元気力UP!

元気力UP!

2016年03月18日
XML
カテゴリ: 吾輩は猫である
――即 ち主人が後架へまかり越したと見て取るときは、必ず桐の木の附近を徘徊 してわざと主人の眼につくようにする。
主人がもし後架から四隣 に響く大音を揚げて怒鳴りつければ敵は周章 てる気色 もなく悠然 と根拠地へ引きあげる。
この軍略を用いられると主人ははなはだ困却する。
っているなと思ってステッキを持って出懸けると寂然 として誰もいない。
いないかと思って窓からのぞくと必ず一二人這入っている。
主人は裏へ廻って見たり、後架から覗 いて見たり、後架から覗いて見たり、裏へ廻って見たり、何度言っても同じ事だが、何度云っても同じ事を繰り返している。
奔命 に疲れるとはこの事である。
教師が職業であるか、戦争が本務であるかちょっと分らないくらい逆上 して来た。
この逆上の頂点に達した時に下 の事件が起ったのである。


逆上とは読んで字のごとく逆 かさに上 るのである、この点に関してはゲーレンもパラセルサスも旧弊なる扁鵲 も異議を唱 うる者は一人もない。
かさに上 るかが問題である。
また何が逆かさに上るかが議論のあるところである。
古来欧洲人の伝説によると、吾人の体内には四種の液が循環しておったそうだ。
第一に怒液 と云う奴 がある。
これが逆かさに上ると怒 り出す。
第二に鈍液 と名づくるのがある。
これが逆かさに上ると神経が鈍 くなる。
次には憂液 、これは人間を陰気にする。
最後が血液 、これは四肢 を壮 んにする。
その後 人文が進むに従って鈍液、怒液、憂液はいつの間 にかなくなって、現今に至っては血液だけが昔のように循環していると云う話しだ。
だからもし逆上する者があらば血液よりほかにはあるまいと思われる。
しかるにこの血液の分量は個人によってちゃんと極 まっている。
性分によって多少の増減はあるが、まず大抵一人前に付五升五合の割合である。
だによって、この五升五合が逆かさに上ると、上ったところだけは熾 んに活動するが、その他の局部は欠乏を感じて冷たくなる。
ちょうど交番焼打の当時巡査がことごとく警察署へ集って、町内には一人もなくなったようなものだ。
あれも医学上から診断をすると警察の逆上と云う者である。
でこの逆上を癒 やすには血液を従前のごとく体内の各部へ平均に分配しなければならん。
そうするには逆かさに上った奴を下へ降 さなくてはならん。
その方にはいろいろある。
今は故人となられたが主人の先君などは濡 れ手拭 を頭にあてて炬燵 にあたっておられたそうだ。
頭寒足熱 は延命息災の徴と傷寒論 にも出ている通り、濡れ手拭は長寿法において一日も欠くべからざる者である。
それでなければ坊主の慣用する手段を試みるがよい。
一所不住 の沙門 雲水行脚 の衲僧 は必ず樹下石上を宿 とすとある。
樹下石上とは難行苦行のためではない。
全くのぼせを下 げるために六祖 が米を舂 きながら考え出した秘法である。
試みに石の上に坐ってご覧、尻が冷えるのは当り前だろう。
尻が冷える、のぼせが下がる、これまた自然の順序にして毫 も疑を挟 むべき余地はない。
かようにいろいろな方法を用いてのぼせを下げる工夫は大分 発明されたが、まだのぼせを引き起す良方が案出されないのは残念である。
一概に考えるとのぼせは損あって益なき現象であるが、そうばかり速断してならん場合がある。
職業によると逆上はよほど大切な者で、逆上せんと何にも出来ない事がある。
その中 でもっとも逆上を重んずるのは詩人である。
詩人に逆上が必要なる事は汽船に石炭が欠くべからざるような者で、この供給が一日でも途切れると彼れ等は手を拱 いて飯を食うよりほかに何等の能もない凡人になってしまう。
もっとも逆上は気違の異名 で、気違にならないと家業 が立ち行かんとあっては世間体 が悪いから、彼等の仲間では逆上を呼ぶに逆上の名をもってしない。
申し合せてインスピレーション、インスピレーションとさも勿体 そうに称 えている。
これは彼等が世間を瞞着 するために製造した名でその実は正に逆上である。
プレートーは彼等の肩を持ってこの種の逆上を神聖なる狂気と号したが、いくら神聖でも狂気では人が相手にしない。
やはりインスピレーションと云う新発明の売薬のような名を付けておく方が彼等のためによかろうと思う。


本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。
夏目 漱石
慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2016年03月18日 13時14分13秒
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: