2018/10/25
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テーマ: 社交ダンス(8732)
カテゴリ: 旅行記
<丸岡城>

数日前、TVでこの城はなんでしょうというクイズをやっていました。

福井県坂井市にある日本最古の現存天守閣、丸岡城です。





見所を説明してくれる5分ほどのビデオを見て、城を建てたのは一向一揆対策だったことを知りました。

織田信長の命で柴田勝豊(勝家の甥)によって建てられた丸岡城は、そこから戦国時代の荒波を乗り越えなんども城主が変わっていきます。





石垣は野面積み(のづらづみ)という方式で自然石をそのまま積み上げただけなせいか製作当初はよく崩れたんだそうです。

城と向かい合うようにお静の慰霊碑が立っていて、説明を読んで驚きました。

お静さんは石垣を安定させるために人柱として入った女性で、その代わりに自分の息子を侍に取り立てて欲しいと願い出たのだそうです。


​ ​ ​ ​​ ​​


城は無事に完成しましたが戦乱の世ですから城主がすぐに変わって、結局お静の子供は侍になれなかったんですね。

そのせいかどうかは分かりませんが、毎年堀の水があふれて近隣に被害が出るので村人たちは『お静の涙雨だ』と噂しました。

お城の下にお静さんの骨がまだ埋まってるんでしょうか。





入場料は丸岡城と丸岡歴史民俗資料館、一筆啓上日本一短い手紙の館の三つがセットで一人450円でした。

城に入るとすぐに堀があった頃の城下町のジオラマがあるんです。


『ここに忍者3人、くノ一2人、扉の空いているトイレ一つ。どこにあるか分かりますか?』


こういうの、ついハマるんですよ。

必死に探しました。


​ ​ ​ ​ ​ ​


壁をよじ登ってるくノ一、屋根を走ってる忍者….。







せっかくですから上にも登らないとね。

傾斜角65度とか言ってたかな。

この階段、鎧着て登れたんでしょうかね。

縄を伝って、ほぼ山登りな感じでした。





天守閣からの眺めはこんな感じです。

堀は埋められて学校やら民家になっています。

ちなみに丸岡城は日本最古とはいえ1948年の福井地震で倒壊していて、その材料をそのまま使って復元されたものだそうです。

活断層が動いたのが原因とのことでしたが、マグニチュード7.1で2011年の東日本大震災、1995年の阪神大震災に次いで戦後3番目に多い犠牲者3769人が亡くなったとのこと。

震源地がここ坂井市だったそうです。





丸岡城を含めこの辺り一帯は大変な被害に見舞われたのでしょう。

今年6月ちょうど発生から70年とのことで追悼行事なども行われたようです。

素晴らしい復興を遂げて、地震の痕跡は見当たりませんでした。

歴史資料館にも入ってみました。





刀の柄や兜などのサムライ道具や乗り心地悪そうな当時のおかごなどが展示されています。


一筆啓上日本一短い手紙の館は時間の関係で入ってないんですが、気がつけば3時過ぎでお昼ご飯も食べてませんでした。

そこでおみやげ屋さんに寄って気になっていた羽二重餅というのを買って食べてみたんです。






柔らかな食感に優しい甘さ。





あっと言う間に完食でした。

みなさんもいかが?


​ ​ ​ ​ ​ ​



(つづく)





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Last updated  2018/10/29 01:21:24 AM
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