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順序はまちまちですがカイロ市内観光の写真を少し、アップしておきます。 シナゴーグと教会とモスクが並立している付近でのスナップ。エジプトでもトルコでもガイドさんたちは、宗教はお互いに共存していることを、強調されていた。 エジプト考古学博物館この日のために残してあった100エジプトポンドでミイラの間も見学した。私の老いた手がミイラの手に似ている、と友人が言う。一緒に寝てても見分けがつかんよ、だって。光栄だわ!ハーン・ハリーリ市場にて
2008.04.22
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イスタンブールから再びカイロへギザの三大ピラミッドとスフィンクスを見学 カフラー王のピラミッド らくだに乗って写真も撮ってもらいましたスフィンクス ●クフ王のピラミッドは内部見学ができました。身をかがめてやっと通れる、傾斜の急な細道を石棺のある部屋までのそんなに長くはない距離だったのですが、この折り返し点を少し過ぎたところで、いきなり停電暑く窮屈で排気も悪い真っ暗な坑内で、悲鳴や叫び声もあがりました。懐中電灯はこの時のためにこそ、必要だったのです。出発直前、添乗員さんの意見を聞いてスーツケースから取り出し、家に置いてきてしまったペンライトが何度も頭をよぎりました。それでも懐中電灯を持ってきていた人が2回ほど照らしてくれて、知らせを聞いてやってきた警備の人が一度照らしてくれて(そのまま奥のほうへ行ってしまった・苦)、カップルで前を歩いていた初老の白人男性が、要所要所(難所)でサポートしてくれて、汗だくでやっとこさ後方にいた我々皆が出てこられたのでした。私もなりふり構わず「ライト プリーズ」なんて叫んでしまったし、出られたときは前にいてエスコートしてくれた白人男性に「サンキュウ・ベリマッチ、ソウ・マッチ」なんてテレビドラマのシーンのごとく握手せずにはいられませんでした。現地のガイドさんも13年ガイド勤めていますが、停電は3度目です、ということでした。興奮してしまったお陰で、私はこのあたりの観光の記憶がすべて飛んでいます。写真もほとんどありません。ピラミッドは真っ暗だった。というのが感想で、どこをどう回ったのかさっぱりワカリマセン。
2008.04.21
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アンカラ・エクスプレス寝台車で再びイスタンブールへ。トプカプ宮殿 軍隊に入隊したばかりの新入生と遭遇。徴兵制のあるトルコでは皆が一度は通る道。私達に手を振ってくれる可愛い若者達でしたがこれから厳しい鍛錬と習練が待っている軍隊に入る前と除隊後では、顔つきも人柄も変わってくるようですと、添乗員さんのお話でした。 順序がわからなくなってしまいましたがたぶんマルマラ海をゆく船の中からやはりカモメが飛んでイスタンブールでしょ。^ ^
2008.04.20
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トルコの旅は、エーゲ海を車窓に、また黄昏には不安になるような何もないシルクロードを、バスに揺られながら2000キロを走破するものだった。写真には写せなかった風景のほうが多い。だが時間に追われて写真を撮るだけの行程では、次第に虚しくなりカメラを構えることも少なくなっていた。トゥーズ湖・塩の湖ここで少年が売っていた塩を2袋買ったトイレ休憩で立ち寄ったお店 カッパドキアこの犬の風格に脱帽 ラクダ岩ここを歩いてる人に脱帽
2008.04.19
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●エフェソスはヘレニズム時代からローマ時代にかけて栄えた海湾都市の遺跡で、トロイよりもさらに大規模なものだった。すでにネットで詳しく説明されているので少しだけ写真をアップします。まるでギリシャやローマの遺跡を歩いているようでした。キリスト処刑後マリアが晩年を過ごしたと言われている聖母マリアの家 クレオパトラとアントニウスが歩いたと言われる大理石通り、浴場、トイレ、図書館と地下でつながっていたと言う娼婦館、大劇場、オデオンなど見どころ一杯でした。●パムッカレは温泉の湧く石灰棚の台地ここで流れる温泉に足をつけていたらすっかり足が軽くなりました
2008.04.17
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トロイはギリシャにあるのかと思っていた、お粗末な私。広大な遺跡には若草とポピーなどの草花が咲き、さわやかな風が吹き、とても気持ちよかった。よい季節に訪れました。 この旅行に着ていくものを準備していたとき、息子の捨ててあったズボンを発見。ネパール製で左脚の裏側に龍の刺繍のあるものだった。お気に入りだったらしいが、腰の前面についていた飾り用のゴムが切れて穿けなくなったという。私はピンとひらめいて、ズボンの裾にゴムを通してすぼめ、ウエスト全体にもゴムを通してみた。これがエジプトとトルコの《トイレ事情》にぴったりヒット。とても重宝した。腰のところで止まる若者タイプだったため、私が穿くとどうしてもずり落ちそうになるので、帰りには捨ててきてしまったが、苦楽を共にした愛着のズボンを穿いています。ちょっとわかりにくいですが。(足の長さ、あんまりかわらないんじやない?)(息子が聞くと怒られそう)
2008.04.16
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私が嘗てトルコについて持っていたイメージは、藤原新也さんの「全東洋街道」と駒ヶ根美術館で見た写真、カルチャー教室で聞いたアルメニア人虐殺の話、映画などで見た拷問のある国、などというもので暗いものだった。ところがネットで様々な情報を見聞するうちに、トルコへの偏見について思い至った。今回のツアーでも添乗員さんや現地のガイドさんが声を大にして語られていたが、我々はイスラム圏について欧米のフィルターを通して見る事が多い。是非じかにイスラムの人々の暮らしを見て欲しいと。私たちは自国についても、欧米のメガネをかけて見ているのではないか、それをはずすことの難しさをも感じたのだった。トルコと日本のかかわりの歴史や、湾岸戦争のとき現地に残留していた日本人たちを、トルコ航空が命がけで迎えに行ってくれたこと、その時のパイロットのお宅へ小泉元首相がお礼に行ったことなどを、添乗員さんが話されたときバスのツァー客から大きな拍手が湧き、その後の一行の雰囲気も暖かいものになったように思う。国を挙げての観光事業に私たちは乗り、お金を落としていく。「金は天下の回りモノ」とは、トルコ絨毯を売るお店で、日本で空手や剣道を学んだというトルコ人の青年が、私に流暢な日本語で語った言葉。発展途上国の誇りや愛国心を強く感じさせられた、今回の旅行だった。イスタンブールへの航空機の中から雪を頂く山々。トルコにはアララト山があるのだけれどこれはどこの山脈だったのだろう エジプトから来ると自然が明るくみえる ボスポラス海峡クルーズ
2008.04.15
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メンフィスラムセス2世の巨像 ダハシュール屈折ピラミッドと赤ピラミッド サッカラ階段ピラミッド史上初のピラミッドと言われている 葬祭神殿 列柱廊ギリシャのドーリア柱より2000年古い5000年前の柱群 暑かった。 ………
2008.04.14
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エジプトは漢字で「埃及」とか「衛士府都」と書くそうだ。その「埃」と「及」の表記が感覚でわかるような風景が、眼前にあった。写真では雰囲気は出ないかも知れないけれど、砂漠というより土漠といった感触だった。これもバスの中から見た風景ですが 今回もっとも感銘を受けた「死者の街」と呼ばれるあたり墓地を住処にするスクウォッター(不法居住者)の街古い墓地で死者は地中に埋葬されていますが、その上を居住用に使い、中には電気などが引かれている家?もあるそうです。写真は少しずれているかも知れません。
2008.04.14
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アレキサンドリアのホテルから 夜明け カイロからアレキサンドリアへのバスの中から撮影。目に入る風景すべて珍しく、異文化に呆然としてしまう。遺跡観光より、イスラム圏の人々の暮らしぶりに目を奪われてしまった。 何もない土の大地に日の照りつける中、ポツンと一人で坐っている人や、ヒッチハイクする人を多く見かけた。 糸瓜を売ってました アレキサンドリアのレストラン近く地中海を望む馬の口につるされてる白い飼葉袋に注目 ^ ^ ●アレキサンドリア国立博物館●カタコンベ●ポンペイの柱●アブ・メナ遺跡を観光した。
2008.04.13
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「エジプト・トルコ12日間」の観光ツアーに友人と参加。41名の団体となって、成田空港を出発。エジプト航空 成田発 15:30 カイロ着 22:45深夜でも人の流れの多いというカイロに到着。月が出ていた。おお、アフリカ大陸で初めて眺める月である。カイロ・ギザ地区 ホテル宿泊ホテルでドルをエジプトポンドに両替。トイレやチップ、エジプト考古学博物館のミイラ見学に、エジプトポンドが必要とのことだった。後は米ドルでOK。エジプトポンド・米ドル・日本円の換算については、ほとんど分からない状態でのスタートだった。ややこしい。
2008.04.12
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近隣で不審人物の情報があり、交番に届ける。最近、あちこちで増えているということだった。様々な犯罪に対応できるよう、日常的に危機感や緊張感を持つことが自立の一歩なのかなと思う。社会は確かに、常に、変わりつつあるのだ。
2008.04.09
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諸々の事情のため、10日ほど我が家に逗留していた息子の友人が、新居に移っていった。私は彼に対して間の抜けたことしか言えなかったが、これでよかったと思いたい。と、御座なりに書くことで、続けられることもあるのだ。
2008.04.04
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