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モルドバ、キシナウの小さな空港からタクシーに乗る。一瞬寂れた森の中を通るので、少しびびるが、幹線道路から幹線道路に抜ける道であった。全般的に舗装状態は悪く、何とかやりくりしながらも、色濃く旧ソ連時代が残っている感じである。やがて15分程度で若干の渋滞というか信号待ちはあったが、基本的にトロイ車は、どんどん抜いていくどんな1車線でも、という考え方のようであり、日本車も少なめな感じである。宿泊はコスモスホテル、旧ソ連時代の国営ホテルの遺物を改装したものである。当時から、これは22階高層な建物だったのだろう。値段も30ドルである。ソ連時代は、多分、ルートが決められ、先払いだったので、こんなホテルでもいい値段払わされていたのかも知れない。フロントの愛想は随分よく、女性2人係で説明してくれ、アーリーチェックインも問題なくどうぞ、であった。廊下の絨毯や壁紙もやたらくたびれ、汚れている。部屋は改装したようである。冷蔵庫とか電話機が、おされであった。2016年(今年)に何があったのかは不明であるが、これ全部ホテルではなく、3分の1ぐらいはオフィスになっている、それも中間階で、多くのオフィスが入っているが静かである。そもそも、エレベーターが4基もあるのになかなか来ない。何故かは不明だが、多分1基しか動いてないように思う。エレベーター降りると、フロア床と段差があるから気を付けな。1階にはピカピカのカジノがあり、ここだけが新しいように見える。少し坂を歩くこと5分程度で、これまたソ連時代と思われる地名そのまま、ホテルキショナウがある。同じく、前に銅像があった。そして、旧ソ連時代のホテルナショナル(ナチィオナール)は、見るも無残。こいつは噴水後だなあ。1985年かあ。俺が初めて海外行った年だなあ。潰れていたが、何か模様がおされ。勿論、最新のホテルもちゃんと多く存在するのだが、この3ホテルはノスタルジーだねえ。コスモスホテルは4角にあるのだが、4角のうち3角に、新しくスーパーマーケットを含む複合施設が入り、活況である。であるが、なんでこんな近くに3つもあるのか、まあそれは単純に不明である。スーパーマーケット巡りしてしまうのである。街はかの戦争で無残にも破壊尽くされ、ソ連式都市計画で整備され(だだっぴろい道、碁盤の目)、古い建物はなく、古くなっちまった建物と最近できた建物で覆いつくされている感じである。ところどころ、流行りの言葉で言えば、昭和な感じで、多分、こちらの人は、ソ連な感じ、とか言っているんだかどうか。あ、そーだ、思い出した、インツーリストだね。ここを通さないと共産圏は旅行でけんかったよねねえ。ここ10年で東欧よく行く私ですが、ソ連時代はそりゃもう大変だった。大変話はよく聞いたなあ。その横では古着屋さんが道端に延々と続くのであった。アルバニアもそうだったが、それより、こちらのほうが、ヨーロッパ最貧国(インドネシアとかフィリピン以下の経済力)ではないだろうか。悲壮感は感じられないが。何だか、ハイヒールの女性多くて、つっぱってやってるよ!てな感じで。それにしても、空港からロータリー4つ角のデンと構えていて、きゅうそれんばりの威圧感満載であった。カジノの前にはお金たくさん入っているケースがあったのに、誰も盗まないんだね、治安いいんだねえ。(実際に治安は良い。インフラボロボロなのに、貧富の差がそう激しくないからなのかも知れない。)いやあ、何だか悪口書いたみたいな感じになっちゃったけど、結構この国、気に入った。おめえが悪人かつ貧乏ならヨーロッパで豪遊体験できる国だぜ、ははーん。 日本→モルドバ。ホテルキショナウ。キシナウ観光案内。キシナウ国立博物館1。キシナウ国立博物館2。キシナウ ナショナルミュージアム1。キシナウ ナショナルミュージアム2。モルドバgourmetの旅。モルドバ→アゼルバイジャン。バクーのザハ建築。風の町バクー。ヴァンダーカマーサウナ1。ヴァンダーカマーサウナ2。ヴァンダーカマーサウナの後。カスピ海は塩辛い。バクー世界遺産。アゼルバイジャンgourmetの旅。アゼルバイジャン→日本。
2016.09.30
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台湾には4大仏教宗派のうちのひとつが、佛光寺であり、南台湾の最大派閥であり、その総本山ということのようです。総本山に壮大な極楽ジオラマがあるのです。といっても、ここ自体はまあ、辺鄙なところなんですよ。名前は同じでも、日本とは違う臨済宗やらしてもらてるんです。敷地はざくっと300ヘイホウキロメーターなんで、日本独自の計算方法である東京ドーム何個分ですか、という問には64個分ですとしか答えようがないのです。東京ドームは46,000平方メートルです。1988年にできたんですね。坊主は1,500人。まあ,そのぐらいの黄金僧侶は一堂に集まっているのであった。台座は、インド式墓宿泊施設か?いやコンドミニアムだな日本にも支店がある。んあと近場では、宝塚の清荒神その他、山梨板橋名古屋福岡高崎にある。台風超えて台湾へ、台湾抜かして日本へ。佛光山そのもの。佛光山 浄土洞窟1。佛光山 浄土洞窟2。佛光山 浄土洞窟3。佛光山 浄土洞窟4。佛光山 浄土洞窟5。佛光山記念館。左営駅 瑞豊夜市。高雄から隆田、麻豆代天府へ麻豆代天府 到着麻豆代天府 聖女の生贄麻豆代天府 天国地獄麻豆代天府 十八地獄前編麻豆代天府 十八地獄後編麻豆代天府から高雄に戻る。六合夜市。台湾gourmetの旅1。台湾gourmetの旅2。高雄 西子湾。高雄から帰国。
2016.09.29
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見どころ満載のキシナウであるが、メインストリートを歩くと、いやあ、道路凸凹のインフラ整備なってないなあ、こりゃ厳しいなあ、という感じであった。物乞いの年寄りさんはところどころ見かけるが、国家のメインストリートだからか分からないが、服装はピシリとしており、ハイヒール女性が割といるのであった。でも、ヨーロッパの最貧国。市庁舎キシナウ一番の観光名所がこいつだ、凱旋門、愛嬌ですね。Triumphal Arch 両替屋がやたらおおい。カザフスタンも多かったな。ぺルーも結構あったような。通貨レイは、そりゃあ、よわよわで、噂によると、隣国でさえ再両替してくれないというからねえ。モルドバ、EUに入れてくれ入れてくれ、ト言っているが、無視されているようだ。Catedrala Nasterea Domnului Stefan cel Mare Park 不思議なことだが、この噴水、いやあ、なんだかいいなあ。ということで、ここで、休憩、ビールもベンチで飲む。この噴水、キシナウで一番の見どころやわ。ビールも横の屋台売店で買って150円ぐらいだしな。500ミリリットル瓶ビール、栓抜き貸してというと、よく見たらプルトップであった。考えたら、のんびり過ごすって、いや、歩き疲れて、いい感じのところでドヘンと座って疲れをとっているだけである。カラオケの店多かったねえ。バスは逆行OK標識。この国なんもないけど、その割に自由度高いとうか、ヨーロッパのはしくれ、旅行者にとって、経済的にこの国、それゆえ、おもろいぞ、とビビンと感じるのであった。そこで、いろいろググってみたら、おもろいというより、おぞましいことに、ヨーロッパのろりこん天国らしい・・・ヤバイせいへきの奴らが大挙して押しかけてくるのかもしれない。それから、世界各国でロシア人ですよーという売りのばいしゅんふは、実はモルドバ人でしたよーってのも多いらしい。キシナウで唯一ピカピカに光ってるね。St. Theodor Tiron Conventいい観光地あるやん、シェルターみたいなの。Bunkerというが、トーチカみたいなものだ。まあ、そんな感じで、5時間歩き回って、足が棒になって、頭もボーっとなってきたので、キシナウ観光は終了である。日本→モルドバ。ホテルキショナウ。キシナウ観光案内。キシナウ国立博物館1。キシナウ国立博物館2。キシナウ ナショナルミュージアム1。キシナウ ナショナルミュージアム2。モルドバgourmetの旅。モルドバ→アゼルバイジャン。バクーのザハ建築。風の町バクー。ヴァンダーカマーサウナ1。ヴァンダーカマーサウナ2。ヴァンダーカマーサウナの後。カスピ海は塩辛い。バクー世界遺産。アゼルバイジャンgourmetの旅。アゼルバイジャン→日本。
2016.09.28
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1のつづきであるが、数々の地獄展示はみたものの、浄土展示は結構少ないのである。屠国威という方が任命されて作ったのであるそうだが、その作品とこの作品群とのギャップは何なのか。この球根が欲しいのか、顔にマルペケつけて欲しいのか。頭なでなでである。き、きさまあ~。(後ろの人)わ、私が代わりに殴られますぅ。坊さんよ、大志を抱け。ボンズ、ビーアンビシャス!とにかく、5百羅漢ではなく、5百坊主である。飽きた・・・上目遣いの修行ふざけよってからに・・・習字はワシに任せておけばいいものの・・・。紅一点紅二点一番奥に、やっとブッダ、しかし、その横には次なるコーナーへと続く道がある。つまり、今回の日記でこのシリーズは2回どころでは終わらないのである。みなさん、残念である。紅二転三転なのか、性別がないのか、何だかもう分かりません。長く生きて、もうだいたい分かった、諦めのポーズ第一の間だけで、何だか体育館並みの広さだよ。悟っちゃったら(分かっちゃったら)常人では、残りの人生面白くなくなっちゃうよ。それで、どうなの?そうだね、困ったね台風超えて台湾へ、台湾抜かして日本へ。佛光山そのもの。佛光山 浄土洞窟1。佛光山 浄土洞窟2。佛光山 浄土洞窟3。佛光山 浄土洞窟4。佛光山 浄土洞窟5。佛光山記念館。左営駅 瑞豊夜市。高雄から隆田、麻豆代天府へ麻豆代天府 到着麻豆代天府 聖女の生贄麻豆代天府 天国地獄麻豆代天府 十八地獄前編麻豆代天府 十八地獄後編麻豆代天府から高雄に戻る。六合夜市。台湾gourmetの旅1。台湾gourmetの旅2。高雄 西子湾。高雄から帰国。
2016.09.27
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うわっ、前に行こうとしていたところの前通ってた。澄清湖海洋奇珍園 高雄市鳥松区大碑路32号 (澄清湖観光区内) 台湾鉄道 高雄駅から、車 25分。MRT 衛武営駅5番出口から、タクシー 5分。蒋介石核シェルターの水族館。とメモしているのに、この前、どないやって、適当に行ってん!蓮池潭にての再訪を目指し、てくてく、左営駅から歩き始めるのだが、台風の影響で歩道が倒れた木で歩きにくい、誰も歩いてない、車ビュンビュンはしる車道に頑張って2,3キロ歩けば到着するはずと、がんばってみるものの、挫折しそうになるが、既に2キロぐらい歩いてしまったので、引き返すのも悔しいの心で、歩き続けるのサンバである。しかし、途中、野犬4匹に道を阻まれ、噛まれたら洒落にもならぬ、ムウウ、と引き返すのである。引き返すきっかけを作ってくれてありがとう、感動をありがとう、まあ、そんなシステムであった。高鐵(新幹線)高雄駅といっても、高尾駅からMRTで数駅の新左営駅が高雄終点なのである。まあ、そっから歩いてきたが、勇気ある撤退である。もう夜だし。さて、MRTで高雄駅に行き、歩いて5分でホテルにチェックイン。フロントの人は、ほんま、屋台のおばちゃんという感じであったが、到着してもフロントに誰もおらず、仕方なく5分程待っていると、トイレからおばちゃんが出てきた。高雄地図ちょうだいというと、大きいのしかないわ~と高雄県のマップをもらったが、これじゃあ役に立たないわ、どうするべか、ネットにつなぎ、瑞豊夜市を目指す。ま、いったんビールを持ち込み、火照った体にアルコール注入し、天気予報ニュースを見る。台風読み通り通過OK!手元足元注意良し!またもやMRTに乗り、さっき通過した駅に降りて、1番出口を出て、人の流れについていくこと5分で庶民の夜市が出現し、うわっ、狭い通路、暑っ!到着。瑞豊夜市、六合夜市は観光化しすぎて、庶民はこっちに来るんだとさ、というか、観光化というよりメインランドの中国人に随分傍若無人に荒らされて、現地の人たちは避けているという噂。大王多いなさて、11時頃になった。だから?1件だけ、興梠の唐揚げ売ってたが、最近台湾じゃ、コウロギも人気ないのかな、売っているボーイも多少寂し気であり、前の店の看板娘が欧米ハーフぽい子で、そのためかどうか知らんけど、そっちは人気店、道幅1メートルで、何とも寂しい厳しい苦しいの構図を取り過ぎながらも、またMRT駅に戻るのであった。
2016.09.26
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高雄空港を降りると、もうあれだよ、直行佛光山だよ。タクシーの運転手はおばちゃんで、ほう、そんなところにいくのかい、という感じである。グーグルで事前チェックしていると、40キロであり、地下鉄とバスを駆使していくと、閉館時間の17時を越えてしまいそうな勢いだったので、ここは、1キロのタクシー代を勘案したら、ずばり千台湾ドルとみた。まあ3,000円台だ、まあ、勤め人だからたまにの旅行そのぐらいよしとしようではないか。おばちゃんは、カーナビをセット。実際は850に空港駐車代みたいなの50で、900台湾ドル、なかなかの読み通りだ。ぼうさんが両手で手を振ってくれた。まずは、浄土へ急げ入場料は喜捨である。ふとっぱらに100入れておく。小さなお守りと飴をもらう。天国へ続け。全人類仏教礼賛の図、全動物仏教礼賛の図。天井磨かれ感満載でスタートだ。台風超えて台湾へ、台湾抜かして日本へ。佛光山そのもの。佛光山 浄土洞窟1。佛光山 浄土洞窟2。佛光山 浄土洞窟3。佛光山 浄土洞窟4。佛光山 浄土洞窟5。佛光山記念館。左営駅 瑞豊夜市。高雄から隆田、麻豆代天府へ麻豆代天府 到着麻豆代天府 聖女の生贄麻豆代天府 天国地獄麻豆代天府 十八地獄前編麻豆代天府 十八地獄後編麻豆代天府から高雄に戻る。六合夜市。台湾gourmetの旅1。台湾gourmetの旅2。高雄 西子湾。高雄から帰国。
2016.09.25
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仕事を19時前に切り上げ、そのまま、地下鉄経由で南海電車難波駅に向かう。会社カバンなので、カバン自体が少々重いのではないかと思ったものの、まあそれはさておき、ロッカーからも荷物を取り出し、ラピートするのであった。以前から出発は23時半であったのに、今回は21時半である。なんばからはラピートで43分であり、列車は来ていたが清掃なので入れず、思わず、ドリンク買いに行く。空いていていいねえ。よく会社帰りに、大阪駅のホームに但馬方面などにいく特急列車が停まり、割と席もあって、みなさんゆっくりドリンクするのが見え、こちらは満員電車に揺られ家路に着くんだよなあ、トホホという感じの逆バージョンである。新今宮、天下茶屋、堺駅などに停車し、ホームにいる勤め帰り人に目を合わさないようにして、ちょとだけドリンク。それにしても、ラピート鈍い、急行で行っても3,4分しか変わらない。帰宅ラッシュに巻き込まれない代が特急券510万円という対価。空港に着いたのは、出発1時間20分ぐらい前で、まだ人は多少並んでいたが、何故か私の後ろに並ぶ人おらず。カウンターに向かうと、「イスタンブールにお住まいですか?」と聞かれた。あれ、3,4日前もエバー航空カウンターで「台湾にお住まいですか?」と聞かれたぞ。お住まいはですね、何を隠そう日本ですね。日本は仮住まいと認定されたのか。何だか、えらい人が出てきて、「お客様、今日は満席でして、最後の2席で2席ともシートが壊れてまして、リクライニングにならないのです、申し訳ありません。12時間もそのままなんです。もし何でしたらエコノミーの席もご用意できますが」「(来たのが遅かったか・・)あ、そうなんですか、ディバイスは動きますか」「あ、映画とかは大丈夫です」「じゃあ、別にリクライニングしなくてもいいです」「ほんと、申し訳ないです」と言われ、じゃあ、仕方ないね、時間ないけど、ラウンジでビール飲んで、機内では早々に寝るか。いやいや、席確保しながらまだノーショーの人がいるかもしれないな、と多少席替えを期待する。シカシ、エコノミーもご用意できますが・・・・って。ゲートに行くと、すぐ呼び出しがあった。「やった、シメシメ」とカウンターに行くと、「リクライニングできる席ご用意できました」とのことで、誰かやっぱ来なかったんだな。と。それで席が変わったが、もらったメニューでは、前の人の名前(日本人)が書かれており、まあ、別に名前ぐらい違ってもいいが、乗務員が違う名前を呼ぶので、ごめん、私の名前違うのよ、とお伝えすると、その場で、ぐちゅぐちゅと前の名前の人をボールペンで消して、私の名前を聞いて、書き直していた。さて、めしめし、ドリンクドリンク、ノー天気、映画開始、というか映画は座って3分で視聴開始していたが。いつもは、トルコ料理だが、今回は和食にしてみた。しかし、やっぱトルコ料理にしたらよかったかなと思う。ターキッシュに乗ると、いつもちゃんとトルコワインとする。ここでフランスやスペインワインにしなくていいだろ、というのが、合理的考えだ(どっこも合理的ではない)何故か疲れていたのか、映画は2本見た時点で、睡眠に突入し、あっという間にイスタンブール到着、ではあるが朝の4時半である。これがトルコの強みであり、朝から各国へ飛べるのである。他のヨーロッパ便は夕方前に着くので、そこから飛べる先が限られてくるとか1泊しないといけないとかになっちゃうのである。つまり、下記写真でいうと、左チェックは行ったことあるところであるが、右チェックはイスタンブールから行ったところである。8時半まででも数か所乗り継いでいる。3時間待ちで乗り継ぎなので、一番安いチャイを頼み、WIFIパスワード聞いて、行く先の調べ物をさらに続ける。行き先はキショナウ(ロシア語読み)、キシナウである。観光資源のほぼジェロの国モルドバ、年間旅行者2万人、え、1日あたり50人程度?こりゃマイナーですなあ。いや、もっと旅行者いるでしょー。確かに行っても実はすることがないので、まあ、博物館系に行って、まあ、ホテルも安いので、予約したものの、仮眠と荷物置き場である。要はトルコから日帰りである。ごめんね、モルドバちゃん。セキュリティ、イミグレ超えても、上階に行けば、外の空気が吸える場所がある。まあ喫煙所なんだけど。どこ行っても、長らく機内や空港内に居たら(12時間以上)、外の空気吸いたくなるよねえ。なんかよくわからないが、ゲート223番だったか忘れたが、行き先表示がなく、人もまばら。1時間前にゲートに来て、30分ほど前に、特に大きなアナウンスもなく、何となく少ない人々が列を作り始めたので、見ていると、あ、ボーディング始まった。意外と近い1時間15分程度の移動。時差もなし。モルドバ、ここに有!誰もこんな国ちらーん、が実情ではないか。空席率70パーセントぐらい(いつもかどうかは知らん)モルドバの大地見えてきたよ。わ、何もないな、という感じ。旅行者の数はUNWTOによると2013年で年間9.6万人だ。到着した人=まあ旅行だけではないかもしれないが、まあ、1日300人か。リヒテンスタインのほうが少ないが、まあ、これは、内陸でパスポルテもいらないので、あてにならないんじゃないの?だいたい日帰りぽいし。俺もカウントされてないと思うよ、もしかしたら、切符買ったときに分かるか、いや、外国人かどうかわからないよねえ。行った国でここより年間旅行者が少ないのはアンギラ6.9万人、マーシャル諸島共和国5万人。あの向うに見えるのが、キシナウなのか。着陸した瞬間、拍手が巻き起こる。なんだなんだ、モルドバ人はそうなのか?無事帰国を祝福して?空港は、ボーディングブリッジのない空港で、(モンテネグロもそうだったが)わざわざバスが迎えに来てくれて、100メートル程度走って、おろされ建物に入った瞬間にイミグレ。開くドアの反対側に立っていたため(こちらが開くと予測したが間違えた)、列の最後尾に並ぶはめに。1件しかない銀行でレフに両替。お札が子供銀行みたいやわ。おお、日本語が・・・マイアヒが日本で流行ったからか・・・さて、市内にタクシーで向かうか。気分は懐かし感、ジンギスカン。日本→モルドバ。ホテルキショナウ。キシナウ観光案内。キシナウ国立博物館1。キシナウ国立博物館2。キシナウ ナショナルミュージアム1。キシナウ ナショナルミュージアム2。モルドバgourmetの旅。モルドバ→アゼルバイジャン。バクーのザハ建築。風の町バクー。ヴァンダーカマーサウナ1。ヴァンダーカマーサウナ2。ヴァンダーカマーサウナの後。カスピ海は塩辛い。バクー世界遺産。アゼルバイジャンgourmetの旅。アゼルバイジャン→日本。
2016.09.24
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1時間程前に家に戻ってきた。18時45分大阪駅前ホテル行リムジンバスに乗った。最後の1席です。といわれ、補助座席なしの最後の人として18時43分にバスに乗った関西空港。税関では、珍しく、こちらに持つ何ですか、衣類ですね、とチャックを開けて1,2秒でハイ分かりましたで、珍しく開けることとなった。18時30分ランディング。35分に機内から出て、無人パスポートコントロールを出て、預け荷物はないので、そのまま税関へ。朝飯は、食った。何食べますか、英語で3種類尋ねられたが、「キョフテ」というと、乗務員の方が急にニッコリ笑った。まあ、ハンバーグみたいなもので、下敷きが米ではなく、サフランにつけたクスクスであった。早いな、着陸3時間前に出てきたのだからねえ。通常ならぐっすり寝ている時間だが、時差を考慮し、明日からの仕事に備えて、ここは頑張って起きたのであった。何だか、軟弱なため腰が痛くなっていたのである。運動である。屈伸と機内歩きである。キブラ(メッカの方向)は、まあ私には関係ないが、やたら出てくるものですから、まあ、いいでしょう。飛行時間は、10時間から11時間、映画1本見たらまだ8時間ある。これは、暇だな、と思たものの、どうやらここから5時間程度眠っていたようである。イスタンブール発関空行は夜中の1時35分である。たいがい、何故かいつも沖止めであるので、搭乗口からバスに乗る自時間としては1時頃であり、ゲートに到着したのも1時頃であり、人がゲートに並んでいたので、焦ったわ。飛行機が到着したのは午前0時を過ぎており、そこから広いイスタンブール空港内を飛行機は彷徨い、やっと停まったら、前はボーディングブリッジが来たが、私は後部座席に座っており、後ろからも降りられるよ、ということで、しかし、後ろはバスが待っている。ということは、このゲート随分イミグレまで遠いな、どうしようかなー、と0.5秒迷ったが、多分、バスに乗ったほうがイミグレ近くまで行ってくれて早いのではないのか?と判断し、後方からタラップを降り、バスに乗る。バスに乗ったら、なかなかノソリストがいて、ゆっくり乗ってくる奴がいるから困るのだが、まー、早くしてくれよ、もう乗り継ぎ1時間切っちゃうじゃん、まだ搭乗手続きしてないんだよこっちは。席ねーんだよ!と焦る。まあ、焦ること最初から分かっていた飛行機組み方システムだったが。1便前なら、12時間イスタンブール待ちになっちゃうからね。(まあ、その場合は、市内に行くだろうけど)とにかく、チェックインカウンターまで走れである。演技も必要だ、もうゼイゼイしながら見えるところから走り出し、カウンターに到着したのが55分前。あなたビジネスクラス?はい、ビジネスマンですゼイゼイ、まあそういう意味のない言葉でゼイゼイいいながら同情よろしく、であるが席は30秒で貰った。いやー席もらったらあと55分もあるから余裕だなあー、急に大物になる。小心者の証である。笑い方もカカカである。アゼルバイジャンからイスタンブールまで3時間弱であり、カスピ海の突き出たところからある首都バクーからほとんど黒海の上を飛んでいる。アルメニアかジョージアを越して黒海入ればすでにトルコであるが、多分アルメニアとは仲が悪いからジョージアかはたまたイランの上空飛んでトルコに入るものと思われる。いやー、タブリーズを訪れたのはもう20数年前だねえ。ま、とにかく3時間といっても、大半寝ていたという事実。バクー、ヘイダルアエルフ空港(前大統領の名前)22時5分発であり、定刻の10分遅れとなっている。何とも近代的な建物である。空港に到着したのは出発の50分前である。カウンターにはもう並んでいる人はおらず、3名の職員が、まあ暇そうにしていた。まあ無事チェッキンもできたのである、いやはや焦ったわ。タクシー代はドライバーのじいさん強欲爺であった。もういくらか分からなかったので(交渉もしなくて、相場もホテルのフロントで聞いてて25マナト1500円ぐらい)、まあ、多少ぼられても、追加でもなんでもいいぜ、ってことで全財産の35マナトを見せて、25払うと、残りも全部だ!と手からがさっと取られたから、まあ、通常なら交渉するものだが、もう急いでいたので、はいはいどうぞどうぞ、と渡してしまったのである。とにかく、チェックインカウンターまで走れである。市内から空港まで20キロであり、ホテルからは来るときに22キロと分かっていたのだが、とにかく、スピード出して走ってくれ、追い越し車線の制限速度は120キロとでているんで、このレーンで行ってくれとせかすが、スピードの出ない車に乗ってしまった。100キロでもう限界のようである。タクシードライバー爺さん頑張ってくれよ!貧乏ゆすりしたい気分全開である。しかしホテルを出て、スピードが出そうな道まで、渋滞である。ヤバイヨ、どんどん走ってくれよ!早く信号青になってくれよ、 ホテルフロントでチェックアウトする際に、実は、マナトないんだよ、タクシー代両替できるか?と聞くとできませんとのことで、、タクシーのあんちゃんにユーロ握らせるしかないなと思い、ホテル代カード差し出すと、暗証番号ときた、暗証番号は知らないので、サインだというと、サインはない、じゃあどうするんだ、現金で払うわ、でもマナトないから、ドルでいいか、というと、いいよということでドルを渡す。もうおつりいらないから、あ、でも、ドル多めにして、マナトでおつりくれない?タクシー代にするからというと、困った彼は自分の財布からマナトを取り出し、じゃあ、これで交換な、ということになり、とにかく、急いでチェックアウトし、ホテルを出て10秒でタクシーに乗った。 目が覚めたら、すんごく悪い予感がした。寝過ごしたのではないか、アラームの覚えが全くない。時計を焦ってみたら、うわー、デパーチャー90分前だ。21時半である。18時半に起きる予定だったのに、である。1時間半寝ようと、アラームセットしたらしっかり4時間半寝ていた!うわー、やばい、シャワーも歯磨きも夜景撮りにいくのも省略して、ばらばらの荷物を単純に押し込み、背広を着て、さすがに、トイレだけは済ませて、5分で部屋を出る。空港まで20キロだからきっと平均時速40キロでいくと30分で着くよね、来るとき信号2,3回しかなかたよね、祈るよね。ちょとだけ、明るいうちに寝たつもりだたのだが・・・アゼルバイジャンじゃん日本→モルドバ。ホテルキショナウ。キシナウ観光案内。キシナウ国立博物館1。キシナウ国立博物館2。キシナウ ナショナルミュージアム1。キシナウ ナショナルミュージアム2。モルドバgourmetの旅。モルドバ→アゼルバイジャン。バクーのザハ建築。風の町バクー。ヴァンダーカマーサウナ1。ヴァンダーカマーサウナ2。ヴァンダーカマーサウナの後。カスピ海は塩辛い。バクー世界遺産。アゼルバイジャンgourmetの旅。アゼルバイジャン→日本。
2016.09.24
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大隅半島、鹿児島湾沿いをひたすら空港を終点に走る県道63号線。遠く桜島も見えるいろんな物をとにかく海から採っては行けません。国家が禁止している。チェスト!まあ、収納箪笥とか胸とかいう意味である。他に薩摩弁では気合の唸り声か。まあ、関西でもチェストーって聞いたことがあるような、漫画ででてきていただけのような・・・。知恵を捨てよ!ちえすて!がなまったものか。まあ、気合の声といえば、ウム!はぁ!うぉおおお!キエエエエー!うりゃ!まあ、だいたい漫画やね。まあ、神社の説明は省くので看板をお読みください。その駐車場は道沿いに10台程度駐車出来、3台停まっているのだが、1台は、まあ、単純に休憩するの車内でまったりカップルであった。道を渡り、神社に向かう。なるほど、ここは廃線になった駅だったのか。これは、満潮時に道が閉ざされる海割れパターンなのか。いやそうでもなさそうだ。参考:壱岐の小島神社砂浜を歩き島に入ると、急こう配の山がありその上が神社のようだ。上から70歳ぐらいの母と40歳ぐらいの娘が息を切らしながらも、そろりそろり注意深く降りてきた。これは相当ハードな道程になるのではないか。ロープまでついているのが見えるものでな。娘さんのほうが、しがない中年に、山ですれ違うときのように、「こんにちは」と声をかけてきた。「あ、こんにちは」私はいい、「いや、これは、山なのだ、少なくとも彼女は、山道を歩いている、だから声をかけたのだ」と私は判断し、気合を入れたのである。チェスト!チェスト!チェスト!チェースト!と気合を入れながら階段を上り、ロープに手をつかんだ瞬間に、神社が見えた。うお!チェスト!息切らす暇なかった。豚が可愛くも、ちょろちょろ水を垂れ流していた。水道引き込みご苦労様です、私は思わずねぎらいの言葉を心に浮かばせた。菅原の道真を祭っているので学問の神様ということで、皆さん、神にもすがる思いである。学問に運の要素が大きければ神様にお願いするが、運じゃないような気がするんだよなあ。のどかである。日本中のほとんどの場所はのどかである。チェスト!のどかである。日本中のほとんどの場所はのどかである。チェスト!チェスト!全然関係ないけど、明日からアゼルバイジャンとか行こうと思っているのだけど、準備せなあかんのちゃう?もう23時30分やで10日前の日記書いている場合か?まあ、場合なのだろう。仕事帰りに行くから、荷物こそっと会社持っていくか、コインロッカー預けるか今から悩まなあかんのちゃうの?まあ、真面目なもう一人の心の中の私がつぶやくのであった。チェスト!チェスト!チェースト!2016年鹿児島 南九州 河辺温泉(リンク) 南九州 釜蓋神社(リンク) 南九州 釜蓋神社 番外編(リンク) 指宿(リンク) 鹿屋 荒平天神(リンク) 鹿屋 空自(リンク)
2016.09.23
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うわっ書き始めたら強烈な雨降ってきた(2016年9月19日月曜日0時40分、祝日だけど老体に鞭打って仕事する予定)軽いノリですみませんが、週末どうしようかなー、台湾、台風じゃないの~、と台風だから行く行かないではなく、飛ぶ飛ばないの話で。 そして、逐一天気情報を、注意してみると、まあ、台風の目は石垣宮古あたりであり、既に台湾を抜け、本州に近づきつつあるということであった。いや、本州にくるとしても、3連休明けから本格的にてな感じで、こいてゃ台風を迂回飛び越えて行き、また台風追い越して帰ってくるプランである。ナイススリリングプランである。まあ、キャンセルになったらまあ、それまでだが、問題は、帰りの便がキャンセルになったら、半泣きというより全泣きである。何を隠そう、恥ずかしながら、不肖、エバー航空(まあ台湾ナンバー2みたいなものである)は初めてである。それで台湾のナンバー2である高雄に行くのである。韓国のナンバー2プサン、日本のナンバー2(何がかよくわからんが、まあ人口か)である大阪、まあ、そのあたりの似た者同士のアライアンスである。奇しくもスターライアンスはフラッグシップでないANA,エバー、アシアナである。知らんけど、三社ともお役所ごめんで、フラッグシップワンワールド(ジャル、大韓、チャイナ)規模は小さくとも収益は高いのじゃないの?まあ、国策で、赤字路線、飛べよと命令されるというフラッグシップの宿命のあるが。まあ、何故か、髪の毛盛り系の乗務員多し。高雄は100年前は打狗(ターカウ)という漢字が当てられていた。日本が下関条約で清から台湾が割譲されたときに、この漢字はよろしくない、犬を打つという意味だという事で、京都の高雄が、風光明媚なのところなので、縁起がいいと、こちらも高雄にした。ちなみに、打猫も民雄と改名した。日本が去っても、この漢字を当てた地名は残っている。まあ、急いでというか、高雄に着いてからチェックインしたのは6時間後か7時間後であったが、まずはテレビをつけ台風情報である。であるというか、もう台湾来てしまったから、台風の有無も予定通り帰れるかどうかも、もう意味がないというか、今、やきもきしても意味がないのである、明日飛ばなかったら明後日しかないのである。行かないという選択肢はないのである(行かない、やめとくわ、の選択肢は、日本、ずばり、自宅での最終判断でしかない)ニュースでは、台湾には影響ないよ、という報道であった。そうか、今日雨降らなかったな(昨日日本で調べた降水確率8割)、と安どしたら、なぜ畳?ホテルの横はメイド喫茶なんだぜ。視察してみたかったが、言葉も通じそうにないし、いつのまにか、単純に気色悪いオッサンである。でも覗くと、ほう、メイド恰好なんかしらんけど、ミニスカートは共通やな、まあだいたい分かったわ、と一瞬沸き起こった行きたい気分は終了した。あ、でも、案外日本語通じるかもねえ・・・。ちょっとマチョポ。いつから治されてないのぁ、この前の台風16号の影響かは不明。街路樹半分占領してたりするからねえ。昨日も一車線バリケードやらかしてたわ。暴風の影響は、山にすれば、なんだがパンチパーマの不良化になったようにしか見えぬ。カオシュン、10年ぶりぐらいかなあ。まあ、今回は、フライトもフラッグシップでなく、まあ、高雄もプサンみたいにまあ、大阪である。第2の都市で、イメージ的に垢抜けてない感じだが、まあ、問題ないのである。関西みたいに、台北やソウルに対抗心燃やしているのだろうか、東京は関西のことライバルともなんとも思ってないけど。それから前は、桃園から開通したての新幹線で高雄に来たんだが、すかり忘れていたが、高尾の新幹線は左営駅までだった。それで家に帰りますが、来るときのエバーは日本人が(たったの)2人だったのですが日本語放送があったが、帰りにチャイナエアラインズは、10人ぐらい日本人いたけど、日本語放送なかったし、日本人乗務員乗ってなかった。まあ、俺はどうでもいいけど、日本発着するのに日本語放送ないの珍しいね、と単純に思っただけである。まあ、日本語話せる乗務員が急きょ乗れなくなったのかもね。まあ、食事などの個別対応は、日本語でしてもらたけど。「ポーク、大丈夫?」「はい、何でも大丈夫です」知らんけど、トイレがてらに計算したら行きは残10席ないな、だが、帰りは余裕の残100席である。(私も1列全部勝手に自分シート9)ま、帰りは後ろのほうの席で、後ろ見たら10列ぐらい誰も座ってない。食事も、最後に回ってきて「ポーク、で、いいですね?」とまたいわれ「いいですよ」と答える。トイレ行くと、一番後ろの席に乗務員が座っており、自分の顔の画像修正していた。読んだ本、台湾に置いて来た。フロントに書棚あったんで、こそっと入れた。台風抜かすからか、途中、暗くなり、よく揺れた。追い越せ追いつけ!ま、夕刻だったし。今もあるかしらん。うわ、関空戻ったら雨じゃん。台湾じゃ、雨降らなかったねえ。天気予報じゃ80パーセント雨だったんだけど。台風超えて台湾へ、台湾抜かして日本へ。佛光山そのもの。佛光山 浄土洞窟1。佛光山 浄土洞窟2。佛光山 浄土洞窟3。佛光山 浄土洞窟4。佛光山 浄土洞窟5。佛光山記念館。左営駅 瑞豊夜市。高雄から隆田、麻豆代天府へ麻豆代天府 到着麻豆代天府 聖女の生贄麻豆代天府 天国地獄麻豆代天府 十八地獄前編麻豆代天府 十八地獄後編麻豆代天府から高雄に戻る。六合夜市。台湾gourmetの旅1。台湾gourmetの旅2。高雄 西子湾。高雄から帰国。
2016.09.20
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初めてアメリカではTVディナーというのがあるということを中学校ぐらいのとき、本か何かで知って、トレイをチンするだけで、すぐに食べられる、なんて画期的なんだ、俺も一度だべてみたい。まあ、無邪気にそう思っていたのである。それで初めてアメリカ合州国に行った際に(アメリカには働いてから初めて行った)、スーパーマーケットに行ってみたら、あったあったTVディナー。オエー、くそまずそう、不健康そうやなあ。というものであった。まあ、そういうことをドライブがてら思い出してみたりして、鹿児島湾を北上していくのである。(レポートされているのを読んだ。)それから、フランスにもあるのですなあ。まあ、そんな具合に鹿児島湾沿いを北上していくのである。それにしても、地方は自衛隊で就職の糊口をしのいでいるといえば、いいすぎだが、町中が自衛隊という感じの地方都市はある。ここ鹿屋市(かのや)もそんな感じである、というか、鹿屋市を知ったのは今日本日である。本日の0時半頃に知り、14時頃に訪問しているのである。知覧のようなイメージである。こういうところに来たら、自衛隊反対するなら警察も反対しないと、何だか論理的におかしいことになっちゃわない?という感じがする。もう警官も自衛官も、すっかり私の子供ぐらいの年齢の人たちが純粋に頑張っているのを見かけ、時代は変わったんだよなあ、という印象を受ける。そして、何故か、軍隊はカレーなんだよな。鹿屋市というのは、知らなんだが、市町村統廃合により、鹿児島では鹿児島市、霧島市に次ぐ三番目の人口(10万人都市)ということである。なんとこれも知らなかったが、鹿屋体育大学は、日本国唯一の国立体育大学。そんなん国立であったのだなあ。1981年開学、2004年国立に、か。そら知らんわ。オリンピックも何人かいっているようだね。いやはや、円谷選手のオリンピック、自衛隊、その関係は、いかに、と調べると、今でも自衛隊からおりんぴく出てるねえ。実は、どのオリンピックもその国の軍隊が随分協力することになっている。自衛隊も随分協力している。なんだか、細かい法律変えてまでね。とにかく海から7キロほど内陸に入っていくんのである。自衛隊敷地勝手に入っていいのか、まあ、いいみたいである。無料資料館では、無料だが、どっから来たか、名前ということで、何だか、記述の人たちが九州のひとばっかで、神戸と書くのが恥ずかしかったが、まあ、ギロリ、係員に見られても無視というか、10分15分で出るからね、皆さん、すっとばすからね、ということである。1階は写真撮り放題、2階はゼロ戦だけとってもいいよ、あとは個人情報あるから駄目よ、的な感じであるが、本当は亡くなった方については個人情報保誤法適用されないんだよねえ・・・。ま遺族の方々もおられるからね。怒りどないだ。エンジン、どないだ。潜水艦の仲。アピール。そんな訳で一階終わり。海に落ちたゼロ戦を組み合わせて作ったらしいよ。実際の訓練機もバンバン飛んでるところなのよ。2016年鹿児島 南九州 河辺温泉(リンク) 南九州 釜蓋神社(リンク) 南九州 釜蓋神社 番外編(リンク) 指宿(リンク) 鹿屋 荒平天神(リンク) 鹿屋 空自(リンク)
2016.09.19
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エニグマじゃないよ、エアログラムだよ。かつて、いろんな国でエアログラムを購入して文字を書いては出していた。エアログラムのいいところは、味気ないけど、一度買ってしまえば切手も印刷されているので、ポストにも投函できる。どの国に出しても一律料金。絵葉書の4,5倍の文字が書ける。封筒より断然安い。便箋も封筒もいらない、葉書を買う必要もないという渋さ。とまあ、見た目以外はいいとこづくめなのだが、この味気無さ、今となってはナカナカオサレだね。まあ、暇だった旅行時代にしか(つまり学生時代しか)買ったことないけどね。 日本でもエアログラムはよく買ったなあ。今は、どうなんだと、郵便局のHPを調べてみるとだね、ああ、そうそう、日本語で航空書簡っていうんだったわ。郵便料金を表わす料額印面が印刷してある封筒兼用の便せんです。25gを超えない範囲で、写真や紙片等の薄い物品を入れることができます。→そうなんだ。これは知らなかった。最近のサービスかもしれない。書くスペースは、はがきの3倍もあり、割安な料金(世界均一90円)で世界各国へ航空便で差し出せます。いやー、懐かしいなあ、まあ、そう思っただけで、意味はないのであった。ケ、お前の懐かしズムに付き合えりかよ、つきあってくれてすみません。しかし、エアログラムなのに、切手貼ってるなあ。こうやって海外で手紙受け取ってたんだねえ。1枚目の写真のボリュームはというと・・・かなり大きめの文字で書いてある。トイモイちゃんお元気ですか。7月4日に日本を出て、香港、バンコク、カルカッタ経由で南インドに入り、あっという間に7週間がたってしまいました。1か月間ほとんど一人旅でした。全然日本人に会わず、本当に一人だったのです。途中、たくさんのインド人の知り合いや。その人たちの知り合いを訪ねました。ティルバンナマライというところへ満月の夜に行き、アルナーチャラという聖なる山の周りをはだしで3時間半かけて歩いたり、インドでフランスパンが食べられるポンディシエリーで居候させてもらい、自炊したり、カニヤクマリーで(インド洋と太平洋とアラビア海が出会って、海の色が茶色とエメラルド色とはっきり分かれているところ)日が昇るのを見たり、漁村の女の子たちと友達になったり、トリヴァンドラムで映画の監督さん(インド映画祭を見ましたか?マラヤ―ラム語の「ねずみとり」という作品を作った人です)の家に泊めて頂いたり、ケララ(ここは、右を見ても左をみてもヤシの木と麻の木だらけのCHERTHURTHYという小さな町のケララカラマンダラムというところで、カタカリダンスなどの舞台を夜中から夜明けまで一晩中見たりして、8月15日にマドラスに帰ってきました。 7月中ナミルナドゥは気が狂いそうな暑さでしたが、ケララは雨季で肌寒く、そしてち月末にマドラスに戻ってきてみると、モンスーンの影響でちょっぴりしのぎやすくなってました。インドの物価の上昇は激しく、昨年と比べてさえ、全然物の値段が違います。ルピーの下落も激しく・・・。コンピューターも少しずつ浸透してきていて、物は少しずつ豊かになっていいるようですが、その一方で貧しい人は貧しいままというのが現状のようです。ただ、政府の政策のSCHEDULED CASTE の人たちのために枠を、例えば、入学試験やエンプロイーの機会に設けるというのは、無能なハリジャンは試験に受かって大変優秀な人が逆に落ちてしまうというようなおかしな状態が生まれてきていたりして、一筋縄ではいかないですね。それでは、お元気で。※カースト別優遇政策は、今もひずみがあり、バラモン階級が暴動起こしたりしている。※ケララといえば、まあ、インドに行けば分かるがマナリーと並ぶアレの有名どころ。※ポンディシェリーはインドのフランス領として、歴史の教科書でも習ったよね。※ハリジャンとは不可触選民のことで、ガンジーはハリジャン(神の子)と呼んだ。しかし、どうやら不可触選民には評判の悪い言葉のようだ。※ティルバンナマライとかアルナーチャラといえば、聖地というか、アシュラムというか、精神世界方面。※カニャマクマリーは、かつてのインド旅行プランにも入ってたんだけどねえ。トリヴァンドラムからモルジブに飛行機が出てたから、モルジブに行こうとしていたんだ。実際そう計画して行ったのが、20年以上だってからなんだよねえ。※現在、差出人は、ユネスコ勤務である。
2016.09.18
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絵葉書というより、覚えていたが、再確認したことは、一旦日本を出ると、もう日本の情報ハシャットダウンされ、せいぜい英字新聞の片隅に日本の記事が出るとかでしか、日本のことを知りえず、日本の皆さんも家族も含め、私がどこにいるのか帰ってくるまで分からず、旅行を続けるには、ひたすらガイドブックと現地情報のみとなる。行き方や行き先は現地情報というより旅行者同士の情報交換か、ホテルに貼ってある伝言板やノートとかである。そして日本から手紙を貰う場合は、ホテルもあるが、たいていはGPO(中央郵便局付)とか、次行く国のステイさせてもらう先の住所とか、まあ手紙が受け取れるところであった。こちらはこちらで、何十人という住所録を持って行っているのである。まあ、そんな訳で、飛行機ドアが閉まるまで、前の日は徹夜状態で、当日もギリギリまでバタバタし、あわただしい中、やっと機内に入って、席に座ったらもう誰も邪魔をしないし、モードは海外バカンス、あと知らない、であったが、今は違うよ、着いたら着いたで、日本や生活も海外に追いかけてくるからねえ。無視しろといわれても、それに勝る便利さには勝てないわ。手配はすべてネット、どこ行くかも、行く直前までネット検索・・・だものねえ。左上;サイゴン(ベトナム)。先ほど鳩と蟹をたらふく食べて、サンミゲル飲んで死ぬ寸前です。75年に戦争が終結して、ドイモイ政策で盛り返した今は、酒おんなどらっぐがはびこっています。マジェスティクホテルで飲んでいると、開高健の小説のようでした。街はドルドルドルです。ドンではないです。→ベトナムに行けるようになった初期の話だねえ。右上:カンタベリー。中国からヨーロッパまではシベリア鉄道で割とあっさり来ることができた。確かにモスクワでレストランを探すのに何時間もあるいたり、やっかいだったが。これからスペイン、モロッコに入り、サハラ縦断だ。ヨーロッパは楽しく変なやつらがいっぱいいる。→住所の宛先をみると、デリーのジャパンインフォメーションセンターだ。左下;カトマンドゥ。大祭ダサイン目前でバザールの賑わいはすごい。トレッキングパーミッションとるのに、1日10ドルのバンクレシートが今はいります。ポカらも厳しいようです。祭りのせいで、カトマンドゥポカらのバスは立ち席もいっぱい状態です。ストーンハウスロッジより。→出た、放浪さんの故郷。右下;バルセロナ。今テレビでファミリービジネスやってるわ。でもテレビ小さいし調子悪いわ。じゃ連絡ください。→今の情況をリアルに意味なく書いているだけだ・・・。左上;スラゥエシ、メナド(インドネシア)。メリークリスマス、インドネシアではスラウェシ島しか廻れなかった。12月5日にシンガポールに入るので、GPOにでも手紙ちょうだい。それにしてもスラウェシはクリスチャンが多いなあ。毎日トレッキングかシュノーケリングしてます。11月13日→学生の頃からずっと行きたかったスラウェシ島。知り合いで行ったのは彼だけだ。右上:バンコク。ファランポーン周辺の台北旅社に泊まっているよ。日本も涼しくなってきたのでわざわざ暑いタイに来てビールばかりのんでばかばかしいしく平和です。→おぴうむけいね。左下;モーリシャス。無事インドから戻りましたか。ケニアでトラブって不快な思いしたあと、この平和な島でのんびり。個々の人は英語とフランス語を話す顔はスリランカ人。よくシンガポール人と間違われます。帰ったら会いましょう。→おれもそのうちモーリシャス行くけど、この手紙から30年以上たってから行くことになるのだろうなあ。右下;アテネ。ちゃんと試験受けてる?エジプトもシリアも行くのやめました。インドネシア行くのですよね。→グループ旅行の場合は2行ずつとかで、まあ、いい加減なものだよ、まあだいたいいい加減なものだよ。旅行行ったら浮かれるものな。左上;チェンマイ。バンコクGPOに手紙きてませんでした。葉書は受け取りました。資料送ってほしいとのことでしたが、なんの資料課分からないんのデ、もう一度明確に書いて送ってもらえますか。今チェンマイで働いてて、旅行者のつもりが旅行社になっている状態です。右上:シュリガナル(インド)。ラダックのレーから戻ってきました。レーでは、再び戒厳令が出て、(回教徒と仏教徒の対立)バスは動かない、経済活動禁止(高級ホテル以外)、地元民がポリスにぼこぼこにしばかれるのを目撃するわのテンワヤンワです。。左下;カトマンドウからこの手紙書いてます。ベナレスで会おうと言ってましたが、ごめん、体調不良で、航空券キャンセルしました。ごめんなさい、帰国したら電話します。右下;リシケシ(インド)。アシュラムには修行日数が少ないからと入門を断られメジテーションとヨガは来てもよろしいといわれたけど、朝5時寝過ごして結局さぼりました。今回は体調も順調に崩し、南京虫にもやられました。あなたは無事フィリピンで若王子さんを救出しましたか。いやはやほんまもんの吟遊詩人みましたよ。左上;敦煌。大阪空港で見送ってもらってからはや1か月、敦煌に来ました。インドより安いのですが、やたら人も多く交通機関の手配に1日を要するのが難点です。これから最近国境が開かれたクンジュラブ峠を超えてパキスタンに入ります。右上:ダラムサラ(インド)。インド人に疲れたのでチベットの世界でのんびりしてます。チベット人たち気にりました。ラサからネパールに抜けたんですよね、うらやましいなあ、ラサに行きたいなあ。しかし、インド人に疲れながらもインド人には飽きません。今回のルートはバンコク―プーケット、-バンコク‐カルカッタ‐デリー‐ダラムサラです。これからバラナシ、ネパールに行きます。あと2か月以内には帰国しますので、よろしくお願いします。左下;シーサンパンナ(中国)。タイまで100キロ、ビルマの国境地帯メコン河も流れています。これから大理に行きます。インドで会えるかな、次の手紙で連絡の取り方送ります、よろしく。右下;自分が母親に宛てた絵葉書。ところで、物持ちいいねえ、と思われるかもしれないが、段ボールにガサーっと何の整理もされず詰まっているだけである。・・・・・・パスポート、初めて行く国ビザ再確認、前に行った時の現地通貨の残り確認、天候(台風か)、気温(服選び)、宿泊日数―2の下着靴下、充電、空港バス、やばいな、用意と眠気と、まだ未計画がやばい。
2016.09.17
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10年以上前に鹿児島住民(大学後輩)に鹿児島を案内してもらった際に、指宿どうよ、と期待しながら聞くと、砂まみれになりますから面倒がりの先輩なら嫌になちゃいますよ~、とやんわり案内をかわされた。単純に遠いだけだと気が付いたのは、数年後である。あのときも開聞岳付近をウロウロしていて、鹿児島市から遠いものだなあ、と何となく感想を持ったように記憶する。川辺温泉も行けなかったので、ここは砂まみれになちゃうか?と思案しつつも、でも夏で暑くて砂の蒸し風呂状態は季節的に正しくないなあ、とも思いながらも軽自動車レンタカーを転がすのである。べた踏みしてもスピードは出ないのである。そういううちに、開聞岳にどんどん近づいていってしまうのである。エスクードとは、ユーロ前のポルトガル通貨であり、楯という意味である。いやいや違う、それはチリビールの名前だ。なんと、日本の車の名前にもあったんだねえ。指宿ト言ってもやってきたのは山川である。漁港でもあるが、フェリーも出ているので、鹿児島湾の対岸に40分で渡るという計算である。フェリーは平日1日3,4便で一応、そこは抜かりなく計算してきており、この便のために昨晩寝る前の最後に、コースを逆にして、川辺温泉営業まで3時間もあるよという災害に見舞われたのであった。そういうわけで、珍しく飯を食う。漁師丼というのを頼んでみたが、普通であった。野郎なのでごほう美はいらないのだが、バスローブでなく、着物に着替えて砂に入るわけか。で、なにやきなんや。で、フェリー高いねえ何と、ホームページには2500円なのに現地価格2800円、どんなけ更新されてないねん。え、軽でも3メートル超えるのか。何せ昨晩3,4時間しか寝てなくて、ずっと運転なんで、ここで睡眠だ。横になる。横になってたら、船が動いているのかどうかもさぱり分からぬ。横になってたら、船が動いているのかどうかもさぱり分からぬ。到着のアナウンスがあり、車に乗り込め、とのこと。お、車4台やん。あとバイク1台。船内で見る限り車じゃない乗船者は3人組とおばあちゃんの4人。これでは赤字だね。薩摩半島から大隅半島へ。ナビも海上の上にあったが、ようやく作動開始。わ。目的地行ったら、最終便間に合わない。急きょ、一か所飛ばすことに決定。ネッピーするかいや、そんな暇はない、先を急げ。ねっぴーはしない。しかし、薩摩半島に比べ大隅半島のデカイことよ。こりゃたまげた。2016年鹿児島 南九州 河辺温泉(リンク) 南九州 釜蓋神社(リンク) 南九州 釜蓋神社 番外編(リンク) 指宿(リンク) 鹿屋 荒平天神(リンク) 鹿屋 空自(リンク)
2016.09.16
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何かというと、蓋を頭に乗せるのは無料なんです。良心的です。但し、金とるなら怒りますよ。 前回までの続き・・・まあ、正当なお祈り方法を伝授させてもらいましたまでである。あ、カニカマだ。この南方、種子島に今、台風が上陸中、やっぱ、飛行機飛ばなくなるうちに早く帰ったほうがよさそう、と思いながらも、雨降る気配、風吹く気配さえない。ただこちらが風に吹かれているだけである。ブローイングインザウインド状態である。もうボブデイランのこの曲人生何回聞いた?まあ、多分数百回だねえ。ドタマに乗せてください。馬?お、ちょとだけ、スゲ。絵馬関係をいつもやたら写真に撮り、皆さんの願いを全国に発している者ですが、すみません、自分で買ったことないです、いや、買おうと思ったこともないんです、すみません。参照縁切り神社や、金神社。すみません。おみくじは、まあ、周りに誰かいて、皆買うと買います。日和見主義なので。釜はまあ、家にはないよ、ないというか、ガスコンロの上は今本棚になってますが。アバヨ、この言葉は知っているけど何度も書いたことあるけど、言葉に出したことないなあ。まあそういい話し言葉書き言葉あるわけよね、現代でも。やがて、立派な開聞岳蓋、投げますか。歴史のコーナー売り切れ堂々の。俺も吟遊詩人になりたかった。食えないからな。2016年鹿児島 南九州 河辺温泉(リンク) 南九州 釜蓋神社(リンク) 南九州 釜蓋神社 番外編(リンク) 指宿(リンク) 鹿屋 荒平天神(リンク) 鹿屋 空自(リンク)
2016.09.15
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学生時代は電話代金も高く、インターネットもなかったので、日本への連絡はひたすら葉書手紙である。日本で何が起こっているか全くわからい状態で、友達や家族とも音信不通となり、特に問題ないのだが、まあ、暇なので、控えてきた住所を記載して葉書や手紙を書く時間というのがたっぷりあって、ホテルや食堂(カフェーには行けなかったけど)で書いては送っていた。そういうのは、どうなっちまったんだろう。俺も探してみた。随分紛失している。毎週のごとく海外のどこかからエアメールが届いていた学生時代、考えたら、郵便屋のバイクのエンジン音は楽しみであった。毎日11時半ころに来るのである、あれ、学校は?そやね。(今は1週間家を空けて、家に帰っても何も郵送物ないよ、ということである)勿論、何を書いたのか、どういう心情なのか、どこにいるのか、最近お互いどうなのか、どういった旅行行程なのか、帰国したら飯食いましょうとか、まあ、多分そういったことを書いていたとは思うのだが、手元にないので分からぬ。押入れの彼方から何枚か出てきたので分析してみよう。左上;ポカラ(ネパール)。トレッキングが終わり久々の冷たいビールを飲みながら書いている。ポカラは10年前とは変わりました(彼とは、10年前ポカラで偶然再会した大学の後輩)。そういえば10年前偶然会いましたね、あの時停まっていたホテルまだありましたよ、もう開店休業状態ですが。(先日の飲み会では醜態さらしてすみませんでした)。→なるほど前に会ったことも書いてて、遠く5000キロから詫びているのか。右上:湖水地方左下;モロッコ日帰りでタンジールにスペインから行ったとのこと。ツアーで疲れたとのこと。ジブラルタル海峡2時間ですよ、初アフリカ感激です、とのこと、インドみたいでしたよ、スペインはっどこでも飲めるので天国ですよ、とのこと。絵葉書の町はカディス。前に私がセビリアから行こうかと思って失敗したとこよ。右下;今、日本にいますよ。草原の真ん中で風に吹かれてますよ→うーん、北海道か?トトリ砂丘か、あ、砂丘か。単なる心情?左上;チェンマイ、あらフウニンさんからのエアメール1999年だわ。明日からトレッキングとのこと。チェンマイが思いのほか都会で驚いたとのこと。当たり前ですが中国より100倍いいですね、とのこと。年賀状を兼ねていること。右上;裏向けたら白紙左下;イギリス留学中で、卒業制作まであと3か月とのこと。右下;ニュージーランド。KAIKOURAではイルカ泳ぎ、GREYMOUTHではケービングを楽しんだとのこと→でもこれ差出人書いてないから誰だか分からないね。左上;モントリオール、カナダに来てから3年。なかなか進歩ないよとのこと。引っ越しするから新しい住所書いとくね、とのこと。右上;インド、タゴール大学左下;グルネル。あ。それ画家か。右下;ブハラ、ウズベキスタン。毎日40度超す。なまりのきついロシア語でやたらはんしかけられる。これからトルクメニスタン経由でカスピ海を船で渡って、アゼルバイジャン、アルメニア、グルジアに行く。6月25日に帰国するので会いましょう。→おお、手紙の王道や。ところで、物持ちいいねえ、と思われるかもしれないが、段ボールにガサーっと何の整理もされず詰まっているだけである。パラリンピク、このひと、うーん、つよすぎ。
2016.09.14
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ヒューストンは、3.5ケ月ぶりのまあ、同じような路線である。服装まで同じである。確かにこの3,4ケ月といわず、この3,4年服買った記憶がない。そっか、GWにも来たのか・・・すっかり忘れてたような気がした。なんだ、去年の南米旅行と同じ道程か。しかし早朝に着いたこの5,6時間の待ち時間、割と無駄に暇である。 まあ、無料WIFIしてみたり、読書してみたり、ということなのであるが。(飯は機内で食べるから食わないので、前の機内で貰ったペットボトルをセキュリティ前に飲むということである)なんか、ブラジル行ったのが遠い昔のような感覚である。去年の夏も、コロンビアから飛んできて、ここから同じ道程である。さすがにコロンビアより飛行時間は同じ南米とはいえ、チリからじゃ3時間ほど多いけどね。いつも世界各国可能だぜコンセントを持っているが、。去年も帰りに日本食食べたみたいだな。何故なんですか?日本食があったからです、でもどこに行くときも行きの日本食と帰りの日本食はちょとねえ、まあ、差があるねえ、仕方ないねえ。ほー。あら、日本食、魚じゃなくって、今回は、シャブシャブだわ。ほー。チーズもちょとだけポルトワインとともに。(というか、いつもやん)14時間半も、あっという間に到着だ。ネット、無料で、これだけつながり、映画も観れるようになっている。成田に着いたら一番に出る。一番に機外へ出たところで、日本人自動化ゲートだし、あちこちの国から帰ってくるし、まあ、荷物預けないから(今回はショルダーバッグのみ)、さくっと出て、大阪に向かわねばなるまい。その前に、日本着いたらまずトイレ。大阪に蛙。土産も随分、潰れた。日本、熱っということである、向うは南半球、冬である。確かにヒューストンですでに暑いなということであった。そうやって油断すると風邪ひくのである。21時頃帰宅であり、ホテルを出た日付だけをいうと2日まである。土曜の夕方に出て、月曜の夜に自宅、そんな感じでよろしく。いやあ、無事スタックもトラブルもなかったので、リスクヘッジディとして会社休み取ってるので、ぐっすり、寝るわ。(とかいて時差で6時起き、明日会社という前日はイヤイヤ病も重なり眠れなくなる) 南米への道着(リンク) ブラジルへの道着(リンク) サンパウロ到着(リンク) 日本人街サンパウロ(リンク) アパレシーダ(リンク) ブラジルgourmetの旅(リンク) ブラジルのオリンピック観戦drinkの旅(リンク) ブラジル→チリ(リンク) サンヂアゴ空港から市内へ(リンク) チリgourmetの旅(リンク) チリgourmetの旅2(リンク) チリお隣のオリンピック観戦drinkの旅(リンク) サンチアゴ墓地1(リンク) サンチアゴ墓地2(リンク) イグレシアサンフランシスコ(リンク) サンチアゴ一般観光地(リンク) サンチアゴ一般観光地3(リンク) サンチアゴ一般観光地2(リンク) サンチアゴ歩く(リンク) サンチアゴ動物園(リンク) サンチアゴ→ヒューストン(リンク) ヒューストン→日本(リンク)
2016.09.13
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釜蓋神社 前回までの続き・・・鹿児島川辺町にまで温泉に入りに来たが、開館まで3時間あり、それでは、今日中に本州に戻れないということが判明というか自明の理であり、仕方なく茶畑を通り過ぎながら、海を目指すのである。海と神社、それはしばし、セットであり、今回もセットである。そこは、開聞岳も見える釜蓋神社なるものである。正式名称は、まあ、書くのが面倒なのでコピペであるが、「射楯兵主(いたてつわものぬし)神社」というものである。昔から兵が「つわもの」と読むのが不思議、何が不思議かというと、1つの単純な感じが4つのひらかなが単純に不思議なのである。ほら、紫とか寿じゃあ、4つひらかなでもわかるけど、紅、妹、英とか不思議というか当て字的な感じがするんだよねえ。まあいいや。ここでは、まあ、頭に釜乗せて歩けヤ、ボケッという神妙な神社である。 茶畑を抜けひたすら、南下し、九州これ以上南下できないぜ、というところで神社あり。高校生ぐらいの仲ムズマシイ集団とすれ違えば、夫婦とその親とその親の3世代旅行物語集団とすれ違えば、若い男連中暇屋からちょっと来てしまいました集団とすれ違い、女ベックとすれ違うのであった。海に面する神社のほとりに、かつての鳥居候補残骸が虚しく響く。ヨーロレンスサンダー。やがて悲しき熱帯・・・意味なくレビストロースのことを思い出した。ブラジルの少数民族のことを書いたフランス文化人類学者、10年ぐらい前に驚いたのは、100歳超えてもレヴィストロースが生きていたこと、子孫がリーバイスであること。リーバイスのジーンズが日本に入ってきたころ、リーバイス社ではなくレヴィストロース社と言われていたそうだ。まあ、いいや。やがて、立派な開聞岳ここの名物は、頭の上に釜を乗せて歩いてみれば?というものである。皆と行ったら楽しいかもねえ、一人じゃ、バカバカしくてできないよ、できないから眺めてたら老若男女、懸命に行為に励む。まあ、それを眺めるという算段。岬に向かう。釜飯食いたくなってきた?いや別に。実際のところ、釜飯好きかと言われると、困る、苦手部門だ。だって、熱いから。猫舌なので、冷ます間に周りに誰か一緒に食べていれば、随分遅れをとるのである。ああ、そうだ、冷え釜飯なら好きだね。それか、冷え釜飯お茶漬けとか。なんで、皮膚で感じて火傷しそうってもの、口に放り込むんだよ。熱湯煎茶飲めないね。冷ますために、空気に触れさせるため、混ぜ込むしゃもじは重要ね。しゃもじは耶馬渓やね。あのテーブル、どうやって使うのですか、いや考えるな、感じよ。屋根も見えないけど、多分、蓋だろ?じつと祈る。これら、好きなのを頭にのせてくださいね、ということである。厄除けだが、カッポーのだけは幸せか・・・これデカいだけでこれ二人で頭に乗せるん一番難しいような気がする。海に溶ける自然に優しい素材で金儲け。1個50円の土の塊を海の釜に投げ入れて下さいね、とのこと。誰もいなくなったので、石投げてみたい気分になったが、そこは大人なので、気分だけで満足しておいた。2016年鹿児島 南九州 河辺温泉(リンク) 南九州 釜蓋神社(リンク) 南九州 釜蓋神社 番外編(リンク) 指宿(リンク) 鹿屋 荒平天神(リンク) 鹿屋 空自(リンク)
2016.09.12
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二つの911、チリの911、アメリカのセプテンバーイレブンあさ あさ あかるい あさ アザ 痣 暗いあざコピーもあれば本物もあって、コピーだからキッチュだなあ、変だなあ、これが本場か、なんかと思うはずなのだが、コピーに先に会うか本物に先に会うか、で随分印象が違うものだ。どちらが本物なんだい?と。分かりやすくいうと、ディズニーランドのシンデレラ城なんかどうだろうか。多分、ドイツでライン川古城巡り(したことないよ、あまり触手湧かないから)して、ノイシュバンシュタイン城を見たときに、おおよその日本人やアメリゴ人はどう思うのだろう。「うわあ、シンデレラ城だ!」ではないか?道後温泉、渋温泉金具屋、台湾の九分、目黒雅叙園とかいけば、「ん?こりゃ、セント千尋の神隠しのワンシーンのようですなあ」と思うのではないか?何せ、コピーは本物の特徴をとらえるため、特徴強調部分を敢えてまた誇張表現したりするのである。マカオやラスベガスのホテルベネチアン、あれ先に見て、本物のベネチア後に行ったらどんな感覚なんだろう。私は先に行ったからキッチュの極致に見えたが。造形物でなくとも、パリのエッフェル塔からエトワール凱旋門、ガキの頃から写真で何回みたことだろうか。子供のころから見慣れた光景、初めて行ったらどうなのか、「あ、写真通りだ」である。であるが、写真なら、見る方向は限られているのである。初めてエッフェル塔に行った時は真下から写真を撮り、初めてエッフェル塔に登った時は、エレベーターボーイというか、エレベータージェントルマン、いや30歳ぐらいで、制服じゃないがオシャレなブレザーを着た男が旧式のエレベーターを動かしていた。凱旋門も、凱旋門を中心にランドアバウトになっているので、凱旋門になかなか車に邪魔されて辿り着けず、まあ、背も低いから登ってみるか、らせん階段を上がると、意外と高い。50メートルだ、フランスでは14階建てぐらいまで歩いて登るってことになることが分かった。そして、凱旋門の頂上からの景色が意外とキレイのだな、街並みの高さが揃っていて、キレイに区画されているのが分かるのだな。ということが分かった。自由の女神?どこにおるん?バチカン、サンピエトロねえ・・・いやいや、ピラミッドだけは、不肖恥ずかしながら中年にして期待せずに散々悪態ついて、まあ死ぬまでにはいっくかと思ったら割と度肝抜かれたわ。インドネシア中部のボロブドゥール寺院に行ったときは、まだ整備されていない1986年のことであり、入場料は15円、一番大きな札しかないと窓口でいうと、お釣りないから、行けと言われた牧歌的な時代だった。これにはコピーはなかった。高校の時に世界歴史で学んだ文字だったのだ。そして、寺院の上から感動したのが、寺院ではなく、それが、地平線というか山の向こうまで椰子の森で囲まれた地であることが分かったことである。うわー。すごいところにあるんだなあ、と。万里の長城初めて行ったときはどうだったか、勿論北京郊外の八達嶺一番有名なあたりであるが、そりゃそれも小学校から知っているだろ、でも、おかしく感じたのは、日本語を話すツアーバスだったのだが、ガイドのおばさんが、何度もちょうじょう、ちょうじょう、長城っていっているので、こちらは万里の長城と覚えていたので、頂上?長女?チョウジョさん?それ朝鮮の人?という感覚に陥ったことであった。1980年代、中国では山口百恵と谷村新司が有名であり、谷村新司が万里の長城で、ハンドインハンドやろう、ということになって、中国人もみな人間の鎖を作っていたテレビをみたなあ、となんか、過去のことを思い出すのである。今目の前に万里の長城そのものがあるのにである。タージマハル?前の芝生で寝転ぶのが断然いいよ。そのものの見学時間は5分。リスと戯れ、芝生で寝転がるのが1時間である。ヨーロッパは顕著である。真面目なコピーの嵐がヨーロッパを吹き荒れるので、前どこかにいったあそこみたいだなあ、と思うんのである。最初にローマに行った人は、最悪である。ヨーロッパどこにいっても、ローマみたいだなあ、と思うのである。いやいや、日本なんか、どこいってもどこか分からないものね
2016.09.11
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学生時代は、お金もないので断固賄賂に抵抗していた。時間があったので、まあしつこく交渉トモダチ作戦だ。というか、賄賂の代名詞はインドのイミグレであった。まあ、だいたい1980年代は、平均1、2時間並ぶの当たり前、結局「おまえスーベニアないのか?ボールペン?」まあそううことを言われるのだが、まあそこは、忍の字である。しかし、働き始めたら、まあ時間と快楽の勝負である。今は、毎回、1,000円程度の日本のお菓子を(それもできるだけ何人でか食べられるような小分けシステム一口サイズが10個とか30個とか入っているようなもの)を2箱ぐらい大阪の空港で買うようにしているのである。活躍の場は、まあ、簡単にいえば、空港カウンターに、機内に、ホテルフロントに、タクシーに、最後に新設にしてもらったら市井の人に、である。そんなことしてもいいのか、いいよ、だって賄賂じゃないぞ、お礼だぞ。 あかん、もうチェックインギリギリだ、カウンター閉まるうぅぅ~、も賄賂を渡すのではなく、仕方ないわね、走れよ、ってやってくれたら、さりげなく、皆さんで、といいいりませんといわれるとしても、無視して走り出すのである。機内では、今日はお世話になります、ぼくいい子だからね、と渡す場合もあれば、気持ちいいサービスに、降りる手前で渡しておく場合もある。(一時期バンコクのチャイナタウンで仕入れた、ボールペンの後ろがピカーと光るペンライトが1個50円ぐらいで売っていたのを50個ぐらい仕入れたので、毎回乗るたびに、ピカーペンを5本ぐらい渡して、暗い機内でお使いくださいと、歓心を得る姑息な手段を使うのであった)それからアルコールもな、ちょっと握らすんだよ。だいたいいまくいくぜ。インドのラジャスタンなんか、酒が禁止されているから、え?オメ、マリワナ(ハシシ)?これか?こんなのやるよ、それより、コレやらないか?とこっそり胸元から酒を出してくる。それ密造酒だろ、目潰れるぞ、金やるから一人でやってくれ。ホテルでは、まあアメリカでも通じるが、チェックインが昼からでも朝に着いたから、もう荷物入れたいよ、とかアップグレードもしかしてしてくれない?とか感じたらチェックイン時にさりげなく品物を堂々と、皆さんでどうぞ、と差し上げたりする。勿論、ナイスサービスや、無料でレイトチェックアウトしていよ、といわれると、もうお菓子の登場である。ただ親切にしてもらっても、勿論使う。最近ではベオグラードのホテルは良かったなあ。美人フロントの彼女には抹茶クッキーよ。 その他、ゴロゴロで行くときは、もうボールペン(オール貰い物)はいつも20本は詰め込んでいる。あと、寿司に似せた消しゴム(100均で購入)を常に20個ぐらい忍ばせ、タクシーや、にわかガイド、ちょっと親切にしてくれた人にせっせと渡すのである。そんなことしたら後世の旅行者に悪影響及ぼすだろ!まあ、はっきりいって学生時代はそう思っていた。金満な奴らがホイホイチップをわたしたりするから、つけあがるんだろ、あいつら、と思っていたが、あいつらのおかげさまで、我々は金満を享受できたが、もう日本も普通国家、感謝には品物を、お願いにも品物を、である。(今のところ、しかしながらではあるが、金銭賄賂はないねえ・・・)まあ、日本じゃあ、お菓子ぐらい持ってっても何も変わらないからねえ。まあホテルならフロントが拒否するだろうな。てな感じ。
2016.09.10
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夕方になりつつあった。荷物を預けているイグレシアサンフランシスコ教会近くのホテルまでおおよそ、ぶらぶら30分程かけて歩いている。看板のマギーは、ネスレの子会社だったかブランド名だったかなのだが、マギーラーメンは学生時代に、お世話になったというものだ。あれは21歳の夏、ネパールからバスで1晩、遂に、日本から海路と陸路でインドに入ったのであるが、金がない、正確に言うとインドルピーがない。まあ、ないないといいながらも、モノを国境で売って、短距離のバス代を調達、ゴラクプルからラクナウに出てきた。ラクナウ駅で、デリー行きの列車を待っていたが、腹が減ったので、EPIガスで、ラーメン作ろうかということになり、マギーラーメンを買って来て、プラットフォームでラーメンを食った。勿論、皿はないので、コッフェルのまま喰ったのである。インド砂漠ラクダ旅行を計画していたので、EPIガスもコッフェルをも日本より運んで来ていたのである。(ガスは飛行機では運べないから陸路だったというわけではないよ)ボルネオ島の河下りも大抵、夕食はマギーラーメンであった。豪華な日もあった。村の雑貨屋で買ったもやし、しいたけ、ニンジン、玉ねぎ、日本から持ってきた味噌入り。乾麺の袋に紛れていた蟻の大群も面倒なんで食べてしまうということもあったのである。働き始めると、いや、年をとると、ドメステックになるので、マギーの活躍舞台は減ったが、この前は、スパイスお土産に買ってしまったし、もう消費済みである。ジャマイカン豆腐適当ジャーク料理を作ったまでである。(麻婆豆腐に振りかけただけ)ホテルに戻り、荷物を受け取り、ロビーでネットにつないで2,3確認したあとは、大通りに出てタクシーを捕まえるだけである。と思ったら、タクシーが停まっていたので、空港までというと、まあ、夕方にしては上客である。どうぞどうぞ、なのだが、ウーバーで予約してくれたんだよね、と運転手はいい、いやいや、たまたま、というと、ま、遠距離だからいいか、と運転手は問題にしていなかったが、ウーバー頼んだ人どうなっちゃったのかな、とまあ、思ったが、思っただけである。まあ、割と、ネットでタクシー呼ぶのがポピュラーなブラジルだが、チリもそうなのかもね。いやようわからん、ようわからんが、タクシー自体が安いからね。しかし、乗ろうとして声をかけたのがタクシーと認識したからで、なぜウーバー?割とタクシー業界からこの「白タク野郎!」とぼこぼこにされているみたいだが・・・。 やがて日が沈む時刻になりつつあり、空港に到着すると、夜である。何故か空港では、ドーナツかな、なんだつたかな、売っているのが笑えた。21時発の10時間半のフライトタイムである。いつかイースター島行くかな・・・。うろついていると、コスタリカで買ったことのあるおいしいチョコレートが売られていたんで、まあチリ土産じゃないけど、ちょと高いけど買うか、美味かったからな、と4袋買ったら5袋目タダに騙されて購入。機内に乗り込むと、あら、787じゃん。夜出て早朝に(5時半)に着くから、まあ寝ていれば10時間半もなんてことねえよな、熟睡だ(実際は10時間かからず)と思ったものの、結局映画見ている。メモでもしとけばよかったが、何食べたかさっぱり覚えておらず、写真みてもパスタ?878は、ディバイスがちょとずつ違うなあ。パナマはまた行くと思う。コパエアラインズの拠点だから。アビアンカのコロンビアもね。なんで曲がりくねっているのですか。てか、パナマシティ上空飛んでませんが。まあ、簡単に言えば、こういうことである。SCL-IAHとな。照明がつき、「あれ、ほぼ徹夜してしまったやん、映画何本見てん、レディアンドゼントルマン」とつぶやき間もなく到着かいな、ということであった。メヒコ湾に入ってますなあ。あと11分で到着しちゃうよ、あと映画は15分あるよ、まあエンドロール含みかな。到着直前に思い出した、あ、乗ったときに暫く寝ていたことを。だからカスタムフォーム貰うの忘れてたわ、と到着したらすぐにもらったのだが、よく考えたら、今はESTAは機械でプリントアウトなんで不要だった。なんだかぼけてて、外に出て、あれ、なんで手元に税関申告書残っているんだ?と思ったが、ま、そういうことである。ま、5時半に着いたけど、11時まで随分な乗り継ぎ時間だこと。もともとは2つの選択がある。5時半に着いて7時20分のサンフランッスコ行初便に4時間乗って、そこから11時台の関空行の乗るか、5時間ヒューストンでぼやぼやして、成田に行くかである。家に到着するのは日本に到着するのが同じころなので、成田自宅、まあ4時間ぐらい早くなるか遅くなるかである。その四時間の差は空港でぼやぼやしているか、飛行機に乗っているかであり、ウムムムと熟慮した結果、のびのび空港でボヤボヤして、東京から帰るか、というアバウトな感覚であった。 南米への道着(リンク) ブラジルへの道着(リンク) サンパウロ到着(リンク) 日本人街サンパウロ(リンク) アパレシーダ(リンク) ブラジルgourmetの旅(リンク) ブラジルのオリンピック観戦drinkの旅(リンク) ブラジル→チリ(リンク) サンヂアゴ空港から市内へ(リンク) チリgourmetの旅(リンク) チリgourmetの旅2(リンク) チリお隣のオリンピック観戦drinkの旅(リンク) サンチアゴ墓地1(リンク) サンチアゴ墓地2(リンク) イグレシアサンフランシスコ(リンク) サンチアゴ一般観光地(リンク) サンチアゴ一般観光地3(リンク) サンチアゴ一般観光地2(リンク) サンチアゴ歩く(リンク) サンチアゴ動物園(リンク) サンチアゴ→ヒューストン(リンク) ヒューストン→日本(リンク)
2016.09.09
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あの山(サンクリストバル)を目指すことに決定。なんせ、ケーブルカーがあるから、山の麓まで歩いて行けばそれで事足りる。そのあとはロープウエイに乗るつもり。実は、ロープウエイをスペイン語で何ていうか、南米で覚えた。テレフィリコ。エクアドルのテレフィリコボリビアのテレフィリコしかし、ケーブルカーは長蛇の列だったので、速攻で歩いて登ることに決定したのだが、途中動物園があり、値段をみたら、500円ぐらいだったので、ちょとだけ、あまり興味ないけど寄ってみるか、ということになったのだが、これが、山の中腹にへばりつく様にできた動物園で、永遠に上り坂か下り坂なのであった。世界の秘密であるが、世界の上り坂と下り坂の数は同数である。それにしても、家族連れかカップルばかりで、だんだん、嫌になってくる。一度も日本人を見なかったが、日本人お母さん子供軍団(たぶん駐在員コミューン)とすれ違い、当然、知らないふりをした。10分程度で駆け巡る予定が、降りたり登ったりでまあ、30分ぐらい経過してしまっている。どんどん、大人やガキを抜いていくのである。いやはや15度の気温で良かったわ。それにしても、130年の歴史を持つ動物園、南米ピューマに南米コンドル、南米マジェランペンギン南米アルパカ、南米リャマ・・・で?で、急げ。アンデス山脈お姉さんにペイントしてもらって帰りますか、いいえ。道理で、山の麓に顔にペイントされたガキどもがあちこちうろうろしていたわけか。お姉さんの餌食。
2016.09.08
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本日もつらい仕事(怒られないように仕事を貫徹する業務)がはけた後、「明日は休みだから、どっか温泉でも行くか、熱いけど」と暑いなあとも思いながら、今回はまず、台風情報をチェック。辛うじて台風の定義の最低限に入る元気のない台風がやってきているので、「うーん、まあ、大丈夫だろう、本格的には明後日だからな、何せ私も専門家じゃないので専門的なことはいえないがな」と思いながら、その周辺物件情報を調べたり、過去に調べていたものを漁っていたら、「これはやばいな、寝る時間が3時間になり、仕事の時よりハードスケジュールになってしまっているのではないか」と気が付きつつも、そう気が付いた時には、明日の手配を終えたところであった。 急いで眠ったら、速攻で朝が来て、2回目のスヌーーズにて起床し、やばい、これじゃあ、駅から、空港行きバスの乗り換え時間1分コースだ、間に合うだろうか・・・との不安を残しつつ、考え込んでしまう朝の5時半であった。結局のところ、電車を降りて、中高生の頃のようにダッシュをかまし、ドアが閉められてまさに出発せんとすバスを遮って乗ったのであった。いきなり危ないところであった。おや、いつも間にか朝鮮半島が育っている。間もなく大陸へ合体か。事大主義へいくか。 鹿児島空港に到着し、レンタカー屋に送迎バスで運んでもらい、受付でも、「あのう、ネットで予約されたんですよね、返却時間が9時になってまして、30分しか借りないことになってますが・・・」と係員の方は恐縮しながらいい、「(あ、もう夜中に寝ぼけながら予約したんだなあ)失礼しました、17時です」と答え、もう一度資金計算をしてもらったが、料金は同じであった。(同じじゃないと怒るよ)さて、7,80キロ先の温泉に向かって川辺町にGOである。巨木温泉目指して、ゴーな感じであり、桜島も横目に進む。そして川辺温泉に到着し、うっかり、営業時間を調べてくるのを忘れていたので、他の方の書かれた川辺温泉の様子をご覧ください。ここで3時間も待っている訳にはいかないのであった。次に生きていかねばならないのであった。生きて帰らなければなかないのであった。(続く)しびれるわ。中の写真もとるために、カメラ2台用意したのになあ。まあ、寝ぼけてて、営業時間調べてなかった俺が悪い。それに最後の最後に回る順番を逆にした俺も悪い。後ろ髪をひかれながら、更に南下、本州最南端へ。2016年鹿児島 南九州 河辺温泉(リンク) 南九州 釜蓋神社(リンク) 南九州 釜蓋神社 番外編(リンク) 指宿(リンク) 鹿屋 荒平天神(リンク) 鹿屋 空自(リンク)
2016.09.07
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マポチョ河 サンチアゴの中心の北を流れる川で、アンデスの氷河解けなのか、やたら水速を感じる。どうやら最近も氾濫して、オフィス街も水浸しになったようで、なんとも、マポチョな感じである。顔面と馬。大道芸人を注意する警官、芸人は、にこやかに笑い、警官に握手を求め、ごめんなみたいなことを言っているようだが、1時間後、違う場所でまた芸やってたよ。いたちごっこ、ざっつオール。握手したとき、ちょと警官もはにかんでいたので、もしかしたら手の内側にお札が入っていたのかもねえ。ウーン、・・・アレスト、そんな陽気ではない雰囲気だ。斜め姿勢で渡れ信号公園で、こいつら、全員ポケモンゴーやってた。人多いなあと思っていると、みな携帯ハッスル。携帯手に持っていないの俺だけ。新しい蜘蛛ですね。堅そうだ。人類の進化から先祖返り、あ、パソコン向かう今の俺だ。にゅるっと、ね。ヘビ、長すぎる、ルナール(「にんじん」作者のね)・・・チリ、長すぎる、万国の人そう思う。お、岸田劇作家(次女、岸田今日子)の訳博物誌の訳があるわ。チリの長すぎるは、アンデス山脈の地理的側面と、ペルーボリビアから戦争で得た軍事的側面があるね。それでボリビアは海岸部をとられて内陸国になっちゃったんだよねえ。でも虎視眈々と海軍を持っており、もっぱら訓練はチチカカ湖だ。それ湖軍だろ?
2016.09.06
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ガキの頃、両手に蛙キツメに握って、ヌメヌメの感覚気持ちいいと、恍惚の表情を浮かべていたA子ちゃん、お元気ですか?ガキの頃、爆竹を蛙の尻に入れて贅に入っていたB男君、お元気ですか?ガキの頃、尻にストロー刺して、「吹いてみろよ、おなか膨れるから」とストロー蛙を渡したら、吸っていたC吉君、お元気ですか?私のほうは、何となく元気な気はします。重大な持病はないということです。宮崎県のじりこぴあ三重県の観音寺カエルに興味があるわけではなく、過剰に興味があるだけの話である。シンガポール和歌山県の淡島神社福島県の工芸うわ、一セットだけリアルいぼガエルがいる。いちごの季節、狂った果実。以上、福岡代表ケリーさんのお勧めスポットでした。2016年福岡 大野城 三浦鏝絵美術館(リンク) 那珂川 不思議博物館 (リンク) 那珂川 不思議博物館 番外編(リンク) 小郡 如意輪寺(かえる寺)(リンク) 小郡 如意輪寺(かえる寺)2(リンク) 小郡 如意輪寺(かえる寺)3(リンク)
2016.09.05
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時事通信 9月4日(日)15時28分配信 オーストリア航空は4日、成田空港を同日午後に出発したウィーン行き52便で日本線を運休した。 5日に香港―ウィーン線を開設することに伴う事実上の日本撤退。同社は1989年に成田―ウィーン線を開設。27年に渡って運航してきた。往路約12時間、復路11時間程度で、ボーイング777-200ER型機で毎日運航していた。 しかし最近は4月に上海線を開設するなど、中国路線に力を入れており、中国各地から海外へ向かう際の拠点にもなっている香港と結ぶ路線の開設を機に、将来性に限界がある日本からの撤退を決めたとみられる。オーストリア航空は、東京/成田〜ウィーン線をきょう9月4日東京/成田発をもって撤退する。成田線は円安や競争激化などの理由で不採算路線だったとしている。東京/成田とヨーロッパを結ぶ路線の撤退は、2015年2月のヴァージン・アトランティック航空の東京/成田〜ロンドン/ヒースロー線以来。オーストリア航空は、4月4日より上海/浦東線に週5便を就航、需要が大きいため5月1日からは毎日運航に切り替える。また、9月5日からは香港〜ウィーン線に就航する。オーストリア航空はルフトハンザ・ドイツ航空傘下の航空会社で、スターアライアンスに加盟。全日空(ANA)とは共同事業を行っている。今後はANAのほか、ルフトハンザ・ドイツ航空やスイスインターナショナルエアラインズなどの路線網を通じ、スターアライアンスを利用した日本からのアクセスは維持される。あーあ、最後にもう一度ビジネス乗るぞ、と言ってたのに。コーヒーが素晴らしいかったのに。残念。チリで一番有名な広場はどこですか。アルマス広場です。ピンポーン。地下鉄から出てきたら、どちらが来たか分からぬ。大聖堂Museo de Arte Sagradoではなく、Museo Histórico Nacional最初にサンチアゴを征服して町を作った悪のスペイン人像サントドミンゴ教会派手旧国会議事堂前モネダ宮、じゃないな。モネダとはお金。アジェンデ大統領建物爆破され死んだか自殺。国立美術館。アルマス公園は緑の公園だねえ。ペルーのリマのアルマス広場や、コロンビアのボゴタで一番大きい公園は、石の上なんだよねえ。実は、サンティアゴはなかなかの公園都市。何だかミニスカート2人組がいて、こいつら、しょーふかな、と思ったのだが、真昼間に意味もなく、じっとしていて、何だか獲物町という感じである。今調べると、チリは合法のようだ。チリ、そういうお盛んなイメージないなあ、やっぱ、ラテン薄いよなあ。
2016.09.04
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サンタルシアの丘に登るということである。まあ、いつでも、地中海ではないが地中海気候の標高500メートル、スモッグで雨も降らないし、停滞している。南米の歴史っていうと、まあ、スペイン人やらポルトガル人がムチャンコして征服の限りを尽くした、というものだが、サンテアゴも例にもれず、スペイン人に一度は制服されたというか、征服してサンチアゴという街を作って、なのだが、50年程度で、インディオが奪還。その後、チリのスペイン領は、現在のチリより随分少ない面積のまま、独立運動。スペイン本国もスペイン運動やナポレオンの台頭で忙しくなり・・・まあ、それで独立して、ボリビアペルーと戦い・・・。映画パピヨンの舞台は仏領ギアナ、悪霊島・・・近いな、いや、遠いな、そういうことを思い出した。実は「パピヨン」を見たのは20世紀も後半、フィンランドのヘルシンキであった。それも観るのは三回目だ。内容はスティーブマックイ-ン扮する主人公がガイアナの孤島の監獄に入れられ、何度も脱獄を繰り返し、失敗し、最後に老人になり、それでもあきらめずについに成功するというなかなかシブイ映画だ。実は、中学生のとき、私は一年間に映画を百本見るという楽勝のノルマを課し、ついでに受験勉強をおまけにするといった渋い三年生。ただ、ビデオもなかったので、テレヴィの映画を頑張って見るって世界。要は民間放送で映画があって家に居たら見た、ということだ。その年の十二月、冬休みで受験追込み等という私は、その日四本目の映画を見た。一本目二本目は忘れたが、三本目はメルビルの「白鯨」そして四本目が「パピヨン」この映画でもう一人の主人公ダスティンホフマン、彼の演技に感激した。そして、何故か台詞まで憶えていたりなんかして。「どれだけ、誘惑に耐え切れるかによってその人の価値は決まる」そんなセリフあったかな・・・。これ実体験に基づいた映画でアンリシャリエールは脱獄に最後は成功して、ベネズエラの市民権を得ている。ブラジルにえらい緊張していったけど、そうでもなかったので、今危ないベネズエラも緊張していけば行けるかもしれない、と思ったほどだが、こちらは、わりとアジア人差別も多いと聞く。・・・いやあいやあ、マックイーン写真だけど、ダスティンホフマンはまだ生きているねえ。(パピヨンラストシーン)ダスティンホフマンといえば、クルーマークレーマーとかマラソンマンとかあったけど、ジョンボイト(アンジェリーナジョリーの父)との真夜中のカーボーイ、最後のシーン、かっこよかったな、バスの中で、小便もらしちまったよ、情けなさが最高にかっこいい。まあ、それで地下鉄を降りて、周りを見渡し、何だか山っぽい感じを見つけたので、歩き出す。ちょとだけのボルト、受付があり、名前とかどっからきたか書かされるので、ジャポンでいいんじゃないの?で入る。 スペイン時代に砦となったチンケな高台が残るわけよ、みんな原住民怖いなー、こっち武器あるけど、人海戦術で来られたらいやだなー、まあ、そう思ったのか思ってなのか知らんけど。知らんけど、今は、家族連れや「友達からカップルから、おや、なんで一人で来てる奴いないねん!いや気が付かいだけだろう。スモッグなくなれば、こんな感じって風のある日なのか。日本の裏で電撃ネットワークみてしまってました、すみません。日本ではエッチな色は、ピンクであろう。ピンク映画、ピンクチラシ。アメリカでは、ブルーフィルムがあるように、青ですで。シモネタはブルージョーク。ブルーには、猥雑なという意味がある。(年代によっても違うようではある)中国では黄色。黄色電影でアダルト映画、黄色書簡で、アダルト本を意味し、スペインでは緑色。緑の本で、アダルト本、緑の映画でエロ映画、緑の老人でエロジジイ。フランスは白。白いドレスを着た女性はセクシー女性。オーストラリアは赤か青、イタリアは赤か緑、イギリスは黒か赤、韓国では赤かピンクらしい。何のこった。全然関係ないが、トマトラーメン会社帰りに食べてたら、カウンターの女性が、「替え玉ないの?といい、おいしいから」、ト言った。30代ぐらいの主は、「うちはない」、といった。そうなのと残念そうに彼女は言い、「じゃあ、スープの追加できないの?おいしいから」と再度尋ねたが、30代ぐらいの主は、「うちはやってない」、といった。シーンとして、シュールな感じであった。英国は国家元首の免責を認めておらず、スペインをはじめ各国から訴えられて、罪状100以上、サッチャーも南米で唯一フォークランド紛争に味方してくれた国に感謝しつつも、チリに送還。しかし、健康上の理由で裁かれず、2006年病気で死んだ。CIAが消したのかどうかは知らんけど。最上階は人で溢れているので、下の公園で、5分程休憩して、再スタートである。
2016.09.03
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アメリカとメキシコの国境サンディエゴで思ったことが、偶然、サンチアゴに続く。911はチリ人にとって何か。1970年代の9月11日、アメリカに自由を奪われたのであった、認識しトケヨ、アメリカ人!と。その日、ピノチェトが軍事クーデタを起こし、同時多発テロ以上の人数の犠牲者を出したのである。勿論、チリ市民虐殺の後ろ盾はCIAである。他国の民主主義を踏みにじるのは平気で鈍感なんであるわ。あのとき、アンジェデ大統領は、「地理は幸福しない!」ではなく、「チリは降伏しない!」と官邸で叫んで、自ら武器を取ったがあっさり90分後自害。クーデタは成功、ピノチェトは大統領になり、恐怖政治が始まったのである。それにしても、最近(といっても10年前だけど)までピノチェトが生きているのを知って、私はびっくりこいたのである。そんなことを国境で静かに思った次第である。アミーゴ。という文節を残しながら、再度、チリに舞い戻るのである。それから8年たったところで、チリでも相変わらず二日酔いと格闘している。でも、おれはサンチアゴの涙を信じない、二日酔いを信じない、二日酔いしない方法は、ここをクリックすればわかるように、2008年にはすでに樹立されている。北に「死の道」と呼ばれる灼熱(しゃくねつ)のアタカマ砂漠。南にはパタゴニアの氷河の氷点下の世界。東はアンデス山脈。そして西に太平洋……。四方から閉ざされたチリという国はなんともけったいな地形をしているものである。南米大陸の西海岸に張り付いたように細長く伸び、全長は4600キロメートルだというから、北海道の宗谷岬から沖縄の南端までの距離より、もっと長い。しかし、横幅は約175kmと、車ですぐ横断できる距離である。ちなみに175kmは、大阪から名古屋、東京から三宅島、千歳空港から旭川、と同じ。おまけに地勢図を見れば、国土のほとんどが焦げ茶色に塗られている。つまりこの国は山だらけである。標高5千メートル級のアンデス山脈が海岸ギリギリまで迫り、人々は残された土地で這いつくばるように住んでいる。狭くて平地が少なく、農業に適さない不利な国……。日本列島との共通点はほそながーいってことだね。チリは南米にありながらラテンが薄い。やや地味な国民性で、他の国のようにカーニバルでばか騒ぎしない。山と海で他の南米と切り離されているからかも知れない。島国のようである。また日本との共通点は、国が南北に長いことだけでなく、季節が日本と似ていて地震国家でもあることだ。南米の国の中でも治安が比較的安定してるし、なんとなく南米では勤勉で、今は経済的にも安定してるし、割と時間に正確で、役所や多くの会社は朝8時から始業、海に面しているので、魚もよく食う。そういえば、先日なめろうを初めてか2回目食べてみたら、想像していた味とはちょと違うかったなあ、なめろうっていえば、銚子なんだろうか。関係ないけど。漁業は日本が面する太平洋に次ぎ、チリに面する太平洋あたりが収穫量としては盛んなようである。(ペルーのほうが漁獲量多いよだが、年にもよるが日本以上に)チリの国民は約95%がヨーロッパ系の白人もしくはメスティーソであり、そのうち人口の半分が純粋な白人。ポリネシアにも領土を有し、サラ・イ・ゴメス島、ロビンソン・クルーソー島とチリ本土から西に3,700kmほど離れてラパ・ヌイが存在する、チリの地図帳は記載に困りそうだが、この辺の島も入れると、正方形になりそうだ。ちなみに、日本の真裏はウルグアイ沖合であり、リオにはまっすぐいけないぞ、マリオ。あら、歴史行く前に疲れたわ。いーすたー島
2016.09.02
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さて、本題であるが、いや、本題しかないが、オープンの時間30分後に合わせて教会横にあるムージアムに行くのだが、まだ閉まっている、チリもアバウトタイムの国なのか、おかしい、と思ったのだが、当方ブラジルタイムのままであり、1時間戻ることを今日(帰国日)まで気が付かなかったということが判明。宿が徒歩3分なので、宿に舞い戻り、時刻を確認すると、やはり1時間戻れ、とうことであった。よくよく思い出せば、チリ到着時、携帯電話は1時間戻ったのを確認したが、空港で何かの時計を見て、あれブラジルと同じだ、と戻してしまったことを思い出した、1時間というのがミソである。すんなりサマータイムと思い。今では、サマータイムはあまり意味がないとされている。昔、日本でも一時期採用されたことがあったと思う。韓国なんか20年ぐらい前まであったような気がするが、それは気のせいかもしれない。まあ、日本じゃ、残業増えるだけだものね。(ネットで調べると、日本はGHQ下3年間サマータイムがあったようだ。ああ、韓国も87年と88年に採用されているねえ。確か初めて行ったのは1986年だから、87年か88年に体験したはず、韓国で日本から時差があったからねえ。こんな短期間に廃止されたということは、日本も韓国もお国柄に合いませんでしたよってシグナルだったのだろう。まあ、いいや。1時間程度、宿屋でネットでサンチャゴのこと調べたり、オリンピックみていたのだが、再スタートである。中庭を備え、まあ、都会の中だけど、静かなイメーージで、鶏が鳴いているわ。コケッココーやクックウルドゥでなく、これも、ネットで調べると、まあ、簡単に分かってしまうのね。スペイン語では、quiquiriquiクィクィリクィ・・・なんだか、タイガーマスクのミスターノーみたいだな。頭の形がちとやばいやつね。クイクイって鳴いてたような気がする。 ところで、ついでに、ドイツ語kikkirekiキッキレキフランス語coquericoコックェリコイタリア語cocorico(chichilichi)ココリコ(キッキリキ)ポルトガル語qui qui requiクィ クィ レクィキルリ語kykapekyクカレクーハングル語kockyo kuukuu kookoコッキョ クウクウ コーコ中国語ko-ko-ke-コーコーケーヒンズー語cock-ro-rooクックーローロー シンハラ語coock-a-coke-cokeコークーアーコケーコケ日本語クックパッドようこそここへ、クッククク、コケっ?思わず脱線だな。本当は入場前にちゃんと、教会にもいっているのである。ちょとジーザスが痛々しいのだよ。イグレシア デ サンフランシスコ (サンフランシスコ教会) は、16世紀の教会であり、現存する建築物としてはサンティアゴで最も古いといわれている。度重なる大地震にも耐えた、堅牢な壁である。説明はそれで終わりなのである。見学者は、とても多く0人。なんとなく、情けない人。俺自身が骸骨寸前。せめてこのぐらいは、ふくよかに。ポージング、なんとなく。肉弾戦。随分逝ってしまった。顔の上に立ってはいけません、ガキの頃に習いませんでしたかね。よく考えると、神父って、僧みたいに托鉢で街に出ないからか住んでないからか、そんなに見ないよねえ。アジアじゃ、坊さんだらけのイメージあるけど。どうだかな、観光地化されてつまらなくなったというのは、まあ、若気の思い上がりだったなあと思うようになった。観光地化するということは、体力も気力も時間もある若者は残念がるかもしれないが、行きやすくなるということはいいことなのかも知れないなと、都市をとってくると思うようになる、まあ、まだ全然行けるけど、高齢者や障がい者も行けるようになればいいことじゃねえか、と思うようになった。そのために分かりやすさが必要なのだが、これでもネットとツーリズムの変化でここ2,30年でもう大きな変化があった。学生時代南米に来てかえって1週間というのは考えられなかったし、とにかく、1か月2か月3か月、海外に出ると、日本とのコンタクト、友達や親とのコンタクトはなくなったし、旅行情報は、紙か現地の聞き取りしかなかったものだからねえ。まあ、ネットが発展して、グーグルアースでストリートビューでだいたいわかるわい、というのはそうなのだが、これは、空気だから、意味がないといわれればそうだが、自己肯定含めて、行ってみないと、やっぱり分からないんだよねえ。いや、分かった部分は、ほんの全ての何億分の1なんだけど、何億分の0よりは分かった。言葉もでない、説明もできない、でも、お金と興味が1ぱせーんとあれば、行ったほうがいいんだなあ。その地にある重い空気を感じることなんだなあ。グーグルアースでストリートビューでみたら、ネットで情報見たらまあだいたいわかるけど、ネットやめれば、すぐに今に戻る、に日本、自分の部屋に戻るが、南米行けば、反芻する時間が1日半から2日もあるんだね、家に帰るまで。その間考えていなくても感じているのですブルースリー。(まあ、帰るときは、もう早く帰りたいなあ、映画見てるよなあなんだけどね) そもそもネット検索で新しい世界というのが、また難しいよね、知っている単語を打ち込むのだよ。まったく知らない単語を打ち込むか、それはないね、それは、何か別に現地で情報を得るか、ネットサーフィンで繋がっていくってことだね。例えば、ブラジルからチリに行く間に上空から不思議な光景をみた。帰ってからグーグルマップで調べると、サリーナス デ アンバルガスタという湖であることが分かり、どうやら塩湖もあるが、日本語のページはないなあ。いいなあ、ウユニやめて、こっち系にしようとわかる次第なのであり、そのうち、俺、行くよ、と思うのであった。おわり。
2016.09.01
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