あけましておめでとう。
元気で新年を迎えられたことお喜びいたします。
今年で67歳元気であることに感謝しています。
働きづめであるが日々の積み重ねが何十年となっただけ。
何故こんなに勢いがあるのか、病気も知らず風邪も引かず不思議に思います。
神様は私の心に住んでおられるのかもしれない。
人様とかかわって生きている事が秘訣のような気がします。
時間に追われ仕事に追われ何を先にするか、スケジュールは緻密に狂いなくこなしていく。
お客さんとの話を優先すると仕事に支障が来る。
タイミング計り、時間的に許されるかいなかで大いに盛り上がるように気遣うのです。
こんな年配者のおばさんが元気を出しているのにモグラのように勢いが少ない君たちに一言。
どうしたのかと問いたくなります。
生きることは体裁や見栄では生きれません。
素直で正直に前を向いて、悪いように思わないことです。
すべて善意に解釈する。
人の気持ちを理解できる人間になること。
働くことを好きになること。
どんな仕事でも必ず人とかかわっていること知ること。
サー勇気をだして殻から出よう。
自分の殻を破って欲しいのです。
不登校さんや引きこもりさんやニートさん訳はいろいろあるのは分かるのです。
そんな生活は貴方が願っていることではないはずです。
生きるための人生は貴方のもの誰に遠慮がいるのですか。
何に怯えて息をつめていなければならない理由はないはず。
生きるのに良いとか悪いとかなど問題ではない。
生かされていることを知って欲しいのです。
人様のものを無断で取った訳でないし、犯罪行為をしたわけでない、何故に正々堂々と社会に大手を振って生きていけないのでしょうか。
いい人を演じ切って疲れたのですね。
ハッキリと自分の意見言ったことがないのですね。
相手からの攻撃が耐えられなく怖いのでしょうね。
失敗をなじられたり、出来ないことを言えなかったり、どうしたらいいのか迷ってめちゃくちゃになって判断が出来なくなってしまっただけなのですね。
気が小さくなってしまって消沈しているんですね。
それらは小さい時に失敗を重ね、転んだり喧嘩したり冒険を重ねて怒られることに慣れていれば問題がないのですが、何時の場合も気を使い怒られないように自分を抑えぶりっこしていたのでしたね。
気兼ねばかりして違うと意見が言われない性格が何かの拍子、切っ掛けに自分を見失ってしまったのですね。
誰かの救いの手が有ればいいのかも知れないが、外に出るのを怖がっているだけですね。
だけど外の人たちは貴方が思っているほど何も思っていないのですよ。
少し外は肌寒いかもしれない。
風邪をひくかも知れない。
でも外の空気は当れば当てるほど慣れるもので、しらじらしいような目線が気になるのが分かるが勝手に貴方思っているでけなのです。
意識しすぎであるのです。
過剰な自意識が勝手にに思い込みの自分を創り自分自信を狂わせているだけなのです。
人の事を過剰に思いこむそれが被害者意識を創っているのです。
みんな自分の事に精いっぱいで、人の事には無頓着で生きている人がほとんどであるのです。
貴方が繊細で拘っているだけなのであって、外の誰もは自分が思っているだけで外に現れないものに限って何も思わないのです。
見えないものを気にして生きていることに気がつくはずです。
自分が勝手に思っているだけということが分かれば何でもない事に気がつくはずです。
貴方が一人思っているだけで貴方の心が勝手に思いつめているだけなのです。
まだ若くこれからの人生は貴方のものですよ。
家に引きこもっているが本当は悪いことと思っている。
時間が自分をナイーブにしてしまっている。
機会が失われたのかもしれない。
もう怖くない勇気を出そう。
みんなつまずいて、こけて、何度もくじけそうになって強くなっているのだよ。
さー目線など気にしないさ。
勝手に目線を意識しているだけ。
何も誰も貴方が意識するほど世間は思っていないのだよ。
貴方の背中を押してあげましよう。
手を貸しましよう。