誰でも悪口は嫌なもの
悪口はしょせん下品なもの。
決して言ってはいけない。
商売をしていると諸に人としての心の持ち方が問われ言った言わないなど、すぐにお店の結果に反映する。
そしてお店の評価になる。
人に気を使い自分を持たない生き方になっているかも。
影であっても一切言わない。そうだねと合わせたりしない。
ママが言っていたと受け取られかねない。
常に中道的ですべて客観視する。
お客様に対する感謝の気持ちがあって悪口は言ってはならない。
良いところを見ているようにしているので言わない。
これだけは絶対商売の信念として心している。
また平気で人の悪口を言う人の愚かさを知ってるからです。
嫌な人、嫌いな人、と区別せずすべて私のお店を選んで頂いた方だと思えばその人となりの心の持ち方が変であっても理解してそれに対して自分が合わせて一切文句を言わない。
あえて言う時は意見を求められた時ぐらい、悪口ではなく当たり前な人として生きていく道は何であるか、意見であるのかもしれない。
見えないところで人が常に努力をしている過程を想像するだけで、生き方は違っても立派であると自然に尊敬の気持ちが湧いてしまう。
人に気配りをし絶対に人を地獄に落とすことはしてはいけない。良ければと願って言っているのかもしれないが本人は気が付かず恨まれるだけ。
物事に善悪はない。己が感じていることが正しいと思っているだけのこと。
何を良しとし何を悪とするかは、個人の意思次第です。
他人の悪口を言ってる人を近くで見ていると嫌な気分になる。
自分はこういうことをしないでおこうと常に思う。
悪口を平気で言う人って異常に見える。
言わねば気持ちが収まらない自意識過剰、それも一種の病気である。
自分を正当化するだけのこと。
自分がするのではなく人が必ず評価するし、天罰があるのです。
気付きの問題だけのこと。
頭が良いと思って、自分の見方が正当としか思えない嘘話に聞こえる。
悪口を言う人は自分では言ってることに気づいていない。
悪口って聞いてるほうはいい気分しない。
人を陥れて自分が優位になりたいのかもしれない。
プライドの高いタイプで平気で人を悪く評価する。優位さを保つためには人の欠点を上げれば満足するのだから、共に生活をするとなると相当の覚悟が居る。
それを口にしないで、自分の中で消化しようと思うこと。
反対に自分の悪口を言うべきである。
自分の悪口を言うのはだれも怒らない。
いやむしろ喜んでくれる。
自分を解放する、そのことに気が付くと人は距離を縮めて良い関係を築くことになる。
自分の悪口や欠点や失敗を言うと人は安心が持てるのです。
気持ちの上で相手も同じ失敗や敗北を認め気安く語れば同じ人間として安どする。
さらけ出すことは容易ではないが付き合う友として本音で居られて肩の力が抜ける。
見栄も外聞も虚栄心もない、自然体でバイオリズムであらぬ詮索や奢りもない。
余分なエネルギーの消費が無い。
人の表面的な良い面ばかりを見ていると自分のある姿の実情から惨めさが募るのです。
反面悪い面を見せられると同じ人間として生き方に共感や同じであることに勇気が持てるからです。
悪口はコンプレックスの裏返し、悪口は人間関係にはつきもの。
悪口を言われて小さくなる必要も無い。
考えの違いとして突っぱねる気持ちが大切です。