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今年は散々な一年だった。更年期が始まり、新しく別の病気を患ったかのようにしんどく引きこもり。そしてついに6年4ヶ月にしてステロイドを塗った。急転直下の今年。一方で、これからの人生後半の指針となった年だったとも言える。壮年期、高年期へ向けての準備に取り掛かった、いわゆるスタートを切った一年だったろう。病気を患った時26歳だったが、その時、人生の第二章が始まったと思った。そして第三章の始まりは、間違いなく老いが始まった今年の41歳だろう。はて、2023年はどうなるでしょうか?今年も一年ありがとうございました。よいお年をお迎えください。
2022/12/31
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このご時世、100円ショップも採算が取れず嘆いているんだとかなんとか。で、300円ショップなるものをちらほら見かけるようになっている。或いは、100円の品もあり、200円の品もあり、500円の品もあるというような、価格を敢えて決めないで購買意欲をそそるようなショップなども。100円ショップに毛が生えたような程度の商品が数多く並ぶが、大賑わいでギョッと驚く。みなさん買い物かごをいっぱいにしてあれこれ詰め込んでいらっしゃった。私は、こういう物は買わないのである。もちろん、この価格でも良い品は探せばあると思う。消耗品ならよし。でも、9割は私にとってはゴミと同様にしか映らない。いくら安くたって、100円も出してゴミを買うなんて、そんな高くつく買い物がこの世にあろうか。例えば100円の品を5つ買う、500円。例えば300円の品を2つ買う、600円。消費税だってバカにならない。さほど気に入った訳でもないのになんとなく買い物したこの7つの品を潔く諦め貯金する。僅か数回の我慢で、質の良い品が1つ買えるのである。私はそういう考え方をする。安い品をいくつもいくつも欲しいんじゃない。たった一つだけ、本当に欲しいと思う高品質の品を、愛情込めて手に入れたい。その方がどれだけ心が満たされることか。ちゃんと大事にしようという気持ちも芽生えるし、何と言ったってエコである。このご時世だからこそ、そうするのである。この考えは、ずっと昔から、おそらくこれからも変わらない。
2022/12/30
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年内最後の美術館へ行ってきた。今年は目立って美術館へ行った回数が少なかったように思うが、この最後の〆は、実に完璧であった。このご時世になってから目が飛び出るほどにチケット代が値上がりしてしまい、以前のように気軽には行けない手の出せない値段となってしまった。美術館へ行くことが趣味である私には大打撃だった。悲しかった。が、いつまでもグチグチ言っていても始まらない。今楽しむ術を考え出すしかないのである。食べてみないことにはこれがおいしいのかおいしくないのかわからないことと同じように、美術館だって、アタリなのかハズレなのかこればっかりは実際に行ってみなければわからない。HPをじっくり見、直感が働けば行く。う〜んどうだろう、行きたいけどなんとなくしっくり来ないと感じればもうそれは行かずにあっさり諦める。もはや賭けである。で、私はどうしても行きたいと狙っていた美術展があった。私はどちらかと言うと形あるもの、彫刻とか陶器とか刀とか、何か立体的なものに惹かれる傾向にあるのだが、これは絵画のみだった。しかも近現代の。あまり好むジャンルではなかったものの、どこか引き寄せられるような、呼び寄せられている感覚を覚えていたのである。ということで、少し思い切った価格だったが行ってみた。序章から神経集中してどっぷり入り込んだ。一枚一枚じっくりと見た。その解説や時代背景を読み、自分なりに噛み砕いた。ピカソやシャガール、みんな、この満たされぬ世の中に対して訴えたかけたいことが山とあるのだな、と。〆にふさわしい美術展だった。大満足。これで無事に今年を終えられる。
2022/12/28
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「遠く荒野に、人目さけ青春より老年に、一人の隠者老いてゆく苔(こけ)は床(とこ)、洞(ほら)は卑しき僧房その食べ物は果実(このみ)、飲むは清き泉はるかに人をはなれ、日々は神とともにあり祈りこそその務め ー 楽しみは神の頌(よごと)」「風待ちさ」「わしの糸はつむぎ終ったわ」「兎は猟犬の牙(きば)に噛みつかれてもがいているときよりも、追われているときの方がよけいに苦しむもの、だという」「さあさあ、よくからだをあたためて、お眠(やす)みなされえ。そっと横になれるよう拙僧の衣をかけて進ぜよう」「ご隠居は盛りの日もござった、なれどもご隠居の日輪さまはもうとっくに沈んでござる」「運命(さだめ)にしたがうことじゃ」「沈黙は金だ」
2022/12/27
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「が、見る目をもった人から見れば、この気高い馬のねうちは馬具などなくても立派なものであった」「うぬぼれの鼻を折られたとき、ことにはじぶんでも取柄(とりえ)がないのに気がついているときは、執念ぶかくじぶんに楯(たて)ついたもののことを忘れぬもので、」「どっちにしてもおなじことでござれば、運をためしてみましょう」「これからはどんなに先へゆこうとやってみても、先へ進めるかもしれないが、それとおなじくらい道をはずれてしまいそうでもあった」「拙者は当てがわれた扶持(ふち)で暮らしております」「そろそろ何か行動に出るべきじゃないかね?」「この世では、物ごとみなそれぞれの用というものがござる」「人間だれでもできるだけのことしかできませぬ」
2022/12/26
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そして、この冬初めて暖房を付けた。毎年ホットカーペットのみで過ごし、朝起きたらまずは窓を全開にするし、その全開でスースー風が通り抜ける中で出かける準備をしたりしていた。(リビングはちゃんと母が暖房を付けているのでご安心を。)が、今年はいそいそとエアコンの掃除をし、夏しか使わなかったエアコンを冬にも使うという、驚くべき経験をしている。設定温度は低くほんの〜り暖かいだけだけど、付けたという事実はすごい。冬って寒いんだね。これからは暑さも寒さも辛くなるんだろうな。ついに暖房が必要な年齢になった、私。
2022/12/25
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私、この冬、初めての経験をしている。冬って寒いんですね。いえ、わかっていましたよ、もちろん。寒いという感覚はちゃんと持っています。だけど、寒さって骨身に染みて堪えるんだな、ということを知ったのは今年が初めてです。私はとにかく夏が苦手で心底辛い。息苦しく、ぐったりして寝込む。病気を患ってからは、特に夏場は足が動きにくくなるということもあり、ますます嫌いになった。一方で、冬は大好きだ。足は動くし、身体がものすごく楽で軽くなるので、寒空の下出かけるのもまったく問題なし。が、今年は違う。更年期で身体が変わり、常にローテンションで気分が沈み込んでいるものだから血流鈍く暖かくならない。2年前にコーヒーを辞めたこともあり、うれしいことに神経の昂りもないから滝のような汗も一切かかなくなった。ということは、寒いのである。自慢じゃないが筋肉のキの字もないから、身体の芯から冷えているのである。家では雪だるまのように着膨れているが、外出する時はとても薄着で出かけていた。タンクトップの下着の上に薄手のニットを1枚サッと着、その上にウールの短いコートのみ。寒くない?といつも聞かれた。が、至って平気。汗が出ることを考えての服装を心がけることは当たり前だったので、着込むことなぞできるはずもない。ようやく去年から少しだけ首元を覆うハイネックなる服が着られるようになったが、今年はこれでも寒い。もっとしっかりと首元を温めてくれる折り返すタートルネックを買おうかしらと思うし、人生において一度も着たことのなかったダウンコートなるものも欲しくなってきた。コートの中には2枚3枚着込んだ方がいいんじゃなかろうか。それぐらい寒さを直に感じるのである、今年は。いやはや、こんなにも変わるものなのだな。身体の衰退が著しい。老いを迎えるってなかなか何と言うか、環境までをも変えるのだなとひしと感じる私であった。
2022/12/24
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もんもんへクリスマスプレゼントを郵送したら、お礼がてら妹から電話がかかってきた。もんもんは大喜びしてくれたようで何よりである。で、妹。二人の男の子を育てているということも大いにあると思うが、圧倒されるほどに元気だった。大きな声で早口でとめどなくしゃべり、相槌を打つ暇も与えない。関西のおばちゃんと化していて、あまりのスピードにぶっ倒れそうになった。ま、簡単に言えば上沼恵美子さんです(好きだけど)。話すのはたぶん半年ぶりぐらいだった。明るく活発で誰とでも仲良くなり、友達や知り合いのなんと多いことか。絶えず人付き合いがあるから、そうでなくても忙しいのに更に拍車がかかり、毎日が怒涛のように過ぎてゆくのだろう。私は声を発さずじっとして15年以上。私の友達は小説と映画のみ。凪いでいる時間が歪んで荒れ狂った30分間だった。耳がキーンとした。しばらく放心してボーッとした。
2022/12/23
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実はまだ、去年の夏から始まった顔の左側の痙攣がうっすらと続いている。まさかの1年半も経ってしまった。ここまで続くと、おそらく止まることはないだろう。趣味である寺巡りは、今年は全然行けなかった。来年は少しでいいから行きたいと思う。美術館もあまりにチケット代が高いので、選び抜いたものしか行けなくなってしまい、趣味との関わり方も大きく変わったように感じる。畢竟、更年期が始まった身体には慣れた。1年近くかかった。自然と、家でできること、家で楽しめること、に重きを置くようになった。となるとやっぱり映画を観ようということになり、最近ではこれまで観てこなかったジャンルの映画も観るようになっている。これまでSFって一切興味がなかったのだけれど、先日Back to the futureなんか観てしまって、意外とおもしろかった(3まで全部見た)。相変わらず掃除はストレス発散でもあり好き。特に拭き掃除がとてもワクワクするので、来年も掃除には精を出したい。1年の中で一番苦手な年末年始がやって来た。十分に引きこもりだがもっと引きこもるので、たくさん本を借りておこう。
2022/12/22
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もんもんへクリスマスプレゼントを郵送した。今年は、ママと3人お揃いの絵本の絵のエコバッグと私のおすすめの小説。エコバッグは図書館へ行く時に使ってくれたらうれしいなという思いを込めた。ちゃんとそれぞれのイニシャル付きキーホルダーも付けてオシャレして。小説はもしかしたらこのブログで以前にも書いたかもしれないが、ヨーロッパでベストセラーの小説だ。「カモメに飛ぶことを教えた猫」15年ほど前にたまたま図書館で見つけたのだが、挿し絵がとってもチャーミングでかわいかったのである。読んでみたら、これまた不覚にも感動して泣いてしまった。環境問題、人種差別人権問題など、あらゆることに通ずる内容で、大人が読んでも十分に読み応えがある。ちゃんとユーモアもあって笑えるところも良い。もんもんも読んでくれたらうれしいな。みなさんも一服がてらいかがですか?心がホッと暖まると思います。ついでに「しあわせの隠れ場所」という映画も良かったです。
2022/12/21
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ところで、皮膚科って一日に何人ほどの患者が来るのだろうか。先月から通っている皮膚科はweb予約をしてから行くのだが、うっかりしていて予約開始時間に乗り遅れてしまって、15分経った頃には既に24番目だった。午前中だけで40〜50人ほどかしら。午後の診察と合わせて100人ほど?とか考えてしまい、街の皮膚科も大変なのだなと痛感した。確かに以前通っていた皮膚科も2時間ほど待つのは当たり前だった。いわゆる美容皮膚科と呼ばれるピアスの穴を開けたりすることもしているので一概には言えないが、まぁ、病院と名の付く場所はどこも大盛況らしいな。
2022/12/19
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老いると自分に甘くなるんだと思う。まぁいっか、もう年なんだし、しんどいし、面倒くさいし、がんばれないんだし。私はピアノという競争社会に一応身を置いていた時期もあったが、誰と競争と言うよりも、自分との戦いであった。ある目標を決め、それを何がなんでも達成するんだという強い信念を持って日々練習に励んでいた。その自分自身にだけは負けたくないという、この気持ちが老いるとなくなるのだと思う。なぜって気力と体力がなくなるから。年々、急降下し、ついに更年期が始まったと共にゼロになってしまった。いや、マイナスか?何事も現状が維持できているのであればそれに越したことはないし、現状を維持することだけで十分だと思うようになるのである。これが老いだ。むしろこれからもっともっと滑り落ちていくのだから、しまいには食い止めることに必死になるのだろう。40代になって初めて知ることの、なんと多いことか。あの頃は若かった。
2022/12/18
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30代の頃、今が一番幸せなように思う、と幾度もなく思ったものだったが、やっぱりそうだったと思う。10代と20代はそれなりに苦しかった。もちろん良い想い出はたくさんあるけれど、10代の10年間と20代の10年間、とまとめて一括りで考えてみると、どうしても悲しい想い出に傾いてしまう。30代、それはそれは平和だった。ようやく平穏という言葉がぴったりな日々が訪れた。病気は患った後だったが、自分らしく前向きに歩むことのできた日々だったように思う。40代になってから急降下。30代のような穏やかで軽やかな日々はどこへやら。身体は重く、沈み込むことが当たり前になってしまった。私のてっぺんは間違いなく30代。まだまだ始まったばかりの40代だが、光が見えることは今のところない。ただ一つ、病気に対しての将来の不安は年々減っていることだけはうれしいけれど。
2022/12/17
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今日は、自分でもおかしくって笑ってしまった話です。もんもんには8月の誕生日とクリスマスの年2回プレゼントを贈ることにしている。おもちゃなどは一切贈らず、絵本や工作できるキットなどを選んできたのだが、必ずメッセージカードは添えることにしていた。いわゆるポップアップカードと呼ばれるもので、カードを開くと立体になってケーキが飛び出てくるとか、メロディーが鳴るとか、なんかそういう楽しい気分になるカードを。そんなカードを探しに某有名な文具店へ行ってみた。私は昔から文具は好きなので、あれこれ見て回っていると、ふと小さなケースが目に留まった。商品をお勧めする小さな文字で「◯さんのデザインで折り紙付き」と書いてある。私は思わずそのケースを手に取り、実際に“折り紙”がどこに付いているのか目を皿にして見てしまった。はて?どこに折り紙が??(ハッ!)ここが文具店ということもあり、やだ、私ったら。折り紙付きってその折り紙な訳がないじゃない。ついつい紙の折り紙を探していた自分に笑ってしまった。折り紙付きって、その商品は間違いなく確かな品質だとかいう意味だが、この言葉は文具店ではややこしいですね(笑)結局、探しに行ったカードのことを忘れて帰ってきてしまいましたよ。
2022/12/16
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みなさんはご家族などと同居ですか?一人暮らしですか?母は、物を捨てるという考えがない。壊れたら捨てるけれど、物が壊れることなどそうなく、つまり日に日に物が溜まってゆく。更には飾り物が大好きである。季節ごとにいそいそと飾り物を取り替え、所狭しと並ぶ様が好きらしい。家の物の内、飾り物が5割をも占める。この5割がなければどれだけ家の中がスッキリするだろうかと嘆く。それなのに、また買ってくる。習い事にもせっせと通っているから、何か飾り物を作って持って帰ってくる。もう置く場所などないのに無理矢理飾るから、我が家はもはや店である。12月は言わずもがなクリスマスである。12月いっぴに、一斉に飾る。100個はくだらないと思われるサンタクロースやらツリーやら何やらを一日かかって並べ回る。そしてあ〜疲れたと言う。世話ない。私は、その内のあるサンタクロースが嫌で仕方ない。おそらく本場である北欧からの輸入物で、職人が筆で目を描き入れたと思われるのだが、その目がどうも監視されているようで居心地が悪くてたまらないのである。絶対に見ないようにと思っているのに、結局毎日何度も見てしまってはサッと目を逸らす。それが毎年12月の25日間続く。神経落ち着かない。目を布か何かで覆いたい。だが、これが母の趣味なのだ。ここは母の家なのだから何も言えるはずもない。母の頭の中もおそらく飾り物でいっぱいになっていて、パァッと花が咲いていることだろう。年々楽観的になっていく。もう何も考えられなくなっているらしい。数年後には認知症になるかもしれないなと、最近ではそう考えるようになってきた。一方で、近所の大型スーパーが7年後に取り壊されて道路になるとかいう話をし始めて、あのスーパーがなくなったら困るとか言った。母は一体何歳まで生きるつもりなのだろうかとゾッとした。
2022/12/15
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「引き際はわきまえて」「物をふかく考えない人、しかも世間にはそういう人の方がうんと多い、考える人は百人に一人くらいのものだが、」「<ユダヤ人には目がござらぬか。ユダヤ人には手がござらぬか、胃が腸が、からだが、感じが、情愛が、熱情がござりませぬか。おなじ食べ物で養われ、おなじ武器で傷つき、病気もおなじ病気にかかり、おなじ薬でなおり、おなじ冬と夏に暑くもなり寒くもなるのは、キリスト教徒と変わりがありましょうか> ヴェニスの商人」「ただちょっと困るのは、お前はうわべばかり見てものいうことだ」「このつまらぬ大騒ぎに、あまり先ばしっておはいりなさいますなよ ー いえ、あなたのお命、あなたのおからだのために申しておるのでござります」「生き残った人は死んだものは運がよかったとうらやみたくなった。これからまだまだひどいことになるのに、それを知らずに死んでいったものは運がよかったのだ、というのであった」
2022/12/14
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3度目の皮膚科へ。薬は未だ継続中。これからは様子を見ながらステロイドとも付かず離れず付き合っていくことになった。お疲れ様、私。心身穏やかになり、顔の湿疹もある程度良くなったので、今回ステロイドを再開したという選択は正解だったと考えたい。ようやくひと段落ついた。でも、心の御守りの為、ステロイドは余分にもらっている。これでいつ湿疹が悪くなっても家には薬があるという安心は得られるから。次は経過観察の為、1ヶ月後に行きます。賢く頭のしっかりした女医。私があまり薬は使いたくないという気持ちを汲んでくれているので、ありがたいです。
2022/12/13
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妹が歯の矯正を始めた。私が勝手に想像するに、今もんじが矯正をしているから、診察に付いて行っている内に「お母さんも一緒にどうですか?」と言い含められたと踏んでいる。今芸能人などが歯をあまりに不自然な真っ白なものに入れ替えているように、要するに歯をきれいにすることが流行だから、その影響も相まって、流行りに乗らざるを得ない性格を持つ妹には首を縦に振るという選択肢しかなかったのだと思う。先日歯を2本抜いたんだそう。次回もう2本抜くんだとか…。そんなしんどい思いまでして、本当にこの30代後半の仕事に子育てに大忙しでローンの返済に追われている今必要なことなのかしら。常に流行りに乗っていないと気が済まない人って、振り回されてへとへとに疲れるだろう。よく気力も体力も続くな。私なんて時が止まってる、否、逆行だ。と同時に山ほど金がかかるんだなとつくづく憐れみの情を抱いてしまった。旦那さんはヒゲの脱毛に通っているところだし、妹自身も全身脱毛に興味を持っているようだし、もう湯水のごとく、であった。そりゃあ仕事は辞められないはずである。マイホームを購入して満足を得、次には太陽ソーラーパネルを取り付けて満足を得、ちょうどその次を物色していたところにこの歯と脱毛のブームが来たものだから、待ってましたとばかりに乗っかった。夫婦でコレだから誰も止める人がいない。周りは見えず生き急ぎ、そのスピードは年々早まるばかり。あゝ大変。
2022/12/12
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「もうわしどもには呼吸(いき)をする空気のほかは残っているものもないくらいじゃ、その空気もいやいやながら残してくれているようじゃ」「教会の廃墟のなかに夜なかに烏(からす)がとまり木を見つけたなんと悲しい場所か情け知らぬ征服王はああなんといまわしいことかあの小さな町をつぶしてしまった猟場を広げるために」「誓いというのは、われわれを天にむすびつける結び目」「口のつつしみがなによりじゃ」「囚われの身とならんよりは死に花を咲かそう」「尼さんたちは教団のきまりの僧衣はたしかに着ている、しかし、その布地の選び方、仕立方、簡素なうちにもある種の色気があって、俗世間の虚栄を笑えたものではない」「いろいろの罪も博愛のおかげで消えるもの」
2022/12/10
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ー2年経ったーコーヒーを辞めた時は、まったくのゼロにするつもりで、堅い決意を持って始めた。コーヒーはもちろん、コーヒーゼリーとか、カフェオレなどのコーヒーが少しでも入っているものをも含め、すべてを辞めるという計画だった。もう今日でコーヒーはいらないや、とスッパリ思い切ったあの日から、なんと丸2年。完全なるゼロを貫いた。神経の弱い私にはこれが思わぬ結果をもたらした。滝のような汗が出なくなったのである。驚くほど体調は良くなり、今日に至る。甘いものは、そもそもゼロにするつもりはなかったということからしてコーヒーとは違う。嗜む程度には趣味として楽しむことを前提としていた。これが私にはむしろ厄介だったようだ。私はどちらかと言うと、all or nothingの考え方であり、この方が性に合っているので、例えばこのブログのように毎日更新し続けるか否か、そこが極めて難しかった。食べない、で、ひょっこり食べる、そしてまた食べない、というこの不規則な習慣に身体が馴染まず、かと言って甘いものをゼロにするなんてそんな悲しいことはないと思っているものだから、いつまで経っても軌道に乗らない。うーんと悩み、どうしたもんか、結局甘いものになびいているし、どっちつかずが続いている。そろそろこの生活にも慣れてきたところだが、いまいちしっくりと事が運ばないのは仕方ないことなのだろうか。完全に辞めるつもりはないのだから、どこかで妥協するとか、あまり締め付けない程度で賢く続けていくに限るのだろうか。だって、もし甘いものを完全にゼロにしたとしたら、生きる楽しみが大きく大きく減ってしまって、虚しくなる。それはむしろ心身に良くない。これが来年の目標になることは、言うまでもないだろう。
2022/12/09
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更年期が始まったことにより、あらゆる変化を感じている。体調は今更言うまでもなく、私が私ではないような気がする時さえある。直感はあまり働かなくなってしまって現実的になってきたので、期限が迫っている美術館から機械のように順番に行くとか、急に老後が心配になっていてもたってもいられない時があるとか、これまでの人生行き当たりばったりだったのにそれも若さだったのだなと振り返るようになるとか、まぁ要するに老化したのである、私は。それだけの話。部屋は断捨離をして、スッキリとあまり物は置かないようにしていた。それなのに、なぜかある日突然花に関心を持つようになり、部屋に花を飾りたいと思い立った。こういう感情は初めてのことであった。が、生花は手入れが大変だし、枯れてしまうのを見るのは残念で寂しい、世話することは少々煩わしいと思ってしまい、じっと考えに考えた末に小さな造花を飾ることに決めた。フェイクフラワーってやつである。以前からある素敵な造花専門店を知っていたので、ぐるぐる何周もした末、たった一つだけ選び抜いて買って帰った。精密に作られた造花が、これまたとてもかわいい。ほんに小さな小さな造花なのに、部屋に灯りが灯ったかのようにパッと雰囲気が明るくなり、それ以来造花のかわいらしさに目覚めた。老いるとくすんで来るから、彩りが欲しくなるんだろうな。もちろん色は私の大好きな黄色とオレンジ。元気になる。体調だけでなく、42歳、こんな心境の変化もあったのであった。
2022/12/08
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“親戚のおっちゃん”が亡くなった。98歳。おばあちゃんの妹の旦那さんであったこのおっちゃんは、私が小学生の頃から既に立派なおじいちゃんの風貌だった。おばあちゃんが亡くなると、自然とおばあちゃんの妹とも疎遠になるもので、ましてやおばあちゃんの妹もかなり以前に亡くなっているものだから、このおっちゃんの存在すら記憶から消え去っていた。が、訃報というものはどこからともなく耳に入るものであり、あゝあのおっちゃんだな、と思い出した。ふとアルバムを開いた。大往生である。
2022/12/07
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ステロイドを塗って早2週間。顔に塗っているのだが、少し量を減らして薄〜く塗ってみるとすぐにリバウンドする。赤味と、皮膚も湿疹の前兆を思わせるザラザラした表面に戻り、ただ単に湿疹を押さえ込んでいるだけなのだなと痛感している。イタチごっこ極まりない。ね、こうやって薬って辞められなくなるんだ。
2022/12/06
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コーヒーを辞めて2年経った。あっという間の月日だった。コーヒー時代という華やかな時代は過去となり、今、私は、神経の安定という宝を得た。本当に辞めてよかった。更年期が終わったらまた飲もう。それが夢だ。それまではお預け。これからも無理なく精進します。
2022/12/04
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老いって、様々なことを奪ってゆく。もう直感なんて働かなくなったよ。ピンッとした直感なんて、うんともすんとも言わない。超現実主義になって、急に老後の心配とかし始めるようになっちゃった。今まで考えたことなかったことを考え始めたり、漠とした不安が覆い被さるようになった。そして過去を悔いる気持ちばかりが膨らむんだ。私、これでよかったんだろうか。何かもっと他の道があったんじゃなかろうか。26歳で発病したけど、もし発病しなかったら今頃どんな人生を送ってたんだろうか。とか。ありもしないことばっかりに想いを馳せる。決して多くを望んできた人生ではなかったし、実直で慎ましい暮らしをしてきたつもりだけれど、妹のようにあれもこれもともっと貪欲に生きればよかったかもしれない。美術館へ行っても映画を観ても、以前ほどの感動は得られない。頭がボーッとして集中力は続かないし、本を読む速さも遅くなったように思う。わざわざ散歩へ行こうなんてもうこれっぽっちも思わない。2駅ぐらい平気で歩いてたけど、電車に乗って運んでほしい。だってしんどいんだもん。ちょっとでも目を閉じて寝ていたいんだ。若いって素晴らしいと言う。確かに若いってそれだけで素晴らしいんだな。時は戻らない。
2022/12/03
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「こうして人は忘れられて行く」「きみは、カモメだ。そして、カモメとしての運命を、まっとうしなくてはならないんだ。だからきみは、飛ばなくてはならない」「日常で浴びる言葉、聞く言葉、自分が発する言葉、それもまた自分の耳に返ってくる言葉として」「絶望は、そうとう深いらしい」「<人の体は一つの見えるものと、数限りない見えないものの複合体からできている> 宮沢賢治」「若いころと違って年を重ねて達観しなければいけないこと、それはこの世を去るときには、だれも、なにも、持っていけないということ」「この世で起ることは説明がつかない」「人はだれでも年を取ります」
2022/12/02
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“ガタがきた”とかいう言い回しがある。ふふふと笑ってしまった。まさにこれだ、今の私は。更年期の始まりにふさわしい言葉だと思う。私は元来他人に興味を持つことができない性格だ。そう言うと、どれだけ自分のことが好きなんだ?と思われそうだが、そうではない。私はただ私の人生を淡々と歩んでいるだけなので、そこに他人が入り込む余地はない。という意味での、他人には興味関心がない、という解釈をしていただきたい。そうでなければこんな人生にはならないさ。更年期が始まって以来、それが実に顕著である。ますます、どんどん、以前にも増して興味なんて持てない。自分自身のことだけで必死だとも言える。私は私の道を脇目も振らず歩いている。12月ですね。河津桜が咲いていました。こんなに寒いのに楚々と。可愛らしい。
2022/12/01
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「わからないわ。いろんな種類の飢えがあるもの。春にはもっとたくさんの飢えがあるわ。でも今はそれも失くなってしまった。思い出も飢えだわ」「それを聞かずにすます唯一の方法は、立ち去ってしまうことであった」「だれでも具合の悪いところがあるものです」「ぼくの教わったことが一つあるよ」「なに?」「好きでもない人とは、決していっしょに旅するな、ってこと」「全く野心のない作家と、世に出ない、本当にすぐれた詩というものは、現代、私たちが最も望んでいるものだ」「本当に邪悪なすべてのことは、無邪気から起るのだ」「死ぬのが怖いか」
2022/11/30
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1週間。びっくりするほどきれいな皮膚。非現実とはこのことを言う。3日でほぼ湿疹は良くなり、腫れも赤みも取れ、見たこともないような皮膚が現れた。薬の威力をまざまざと見せつけられた。が、これを現実だと思ってはいけない。必ずや薬を止めるとリバウンドするので。2度目の皮膚科へ。さて、ここからどうするかという話だ。ぱったりステロイドを辞めてしまうと、押さえ込んでいた湿疹がまた出てくることはわかりきっているので、徐々に辞めていきたい旨を伝える。ということで、後2週間は漢方薬を飲み続けることになった。それに加え、しばらくは顔をきちんと石鹸で洗うように指示される。ずっとお湯で洗うのみだったが、これは続けてみようと思う。さて、この先どうなるか。ステロイドに助けてもらって楽な思いをしたのだから、それに見合うある程度の苦しみは覚悟しなければならぬ。
2022/11/29
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昨今、どんなに小さな街の医者でもHPがあり、医師の経歴がしっかり書かれていることとweb予約ができることは当たり前のようである。先日からお世話になっている皮膚科もweb予約をしてから向かったので、待ち時間は0分だった。私は、医師が男性か女性かにはほとんどこだわらない。以前通っていた皮膚科の先生は男性だったし、神経内科の先生も男性、さすがに産婦人科を探す時だけは女性を選ぶと思うが、私にとっての条件はむろんただ一つ、それは、第一印象の直感で自分に合うかどうか。それのみと言っても過言ではない。だから、それが男性でも女性でもまったく関係なく、どちらだって一切構わない。今回の皮膚科の先生は女性だ。HPに写真が載っていた訳ではなく、医師の紹介の欄に女医と書いてあっただけ。行こうと思っていた皮膚科を調べてみたらたまたま女医だったというただそれだけの話であるが、幸い、たった1秒のパッと見た第一印象に違和感は感じられなかったので、ホッと一安心した。ということで、男性の皮膚科医と女性の皮膚科医を経験したことになる。今回の女医は美容の分野での皮膚科にも熱心に取り組んでいるらしく、スキンケアのアドバイスももらった。私は幼い頃からずっとアトピーなので、スキンケアや化粧などという世の女性たちが熱狂する感情をこれっぽっちも味わったことがない為、本当に無知である。専門知識のある人にちょっとしたアドバイスをもらえることは、案外うれしいかもしれないなと感じた。それは以前の男性の皮膚科医からでは得られない知識である。この老いが始まったあまりに乾燥する皮膚のためにはよかったように思う。これも考えようである。以前の男性皮膚科医には長年お世話になりとても感謝しているが、ちょうど更年期が始まったタイミングでこの女医に出会えたことは、きっと意味あることだったと思いたい。
2022/11/28
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思春期の頃、つまり引きこもっていた頃、驚くほどにアトピーがひどかった。顔がケガのような状態で、これが引きこもりの原因の一つでもあった。そして更年期。また悪化。要するに、思春期も更年期も、身体が変わる時なのである。だから順応できずに自分の弱いところに顕著に症状が現れる。成熟する時、老化する時、理由は違えど結局は同じだ。それをひしと感じている今日この頃。更年期にこんなにも悩まされるとは思ってもみなかった。
2022/11/27
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ところで、かなり昔の話だが、アトピーでもらった薬と風邪薬で副作用を起こしてしまい嘔吐した経験がある。もちろんその二つの薬の名前は記憶しているので、問診票には必ず書き込む。更には、病気の欄に「多発性硬化症(MS)」と書くものだから自然、安易に薬は処方できないなという慎重にならざるを得ない雰囲気はどこの医者へ行っても漂うものである。だから、結構念入りに診察される。私は身体がちょっとばかし厄介な体質なものだから、漢方をもらうことが多い。風邪薬でもよく漢方をもらっていたし、今回の湿疹でも結局出された薬は漢方だった。漢方はさほど抵抗なく飲め、ちゃんと効くので、私にはちょうど良いらしい。こういう私の体質を知ってもらって、この皮膚科とは末永く付き合っていけたらいいなぁと思う。近所に信頼できる皮膚科を持つことって、心の安心だから。
2022/11/26
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すぐ近所に皮膚科ができたことは知っていた。家から最寄り駅へ行く道沿いに。あーここにできたんだ。以前お世話になっていた皮膚科は3駅向こうと少し遠かったので、行くならここかなと目星は付けていた。最近直感も鈍くなっていたから、正直そうピンと来た訳ではなかったけれど、正解だったと自負している。小柄でこざっぱりとした後腐れのない感じの女医。助手を3人も従えていて圧倒され、話し方はものすごく忙しなかったけれど、ま、これは関西人特有のものだ。全然問題なし。ちゃんと話も成り立つし、あっさりした性格は私は好きである。心底ホッとする。近くに信頼できそうな皮膚科ができたってやっぱり私にとってはありがたい。しばらく通うことになりそうだが、上手に付き合っていけるかな?
2022/11/25
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0歳の頃からアトピーだ。ステロイド漬けで育ち、一日たりともステロイドから離れたことはなかった。一念発起して自分治療を開始。6年と4ヶ月という歳月を一切ステロイドを使わず過ごした。もうこれで十分だ。この私が6年4ヶ月もがんばれたんだ。自分のことをしっかり褒めてあげたい。よく耐えたね。3日で湿疹はかなり落ち着いた。自分の顔が戻った。あまりのひどさにいきりたっていた気持ちが安定したから、妙にリラックスしている。お風呂に入って極楽極楽、という感じ。
2022/11/24
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明日皮膚科に行く!と決めた前日。明日でようやくこのかゆさから解放されるんだと思うと、もううれしくてうれしくてウキウキする自分がいた。何かが吹っ切れて、ステロイドを愛おしく思った。当日の朝。罪悪感が戻る。こんなにも身を粉にしてがんばったのに。パァか…。帰宅後、すぐに顔にステロイドを塗って、飲み薬も飲む。あゝ、この塗り薬を塗る感触は実に6年4ヶ月ぶりである。心がスーッと、スーッととろけるように安心する。これでかゆさとも一旦お別れ。助けてもらおうステロイドに。しばらくのち、ステロイドが辞められないという悪循環に陥ることがわかっていつつも、涙が出るほどにうれしかった。早くも夕方、少し楽になっていた。翌朝には腫れが引いていた。6年4ヶ月もステロイドを絶っていたものだから、驚くほどあっという間に薬が効いた。すごいな、薬って。
2022/11/23
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顔、顔。急にブワーッと顔全体に湿疹が広がって、既にマスクがなければ外出できない状態に。髪の毛の生え際や耳の中、首にまで、一気に目に見えて広がってしまった。何がどうなってこうなったのだろうか?かゆい、かゆい、あゝ湿疹が日に日にひどくなってゆく。黄色い汁が出てジュクジュクしている。顔が腫れぼったい。目が開かない。顔の皮膚がまるでアスファルトのよう。悶々とする。6年半近くステロイドを絶ってがんばってきた。きっと乗り越えられると信じてやってきた。1ヶ月ほど前からか、皮膚科のことばかり考えるようになっていた。更年期が始まり、皮膚の状態も変わったようで、とにかく乾燥するのでオイルで保湿するようになっていた。つまり老化したからだと思っている。鏡を見てはため息を付く。典型的なアトピーの皮膚。皮膚が引き攣っている。この期に及んでステロイドを塗るのか?自分との葛藤でやり切れない思いだった。そんな時、美術館へ行った。ある絵の解説を読むと、ふと「現実を見よ」と書かれているではないか。この「」の中の文字だけが目に吸い付いたように離れなくなって、じっと、じっと見入る。そうだな、現実を見よう、もう若くはないんだ、42歳なんだ、がんばれないんだ、がんばる気力がないんだ、ステロイドに頼るということは決して悪いことじゃない、かゆいかゆいと毎日我慢して過ごす方が精神衛生上良くない、ここまでがんばった、私はよくやった、ここまで耐えたじゃないか、そうだそろそろ何かに頼ることもよしとしよう、これが老いるということだ、決して自分に負けた訳ではない、正直になろう、素直になろう、私は皮膚科に行きたい、このかゆさから解放されたい、我慢の限界、楽になりたい。なぜか一瞬で吹っ切れた。この「」のおかげで私は皮膚科へ行くことを決意した。6年4ヶ月、ついに降参します。私、皮膚科に行きました。
2022/11/22
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ついに、ネットで地元の皮膚科を検索した。自分治療を始める前までお世話になっていた皮膚科の先生は好きだったが、今もう一度その先生の元へ行きたいかと問われるとそうではない。行くのであれば新しい皮膚科へ行きたいと思う。なぜだろう。年月を経て私自身が変わってゆくように、去る者は追わずという感覚だろうか。いや、去ったのは私の方か。とにかく6年半近くも経っているのだから、別の皮膚科へ行こうではないか。1年ほど前だったか、ちょうど近所に皮膚科ができたので、ここに行ってみようと思う。ただ、老いて直感も鈍くなってきているので、実際に足を運んでみなければ善し悪しはわからないだろう。以前、あるヤブ医者へ行ってしまって一度切りですぐに行かなくなった記憶が蘇ったが、まぁ、合わなければ違う皮膚科へ行けばいいだけのことだから、さほど問題ではない。これだけがんばってきたけど、ついにステロイド生活が始まるようである。
2022/11/21
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ー3割の満足ーいろいろあった末に甘いもの7割減生活となったが、果たしてできているのだろうか。だいぶん自分に甘い評価を下している感は否めないが、まぁ意識はしているのでよしとする…。この3割は、なんでも好きなものを食べる。制限などなし。若干身体は重たくなるけれど、心にポッと灯が灯って幸せになるからうれしい。やっぱりカフェへ行くことは楽しいなぁ。ウキウキするなぁ。
2022/11/19
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「死とはすなわち、時と永遠に対する捧げ物ではないのかい?」「私は本当に良い本を、冬の間中、それに昨年の冬中も、読んできました。来年の冬もそうしますよ。私は、はっきり言って悪い本は好みません」「値打ちのあるフランスの本は、どうして見わけますか?」「まず、絵がありますよ。それから、その絵の質も問題です」「今は生を満喫しなくちゃ、一分一分をね」「もし、お腹がからっぽで腹ペコだったら、(美術館の)絵はすべて、鋭くなり、いっそう明らかに、いっそう美しく見えるのだった」「良いものでも悪いものでもすべて、それが止むと、空虚を残す」「あああのときの虫の知らせに従っていたら」「コレデオイトマヲイタシマス!」
2022/11/18
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最近、大好きなこと。それは、出来たてアツアツのゆで卵を作って食べること。おもむろに冷蔵庫から卵を取り出し、茹でる。出来上がったら冷やしてすぐに殻を剥く。プルップルのとろけそうな白身と、とろりとした黄身に目が輝き、ほおばって一気に食べる。これがなんとも幸せなのです。
2022/11/16
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ー…ー正直、あんまりできてない、7割減。
2022/11/15
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私が高校生で不登校だった頃、母が入院していた。父はもちろん仕事に明け暮れ、妹は中学生で塾に部活に大忙し。グッドタイミングねと言わんばかりに引きこもっていた私が、したこともない家事をこなす。掃除洗濯料理、どうにかこうにか暮らしていた。が、どうしても朝早くに起きることだけができず、妹が父と自分のお弁当を詰めてくれていた。前日の余り物のおかずと白米に梅干しの質素なお弁当だったようだが、おかずが少ない分、妹は毎日これでもかというほどぎゅうぎゅうに白米を詰めていたらしい。ある日、耐えかねた父は、妹に言った。「もうちょっとご飯の量少なくしてくれるかー?食べられへんわー」慣れない3人での暮らしだったが、フフッと笑ったことをなぜか今思い出した。先日父の誕生日だった。生きていれば74歳。まだまだやりたかったことがたくさんあったろうに。
2022/11/14
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家にじっと引きこもる。甘いものは食べないから砂糖の摂取量は減る。が、あまりに運動不足で非常に心身に良くない。過ごしやすくなってきて散歩に出る。カフェに寄る。小説を読みながら甘いものを食べるってなんて幸せなんだろう!心身共に活性され元気になる。循環する。が、甘いもの減からは遠ざかってゆく。さて、どっち?
2022/11/13
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ここ数年間を振り返ってみても、だいぶん変わった。コーヒーを辞め、家に紅茶を常備することも辞めて飲むのは外出先でのみにしてなるべくカフェインを摂らないようにする、更に今は甘いものの量を減らしている最中だ。この先、何らかの身体の変化を期待しているところである。神経が安定するようになったため多量の汗が出なくなったとか、既にいろいろと良い兆候を感じているが、おそらく、何かまた別の変化が現れると思う。身体って実に正直だし、手をかければかけるだけ良くなるから。心なしか、更年期の症状が楽になったような気はしている。今年の前半は疲れ果てていた。新たにまた別の病気を患ったかのような感覚を抱き、塞ぎ込んでいた。まだまだ更年期に関しては初心者なので、ただ単に夏が過ぎて秋になったから身体が喜んでいるだけとも言えるが、ちょっと今はまだわからない。さて42歳はどうなるだろう。なんだか、皮肉にも、しっかり地に足つけて生きてるなって気はしている。
2022/11/12
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ーgoodbye紅茶ー紅茶はいとも簡単に辞められたなぁ。コーヒーとは違ってそもそも執着していなかったからなぁ。甘いものはそう簡単にはいかないなぁ。甘いものを食べることは楽しいんだもんなぁ。
2022/11/11
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ーカフェイン入り紅茶は外出した時だけねーこの夏、微かな左側の顔面痙攣に加え、左側の後頭部までもが痙攣し始めたので、早々と家では紅茶は飲まないようになりました。既に1ヶ月経過。家で飲むものは、母が毎朝やかんで沸かしてくれるカフェインレスのお茶か、白湯です。そもそも紅茶はコーヒーのようにのめり込んだ訳ではなかったけれど、こんなに早く私の元から去ってゆくとは思いもしなかった。が、身体が発する声に従ったらこうなった。カフェインを控え、少しでも神経を穏やかに保つ為にできることはどんな些細なことでもやっておきたいと思ったゆえに。ただ、外出していて飲食店に入った時、コーヒーも飲まない、紅茶も飲まない、甘いジュースは嫌い、となると本当に飲むものがないので、外出先でだけは紅茶を飲む。この時だけ紅茶を楽しむ時間となった。だんだんといろいろなことが先細りしてきたなと思う。口に入れる物が自分の身体を作ってくれるのだから、精進を重ねるしかない。それにしても、よくめげずにがんばってるよ、私。チョコレート、コーヒー、甘いもの、カフェインと。こんなに変わるなんて思いもしなかった。以前の私じゃあ考えられない。なんだか、知らず知らずのうちに、大きな波に乗せられている気はするけど…。
2022/11/10
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「死というものは往々にして自然な形以外でやってくる」「われわれが神や、魔法や、とにかく何かしらにすがりたくなるのも、結末を知りたいからなんだよ」「たいていの人間の生涯は、未完成な挿話(エピソード)のつづきじゃないかい?」「岩は腐蝕し、河は凍結し、果実は腐爛する」「ほんとに世の中というのはね、怖ろしい場所なのよ」「容易な道が、必ずしも幸福への道とは限りませんからね」「死んだ人たちは、生きている人間たちと同じように淋しいの?」「他人をいわば発見するという過程で、多くの人間は同時に、自分自身を見出すような錯覚を経験するものである」「ひとたび転落するや、人は永遠に転落をつづけるのだ」
2022/11/09
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「孤独になることは、考えるためのスペースを作る上で必要なことだ」「そりゃそとがわだけ見てりゃきれいよ、だけどさ、だいじなのは内がわにあるものだもん」「書くと物事を冷静に見られるんだ」「海の生き物は海で、陸の生き物は陸で生きていくしかない」「そしたらいったいわれわれは、自分が自分であるという安心をどこに求めればいいのだろう?」「自分も一枚の木の葉だったらなあ、と彼は考える ー 木の葉になった子どもは、軽がると漂い流れ、流れ流れて川に消え、海に消え、世界の大きな洪水に消えてゆく」「どちらも互いに相手を本当には知っていなかったんだな、なぜならあの当時は、二人とも自分自身をよく知っていなかったからね」「孤独は熱病のように夜はびこるものだ」
2022/11/08
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幼い頃から体が弱く、お世辞にも丈夫とは言えない体質を持って生まれてしまった。この体が良かったのか悪かったのか、今更どうこう言うつもりはない。ただ、私には時間だけはたっぷり与えられた。10代の引きこもり、発病後、そして今も、人生において持て余すほどの時間を授けてもらった。健康な身体はなかったかもしれない。仕事も家庭もお金もない。でも、“時間”これだけは私の莫大な財産なのである。時間だけは皆平等だと言う。しかし、私の人生において与えられた時間は現に多いと思う。本当に毎日1時間ほど多く在るんじゃなかろうか。この、少し多くいただいた時間が私の哲学を創った。じっと小説を読む日々を送る中で、最近ようやくわかったことがあった。それは、自分なりの哲学を持っている作家の魅力、これは本当に一人の人間としての魅力だと思う。文章を書くことに長けているとか、物語がおもしろいとか以前に、その人の内に秘める哲学を惜しむことなく表すことができる作家。拙い言葉だっていい。少々つまらない物語だっていい。自己の哲学が明らかな作家は、ただ一言、また別の作品も読みたいと思うのである。私はたかだか42歳の若輩者だが、この少し時間を多めにいただく人生を送る下に生まれた神様の采配には、感謝してもし切れない。いくら欲しい欲しいとせがんでも、そう簡単に得られるものではないのである。これも運なのだ。このありがたく頂戴した時間を自己の創造に費やそう。老いが始まった今、より心は内へ向くようになった。知識というよりも、奥深い自己の探究に残りの時間を充てたい。また一つ、父の年齢に近付いた私の、今年の豊富である。
2022/11/06
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本日、42歳になった。40歳を迎える時は、その2ヶ月ほど前からもう嫌で嫌で日に日に落ち込んでいったものだったが、今年はふーん42かぁ、別にもうどうでもよくなってきた、たまに今何歳かわからないこともあるし、自分のことなのに興味関心がない、という感じ。あのね、40代本当にしんどい。こんなにもしんどい日々が待っていたなんてこれっぽっちも知らなかった。世の女性の先輩方はこの時期をどうやって乗り切ったのか、心底不思議だ。女性のこういうことを今まで公にしてこなかった証拠だとも感じるけれどね。もしこのブログを読んでくださっている方でこれから40代を迎える女性の方は、覚悟が必要だとこの場で言っておく。個人差があるとは言え、更年期という症状を感じる方が8割らしいので、おそらく感じたことのない何らかの体の異変に気付くだろう。兎にも角にも、41歳を無事に終えられたことに感謝します。
2022/11/03
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