元気力UP!

元気力UP!

2015年10月18日
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カテゴリ: 吾輩は猫である
彼は取るにも足らぬ生意気 書生を相手に大人気 もない喧嘩を始めたのである。
「もっと下がれ、おれの小桶に湯が這入 っていかん」と怒鳴るのは無論主人である。
物は見ようでどうでもなるものだから、この怒号をただ逆上の結果とばかり判断する必要はない。
万人のうちに一人くらいは高山彦九郎 が山賊を叱 したようだくらいに解釈してくれるかも知れん。
らおらん以上は予期する結果は出て来ないに極 っている。
書生は後 ろを振り返って「僕はもとからここにいたのです」とおとなしく答えた。
これは尋常の答で、ただその地を去らぬ事を示しただけが主人の思い通りにならんので、その態度と云い言語と云い、山賊として罵 り返すべきほどの事でもないのは、いかに逆上の気味の主人でも分っているはずだ。
しかし主人の怒号は書生の席そのものが不平なのではない、先刻 からこの両人は少年に似合わず、いやに高慢ちきな、利 いた風の事ばかり併 べていたので、始終それを聞かされた主人は、全くこの点に立腹したものと見える。
だから先方でおとなしい挨拶をしても黙って板の間へ上がりはせん。
へ汚ない水をぴちゃぴちゃ跳 ねかす奴があるか」と喝 し去った。
吾輩もこの小僧を少々心憎く思っていたから、この時心中にはちょっと快哉 を呼んだが、学校教員たる主人の言動としては穏
元来主人はあまり堅過ぎていかん。
石炭のたき殻 見たようにかさかさしてしかもいやに硬い。
むかしハンニバルがアルプス山を超 える時に、路の真中に当って大きな岩があって、どうしても軍隊が通行上の不便邪魔をする。
そこでハンニバルはこの大きな岩へ醋 をかけて火を焚 いて、柔かにしておいて、それから鋸 でこの大岩を蒲鉾 のように切って滞 りなく通行をしたそうだ。
主人のごとくこんな利目 のある薬湯へ煮 だるほど這入 っても少しも功能のない男はやはり醋をかけて火炙 りにするに限ると思う。
しからずんば、こんな書生が何百人出て来て、何十年かかったって主人の頑固 は癒 りっこない。
この湯槽 に浮いているもの、この流しにごろごろしているものは文明の人間に必要な服装を脱ぎ棄てる化物の団体であるから、無論常規常道をもって律する訳にはいかん。
何をしたって構わない。
肺の所に胃が陣取って、和唐内が清和源氏になって、民さんが不信用でもよかろう。
しかし一たび流しを出て板の間に上がれば、もう化物ではない。
普通の人類の生息 する娑婆 へ出たのだ、文明に必要なる着物をきるのだ。
従って人間らしい行動をとらなければならんはずである。
今主人が踏んでいるところは敷居である。
流しと板の間の境にある敷居の上であって、当人はこれから歓言愉色 、円転滑脱 の世界に逆戻りをしようと云う間際 である。
その間際ですらかくのごとく頑固 であるなら、この頑固は本人にとって牢 として抜くべからざる病気に相違ない。
病気なら容易に矯正 する事は出来まい。
この病気を癒 す方法は愚考によるとただ一つある。
校長に依頼して免職して貰う事|即 ちこれなり。
免職になれば融通の利 かぬ主人の事だからきっと路頭に迷うに極 ってる。
路頭に迷う結果はのたれ死にをしなければならない。
換言すると免職は主人にとって死の遠因になるのである。
主人は好んで病気をして喜こんでいるけれど、死ぬのは大嫌 である。
死なない程度において病気と云う一種の贅沢 がしていたいのである。
それだからそんなに病気をしていると殺すぞと嚇 かせば臆病なる主人の事だからびりびりと悸 え上がるに相違ない。
この悸え上がる時に病気は奇麗に落ちるだろうと思う。
それでも落ちなければそれまでの事さ。

いかに馬鹿でも病気でも主人に変りはない。
一飯 君恩を重んずと云う詩人もある事だから猫だって主人の身の上を思わない事はあるまい。
気の毒だと云う念が胸一杯になったため、ついそちらに気が取られて、流しの方の観察を怠 たっていると、突然白い湯槽 の方面に向って口々に罵 る声が聞える。
ここにも喧嘩が起ったのかと振り向くと、狭い柘榴口 に一寸 の余地もないくらいに化物が取りついて、毛のある脛と、毛のない股と入り乱れて動いている。
折から初秋 の日は暮るるになんなんとして流しの上は天井まで一面の湯気が立て籠 める。
かの化物の犇 く様 がその間から朦朧 と見える。


本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。
夏目 漱石
慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。





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Last updated  2015年10月18日 18時03分07秒
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