経済界や政界にむき出しの欲望を晒して恥じることがなかったホリエモン。証券取引法違反の罪で東京地裁は、ライブドア前社長の堀江貴文被告に懲役2年6カ月の実刑判決を言い渡しました。彼が資本主義の行き着いた株式時価総額至上主義という大義の前に、法の一線を越えたと認定したのです。マスコミはこれを断罪と報道し、経済界も実刑判決に驚きの声を上げています。もっと悪質なカネボウや西武鉄道など最近の事件と比べてのことでしょう。しかし、海外での反響は逆で2年6カ月では軽すぎるというものでした。米国では、エンロンやワールドコムなど同様の経済事件でも懲役20年以上の判決が出ているとのこと。実業家としての再起は不可能な厳しいものです。民事でも猛烈な株主訴訟に晒されて個人財産もすべて失ってしまうという社会的な制裁も受けています。ルール違反に厳しい法治国家としては当然のことなのだということです。対して日本はまだ法治国家として甘いということでしょうか。
我が国では建設業界を筆頭に多くの業界で談合体質が糾弾されているにもかかわらず、いまだに摘発が絶えません。地域や業界の共存共栄とか会社の存続、利益という大義の前には法律を破っても構わないという意識がどこかに残っているのではないでしょうか。それらは一部の利益共同体の大義に過ぎず、社会正義に反するのだという視点が軽視されているのだと思います。結局は自己の利益、欲望を会社、業界、地域、国や社会の利益のためだと勝手にすり替えているに過ぎないのです。本当は、自己の地位や報酬・財産、名声という我欲を求めてのことなのです。これはホリエモンも談合に荷担する人たちも同じです。ホリエモンが断罪されるとしたら、ホリエモンを持ち上げていたマスコミや財界、政界の面々も同罪ということになります。それに乗せられて株を買った人々にも罪の一端はあるでしょう。何故なら、それもまた彼らの我欲に基づくものだからです。
人々は欲の火の燃えるままに、はなやかな名声を求める。それはちょうど香が薫りつつ自らを焼いて消えていくようなものである。いたずらに名声を求め、名誉を貪って、道を求めることを知らないならば、身は危うく、心は悔いにさいなまれるであろう。
名誉と財と色香を貪り求めることは、ちょうど、子供が刃に塗られた蜜をなめるようなものである。甘さを味わっているうちに、舌を切る危険をおかすことになる。
愛欲を貪り求めて満足を知らない者は、たいまつをかかげて風に逆らいゆくようなものである。手を焼き、身を焼くのは当然である。
貪りと瞋(いか)りと愚かさという三つの毒に満ちている自分自身の心を信じてはならない。自分のこころをほしいままにしてはならない。心をおさえ欲のままに走らないように努めなければならない。
お釈迦様の言葉です。(『仏教聖典』仏教伝道教会刊より)
愛欲とは、もろもろの欲を愛するという意味で、愛情を欲するという現代の意味とは異なります。たいまつをかかげて順風を行くときは怖いものがありません。災いは逃げて行くでしょう。しかしいったん逆風に変わったら、その火で自らの手や顔を焼くことになります。三毒に満ちている自分の心をほしいままにせず、欲のままに走らないようにするためには、時々心を落ち着けて自己を省みることです。瞑想して、高い視点から自己の心の有様を見つめることです。主観的に生きている心を、客観視することで自ずと道が見えてくるはずです。道は、答えは、あなたの心の中にあるのです。
欲=悪だということはできません。良くも悪くも欲望が人間の歴史をつくり、文化や文明を発展させて来たのですから。欲望が幸福を実現する道ともなり得るのです。大乗仏教では菩薩は皆、衆生救済という大欲を抱いて、仏にならず現世において浄土(仏国土)建設に邁進します。煩悩即菩提。人が生きている限り欲が無くなることはなく、そこから生起してくる煩悩は、そのまま菩提(悟り)へ至る道となり、修行となるのです。時々は、主観的に生きている欲にまみれた心を客観視することで、善き方向へと軌道修正することを忘れずに。
合掌 観学院称徳
写真は東寺の早咲きの桜です。
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