元気力UP!

元気力UP!

2015年09月27日
XML
カテゴリ: 吾輩は猫である
風邪 を引いたと見えて、このあついのにちゃんちゃんを着て、小判形 の桶 からざあと旦那の肩へ湯をあびせる。
右の足を見ると親指の股に呉絽 の垢擦 りを挟 んでいる。
こちらの方では小桶 を使え使えと云いながらしきりに長談議をしている。
何だろうと聞いて見るとこんな事を言っていた。
「鉄砲は外国から渡ったもんだね。
昔は斬り合いばかりさ。
外国は卑怯だからね、それであんなものが出来たんだ。
どうも支那じゃねえようだ、やっぱり外国のようだ。
和唐内 の時にゃ無かったね。
和唐内はやはり清和源氏さ。
なんでも義経が蝦夷 から満洲へ渡った時に、蝦夷の男で大変|学
それでその義経のむすこが大明 を攻めたんだが大明じゃ困るから、三代将軍へ使をよこして三千人の兵隊を借 してくれろと云うと、三代様 がそいつを留めておいて帰さねえ。
――何とか云ったっけ。

――それでその使を二年とめておいてしまいに長崎で女郎 を見せたんだがね。
その女郎に出来た子が和唐内さ。
それから国へ帰って見ると大明は国賊に亡ぼされていた。
……」何を云うのかさっぱり分らない。
その後 ろに二十五六の陰気な顔をした男が、ぼんやりして股の所を白い湯でしきりにたでている。
腫物 か何かで苦しんでいると見える。
その横に年の頃は十七八で君とか僕とか生意気な事をべらべら喋舌 ってるのはこの近所の書生だろう。
そのまた次に妙な背中 が見える。
尻の中から寒竹 を押し込んだように背骨 の節が歴々 と出ている。
そうしてその左右に十六むさしに似たる形が四個ずつ行儀よく並んでいる。
その十六むさしが赤く爛 れて周囲 に膿 をもっているのもある。
こう順々に書いてくると、書く事が多過ぎて到底吾輩の手際 にはその一斑 さえ形容する事が出来ん。
これは厄介な事をやり始めた者だと少々|辟易 していると入口の方に浅黄木綿 の着物をきた七十ばかりの坊主がぬっと見 われた。
坊主は恭 しくこれらの裸体の化物に一礼して「へい、どなた様も、毎日相変らずありがとう存じます。
今日は少々御寒うございますから、どうぞ御緩 くり――どうぞ白い湯へ出たり這入 ったりして、ゆるりと御あったまり下さい。
――番頭さんや、どうか湯加減をよく見て上げてな」とよどみなく述べ立てた。
番頭さんは「おーい」と答えた。
和唐内は「愛嬌 ものだね。
あれでなくては商買 は出来ないよ」と大 に爺さんを激賞した。
吾輩は突然この異 な爺さんに逢ってちょっと驚ろいたからこっちの記述はそのままにして、しばらく爺さんを専門に観察する事にした。
爺さんはやがて今|上 り立 ての四つばかりの男の子を見て「坊ちゃん、こちらへおいで」と手を出す。
小供は大福を踏み付けたような爺さんを見て大変だと思ったか、わーっと悲鳴を揚 げてなき出す。
爺さんは少しく不本意の気味で「いや、御泣きか、なに? 爺さんが恐 い? いや、これはこれは」と感嘆した。
仕方がないものだからたちまち機鋒 を転じて、小供の親に向った。
「や、これは源さん。
今日は少し寒いな。
ゆうべ、近江屋 へ這入った泥棒は何と云う馬鹿な奴じゃの。
あの戸の潜 りの所を四角に切り破っての。
そうしてお前の。
何も取らずに行 んだげな。
御巡 りさんか夜番でも見えたものであろう」と大 に泥棒の無謀を憫笑 したがまた一人を捉 らまえて「はいはい御寒う。
あなた方は、御若いから、あまりお感じにならんかの」と老人だけにただ一人寒がっている。

しばらくは爺さんの方へ気を取られて他の化物の事は全く忘れていたのみならず、苦しそうにすくんでいた主人さえ記憶の中 から消え去った時突然流しと板の間の中間で大きな声を出すものがある。
見ると紛 れもなき苦沙弥先生である。
主人の声の図抜けて大いなるのと、その濁って聴き苦しいのは今日に始まった事ではないが場所が場所だけに吾輩は少からず驚ろいた。
これは正 しく熱湯の中 に長時間のあいだ我慢をして浸 っておったため逆上 したに相違ないと咄嗟 の際に吾輩は鑑定をつけた。
それも単に病気の所為 なら咎 むる事もないが、彼は逆上しながらも充分本心を有しているに相違ない事は、何のためにこの法外の胴間声 を出したかを話せばすぐわかる。


本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。
夏目 漱石
慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2015年09月27日 15時02分48秒
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: