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温暖な沼津もここ数日寒い日が続いています。帰りの車の温度計は2℃とか3℃なんてすごい寒さです。日本海側とか、東北、北海道の方の寒さは想像がつきません。 自分の方は今日が仕事納めです。新年になったら相当忙しい事になると思うので、お正月はゆっくりしようと思います。皆様もよい年をお迎え下さい。
2013年12月30日
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今日は12月28日。今年もあと4日になった。この23日に届いた本『苦しい時は必ず過ぎ去る』は良い本だったと思う。56になろうが60なろうが70、80になろうが、自分は弱い人間なんだろうな・・・と思う。『人間なんて歳とったってそんなに変わりゃしない・・・』と思っている。『三つ子の魂、百まで。』と思っている。でも、いつももがき苦しんで生きてきた。諸行無常の如く、父は亡くなり、何人かの専属教師との別れ、可愛がってくれた従兄との永遠の別れも経験した。若いころは、死も人生もあまり深く考えなかった。ひとつあるとすれば『メメント・モリ』 『死を思え。』だった。『人は死んだらどうなるのかな?天国とか地獄は本当にあるのかな?』程度だった。私は今56。残りの時間は、父やかつての同僚達と過ごした塾の再建に使おうと思う。
2013年12月28日
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23日の夜23時ころに事務所の洗い物を片づけて帰ろうとしていた。ところが、最近指が細くなってしまっていて金の指環がすとんと抜け落ちてしまった。クリスマスなのに、ゴミの袋の中身まで入れ替えて探した。。。でてこず・・・もう諦めようと思って、最初にどけたタッパーを捨てようとした。タッパーの中にタッパーが入れてあった。そこにあった。おそらく指環は30cm程のそこにストレートに落下。自分が探した範囲は、サンザンクロースの範囲だった。。。鉛筆、線引、ジッポー、帽子、財布、バッグ、鉛筆削り、キーホルダー、ボールペン…妙に大事にするようになったな。。。
2013年12月24日
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小学生の迎えに車を走らせていたら、なんと鹿の突入を受けた・・・一瞬なにが起きたか分からず。。。車の左からなにかでかいものが飛び出してきた。急ブレーキ、急ハンドルでさけた。なんと体長1m以上はあるメスの鹿・・・鹿もビックリしたのか駆け上がった高台からこっちを見ていた。。。ギブ。。。
2013年12月16日
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『男なんて幾つになっても、母親の後をくっついていく生き物なのかな?』と思う。56歳になっても、昔の事は覚えている。とても可愛がってもらった幼児の頃。今はない粉のジュースが欲しくて後ろをくっついていた。記憶とは恐ろしいほど残っている。母が自分には手の届かない棚の上からその缶を取り出して作ってくれるジュース。いまなら『安物のジュース』なのだろうが、自分にとっては『最高のジュース』だった。悪戯ばかりして母を困らせた幼年期。頭が痛いというので、なにか母を元気づけるものはないかと考えて『殿様ガエル』の一番でかそうなのを枕元まで持っていった。今考えれば、頭が痛いという枕元に生きたカエルなんて、まったくもって駄目なんだが。小学校の頃も相変わらず悪戯三昧。好きな女の子にちょっかい出したとか、学校を抜け出してザリガニ捕りに行ったとか。。。怒られていた記憶が多い。でも、それは違っていると思う。可愛いから怒っていてくれたと思う。でもその頃は妹もいたので母はてんてこ舞いで、そうそう自分には目が向けて貰えなかった思う。中学生、高校生、大学の頃の母の思い出はあまりない。それより綺麗で頭のいい女の子の方に関心が行っていたと思う。まぁ当時は当たり前の感じだと思う。 でも自分が56、母80となると、状況は変わってしまった。母の鬱憤のターゲットは自分になるらしい。。。一番身近な人間に向けられる。。。 チビだった頃。。。どれほど母を追いかけたのか…どれほど同じ布団で眠るのが嬉しかったのか母は、忘れてしまったのかな?・・・と思うと悲しい。。。
2013年12月13日
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どこかの誰かが前に私に言った。『あんたっってホントに良い奥さんがいるね。』母は、『あんたはホントに人に恵まれてるね。』と。本当にそうだな・・・と思う時が多々ある。現実に家内がご飯、洗濯物をしてくれるから生きていられると思う。塾だって一人で出来ることなんて、たかが知れてる。みんなに生かして貰ってるようなものだな・・・と思う。がんばんなくちゃ・・・と感謝の気持ちで思います。だから取りあえず元気を出す。これでいこうと思います。
2013年12月09日
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人生って山あり谷ありって言うけど本当だなと思う。困難が人を育てるって言うけどそうなのだろうか。一難去ってまた一難。まぁ人生は困難の連続なのかも知れない。母のくれた短冊に書かれている。『人の世は山坂多い旅の道』いろんな事があって泣きたい事もあるけど、この言葉をかみしめて頑張って生きていきたい。
2013年12月05日
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亡くなった叔父の教えを時々思い出す。昭和57年か58年の正月だった。新年の酒を自分の実家で酌み交わしていた時だった。当時自分は24歳か25歳。今思えば小僧の私はなんて幼かったのかなと思う。『よしのり、仕事をする上でなくてはならないものが一つだけある。お前はそれがわかるかな?考えて答えてみな。。。』自分は一生懸命考えて『助けになってくれる人ですか?それかお金ですか?それとも土地ですか?』と聞いた。『そうだな、人もお金も土地もあるに越したことはない。でもそれだけじゃ駄目なんだ。お前がなんとしても塾を盛り立たせる、そういう気持ちがなかったら駄目なんだよ。いくら良い人がいてくれても、金がいくらあっても土地があっても駄目だ。お前の心一つにかかっている。それを忘れるなよ。』だった。叔父はある会社の工場長も務められ、温厚な大好きな叔父だった。亡くなる直前には沼田の叔父さんの病室に駆けつけ、『叔父さん、塾の生徒数は◎◎◎です。』なんて報告もした。あの叔父の教えを今かみしめている。父も叔父も、大好きだった従兄も亡くなった。家内だけが時折自分に注意してくれるけど、56歳にもなると他に注意してくれる人はいない。親父さんが生きてる時は『うるさい事ばっかり言っているなぁ。』と思っていたけど、もうそれもない。誰も俺の周りにはいないのか…とも思う。父や叔父は年齢の順番だから仕方ないな・・・とも思うけれど、この人達の言う事だけは聞かなくちゃいけないと思っていた従兄たちまで、いなくなってしまった。一人っきりだ。24歳の時にそう想った原点に帰ろうと思う
2013年12月04日
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今日は中1の英語に潜入して、チビ椅子を持って男子の周りを廻って教えたりしてきた。中1の英語なのでそう難しい事はやっていなかったけれど、みんな一生懸命だったな。でも中1の数学や英語がわからなくては、中2、中3でやっかいなのでちゃんとやらせる。冗談交えながら完戸先生が教えている。When does she do her homework ?なんて感じの疑問文をやっていて見て回った。many booksがdooksになったりしている生徒には『bだよb。それじゃあドックスだね。』『あっ!間違えた!』なんて感じで楽しかったな。中1男子はまだ幼さが残っていて可愛いなぁ~と思う。でもなかなかやる気のある男子もいて、前回の数学検定では5級、4級、3級を受験している。5級が中1修了程度なので、4級は中2修了程度、3級は中3修了程度になる。飛び級です。土曜日の検定指導や日曜日の私の個別指導で教え込んじゃっています。まぁ数学が好きなら取りあえず数学を得意にさせたい。という感じ。小4の男子が英検5級をやるっていうので、私のいいかげんな英語を教えましたが、受かっちゃったんです。まぁ受かれば◎って事にしてもらいます。http://www.futabagakushuin.com/jyukucho_blog/ 村松の日誌ですhttp://www.futabagakushuin.com/sugiyama_blog/ 美幸先生の日誌です
2013年12月03日
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塾をやっていて時々思うのは、男子は面白いということ。女子より幼いと言えばそれまでだが、女子より断然扱いやすい。本能的に、自分は男だ。だからがんばんなくちゃ・・・と思っている気がする。なんだかんだ言って、嫌な事があっても頑張るのが男子の特性なのかな?とも思う。ここへ来て中3の男子も頑張っている。楽しみだなと思う。
2013年12月03日
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私にかかわるすべての人を愛さなくてはだめだな。。。と思う。愛情だけは、金で買えない。56にもなって、やっと気付いたか・・・・ですな。
2013年12月02日
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うちの奥と私は8つ違う。私29歳、奥21歳で結婚した。看護学校の同期の人たちの中で一番最初に結婚したと言っていた。3月に卒業、5月に結婚だから同級の方たちのように海外旅行にいったりする事もなかった。社会人になって看護師になり、おまけに私の世話をするようになったのだから、相当大変だったと思う。料理もあまり出来なくて、野菜炒めばっかり作って、それにえらく文句を言ったりした。以来27年経っても野菜炒めだけは出してくれない。よほど悲しかったのだと思う。子供が出来て、今度は息子たちの世話も加わり、ますます奥は大変だったと思う。これからは、もっと大事してやらなくちゃ・・・と思うんだな。
2013年12月02日
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