元気力UP!

元気力UP!

2017年02月02日
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カテゴリ: 吾輩は猫である
坊ばが一大活躍を試みて箸を刎 ね上げた時は、ちょうどとん子が飯をよそい了 った時である。
さすがに姉は姉だけで、坊ばの顔のいかにも乱雑なのを見かねて「あら坊ばちゃん、大変よ、顔が御 ぜん粒だらけよ」と云いながら、早速 坊ばの顔の掃除にとりかかる。
第一に鼻のあたまに寄寓 していたのを取払う。
取払って捨てると思のほか、すぐ自分の口のなかへ入れてしまったのには驚ろいた。
それから頬 っぺたにかかる。
ここには大分 をなして数 にしたら、両方を合せて約二十粒もあったろう。
姉は丹念に一粒ずつ取っては食い、取っては食い、とうとう妹の顔中にある奴を一つ残らず食ってしまった。
この時ただ今まではおとなしく沢庵 をかじっていたすん子が、急に盛り立ての味噌汁の中から薩摩芋 のくずれたのをしゃくい出して、勢よく口の内へ抛 り込んだ。
諸君も御承知であろうが、汁にした薩摩芋の熱したのほど口中 にこたえる者はない。
大人 ですら注意しないと火傷 をしたような心持ちがする。
ましてすん子のごとき、薩摩芋に経験の乏 しい者は無論|狼狽 する訳である。
すん子はワッと云いながら口中 の芋を食卓の上へ吐き出した。
その二三|片 がどう云う拍子か、坊ばの前まですべって来て、ちょうどいい加減な距離でとまる。
坊ばは固 より薩摩芋が大好きである。
大好きな薩摩芋が眼の前へ飛んで来たのだから、早速箸を抛 り出して、手攫 みにしてむしゃむしゃ食ってしまった。

先刻 からこの体 たらくを目撃していた主人は、一言 も云わずに、専心自分の飯を食い、自分の汁を飲んで、この時はすでに楊枝 を使っている最中であった。
主人は娘の教育に関して絶体的放任主義を執 るつもりと見える。
今に三人が海老茶式部 か鼠式部 かになって、三人とも申し合せたように情夫 をこしらえて出奔 しても、やはり自分の飯を食って、自分の汁を飲んで澄まして見ているだろう。
働きのない事だ。
しかし今の世の働きのあると云う人を拝見すると、嘘をついて人を釣る事と、先へ廻って馬の眼玉を抜く事と、虚勢を張って人をおどかす事と、鎌 をかけて人を陥 れる事よりほかに何も知らないようだ。
中学などの少年輩までが見様見真似 に、こうしなくては幅が利 かないと心得違いをして、本来なら赤面してしかるべきのを得々 と履行 して未来の紳士だと思っている。
これは働き手と云うのではない。
ごろつき手と云うのである。
吾輩も日本の猫だから多少の愛国心はある。
こんな働き手を見るたびに撲 ってやりたくなる。
こんなものが一人でも殖 えれば国家はそれだけ衰える訳である。
こんな生徒のいる学校は、学校の恥辱であって、こんな人民のいる国家は国家の恥辱である。
恥辱であるにも関らず、ごろごろ世間にごろついているのは心得がたいと思う。
日本の人間は猫ほどの気概もないと見える。
ない事だ。
こんなごろつき手に比べると主人などは遥 かに上等な人間と云わなくてはならん。
意気地のないところが上等なのである。
無能なところが上等なのである。
猪口才 でないところが上等なのである。

かくのごとく働きのない食い方をもって、無事に朝食 を済ましたる主人は、やがて洋服を着て、車へ乗って、日本堤分署へ出頭に及んだ。
格子 をあけた時、車夫に日本堤という所を知ってるかと聞いたら、車夫はへへへと笑った。
あの遊廓のある吉原の近辺の日本堤だぜと念を押したのは少々|滑稽 であった。

主人が珍らしく車で玄関から出掛けたあとで、妻君は例のごとく食事を済ませて「さあ学校へおいで。
遅くなりますよ」と催促すると、小供は平気なもので「あら、でも今日は御休みよ」と支度 をする景色 がない。
「御休みなもんですか、早くなさい」と叱 るように言って聞かせると「それでも昨日 、先生が御休だって、おっしゃってよ」と姉はなかなか動じない。
妻君もここに至って多少変に思ったものか、戸棚から暦 を出して繰り返して見ると、赤い字でちゃんと御祭日と出ている。
主人は祭日とも知らずに学校へ欠勤届を出したのだろう。
細君も知らずに郵便箱へ抛 り込んだのだろう。
ただし迷亭に至っては実際知らなかったのか、知って知らん顔をしたのか、そこは少々疑問である。
この発明におやと驚ろいた妻君はそれじゃ、みんなでおとなしく御遊びなさいと平生 の通り針箱を出して仕事に取りかかる。

その後 三十分間は家内平穏、別段吾輩の材料になるような事件も起らなかったが、突然妙な人が御客に来た。
十七八の女学生である。





本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。
夏目 漱石
慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。





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Last updated  2025年02月26日 18時23分57秒
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