元気力UP!

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2016年07月06日
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カテゴリ: 吾輩は猫である
 天気の悪るいのになぜグード・モーニングですかと生徒に問われて七日間 考えたり、コロンバスと云う名は日本語で何と云いますかと聞かれて三日三晩かかって答を工夫するくらいな男には、干瓢 の酢味噌 が天下の士であろうと、朝鮮の仁参 を食って革命を起そうと随意な意味は随処に湧 き出る訳である。
主人はしばらくしてグード・モーニング流にこの難解な言句 を呑み込んだと見えて「なかなか意味深長だ。
何でもよほど哲理を研究した人に違ない。
な見識だ」と大変賞賛した。
この一言 でも主人の愚 なところはよく分るが、翻 って考えて見るといささかもっともな点もある。
主人は何に寄らずわからぬものをありがたがる癖を有している。
これはあながち主人に限った事でもなかろう。
分らぬところには馬鹿に出来ないものが潜伏して、測るべからざる辺には何だか気高 い心持が起るものだ。
それだから俗人はわからぬ事をわかったように吹聴 するにも係
大学の講義でもわからん事を喋舌 る人は評判がよくってわかる事を説明する者は人望がないのでもよく知れる。
主人がこの手紙に敬服したのも意義が明瞭であるからではない。
その主旨が那辺 に存するかほとんど捕
急に海鼠 が出て来たり、せつな糞 が出てくるからである。
だから主人がこの文章を尊敬する唯一の理由は、道家 で道徳経を尊敬し、儒家 で易経 を尊敬し、禅家 で臨済録 を尊敬すると一般で全く分らんからである。
し全然分らんでは気がすまんから勝手な註釈をつけてわかった顔だけはする。
わからんものをわかったつもりで尊敬するのは昔から愉快なものである。
――主人は恭 しく八分体 の名筆を巻き納めて、これを机上に置いたまま懐手 をして冥想 に沈んでいる。

ところへ「頼む頼む」と玄関から大きな声で案内を乞う者がある。
声は迷亭のようだが、迷亭に似合わずしきりに案内を頼んでいる。
主人は先から書斎のうちでその声を聞いているのだが懐手のまま毫 も動こうとしない。
取次に出るのは主人の役目でないという主義か、この主人は決して書斎から挨拶をした事がない。
下女は先刻 洗濯 石鹸 を買いに出た。
細君は憚 りである。
すると取次に出べきものは吾輩だけになる。
吾輩だって出るのはいやだ。
すると客人は沓脱 から敷台へ飛び上がって障子を開け放ってつかつか上り込んで来た。
主人も主人だが客も客だ。
座敷の方へ行ったなと思うと襖 を二三度あけたり閉 てたりして、今度は書斎の方へやってくる。

「おい冗談 じゃない。
何をしているんだ、御客さんだよ」
「おや君か」
「おや君かもないもんだ。
そこにいるなら何とか云えばいいのに、まるで空家 のようじゃないか」
「うん、ちと考え事があるもんだから」
「考えていたって通れくらいは云えるだろう」
「云えん事もないさ」
「相変らず度胸がいいね」
「せんだってから精神の修養を力 めているんだもの」
「物好きだな。
精神を修養して返事が出来なくなった日には来客は御難だね。
そんなに落ちつかれちゃ困るんだぜ。
実は僕一人来たんじゃないよ。
大変な御客さんを連れて来たんだよ。
ちょっと出て逢ってくれ給え」
「誰を連れて来たんだい」
「誰でもいいからちょっと出て逢ってくれたまえ。
是非君に逢いたいと云うんだから」
「誰だい」
「誰でもいいから立ちたまえ」
主人は懐手 のままぬっと立ちながら「また人を担 ぐつもりだろう」と椽側 へ出て何の気もつかずに客間へ這入 り込んだ。
すると六尺の床を正面に一個の老人が粛然 と端坐 して控 えている。
主人は思わず懐から両手を出してぺたりと唐紙 の傍 へ尻を片づけてしまった。
これでは老人と同じく西向きであるから双方共挨拶のしようがない。
昔堅気 の人は礼義はやかましいものだ。

「さあどうぞあれへ」と床の間の方を指して主人を促 がす。
主人は両三年前までは座敷はどこへ坐っても構わんものと心得ていたのだが、その後 ある人から床の間の講釈を聞いて、あれは上段の間 の変化したもので、上使 が坐わる所だと悟って以来決して床の間へは寄りつかない男である。
ことに見ず知らずの年長者が頑 と構えているのだから上座 どころではない。
挨拶さえ碌 には出来ない。
一応頭をさげて
「さあどうぞあれへ」と向うの云う通りを繰り返した。



本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。
夏目 漱石
慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。






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Last updated  2016年07月06日 21時21分08秒
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