元気力UP!

元気力UP!

2016年12月28日
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カテゴリ: 吾輩は猫である
とん子の顔は南蛮鉄 の刀の鍔 のような輪廓 を有している。
すん子も妹だけに多少姉の面影 を存して琉球塗 の朱盆 くらいな資格はある。
ただ坊ばに至っては独 り異彩を放って、面長 に出来上っている。
し竪 に長いのなら世間にその例もすくなくないが、この子のは横に長いのである。
いかに流行が変化し易 くったって、横に長い顔がはやる事はなかろう。
主人は自分の子ながらも、つくづく考える事がある。
これでも生長しなければならぬ。
生長するどころではない、その生長の速 かなる事は禅寺 の筍 が若竹に変化する勢で大きくなる。
主人はまた大きくなったなと思うたんびに、後 ろから追手 にせまられるような気がしてひやひやする。
いかに空漠 なる主人でもこの三令嬢が女であるくらいは心得ている。
女である以上はどうにか片付けなくてはならんくらいも承知している。
承知しているだけで片付ける手腕のない事も自覚している。
そこで自分の子ながらも少しく持て余しているところである。
持て余すくらいなら製造しなければいいのだが、そこが人間である。
人間の定義を云うとほかに何にもない。
ただ入 らざる事を捏造 して自 ら苦しんでいる者だと云えば、それで充分だ。

さすがに子供はえらい。
これほどおやじが処置に窮しているとは夢にも知らず、楽しそうにご飯をたべる。
ところが始末におえないのは坊ばである。
坊ばは当年とって三歳であるから、細君が気を利 かして、食事のときには、三歳然たる小形の箸 と茶碗をあてがうのだが、坊ばは決して承知しない。
必ず姉の茶碗を奪い、姉の箸を引ったくって、持ちあつかい悪 い奴を無理に持ちあつかっている。
世の中を見渡すと無能無才の小人ほど、いやにのさばり出て柄 にもない官職に登りたがるものだが、あの性質は全くこの坊ば時代から萌芽 しているのである。
その因 って来 るところはかくのごとく深いのだから、決して教育や薫陶 で癒 せる者ではないと、早くあきらめてしまうのがいい。

坊ばは隣りから分捕 った偉大なる茶碗と、長大なる箸を専有して、しきりに暴威を擅 にしている。
使いこなせない者をむやみに使おうとするのだから、勢 暴威を逞 しくせざるを得ない。
坊ばはまず箸の根元を二本いっしょに握ったままうんと茶碗の底へ突込んだ。
茶碗の中は飯が八分通り盛り込まれて、その上に味噌汁が一面に漲 っている。
箸の力が茶碗へ伝わるやいなや、今までどうか、こうか、平均を保っていたのが、急に襲撃を受けたので三十度ばかり傾いた。
同時に味噌汁は容赦なくだらだらと胸のあたりへこぼれだす。
坊ばはそのくらいな事で辟易 する訳がない。
坊ばは暴君である。
今度は突き込んだ箸を、うんと力一杯茶碗の底から刎 ね上げた。
同時に小さな口を縁 まで持って行って、刎 ね上げられた米粒を這入 るだけ口の中へ受納した。
打ち洩 らされた米粒は黄色な汁と相和して鼻のあたまと頬 っぺたと顋 とへ、やっと掛声をして飛びついた。
飛びつき損じて畳の上へこぼれたものは打算 の限りでない。
随分無分別な飯の食い方である。
吾輩は謹 んで有名なる金田君及び天下の勢力家に忠告する。
公等 の他をあつかう事、坊ばの茶碗と箸をあつかうがごとくんば、公等 の口へ飛び込む米粒は極めて僅少 のものである。
必然の勢をもって飛び込むにあらず、戸迷 をして飛び込むのである。
どうか御再考を煩 わしたい。
世故 にたけた敏腕家にも似合しからぬ事だ。

姉のとん子は、自分の箸と茶碗を坊ばに掠奪 されて、不相応に小さな奴をもってさっきから我慢していたが、もともと小さ過ぎるのだから、一杯にもった積りでも、あんとあけると三口ほどで食ってしまう。
したがって頻繁 に御はちの方へ手が出る。
もう四膳かえて、今度は五杯目である。
とん子は御はちの蓋 をあけて大きなしゃもじを取り上げて、しばらく眺 めていた。
これは食おうか、よそうかと迷っていたものらしいが、ついに決心したものと見えて、焦 げのなさそうなところを見計って一掬 いしゃもじの上へ乗せたまでは無難 であったが、それを裏返して、ぐいと茶碗の上をこいたら、茶碗に入 りきらん飯は塊 まったまま畳の上へ転 がり出した。
とん子は驚ろく景色 もなく、こぼれた飯を鄭寧 に拾い始めた。
拾って何にするかと思ったら、みんな御はちの中へ入れてしまった。
少しきたないようだ。





本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。
夏目 漱石
慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。






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Last updated  2025年02月27日 07時56分59秒
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