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2024.02.28
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テーマ: 民謡(14)
【行徳みんよう勉強中!】行徳で昔諷われていた民謡を「日本民謡大観」収録曲を中心に紹介します。
【麦搗唄】


   つけたよこの麦は こなれて舞い上がる
   広いお庭でつく麦は 旦那様へと納め麦

「日本民謡大観」に収録されている「麦搗唄」。何曲かある中で、これは昭和17年7月7日千葉県東葛飾郡南行徳町にて録音された(三本搗)といわれる唄です。

麦搗きとは、麦を脱穀する方法の一つ。脱穀とは穂から粒を分離すること。
特に分離しにくい大麦の場合、かつては千歯で扱いた後、切れ落ちた穂を臼に入れ杵で搗き、粒を落としていました。
量の多い場合は、くるり棒や麦打棒で穂をこなしていました。その際唄われていたのが「麦打唄」で、今回紹介する「麦搗唄」とは「棒打ち」と「杵搗き」とで作業速度やピッチが異なる為か、全く違うことが多いです。
麦搗きは、一人で行う場合と複数人で臼を囲んで行う場合があり「大観」では他に(五本搗)が収録されています。

そもそも「麦作」について
 大別すると、小麦と大麦・はだか麦、小麦は粉化してパンや麺類の原料となります。
 大麦は二条大麦がビールやウィスキーへ、六条大麦が主食用(押麦等)や麦茶などに使われます。
○需給の推移
 かつては「麦飯」と呼ばれ米に次ぐ主食の位置でしたが、戦後欧米食文化の広がりによる食生活の変化に国内産小麦が対応できず、生産量は1960年代から70年代にかけて大きく減少、輸入小麦が増加しました。また米の増産により麦飯が無くなったことで、大麦の需要も低下しました。現在需要量の約8割を外国産麦の輸入で賄っています。
近年は、国内産小麦の品質が上がり自給率向上を目指す考え方もあり、特に北海道にて生産量が増加しました。大麦も消費者の健康志向から生産量増加の傾向です。
○生産地
 国産では小麦が全体の半数強を北海道産が占めており、大麦は関東、北陸、九州が多く生産しています。
○年間スケジュール
 水田においても、畑作においても主に二毛作の冬作として栽培されています。
 稲刈り→田代崩し→麦代作り→9月~10月頃播種→収穫5月~6月頃→麦代崩し→田代作り→田植
 寒冷地の北海道では「春蒔き麦」があります。

二毛作が始まったのは鎌倉中期以降と言われますが、特に江戸時代に都市人口が増加し米作りだけでは対応が難しくなりました。また小作料(年貢)が水田の場合は表作の稲に課せられるが、裏作の麦には無かった(全く無かったわけではない)ため、農家は暮らし向上のため苦労の多い水田裏作の麦栽培に力を入れました(主に自家消費用として)。加えて現金収入も必要なので、換金作物の栽培もしていました。栽培環境も乾田・湿田・焼畑・定畑・砂地・斜面地・降雪地とさまざまで(休閑することもある)昔の機械化される以前の農家の作業は、多大な労力と時間を要したようです。
米がそれだけ貴重だったため、いわゆる「麦飯」米2麦8とか米3麦7の割合の混合飯が日常の食事だったようです。



話を「麦搗唄」に戻します。
昭和55年頃に文化庁が実施した「民謡緊急調査」があり、千葉県では教育委員会がネットで「房総の民謡」というタイトルで公開しています(音源のみ)。それらに掲載されている中の行徳地区の曲を2曲(音源からの聞き取りのため、歌詞が違っていたらすみません)。


市川市行徳「つけた」

搗けたよこの麦は 麦はこなれて舞い上がる
あねは子持ちだから 起きられぬ


市川市関ヶ島「つけた節」

搗けたか見てくれこの麦は 旦那の欲目じゃまだ搗けぬ
鹿島街道の池七つ 七つまわれば夜が明ける
あねよ起きろよ夜が明けた あねは子持ちだから おば起きろ
※「おば」は「次女」「妹」。「あねよ起きろよ~」は、この後各地で出てきます。

昔はどの農家でも麦作は行っていたと聞きますが、市川市の行徳地区で実際に麦作をしていたという確かな資料が残念ながら見つかりませんでした。畑地がそれほどあったとも聞かず、水田は農閑期にはほとんど「海苔干し場」だったのでは・・・。
しかし「麦搗唄」は事実存在するので、唄のみが踊り用に流入されたか、別の作業用途に転用して唄われていたかと推測します。
市内北部では麦作の実態はあったようなので、そちらの唄をいくつか紹介します。


市川市国分「麦つき唄」

搗けたよこの麦は 麦はこなれて舞い上がる


市川市国分「麦つき唄くずし」

稲の露やら オカチャンよー涙やらよーホイ
※市内には別に「田植え踊り唄」があり、それと混在しているようです。


市川市北国分「麦搗き歌「つけた」」

搗けたよこの麦は 麦は搗けてもだあよ ふんどしゃとれぬ
お前見たさに田の畔(くろ)通うよホイ 稲の露やら何だそれよー涙やらよーホイ
村の石橋板ならよかろよホイ ドンとふんだら何だそれよさとおるよいよ(?)
お前見たさに千里も通うよーホイ 会わず帰ればよーカアチャンよーまた千里よーホイ

市内だけでも、これだけ様々な歌詞があります。
もう少しエリアを拡げてみます。


白井市白井町今井「麦つき歌(つけたよ)」

搗けたよこの麦は 麦はこなれて白くなる(ホーイホイ)
わこだけだよむりのした(?)風をたのむよ船頭さん(ホーイホイ)
この小山じゃ雉の声 雉じゃあるまい白狐 白の狐ならだいて寝ろ


印西市印西町「麦搗き歌」

搗けたよこの麦は 麦も三度つきゃ白くなる
あねら起きろよ夜が明けた あねは子持ちだから おば起きろ
きおろしゃしもちゃぶね(?)ちゃぶねよにでてよにもどる
むこうの小山で雉が鳴く 雉じゃあるまい白狐


柏市布施「麦つきうた」

搗けたよこの麦は 糠がこなれて白くなる(ホーイホイ)
唄が唄えれば世間の人は 浮気者だとゆうて騒ぐ(ホーイホイ)
唄えなされよ唄えなされ 唄じゃご器量が ○○(?)がない


我孫子市中峠「麦搗き歌」

搗けたよこの麦が 糠がこなれて白くなる
あねら起きろよ夜が明けた 明けりゃお寺の鐘が鳴る
むこう小山で雉の声 雉じゃあるまい主の声
搗けたよこの麦が 糠が太神楽で舞い上がる
あねら起きろよ夜が明けた あねは子持ちで起きられぬ
ここの田んぼの稲のよさ 丈が一丈で穂が五尺


「麦搗唄」は千葉県各地(主に下総地域)で採集されていますが、最も麦作の盛んだったのは印旛郡、山武郡辺りのようです。


印旛村「麦搗き唄」

搗けたよこの麦は 旦那の欲目じゃまだ搗けぬ(アードッコイショドッコイショ)
つけたか見ておくれ ななうす夜が明けた(アードッコイショドッコイショ)
つけりゃお寺の鐘が鳴る(スイースイスイスイ)


本埜村「麦搗き歌」

搗けたかこの麦は 麦も三度つきゃ白くなる
旦那の欲目かまだ搗けぬ
鶏夜中に一度鳴き二度鳴き三度鳴きゃ夜が明ける 明けりゃお寺の鐘が鳴る
あねや起きろよ夜が明けた 明けりゃお寺の鐘が鳴る
夏はオユゲ(?)の蚊帳の中 十七どこさ寝る つんくばさまの そばさ寝る
おらも寝たいわ そのそばへ
踊りけすなよ夜明かしまでも 夜明け烏の鳴くまでも
おれとやべやべ銚子の浜へ いわしかせかせだーえ ねる(?)


佐倉市江原「麦つき歌」

搗けた搗けたよこの麦は(ハードッコイショドッコイショ)
糠がこなれて舞い上がる(ハードッコイショドッコイショ)
ここは神崎森の下 舵は頼むよ船頭さん(ハードッコイショドッコイショ)


佐倉市直弥「麦つき歌」

搗けた搗けたよこのこの麦は 千と五百でよくよく搗けた
あねや起きなよコラ夜が明けた 麦のこまでがコラ遅くなる
揃た揃たよソレ踊り子が揃た 稲の出穂よりよくよく揃た
踊りけすなよソレ夜明かしまでも 夜明け烏のソレ鳴くまでも
踊り踊るならソレ品よく踊れ 品のよいのをコリャ婿にとる


酒々井町尾上「麦つき歌」

搗けたつけたよこの麦は 搗けたはずだよ千五百ヨついた(オットサノドッコイサト)
踊り踊るならヨ品よくヨ踊れ 品の良いのを嫁にとる(オットサノドッコイサト)
踊りけすなよ夜明かしヨまでも 夜明け烏の鳴くまでも
このや踊り子に惚れないヨーやつは ねぶつかなぶつ石仏
搗けたつけたよこの麦は 搗けたはずだよ千五百ヨついた(オットサノドッコイサト)
あねや起きろよ夜が明けた あねは子持ちだよーおば起きろ(オットサノドッコイサト)
夕べ来たのは夜這いとかヨ猫か 猫がかんこ(?)はいてくるものか(ウンドツケウンドツケ)
ちょいと言うたとて行かりょかよおさとへ(ウンドツケウンドツケ)
佐渡は四十九里波の上(オットサノドッコイサト)


多古町西古内「麦搗き歌」

麦搗かばとなりの嫁も娘も 紫の襷かけ麦のおこまりも(オッオッオッオッ)
さんがのそねはおながよい(?)水は清水(オッオッオッオッシチシチシチ)


いすみ市夷隅町萩「麦搗き歌」

剥けばよバカだよこのかな麦は 三度よつかれて二度いわされて(アストコラストコラ)
麦はヨつけてもまだ茶が沸かぬ 沸かぬヨはずだよチョイト朝寝坊たれたよ
ハ入れてヨおくれよかゆくてならぬ わたしヨひとりがチョイト蚊帳の外


徐々に聞き取りが困難となってきました(意味不明も多い)ので、これくらいにします。
ただこれまでのところ、曲は基本的にどれも似ていると感じました。
最後に「麦搗唄」の中で、最も知られている「相馬麦搗唄」の詞を掲載します。


麦も搗けたし 寝頃も来たし(トーットト)
うちの親だちホントニ寝ろ寝ろと(トーットト)
麦を搗くなら七臼八臼 夜明け烏の啼くまでも
麦を搗くなら男と搗きゃれ 男力で麦の皮むける


これまで聞いてきて、前向きな楽しい唄が多いと思いました。
麦搗きは夜なべ作業であることが多く、近所の人たちが集まって庭へ臼を並べて二人~五人位が横杵で向かい合って搗く。その中に若い娘さんがいると若い衆たちが俄然張り切って楽しいものとなり、さらに掛け合いで唄を唄う。まさにその光景が目に浮かぶようです。
こうしたことが、つらい退屈な仕事を乗り越える力になるのだと思いました。
今後は、もう少し他県(特に西日本)の唄を聞いてみたいと思います。引き続き【勉強中!】です。



以下の資料を参考にしました。

○「日本民謡大観 関東編、東北編」日本放送協会編
○「麦の記憶 民俗学のまなざしから」野本寛一著
○「日本の麦 拡大する市場の徹底分析」吉田行郷著
○「夜田打 むかしの麦作り」飯田中央農協
○「市川の伝承民話」市川民話の会編
○「日本生活図引1たがやす」須藤功編





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最終更新日  2024.02.28 19:00:46
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