元気力UP!

元気力UP!

2016年03月21日
XML
カテゴリ: 吾輩は猫である
しかし蒲鉾 の種が山芋 であるごとく、観音 の像が一寸八分の朽木 であるごとく、鴨南蛮 の材料が烏であるごとく、下宿屋の牛鍋 が馬肉であるごとくインスピレーションも実は逆上である。
逆上であって見れば臨時の気違である。
巣鴨へ入院せずに済むのは単に臨時気違であるからだ。

一生涯 の狂人はかえって出来安いが、筆を執 って紙に向う間 だけ気違にするのは、いかに巧者 な神様でもよほど骨が折れると見えて、なかなか拵 えて見せない。
神が作ってくれん以上は自力で拵えなければならん。
そこで昔から今日 まで逆上術もまた逆上とりのけ術と同じく大 に学者の頭脳を悩ました。
ある人はインスピレーションを得るために毎日渋柿を十二個ずつ食った。

またある人はかん徳利を持って鉄砲風呂 へ飛び込んだ。
湯の中で酒を飲んだら逆上するに極 っていると考えたのである。
その人の説によるとこれで成功しなければ葡萄酒 れば一|返 で功能があると信じ切っている。
しかし金がないのでついに実行する事が出来なくて死んでしまったのは気の毒である。
最後に古人の真似をしたらインスピレーションが起るだろうと思いついた者がある。
これはある人の態度動作を真似ると心的状態もその人に似てくると云う学説を応用したのである。
酔っぱらいのように管 を捲 いていると、いつの間 にか酒飲みのような心持になる、坐禅をして線香一本の間我慢しているとどことなく坊主らしい気分になれる。
だから昔からインスピレーションを受けた有名の大家の所作 を真似れば必ず逆上するに相違ない。
聞くところによればユーゴーは快走船 の上へ寝転 んで文章の趣向を考えたそうだから、船へ乗って青空を見つめていれば必ず逆上|受合 である。
スチーヴンソンは腹這 に寝て小説を書いたそうだから、打 つ伏 しになって筆を持てばきっと血が逆 かさに上 ってくる。
かようにいろいろな人がいろいろの事を考え出したが、まだ誰も成功しない。
まず今日 のところでは人為的逆上は不可能の事となっている。
残念だが致し方がない。
早晩随意にインスピレーションを起し得る時機の到来するは疑 もない事で、吾輩は人文のためにこの時機の一日も早く来らん事を切望するのである。

逆上の説明はこのくらいで充分だろうと思うから、これよりいよいよ事件に取りかかる。
しかしすべての大事件の前には必ず小事件が起るものだ。
大事件のみを述べて、小事件を逸するのは古来から歴史家の常に陥 る弊竇 である。
主人の逆上も小事件に逢う度に一層の劇甚 を加えて、ついに大事件を引き起したのであるからして、幾分かその発達を順序立てて述べないと主人がいかに逆上しているか分りにくい。
分りにくいと主人の逆上は空名に帰して、世間からはよもやそれほどでもなかろうと見くびられるかも知れない。
せっかく逆上しても人から天晴 な逆上と謡 われなくては張り合がないだろう。
これから述べる事件は大小に係 らず主人に取って名誉な者ではない。
事件その物が不名誉であるならば、責 めて逆上なりとも、正銘 の逆上であって、決して人に劣るものでないと云う事を明かにしておきたい。
主人は他に対して別にこれと云って誇るに足る性質を有しておらん。
逆上でも自慢しなくてはほかに骨を折って書き立ててやる種がない。

落雲館に群がる敵軍は近日に至って一種のダムダム弾を発明して、十分 の休暇、もしくは放課後に至って熾 に北側の空地 に向って砲火を浴びせかける。
このダムダム弾は通称をボールと称 えて、擂粉木 の大きな奴をもって任意これを敵中に発射する仕掛である。
いくらダムダムだって落雲館の運動場から発射するのだから、書斎に立て籠 ってる主人に中 る気遣 はない。
敵といえども弾道のあまり遠過ぎるのを自覚せん事はないのだけれど、そこが軍略である。
旅順の戦争にも海軍から間接射撃を行って偉大な功を奏したと云う話であれば、空地へころがり落つるボールといえども相当の功果を収め得ぬ事はない。
いわんや一発を送る度 に総軍力を合せてわーと威嚇性 大音声 を出 すにおいてをやである。
主人は恐縮の結果として手足に通う血管が収縮せざるを得ない。
煩悶 の極 そこいらを迷付 いている血が逆 さに上 るはずである。
敵の計 はなかなか巧妙と云うてよろしい。
し希臘 にイスキラスと云う作家があったそうだ。


本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。
夏目 漱石
慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2016年03月21日 21時01分28秒
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: