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お父さんは3人兄弟の真ん中、上が兄で下に妹がいる。上の兄が2歳年上で、妹は1歳下なので、物心ついた時から3人兄弟だった。お母さんは2人兄弟の長女で、下に弟がいる。年が4歳離れているので、性別が異なることもありあまり兄弟で遊んだ経験はないようだ。それに比べるとお父さんたち3人兄弟は、4年の間に3人生まれているので、よく一緒に遊んでけんかをするのが日常だった。 ちなみにお父さんの父親も3人兄弟で上と下に姉と妹がいる中間子である。昭和初期の生まれなので、長男としてかなり大事に育てられたようだ。 ちなみにお父さんは中間子の性格と言うか、兄弟で上も下もいるので、年上にも年下にもある程度対応できるというか、人の気持ちの機微を察して動くというのが習慣となっているところがある。 主観なので合っているかはわからないが、お父さんが子供の頃の兄は常に子供の中で最初の経験をするし、親にとっても初なので、かなりいろいろと手厚い保護を受けていたと感じている。妹に関しては唯一の女の子なので、やはり初めての事というのが親にとって結構あり、さらに常に家族で一番幼いというポジションだったので、こちらもお父さんよりは手厚い保護を受けていたと感じている。 そのためにお父さんは親の気を引くために結構頑張ってきた。その時々の状況を見ながら親が望む行動を選択して実行したり、他の兄弟より自分は優れているとアピールすることにも一生懸命だった。 結果として、お父さんは親の関心を引くことに失敗した。 自分が父親になってわかったことだが、兄弟が3人もいると「こいつはほっといても大丈夫」と思える子供に親はあまり手をかけない。どちらかというとダメな方に手をかけるものである。つまりお父さんは「一人で何でもできるよ、ほめて」とアピールしていたが、本当は「何もできない、助けて」とアピールすることが大事だったのだ。今さら気がついても手遅れである。 今の我が家の子供に手のかからない子供だというイメージの子供はいないが、しいて言えば長女は幼いころからまじめで物静かであり、本音を漏らさないというか苦しいことやつらいことも一人で我慢していたので、手がかからなかったかもしれない。長子であったし、幼少期は体も弱かったのでほったらかしだったとは言えないが、ひょっとしたら本人は寂しい思いをしたかもしれない。 今一番手をかけているのは末っ子の次女だろうか。学校の成績不振や過敏性腸症候群、最近は蕁麻疹が治まらないなど常にいろいろ次女の対応をしている気がする。ましてや今年中学3年生になったので、来年は高校受験が控えている。 長女はすでに家を出ているが、中間子である長男は寂しい思いをしているのだろうか。息子は高校生なので、おそらくそういう時期は過ぎて、親の干渉が少ない今を楽しんでいるような気がする。
2024.07.22
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お父さんもお前たちと同じように、子供のころはテレビの影響をよく受けていた。ゴレンジャーなどの戦隊シリーズや仮面ライダーなどをみて友達とよくごっこ遊びをしていたものだ。 ちなみに戦隊シリーズでは常にリーダー格のレッドの取り合いだった。 さて、お父さんが子供のころに同じようにはまっていたものがある。それが時代劇だ。お父さんのおじいちゃん(お前たちのひいおじいちゃん)が大好きで、よく一緒に見ていた。 お父さんは子供のころ、週末になるたびにおじいちゃんの家に一人で泊まりに行っていた。バスで行くこともあれば歩いていくこともあった。とにかく土曜日に学校が終わると宿題を済ませて、すぐにおじいちゃんの家に向かっていた。 その当時大好きだった時代劇は、「暴れん坊将軍」「大江戸捜査網」「桃太郎侍」「銭形平次」「伝七捕物帳」と幅広かった。なぜか「水戸黄門」はあまり見ていなかった気がする。 特にチャンバラ(殺陣)シーンが大好きで、庭にあった園芸用の竹をもっては一人で見えない悪者と戦っていた。最高に楽しかった。 しかしながら残念なことに、戦隊シリーズと違って友達とごっこ遊びができなかった。なぜなら幼稚園児で時代劇を見ている子供などほとんどいなかったからだ。仕方がないので時代劇遊びはもっぱらお父さんの一人遊びになっていた。 お父さんは小学校5年生から剣道を習い始めたが、これはまさに時代劇の影響で「自分は絶対強い剣士だ」と勝手に思い込んでいた。実際の剣道はそんなに甘いものでもなく、一人で複数を相手に戦えるものではなかったが。 今、新しい時代劇がテレビで放映されることはほとんどなくなってしまった。基本的にやっているのは再放送ばかりだ。新たな時代劇ができないものかと思うことがある。 時代劇の決め台詞やナレーションは今でも子供に受けないだろうかと勝手に思っている。まあ、お前たちも時代劇どころか大河ドラマも見ないのだから、あまり視聴率が取れないのだろうな。誰か面白い時代劇を考えてくれないものかと時々思う。
2020.01.31
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お父さんはとにかく虫が好きだったと書いたが、書いているうちにいろいろな思い出がよみがえってきたので今日はそれを書いてみたいと思う。何歳のころだったかもよく覚えていないが。小学校には入っていなかったころだと思う。 これはそんな小さいころの「セミの幼虫」を捕まえた時の話だ。 お父さんの子供のころの夏の定番と言えば、セミ捕りだった。知っている人もいるだろうが、同じ夏でもセミの出てくる時期は微妙にずれている。6月ぐらいからまず「ニイニイゼミ」という小さなセミが出てくる。このセミは8月に入ることにはほとんどいなくなる。「ニイニイゼミ」に続いて7月になると「アブラゼミ」「ミンミンゼミ」が出てくる。7月後半からは「クマゼミ」だ。「クマゼミ」は朝しか鳴かないうえに意外と木の高いところにとまるので子供には捕まえるのが難しい。8月の後半になると「ツクツクボウシ」が出てくる。このセミが出てくると夏休みも終わりに近づく。そのほかに山にいくと「ヒグラシ」が捕れた。 とにかく夏の間中お父さんはセミを捕りまくった。家の中に数十匹のセミを放して怒られたことも1度や2度ではない。 さて一般的にセミと言っているのは成虫で、セミの幼虫は土の中にいる。セミの抜け殻になる前の状態だ。お父さんの家の周りはセミの抜け殻がくっついている木がたくさんあった。 ある日、お父さんはどうしても成虫になる前のセミの幼虫を捕まえたくなって行動に出た。近所のセミの抜け殻がいっぱいついている枇杷の木の根元を中心に、その周りをスコップで掘り返した。自分の家でも空き地でもなく近所の家の敷地内にある枇杷の木だ。木の根元から半径2メートルぐらいをめちゃくちゃに掘り返した末に、ようやく一匹のセミの幼虫を見つけることに成功した。 お父さんは最高にうれしかった。すぐにその幼虫をもってお父さんのお母さんに見せに行った。お前たちのおばあちゃんはとりあえず興味がないながらもほめてくれた気がする。しかし、お父さんがどこでどうやって幼虫を捕まえたかを説明すると顔色を変えて、お父さんを連れてその家に行った。 きっとその光景を見て、唖然としたと思う。いまお前たちがお父さんと同じことをして、お父さんがその現場を親の立場で見たら血の気が引いたと思う。子供がよその家の庭をめちゃくちゃに掘り返したのだから。 そのままお父さんたちは、その家を訪問して謝罪した記憶がある。当時お父さんがセミをとるときに、「いつでも勝手に入ってよい」と言われていた家だったので、悪いことをした気は全くなかった。でもお父さんのお母さんはとにかく謝罪を繰り返し、お父さんの頭をひっぱたいていた記憶がある。どのように許してもらったかは記憶が残っていない。
2020.01.30
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お父さんは大人になった今でも虫を見るのが好きだ。日本にいても海外にいても珍しい虫を見ると思わず近くで眺めてしまう。先日もベトナムで大きな蛾を見つけて思わず写真を撮ってしまった。 羽にライオンの顔のようなものが見えて、尾(羽)が長くとてもきれいだった。名前を調べようと検索してみたがわからずじまい。発展途上国では虫や動物の研究は遅れていて、図鑑などもほとんどない。あったとしても先進国の図鑑かそれを翻訳したものだ。自国の生体を観察して作られたものは基本的に見つからない。 話が飛んでしまったが、お父さんはとにかく物心ついた時から虫が大好きだった。基本のカブトムシやクワガタはもちろんだが、虫に分類されるものは手当たり次第に捕まえていた。 アリ、ハチ、毛虫、オケラ、蝶、セミ、カナブン、カミキリムシ、バッタなどお父さんの虫かごにはあらゆる虫が入っていた。勝手に昆虫王国となずけた虫かごだらけの一角が家の隅にあった。 とにかく見つけた虫は捕まえるので、ハチにも何度も刺されたし、毛虫に刺された数など覚えていない。草むらを歩いたり、木に登ったりして気づかないうちに虫に刺されてしまうのだ。 スズメバチを捕まえて、手で持った瞬間に刺されてお父さんのおばあちゃんに病院に連れていかれたこともある。 本屋で両親に好きな本を選べと言われれば、虫の本ばかりを買ってもらっていた。当時本屋に並んでいた昆虫図鑑などほとんどの種類を持っていた。それほど自他ともに認める虫好きだった。 虫好きだったことによりその後の人生で得をしたという記憶はないが、人生を豊かにしてくれたとは思う。虫に関する限り、お父さんの知識に匹敵する子供は当時なかなかいなかったので、虫に関しての話相手はいなかった気がする。 子供のころは虫であれ魚であれ花であれ、好きなものにのめりこめる。周りが「そんなもの」という評価をしようが関係ない。「好き」だからで行動する。 大人になるとなかなか人の評価を気にせず好きなことにのめりこむことは難しい。自分の好きなものを「好き」とはっきり言い、損得も将来性も考えずにのめりこむことができるのは子供の特権だと思う。 息子は「魚」が大好きだし、長女は「神話」、次女は「踊り」が大好きだ。大人になっても好きなものをいつまでも好きでいてほしいと思う。
2020.01.29
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今日は、クリスマス。昨晩はサンタクロースがお前たちの枕元にプレゼントを置いてくれたはず。サンタクロースは毎年12月24日の夜は寝るのが遅くなり大変だ。 幸いなことにお前達のところには毎年サンタクロースが訪れる。お父さん、お母さんがきちんとサンタさんにお願いしていることを忘れてはいけない。サンタクロースもさすがに世界中の子供をすべて管理ができていないのだから。お前たちがお父さんやお母さんになった時に、きちんと忘れずサンタクロースにお願いできるようになってほしい。 お父さんは残念ながら子供のころサンタクロースからほとんどプレゼントをもらえなかった。隣のN子ちゃんもY子ちゃんもみんなもらっていたのだが・・・。想像してみてほしい。24日の夜、期待に胸をふくらませて布団に入る。煙突のない家にちゃんとサンタはやってくるのか?幼稚園の先生は「良い子のところには煙突が無くてもちゃんとサンタはやってくる」と言っていた。そんなことを思いながら、サンタさんが何をくれるのかを考えているうちに眠りにつく。 25日朝、目が覚める。一瞬のまどろみの後、ハッ!として枕元を見る。何もない!慌てて並んで寝ていた兄弟の枕元を見る。何もない!いつもの意地悪で兄であるAおじさんが隠してあるのでは?と押し入れや机の下などを見る。何もない。サンタさんが間違えて別の部屋に置いたのかもしれないと家の中も外も必死で探す。残念ながら見つからない。泣きながら両親にクリスマスプレゼントが無いことを報告する。「残念だったね。サンタさんわすれちゃったのかな?」なんて言われて慰められる。 朝ご飯を食べて外にでる。隣のN子ちゃんやY子ちゃんと遊ぶのだ。もちろん最初の話題はサンタさんからのプレゼント。N子ちゃんもY子ちゃんもちゃんとサンタさんからプレゼントをもらっている。N子ちゃんの家はお父さんの家と全く同じ形の家だ。煙突ももちろんない。でもサンタさんはちゃんとやってきてプレゼントをあげている。お父さんはまた慰められる。「サンタさんは忙しくて、お父さんのところには25日の夜に来るのではないか?だって今日が本当のクリスマスだから。」と。 祈るような気持ちで25日の夜を迎え、26日の朝が来る。昨日と同じだ。念のため27日の朝も同じことを繰り返す。こうしてお父さんのクリスマスは年末の喧噪にかき消されてゆく。 しかしながら、「サンタがこなかった」という事実はこの後もお父さんを苦しめる。まずは12月30日に、従弟たちがお父さんのおじいちゃんの家に帰省してくる。クリスマスにもらったプレゼントを持って。そして1月2日に今度はお父さんのお父さん(お前たちのおじいちゃん)の実家に帰省する。もちろん待ち受けているのはサンタにプレゼントをもらった従妹たちだ。 極めつけは冬休み明け、幼稚園でサンタさんから何をもらったか発表するという恒例行事だ。ミッション系の幼稚園に通っていたお父さんは、毎年この日がたまらなく嫌だった。 「良い子のところにサンタクロースはやってくる」という子供達の常識に、どれだけ苦しめられただろうか。大人になって思う。どうか日本中、いや世界中のすべての「良い子のところにサンタクロースはやってくる」と教えられている子供たちに無事にプレゼントが届けられることを。 そして、お父さんは心に誓った。将来自分がお父さんになった時には、絶対に自分の子供たちのところにサンタクロースに来てもらう。良い子だろうが悪い子だろうが関係ないと。お父さんはこの誓いをいまだに守っている。 後日談としてだが、上記の思い出はお父さんの思い違いかもしれない。なぜならお父さんのお母さん(お前たちのおばあちゃん)は、今でもかたくなに「毎年我が家にサンタクロースは来ていた。お父さんの勘違いだ!」と主張しているからだ。おばあちゃんの記憶は70年前、お父さんの記憶は40年前。どちらが正しいのだろうか。お父さんが間違っているのなら、毎年泣いていたクリスマスの朝の記憶はどこから来たのだろうか?
2019.12.25
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