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2021.08.14
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テーマ: たわごと(26923)
カテゴリ: 日常
​​ ​​​​ ​​ ​​​​ ​​ ​​ ​​ ​​ ​​ ​​​​​​​​1ヶ月半も更新しないままになってしまいました。
コロナ禍で、ワクチンは7月2日に2回目の
接種を終えて、少し安心したのですが、自粛を
強いられた日々に閉塞感は否めず、無気力になっていました。

明日は終(敗)の日です。翌日から周囲の大人たちの大きく変わった言動を見聞きして
「政府のいう事は信用出来ないんだ。自分の判断で生きられるようになろう」と決めた謂わば
原点の日との思い入れがあるので、8月15日は意識してしまうのです。
86才の今日まで大過なく生きてこられたのも、大きな判断ミスは無かったのだと自画自賛。
原点の日の思い出を『自分史エッセイ』から抜粋・削除・添削してみました。
​​
​​
​​

日本が負けた日。
その日は『田舎(母の実家)』にいた。祖父母と並んで 正午にラジオで
玉音放送を聴いた。  
毎夜、空襲があり、母と弟たちと『田舎』に避難して、翌朝、家に
戻るのだが、私だけは、そのまま居続けることが多かった。何故なのか?庭から見る里山の
景色に魅せられていたのだと、今にして思い当たる。空襲が途絶えた日が何日か続いた。
「おばあちゃん。空襲ないねえ。アメリカは逃げたのかなぁ」 家の前の道で、晴れた夏空を
見上げながら呟いた記憶。
8 15 日は、月遅れのお盆で、伯母や従弟は『里帰り』していて、祖父母と三人だけだった。
伯父
も「天皇陛下の放送があるので、正午にラジオを聞くように」と言い残して出かけた。
早めに昼食を済ませた。東向きの家は、真夏の陽射しが差し込むこともなく、裏の竹藪から
吹き込む風は涼しかった。
当時は「 天皇陛下」と口にするときは、初めに「畏れ多くも」と、枕詞のように言わなければ
らなかったし、聞いた人も、立っていれば「気をつけ」の姿勢をとり、座っていれば 正座に
直った。だから、この時も当然、祖父母と並んでラジオに向かって正座した。
正午。甲高く、
浮世離れのした口調で『玉音』が流れ始めた。聞き終わっても、何が話されたの
か、どんな
内容だったのか、少しも分らなかった。
『堪ヘ難キヲ堪ヘ、忍ヒ難キヲ忍ヒ』だけ分ったので、
これからもこの状態を続けていって欲しいと言うのだと思った。天皇陛下が、自ら国民に
呼びかけたのだから、生半可な我慢では済まされないのだと思った。『太平ヲ開カムト欲ス』と、
続いていたことは、後になって知った。よく聞き取れなかったし、聞き取れていたとしても、
その言葉の意味が、戦争を止めることだとは、4年生の私の理解の域を越えていた。
8月も半ばを過ぎると、夕方は涼風が立つ。 父がやってきた。
祖父母は、昼間の放送は、何だったのかと、真っ先に訊いた。
「日本は戦争に負けたんです。
戦争は終わったんです」淡々と言った。新聞は取っていないし、滅多にラジオも聴かない
祖父母の家で、私はその時まで、原爆投下も知らなかった。
「広島と長崎に『新型爆弾』を
落とされて、軍人もさすがに『もうアメリカには敵わない
』と思ったんでしょう」これから先
どうなるのかと、尋ねる祖父母に「日本は、まもなくアメリカに占領されるでしょう。
どういうことになるのか、私にも分りません。何かあったら知らせに来ます」
「アメリカ軍は、
来ると思いますが、戦争をしに来る訳ではないですから、家を焼かれたり、殺されたり
することはないでしょう」祖父母は、ホッと安堵の表情を浮かべた。
「とにかく、もう空襲は
ないですから、今夜から、明るく電気をつけても大丈夫ですよ」
祖父母が納得したところで、
私に「そろそろ帰ろうか」と、言った。自転車の荷台で、父の背に掴
まりながら、好きだった
里山が心からも遠ざかっていく気がした。
今までの『生きる姿勢』の原点になった日なのだが、
思い出は断片的になっている

​​ ​​ ​​ ​​





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最終更新日  2021.08.14 14:37:13
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