元気力UP!

元気力UP!

2015年04月04日
XML
カテゴリ: 吾輩は猫である
吾輩は何の目的もなく器械的に跳上 る。
満身の力を毛穴に込めてこの怪物を振り落とそうとする。
耳に喰い下がったのは中心を失ってだらりと吾が横顔に懸る。
護謨管 のごとき柔かき尻尾の先が思い掛なく吾輩の口に這入る。
屈竟 の手懸 りに、砕 えながら左右にふると、尾のみは前歯の間に残って胴体は古新聞で張った壁に当って、揚板の上に跳 ね返る。
起き上がるところを隙間 なく乗 し掛 れば、毬 を蹴 たるごとく、吾輩の鼻づらを掠 めて釣り段の縁 に足を縮めて立つ。
彼は棚の上から吾輩を見おろす、吾輩は板の間から彼を見上ぐる。

その中に月の光りが、大幅 の帯を空 に張るごとく横に差し込む。
吾輩は前足に力を込めて、やっとばかり棚の上に飛び上がろうとした。
前足だけは首尾よく棚の縁 は宙にもがいている。
尻尾には最前の黒いものが、死ぬとも離るまじき勢で喰い下っている。
吾輩は危 うい。
前足を懸 け易 えて足懸 りを深くしようとする。
懸け易える度に尻尾の重みで浅くなる。
二三分 滑れば落ちねばならぬ。
吾輩はいよいよ危うい。
棚板を爪で掻 きむしる音ががりがりと聞える。
これではならぬと左の前足を抜き易える拍子に、爪を見事に懸け損じたので吾輩は右の爪一本で棚からぶら下った。
自分と尻尾に喰いつくものの重みで吾輩のからだがぎりぎりと廻わる。
この時まで身動きもせずに覘 いをつけていた棚の上の怪物は、ここぞと吾輩の額を目懸けて棚の上から石を投ぐるがごとく飛び下りる。
吾輩の爪は一縷 のかかりを失う。
三つの塊 まりが一つとなって月の光を竪 に切って下へ落ちる。
次の段に乗せてあった摺鉢 と、摺鉢の中の小桶 とジャムの空缶 が同じく一塊 となって、下にある火消壺を誘って、半分は水甕 の中、半分は板の間の上へ転がり出す。
すべてが深夜にただならぬ物音を立てて死物狂いの吾輩の魂をさえ寒からしめた。

「泥棒!」と主人は胴間声 を張り上げて寝室から飛び出して来る。
見ると片手にはランプを提 げ、片手にはステッキを持って、寝ぼけ眼 よりは身分相応の炯々 たる光を放っている。
吾輩は鮑貝 の傍 におとなしくして蹲踞 る。
二疋の怪物は戸棚の中へ姿をかくす。
主人は手持無沙汰に「何だ誰だ、大きな音をさせたのは」と怒気を帯びて相手もいないのに聞いている。
月が西に傾いたので、白い光りの一帯は半切 ほどに細くなった。


こう暑くては猫といえどもやり切れない。
皮を脱いで、肉を脱いで骨だけで涼みたいものだと英吉利 のシドニー・スミスとか云う人が苦しがったと云う話があるが、たとい骨だけにならなくとも好いから、せめてこの淡灰色の斑入 の毛衣 だけはちょっと洗い張りでもするか、もしくは当分の中 質にでも入れたいような気がする。
人間から見たら猫などは年が年中同じ顔をして、春夏秋冬一枚看板で押し通す、至って単純な無事な銭 のかからない生涯 を送っているように思われるかも知れないが、いくら猫だって相応に暑さ寒さの感じはある。
たまには行水 の一度くらいあびたくない事もないが、何しろこの毛衣の上から湯を使った日には乾かすのが容易な事でないから汗臭いのを我慢してこの年になるまで洗湯の暖簾 を潜 った事はない。
折々は団扇 でも使って見ようと云う気も起らんではないが、とにかく握る事が出来ないのだから仕方がない。
それを思うと人間は贅沢 なものだ。
なまで食ってしかるべきものをわざわざ煮て見たり、焼いて見たり、酢 に漬 けて見たり、味噌 をつけて見たり好んで余計な手数 を懸けて御互に恐悦している。
着物だってそうだ。
猫のように一年中同じ物を着通せと云うのは、不完全に生れついた彼等にとって、ちと無理かも知れんが、なにもあんなに雑多なものを皮膚の上へ載 せて暮さなくてもの事だ。
羊の御厄介になったり、蚕 の御世話になったり、綿畠の御情 けさえ受けるに至っては贅沢 は無能の結果だと断言しても好いくらいだ。
衣食はまず大目に見て勘弁するとしたところで、生存上直接の利害もないところまでこの調子で押して行くのは毫 も合点 が行かぬ。
第一頭の毛などと云うものは自然に生えるものだから、放 っておく方がもっとも簡便で当人のためになるだろうと思うのに、彼等は入らぬ算段をして種々雑多な恰好 をこしらえて得意である。


本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。
夏目 漱石
慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2015年04月04日 21時49分11秒
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: