元気力UP!

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2015年06月04日
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カテゴリ: 吾輩は猫である
「女の軽いのがいけないとおっしゃるけれども、男の重いんだって好い事はないでしょう」「重いた、どんな事だ」「重いと云うな重い事ですわ、あなたのようなのです」「俺がなんで重い」「重いじゃありませんか」と妙な議論が始まる。
迷亭は面白そうに聞いていたが、やがて口を開いて「そう赤くなって互に弁難攻撃をするところが夫婦の真相と云うものかな。
どうも昔の夫婦なんてものはまるで無意味なものだったに違いない」とひやかすのだか賞 めるのだか曖昧 な事を言ったが、それでやめておいても好い事をまた例の調子で布衍 して、下 のごとく述べられた。

「昔は亭主に口返答なんかした女は、一人もなかったんだって云うが、それなら唖 を女房にしていると同じ事で僕などは一向
やっぱり奥さんのようにあなたは重いじゃありませんかとか何とか云われて見たいね。
同じ女房を持つくらいなら、たまには喧嘩の一つ二つしなくっちゃ退屈でしようがないからな。
僕の母などと来たら、おやじの前へ出てはいとへいで持ち切っていたものだ。
そうして二十年もいっしょになっているうちに寺参りよりほかに外へ出た事がないと云うんだから情けないじゃないか。
もっとも御蔭で先祖代々の戒名 はことごとく暗記している。
男女間の交際だってそうさ、僕の小供の時分などは寒月君のように意中の人と合奏をしたり、霊の交換をやって朦朧体 で出合って見たりする事はとうてい出来なかった」「御気の毒様で」と寒月君が頭を下げる。
「実に御気の毒さ。
しかもその時分の女が必 ずしも今の女より品行がいいと限らんからね。

なに昔はこれより烈 しかったんですよ」「そうでしょうか」と細君は真面目である。
「そうですとも、出鱈目 じゃない、ちゃんと証拠があるから仕方がありませんや。
苦沙弥君、君も覚えているかも知れんが僕等の五六歳の時までは女の子を唐茄子 へ入れて天秤棒 で担 いで売ってあるいたもんだ、ねえ君」「僕はそんな事は覚えておらん」「君の国じゃどうだか知らないが、静岡じゃたしかにそうだった」「まさか」と細君が小さい声を出すと、「本当ですか」と寒月君が本当らしからぬ様子で聞く。

「本当さ。
現に僕のおやじが価 を付けた事がある。
その時僕は何でも六つくらいだったろう。
おやじといっしょに油町 から通町 へ散歩に出ると、向うから大きな声をして女の子はよしかな、女の子はよしかなと怒鳴 ってくる。
僕等がちょうど二丁目の角へ来ると、伊勢源 と云う呉服屋の前でその男に出っ食わした。
伊勢源と云うのは間口が十間で蔵 が五 つ戸前 あって静岡第一の呉服屋だ。
今度行ったら見て来給え。
今でも歴然と残っている。
立派なうちだ。
その番頭が甚兵衛と云ってね。
いつでも御袋 が三日前に亡 くなりましたと云うような顔をして帳場の所へ控 えている。
甚兵衛君の隣りには初 さんという二十四五の若い衆 が坐っているが、この初さんがまた雲照律師 に帰依 して三七二十一日の間|蕎麦湯 だけで通したと云うような青い顔をしている。
初さんの隣りが長 どんでこれは昨日 火事で焚 き出されたかのごとく愁然 と算盤 に身を凭 している。
長どんと併 んで……」「君は呉服屋の話をするのか、人売りの話をするのか」「そうそう人売りの話しをやっていたんだっけ。
実はこの伊勢源についてもすこぶる奇譚 があるんだが、それは割愛 して今日は人売りだけにしておこう」「人売りもついでにやめるがいい」「どうしてこれが二十世紀の今日 と明治初年頃の女子の品性の比較について大 なる参考になる材料だから、そんなに容易 くやめられるものか――それで僕がおやじと伊勢源の前までくると、例の人売りがおやじを見て旦那女の子の仕舞物 はどうです、安く負けておくから買っておくんなさいと云いながら天秤棒 をおろして汗を拭 いているのさ。
見ると籠の中には前に一人|後 ろに一人両方とも二歳ばかりの女の子が入れてある。
おやじはこの男に向って安ければ買ってもいいが、もうこれぎりかいと聞くと、へえ生憎 今日はみんな売り尽 してたった二つになっちまいました。
どっちでも好いから取っとくんなさいなと女の子を両手で持って唐茄子 か何ぞのようにおやじの鼻の先へ出すと、おやじはぽんぽんと頭を叩 いて見て、ははあかなりな音だと云った。


本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。
夏目 漱石
慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。





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Last updated  2015年06月04日 10時41分04秒
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