元気力UP!

元気力UP!

2015年09月25日
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カテゴリ: 吾輩は猫である
を生 やしている男は雲母 のようなものを自分の廻りに蒔 き散らしながら独 りでにやにや笑っていた。
入れ代って飛び込んで来たのは普通一般の化物とは違って背中 に模様画をほり付けている。
岩見重太郎 を振り翳 して蟒 を退治 るところのようだが、惜しい事に未 だ竣功 の期に達せんので、蟒はどこにも見えない。
従って重太郎先生いささか拍子抜けの気味に見える。
飛び込みながら「箆棒 に温 るいや」と云った。
するとまた一人続いて乗り込んだのが「こりゃどうも……もう少し熱くなくっちゃあ」と顔をしかめながら熱いのを我慢する気色 をする。
重太郎は「やあ」と云ったが、やがて「民さんはどうしたね」と聞く。
「どうしたか、じゃんじゃんが好きだからね」「じゃんじゃんばかりじゃねえ……」「そうかい、あの男も腹のよくねえ男だからね。
――どう云うもんか人に好かれねえ、――どう云うものだか、――どうも人が信用しねえ。
職人てえものは、あんなもんじゃねえが」「そうよ。
が高 けえんだ。
それだからどうも信用されねえんだね」「本当によ。
あれで一 っぱし腕があるつもりだから、――つまり自分の損だあな」「白銀町 にも古い人が亡 くなってね、今じゃ桶屋 の元さんと煉瓦屋 の大将と親方ぐれえな者だあな。
こちとらあこうしてここで生れたもんだが、民さんなんざあ、どこから来たんだか分りゃしねえ」「そうよ。
しかしよくあれだけになったよ」「うん。
どう云うもんか人に好かれねえ。
人が交際 わねえからね」と徹頭徹尾民さんを攻撃する。

天水桶はこのくらいにして、白い湯の方を見るとこれはまた非常な大入 で、湯の中に人が這入 ってると云わんより人の中に湯が這入ってると云う方が適当である。
しかも彼等はすこぶる悠々閑々 たる物で、先刻 から這入るものはあるが出る物は一人もない。
こう這入った上に、一週間もとめておいたら湯もよごれるはずだと感心してなおよく槽 の中を見渡すと、左の隅に圧 しつけられて苦沙弥先生が真赤 になってすくんでいる。
可哀 そうに誰か路をあけて出してやればいいのにと思うのに誰も動きそうにもしなければ、主人も出ようとする気色 も見せない。
ただじっとして赤くなっているばかりである。
これはご苦労な事だ。
なるべく二銭五厘の湯銭を活用しようと云う精神からして、かように赤くなるのだろうが、早く上がらんと湯気 にあがるがと主思 いの吾輩は窓の棚 から少なからず心配した。
すると主人の一軒置いて隣りに浮いてる男が八の字を寄せながら「これはちと利 き過ぎるようだ、どうも背中 の方から熱い奴がじりじり湧 いてくる」と暗に列席の化物に同情を求めた。
「なあにこれがちょうどいい加減です。
薬湯はこのくらいでないと利 きません。
わたしの国なぞではこの倍も熱い湯へ這入ります」と自慢らしく説き立てるものがある。
「一体この湯は何に利くんでしょう」と手拭を畳 んで凸凹頭 をかくした男が一同に聞いて見る。
「いろいろなものに利きますよ。
何でもいいてえんだからね。
豪気 だあね」と云ったのは瘠 せた黄瓜 のような色と形とを兼ね得たる顔の所有者である。
そんなに利く湯なら、もう少しは丈夫そうになれそうなものだ。
「薬を入れ立てより、三日目か四日目がちょうどいいようです。
今日等 は這入り頃ですよ」と物知り顔に述べたのを見ると、膨 れ返った男である。
これは多分|垢肥 りだろう。
「飲んでも利きましょうか」とどこからか知らないが黄色い声を出す者がある。
「冷 えた後 などは一杯飲んで寝ると、奇体 に小便に起きないから、まあやって御覧なさい」と答えたのは、どの顔から出た声か分らない。

湯槽 の方はこれぐらいにして板間 を見渡すと、いるわいるわ絵にもならないアダムがずらりと並んで各 勝手次第な姿勢で、勝手次第なところを洗っている。
その中にもっとも驚ろくべきのは仰向 けに寝て、高い明 かり取 を眺 めているのと、腹這 いになって、溝 の中を覗 き込んでいる両アダムである。
これはよほど閑 なアダムと見える。
坊主が石壁を向いてしゃがんでいると後 ろから、小坊主がしきりに肩を叩 いている。
これは師弟の関係上|三介 の代理を務 めるのであろう。
本当の三介もいる。


本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。
夏目 漱石
慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。





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Last updated  2015年09月25日 19時45分57秒
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