラパス終了(リンク) ボリビア→コロンビア(リンク) コロンビア ボコタ到着(リンク) 親日コロンビア (リンク) コロンビア ボコタの印象(リンク) コロンビア人(リンク) コロンビア ボコタ フェルナンドボテロ1(リンク) コロンビア ボコタ フェルナンドボテロ2(リンク) コロンビア ボコタ シモンボリバル(リンク) コロンビア ボコタのなんだこりゃ(リンク) コロンビア ボコタ正しい観光案内(リンク) コロンビア ボコタ 黄金博物館1(リンク) コロンビア ボコタ 黄金博物館2(リンク) 南米gourmetの旅(リンク) 米国便(リンク) コロンビア→日本(リンク) インカへの道(リンク) 正しい帰国(リンク) 今回の移動一覧(リンク)
2015.09.16
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黄金の黄昏昔の人はこうやって装飾していた。急所にまで。一般の人はこんな感じ福耳昔は飛行機も飛んでいた座りにくい椅子外にいくか?自殺と他殺。黄金博物館に到着した頃には結構歩きつかれてきた頃で、とりあえず、座る。いや座ったのは2,3分だけで、外に出て前の公園に座って2,30分人通りを眺めるのみ。1995夏南米 出発(リンク) 南米gourmetの旅(リンク) ペルー リマの夜 ペルー リマ ラインキシオン宮殿(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内1(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内2(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内3(リンク) ペルー→ボリビア(リンク) ボリビア ラパス 干しミイラ(リンク) ボリビア女子プロ(リンク) ボリビア デスロード(リンク) ボリビア ウユニ塩湖(リンク) ボリビア ラパス世界一標高が高い首都(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ1(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ2(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ3(リンク) ボリビア ラパス正しい観光案内(リンク) ボリビア ラパス終了(リンク) ボリビア→コロンビア(リンク) コロンビア ボコタ到着(リンク) 親日コロンビア (リンク) コロンビア ボコタの印象(リンク) コロンビア人(リンク) コロンビア ボコタ フェルナンドボテロ1(リンク) コロンビア ボコタ フェルナンドボテロ2(リンク) コロンビア ボコタ シモンボリバル(リンク) コロンビア ボコタのなんだこりゃ(リンク) コロンビア ボコタ正しい観光案内(リンク) コロンビア ボコタ 黄金博物館1(リンク) コロンビア ボコタ 黄金博物館2(リンク) 南米gourmetの旅(リンク) 米国便(リンク) コロンビア→日本(リンク) インカへの道(リンク) 正しい帰国(リンク) 今回の移動一覧(リンク)
2015.09.15
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よく分からないが、私の良くみられている日乗を断腸の思いで掲載、あら断腸亭日乗、え、永井荷風?もっとみる、でこうなってたのは知らなかった。過去のアクセスナンバー1は、サイパンの廃墟のことだ。「ガラパン」検索だけでグーグルトップページにでてしまている。道理で毎日何十もアクセスあるんだ、サイパン考えている人が検索するんだねえ。廃墟サイパンがダントツ。あとは、多分そうだろうなと毎日日本の誰かが検索してる日乗のアクセス順。アクセス2位だと思う沖縄 高原ホテル多分、世界遺産中城城を訪れて隣に奇怪な建物があってなんだこれは?とネット検索するんだろうな。アクセス3位だと思うゴジラ対ヘドラアクセス4位だと思うイスラエルの出入国アクセス5位だと思う万博ユニフォームショーアクセス不明だが過去記事なのによく見られているシンガポール ゲイランアクセス不明だが過去記事なのによく見られているオーストリア ジョセフィーヌムアクセス不明だが過去記事なのによく見られている高野山企業戦士の墓アクセス不明だが過去記事なのによく見られている何故かしょうけいかんアクセス不明だが過去記事なのによく見られているデコ屋敷どうやら毎日だれかが検索してる。その他は・・・西大門刑務所 その1ザグレブ 失恋博物館110年来のちっぽけな夢 黄金の虎 (ウ・ズラテーホ・ティグラ) 会員制ビールクラブの非会員、など閲覧総数、昨日みたのと変わっているな、見方良くわからないな。
2015.09.14
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コロンビア人といえば、3Cというイメージはあるものの、若い頃に輝きすぎて、草々にボーンとおばちゃんになるという悲しき宿命も持ち合わせるのである。勿論例外あり。まあ、それはそれとして、コロンビア人では、まあマヤク王パブロエスコバル(サッカーで負けて殺された選手jじゃないよ)とかミゲル兄弟が有名だけど、私といわず、大抵の人が真っ先に思い出すのは、ガルシアマルケスだろう。ラテンアメリカのノーベル文学賞作家。いやはや、一時期はまりました。といっても、25年ぐらい前だけど。ノーベル文学賞といえば、すぐサルトルの辞退とソ連のパステルナークの強制辞退を思い出してしまうが、日本人ではアベコウボウはいってもいいと思うんだけどなあ。(どうやら検討されていたが若くして死んでしまったということのようだ) そういえば、はまるったて、マルケスの話は普段しないものなのに、仕事の飲み会の流れで外人ホステスばかりが売りの店に連れて行かれたのだが、そこに一人だけ日本人がいて、彼女が大のマルケス好きで、ここでこんな話ができるのっておもろいなーと笑ったが、向こうもマルケスの話できるお客さん初めてやと笑っていた。まあ、それっきりだけど。ちなみに、百年の孤独は、登場人物が多すぎる読むのが大変な小説で7世代にわたる一族の町の創始から滅亡までの100年間の物語なのだが、寺山修司が「さらば箱舟」で映画化して、これも観たが、これまた内容が分からんぐらいなのであった。 エレンディラ(短編集)、族長の秋、予告された殺人の記録といった小説も好きだったが、ノンフィクションばかり読んでしまう私としては、新聞記者出身の彼のノンフィクション系も面白かった。幸福な無名時代、戒厳令下チリ潜入期。いやはや、やたら、幸福な無名時代は、フレーズとしてこの日記にも勝手に使っているのである。まあ、いつもだいたいパクリである、パクリ人生である。 そういうマイケルガルシアも昨年亡くなったなあ。学生時代に読んだ作家、詩人はどんどん亡くなっていくのである。そういうとき、死への順番を感じるものだ。ところで、たまたまだけど、今日の朝にニュースで見たんで、えらいタイムリーやなと思ったのが、この記事。 「百年の孤独」などで知られる南米コロンビアのノーベル文学賞作家ガブリエル・ガルシア・マルケス氏に対し、米連邦捜査局(FBI)が、1961年から24年間にわたり、内偵捜査をしていた。米紙ワシントン・ポストの調査報道で明らかになった。同紙は「捜査の動機は不明」としている。 同紙の請求で公開された137ページ分のFBIの内部文書で判明した。ガルシア・マルケス氏はキューバ革命後の61年、妻子と共にニューヨークのホテルに1カ月滞在した。キューバの国営通信社を米国に開くためだったという。内偵はこの時始まったとされ、指示を出したのは当時のFBI長官だったという。 ガルシア・マルケス氏がキューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長らと親交を深め、82年にノーベル文学賞を受賞した後も内偵は続けられていた。133ページ分の関連文書が現在も未公開のままになっているという。 ガルシア・マルケス氏は世界的なラテンアメリカ文学ブームの中心となった。昨年、メキシコ市で87歳で死去した。(ボゴタ=田村剛 2015.9.8)あとは、シャッキーラじゃない?レバノン系らしいね。 1995夏南米 出発(リンク) 南米gourmetの旅(リンク) ペルー リマの夜 ペルー リマ ラインキシオン宮殿(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内1(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内2(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内3(リンク) ペルー→ボリビア(リンク) ボリビア ラパス 干しミイラ(リンク) ボリビア女子プロ(リンク) ボリビア デスロード(リンク) ボリビア ウユニ塩湖(リンク) ボリビア ラパス世界一標高が高い首都(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ1(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ2(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ3(リンク) ボリビア ラパス正しい観光案内(リンク) ボリビア ラパス終了(リンク) ボリビア→コロンビア(リンク) コロンビア ボコタ到着(リンク) 親日コロンビア (リンク) コロンビア ボコタの印象(リンク) コロンビア人(リンク) コロンビア ボコタ フェルナンドボテロ1(リンク) コロンビア ボコタ フェルナンドボテロ2(リンク) コロンビア ボコタ シモンボリバル(リンク) コロンビア ボコタのなんだこりゃ(リンク) コロンビア ボコタ正しい観光案内(リンク) コロンビア ボコタ 黄金博物館1(リンク) コロンビア ボコタ 黄金博物館2(リンク) 南米gourmetの旅(リンク) 米国便(リンク) コロンビア→日本(リンク) インカへの道(リンク) 正しい帰国(リンク) 今回の移動一覧(リンク)
2015.09.13
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まあ、インドネシアビール飲むとするか。土の匂いのビールである。このあたりは、非常食非常食、イヤです、この書類にサイン下さい、セデス!嫁さん怖いしなあ、ああ憂鬱だ、ボラギノールオールAではいっちまおう、ハイチオールC小学生の頃、右ひざにイボがあって、イボコロリを塗ったけど、一向に回復の兆しを見せなかったので、ほっておいたら中学生ぐらいで勝手になくなった。かきむしって、血出して、取れてしまったのかもしれない。小学生の頃は、人種的にも残酷な時代で、太った女の子(顔が不自由という訳ではなかったと記憶)で顔に、黒いイボがあったので、「イボブタ」と渾名されていた。本人は苦しんだであろう。しかし、中学校になってふと、見かけたら、イボがなくなっていた。おまけに、渾名もただの「ブタ」でもなくなっていたような気がする。しかし、小学校のときは身体的特徴を渾名にするという残酷な人種だったんなあ。まあ例に挙げて申し訳ないけど、少しプライバシーもあるので、名前も変えるけど、足の短い窪田くんはクボタンン、両耳の大きさが違う久保田さんにはミミコ、顔がサルに似ているだけの末吉君はサルキチ、ホッペタを叩くとペチペチといい音がするだけでの真弓君はペチミ、顔が黒いだけでインド、痩せているだけでカンボジアとか骨皮筋衛門、動作が鈍いだけの山内君はニブウチくん、小学校1年のときに太っていて年々やせて言って中学校になったら普通になったのに、あだ名は永遠にブーチャンのまま。ヒドイナー。 小学校5年のときに塾に行っていて、6年生と一緒に勉強していて、算数で、先生が、6年生を順番に当てて言って、みなわかりません、と答えた。それで最後に私にもあてられ、分かりませんといった瞬間に先生は「バカヤロウ!」と大声を張り上げた。「オマエはエリートになれ!何故皆と同じような返事をするのだ!バカヤロウ」と。い、いや、お、おれ、エリートいやですけど、いやエリートってなんですか・・というか年上の6年生の方々、すみません、なんか、先生、差別してませんか、6年生の人たちどう思ってんだろうということが気になって仕方なかった。先生は能力区別主義者だった。自分でもいまここにいる6年生より勉強だけは優秀だろうなとは思っていたが、あからさまにはしないものだ。反泣きのつるし上げは割と長い時間続いた。何十年たっても忘れていないということは、子供時代に、強烈な印象を与えたのだろうと思う。結局、エリートの意味は、時節によって変わっていったし、結局エリートにはならなかったし、結局在野で息を潜めて、できるだけ目立たないように何事も災いも栄光も出世もクレームも降り注がないで下さい、平穏にさせてください、好きにさせてください、を祈る人生を勝手に謳歌していることとなった。幾許かのお金だけ下さい、その中でやりくりしますからといった小市民を希望するのである。ということでした。そうか、オレのめいっこも震災と同じだけ年をとった、ということだ、というか、震災の日に生まれたからね。
2015.09.12
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ボテロの続きである。中庭があり、既に、6時間以上歩き続けたので、ヘンヘナ座りこんでの休憩時間である。無料に誘われてなのか、小学生の遠足軍団が彷徨う陽気さである。よく、ガイコツジンがさ、ニホンの何の変哲もないところで座っているのを見たことないカイ?街角にヘナヘナと座っている。こんな床座ってナに見るの?いや歩きつかれているのである。それはオレと一緒である。意味のない道端で休憩しているときに、よく、ああ、大阪の街角に座り込んでいる西洋人いるよな、ああいう感じである、それにしても、もう関西に来る8割はアジア人だ。アジア人の感想って、都会なのに空気がきれい、ってさ。確かに言われてみればそうだ。アジアの都会では不必要に鼻毛が伸びるからな。美術館の横にはズッシーンと無料の貨幣博物館も併設されており、時代に沿って貨幣や紙幣がずっしりと並べられているのである。ボテロは太っ腹である、自分が集めた絵画もズッシーンの無料公開どころか寄付である。驚きのピカソよ。コローである。ブラックである。ポールディルボーである。ジャコメッティである。シャガールである。よくよく考えたら、大学五回生の一年間で、この5人の展覧会を別々に見にいったことを思い出した。すげえ偶然だ。こんなところで、一同揃って(ちょっとコローだけは方向違うけど)会うとは、これも何かの縁、ウォウヲ、ウォウオ、ウォウヲー、耐え切れえず、落としいいた涙~、って感じである。それも、太っ腹ボテロ、写真もフラッシュ禁止なだけ、感心しきりである。おまけK-POP北朝鮮。1995夏南米 出発(リンク) 南米gourmetの旅(リンク) ペルー リマの夜 ペルー リマ ラインキシオン宮殿(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内1(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内2(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内3(リンク) ペルー→ボリビア(リンク) ボリビア ラパス 干しミイラ(リンク) ボリビア女子プロ(リンク) ボリビア デスロード(リンク) ボリビア ウユニ塩湖(リンク) ボリビア ラパス世界一標高が高い首都(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ1(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ2(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ3(リンク) ボリビア ラパス正しい観光案内(リンク) ボリビア ラパス終了(リンク) ボリビア→コロンビア(リンク) コロンビア ボコタ到着(リンク) 親日コロンビア (リンク) コロンビア ボコタの印象(リンク) コロンビア人(リンク) コロンビア ボコタ フェルナンドボテロ1(リンク) コロンビア ボコタ フェルナンドボテロ2(リンク) コロンビア ボコタ シモンボリバル(リンク) コロンビア ボコタのなんだこりゃ(リンク) コロンビア ボコタ正しい観光案内(リンク) コロンビア ボコタ 黄金博物館1(リンク) コロンビア ボコタ 黄金博物館2(リンク) 南米gourmetの旅(リンク) 米国便(リンク) コロンビア→日本(リンク) インカへの道(リンク) 正しい帰国(リンク) 今回の移動一覧(リンク)
2015.09.11
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コロンビアの画家彫刻家である。ふくよか、である。入場料は、ドドンパの無料である。何、コロンビアまでボテロ見にいく時間と暇と金がない?何、時間と金があってもコロンビア行かない?もし、大阪に縁があればラッキーだ、早速ミドウスジでボテロを1作品だけだけど見よう、GO!。23番を目指せ、あ、誰も目指さない・・・。何、大阪御堂筋にも縁がないからどうしてくれるんだ。それは残念だったね。そんでもって、ボテロってどんな人、うわ、鋭い眼光の怖い人だ。Don't Break My Heart Againな感じの人だ。そんでもって、一応系譜 太った人が、同じポーズで撮っていたのを撮り損ねたの巻、失礼!モナリザ(ジョコンダ)、ファンシーである。何故FANCYって言ってみたかというと、まあ日本語のファンシーは割と限定的な意味(幻想とか空想とか)だが、エイゴのファンシーのほうがかなり意味が幅広いからね、それで書いてみただけなのさ。まあそんな感じ。1995夏南米 出発(リンク) 南米gourmetの旅(リンク) ペルー リマの夜 ペルー リマ ラインキシオン宮殿(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内1(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内2(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内3(リンク) ペルー→ボリビア(リンク) ボリビア ラパス 干しミイラ(リンク) ボリビア女子プロ(リンク) ボリビア デスロード(リンク) ボリビア ウユニ塩湖(リンク) ボリビア ラパス世界一標高が高い首都(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ1(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ2(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ3(リンク) ボリビア ラパス正しい観光案内(リンク) ボリビア ラパス終了(リンク) ボリビア→コロンビア(リンク) コロンビア ボコタ到着(リンク) 親日コロンビア (リンク) コロンビア ボコタの印象(リンク) コロンビア人(リンク) コロンビア ボコタ フェルナンドボテロ1(リンク) コロンビア ボコタ フェルナンドボテロ2(リンク) コロンビア ボコタ シモンボリバル(リンク) コロンビア ボコタのなんだこりゃ(リンク) コロンビア ボコタ正しい観光案内(リンク) コロンビア ボコタ 黄金博物館1(リンク) コロンビア ボコタ 黄金博物館2(リンク) 南米gourmetの旅(リンク) 米国便(リンク) コロンビア→日本(リンク) インカへの道(リンク) 正しい帰国(リンク) 今回の移動一覧(リンク)
2015.09.10
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そんな訳でボゴタのルエルドラード空港から、タクシーがホテルに横付けされたのは、推定午前9時頃である。ホテルが9時ではあるが頑丈に施錠されており、呼び鈴を押して開けて貰う。奥では朝食をトル宿泊客が見える。チェックイン、みたい、なんはできるのかな、とうと、スペイン語で全く分からないのだが、とにかくチェックインは15時だよ、と優しくフロントのオーナーらしきおばあさんは答え、じゃあ、荷物預かっておいてというゼスチャーをして、気替えをし、手荷物からパソコンとかの余計なものをゴロゴロに忍ばせ、軽装になり、じゃあ、6時間後にといって外に出るのである。外に出ると、すぐに人が道端で寝ていたのであるが、ピクリとも動かない。敷地の隣は更地で囲われていて何かを建築するのであろうが、その道端で死んでいるのか分からない人が寝ているか死んでいた。多分、寝ているだけだと思う、思うことにした、ピクリとも動かないだけだろう。まあそう思うことにした、誰も声掛けないし、おれもマザーじゃないから声を掛けることが出来ない。それで、通り過ぎて、この話は終わり。 最近考えるのである。旅行宿泊サイトから予約したら、ホテルは手数料をとられるから、その値段だけチェックして、直接メールで、こんな値段で出てるけど、もう少し安くならないの?直で払うよ、と。今度からやってみようと思うのである。個人経営的なところはそれがいいと思うし、多分いい部屋を用意してくれるように思う。そういえば、ノルエーのホテルに張り紙がしてあった。直接予約してくれ。そしたらもっとディスカウントするぞと。バンコクでもいつも泊まるホテルでは、君、旅行サイトからいつも予約してるけど、直接問い合わせてくれたらもっと安くするよ、次回から頼むよ、とフロントで言われた。 タクシーで500円多く払ってもた、ホテルでまだ500円安く出来てんなあ、まあ、そいういったことはオレの今の人生には何の影響もないが、一生を考えると、チリも積もれば大河になるかルンペンになるか、みたいなところがあるのかも知れない。いやはや、1円も残さず(葬式代だけ残して)ジェニが枯渇した日に死ねたら予定調和で最高だね。でも無意味に長生きしてしまうのだ、死ぬのが怖いから。え、怖いから長生きするの?そうではないと思うけど、死んだら楽しいよ、ずっと平穏だよ、ということが分かっていたら、チョトダケでも辛い人は安易に死んでしまうね。しかし、誰も死後のことは分からない、分からないから怖いということで、仏陀も、死語の世界については、無記である。仏陀も分からないから答えなかったということである、ステキである。キリスト教もダンテのイメージだけ。大日如来も語らず。 なるほど、これはオモロイ説だと思ったのは、教祖死亡宗教イメージ説、説かどうかしらないけど、キリストは今で言うニートの30代で処刑されたので、何だかキリスト教って若々しくて青春(30代じゃそうでもないか?)人生これからだぜというようなイメージがあり、イスラム教のモハメッドは商人だね、60歳過ぎでなくなりはって、何だか活力あるビジネスな大人の雰囲気、そして仏教、ブッダは80歳以上、体が弱いかったにもかかわらず(毒キノコ死亡説)生き続け、その思想も老齢な感じがする。なるほどなあ、だから仏教は戦闘的には弱いかも知れないが宗教的に、思想的に強いのかもなあ・・・思想? 会社員をやっていると、日常会話で思想というやりとりはないな、と気がつく。会社員は天気以外の話をしてはイケナイノデアル、特に宗教政治(政党か)タブー、何から何までだ、会社員なら社内で自分の思うことを考えていることを興味あることを、ま、仕事と関係ないし、軋轢になってもこなるから言わないね。ま、そんなことどうでもいいや、とにかく、外に出る。そして地図を広げて、ちょっ方向間違えたりなんかして、10都市いくと、1都市ぐらい南北や東西をなんだかっ間違えるのだが、今回もどうやら見間違えたようだ、10都市かな、今、換算したら海外都市だけでみたらアルマトイで間違って以来なので、80都市だった。ということで、80都市ぐらいいくと、1度は方向を間違えるようなのである、地図を見てても。それで、何だかズンズンと空気が悪い方向に進んだ感じがしたので、来た道を戻り、そのまま出発点を出発から1時間ぐらい経過しているのに通り過ぎ、山に向かうのである。 山は特に意味はないが、まあコロンビアを俯瞰するということである。ボゴタは南米5番目ぐらいの大都市である。ケーブカーに乗ったのであるが、そこでガキ共に捕まるのでった。俺は、ほんまに久しぶりに、子供の目が急にキラキラし始める光景を見たわ。こっちが、ゴメンと思うほどに、急に憧れのまなざしである。というか、オレ、中年、なんで小学生女の子に何度も腕くまれなアカンねん、よかった~ロリタななくって。それで、モンセラーテの丘の話は終了である。ん?丘の説明なかったかな。まあ、興味あったらネット検索しといてください。まあそんな感じ。1995夏南米 出発(リンク) 南米gourmetの旅(リンク) ペルー リマの夜 ペルー リマ ラインキシオン宮殿(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内1(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内2(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内3(リンク) ペルー→ボリビア(リンク) ボリビア ラパス 干しミイラ(リンク) ボリビア女子プロ(リンク) ボリビア デスロード(リンク) ボリビア ウユニ塩湖(リンク) ボリビア ラパス世界一標高が高い首都(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ1(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ2(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ3(リンク) ボリビア ラパス正しい観光案内(リンク) ボリビア ラパス終了(リンク) ボリビア→コロンビア(リンク) コロンビア ボコタ到着(リンク) 親日コロンビア (リンク) コロンビア ボコタの印象(リンク) コロンビア人(リンク) コロンビア ボコタ フェルナンドボテロ1(リンク) コロンビア ボコタ フェルナンドボテロ2(リンク) コロンビア ボコタ シモンボリバル(リンク) コロンビア ボコタのなんだこりゃ(リンク) コロンビア ボコタ正しい観光案内(リンク) コロンビア ボコタ 黄金博物館1(リンク) コロンビア ボコタ 黄金博物館2(リンク) 南米gourmetの旅(リンク) 米国便(リンク) コロンビア→日本(リンク) インカへの道(リンク) 正しい帰国(リンク) 今回の移動一覧(リンク)
2015.09.09
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25年以上前、長期海外旅行記というのは、そんなになかった。図書館に行っても世界旅行記は2,3冊しかなく、其の中で読んだ聞き慣れない国を旅行する短いエッセーを読んだ。いや、あのころでさえ、既にインドネパールあたりの旅行記は多少出版されていた。あの頃、鎖国状態のオマーンやキプロス、グレナダなんかのことを書かれている本を見つけ、その中にはコロンビアもあった。パナマかエクアドルから陸路で入国した瞬間においはぎにやられ、何とか逃げたらまた違う追いはぎにやられ、といったことを書いており、これは相当にヤバイ国だなと思い、その後1980年代後半でも、南米旅行者もコロンビアだけは避ける、そういった意見を何度か聞いた。聞いたがさすがに、学生にとって、南米は遠く数年前にやっと、中南米に行った。1990年代までのコロンビアは本当に治安が悪かったのだ。しかし、それは徐々に改善され、2,3年前にニューズウイークででも治安が改善旅行者数増える、といってキレイな街の写真を載せていたのを見た。首都ボゴタは世界一危険な町といわれていたのに、、通りのコーナーごとに警官が立っており、警官に襲われないか心配になるくらいであった。マア、実際は今でもコロンビアの死因の一位は殺人らしいが。今ネットで見ても、思ったほど危なくない、依然として危険、と両論あるが、そりゃ、答えにくいだろう。どんな国も治安がいいです、悪いですと一概にいえないからね。時間もエリアも運も自分の散漫度も自分の旅行歴や海外滞在歴もあるからね。それにスリ、泥棒、はがいじめ泥棒、ノッキング泥棒、殺人泥棒、一緒くたにはできない。私も、道に迷って、ズンズン歩いて行くと、ある通りで急に空気が変わったので、即、引き返した。気のせいかも知れないが、そう感じたのだから。人の目が険しくなり、あやふやな警官の集団も増えたのであった。あとは夜中のタクシーはホテルまで来てもらい、ホテルに横付けしてもらうまでフロントで待っているとか、そのタクシーと空港で料金で揉めたが、仕方ないので100円ほどであるが、すんなり交渉成立(500円ぐらい足りないといわれたが)させたぐらいだ。あとは、昼間はビジネスマンがいっぱい歩いていても、夜になると急に空気が変わることぐらいか。でも危なくなさそうに見えても分からない、そりゃ宝くじみたいなものだ。イランイラク戦争中にイラン旅行していたときも、イラン人にミサイルが飛んでくるのは宝くじにあたるようなものだよ、と言われた。実際、手足を失った元兵士は良く見かけるのであるが、街中はいつも澄んでいた。3Cのコロンビア 何でもいいけど、ここは高原気候で、年中温和というか、ちょうど暑いか寒いかの気候が続き、治安良ければ生活するにはいいところだろうナと思うんだがなあ・・・。 1995夏南米 出発(リンク) 南米gourmetの旅(リンク) ペルー リマの夜 ペルー リマ ラインキシオン宮殿(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内1(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内2(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内3(リンク) ペルー→ボリビア(リンク) ボリビア ラパス 干しミイラ(リンク) ボリビア女子プロ(リンク) ボリビア デスロード(リンク) ボリビア ウユニ塩湖(リンク) ボリビア ラパス世界一標高が高い首都(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ1(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ2(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ3(リンク) ボリビア ラパス正しい観光案内(リンク) ボリビア ラパス終了(リンク) ボリビア→コロンビア(リンク) コロンビア ボコタ到着(リンク) 親日コロンビア (リンク) コロンビア ボコタの印象(リンク) コロンビア人(リンク) コロンビア ボコタ フェルナンドボテロ1(リンク) コロンビア ボコタ フェルナンドボテロ2(リンク) コロンビア ボコタ シモンボリバル(リンク) コロンビア ボコタのなんだこりゃ(リンク) コロンビア ボコタ正しい観光案内(リンク) コロンビア ボコタ 黄金博物館1(リンク) コロンビア ボコタ 黄金博物館2(リンク) 南米gourmetの旅(リンク) 米国便(リンク) コロンビア→日本(リンク) インカへの道(リンク) 正しい帰国(リンク) 今回の移動一覧(リンク)
2015.09.08
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備忘であって備忘ではない。昨日の日記のとおり、バンコクで別れた20数年後に仕事を依頼する後輩に別れを告げた訳であるが、仕事中に、彼が、「そういえばO(オレから4つしたの後輩)は何癌でしたかね。あと半年ですかね」と聞いてきた。「なんだったかな、俺らの周りもチョコチョコ死に出したな、一応飯は食えてるみたいよ。」と答えた。商社に勤めていたが、今はもう療養中である。 バンコクで宿代の自分負担分も払わず帰国していった後輩であるが、その後大手2大印刷会社のどちらかに入社して、一緒に東大出身者と働いて、その東大君が全く使えない人間で、昼から出てきたり、帰ってしまったりで、会社を3ヶ月ぐらいで辞めてしまったそうである。そして後輩自身も半年後に会社を辞め、居候の修行者となったのであった。修行時代は、朝も晩もなく、現場や事務所のその辺で寝るといった生活を続けていたのであるが、生き生きとしていたのであった。私のほうは、入社して初めての長期休暇のGWには学生の後輩と、日本どこでも適当5日間ドライブを慣行し、始めてのお盆には、また懲りずにバンコクに行った。行ったはいいけど暇で暇で毎日12時間ぐらい寝ていた1週間、毎日ラリパッパであった。まだそんな牧歌的な時代だったんだなあ。ところで、特に国会周辺でデモする人たちを応援するわけだが、それはいいんじゃないのとアナーキー的に応援はしているんだけど、何だかふに落ちないところもあって、ひとつは前にも書いたけど、安倍政権は公約どおりにやっているので、それに反対するのは民主主義じゃないような気がする。その前に選挙で落としておかないと、政権とらせたらあかんやろと。国民は数の論理で自民党に投票したんだ。今更デモなのか?おかしいな、ということである。勿論、そんなこと分かっているよ、小数派でもおかいいことには訴える!ってことなんだろうけど。それからヘイトスピーチという言葉である、何か分からないよね、あ、デモと関係なかった。人種差別発言問題、不当な民族差別とか行った方が皆さんに分かり易いね。英語はカタカナに出来て便利なんだけど、こういう局面には日本語にtyなとしたほうが伝わりやすいね。最近の俺の周りでは、クリティカルとか、それって批評批判という意味じゃないのかと思うのだが、このときまでに決定しなければならない、決定した、という意味があるのか知らないが、日本語で、これは死守セナアカン日とか、ここの期日をベースに後先考えるとか、これが正式な、でいいんじゃないか、他にもシームレスとか、まあ、連続性があってキレイとか正しいとかでいいんじゃないの、他にもスケジュール感って、どんな感?まあ、大体分かるけど、スケジュールや予定でいいと思う。とかいいながら、オレも人を煙に巻くときは英語みたいなのを使うからね、あそっか、アバウトなときや、だいたいのときに使う便利な言葉なのかもしれないね。メリット、シンメトリー、デッドライン・・・・まあええわ。酔っ払ってきたから。それからシールズって、うーん、言葉変えたらどうかな。高校生や学生中心の集団でその言葉聞いた瞬間にあの虐殺軍団思い出したよ。亜米利加海軍特殊部隊だろ、分かってってつけたんだろうけど、ほらビンラディン殺してジャン。ああいう感じをモチーフにしてんのかな、俺は分からない。初めて聞いた瞬間、マジか、と思ったけど、きっと皮肉込めた名称なんだろうね。それか、名前なんてどうでもいか、かな。でも、俺はちょっと気になるんだ。何でそんな名前にしちまったんだって。 それにしても、一緒に仕事をすれば、利害関係のない学生時代を過ごした後輩、わりと「これもうちょっとこうしてや、値段は同じやで、といちいち注文つけるのだが、最終、これでいいすか、といわれると、こいつこんなに仕事に対しては細かいのかと思われるのはいいのだが、ああ、仕事になると性格も変わるんですね、と思われるのもまあ、いいのだが、結局、見透かされているので、いいんじゃないすか、いいんじゃないか、で終わるところが、何となく危うい感じもするのであった。歌ってた
2015.09.07
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ああこういうのがタタミゼ効果っていうのかな。特に都市部はね、ビルがあってそれが同じ感じで道路や電車や地下鉄や店も同じような感じで、郊外型の道を通ってもファスト店ばっかりで同じようなモールがあって、ファスト店舗、ファスト食べ物屋があって、石油大量消費型であり、せっかちな感じであり、どこにいっても大体同じだな、という感じ。海外に行っても同じような都市、特にアメリカなんか何だか同じに見える。どこに行っても同じが大成功しているのは、サラリーパーソン化はなはだしい現象なのだろう(自営業も含め)。だからメーケティングもサラリーパーソン的で、要は無難なもの、失敗しないもの、リスク回避が第一となる。そんなのいいじゃんは許してくれない。大成功は許されるが、失敗は許されない窮屈な社会実現した。一般客もサラリーパーソンになっているので、実に神経質で、オレの人生どうしてくれるんだ!というクレームを避けるために、無難なことしかできない。でもマーケティングしたら過去の成功例に倣うから、割と失敗する。昔は経済成長期だったからよかったんだけど。 でも、そんなことは分かっていながら、じゃあ、俺は、やってやるぜ、とか、突き抜けすぎた杭は打たれないとか、小市民なので、思わないのである。まあ日和見の風見鶏なのである。人を覆したり、驚かす言葉を持っていないのであり、持てないのである。 しかし、オレも効率が悪いのである。こうやって夜な夜な南米旅行記を組み立てている(実は、時間のあるときに、イッキに何回分も書いているので、何も書いていない日のほうが多いのだが)のだが、昼間は別に大きく思い出すこともない年齢に達してしまっているのである。学生時代は、正直、日本にいればアジアが恋しくて仕方なかった。旅行が恋しくて仕方なかった。多分、随分、好きだったんだぜ。あんなけ休みあっても、必ず中間試験や期末試験の翌日には出国していたからなあ。当時はネットもクレジットカードもなかったから、ホテルの予約もしたことないし、用意するのは、事前準備するのは、現金と、片道か往復の空港券だけで、さすがに、砂漠にいったり河下りに行ったりするときには、図書館通って地図コピーしたりその辺りの情報得ようとしてたなあ、まあ、たいてい学術書みたいなのしかないんだけど。 今は、まあ観光地などの訪問先の情報は行ってからネットで調べるが、マイナー情報もエアーや1泊目の宿泊の手配もネットだけで調べるが、せいぜい1週間なので、割とそのあたりは、仕事激務で午前様に帰ってもそこから2,3時間調べるといった旅行前2,3日の眠い大仕事が待っている、待っているが、多分、ルートつくりをやっているのが、楽しいのだろう。ウニに魚巻くとイッソウニ美味い。やっていること割と無駄になるが、それは次回引き延ばしだ、1週間前までチリのこと調べてたのに、(当初予定、チリ→ペルー→コロンビア)結局は、ペルー→ボリビア→コロンビアとなったのである。それも7日後には家に帰ってきたのだから、滞在どんなけしかないねん、と自分でも思う。そんで、翌日からまた自主的に働いて、どんなけ効率悪いねんの、帰国してから3週間まるまる休んだのは1日だけであり、まあ、洗濯物とかクリーニングとか読書とか本屋通いとかメシ食いに行くとか寝過ごしとかの重要なイベントがあるので、朝遅出勤とか昼から出勤とか、今日は帰りますとかあったにせよ、(ほんまに3週間連続で9時に出社して仕事したら、着て行く服や下着がなくなる。一度そんなことがあって、靴下と下着を毎朝コンビニで買ってて、限界やといって、休ませてもらった。洗濯ぐらい帰ってからしたらええやろ、って怒られたけど、午前様で帰ってきて洗濯する気起こらない。帰ってからは、シャワーして酒飲ませろや、ぐらいだ)嬉々として労働し、全く進まない危機感を募らせつつ、世の中は自分どおり動かないし、金は(会社の金、個人の金問わず)人や物事を動かせることはできるけど、幸せとはなんの関係もないよな、とまた30年前から思っていることをつくづく思うのであった。チェブラーシカ、いい感じ、以上、この日記のテーマソング。 ところで、我々の国ニッポンは、そういった生活から死からは近くても、詩からは遠い。3句も聞いたことがあるならもはや、今じゃ国民的詩人だろう。松尾芭蕉と小林一茶ぐらいか、与謝蕪村はいるか、与謝野晶子のエろ系も入るか、いや乱れ髪ぐらいか。 ところで、誰かといつも仕事をするわけだが、なかなか大学までの知り合いと仕事をすることはないわけで、仕事のジャンルが違う、誰も自分と同じ業界に入社しなかった、ということもあるが、今日は、大学の後輩に仕事を頼んで、してもらった。勿論、間に会社をかませてだが、こそっと、ここ使ってくれやと、強権発動したのである。勿論今までの仕事ぶりを知っているので、それなら会話しながらすすめられるので、余計にいいものできるやんってことで、頼んだのである。多分、いい仕事してもらったと思うが、急に思い出した。ところで、あなたの耳くそは、湿ってますか、乾いてますか。昔、そんな本を読んで、日本人は世界の劣勢で乾いている人が多いとのことで、私も乾いている。北部の中国人や韓国人で湿ってるのはは4 - 7%、ミクロネシア人やメラネシア人では60 - 70%、白人では90%以上、黒人は99.5%がと言われている。黒人のほとんどは湿ってるぜと聞いたことはあるが、比例して体臭もきついぜ、と。日本人全体では約16%だと言われているが、北海道アイヌ民族では約50%だとのことだ。関西人は乾いている奴が多いらしいで、オレも乾いている奴だ。だから、耳かきは分かっていたが、海外じゃ綿棒使ってたりして、あれじゃ、駄目だねと思っていたが、湿ってたらとれるのだろうな。ちなみに、気持ちいいから取るわけで、耳掃除って別にしなくていいそうだね。湿り気は、いい悪いではなく、同じ人間だから同じじゃないの、と大学生ぐらいまでは思っていたからね。同じ人間なら黒人が陸上競技強いの解せないよね、水泳も、人種差別なかったら黒人の独断場になるんじゃねえのか。いや急にもも出だしたのはミミクソの話ではない。学生最後の夜、バンコクのことである。ここの最初の写真の左が私で、真ん中が『今日仕事依頼した後輩(右が今沖縄で製薬会社のフロントマンとして悪業しながらも、このときはほんま子供だった、今も子供である)当時、ボルネオ島のゴムボートによる川下りが終わって、一人は、ブルネイに行き、残り3人はクアラルンプル経由コサムイ経由でバンコクに戻って来た。3人のうち私(勝手に隊長宣言)と後輩(副隊長)は明後日から社会人である。明後日から仕事という夜、タクシーが迎えに来る時間までカオサンの屋台で1本ビールを飲んだ。彼の時世の言葉「やけに金のない旅でししたね。やけに区切りのない旅でしたね。何本作ったのですか?」私は「何本?さあな。しかし、学生時代のこんな犯罪的自由な時間は終わりなんだな。次は40年後だぜ、最後、こんなこともいうのもなんだが、おれたち今、センチメンタリズム状態だな、ははは」と力弱く嘯いた。(彼は半年後に仕事辞める)そして、金がないはずなのに、彼はどうやって金を工面したのか分からないがタクシーでドンムアン空港に向かった夜であった。カオサンロードでさえ、まだ土の臭いがした。夜は、さすがに暗かった。コンクリートの地面がまっすぐではないので、テーブルや椅子が安定せず、ビール瓶が倒れない程度にカタカタ鳴った。タクシが迎えに来て、彼にクロングテップ(タバコ)1箱を持たせる。気がつけば、彼は相応分のバンコクでの宿代を払ってくれずの帰国。そんな夜だった。彼が宿代を払わなかったので、翌日帰国日に、私も宿代も払えない程度に財産はなくなった。帰国日に、私も行商人となり、自分の持ち物を売るのに忙しい日となった。そういえば、後輩が帰国して、もう一人の後輩にも「これらを売って来い!」と行商を頼んだら、オレの蔵書ランボーの「地獄の季節」を1バーツ(当時5円)で売って来やがって、「帰国の空港税の足しになるか!」とマジメに叱ったことをついでに思い出した。(今では考えられないが、あの時はバイタリティと金がないという切実な問題があって、結局、空港税が足りずに全財産見せて交渉(お願い)しまくって空港税まけてもらったんだけど(500円ぐらいまけてもらったんだと思う)、今考えたらどうやって負けてもらったんだろう)それでも成田についたら、金はないし、銀行にも金は入ってないことは分かっていたので、バンコクの空港で500円のテレホンカードを日本人に500円で買ってもらったなあ。そのお金で、友達に電話して、1万円、成田郵便局に送金してもらって、初任給で返したなあ。(東京からは青春18切符もってたから、上野につけば、もう、残った金で高架下に飲みにいったなあ、そのとき初めてもんじゃ焼き食べたなあ。味のついたゲロみたいだったなあ。)まさか、そんな後輩に自分は会社員のくせに仕事を頼むとはなあ(彼は自営業)。ちょっと嬉しい感じがする。
2015.09.06
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ハングルは表記文字だ。文字を見たら読める。コレはコレでよい。ドイツ語もスペイン語も、まあ読める。英語は例外が多すぎる不完全な文字なので、読み方を間違えることもある。高校のとき、オキュパイ、オキュペーションなんか見て、読めるか、であった。HATEもハイトかヘイトかハッテかヘーテかハテか始めて見たら読み方分からない。勿論、意味も分からない。それどころか専門用語になると、全く英語では分からない。水頭症、類人猿、いやそういう英単語ではなくとも、今、ニュースで拾ってみると、「国政転身も、維新分党提案」「山口組分裂、切り崩しで翻意派が急増」「女性アスリート、持久系2割が無月経」「原発廃棄物、処分場の白紙撤回訴え」「佐川急便/環境保全優良事業者として近畿運輸局から表彰」「増える海外旅行は一人で 晩婚化影響で家族旅行減少」「福島のモミの木に異変 放医研、放射線が原因の可能性」日本育ちの日本語を母語としていたらこのあたりのニュースはインテリであれ庶民であれ、概ね理解、または何のことを言っているのか想像できる。何故なら漢字で類推できるからだ。上記、翻意派とか放医研とか意味をしらなくても、だいたい、ハハーンと類推できる。翻意とは、ひるがえすってことだから一旦決めたことを変える一派だなとか、略語で多分放射能医療研究所かなんかそのあたりだな、とか。ラテン語では多少類推できても、英語では難しい。アンチなんとかとか、多少類推できるものもあるだろが。今調べたら水頭症は、Hydrocephalus、分からないよな。ハイドロが、ラテン語の水からきていることが辛うじて分かるぐらいじゃないの?なんかハイドロ何とか現象って車の運転で習ったじゃないか。あ、類人猿はAPEだった。でもこれ、エイプって読むけど、アペだよね。しかし、学術的にはpithecanthropus。こりゃ母語の人でも専門家じゃないと分からないんじゃない?まあ、ここが日本語の偉いところだねえ、エッヘン。(勿論、文字表記ではなく、発音で言われると日本語でも分からないよ。Suirosyo,スイトーショー、とかルイジンエン、ruijinenこれでは分からない。このお陰で、日本の場合は、階級差がそんなにないと思われる一員だ。昔、文明開化のときにやってきたガイコツジンが寺小屋のおかげもあってか、普通の鼻垂らした奴らまでが文字の読み書きできることにびびったらしいじゃん。今でもそうだよ支配階級との分断が言葉ではそんなにないのである。私の周りの日本人に馬鹿な奴はいない(やっていることが馬鹿とか考え方が馬鹿はいっぱいいる、自分含め)。しかし、例えば、インドとか行った時は違ったなあー、同じ国民なのに意思疎通ができないのである。 今、日本も企業やアメリカ様からの要請で英語教育に力をいれようとしているが、まあ、やめとけ!英語はなせるようになったら、アメリカさまにはならなくて、多分、英語が国の共通語のインド様やフィリピン様みたいになるのは目に見えているし、アメリカ様は、英語で意思疎通できる程度の単純な労働者を求めているのだ。グローバル化と言葉を濁した英語化で、資本や投資は安いところに流れていくので日本芽英語化したら、まあ、もっと貧乏になるよ。だいたい、日本はガラパゴス化して駄目だとかいうけど、何故駄目なのか、日本は貿易大国と国が宣伝しているかも知れないが、超貿易小国だ。額はでかいよ、でも世界銀行の貿易依存度見てみ?180各国中175位、要は自己完結してるじゃん、自分らで作って自分らで消費してるじゃん。これを他国に作らせたら安くなるけど、自分らももっと貧乏になるよ。それに他国に依存したら他国の政情や経済不安に巻き込まれるぜ。 そういえば、ヨーロッパのさ、イスラム教徒がさ、ISILに参加したりするのってさ、こういう構造でしょ?イスラムの自国では食えなかった→移民としてヨオロッパに流れた→俺が生まれた→移民で教育もないから差別されたし就職先もない→ヨオロッパ憎い→ISILいいじゃんいってみようかな、或いは自爆テロで死んでしまおういかな、じゃないのか、長い目で見たら自国で食えない国になればほんまヤバイ。フィリピンみたいに出稼ぎで国の半分以上のGDP!みたいになっちゃうんじゃないの。英語化すればアメリカの仲間入りじゃなくてフィリピンの仲間入りだぜ、まあシンガポールも同じなんだけど、小学校から授業はオールイングリッシュ体制だぜ。自分の言葉も確立してないガキに英語だぜ、国語の時間だけタガログ語だぜ、何とか教育受けることで来て医者や弁護士、看護師になったよ、英語話せるから海外に出稼ぎよ、自国民はまあ死んでくれ、英語圏の発展国の手助けして自分はお金もうけて、家族養います・・・という悲しい構図。騙されるなよ、英語教育は日本の多国籍第企業とアメリカ様の意向なんだからね。グローバルスタンダードはアメリカ化、英語化だからね。推し進めると貧乏になるよ、TPPでやられるよ、TPPは早晩、現実的にはちうごく対抗もあって現実仕方ないけど、仕方ないなら早めに有利な方向で交渉して欲しいわ。続きだが、韓国の一流大学英語で授業しているけど、別にノーベル賞が偉いわけでもないけど、なんで出ないのですか?キンダイチュウだけですね、それも平和賞。それは、日本人の受賞者がアメリカの大学にいる人も多いのもあるけど、授業を英語ですると、英語の勉強と専門の勉強と二重に時間とられるでしょ、専門書の翻訳が少ないのですよ、英語の原書(読まないといけないときもあるでしょうが)1冊を理解する間に、自国語の翻訳の専門書を10冊読めるわけですよ。こりゃスピードが違いますわな。ん?だから生まれた時から日本語捨てて英語で生きろ?競争相手多いよ。それよか、違うところで競争したら、じゃないのか?メンタリティが違うもの。メンタリティの違いは思想の違い、考え方の違い、発想の違いになるんじゃないの?例であげると、私、私は英語では1つだけでしょ?ドイツ語でも2つ。日本語は、もはやなんぼあんねん、私・オレ・ボク・お母さんはね・自分は・ワイ・アッシ・ウチはな・オイラ・・・状況や相手に応じて自分の立場が変わる、しかし、英語は何があっても自己主張のIである。そっからすり併せや思いやりの思想と、自分の正義や公正や立場の明確化の思想との違いが出る。別にどちらがいい悪いではないのですよ、会合で一緒になって散々意見や質問しまくった英語圏の人がじゃあ最後に試験しましょねといって、何も書けない、なんだ日本人何も言わなかったのに筆記では超スラスラ書いているじゃんと、コチラからすれば、さっき先生が言ってたジャン、何も聞いてなかったんだな、ってことだよ。そういえば、フィリピンでも書店に行ったけど悲しいほど点数少ないし、ちょっ小難しいのは英語書だったなあ。文学は母語でないと無理だよ。まあ、関係ないけど英語タガログ語辞典買ったけど。あー、そういえば、文明開化の頃、そりゃ福沢諭吉も新島襄も岡倉天心も森有礼も内村鑑三も超英語が出来た、英語の書物を出しているくらいだ。そりゃ優秀な人が賢明に勉強した。仕方なかったんだよ、専門用語がなかったので、先生は全員外国人で、全ての授業が外国語だったから。森有礼は日本語を英語にと馬鹿なことを言ったが福沢たちはアホカと批判。その後、日本語で教えられる日本語の先生が育ってきて、やっと夏目漱石も、よかったよかたと胸をなでおろす。そういえば、キリスト教の歴史は長いが、カルバンやルターが出てくるまで庶民は聖書の内容を知らなかった。ラテン語が読めなかったから。おかしいよね。(聖書自体は、ヘブライ語、ギリシア語)内容も知らずに1000年以上信じてきた?信じていたのかな?ローマカトリックに脅されてただけなのか?ところで韓国キリスト教多いね3割ぐらいあるね、コレと言った宗教がなかったから、入ってきて普及しちゃったのかしら。しかも何だか現世主義と密着した新興宗教系が多くない?ところで、朝鮮ってさ、敗戦したんだよね、第二次世界大戦。まあ、タイも同じか、いや、たいはもっとしたたかだよね。ごめん、ちょっとドキッとした。そんな自分が情けない。はよ、日本帰れ。おまけピョンヤン空港リニューアル。 1995韓国日帰り 水原へ(リンク) うんこハウス公園編1(リンク) うんこハウス公園編2(リンク) うんこハウス室内編(リンク) トイレットハウス(リンク) 水原ロード(リンク) 水原世界遺産(リンク) 水原から空港へ(リンク) 行き帰り(リンク)
2015.09.05
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ホテルでは夜、暖房が入る。夜中着いた時は人一人歩いてなかったのに、朝ロビーに行くと、なんという人の多さ。通勤路通学路じゃないか。アンマンを思い出した。ボリビアにはウユニとかポトシとかスクレとかあるけど、ペルーにまたがってあるのがチチカカ湖である。標高3800メートル、4割がボリビアである。琵琶湖の12,3倍の広さであり、汽船が通る世界で最も高い湖であり、古代湖でもある。ボリビア海軍もある。先住民が浮き島に住んでいるのが不思議である。 それにしても、私のチチカカ湖の出会いは、ゴルゴ13の、「チチカカ湖はどしゃぶり」である。ウユニの塩湖も有名だが、コロラダ湖という赤湖もある。塩湖でもあるのか、島は白く、水の赤い色は藻類の赤い堆積物や色素によるらしい。イゲラ村、いわずとしれたチェゲバラ最期の地。サンタクルス。ボリビア第2の都市であるが、標高が400メートルと低いからなのか、行き先調査していて分かったのだが、事実上の首都ラパス(正式首都はスクレ)と同じか多いぐらい海外からの飛行機が多いのである。世界遺産が3つあるらしく、ノエル・ケンプ・メルカード国立公園 マアそんな訳で、地図見てたら南米の中の内陸の小国に見えるけど、面積は日本の3.3倍あるんだから、広いものだ。それにしても、スペイン語、ネイティブスピーカーというと、数え方によって何億人も変わってくるのだが、北京語の次、或いは英語ぐらいの話者がいる。言語が変わって話すと性格もちいと変わるらしいのである。もら、英語じゃ、公平公正とか自信とかオープンとか大胆とか明快とか、日本語じゃ気配りとか譲り合いとか遠慮とか低姿勢とか偽善とか、フランス語じゃ皮肉とかアンニュイとか気品とか怠惰とか上品とか、何かそんな感じじゃん、スペイン語は、これも私が勝手に思うのだが、せっかちとか怠慢とか血の情熱、陽気とか・・・うーん、どんなんだろうか。要は、言語学者鈴木孝夫先生の本は昔からよく読んでいるのだが、タタミゼ効果ってのがあって、ガイコツジンが日本に来て日本語を習って使い始めて本国に帰ると、滅法畳みたいな性格になっている自分に気がつくってやついらしい。軟弱になり喧嘩や対立が嫌いになって変に平和的な性格になっちゃったということらしく、それぞれの自国、アメリカに帰ってもロシアに帰ってもフランスに帰っても、なんだ日本人みたいだな控えめだな自己主張がないな人の話しをよく聞くな温和だな自分の非を認めるんだな、と本国で言われたりするようになることがあるらしい。 そういえば、簡単なとだが、自分が帰るときは、海外じゃ私帰ります、というが、日本じゃ、あのー、そのー、それではそろそろ・・・とはっきり言わず、相手も、そうですか、お構いもできなくてすみません、みたいなことをいって、ポワーンとしているな。察する力、遠慮力、共感力が必要とされる。ガイコクジンが見たら、ハッキリシネーナーと思うだろう。まあそんなことも思い出しながら、じゃあスペイン語ってどんなんやい、と思った次第よ。あ、妹が結婚する頃だったか、その前だったか、「オニーチャン、日本語の勉強するから言語学とか言葉の本もってない?」、といわれ「あるよあるある、鈴木先生から田中克彦先生から、その他・・・」といいながら20冊ぐらい渡したのを思い出したけど、読んでないだろうなあ、1冊も。文庫本のくせに1,500円ぐらいするのもあったんだよなあ・・・せこいけど、読んでくれなきゃ意味ないなあ、まあいいか事実は知らないほうが幸せよ。一回聞いて見たいわ。多分、ナにそれ、そんなのくれた?で終わるだろう・・・。しかし、ウユニをネットで検索してから、ウユニ観光のターゲティング広告が、どのサイトに行ってもついてくるやないかい。おまけ12都市当たった。 1995夏南米 出発(リンク) 南米gourmetの旅(リンク) ペルー リマの夜 ペルー リマ ラインキシオン宮殿(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内1(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内2(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内3(リンク) ペルー→ボリビア(リンク) ボリビア ラパス 干しミイラ(リンク) ボリビア女子プロ(リンク) ボリビア デスロード(リンク) ボリビア ウユニ塩湖(リンク) ボリビア ラパス世界一標高が高い首都(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ1(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ2(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ3(リンク) ボリビア ラパス正しい観光案内(リンク) ボリビア ラパス終了(リンク) ボリビア→コロンビア(リンク) コロンビア ボコタ到着(リンク) 親日コロンビア (リンク) コロンビア ボコタの印象(リンク) コロンビア人(リンク) コロンビア ボコタ フェルナンドボテロ1(リンク) コロンビア ボコタ フェルナンドボテロ2(リンク) コロンビア ボコタ シモンボリバル(リンク) コロンビア ボコタのなんだこりゃ(リンク) コロンビア ボコタ正しい観光案内(リンク) コロンビア ボコタ 黄金博物館1(リンク) コロンビア ボコタ 黄金博物館2(リンク) 南米gourmetの旅(リンク) 米国便(リンク) コロンビア→日本(リンク) インカへの道(リンク) 正しい帰国(リンク) 今回の移動一覧(リンク)
2015.09.04
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ウユニもことは書いたが、今回はユニクロのことである。ボリビアの国旗にはビクーニャ最終駅、昼間だったら空港行くのに安上がりじゃネエか、あ、バスのほうが安い?この前、台湾でロープウエイ乗ったばっかりなんだ。まあ、5度だから○ニ○ロの薄手ダウンジャケットでいいんじゃない・ユ○ク○のこのシリーズ、海外で使う。両手のひら2倍サイズぐらいまでに収まり、寒すぎたらダウンインダウンの下着に近い代わりにもなる。エクアドルでロープウエイ韓国でロープウエイ冗談というか、社会問題になりそうなんですけど。テレフィリコに乗ると、あ、韓国でもそうか?最後の写真。ありえんな。インパクトあったので覚えていたので、コレ見た瞬間にどっかでみたぞ、と。そんな訳で昔、安宿でも雰囲気いいところ泊まったよな、と思い出した。思い出したが、どこか思い出せないが、まあネパールである。ペシャワールである。チベットである。考えたら今まで何箇所の宿に泊まったのかというとまったく不明だが300箇所は越えているよね。んー考えたことなかったな。最近は、そう考えると、旅行情緒もない新しいか改装した清潔なホテルを好むようになったなあ、無味乾燥の。それとちゃんとしたとこに机と椅子があることかな。あと、何より必要なのがWIFIサクサクであり、それでないと、明日からの予定や移動が立てられないという恐怖。で、それ古いホテルと高級ホテル駄目なんだよなあ。 しかし、まあ、私は、死ぬまでできればホテル暮らしをしたいなあ。関係ないけど衝撃の国境。1995夏南米 出発(リンク) 南米gourmetの旅(リンク) ペルー リマの夜 ペルー リマ ラインキシオン宮殿(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内1(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内2(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内3(リンク) ペルー→ボリビア(リンク) ボリビア ラパス 干しミイラ(リンク) ボリビア女子プロ(リンク) ボリビア デスロード(リンク) ボリビア ウユニ塩湖(リンク) ボリビア ラパス世界一標高が高い首都(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ1(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ2(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ3(リンク) ボリビア ラパス正しい観光案内(リンク) ボリビア ラパス終了(リンク) ボリビア→コロンビア(リンク) コロンビア ボコタ到着(リンク) 親日コロンビア (リンク) コロンビア ボコタの印象(リンク) コロンビア人(リンク) コロンビア ボコタ フェルナンドボテロ1(リンク) コロンビア ボコタ フェルナンドボテロ2(リンク) コロンビア ボコタ シモンボリバル(リンク) コロンビア ボコタのなんだこりゃ(リンク) コロンビア ボコタ正しい観光案内(リンク) コロンビア ボコタ 黄金博物館1(リンク) コロンビア ボコタ 黄金博物館2(リンク) 南米gourmetの旅(リンク) 米国便(リンク) コロンビア→日本(リンク) インカへの道(リンク) 正しい帰国(リンク) 今回の移動一覧(リンク)
2015.09.03
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何せ、起床は夜中の12時であった。それまで、夕方から風邪じゃないかと寝ていたのである。酔っ払っていたのもあるかもしれないが、寝るほうが頭や首が痛いのである、起きると、何故か楽になるのであった。念のためにロキソニンを飲んでおく。今回の旅行で3粒目である。伊丹がピタッと収まるから、薬の力は偉大である、偉大であるがやりすぎると馬鹿になるので、使用は控えているのが現状である。 フロントに下りて行き、夜中の2時にチャックアウトするからタクシー呼んでくれるかなとお願いしておく。お願いしたあと、テレビをつけるとNHKやっていたので、流しっぱなしでネットでボゴタの宿をとったり、やたら忙しく良く分からない2時間であり、ちょとまたもや不覚にもうとうとしてしまたのも事実である。 4度、雨の中、車を飛ばし高度を500メートル上げ、4000メートル越えの世界最高標国際空港エルアルトに着くのである。ラパス空港は、1日5,60便しかなく、国際線は10便程度である。(トイモイ時刻表調べなので、地名がよく分からんので、もうちょっと国際線はあるかもしれない) 空港はちちゃいちっちゃい空港で、下記写真では空港建物が半分以上映し出されているのである。だからうろうろするも何もなく、まあ、もう中に入っちゃおうかということとなるのである。高度が高いので先日前述の通り、第2の都市サンタクルスの国際便の発着もかなり多いのである(標高普通の400メートル)。 2番ゲートって、中にはいったらショボイ免税店があり、下記写真で、待合所の全貌が1枚で映し出されてしまうぐらいである。 これは暇だぞ、と思い、誰もビール飲んでなかったが、私は敢えて飲むことにした。ちょっと夕方にドルを多めにボリビアーノに両替しちまったからな。まあ、ちょと贅沢させてくれというか、なんか、オレだけ飲んでたら、アルの中毒みたいじゃないか、しかし、ボリビア人は、アルコールに対してエスキモーやアボリジニ並みとまではいかないが、どうやら節操がない人が多いようである。まあ、ロシア人みたいにウオッカで体壊して平均寿命50歳代ってことはないのであるが、腰が砕けるまで飲んでしまう輩が多いという噂は聞いている。あくまで噂であり、節操節度あるボリビアーノはいくらでもいることであろう。 そうしてチビチビやっていると、チケットカウンターで搭乗券を出してくれた人が、私を探し出してやって来た。顔はすまなさそうな誠実な感じで、今は蛍光が塗られたペラペラの反射素材の入ったメッシュのベストを着ており、「すまないが、君から空港税を徴収するのを忘れていた、25ドルだ。それもキャシュでお願いしたい」と、多少眉毛をハの字にして言った。やたら申し訳なさそうにしているので、ウソはついてなさそうだが、ベンチに座っているのに、「え、いいけど、え、今ここで?」ということになり、ボリビアーノ結構余らせちゃってそれでもいいかと聞くと、彼は一瞬にして計算したので、随分計算が適当な感じがするなあ、ああ、7をかけて175ボリビアーノといったのね、と分かる。こんなところで払っていいのかと思いながらも払うと、はいこれレシートといって領収証くれた。よう分からんかったが、どうもといいつつ、あと40ボリビアーノ700円ぐらい余らせてしまったので、まあ、コロンビアで両替するか、と思ってコロンビアの空港で、そのお金は両替できませんと断られた。えー、ブラジルの一部をまたいでいるだけなのに? やがて搭乗になると、その担当者も搭乗券確認係りとなり、私を見つけると、「どうもどうも済まないね、気をつけて」と呟いてくれた。機内の安全確認兼注意事項兼緊急事態ビデオは、アニメであり、何となくその絵もかわいい感じだったのであった。 離陸は4時半である、早朝であり、本でも読もうかなと思うと、全員が熟睡状態で、1人以外誰もオンデマンド映画も見ていない状態となり、オレもとりあえず、3時間ぐらいのフライトを寝ることとしたのであった。いや、上手い具合に随分気を失っていたようである。朝食は到着前に出るのであった。うわ、風邪ひいてたからもあるけど、固形物食べるの22時間ぶりぐらいやな、と思いつつ、食べ終わると、ボゴタに到着。 さすがに緊張が走る。荷物検査が開けるのはないが、一人ずつ麻薬犬チェックがあり、入国するときも出国するときも同じ税関用紙への記入を申し渡され、出るときもこれはよくあるが荷物のX線もあり、さすがコケインの国、という感じであった。 空港の名前は、エルドラド空港、ボリビアで泊まったホテルもエルドラド、いやはや黄金理想郷である。治安は、爆発的に改善されているというが、タクシーの列に並び、みんなどんどん乗り込んでいくので、私も乗り込むと、ああこの国もメーターなしか、いくらか聞いてみると、30でどうだ(3万コロンビアペソだろう=1200円)と言われたので25でどうだ、というと、いいだろうとあっさりOKしたのだが、逆にコロンビアだけに不気味であった。ただし、不気味は杞憂に終わる。25払うと、OKとのことであった。(但し帰りは、タクシーを呼んでもらって宿屋にいくらか聞くと25といってたので、(夜の10時ににも積もって外出るの危険な感じしたというか、宿屋昼間も常時鍵閉めてて、いちいち開けて貰わないといけなかったので、こりゃ、何となく危険だなと思った次第であり、タクシーが来てからフロントを出たのであるが、35だと空港で交渉決裂となり、イヤ駄目だといいながらも、タクシードライバーの目が怖かったので30で手を打っておいた。5渡して握手である。手を出すのであるが、普通笑顔になってもらわないと困るのに、怖い目のまま、チッ仕方ねえな、と怒ったまま暫く考えOkと言われる。オメエがぼったくってんだろと思いながらもである。)まあ、14キロで1200円だからな・・・。何故か自分を納得させようとする。そういば、15キロか20キロ離れていたキプロスなんか4,000円だったものなあ。空港だから高いのだろうと思ってたら市内から乗っても4,000円だったからなあ。皆さんどうして移動してるんだろうと思うぐらいであった、なんせ公共バスなどなく、タクシーしかないのであった。まあ、ボゴタは南米でも7,800万人の大都市でありサンパウロやメキシコシティー、リマ、ブエイノスアイレスの次ぐらいに人口が多いようだ。コロンビア自体ブラジルやメキシコと次に人口が多く、さすが空港もでかい訳だ。無料WIFIも良く通じるのであった。おまけつづく。1995夏南米 出発(リンク) 南米gourmetの旅(リンク) ペルー リマの夜 ペルー リマ ラインキシオン宮殿(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内1(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内2(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内3(リンク) ペルー→ボリビア(リンク) ボリビア ラパス 干しミイラ(リンク) ボリビア女子プロ(リンク) ボリビア デスロード(リンク) ボリビア ウユニ塩湖(リンク) ボリビア ラパス世界一標高が高い首都(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ1(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ2(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ3(リンク) ボリビア ラパス正しい観光案内(リンク) ボリビア ラパス終了(リンク) ボリビア→コロンビア(リンク) コロンビア ボコタ到着(リンク) 親日コロンビア (リンク) コロンビア ボコタの印象(リンク) コロンビア人(リンク) コロンビア ボコタ フェルナンドボテロ1(リンク) コロンビア ボコタ フェルナンドボテロ2(リンク) コロンビア ボコタ シモンボリバル(リンク) コロンビア ボコタのなんだこりゃ(リンク) コロンビア ボコタ正しい観光案内(リンク) コロンビア ボコタ 黄金博物館1(リンク) コロンビア ボコタ 黄金博物館2(リンク) 南米gourmetの旅(リンク) 米国便(リンク) コロンビア→日本(リンク) インカへの道(リンク) 正しい帰国(リンク) 今回の移動一覧(リンク)
2015.09.02
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メルカルド(市場)を彷徨う、いや、彷徨ってない、迷っている。迷宮の楽園状態である。さすがに、ただの旅行者なので、強く、俺はボリビアにいるなんて、意識をどこかに持っている。1週間前までは来る予定がなかっただけに、感慨深いのである。(1週間前はチリのサンチアゴに行こうとしていたので、プリンタから打ち出した自分資料にはサンチアゴ情報が多分に入っているのである。)まあ、昨日は、いきって、ウユニのことを書いたが、ボリビアではポトシも世界遺産としてかつての銀山として有名なので、まあ、概ね、足を運ぶものなのである。ポトシとメキシコのサカテカスの領銀山で、16世紀にスペインがメチャンコに掘り出し、スペインのセビージャ(アンダルシア)の運ばれた。その量1万6000トンである。当時、ヨーロッパの銀んp採掘量は30トンである。これは価格破壊が起きてしまう。実際に物価はドドンの3,4倍になったのである。 マア、歩いていると、なかなか、ラパスは土産物屋でさえ商売気なくて、値引きに応じない、それはまあフッかけてもないよという意味かも知れないが、高いけど買ってくれないなら、まあ、いいよ、という感じもしないでないのである。いやはや、私、日本人はモラルもあり勤勉で、教育的基礎もある極めて良質なレベルの労働者なのだが、なんとなくGDP換算すると、なんと効率の悪い賢く働いてない国民の一人なんだと思う。長い時間働いてやっと、ドイツとか抜いてるぜ、なら、何だか駄目な民族に思えるのである。いや、働く時間毎日3時間減らしても、GDPとしては変わらないかも知れないな。金にならないことイッパイしているからね。まあ、それは日本が数字じゃない部分も非常に重要ということなのだろう。でも、忙しいからなのか、個人資質なのか、日本人傾向なのか、とにかく面倒なことは嫌いである。面倒なことにならないように、時間をかけて可能性の低いことに対する対策たてたり、それいいなと思っても回りから、それいいねとあれこれ注文オーダーかけられやること莫大に増えて面倒なことになった、言わなきゃよかった、みたいになっちゃう。噂(だれのうわさや)では、ちょこっと聞いていたオバチャンプロレスとかいうやつ、屋台で放送してて、ボーット立って見ていた。いや、これは本格的女子プロやな。チョリータス・ルチャドラス(戦うチョリータ、チョリータとは先住民の血を引き継ぐ女性のことだ。男性はチョラ。ボリビアの先住民はケチュア人がメインである。)だ。煌びやかな格闘技ショー。メキシコに「ルチャリブレ(自由の戦い)」という、レスリングに生死のドラマやドタバタ騒ぎをミックスした人気のプロレスがあるが、そのボリビア女版みたいなものではないか。 昔、滋賀県で仕事をしていたことがあり、何かでたまたま女子プロが大津の何とかホールに来ているよ、というのを見た先輩(転職済み)に無理矢理誘われて、仕事帰りに行ってみることにした。とはいえ、デビル雅美とかキューティ鈴木のことは知っていた。これでも、知識人だからである。といって、検索してみたが、こんな顔だったかどうかさえも思い出せないのである。覚えているのは、野次で、「デビル、やりすぎや」といって、場内が笑いに埋もれたのと、場外乱闘になって、キューティ鈴木が相手をヘッドロックしながら、偶然私のほうを向いて意地悪そうに笑ったことぐらいだ。でも正直、おちゃめさがかわいいな、と思ったのも事実である。他の選手より体は華奢であったな。そんなことを思い出した今年8月の終わりであった。1995夏南米 出発(リンク) 南米gourmetの旅(リンク) ペルー リマの夜 ペルー リマ ラインキシオン宮殿(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内1(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内2(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内3(リンク) ペルー→ボリビア(リンク) ボリビア ラパス 干しミイラ(リンク) ボリビア女子プロ(リンク) ボリビア デスロード(リンク) ボリビア ウユニ塩湖(リンク) ボリビア ラパス世界一標高が高い首都(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ1(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ2(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ3(リンク) ボリビア ラパス正しい観光案内(リンク) ボリビア ラパス終了(リンク) ボリビア→コロンビア(リンク) コロンビア ボコタ到着(リンク) 親日コロンビア (リンク) コロンビア ボコタの印象(リンク) コロンビア人(リンク) コロンビア ボコタ フェルナンドボテロ1(リンク) コロンビア ボコタ フェルナンドボテロ2(リンク) コロンビア ボコタ シモンボリバル(リンク) コロンビア ボコタのなんだこりゃ(リンク) コロンビア ボコタ正しい観光案内(リンク) コロンビア ボコタ 黄金博物館1(リンク) コロンビア ボコタ 黄金博物館2(リンク) 南米gourmetの旅(リンク) 米国便(リンク) コロンビア→日本(リンク) インカへの道(リンク) 正しい帰国(リンク) 今回の移動一覧(リンク)
2015.09.01
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