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帰国して3週間近くがたった。NZの生徒たちの日本旅行に同行したり、水戸、仙台と、家族や友達を訪ねる旅を1週間ほどしてきて、なんだかバタバタとあっという間に過ぎてしまった。その中で、多くの友達と再会したり、色々な風景を見たり、街中へ出かけたり、色々なものを食べたりして、少しずつ少しずつ、日本に帰ってきたんだなあ、ということを実感してきている。(食べ物に関しては、何を食べても美味しく、日々今だ感動が続いています・・・)仙台への旅の途中、新幹線の窓越しに見えた、田んぼ、畑、山などの日本の風景は、本当に懐かしい思いがして、「あ~日本なんだなあ」と感慨深かった。1年間のNZでの生活を綴ってきたこのブログも、一旦終わりにしたいと思っているが、その前に、少し、まとめみたいなものを書いておきたかった。今こうして日本にいると、あのNZでの1年間は、なんだか夢の中の世界だったようにも思う。でも、あきらかに何かが自分の中で変わった。見るもの、聞くもの、会う人、全てに対する意識が何か一年前とは違う。全てが新鮮に感じ、感謝の気持ちを抱くことができる。この1年間は、自分にとって何だったのか。NZという国が私に与えてくれたものは何だったのか。今、感じることはとにかく、この1年の体験は私の人生の中でも本当に大きな体験で、私自身の気持ちの中の色々な部分を変えたということ。価値観人間観世界観 そして 自分自身の人生観NZに行く前までの私の人生は、結構、いろいろ大変だった。そこから飛び出すようにして、NZへ旅立った時は、今の私なんて全く想像していなかった。本当に、何もわからないまま、想像すらできないまま、異国の地での生活を始めた。この1年を、もし簡単な言葉で表すとしたら、「感謝」「忍耐」「努力」だったような気がする。そして、それらの上で得られたのが、最高の「感動」や「楽しさ」だったのだ。忍耐・努力、というのは、「言葉の壁」、「日本語教師アシスタントとしての生活」に対してだが、海外で生活する、ということの大変さを、特に最初の半年間は思い知った。帰りたいと思ったことはないけれど、体調にも顕著に現れていたし、今思えば、結構辛かったと思う。1年に及ぶホームステイも、30を過ぎてる身としては、やっぱり若い時とは違って、色々と我慢しなければいけないことも多く、実はストレスのたまることも少なくはなかった。でも、日本にいる時と違って頼れるものは何もない、誰もいない状況の中で、いつでも全ての問題は自分自身で解決していくしかなかった。生活を楽しくするのも、落ち込んで終わるのも、全てが自分次第だったと思う。言葉の不自由な世界では、逆に、真正面から人にぶつかっていかないと、何も通じない、自分の思いも決してわかってはもらえない。だから、日本にいれば、なんとなく「わかってくれるだろう」で済ませたり、あきらめてしまうことでも、私はできるだけ、自分の思いを素直にぶつけようとした。それで、泣いてしまったこともしばしば。でも、そういう時、必ずみんなわかってくれた。ちゃんと話を聞いてくれたし、それでお互い誤解なく、きちんと理解し合うことができたのだ。きっと、NZという特別な空間と時間の中だからこそ、そんな風に私はいつも正直でいられたのかもしれないが、これは、本当は、どんな場面でも人間同士の関係においては大切なこと。こういう体験から自分自身が学んだことも、大きいように思う。同時に、1年もの間、そんな見知らぬ国でやってこれたのは、ホストファミリーをはじめ、周りの人々のおかげだったことも事実だ。もし周りの人の手助けがなければ私は何もできなかった。頼れるもののない状況の中で、小さな人の優しさ、親切が、これほどうれしく、暖かく感じたことはこれまでにない。いつも、「人」に助けられた。そういう時、日本に帰った後、自分が受けたこういう優しさや恩を私も他の人に返していきたいと、本当に心から思った。そういう意味で、この1年にNZで関わった全ての人に、とても感謝をしている。NZでの「感動」や「楽しさ」は、これまでブログに書いてきたことが全てだ。学校、ホームステイ、一人旅、そして色々な人との出会い。全てが新しい体験で、驚きや感動の連続だった。いつも、もがきながらも、それらの体験は少しずつ私を大きくしてくれた。英語ができるということは、こんなにも世界が広がるんだということも、実感した。NZに限らず国が違うと、生活習慣、社会のシステム、あらゆる価値観が違う。そういうものを知った上で日本という国を外から見たことは、自分自身の価値観、物事の考え方を大きく変化させた。そう、「日本」という国を、こんな風に外側から見たことも、私の人生で初めてのことだった。特に、教育の場にいたので、日本という国について、人に伝える為には、私自身が色々と考え、改めて気づかされることが、日々たくさんあった。「日本」という国の良さ、問題、不思議さ、NZとは全く異なった自分の国の「おもしろさ」を初めて知ることができたのだ。そして、良さも悪さも全部をひっくるめて、自分が紛れもなく「日本人」であることも心底から実感し、それを、誇りに思えるようになった。今、私は来る前よりもずっと、日本という国が好きになっている。そして、NZでの生活から得られたもう一つの大きな価値は、「ゆとり」だ。日本に住んでいると、いつも自分に精一杯で、すぐ忘れてしまいがちな「心のゆとり」を、いつもあせらず、のんびり、自分の時間や生活を大事にするNZの人々の生活から学んだ気がする。「ゆとり」があるから人に優しくできる。リラックスできる。物事を楽しめる。マイペースでいられる。何よりも、1年間のそういう「ゆとり」の生活の中で、私自身が癒されていったのだと思う。「こんな風にも生活できるんだ」、ということを知ったことが、私の中で大きな価値だったように思う。日本に帰ってきたこれからも、また忙しい生活に戻ったとしても、できるだけ、こういうNZの大らかな気持ちを忘れたくない。人を受け入れられる、人に優しくできる、そして自分自身を大事にすることを、忘れないで生きていきたいと思う。もし、また辛くなったら、NZに帰ってしまうかも!でも、そんな風に、もう一つの「帰りたい」と思える場所ができたことも、自分としては、なんだかとってもうれしい。いつも、長い長いと言われる私の文章、やっぱり最後まで長くなってしまった・・・・。でも、いつも伝えたいことがたくさんあったのです。まだまだ書ききれないくらいのたくさんの感動が、この1年にはありました。帰ってきてからは、日本の懐かしさにひたりながらも、NZの景色が懐かしく、「ロード・オブ・ザ・リング」を全編見返してしまったり、(総10時間!)、NZを思い出したくて、いつも音楽は日本の曲よりもNZで聞いていた音楽を聴き続けていた。向こうで1年間ずっと使っていた目覚まし時計も、今だ、NZの時間にセットされたままで、なぜかずっと戻せずにいる。。。今これから、どうやって生きていくか、今の自分で何をしていけるのか、ゆっくりと考えているところです。少しずつ、未来に向けて動き出してもいます。このNZでの体験を無駄にしないで、、、なんてことは言う必要もないくらい、既に、この一年は私に大きな自信を与えてくれたように思います。そろそろ、時計の時間も、直す時が来たかもしれないですね・・・・(水戸の桜です。まだ少しだけ残っていました・・・)
2007.04.28
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12日間のJapan Trip 最後の日は、宿泊先のある上野、アメ横でのショッピング (また買い物・・・・・)私は、お昼頃に合流したが、そのときには既に、みんな大量の買い物袋を抱えていた。ジャケット、Tシャツ、時計、そして・・・忍者ブーツ・・・・(何に使うの・・・!?)定食屋でみんなと最後のランチをし、その後、成田へ行く電車に乗る彼らを、上野駅で見送った。1年間、NZで一緒に過ごした生徒たちやK先生とも、これで本当に最後のお別れ。私と「NZ」とも、本当に最後のお別れ。とても、とても、胸がキュンとなりました。でも、誰もが、「最高に楽しかった!」「また絶対にいつか日本に来たい!」と言ってくれて、私も、「その時に、また会おうね!」と笑顔で、彼らを見送ることができた。時間があったら、もっともっと、「日本」の感想も色々聞きたかった。でもとにかく、この12日間、彼らの人生の中でも、本当に、大きな大きな貴重な体験ができたことは間違いない。できれば、NZに帰って、その体験を、今回来たくても来れなかった生徒、いつか日本に来たいと思っている生徒たちに伝えてほしい。教室で勉強するだけでは決してわからない、彼らの見たそのままの「日本」という国を、伝えてほしい。そして、本当にいつの日か、少し日本語が上手になって、またこの国に来た彼らと再会することができたら、こんな素敵なことはないと思う。
2007.04.19
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東京観光の目玉の一つ、ディズニーランドへ生徒たちと行った。今日はあいにくの天気で、朝から曇り空で午後には雨も降り出した。気温もかなり低くて、冬のような寒さだった。生徒たちと一緒に、と言っても、朝は入場とともに、すぐに自由行動。2,3人のそれぞれのグループで、結局夕方まで好きに周らせることにした。ので、私はK先生と2人行動。久しぶりのディズニーランドを2人でのんびりと満喫した。天気のせいもあって、普通の時に比べたらすごくすいていたので、ファストパスなんて必要ないくらい、どのアトラクションもスムーズに乗ることができた。ディズニーランドと言えば、開園と同時に入り、閉園までいるのが当たり前(私としては)。でも、この日は雨と寒さで生徒たちも結構疲れていて、6時頃には、もう十分楽しんだということで帰途に着いた。「どうだった?」と聞くと、「楽しかった」とは言っていたが、高校生の彼ら(特に男の子)にとっては、実際のところ、かわいいミッキーやプーさんっていうよりも、やっぱり「ビッグサンダーマウンテン」や「スプラッシュマウンテン」などスリルコースター系の方が刺激的だったみたい(あいにくスペースマウンテンは工事中。。。)。あまりそういうアトラクションは少ないディズニーランドは、もしかしたらちょっとだけ物足りなく感じたかもしれない。でも、普通の遊園地自体がほとんど存在しないNZという国から来た彼らには、すべてが良い体験だったはず!そして、この日の夕飯時、ちょっとおもしろいことが・・・・・。帰り道、東京駅のレストラン街で食べた。集合場所を決めて、それぞれ好きなお店に入って食べたのだが、鶏肉のどんぶりのお店に「きじ焼き丼」というメニューがあった。これを見つけた生徒たちが「これってどういうの?」とK先生に聞いてきたそうだ。(その会話をその時私は聞いてなかった。)「きじ焼き」とは、決して「きじ」の肉ではなく、要は鶏の照り焼きみたいなもののことを「きじ焼き」と呼ぶことを、私自身は、何となくだが知っていた。でも、NZ在住8年のK先生は、そんなマイナーな日本語は当然知らない。「Mountain Birdの一種だよ」とその生徒に答えてしまったらしい。それを聞いた生徒たちは、「Mountain Bird!なんか美味しそう!僕それ食べる!」と大興奮!すっかりそれを本当の「きじ」の肉だと思って注文していた。。。次の日の昼食の時も、「昨日のMountain Birdの肉は美味しかった!」とうれしそうに話していて、真実を知ったK先生と「どうする?教えるべき?」と横でコソコソと相談したが、結局最後まで本当のことは教えず、彼らには、あれは「きじ」の肉だということで通すことにした。。。日本の間違った知識を教えてしまった。。。でも、どうせ「きじ」なんて言葉すぐに忘れちゃうだろうし、まあいっか。(調べたら、実際、昔はきじの肉だったそうですね)「日本で、美味しいMountain Birdの肉を食べた」ってことだけは、いつまでも覚えていそうだけど・・・・
2007.04.18
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2日間のホームステイと、日本の高校への訪問を終えて、彼らと渋谷で再会した。ホームステイ体験は、とっても良かったようで、家族にどこかへ連れいってもらったり、美味しいものを食べたり、あれやこれやと、日本の家族にもてなされたそうだ。赤羽にある私立の高校への訪問は、写真を見せてもらったが、みんな日本の高校生たちの注目の的で、「写真を一緒にとってください」と迫られ、すっかりアイドルなみ。特別授業として、書道、茶道なんかも体験させてもらったようで、みんなその学校が大好きになったみたいだった。そして、この日。K先生とは、お台場とか東京湾のクルーズとか、何か東京観光に連れて行こうかと計画していたのだが、天気はあいにくの雨。そして、生徒たちは、観光には大して興味を見せず、先日の吉祥寺での1日買い物では飽き足らずまだまだ買い物がしたい!ということで、K先生が、これもみんながすごく行きたがっていた秋葉原に連れて行った後午後は若者の町渋谷を探索することにした。私はハチ公前でみんなと待ち合わせ。そしてとりあえずは、そこでみんなで記念撮影。(ずっと小さい頃から来ている慣れ親しんだ渋谷の街。でもハチ公で写真を撮るなんて、実に生まれて初めてかも!)今の季節、日本各地から制服を着た修学旅行生がたくさんきていて、私たちの生徒は、その子たちに「一緒に写真とってください!」と、またもやせがまれていた。外国人が多くなった今とは言え、やっぱり、物珍しいんでしょうねえ。。。まずは、渋谷のメインプレイス(?)、109へ彼らを連れていった。そこからは2時間ほどの自由行動。女の子は、さっそく109の中へ。男の子たちは、フラフラと渋谷の町に飛び出していった。私とK先生はと言えば、、、することもないので、カフェを見つけてお茶してました。。。(自由行動の時間は、大体ずっと二人はこんな感じでした。)2時間後、買い物好きな一人の女の子は、またもや手に買い物袋をいっぱい抱えて戻ってきた。ほんとに、いくら持ってきたんだろうというくらい良く買う。この日は、帽子、バッグ、化粧ボックス、アクセサリー、秋葉原ではヘッドホン、(前の日はコート)、と、一体、どうやって持って帰るんでしょうねえ・・・その後は、吉祥寺で行けなかった「カラオケボックス」を初体験!最初はみんなおとなしかったけど、私とK先生が歌い始めたら、少しずつその気になってきたようで、一番おとなしい女の子2人組を除いては、結局全員が、マイクを握って、何曲か歌った。はっきり言って、歌になってないような歌もあったけど(^ ^;)、みんなふざけあって、とっても楽しそうに歌っていて、なかなかおもしろい体験ができたと思います。カラオケの後でHMVにも連れて行ったのだが、記念にと、日本人のCDを買っている子もいた。夕飯は、回転寿司に行こうかと思ったのだが、思ったほど、魚以外のネタのすしがなかったので(サラダとか肉ののってるやつ)、生魚の食べれない彼らにはやっぱりちょっと厳しいということで、結局、普通のファミレスに落ち着いた。天気は、悪く、まるで冬のような寒さの今日だったけど、渋谷の、異常な人の多さや、騒々しさに、ひるみもせず、日本の「若者の街」を満喫できたようで、良かったです。(でも、まだまだ買い物はしたいみたいだけど・・・)
2007.04.17
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このブログは、もう少し続きます。というのも、今、NZのケンブリッジ高校から日本語のK先生と7人の生徒たちが、日本に修学旅行に来ているのです。私がNZを発った前日に彼らは発ち、関西に入り、広島、宮島、姫路、京都、奈良、と周った後、2日前に東京に来たところ。東京での数日の観光に、私もジョインさせてもらうことになっている。今日は1日自由行動で、吉祥寺に行くことに。(旅行者を連れて行くにはなんてマイナー・・・実は私も行ったことがない街なのです。。。)とにかく、彼らが買い物がゆっくりしたいということで、K先生のお気に入りの町で、大きすぎず、小さすぎず、彼らが買い物するにはちょうど良い、ということで、吉祥寺になったわけだ。午前中、待ち合わせの吉祥寺の駅に着いてみると、おそろいの空色のキャップをかぶって、周りの人たちと比べ頭1つ突き出ている集団が、駅のコンビニの中を、ウロウロ。一見、どこかの怪しい宗教団体かと思ったが、それは紛れもなく、ケンブリッジ高校の生徒たちだった!この帽子は、来る前にグループの目印にと特注で作ったもので、日本の桜とNZのシンボル、シダの葉がプリントされているなかなか良い帽子なのだが、全員でかぶっているとさすがに目立つ!ただでさえ、日本にいるとデカい彼らなのに・・・チョコレートをほおばりながら、コンビニから出てきた彼らと再会!K先生とも1週間ぶりの再会。元々、おとなしい生徒ばかりなので、その雰囲気は相変わらずだったが、みんな、日本旅行は満喫している様子で、「すごく楽しい!」と満面の笑顔だった。特に、京都がみんな気に入ったようだった。この1週間で、日本にもずいぶん慣れたようで、自由時間を与えれば、もう自分たちで好きに動き回り、自分たちで買い物もちゃんとできるし、レストランにも自分たちで入ることができる。日本語をとっているとはいえ、実際彼らが話せるのは、簡単なあいさつ程度。でも、この旅行の為に覚えた、単語やフレーズも、一生懸命使おうとしていた。レストランでは、ちゃんと「~にします」なんて言ってるし、私が英語で話しかけても、「おいしかったです」「たかいです」とか、限られた自分たちの知っている言葉を、とにかく使おうと努力している姿に、なんだか感動した。日本にいるというだけで、自然と、日本語を使わなくてはという意識が出てくるようだ。私が英語を学ぶ為にNZに住みに行ったように、語学で必要なことって、やっぱりこういうことなんだなと、改めて思った。教室の中だけでは絶対にできない、とっても貴重な体験を、今彼らはしているんだと思う。午後には、去年ケンブリッジ高校に留学していて、今は日本に帰ってきている女の子も合流し、彼女に連れられて、みんなでプリクラも初体験!ほんとは、カラオケにも行くはずだったが、もっと買い物がしたい!とみんなの買い物欲は尽きず、結局1日買い物になった。服やら時計やら帽子やらおみやげやら、中には、どんどん買い物袋が増えて、山のような荷物になっている子もいた。電気屋さんでは、「新宿のビックカメラより100円安い!」と言って、「i-Pod」を3人の生徒が購入していた。(NZで買うと、同じものが1万円近く高いそうだ。)何がびっくりって、みんなよく食べる!昼食は好き好きなお店に、夜は大戸屋で食べたのだが、それ以外にも、アイスクリーム、パン、チョコレート、クレープ、と、何か食べ物を見つければ走っていく。15,16才と、食べ盛りの年とはいえ、やっぱりNZ人って1日何か食べてる・・・・でも、日本語のメニューしかないそのクレープ屋でも、何だかんだと自分たちで注文し、それぞれの食べたいものをちゃんとゲットできていたり、それを待っていた男の子は、目の前にあったゲームセンターにスーッと入っていき、勝手に日本のゲームを楽しんでいたりと、いやーやっぱり若い子って、順応性が高いですね。こんな言葉の通じない世界で、見たこともないお金で、しかも、ほとんどが海外初体験にも関わらず、ものおじもせず、堂々とやっていけている。そのことに、一番驚きました。。。
2007.04.15
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とういわけで、1年ぶりに日本に帰ってきた。まず、成田に着いて感動したこと。「あー周りが全部日本語だ~」成田までは母親が迎えに来ていてくれて、横浜の家まで、重い荷物を運ぶのを手伝ってくれた。久しぶりのすごい人ごみ。でも意外に、1年前空港へ向けて同じ道をたどったのが、昨日のことのようにも思えた。家に着き、部屋に一歩入って思ったこと。「天井がひくい!」天井だけでなく、テーブル、椅子、流し台それらが全てものすごく低い!トイレも狭いし、冷蔵庫も何もかも全てが小さく感じ、とにかく、自分がものすごい巨人になったかのように感じた。大げさじゃなく、ほんとにガリバーような気分だった。元々私よりもずっと背が低い母親が、さらに小さく感じ、後日会った友達さえ、なんだかすごくすごく小さく見えた。耳が慣れるとの同じように、私の目はすっかりニュージーランドの景色に慣れてしまったのだ!大きな家、広い空間、自分よりもずっと大きな人々、そんなのに囲まれて暮らしていた1年は、すっかり私の感覚をNZ化してしまったようだ。そして、電気の位置、物のある位置、自分の家だったら無意識に体が覚えているはずの行動も、1年のホームステイ生活で、びっくりするほど忘れている。携帯電話も帰国した日にすぐ復活させた、が・・・すっかり使い方を忘れている。。。(3,4日してやっと指が思い出してきました)外に出れば、何車線もある道路を走るたくさんの車に驚き、思わずきょろきょろとしてしまった。デパートに行けば、あふれんばかりの物。これがちょっとした感動だった。NZは、物が本当に少ない国なので、安いものを買えば品質が悪いしバリエーションもない。ちょっと良いものを買おうと思ったら結構高かかったりする(いずれにしても店の種類もバリエーションも少ない)。でも、久しぶりに日本のお店をのぞいてみると、多くの店が立ち並び、服も靴も小物も、全てのものが、それほど高くない値段で、センスや品質の良いものがたくさん並んでいる。(100円ショップは良い例)日本は物価が高い高いと言われるけれど、こういう部分ではNZよりよっぽど安くてよいものが買えると、改めて思った。NZでの質素な生活から、こういう世界を見たら、それは夢のような世界だった。なんだか、すっかり自分が海外からの旅行者になったような気分で、思わずワクワクしてしまった。感動は他にもたくさん。インターネットが自由にいつでも使える!しかも早い!(NZでは電話回線だったんで9時以降しか使えず、めちゃくちゃ遅かった・・・)好きなものが食べれる。テレビが自由に見れる。お風呂も自由な時間に入れる。「自分のもの」が周りにたくさんある幸せ。やっぱり向こうではホームステイを1年していたので、我慢しなくちゃいけないことがたくさんあったんですよね。人の家だしね。限られたものの中で。そういう意味でも、やっぱり自分の家はいい!ここ数日食べた日本食で、一番美味しく感動したのは、白いご飯、味噌汁、焼き魚、納豆、漬物、そしてお茶のメニュー。ほんとに、涙が出そうなくらい美味しかったです。そして、友達と再会した時、居酒屋で飲んだ日本のビールも、もー最高!やっぱり日本のビールは、このコクとキレですよね!とにかく、帰国して5日。日々カルチャーショックのようなことが続き、まだ、少し頭がボーッとして、変な感じがする。現実の世界じゃないような、それとも、NZでの1年が夢だったような、とても不思議な感じです。。。それほど、NZと日本って、本当に、社会も人も文化も食べ物も空気も、見るもの聞くもの全てが、全然違う世界なんですよね。そんなことを、改めて実感しています・・・・
2007.04.13
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NZを後にし、日本に帰るまでには、一晩韓国のソウルに一泊しなければいけなかった。初めて乗る大韓航空。乗ってるのはほとんどアジア系(韓国人か日本人)個別の席にテレビが着いていず、大画面しかない状態での12時間のフライトは、かなり退屈できつかった・・・。(映画たくさん見ようと思ってたのにい~!)でも、ちょっと楽しみだったのが、機内食。キムチが出ると聞いたことがあったので、本当だろうかと、興味深々だった。まずは、ランチが出された。出たー「ビビンパ」!パンと肉のメニューも選べたが、せっかくなので当然ビビンパをトライ。具とご飯、ソースは分かれていて、好みでそれらを混ぜて食べる。まあ、味はそんなに悪くはなかったっけど、やっぱり辛い!!半分くらいしか食べれなかった。そして、数時間後には夕食。でも、こちらは普通の洋食だった。な~んだと思ったら、次の日、ソウルから成田へのフライトでの朝食(か昼食)には「キムチ」が、出ました!!(NZでの旅行中、韓国人もたくさん見かけたけど、ほんとに彼ら、朝ごはんからキムチ食べるんだよね。)白菜じゃなく、大根のだったけど。やっぱりこれも、かなり辛かった。。。水をたくさん飲まなくちゃいけなくなり、トイレのあまり行けない飛行機で、このメニューはどうなんでしょう?と、ちょっと思いました。。。。隣の席には韓国人のおじさんが座っていて、色々と話した。小学生の子供二人と奥さんが、オークランドに住んでいて、休みで会いに行ってきた帰りだったそうだ。何と、子供たちの英語の勉強のために、3人を2年間の限定で、NZに住まわせている。韓国人の親の教育熱心さは、日本のそれ以上で、親が子どもの留学について来て、その期間一緒に住むということは、彼らにとっては珍しいことではない。でも本当に、すごいですね。それだけの為に自分以外の家族を全員、数年間外国に住まわせるなんて。。。帰りに、おじさんは名刺をくれて、「もしソウルに遊びに来たら案内してあげるよ。」と言ってくれた。韓国のインチョン空港に着いたのは夜の8時過ぎ。今日自分がどこに泊まるのかもまだ何もわからないまま、大韓航空のカウンターに行くと、私と明日同じ飛行機に乗り換えて日本へ向かう数人の旅行者が既にいて、大して説明もなく、流れのままに、みんなバンに乗せられ、今晩泊まるホテルへ連れて行かれた。ホテルは空港から15分ほどかかった。韓国に来るのは初めて。外はもう真っ暗だったが、バンの中から興味深く外の様子を眺めた。当たり前だが本当に、全て「ハングル文字」!NZにも韓国人はたくさんいたし、ハングル文字自体は結構見慣れていたはずなのに、頭ではわかっていても、本当に町の中が全部ハングル文字だと、その景色はかなりおもしろい!そして、目に入ってきたのは、いくつかのネオンの着いた「ホテル」で、しかもその文字の横には温泉マークがある。前に、韓国に旅行した友達が、韓国のホテルで温泉マークがついているのは全部ラブホテルなんだよと言っていたのを聞いたことがある。「ほんとに、温泉マークだ~!」と感動し、つまり、その辺一帯は、どうもラブホテル街だったようだ。それに加え、あまり人気のない、カラフルな電飾のある屋台や飲食店が立ち並ぶ中を通り抜け、なんだか不思議の世界に迷い込んだような雰囲気の中、このバス一体どこに連れて行かれるんだろうと、不安半分、笑い半分の気持ちだった。そして、着いたホテルでは、流暢(?)な日本語で、レセプションの人が迎えてくれた。でも、あやしい色の光の廊下、部屋の雰囲気もなんとなーく怪しく、もしかしてここも元は・・・なんて思ってしまった。(これが韓国の普通のホテルだったらごめんなさい)部屋のテレビには、NHKが映り、1年ぶりに日本のテレビを見ることができた。(でも、ちょうど統一地方選挙の速報の時で、番組はずーっとそれ。石原さんの顔を見ていてもつまらないので、ペ・ヨジュンの映画をやっていたので、そちらを見た。どっちもどっち!?)朝食券もちゃんとついていて、翌朝1階のラウンジに行くと、一人一人ちゃんと朝食が準備されていて、大画面では再びNHKが流れていた。。。7時には、空港へのピックアップのバスがまた迎えに来て、私たちを送ってくれた。そしてついに、9時には日本へ向かう飛行機に乗り込み、なんだか全てがとても不思議な体験だった、つかの間の韓国の滞在も終わった。この頃には、NZを発った時の感慨もどこへやら。やっぱり、顔はみな同じでも、そこは紛れもなく「外国」。それなりの緊張がありました。。。すごいことは、とにかく、韓国の人たちは、カタコトでも、みんな日本語が話せる。飛行機を含め韓国にいる間は、いつも、英語で話せばいいのか日本語でいいのか、話す時いちいち混乱しました。 (ホテルから撮った写真)
2007.04.09
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日曜日、ホストファミリーが車でオークランド空港まで送ってくれた。本当にこれまで全然、「帰国する」という実感がわいてなかったのだが、空港に近づいてきて、飛び立つ飛行機を目にし始めた途端、急に、実感としてわいてきた。近づいてくる「ホストファミリーとの別れ」、そして「NZとの別れ」が急に現実のものとなって胸に迫ってきた。思わず涙が出そうになったが、そこではこらえた。空港に着いて、チェックインを済ませ、1時間ほど時間があったので、みんなでお土産やさんをみたり、カフェでモーニングティーをとり、いつものように、楽しく冗談を言い合い、写真をとったりしながら、笑って最後の時間を過ごした。そして、ついに「別れ」の時。涙はこの家族には似合わない。家族みんなとハグし合い、それでも私はなるべく笑顔でいようとした。でも、、、ホストマザーの目に涙が浮かんでるのを見た瞬間、ずっとこらえてきたものが、一気にこみあげてきた。一度そうなったら、もう止まらない。もう何も言えず、ただ泣きながら、「もう行くね」と言って、足早に、ゲートをくぐった。中に入ってからも、なかなか涙をとめることができませんでした。。。。でも、実はその後が、ちょっとまぬけだった。出国審査を受けようとしたら、空港税をまだ払ってないことに気づき、再び、さっき入ってきたゲートを出て、それを払いにいかなくてはいけなかったのだ。もう、ホストファミリーはそこにはいなかったけど、涙と鼻水でなんだかもうぐちゃぐちゃな顔で、何やってるかわからずいつまでもその辺をウロウロとし続けていて、空港の人にも「大丈夫?」と心配され、かなりアホっぽかった。。。ホストファミリーはといえば、私と別れたその後、飛行機の見えるデッキから、私の乗った飛行機を、最後まで見送ってくれたそうだ。離陸の瞬間は、「さみしさ」「悲しさ」1年間の色々な思いが沸き起こり、再び、涙がとめどなくあふれ出た。1年間という時間、思いを整理するには、あまりにも短い「別れ」の時でした。
2007.04.08
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今日は、午前中、日本へ送る荷物を郵便局へもって行き、(たった小さな箱一つなのに、重いせいか、何と船便にもかかわらず、190$もした!)これで、ケンブリッジの町とも最後。そして、前のホストマザー、今ではNZの大事な友達の一人マリリンとも、お別れをしてきました。夜は、ホストファミリーと最後のディナー。最後に、みんなが大好きだった、お好み焼きを作ってあげました。(いつものごとく、すごい量だけど、みんなでペロリ)お礼のプレゼントに、ホストファザーとマザーには、NZ名産のパウア貝の入った鉢植え。息子のミッチェルには、最後まで悩んだ結果、ケンブリッジに唯一ある若者のお店で買ったTシャツをプレゼントした。(どんなのを買っていいのか、全くノーアイデアで、店員さんに選んでもらった。男の子のプレゼントは難しい!!)そして、これまで撮った写真を、手作りのアルバムにしてプレゼントした。みんな、どれも気にいってくれたようで良かったです。冗談のコメントを入れながら作ったアルバムには、みんな大うけだった(大成功!)そしてついに、明日には、たくさんの思い出と、おみやげと、増えた体の「お肉」(1年で8kg!)を抱えて、NZを発つ。ソウルで1泊しないといけないので、日本へはあさっての着。オークランド空港までは、ホストファミリーが、朝早くなのに2時間もかけて、車で送ってくれる。この1週間で、たくさんの人と、お別れをした。でも、不思議だけど、誰にしても、また絶対にいつか会えるような気がして、涙は出ても、一生のお別れ、という感じがしない。今だけの別れという感じがする・・・きっと、いつかまた私はNZに戻ってくるんだろうと思う。いずれにしても、とにかく、バタバタと忙しかった日々で、正直、全然感慨にひたっている暇もなく、1年のNZ生活を振り返るのは、日本に帰ってからになりそうです。それに、帰ったらさっそく、SchoolTripで今頃は日本に一足先に着いているであろう、日本語のK先生と、7人のケンブリッジ高校の生徒たちと、東京で再会することになっている。なんだか、不思議な感じ!でも、とっても楽しみです。もうすぐ、このブログも終わりになるけど、とりあえず、この続きの日記は、日本で、ということになります・・・・
2007.04.07
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今週は、ほんとにバタバタと忙しく過ぎていってしまった。毎日が、色々な人たちとの別れで、やっぱり、「さよなら」を言う時は、泣いてしまう。エクスチェンジレッスンをしていた、南アフリカ人の友達Wandaとその家族との別れは、ほんとに辛かった。いつもは彼女の家に訪問するのだが、今回は小さな彼女の息子が病気になってしまったので、最後に二人でゆっくりと、外で食事をしに行った。今までにしたことのない、お互いの人生の深い話をすることができて、お互いにその思いを共感しあい、涙を流した。スーパーの掲示板に張った、たった一枚のメモが、こんな素敵な出会いをもたらしてくれたことに、感謝します。学校最後の2日間は、各クラスごとで私のフェアウェルパーティーをひらいてくれた。お菓子やジュースをもちより、数人の生徒は手作りのケーキを持ってきたり、お母さんが作ってくれたお菓子をもってきくれた。おしゃべりしたり、写真を撮ったり、私がNZに来る時もってきていた日本の写真を、大画面で見せたりして、みんなで楽しんだ。一番上の、12年生と13年生の合同クラスでは、お好み焼きパーティーをやった。日本人の留学生の生徒たちがよく手伝ってくれて、みんな初めて食べる「お好み焼き」にうれしそうだった。そして、全てのクラスで、生徒の寄せ書きがされたカードをもらった。最初のクラスのパーティーでそれをもらった時は、全く予期していなかったことなので、思わず感動して泣いてしまい、その後のスピーチはめちゃくちゃになってしまった。。。でも次のクラスからは、なんとか泣かないようにこらえた。これらのカードも、大切な日本へのおみやげとなりました。日本語をとってる子たちは、上の学年になればなるほど、みんな、日本に行きたいと思っている子がたくさんいる。そして、実際、交換留学や短期留学、ホームステイ、そして今週K先生が7人の生徒を連れて行く修学旅行(?)など、彼らには、結構たくさんの日本へ行くチャンスが、毎年ころがっている。だから、きっと、生徒の誰かしらとはまた日本でいつか会えると、信じている。あー、みんな、ほんとうに、ほんとうに、いい子たちでした・・・たくさんの思い出をありがとう。
2007.04.06
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学校で、生徒によって行われる劇を見に行った。年に1回この時期行われるもので、毎年オーディションをやって、配役を選び、「ドラマ」や「音楽」の先生たちの指導のもと、2ヶ月くらいの間で、練習をして、3日間公演する。普通の劇かと思っていたら、「ミュージカル」だった!こちらでは、学校でこういう「ミュージカル」をやるのは普通のことらしく、しかも、その質の高さに驚いた。歌も、ソロがたくさんあったり、プロのダンサーさながらのダンスグループがいたりと、本当にすごかった。そして、やっぱりこっちの子って、元々表現力が豊かだし、日本人のように恥ずかしがることがないので、日本の、文化祭や学芸会で見るような学生の劇とは、ほんとうに全然違った。上手い、下手以前に、一人一人の、その表現力やパワフルさに、圧倒された。衣装や、舞台装置もこっていて、ほんとに、お金を出して見る価値のある、すばらしい舞台でした。(先生は、タダだったけど...)
2007.04.03
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ついに、帰国1週間前となった。先週から、小学校訪問したり、他の学校の日本語の先生のお手伝いをしたり、友達の家に日本食を作りに行ったり、バタバタと忙しく、恐らく最後の1週間も、学校の授業を含め、夜は色々と食事誘っていただいたり、学校の劇を見に行ったり、あっという間に忙しく過ぎていってしまいそうだ。それらに加え、最近は日本へのおみやげや、こちらの人へのお礼のプレゼントに、ずっと頭を悩ましていたが、とりあえずは一通り、そろった。銀行も解約し、こちらの人たちにあげる写真も全部現像し、いらない服や靴はセカンドハンドショップに持っていき、人から借りていたものを、それぞれの人たちに返し、少しずつ部屋を整理しながら、この週末、やっとパッキングにとりかかることができた。そんなわけで、バタバタしているせいか、日本に帰る、という実感が、実際のところ今だにあまりわいていない。。。それでも、現実は確かに、少しずつ人々との「別れ」が始まっている。今週末は、町の本屋さんへ、最後のピアノを弾きに行った。そして、おばあさんのところに通っていた英語も、ラストレッスン。「これで最後」「もう会えない」そう一瞬でも思ったら、簡単に涙は出てきてしまう。1年間の思いは、濃く、たくさんありすぎて、それらを全て思い返してしまったら、たぶん、涙はいくらあっても足りないと思う。でも、この先も、できるだけ笑顔でお別れしたい。生徒との別れも、泣くのはすごく簡単。でも、できるだけ、笑顔でお別れできたらいいなと思う。
2007.04.01
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