先日、久しぶりに頭に来たことがありました。
これでいいのか!?と思いましたが、
せっかくだから、その怒りについて分析してみました(笑)
で、まず「怒る」という字。
この怒るの「奴」という字は、奴隷などにも用いられているように
人に使われるいやしいものというような意味です。
ということは…!!
怒ると、人に使われるいやしい心になってしまうということですね~(泣)
確かに怒っている時というのは、
人に対してずっと考えているわけですから、
自分の心が人に使われているようなものです。
それは、まずいですよね~。
『 引き寄せの法則
』によると、
私達は宇宙と一体で、私達の心が宇宙と同じように
広くて大きくて豊かな状態であれば、
宇宙が「ああ、私と一緒なのだから、なんでも叶えてあげる~」と
言わんばかりに願いを叶えてくれるそうですが、怒っている時の状態は、
「頭に来る」「腹が立つ」「気がおさまらない」というふうに、
宇宙は違和感を覚えてしまんですね。
「頭に来る」とは、本来、心にある状態のものが頭まで行ってしまうこと。
心におさめているものを、打算やプライドでがちがちになった頭まで
持っていって頭で考えようとするから、
宇宙のサポートを受けられなくなります。
そして、「腹が立つ」とは本来、おさまって平らなはずの心が
立ってしまうこと。宇宙は大きくどこまでも無限大で、
心もその宇宙がすっぽり入ってしまうほど本来は大きなものなのに、
立ててしまうと宇宙が入れなくなってしまいます。
「気がおさまらない」もそうですね~。
本来、おさまっているはずの気(エネルギー)がおさまらなくなると、
あれ!?と宇宙が違和感を感じて、出る幕を失ってしまいます。
日本語って、深い!!
ちゃーんと宇宙の法則が言葉の中に全部、証拠として
入っているではないですか~。
いつかまとめて、本にしよう~(笑)
そして、『引き寄せの法則』によると、
私達の考えていることは、すべて波動となって、宇宙に到達し、
その波動と同じものを引き寄せるということなので、
怒っているといやなことが引き寄せられ、
喜んでいるといいことが引き寄せられるそうです。
そして、この波動という字も、
「皮膚の下の水のある部分、すなわち心の重さの力」と
書くではないですか~!!
おお、波動…!侮るなかれ…
ってことですが、怒っている時というのはそんなことは
百も承知で怒っていますよね~(泣)
で、次に、では、なんで怒っているのか、分析してみました。
私の場合、ある方がご好意で私のライフスタイルについて
いろいろ進言してくださいました。
でも、もし私がその人の意見を取り入れたら、
私の人生は間違いなく破綻してしまうだろうというようなもので、
私は右から左に受け流して、笑っていればいい程度のものでした。
でも、それが頭ではわかっていても、
ふつふつと怒りが沸いてくるんですね。
それは、たぶん、普段、私が他の人にすごくほめられていることを
否定されたからなんだと思います。
ほめられているのだから、そっちだけ聞いていればいいのに、
人間、けなされると結構、傷つくんですね~。
「人の評価より自分の評価」「他人の口VS自分の口」でも、
自分の評価を大事にしようと書いていたではないか、
どうしたんだ、いいことパラダイス株式会社社長!?
そう自分に突っ込んでいたら、
私は結局、誰からもよく思われていたくて、
自分を否定する人の世界でまで、完璧でいたいんだと思いました。
人の数ほど世界はあるのだから、
自分の世界をほめてくれる人もいれば、価値観の合わない人もいる、
それがわかっていても、私はその人の中でも
否定されたままの自分でいるのがいやだったんです。
そんな時に私を助けてくれたのが、またまたヒッキーさんのブログ。
以前にも書いた尊敬するブロガーの hikky49
さんの
「 幸福を拓くスピリチュアル・メッセージ
」の中に、
また、素敵なことが書いてありました。
それは、常に自分を向上させようと考え、自分を責めることが多かった時に
「立派な人になりたいのか?それとも幸せな人になりたいのか?」と
自問自答した時に、「立派な人」ではなく「幸せな人」になることを決めましたと
いう文章でした。
ああ、これだー!!と思いました。
そう、私は自分のことを否定する人の中でも
「立派な人」でいたかったのですね。
他の人がみんなほめてくれることを
たった一人の人がけなしても、私はまだその人の中でも
「よい自分」でいたいと考え、腹を立てていました。
でも、立派な人より幸せな人の方がいい!と思った時、
私のすることは頭に来ていた心をもとに戻し、
立っていた腹をまっすぐにし、
おさまらなかった気をおさめればいいのです。
その方が宇宙と同調できて、すぐ幸せになれるのですから。
そう考えると普段、幸せになることより
立派であることを求めがちだということに気づきました。
例えば、昨日、帰りに傘を巻く部分が破れてしまったのですが、
「ああ、こんなすぐ広がる傘を持っていて、なんてみっともない」と思いましたが、
でも、それは、私が幸せな人より立派な人になりたいから、
そう考えてしまうんですね~。
誰も電車の中で私の傘なんて見てないし、
もうすぐ家に帰るんだから、私は立派な人より幸せな人になろうと
考えたら、みっともない、ああ、いやだ、いやだという気分も軽やかになりました。
恥を忘れるということではないのですが、
いつも、立派な人になろうとすると、自分と違う考え方の人が出てくる度に、
その人にとってもよい立派な人でいたいと考えて苦しんだり、腹を立てたりします。
だから、単純に幸せな考え方を選べばいいのですね~。
立派な人より幸せな人。
私もこの考えを胸に抱き、いいことパラダイスを邁進していきたいと思います!!
2010年は素晴らしい年になりました☆ 2010年01月01日 コメント(2)
2009年いっぱいのありがとうをこめて☆ 2009年12月31日 コメント(3)
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