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上州二子山はこちら元ののブログはこちら
2008.10.10
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横岳を無事通過し赤岳天望荘に向う。この頃からガイドさんがへんなことを言い始めた。明日の天気は悪いようだから、その場合は赤岳に行かないので今日赤岳に行きます。と。赤岳に行かないで権現岳に行く道があるんだろうと考えていたが。添乗員さんが天望荘に行って天気予報を確かめてきたら「くもりのち晴れ」ということで計画どおりと考えた。それでもガイドさんは、今日赤岳に行くと云う。八時間も歩いてきたし、明日の天気は良いので休んで体力温存と決め行かなかったが何人かは赤岳に向った。(次の日の朝の赤岳天望荘)赤岳天望荘の部屋は、迷路を行くような通路を歩いて行き、一旦外へ出てコンテナ風の部屋だった。 山小屋の部屋はコンテナちんちろりんコーヒー、お茶が飲み放題というのがうれしい。五右衛門風呂のような風呂があったが湯冷めするといけないので寝袋で休んだ。(覗いたら大きな5,6人入れる釜だった)ガイドさんが帰ってきて赤岳キレットは危険で大変なことを話す。もう行かないことを前提に話しているような感じを受けた。恐怖を感じたら大変だとか。確かに女性15人、男性5人。ほとんどが60歳以上に感じたし70歳以上の人も数人いるツアーでガイドさんも最初から行く気は無かったかも知れない。そんな話を聞きながら休んでいたが中々眠れない。夜、外へ出てみたら月が出ていたがすぐ雲の中に。 赤岳に薄雲走り小望月 街の灯のひとつ浮かびて霧の山時間がたってもなかなか眠れない。 長き夜や寝返り打てぬ山小屋に朝、起きたら集合がかかった。ガイドさん曰く「昨日11時に雨が降って岩が濡れているからこのまま下山する」と。昨日赤岳にいかなかった人は、赤岳だけは行きたい。とか70歳を過ぎている人は「山はまっているかも知れないけど、年は待ってくれない!」とか。確かにそうだ。納得!笑ってしまったが。 秋雨や山逃げぬとてこの齢結局行かないことになり赤岳に行きたい人は行って残りは天望荘で待機。誰かが聞いてきたが、このツアーで赤岳キレットから権現岳に行ったことはないということだった。 うそ寒や無理なプランで人集めこのコースを行きたいために山形から深夜バスできて2泊3日のツアーに参加している70歳を過ぎた人がいたのに。もともと行かないことを前提に人を集めたような気がする。これを聞いて急に力が抜け赤岳も行く気がなくなり山小屋で待機した。 山に来てすっかり弱気の虫となり風邪を引いていたのも行く気をなくしたひとつかも知れない。その後、地蔵尾根から行者小屋、赤岳鉱泉、美濃戸経由で帰ってきたが地蔵尾根の岩は濡れていなかった。 赤岳の秋風に触れ帰りけり心の中でぶつぶつ。行者小屋で休憩。 山水に喉潤して薄紅葉赤岳鉱泉に行く途中の展望台で撮った赤岳。阿弥陀岳横岳赤岳から阿弥陀岳の山稜を歩いている人の姿が米粒のように見えた。こんなに天気が良いのにとまた思いながら。 山稜を小さき影行く秋日和昨年と同じように美濃戸で水に浸したりんご買い食べた。 りんご齧(かじ)る望郷の音たてながら八ヶ岳は、権現岳と蓼科山が残った。権現岳は、アプローチ方法が分かったので来年単独登頂しようと思う。蓼科山は、まだアプローチ方法がわからない。(一泊すれば大丈夫そうだが。その場合は縦走で考えようと思う)toshikoさんのコメントで、いままで写真容量50MBだったのが月100円で20GBまで大丈夫と言うことで次回からは、また元に戻ります。昔の名前~で出て~い~ま~す~♪
2008.10.06
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昼のカレーを硫黄岳山荘で食べて、今回の目的のひとつである横岳を目指した。霧がどんどん濃くなってきた。 これよりは迷路と云ふごと霧襖最初は、危なげない道を淡々と登る。30分位登ってから険しい岩道になる。 草の露掴みて登る岩場かなちょっと狭い道がある。 岩稜に草々揺るる秋思かな 地獄へと続く道かも霧の山 露の岩三点確保で登りけり渡る前は危なくて写真を撮れなく渡ってから写した。 鎖場に一息入れて虫の声すみません。お尻を写してしまいました。陳謝! 秋冷や鉄の梯子をよぢ登り 鎖場をよぢて広ごる秋の空と言いたいところだったが霧で何にも見えなかった。最初の写真のところから山頂までは15分程度だが危ないところが多い山だ。5分ほどの休憩で赤岳天望荘に向う。すぐ岩の下りが始まる。 大同心てふ大岩に霧走るこんな快適な道もある。三叉峰を越えて 霧深し両端崖の尾根の道こんなところを通りようやく天望荘が見えてきた。赤岳天望荘と赤岳を写したつもりだったが。ここでデジカメのメモリーが無くなった。最後はこの写真をとったところから急な岩道を下ると天望荘につく。およそ一時間半の行程だった。
2008.10.02
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2日目、朝4時の目覚め準備をしながら朝ご飯を待った。黒百合ヒュッテの食事は、5,6人分を大皿に盛ってありほどよく取って皆に回さないといけない。朝ご飯に少し遅れて到着。生卵と味噌汁とのり、及び惣菜があったので食べていたら、周りの人は秋刀魚を食べている!遅れていったので誰かに食べられたようだ。むむむ・・・・・。 山の餉(げ)に取り合ひとなる秋刀魚かな気を取り直してご飯をおかわりして腹ごしらえし出発。良い天気になる予感のなか。このコースは、硫黄岳から黒百合ヒュッテまで逆コースで歩いたことがあったので余裕があった。岩場の急な道を登ると比較的平らな岩道(大きな岩を歩く)になる。 草の露払ひ除けては岩登る天狗岳が見える。 秋高し丈を並べて夫婦山 松虫草風に揺れては人を呼ぶ松虫草や梅鉢草が咲いていた。1時間40分ほどで東天狗岳に着いた。東天狗岳からおりて来た方からの西(左)、東(右)天狗。右端下に添乗員さんが写っている。この添乗員さんとは3回目(西穂、瑞垣、今回)となる。奥の左が赤岳、真中が中岳、右が阿弥陀岳、赤岳の手前が硫黄岳。 わが影も疲れて来る秋日かな東天狗から西天狗を往復し根石岳へ。なんかバテてしまった。まだひとつ山越えしたばかりなのに疲れがどっと出てきた。根石岳。根石岳からの硫黄岳方面。根石小屋を横目に硫黄岳に向った。 鳥渡る石置く山の小屋の上根石小屋は飛ばされないように屋根にいくつも石を置いている。みんなで冗談を飛ばしながら歩いた。この頃から、小雨となりきりが深くなった。 人声に突き当たりつつ霧の山雨が降ると雨具をつけ、晴れると暑いので脱いでを繰り返す。 霧深し声を聞き分け山を行くこんなに遠かったかなぁ~と思いながら硫黄岳の最後の昇りを登る。すると山頂直前で嘘のように霧が去っていった。 運命が開けるやうに霧晴るるこれで今年3回目だ。(蔵王のお釜、金峰山の山頂)、運がまだまだあるようだ。硫黄岳の爆裂火口。 噴火口巨大な蟻の地獄かもすっかり疲れきっている。朝の秋刀魚が恋しくなってきた。お腹も相当空いて来た。さぁ~!昼ご飯!カレーライス!カレーライス!と心で叫び硫黄岳山荘に向った。
2008.10.01
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昼食を食べてから少し元気が出てきた。他の人は半袖なのに下着は冬用で上着は秋の長袖を着て少し着膨れている。そのため程好い汗をかきなんとか人並みに歩けた。白駒の池を時計回りに3分の2周して高見石に向う。 秋空を写して止まぬ山の湖反対側から写した白駒の池。 やんま飛ぶ白檜會の風を引き寄せて高見石までは、白檜會の薄暗い森をだらだら登る道だ。高見石まで約40分高見石小屋の横にある高見石に登って。白駒の池が白檜會の森にぽっかり浮かんでいる。今回の目的のひとつはここから白駒の池を見ることだった。 露けしや一語浮かびて一語消ゆ俳句を作ろうと思っても言葉が出てこない。 愁眉を開くごと晴れ秋の湖 月のごと白檜會の森に池浮かぶなんとなく納得しない。ここから中山、中山峠へ向う。浅間山方面。蓼科山方面。天狗岳方面。そして縞枯れしている山。 樹影絶え十重に二十重に秋の峰硫黄岳(奥の山)の爆裂火口が見える。16時くらいに黒百合ヒュッテに到着。15日の満月を控えて山に月が出ている。 待宵や白檜會の山はや暮れぬ 待宵 ・・・ 満月の前の日の月。小望月ともいう。 待宵やピアノ流るる山の小屋夕食を摂って早々に布団の中へ。 山小屋の布団に慣れてちちろ鳴く
2008.09.30
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9月12日(金)からの南八ヶ岳縦走2泊3日に備え万全の体調で望む予定であった。しかしながら9月8日(月)出勤し会社の冷房にやられてしまった。 秋風ややまひひとつをもらひけり少し風邪気味であったが酒でも飲んで寝れば治るだろうと思って酒を飲んでしまった。次の日(火曜日)、熱は無いが悪寒が走り夕方病院に薬をもらいに行った。なんだか悪い予感(経験から長引くような気がした)が走ったが医者は、この薬を飲めばすぐに治るよと言ってくれたので安心していた。が次の日(水曜日)、また会社の冷房にやられてしまった。どうも他の人と体感温度が3、4度以上違うような気がする。薬があったので飲めば治るだろうと思っていたが。出発前日木曜日の夕方になっても一向に治らないので病院に電話をして別の薬をもらう約束をして出かけた。医者曰く「山は寒いから行かないほうがいいよ」、ギバラ曰く「大丈夫です。冬用の服を持っていくので」、医者曰く「そうですか」と。ギバラ曰く「今の薬は自分には効かないので強い薬をください」と。医者曰く「薬が効かないのは、あなたに効かないのではなく菌に効かないのだ」と少し怒るような感じで。ギバラ曰く「あの~強い薬をいただけませんか?」でようやく強い薬をもらって病院を出てすぐに飲んで、また寝る前にまた飲んで寝た。 不覚にも秋風邪ひきし旅前夜朝4時、目が覚めたらなんとか治っているような感じで出発。バスの中で薬が効いてきて深い眠りに入り気がついたら白駒の池入り口に着いた。ストレッチをする間、悪寒が走り後悔し始める。2日は持ちそうな予感がするが3日は持ちそうもないなと。ストレッチが終って白駒の池に向ったが若干悪寒がした。白駒の池で昼食となったが食欲だけは旺盛で、このとき飲んだ薬が効いてきた。 都会の垢洗ひ流せり秋の湖3日間、薬がよく効いてなんとか無事下山できた。帰ってから薬をやめた途端ぶり返してきて未だに治らない。今年の風邪はしつこい。今回は、横岳の危ないと思われるところを丹念に写真を撮ってきたので期待してください。ヤマドルちゃんには、厳しいような気がした。
2008.09.26
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秋山二十六夜山の名前に惹かれ眠い眼をこすりながら向った。バスが朝一便しかないので5時に起きて向った。帰りのバスも不便なため下山後峠越えをしなければならない。バスは、中央線の上野原から出て約一時間かかる不便な山だ。途中大きな観音が目に付いた。 蓑虫や大観音の鼻の先なにかぶら下がっているような感じを受けたので勝手に蓑虫と決め付けて手帳に俳句をメモした。バスを降りるとキャンプ場や別荘?のあるところを通って山道に入る。結構急な舗装道路を登り本格的な山道に入るが低い山なのに最初からのぼりがきついい。 急坂の一歩一歩に秋の汗写真では急に見えないが。登り始めて一時間ほどで見晴らしの良いところに出たが、見晴らしが良かったのはここだけだった。 仲秋の風のあまねき尾根の道二時間弱で山頂に着いたら先客がいて狭い山頂を大きく占拠していた。山頂碑、三角点が占拠されていたので写真がとれなく山頂の隅(気が弱いので)で昼食。 大口でおにぎり食ふも秋の山帰りに断って山頂碑だけ写真を撮らせてもらった。 山頂は木々に覆はれ秋の風そこから数分のところに二十六夜塔がある。塔なのでどれくらい大きいかと思ったが・・・ ちちろ鳴く二十六夜塔は岩ひとつ因みに二十六夜というのは、二十六夜の日にお参りすると縁起(詳細不明)が良いことから各地にあるようだ。ここからただ下る。一時間ほどで下山。バスが無いので峠越えを。バス停から見た秋山二十六夜山方面。ここから谷沿いに歩くが一本道のはずがどこかで道を間違えたらしい。藪を漕いで漕いで登る。道が見えない。細い道で右側は崖になっている。 名に惹かれやぶ道登る秋の山道も急だ。振り返ったときの秋山二十六夜山方面。道を振り返って。 藪を来て峠に見ゆる秋の畑道を間違ったがなんとか寺下峠に着き一安心。(これで地図どおりの道に戻った)半袖だったため腕のあちらこちらに擦り傷が残っていた。あとはただ急な道を下るだけ。二十六夜山3時間、峠越え2時間半の山歩きでした。 名に惹かれ登る里山ちんちろりんこんな感じでした。
2008.09.10
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昨日は、時間が無くて途中で終ってしまった。塩山駅に着いて階段を登り待ち合わせ場所についた。ガイドさんが一生懸命旗を振っている。なんと参加者が10人もいたのに驚いた。あとで聞いたらキャンセルは11人と言うことだった。一人一人に説明をしている。自分も来たくなかったけど会社がキャンセルしないのでとぼやきながら。雷が鳴ったら途中で引き返すからいけるところまでと。外を見たら薄日がさして晴れてきている。「今はこうだけどね」とガイドさんのぼやきを聞きながら貸切タクシー3台で大弛峠(おおよそ2200m)へ向った。1時間ちょっとで大弛峠についたが、テントを張ってキャンプをしている人もいた。 甲斐信濃結ぶ峠の霧襖大弛峠までは舗装道路が整備されていて順調だった。山梨県側は、舗装されていたが長野県側は普通の林道で県境が分かるようになっていたのが印象的だった。昼食を摂って往復5時間の山登りが始まった。不思議と皆の足が速い。息を切らしながら必須に歩いた。霧の中の暗闇でひとりだと相当怖い感じがするが11人なのでそんな感じもしない。 白檜會の木々を飲み込む霧の闇1時間ほどで朝日岳に着いた。ここからは晴れていれば金峰山が見えるということだが。霧で何にも見えない。どうもここから相当下るような感じがした。 霧の谷底なしの沼かも知れぬ急な(といってもそんなんでもなかった)坂道を下ってちょっと登って1時間ちょっとで賽の河原についた。なんとなくあっけない感じだ。 秋の風賽の河原を吹き抜けて塩山方面が晴れている。山頂はもうすぐだ。奥に小さく見えているのが山頂。大きな岩の間を潜り抜けて山頂に着いた。心配した雨も雷もなく無事頂上へ。 登り来て霧の山頂岩襖5丈石が見える。 山の鳥居秋風吹かば倒るらむ持ってきたぶどうを食べながら休憩をとった。 種無しのぶどうを食ひぬ岩の山 岩だけの山に登りて八月尽雲が出てきて雨がぽつりぽつり降り出してきた。朝日岳から見た金峰山。少し突き出ているのが先ほどの五丈石。ここから雨が本格的になって来たので雨具に着替えた。 稲妻の音を遠くに山下る 秋雨や濁流となる山の道無事に大弛峠に着きタクシーで塩山駅に。運転手の隣に乗ったので急な道路はジェットコースターに乗っている雰囲気だった。後ろの車輪が二度ほどスリップしたような気がした。 天気図の傘ばかり見て八月尽今年の八月はこんな感じで過ぎてしまった。明日は、低山へ。来週末は八ヶ岳を白駒の池ー天狗ー硫黄ー横岳ー赤岳ー権現岳ー編笠山と縦走予定だ。雨が降らないよう祈っている。
2008.09.05
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30日の金峰山のツアーに申し込んでいたが一向に天気が良くならない。29日大雨・洪水・雷注意報が出ていたが旅行社から中止の連絡がない。帰宅途中も大雨と雷に悩まされて、夜は雷が鳴り止まない。 稲妻や天上天下揺るがして今年の8月の天気は異常だ。30日朝5時に起きてテレビをつける。関東甲信越地方は、大雨・洪水・雷注意報が無くならない。体調も良くない(ちょっと寝不足)しと弱気の虫が出始める。しかし、普段の行いも良いのでもしかしたらと云う気も出始めドンドン時間が立っていく。そしてガバリと布団から起きていけるところまで行こうと決心。傘をさして自転車で強い雨の中を駅に向かい無事に電車に乗った。朝霞台・西国分寺・高尾で乗り換え電車でうつらうつらしながら塩山駅に着いた。今日は、だれも来ないだろうと思いながら駅を降りた。つづく
2008.09.04
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蔵王へ行った翌日はここです。月読尊(つきよみのみこと)を奉る神社です。ほんの1時間ばかり歩きました。 雲上の花野黄泉行く如し 飛び石のごとき池塘を鬼やんまかろうじて鳥海山が見える。 風に乗り花野を翔ちぬ古代蝶名前は忘れたがかなり珍しい蝶(何万年まえからの)が飛んでいた。 やんま飛ぶあしたの風を呼ぶやうにxxx桔梗(名前を忘れました)チングルマの群生。キスゲ。 新秋や雲の隙間に出羽の国帰りには、すっかり晴れ上がり鰯雲と鳥海山がはっきりと見えた。 鰯雲海に迫り出す鳥海山ただ晴れた日は、この日だけで前夜は大雨、この日の夜からは雷を伴った大雨が降ったようだ。
2008.08.27
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ふと蔵王に行く機会に恵まれた。週末は、この日だけは天気が良いはずだったが福島、山形は雨の中。ゴンドラで山頂駅に。霧雨程度だったので熊野岳まで行くことになった。山頂駅の地蔵さんにお参りをして出発。 雲中のいづこともなく秋の蝉廻りはこんな感じ。雲に覆われている。蔵王熊野岳の稜線にでて駒草の群生の場所に。 駒草や雲中灯すひとところそして山頂へ。これでは蔵王のお釜が見れないと思っていたら突然晴れてきた。 運命の開けるごとく霧晴れるそして一目散にお釜へ。わ~!パンフレットと同じだ! 霧晴れて岩肌荒きカルデラ湖運が良い。2回来て2回見れた。 カルデラの荒き岩肌夏終る更に運が良いことが起きる。鳥海山が見える。この時期大変珍しいと言うことだ。 雲上の果てに故郷の秋の嶽鳥海山の向こうは吾が古里・秋田だ。ものすごい雲だ。 雲海の黙の荒波逆立ちて雲の隙間から山形市内が見えた。かなり珍しい光景を目の当たりにして満足して下山した。また斎藤茂吉の碑がどれか分からなかった。山頂へ行ったらすっかり忘れていた。
2008.08.21
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このところ夕方になると山の方面は雷が鳴るとの予報が続き山小屋泊まりが出来なく、気の向く方に日帰り登山となっている。今回は、谷川岳、飯盛山など迷ったが疲れもあり入笠山に決めた。 一張羅の登山服着て山に発つちょうど富士見駅に着いたらゴンドラまでの無料バスがあり乗り込めた。ゴンドラの片道切符を買い乗り込んだ。この山は、マウンテンバイクが流行っていて、山頂駅から山道を一気に下る人たちが大勢いた。ゴンドラの駅から40分ほどで山頂に到着。八ヶ岳、アルプスは、視界が悪く見えなかった。360度のパンラマなのに。 ラムネ飲む三百六十度のパンラマにが昨年作った句だが、あまりにも簡単に登れたので感慨が湧かない。山頂から、大阿原湿原に向った。 湿原の風に触れゆく今日の秋湿原一周は30分ほどなので時計回りに一周した。 湿原の黙切り裂きぬほととぎす静かな湿原に鳥声が響き渡る。 白樺の色なき風に誘はれてもう見るところがないので「すずらんの里」駅に向った。ここまで2時間弱しか掛かっていない。もと来た道を鐘打平まで向った。首切り清水とかかれていた。昔、清水を飲んでいたら後ろから盗賊に首を切られたのでついた名前だそうだ。安心して水も飲めない。鐘打平からはただ広い林道を下っていく。 お花茶屋とかかれているが人がいる様子はない。 秋風や白樺林の廃館途中、舗装道路に出るが標識がないので右か左か迷ってしまったので、別荘の呼び鈴をピンポーンと押した。ドア越しに道を尋ねようと思っていたらドアが開いたのでびっくりした。「あ!あの~!・・・・」と言いながら道を尋ねた。 すずらんの里を旅ゆく初秋かな 写真の方向が八ヶ岳だが曇って見えない。 夕立の雲押し寄せる八ヶ岳写真は入笠山方面でホームの反対側に同じ駅舎がありその中でひとりで電車を待った。 先触れの雷鳴鳴りて大夕立バケツの水が落ちるような雨と雷がものすごい。 いかづちや隣家の親父の怒鳴り声写真の反対側の駅舎で震えながら電車を待った。 いかづちや一生分てふ音立てて空から振り絞ったような音だった。また、雨もものすごい。電車に乗り込むのに2mもないのにずぶぬれ。 夕立やズボンの襞の有耶無耶にあ!もともと襞のないズボンだった。すずらんはどこに咲いているか皆目検討もつきませんでした。
2008.08.20
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深田久弥の慰霊碑から20分ほどで山頂に着いた。尾根道に出てもうすぐと思ったのでかなり長い時間に感じた。 岩坂を灯すごとくに釣鐘草途中の岩の坂道に蛍袋が所々に咲いていた。 夏山に荷崩れのごと崩れ座す暑いので少しバテたようだ。山頂には10人ほどがいた。先の金ケ岳へ進んだのは2人だけだった。 揚羽蝶狭き山頂広げ舞ふ狭い山頂を揚羽蝶が2,3羽飛んでいた。周りは雲で何も見えない。小休止し腹ごしらえ。 パイナップルの香り広ごるひとところ買っていったパイナップル、ミニトマト、胡瓜などを食べた。 胡瓜食ふ雲に覆はる山の上そして金ケ岳へ向った。写真の山が金ケ岳と思ったが南峰でもうひとつあった。急な坂を下り、岩の坂を登り返しまた下り登る。一時間ほどで金ケ岳に着いた。途中、イワカガミが咲いている場所らしいが時期が違うのか、それらしきものに気がつかなかった。先に行った2人連れがいたので「何も見えませんね」と声をかけたが「そうですね」としか返ってこなかったのでだんまりを決め込んで食事をした。あとは急な下りをただ降りるだけ。一時間半ほどで東大宇宙線研究所に着いた。ここからはただひたすらまっすぐな舗装された農道を歩く。一度追い抜いた2人連れだったが、道に迷って追い越され再び追い越してひたすら歩いた。 山下りて晩夏の農道ひた歩くバス時間が16:15に一本しかないので間に合うように急いだ。この地も例外なく広域農道といって車が通らない2車線の立派な道路があった。 炎天や農道広くなるばかり 向日葵や農道我と農夫のみ1時間ちょっとかかってバス停に着いた。15分ほど前だったので残りの食べ物、水をがむしゃらに食べた。 片蔭にストレッチをしてバスを待つ西日が当たって暑かったが、低い銀杏の木の陰で体を伸ばしながらバスを待った。バスが来たが、バスの運転手が客がいるのを驚いていたようだ。整理券を取って座ったら「何番取りました?」って聞いてきた。不思議だったが「3番です」と大きい声で応えたらおもむろに料金表示を3番に合わせていた。そしてまた不思議なのが、料金表示が、13、15、21円とかの表示だ。あれ1円玉もっていないぞ!両替してくれるか心配しながら韮崎の駅に着いた。結局、客は一人だった。料金表示は、10円単位だった。(変な期待をしてしまった)引越ししてきました。オリジナルブログはこちらからどうぞ
2008.08.14
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最近は、夕立や雷がつづき本格的な登山が出来ず日帰りで行けるぎりぎりのところを探して山に行っています。週末の天気予報を入念に調べながら。ということで茅ケ岳に行きました。 ミニトマトリュックに詰めて山に発つ朝、4時に起き青春18切符で韮崎に着いたのが9:00前後、ここからタクシーで登山口へ。(因みにタクシー代3000円) (帰りの農道で写しました)市のアンケートに答え深田久弥の公園に。「百の頂に 百の喜びあり」と書かれている。この日は、暑い。 風死して我が身の写る御影石心霊写真ではありません。ここから「さぁ~登ろう」と思って先へ行ったが登山口がどこかわからない。地図を広げて登山口を通り越したのが分かって慌てて元に戻った。 山地図を広げる先に道をしえ 道をしえ・・・足を踏み出すとピョンとはねる虫こんな道を一時間ほど歩くと真っ暗な良く分からない女岩に着く。 滴るや切り立つ崖の女岩ここからは九十九折の急坂がつづく。50分ほどで尾根道に出たとき下山の人に出会い「もうすぐですか?」と尋ねたら「いやぁ~まだまだこれからですよ!」と言われプッチン来そうな気持ちを建て直し登った。 一徹の塩でもかけぬ冷奴と天から深田久弥の声がしたような気がした。5分ほどで深田久弥の慰霊碑があったので手を合わせ更に登った。 薄雪草深田久弥の終焉地近くにウスユキソウが咲いていた。オリジナルブログはこちらからどうぞ
2008.08.11
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