元気力UP!

元気力UP!

2016年04月05日
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カテゴリ: 吾輩は猫である
 敵の考はこうであった。
これが普通の人間の考で至極 もっともなところである。
ただ敵は相手が普通の人間でないと云う事を勘定のうちに入れるのを忘れたばかりである。
主人にこれくらいの常識があれば昨日だって飛び出しはしない。
逆上は普通の人間を、普通の人間の程度以上に釣るし上げて、常識のあるものに、非常識を与える者である。
女だの、小供だの、車引きだの、馬子だのと、そんな見境 いのあるうちは、まだ逆上を以て人に誇るに足らん。
主人のごとく相手にならぬ中学一年生を生捕
可哀 そうなのは捕虜である。
単に上級生の命令によって玉拾いなる雑兵 の役を勤めたるところ、運わるく非常識の敵将、逆上の天才に追い詰められて、垣越える間 もあらばこそ、庭前に引き据 えられた。
こうなると敵軍は安閑と味方の恥辱を見ている訳に行かない。
我も我もと四つ目垣を乗りこして木戸口から庭中に乱れ入る。
その数は約一ダースばかり、ずらりと主人の前に並んだ。
大抵は上衣 もちょっ着
白シャツの腕をまくって、腕組をしたのがある。
綿 ネルの洗いざらしを申し訳に背中だけへ乗せているのがある。
そうかと思うと白の帆木綿 に黒い縁 もある。
いずれも一騎当千の猛将と見えて、丹波 の国は笹山から昨夜着し立てでござると云わぬばかりに、黒く逞 しく筋肉が発達している。
中学などへ入れて学問をさせるのは惜しいものだ。
漁師 か船頭にしたら定めし国家のためになるだろうと思われるくらいである。
彼等は申し合せたごとく、素足に股引 を高くまくって、近火の手伝にでも行きそうな風体 に見える。
彼等は主人の前にならんだぎり黙然 として一言 も発しない。
主人も口を開 かない。
しばらくの間双方共|睨 めくらをしているなかにちょっと殺気がある。

「貴様等はぬすっとうか」と主人は尋問した。
大気※ である。
奥歯で囓 み潰 した癇癪玉 が炎となって鼻の穴から抜けるので、小鼻が、いちじるしく怒 って見える。
越後獅子 の鼻は人間が怒 った時の恰好 を形 どって作ったものであろう。
それでなくてはあんなに恐しく出来るものではない。

「いえ泥棒ではありません。
落雲館の生徒です」
「うそをつけ。
落雲館の生徒が無断で人の庭宅に侵入する奴があるか」
「しかしこの通りちゃんと学校の徽章 のついている帽子を被 っています」
「にせものだろう。
落雲館の生徒ならなぜむやみに侵入した」
「ボールが飛び込んだものですから」
「なぜボールを飛び込ました」
「つい飛び込んだんです」
「怪 しからん奴だ」
「以後注意しますから、今度だけ許して下さい」
「どこの何者かわからん奴が垣を越えて邸内に闖入 するのを、そう容易 く許されると思うか」
「それでも落雲館の生徒に違ないんですから」
「落雲館の生徒なら何年生だ」
「三年生です」
「きっとそうか」
主人は奥の方を顧 みながら、おいこらこらと云う。

埼玉生れの御三 が襖 をあけて、へえと顔を出す。

「落雲館へ行って誰か連れてこい」
「誰を連れて参ります」
「誰でもいいから連れてこい」
下女は「へえ」と答えが、あまり庭前の光景が妙なのと、使の趣 が判然しないのと、さっきからの事件の発展が馬鹿馬鹿しいので、立ちもせず、坐りもせずにやにや笑っている。
主人はこれでも大戦争をしているつもりである。
逆上的敏腕を大 に振 っているつもりである。
しかるところ自分の召し使たる当然こっちの肩を持つべきものが、真面目な態度をもって事に臨まんのみか、用を言いつけるのを聞きながらにやにや笑っている。
ますます逆上せざるを得ない。

「誰でも構わんから呼んで来いと云うのに、わからんか。
校長でも幹事でも教頭でも……」
「あの校長さんを……」下女は校長と云う言葉だけしか知らないのである。

「校長でも、幹事でも教頭でもと云っているのにわからんか」
「誰もおりませんでしたら小使でもよろしゅうございますか」
「馬鹿を云え。
小使などに何が分かるものか」
ここに至って下女もやむを得んと心得たものか、「へえ」と云って出て行った。
使の主意はやはり飲み込めんのである。
小使でも引張って来はせんかと心配していると、あに計らんや例の倫理の先生が表門から乗り込んで来た。
平然と座に就 くを待ち受けた主人は直ちに談判にとりかかる。



本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。
夏目 漱石
慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。






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Last updated  2016年04月05日 09時56分52秒
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