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江戸幕府を前に示した
絵図
久根村、茶畑村、佐野村、公文名村の名が読み取れる
■ 第二十二章 ようれ星
■
先週末は、学生時代のサークルの同期会がありました。
都内のフランス料理店を借り切ったものです。
─とばかり思って参加したのですが、
わたくしめの「出版記念パーティー」をいうサプライズをいただきましたv
私、あんなに嬉しかったことは初めてです。
これまでに、受験合格やらプロポーズやら結婚やら、出産やら、子供の入園入学やら、それとは全然関係ないけど、気になる人からの「私のこと、好きなのかな」とか思わせる言動やら─そういった出来事で喜ばしいことはたくさんありました。
でも、それらはすべて、自分の努力の結果であるとか、または、「もしかして、そうなるかも」と予測がつくような出来事ばかりで、つまり、結婚をしたり、子供が生まれたり、入園入学をすれば、お互いにお祝いし合うのが「礼儀」でもあるわけで─
まったく予期せずにいただくものがこんなに嬉しいものだとは、初めての経験でした!
オットも美祝も、びっくりしながらも本当に喜んでおりました。
まさに学生時代版の「青木」─私はいい仲間を持ちました。
感謝と感動の出来事が続いております。
【入学式で感激してしまったことv】
桜満開に咲く4月9日、わが子は入学式に臨みました。
私、入学式に感激してしまった。
自分で言うのもナンですが、いい学校だと思います。
というか、これから娘を通わせる学校について、親がそう思えることはしあわせだと思います。ここに心を込めてご報告させていただきます。
娘の通う学校は、厳しくもあたたかい──といった印象を受けました。
子供はもちろん、親もすべてこの学校のファミリーであることを校長様は強調されました。
「これからは競争ではなく、共生、ひとつの家族として、ともに歩んでまいりましょう」
家族なので、電車の中、学校の中で学年を超えて注意し合えること、注意されたら、自分がよりよくなるためにご注意いただき、その場で「ありがとうございました」と感謝できること、などをお話ししてくださいました。
また、挨拶については、私たち夫婦は、「自分からすることが挨拶」と子供に教えてまいりました。どなたかから「こんにちは」と挨拶をいただいて、「こんにちは」と言うのは、「挨拶」ではなくただの「お返事」なのだと言い聞かせてきました。それが、幼いながらも、相手の方に対する敬意と感謝のあらわれになると思っております。
ところが、この学校ではそれだけでは済まなかったのです!
「人からされる前に挨拶をしましょう」
これはなんとかクリアです。
「後ろ姿にも頭を下げて挨拶をしましょう」
これはすごい。というか、素晴らしい。
近くですれ違わなくても、お顔をちらりと見たら、心の中で挨拶をする。
これは私自身も新しく実践すべきことがらです。
私、苦手な人にも、心の中でだけは挨拶をする、というのは実践してきました。でも、確かにお顔を存じ上げている方ならば、誰でもに心の中ででもご挨拶をすることは良いことだと思います。入学式以来、家族で実践していることのひとつです。
これに準じて、
「校長様、先生方のお姿を見たら、その場で立ち上がる」
入学式の際も、5分前には全員着席、校長様が式場に入ってくるなり、全員起立。
壇上にお立ちになるのを待たず、お姿を見ればすぐに立ち上がる敏感さを、この学校の子供たちはみんな持っています。子供たちが保護者に対する礼儀もこれに準じます。学校では、
「ご両親は先生方と同じ、目上の方として接しなさい」と言われるようです。
上級生にもなると、「学校は昨日から始まったのですか?」とお尋ねすると、「はい」だけでなく、「はい。学校は8日から始まりました」と一文にしてお返事してくださいます。とてもしっかりとした印象を受け、受け答えをいただいたこちらも気持ちの良いものです。
さて、学校が始まって幾日か経ちますが、ちょうど昨日、担任の先生から授業の様子についてお話をいただきました。
音楽の時間になり、担任の先生と音楽の先生が交代することになりました。
授業が始まる前に、担任の先生は教室を離れて、そばで見守ることにしました。
始業のベルが鳴ったのに、音楽の先生はなかなか来ません。それは、本当にご用事があって少しだけ遅れたのであって、故意に遅らせたのではなかったそうなのですが、ひとりの子供が、
「どなたか、先生を呼びに行ったらいいんじゃない?」と的確な指示を出し、
ではどうするか、誰が行くか、などと話し合っているうちに、またひとりが、
「私たちがこうしておしゃべりをしているから、先生は来られないんじゃないかしら」と言い出し、「そうだそうだ」ということになって、みんなが立って、椅子を引いて、自分の席の横に起立して沈黙で先生をお待ちしていたそうです。
さらに、ドアに近い子供が廊下に少し身を乗り出して立ち、先生の姿が見えるや、
「先生がいらっしゃいました」と全員に声をかけたそうです。
それで、「遅くなってごめんなさい」と先生が前にお立ちになると、みんなで「お願いいたします」とスムーズに礼ができたそうです。
誰からも教えられずに、自分たちでその場を乗り切った様子を目の当たりにして、これが新一年生の姿かと、そばで見守っていた担任の先生は目頭が熱くなったそうです。
たった6,7歳の子供たちのこうした行動に、薄ら寒いとお感じになる向きもいらっしゃるかもしれません。でも私はこうした「厳しさ」を自然に教えてくださることは、わが子にとっては、「良いこと」だと思っております。
この先の長い人生で、学校という守られた環境の中だけではなく、社会に出て、目上の方にお会いするときに、「いつ立てばいいの?」と困るより、目上の方が部屋に入ってこられたらすぐに立ち上がる、と自分の中で決まっていれば、自信も湧き、相手の方にも良い気持ちを与え、そのことがスムーズなコミュニケーションの一助になるのではないでしょうか。
また、トイレや公園などでお掃除をしている方、ボランティアの方、警察官や駅員さんの前を通りすがるとき、こんなときは「こんにちは」「ありがとうございます」と言えばいいのかしら…なとど迷うより、絶対に「ご挨拶をする」と自分の中で「決まって」いれば、ヘンな気恥ずかしさなど吹っ飛んで、お互いに気持ちのいい挨拶を交わすことができるのではないでしょうか。
この学校に娘を通わせるようになって気付いたのですが、帰りの道々、地域の皆さんがほとんどといっていいほど、声をかけてくださいます。
「今、お帰り?」
「今日は早いのね」
道すがら、ガーデニングのお庭から、郵便受けを見に来た玄関先から、お豆腐屋さんのお店から──みんなが声をかけてくださる。
きっと、前にこの道を歩いた、この制服のお嬢さんが、そうやってご挨拶をしていった道のりと、わが子が行き帰りする道順が偶然に一致しているのでしょう。私の娘も、上級生がこの地域に残していった見えざる良き伝統を、しっかり守っていかせたいと思っております。
そんな厳格でありながら、あたたかい家庭の雰囲気を宿す学校の、もうひとつの面のエピソードとして─
「失敗はカウントしません」と校長様ははっきりおっしゃいました。
「たった一度、忘れ物をしたからといって落ち込まないでください」
「きちんとすることだけが目的ではなく、忘れ物をしたら、次はどうすれば忘れ物をしなくなるか、という結果を導き出す過程を大切にしてください」とも。
また、子供が何か不満を持って帰ったとしても、
「なんでも喜んで受け止めるように導いてあげること」
「クラスが離れちゃった…」と不安そうにしていれば、「新しいお友達が増えるから良かったわね」と励ましてあげる──もしそれでも心配なことがあれば、すぐに担任の先生に子供が自分からご相談をすることなど、教えていただきました。
さて、心あたたまるエピソード、その2として─
入学式の翌日の金曜日に登校したときのこと。
わが子はお隣のクラスの席に堂々と座っていて、探しに来た担任の先生に捕獲されたそうです(笑)。
(メールで「ゆんゆんの血」といってくださった透子さん、正解です!)
初日早々、先が思いやられる…と思いつつ、「あ。いたいた。こっちこっち」と探しに来ていただいた先生の姿を思うと、なんだか微笑んでしまいます。
そうそう、おおかたの想定外だったのですが、娘の担任の先生は男の先生でした! ちびまる子ちゃんの担任の先生そっくりの、優しい優しい先生ですv
朝はオットが送っていくのですが、ご心配のとおり、保護者認識カードを首から自分から下げていったはいいが、校門の前で「保護者認識カードがないっ!」と携帯から電話があり、「あなたの首から下がっています…」と答えたら、「あったーっ!」と叫んだまま通話が切れたり…そんなことは序の口で、ほかのお母様方からは、毎朝のように「美祝ちゃんのお父様にお会いしたわよ (笑)
」という 「(笑)」
付きのメールが来ます。
電車の中やら、玄関の前やら…いろいろ奇行が目撃されているようです。私ももう笑うしかない…。
◆ 応援ありがとうございます!
次回更新は5月1日(金)●流れるもの●です。
友野の最後の江戸行きとなります。
4月20日、おまめさんのラブラブウェディングバスケット弁当☆
4月21日、ベレー帽ボリスの焼き鳥お弁当☆
4月22日、名犬チーズの鯵フライ弁当v
4月23日、今日は遠足! ミルフィーユサンドイッチ☆
4月24日、おめめキョロキョロまっくろくろすけのお弁当
4月27日、ピーナッツバターのサンドイッチv
4月28日、ハートのウィンナー弁当☆
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