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大学二年のマッキーが、英語の試験のTOEFLを受けにいったのに、受けずに、映画「17アゲイン」の舞台挨拶に行ってしまったらしい。「ハイスクールミュージカル」のザックエフロンのファンなんですよね。9月にアメリカに短期留学したいと言ってたのに、やる気あるのかな?主人は、行かせるかどうかテストの結果によると言ってたのに、、、以下はマッキーからのメールです。「ごめんなさい!ザックエフロンが来日してて,Sさんから朝9時30分くらいに『映画の舞台挨拶のチケットとれたから今からいかないっ?』って言われて,横浜行かずにそのまま湘南新宿ライン引き換えして,新宿行ってしまいました(;_;)無駄にしてしまった受験料はお給料でしっかり返します。次回の受験料も自分で出します!!せっかく朝送ってもらったのに,ごめんなさい。生ザックエフロンかっこよすぎたP.S.多分フジテレビ出た!軽部さんと話した!!!!!」まあ、ザックエフロン見られて良かったかな?次回のテストは頑張ってね!
2009年05月16日
入間、所沢、飯能・日高おやこ劇場の西グループ合同で東京芸術座の劇「12人の怒れる男たち」を観ました。家族の中で今おやこ劇場の会員なのは私だけですが、この劇は会員外にもチケット売りしたので、元会員の高2のミンミ、大学二年のマッキー、そしてマッキーの彼氏のカズキ君もチケットを買い一緒に観ました。うちの中2のカズと主人は留守番です。私以外の三人は割と早く着いて、前から二列目の席を取ってくれました。私は仕事先の学校から少し残業して直接行ったら、渋滞でギリギリになってしまいました。会場の産業文化センターは駐車場が狭いので、また満車だろうと隣の彩の森公園の駐車場に停めて小走りで向かいました。なんとか間に合ってマッキーやミンミも見つけ、前から二列目に一緒に座りました。私とマッキーは以前に一度観たけど、マッキーが小学校高学年の頃だから、7・8年前であまり覚えていない。その時は残響時間が長い市民会館だったから、セリフが聞き取りにくい席があったと後で聞きました。そのせいというわけではなく、単に記憶力が悪いだけだろうけど、マッキーと二人でよく覚えていない方が、今回楽しめるねと言ってました。実際、以前より舞台が近かったせいか、迫力だったし、脚本や演技も良くて引き込まれました。休憩なしで一気に見せたけど、あっという間に感じましたね。久しぶりに劇を観たマッキーや、彼氏のカズキ君も、また劇を観たいと思ったほどだったらしい。特に彼氏に勧めたマッキーは、ホッとしてました。アメリカの陪審員達が、父親を殺したとされる少年を死刑にするか、無罪にするか話し合うという劇なのですが、スラムへの差別や思い込み、自分の息子の投影など、いろんな感情が入り込み、客観的に合理的に考えることの難しさを感じました。日本も裁判員制度が始まるから、他人事ではないですよね。やはり人に死刑の宣告するのは勇気が要りますね。死刑になりたくて無差別殺人するような輩は、自分だけ死んだ方がいいと思うけど。だから、死刑が犯罪抑止力になるというわけでもない。やはり、死刑も一種の殺人ですよね。慎重に考えるべきだと思う。冤罪だった場合、死刑では取り返しがつかない。この劇も、合理的な疑いが次々と出てきて、最初、有罪11無罪1の評決が、無罪12と逆転した。最後の陪審員の苦渋の決断は、自分の息子も許せたのだろうか。自分に反抗して家を出て、音沙汰もない息子を殺人犯とされる少年と重ね合わせ、最後まで感情的に許せなかったのだけど、、、ヨーロッパから移民したという陪審員は、ユダヤ系かなと憶測してしまった。差別に慣れていると言ってたし。また、スラム出身だという陪審員も、過去を忘れたいと思いつつ、スラムを馬鹿にされるとやはり怒りを抑えられない。人から無視される孤独な老人は、注目を集めたいために証言台に立つのでは?と言われる。 さみしいのですよね。私も観た後、なぜか変な夢を見ました。昔通っていた教会のクリスマス会に行き、誰も知らなくて、食べ物持ち寄りのクリスマス会だからと参加させてもらえなかった。泣きながら帰ってくるという悲しい夢でした。本当はそんなことないと思うけど、、、近所の教会にもクリスマスだけ行くけれど、快く受け入れてもらってます。昔通っていた教会は、二十年以上行ってないから、実際知ってる人もあまり居ないかな?父が今でも通っているから、知り合いは居るかもしれないけど。話が飛んでしまいましたが、いろいろ考えさせられる劇で面白かったです。高2のミンミも面白かったと感激してました。先日、劇団銅鑼の「ハンナのかばん」を私と一緒に観たけど、それはつまらなかったと言ってたから良かった。久しぶりに演劇らしい演劇が観られた充実感です。主人は以前観たからいいけど、うちの中一のカズにも観せたかったなあ。あまり関心ないんだよね、、、明日は試合で5時起きだからやはり無理だったかな?
2009年04月17日
加瀬亮ファンのミンミが借りてきました。私は明日から新しい小学校での勤務が始まるので、今日までが自由時間!なんて、今日も2時から前任校で退職者送別会がありますが。ともかく昨日は「青い炎」「めがね」2本、今日も「接吻」「アンテナ」2本DVDを観てしまった。 「アンテナ」も現代の病理をあぶりだしてましたね。失踪、SM、自傷行為、そして・・・ネタばれになるから言わないけど・・・amazonより。「荻原祐一郎(加瀬亮)は15年前に失踪した妹について、自分はなにかを目撃したのではないか、という罪悪感にさいなまされている。心を閉ざして自分を守ってきた祐一郎だが、大学の研究テーマ 「苦痛からの解放」 の取材でS&Mの女王ナオミ(小林明実)と出会い、自己の苦しみをはきだすことで祐一郎はナオミによって許され、現実に立ち向かう力を得る。そして、今まで封印してきた妹の失踪についての現実と、妄想の狭間へと歩みだす…。S&M、失踪、自傷癖、というキーワードを軸に、現代社会の闇に問う、スピリチュアル・サスペンス・ムービー。」「病んでる人が観ると、ますます病んでしまうのでは?」ともどこかのサイトで書いてあったとミンミが心配していた。そこまでとは思わないけど、やはり衝撃的だ・・・生と死、そして性は切り離せないものなのだと痛感した。性は生に通じるからなあ・・・加瀬亮は熱演してましたね。病んでる母を演ずる麻丘めぐみも、昔のアイドル歌手の頃を知ってる私にとっては意外だった・・・映画出演もいろいろしてるのですね。弟が可哀想だったなあ・・・母の狂気を受け入れ、失踪した姉の身代わりでもいいから愛されたいと願うのが哀しい・・・SMも心の癒しになるの?「自分を傷つけちゃ駄目!おまえを傷つけられるのは私だけ」と言うSMの女王ナオミ・・・自傷行為は生きてることを確かめてるとも言う。そういうことでしか確かめられないは淋しいですね・・・最後には希望の光が見えてきてホッとした。心のアンテナを張り巡らさないと、人の心は感じ取れないよね。でも、病むほど感じたくはないなあ・・・
2009年03月31日
豊川悦司が好きなので、映画「接吻」のDVDを借りてきました。あらすじも興味深かったので・・・「28歳のOL、京子は、家族とも疎遠であり、友達もいない孤独な人生を歩んでいた。ある日、テレビに映し出された殺人犯、坂口に一瞬で恋に落ちる。新聞、雑誌を買いあさり、情報を集めると、彼こそが自分の同士であると確信。拘留中の坂口に面会を申し出る。坂口の国選弁護人、長谷川は、京子を不審がったが、坂口に手紙や差し入れをする京子に心を惹かれ、二人を面会させる。坂口の死刑が確定すると、二人は獄中結婚をする。」「接吻」公式サイトも見てくださいね。結末は言えませんが、途中で予想した通りだった・・・というより、私が主人公だったらそうするだろうと?怒りを抱えて生きてきた孤独なヒロイン京子を小池栄子が熱演してます。弁護士長谷川との会話が心に沁みました。京子「運の悪い人生・・・周りの人間は自分を見下している。従わないと怒るんです。従わせようとするくせに仲間に入れようとしない人達・・・長谷川「自分からひとりぼっちになりたがってるみたいだ。なんでそんなに攻撃的にならなければいけないのか?」京子「自殺してもおかしくないと思われるほど暗く陰気に見えてしまう・・・生きる意味や、生きてても面白いことなどないと思われてしまうんです。自分ではそんなこと思ってないのに・・・」とも。豊川悦司演じる殺人犯坂口と出会い、自分の生きる価値を見出した。死刑囚となるであろう坂口と獄中結婚するほど愛してしまう。そんな一途な京子に共感し、惹かれていく長谷川・・・付属池田小殺人犯詫間守の獄中結婚を元に作ったのかな?7つ離れた兄、卒業アルバムのエピソードなど、詫間守に共通してますね。卒業アルバムのエピソードは、京子が新聞や週刊誌を切り抜き、ノートに書き写していたのを、一時停止して読みました。詫間守資料より。「卒業文集には「宅間君があなたにおくる空白のページ」とだけ書かれている。これは宅間が原稿を提出しないため、担任の教師が書いた苦肉のコピーである。」宅間守についてよく分からないが、死刑になりたくて犯行に及んだのですよね。この坂口もそんな気がする。だから、死刑もかえって自殺幇助のような・・・「無視・抑圧されし続けた人間の怒りが爆発した」と映画では言っていたけど、そんな人間はこの世の中に一杯居る。そういう人達がみんな犯罪を犯すとは限らない・・・なんとなく気持ちは分かるけど・・・「自分の気持ちが人にわかってもらえたことが無いから、説明する気になれない・・・だから無視するのだ」と言っていた。共感してしまうけど、哀しいよね・・・救いはあるのかな?そう思いたいです。
2009年03月31日
二宮主演の「青い炎」を見ました。原作本も先日読みましたが、やはり小説の方がいいなあ。二宮もアヤヤも割と良かったけどね。青い光や、大きな空の水槽に体を縮めて横になってるところ、二宮が手を伸ばして救いを求めている指の表情などが印象的でした。「めがね」は、癒し系の映画。ミンミが加瀬亮ファンで借りてきたのだけど、加瀬亮は後半しか出てきませんでしたね。市川実日子の話し方が独特で、割と好きかな。もたいまさこのメルシー体操の動きもユニークで良かった!ちょっとまったりしてるから、早送りでちょうどかも、、、ミンミが借りてきた二本だけど、まあまあかな。午前中に二本観てから、TSUTAYAに返しに行った。義母から福山雅治コンサート代金の入金を頼まれついでにね。大学一年のマッキーの分の料金も出してくれるからなあ。マッキーは義母の介添え?7月に大宮まで行きます。マッキーは、劇も観たいと言ってたから、「12人の怒れる男たち」も観に行くかな。ミンミと行くつもりだったけど、三人で行くか。カズも連れて行きたいところだけど、平日だから、部活があるし、観に行かないだろうなあ。
2009年03月30日
劇団銅鑼の劇「ハンナのかばん」の舞台や、プレゼントのしおりロビーに貼ってあったパネルです。次女ミンミが劇の途中で渡されたクッキー?収容所では食べるものが無く、分け合うということ?スタディガイドも買ってきました。「命を尊ぶ心、思いやりの心を育む授業作りにお役立てください。」NPO法人ホロコースト教育資料センターまた、パンフレットの写真です。今に平和教育する機会があったら、使ってみたいな。「ハンナのかばん」の内容はいいのだろうけど、劇としては今ひとつでした・・・昨夜遅くて眠かったせいもあるかもしれないけど、うつらうつら寝てしまうほど・・・ずっと起きて観ていたミンミもつまらなかったと言っていた。劇が始まる前のおばあさんの独り言?観客へのおしゃべりは要らないかな?劇を観る前に引いてしまう・・・歌も上手くないし、ハーモニーも合ってない。歌うからにはもう少しなんとかして欲しいな。無理に歌わなくてもいいかも・・・それに歌も長い。ますます眠くなります。子守唄になってしまう・・・暗くて重いのは、題材がアウシュビッツだから仕方ないとしても、兄妹愛に焦点を当て過ぎて、ミンミは気持ち悪いくらいと言ってましたね。確かに兄妹と言うより、恋人?みたいな感じ・・・まあ、それぐらい切羽詰った状況だったのだろうけど・・・ハンナがいつも怒ってるみたいで可愛くない・・・ジョージは優しすぎるし・・・招待券での無料の下見で良かったかな?入間おやこ劇場で観たいとは思わないなあ・・・劇団コーロの「ハンナのかばん」は観てないけど、その方がいいのかな?劇団銅鑼は「センポ・スギハラ」も見たけど、その時は真面目な劇だなと思いつつも、ここまで面白くないとは思わなかった・・・題材がいいだけに勿体無いよね・・・
2009年03月27日
劇団銅鑼の劇「ハンナのかばん」のロビーにパネルが張ってありました。2の続きです。
2009年03月27日
劇団銅鑼の劇「ハンナのかばん」のロビーにパネルが張ってありました。1の続きです。
2009年03月27日
劇団銅鑼の劇「ハンナのかばん」を観に行きました。ロビーに説明のパネルが張ってあり、劇を観る前に見てしまいました。ユダヤ人の少女ハンナが、両親と引き離され、兄ジョージと共にテレジン収容所に送られ、そこからまたアウシュビッツ収容所に送られてしまうのです。パネルの文字が写真では、細かくて見えにくいかもしれませんね。
2009年03月27日
大泉学園の映画館で、主人と映画「おくりびと」を観ました。アカデミー賞の外国語映画賞を取ったから、主人が観たいと言うので、アンコール上映を観に行ったのです。さすが賞を取るだけあって、良かったですね。もっと厳粛な映画かと思ったら、ユーモアもあって、楽しかったです。でもやはり考えさせられましたね。生と死と愛について・・・パンフレットも買ったので、写真はそれを撮らせてもらいました。死は生の隣り合わせにあって、普通に起こる出来事なのですよね・・・ついタブー視して、目を背けてしまう。でも、人間は生き物の命を食べながら生きながらえている。「いただきます」とは、「あなたの命をいただきます」の略なのだとか・・・映画「豚のいる教室」を観た時も、そのことは痛感しました・・・誰にでも訪れる死を、優しく見守り送り出すことが納棺師の仕事なのですね。なんでも笑って許してきた妻が、納棺師の仕事だけは許せなくて、うちを出て行ってしまう・・・それは、今までの不満やストレスも一緒に爆発したのだろうけど、やはり「汚らわしい!」と受け入れがたかったのでしょう。昔、死体や屠殺など死を扱う仕事は、エタ・非人の仕事だったりしたほどだから、穢れたことだと思われていたのだろうなあ。それで、また更に差別されたりしたのだから・・・でも、夫が丁寧に厳粛に遺体を扱ってるのを見て、尊敬の念さえ抱くようになる・・・広末の演技も自然でよかったですね。最初は、あまりにも明るくて聞き分けのいい奥さんだったから、途中、切れた時はちょっとホッとした。帰ってきてくれたのも嬉しかったけどね。また、石文の話も良かったですね。あまり言うとネタばれになるかな?心を伝えるのにこんな手段があったんだと思い知らされました。言葉では伝えられなくても、感覚で、伝わることもある。そして、石を握り、感じることが大事なんですね。うちの娘達も、離婚して別れた父親のことをどう思ってるんだろうなあ・・・なんて思ってしまいました。小さかったら、ほとんど覚えていないのだけどね。逢いたくないとは言ってるけど・・・前夫には年賀状を送って写真だけ見せてます。それだけでも十分だよね・・・ともかく、いろいろ考えさせられた映画でした。石文の絵本も出たそうだから、そちらも見てみたいですね。
2009年03月17日
韓国料理店オザクキョ(烏鵲橋)の店員さんが、ペ・ヨンジュンファンのMさんにサインのコピーをあげてました!私もペ・ヨンジュン好きなので、サインの写真を撮らせて貰いました!店員さんの奥さんがもらったものなので、奥さんの名前も書いてあるらしい。「○○さんへ、ペ・ヨンジュン」という感じに書いてあるのだろう。英語と韓国語両方のサインが書いてあるらしいが、私にはよく分からない、、、ともかくペ・ヨンジュンのサインなら、読めなくても構わないよね。私もコピーが欲しいなあ。以前、ディズニーシーに先生方と一緒に行った時、ミッキーマウスのサインを貰って喜んでる先生が居て、コピーをいただいたけど、私はそれほどミッキーファンではないし、つい着ぐるみの中に入ってる人のサインでしょと醒めた目で見てしまった。もちろん、その先生にはそんなこと言えなかったけどね。ペ・ヨンジュンとミッキーマウスを比べたら失礼だけど、、、ミッキーファンの長女のマッキーに言ったら怒られちゃうかな。今、ちょうどペ・ヨンジュンのドラマ「太王四神記」をDVDで見ているところで、またペ・ヨンジュンはやっぱりいいなあと思っていたから、サインを見られて嬉しいです。日本にまたお忍びで来ているらしい。実業家を目指しているのか、漆塗りの勉強に来ていたとか、、、韓国では日本ほどの人気はないそうだから、そういう選択もあるかもしれないけど、また映画やドラマで見たいよね。帰ったらDVD見よう!
2009年03月07日
以前、TUTAYAかどこかでDVDを安く売ってたので、「きらきらひかる」を買ってきたのだけど、暇になったら見ようと眠っていました。amazonよりあらすじ等、引用します。「フリーの翻訳家の笑子(薬師丸ひろ子)は、親の勧めで医者の睦月(豊川悦司)とお見合いすることに。笑子は自分がアルコール依存症であることを、睦月は自分が同性愛者であることをそれぞれ告白し、お互い納得の上で結婚。しかし、睦月の恋人・紺(筒井道隆)の存在や、次第に自分が睦月を愛し始めていることに気づいた笑子は戸惑い、混乱していくのだが……。 江国香織の同名小説を『バタアシ金魚』『さよならクロ』などの松岡錠司監督が繊細なタッチで映画化したラブストーリーの秀作。女ひとりと男ふたりの三角関係がタイトルさながらの透明感にみちた不思議なきらきら感で包まれ、観る者をいつしか切なくも温かい気持ちにさせてくれる。主演3人がみな新境地ともいうべき役どころだが、それぞれ健気に取り組んでいるのも好感の持てるところである。(的田也寸志)」筒井道隆と豊川悦司が好きなので、買っておいたのですよね。1992年公開と古い映画で、二人の若い頃の映像が見られて良かったです!薬師丸ひろ子もまだ可愛かったなあ・・・今日は仕事が休みで、何の予定もなかったので、朝から、溜まっていた録画を見続けていました。「天地人」「ありふれた奇跡」「神の雫」福岡発信ドラマ「おりひと」など・・・みんな見てしまいました。涙腺が弱くなってきてるのか泣き通しでしたね・・・昨夜借りてきたDVD「太王四神記」を見てしまおうかとも思ったけど、どうせ今夜、主人と見るからと思ったら、この眠っていたDVDを思い出したのです。いろんなのを長時間見ていたせいか、途中ちょっと眠くなったりもしたけど、2倍速で見ましたね。台詞が聞き取れない時だけは、標準に戻しますが・・・他のも、ほとんど2倍速で見てます。やはり筒井道隆の切なさがいいなあ。豊川悦司も、もちろん魅力的ですが、「愛してると言ってくれ」のトヨエツが好きでしたね。筒井道隆も「あすなろ白書」が秀逸だった!少しそれに近いかも・・・高1のミンミと一緒に見ていたのですが、やはりホモのラブシーンは、ちょっときつかったみたい・・・私も演技とは言え、本人同士もきついだろうなあ、なんて想像してしまった。綺麗な男同士だから、映像的には許せるけどね。まあ、ベッドシーンでないので、ご安心を・・・薬師丸ひろ子演じる笑子の、自分の気持ちが分からずに持て余し、友達に当たり散らしてしまうシーンなど、自分には出来ないけど、そう出来る友達が居て幸せだなと思ってしまった。結構客観的に見てるから、入り込めないのかな?見合いの席でも言いたいことが言えて羨ましいとか思ってしまう。現実にあれをやったら、問題だろうけど・・・「ありふれた奇跡」でも思ったけど、そんなに夫婦に子どもが居ないって、問題なのだろうか?淋しいとは思うけどね・・・最初から出来ないと分かっているから問題なのであって、結果的に出来ない夫婦なんてたくさんいると思う。不妊治療とかで必死に頑張ってる方々も居るし、養子縁組する人達も居る。私自身、結婚して3年間子どもが出来なかったら、私の親が、内心出来ないのではないかと諦めていたらしい。さすがに私も病院に行ったら、基礎体温も測ってないで、何が子ども欲しいだ?と医者に怒られました・・・まあ、不妊治療もせずに出来たから良かったけど・・・同性愛者や、不妊症の人など、それだけで結婚する資格がないなんて差別だよね。まあ、親の立場から言えば、確かに子どもの血を分けた孫は欲しいけど・・・私は3人子供が居るから、一人くらいは孫が出来るでしょう・・・好きな人と結ばれて欲しいと今は思ってるけど、現実の問題になったら別なのかな?子連れ再婚をして、生さぬ仲の子どもや孫を受け入れてもらってる立場としては何も言う権利はないけどね。映画を観て、こんな現実的なこと考えてる私って・・・そもかく、それぞれきらきら光ってて素敵でしたよ。お互いを大事に思う気持ちがあれば、抱き合わなくても繋がっていられるのかな?最終的にこの三角関係はどうなるんだろう?と思いつつ、このままでいいのかな・・・なんか不思議な映画でしたね。
2009年03月05日
ジョンソンタウンのレディバグでランチした後、入間市のipotにあるユナイテッドシネマ入間で映画「ベンジャミン・バトン」を観ました。50才過ぎの主人と行ったので、夫婦50割引で、二人とも1000円です。夫婦のうち一人でも50過ぎだと割引になるのです。主人は「俺のお陰で安く観られるのだから感謝しろ」と言うのです。まあ、私は50前だからね。私は会員になってるから、少し割引あるし、水曜日のレディースデーは千円だから、それほど有り難くはないのだけど、、、ともかく私が映画代出したので、安くて助かりました。ランチはご馳走してもらいましたが。また、デザート代わりに、ユナイテッドシネマ入間で、チョコブラウニーを買ってもらったら、小さくてビックリ!これで250円もするのですよね!つい比較の為に指まで一緒に写してしまった、、、映画を観た後、パンフレットも買ったけど、900円と今、ユナイテッドシネマで公開中の映画の中では最高額!帯まで付いてて、まるで本のような感じです。ともかく映画は、割と良かったです。泣くとか、凄い感動と言うほどではないけど、淡々と人生を語るというか、本当にインターネットのコメントに書いてあったという「キリスト教徒の女性の為ではなく、仏教徒の男性の為に映画を作ってる」感じですね。「永遠というものはないんだよね」と何度も念を押し、無常観を漂わせていました。ただ、若返ろうが、年取ろうが、元々永遠なんてものはないのだろうけど、若返ることで、際立たせているなかな?いろんな人生訓が出てきて、そうだよねと頷いていました。また、ハチドリが象徴のように現れていましたね。ハチドリ「羽ばたくことを止めたら死んでしまう」と、タトゥーを彫ったくらいハチドリが好きな船長が言っていた。若返るのを止めようと死ぬことさえ許されない。どんなに自分の人生が嫌でも、生きていかなければいけないのですよね。私はそんな風に感じたけど、人それぞれ感じ方は違うでしょうね。人は最期オムツするのだから、老人でも赤ん坊でも同じですよね。父親になれないベンジャミンが哀れだけど、かえって愛する人の子供、孫になれたのかも。眠りに就くように死ねたら幸せかもしれませんね。マーク・トウェインによる「もし、人が80才で生まれ、ゆっくりと18才に近づいていけたなら、人生は限りなく幸福なものになるだろうに」という言葉にインスピレーションを受けたフィッツジェラルドが書いた短編が原作なのですよね。若気の至りを後悔したりするけど、経験を積めば失敗しないとは限らない。若い頃の後悔を、高齢になってから取り戻すということもあり得るよね。私も今頃になって、教師の夢を叶えている。また、映画の中で、事故や障害は、偶然の積み重ねという立証も面白かった。絵画的なシーンも良かった。パンフレットに載ってたのは、この噴水の前でのダンスシーン。シルエットが浮かび上がり、見惚れてしまいました。若さ溢れる魅力的なデイジーがベンジャミンを誘惑しても、年取ったベンジャミンは彼女のことを思い遣り、拒絶してしまう・・・また、湖の朝日のシーンも綺麗でしたね。自分を捨てた父親に、思い出の朝日を見せる。「はらわたが煮えくり返る。運命の女神を呪いたくなる。でも、お迎えが来たら、受け入れなくちゃな・・・」という船長の言葉を思い出しながら・・・その写真もパンフレットに載せて欲しかった・・・ブラピなどのアップもいいけど、風景が好きです。 上のパンフレットの写真は、たぶん同じ湖だと思う。また、パンフレットからの引用で済みません。Production Notes 3「人生とは”へこみ”や引っ掻き傷の集合体」 「ベンジャミンはビリヤードの突き玉みたいなもの。そして彼が遭遇する人々すべてが彼に何らかの痕跡を残していく」とデビッド・フィンチャーは説明する。「それが人生というものなんだよ。他の人や出来事に遭遇することでできる”へこみ”や引っ掻き傷の集合体が人生なんだ。それによって、他の何者でもないベンジャミンという男ができあがった」 「僕はこの”へこみや傷”というアイデアが気に入っている」とブラッド・ピットは言う。「人は出逢った相手に何らかのインパクトを与え、印象を残していく。そこには、どこかとても詩的で、受容的な雰囲気がある。それは別に投げ出すわけではないよ。自分が求める何かのために頑張るのをやめるということでもない。人生の必然性を受け入れるということなんだ。人は僕らの人生に入ってきては去っていく。人は去るものなんだ。そうれが選択によってであろうと、死によってであろうとね。自分自身がいつかは去るように、人は去っていく。それが必然性というものだ。それとどう向き合うかが問題になってくる」 ピットはこの考え方を友人でもあるフィンチャーと共有している。「この映画が掘り下げていくのは、人は自分自身の生き方に責任があるという信念で、それはデビッド自身の考え方でもある。」と彼は言う。「僕達は自分の成功にも失敗にも責任があり、他の誰かのせいにするべきではないし、誰かに功績を渡してしまう必要も無い。運命もある程度は関係するけれど、結局のところ、その結果をもたらしたのは、自分自身なんだ。」運命に振り回されずに生きていくことは難しい・・・でも、運命だからと諦めることなく、自分で人生を切り開いていくことも必要だし、かといって、いつまでも悪あがきはせず、受け入れるべき時には受け入れることも必要なのですよね。その時期を見計らうのが難しい。夢を持つことは必要だけど、いつ諦めるかの見定めが難しい。「イエスマン」という映画の宣伝で、「イエス」と言えば人生が変わると言ってたけど、そんなに単純じゃないよね。かえって「ノー」と言えなくて困ってることもある。やはり極端ではなく、中庸がいいのか?私はよく「全か無か」になってしまうので、反省しきりですが・・・この「ベンジャミン・バトン」もいろいろ考えさせられました。ちょっと、仏教的というか、哲学的?とも思えるけど、普段何も?考えてないから、頭の体操になったかもしれません・・・どんどん若返るのも嫌だけど、少しくらいは若返りたい私です。そういえば、日本にも同じような話がありましたね。「養老の滝」の昔話のように、若返りの水、酒?を飲んで、赤ちゃんになってしまうのも嫌だけどね。
2009年02月26日
入間おやこ劇場の例会の沢則行の人形劇「ノヴェー・コースキー」を観てきました!小学生から大人までが対象で、結構みんな楽しめたと思います。私の地域のブロックが例会当番だったので、私もポスターやチラシの原稿を作ったり、チラシ撒きをしたり、搬出の手伝いをしたりました。本当は、ロビーの飾りつけも手伝うはずだったのだけど、卓球の混合ダブルスの試合の打上げ(遅い昼食会)や、お茶などしていて、お手伝いできませんでした。ごめんなさい!「ノヴェ・コースキー」というのは、チェコ語で、「小作品集」という意味だそうで、どんな演目があるか、よく分からなかったのですが、「カニ」というのも、レパートリーにあると聞き、カニのお面を作った方も居ました。眼鏡をかけると、お面がかぶれないというので、眼鏡をお面に組み込んでしまったそうです!横からの方がよく分かるかな?すごいアイデアですよね!私は以前、「ノヴェー・コースキー」の事前で作り、夏祭りにも使ったお面をかぶったりしてました。私も眼鏡なのですが、組み込んでないので、眼鏡の上にかぶったりして・・・いろいろ事前にも楽しめましたね。そして肝心の人形劇です。私も一応例会部員なので、鑑賞レポートを書けとのお達し・・・その下書きを兼ねて、感想を書いてみますね。まずは、沢則行さんの自己紹介。HPの綺麗な人形や影絵の写真などを見て、芸術家肌の気難しい方を想像していたら、割とひょうきんで面白い方のようです。入間おやこ劇場の例会でやった後、青山のこどもの城の円形劇場で公演するので、初演の「牛」の反応も見たいらしい。それによって、青山でやるかどうかを決めると言ってました。人形劇というより、OHPの影絵と、自分の体を使ったパフォーマンスですが、まだこなれていないところもあるせいか、よく意味がわからなかったところもあったのですが・・・特に音楽ですが、BGMの音楽と外国語の歌詞入りの歌が、一緒に流れる部分が気になりました。それぞれは割と素敵な曲なのに、ぶつかり合ってしまうから、違和感を感じてしまうのですよね。歌を流すところは、BGMを止めればいいのにと思いました。OHPで、色砂を指で押しのけながら牛を描くなど、OHPの使い方などはさすがに手馴れていて、ファスナー付きのシーツ?みたいな白い布に牛の絵を映し、ファスナーを閉じて、入り込み、自分自身が牛になっていくところなどは面白かった。やはり音楽が惜しかったなあ・・・演じた後の事後交流会で、牛の仮面が、ファイバー?みたいな軽い材質で出来てると説明し、実物も実際に客席に回してくれましたが、軽くて立体的だから、光によっていろんな表情に見えますね。弓矢の持ち手にしていた木?も最後には牛の角になるという変化も面白かった。入間の反応が良かったので、青山でもやるそうです。音楽だけはちょっと変えたほうがいいのでは?なんて、片付けの時、スタッフさんにちょっと話したので、伝わったりするかな?アンケート用紙には書いてこなかったのですが・・・また、「三匹の豚」は、チェコの「豚殺し祭り?で演じて欲しいけど、豚の関する人形劇はあるか?」と市長に聞かれ、仕事が欲しかったら、思わず「あります!」と答え、来週の金曜と聞いて、焦って作った演目らしい。息切れや、「脳の血管がプツンと切れる音がする?」と本人が言うほど、激しいリアクションの狼で、大げさかとも思うけど、子供には受けていましたね。私はあまり笑えなかったけど、頑張ってる感はありました。また、亡くなったお母さんを想って作ったという「種」という静かな人形劇がとても素敵でしたね。最初、母親の仮面を付けたお母さんの遺品の黒い道行(着物のコート)を羽織、踊ってるのだけど、その仮面の下に、大きな長い口をした恐ろしい顔が現れ、その口の中から大きな種が出てくる。そして、風呂敷に包んだような種をほどくと老婆のような女が現れ、その老婆がユラユラと座り込んで倒れ、またその中から赤ん坊が現れる。そしてその赤ん坊の服を裏返しにしたかとおもうと、今度は女神?のような女が現れるという二重・三重にも隠された人形です・・・これにどんな意味があるのか?私はつい心理学の子供を抑圧するグレートマザーなんてものを彷彿としてしまった。私自身が母にそういうものを感じていたせいか、または今子供たちを無意識に抑圧してるのか・・・これも、事後交流会で私が質問したところ、深い意味はないけれど、「お母さん達はこんな顔してる時がありますよね。」と言われてしまった。自分のお母さんに加えて、奥さんのイメージもあるらしい。奥さんが甲状腺を切除した時、ストレスから発病したのだと言われ、そういうものを感じたらしい。また奥さんが出産した時、立ち会って、手伝ったそうだけど、そのとき、赤ちゃんの頭が細長くなって出てくるのを見てショックを感じたそうだ。また、生まれたては猿のように醜いとも・・・やはり事後交流会で「お母さんはどんな方でしたか?」と聞かれたとき、「普通の母親ですよ。」と言ってたけど、沢さんがチェコに渡ってから3ヶ月で亡くなってしまい、地球の地軸が曲がってしまったのではないかと思えるほど、自分の中が変わってしまったと言っていた。亡くなって初めてその存在の大きさに気づいたとも・・・本当にそれだけ大きな存在だったのですね。まさにグレートマザーかも・・・この「種」は、母がテーマなだけに、母親達は自分や自分の母親を投影し、いろんな解釈や感じ方をするのだろうな。人それぞれの「種」があると思います。「出産」という意味の「種」と心の「種」という意味もあるのかな?なんて、深読みし過ぎ?また、「ウサギとカメ」はギリシャ人の奴隷、イソップが書いた童話だそうです。私は日本の昔話かと勘違いしていた・・・そう思うほど、大人も子どももあらすじを知ってるポピュラーな童話ですよね。沢さんが、ギリシャで公演した時、ギリシャ人のイソップ原作だから、喜んでくれるだろうと題名を言ってもみんな知らないと言うらしい。日本人は「こつこつ努力すれば幸せになれる」童話が好みなのだそうだ・・・「アリとキリギリス」もそうかな?それであらすじを説明したら、そんなことあり得ないと一笑に付されたそうだ。沢さんは、そこで悔しくなって、少し話を変えて演じたらしい。ウサギとカメが途中入れ替わって、ゴールするというストーリーらしい。カメが甲羅を取り、ウサギの耳をつけ、ウサギが大きな台の甲羅を付け去っていきました。確かにカメがゴールに着くまでウサギが寝てるとなると、昼寝では済まず、一昼夜でも寝てないと計算が合わないよね。うちのマッキーはウサギで、ミンミはカメ、そしてカズはウサギでもカメでもなく、まず走らない・・・と思っていたけど、入れ替わるとなると、話が複雑になってしまうなあ・・・話が飛んでしまいましたね。また、「魚」の人形劇は魚の人形が左右に開き、蝶のようになるところは綺麗だけど、ストーリーとしてはよく分からない。お笑いでも意味を考えてしまう私は、こういう抽象的な表現についていけないのですよね・・・そして、最後のメイン?の「赤ずきんちゃん」OHPをフルに活用した影絵で、綺麗で面白かった。大きなロールした紙を天井から下げてきて、大きな「トイレットペーパー」と言っていた。事後交流会で、子供が「本当にあれはトイレットぺーパーなんですか?」と質問したのには笑ってしまった!そして沢さんが「1メートルあげるから、実際に使ってごらん。お尻が切れてしまうけど」と答えたのにも笑えた赤いセロファンをはさみで切り、赤ずきんを作り出すところや、プチプチの緩衝材を使ったり、レースの花や、半透明な切り絵などばら撒いたりと変化に富んでいた。また、透明な容器の中の水に浮かべた赤ずきんやおばあさんのセロファンをユラユラ揺らしながら、狼の腸内を表し、それを映した紙ごと裏からはさみで切り裂いた。斬新な表現ですよね!下半分が写らなくなったけど、また紙を引っ張って下げて映した。その時は、赤ずきんもおばあさんも笑って、手を繋いでいた!そしてその二人と沢さんも手を繋いだように見せて、一緒にお辞儀をした。赤ずきんとおばあさんは、セロファンを貼った透明なOHP用紙ごと折り曲げていたのだ。面白い趣向ですよね。学校にもOHPがあるから、何かに応用できないかな?音楽専科の授業で活用できないだろうか・・・多分また家庭科の授業も持たされるだろうから、それでもいいけどね。ともかく人形劇は子供のものという既成概念を打ち破る大人も楽しめる人形劇でした。まあ、人形劇と表現できるかどうか疑問だけど・・・チェコでは抑圧された歴史の中で、風刺を込めて人形劇が発達してきたそうだ。チェコの国立大学には人形劇学部があり、沢さんもそこの講師だそうだ。芸術には国境がないのかな?ともかく面白くてよかった。劇の最中のMCや、事後交流会でのトークなど、人柄がにじみ出る話も面白かったです。人形劇より面白かったと言っては語幣があるかな?実は、マッキーが明日から、アメリカにホームステイに行くのですが、人形劇が始まる前に私の携帯に電話がかかってきて、「海外でも使える携帯に機種変更したいから、名義人のママが居ないと手続きできないので、急遽、戻ってきて!」と言われ、産業文化センターから人形劇を見ずにうちにとんぼ返りしなければいけないかと思ったけど、マッキーの名義で新規に申し込むことにして、帰らずに済みました・・・この人形劇を見られて本当に良かった!マッキーは三泊四日の韓国旅行から帰ってきて、またすぐにアメリカに行きますが、今度は3週間です・・・無事に携帯が海外でも使える機種になって良かった!韓国では不便していたらしいから・・・
2009年02月15日
また水曜に映画「青い鳥」を観ました。すごく良くて、胸にずしんと来ましたね。後で詳しく書きます・・・水曜はレディースデーで、1000円で観られるのです!この頃何回も観るから、映画館の会員になろうかなるまいか前から迷っていたのですが、さすがに今日は会員になりました。早く入らないとポイントが貯まらないので割が合わないよね。でも、今日はポイントが倍と、ちょうどお得な期間だったので良かった!また、いいのがあったら観に来よう!うちでDVD観てると眠くなるし、なかなか集中できないけど、やはり映画館の方が、その世界に入り込めるので浸れます。次観るとしたら「私は貝になりたい」か「余命」かな?でも私は天の邪鬼なので、「私は貝になりたい」みたいに、過剰に?テレビなどで宣伝してたりと、メジャーだとかえって引くのですよね。中身は観たいけど、昔のオリジナルテレビドラマも図書館のビデオで観たから筋は分かっているのです。どうしようかな?かえって、ちょっとマイナーな方が観たくなるのですよね。この「青い鳥」は、先日観た「豚がいた教室」の前の予告で観ていいなと思ったのです。本郷奏多ファンのミンミに言ったら、私も観に行きたいと言ってたのですが、明日は高校のテストなので、来週行くつもりらしい。とても良かったので、是非観て欲しいな。皆さんにも観てもらいたいのですが、重く胸に響く感じです。「大人は、みんな、十四歳だった。人は弱いから、強くなろうとする。でも、強くなんて、ならなくていい。頑張るだけでいいんだ。今より少しでも、人の気持ちを想像するだけでいいんだ。かつて中学生だった、あなたに贈る。」その通りの映画です!パンフレットのあらすじより引用します。「家がコンビニを経営する野口は、級友達に「コンビニ君」とあだ名され、何人もの生徒から店に品を要求されては、彼らに渡していた。そんな行為に耐え切れず自らの命を絶とうとした彼の遺書には、「僕を殺した犯人です」と三人の名前が残されていたが、その名が表に出ることはなかった。結局、野口は転校。その家も店を閉めた。そして担任の教師高橋は重圧から逃げるように休職した。その代わりに着任した阿部寛演じる臨時教師の村内の挨拶に、生徒達は驚く。彼は極度の吃音だったのだ。やがてみなの驚きは笑いに変わっていった。だがその笑いは、村内の一言で消える。「忘れるなんて卑怯だな。」そして、自殺未遂して転校した野口の机を教室に戻すことを命じ、誰も居ないその席に声をかけた。「野口君、おはよう。」凍りつく生徒達。」一人、イジメの首謀者の井上が、これは「罰ゲームですか?」と聞く。「人が生きてる世の中に、ゲームなんてないんだ」(つまり、人生を送る上でリセットなんか出来ないんだと。それを覚悟し生きていくことが人としての「責任」なんだと。)もしかしたら、その遺書に名前が載ってるのでは?と強く思い込んでいた園部真一を本郷奏多が繊細に表現していました。「人を嫌いになったことはないのですか?」と問う園部に、生徒指導担当教師は「生徒の好き嫌いなんてしてたら、教師なんてつとまらない。」と軽くあしらう。園部はまた「じゃあ、人を嫌うだけでいじめになるんですか?」生徒指導が「それが態度に表れるし、人数も増えていくんだ。」と言う。それを聞いてた村内が訥々と言う。「みんな間違ってる。本気の問いには本気で答えなくてはいけない。人を嫌うことや、人数は関係ない。その人の気持ちを踏みにじり、傷ついてることに気づかないことこそいじめなんだ。」と。気づかないふりをしてることもですよね。傍観者の子ども達も、いじめの加害者でもある・・・「人に教えるって、どういうことなんでしょう?」と伊藤歩演じる若い女性教師が、村内に問いかける。その時は無言で立ち去るが、辞めて別れる時に彼女に言う。「人に教えることは出来ません。ただ傍にいてあげることしか。でも運が良ければ、何かを伝えることが出来るかもしれない。」本当にそれは痛感してます。お弁当は玄米のおにぎりに漬物だけという村内は、宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ風ニモマケズ」のデクノボーを彷彿とさせます。傍にいることしかできない。でも、それだけでもいいと思うのです。私も子供たちに寄り添っていきたいな。また、オープニングソング「鋼の心」とエンディングの「さなぎ」という曲を歌ったまきちゃんぐに感動しました。娘の名前に似てるしね。思わず、帰りにTSUTAYAに寄り、原作本「青い鳥」(重松清著)を予約して、「鋼の心」のCDを買ってしまいました。それくらい良かったです。良かったら観てみてくださいね。
2008年12月03日
映画「豚がいた教室」を観てきたのですが、久しぶりにボロボロ泣いてしまいました!先日、ラジオで宣伝を聞いて、観てみたいなとは思っていたのだけど、近所の映画館ユナイテッドシネマ入間でやってると知り、慌てて観て来ました。ユナイテッドシネマ入間は上映期間が比較的短く、入れ替わりが激しいのです。案の定、明後日までだったので、今日行けて良かった!でも、最終日近かったせいか、パンフレットが売り切れていて、がっかり。でも、映画の最後で原作本の名前もチェックしておいたから、映画終わったら早速本屋にトン?で行きました。 「豚のPちゃんと32人の小学生(命の授業900日)」(黒田恭史著、ミネルヴァ出版)です。店員さんに在庫を調べてもらい、あと数冊だったのですが、買えました!パンフレット代わりに買ってく人が私の他にも居るのかな?とにかく買えてホッとしました。自分の記憶はあやふやだから、このブログに書くにも参考資料が欲しいのですよね。でも、感想は子ども達がすごい!の一言。台本無しで、自分の意見を自分の言葉で言ってたそうです・・・泣きながら討論し合う場面は、涙が止まりませんそして主演で新米教師役の妻夫木聡も熱演でした。あらすじ等は、上の映画のHPを見てくださいね。これからマッキーの振袖の展示会に行くので、続きは後で書きます!では、行ってますね!p.s.帰ってきました!オフィシャルHPから、イントロダクションだけ引用させてもらいますね。「これは教育?素晴らしい授業!賛否両論を呼んだ実話の映画化「食育」や「いのちの授業」が叫ばれる前、総合的学習時間もまだなかった1990年。大阪の小学校の新任教師がはじめた実践教育が、日本中に波紋を投じた。それは“ブタを飼って、飼育をした後、自分たちで食べる”というものだった。「Pちゃん」と名付けられたブタは、32人の子どもたちに愛され、家畜ではなくクラスのペットとなっていく。食べるか。食べないか。2年半の飼育の後、子どもたちの卒業を控えて、Pちゃんの処遇を巡った大論争が展開される。しかし、問題はそこで終わらなかった。その後、子どもたちを追ったドキュメンタリーが1993年にテレビ放送されギャラクシー賞奨励賞、動物愛護映画コンクール内閣総理大臣賞を受賞し大きな反響を呼んだ。視聴者からの反応は「残酷だ」、「それは教育ではない」という多数の批判的な声の一方で、教師の情熱と、子どもたちが自ら考えて真剣に事態に向き合う姿に心を打たれ、支持する人たちもいた。その一人が、本作の監督・前田哲。前田監督は10年以上前に見たドキュメンタリーの感動を胸に秘め、動物や草木はもちろん、人間の命についても、改めて考えることが必要とされている今、この新任教師が挑んだ試みを多くの人に伝えたいと映画化に挑んだ。手渡された脚本は白紙・・・物語の結末を知らなかった26人の子どもたちのリアルな感情の秘密オーディションで選ばれた26人の子どもたちに手渡されたのは、子どもたちのセリフ部分だけが白紙で、結末が記されていない脚本だった。スタッフや、大人のキャストには通常の脚本が配布されており、撮影現場には「子どもの脚本」と「大人の脚本」が存在していた。それゆえスタッフや関係者は、余計な情報を与えないように、子どもたちと注意深く接した。オーディションからの180日間、モデルになった32人の子どもたちさながらに、26人の子どもたちは、ブタの飼育をしながら「ブタ肉は食べるけど、Pちゃんは?」を力の限り考え、物語としての結末を知らないからこそ自分の答えを見つけようと、思いや意見をカメラにぶつけた。「食べる13人、食べない13人」の真二つに別れ、時には議論が白熱して大粒の涙を流し、つかみ合いのケンカをしたこともあった。撮影を通して役を演じる子どもたちもまた、この授業を追体験したのだ。妻夫木聡が体当たりで教師役に初挑戦!スタッフ・キャストも学びながらの現場 そんな子どもたちと、一緒に悩みながら成長をする新任教師・星先生を演じたのは今回教師役に初挑戦の若手実力派No.1俳優・妻夫木聡。カメラが回っていない時でも「星先生」と慕われ、撮影現場では子どもたちに優しく、時に厳しく「先生」として接した。そして、そんな6年2組の先生と子どもたちを支える校長役に原田美枝子、教頭役に大杉漣、同僚教師役に田畑智子と、強力な俳優たちが脇を固める。撮影期間中、廃校になった小学校を借りて、子どもたち、キャスト、スタッフが毎日登校し、そして実際にブタを飼育した。作品に携わる全員が学びながら挑んだ本作。子どもたちの痛いほど真摯な瞳、言葉、そして強い思いは、時代が“いのち”、“食”、“教育”に改めて目を向けている今だからこそ、私たちの心を揺さぶらずにはおかないだろう。」また、この映画の基になったドキュメンタリーがありました。それについて「豚のPちゃんと32人の小学生」の解説(番組制作ディレクター西谷清治)より引用します。[「真っ白な心で臨もう!」これがカメラマンに伝えた言葉だった。「作品が放送されるまでには、いくつかの高いハードルがあった。最初、作品は荒編集がなされてNHKにプレゼンされた。・・・教育畑を歩んできたプロデューサーが、突然、大きな声で怒り出した。あまりの剣幕にこちらも驚いた。「これは教育ではない。間違った教育だ。間違ってるものをNHKで放送するわけにはいかない。」なにが間違っているのかが分からなかった。ただそのプロデューサーが言わんとすることは、教育と言うのは、結論が分かっていて、そこにいかに上手に子ども達を導いていくかというものである。それも。結論もわからずに始めてしまって、挙句の果てに子ども達にこんな辛い思いをさせる教師は、教育者ではない。そんな不適格な教師がやったことをNHKが放送すれば、それを認めたことになる。そんなことは許せんということだった。 しかし、当時私は、そのプロデューサーの怒りを論破できるほどの教育論を持っていなかった。「トライ・アンド・エラーがなぜ悪いのか?」その漠然とした思いだけでは、教育畑を歩んできたプロデューサーの怒りを静めることは出来なかった。 NHKで放送できるという喜びに満ちた日々だっただけに、その後の失望は大きかった。しかし、捨てる神あれば、拾う神ありである。こんな一抹を、フジテレビのプロデューサーがまさに拾ってくれた。そしてトントン拍子に放送前までこぎつけた。 さらに、ところがである・・・。]またまた波乱がありましたが、なんとかフジテレビでは放送はされたものの、抗議の電話が凄かったらしいのです!「反論が声高なのに反して、賛同の評価はいつも静かだ。」本当にそうですよね。非難や批判する人は多いけど、心の中で賛同・共感している人も居る・・・いろんな賞をもらうほど、賛同の声もあったのですね。長女のマッキーが、「人を非難する人は、コンプレックスの裏返しで言ってるのだから気にしない」と言っていた。そう思えばいいのかな?娘に教えられてしまいました。教育とは何なのでしょうか?教師も試行錯誤しながら授業している・・・教師は同じ授業を何回もやり直せるけど、子どもは、その1回きりしか受けられないから、「トライ・アンド・エラー」は許されないのでしょうか?でも、人生は結論が決まってるものではない。昨日、「正」の字を使った言葉を小学1年に書かせてたら、「正しい絵」、「正しい子」などと書いている・・・そんなものはないと言ってしまいました。算数には正しい答えがあるけど、図工には正しい答えはない・・・いつも正しい子など居ないのだとも・・・白か黒かではないのですよね。この映画でも、食べるか食べないか、その結論が問題なのではなく、そこに至るまで過程、子ども達が命に真摯に向き合って考え、自分の意見を相手に向かって問うていくことが大切なのだと思います。涙ながらに話す子達が、切なくて痛々しくて涙が出ました。私自身は、とてもこんな授業を出来ないとは思うけど、せめてこの映画や本は、子ども達に見せたいと思います。今日もマッキーの振袖を選んで、帰りに韓国料理屋でいろいろ話しましたが、この映画の話をしたら、大学1年のマッキーもボロボロ泣いてしまいました先日の中学の「命の授業」の話をしても泣かなかったのに・・・やはりまだ子どもの立場が分かってしまうのでしょうね。本も私が読んだ後、読みたいと言ってくれました。「アフリカのルワンダ問題」や「日本占領下のフィリピン」などに関する本を読み、海外の問題に目を向けがちなマッキーだけど、日本の問題も考えて欲しいですよね。映画の中で、沖縄料理店主の父親が、「子供の頃、平気で飼ってた豚を殺す親達が鬼に思えた。でも、その鬼が言うには、捨てることなくみんな食べてやることこそ、その豚への供養?になるのだと言ってた。骨さえも砕いて畑に撒いて、土の返すのだ。無駄な死にではない。」というようなことを言っていた。食べ遺して、残飯を捨てることこそ、命を粗末にしてることになるのですよね。魚を綺麗に食べること、肉も骨に付いたとこまでしゃぶるくらいに食べてあげることも、いただいた命に感謝することに通じるのでは?命の尊さを教え、感謝する機会は、遠い死を考えるだけでなく、身近な3度の食事の時にもあるのですね。「いただきます」とは、命をいただくことなのですよね。当たり前のように他の命を奪って、人間は生き続けているけど、その命がなければ、人間の命も存続できない。そんなことも忘れてしまっていました。映画の中で、「豚肉が食べられない」と言ってた子も居ました。でも、Pちゃんを思ったら、感謝して最後まで食べてあげないといけないのですよね。難しい問題だけど、小学1年生にも分かるかな?明日は音楽の授業を2時間するけど、ちょっとだけ触れてみたいような気がする。でも、簡単には済ませられない問題だから、少しの時間では中途半端になってしまうか・・・でも、まだ心が柔らかい1年生だからこそ、そのひだに入り込むような話がしてみたいです・・・
2008年11月26日
青年劇場の劇「修学旅行」のゲネプロを入間おやこ劇場の下見部員として見せてもらいました。総会で選ぶ例会の候補として挙がっていて、私も推していたので、声をかけてもらったのです。総会は、声楽の発表会と重なって、出席できないのですが、もし例会として取られたら、公演料が高い為、券売りになる可能性大!なので、みんなにお勧めする材料を仕入れるよう声をかけられたのかな?ただほど高いものは無い?以前、入間おやこ劇場の人から紹介されて、映画郡上一揆」の試写会に行ったのですが、その帰りには、券売りをお願いされました。そんなものかな?「郡上一揆」は、内容もキャストも良かったから、主人と義母と、友達一人に勧めました。でも、なかなか勧めにくいんですよね。勧誘は苦手です・・・主演が緒方直人で、緒方拳の息子ですが、このごろあまりテレビ見かけないなと思うと、こういう自主上映の映画に出てたりするんですよね。秩父事件の映画「草の乱」でも、主演してました。まあ、同じ監督だから、気に入られてるというか、緒方直人自身、趣旨に共鳴しているからこそ主演してるのでしょうね。「草の乱」は、無料試写会に行かなかったので、主人と二人、チケットを買って観にいきました。両方重いテーマだけど、考えさせられるだけでなく、ジーンと胸に響くいい映画でしたね。緒方直人は、緒方拳よりまだ小粒だけど、年齢と経験を重ねれば、父親を追うような渋い役者になれるのではないかと期待してます。緒方拳は本当に惜しかったですね。若い頃のぎらぎらと狂気を帯びた目も良かったけど、晩年の、枯れた、笑顔が可愛らしいくらいの頑固爺さんも良かったです。なんとなく、私の父にも通じるところがあっただけに淋しいです。なんて、また話がずれてしまいましたが、今日の主題は、無料で見せてもらった劇「修学旅行」のゲネプロについての感想でしたね。脚本が、現役教師の畑澤聖悟だから、現役高校生達の実態を知って書いてるのだろうけど、長女マッキーの高校の修学旅行では、私に反戦を教え込まれていたマッキーが頭にくるほど、戦争に無関心な生徒が多かったそうだから、こんなに戦争について、修学旅行で話すかな?と疑問に思うくらいでした。まあ、これくらい言って貰わないと、私が例会に取りたいとは思わないけどでも、押し付けがましくはなく、恋愛あり、笑いありの中での戦争の話だから、高校生や小・中学生でも、それほど違和感なく見られるかもしれない。特に恋愛に絡めて、枕投げ戦争が始まるところなど、身近なところに争いの種が落ちてることに気づかされる。話し合いではなく、暴力に発展してしまうところも。戦争は決して遠い昔や、遠い国での自分には関係ない出来事ではないのですよね。いつ日本も巻き込まれるか分からないし、派兵されるかもしれないのだから。キャラでは、建前や本音を、教師や生徒の前でうまく使い分ける生徒会長に一番共感してしまったかも。でも、本当は建前として「戦争を忘れてはならない」と教師に話したことも実際に痛感してるのだと思う。それが本音だと同室の生徒に思われたくないから、わざと悪ぶって、生徒の前では戦争体験の話はグロいなどと言うのでは?と、うがった見方もしてしまう。KYと思われたくない為?私が高校生の頃でさえ、「戦争が必要悪だ」なんていう男子が居て、私は「絶対悪だ」と主張していたが、そんな青臭い議論に加わる人は他に居なかったものね。今はもっと、そんなことを話す人達自体居ないんだろうなと思う。マッキーがそんなこと話せる人はママ以外居ないと嘆いていたくらいだから。でも、本当は戦争反対と思っていても気恥ずかしくて、今更声を大にして言えないのかもしれない。それを言えるのは若者の特権だったはずなのに。私も平和教育したかったなあ。その為に広島で原爆痕の写真を撮りまくったくらいなのに。これからでも学校で教えるチャンスはあるかも。また、こういう劇こそ若い人に観て欲しい。親の世代やもっと年配の世代も、忘れないために。「知覧」という戦争劇も例会候補に上ってて、2つも連続で戦争劇観たくないという人も居るけど、設定も過去と現在で違うし、扱ってる戦争も第二次世界大戦とイラク戦争と違うのだから、2つ観てもいいんじゃないかな?「あの人の手紙」かぐや姫も実際の「知覧」の映像に合わせて聞いてくださいね。「修学旅行」は戦争だけがテーマの劇じゃないから、若い人にも受け入れやすいかもしれない。暗いから嫌だ、思い出したくないと言う大人も居るしね。義母など、戦争物はもう見たくもないと言う。経験者はそうなんだろうな。知らない者こそ、知るために観ないといけないのですよね。経験者はどんどん亡くなってしまうのだから、今のうちに受け継いでいくためにも、目を背けてはいけないと思う。でも、戦争賛美?少なくとも殉死者賛美みたいのは観たくない。そういえば、仏教界で戦争中、反戦を訴えて除名された僧が、今頃、名誉回復を認められたという教育テレビの番組「戦争は罪悪である」を録画しようかと思ったけど、緒方拳追悼番組の「ディア・フレンド」の方を録画してしまった・・・やはり緒方拳の魅力には抗し難い緒方直人と親子共々魅了するなあまたまた話が広がってしまう私・・・とにかく反戦・平和教育のためには、「知覧」「修学旅行」両方の戦争劇が例会で観たい私なのでした。かえすがえすも、総会で例会選びに参加できないのが悔しいです。でも、それほど「修学旅行」が良かったということですね。
2008年10月12日
「最後の初恋」の最後に流れたイメージソングのダニエル・パウター「ベスト・オブ・ミー~素顔の僕をうけいれて~」(試聴可)がとても良くて、帰りかけた私が、思わず立ち止まり、また近くの席に座り直して、歌詞を見ながら聴き入ってました。歌もいいですが、歌詞が特に良いですね。うろ覚えですが、「道に迷った時は誰かがそばに居てほしい。一人で居たくないんだ。(そんなこと言ってしまう)素顔の僕を受け止めて。」みたいな感じです。正確な歌詞が知りたいな。p.s.「素顔の」を「素直な」と間違えていました。訂正しましたが、本当に申し訳ありません。私自身が素直になりたいと思っていたから、素直と勘違いしてしまったのかも・・・
2008年10月01日
先週の水曜日、20世紀少年を映画館へ見に行った時、予告やチラシを見て、「最後の初恋」をまた水曜日のレディースデー(料金1000円)に観ようと思いました。「最後の初恋」という題名どおり、本当にこれが最後の恋だと思っているけど、まるで初恋のように、離れている時は初々しく文通したりするのです。手紙をどきどきしながら開封し、子どもの目を盗みながらも笑みを浮かべて読んでる姿には微笑ましいとさえ思ってしまいます。なんか憧れてしまうなあプログラムにはこのように書いてありました。「人生も半ば過ぎると、たいていの人は『もう恋などすることはないだろう』という想いにとらわれる。しかし、様々な経験を重ねた今だからこそ、めぐり逢える恋がある。恋のためにすべてを捨てた若き日の初恋ではなく、恋のためにすべてを受け入れる”最後の初恋”だ。それは、人生の長い道のりを迷いながらも走り続けた者だけに与えられる、極上の贈り物なのだ。」と。また、映画評論家の渡辺祥子さん曰く、「・・・子どもへの複雑な思いを抱いている以外に共通することのない二人が、あとくされのない行きずりだからこそ、本音をぶつけ合ってベッドを共にする。そこからドラマが生まれる。子どものために、という建前にとらわれて決断が下せなかったエイドリアンは、離婚を決意した。いつも父親の味方の娘にはっきり言った。『二人(の子ども)を愛してる。(パパも二人を愛してるわ。)でも、私は決めたの。正しい決断だと信じて。』アン、ピーコックとジョン・ロマーノの書いた脚本は、台詞に現実味があって、とても身近だ。」本当にもっとロマンチックな、昔観た「マディソン郡の橋」のような恋愛物を期待してのだが、もっと現実的で、リアルな台詞満載でしたね「マディソン郡の橋」の中で、フランチェスカが遺書に「人生は素晴らしい。行きなさい、私の子供たち。」と愛の素晴らしさを語り、励ましていた。今回の「最後の初恋」では、エイドリアンが、娘に直接、ポールとの恋愛を打ち明けている。私はその娘の反応が気になったのだが・・・まあ、あまり言うとネタばれになるので、これ以上は言いませんね。とにかく、大人のラブストーリーとしては、よく出来ていたと思う。ただ仕事帰りで、昼食後だったせいか、強烈な睡魔に襲われて、最初の方が観られなかった・・・あらすじは読んでいたので、ストーリーは分かったが残念。でも、本当にすごかったら眠れなかったかも。途中も肝心の海でのラブシーン?の頃も眠たくなって、一瞬?寝てしまった。私は昔、劇「国語元年」でも、睡魔に襲われて、肝心な場面を逃したことがあった。なんとなくみんなが笑ってる声は聞こえたのだが・・・内容に関係なく、睡魔に弱い私かもしれないけど、やはりそれでも負けないくらいの映画や劇が観たいな。エイドリアンとは反抗的な娘が居るとか、離婚したことなど、共通点が多いだけに、こんな恋愛に憧れる気持ちもあってこの映画を見たけど、それほど惹かれなかったのは、幸いと言うべきかも
2008年10月01日
ミンミが観たいと言っていた「20世紀少年」を仕事から帰ってきて、すぐに一緒に観にいきました。2006年の12月に「椿山課長の七日間」を観て以来だから、1年半以上観てないんだ・・・印象的だった「半落ち」はいつ観たんだっけ?と調べたら、2004年だし、「アマデウス(ディレクターカット版)」は?と思ったら、2002年でした。そのくせ日記には書いてませんでしたね・・・他にも以前はいろいろ観たけど、最近は映画館に行ってないですね。去年は行く暇なかったというのもあるけど、ついDVDで観てしまう。でも、早送りで観てしまったり、集中できなかったりで感動できないのですよね。久しぶりに映画館で浸るのもいいなあと思いました。原作者の漫画家である浦沢直樹が、脚本まで書いている。長女のマッキーが好きで、借りてきた漫画を途中まで読んでいたから、大体ストーリーは分かっていた。ミンミも漫画で読んだ先まで、特に「ともだち」と呼ばれるカルト教団の教祖が誰なのか、分かるのかと期待していたみたいだけど、第2章へと持ち越されてしまいましたね。まあ、3部作だから、第2章でも、もしかしたら明かさないかもしれないけどストーリーは大体わかっていても、やはり面白い。それにキャストが凄く豪華というか、個性的な人が集まっていて、本当に群像劇という感じです。特に私は「オッチョ」の豊川悦史と「ユキジ」の常盤貴子が好き!二人ともセクシィですよねこの二人は愛してくれと言ってくれ」でも共演してて、二人のファンになったのですよね。主題歌の「ドリカム「LOVE LOVE LOVE」も合ってたなあ。おとといのカラオケでも歌ってしまったけど二人のコメントも良かった!人間的にも魅力的な人達だな。豊川悦史―オッチョの魅力は?―「何かを一度、失った人間のもつセクシーさがあると思います。」本当にそれを体現してましたね!常盤貴子―ケンヂへの思いはどう解釈されていますか?―「ユキジはケンヂが頑張っている姿に励まされて、同じラインに立とうと思って生きてきたのに、再開した時のケンヂを見て、歯がゆい気持ちがあるのではないかと思います。”あたしはあんたを守るわ”と言う場面がありますが、母性や強い友情から出たセリフだと思います。恋人でも友達でも、人との関係において誰もが相手に何かあったら助けたいと考えますよね。日常、なかなか口にできないけれど、それをあえて面と向かって言うユキジはかっこいいです。」本当に凛としてして格好いい!憧れちゃうなあ子役も良かった。特にやはりオッチョ役の目つきの鋭い男の子が、突っ張ってる感じで可愛い大人の俳優に似た子役を探したというだけあって、豊川悦史の斜に構えた感じまで出てますよね。また脇役まで、大俳優、大女優、名わき役、芸人などを使い、ミンミが言うには、「ドラマに出る人が居なくなってしまうほど、この映画に日本の俳優・女優が総出演していたほど」?らしい。まあ、キャストはともかく演出もいいかな。コンビニが燃えるシーンなどあまりにもリアル過ぎて、怖いほどだった。これはCG使ってないらしい。やはり迫力が違うよね。ケンヂとカンナの最期の会話も切なかった。「人間は(無謀だと思えても)やらなきゃならない時がある。」と。またプログラムからの引用で申し訳ないのですが、私の言葉で言うより、そのままの方が伝わると思います。堤幸彦監督へのインタビューの一部です。―ケンヂが闘わざるを得なくなった気持ちをどう考えますか?―「僕には、負けるもんか、逃げちゃダメだ、どついたるねん、とかいう発想はないんです。そもそも世の中には選ばれし者と選ばれない者がいるわけで、選ばれない人は精神論ではなくて相当小利口に生きていかなくては生きていけないというプラグマチズムあると思っています。ケンヂは”危なくなったら逃げてくれ”と仲間に言うし、逃げないんじゃなくて闘わざるを得なくなった人です。これは追い詰められちゃった人の話だと思うんです。行く先々に必ず「ともだち」がかげろうのように現れて、手のひらの上で弄ばれている感じなんですよ。”役ってなんだよ?”ってケンヂがともだちに問うところも印象深いです。」本当に、追い詰められると闘わざるを得ないのかな。それでも逃げてはいけないのかしら?戦争も避けられないのかな?なんてまた話が飛んでしまう・・・今度は原作・脚本の浦沢直樹へのインタビューの一部です。―血のおおみそかで。ケンヂが「自分の命が危ないと思ったら、一目散に逃げてくれ」と言います。そのセリフが印象的です。「逃げなさい、隠れなさいというのが、加川良さんの『教訓1』と言う歌にあるんですよ。逃げた方がいいという考えは、僕にとってもロックな気がするんです。ともすれば、人間はお国のために死ぬというような自己犠牲が美しいという考え方が世の中に蔓延すると、一様にそういう気持ちになります。でも、まずは、よく考えてみようって思うんです。だって、自由なんですから、人間は。僕らの世代では、主流派考え方に対して、一回反転した考え方があったんですよ。最近は物事がシンプル化されていますよね。例えば、シンプルに”夢を諦めないで”というメッセージだけが提示される。それじゃシンプル過ぎると思うんですよ。世の中ってもっと複雑怪奇な気がするんですよね。」うーん、私は、先ほど書いた堤幸彦の考え方より、浦沢直樹の考え方に共感できるなあ。「女は逃げても男は戦う」みたいなこと、昔誰かに言われたような気がするけど、男も逃げていいと思うんですよね。意地になって戦争するんじゃなく、日本は降伏したって、占領されたって、国は滅びなかったじゃない。まあ、いまだにアメリカの言うなりだけど建前だけじゃなくて本音も言っていいんじゃないかと。”夢を諦めろ”というわけじゃないけど、”ある程度努力して駄目なら、諦めてもいいんだよ”と誰かが言ってやらなければ、いつまでたっても諦めきれない。そういう私も”教師の夢は諦めろ”と言われたいのかも・・・なんて、また話がずれてしまいました。うちに帰って、カズに話したり、プログラムを見せていたら、俺も見たかったなと言ってました。でも、10月の新人戦まで、もう土日祝日も部活の休みがないそうなので、映画を観にいく暇がない。夜も8時半からだから、終わるのが11時になってしまう。たぶん寝てるよねいつも9時くらいに寝てる子だから。まあ、チラシを何枚か映画館からもってきたのを見せたら、「イキガミ」が観たいなと言っていた。私も面白そうだと思ったから持ってきたのだけど。松田翔太や「百夜行」の山田孝之も出演してるから観てみたいな。ストーリーも面白そう。また、「最後の初恋」もよさそう。大人のラブストーリーだから、子供と一緒には観たくないけどね。主人は当分平日に休みが取れそうにないから、映画はお預けだそうです。土日は混んだ映画館に行きたくないんですって。そんなに混んでないけどねまあ、私1人でも、今日みたいに水曜のレディスデーに行ってこようかな。1000円だから、DVD借りるのと大して変わらない?とりあえず、来週の水曜に「最後の初恋」を観に行こうかしら?調べたら予告編もありました。こういうのも憧れるけどねとにかく「20世紀少年」は、お勧めですよ。まあ、他の映画を最近観てないので、比較の仕様がないけどね
2008年09月24日
写真は、買ったプログラムに載っていた写真を撮ったものです。一重に見えるけど、二重なんですね。ドラマ「あすなろ白書」の掛井保は原作の漫画では一重だったから、筒井道隆も一重かと思ってました。(>_<)あすなろ白書以来のファンなのですが。m(__)m今日、明治座で筒井道隆が主演している時代劇「大川わたり」を観てきました。劇が始まる前に、売店でサンドイッチを買い、ロビーのソファで食べたのですが、隣り合わせになった方と話しているうちに筒井道隆ファン同士で意気投合してしまいました。私よりも熱心なファンで、いろいろ教えてもらい、またドラマの話になったら、永遠の仔、白夜行など暗く重いドラマがお互い好きだということになり、また休憩時間もお話しましょうと約束しました。休憩時間に話しても話しが尽きず、メルアドも教え合い、劇終了後も明治座の喫茶店で、劇のこと以外も小説や自分自身のことなどいろいろおしゃべりして、とても楽しかったです。こんなに趣味や気の合う方は初めてで驚いたほどです。もちろん女性で、同じくらいの年代なので、話が合ったのかもしれないけど、ここまで合う方はあまりいませんね。またメールや私のHPでお付き合いしたいです。これからもよろしくお願いしますね。と、私信になってしまいましたが、これからは劇、筒井道隆についてです。あらすじは、家に帰ってからパソコンで公式ホームページを見てリンクするので、そこを見ていただくとしましょう。<帰ってきたので、「大川わたり」(明治座)をリンクしました。詳しいことはこちらを見てくださいね。>私は、やはり筒井道隆のことですね。わざわざ観に来て良かった!と思わせてくれました。テレビと違って劇は声を張らないと響かないから、淡々と話す筒井道隆は、他の俳優に比べ、あまり大きな声とは言い難いけど、暗い控え目な役なので、かえって役作りなのかと思うほど。彼はセクシィですよね。立ち振る舞いも派手ではないけど、指先まで神経が行き届いていて、所作が綺麗です。大工の上着を手代の羽織りに着替える時、細い指が軽やかに舞ってました。酔ってるなあ。(゜.゜)オペラグラスを購入してまで、見つめていたいと思うほどです。掛井保や、ゴンゾーの佐久間など、影や過去がある暗い役の方が好きなのですよね。ただの優柔不断ないい人なんて、あまりやって欲しくない。アラフォーのマー君は、後半良かったけど、前半は歯痒かった。やはり筒井道隆には、芯やアクが強い役をやってもらいたいな。単に私の理想を重ねてるだけなんだけど。(>_<)今回の銀次の役は、そういう意味でも理想に近い役だな。朴訥で誠実だけど、闇も併せ持つ感じ。原作の山本一力は、聞いたことあると思ったら、「あかね空」の原作者でもありましたね。「あかね空」も演劇で観たことあるのです。原作は読んでないけど、直木賞を取ったくらいだからやはり良かったのでしょうね。2004年の10月6日に観てました。日記は書いておくものですね。そんな前だとは思わなかったけど、偶然にも同じ原作者の劇を2作も見るなんて、縁があるのかな?滅多に都内までは観に来ないのにでも、やはり原作がいいと劇もいいですよね。イメージが違いすぎて失望させられる劇もあるけど、これは原作を知らないせいか、筒井道隆だけ?観ていたせいか、とても良かったです。他のキャストや演出も割と良かったです。演出は江守徹なんですね。出演もしていたけど、自分が出てる時の演出って、どう駄目出しをするのかな?監督が出演する映画もあるけど、いつも疑問に思ってしまいます。まあ、映画は録画を観るという方法もあるけどね。演劇でもそうしてるのかしら?とにかく原作と、脚本もいいと思う。あまり言うとネタばれになってしまうから言わないけど。プログラムの山本一力のメッセージには感動しました。公式HPには載ってないようなので、紹介しますね。「銀次の声が聞きたい」山本一力『大川わたり』こそ、まぎれもなくわたしの物書き人生のスタートです。はや14年も前のことですが。1994(平成6)年6月に350枚の『大川わたり』を書き上げ、ある出版社の新人賞に応募しました。 当時のわたしはビデオ制作会社の経営に失敗し、巨額の負債を背負っていました。 返済しなければならないのは当然ですが、その方策がありません。八方ふさがりの状況から気持ちだけでも抜け出してたくて、小説新人賞への応募を考えました。 現実社会では果たせなかったことを、小説の中で成し遂げたい。そんな想いで、書いたこともなかった時代小説を、ひたすら書き続けました。 『大川わたり』の銀次に、自分の姿を色濃く投影させました。そしてなんとか銀次に、物語のなかで踏ん張ってもらいたいと念じました。 どうしておれにはツキがないんだ。 なぜ運の良さには、えこひいきがあるんだ。 物事をしくじるたびに、自分のツキのなさに苛立ち、天に向かって毒づきました。『大川わたり』を書き進めるうちに、その考えは大きな了見違いだと気づきました。 ツキのあるなしは、見方によって大きく変わります。 自分の側からだけで判ずれば、うまく運ばないときは「ツキがない」としか見えません。 しかし自分には見えていないところ、自分の知らないところで、力を貸そうとしてくれているひとがいるのです。 自分ひとりで生きているわけではない。 力を貸してくれるひとが、どこかにいる。 これが逆境のまっただなかで『大川わたり』を書いたときの作者の願い・希望であり、信念でもありました。このたび『大川わたり』が明治座という、このうえなき晴れ舞台で上演されることになりました。 原作を仕上げたのは、まぎれもなく山本一力です。が、舞台はもはや、別の芸術です。 水谷龍二さんが脚本を。 江守徹さんが演出を。 そして役者さんが、紙のうえにいた人物を大舞台に立たせてくださるのです。 銀次の声が聞けるとは!! 初日の幕が開くのを、だれより心待ちにしているのは、小説の原作者当人です。」すばらしいメッセージですよね。劇の中にもこのメッセージが込められていました。なんでこんなに銀次を見込んで、命を賭けてまで助けてくれる人たちがいるんだろうと疑問に思うほど、男気のある人ばかりでした。もちろん筒井道隆が演じるだけあって、男が惚れる男ではあるのだけど、このメッセージを言いたいが為?でもあるのですよね。また、敵役の新三郎の松村雄基は、演技も、プログラムのコメントも良かったです。「新三郎は慕っていた猪之助親分に裏切られたと思ったとき、悪巧みをしますが、愛情にも恵まれず育った人間ゆえの悲しみですよね。でも新三郎も銀次のように良い師に出会っていれば、違う人生もあったはずです。”色悪”とでも呼びたい今回のような役は初めてですが、生き方次第では、銀次郎が持っていたであろう、残酷な部分、きわどい部分を新三郎で表現できれば、作品に一層のおもしろさみを加えられるのかと思っています。」本当に、人間は誰でも善悪両方併せ持っているのですよね。勧善懲悪なんて単純なものじゃない。闇があればこそ、光が輝く・・・この新三郎も可哀想な人間だけど、筒井道隆なら、この役もこなせたかな?こういう両面持つ役もやってほしいです。池上季実子演じる柳花は、新三郎が危険な男だと分かっていながら、すがってしまう淋しい女。その女を篭絡して、自分の計画に利用する新三郎。男も女も哀しいですよね。筒井道隆個人はもちろん素敵だったけど、やはり他のキャストに支えられてこそ、いぶし銀のように光っていました。それこそメッセージを体現してましたね。
2008年09月18日
明治座で公演している筒井道隆主演の時代劇を観に行くのですが、都民劇場に入ってる義母が最後のチケットを譲ってくれたのです。私が筒井道隆のファンだと言ったら、わざわざこの劇を選び、ただでくれました。いい人なのですよね。いつも日記には愚痴ばかり書いてしまってるけど。笑まあそれは主人と義母の関係が濃すぎるからで。(>_<)一人っ子だから仕方ないかな。義母は今回を最後に都民劇場を退会するらしい。都内まで観に行くのも大変だし、去年まで一緒に観ていた友達も先にやめてしまったからね。おやこ劇場に誘おうかとも思ったけど、観る劇の規模が違うし、私もおやこ劇場の劇を観る時くらい義母から解放されたいからね。土日は毎週うちに義母が夕食食べに来るのだけど、おやこの劇観る時は大手を振って出かけられる。その代わりみんな義母のおごりで外食に行くんだけどね。私がおごって貰えることはあまりない。私が居ない時も、義母は決して作らない。たまにミンミが作る手伝いとかするけどね。また愚痴になっちゃった。まあ今日は義母のお陰で大好きな筒井道隆の劇が見られるんだから、思いきり楽しんでこないとね。ドラマ「あすなろ白書」の掛井保役でファンになったのだけど、それからあまりテレビドラマで見かけなかったような気がする。まあ私自身ドラマ自体をあまり見る余裕がなかったので、知らなかっただけみたいだけど。でもここ数年、大河ドラマの新撰組や、アラフォー、ごんぞうなど、準主役みたいな重要な役を演じている。ただのいい人ではなく、クールだけど本当は優しいという、私の理想?に近い男性だから嬉しいな。顔もいいけど、あの淡々としゃべる話し方や低い声も好きです。情熱を秘めている感じ。舞台劇はあまり顔が見えないだけに、声が重要なのですよね。まあオペラグラス借りるつもりだけど。(>_<)筋はあまり知らないけど、筒井道隆が出ていればいいというミーハーなファンです。まあ劇自体はシビアに観ようとは思うけどね。一応おやこ劇場の下見部員だしね。この頃下見もしてないけど。m(__)m昨日、10月の総会の日時が変更になって、声楽の発表会と重なることが発覚!もう個人レッスンも発表会も申し込んでるからキャンセルはできない。総会で劇などの例会を選べないのは残念。 (T_T)毎年サークル代表で総会後半の例会選びだけは出席してたのに。総会で審議にかけられる例会候補選びの会議にも、仕事を早退して途中から出席するつもりだったのに、なんか意欲減退してしまうなあ。(-.-;)でも、まあそれくらい出ないとね。来年度のサークル長も、入ってまだ何年かしか経ってない人が快く?引き受けてくれたから、私がやらずに済みました。三月一杯までは一応出来るけど、四月からは、また仕事がどうなるかわからないからね。また話が広がってしまいましたが、とにかく筒井道隆の劇を思う存分楽しんできます。感想はまた後で書きますね。
2008年09月18日
入間おやこ劇場で、「子供のためのシェイクスピア劇」の「シンベリン」を見に行きました。キラリ☆ふじみ、という富士見市のホールでやるのですが、いろんなおやこ劇場が参加するのです。入間おやこ劇場以外は、志木、新座、広域おやこ劇場ひき北いるまですが、入間からは、一時間位のバスツアーで行きます。会員外でも券を買えば行けるので、高一のミンミも券を買って行きました。去年、やはり券を買ってパラサイトパラダイスを見て以来かな。今度、12人の怒れる男達もたぶん券売りになるから、またミンミを連れていこうかな。割と劇好きなのですよね。マッキーも好きだけど、忙しくてなかなか予定が合わないし、先日も劇団四季など、友達と一緒に好きな劇やミュージカルなど観に行ってしまった。まあ、おやこ劇場で、小さい頃から劇など見慣れているから、もう親以外とでも自分で選んで行くのです。親離れしていくのは淋しいけど、大学生なんだから仕方ないよね。ともかく、今日はミンミと観にいくシンベリンバスツアーを楽しまないと。ミンミはバスレクのクイズなどには興味なく、あまり楽しそうでもないけど、劇を楽しめればいいかな。渋滞で時間がかかったので、バスの中でおにぎりなど食べて夕食にした。劇はまあ割と面白かったけど、笑いを取るところで、私やミンミは笑えなかった。馬鹿な王子クロートン役は芸達者だなとは思うけどギャグが大人向きで、若い子には分からないかも。イーグルでホテルカリフォルニアが出てきたりと。笑私が好きな曲だから、ミンミは知ってたけどね。途中、いきなり組体操になったりして劇が中断したりした。ピラミッドが崩れるという落ちも予想がつくから、早く終わらないかと思ってしまった。第二幕はあまりギャグが多くなく、スムーズに進んだので、かえって良かった。筋はシェイクスピアの悲喜劇で、最後は大団円に終わるというもの。あまりにもハッピーエンドで、嘘臭さを感じてしまったが、戦争が平和理に終わったことを受けて、今でも世界のどこかで戦争が起こり終わらないことをシェイクスピアは予想していただろうか?というようなコメントが最後に付け加えられるほど、劇団も不自然さを感じたのかな。笑ポステマスが妻である姫イモージュンの貞節を自慢するあまり、誘惑に負けるか負けないかと、賭けの対象にするのも許せないし、またそれだけ信じていたはずなのに、賭け相手のヤーキモーにころっと騙され、揚げ句の果て、家来に妻の殺害を命じるなんて言語道断だよね。シェイクスピアが当時、男尊女卑の時代とはいえ、女が男の持ち物みたいに扱うのは許せない。ベニスの商人でも男装の麗人が、愚かな夫の上を行き、たしなめていたが、それがシェイクスピアの皮肉なのかな?ポステマスも反省して自滅しようと思ったくらいだから、免罪してあげようか。笑ミンミもギャグはもちろん、筋も好きではないと言ってたけど、こういうところが嫌なのかな?最後にみんな許し許されて大団円になるが、そんなに簡単には割り切れないよね。かといって復讐するほど憎むかと言えば、そこまではいかないかも。また、大勢で同じ台詞を言う時は、合わせてカツゼツよく言わなければ、よく聞き取れない。最初は筋が分からないだけに見当がつかないから、もっとはっきり、ゆっくり言って欲しい。最初の場面をもう一度繰り返したから、分かったけど。やはり二度はしつこいかな。不満や注文は多々あるけど、すぐに寝てしまう私を一応最後まで寝かせずに見させ、台詞など難解なシェイクスピアを子供にも分かりやすく面白く見させるという点ではいいと思う。私達以外は、割とギャグも受けていたしね。私は滅多に笑えないし、泣けないタイプだから。イロモネアというテレビ番組で、観客のうち無作為に5人選び、何人笑うかで競うのだが、私は笑わない自信あるな。笑私を笑わせてみろよ!なんてね。だいだひかるの言葉の選び方には感心することもあるけど。また話しが飛躍し過ぎたが、ミンミと二人で劇を観られて良かった。バスと劇場と座り続けで、お尻が痛くなってしまったけどね。笑
2008年09月14日
おやこ劇場の中学生以上例会で劇団一跡二跳の「パラサイトパラダイス」という劇を観ました。年一回の西グループ合同なので、久しぶりに大きな劇です。小6のカズは、この劇を最後にしておやこ劇場をやめます・・・。中学になったら、部活もあるし、引っ張って連れて行くわけにもいかなくなるしね。今日は、チケット売りもあったので、チケットを買って、以前やめた中3のミンミも一緒に行きました。高3のマッキーも行きたいと行ってたけど、都合が合わず断念。漫画「ガラスの仮面」を読んだら、劇が観たくなったと言ってたのだけど。「パラサイトパラダイス」という劇のあらすじです。パンフレットより~「依存しあう家族、「~らしさ」を描く。30歳過ぎても親元を離れられない若者が増えている。また娘の恋人が居候のように同居する家庭もある。子離れできないでひたすら干渉し続ける親もいる。誰かに寄生しなければ生き甲斐を見出せない人々の価値観を探る。高見夫婦はキャリア・ウーマンでパラサイト・シングルの娘、 半引きこもり状態にある大学生の息子を持つ4人家族。ある日、アキレス腱を切った妻 の母が居候を始め、夫の父も一方的に同居を宣言して押し掛けてくる。こうして手狭な 3LDKでの無謀なダブル同居生活が始められるのだが、高見家には妻の母や夫の父が聞かされていない秘密が隠されていることが次々に明らかになっていく。一方、妻の母のギプスはいっこうに取れる様子がなく、夫の父も居座ったまま出ていく気配がない。 やがて無謀な共同生活に終止符を打つべく、個人主義を貫いてきた家族同士が真正面からぶつかり合うことになるのだが……。」うちの将来を見てるようで怖いなあ・・・3人子供がいるけど、うちから独立できるのだろうか。義母はいずれ同居したいと言い出すかもしれないし・・・。他人事とは思えないな・・・ミンミやカズは観た後、そのことには触れず、帰りにどこへ食事に行くかばかり話している。その方が気楽ではあったけど。乗り換えの駅で下車してガストで食べた。劇より食べることの方が楽しみなのかな。
2008年03月22日
「嫌われ松子の一生」をDVDで見ました。これもミンミが見たいと言ってたのですよね。原作も読んだから、あらすじは分かってたけど、この映画はミュージカル?みたいにポップになってるから、悲惨な内容なのに、それほど感じない。傍目には不幸でも、自分だけは愛する人のために尽くすのは幸せだと思ってたのかな。中谷美紀はドラマ「永遠の仔」ですごいなと思っていた女優だけど、この映画は別の意味ですごいと思いました。最後は可哀想だけど、希望を持てただけ良かったのかも。不幸だけど、不思議なミュージカル仕立てといい、「ダンサー イン ザ ダーク」を思い出してしまいました。主人と観にいって、主人には不評だったけどね。
2007年08月17日
「揺れる」をDVDで見ました。オダギリジョーファンの中3のミンミの希望で借りてきたのです。原作の「揺れる」も、以前読んだのですが、よく覚えてなくて、ミンミに解説してもらったりして・・・。結局殺人だったのか、事故だったのか、よく分からなかったのだけど、兄の心情はどっちだったんだろう・・・。弟は、兄を疑い、陥れてしまったのか・・・。兄弟はお互いにライバルだったりするからね。子供のころのフィルムを見て、素直な気持ちに戻れたのかな。最後の「お兄ちゃーん!」と呼んでるところ、そして兄が微笑むところは和解したのかとホッとしたけど。途中から見た高3のマッキーは期待はずれだと言ってた。私も、よく分からずモヤモヤしたものは残ったけど、悪いというほどではないかな。見てる人の想像に任せるということなのだろうけど。映画の掲示板にもいろんな意見が載ってましたね。弟が偽証したとは思いたくないけど、自分の記憶が捻じ曲がるということもあるのかな。
2007年08月17日
「暗いところで待ち合わせ」をDVDで夜に見ました。全盲の女性が一人暮らしできること自体もすごいと思ったけど、黙って入ってきた男の気配をなぜ感じないのかと不思議に思っていた。でも感じた上で黙ってたのですよね。知らない人が同じ家に居るというのは怖いと思うけど。また、中国とのハーフの男性への差別はひどいと思うが、その男性が、「居場所というのは、自分の存在を許してくれる人が居るところ」だと言っていた。本当にそうだよね。居場所がないというけれど、実際には、そういう受け入れてくれる人がいないということなんだ。一人でもそういう人が見つかれば幸せなんだね。この映画の二人は、お互いがそんな存在になったんだろうな。切なくて、透明感があってよかったです。
2007年08月16日
「手紙」という映画も、中3のミンミの推薦です。ここに出てくる千葉の刑務所に大学の時、合唱団のコンサートのパンフレットの印刷を頼んでました。私は行ったことないけれど、庶務担当の友達が行ってました。安くて丁寧なのだと言ってましたね。不思議な縁を感じます。殺人犯の兄のために差別され、仕事や住まいを変えざるを得ない弟・・・。「差別のない国を探すんじゃない。君はここで生きていくんだ。」勤務先の会長の言葉が胸に沁みました。逃げようとするんじゃなくて、そこから少しずつ立ち向かっていくしかないのですよね。私は弱いから、つい逃げることばかり考えてしまう。それではいけないと考えさせられました。でも、掲示板に兄のことを書き込んだのは誰なんだろう?妻になった女性なのでは?と疑ってしまう私です・・・
2007年08月16日
今日から、20日まで夏休みなので、DVDを何枚も借りてきました。16日から18日まで、主人と義母が福島に車で帰省するので、車がないのです。うちにずっと居るようかな?まずは3泊4日の「涙そうそう」から。中3のミンミが泣けるんだってと言うので借りてきました。見てる途中に主人が帰ってきたりして、中断されてしまったので、泣けなかったのだけど・・・。じっくり見れば泣けたんだろうなあ。残念。今夜は花火大会で、子供たちはみんな友達と見に行ってしまいました。私も行きたいところだけど、主人が残業してから帰ってくるので、留守番なのでした。やはりこういう映画は、昼間に一人で見たほうがいいのかな?血のつながらない兄弟だけど、お互いしっかり結ばれている。どういう愛情なのかとも思ったけど・・・。「涙そうそう」を作詞した森山良子もこの歌詞を亡くなった兄を想って書いたらしい。そういうところから、兄弟の映画になったのかな?私もカラオケ大会でこの歌を歌ったことがあるけど、その時は兄妹だとは知らないで、恋人かと思って歌っていた。どちらにしても、遠くから見ていてくれる人が居て欲しいよね。
2007年08月15日
劇が終わったのが九時になってしまい、食べるのはやめようかと思ったけど、せっかく病院に行って薬もらったんだから、ちゃんと食事しと飲まないとね。終バスがなくなったので、タクシーで帰りました。主人に迎えにきてもらおうかと思ったけど、寝てるか、飲んでるかと思っで電話しませんでした。着いたら案の定寝てたけどね。
2007年02月24日
「世界はコワレテいるボクたちはカケテいるだが世界もボクもたくさんの声で満ちている」パンフレットの写真の左上に書いてある言葉です。オペラシアターこんにゃく座の公演を世田谷パブリックシアターに観に行きました。うちから二時間かかって、少し遅れてしまいました。疲れか、風邪のせいか、前半はほとんど寝てしまいました。でも目覚めた時も、なかなか見続けることができない。後半は休憩で目が覚めたからか、割と見られましたが、それでも眠くなってしまう。なんとなく単調な感じなのですよね。戦争で大砲に撃たれて体が二つに分かれ、悪半と善半という二人の人間になってしまった子爵。どちらの子爵も恋してしまうパメーラは、官能的で魅力的でした。バレエを習っていただけあって、動きがしなやかでダンスも上手い。歌声も細いけど綺麗でした。話は哲学的なのか、分かりにくい。説明的よりはいいのかもしれないが。善半の方が窮屈で、悪半よりも始末が悪いと言う台詞に会場から笑いがこぼれていました。歌や踊りなど享楽的なものは駄目という善半では、確かに吐け口がありません。「白河の清き流れに耐えかねて元の濁りの田沼恋しき」という江戸時代の狂歌を思い出してしまいました。白河出身の松平の改革に閉口した人が賄賂政治の田沼を懐かしんでいるのですよね。パメーラを取り合い、善半と悪半が決闘し、傷つけあって倒れたところを博士が一体化する手術をする。その結果バランスの取れたいい君主になり、子宝にも恵まれ、幸せな一生を送ったというけど、悪半が人々を迫害したり、虐殺したのは許されたのかしら。語りをしていた甥が最後に「ここにボクを置いていかないで」と叫んでいたのは印象的でした。「責任と鬼火とに満ちたこの世界にボクは残されてしまった」と。
2007年02月24日
オペラシアターこんにゃく座の公演です。三軒茶屋の世田谷パブリックシアターまで行きます。本当は昨日の夜の招待券だったのだが、仕事が入って行けなくなり、おやこ劇場の例会部の誰かに行ってもらおうとメールしたが、都合がつかないらしい。劇団のこんにゃく座に電話したら、今日の夜に変更してくれた。親切でよかった。風邪でどうしようとも思ったけど、せっかく変更してくれたのだら、無理してでも行かないとね。こんにゃく座なら、歌も上手いだろうし、期待できるかな。入間おやこ劇場でも、こんにゃく座の「どんぐりと山猫」を呼び、ミンミも小五でどんぐり達の合唱に参加したのです。私もその頃、運営委員で、ピアノ教師の方と一緒に子供たちの指導?させてもらいました。もう一人の人の実力と指導力に圧倒されてしまったけど。先日の市民オペラのプロデューサーもしていて、合唱隊の指導もしてくれました。習ってる声楽の先生に声楽も教えていいとお墨付きまでもらった方だから、歌も発声などの教え方も上手いのですよね。私は声楽も今は習ってないし、歌ってもいない。小学校の臨時教員で喉を潰しそうです。六年担任の女性の先生は、ポリープができたらしい。職業病ですねと言われ、再発するから手術もしないらしい。そうはなりたくないなあ。大きな声は出さないようにしてるけど、五色百人一首やカルタの時は出さざるを得ない。それも静かにさせればいいのだけどね。話はどんどんずれたけど、劇を観るのが楽しみです。
2007年02月24日
長女のマッキーが借りてきたDVD「きみに読む物語」ですが、暇なので観てみました。原作の小説は本屋で大体立ち読みしたから、筋は知っていたのですが。ケンカが多くても一緒に居て欲しいと言った彼、そして戻ってきた彼女が少し不思議だけど、羨ましい気がしました。妻が認知症になっても思い出を物語として語り続ける。一瞬記憶がよみがえるのは奇跡的だし、かえってその後が夢が醒めたようで哀しいのではと思うけど、夫本人も忘れたくないと読み続けているのかもしれませんね。
2007年02月01日
ジェーン・オ-スティン原作の『高慢と偏見』をキーラ・ナイトレイ主演で映画化した「プライドと偏見」です。キーラは誇り高い自立した女性らしく、とてもすがすがしく綺麗でした。すれ違いでじれったい場面が多いけど、最後には意地もプライドも捨てて、結ばれるのがいいなあ。なんて、ネタバレで済みません。一緒に観た主人はよく分からないと言うけど、まあいつも伏線等分からない人だから気にしない(笑)原作や、ドラマは観たことがないから、細部は分からないけど、想像は出来ました。朝焼けの光の中のラブシーンは素敵でした。キスまでいかず、お互いに手と額を合わせるだけというのが、ストイックでまた良かったりして・・・(笑)
2007年01月28日
劇団仲間の公演の劇で、新宿の紀国屋サザンホールまで来ました。こういうときしか都内に来ないくせに、早めに着いてしまってたので、まんが喫茶に入ってしまった。それなのに、今度は時間がなくて、タクシーに乗ってしまう。新宿はよく分からない。おのぼりさんだからなあ。笑ウィンドウショッピングでもしようかとも思ったけど、どうせ買えないから、かえってストレスだよね。笑またおやこ劇場の例会部員として、招待券で下見にきました。チケット代は無料だけど、交通費でけっこうかかるな。笑一番近いJR新宿駅の南口からもちょっとあるのに、西武新宿駅から歩こうなんて無謀だったな。まんが喫茶に入る時間があれば、十分歩けたけどね。笑高島屋の前でタクシーを降りても、サザンシアターまで結構距離があり、開演時間ぎりぎりになってしまった。席は20列1番で後ろの端だ。招待券だから文句も言えないね。席のせいというわけではないけど、やはり眠くなってしまった。歌はそれほど下手ではないけど、特別上手いというほどでもないかな。最初のウサギの動きが魅力的だった。みなしごと兵士の笑い方がわざとらしいのが気になった。なぜか眠くてあまり観られなかった。起きて観ようという感じでもなかったのだが。休憩で目が覚めて、後半は割と観ていた。わがままな女王は小憎らしいけど、幼いせいか憎めない。ちゃんと諫めたり、教えたりする先生が必要なんだよね。ヒロインがみなしごで、伯母といとこが、継母と義姉みたいで、物語がシンデレラに近い感じがするけど、ファンタジーの割には現実的なのかも。ロングランで上演されているのには、やはり何か意味があるのだろう。 後半は起きて観ていたせいか、割とよかった。もう一度観たいというほどではないけど。交通費と時間をかけてまで観にくることはなかったかな。今のうちにいろいろ観ておきたいけどね。
2007年01月04日
雪の村 posted by (C) 田村ペンションさんの写真「生きてるかぎり、夢見る力のあるかぎり、きっと何かが助けてくれる」「北の零年」の吉永小百合演じる志乃の最後の言葉です。何かとは神か人間か・・・まるで映画「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラの「明日のことは明日、タラに帰って考えればいい。新しい風が吹くタラに帰ろう」という最後の台詞を彷彿としました。だから「風と共に去りぬ」という題なんですよね。絶望の底から、かすかな希望を抱いて立ち上がる。荒れた土地を耕すように。渡辺謙演じる小松原は、事情があったにせよ、妻子や仲間を捨てた裏切り者には変わりない。記憶でも無くしていたのかと思ったが、そうでもなかったらしい。侍は開拓地の農民にはなれないと悟ってしまったのだ。渡辺謙だから、もっといい人の役かと思ってしまった(笑)最後はさすがだけどね。豊川悦司演じるアシリカはやはりセクシーだよね。ファンなのです。でも、声だけでミンミに先に豊川悦司と気づかれたのにはショック。まあ、出演してるのを知ってて、どこに出てるのか探していたみたいだけど。アイヌ人の格好をしていたから分からなかった。元は倭人で、五稜郭の残党だった。あまり言うと、ネタバレになってしまうか・・・。夕食の用意しながら見てたから、ところどころ抜けてしまった。ロケはすごいと思うけど、ずっと観ていたいと思うほどではなかった。もう少し期待してたんだけど。香川照之演じる倉蔵は、やはり腹黒い男だった。香川照之だから、一筋縄ではいかないだろうと思ったけど(笑)あまり好きにはなれないけど、演技力はあるよね。でも、最後は改心したのかな。マッキーが面白くないなどと言ってた。確かに面白くはないけど、まあ救いがもてるかな。あっけないとも思ったけど・・・。
2006年12月27日
東京演劇アンサンブルの「銀河鉄道の夜」をブレヒトの芝居小屋に観にきました。最初ジョバンニが出てきて歌ったら、下手なのでがっかりしてしまいました。主役ならもっと上手い人を使って欲しかったな・・・。ジョバンニの影役の人達の演技というか、ダンスがジョバンニと最初から合ってないので、別な動きをしだしてからの対比にならない。演出や演技は無難だけど、それほどインパクトがないので、案の定眠くなってしまった。原作を恥ずかしながら読んでないので、よく分からないというのもあるかもしれないが。宮沢賢治は哲学的だからな。それにしても、せっかく音楽監督が林光で、曲がいいのに、歌がいまいちでもったいない。間奏に使われてるBGMが一番心に残ったりして。やはり音楽や歌が気になってしまう。蠍の火の踊りの後の沖縄民謡風の歌は、一風変わってるせいか、それほど歌は悪くなかった。その前の蠍の火の踊りは官能的で魅惑的だった。ノーブラでは?と別な意味でも気になったが。笑また、傾いた銀河の歌は、音程がはずれているのか、林光の曲が難しいのか、不安定で、あまり曲が分からなかった。父が息子に捧げる歌は、心が籠もってて良かった。聞いたことがあると思ったら、以前、こんにゃく座の「どんぐりと山猫」をうちのおやこ劇場で呼んだ時だと思うが、事前に聞いたこんにゃく座の歌曲集に入っていたのではないかな。林光は、こんにゃく座の歌も作ってるから。こんにゃく座はミュージカルではなく、オペラと言うだけあって、やはり上手いよね。父が幼い息子に宛てて、「もう逢えないと思うけど、拳を握り締め、強く大きく育って欲しい。父はその為に仕事を頑張り生きてきたのだから。」というような歌詞が心に残っていたから、たぶん同じ曲だと思う。「小さな木の実」や「グリーングリーン」の歌詞に通じるものがあるよね。なんで死にゆく父から息子に宛てる歌は多いのに母から子に宛てる歌は思いあたらないのだろう。私が知らないだけかな。劇は全体的には悪くなかったとは思うが、もう一度観たいとは思わないな。まあ、うちのおやこ劇場で呼べる規模、金額ではないだろう。出演者も多いし、高いんだろうな。 会員外にチケット売りしてまで観たいとは思わない。会員が減って、大規模な劇を呼べなくなってるのは残念。こういう劇を下見に行って、もし良くても呼べないのかな。取りたいと総会で主張すれば、チケット売りの実行委員になってしまう。以前、東京芸術座の「12人の怒れる男たち」を取りたいと言った時のように。まあ、劇は良かったけど、会場が音楽用ホールだから、残響時間が長くて、台詞が座席によっては聞き取りにくく、チケット買った人から苦情が来たらしい。動きの少ない台詞劇だから尚更なのだけど。だから事務局などもチケット売りにはあまり乗り気ではない。まあ、それは最後の手段なんだけどね。会員にならなくても、好きな劇だけチケット買って観られるのなら、わざわざ会員にならなくてもいいよね。都内まで行けばいくらでも観られるけど、事前や事後を楽しんだり、感想を言い合ったり、交流することで深まることもあるよね。大規模な劇は下見で行くかな。笑カズも小学生のうちは続けさせるつもり。中学になると部活で観られなくだろうし、個人の意志も尊重しないとね。同じサッカーチームの友達の親も小学生のうちは続けさせるつもりらしいから、子供達もお互いに「仕方ないから親に付き合ってやるか」と言ってるらしい。確かに子供を連れてでないと夜に劇を観に出にくいというのはある。この頃は下見で出かけてるけど、昼間の時間を選んでいる。夕食の支度がネックなんだよね。仕事なら次女のミンミにも頼みやすいんだけど、観劇だと趣味だからな。笑例会部だと仕事みたいなものなんだけどね。笑
2006年12月26日
東京演劇アンサンブルの「銀河鉄道の夜」をブレヒトの芝居小屋に観にきました。ベルトルト・ブレヒト生誕百年記念というポスターが芝居小屋に貼ってあったので、人名だと分かり、携帯のサイトで早速調べてみたら、劇作家、小説家、思想家だそうです。彼の「セチュアンの善人」という次回の劇も面白そう。その公演のチラシから引用します。「好きな男と行きたいの。お代はいくらかかるかなんてそんな計算したくない。いいか悪いか思案の外。彼がほんとに愛しているかどうか、それも知りたくない。・・・いとしい恋人の夢をかなえるため、自分のこどもを貧しさから救うため、シュン・テは善人ではいられない・・・社会・経済・民衆を鋭くえぐるブレヒトの傑作」観てみたいけど、短期間に観過ぎかな。笑芝居小屋が木造のようで冷えるから、温かいお茶、カイロ、毛布などサービスしてくれる。気持ちが嬉しいですよね。段になった床に座るのですが、まだ腰が悪いので、端の椅子席に座りました。でも、その列では一番前を取ったし、小さい芝居小屋だから、よく見えます。保育園の子供たちが遅れてくるので、待って遅れるらしい。そういう心遣いも温かいかな。
2006年12月26日
東京演劇アンサンブルの公演です。私はおやこ劇場の例会部なので、下見に招待券も利用できるのです。他にも行く人が居れば、折半でチケット代払いますが、今日は一人なので、ただで観られますね。もちろん下見情報は書いて、提出しなければいけませんが。下見も久しぶりです。でも、また1月4日に「森は生きている」も観に行くけどね。有名な劇らしいから、まだ観たことがないなんて、例会部ではモグリだよと言われてしまった。もともと私はそんなに劇観てないからな。音楽会よりは劇の方が好きだけどね。歌うのは好きでも、音楽を聴くのは苦手なのです。すぐに眠くなってしまうから。劇でも講演会でも、面白くないとすぐ寝てしまう私。私を寝かさないくらいのものじゃないとね。笑今日の劇はどうかな?昨夜はカズや私の年賀状作りをやってて、少し睡眠不足だから、寝やすいかも。昼食は早めにうちを出て、駅前のお店でガーリックステーキを頼んでしまった。ダイエットしようと思っていたのにね。でも禁煙席でないせいか、タバコの煙が流れてきて、せっかく美味しそうなのに水を差された感じ。それでも食べてしまった私。でもさすがに隣の人が食後に吸い出したのはきつい。もうお店を出ようかな。
2006年12月26日
次回の入間おやこ劇場の小学生例会(鑑賞会)が、かわせみ座の人形劇「まぬけなリュウの話」なのです。かわせみ座の益村泉さんが来て、話をしたり、椿という人形を動かして見せたりしてくれました。写真の人形が椿です。この人形の髪にも椿が付いてるけど、竜の頭にも椿が付いていて、シンボルフラワーのようです。原作には椿という女の子は出ていなかったらしいのだけど、あまりにも竜が可哀想な話で、救いがないので、竜の唯一の理解者、椿を創作したそうです。今のいじめ問題などにも通じる話だそうで、人形劇を見た後、和室の大広間で、残れる人だけ残って、感想等、話そうかということになりました。感想だけでなく、自分達に重ねて、いろんな話が出来るといいですね。私がサークル長会で発案してしまったので、司会などやらなくてはならないみたい・・・。墓穴掘ってしまったなあ(笑)まあ、先日の例会部でもこんなことできたらいいねと言ってたから、そう言ってみただけなんだけど(笑)今度の18日の例会部でもその話が出るらしい。例会部(鑑賞部)も、招待券等で劇を見に行って感想を書くだけでなく、例会を楽しんでもらえるように工夫するのも必要かもね。せっかくの素敵な人形と、奥深いテーマの話だから、ただ見て終わらせるのは勿体無い。この機会になかなか話せないことも話せるといいな。いじめや登校拒否、自殺など、子どもの問題は大人にも関係することだから・・・。学校だけでなく、家庭もね。ゲームの危険性とか、7つの男子の母親として、益村泉さんは、熱く語っていました。涙ぐんだり、豊かな感受性を持った人だと感じました。事前交流会の後、FM茶っピーの「おやこでわいわい」の収録に参加しました。地元のラジオ局の、おやこ劇場の放送枠です。ゲスト?で参加するのはこれで2回目。以前は例会当番のサークルの一員としてだったかな?もう何年前になるんだろう。運営委員の時だったから、3年前くらいか・・・。もうスタッフも入れ替わっているけど、和気あいあいという雰囲気はそのままです。ちょっと緊張したけど、台本もなく、ぶっつけ本番で、「まぬけな竜の話」のことと、クリスマスについて話しました。早口になったり、マイクに口を近づけすぎたりしたけど、まあなんとかなりました(笑)16日と23日の土曜の朝に放送なので、聞けたら聞いてみてくださいね。
2006年12月14日
新聞の抽選で招待券が当たったので、観に行きました。近くの映画館でやってるうちに行かないとね。都内まで観に行ったら、交通費などで、チケット代くらいになっちゃうから(笑)それほど期待しないで観たのですが、涙なしでは観られないほどでした。親子の情に弱いのですよね。「椿山課長の七日間」だけでなく、浅田次郎原作の映画が続いてますよね。どんでん返し無しの予定調和だから泣けるのだそうです。予想できる範囲で、善人ばかり。安心して泣けるのがいいのかな。少し、物足りないところもあるけどね。現世もこれなら天国とあまり大差ないかも。現実はそんなに甘くないと思うけど、だからこそ、性善説の世界に憧れるのですよね。理想なのかしら。こんなふうに許せる心の広さを持ちたいですね。
2006年12月05日
旅先で映画を観てしまった。もちろんテレビだけどね。スイングガールズという映画です。印象的な言葉は、「人間には二種類いる。やり遂げる者と諦める者。」です。「人生を楽して楽しむ者とそうでない者」とも言ってたけど。挫折してもめげずに諦めない一途な少女達のように、私も心だけは負けたくないなと思いました。いい教師になりたいという子供の頃からの夢は叶えたいです。
2006年08月06日
ジョニー・デップの大ファンの高2のマッキーが借りてきたのですが、つい一緒にまた観てしまいました。私も何本か見ているうちにファンになったかも私は「ドンファン」のジョニー・デップの方がセクシーで好きだけど、マッキーは「スリーピー・ホロウ」の少し臆病でユニークな方も好きかも。ドンファンで「ん?」と不思議そうな顔をした瞬間、二人で「(堂本)剛に似てる!」と言ってしまった。どっちもいろんな魅力に溢れていて良かったです。「ドンファン」では、「心の世界と、現実の世界は違う。分裂病者の妄想と言われようとも、心の世界が真実なのだ。」とドンファンが言っていた。「スリーピー・ホロウ」でも、「事実と思ってることも、錯覚かもしれない」と言っていた。人は心で感じて判断する。客観的に見てるつもりでも、主観は混ざってしまうものだ。同じ事実を見ても、人によって受け取り方は違う。それはその人自身にとっては真実なのだ。それでいいのだと思う。自分が主観的な人間だと自覚しているからかもしれないけど。「思春期のような情熱や夢を失っては、人生も色あせてつまらない。」「ドンファン」で精神科医に扮するマーロンブランドが言うと、実感がこもってて、本当にそうだなと痛感する。私も思秋期に入ろうとする年齢だけど、精神的には思春期でいたいな
2006年07月21日
高2のマッキーが、ジョニー・デップが好きで、以前「シザーハンズ」「エド・ウッド」も一緒に観ました。マッキーはその他、「パイレーツ・オブ・カリビアン」「チャーリーとチョコレート工場」や、「リバティーン」(英国詩人の映画)など、はまって次々に映画館で観ています。私はそれほど観ていないけど、セクシーで魅力的だと思います。淋し気で、可愛らしいつぶらな瞳は、マッキーが大ファンの堂本剛にも似てると思いました。私も好きなので、趣味も似てるかも。「妹の恋人」は、ジョニーデップらしい、少し?変わってるけど、心やさしい、哀愁を帯びた青年が、精神を病んでしまってる女性を愛するというもの。心温まりますね。バスで彼女がパニックを起こし、普通の人なら、そこで引いてしまうところなのに、それでも、精神病院まで、彼女の兄としのび込むほど愛しているいうのは感激です。
2006年07月12日
「インサイドマン」は、銀行強盗の映画ですが、ただの銀行強盗じゃない。最初のシーンをもう一度観て、疑問を解決したいと思ったけど、二回観るのは勿体無いので、パンフレットを買いました。それでも解決しなかったけど。疑問を書くと、ネタばれだから書かないようにしようかと思いつつ、やっぱり書いてしまいます。犯人と人質がどうやって入れ替わったのかが知りたかったのです主人はなぜ自分に聞かないのかと言うけど、伏線とか分からなくて、私がいつも解説してるのに、聞いても分かるわけないよね他の謎解きは、割と予想が当たったけど、予告編しか見ていないマッキ-に予想されたのは悔しい。まあ、私よりも今は何倍も映画見てるからなあ
2006年06月20日
DVDを借りてきて、振り替え休日のミンミと観ました。常盤貴子がもう中学生の母親役をやるようになったのですね。大好きなドラマ「愛してると言ってくれ」の再放送を先日見たばかりだったので、なんか不思議な感じです倍賞美津子の「あーちゃん」こと、おばあちゃんが、優しく母親代わりで心が温かくなります。蒼井優の最後のセリフはネタバレだから、言わない方がいいのかな?でも、泣ける事請け合いです。私も思わず泣いてしまいました義父役の高橋克実の「連れ子のお前たちを助けてやったのに」といういつもの役柄とは似合わないセリフは、うちと同じような家庭環境なので、さすがにグサッときましたが、だんだん親子関係というより、仕事仲間として認め合うのがホッとしました柳楽優弥は、さすがにいいですね。次女のミンミがお気に入りで借りてきたのですが、「誰も知らない」も良かったけど、今回も演技力も存在感もあるし、若手としては本当に有望ですよね。邦画とはいえ、タイでもロケが多く、日本で苛められてた少年がタイで心身ともに開放されていく様が気持ちよかった。あれが実話とは信じられないけど、本当に星よりも、象になって欲しい。ご冥福をお祈りします。
2006年05月22日
友達に試写会のチケットをもらって、急遽行ったらしい。国立競技場のスクリーンに映し出されて、面白かったと言っていた。サッカーやってるカズが羨ましがっていた。主役の俳優や、ウインズ、吉岡美穂も来たらしい。映画好きのマッキーだから、チケット回してもらえたのかもね。
2006年05月15日
アカデミー作品賞などを取った作品です。アカデミー賞好きの主人が選んだので、またかと思ったけど割と良かったです。ポール・ハギス監督が脚本を書いた「ミリオンダラーベイビー」も観たのですが、それも良かったですね。人種差別など現実の暗い部分を掘り下げながら、最後に救いというか希望を持たせてくれる。それでもマイノリティ同士で差別し合うのも辛い。白人も有色人種に仕事を奪われてると逆恨みしてる。怒りを誰かにぶつけたい。弱い者イジメしないと自分が保てないんだよね。人間は哀しい。でもパパを命懸けで守る五歳の娘は本当に天使に見えた。人を悪人とか善人とかに分けられないのも痛感した。レッテルを貼るのは恐いです。認知症の母を兄が介護してるのに、母は自分が眠っているときに弟が来て食料品を冷蔵庫に入れていったと思うし、弟の死さえ兄のせいにされて、あまりにも可哀想ですよね。そんな哀しみや憎しみを覆い尽くすように雪が降る。人生苦しいこと、嫌なことが多いけど、その中でも喜びや楽しみを見つけたいですね。姫のお楽しみ袋にいろいろな方の感想・意見が載ってて、面白かったです。特にアメリカ在住の人の感想は地域によって現実味があるかどうかが違ったりと、興味深かったですね。確かにエピソードが眉唾物だったり、ステレオタイプなのは否めないけど、それでしか人種差別を描けないというのも哀しいですね。
2006年05月09日
以前、次女に薦められて小説を読んだのですが、今度は映画も見てみました。次女のミンミは自分も少年少女合唱団に入っていたせいか、興味があったようです。私も合唱やってたし、教師もやったことあるから・・・。小説も面白かったけど、映画も割と忠実で、3000人の中から選ばれたモランジュ役のジャン=バティスト・モニエが小説通り、本当に繊細で傷つきやすく、美しい声を持っていて、魅力的でした。
2006年04月18日
「東京タワー」(江國香織著)が原作の映画です。 20も年の差があって、恋愛が成り立つのかな?とも思ったけど、 詩史役の黒木瞳が魅力的で、透役の岡田准一も名前の通り、透明感のある繊細さで、素敵でした。透が「恋はするものじゃなく、落ちるものだ」と言うのが印象的です。コンサートで一緒にクラシックを聴きながら、透が泣いていたのですが、「きれいなものはすぐに消えて無くなる気がするから、涙が出る」と言うのです。それを聞いた後、雪を見てから、詩史は「東京の雪は嫌い。溶ける時、汚くて侘しくなるから」と言う。同じ雪を見ながら、違うことを考えている。淋しいですよね。詩史の好きなマーラーの9番を聞き、ドフトエフスキーの「カラマアゾフの兄弟 」を読みながら、 詩史からの電話をただ待っている。「待つのはそれほど辛くない。それだけの価値があるから。」と言う。夫にも、透の母にもばれて、パーティに乱入する透は、詩史から 「壊れたおもちゃは要らない」と言われ、 透は本当に壊れてしまう。詩史は小さな綺麗な小部屋で、そこに閉じこもっていたから、出られない。忘れられないから、死んだ方がましだと言う。でも、結局死に切れなかった透はフランスに留学する。「恋愛の抗えない甘さと野蛮さは、人生とは相容れない」と言われながらも、詩史は夫と離婚し、フランスまで追っていく。「明日あなたの気持ちが離れても、愛してる」と言って。有り得るかな?とも思ったけど、そんなことがあったら、素敵ですね
2006年04月11日
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