日々始まり

日々始まり

2018年07月10日
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コノハナサクヤ姫


【よろしくお願いします。ようやく梅雨も明け始めました。例年にない雨の量は平成始まって以来とのことです。龍神は雨、水の存在として知られていますね。あなたたち龍神の力を持ってしても、雨の制御には限界があるのでしょうか。それとも何も制御していない、というのが本当のところでしょうかね。他の国では気象を科学的に制御するような研究も随分進んでいるようです。自然は、もともとそこにあったわけではなく、準備された世界であり、人はその原点に近づいているような気もします。】


この度のこと、随分心が痛む、我らとて同じ気落ちじゃ。
雨に限ったことではないが、何が起こるかわからぬのが、これからの自然じゃ。


とっさの時に動ける者、動けぬ者、その差は歴然よの。
身の危険を感じること、生まれつき誰しも持つよの。
が、生まれつきの能力とはいえ、磨いてこそ、真に使えるようになるのじゃ。




雨が降れば、腕や足腰、痛むものもおろう。怪我をした故、弱くなったのではない。
棘はほんのわずか触ったくらいでも、痛みは感じるであろう。
身体の傷とは、心にできた棘のようなものよの。


つまり、感じる力とは、心に棘がなければ、感じることはできぬ。
感じぬようになるとは、棘が丸くなったと言えるものじゃ。


【棘はセンサーのようなものでしょうかね。センサーの感度は、棘が多いほど、細いほど、繊細に感じるとか。】


心を研ぎ澄まし、耳を澄ませば、かすかな物音も聞こえるものじゃ。
それは空気の振動よの、大地と空を空気が反射し、奏でる音じゃ。


繰り返し、心の痛みを持ち、その度ごとに前に進んだ者、
棘を持つとは、心を磨き続けておると同義じゃ。


【敏感でも鈍感でも、どちらも生き難い、程度の問題でしょうけれど、生殺しという感じもしないでもありませんね。】


雨、風を我らが動かしてしまえば、やがて人はその仕組みを知ろうとするであろう。
古来、人は己たちの力では風景を動かせぬゆえ、自然の力を神に置き換えたよの。


仕組みとは、すなわち原理じゃ。言い換えれば、真理よの。
が、万物の真理などはない。この矛盾に人は気づいておらぬ。


真理とは、作られたものじゃ。つまり都合を望む者に合わせたものじゃ。
原理に基づき、自然があるのであれば、原理が変われば、自然も変わる。


古来の人のように、神は自然の守護などと思わぬことよの。
一人ひとりが、命を守る時代じゃ。
感じる時、考える時、真理はその者に顕れる、道が見えるということよの。


【ありがとうございます。】







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Last updated  2018年07月10日 18時04分06秒


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