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お店も閉店間際、車椅子に乗られ息子さんらしき方に押して貰ってご婦人がお見えになられた。どうされたんだろう!茶店の中真っしぐら明るい奥に一気に車をおされ座られた。痛々しい、マイ足の不自由さが感じ取れる。どうされたんだろう、私よりも若々しくやる気たっぷりの職業婦人に見て取れる。気の弱さなど微塵も感じ取れない。開口一番ネットで調べて病院を退院ぎわ、帰り道に尋ねられたとの事。よく度お訪ね頂き嬉しかったです。色々お伺い一年程前から 脊柱管狭窄と訴えられた。再オペをしたくないと退院らしい。お辛い気持ちが伝わり、悲観的なられていたのが読み取れる。頑張りすぎが身体が悲鳴を上げ訴えています。病気は貴女が造った物。原因があって結果です。大丈夫、血の流れが悪く、冷やして病を引き起こしています。人一倍頑張りすぎの結果だから、身体を労る、安静にし、温める。ゆっくりゆっくり焦らず副交換神経を優位に足の抹消をよく揉んであげてね。必ず笑顔を約束しました。自ら我が事の様に感じ反省する事しきりです。48年頑張って頑張って余力は無い。ただ眠る事だけ、いや、勝手に眠ってしまうのです。たから身体が持っているのかも。此処まで生きて毎日が楽しくて、話し相手に囲まれてこれ以上の幸せは有りません。折を見て書きたいと思います。ありがとう。
2018.09.21
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人に添う生き方をして勝手な考え方の人が多いことに気付く 人は自分色でしか生きれないタイプが多い社会が病んでいるのか、親の遺伝因子か!人の気持ちを推し量り、置かれている立場や、人の気持ちが読めない、場の空気も読めない。レールが無いと何もできず指示が要る。有ることには秀才タイプ、だけど人には無関心すぎる。現実性が乏しい。会話も成立出来ない、言葉のキヤッチボール苦手。人の痛み苦しが理解できない、人の気持ちが汲めない。自分本位、快で生き、勝手すぎる。相像力に乏しく、応用がきかないのか。実生活の中では、こだわりの強さがある。予定外のできごとが起きたときには、 判断がし難く不安傾向にある。社会常識やマナーが欠けている。友人ができず、作ろうとも思っていない。人の感情を考慮せず、周囲がどう思おうと関係なく行動する。他人に共感せず、自分と違う考えに興味がない。感情表現のタイミングがずれている。(人が泣いている時に笑う、など)場にそぐわない。計画が立てられない会話が出来ない社会性が乏しい他人に共感せず、自分と違う考えに興味がない。アスペルガー症候群が多いように思われる。
2015.05.21
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パチンコ三昧しています! 仕事を終えて、足蹴にあの店この店と通っています 未だ楽しいと思う、当たりがありません 人の話の大きさや、凄さに負けじとやってみよう好奇心に点火してしまっただけのこと もともと、何事も一心不乱に事をなす性格、パチンコも仕事の一部化してしまったようだ 店内は入りにくいが通っているうちに免疫ができ恥ずかしさも消えた 店員さん誰もスマイル顔、丁寧な接客、感じが良く行き易いかも 店内は派手な大音響のマーチが鳴り響き、一切の会話が出来ない、聞こえない そうすることによって皆の脳の誤作動を狙っているのかも知れない 目の前にあるパチンコ台、勝負するゲーム機に遊びながらお金が稼がせてくれる最短のおもちゃだ お金、いやモノと化した紙幣を使うことはもはや自分自身計算高く思っているかもしてないが麻痺してしまうのだ 普段損得の計算が出来ても機械の前に立てば狂ってしまう 次に当たり、確変がくる、ここまでお金を注込んだんだから止められない。 もし、ここで終われば次に座った人が当たり?そんな馬鹿な! 不思議な状態、機械を、機械に操られていく自分 自分の店では、包み隠さず、パチンコ日日行っていること公言している 堅物がどうしたん?矢継ぎ早になんでやのん?? お金惜しくないんか? パチンコをして蔵が建ったとか、大金を稼いた話を耳にしない 家を一軒つぶした、山も畑も田んぼも入れ込んだ、離婚をした、就職に失敗した、サラ金のお金に手を出した、パチンコ依存症の話ばかり。 止めとけの忠告以外にない 誰も惹きつけられ、虜になってしまうのか、あの機械の博打性にある お蔭で毎日通っているが使う金額が少々なのと、一円パチンコに限ってしている 何も経験しないより、何故面白く、虜になるのか知りたくて行っている 確かに楽しい、カラオケも楽しいと思ったがそれ以上に楽しい 自分の手相からして、ギャンブルに強くない事分かっているが、、、、、 汗をして得るお金って決まっている分、間違って一攫千金もありかなと、、、 浅はかさもある そんな楽してお金得ることが出来たら、辛く、厳しい、苦しい事が出来なくなる そういう意味で私には正当な働きでないとお金に縁がないことが分かった ちょっと気分転換に分かって行きます 御免なさい
2015.04.16
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真面目で堅物 、仕事人間、働くことが人生のすべてだった!その生活から、一遍自分から好んで変化し始めています何かあったのか?いいえ 悟ったことだけのこと命に限界があることを!不思議ですね世間の人が興味、面白いことに嵌っていいだろう、当事者にならないと、何もわからない、机上の論だけだもの今更、異性を意識したこともないし、さらさら願望もない後家相の自分、、、、、懸命に愛くして相手の手も足もいらない、旦那は出来の悪い相手を選んでしまうだね後家相は女が頑張りやだもの今までの生活から想像も付かないが気持ちにスイッチが入りました 遊びが生活の中になかっただけのこと飲み歩くことや、カラオケや、食事や、パチンコ等々。何も知らない、無知の世界に足を踏み入れました 遊んだことがない、ただのお宅人間だった全く世間知らず話は聞くが自分の世界と違うんだ、といつも傍観者だった距離感を持ち、何もなして来なかった自分、住んでる世界が違っていると何も疑問に思わない、、、、、、、、お客さんに誘われて、一歩踏み入れてしまったそれが、マイ仕事のように日日足蹴に通い楽しい日々を体験マルマル2週間は欠かさず、通った其の後のことあそこのママ、旦那が亡くなり、調子人になって夜な夜な遊んでいるで!吹聴され、少し時間をおくことにしました答えません人は好きなことを言いますいい年をしているとか、色気があるとか、勝手なことは言われたが自分色はしっかりとしているし、何色にも染まらない、そんな色目の人が多いことも知りました 自分目線からしか見えないので、人はこのように言って噂を流すのだ!また悟りました毎日違った世界で花を、話を咲かせていますまじめな人間が一歩踏み出してたら、其れが仕事と同じで何事にも心が入り込み、抜き足ならない状態なのかも。ここまで懸命に生きて来て、全てが幸せである、今まで人生将来の図面を書き、思うようにそれを実行してきた実行でき何も恐れることもないそれが幸せか!そんな人生だけでは味気がない全く面白味もないだろう一念発起して、遊べ心もあっていいのだ面白いことに、心に染みるのもばかり、人生の一ページを味わい嬉しい限り幸せの感じ方、いろいろあるが、誰も自分の人生が良かったと感じれる人は何人いてるだろうか人生の下り坂、病に伏す人、体調不良、 お金、生活苦、あげれば切がない親、兄弟、子供、旦那、周りの取り巻く環境は人それどれ違い、幸せを感じるハードルだって違うだろう幸せになりたいと念じて誰もが生きているはず、幸せ逃げていくのは自分に問題があるのだ幸せの種まきしか無いんだよ自ら掴みに、歩み出ることだよねちょっと不良します
2015.03.04
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新年を迎えられ改めて幸せを実感しています子供たち夫婦それどれと一堂に顔を会わし、9か月の孫も加わり今年は華やかでした親としては一番の幸せは子達が自立して幸せに暮らしてくれること一番の親孝行でもある親の働く姿しか知らない我が子にとって、ほかの友達が羨ましかったであろう申し訳ないといつも心に思っていたよ亡くなった主人とも波長が合わず、子供の心を無視した家庭だったものね確かに家の中は居心地のいい場所ではない何時子供たちにとばっちりが来、雷が落ちるか挙句は子育てがなってない、ダメだしのオンパレードだものよくもこんな不平不満の家庭の中で出来のいい子供が育ってくれたのか不思議です朝から夜遅くまでいつの時も忙しくは働いていたので子供たちにしてみれば意見も言えず、聞いてもらえず決まった会話もない。顔色をを見ることぐらい それどれの成長時の精神的に手助けは十分なことはしてやれなっかった授業参観もほとんど無だよね、ごめんね!働く姿しか見せておらず、子育てに手塩に掛けた覚えもない、ただ、成長に合わせて本を一杯読ませた図書館の中で終日過ごしていた息子、逃げていたのかな?当人達も働かないと生きれないと学びえたのかもしれないな親は自分の思い方一つで子を孝行の子にしてもしまえるが、不幸の子にもしてしまうものかもしれない親子の関係は鏡のような関係だと思う明けても暮れても働いたが、自分たちのために、お金は使ったことが無い自分たちも双方の親に十分な教育をつけてもらっていたから子供にも当然だと思っている働く店があったこともあるが、景気も良く多忙を極めたよき時代だったのかも知れない子供たちにそれどれの成長過程で存分、いや、必要以上にそのお金をつぎ込んだのも事実である親ばか、何が楽しみか?支えが子供だったからです思い返せば子には申し訳ない青春だったね!今は、無理強いのない本当の親孝行をしてもらっている欲も無くなり、毎日平和で誰彼とお喋りタイム、心の平穏を醸し出している自分に関してこれから先も、不安、心配、慄きはない健康についても自分なりにコントロールできそうである心が平和、穏やか、怒る感情ない激しい坂道を毎日上り下り、いつの時も、どんな時も心穏やかで、心拍数を上げなかったその中で会得したのだろうか平常心という無の境地を!有難う、感謝以外にない
2015.01.01
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頑張りすぎる人ほど、燃え尽き易いって! 何んか、あてはまるような気がする働くこと女なのに若いころより脳に叩き込んでいるのか仕事を肩から下すことは考えられないそれを使命に長い間培われてしまっているかも知れないいい年齢70歳を目前にして、踏ん切りができないまた、勝手解釈して、社会、人とかかわることは有意義なのだと一体、今までの忙しさはどこへ行ったのだろうお店を開ければそこそこに忙しくさせてもらったのにいろいろ社会の空気を読めば頷ける要するに、下々の曰く、築年齢のある味(手間味噌ですみません)は廃棄状態かも所狭しと、コンビニがオープンだもの時間とお金に忙しい人は安く、簡単に手に入れることができるすべて社会のシステムが大手量販店を生み出して、零細企業は泣くことなのだできないと、ここでぼやいても何も始まらない時間があることを武器にして、何かやってやろうと腹をくくりました予て始めていた占いを開業しました同じ店のコーナを使ってすることにしました広告、名刺手作りお店の来客と重ねることもあり、一人の能力に限りがあるが何とか頑張っています生かされている実感を感じています喜ばれる顔に満足後、早朝の時間に太極拳を入れていますそれがストレスになっているんだろうか?6時30分に始まるので公園まで自転車で15分、一時間ほどのカリキュラムをこなしています皆さん何年もしてこられた方々で誰もが先生で真似ることに徹しています一か月になりますが、朝の悪天候には閉口です行かねばならない使命感が頭に記名されて、これまたストレスかもしれない風邪を引いたことがないのに何十年ぶりに、声が出ない、咽頭が痛い、咳が出る、微熱がある、寒気がする迷惑をかけてはと思い体操中は咳を我慢し、口でパクパクやっぱり、燃え尽きかも!ピアノ、英会話、欲張って始めました一人暮らし、呆けていられない、迷惑をかけたくないちょっと自分に厳しい、ハードルは高すぎるかも 不景気になって、沿線の事情も加味して、並びにある会社は一軒とない50年前からの道路拡幅工事にやっと、着工の証最近頑張りすぎて、疲れがたまっているのだと胸に手を当て反省しています風邪を引いて学んだことです遅くても11時には眠ること風邪を治すまで朝の冷たい空気に触れないようにせねばいけない食事の方は料理が大好きで作りすぎて困っている心のエネルギーを燃えつかないようにせねばいけないようです 日日人とふれあい学びがある有頂天になるのではなく、高めの目標にトライする限界を極めることも生きていく上で大切な要素ドキドキではなく楽しむ、失敗しても平気、誰に遠慮がいるのですか肝が据わりました此処に疲れたと書き述べただけで元気になったよ!有難う
2013.09.19
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こんにちは! 太極拳ではリーイン先生にお世話になっています残念ながら教室に入っていませんので単なる公園でのお邪魔です御免なさいね練習し始めて1か月が過ぎようとしています先生のお手本は流石本場仕込みで素晴らしいです手足顔の角度、ゆっくりとした中に気を感じ血液が脈脈と流れているのが感じられます、撓り、運びうっとりとしてしまいます此処にくるだけで英気を戴けるようで嬉しいです当初雨が朝になると降り続き行きたい気持ちに水を差すようでしたお店の客さんに体操を始めた事公言したこれがやる気にスイッチが入ったようです潜在意識にやってみよう、体が喜ぶに違いないとインプットしたのです人は常に前向きに少々ハードルを高めに設定方が自分のためになる不可能のようでもやる気のボタンを押せばいい異常気象で雨、嵐、豪雨、各地は水害で土砂崩れ、生き埋め、水害に目を見張るものがありましたね災害で、他人ごとではないのに好きなことさせてもらい後ろめたいものを感じたりしましたでもこんなことができ幸せの至りです感謝しています一体何で気持ちの変化を持ったのか、人生の折り返し点を過ぎてそう!何か体を動かす事がしたい!燃える心があったのですお店の中にあっては出来る範囲のことはしれています料理、占い、株、ピアノ、花づくり、有機野菜、カラオケ、ブログ、読書等々かじっています心は至って健康で好きなこと好きなもの、手に届かせていますお蔭さんで生来的に前向きに生きているので不安とか悩みの感じない性分だと思いますしかし自分に足らないもの、体力、筋力、持久力と思いました友達と夕暮れ1時間ほどつま先だけの歩行をしたのですがやむなく体調を崩され残念しましたまあー!何かにチャレンジしたいと願望があったわけそれには気遣う旦那も見送りました天下晴れて、思いが想念が形にできるようになるように図面を書いています有難う
2013.09.13
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貴女が結婚をして1週間が経ちましたね 最高に美しいかったよ! まばゆい位に輝いていて、お似合いのカップルです この良き日のために、仕事をこなしながら2か月と2週間で結婚の準備を完璧に熟しましたね 足蹴に、神戸の北野まで、いろいろな打ち合わせに通い、エステや直接、間接的な準備は計り知れない位ハードでありましたね 熱を出して倒れたときは大丈夫かなと心配したことも事実です 今では結婚式、披露宴、飽きることなくビデオを何度も何度も繰り返し見ています 何度見ても飽きることはありません アメリカで挙式をするとか?言っていたけれど、私の希望を聞いてくれて本当に親孝行で感謝しています 手塩にかけて結婚を夢見てきただけに私の我儘有難う いい具合に、貴方達が住むことを予期したように、おあつらえ向きに豪邸も完成いたしました 重ねて癒し、パワーの備わったコダワリ家は貴女にとって幾重にも喜びが大きいと思います 主のいない家に住んでくれることも大きな喜びです 生涯の住処として、手に入れた安住の場所に娘夫婦が住んでくれる 家の管理手入れや大変だと思うが、お店の休みにはお邪魔しますよ 舅とかの関係無く、生きていく上でお互い協力しあって、助け合えれば最高であると思っている 良い先輩としてあまり立ち入らず、好きにして、適当な距離を以て付き合いましよう仲良くね
2013.05.30
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喜ぶ生き方を学ぶ 自分という存在が肯定できますか 自分自身は自分を育ててきたのですよ 誰もがお腹がすいた、水を飲みたい、眠りたい、甘えたい、愛してほしいという意思表示を以て生きてきました 育っていく過程で一番大切な時期が幼少期である 不幸にも幼少期に親、その代りをなす人が居なく、愛情を注いでくれる人に出会え人は心の穴は大きいと思います 愛されてないので愛し方が分からないのです 人を愛することを知らないからです 大きくなるにつれ、人に媚びたり、人を愛することが消極的になるのです 人は育った環境に大きく左右され、日向と日陰では同じ種畑であっても全うのです 母親の子宮という大地に着床し貴方の父親の遺伝子を受け継ぎ芽を戴いた 私たちはこの世に生を受け、さまざまな体験、経験、育てられ、環境、親の遺伝因子に左右されるかもしれないがそれがすべてではないと思います 自分が何に感化を受け、行動するか、興味を持つか人それどれである 置かれた境遇、環境から、いや反面教師的にそんなことは絶対許されないとか、人は何かに共鳴したり、反骨になって、自分の未来を切り開いていくのです 心にしみる、いい話や歓喜極まる瞬間を多く積む体験や経験をするそんな生き方は脳が自然とインプットされていく 脳は快感物質が沢山放出され、人の笑顔を見る、人を幸せにする 喜びを与えることが幸せにつながる生き方となっていく そんな生き方ができる、脳自身を変える 生き方を悪く捉えない あるがままに、すべてこの世に起こったことは自然のたまものであると思えるような寛容な心を持つ 否定はしない 全て肯定する 悪いこと全て肯定するとわ言わない 良い悪いのしっかりとした判断力に従う いい生き方をした人は大局的にすべて分かる筈 脳の支配は喜ぶ、有難い、生かされいる、 強い意志は脳が喜こんだ生き方の証です
2013.05.21
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元気です 色々あって、幸せすぎてこれでいいのかと頬をつねっています思いの丈がすべて叶い自重しています念願のマイホームも手に入れ終の住処を確保して、調度品の調達とやら楽しみながら、足蹴に通っています友達や親戚等々観て頂き、人の輪を広げ来客の多い家にしたいと願っています癒し、パワーをくれる家を願い、それに合うようにイメージして絵を書き少しでも近づけたように思います懸命に働き、あーと!いう間の人生の坂道にさしかかり増したこのままでいいのかと自問自答、疑問が残り働くだけの人生、自分の幸せはそれでいいのか皆の幸せばかり願い我儘を言ったこともない我儘かどうか分からないが、大きく好きにして散財してもいいのではないかと私にっとて大きな買い物をしてしまいました宮大工さんが建てたお屋敷を手に入れましたちょっと贅沢過ぎ、身に余る物件でしたが、ご褒美として誰にも迷惑かけないし思い切りましたその家で余生は占いをしたり、ネットで株取引をして後欲張って余った時間好きなこともするお迎えのことは一切考えない今あるがままに生きるすべてを受け入れて自然に肯定した人生とするお陰様で幸せです結婚をしないと言っていた娘が縁があり、なんとこの家に住む羽目になりダブルで幸せですこちらでお店を未だ頑張っていますので、買った家は当分お預け状態かと、半ば諦めていたのに住んでくれるのでうれしいです家にとって住む人がいて、気の流れで始めて呼吸をするのである店の休みの日に植木の手入れや、掃除に行きます一度に幸せが来て最高ですいつも幸せの絵を描き、幸せになるように自分をコントロールしてきたんだもの願いが実現してのは潜在意識にいつもインプットしたからだと思います謙虚に生き、すべて自然に逆らわないそれがモットうとした生き方誰も自分の可能性を信じて前を向き、いかなる困難に立ちはだからず、突き動かすパワーを創ろうよ
2013.05.15
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今年は良い年になると実感している。明けて4日より営業している、一週間に及ぶ休暇を取った。廃退する一方のこの業界、よくど生き残っていると我ながら感心する。国道の沿線上にあって、拡幅工事が今年度から始まるのです。うちは査定も未だ、見積もりに来られたが邪魔をする建物がない故、大事ではないのか、後回しになっている、予定も聞いていない。亡くなった旦那が遺言のように店、店、と守ることを必死て訴えていた。息絶え絶えに我が命の灯が消えかかっていても店の営業を優先しろと、顔を見に行っても大丈夫と病室を後にさせた。だから幾ら暇であっても、この店を投げ出すわけにはいかない。でも、当然どのメニューの注文があってもしかり。日日朝があって昼があってそこそこの仕込があって、仕事を追っかけて、手元のすることが無くなるとき、本音で一番幸せな一時である。ちょっとの間分からないように新聞を読んだり、本を開けたり、誰かがいらっしゃればできないことだもの。気を使って目くばせをせねばならないから。この後、いつお客さんがお見えになるか分からない時間待ち状態がわくわくしてくる。恋人を待つような心境で心を時めかしているからです。気持が今か、今かと来店していただくお客さんに、心準備をしてテンションがクライマックスに高まり最高の笑顔でお迎えができるのです。正月の間に気になっている、姪の家にお見舞いに出かけた。筋委縮性側索硬化症という難病に罹った旦那さんのお見舞いに行かせてもらった。病名がやっと判明して、心の苦しみや痛みを思うと涙が溢れ、掛ける言葉もない。徐々に不随筋が機能しなくなり、嚥下も、呼吸も、心臓も全身機能不全となり、脳の神経だけが侵されず、意志の疎通が儘ならなくなり、生死のハダマで生きることになるのです。完璧な性格でエネルギッシュで芸術的な面では許しがたい性格で、妥協は一切しない。やりだしたら、投げない、レベルが高すぎ誰もその域に到達できない仕事ブリであった。人生3倍速以上に早足で生き抜け、思いが捗らなかったら、攻撃すると姪が嘆いていた。そうだよね、人間完璧で緊張状態何もかもに妥協しなかったら、体は機能がついていかないね。神様が何もしなくてもいいから、伝える方法だけを残して、貴方の体を縛られたのかもしれない。よだれを流し、聞き取れない会話。誰にも優しくせず、依存せず、勝気に生きた結果、その彼の変わり果てた姿がすべての人の心を打った。物を言わせた彼。今は涙腺も弱り、泣苦ばかり。訪れた友人たちも号泣し、かって、すべてを知る人たちも変わり果てた姿に、人間の弱さを知り、彼の手に足になり何でもできることがあったら、と、涙をぬぐわず男泣きして、その姿から多くのことを悟り知らされたことだと思う。姪、貴女は心が広く、暖かく、受け入れることができるからこんな逆境に置かれたのだろう。未だ、35年前に旦那の嫁ぎ先の妹が交通事故に合い植物人間のまま生かされている。その看病も懸命にしてきている。神様何故ですか。むご過ぎます。神様は出来ないことをさせはしないよ。できるだけ来るようにするね。しんどい時は無理をしないで、体に正直に生きるのよ。皆応援している。国の援助もあるから、それを最大利用するようにね。生き方を間違っている、でも本人がそうしないと気が済まないのも酷な気がする。すべてバランスだと思ったのです。私の肩に少しでも乗せて揚げれたらと、一人気持ちを揉んでいます。苦しみが沢山あって、その後に必ず幸せがあるからね。b>
2013.01.07
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元気しています!お久しぶり、読んでいただき有難う。自分に課せられた荷物が減ったというか、自由と言う反面責任だけがもろにあって、お店をそのまま継続しています。幾分気持的に楽、心が他のことに向き、人から生き生きしていると感じられている。人生68年辛いことの積み上げ、楽しく思えることは、頑張りきった不動の自分を創り上げたことだと自画自賛です。食べることに関しては、なんでもこだわりなく、食べれればいいの考え。美味しいより、体が喜ぶものに注意を置いてきたもの。点やものはほとんど頂かない。過酷な状態で生きて、働いたので、一日だって体調が悪いということで休むことはできないと思っていたので、自然と体を中心に考えできた。世間様が美味しいと感じるものでなく、体が欲しがっているものを食べる。自然のもの、お酒やファーストフードは食べない。野菜も有機栽培にこだわり、味付けは出しに拘り、シンプル砂糖はほとんど使わない。また、楽をする、快楽享楽の類がない。でも、今、それが効を奏して元気一杯、病気もしたこともない、風邪もひくこともないのです。眼もメガネなしで何でも、遠近関係なく、耳もよく聞こえる。店の中をかけずり回っていたので骨量も減らず、調子がよく膝の具合すこぶるよく骨粗鬆症もない。乳製品、バター、牛乳、チーズ、一切食べないし、カルシュームはもっぱら野菜、果物からとっている。いいものに心して、働く体は自分が管理維持することに努めた。人生イコール仕事、味気ないと思われるかもしれないが、私には先生心から尊敬する方がいる。先人で、本多静六の自伝です。深く心に残り、同じ生き方に共鳴したことも否めない。彼の生きざま、東大教授にして大富豪、近代の最高の哲人書。彼曰く平凡人の平凡に生きてきた道は、ただ努力主義につながる以外にない。否むしろ、天才すら努力こそが人生そのものの所産である。努力こそ人生のすべてで、努力の体験こそ最も貴重なる体験といわなければならぬ。その体験、努力は並みならぬもので、つぶさに時代背景は違っていても共感し、誇りに感じた。働くことが脳を創り、学び、喜びとなし、生きていく上での指針となし、勇気を貰った。仕事が道楽という。記憶に残っている下り、「不思議なことに父を失い家計も苦しくなり、百姓仕事の手伝いもさせられるようになってからは、かえって学問が好きになってきた」「刻苦鍛錬は決して無駄ではなく、学力は進み、希望は燃え、向学心はいやがうえにも昂まった」多くの感化を受けその背景を考え、すごい偉人であったと心に刻んでいる。甘い考えを捨てる切っ掛けになったことは確かかもしれない。働くことしかしていないので、それだけで満足してしまうのだ。いいかどうか別として、日日の努力は頑張りっ切っているが、毎日こなしていると、それが平常心となり、なんでもなくなるもの。これが、99%努力で1%は運、チャンスをしっかり捉えかにかかっていると思う。 おこがましいが、死ぬまでの残された人生をいかに生き、いかに死ぬべきか。なんか、努力は幸せにつながると確信している。夏の甲子園で声援を送って、勇気をもらったのもついこの前、彼らは、片時も練習という過酷な努力を積み重ね、後は運とチャンスをものにしたか、どうかで決また。一戦一戦の戦いしか見えない、誰も見ていない時こそ、いかに努力したか、それがすべてだからだ。熱いものを見たとき、みなぎる闘志、くれる勇気、誰もを元気にしてくれ、頑張ろうと願うものだ。乾いている心には、多くのことを学び、やる気が出るもの。有難う。
2012.09.10
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ど根性藤の花 何気なく、植木鉢の草をむっしていたら、咲いているではないか。ピンクのつぼみを付けた藤の花が! 可愛げに、小振りな房であるが、私には満感の思いである。 待って待って、15年余り、何度貴女を手放そうと思ったことか。 有難う。 今年は何かいいことがありそうな予感がする。 お店のお客さんに見てもらうため特等席におこうと思ったが、鉢が動かない。 花の根がコンクリートを突き破り、奥深く食い込んでいる。 庭に置くものとしてはホームセンターの中では最大級の植木鉢である。 買った始めは咲くことを信じ、肥やし、夏場の腰水を欠かさず、愛情いっぱいに願をかけ育てていた。 何年も過ぎて何が足らないのか、分からないまま、咲かない年月を過ごした。 藤便りが来るたびに、我が家の小さな植木を恨めしく思いながら、傍らであきらめの境地であった。 難しい花だ、咲かせてみたいと挑戦もする。 藤にはいろいろな種類があり、咲かない、咲かせられないのに、魔法にかかってしまう。 咲いている藤を見るとあまりの美しい魅力に取りつかれて鉢を買い込んでいる。 自宅にある分だけでもこれ以外に、3鉢ある。 藤の魅力に取りつかれて狂わされている。 つぼみが垂れて、連なっている房は懸命に開花する瞬間、変わっていく色、瞬時に生きている実感が伝わってくる。 ネットで育て方を紐解くが、難しい。 ある時から、肥やしも水も愛情も入れず、茂ったら刈り込みをし放置していた。 何かが間違っているか分からないまま。 あきらめの年月の方が長く、もう、植木鉢を有効利用をし野菜を植えようと思った矢先だった。 根が巻いて、植木鉢が小さくなって、植木が苦しく、狭く、ハングリーな状態に来て、花目を付けたのかも。 始めは大きく、沢山、花が咲きますように、苗にしては何倍もの鉢だったことは事実。 すべての生き物、子孫を反映させるため、自分たちの品種を守るには、危機意識があって、初めて、大変な境遇に置かれて花が咲き、実がなる。 今日はわらびと筍を取りに行った。のどかな田舎の風景、新緑の緑たわわな山、さわやかな風を満喫。野焼きした後のわらびは柔らかく、出始めの若いわらびは一杯群生していた。視界に広がる山山、なだらかに山の裾一面に古民家が点在し、濃い緑、新緑の幾重にも重なる景色は目の保養以外にない。贅の限りであった。明日からの大型連休、行楽地、温泉地、海外への出国さまざまな休みの過ごし方があるかもしれない。休みに関係なく、命一杯働いている方もいることを忘れないでね。 その間も休みなくそれどれの仕事を担っているから、休みが取れることを知ってね。
2012.04.29
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願うこと 息子が椎間ヘルニアになって、4週間になる。無理ばかりして、体を休めることにいとはなかった結果だと思う。少しばかりの腰の痛み、問題なくなんとも思わない生分。左右の手は完全にマスカケといって、感情線と頭脳線が重なっている。完璧なマスカケではないが多少変形はしている型である。何を言っても、自分の思いを実行に移し欲張りときている。行き着くところまで、突進する情熱、果敢ときている。自分でブレーキが利かない。こんな性格では、やむを得ない状態になってしかるべき。病と言う形で、初めて落ち着いた。初めて体を休めて、いかに体を酷使しているかがやっとわかったようである。その間に、精神的な弱さが出てしまった。元の状態になるものなか、休むことの罪悪感と、職場のみんなに迷惑を感じ、不安定になり、心の苦しみや、手術かもしれない、見えない焦りに葛藤して、この先どうしたらいいのか、途方にくれ出した。痛みが中途半端でなく、足の感覚がなくなるほどに辛抱の限界まで働いて、歩けなくなってしまった。子供が迷路に入って、暗黒で、出口が、見つからないような、焦りと不安で同じことの質問をして私への電話を離さない。すべての人、いや、大方のひとが直面する精神状態であると思った。正直懸命に渾身の力を持って、自分を顧みず、働く若者、経営者の思惑どうりに演じる人たちの集まりが・・・・今の若者。不安と焦りと、将来のことを描きながら、自分の置かれている立場を思えば、だれでも、精神に変調をきたしうると思った。どんな些細なことで聞いて、不安を和らげる、怒らない、どうしてそんなことになったか、自分の中で分析させる。ではどうしたらいいのか。自分で答えがわからないかもしれないが、考えていることを懸命に聞いてあげる。間違っているかどうか、ではなく、本人なりに考えがあるはず。毎日、何時間も、切ってはまた、掛けてくる。忙しいとも言わず、ただ、相手が思っていること、心の迷い、出口がない、同じことの繰り返し・・・でも、懸命に聞くことにした。4,5日も過ぎた頃だろうか、踏ん切りがつき、思うばかりよりも、実際行動に移し、医者を変えたり、思っていることを恥ずかしいと思うず、実践すると先が見え、明かりらしくものを見た。本人いわく、これで、治ると確信したように言った。こちらからは一度も電話はせず、相手の必要に応じた。安堵してから、目を見張る様に体調がよくなり、医者通いの傍ら、腰痛のストレッチをし、リハビに励んでいる。あんな状態になれば、脳が前向きに考えられず、悶々となり、見えない矛先に心が折れてしまうのだ。だれか傍で、支えて、聞いてあげ、心を暖かくし、包んであげ、うつ病の一歩手前で防げれるのです。ダメ出しはしない、聞くだけでいい。本人が落ち着くように、導いてあげる。うん、そうだね、よく頑張ったから、ご褒美に休みなさいというサインね。体は正直だからね。長い人生、一休みしても、遅れはないよ。いつも、話し相手になって、心を軽くなったと、喜ばれている。心に吐き出せない鬱積した状態は病の元。よい肉体によい精神が宿る。体と心のバランスは切っても切れない。これを機会に、人生のよい勉強になってくれたと思う。幾つになっても、親の気持ちは変わらない。貴方が休ませてもっらっている間、皆が頑張っていることを思い、感謝と喜びの心を忘れないでね。
2012.04.27
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お店をして、始めての休業をした。休みたいな 心のうちで多少思わないことはないが、本日は思いきれて休業することになり。身内の葬式、疎遠してる異母兄弟の姉なのです。長寿でしたが並みならぬ人生を生き抜いた誇らしげな姉です。幸せの種はたわわに枝を張り、大きな実りでずっしりと地に根を下ろしています。彼女を取り巻く家族に幾多の幸せを感じ、羨ましい境地になった。 良い嫁、良い孫、総勢の孫。遠くより近状を聞いていたが本人の目から見た申告だっただけの事。良い子孫に恵まれ、世界一の幸せ者に感じた。私が幼いころの話を良くおねだりして、何度聞いても、又おねだりをするのだった。どんな性格で、どのように愛されて、愛情を注いで貰ったか、幾度も幾度も聞いていた。そんなことがもうできない。あんたと同じ種、新さんの子供で良かったと電話で幾度となく話をした。あんたほど人間の修業出来ていないと、謙損をして、腹に収めることが苦手な事を良く話していた。張り合う嫁姑の間があったからこそ、何くそと思う大和魂が生命力のもとになったのだと思った。何もかも負んぶに抱っこでは、手も足も頭も退化する。有り難う、生きていく上で、大切な事は当てにせず、自立することに尽きるのですね。亡くなってからの対面であったが、無性に涙が止まらなくなった。可愛らしく、小さくなった顔、安らかに眠って木彫りのような姿が仏に帰依し、無の境地を感じた。生から、死に。貴方の魂は亡くなってはいません。永遠に受け継がれ、偉大な存在は不滅です。 多分主人が生きていれば、代わりに行ってもらい、間地かに思いにふけることは無かったと思う。休んだことは明日のお客さんに影響するに違いないと思うが、これも、今後において一人でお店をしていること事態、何でもありで、何があっても平気な自分を育てておかないと思った。スバル君有り難う。良い出会いに感謝している。
2012.04.12
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すべてを受け入れ、優しくなる 此処数日お昼のお客さんも少ない、何故なのか、多少落ち込む。 しばらく、雨嵐悪天候が続き、時間的に昼食だって、よほどの余裕もない限り近い場所での食事になるだろう。 コンビニだって至近距離に又開店した。 激戦区、食うか、食われるか、互いに死到だ。 共倒れになるやも、結果として資金繰りが要だろう。 余裕があるか否か、運命の別れめだ。 準商業地域であるのに、電車の沿線側では、事実商売はキツイ。 工場は激減し、道路の拡幅のため、反対車線側はボツボツ解体され、家の前面は殺風景な姿に変身。 足場が、シートが、夜には赤い誘導灯がかすかに点滅している。 解体しだして2週間余りになって、向かいの車の修理工場が閉鎖になった。 整備工場の方、常連客として、長い間支えて戴き感謝している。 廃業される相手の事を思うと、此処にお店をさせて貰っているだけ、いや、存在するだけで幸せなのだ。 40年有り難い。 何故こんなに長く商売が出来たのか、自分の性格によるものだと思っている。 働くことが一番好き、遊ぶことは苦手。 だって遊んだことが無いので、今さら、一人で遊ぶことって、経験したことがないので分からない。 可笑しいよね。笑ってしまうよね。 この世に奇跡のような生き方をしているんだもの。働いている方がストレスが無く、楽しいのだから希少価値がありそうよね。日帰りのバス旅行に行っても、疲れるばかり、帰ってからの仕事の穴埋め 考えると、楽しくない。何事も脳のサイクルが新しいことを学習していないので出来ないというか、興味を持たなかったことに原因かも。 だから、今からでもいいから、新しいことにチャレンジするように、臆病な自分を叩いている。 この店から、見えるのは、電車区の幅広い線路が幾重にもあって、走り去る電車、直線に近い国道の車の往来ばかり、停滞にあっている車しか視界がない。 夢のある住まいではない。 こんな風景、数あるお店の中から選んで戴くことは、常に謙虚であらねばならない、お店を開けているだけでも神経は張り詰めている。 半ばこんな状態がしばらく続くかもしれないと腹をくくっていたが、今日は予期せず、朝から忙しく手が回らない。 勝手なものだと笑う。 こうなると、今まであることないことに妄相して、自分を縛りあげ、自分を悪く絵を描いた。 多くの来客で安堵した。 もっと心を広く、何事があっても、右往左往せず、すべてを受け入れ優しく、心豊かに、真摯にと思ったことです。
2012.03.26
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楽になったよ 以前と仕事量はなんら変わりないが前より何故か、忙しい。 ゆっくりしているせいかなー。 すべての事を一人で仕事をこなしていること事態、それらは変わらないのに。 外に植えている花や野菜の世話、雑草も茂っている。 植え付ける野菜も気にしながら、もっと先にと放置している。 ちょっと前では、いくら時間がない状態でも自然とあれやこれやと漏れることなく完ぺきに事を処してきたのにね。 これも文句を言う人がいないというだけでこうも、意思が和らぐのか。 ずぼらして甘えているようにしか思えない。 何時でもできると思うことは、結果して先延ばしをしているだけの事であって、やらねばならない、やろうとする、勢いの行動力がいる。 まあーまあーと、焦らず、ゆっくり、慌てず、何時でもでは、性格を変えてしまいかねない。 ある程度テンションを上げて、活動的にならないと年を取るのも早いように感じる。 年も年、せかせか働いても3膳以上は食べれないわ、逆の事も思ったり目下思案すること成り。 人生のおり返し点もとっくに過ぎ、何かに目覚め、人のために働けること、夢中になれるものに出くわすこと最大の幸せなり。 生きるための金は分相応あればいいのだ。 人が見えられることは心にとてもいい。話も弾むし、人を思いやる心が芽生える。 気持が優しくなり感情的にも豊かになる。 気配りも以前より細やかに、精神の余裕か、来客されるお顔から様々な事が読みとれ、一段と観察力が砥ぎ済まされてきたように思う。 人様の心地よい、居心地に言い空間創りは自分の脳にとっても優れ物。かゆい所に手が届く、誰かのお世話をさせて頂いていると思うと日日感謝しかない。 今まで世間を狭くして生きてきた分、目下休日は自らの運転でドライブ。 ナビゲーターを頼らず、地図を見ながら、遠征を少しづつ体験している。帰ってくれば、又地図を広げ復習をする。 楽しんで生きて行こうと見方や考え方を変えている。 ゆっくりとお店を開けている。 早朝の常連さんには申しわけないが勝手させて貰っている。 すぐに手際よくスタートを切らねばお昼の定食が間に合わない。 口うるさく指図するものがいないことは、安易な方に流されて生き方が自分中心になってしまうものだ。 でも、楽をしたとはおもっているわけではないが、今までは体に鞭打ってきたことは事実。 何故か以前よりも忙しい気がする。 短時間ですべての事をこなさないといけないからかも。 少々朝寝坊が贅の類、お客さんには迷惑をおかけしていること百も承知している。 亡くなったらお店を閉まるつもりだったから、少し許してもらっても良いと勝手解釈している。 御免なさいね。 その分心や体の健康に留意し、いい仕事に結びつくように張り切ります。 店の雰囲気も自分色に変えています。 何時までも働くというわけにいかないので、雰囲気は絵画や、アートフラワーで模様替えというところ。 今、心が幸せと感じて日々充実しています。 良かったら遊びに来てね。
2012.03.20
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これでいいのだ坂道を重い荷物を背負って、果てしなく今日まで歩き続けた脇見もせず、ただひたすら、今日という日がある限り休むことも知らない 一つのリズムとなしてきた本能的な、快楽、享楽も知らない楽をする欲望も持ったこともない仕事だけのアクセルとブレーキ、遊びの幅もないあるとしたら眠ると言う最低限の時間があるだけ傍から見るとこの過酷さはどこかの収容所にいる様かもしてない が自分としては扱く当たり前人と比較をして生きていない分何も知らず、幸せだった狭い範囲で生きてきたが不幸とは思ったこともないだだ与えられ、自ら望んだ世界に懸命に染まるしかない故かも生きることは、即ち、学ぶことばかりで何事も無知では済まされないただひたすら向上していい仕事、気配り、人格を磨くことに一心不乱不思議と不満は感じたことがない不足はその仕事に満足していない故に喜びが見だせないのだ唯ひたすら今日一日だけという設定明日はどうなっているか分からない今日が最後だと毎日思いすべての事に懸命だった命からがらのゴールが40年の月日に達しただけの事振り返るとすべてが財産であるまるで、ゼンマイ仕掛けのように来る日も来る日も頑張りきったそれは自分が開いた道だから使命としているから人がゆっくり 休み休み何をしょうが人それどれと思う人は人 己は己誰も困った時には人は手を差し伸べてかゆい所に手が届くかどうか解らない生きていくには過酷、ハングリーな状況は自分を大きく成長させたこれから先、大変な事に遭遇してもびくりともしない神経構造が出来上がっている立ち止まると自問自答することもあったかもしれないが、義侠心という心根に縛られて満足以外にない商売は続けているが、今までのようにキーンとした張り詰めた感はない縛る者もいない仕事の手抜きしているわけでもないがもう趣味の領域に入っている何故か自由を謳歌している鉄アレイもない 重い荷物もない立ちはだかる者もいない自由本棒だその分自分に悪い生き方はすべて自分に戻ってくる理性だけが頼りである自分をコントロールすることは出来る様で難しく、自制心は自由なほど失いやすく大切である今自分との戦いは自分を戒め客観的に生きていくかどうかにある病一つにしても生き方生活の仕方心の持ち方にすべてが掛っている気楽がいいと誰かは言うでも傍らで観ている人が要るから、鏡として見られている気がいつもしていたそれが良かったように思うが羽目を外すことはできない長年培った脳のサイクルは簡単に変えることは難しい人が有って自分であると実感している寂しいと思うことはない思いのたけ、彼に尽くし切り、完全燃焼して心にくすぶるものは何もない鞭打たれた人生は過酷にも私を強くし、何にも恐れない強靭な根を培ってくれたのだこれでやっと自分らしい生き方が出来感謝しているこれでいいのだ
2012.02.21
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あれから3週間が過ぎた 人は皆さまざまな別れがあり、生涯忘れることが出来ない別れ程辛いものはない。 妙に私にとっての別れは、承知していた別れであって、何十年片時も離れず、24時間寝食をともにして来た中においてはすべて分かりきっていた。彼との別れは予知していた。 共に一つの事をなして、何をなすべきか、何をしているか、出来具合は手に取るように見れるし、一心同体現象で生きてきた。 でも悲しいかな、生まれもった遺伝因子が違いすぎ、共に生活、仕事をするようになるとそれが喜びとなすか否か、違いがハッキリと分かり、働くことが苦痛に、重荷なって、ストレスと感じていることが分かる。 そうなると、仕事から逃避すること、自己中になり、現実を受け入れなくなり、酒の量も増えていく。 完全なアル中となり、自分がコントロールできなくなり、仕事への依存は強くなり、世間とは真逆の現象で私の完全な働きを当てにされ、彼の視界から、常に監視された状態。 生きることは、私にとって苛酷で、残虐で、狂おしく、決して楽しいものではありませんでした。 人と比べる訳でもないが、働いている職場は自分のお店、人様に来ていただくことが、私にとってかけがいの無い崇高なる職場、いい雰囲気にして、何色も持たない聖人君子で生きていかなければならない。 内面の心が穏やかでなくても、人様に関係ない。 微塵にもそう思われないように、務めて苦しさを見せなかった。 明るさ、身の軽さ、頭の回転力、何も無かったように見せる業だけで必死に生きた。 そんな芸、綱渡り的な何があっても可笑しいない神経構造で来る日も来る日も生きてきた。 彼が何時どのようになって、体を壊し、元気なく、最後になるか、予測もついた。 彼を男にして、実も体も心も捧げ、完全燃焼してきました。 でも、彼の親族は出来の悪さを知っていたかのように、手助けを惜しまず、あらゆる援助をしてくれた。 だからすべていつの時も繋がっている世の中に感謝して、生き抜いてきた。 捨てるものもあれば、助けてくれるものもある。 みんな一つに回っているのだと悟り、人生の半ば過ぎて、又働いています。 今までと違って、大きな気持で商売をして、皆さんに可愛がっていただき、情という心の絆を中心に生きて行きます。 誰もが早いか、遅いの違いだけ、良い生き方は、良い死に方に繋がる。 肩の力を抜いて、誰もが気軽に行きたいお店を目出します。 有り難う。
2012.01.19
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永遠の別れに思うあの人が逝ってしまったもう戻ってこない此処にいない完全燃焼をしてしまったのだ何時も険しく口やかましく何か因縁を探して不利になることを探して眼だけは精彩ぎらぎら病に伏しても心は働いている人の動きを捕えている尖らせた口元怖い形相苦虫を噛んだ観間のしわ身体がぼろぼろでも身を呈してでも何事も否定をする限界まで生きる執着燃えるものが無くなるまでそれがすべて私への愛情であった亡くなれば平和が来るのにあの人が居なければ幸せなのに事実何度思ったことかごめんね ごめんね優しさが通じなかったと思っていた性格を見抜いていたんだやっと内省して数々、命を張って訴えていたこと守り抜いたもの信念が見えたのです生き方が凄すぎた骨皮でも魂だけは生き続けていた有り難う 此処に告別式の挨拶を掲げます遺族を代表致しまして、一言ご挨拶を申し上げます。本日は何かとお忙しい中、告別式にご参列いただき、有り難うございました。また、過分なるご香典を頂戴し感謝いたします。生前は皆さまに一杯愛していただき、好意に甘えながら、何のお返しも出来ないままこの世を去ってしまいました。大変、心ぐるしく、思っております。又この年の瀬に式を迎えるにあたって、とても私の心は複雑な思いがいたします。彼なりにキッチリとすべて計算して旅立ってくれた様に思え、深い思いやり感じます。貴方が重い病で長い長い苦しみを味わいながらも、必死で生への執着を持ち、頑張りぬいた姿はとても立派で、素晴らしく、私たち家族の財産で、誇りに思います。そして、ともに貴方と手を結び歩んだ長い長い43年間は楽しいことより、苦しさ、困難、障害、悲しさ、厳しさ、絶望に近い事が一杯あり過ぎました。でも、その一つ一つの障害を、耐え、乗り越えてきた今日、決して何一つ、無駄なものはない事を知りました。心には大きな花が咲き、幸せの種は実を結び、たわわになり、それが優しさに代わって、何も、恐れることはありません。貴方と共に過ごした日々は、一杯の教えがあって、永遠に私の心に刻まれています。宝です。残された私たち、貴方と過ごした、生きた教材に敬意を払い、尊敬して進んでいきます。お父さん、高いところから、しっかり観ていてくださいね。貴方の妻、子供で良かったと思っています。有り難う。有り難う。本当に有り難う。感謝します。どうか皆さん、未熟な私たちですが、今後ともご指導とご鞭撻よろしくお願いしたします。本日は最後までお見送り頂きまして誠に有り難うございました。故人と共に心より御礼申し上げます。 喪主ふみ子
2012.01.04
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狭い世界しか生きてないでも元気 40年の歳月はひと口に言いても外界と分断された生活に等しく正直拷問に尽きる。過酷な中でも諦めず、何時の日かきっと自由になってこのハングリーが幸せに繋がるようになると信じてきた。ただせねばならないことが沢山あり過ぎ一瞬一瞬を大切に順応することしかない。好きなことをしているとしても、人間欲という塊を持って生まれているのが当然かもしれない。来る日も来る日も仕事以外に考えた事が無い、遊ぶこと、気が他に向かうことは愚か、時間を浪費することも罪悪感で仕事中毒になったかも。でもお店は私にとって宇宙のパノラマである。誰かにお話をねだり、受身の状態であるが、知らない世界は想像を掻き立て、決して気持ちは腐ることはない。精神的に何時も何かに心がときめ、心が動かされ、世に言う楽しいことが良い暮らしとは思わない。無くなってしまう物を追いかけるのではない。心が躍るもの、人との出会いの中から得られた物は計り知れない宝が隠されている。出会うことは必要必然で何か意味があり、多くの学びがある。何を考え、思い、いい生き方であるか否か生きた教科書でもある。生きることは誰もが必死である。楽して生きれる人は生まれもった人で輪廻で 前世の加護以外にない。立ちはだかる壁のハードルを越えることは、忍従以外にない。ただただ無力感で生きている人は挫折が多く、嘆き悲しみ、恨んだ人生となるでしょう。結果を出して生きている人は考えも中途半端で安易でない。社会に適応することは懸命であるのです。また、生き方につまずき、出口の無い生き方をして混迷している人に少なからず、私の微力さながら人様のお役に立つことがある。こんな幸せな事はない。役に立って、意気揚々と輝いている自分に笑顔がこぼれる。良い種まき、良い生き方をし、天に貯金をしているのです。楽もしたい、違った世界も見てみたい、ゆっくりと追われない生活も、、、、、、と思う願望が正直ないわけでもない。事実その様な我がままをしたことが無いゆえに出来ないのです。全くやったことが無いは出来ない。脳のサイクルが出来上がっている。同じ人間なのに、働かずに人からエネルギーを貰って生きている人もいる。そんな人は生まれつき、働くように設定されず、上手く楽をさせてくれる人を呼び込めるのだ。楽をさせてくれる、甘えさせてくれる人を見分けれる。言葉上手であったり、外見でいい様に見られたり、人を欺き、人を騙せるのだ。外見と中身が一致しない、性格の不一致で多く離婚の原因となる。左右の手、右脳と左脳とが同じである人はとても少ない。そんな人はどんな時、場所、人が違っても考え方や思いが様変わりしなく、絶対手のひらを返す生き方はしない。そういう人は思う心、損得でも変わらず、家入、外ずらと変化が無い。今まで生きて楽をしたいと願わないの何故なのか。やはり、遺伝子に働くように設定されてプログラムされ生まれてきたのかも。思うこと事態、誰も思わない、無理かもと、思う事をやるのが醍醐味があって、チャレンジしてしまうのもまた不思議。自分の気持ちの中で、決めた以上やる、決めたことする事に徹する。出来ないと言う甘い考えは許せないと思う自分を創ってしまった。時間がある限りやる、やり残しがあれば我慢が出来ない。楽をするということに関して消極的な生き方かもしれない。要するに潔癖的に人から見て悪いことと感じることは心にブレーキがかかってしまうのだ。自分を縛りあげ、拷問に近い状態で生きる、そんなハングリ-生を創造し悦に感じていたかもしれない。働き、仕事を探し、何時も忙しく動き回る。何時の時も自分に厳しく人には優しく、人の幸せを願い生きてきた。人が喜び嬉しそうな笑顔を見ることが最上の幸せだと思っている。お金は働けばそこそこに付いてくる、正直方向がお金で人生狂って来て当たり前であるのが常。欲しいも物に目覚め、きつい現実とのギャップに多少は狂うことありあると思うが働き以外に楽しいと感じない。お店が私を育て精神の統一を図ってくれ、修行の場を提供してもらった。健康は日々の喜びと感謝から生まれるもの。働くから脳が進化し活力が生まれる。車だって46年免許取って一度も乗っていないが乗ろうと思う意識、一念が動かすし乗れるのです。老化は防げれるものかも。常に心がときめき、人と話をしている時が輝いて居れるから。溢れる言葉は脳の泉が枯れることを知らないもの。お喋りは心と脳のトレイニング。永遠に現役でありたい。生きることは難しいことではない、その環境に上手く自然に適合する事に尽きる。
2011.12.01
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村上春樹のノルウェイの森の撮影ロケ地にて(砥峰高原のすずき草原) やっと幸せを実感 辛苦の長いトンネルを抜けたかのように今、毎日余すことなく幸せを実感して時間を送っている。思い返せば一般的な生活とは無縁であった。40年、陽が昇れば何時の時も仕事すること以外に眼中ない頑張りぬいた自分を創りだしてきた。決めた以上どんな事があっても諦めたり、辞めたいと思う気は一度もない。唯、旦那を当てに出来ない分自立出来たかも。強く生きれるように精神を鍛え上げられたと、良い旦那であったと思う様にしている。アル中、酒乱、依存症でプラスの創造性が彼の中にない分、人一倍苦労があったことは確かである。何を相談しても破壊する以外に答えはない。聞かないが彼だったらどう思うだろうと、常に思い描いて、激怒されない生き方を学んだ。苦しい、悲しいが、動く事で脳の活性化を図り、耐えて耐えての長い長い道のり。ただただ、ひたすら自己愛の強い彼。相手の気持ちが読めない彼。自己中、現実逃避、攻撃的、感情的。対人関係において未熟で、葛藤にたいする耐性がない。攻撃的になる。何があっても懸命に働き、人様の気持ちを思いやり、心配り、商売が繁盛する手立ては感謝以外になかった。無の境地でお客さんただ来て頂くこと一心であった。どんなに頑張り抜いても、人を評価出来ず、人がして当たり前、全く現実という場の空気が読めない彼。人を評価出来ない彼。ただプライドだけは人の何倍のあり、人を見苦座す様は何さまのつもりなんだろう。全く裸の王様。長い間、人間ウオッチングし、学べ得た事ばかり。皆よそ行きの顔して生きているのが滑稽になる。そんなことに騙されないよ。真実は外からは見えない。自分らしく生きることは、まず、世の中に適応しなくては生きられないのだ。店をつぶさない目標を持ち、ひたすら、決めた道。信用と言うレッテルを維持する為、何処まで行っても仕事は朝になればゼロからスタート。耐えなければならない、どんな苦難があっても頑張りぬいて、今日は明日という希望を繋いでにつないでいくだけのこと。当然この店も今、不景気の風は変わりない。御蔭で時間が自分のものになる。やっと自分らしい日々を味わえるようになった。人として当たり前の人間らしい生活が出来るようになった。不幸に違いないかもしれないが私にとってやっとキツイお勤めから解放された感じ。毎日、毎日、今日が最後の仕事だと常に心に言い聞かせてきた。暇な状態でもお店を開けて、自分時間を戴いている。何時最後になってもいいと、毎日頑張り続けたんだから、こんな日が来て嬉しい。こんな有難いことはない。神様がご褒美を下さった。有り難う。
2011.11.01
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人間の創造エネルギーは喜びより生まれる どんな小さなことでも喜びを感じ、感動し、踊るトキメキの心は無限に溢れる愛が無尽蔵に生まれ、好き、喜び、快、愛となって幸せを生みだすのです。欲張らず、等身大で生きている。何も感じない、喜びのない人生は不満、不足、悲観、心配、不安、警戒心、疑心、羨望、何処まで行っても満足を得られない。不幸だと思えば、心がすさみ、人のせいにしたり、心を閉ざして、前向きに生きる流れに乗れず、幸せを感じる事が出来ない。さらに何を得ることが出来たのか、何をしてもらったのか、何があるのか、幸せを失った心は形あるものを追い求めていく。どんなに追い求めても、幸せのゴールはない。どんなに物が溢れても、どんなに成功しても、有り余るお金を得ても、権力を得ても、心は空しさを感じ続ける。私たち、誰からも必要とされなければ、生きている意味がなく、人生は空しく、どんなことをしていても、心は生き生きしない。多くの支えに、必要とされれば、どんな時でも心は躍るものです。どんなに真面目でも、どんなにお金を持っていてもその人自身が幸せを感じることが出来なかったら、魅力を感じることが出来ないと思う。人に感化与えられる人は、自らが溢れるほど幸せであるものです。毎日が幸せで、楽しい、楽しくて仕方が無い、又それが外に表れる。心の躍動感に導かれる生き方、多幸感、魅力あふれる生き方こそ真の無為の生き方である。喜びを一番学ぶのが上手なのは、子供たちで無心にわくわくして、その場に同化して、一つになるものかもしれない。子供のような感じ方の喜びは必要かもしれない。大きな器となるためにも、大きな辛苦を乗り越え、苦労を苦労と感じない器が要る。又心を達観させるには孤独に耐えなければならない。人との交流を求め一人になると不安になったり、誰かに声を掛けられなければ寂しい生き方は心が満たされない。その裏返しが人に対して恨みとなる。今はそんな人が増え続けている。孤独に弱く、孤独を恐れている。四六時中携帯電話夢中になり、メールを交わし、人の動きに妙に関心を持ち気にしている。携帯依存症。孤独に弱い人は自立出来ない人を引き寄せている。自ら一人の時間を充実させ、快を感じて生きている人は、愛も知っている。必然的に自立は自立した人と出会いがある。一人を極め、大きな愛に出会う。何物にも依存せず、すべてと繋がった愛は享受出来るのです。足りるを知る生き方は自制心のみで、欲は天から与えられた幸福の種を崩壊させるだけである。
2011.10.17
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ハングリーで生きること自分の中にハングリー精神をいつも持っていることです。常にハングリー精神は満されたい気持ちである。満たされたいと願い希望を抱いき目標に向かって懸命さが自分を強くしていく。如何なる境遇にあってもめげることなく生きれる。そういう精神は日日に積み上げられたものであって、一日で成すものではない。自分を制する、コントロールができ、怠けたい楽をしたい気持ちに負けることが無い。此処まで来ると一種の快感に繋がり自分に鞭打つことと同じような現象が起こっているのかも。この相反するような気持ちで生きることです。振り帰ると育った時代には物もなく遊ぶ環境もなく情報もなく、よく言えばハングリー、つまり 貧乏で生きることに必死でした。 子供ながら一人前の仕事、お手伝いはして当たり前。親の背中ばかりを見て、それが御手本であった様な気がします。しかし今、の世代、若い世代、飢えること少数であるかもしれない。親の鉄は二度と味わせたくないと不憫さもあって、親が子供に贅沢の贅をさせている。そのような環境で育つとひ弱な精神、自立心が欠け、社会性に欠け何か事が起こると逃げざるを得ない状態になります。逃げ切れるものではありません。ハングリーは必要なのです。人生は社会に責任という任務を任せられ信頼 を保つ必要があります。良い人間関係は心と心が繋がって怖いものはありません。話し合って相手の心を確かめ、相手との距離を測りながら必要な事を決めていく。そんなことができるのもハングリー精神が人を好きにさせてくれるものだと思います。又、癌(がん)細胞にも言えます。正常細胞が変化したもので、身体の外から入ってきたものではありません。細胞というものは、ハングリー(飢え)にすればするほど一生懸命生きようと働き、異常細胞である癌にはならないのです。しかし、美食飽食の毎日で栄養過剰の恵まれすぎた正常細胞は、生きようとする力を忘れ、やる気のない緩慢な細胞に変化してします。世の中には、断食、少食によって癌を治す医院や養生所もあるくらいです。世界で一番義理人情、思いやり、優しさのあった日本人が、殺人、いじめ、横領などと異常人間が増え続けています。がん細胞のように、豊か過ぎる結果かもしれません。敗北があるから強くなれる悔しさを知ることでスピリットが高まるどん底を味わうことで ハングリーが生まれる勝つことへの執念は生きることへの執念自分を追い込むことで肉体 と精神が限界を超えるかもしれません。
2011.08.23
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久しぶりにブログを書きますみなさんお元気でしたか。お盆で長期にわたり帰省されたり、バカンスに鋭気を養っておられるかも知れませんね。不景気でそれどころではないと嘆いておられる方もおられるやも。人それどれに時間の使い方も体力も能力も違います。何が良いとか悪いとかでなく充実しているかいないかの違いと思います。でも何かに向かって気持ちが意気揚々とするものに出会わすことは小さいことかも知れませんが幸せを感じる瞬間です。それの積み重ねが毎日有れば前向きで向上心の塊、生命力が旺盛で何事もチャレンジして強いオオーラが発揮出来るんです。この猛暑でやる気が湧く方が異常ですよね。省エネで何もしないで、ぼーと扇風機の風に当たりながら意気消沈していたら、脳が退化してしまいますよ。ぼやき憂い悲しみ現実逃避などしていないでしょうね。懸命にやっているのに結果が出ず、一体自分は何のために一生懸命してきたのか後に引き、思考回路の出口が見つからない生き方をしていませんか。脳が風邪引来ますよ。警告します。どんな些細なことでも希望や勇気をもたらしてくれる夢中になれるものを見だし、元気を出すことが暑さや現実の苦しい場面から逃げだせるのです。暗闇の世界に浸っていては元気が出ません。過去の栄光を捨て今の自分に何が出来るか一からスタートする、それでいいのです。肩肘を張らず、見栄を張らず、人の目線を気にせず、助けてくれるのは誰もいないのです。SOSを発信しない限り誰も気が付きません。心の中は誰も見えないからです。あなたが想像するほど人はあなたのことは見ていません。勝手に貴方が想像して推し量っているだけです。そんな妄想はしない。現実的な生き方に変えれば貴方は救われるのです。私は書くことから違うものに視野が向いて毎日忙しい日々を送っています。超現実的に生き精神世界より花より団子状態。勿論お店は頑張っています。町内の役が半端でなく、年間のイベント夏祭りの実行責任者になり、奮闘中です。模擬店、カラオケ、ビンゴゲーム等々と大変。人を避けて生きれない仕事をしています、好かれて幾らです。人の気持ちが読めなければ無理があって病気になっているでしょう。すごく元気でいれるのも楽天的で自分で解決するからかもね。一生しか生きれない、くよくよしない。悪い種まきはしないこと。すべていい様に考えて善処することに尽きます。
2011.08.16
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生きること 何も意識せず無の状態で生きている人はまずいない。生を受け両親の遺伝因子を持ち宿命としてこの世に生を承りそれどれに持って生まれ、成すものがあって自分が存在している。何故生んだのか、生まれてきたことに不快感を持ち親を恨んだり、卑い自分を創りだしてはいないだろうか。生まれてきたことに感謝出来るようになるには自分自身の心にあるのです。立ちはだかる目の前に起こりうるすべてのことは、眼をそむけず、降り注ぐ雨あられ厳しい試練はすべて受け止め、それが成功に結びつかなくても決して逃げないこと。その一つ一つがやった経験としてどこかに培われて養分となり、何かのきっかけであの時はこれで失敗をしたと思いだしどのような困難からも逃げない。いかなる境遇にあっても人生は重い荷物を背負って遠い道のりを歩くようなものだと徳川家康が言っている。 天下の頂点に立った人間でさえ、いやむしろ天下の頂点に立った人間だからこそ、そう感じたのかも知れません。 人間は社会的な地位や境遇に関係なく、生きていくことはだれにとってもつらいことなのです。 お互いに他の人のつらさが分からないから、他の人には生きるつらさがあまりないように感じるのでしょう。人を思いやれる心があれば、相手の事が自分と同じように感じられる。辛さも、嬉しさも共有でき物事に神経質に感じることが少なく客観的に観れて変に自意識を持たなくて生きれるものです。自分だけ何故こんなに苦労するんだろうと責めず、生きること事態大変で楽に生きれるものではない。表現力の問題だけであって、人並みにそれ相応に努力が皆付いて回っている。過少に表現するかしないかのこと。自分だけが苦しい、自分だけがつらいと思うから他の人をうらやんだり、または自分に劣等感を持ってしまうのではないでしょうか。他の人が楽しそうにしているからといって、果たしてその人には悩みや苦しみがない訳ではない。辛さを消すために楽しくしているのであって、その人なりの悩みや苦しみを抱えて、様々の理由からそのことを表に出さない、あるいは出せないだけです。 他の人も自分と同じような悩みや苦しみを抱えて生きているのだと分かれば、他の人をうらやんだり、劣等感に悩むことも少なくなると思います。 そして自分だけがつらい思いをしているのではないということが、どれだけ自分を救ってくれるでしょうか。 多くの場合、人は最良の状態で生きていても、生きることには苦しみや不安がつきまとうのです。 たとえば恋をしている人にとって見れば、いつ相手に捨てられるかも知れないという不安がつきまといます。 深く愛していればいるほど、その不安も大きくなるのではないでしょうか。幸せの絶頂にある人にとっては、いつこの幸せが終わりを告げるかも知れないという不安がつきまといます。 お金持ちの人は、いつ財産を失うかと心配しているかもしれません。 政治家や官僚は、いつ失脚するかと心配しているかもしれません。 数えだしたらきりがありません。 不安のない人はいないと思います。 ただ、不安に押しつぶされてしまうか、はねのけるかの違いだと思います。もちろん貧困や人間関係で苦しんでいる人にとっては、不安はいっそう大きなものとなります。 問題がおきたときに対処の仕方さえ知っていれば、心構えさえ持っていれば、起きるか起きないか分からない不安にいちいちおののくことも少なくなると思います。 人生の問題はどう解決するかより、どう対処するかが重要だからです。 問題がおきたときの対処法が分からないと、生きることはいっそう苦しくなるばかりです。いま明るく生きている人も、過去に他人には言えないような苦しみを味わったかもしれないのです。 だからこそ、いまを明るく生きられるようになったのかも知れません。自分だけがつらい思いをしながら生きているのではない、他の人もみんなそれぞれに苦しみや悩みを抱えて生きている、そんなことが分かれば、生きることに少しは勇気を持てるようになるような気がします。だから自分だけを理解してもらおうとすれば相手のことには関心が向かず、相手がいままでにどんなつらいことを経験してきたかも分からなくなるのです。 そして相手がいま明るくしあわせであれば、過去に苦しんだこともないのだと思いこみ、自分だけがつらい思いをして生きていると思いこんでしまうのでしょう。もっと相手に関心を寄せることができれば、みんなが同じようにつらい思いを経験しながら生きているんだ。自分だけがつらいのではない、と言うことを理解できると思います。辛い仕事は自分だから出来るんだと自負して頑張ってほしい。褒めれるのは自分しかいない。生きることは辛く大変である。だから喜びが大きいのです。
2011.05.29
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愚痴は自分と周りの人を虐待している 言ってもしかたがないことを言って嘆くこと。愚痴を言ってもしょうがない。愚痴をこぼす。明るい事・楽しかった事・人をほめる事を語る努力をしている人以外に、同情を買う陰湿な言葉は虐待に等しい事に気付く人はほとんどいません。愚痴は、真理に暗く、無知なこと、相手に同情を求めているものが大きく、視野が狭い。愚痴・悪口で無駄に時間を過ごしていると、必ず自分自身やその人間関係に満足できなくなってくるでしょう。そして、自分をよりよく生かし、強化していこうという欲求が働き、愚痴・悪口を言い合っていた自分やその人間関係から卒業しなければならない。愚痴・悪口の話題によって雰囲気が悪くなり、良い関係を保ち続けられなくなってしまう。愚痴・悪口は、まず自分から自制することが大切です。言いたくなっても周りが言っていても、グッと飲み込む忍耐力が、円満な人間関係を続けるためには必要なのです。フラットな表情で「ふ~ん」と言って受け流す。愚痴・悪口には、同情・同調は絶対NGです。「ほんと嫌だよね~」「やな奴だよね」などと言っていれば、その場の雰囲気を壊さずに済むと思うかもしれませんが、このように同情・同調していると、次回も必ず話を持ちかけられるようになります。基本的態度は、感情のこもっていないフラットな表情で「ふ~ん」「あ、そうなんですか」などと言って受け流すことです。「ちょっと冷たいんじゃない?」と思われるくらいの態度の方が、相手のエスカレートを止めることができます。また、相手も自分の行為に冷静に気づくことができるでしょう。「愚痴・悪口を聞く」という行為は、酔った人の介抱をするのと同じようなものです。仲間がたまにやりきれなくて酔ってしまった場合、介抱してあげるのが親切であり、思いやりです。しかし、会うたびに感情に任せて泥酔され、介抱させられるのは「失礼」以外の何物でもありません。愚痴・悪口は我慢できなくなったときだけ、そっと打ち明けるのがマナーです。そして、聞いてくれた相手には心から感謝し、いずれは自分も同じ分だけ相手の話を聞いてあげなければなりません。そうした思いやりもない人の愚痴・悪口に付き合っていると、自分の精神衛生のリスクの方が高くなります。上司が部下の話を聞くなど、立場的な役割を除けば、自分勝手な愚痴・悪口は適当にあしらうのがコツです。愚痴・悪口仲間の派閥を築かない。いつも同じような愚痴・悪口を言う人からは、頻繁に誘われるものです。孤立を恐れて参加しているうちに、ついつい自分も愚痴・悪口を話していることも、少なくないでしょう、一線を引くことが大切です。
2011.05.12
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周りの人の長所を見つけるのがうまい人になろう 何時会っても人の悪口ばかり、頷いてそうだ!とあいずちを打つものならたちまち、あの人も言っていたと風評被害になりかねない。周りには探りを入れ、波風を好む人も多い。 そういう人は自分が偽善者になって、井戸端会議のネタを提供している。 所謂、放送局で根も葉もないところから誰かに噂話として聞いた、勘ぐったなど妄相で大きく話を燃やし、ご近所様の話を提供している。 近所の噂はご飯より好きと来ている。 曲がり角や人と出くわしたなら、話は高じている。 時間が有り余っている人にはかなわないと、通りすがりには挨拶だけで失礼する。 帰りすがりなのにまだ立ち話に余念がない。 寂しすぎる人のか、人それどれに思いは違うが相手が急いでいるかもしれないと、事情を推し量れば長時間話込まなくても良いものなのに。 良いことではないが私自身あまりご近所さんと話す機会が少なく、疎遠になっている。 話によって噂を立てられては困るので人を選ぶことにしている。 外は用が無い限り日中あまり出ない。 店をするにあったってするべき仕事量が多すぎるから僻んだ面か、遠巻きに観ている。 畑や花の世話や犬達のお伴をしている時には外の空気を謳歌している。時間に追われているが充実した実り多い日々である。 相手は私の忙しいなど眼中にないのか、外にいることを知るとわざわざ近づいて話の仲間となり捕まってしまう。 人の噂が好きと来ている。 誰かに話をバトンタッチ出来ないかと、切りあげて用をしたいと毎度思ったりする。 話は長い、これまた手前味噌ばかり、何時の時も自慢話と良く働く旦那であるのに愚痴とくる。 心が狭いのだと思い聞くことに徹する。 好い旦那さんやねと、褒めてもあんたは観ていないから分からないと相手の長所を見ず、悪く言い放ち、自分が偉い様に言うには答えようがない。彼女の旦那や息子は大切なお客さんです。 聞く時はどんなことがあっても相手を褒め、称え、頑張っている姿に称賛する。 あんたは何も知らないからそういう風に褒めるけど、私がどれだけ頑張っているか、眩暈がして心臓が動機を打ってやってられへん。 外だけ見て何も分からへんもんや、中に入らな解らへんのや。 良い様に思うは勝手てやけど、どんだけ私が掃除をしたり花の世話をしている、身うちはだれもしない、損得の計算ばかりの愚痴が付いて出る。 自分からしか物事が見えない、気の毒な方。懸命に私がしてやっているのにだれも知らん顔しているとか。 己の善を語る。 旦那の家入が悪いんや、剣幕に語気を新立て険しい表情になる。 自動車の修理工場を一手に整備修理の責任者。営業肌でお客さん第一主義のやり手さん。 ご飯を食べさせてもらって、家での理想を要求して何かしら、働いている旦那の背中を一斉見ていない奥さんは下げマンであると思った。 男をして頑張っている姿は労い、優しく思いやりで接して良いものではないかと、話や旦那の働きは何時も見ている。 この前に修理工場があって目と鼻の先。 器の小さい人は自分の自慢話は出来ても、周りの人の長所は人に話せない。人の長所を見つける事が出来る人は自分の中に有るから解る。自分の中にない長所は見つける事はできない。 人の長所を見つけるのが上手い人は、それだけ長所が多い人の現われです。人の荒さがしが上手い人は、それだけ自分の中に短所が多い人の現われです。人の能力・才能を高く売る事が出来きる人になろう。人の能力・才能を高く売る事が出来る人は、人の努力の価値を認め理解できる意識の高い人です。自分も人の能力・才能を高く買う事が出来る人になろう。自分でも人の能力・才能を高く買う事が出来る人は、自分の可能性を信じる事が出来る人です。自分の可能性を信じる事が出来る人は自分でも努力をします。自分の可能性を信じない人は人の可能性も信じません。自分の可能性を信じない人は、努力しない為に言い訳をします。知っている人から定価で買う事が出来る人が幸せな人生を歩んでいる。知っている人が豊かになれる事を喜べる人は器が大きい人です。 お金は愛と思いやりと感謝の気持ちを表す道具で、その道具を上手に使える人が幸せな人生を歩んでいる。 お金は愛と思いやりと感謝の気持ちを表す道具の一つで有り、それ以上でもそれ以下でもない。 生きていく為の真理です。
2011.04.26
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素晴らしい男性 初老に差し掛かっておられるというに、精鋭そのもので、ヒポクラテスを思わせるようなお顔をされています。一度は拝するとインパクトあり印象に残リます。あきらかに、クオーターとしか見えません。どこか、北欧系の整のったマスク、正に、縦横のバランスは抜群で、中心を通る鼻筋は群を抜いて、そのうえ、眼力がいっぱいあるのが解ります。睨んだその顔は、すべてに的中する位の、眼光である。彫は深く、自分の信念を貫きとうした生き方が、その顔からすべて推し量ることができます。人差し指が前にせり出し、生きる力、生命力、思うことすべて、行動、実行に移す。パワーの持ち主でもある。男のロマンを存分に持ち、いかなる、境地にあっても、それを乗り越え、実績が、すべて裏付けされるのです。もう左手の、潜在意識の高さ、積極性、心が不動である。用意周到であることが、一番の褒め言葉かもしれません。あらぬる場面を想定して、一つ一つ、抜かりなく、緻密性、計画性、すべてに計算し尽くされています。現実の、お仕事は、電力会社の工事施工部門に属し、それはそれは、命がいくつあっても、足らないぐらい、常に危険と同居する。まさに、高い電柱から落下するか、さもなければ、感電するか。二つに一つの仕事をです。40年事故もなく、永年続けてこられたことは、どんな状況にあっても、完全パーフェクトなイメージ力を自で範を示され、培ってこられたものです。完全無欠である。趣味はこれ又、20代から、狩り、猟、に心を奪われてきたとのことです。日々私の喫茶店の常連さんで崇拝する逞しい初老の紳士です。 72歳になられるまで果敢に、鹿、猪、いまだ、冬山に心を馳せ、2,3、日かけ、犬をお友に遠征されました。 撃ち放った獲物を番犬が走りゲットする。 そんな山の醍醐味を存分に満喫し、捕りつかれたように山が呼んでいる生活は体に危険信号が忍び寄ってきたのです。 過激が過ぎ、命の限り無心に体を鞭打ち、我を忘れて、格闘した数々の獲物が証明している。 心拍が不整になり、電気信号が正常に伝わらない。 もう、体力的にも限界で心負担が過酷であったことが物語っている。 さらりと思いで多い山々の話は健在で、心に沢山な思い出があって楽しく事実を再現して戴き、良い時間をいただいています。 手先は器用で必要な、小道具はすべて合間を縫って手作りして試行錯誤されていて、何事も懸命さが伝わり、生き方を学んでいます。いつの時も頭のトレイニングに余念がありません。かっては標高1000mはある北の大地、鳥取、兵庫県北部の険しい冬山の雪深く、切り立った、岩肌、木々の一つ一つに、心は少年の様に犬と一つになって狩りをするのです。この世のすべて、無になって、無心な姿が現実から逃避して、クリーニングして命を頂くのです。誰もお供ができない。誰も彼について行けないのです。猛烈果敢、烈火ののごとく、獲物を見つけるのです。何100kgもあろう獲物、を持ち帰るのは、人の力では、可能に近いです。そんなとき切り刻み、小分けにして、木の頂に、吊るして、近いうちにまた出動します。 後日的確に、場所を特定して間違いなく行けるとのことです。 動物的な感以外にありません。 皆自分の庭のように駆けずりまわっている証拠です。ロマンをたたえ、永遠に、今も、続いているのです。六甲山より高いのに、素晴らしい体力、周到な計算、感覚、適格な判断力、積極的な心、以外にないと思う。 50年以上積み上げられたものは、経験、知識、以外ない。 大勢の山友達に恵まれて幸せそのものです。山や動物の写真を一杯見せて貰い、言葉の端、端から、獲物に取りつかれた人生が現実的で、男らしく常に身の危険をものとせず、前に突き動かす力は、本当に見上げてものです。いまや、銃刀法の強化で管理はもちろん、をもつ者の、人間性、人格、を精査され肩身の狭い思いをもっておられるという。でも大丈夫。あなたには完璧な人格があり、感情もクールで冷静です。私が男なら、貴方のお友を申し出ていたかもしれない。すご腕を見たかった。でも話だけで、十分迫力が伝わってきます。いつまでも若さのエネルーギーで果敢にあることを学びました。ありがとう。
2011.04.20
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世の中は暗いニユースが多すぎるなか幸せです。 お久しぶりです。 すこぶる元気で仕事に家庭に私ごとき多忙を実感しています。 御蔭さまで息子が縁ありて結婚しました。 幸せになった二人を祝して喜んで良いのか迷い、多くの方々の悲しみの中だったのでの芯から喜べませんでした。 悲しみ一杯の方々に配慮して、すべて簡素に事を運んだつもりです。 結婚していいことばかりではない。 良かったと思われるのは幸せや喜びは堅実な生活をすることのみに得られることだと信じている。 甘やかした親はまだまだ息子と親離れが出来ていない。 囲い込んでいたわけでないが、本人は楽だし好きな事に没頭し年が過ぎるのを忘れている気配がする。 何もお小言もしてない、自由な世界を創りだしていれば独身貴族は優雅でリッチで申し分がない。 結婚はしない人が多くいるのが分かる。 生活力が伴わなかったり、相手に巡り合えなかったり、親の面倒を見ているとか事情はそれどれ。 何もできないと彼女は言うけれど、相手を思う心があればそれが後押ししていい家庭が生まれると信じている。 お互いに縛りあうのではなく、自由に生きすべての事に干渉せず距離を置いて接し相手を尊重して、共に成長してこそ結婚だと思う。 どちらが親か子になるかによって決まる。 成長する夫婦は強さ弱さにバランスがある。 旦那であるか妻であるか選んだ相手によって強いほうが養分を吸収し続ける。 そんな意味で結婚は相性や星の関係が大切になってくる。 平行な目線でいて、つかず離れずの距離は相手を縛ることなく、必要な時に居て疲れないことがいい。 そんな理想の距離感が新鮮でお互いのあらさがしをせず、長く続くし幸をもたらす。 もともとお店の御客さんに声をかけ紹介してもらったのです。 まず、彼女の手相を見て私が気に要った事が息子に勧める切っ掛けであった。 手のひらの丘や各指の指の長さの高低差が申し分なく、決定したわけ。 今まで沢山の人を見させてもらったがそれどれ個性が強すぎたり、見栄張りであったり、贅沢の限りをしたい、人を楽にしてあげれるタイプは少ない。ゆわゆる挙げまんタイプに出会えば最高なのです。 所帯を持つからには地味で質素で堅実が好いと常々思っていた。 そんな彼女の手を見た途端すべてが想像でき、度胸も座り、素敵で明るく屈託がない様が見えた。 息子は結婚する気がしないと2年間も知らんふりをして、傍観者であったのです。 曰く。 女らしいところが見えないし、男性に見えるという。 お金をためる気がない、現に貯金がないというらしい。 女としての魅力が少ないとか。 等々口実を見つけ避けていた。 なのに彼女から何の連絡の無いし、この話は諦めて無かったことにしてほしいと。 その旨を伝えたところ、神妙になり待ってくれと言い、付き合うことが始まったわけ。 霊能者の江原さんに鑑定をしてもらい、一件落着。 付き合うほどに彼女のいいところ、僕にない面が多々あり心底惚れ込んだようです。外から眺めるのではなく、心を知ること、どのように気づかいをしてくれるかが一番大切。相手が中心になってそれでいて自分をしっかり持っている。相手の幸せを願うことは自分にもその幸せは戻ってくるからです。 息子は現実な所が無く、夢の理想を描いているようで説得をするのに時間が要ったようです。 彼女に巡り合って感謝しています。 災害で幸せどころではなく言葉で言い尽くせない酷な状態なのに、我が家は幸せがやってきた。 感謝しています。震災は多くの教訓を残し、生きる姿は自然体で多くの物でもなく、心がつながっているが一番と知ったこと。 生きて行くことは、それ相当に積極的な力がいることが分かる。 食べる、眠る、最低限の生活だけでも何もかも失ってしまえば容易ではない。多くの方々の手助けがいること。 生きていく総力が自分一人では生きていけない。 この世から一瞬にしてすべてが葬られ、あの時に助かったと安堵するも、助かったことで糠よろこび等あり得ない。 生きながら、地獄を味わい、鮮明な酷な映像は拭いしれない。 多くの方は固い絆である家族や、最愛の恋人や恩師や友人や務めている会社や未だ生きへ不明の方々、自分だけが幸せになっていいいのかと思案にふけり、自分だけが助かった思いで責めたり、より以上に責任を転嫁して苦しまれて、心的外傷に苛まれて要ると思います。どの様な慰めの言葉であっても 、一度受けた心に傷は長い年月が要ると思います。震災や放射能や不景気に追い打ちをかける日本ですが豊かさは失われるかもしれない。本来持っている民族の誇りや苦難を乗り越える遺伝因子は目覚め、心の豊かさは健在で良かったと常々思い幸せをかみしめています。 息子よ!自分中心な生き方は改め、人のためになる生き方をしてほしいと願っている。
2011.04.17
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テレビの画面から送られてくる映像に一喜一憂 生活の場の風景が忽然姿を消し、廃墟になった様は茫然と立ち竦み、観ているものの立場でも震えが止まらず、自然の猛威にうな垂れてしまう。復興への期待を寄せるが次なる恐怖には身が縮む。放射能の恐ろしさは目に見えないばかりかそこで生活を営むことは危険で身体に深刻に蝕み、ガンや白血病の脅威や身体への負担が心配される。蓄積した被ばく量は遺伝因子影響し挽いては奇形児や見えない先天性の疾患に侵され、満足な生活の営みも出来なくなる。永遠に死への恐怖に怯えなければならない。地球の怒りの身代わりになられた被災者の方々に強い心を持ってほしいと願わずにいられない。生活のすべてを奪われ、強い気絆の家族も失って傷心は癒えることはない。未だ未確認な被害者が多々おられることに地震や津波の巨大なマグマのの規模が如何に大きく困難を期しているかが解る。世界の国々も原子力発電に頼って、電力のすべてを賄っている為人事ではない。大きな関心事で処理に最善を尽くせるように協力を頂いているが、先の見えない大ごとだけに、改めて原子力発電に憂慮の懸念が出ている。火力発電や水力発電や風力発電と見直されるかもしれないとロシアの資源国の株価は暴騰し、行く先の展望が示されているのが解る。日本は物を創って輸出していたが震災で諸に外経済が痣になり、生産体制が崩れ機能していない。電気の計画停電や破壊された企業の再開は困難を期して雇用もままならず、先々の私たちのリズムは震災を境に大きく変わって行くだろう。物が品薄になり、お金の価値が無くなる。国債の量産で貨幣価値は下がり、インフレ状態。戦時下を思わせる。仕事が無い。お金があっても物が無い。粗末にしていた付けが来たのかもしれない。物に溢れ贅沢が日常茶判事に当たり前のことが戒めであるのかもしれない。一から出直してスタートする機会に出会った折り返し点と思う様にしている。どんな時にも落ち着いて、命が有れば何でもできる。何が無いと出来ない生き方は不器用であって、今こそ知恵の結集が試されそうです。精神を病むなどは時間や体がなまっているからであって、身体を動かし忙しすぎる状態は精神も健全で健やかになるもの。国民皆総生産の時期が来たと思えば良いだけのこと。誰も手を貸し、皆眠るように死を迎えられる最後になれば最高だと思っている。
2011.04.05
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あの呪わしい震災から 地球の核の破滅見る。日日地震が途絶えることなく大きなマグマが海底で動いている。地震の発生原因を知るには、まず地球の構造を知る必要がある。日本の周辺には太平洋プレート、フィリピン海プレートの海洋プレートと北米プレート、ユーラシアプレートの大陸プレートが重なり合っている。東海、東南海、南海地震が想定されている地域は4枚のプレートが重なり合っているため地震が起きやすい。現実の生活で地球の恩恵に感謝することなく、あらゆる欲、権力欲、支配欲、駆られている人たちへの警告でもある。人間のおごりたかぶった思いすべてが今の出来事を引き起こしているのです。地震、津波、放射能、生きるすべて命を根こそぎ奪われ、呪い恨み残虐な自然の怒りに成すすべもなくただ茫然と立ちすくむ。自然に畏敬の念を示すしかない。この地球の怒りに、頭を垂れ、歯を食いしばり、強くこぶしを握る以外にない。地球の断面図を見たときに、そのほとんどの部分はマントルとマグマを擁する核である。そのマントルの温度は、マグマに熱せられ3000℃になり、その後地表面に向かって冷却されながら上昇しても1500℃になる。1500℃は真っ赤に溶融した鉄の温度と同じである。こんなものが私たちが住む地球の地下30kmから60kmにあるのです。海上においては地殻が薄いために海底の10km下は1500℃である。その高温のマントルが地球ができてからというもの何十億年と地表を熱し続けてきているのである。太陽の熱より、われわれの足元の深くない地中にあるマントルが送ってくる熱の方が大きく太陽の熱は微々たるものである。気象現象を支配しているのは太陽ではなく、地球内部の温度変化であるという理論も見えてくる。そうすると、高気圧や低気圧の配置やその大きさ、太陽によるものというよりも、地中から地表あるいは地中から大気中への熱伝達が主要な決定因子でもある。地球にとっての大陸というのは、熱を放出したり熱を吸収したりする。原子炉の「炉心溶融」が被ばく状態。放射能の汚染の拡大は避けられない。 水、乳牛、葉物野菜、土壌、空気、もはや人の住む環境ではない。政府は毅然と今後の対策を的確にまた情報はすべて開示すること。保障問題や生活の援助や再生に向かって全力を期待したい。今、劣悪な環境であるがかっては高度経済を支えてくれた御蔭でることも感謝している。地震による原子炉の爆破により放射性物質の飛散が津波の直接被害より危険で予後が悪い。体内に残るヨウ素の半減期は8日間と短い、セシウム137は約30年間にわたる。これは長期間、土壌が汚染され、人体や農作物などに影響が出る可能性は極めて高い。命は救われたが汚染された土壌や環境は死を意味する。政府は的確な情報を開示し今後の政策はゆっくりでもいい原子炉に頼った物でなく火力、水力、風力発電にも目を向けて進めることを期待したい。黙黙と噴煙を上げ続ける原子炉の様はいか様に体に害が少ない様に説明をしても納得がいかない。もうお手上げ状態の政府の困窮ぶりが見れる。原子炉の温度が上がりすぎ、燃料棒が溶けて破損する事故が起きた証拠である。冷却水が失われて炉心の水位が下がり、燃料棒が水面上に露出し、燃料棒中の放射性物質の崩壊熱が除去できず、温度上昇が続くために起きる。事故の中でも最悪の事態に深刻度をましている。ベーター線の被害が出ているのが20代、30代方、犠牲となられこれからの人生に背負う被ばくに心が痛む。東電は若い人を手先に危険、汚ない、忍の仕事をさせる。一線に働くものは弱いものをつかう、日本経済を担ってきた駒の人たちだ。怒りを感じ、生一杯の労いをして欲しいと思う。何もなければいいがゆっくりと休んで静養して欲しい。これから、的確な情報を得て、安全な食料や仕事や家計のやり繰りに翻弄されるが、国民すべてが冷静に判断する要がいる。生活は窮すること間違いない。贅沢で豊かな物に溢れ、当たり前が異様であったのです。質素で堅実で合理的、すべてその覚悟があれば怖いものがない。腹をくくって生きて行こう。
2011.03.24
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巨大エネルギーの地震 津波が押し寄せてく様を高台から撮影している映像、差し迫った死の恐怖が心臓を締め付ける。 強力なエネルギーは人力では対応できない。 そのすさまじい怒っている地球の底力を垣間見た。 運不運の別れメは高いところにいたこと、逃げ切れた人。 圧し迫る濁流を背に感じながら、命からがら逃げ切った人。 それは死に物狂いで、体に備わっている力など比べ物にならないような何十倍の力が働いたんだと思う。 大量のアドレナリンがでて興奮させたに違いない。 生き残った人はまさに奇跡の人たち。 津波が押し寄せてくる様、我が町が消え、飲みこまれていく映画のような悪夢はぬぐい切れるものではない。 一生トラウマとなり、人生に大きな影となるであろう。 私も体験した阪神淡路の震災も凄く未だ傷は癒えず、少しの揺れには敏感になり当時の模様が再現される。 地震はいつ何時何処で起こるか分からず、東北、関東に標的になっただけの事。私たちの身代わりに成ってもらっただけの事。 24時間列島が沸き立ち、明かりの消えない列島。 物があり過ぎ、贅沢な生活や、金銭欲や豊かさを求めて地球環境を破壊して、自然が怒り、高じたのです。 そして人口の淘汰を余儀なくされたのだ。。。。 日本は借金大国で900兆の国債を発行している。 借金ばかりに頼って収入より借りが多いのも怒りとなっている。電気は原子力に頼っている分、地震の影響がもろに発電所の機能がしない。核の中心が冷却されない。 たくさん放射性物質が放出され、危険な状態。 被曝する。 原爆症として白血球が異常になってしまい大変である。 原子力に頼って好い生活ができたが機能しない今、便利な生活と物の無い生活は想像を絶する。 電力の供給不足がすべての生活に波及し、交通網や工場が再開されない事態は何かを示唆している。 原点に戻り、人の情けや力を受け、これから、再生するにあったって一番大切な絆を学び、律儀な高潔な精神を培う機会かもしれません。 原子炉も地震の被害で怖い高濃度の放射能が飛散している。 目に見えない粒子。 皮膚や臓器に蓄積され被爆者と化してしまい、後々に被害が出る。 この方も不安がつきない。 憂う問題算出。 阪神淡路大震災と比べものにならない規模。 1800倍の差があったと聞いたときは被害の大きさが飲みこめた。 今世紀で4番目の大きさ。 普段は穏やかな海が怒り、逆流し、大きなうねりとなり、すべてを一瞬にして姿を消し、町や村もすべてを飲みほした。 生き死の別れは何だったのだろうか。 震度9.0の巨大地震の後に来る津波が想定出来たかどうか。 阪神淡路大地震を経験しているが足元からがらぐら揺れ、建物が上下、左右、揺れ大く何秒間もつかまるものもない、不安と恐怖以外にない。 後の避難生活も生きる上で寒さと零下の床は堪える。 冷たい食べ物それもままに成らず、気の毒以外にない。 何が出来るのか。 テレビで救援物資が運び込まれる様に誰にも均等に届くように念ぜずにいられない。 食べようと思っても食べ物が当らない方もいる、と思うだけで、喉がとーらず食べることが罪悪感となってしまう。 省エネにして、同じように暖も12度に設定している。 毛布一枚で寝ている。 いろいろ疑似体験をして少しでも、避難死活をされている人たちの気持ちを同じように体験したいと、浅いのですが気にしています。 世界中のすべての人が被災者の復興を願っています。 募金位しかできませんが陰ながら応援しています。
2011.03.18
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幸せになれる心 いちばん大事なのは幸せを感じられる心。どんな幸せの対象をもっていても手に入れても、どんな幸せに出会っても、自分が幸せを感じられなければ、幸せにはなれない。億の金があっても、豪邸があっても、身にまとった豪華な装身具も幸せのすべてではないからです。そこに住む人の心が豊かで満ち溢れる想いで生きているとは決して言いきれない。人に良い様に思われたいの一心であるとしたら、見栄と虚飾の状態で偽りであるからです。本当に億の金を稼げる人ならば、人があって自分があると言うことを知っているから、だから還元して人の幸せを優先するだろう。そうすれば幸せを多くの人に分け与えられるからです。そこからスタートした人ならば豪邸も身を飾ることよりもその先の事に見える事柄に心血を注いで自分のことは後回しにして、一生涯孤独な戦いが待っていて身を飾るなど時間的余裕が無い。先人は貧乏に耐え、働き、考え、創造し、工夫をし、お金を生みだすことをした結果、子孫はその恩恵を頂いているのです。幸せを感じられる心は、幸せに気づける心。今の幸せは先人の残した物のせいであったとしたら、感謝して生きていくことがより幸せに感じる心を持つ以外にない。物がすべての幸せを量るものではない。自分の一代で築き上げたものであれば、すべて卒なく、合理的で無駄を排除した素晴らしい知恵と魂がある。その見えない物を創りだすエネルギーは誰もが学びその教えは万人に幸せをもたらす。人を思う心が備わって謙虚に生きれる心が幸せを呼び込む。幸せは見えないが心の持ち方でたくさんあるのです。遠慮せずに使えるお金が少々ある。愛する家族がいる。自分を受け入れてくれる仕事がある。本音で話せる友がいる。美味しいものやのどの渇きをいやしてくれる飲み物が頂ける。必要とされる人がいて、忙しいのも幸せ。美しい景色や風景に囲まれ、至福の空間が持てるとき。人の幸せを願い、喜ぶ顔が見えた時。幸せになる言葉は花束と同じでいっぱい話し相手を受け入れる気持ちです。手に入らないと幸せになれないのは幸せには気づきにくい。心の余裕がいる。幸せを素直に感じる心。不幸になる考え方をしないで、素直に幸せを感じられること。「いいな」「よかった」「幸せだなぁ」思えるようになる。幸せを愉しむ心。欠点や問題点を探すのではなく、いい所を探す心の働き。幸せを感じられる心は訓練がいる。自然に幸せを感じられるようになること。幸せを感じられる心は、難しいことをするのではなく、幸せだなぁと思うこと。知識をもった人は余計なことを考え、幸せを感じにくくなってしまう。子どもの時の素直な心を取り戻すということ。幸せは感動する心より芽生える。長生きをしている人は生活に喜びを見いだし素直に生きている人。クールで何も感じない心には幸せは少ない。人のことが我が身に重なる人は人を不幸にしない。生きることは自然体で素直に人を受け入れられる心がある。不足に思う部分は自分が不足だと思っているから。心はすべて受け入れること、幸せに繋がる。
2011.03.06
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久しぶりに黒ちゃんが訪れた。 2年ぶりに尋ねてくれ心配していた矢先だったのでうれしかった。化粧気が無く顔色がさえず睡眠不足か疲れ切った表情が目に入る。目の周りは黒く疲労の色がありありとうかがえる。ママしか込み入った話が出来ないと神妙に曇った表情が何を意味しているか解った。夜昼関係なく働き生活を支え時間も体も余裕がない。キツイ状態で働いた収入が15万円であっても年齢的にも選択できる仕事はない。この前も今までのように車で走ることもない。贅沢を言っていられない、話からお弁当屋さんをはじめ、夕刻からステーキハウスで働いていたらしいが、ミスが多くてもう来なくていいと失職宣告をされた。辛い気持が読め精いっぱいの緊張状態か痩せてしまっている。生きるため必死な様相が伺えるその姿は、かっての彼女から想像も出来ない。置かれている境遇から見る影が無く命を張って借金と言う罪を意識し後悔をしている様は可哀そうに思えた。救える手立てはないものか人ごとながら神妙な気持ちが先立つ。頑張っていると信じていたので連絡も取らず、良い方に向かってくれることだけを念じていたものです。この苦しみは当事者でないと解らない、夢を見ていたのが現実谷底に転落。楽をしてお金が入る上手い話に乗ってしまったのが事の始まり。それに掛った5億円のお金はすべて借金で銀行から融資を受け、生む家もマンションも、もちもん抵当に入っている。仕事を請け負う業者の儲けの罠にはまり苦しみが生じたのです。口車に乗って家賃収入は相続対策に絶妙に旨みがあるからと話を信じたのが苦しみ、傍からは想像を絶する苦しみを味わっているのです。傍目からは物があってリッチな生活をしているだろうと誰もが思っている。そうではない支払う額は途轍もない金額で減って行くものでない。資産家であって借金地獄。何時の日か新聞に載っていたことがありましたね。資産家であったのに、管理できず無知で餓死した姉妹の話。何も知らない者を言葉巧みにつけ要られる。彼女も軽く何の計算せず信じて疑わずいい夢をしばらく見、建てた後優雅にリッチな生活を満喫。支払いは始めは少なく年月と共に金利が増えて、入居者はじり貧、相当な家賃の値下げで多額の負債は減らない。実入りの割に出ていくお金が多い。税金も納められない。経営面で無理をして建ては業者は倒産して夜逃げしたとか。不動産屋さんの話を信じることから人生の奈落が始まる。彼女はお金のことは計算をしたことが無い出来ない人。右肩上がりの経済ならばしのげたかもしれないがサブプライムローンと同じで、家賃で払いきれるものと信じ込んでいたうまい話に乗せられ前にも後ろにも行けず途方に暮れている。売れない、売れたとしても建てた時の値段に比較にもならず爆財な借金だけが残る。家も失う。ローンの年月を長くして返済額を少しでも減らす手立てしてもらうしかない。銀行は不良債権より月々払ってくれる方が良いに決まっている。勉強不足で力になってやれず、悔しく思う。誰も財産を上手い言葉にそそのかされ、あちこちにマンションがキノコのように建ってラッシュ状態であったのを思い出す。バブルに踊らされ誰もが競って建てた時期であったのです。この世は上手い話しは無い。汗を流してやっと自分が生みだした物と楽して得る違いが解る。黒ちゃんは先先のことを何も考えず生きてきた人。辛い目に遭わない限り分からなかった。これを教訓として自分にこの先どんなことが起こっても覚悟が出来なければならない。お金は楽して入ってくるわけがない。お金に対しての高すぎた授業料。お金は決して楽には生まれない。節約の上節約を身を持って学び働くことも苦痛にならず、案外お金を通じ生き方を教示されたたのです。もともと頓着がなく、彼女に対して神様は多くのいたずらされた学ぶ機会を与えらたのかもしれません。これからの人生にとって堅実に力強く生きていけるだろう。学んだものは失ったお金より大きいことに気づくはず。
2011.02.28
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(此処でお店をして40年学びの場所です) 人生の苦しみを増す気は自分にある マイナス思考の人間にはマイナスに考えるのがいいと思い込み考えを履き違えている。それが普通と思い何も間違いだとは思っていない。謙虚に考えすぎ、人と違いを感じるようになると劣等感が植え込まれ卑下し終りには自分を虐待してまうのです。感傷的になってリストカットや睡眠薬中毒や過食症や拒食症の繰り返しなど自傷行為となってしまうのです。かわいそうなのは私なのだ。悲劇のヒロインとなっている。何故私だけが辛く痛い目に遭わなければならないのか呪い、呪縛にほんろうされ生きているすべが見いだせない。健康なときは、何も考えずに生き、自爆状態になると暗い気持ちになり、何もかも放り出し生きることに逃避する。現実逃避、自暴自棄、不安定で自己中に成りきっている。気持ちはバックフラシュ現象になって又地獄に落ち沈んでいく。余分なことを考えない、忘れることに専念する。前向きになれない分何も手に付かないし生産性が無い。取りとめないことに気が巡り人をまるまる信じることが出来ない。疑いをもって仕舞うと何も聞く耳が無くまるで別の世界に籠り妄相してしまう。誰の救いもない、閉鎖的な空間では唯怯え震え神経が休まらない。何をするにも行動に時間がいる、一種の思うだけの心の旅を連ねている。忙しい人間からすれば贅沢病である。忙しく時間も余裕も無い状態の方が身体は喜ぶもの。忙しく体を動かして汗をかいていれば身体自体、精神と肉体がバランスよく保たれているからです。深く悩み考え深くなる前に脳の機能がセーブして爆睡の準備に入ってしまうからです。悪く考えるより次は何をしょうと前向きなことに考えが集中して楽しみに変わるのです。何もしない、しょうとしない、出来ないと思うことがすべての原因を創っている。動かない中では体は怠け癖になって出来ないことに嫌気がさし苦痛が体を蝕み喜びも感じずうらやましいと羨望だけが芽生え、まるで人格が破壊されたようになってしまう。心がふさがっていやな気持ちは解消されないまま心が溜まり身も心も凍りつく。ジレンマに苛まれ地獄の中で苦しみもがき自分だけがなぜこのような苦しみを受けるのかと元気な他者を憎み因果を恨めしく排他的に生き方になってしまうかも。しかも体は動かないだけでなく、気力が退化して、人に会うことですら億劫にもなる。心まで蝕まれていく。下り坂まっしぐら身も心も空回りして生きている意味さえ見失ってしまう。苦しみは避けて生きていけるものではないが避けていると、逃げ腰、弱腰になり、いつもびくびくしてしまう。生きる上で自分の器量以上の難問は出されないもの。簡単に問題が解けたら、苦労はいらない。勇気はふいに湧くものではないが付き合う人や周りの空気によって今までにない自分が出来、聞くだけでも人の話に興味がもてたりする。気が楽になるすべを知り、周りの空気に溶け込むことは気楽に馴染む意味を学び取ったからです。悩んで悩んで考えて、あるとき、突然視界が広がり、何かわかるときが必ずくる。執念を捨て自分を励まし前向きに生きている。プラス思考になるといやなことを忘れていく、執念や思い込みが減り人を許す寛大さが増えるのです。つらいときいやなとき泣いても始まらない。動くこと。汗を流すこと。辛さは一時的なもの。長い人生これからがスタート。先頭に走ってくれる人の後について行こう。
2011.02.22
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間違った思考の仕方 失ったことや失敗した事例ばかりに気にしてしまい、くよくよ過去に逆のぼりあの時は良くなかったとかああすればよかったと後悔ばかりになる生き方。過去の事例に縛られてトラウマとなって前が見えない。 要するに過去のことばかりこだわって、ものごとを正しく判断できなくなって将来を見通せなくなってしまっている。 過去のことに気を取られてしまい、それが原因でものごとを正しく判断できなくなっているとしたら、あまりにも犠牲が大きすぎる。 誰も過去に縛られずその時どきに反省して前向きな姿勢を貫き気を改める訓練をする。親友に裏切られたとか、親の期待が大きすぎるとか、失敗が立ち直る機会を失っているとか、認めてもれえない社会に存在する場所が見だせないなど、当人にしてみれば大きな心の傷には違い無いがこんなことが立ち直れない理由ではない。誰であっても傷つきこの世に居る意味が見だせないことは一度二度はあるもの。その辛い苦しみがバネになって許されない失敗したことがブレーキになり自分を大きく成長していく。やって自信に変わる様になるには幾多の我慢と経験が勘所を養われ脳が無意識に正常に作動する。脳に力強い気を送り迷うことも無い。前向きになれず思考がストップするには心が弱く心の傷を深めてしまい割り切ることが苦手で下手なのです。多くの勤め人は厳しい現実から追い詰められ、踏みにじられノウと答えを言える立場にないのです。強いストレスにさらされ神経は過敏になり疲れたままであっても興奮状態で幾らでも己に鞭打ち自分をコントロールできない神経を創りだしている。過労状態が続き過ぎると脳は正常状態が維持できず思考にも危険がある。良い考えやプラス思考に持っていくだけの心の余裕が無くなり無気力に果て自殺願望に繋がる。誰も人の心に中に入って行くことはできないが悪い時でも良い様に思える生き方をしてこそ幅のある考えがプラス変換出来る気の余裕がいるのです。人間の値打ちは外に現れる外形や物がすべてではない。心がすべてである。人に言われるとか怒られるからとか本意な生き方が出来ないことが多々あるかもしれないが置かれている立場上やむを得ないこともある。強く生きるには実像のない目に見えない存在の中に何を思いどの様に方向を定めるかである。後は微調整しながら自分の心を込めるかがすべてである。魂のこもった生き方をすればすべて迷うこと一切なく自然であり思い煩うことは何もない。問題なのは今の環境から親の教育やしつけが後々の自立をさえぎっていることである。幼い時から何もしていない、経験が無い、出来ないと駄目だしされ、マイナス思考が植え付けられてしまうのです。物の見方が圧力のため無気力状態で抑え込まれて考える力をそぎ取られているのです。何もさせてもらってないだけで、出来ないのはやらせてもらってないことに原因であって、やってないだけでけで価値のない人間と決めつけず自分自身を責め続けない。マイナス思考の人はなにごとも自分を責めてしまうタイプが多い。自分を責めて、自分には価値がない、自分がいるから周囲に迷惑がかかるのだと弱気な暗さの一面がある。生きることが何でもないのに真剣に完璧にせねばならないと受けた親の教育で苦しくしてしまっている。それでは当然の結果空しく無気力になるのは当たり前。自分を責める必要は無い。生きることを苦しくするだけ。何の解決もしない。何色でないといけないと言うことはありません。個性があって人それどれ、ただ人の心を踏みにじって生きることだけは断じて許せない。騙したり、嘘を言ったり、罠に陥れたり、自分の利益のために何でも可能な生き方は人を欺き価値がない。そんな生き方をしているわけではない、胸を張って清々堂々と自分の主張を言える人になる。意見や考えが人に認められるようにすれば生き生きとした人生が巡ってくる。恥ずかしいのではない。自立がいかに大切であるか人の助けを貰わずその過程の中で生きる仕組みを学びとって行くからです。その時に自分がやれば何でもできるとプラスの思考が根付いている。 自分を責めることは自分の存在を否定してしまいマイナス思考が高じていくと考え方が消極的なり、社会や人間嫌いになってますます自分を追いつめていくことになる。プラス思考に変えなければ苦しい生き方しかできないのです。そのためにはあるがままの自分の姿を、見つめ直すこと。どのような自分でも自分は自分なのです。変えたいと思っても、思っただけでは自分は変わらないのです。 マイナス思考を払拭するためには、考えてばかりいればいるだけ、マイナス思考が強化されるだけです。経験を通して、自分の考え方を変えていくしかないのです。 やるという決断ときっかけが必要です。時間的にも余裕がないぐらい忙しくすれば悪く思う機会をさえぎる。人間やることが沢山あって それをこなし夢中になっている時が輝いているときです。時間と体のバランスがよど良い自分を創るのです。
2011.02.19
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マイナス思考だけでは生きていくことは難しい 楽しい、嬉しい、大好き、ありがとう、いつもキラキラ輝いているそんな人と一緒にいたらこちらもドキドキワクワク楽しいものです。苦しい、辛い、悲しい、大嫌い、何で私だけがといつもしかめっつらの人と一緒だったら、こちらも面白くないのです。マイナス思考は良いと思われないことに原因がある。世知辛い無い世の中で明るく思うことは無理かもしれないが、ただ今ここに生きている、選ばれてこの世に誕生したと思えるだけでも幸せである。プラス思考は育つ過程で創られるもの、一杯感動を受け、喜びに変えて成長が慈しまれて育っている証拠です。悪く考えることは一斉したことが無い、出来ない。マイナス思考はあるきっかけが元で人に騙されたり信じることが出来ず不審に思う気が働き疑いの心が芽生えてきたことにある。何不自由なく幸せに愛されて存分に安心に値する言葉を貰っている生き方。これが脳自身に悪く思う回路が出来ていないから思考はプラスになるのです。逐一親からマイナスの感情を受けて、虐待や暴力やすることをすべて否定されて喜びが生じなければ脳事態マイナスの思考回路となり人を信じられず、考えが巡って閉鎖的な状態になって自分を縛ってしまうのでのです。自分の心の中だけで、完璧な状態からすべて減点主義でその欠点に目が付く生き方をしているのです。不幸な生き方を選んでいる。自らが出口が無い状態の絵を描いているだけ。幸せと言うのは悪く思はない思考にある。かっては物が無く不自由な時代には鬱もノイローゼはありません。しのぎを削って生きている野生の動物にもありません。勿論食うか食われるかの戦いですべてが一瞬の狙いうちの掛けで詮索理由が無いのです。強く逞しくぎらぎらと燃える闘志のみです。生きることでも積極的につかみ取る前向きな姿勢がいるので、それを失ってしまうとタイミングがずれてもうどうでも良いと闘う意思が半減する。身を守って生きることは真剣な戦いなのです。 愚かな人間は見栄と虚栄があって人に言えない苦しみを持って生きながらえている。虚像が違った生き方をもたらし、自分を縛りあげてしまう、不自然な生き方がマイナスをもたらすのです。誰かに甘えているから身の危険が無い。パラサイトしている面があるやもしれない。厳しい現実を受け止める。生き方として先頭に立てば良い悪いではなくどうすれば上手く行くかそれしかない。思考事態良い考えが無いと前に進めない。悪いものを排除するだけのこと。マイナス言葉を口に出してると必ずマイナスになる。プラス言葉だけを口にする、必ずプラスになって明るく幸せになるものなのです。どんな時でもプラス思考で考えることが大切です。深く深刻考えて身体にいいはずがありません。現代はストレス社会でちょっと見弱そうに見える人間、大人しそうな人間捕まえて表面の印象だけで暗い、マイナス思考などというレッテルを貼ってしまう意気もあるかもしれないが自身が感じて思うことであって他者の判断ではない。思考は、慎重な行動をするときに必要な思考であるけれども迷い過ぎて決断が出来ない時は深みに填るのです。マイナス思考だけで生きるとことは不可能です。マイナス思考から危険を回避するという考えれであれば最高である。
2011.02.14
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プラス思考に変える生き方 失敗する可能性を全て消せば、残るものは「成功」だけなのです。自分にとってプラスになるような考えだけで、一切マイナスの思考パターンを持たない。もしかしてとか、否定する生き方や悪く考える想念はすべてにおいて決まらないし決めたとしても不安が起こり又かき消してしまう。訓練して許せる容量を増やすことしかない。気が小さく失敗を恐れるタイプはもっと深く掘り下げていくつものパターンを考える癖をつけ、客観的な側面を培うことが必要です。この世は何をするにしても失敗はつきもの。唯その許容量を増やし何が起こっても腹をくくる肝が居る。ただリスクに惑わされては進歩や発展が無い。どの位許せるか辛抱が出来るか、損得ではなくただ成功すること、成功するだけの想念を抱き一斉悪い考えを一部たりとも考えから排除する。もしもの時の覚悟、最悪のバターンを胸に持って恐れない強い気持ちを持ち続けることが何より大切。何をするにもリスクはつきものでいい面ばかりを思い、そのことだけに神経を集中して成功する思い絶えず持ち続けることがプラスに働き何も思い煩うことが無い。悪く思えば悪くなって収拾が付かない。泥沼に入って抜き足差し足ならない。悪く思えば思うほど悪い方に突き進んでいく。目標に向かってどんな困難なことが起こっても乗り越えて努力する以外に無い。どんな困難なことが立ちはだかっていても前に向かうこと以外考えない。引くことを考えてはならない、プラス思考になる鍵だ。一瞬たりとも立ち止まらない。隙のない生き方から生まれるのです。悩むことや心配することは自分に隙があって甘いから。悩む時間があることは贅沢に生きているのかもしれない。プラス思考を持つものは過去にかってない地獄落ちを経験している。前に立ちはだかっている大きな山に対して気持ちは縛られるかもしれないが最大のリスクを読めて、これぐらいなら許せるものだと知っているのです。それは人生の瀬戸ぎわを体験したものだけが知っている。最大、最悪、最低、惨めさ、放心、生き死ぬ地獄を経験したものだけが知り得ている、身体にたたき込まれた魂が覚えているのです。こんなことぐらいでへこたれない思い。根性。身体の芯から跳ねのける地獄行きの苦しみ、又もや失敗するのではないかとよぎって歯を食いしばる思いと不動の覚悟。二度と地獄に落ちないと必死にモガキ、失敗は許されない思いの精神が蘇るからです。身にしみた辛さがどんなリスクもプラスに転化するのです。たとえば交通事故をしてしまった、怪我の程度から必ず回復する状態であれば、これぐらいで済んだのは運がいいのだと思えるし、運の悪い場面から反対の運が良い場面を重ね合わせて、これぐらいで済んだのだと解釈することがプラスの思考回路。こころのバランスを保つためには、常に反対の感情、反対の状態を思い浮かべ、今の状態とは逆の立場や考え方を自分の中でイメージすることが必要です。このことはプラス思考という回路を作るのです。苦しい時や不安な時は自分を変えようとして反対のことをイメージし、喜んでいる時は逆の立場を思い浮かべることをする。プラス思考とはバランスであり、常に反対のことを意識的にイメージすることであり、行うことです。意識的に逆の状態をイメージすることが必要なのです。辛いとそこからもっと悪く考えたりする、思考回路は止まってしまう。マイナス思考の危険な所は、失敗を人のせいにして、自分の責任を転嫁してしまう事にある。 自分を成長させたいと思っているのであれば、責任転嫁は一番してはならない。マイナス思考は責任転嫁を自然としてしまって、それを正当化する理由を自分なりに作り上げてしまうので、人生を大きく損してしまう。失敗や損失はこの先の肥やしになって良い経験をしたとお金や時間や無駄と思わずお金で買えない体験であるとプラスに考えるようにする。必然的に成功に大きく近づく事になるのです。人生の成功を得るためには、自分にとってプラスになるように考える必要があり、プラス思考になれば人生は思い通りになっていくのです。物事をするにあたって最大に考えて最悪のことも想定しているのです。要するに肝っ玉が大きいのです。そこから生まれるリスクはこれだけは許されると考えれば失敗や損失が想定内に収まり、遊びの幅をたくさん取れば思考回路をもう心配ない。何とかなる! プラスになるための思考が出来ないために、同じ問題で何度も失敗し、前に進むことも出来ません。さらに、いつまでも嫌な気分を引きずって生きていかなければいけないのです。此れも訓練、プラス思考で病もないし、明るく働くことを厭わない。
2011.02.11
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誰でも悪口は嫌なもの 悪口はしょせん下品なもの。決して言ってはいけない。商売をしていると諸に人としての心の持ち方が問われ言った言わないなど、すぐにお店の結果に反映する。そしてお店の評価になる。人に気を使い自分を持たない生き方になっているかも。影であっても一切言わない。そうだねと合わせたりしない。ママが言っていたと受け取られかねない。常に中道的ですべて客観視する。お客様に対する感謝の気持ちがあって悪口は言ってはならない。良いところを見ているようにしているので言わない。これだけは絶対商売の信念として心している。 また平気で人の悪口を言う人の愚かさを知ってるからです。嫌な人、嫌いな人、と区別せずすべて私のお店を選んで頂いた方だと思えばその人となりの心の持ち方が変であっても理解してそれに対して自分が合わせて一切文句を言わない。あえて言う時は意見を求められた時ぐらい、悪口ではなく当たり前な人として生きていく道は何であるか、意見であるのかもしれない。見えないところで人が常に努力をしている過程を想像するだけで、生き方は違っても立派であると自然に尊敬の気持ちが湧いてしまう。人に気配りをし絶対に人を地獄に落とすことはしてはいけない。良ければと願って言っているのかもしれないが本人は気が付かず恨まれるだけ。物事に善悪はない。己が感じていることが正しいと思っているだけのこと。何を良しとし何を悪とするかは、個人の意思次第です。他人の悪口を言ってる人を近くで見ていると嫌な気分になる。自分はこういうことをしないでおこうと常に思う。悪口を平気で言う人って異常に見える。言わねば気持ちが収まらない自意識過剰、それも一種の病気である。自分を正当化するだけのこと。自分がするのではなく人が必ず評価するし、天罰があるのです。気付きの問題だけのこと。 頭が良いと思って、自分の見方が正当としか思えない嘘話に聞こえる。悪口を言う人は自分では言ってることに気づいていない。悪口って聞いてるほうはいい気分しない。人を陥れて自分が優位になりたいのかもしれない。プライドの高いタイプで平気で人を悪く評価する。優位さを保つためには人の欠点を上げれば満足するのだから、共に生活をするとなると相当の覚悟が居る。それを口にしないで、自分の中で消化しようと思うこと。反対に自分の悪口を言うべきである。自分の悪口を言うのはだれも怒らない。いやむしろ喜んでくれる。自分を解放する、そのことに気が付くと人は距離を縮めて良い関係を築くことになる。自分の悪口や欠点や失敗を言うと人は安心が持てるのです。気持ちの上で相手も同じ失敗や敗北を認め気安く語れば同じ人間として安どする。さらけ出すことは容易ではないが付き合う友として本音で居られて肩の力が抜ける。見栄も外聞も虚栄心もない、自然体でバイオリズムであらぬ詮索や奢りもない。余分なエネルギーの消費が無い。人の表面的な良い面ばかりを見ていると自分のある姿の実情から惨めさが募るのです。反面悪い面を見せられると同じ人間として生き方に共感や同じであることに勇気が持てるからです。悪口はコンプレックスの裏返し、悪口は人間関係にはつきもの。悪口を言われて小さくなる必要も無い。考えの違いとして突っぱねる気持ちが大切です。
2011.02.09
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感動すると人は動く 人を動かすコツ。すなわち命令によって人を使いこなしたり、人をつかわねばならないノルマをつけたり、自分の思うままに人をつかうのが常である場合が多い。決して人は動かない。人を使いこなす知恵として理屈や理論や知識で人は動くと信じているかもしれない。そんなことでは人は決して動かない。人を動かそうと思ったら、まず心を動かさなくてはならない。人は心がそのように感動するように喜びを与える。人間は理屈では動かないのである。人を動かせるには心に感動を与えることである。感動が人を動かす。感動すると、人は動く。理性ではなく魂に 響く。感動の多い人は人に好かれる。 感動は感じたままに動く人に よく起こる。感動は心の扉を開き自らの気持ちが前向きになり躊躇しない。どんな時に人は感動するかといえば、人を思いやるという時である。人は誰も見えない種類の苦しさを隠している。人は苦しければ苦しいほど、その心を思いやってくれる人に感動する。思いやると言うことは他人の事を自分のことのように心配することである。人の琴糸に触れるようになる。そんなとき人の心はしびれるのです。気配りが出来る人は弱い人も強い人も温かい心を送り励まし続けられる人である。感動は嬉しさや好奇の心から生まれる。感動があるから動かされ憧れとなる。自分自身で何かに満足したり、感動したりすることがないという人がいる。それは満足や感動がない。人を思う心が無いから。自分中心にすべてのことを考え、感じているので相手のことが解らない。どうすれば自分にとって人に満足や感動を与えられるか。人に満足や感動を与えるには、それを提供している人が満足や感動を感じるということが大前提だと思います。自分が満足や感動していないのに、人に満足や感動を与えるのは難しいのです。感動してそれを実践してからこそ本物です。
2011.02.02
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こころの偏った状態を変える 心が偏るとはひとつの感情や考えに囚われている時です。自分の気持ちが変えられない時です。こころの自然な状態とは、無対立をしない・無条件である・無欲の時です。この状態の時には、こころの動きは穏やかに流れ、気がかりなことやわずらわしさを感じません。こころのバランスを保つためには、常に反対の感情、反対の状態を思い浮かべ、今の状態とは逆の立場や考え方を自分の中でイメージすることが必要です。このことはプラス思考という言葉に結びつくのです。成功した時や大きな喜びに包まれている時にプラス思考をすることは、多くの場合は思い上がり、うぬぼれて、自分を見失うことになる。そのようなことを戒める、勝ってかぶとの尾を締めよ。苦しい時や不安な時は自分を変えようとして反対のことをイメージしたり、喜んでいる時は逆の立場を思い浮かべることをしないからです。バランスとは、常に反対のことを意識的にイメージすることであり、行うことです。この"感覚"を意識的に行うことが「バランス感覚をひらく」ことであり、表も裏も、善も悪も、成功も失敗も無いのです。常に一体となって生活の中でバランスをとっているのです。意識的に逆の状態をイメージすることが必要なのです。自然法則とは、変化・バランス・安定であり、変化しながら、バランスを取り、安定して、次々に繰り返している。バランスがとれたからといって、そのまま安定して動かないのではない。安定したと思うのは自分の中だけなのです。世界も宇宙も常に変わってゆきます。まわりが変化しているのに、今のままの自分で安心してしまうと、バランスを維持することができなくなる。たえず、自分を"変化"させながら、バランスをとってゆくことが必要なのです。固定化した決まった生活をしていると変化は困難になり、自分を変えたいと思わなくなります。人は健康で生活に困らなければ、生活を変えて新たなことを始めたくない。今のように変動の多い時代になると、リストラで仕事がない、就職ができない、人との付き合いもできないなど、生活をしていくことさえ難しくなってしまう。変化できない人ほど、自分の生きる道を失ってゆきます。今仕事を続けていられる人はその喜びをいつも感じているでしょうか? 仕事の不満や愚痴ばかりをこぼしていないでしょうか? 固定化した自分の生活を変え、違う世界を見て、常に新しいことに挑戦してゆくような変化のある人生を過ごす。自分の生きてきた道の逆の状況をも体験し、変化にも対応出来る、巾の広いこころと生活を創ることにつながるのです。思い切って未知なる世界に挑戦することも自分磨きになるのです。不安と緊張の中から得るものは喜びに繋がって行きます。
2011.01.31
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血糖値の安定が心を安定させる 一過性の高血糖状態は大量のコーラーの一気のみやインスタント食品やスナック菓子をより多く食べることに繋がる。 炭酸飲料やコーラーやアルコールや甘いものを多量に食べ続けたり、過度のストレスを受け続けると副腎の機能が弱るため血糖値は不安定になる。 身体は正常値に戻す力がより働き低血糖になる。 そこで我慢すればいいが空腹感を抑えられず甘いものに手を出し、食べる空腹の繰りかえし。 すると無気力、疲労感が強く物事に対する興味・関心が低下してしまい、何事をやっていてもつまらなく思えてしまう。 喜びの感情がわいてこなくなり「不安・焦燥」の症状から精神運動が制止するのです。 疲れきってしまっている副腎の機能の特徴として朝から午前中のうつ症状や疲労感が強く夕方になれば回復すると言われている。 これらに症状で精神科のドアを叩けば必ず何らかの病名が付けられ治療として必ず投薬がなされる。 7-8種類薬は常である。 病まなくてもよかったのに病み、誤診され誤った治療をされる。 今や医術よりも儲けに走って薬ずけにされる患者達。 医者の過剰な投薬が人を荒廃させて病が創られているきらいがある。 医者に掛りむしろ文明病にさせられ苦しんでいるかも。 食べ物が原因でうつ状態なっている、回復するケースなど間違ってうつ病と診断されてしまうケースがあることを知る必要がある。 精神疾患と低血糖との関連について見解を明らかにすべきであると2008年の国会で取り上げられたことに記憶がある方もおられると思います。その時の回答が次のようです。 「低血糖は血糖値が生理的な調整範囲を外れて低下し、そのために中枢神経系および自律神経系の機能異常をきたした状態であると承知している。低血糖症による中枢神経系の機能低下に伴う症状として行動変容や錯乱等の精神症状を生ずる場合もあると承知しているが、ご指摘のような治療例や知見については承知しておらず、一般に低血糖症により統合失調症、うつ病またはパニック障害が発症するとは考えらていないと承知している」 「低血糖症の治療には薬代がかさむため、医療面、経済面での支援の検討を望む声が強いが、見解を示されたい」 「低血糖症そのものに対するブドウ糖の投与など一般的な治療については、保険適用の対象となっているところであり、低血糖症の治療について、あらたに医療費の助成等の処置を講ずる必要は無いものと考えている」 低血糖症の認識は未だに低く認知が進むかもしれない。 日々ストレスを受け続けていると低血糖を引き起こす原因にになっているのです。 薬を処方されるが、症状を抑えるだけで、殆ど問題の原因を治しはしない。 あくまで対症療法として使われていることが多いのです。 血糖調節を安定化することそれは心を安定化することの基本である。 すべて無知は怖く良い試験台にされていることもあるのです。 医者は患者自身の訴える症状しか診分けがつかず、自己申告に近い訴えがすべてなのです。 後は検査による結果に頼っている現状です。 何でもいかなる時でも医者に頼り切ってすべてお任せ状態では一向に医療費は減らず増え続くのみです。 正しい生活の知恵を知り、ハングリー状態で生きることはすべてに恩恵をもたらすのだと思います。 如何に血糖値を安定させるか、生き方に掛ると思います。
2011.01.25
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柴田トヨさん 今何故興味が薄れるのでしょうか! 最近は男女お互いのホルモン値が下がり、お互いがお互いに興味を持たなくなるという時代に徐々に成りつつあります。 「環境ホルモン」とは、生体の成長、生殖や行動に関するホルモンの作用を阻害する性質を持っている化学物質のことです。 内分泌系は、どのようなホルモンでも、その過剰や不足により病的症状を引き起こす。 内分泌撹乱化学物質は、本当のホルモンの働きを撹乱したり、ホルモンの働きを邪魔したりして、生体の生殖や発育という基本的機能に障害を与える。 人類の滅亡の原因として環境の変化なども言われています。 原因は分かっていませんが、男性ホルモン量低下、精子の量や数なども明らかに低下しているという。 周りに魅力的な人がいない。 よく耳にする言葉ですが、いないのではなく、興味を持たなくなったと表現する方が適切かもしれませんね。 このような環境ホルモンの影響が及ぼしていることも否定できません。 悲しいですが、現実のような気がしてなりません。 過度のストレスが原因だとか、時代の移り変わりによる環境の変化だとか、いろいろ原因についてはささやかれていますが、しっかりとした根拠は誰にも分かりません。 逆に言えば私たちはいかにホルモンに左右・支配されて行動しているかがこれでも分かるというわけですね。 趣味や周りのあらゆることに興味を持たなくなれば痴呆の始まりとも言われています。 個人的にはやりたいことだらけですが。 その反面、ある日、急にそれらに興味が無くなる日が来るんじゃないかという恐怖もたまに考えたりします。 年を重ねても詩集を発行している素晴らしい脳を創り続けている可愛く、愛らしい、おばあちゃんがおられます。 99歳詩人の初詩集「くじけないで」が100万部柴田トヨさんです。 おいくつになっても優しさや思いやりに満ちた気のパワーは全開です。 年を重ねているもいつまでも若く有りたいものですね。 それもまた人に見られている鏡の現象、心理状態はより意識するホルモンとして若さを保つことに影響してくるわけですね。 とにかくすべてのことに興味を持ち「好きだ」という気持ち、忘れないで持ち続けたいものです。 生きる活力にも繋がってきますね。 仕事一途な人生で何も出来ず我慢の生活を余儀なくされ、無性にハングリー精神が何かを求めているのかも。 もっと稼ぎたい、もっと人生を楽しみたい、もっともっと。 湧き水のように溢れ出てくる気力を何までも持っていたい。 身体の偉さやシンドさは休憩すればリセットするもの。 そのためにはまずは脳の機能を最高にセットするしかないと思うのです。 良い心を創り喜び感謝するしかない。 生かされているのですね。 その気のパワーは食べ物ばかりではないようですが、でも体を助けると思って菜食と玄米食に心掛け、ローカロリーで腹7分目に心している。 身体は余剰の食べ物が負荷となす、病気が良いたとえである。 気がみなぎるのは喜びがあるか否かの違いだと思います。 バリバリ働いて、バリバリ稼いで、美味しい物(体にいいもの)を食べて、時間ができたらやりたいことをバリバリやって、そして稼いでいる人たちからまた活力をもらう。 活力のエネルギーの産出するスピードが非常に速いと思わされるような人が多い。 そこから生成されるエネルギーも普通に生きている人に比べると段違い。 それがそのまま気力の差に繋がっているように思えてなりません。 活力を持ち目標に向かって貪欲に生きる。 そのように生きたいのです。 残された永遠のテーマとして追求したい。
2011.01.18
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腹を立てない 怒ることは他人の間違いのために自分が損をするようなもので愚かな行為である。 怒りは体に多くのトラブルを引き起こすので健康のために腹を立てないことが重要である。 腹を立てないということは我慢することではなく、心身の修錬を積み、心にゆとりを持つ事であるのです。 怒りは内面から発生することなので、他人の力ではどうすることも出来ない。 衰弱してしまった体は、たったの一度の癇癪で命が危険にさらされることがあり、もともと痰の多い人が怒りの感情を強く持つと激しくせき込み、痰が絡んで窒息死に至るケースがあるのです。 体へのダメージを最小限にすることがとても大切である。 立腹した後は足の甲(足の親指と第2指の付け根のあたり)大衡のツボをマッサージすることで気を下げることが出来ます。 痛みが感じなくなるまで繰り返しマッサージするとよいのです。 肝臓の気を下げること、食べ物ではミカンやだいだいの皮を干したものや山芋がいい。 日常生活の中で思いどうりにならないときも怒らず、他人の過ちを許す広い心を持つこと。 人は怒ると体が戦闘状態になるのです。 癇癪を起したとき肝臓の気は上昇して頭頂部まで昇り、頭頂部を発熱させ、薄毛になりやすい。 怒りが激しく爆発させると、肝臓内で出血するし、さらにひどくなると吐血することさえもあるのです。 この場合は肝臓からの出血で、怒りの程度が軽いと血は肝臓内にたまり、血瘤になる。 生気は目に見える怒り、心にため込んでいる不満や怒りも体に悪影響をもたらす。 気の逆流で潰瘍やがんにもなるのです。 血気が盛んな若者の場合白血球を多く作って胃腸のトラブルの解決をしょうとするため若年性白血病の本当の原因は自らの怒りの感情からくる。 怒りは肝臓に熱を発生させ、肝臓の熱もさらに怒りっぽくさせるのです。 怒りは肝臓を傷つけさらに怒りっぽく、悲しみの感情は肺を傷つけ肺が傷つけばさらに悲しくなるのです。 生きることは腹立たしいことに囲まれ、ついつい文句が出てしまう。 怒らない生き方は如何に心を穏やかに、平常心を創るかに掛ってくる。 広い許す心は宗教に限らず、自ら打ち勝つ訓練以外にない。 ほとんどの病気の原因が怒りであると断言できるのではないかと思うのです。 豊かさは安心につながるので、日日懸命に働きその中で安らぎを見いだしていくことだと思うのです。怒りたい気持ちを抑えるのに食べもので紛らしたり、衝動買いに走ったりすべて自身の気持ちが優位に立ってしまうからです。相手はそれどれに言い文があって、それを理解することに勤め好い関係を築くことが最大に気を使うことしかない。それには自分を持たない生き方だと思うのです。すべて丸く収まり、平穏な日日が幸せとなって叶うのです。
2011.01.09
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清貧な生き方 正月早々この寒波で咲いていた花は元気なく雪交じりの風雨に一網打尽。 シンボルである花は私と同じで元気印で有るのです。 昨日とは打って変わって穏やかな晴天日、ドライブを兼ねて、早速土と花を買い楽しんだのです。 サクラソウ、可憐なとりどりなパンジーを一杯。 鉢の土を掘り起こせばそこにはミミズが一杯生まれている。 自然の状態で育てているのでびっくりした。 きっと花も喜んでくれるに違いない。 自然をこよなく愛しているので何をしても幸せを感じる。 マイ畑には自然の野菜が実に良く実っている。 自然なオーラー、生あるものと共存する。 誰かに指図されるわけでなくの自らの心が人を照らし、気をほぐし、癒を与え続けているのです。 毎日一つ一つの石垣を積み上げるような人生であるかもしれません。 人を思う心を創り生きて悔いがない。いつの時も変わらず、横道にそれることも知らず、迷いもなく一本道しかない、たとえ何がしの事があって寄り路をしても軌道修正は出来ている。 どんな困難な状態でも、未塵にも人には手の平を見せない生き方をしたのです。 親であってもすがることもなく弱音や泣き所を見せたことがない、常に受け身で商売をさせて貰ってきた。 自分が決めたこと大変であることは始めから分かっている、愚痴はこぼさない。 困難や喜びも含めてすべてが人生。 お客さんが主体である仕事。 来てもらえるように仕事をして当たり前、自分勝手な生き方はお店は今や存在しないもの、昔に潰れている。 辛くてあたりまえ生きることに断じて甘えはない。 いい気のエネルーギーに徹している。 いかなる問題があろうとも常に変わらぬ気のコントロールする平常心が必要なのです。 耐える、やる意志、相手の気持ちを一番察する気はお客さんに来て頂いていることに感謝することからくるのです。 日々繰り返しの中から、如何に喜ばれるか自問自答し多くの事を学んでいく。 信用を第一で如何なる事態であっても不本意に休業をしないように気を付けてきた。 険しい道を選んだことが人生の始まりですが何があっても変わらぬ心を持つことが大切であると思っている。 行きたいところも見たいと思うこともない、怠けたいとも思ったことがない。 時間との戦いの毎日しか知らないし他を知ることもない。 それが不幸か幸せか分からないが何も疑うことを知らないゆえ生まれたままの心を持って勘ぐらず、すべて肯定することことが出来たのです。 元々心配する性格でないので暴走することあったかもしれないが、心配性の旦那が歯止めになっているのかも知れない。 でも長い年月一緒に暮らしてきて思いは分かっているので、彼ならばこうするだろうと思う心が働き戒めとしてなしている。 今は限られた空間の中だけですが思いは果てしなくおおきい。 事を荒立てることもなく、争う気もなく平穏に無理のない生き方をしていくそれが最高の生き方だと感じられるのです。 心拍数が上がることがない、平常心を持つことに尽きると思うのです。 日々の小さい出来事の中に大きな喜びを感じ、誰とも壁を持たず、会話は相手の目線を上に感じて話を聞く。 朝昼夜毎日変わりがないのに、時という刻まれた限られた時間をメー一杯果たしている、無駄にしないことに感謝する。 訪れてくださる方々の僕となって、心を入れ注文に自分を発揮する芸術作品を創らせてもらっているのだ思いを入れている。 その中で人として織りなされる事がらすべてどんな小さな些細な事で良い日々の数々の問題に心を傾けて、生き方の相違を見つけて語り励まし、少しでも人様の手伝いが出来る喜びを知る。 優しさ、美しさ、微笑み、慈しむ愛、うけとめて母性愛を差し出す瞬間は幸せの坩堝です。 この世に生を受けてすべてを受け止め何物にも動じない生き方を知ることは仕事から編み出された賜物以外にないと思うのです。 この世に存在することの意味は人を癒しにすることにあるのかも。 怒り、不安、恐怖、無縁、いや、この世の苦しみ嘆き、痛み、はどこかに置き忘れ、今ある日々を懸命に明るく人の幸せを願って生きている。生きるすべてを愛してやまない。 有り難うの人生。
2011.01.03
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あけましておめでとう。 元気で新年を迎えられたことお喜びいたします。 今年で67歳元気であることに感謝しています。働きづめであるが日々の積み重ねが何十年となっただけ。 何故こんなに勢いがあるのか、病気も知らず風邪も引かず不思議に思います。 神様は私の心に住んでおられるのかもしれない。 人様とかかわって生きている事が秘訣のような気がします。 時間に追われ仕事に追われ何を先にするか、スケジュールは緻密に狂いなくこなしていく。 お客さんとの話を優先すると仕事に支障が来る。 タイミング計り、時間的に許されるかいなかで大いに盛り上がるように気遣うのです。 こんな年配者のおばさんが元気を出しているのにモグラのように勢いが少ない君たちに一言。 どうしたのかと問いたくなります。 生きることは体裁や見栄では生きれません。 素直で正直に前を向いて、悪いように思わないことです。 すべて善意に解釈する。 人の気持ちを理解できる人間になること。 働くことを好きになること。 どんな仕事でも必ず人とかかわっていること知ること。 サー勇気をだして殻から出よう。 自分の殻を破って欲しいのです。 不登校さんや引きこもりさんやニートさん訳はいろいろあるのは分かるのです。 そんな生活は貴方が願っていることではないはずです。 生きるための人生は貴方のもの誰に遠慮がいるのですか。 何に怯えて息をつめていなければならない理由はないはず。 生きるのに良いとか悪いとかなど問題ではない。 生かされていることを知って欲しいのです。 人様のものを無断で取った訳でないし、犯罪行為をしたわけでない、何故に正々堂々と社会に大手を振って生きていけないのでしょうか。 いい人を演じ切って疲れたのですね。 ハッキリと自分の意見言ったことがないのですね。 相手からの攻撃が耐えられなく怖いのでしょうね。 失敗をなじられたり、出来ないことを言えなかったり、どうしたらいいのか迷ってめちゃくちゃになって判断が出来なくなってしまっただけなのですね。 気が小さくなってしまって消沈しているんですね。 それらは小さい時に失敗を重ね、転んだり喧嘩したり冒険を重ねて怒られることに慣れていれば問題がないのですが、何時の場合も気を使い怒られないように自分を抑えぶりっこしていたのでしたね。 気兼ねばかりして違うと意見が言われない性格が何かの拍子、切っ掛けに自分を見失ってしまったのですね。 誰かの救いの手が有ればいいのかも知れないが、外に出るのを怖がっているだけですね。 だけど外の人たちは貴方が思っているほど何も思っていないのですよ。 少し外は肌寒いかもしれない。 風邪をひくかも知れない。 でも外の空気は当れば当てるほど慣れるもので、しらじらしいような目線が気になるのが分かるが勝手に貴方思っているでけなのです。 意識しすぎであるのです。 過剰な自意識が勝手にに思い込みの自分を創り自分自信を狂わせているだけなのです。 人の事を過剰に思いこむそれが被害者意識を創っているのです。 みんな自分の事に精いっぱいで、人の事には無頓着で生きている人がほとんどであるのです。 貴方が繊細で拘っているだけなのであって、外の誰もは自分が思っているだけで外に現れないものに限って何も思わないのです。 見えないものを気にして生きていることに気がつくはずです。 自分が勝手に思っているだけということが分かれば何でもない事に気がつくはずです。 貴方が一人思っているだけで貴方の心が勝手に思いつめているだけなのです。 まだ若くこれからの人生は貴方のものですよ。 家に引きこもっているが本当は悪いことと思っている。 時間が自分をナイーブにしてしまっている。 機会が失われたのかもしれない。 もう怖くない勇気を出そう。 みんなつまずいて、こけて、何度もくじけそうになって強くなっているのだよ。 さー目線など気にしないさ。 勝手に目線を意識しているだけ。 何も誰も貴方が意識するほど世間は思っていないのだよ。 貴方の背中を押してあげましよう。 手を貸しましよう。
2011.01.01
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機能していない家族 カゲのうすい父親、過干渉的な母親が家庭病理を作っている。 発達障害と心的トラウマが絡み合って社会病理現象の背景がある。 長期の引きこもりやニート、青少年の凶悪犯罪が増えていることが物語っている。 天才のなかの悲劇と数奇な犯罪の根であるとも指摘している。 「愛する」よりも「知ること」を選んだ天才、レオナルド・ダ・ヴィンチ だぶだぶのセーターとカール・ヘアー、支離滅裂、アインシュタイン 母親のひざに身を寄せられなかった文豪、夏目漱石 発達障害と心的トラウマの複合した猟奇的犯行、酒鬼薔薇聖斗 衝動性、攻撃性、多様な才能の偉人たちと犯罪者たち 部屋は滅茶苦茶、一つのことをやり遂げられない「天才」、ピカソ多動性、衝動性、情緒不安、モーツァルト 短気で不器用、純真、ベートーベン アルコール依存症の父から虐待された独裁者、ヒトラー 助けてもらえない不安」に包まれた、ダーウィン 母親に甘えたことのない不安な少女、ダイアナ妃 増えている「ニート」の背景にも夢を追い続ける青い鳥症候群かもしれない。 母親のひざに身を寄せられなかった文豪、夏目漱石 発達障害と心的トラウマの複合した猟奇的犯行、酒鬼薔薇聖斗 衝動性、攻撃性、多様な才能の偉人たちと犯罪者たち 部屋は滅茶苦茶、一つのことをやり遂げられない「天才」、ピカソ多動性、衝動性、情緒不安、モーツァルト 短気で不器用、純真、ベートーベン アルコール依存症の父から虐待された独裁者、ヒトラー 助けてもらえない不安」に包まれた、ダーウィン 母親に甘えたことのない不安な少女、ダイアナ妃 増えている「ニート」の背景にも夢を追い続ける青い鳥症候群かもしれない。 テレビを見る、ゲーム・インターネットと付き合う依存症。 母親への甘えを抑えていた子供の不登校 、モデルとなる父親がいない不登校。 性的虐待は重い傷跡を残す子供しか愛せない小児性愛者も「虐待された虐待者」すべて深刻なトラウマに繋がる。 リストカットは救いを求める心の叫び、 親に言われた小言や愚痴が深く突き刺さっていることが多く、何気ないひと言に傷つき、反発できず、ウツウツとした気持ちを引きずっている。 人間不信に陥り、自分を追い詰めて暗い人間になり、「あのひと言」に縛られ自分を傷つけてしまう。 リストカットする子には、感受性が豊かで、繊細で、人の気持ちを推し量り、自分の内面をよく見つめる子が多く、何気ない言葉に深く考え卑下する。死にたい!葛藤が有る子どもは、小さい頃から「いいんだよ」という言葉をかけてもらっていません。 ずっとその逆を言われ続けています。 だめだだめだとレッテルを張られ、言われ続けて育った子どもが、自信をもてるわけがない。 自己肯定感をもてるわけがないのです。 生きる希望に満ちるわけがないのです。 だから自尊心が培われず、行き場のない閉塞感をもってしまっているのです。 子供から親への家庭内暴力もしかり。 子供に言い聞かせてきた言葉の虐待が帰ってきただけで力関係が逆転して起こったのです。 すべて家庭環境が破壊され不全になっている。 機能していない。 背後に父親不在の家庭や母親の過干渉がもたらすことが原因と化している。 増え続ける子供への虐待などはお互いの思いが通じない結果に起こるべきことであって、家庭がもろく崩壊して仕舞うのである。 愛情の裏打ちされたものがない、弱いものへのしわ寄せ、守ってくれるべき親はそこにはいない。 お互いの利害以外にない希薄な関係が破綻をきたす。 親から安心というものを受ける事により、何も恐れない勇気得る。 慈しみの愛情に育まれていればどんな過酷な環境にあっても凌いで生きていけるもの。 すべて幼いころの家庭環境に根付くのです。 今は働かなければ食べていけない社会。 生活レベルが低くなるのもお金社会だからです。 貧困化して強いものと弱い者との格差が歴然としている。 増え続くニートや夜行癖が治らず夜の世界に徘徊する若者たち。 何かを求めて夢を追い続ける青い鳥症候群。 誰かにすがり孤独に耐えられなく恋愛に依存する症候群。 生きることはどれだけ勇気と根性がいるか、幼少期より思いやりと愛情たっぷりで自立する生活を教えなければならないと切に思ったのです。 (診療内科医 星野仁彦著からの一部抜粋)
2010.12.30
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大変な目にあっている彼 結婚生活は破滅状態。相手から与えられる数々の嫌味の攻撃は止まることを知らない。家に居るだけで顔を見るのもいや、気に食わないと当たり散らされ物は投げるなどエスカレートし挙句は足蹴りに会う。生活費は彼がすべて面倒を見ている、治療費のステロイドホルモンの費用も6万円と安くはない。感謝が出来ない、相手を否定する生き方、人の事を良いように思わない性格はすべて自分の体に災いとなって帰ってくるのです。此れも試練と相手にせず成されるままに我慢する生き方は許すことが出来るかどうかにかかってくる。彼女は外ずらが良すぎてストレスが多すぎるらしい。大人しく黙り戦術が気に食わない、掃き溜めにされた生き場のない思いがぶつかる原因なのかも。相手にすれば相手にしたと文句が付けられる。いくら彼を打ちのめしてもブレーキという歯止めがない。許さない性格で相手の事を何も思わず奈落の底まで突き落としてくる。一緒に住むことは至難の業で朝から夕方まで神経は高ぶって当てつけに掃除をしたり片づけたり終日イラついている。ご飯ごしらえもしてもらえない。相手は怒り狂っているので食べなくても平気らしく興奮状態が続くばかり。収まらず怒りのオンパレードが延々と果てしない地獄を味っている。嘆かれるが彼の顔からそのような苦難は伺えない。悲観とは対照的な顔である。旦那のことを少しも理解しょうとしない勝手気ままで、神経質。指はやせ細り骨だけの鶏状態。彼は40歳を過ぎた今、不動産業を一人立ちを決めた矢先。これからが一番大変な時期であるが決死の覚悟で違った形で仕事に全力投球できるエネルギーが生まれるかもしれない。奥さんはリュウマチを患い副腎ホルモンを多用している。この薬も手に負えない症状が加味合わさっているのかもね。これが夫婦の鏡の現象とするならば旦那にも不甲斐なさが有るのです。彼の潜在的な手においては何も考えずのらりくらりと何か刺激がないと動かないところがある。頑張って家族の為を思う人ではない。でも怒られて火が付いた状態で果敢に気が走って今があるのかも。それが右手の顕在意識に描かれている。矢張りパートナーは選ばれた人であるのです。彼の手を見ると今やらねばならない現状がハッキリと刻まれいい方向に突き進んでいる。でもお金に対して関心が無い分苦労が付きまとうかも。金銭感覚が無いとすべてに波及して夢も希望も無残にかき消されてしまうでしょう。お金に対して迷惑をかけない生き方も大切である。神経症は状況次第では、誰にでも起こりうる病気なので、どんな性格の持ち主でも生ずると言える。神経症になり悪い面が出て自己中心的で他人に対する配慮が欠けている。愚痴っぽく石橋を叩いても渡らないほど慎重で失敗も少ない面もある。ヒステリー的、わがまま、強い依存心、虚栄心、見栄っ張り、自己中心的、極度の負けず嫌い、虚言傾向、短絡的であるのです。自分だけ一生懸命だと利害関係が露骨に表れ、表面化するのです。偏った性格であるのです。離婚するか否か迷って居られるようですが相手はあなたを失うことは目先の利益が損なうことになるから絶対に分かれないでしょう。ホルモンで身体が誤作動していることも違いない。大きな心で包むことが出来るかどうかあなた次第。何時でも結果は出せるかもしれないが添い遂げて子どもの将来のために頑張っていい仕事を残してそれを生きがいにすればいいのではないのでしょうか。辛い伴侶と共にすることはあなたが成長する以外にないのです。
2010.12.20
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呟き! 不景気が浸透してお茶も贅沢品なのか気安く来てもらえない。それだけ財布のひもは固いのかも。開店準備をしていて今までのように待ってましたように忙しいわけにはいかない。常連さんも減り続けている。どこの業界も同じなので苦しさは辛抱しなければならない。勝負は蓄えがあるかどうかにかかってくる、その日をしのぐのに精いっぱいでは先が見えない。倒産が目につくのは資金繰りが思ったように行かないから。人様のものを当てにするのではなく、余裕を持つこと、儲けがあるからと安易な計算はリスクあって危険すぎる。これが回収できなかったら駄目である等の冒険ははなからしてはいけない。低価格競争に乗れるのは資金力がものを言う。生き残りをかけた熾烈な戦いです。でも不景気な時に商売をしょうとする人の度胸に感服する。成功するには人間としての心底人の事を思いやる優しさ、利益を第一に考えるより感動を与えられる先見の明を持つ事。無駄を一切省き、合理的にするしかない、人の肝を抜くような優れた仕事をする。そんな人は人に信頼という付加価値があり、任せて安心で自分の事より請け負った仕事を優先する人ならば必ず成功する。商売はいま振り返っても懸命にやってきたので何時終りになっても悔いはない。仕事で今の自分が出来たと言っても過言でない。毎日毎日、来る日も来る日も、朝が来ればお店を開けてきた。商売がすべてで太陽が昇ら無い日があっても店は休んだことが無い。開けてきたことが生涯の仕事だったのです。それに付随するするべきことが山のようにあって、次々こなせなければならない事ばかり、いくらやっても朝になるとまた振り出し。何もなかったかのように同じことを繰り返しをやって来た。肉体は日々極限状態で逆撫ぜする感情に気持が不安定になり人前と違うギャップに感情が抑えられずいろんなこともあった。これらは人間として避けて通れるものではない。そんな些細な事にも敏感に神経が張り詰めて肉体は次々と意に反して病が起こる。強靭な肉体はある年齢を重ねてから出来たように思う。何があっても逃げることが出来ないと悟ってから諦めが強く、楽しんで毎日仕事をしょうと決めた当たりかもしれない。働いても思うように行かず辛いことが続き失敗や病気や人間関係の敗北やお金が回らない貧乏には閉口した。お店のスタッフの不満を溜めないように気を配ることや。苦しい葛藤、旦那の酒乱や子供の教育や躾けに気をもみ分刻みのスケジュウルの中忙しい合間を縫って翻弄したことや。自由の無い生活であったからこそ自分を捨てられたと思う。苦労が走馬灯のように恋しく思い返されるのです。お店をして40年は超過激で忙しく一瞬で過ぎ去ったように懐かしく思えるのです。店じまいの考える時期が来たにのです。この前の国道2号線が拡幅工事で幅29メートルの4車線で中央分離帯が出来ると前々から説明を受けている。最近測量や隣接との境界などの区切りにこられている。拡幅の工事が早いらしい。メリットは此処に住む者にとって無い。この店であっても駐車場が半分ぐらい無くなるので商売にならないし去る時期が来ている。向こう先の倉庫屋さんも撤去され1・3キロが計画として実行されている。その道路は分断され一方通行で有るからこちらにしては不利になるばかり。遊歩道や街路樹や自転車専用等の路肩や分離帯ができる。通行を主体に車の流れを着目した政策で不当な生活を強いられることになりそうです。いい潮時にあると思っている。旦那はほとんど寝たまま、体力がない分この寒さは身に堪え起きてはいられない。終日寝ている、寝れないことなどない。次の16日には運転高齢者講習が有る予定です。行けたらいいのですが有りきたりの力を振り絞っていってくれることを願っている。
2010.12.13
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