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定時に職場を出て(珍しい!奇跡!!)千駄ヶ谷の能楽堂へ。もちろん、最初の解説はいうまでもなく、狂言にも間に合わないけれども。 今日は金春流本田光洋さんシテの『藤戸』。ということで、イヤなものを思い出してしまう『ヘイケ』がらみの曲である。自分のスケジュール予定としては、すっきりした気持ちで観られるはずだったのだが、やや重い気分での鑑賞となってしまった。 珍しいことに本田さんが台詞でつまずいた。自分が観ている中では初めてである。すかさず、後見の櫻間金記さんが流れるように付けて問題なく進行した。んー、この絶妙な付けは櫻間金記さんと本田さんの呼吸によるものであろう。 それはさておき、『平家物語』で語られる藤戸合戦の舞台裏という様相の能「藤戸」。勝者の裏側に悲劇があった、という面白い視点で作られている。能「藤戸」の話は語り本系の『平家』で殺害されたことを伝えるのみ(読み本系には殺害の記事なし)であり、それを深めて家族の愛情にもっていったところが面白い。 あー、索引やらなきゃ
2008.02.09
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保育実習の巡回指導で宮城県まで行く。もちろん、勤務校はまだまだ授業が続いているので、その合間をぬって行かなければならない。コーセーロードーショーが「実習の巡回指導は原則必ず」という指導をしているので、全国どこへでも行かなければならない。授業も対面15回を義務付けているので、実習の時期はメチャクチャである。あそこの役所は、揃って頭おかしいんじゃないかと思う。 しかも遠方の学生は大抵ソフトテニス部の学生。ということは、自分が責任を持たなければいけないってことになり、月曜日夕刻の授業を終えて仙台に赴き、翌朝そこから実習先へ。実習園はきわめて好意的で、学生の評価も良かった。老人介護施設と同じ棟に保育所を作るという新しいタイプの施設で、園全体の雰囲気も明るく、気さくな園長先生(公立の園長を定年後にここに移った)で、実習生もこういうところで実習ができるのは幸せである。 実習生との面談(これも義務付けられている<実習時間中に迷惑だろうに)も終え、園長先生とあれこれ話しているうちに、比較的近い塩釜の話になった。昔、京都でここに憧れて庭園を作った人(もちろん源融のことである)がいるんですよ、という話をしたところ、「東京から来る人はまず松島の話になるのに塩釜の話なんて珍しい」「そういえば、京都から紅葉を移し植えて松島の浦を眺められる高台が昔作られた」なんて話に発展し、気が付いたら、園長先生の車で塩釜に向かっていた。電車だと仙台まで戻って線を変えなければならないのだが、車だとほんのすぐで、20分ほどでかの地に到着。▲高台までの斜面がすべて京都の楓と伝えられる。松島四大観の1つ、扇谷。行政区としては松島町に入ってすぐのところ。▲少し松島のほうに移動したあたりの国道から。 このあと松島海岸で降ろされて、一路東京まで戻った。残念ながら、西行ゆかりの地は、冬季封鎖であったが、源融が憧れた地を眺めることができて良かった。
2008.02.05
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1月4日に本務校出勤、もちろん5日土曜日、7日月曜日も出勤。さらにこれらの日々が研究に費やされていないことは、言うまでもない(ヤレヤレ)。 これとは別に、粛々と進めていた皇室関係の事典原稿は最終校正を返却し、清々しい気持ちで相模原に向かう。年明けの授業が1回あって1年が終わるというのは、20年前と変わらないペースである。 嗚呼!別世界!! 3限の講義科目は筆記試験。教科書もノートも持ち込み可だが、今年もみんな青ざめている。フフフ(底意地が悪い)。 4限の演習では、3限との連続受講生が早速前の時間の問題についてひとしきり騒いだ(泣いた?)あと、宗尊親王の和歌(『文応三百首』雑部の歌)の本文批判と解釈。学部2年生にどうかとは思ったのだが(前期は『百人一首』)、むしろ前期以上に発言も活発だったし、解釈であれこれ意見も出て、充実した演習になったと思う。
2008.01.08
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年明け早々の日直勤務。さすがに4日から挨拶に来る業者も少ないはずなので、静かな大学で研究ができる……ということで、年末年始にまったく進まなかったブツを持参し大学へ。 だがっ! 思いもよらない緊急事態が発生し、部屋に置いてあるテニスウェアに着替えるはめに陥った。足元は長靴。詳しいことはここでは書けないが、年明け早々、いきなり肉体労働オヤヂとなってしまった。んー、私にブンゲイ研究者としての未来はあるのか!?
2008.01.04
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国立能楽堂の特別企画公演は「夢」にまつわる新作狂言「夢てふものは」と復曲能「実方」。昨日12日と連日公演。 狂言の方は昨日観て「あっ、もういいや」と思ったこともあり、勿論物理的な仕事が終わらないと職場を出られないという環境でもあり、今日は能「実方」だけを鑑賞。 東北で没した実方の塚を西行が訪れたという設定で、実方の霊(前場は老人)が登場し、美貌を誇った実方が舞いの途中で自身の老残に気付くというように展開する。霊として登場する後ジテは、かつての美しい貴公子として舞を舞い始めるが、やがて老いさらばえた自身に気付き、消えていく。 まず何が嬉しいって連日のチケットを取っておいたこと。昨日のははっきり言ってつまらなかったが、今日の「実方」はまったく別物であった。昨日ので「こんなものか」と思わずに済んだことが一番の収穫であった。 貴人もので落涙することの多い佐藤は、本日ラストの序ノ舞で号泣。昨日は、おシテさんのプクプクした手を見ながら「あぁ、あの斜め後ろの方の手と交換してくれたら……」などと思ってばかりいた(もちろん、そういう危惧を回避するために取った席位置。某氏鑑賞用席)。若き貴公子の霊が老醜の霊へと変化しなければならないのに、大儀そうに胸の辺りの装束が波打ったり、尉面とのバランスの悪い体格など、ぐったりすることしばし。 それに対して、今日のおシテさんは、後ジテ実方の霊で[中将]の面を使い、若い貴人の顔立ちに白髪をつけた姿で登場。1つの空間で若い貴公子(の霊)がたちどころに老いていくという変化をはっきりと提示した。わりと背のあるおシテさんなのだが、急に萎んでいくように変化していくのが巧み。 自分のように自己修正力のない者には昨日の舞台では何も想像できなかったが、今日の舞台は昨日と同じ作品とさえ思えないできだった。「実方」って面白いと思えたのが、今日の最大の収穫であった。 新作狂言のほうは50分という長丁場であったが、最初の15分ぶんは、通常の狂言の名告リであっという間に済ませることができる質のもの。登場人物が誰一人として常座で名告ルこともなく、狂言らしい展開がない。古典作品に題材を取った新作劇。ただし演じるのは現代劇の役者ではなく、狂言師の方々、という実にチグハグなものであった。新作狂言で時折あることで、古典作品に題を取ってお笑い要素を加えればそれでいいのか、という部分が目立つ。古典作品に題を採りながら、現代劇の役者が現代としての解釈で提示するというわけでもなく、すべてが中途半端。 なんといっても、最大の欠陥は大臣になった吉備真備が、商人(その昔、真備が仕えた人の零落した姿)に怒ったりして、徳の高いはずの真備が安っぽいキャラクタとして造型されている。夢違えで入手した幸運を最大限に活かして、本人の努力もあって大臣に上りつめたという設定と矛盾する短気な性格、あれはかなりまずいだろう。他にも矛盾と感じられる部分があった。 それはさておき、“実方”といえば、佐藤の指導学生で『実方集』に取り組んだ者がいた。自分自身が好きな歌人でもあり、その学生も非常に熱心に作品研究に取り組んだ。まだ勤務先に国文科のあった時代のことで、短大の卒業論文なのに「私家集大成」本文に加えて、「冷泉家時雨亭叢書」を自分で買い、本文の差異を調べる一方で、周辺人物を洗い出すという大作をものした学生だ。4年制大学に編入、そのまま修士へ進んだが、結婚・出産で研究から手を引いた学生であった。あぁ、こういう学生が自分のゼミには毎年いたなぁ……と思うと、わずか数年前のことながら懐古せずにはいられない。
2007.12.13
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火曜日は相模原で非常勤講師。夏頃には暑苦しいだけの昼休みの賛美歌(←罰当たり)も、この時期だとシミジミと聞き入ってしまう。 授業の方は、宗尊親王の和歌の解釈と茂山家の狂言鑑賞という、無茶なことをやってきた。授業はあと1回で、その次が試験なので、なんとか予定の範囲まで終わらせようと必死。 この地は母校であって母校でないキャンパス(厚木世代なもので)だが、こんな飾りがあった。この画像を撮り終えたところ、ちょうど大学時代の友人からテニスの誘いのメールが来たので、返事にこの写真も付けた。早速「あぁ、場所が違うのにノリがおんなじ~」という返信が来た。“そうそう、君がボディコン着てた頃だね”なんて、もう20年(ひゃあ~)も前の情景が目に浮かんできた。厚木も青山も、そして相模原も、場所は異なれども、こういう景色が共通認識として残っていくっていうのは、ちょっとスゴイことだと思った。
2007.12.11
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まことに不勉強で恥ずかしいのだが、毎日新聞11月17日の記事で、火山について研究している方の研究成果よって、長門本の成立が1235年をあまり下らない時期とする発表があったらしい。となるとそれに先行する原『平家物語』は当然それ以前ということになる。 ……というような問い合わせを受けた。某地方新聞社の文化部の方からであった。多分、私の研究室の隣人さんは席を外していたのだろう。見つけていたらそっちに回したのに。 『平家物語』としては長門本独自本文になる性空上人の霧島山噴火に関する記事(平安時代のエピソード)が、実際に霧島山の噴火を目にした者でなければ書けないリアルさだそうで、それに該当する噴火は1235年の出来事だという。 こういう他分野の研究成果が文芸の研究に活かされるのはとても興味深いし、これまでにも日本文学の研究領域はそうした成果の恩恵を受けている。ただし、『平家物語』、狭めて言えば長門本と称される伝本群の元締め的改作者が、長門本すべての独自本文について、完全に本人の創作とするのは無理というもので、たとえ霧島山の噴火が1235年と確定したとしても、長門本がそれに近い時期に成立したと結論づけるのは無茶というものだ。 この話題は後日改めてここで紹介したいと思うが、何がショックって「あのぉ、私の専門は日記文芸なのですが……」「えっ、そうなんですか?」という短い会話が(絶句)。
2007.12.10
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伝統芸術振興会の公演が無事終了した。30周年記念ということで、ここの団体で行ってきた日本伝統文化教室の生徒さんが参加できる「鞍馬天狗」が選ばれた。この会に長らくお出で頂いた方には意外だっただろうが、シテ観世銕之丞さんは、この会で初めてのご出演である。当会の会長であった南部さんが一昨年お頼みしていたのであった。 稚児愛ということで、「子盗人」あたりを狂言に持ってきたかったが、山伏つながりということで「蝸牛」を山本則孝さんシテで。山本家には随分とご出演いただき、則孝さんシテもこれで2度目となる。南部さんのお気に入りの若手狂言師にご出演いただいた。 義経(子方)を演じたのは小早川さんのところのご子息康充さん。お母様は学生時代、ここの会のお手伝いをしてくださったことがある、と伺った。不思議なご縁で、会の最後の公演に巡り合わったことになる。 最後の、義経が鞍馬天狗の袖にすがるところは、南部さんのことを思い出して思わず涙してしまった。 ※会誌「能と狂言」で誤植がありました。10頁下段11行目、「馬野正基さん」とあるべきところが、「馬場正基さん」となっています。人名の誤りという取り返しのつかないことをしてしまいました。署名原稿の部分は基本的に手を入れないという方針だったのですが、きちんと把握しておくべきでした。 本当に申し訳ありません。謹んで訂正させていただきます。 ※もう一つ、私のブログ経由でご注文いただいたかたで、事務局のミスで特典のなかったかたがいらっしゃいました。割引のなかったかたがいらっしゃいましたら、どうぞメールでお知らせ下さい。
2007.11.30
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宝生会別会は「実盛」「定家」「葵上<梓之出>」の3番。極めて目を引く曲というわけではないが、地味な感じで宝生らしい気もする(意味不明)。 さて、「実盛」。白髪であることを懸念して、髪を黒く染めて戦に臨んだ老武者である。木曾義仲と平家の闘いという中での出来事で、『平家物語』の展開の本筋ではないのかもしれないが、こういう美意識がある話もなかなか捨てがたい。老いが恥であったという点は、忘れてはいけないな、と思わせられる。人間、美しく年をとりたいものだとわかってはいるけれども、なかなかそうはいかない。 シテは寺井良雄さん。見事な白髪(本当に輝くばかりの整った白髪である)のシテが演じる「実盛」というのも(もちろん地毛は見えない)、なかなか興味深い。スッキリとした宝生らしい地味な、だが味わいのある「実盛」だったように思う。先日の片山九郎右衛門さんの「実盛」も実際の体格では考えられないスケールを感じさせ、素晴らしい「実盛」が続いた。 ところで、「定家」シテ三川淳雄さんは、今回で舞い納めらしい。確かに来年の予定表にお名前が挙がっていない。残念である。
2007.11.25
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数年間お手伝いしていた伝統芸術振興会の秋の公演も今年で最後。原稿の受け渡しで事務局に寄る。能楽に関しては相変わらずのトーシローだけれども、色々と勉強させていただいた。本当にありがたいことであった。会長の子どもへのまなざしや美意識は大いに共鳴する部分があり、もっと長くここで勉強したかったが、残念である。なお、児童生徒向けの公演は、某研能会(←バレバレ?)が引き継いでくださるようで、良かった。というわけで、トップでもお知らせしたが、秋の公演は狂言「蝸牛」に能「鞍馬天狗」。狂言は別の曲もリクエストしたのだが、公演時間などの関係でこちらになった。山伏特集である。
2007.10.17
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今日は宝生秋の別会第1日。高橋章さんの「清経<音取>」、三川泉さんの「遊行柳」、そして金森秀祥さんの「絃上<クツロギ>」の3番。どれもこれも味わい深い。生きてて良かった~。 「妙音院殿」とは藤原師長のことで、「絃上」の詞章では“雨の大臣(オトド)”。この名称については『源平盛衰記』巻十八曾の巻でも触れられている。海に沈んだ琵琶の話は『平家物語』の青山の琵琶のところでも登場する。 この妙音院殿の弟子の1人が二条天皇で、『文机談ブンキダン』には二条天皇が音楽にも優れていたことを詳述する。今日は、二条天皇について抱えている問題も終え、スッキリした気持ちで「絃上」を観るぞーっと意気込んでいたのだが、なぜかその原稿用紙(文字通り原稿用紙<満寿屋製だけど)は書きかけのままカバンに入っていた。 舞台鑑賞を終えて、「これではいかん」と反省し、ラストスパートで書き上げた。 シテ金森さんは予想以上に素敵な村上天皇の霊であったが、音楽説話を元にした舞台にしては囃子が……んー、やはり囃子は舞台の進行に重要だなぁと思った次第。 ちなみに、須磨にはこの「絃上」ゆかりの村上帝社という神社がある。
2007.09.23
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名古屋の図書館に写本を観に行く。品川駅に新幹線が止まるようになり、名古屋・知立とスムーズに乗り継ぎ。気が付けば2時間半で知立駅に立っていた。もしかして、房総の先の方の高校に営業周りに行くより早いかもしれない。 今日行ったのは、愛知教育大学附属図書館。なんと今でも退官なさった大先生が研究で使っているらしい。「うわ~久しぶりにお目にかかりたい」と思いつつ、連絡もしなかったオノレを呪う。 目当ての作品はだいぶ虫損が進み、公刊されている本文でも判読できない部分が発生していた。 今すぐにどうするという作品ではなかったが、直接観ることができてよかった。 意外とスムーズに事が運んだので、途中で熱田にお参り。ここは名古屋能楽堂よりも多く寄っている能舞台で、前に記したように昨年10月で閉館となった能舞台だ。幸運にもまだ移転されておらず、クローズドのまま残っていた。外観の写真を撮って、お定まりのきしめんをいただき、お参りをすませて帰京。
2007.09.04
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インカレの引率を一足早く上がり、後期の時間割の修正手配なんかもして……働いてるなぁ、自分(涙)。午後は職場から神保町の講堂へ。免許更新制の説明会だ。まわりは事務部の上司&部下という構図らしき人々。私は1人、教員……ひゅるる~。 さて、肝心の免許更新制だが、昨年末あたり、この話題が盛り上がったのでご存じの向きも多かろうが、2009年4月1日以降に教員免許を取得した者は、10年ごとの更新を受けないと免許が消える。昨年末、運転免許と同じような論調で語られていたように、更新講習を受けないと、免許が消えるのである。では、それ以前の免許取得者は問題ないのかと言えば、そうではなく、10年ごとの講習を受けないと、その免許も失効扱いになる。現職教員は年齢で刻んで、順次講習を受けさせるらしい。 では、免許更新の講習を受ければいいかというと、この受講資格が“現職教員に限る”というのだ。つまり、学校教育法に挙がっている現職教員(但し大学を除く)しか講習を受ける資格がないという形でスタートするらしい。例えば、現在、大学の教員であるけれども、何らかの事情で高等学校や中学校の教員になるといったとき、この講習を受けていないので、大学教員(勿論大学の教員自体に免許はない)A氏は免許失効になるのである。もちろん、予備校や日本語学校・専門学校の採用条件として教員免許を持っていた人も、受講資格はないので、10年で免許が失効になる。自分も「それはまずいだろうよ」と思ったが、案の定、事前質問でも当日質問でもその点での質問があった。が、回答は変わらなかった。あくまでも現職教員のための講習なのだ。 講習時間は30時間(1800分)で行うと決まったらしい。ただし、どのような領域のものを行うかは未定であった。教職全般に関わるものと今日的な課題、教科教育などで領域数は4つになるらしい。その内容は年度内もしくは年度末にわかるということだ。2種免許(短大卒)、1種免許(大学卒)、専修免許(修士課程)の区分も未確定だ。たとえば、2種免許の課程を持つ本務校でも、1種や専修免の人を受け入れられるのか、などもはっきりしない。 結局のところ、今回の説明会でわかったことは、ナマの問題をわからない人々が勢いで打ち上げてしまって、それが動き出している現状把握という点だけであった(コッカイ答弁議事録を読むと失笑)。 世論でも運転免許と同列にした論調があったけれども、現場の先生はあれやこれや研修があるわけで、運転免許とは同質ではない。こういうことで振り回される文部科学省のお役人さんたちも気の毒である。 今春からスタートした、助教制度。「助手」と「専任講師」の間に「助教」が置かれることになり、事務部に近い「助手」と教員に近い「助教」が置かれることになった。また、「助教授」は教授を助けるのではないので、「准教授」になった。この制度導入で、これまで「助手」として採用されていた人々が「助手」留任で“任期制”のおまけ付きなどという、びっくりするような処置を執った大学もある。本務校はそういうひどいことのない所だが、他所の話を聞くとこういう悪用もまかり通っている。そういう現状を予測して導入したのだろうか? 今度の免許更新制も教育現場をひどくしなければいいのだが。 インカレ引率の方が充実してたと思うよ、はっきり言って。
2007.08.09
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インカレは個人戦が残っているけれども、事情があって一足早く帰京。帰宅すると大きな荷物が届いていた。『筑波大学平家部会論集』第12集だ。12集の下にカッコ書きで“終刊号”の文字が。佐藤がここの大学にお世話になったときには第2集だった論集が、“12”という平家的に意義深い数字で閉じたわけである。 お師匠の元でメンバと読んでいたのは部会の名称通り『平家物語』。当初は覚一本(古典大系本)で、それが終わると遠距離通学者にして病み上がりの誰かさんのためか、ひらがな百二十句本(古典集成本)へと引き継がれていった。ん~、確かに「小さいサイズの本がいい」などと主張した気もする……。 ここで初めて発表の場を与えていただいた宗尊親王の論文は、ツクバという世界を大きくはみ出していった。勿論自分の論考が優れていたわけではなく(今読み返しても「あちゃ~」と思う)、それはここの論集のブランドゆえなのであるが、様々な先生から身に余るお言葉を頂戴した。この時の拙論を御覧になって、小学館の辞典編集室で御所蔵本を貸してくださった先生、遠い地から宅配便で御所蔵本を送ってくださった先生もいらっしゃる。いずれも「見せてください」などとお願い申し上げる前に、「これも見なさい」と貸してくださったのであった。これは一介の大学院生としては奇跡的なスタートであり、それは偏に『部会論集』執筆者という通行手形を持ったからに他ならない。他にも、この論文を通じて広がった輪は極めて大きい。 今回もそういう気持ちを思い出して、宗尊親王のものを書こうと思ったのだが、それとは別の思惑でどうしても書きたいものがあり、そちらを書くことにした。タイトルは「飛鳥井雅有の奈良・伊勢逍遙―『仏道の記』の作品化について―」。構想を練ったのは12年前、3部作がこれで一応完結したことになる。 手元に届いた論集を拝読すると、やはりお師匠のカラーでの手堅いアプローチが多く、末席に名を連ねた自分としては、そうした方法で書きたかったなぁ、などと思ったりもするのだが、佐藤なりのけじめとしてこの論文で良かったと思っている(難産だったけど)。
2007.08.08
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本務校の所属が動き、現在のところで総合演習を持つようになってから、学生を連れて観に行くようになった会。それまでは萬狂言夏公演とぶつかることもあり、自分の好みで選んでいたのだが、現在は、夏休み前の学外学習ということでこちらを優先させている。主催は全日本郷土芸能協会。 各地に伝わる民俗芸能で、地域学習の一環として子どもたちが活動しているところを、各地から集めて発表会・セミナーを行う。セミナーは今年で4回目、在日外国人学校の子ども達の発表を入れるのは2回目となる。 今回も各地域の子どもたちの発表を楽しく拝見する。神に奉納するようなタイプのものもあるけれども、子どもたちのひたむきな姿に思わず拍手や感嘆の声が漏れる。 “各学校の特色を”なんてオカミは言うけれども、それと矛盾するように教員の強制異動はどんどん激しくなっている。特色を維持できないようにしているのがオカミだろうに。そうした中で、継続して活動を続ける学校というのは並々ならぬ地域のフォローがあることだろう。 たとえば、あるクラブ活動の指導力に優れた教員がいて、クラブ活動を盛り上げていっても、数年で異動があるので、その後が続いていかない。クラブならば、その教員にとって次の学校があるけれども、地域と密着した芸能ならば、異動先で続けるというわけにもいかない。今回の発表の中にも、大人の伝承者が皆無という中でなんとか血脈を保っているものもあった。 神楽好きの佐藤としては、北海道でありながら近世初頭の形態を保っているという「松前神楽」、広島県尾道の、いかにも荒神系の剣舞を含む「御調(ミツギ)神楽」と、珍しい神楽が2つ並んだのが興味深かったが、それ以外も小中学生のみんなの活き活きと活動している姿が良かった。 会場内で上演中に携帯電話で話をしているババァを発見。小声ではあるけれども、それでも聞える。しかも、その時の舞台上では、死者の回向に関するものが進行中だったりして、驚いた。周りの人が注意しないので、思わず苦情を言いにいった佐藤。子どもたちも沢山来ているのに、こういう非常識オトナがいると困る。
2007.07.29
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喜多流で購入しているチケットが下半期使えなさそうなので、非常勤先の学生に一部譲り、でも自分もこの回は外せず鑑賞。数列前にはZAGZAGさんが…… 能「盛久」……拙著でも取り上げた作品であるが、喜多流での鑑賞は実は初めて。シテ主馬判官盛久を粟谷明夫さん。予想通りのきりっとした盛久像が浮かび上がった。海道下りもしっかりした謡で、映像がクッキリと浮かんでくる。しばし目をつぶり、謡に身を任せる心地よさ。極楽であった。 昨年から行っている非常勤先では「盛久」のホンの一場面を読んでいるのだが、昨年は観世系で夏に「盛久」があり、今年は喜多流であったので、実際の場面を鑑賞できる学生さんがいた。こういう体験もなかなか良いのではないかと思う。
2007.07.22
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金剛流で「杜若」を観る。<日蔭之糸><増減拍子><盤渉バンシキ>と小書が3つ並ぶ。<日蔭之糸>は観世流の<恋之舞>などと似たような装束付けになり、業平の霊と杜若の精、それに業平の恋人高子が重層的に表現するのを視覚化させている。 前に書いたかもしれないが、「杜若」は『伊勢物語』八橋の段に関する、中世伊勢物語注釈に基づく。自分としては、杜若の精が人(在原業平)に恋をしてこうなった、という設定でも良さそうな気もするのだが、そうなると、ゆかりの品を出す必然性がなくなってしまう。業平が杜若の精のために、ゆかりの品を置いていくはずがないからである。でも、女2人に男1人というのはどうもスワリが悪いような…… もう1つ不思議なのは、業平ゆかりの品として「豊明の五節の舞」で舞ったという詞章が出てくることだ。今回の解説でもそれを踏襲しているが、五節舞は女の舞(“乙女の姿しばしとどめむ”の舞)であるはずなので、そこに立ち会った業平と解釈するべきなのだろうが、詞章の流れを見ていると、業平が舞ったとしか思えない。 などと書いているが、わりと好きな曲で、爽やかな初夏の雰囲気を出していただければそれで満足の作品。
2007.07.18
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あれやこれやウヨキョクセツもあり、でもなんとか出産。私の研究歴には指導教員(教官)が4人いらっしゃり、そのうち3人の方の退任の節目の論文に雅有『仏道の記』を発表したことになる。というか、正確にはそのスケジュールで進めようと目論んでいたのだけれど。これで『仏道の記』の作品化に関する考察は完結となる。 あぁ、もっと日記文芸のこと考えなきゃ。
2007.07.15
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今月2つめの記録。勉強しろよ、自分。まぁ、それなりに調べごとは続いていて、どこに出すかのあてもないまま調べていることが幾つかある。 それはさておき、源三位頼政である。今日の宝生会春の別会第2日は小倉敏克さんシテの「頼政」で始まった。源平の合戦として捉えた時にはメインにならないが、宇治の合戦、そして頼政の周辺で渡辺党の人々の活躍とか、結構好きな話だったりする。「頼政」は頼政の自害をメインに、間狂言では宗盛の馬のエピソードを入れる。前場に名所教えがあり、宇治橋合戦ありと、動きが極めて少ない作品だが、美しいことばが続いていく。シテ小倉さんは割と好きな役者さんで、ユリ(といっていいのか?)が良いのである。老将の最期がシミジミと描かれていた。頼政は歌人としても名高く、もう少し歌のことばが詞章に入っていたらなぁと思ったりするが、そんな注文は無理というものだ。 今日の3番は「頼政」「隅田川」「道成寺」。「隅田川」は予想以上に素晴らしく、ついついもらい泣き。シテの頑張りもあったと思うが、今井泰男さんに近藤乾之助さんという不可侵領域の地謡が超絶。晩春の隅田川が舞台に広がった。 もう1つ、小倉伸二郎さんの「道成寺」。伸二郎さんらしい硬質の「道成寺」。あまり女性性を感じさせないけれども、いつものようにシャープだった。兄さんの方はもう少しかわいらしさのある白拍子だったが、今回の白拍子は非常に怖いタイプ。
2007.05.27
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「教育原理」のテキストを出版して、文学の方をさぼっていたわけではないのだが、出したかった論文は結局間に合わず、どこに出すか宙に浮いた状態。 そんな今日は午前中3時間コートで汗を流し、午後はシャワーも浴び、すっきりした気持ちで机に向かう。 ……と書くと立派だが、正直に告白すると督促状を頂いてしまったのだった。督促状を送られるなんて偉い立場のわけがなく、本当ならさっさと原稿を送らなければいけないのに、まだ送っていないのである(汗)。インタネットで検索すると、それなりの情報が簡単に得られるけれども、それでは面白くないので、加納重文先生の大作である“人名索引”を使ってあれこれ作品を読み返していく。しかし、これをやり始めると、調べることを忘れて、読みに没頭してしまったりして、なかなかはかどらない。明日も頑張ろうっと。
2007.05.05
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1年生が河口湖でのセミナー。引率教員もいないため、大学は極めて静か。授業科目も変更があり、私の授業も1つ消えた。だからといって暇になるわけではなく、特別時間割を組む算段をする。4月頭から7月末までの前期中、半分以上が“特別時間割”なんて、それを“特別”とは言わないよなぁ。 夕方、自分の作った教科書が届く。今回は単著。装丁は思ったほどではなかったけれども、すっきりとシンプルにまとまって良い感じ。ずっとこの科目を持っていて、早くまとめなければと思っていたものだったので、頑張った。 あっ、ブンガクのテキストではありません。教育原理です。教育原理です。教育原理です……(以下エンドレス)
2007.04.25
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昨年から始まった非常勤の授業が今年も始まった。本務校は既に3週目に入ろうとしているのに、こちらは初日。 この世界には青学webなるものがあるらしく、非会員でも見られる部分に、授業に関する情報提供があり、私の講義科目も載っていた。「持ち込み可なのに」「テストが難しい」らしいが、「人柄が良いので、楽しんで授業が受けられ」たという投稿があった。充実度もありがたい評価を頂いた。これを参考にした学生さんもいるだろうから、期待を裏切らないように、今年も頑張らねばと思う。 そうそう、火曜日は昨年の初回も雨。というか、高確率で曇りか雨だった。今年も雨で始まったよ。
2007.04.17
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ずっと忙しい。年度の切り替わる気分もないまま、新年度に突入して既に2週間。詳しくは書かないけれども、驚くような(というか笑うしかない)仕事が毎日目の前にそびえている。だが、さすがに今日は「時間通り帰らせてくれ」とばかりに定刻でダッシュし、国立劇場へ。 興福寺・薬師寺で毎年11月13日に交互に行われている慈恩会ジオンネの公演であった。こうした公演の常で、本来の儀式を通しで行う時間はなく、ダイジェスト版での儀式であった。儀式自体は興味深かったけれども、仏教の儀式に音楽性を見出していく部分が少なく感じられた。“僧侶の口頭試問”と書かれていた「竪義リュウギ」にかなりの時間が費やされ、この間、耳では聞き取れず、暗いため文字は読めず……玄人受けするタイプとでも言えようか。自分などにはまだまだ辿り着けない世界であった。
2007.04.14
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↑タイトルが俗っぽいか? 3月末と今日と、同じ一門の方の「道成寺」を観る機会を得た。 まずは山中■晶さんの披キ。なんだか意外な気もするが、初なのだそうである。紀州道成寺にて撮影した美しい写真が展示されていた。 披キということで気合い充分なのもあったが、能楽以外にも表現の可能性を考えているという方らしい、細かい趣向が幾つか見られた。くどいとか過剰と取られかねない部分もあったが、嫌いではない範囲での工夫だったように思う。最後の橋掛りへと動く場面で、散る桜が見えた。 そして、本日は桜木町にて鑑賞。掃部山が満開の桜で、迎えてくれる。毎年のようにここで書いているが、ソメイヨシノはその色合いが野暮ったいというか、くすみがあってあまり好きではない。こればっかりだと面白みがないように思う。白やピンクの桜、それに葉っぱが交じっているような、総体でのサクラを観賞したいものだ。 それはさておき、こちらは沖縄の芸能における「道成寺」と2作品の鑑賞。沖縄の言葉がわかりにくいけれども、解説に付された台詞をチラチラ見つつ楽しめた。満腹な1日だった。■=「牙」に「しんにょう」
2007.04.01
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昨年度から勤務体系が少し変更したことをすっかり忘れ、チケットをとった花影会。土曜日公演はすっかり駄目駄目。己のうかつさを呪うばかり。というか、そもそも、こんなことにうつつを抜かしている場合ではないのだった。仕事も沢山あるし、研究を進めなければならないことも沢山。
2007.03.18
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土曜日の出勤はこれまで何度も書いている如く。そしてこの時期は教務的な作業がてんこ盛り。……そして『松山天狗』を忘れました……(号泣)
2007.03.10
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能楽シテ方喜多流を引っ張る香川さんと塩津さんとの会「二人の会」があった。今回は香川さんが「卒都婆小町」、そして塩津さんが「実朝」。 恥ずかしながら、喜多流の「卒都婆小町」(というか老女物)は初めての鑑賞。質実剛健な喜多流らしい、抑えめだけれども渋い地謡だった。予想以上に素晴らしかったのが、おシテさんで、この老女の小町の気品はなかなか。前にも書いているように、小町落魄とか小町驕慢という伝説そのものが非常に男性的で好きではないのだけれども、今回の小町老女は良かった。 さて、もう1つの「実朝」は土岐善麿作の新作能であるけれども、ここの流儀で通常の能のように扱われる作品で、時々上演される。実朝の歌を下地に前シテ尉、後シテ実朝の霊という「融」系のパタンで展開する。 舞台は由比ヶ浜、後シテの出が「箱根路をわが越えくれば……」だったり、荒磯の印象が鎌倉の海とは合わなかったりするけれども、実朝の歌を随所に盛り込んで上手く作られている作品だと思う。 万葉風の歌が多いところも昭和25年作らしいところだろうか。藤原定家所伝本の『金槐集』だと万葉風の歌は少ないけれども、“実朝=万葉集をふまえた歌人”を強く感じる。 それはさておき、「融」系であるこの「実朝」も私は例によって泣いてしまう。[早舞]の後半はすっかりハンカチオヤヂであった。お囃子方さんも良かったし、地謡がもう少し良かったら、磯のとどろきが聞えたことだろう。 喜多流といえば「鱗形」を観たことがない。近いところでは職分会の自主公演でかかったと思うが、機会を逃している。私的には是非とも観たい1曲である。 ……その後、確認してみたのだが、勘違いだったようだ。現行では金剛流に残っているらしい。何年か前の年間公演番組にあった気がしたのだが、今手元に残っているものにはなく、金剛流のほうでもわからない。幻覚か? 余談だが、塩津さんの公演でご一緒になることの多いK先生と帰り道で一緒になり、代々木まで話すことができた。和歌文の例会をさぼり気味の私が実朝の話を共にできる幸せな時間となった。
2007.02.25
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音に聞く「胡徳楽コトクラク」を上演ということで楽しみにしていた、国立劇場40周年記念の雅楽公演。明治期に途絶え、国立劇場開場で復活となった作品。勿論初めての鑑賞である。 今回は左方が「五常楽ゴショウラク」。こちらは比較的上演頻度の高いものだが、多くは「五常楽 急」とかあって序破急の「急」の部分のみだったりするが、今回は音取から通しで行なう(約45分)。こうやって通しで観ると、展開がはっきりして面白い。気が遠くなるほどゆったりとした所があってこそ、急も活きてくると感じる。 右方が「胡徳楽」。舞楽では珍しい、はっきりとしたストーリーがある。登場人物は4人の客と勧盃ケンパイ、そして瓶子取ヘイシトリの6人。勧盃がこの家の主人といった感じで、その人を中心に盃を回していく話なのだが、盃を回す役が瓶子取。腫面というぶざまな表情の面をかけた男が無類の酒好きで、皆が揃う前から、懐に隠した盃で盗み呑み。人から人へと回す間も盗み呑み。驚くことに、この間のやりとりはアドリブだという。おそらく稽古といった形でやってはいるのだろうが、きちんと決まった型ではないらしい。瓶子取の動きを見ていると、会場中も大笑い。雅楽でこういう笑いというのは珍しい。 最後は勧盃、客人が退出。瓶子取も千鳥足ながら、彼らの退出の姿を真似て出て行く。神楽でいうモドキのような感じ(というか逆か)。二の舞も腫面を使うし、真似のおかしみにこの面がふさわしいのだろうか。 幸せな気分を堪能できたが、雑事に追われて停滞していた論文執筆は、はかどっていない。こういう舞台を観ている間に、見えないこびとさん達が片づけてくれてたら良いのに(←バカ者)。
2007.02.23
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国立能楽堂の2月企画公演は復曲。定刻に出れば狂言から観られたのだが、予想通りというか、定刻には出られず、会場に着いたときにはタッチの差で始まってしまっていた。もちろん、(主義に基づいて<当たり前)会場には入らず、近所の茶屋で茶を飲もうと思うと、これまた店舗閉鎖(ここにあった本店が別の場所に移るらしい)。ダブルショックであった。 そもそも、ここ2週間ほど、驚くような仕事に忙殺されている。朝令暮改ではないが、様々な自体が出来して手直しに次ぐ手直しで、授業以外の時間はほとんどお抱え仕事をやっている。 ……そんな話は止めてっと。 復曲狂言の方は涙をのんだが、能「鵜羽」。これが思いの外面白かった。中世日本紀に基づく設定で、龍女が干満の宝珠によって奇瑞を見せる舞。現在の五番立でいうと切能にあたる感じの曲。最後の舞事はあれこれ盛り込んでとても贅沢、能「海士」の[早舞]に<クツロギ>の小書が付いて、さらに[舞働]が入る感じ?あと露ノ拍子で使う太鼓の音などもあった。どうしてこの曲が途絶えたのだろうか。面白いのに。海岸の奇瑞が舞台上に浮かび、トランス状態に陥り思わず涙がこぼれる舞台だった。可哀想とか惜別ではなく、こういう華やかなもので涙が浮かぶのは珍しい。まさに“何事のおはしますかは”であった。 この龍女は豊玉姫であるが、シテ方・ワキ方はトヨタマヒメ、狂言方はトヨタマビメと呼んでいた。私などはトヨタマビメと呼ぶ方が耳慣れた感じであるが、連濁しない方が普通なのだろうか。
2007.02.22
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キンキン@ダイコク堂さんのブログでのコメントを紹介します。現在アヤシゲブログからのトラックバックが多いので、機能を楽天内に留めており、こちらにて紹介。キンキンさん、ありがとうございます♪ 私の科目でも同じような感じである。動作に対するものであれば、“誰が”を考えるようにして、その人が自分または自分と同じ位置に立つならば1段下がる、相手なら上げるという具合で。 ところで、なぜ敬語の使い方が乱れているという声が上がるのだろう?死語ではなく、現在生きたことばなのであるから、そういう使いこなしのできない若い人というのは、小さい頃から状況に応じた敬語の使い分けを身近に感じていなかったためであろう。ということは、身近にいる人(家族)がきちんと使っていなかったから慣れていないということではないのか。 それともう一つ、実は敬語を使っていると意識しているのは20代に多く、50代より上は使っているという意識が減るらしい。思うに、階層とか体制に楯突いて暴れ放題の若い時期を過ごした人々のあたりで、目上の人を敬うという意識が欠落しているのでは……とも邪推してしまう。大学の教員(高校もか)に向かって凄まじいことばを投げつけたカタマリの人たちからみれば、うちの学生のほうが教員に対して敬語を使っているだろう。
2007.02.06
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日本語の敬語が5分類になることが正式に決まったらしい。……なんですか、それ?「申し上げる」が謙譲語1(ローマ数字)、「申す」が謙譲語2(ローマ数字)、「です」が丁寧語で「お○○」は美化語……すみません、私にはよくわかりません。そんな分類など、受験のエサにしかならないだろうに。というか、相手を思いやったり、自分が下がるという気持ちがない限り、敬語なんて意味がない。敬語の乱れや消滅を憂うならば、そういう気持ちを養うことが先では? 驚きついでに、もう1つ。さる9月に続群書類従完成会が倒産。国文系の大手と思われていたところが倒産というのがオサムイかぎりである。
2007.02.02
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国立劇場の民俗芸能公演も第106回という。すごい公演数である。 今回は阿波の芸能。本当は土曜日の神事芸能を観たかったのだが、勤め人の身なのでわがままも言えず。やれねばならぬことが沢山あり、先日の声明も涙をのんだのだが、2週続けてヒッキーな日曜日も哀しいので、バタバタと家のことを済ませて赤坂へ。凄まじく汚らしい格好で座ったら、1つ置いた隣の席にお知り合いの方が……(汗)。きちんとした姿で来るべきだった。プリンスご夫妻もお見えだったし。 2日目の今日は地域に残る人形操りが主体で「式三番叟」「傾城阿波の鳴門」「絵本太閤記」の3作品と“襖からくり”という見せ物があった。面白いとは思いつつ、どろんとした暖かさ(国立のあの暖房はなんとかしてほしい)に疲労が重なり、所々意識を失ってしまった。もったいないものである。 驚くのは、地域芸能として残っているとは思われない質の高さ。義太夫も人形遣いもレヴェルが高い。三番叟関係は奥が深く、こういう地域の芸能を観ていったら際限がないけれども、少しずつ異なる形をこれからも楽しみたい。
2007.01.28
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本日で稲城も終了。半年という短いつきあいであったが、楽しく中世のことばについて考察ができたと思う(信じる)。こちらの大学も試験は教材・ノートすべて持ち込み可の応用力テスト。難しい……の声が続出。 サーヴィス問題と思っていた「上代特殊仮名遣い」の説明がなんとほぼ壊滅状態。音仮名表記・訓仮名表記の説明にインパクトがあったのか、「上代……」のあたりでみんなの意識が吹っ飛んだのか、懸命に「『万葉集』の音仮名表記」について説明している。おそらく“信頼できる”と思われた学生さんのノートが出回ったのだろう、判で捺したような同じ回答が散見された。最後に信じられるのは自分だけである(笑)。 演習授業のほうは試験ではなくレポート。これがまた受講生25名(2年生)が全員三段構成のレポートを作成し、書式の徹底化が垣間見えた。“文献に当たり、問題点を挙げ、それについて考察しなさい”という出し方をしてはいるが、きちんとその形を全員が踏襲しているのは基礎教育のどこかでそれがなされているからであろう。 わずか数ヶ月のつきあいだったが、能の鑑賞希望者が出たり、演習発表はほとんど立候補だったり、積極的に参加する学生さん達で、こちらも非常に勉強になった。
2007.01.26
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昨年の今日は雪かきオヤヂだった……というわけで、今年も公開講座の裏方担当の順番がやってきた。以前は勤務校の独立した講座だったものが、市川市との協力で3大学開催の講座(基本は各校独立)になり、各大学で年10回の講座を持っている。 今年も曇天で冷え込んだものの、雪は降らず(ありがたや~)、受付・誘導を行なう。今日は中国茶の話。実演(実飲?)もあったようで、寒い日にはちょうど良かったのではなかろうか。 今日は「仕事が終わったら水道橋で羽衣だ~」と思っていたのだが、木曜日に今日の担当であることを思い出し(汗)、残念ながらそちらの鑑賞はできなかった。
2007.01.21
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“異聞”である。何が“異聞”かというと、樵(実ハ渡辺眤ムツル)が見つめる大原の建礼門院という形で、能「大原御幸」を元にしたドラマが展開するからである。大原に隠棲した建礼門院、それに付き従う阿波内侍・大納言局、そして後白河法皇と、能「大原御幸」の人物が登場し、能の詞章に拠りながら、六道語りをしていく。樵夫である眤は『平家物語』壇ノ浦の戦で入水しかけた女院を助け出した男として語られる。その彼が、女院上洛後も、こっそりと付き従い、常に女院を見守っているのである。この樵夫の役を山口馬木也さんという役者が演じ、他の人物はシテ方観世流の梅若六郎家の人々が演じる。監修が六郎さんで、企画・脚本・演出を土井陽子さん。 山口さんはきりっとした顔で、渡辺競もかくやという俳優。一方の女院は梅若晋矢さん。気品のある面遣いで、ひっそりとした大原に隠れ住む女院の雰囲気充分。謡曲をベースにしながらも、新しい試みとしては面白く思われた。 ただ、あれやこれや気になるところがあったのも事実。徳子をトクコと読むのはさておき、出家して院号を得たように語る時間設定もどうだかだし、「トクコ様~」と叫ぶ樵夫にいたっては、「女院様~」にしていただきたいところ(実名を身分の低いものが呼ぶのはどうかと思う)。 そして「忍ぶれど色に出にけり……」の歌、「色にデニケリ」と詠みました。困ったちゃんです(笑)。 初夏の設定であるので、ほととぎすの鳴き声なども効果音に使うのだが、樵夫の手にしているのは、満開の桜の枝。散り残りなら良かったのに。“法皇の先触れが騒々しく走り回っていた”という説明も、後半の雰囲気にそぐわない。能や『平家』と違うという批判は無意味であるが、独立した作品として、内部で破綻というか矛盾が幾つもあるというのは苦しいところではなかろうか。 女院はなぜ生き続けたのか、そういう部分でも解釈の提示が今ひとつ。「生きたかったんだぁ(軽めに叫ぶ)by樵夫」というのもどうかと思う。
2007.01.19
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相模原の今年度の授業が終了。試験はちょいと変な出題にした。学生の感想で、「思いもよらない問題だった」という旨のものが幾つかあった。“うんうん、それがわかっている君は正しい”であった。基本的なことは授業の平常点で判断できるので、今回の出題はポイントを外した問題ばかり出したのである(教科書・ノート・プリント類持ち込み可の試験)。ただ単に難しい、ではなく、メインではないところからばかり出ていることがわかるならば、それは総体を理解していることになる。しかも、意外な出題だという感想を書いた学生に限って、これが出来ているのである。 90名の大所帯だったが、授業時の反応が良くて、こちらも学ぶことの多い授業だった。
2007.01.16
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昨年末から作成していた教員免許の申請が終結。今年から幼稚園のほうに廻ったので、中学家庭は隣人さんのお仕事になり、私は幼稚園教諭関係。各学生に作らせた免許申請書をチェックし、単位を書き入れ、認証印を捺す。戸籍で判明した文字の訂正に関する報告書も作成。こういう仕事も教員が行なうのである(“行なう大学もある”が正しい)。今回は私がちょっと目を離したすきにぽかをやからした学生がいて、驚くような申請書が2通(やや不安)。できあがった書類は隣人さんが県の教育委員会に併せて持っていってくださる。こういう仕事も教員が行なうのである(“行なう大学もある”が正しい)。
2007.01.15
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宝生会も「翁」でスタート。今年は東川光夫さんの披キ、千歳も當山淳司さんの披キ。小鼓の頭取が鵜澤洋太郎さん。これも初めて観る気がする。サンバソウが大蔵流なので三番三を大藏千太郎さん。大蔵流「三番三」は和泉流ほど見せるという部分が強くないが、その分土臭いというか朴訥な感じでこれまた面白い。好みでいえば和泉流のほうが観やすいけれども、こういう素朴で力強い「三番三」も良いかなと思う。真摯な印象だった。 それはさておき、狂言「千鳥」をはさんで(善竹十郎さんの酒屋が面白すぎ)、能は「熊野ユヤ」。平宗盛のわがままに翻弄される熊野。辺りは花の盛りであるのに、気持ちが晴れないという形で進行し、最後に病床の母の元へ帰ってよい許しをもらう。権力者の心一つで行動が決まっていく哀しさ切なさを描いた名曲。宗盛のわがままというか肝っ玉の小ささが、『平家物語』の人物造形と重なって興味深い。この宗盛の心を動かすのが、俄に降り出した雨に対して熊野が詠んだ歌ということになるのだが、歌そのものはたいして上手でもなく、宗盛の許しを得る必然性を考えると、演じる方は大変だろうと思う。
2007.01.14
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昨日に続いて今日も渋谷で「翁」。梅若万三郎さんが“翁附キ”を正式の形で行なって3度目になる。「翁」の後、一端下がったシテが続く脇能も演じるという、最近ではほとんどお目にかかれない舞台を見せてくださる(一昨年が「高砂」昨年が「賀茂」、今年は脇能ではなく「楊貴妃」)。当初は3年で終わりということだったが、今回の会誌を拝見すると来年も行なうらしい。演目ももう決まっていて来年が楽しみである。 さて、今回は二世万三郎十七回忌追善ということで小書<法会之式>のついた「翁」。詞章が異なり、「三番叟」も[鈴ノ段]の鈴が錫に替わる。以前にここで書いたが和泉宗家では黒式尉の面をかけた三番叟が面箱持ちとの対話の中で、錫に替える意味合いを説明するが、今回の野村万作一門のものにはその説明はない。こういう差異も興味深い。 本来は「翁」はあれこれ云々する芸能ではないはずだけれども、興行として発展したものでもあるのだから書いてしまうと、橘の実を意識したのか黄みの装束で揃え大変に美しい(会誌も今回は黄色みが強く、もしかしたらそういう美意識が働いたのかもしれない)。型も観ていて安心の舞台だった。今月は阿波の地方芸能として残る「三番叟回し」も観られる。様々な形で伝承される神事芸能をこれからも楽しみたい。 ……なんて遊んでばかりもいられず。紀要の校正は極力手を入れないという方針なのでささっと済ませるものの、次の日記作品に関する論文執筆が停滞気味。仕上げたい着地点のイメジはあるのだが、構成が今ひとつといったところ。早く仕上げて、次のものに取りかからねば。
2007.01.08
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第132回和泉会&第18回和泉姉妹の会。こんな年末に……であるけれども、九世三宅藤九郎十七回忌追善の会なので、この時期がふさわしいのだろう(九世の命日は12月19日)。 実はここの楽天(の前のinfoseek時代)の日記を書き始めたのが、九世十三回忌追善の会なのだった。今回の追善の曲は「似せ阿弥」。多くの新作狂言を手がけた九世藤九郎の作品の1つで、シテ盗人を十世藤九郎が、アドの某を和泉元彌が演じた。 作品題名を見てわかるように“せ阿弥”つまり世阿弥を取り込んで、盗人が世阿弥の霊に扮する話。「奥義アウギ」と「扇アフギ」は掛詞のルールから外れるけれども、「時分の花」「自分の鼻」といった言葉遊びを盛り込み、なおかつ著名な狂言(「仏師」「瓜盗人」など)のエッセンスを加えた佳品だった。 十三回忌の時は「三番叟」に<陰陽之式>の小書を付け、鈴ノ段で鈴を使わずに錫を用いたが、今回の「似せ阿弥」には鈴ノ段を真似た舞が入るので、鈴を使用している。そういう辺りを意識したのかもしれない。 『花伝書』を最初に読んだのは高校2年生の時だった。教材で読まされた評論文に『花伝書』が出てきて、読んでみようということになったのだ。当時は講談社の普通の文庫に様々な古典作品が並んでいて(その点では新潮・角川なども同様)、格安の値段で本文と対訳が読めた。近現代に飽きると古典というのを随分と繰り返した時期である。研究対象にしようとは思わないが、芸道に関する古典作品というのも面白い。仏教関係の思想書よりもなじみやすいし、何百年も前の思索が時を超えて目の前に広がってくる。
2006.12.27
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14世紀初頭に帝の位にあった花園院。かの方の呼称が萩原の院。出家後、花園の萩原殿に居住したことによる。能「富士太鼓」は能の中でも数少ない鎌倉時代末期を作中時間とし、ワキによって萩原の院の御代であることが語られる。本来“萩原の院”であれば鎌倉倒幕以後の呼称となるが、かの方の内裏での出来事と語られるので、1308-1318の話と設定されることになる。 学芸に優れた帝らしく、この作品の発端は、2人の楽人“富士”“浅間”のうちどちらを選ぶかという時に、帝の口ずさんだ歌で決まったことによる(この手の話もわりとある)。その歌によって“浅間”が選ばれるのであるが、興味深いのは“浅間”がなおも不安に思って“富士”を討ってしまうことである。「そんな男を楽人にするのはどうよ?」というツッコミはなしで、遺された“富士”の妻子が辛い思いを太鼓に打ち込めて恨みを晴らす形で終わる。 類曲に「梅枝」があり、こちらは“富士”の妻が霊となって現れて恨みを述べる夢幻能。現行で2曲もこの話が遺っている点も興味深い。どうした典拠で、この帝の時代に設定されたのだろう? 今日の舞台では、絶句とも思われない箇所で、どなたかの訂正が入った(後見からとも思えなかった)。言い間違いをしたのかもしれないが、それほど大きな違いだったのかは不明。絶句したとも感じられなかったので、謎のままだ。それが尾を引いたのか、その少し後で言い間違いがあった気がする(そちらは訂正なし)。 割と好きなシテ方さんだったので、なんだか全体にぴりっとせず残念であった。 そして今日は「乱」が。当たり年(と私が密かに呼ぶ)3人の2人目水上優さんが「猩々」<乱>を舞う。今日の「乱」は端整。ぴたっと収まる動きで上半身のぶれもなく、宝生流の地味な「乱」にふさわしい。片足を上げてぴたっと静止するのはかなり筋力を要すると思われるが、ぶれないで舞いきった。抑え気味な笑みの品のある面で、水上さんの端整な舞と上手く調和する。 例年通り、年末の会は大混雑。仕事帰りのため、最初の「絵馬」(武田さんが……)と狂言「文荷」(善竹兄弟が出たのに……)を観られなかったが、最後が期待通りで満足の会だった。
2006.12.16
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本日、紀要の論文提出。おめでとう<自分 紀要委員会に入っているので、他の方のものを査読(<おこがましい)したり、和文の論文タイトルを作ったり、そして最後の最後まで自分のもので足掻いたり。 嬉しさで、帰りに寄り道をして新しいテニスラケットを購入。もちろん、論文執筆はただの口実だが。
2006.12.13
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久しぶりに学生引率の能舞台となった。本務校では学科専攻単位での企画はあったものの、小人数で希望者のみというのは久しぶりだ。よそ様の大学の学生さんであったが、こういう機会に積極的に参加してくれるのは教員として非常に嬉しい。 今日の演目は狂言が「墨塗」、能が「砧」。自分が秋の生まれだからかもしれないが、学部生時代に『徒然草』の秋を描いた段から出発して、『新古今集』前後の秋の歌をちまちまと調べていた。その後、何年も経ってから“夜寒”という語をめぐって論文を2編書いたのも、実はその根底に学部生の頃の調べがあったからだ。当時は宗尊親王に着地する予定ではなく、連歌に着地する予定だったが、予定は未定と言うことで。 能「砧」も“夜寒”の語が出てくるので、そこの前後は自分でも言いようのない不思議な気分に陥る。 今日のシテは梅若万三郎さん。執心を残して死んでいった妻というよりは、気品のある死霊だったように見受けられた。
2006.12.07
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慌ただしいなどと書きながら、観世会なども行ってしまう自分は自覚が足りない。もっと言うと、観世会の前にエッシャー展も観た。面白かった!子どもの頃、世界の謎などの本にエッシャーの挿絵が使われているのを記憶している方も多いだろう。それらの多くが、今目の前に並んでいるというのが感慨深い。今回の企画では、エッシャーの人生を追いながら作品を鑑賞するばかりでなく、現代のCGというのか、動く映像としてエッシャーの作品をとらえるものもあった。小さい作品がぎゅぎゅっと並んでいるのは、かなり集中力を要したが、それでも充実の展覧会である。不思議な世界がお好きな方は是非!予想以上に混んでいてやや驚いた。 さて、肝心の論文はその後もぐだぐだとしながら、ようやくまとめを終えた。2005年スタートの栄養教諭教職課程を置く大学は多いだろう。しかし、4年制大学ならばまだ教育実習は入らない。今年から大学生として実習が始まるのは短期大学のみで、千葉県だと本学ともう1校になる。そうした実習について考察できたのは、幸運とも言えよう。 今日からは久しぶりの“雅有様”に突入する。
2006.12.05
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論文執筆が佳境に入っている。実は“佳境”と胸を張って書いてはいけない時期に来ていたりする。そんなわけで、今回も「清経」とはご縁がなかったようで、千駄ヶ谷には知り合いに行ってもらった。 今回の論文は栄養教諭という免許状に関わる内容の考察である。写本調査を基盤とした研究発表をする私を知っている方々は驚くだろう。やっている内容は結構面白いのであるが、この論文の先に控えている雅な方々の論文にとりかかるためにもこれを早く終わらせなければならない。
2006.11.30
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非常勤先に持っていくペンケースに入れている普段使いの万年筆。それはずばり、ペリカーノJr。スケルトンボディの紺、もちろんインクもブルーだ。今日、演習で向かい合ったとある学生が、 「あ、先生のと同じの持ってます」「えっ、何色?」「オレンジです」……んー素敵な会話だ。 このペリカーノJrは子ども向け万年筆で、最初に持たせるペンというコンセプトのもとに、指の位置が強制的に指定される。大の大人が持つのはどうよという気もするが、侮る事なかれ。万年筆ということもあり、あるべき姿で持たないとまったく書けない仕組みになっている。さすが、教育遊具の国ジャーマンである。日頃、おかしなペンの持ち方をしている人を多々見受け、「面白い持ち方ですね」と話しかけるが(←嫌みなのだが、気付かない人が多い)、確かにこの学生さんのペンの持ち方は立派だ。 こういう潤いというか、弾んだ会話があると、文芸研究もなんだか弾んでくる。文芸というのはやはり遊びの部分があるわけで、そういう心のゆとりというかちょっとしたタルミがなくちゃと思うのである。
2006.11.28
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宝生会秋の別会第2日、いつもの席にて鑑賞。 自分の中でしっかりとワキ方則久英志さんの存在を意識したのは、今から6年前の五雲会「加茂」であった。この時のシテは五雲会登場2年目の小倉伸二郎さんで、きりっとした神(シテ)と朗々とした神職(ワキ)に仕上がっていた。この頃ワキツレで頑張っていた大日方&則久ペア(ペアなのか?)に注目し始めたのだった。その則久さんが本日「張良」ワキで登場。シテよりもワキが重要な役回りのこの曲は初めてだろうか。そして同じ舞台にツレで伸二郎さんが登場。なんだか、そんな懐かしさで胸がいっぱいになる。 肝心の沓飛ばしは軌道が低く、「やばっ」と思った時には白洲へドボン……そのため龍神(ツレ)が袖の中に沓を隠し持っての登場となってしまった。前シテ退場の幕もちょっと……それと……(以下略)。いいのだ、この2人が別会で並んだ、それで大満足である。 そして、近藤乾之助さんの「姨捨」。三老女の残り2つ(関寺小町・檜垣)がほぼ上演されない宝生にあって、実質最奥となる曲ゆえの会としての気迫ばかりではなく、ちょっとただ事ではすまない舞台であった。先日の「姨捨」が前で良かった。今日の「姨捨」を観てしまった後であちらを観るのは酷というものだ。 前シテから澄んだ謡でひっそりとした秋の気配を出しつつ、姨捨山の景色が広がっていく。小鼓が幸清次郎さん、大鼓が柿原崇志さんで、抑えめの鼓がそれをさらに磨き上げる。そして後シテ、橋掛リで立ってこちらに向く時に、気品溢れる孤独さをまとった老女の霊そのままで、早くも涙腺が緩む(今思い出してまた涙目になった)。この一瞬で後半は決まったも同然。ごくごく少ない動きの中で月光が煌めき、宝生らしい謡がそれをくるんでいく(地頭は佐野萌さん)。そして序之舞、もはや何も言うまい、この場に居合わせてくださったことを神仏に感謝するばかりである。 最後は登坂さんの「山姥<杖之型>」。これもなかなか良い出来で、自分としては大変満足。「姨捨」から切り替えるにはもう少し時間が欲しかったところ。 さて、自分の研究課題とはまったく関係ない話に終始しているが、鞄の中には読むべき論文をちゃんと入れていた。というか、もはや提出締め切りが差し迫っている。でも、そんなものはどうでも良くなってしまう午後であった(ちなみに文学の論文ではない)。明日はその分頑張るぞっと。
2006.11.26
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淵野辺のキャンパスには教職員食堂がある。本部キャンパスと同様だが、あちらが地下であるのに対し、こちらは1階全面ガラス張りの明るい空間(学生食堂も同様)。これは移転前のキャンパスに似ている。今日、この教職員食堂に初めて入ってみる。 食堂メニューはガクショクと同じ。別に何が付いているとかいうことはない(当たり前か)。ただし人口密度が低く、配膳は食堂の方がやってくださる。ありがたい。あ~、やはりここのガクショクのご飯は美味しいなぁ。それを言ったら、私の本務校も結構、いやかなり良い線かもしれない。食器はほとんど陶磁器だし、ボリュームあるし(ありすぎか?)。 本当のガクショクで食べてみたい気もするのだが、周りの学生がほとんど顔見知りという小さな空間(うちのガクショク)に慣れてしまったせいか、見知らぬ学生がどどーんと居ると思うと、ちょっと腰が引けるかもしれない。……って、こんな話しか書くことのない自分にちょっと自己嫌悪。事務連絡:試験の日程が変更になります。詳細は来週の授業で。
2006.11.21
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数日前、フリーページに熱田能楽殿ページを立てたのだが、そのことをまったく記入していないことにようやく気付いた。 半年くらい前から、ここの能舞台がなくなるという話を書いていながら、結局閉館まで最後の訪問を果たせなかった。名古屋の能楽堂といえば現在は名古屋能楽堂があるわけだが、その前はやはりこの熱田能楽殿が格・雰囲気いずれも高い地位にあった。自然光の入る能舞台で、周りの雰囲気も落ち着いていて、(多くの舞台を観ているわけではないけれども)かなり好きな舞台だった。この度閉館となってまことに残念である。舞台鑑賞の帰りに、神宮内できしめんを食べるのももうできない(涙)。しいて言えば、ご近所目黒の能楽堂ですら2階席での鑑賞をしたことがないのに、ここの能楽堂は正面・脇正面・中正面・2階正面といずれの方向からも鑑賞した体験があるということである。 画像は楽天仲間のやるまいぞさんご提供で載せることができた。こんなことなら、もっと写真に撮っておくべきだった……
2006.11.16
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仕事を終えて定刻に大学を出て渋谷へ……と思っていたら、月曜日の授業のことで相談に来た学生がいた。無碍に断るわけにも行かず、あれこれ相談しているうちに時間があぁ。 当初の予定では野村四郎さんの「木曾<願書>」(能の方々はこの曲を“曽”と異体字表記することが多い、なぜだろう?)に充分間に合うはずであったが、わずかに遅刻。そのため会場に入るのを止め、明日朝行こうと思っていたギャラリートム(観世能楽堂の奥の方)まで足をのばし「東野芳明を偲ぶオマージュ展」を鑑賞。昨年亡くなった東野氏は、私にとってはシュールレアリスム関係の批評家というイメージしかないのだが、タマビの教員として様々な分野で活躍していたらしい(無知でお恥ずかしい)。本務校の美術関係の非常勤の先生がここの門下生であることから、今回の展示を教えていただき、行こうと思っていたものである。 “偲ぶオマージュ”ということで、氏の影響を受けた作家が1点(または数点)ずつ小ぶりな作品を出していた。有名どころとしては横尾忠則とか四谷シモン、三宅一生などの参加があった。現在の非常勤の先生の出展作品は「わぁ~、…………(←この点は一体?)」。そして前に来ていただいていた先生の作品も。こちらの先生のものは何度かギャラリー展示を観に行っていたので、なんだかちょっと懐かしい。 モダンな展示を観たあと、道すがら戸栗美術館へ。こちらは現在古伊万里の意匠について行なっている。この夏、“鍋島焼”を知らないということで笑われた私は、ここの美術館に初めて入る。ある意味、松濤にふさわしいこの美術館を一度も訪れたことがないというのは恥ずかしいことだと気付いた次第。かの鍋島焼についても、かつて祐徳稲荷神社に写本の調査に行った際に知ったはずのことさえも忘れていたのであり、恥の上塗りを自覚する。 ささっと鑑賞して出ると、修正予定通り休憩時間に入っていた。後半のメインは「道成寺」の披キ。アイも囃子方も、そして謡も良かった(ってシテは?)。
2006.11.11
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