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帰国して3週間近くがたった。NZの生徒たちの日本旅行に同行したり、水戸、仙台と、家族や友達を訪ねる旅を1週間ほどしてきて、なんだかバタバタとあっという間に過ぎてしまった。その中で、多くの友達と再会したり、色々な風景を見たり、街中へ出かけたり、色々なものを食べたりして、少しずつ少しずつ、日本に帰ってきたんだなあ、ということを実感してきている。(食べ物に関しては、何を食べても美味しく、日々今だ感動が続いています・・・)仙台への旅の途中、新幹線の窓越しに見えた、田んぼ、畑、山などの日本の風景は、本当に懐かしい思いがして、「あ~日本なんだなあ」と感慨深かった。1年間のNZでの生活を綴ってきたこのブログも、一旦終わりにしたいと思っているが、その前に、少し、まとめみたいなものを書いておきたかった。今こうして日本にいると、あのNZでの1年間は、なんだか夢の中の世界だったようにも思う。でも、あきらかに何かが自分の中で変わった。見るもの、聞くもの、会う人、全てに対する意識が何か一年前とは違う。全てが新鮮に感じ、感謝の気持ちを抱くことができる。この1年間は、自分にとって何だったのか。NZという国が私に与えてくれたものは何だったのか。今、感じることはとにかく、この1年の体験は私の人生の中でも本当に大きな体験で、私自身の気持ちの中の色々な部分を変えたということ。価値観人間観世界観 そして 自分自身の人生観NZに行く前までの私の人生は、結構、いろいろ大変だった。そこから飛び出すようにして、NZへ旅立った時は、今の私なんて全く想像していなかった。本当に、何もわからないまま、想像すらできないまま、異国の地での生活を始めた。この1年を、もし簡単な言葉で表すとしたら、「感謝」「忍耐」「努力」だったような気がする。そして、それらの上で得られたのが、最高の「感動」や「楽しさ」だったのだ。忍耐・努力、というのは、「言葉の壁」、「日本語教師アシスタントとしての生活」に対してだが、海外で生活する、ということの大変さを、特に最初の半年間は思い知った。帰りたいと思ったことはないけれど、体調にも顕著に現れていたし、今思えば、結構辛かったと思う。1年に及ぶホームステイも、30を過ぎてる身としては、やっぱり若い時とは違って、色々と我慢しなければいけないことも多く、実はストレスのたまることも少なくはなかった。でも、日本にいる時と違って頼れるものは何もない、誰もいない状況の中で、いつでも全ての問題は自分自身で解決していくしかなかった。生活を楽しくするのも、落ち込んで終わるのも、全てが自分次第だったと思う。言葉の不自由な世界では、逆に、真正面から人にぶつかっていかないと、何も通じない、自分の思いも決してわかってはもらえない。だから、日本にいれば、なんとなく「わかってくれるだろう」で済ませたり、あきらめてしまうことでも、私はできるだけ、自分の思いを素直にぶつけようとした。それで、泣いてしまったこともしばしば。でも、そういう時、必ずみんなわかってくれた。ちゃんと話を聞いてくれたし、それでお互い誤解なく、きちんと理解し合うことができたのだ。きっと、NZという特別な空間と時間の中だからこそ、そんな風に私はいつも正直でいられたのかもしれないが、これは、本当は、どんな場面でも人間同士の関係においては大切なこと。こういう体験から自分自身が学んだことも、大きいように思う。同時に、1年もの間、そんな見知らぬ国でやってこれたのは、ホストファミリーをはじめ、周りの人々のおかげだったことも事実だ。もし周りの人の手助けがなければ私は何もできなかった。頼れるもののない状況の中で、小さな人の優しさ、親切が、これほどうれしく、暖かく感じたことはこれまでにない。いつも、「人」に助けられた。そういう時、日本に帰った後、自分が受けたこういう優しさや恩を私も他の人に返していきたいと、本当に心から思った。そういう意味で、この1年にNZで関わった全ての人に、とても感謝をしている。NZでの「感動」や「楽しさ」は、これまでブログに書いてきたことが全てだ。学校、ホームステイ、一人旅、そして色々な人との出会い。全てが新しい体験で、驚きや感動の連続だった。いつも、もがきながらも、それらの体験は少しずつ私を大きくしてくれた。英語ができるということは、こんなにも世界が広がるんだということも、実感した。NZに限らず国が違うと、生活習慣、社会のシステム、あらゆる価値観が違う。そういうものを知った上で日本という国を外から見たことは、自分自身の価値観、物事の考え方を大きく変化させた。そう、「日本」という国を、こんな風に外側から見たことも、私の人生で初めてのことだった。特に、教育の場にいたので、日本という国について、人に伝える為には、私自身が色々と考え、改めて気づかされることが、日々たくさんあった。「日本」という国の良さ、問題、不思議さ、NZとは全く異なった自分の国の「おもしろさ」を初めて知ることができたのだ。そして、良さも悪さも全部をひっくるめて、自分が紛れもなく「日本人」であることも心底から実感し、それを、誇りに思えるようになった。今、私は来る前よりもずっと、日本という国が好きになっている。そして、NZでの生活から得られたもう一つの大きな価値は、「ゆとり」だ。日本に住んでいると、いつも自分に精一杯で、すぐ忘れてしまいがちな「心のゆとり」を、いつもあせらず、のんびり、自分の時間や生活を大事にするNZの人々の生活から学んだ気がする。「ゆとり」があるから人に優しくできる。リラックスできる。物事を楽しめる。マイペースでいられる。何よりも、1年間のそういう「ゆとり」の生活の中で、私自身が癒されていったのだと思う。「こんな風にも生活できるんだ」、ということを知ったことが、私の中で大きな価値だったように思う。日本に帰ってきたこれからも、また忙しい生活に戻ったとしても、できるだけ、こういうNZの大らかな気持ちを忘れたくない。人を受け入れられる、人に優しくできる、そして自分自身を大事にすることを、忘れないで生きていきたいと思う。もし、また辛くなったら、NZに帰ってしまうかも!でも、そんな風に、もう一つの「帰りたい」と思える場所ができたことも、自分としては、なんだかとってもうれしい。いつも、長い長いと言われる私の文章、やっぱり最後まで長くなってしまった・・・・。でも、いつも伝えたいことがたくさんあったのです。まだまだ書ききれないくらいのたくさんの感動が、この1年にはありました。帰ってきてからは、日本の懐かしさにひたりながらも、NZの景色が懐かしく、「ロード・オブ・ザ・リング」を全編見返してしまったり、(総10時間!)、NZを思い出したくて、いつも音楽は日本の曲よりもNZで聞いていた音楽を聴き続けていた。向こうで1年間ずっと使っていた目覚まし時計も、今だ、NZの時間にセットされたままで、なぜかずっと戻せずにいる。。。今これから、どうやって生きていくか、今の自分で何をしていけるのか、ゆっくりと考えているところです。少しずつ、未来に向けて動き出してもいます。このNZでの体験を無駄にしないで、、、なんてことは言う必要もないくらい、既に、この一年は私に大きな自信を与えてくれたように思います。そろそろ、時計の時間も、直す時が来たかもしれないですね・・・・(水戸の桜です。まだ少しだけ残っていました・・・)
2007.04.28
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12日間のJapan Trip 最後の日は、宿泊先のある上野、アメ横でのショッピング (また買い物・・・・・)私は、お昼頃に合流したが、そのときには既に、みんな大量の買い物袋を抱えていた。ジャケット、Tシャツ、時計、そして・・・忍者ブーツ・・・・(何に使うの・・・!?)定食屋でみんなと最後のランチをし、その後、成田へ行く電車に乗る彼らを、上野駅で見送った。1年間、NZで一緒に過ごした生徒たちやK先生とも、これで本当に最後のお別れ。私と「NZ」とも、本当に最後のお別れ。とても、とても、胸がキュンとなりました。でも、誰もが、「最高に楽しかった!」「また絶対にいつか日本に来たい!」と言ってくれて、私も、「その時に、また会おうね!」と笑顔で、彼らを見送ることができた。時間があったら、もっともっと、「日本」の感想も色々聞きたかった。でもとにかく、この12日間、彼らの人生の中でも、本当に、大きな大きな貴重な体験ができたことは間違いない。できれば、NZに帰って、その体験を、今回来たくても来れなかった生徒、いつか日本に来たいと思っている生徒たちに伝えてほしい。教室で勉強するだけでは決してわからない、彼らの見たそのままの「日本」という国を、伝えてほしい。そして、本当にいつの日か、少し日本語が上手になって、またこの国に来た彼らと再会することができたら、こんな素敵なことはないと思う。
2007.04.19
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東京観光の目玉の一つ、ディズニーランドへ生徒たちと行った。今日はあいにくの天気で、朝から曇り空で午後には雨も降り出した。気温もかなり低くて、冬のような寒さだった。生徒たちと一緒に、と言っても、朝は入場とともに、すぐに自由行動。2,3人のそれぞれのグループで、結局夕方まで好きに周らせることにした。ので、私はK先生と2人行動。久しぶりのディズニーランドを2人でのんびりと満喫した。天気のせいもあって、普通の時に比べたらすごくすいていたので、ファストパスなんて必要ないくらい、どのアトラクションもスムーズに乗ることができた。ディズニーランドと言えば、開園と同時に入り、閉園までいるのが当たり前(私としては)。でも、この日は雨と寒さで生徒たちも結構疲れていて、6時頃には、もう十分楽しんだということで帰途に着いた。「どうだった?」と聞くと、「楽しかった」とは言っていたが、高校生の彼ら(特に男の子)にとっては、実際のところ、かわいいミッキーやプーさんっていうよりも、やっぱり「ビッグサンダーマウンテン」や「スプラッシュマウンテン」などスリルコースター系の方が刺激的だったみたい(あいにくスペースマウンテンは工事中。。。)。あまりそういうアトラクションは少ないディズニーランドは、もしかしたらちょっとだけ物足りなく感じたかもしれない。でも、普通の遊園地自体がほとんど存在しないNZという国から来た彼らには、すべてが良い体験だったはず!そして、この日の夕飯時、ちょっとおもしろいことが・・・・・。帰り道、東京駅のレストラン街で食べた。集合場所を決めて、それぞれ好きなお店に入って食べたのだが、鶏肉のどんぶりのお店に「きじ焼き丼」というメニューがあった。これを見つけた生徒たちが「これってどういうの?」とK先生に聞いてきたそうだ。(その会話をその時私は聞いてなかった。)「きじ焼き」とは、決して「きじ」の肉ではなく、要は鶏の照り焼きみたいなもののことを「きじ焼き」と呼ぶことを、私自身は、何となくだが知っていた。でも、NZ在住8年のK先生は、そんなマイナーな日本語は当然知らない。「Mountain Birdの一種だよ」とその生徒に答えてしまったらしい。それを聞いた生徒たちは、「Mountain Bird!なんか美味しそう!僕それ食べる!」と大興奮!すっかりそれを本当の「きじ」の肉だと思って注文していた。。。次の日の昼食の時も、「昨日のMountain Birdの肉は美味しかった!」とうれしそうに話していて、真実を知ったK先生と「どうする?教えるべき?」と横でコソコソと相談したが、結局最後まで本当のことは教えず、彼らには、あれは「きじ」の肉だということで通すことにした。。。日本の間違った知識を教えてしまった。。。でも、どうせ「きじ」なんて言葉すぐに忘れちゃうだろうし、まあいっか。(調べたら、実際、昔はきじの肉だったそうですね)「日本で、美味しいMountain Birdの肉を食べた」ってことだけは、いつまでも覚えていそうだけど・・・・
2007.04.18
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2日間のホームステイと、日本の高校への訪問を終えて、彼らと渋谷で再会した。ホームステイ体験は、とっても良かったようで、家族にどこかへ連れいってもらったり、美味しいものを食べたり、あれやこれやと、日本の家族にもてなされたそうだ。赤羽にある私立の高校への訪問は、写真を見せてもらったが、みんな日本の高校生たちの注目の的で、「写真を一緒にとってください」と迫られ、すっかりアイドルなみ。特別授業として、書道、茶道なんかも体験させてもらったようで、みんなその学校が大好きになったみたいだった。そして、この日。K先生とは、お台場とか東京湾のクルーズとか、何か東京観光に連れて行こうかと計画していたのだが、天気はあいにくの雨。そして、生徒たちは、観光には大して興味を見せず、先日の吉祥寺での1日買い物では飽き足らずまだまだ買い物がしたい!ということで、K先生が、これもみんながすごく行きたがっていた秋葉原に連れて行った後午後は若者の町渋谷を探索することにした。私はハチ公前でみんなと待ち合わせ。そしてとりあえずは、そこでみんなで記念撮影。(ずっと小さい頃から来ている慣れ親しんだ渋谷の街。でもハチ公で写真を撮るなんて、実に生まれて初めてかも!)今の季節、日本各地から制服を着た修学旅行生がたくさんきていて、私たちの生徒は、その子たちに「一緒に写真とってください!」と、またもやせがまれていた。外国人が多くなった今とは言え、やっぱり、物珍しいんでしょうねえ。。。まずは、渋谷のメインプレイス(?)、109へ彼らを連れていった。そこからは2時間ほどの自由行動。女の子は、さっそく109の中へ。男の子たちは、フラフラと渋谷の町に飛び出していった。私とK先生はと言えば、、、することもないので、カフェを見つけてお茶してました。。。(自由行動の時間は、大体ずっと二人はこんな感じでした。)2時間後、買い物好きな一人の女の子は、またもや手に買い物袋をいっぱい抱えて戻ってきた。ほんとに、いくら持ってきたんだろうというくらい良く買う。この日は、帽子、バッグ、化粧ボックス、アクセサリー、秋葉原ではヘッドホン、(前の日はコート)、と、一体、どうやって持って帰るんでしょうねえ・・・その後は、吉祥寺で行けなかった「カラオケボックス」を初体験!最初はみんなおとなしかったけど、私とK先生が歌い始めたら、少しずつその気になってきたようで、一番おとなしい女の子2人組を除いては、結局全員が、マイクを握って、何曲か歌った。はっきり言って、歌になってないような歌もあったけど(^ ^;)、みんなふざけあって、とっても楽しそうに歌っていて、なかなかおもしろい体験ができたと思います。カラオケの後でHMVにも連れて行ったのだが、記念にと、日本人のCDを買っている子もいた。夕飯は、回転寿司に行こうかと思ったのだが、思ったほど、魚以外のネタのすしがなかったので(サラダとか肉ののってるやつ)、生魚の食べれない彼らにはやっぱりちょっと厳しいということで、結局、普通のファミレスに落ち着いた。天気は、悪く、まるで冬のような寒さの今日だったけど、渋谷の、異常な人の多さや、騒々しさに、ひるみもせず、日本の「若者の街」を満喫できたようで、良かったです。(でも、まだまだ買い物はしたいみたいだけど・・・)
2007.04.17
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このブログは、もう少し続きます。というのも、今、NZのケンブリッジ高校から日本語のK先生と7人の生徒たちが、日本に修学旅行に来ているのです。私がNZを発った前日に彼らは発ち、関西に入り、広島、宮島、姫路、京都、奈良、と周った後、2日前に東京に来たところ。東京での数日の観光に、私もジョインさせてもらうことになっている。今日は1日自由行動で、吉祥寺に行くことに。(旅行者を連れて行くにはなんてマイナー・・・実は私も行ったことがない街なのです。。。)とにかく、彼らが買い物がゆっくりしたいということで、K先生のお気に入りの町で、大きすぎず、小さすぎず、彼らが買い物するにはちょうど良い、ということで、吉祥寺になったわけだ。午前中、待ち合わせの吉祥寺の駅に着いてみると、おそろいの空色のキャップをかぶって、周りの人たちと比べ頭1つ突き出ている集団が、駅のコンビニの中を、ウロウロ。一見、どこかの怪しい宗教団体かと思ったが、それは紛れもなく、ケンブリッジ高校の生徒たちだった!この帽子は、来る前にグループの目印にと特注で作ったもので、日本の桜とNZのシンボル、シダの葉がプリントされているなかなか良い帽子なのだが、全員でかぶっているとさすがに目立つ!ただでさえ、日本にいるとデカい彼らなのに・・・チョコレートをほおばりながら、コンビニから出てきた彼らと再会!K先生とも1週間ぶりの再会。元々、おとなしい生徒ばかりなので、その雰囲気は相変わらずだったが、みんな、日本旅行は満喫している様子で、「すごく楽しい!」と満面の笑顔だった。特に、京都がみんな気に入ったようだった。この1週間で、日本にもずいぶん慣れたようで、自由時間を与えれば、もう自分たちで好きに動き回り、自分たちで買い物もちゃんとできるし、レストランにも自分たちで入ることができる。日本語をとっているとはいえ、実際彼らが話せるのは、簡単なあいさつ程度。でも、この旅行の為に覚えた、単語やフレーズも、一生懸命使おうとしていた。レストランでは、ちゃんと「~にします」なんて言ってるし、私が英語で話しかけても、「おいしかったです」「たかいです」とか、限られた自分たちの知っている言葉を、とにかく使おうと努力している姿に、なんだか感動した。日本にいるというだけで、自然と、日本語を使わなくてはという意識が出てくるようだ。私が英語を学ぶ為にNZに住みに行ったように、語学で必要なことって、やっぱりこういうことなんだなと、改めて思った。教室の中だけでは絶対にできない、とっても貴重な体験を、今彼らはしているんだと思う。午後には、去年ケンブリッジ高校に留学していて、今は日本に帰ってきている女の子も合流し、彼女に連れられて、みんなでプリクラも初体験!ほんとは、カラオケにも行くはずだったが、もっと買い物がしたい!とみんなの買い物欲は尽きず、結局1日買い物になった。服やら時計やら帽子やらおみやげやら、中には、どんどん買い物袋が増えて、山のような荷物になっている子もいた。電気屋さんでは、「新宿のビックカメラより100円安い!」と言って、「i-Pod」を3人の生徒が購入していた。(NZで買うと、同じものが1万円近く高いそうだ。)何がびっくりって、みんなよく食べる!昼食は好き好きなお店に、夜は大戸屋で食べたのだが、それ以外にも、アイスクリーム、パン、チョコレート、クレープ、と、何か食べ物を見つければ走っていく。15,16才と、食べ盛りの年とはいえ、やっぱりNZ人って1日何か食べてる・・・・でも、日本語のメニューしかないそのクレープ屋でも、何だかんだと自分たちで注文し、それぞれの食べたいものをちゃんとゲットできていたり、それを待っていた男の子は、目の前にあったゲームセンターにスーッと入っていき、勝手に日本のゲームを楽しんでいたりと、いやーやっぱり若い子って、順応性が高いですね。こんな言葉の通じない世界で、見たこともないお金で、しかも、ほとんどが海外初体験にも関わらず、ものおじもせず、堂々とやっていけている。そのことに、一番驚きました。。。
2007.04.15
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とういわけで、1年ぶりに日本に帰ってきた。まず、成田に着いて感動したこと。「あー周りが全部日本語だ~」成田までは母親が迎えに来ていてくれて、横浜の家まで、重い荷物を運ぶのを手伝ってくれた。久しぶりのすごい人ごみ。でも意外に、1年前空港へ向けて同じ道をたどったのが、昨日のことのようにも思えた。家に着き、部屋に一歩入って思ったこと。「天井がひくい!」天井だけでなく、テーブル、椅子、流し台それらが全てものすごく低い!トイレも狭いし、冷蔵庫も何もかも全てが小さく感じ、とにかく、自分がものすごい巨人になったかのように感じた。大げさじゃなく、ほんとにガリバーような気分だった。元々私よりもずっと背が低い母親が、さらに小さく感じ、後日会った友達さえ、なんだかすごくすごく小さく見えた。耳が慣れるとの同じように、私の目はすっかりニュージーランドの景色に慣れてしまったのだ!大きな家、広い空間、自分よりもずっと大きな人々、そんなのに囲まれて暮らしていた1年は、すっかり私の感覚をNZ化してしまったようだ。そして、電気の位置、物のある位置、自分の家だったら無意識に体が覚えているはずの行動も、1年のホームステイ生活で、びっくりするほど忘れている。携帯電話も帰国した日にすぐ復活させた、が・・・すっかり使い方を忘れている。。。(3,4日してやっと指が思い出してきました)外に出れば、何車線もある道路を走るたくさんの車に驚き、思わずきょろきょろとしてしまった。デパートに行けば、あふれんばかりの物。これがちょっとした感動だった。NZは、物が本当に少ない国なので、安いものを買えば品質が悪いしバリエーションもない。ちょっと良いものを買おうと思ったら結構高かかったりする(いずれにしても店の種類もバリエーションも少ない)。でも、久しぶりに日本のお店をのぞいてみると、多くの店が立ち並び、服も靴も小物も、全てのものが、それほど高くない値段で、センスや品質の良いものがたくさん並んでいる。(100円ショップは良い例)日本は物価が高い高いと言われるけれど、こういう部分ではNZよりよっぽど安くてよいものが買えると、改めて思った。NZでの質素な生活から、こういう世界を見たら、それは夢のような世界だった。なんだか、すっかり自分が海外からの旅行者になったような気分で、思わずワクワクしてしまった。感動は他にもたくさん。インターネットが自由にいつでも使える!しかも早い!(NZでは電話回線だったんで9時以降しか使えず、めちゃくちゃ遅かった・・・)好きなものが食べれる。テレビが自由に見れる。お風呂も自由な時間に入れる。「自分のもの」が周りにたくさんある幸せ。やっぱり向こうではホームステイを1年していたので、我慢しなくちゃいけないことがたくさんあったんですよね。人の家だしね。限られたものの中で。そういう意味でも、やっぱり自分の家はいい!ここ数日食べた日本食で、一番美味しく感動したのは、白いご飯、味噌汁、焼き魚、納豆、漬物、そしてお茶のメニュー。ほんとに、涙が出そうなくらい美味しかったです。そして、友達と再会した時、居酒屋で飲んだ日本のビールも、もー最高!やっぱり日本のビールは、このコクとキレですよね!とにかく、帰国して5日。日々カルチャーショックのようなことが続き、まだ、少し頭がボーッとして、変な感じがする。現実の世界じゃないような、それとも、NZでの1年が夢だったような、とても不思議な感じです。。。それほど、NZと日本って、本当に、社会も人も文化も食べ物も空気も、見るもの聞くもの全てが、全然違う世界なんですよね。そんなことを、改めて実感しています・・・・
2007.04.13
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NZを後にし、日本に帰るまでには、一晩韓国のソウルに一泊しなければいけなかった。初めて乗る大韓航空。乗ってるのはほとんどアジア系(韓国人か日本人)個別の席にテレビが着いていず、大画面しかない状態での12時間のフライトは、かなり退屈できつかった・・・。(映画たくさん見ようと思ってたのにい~!)でも、ちょっと楽しみだったのが、機内食。キムチが出ると聞いたことがあったので、本当だろうかと、興味深々だった。まずは、ランチが出された。出たー「ビビンパ」!パンと肉のメニューも選べたが、せっかくなので当然ビビンパをトライ。具とご飯、ソースは分かれていて、好みでそれらを混ぜて食べる。まあ、味はそんなに悪くはなかったっけど、やっぱり辛い!!半分くらいしか食べれなかった。そして、数時間後には夕食。でも、こちらは普通の洋食だった。な~んだと思ったら、次の日、ソウルから成田へのフライトでの朝食(か昼食)には「キムチ」が、出ました!!(NZでの旅行中、韓国人もたくさん見かけたけど、ほんとに彼ら、朝ごはんからキムチ食べるんだよね。)白菜じゃなく、大根のだったけど。やっぱりこれも、かなり辛かった。。。水をたくさん飲まなくちゃいけなくなり、トイレのあまり行けない飛行機で、このメニューはどうなんでしょう?と、ちょっと思いました。。。。隣の席には韓国人のおじさんが座っていて、色々と話した。小学生の子供二人と奥さんが、オークランドに住んでいて、休みで会いに行ってきた帰りだったそうだ。何と、子供たちの英語の勉強のために、3人を2年間の限定で、NZに住まわせている。韓国人の親の教育熱心さは、日本のそれ以上で、親が子どもの留学について来て、その期間一緒に住むということは、彼らにとっては珍しいことではない。でも本当に、すごいですね。それだけの為に自分以外の家族を全員、数年間外国に住まわせるなんて。。。帰りに、おじさんは名刺をくれて、「もしソウルに遊びに来たら案内してあげるよ。」と言ってくれた。韓国のインチョン空港に着いたのは夜の8時過ぎ。今日自分がどこに泊まるのかもまだ何もわからないまま、大韓航空のカウンターに行くと、私と明日同じ飛行機に乗り換えて日本へ向かう数人の旅行者が既にいて、大して説明もなく、流れのままに、みんなバンに乗せられ、今晩泊まるホテルへ連れて行かれた。ホテルは空港から15分ほどかかった。韓国に来るのは初めて。外はもう真っ暗だったが、バンの中から興味深く外の様子を眺めた。当たり前だが本当に、全て「ハングル文字」!NZにも韓国人はたくさんいたし、ハングル文字自体は結構見慣れていたはずなのに、頭ではわかっていても、本当に町の中が全部ハングル文字だと、その景色はかなりおもしろい!そして、目に入ってきたのは、いくつかのネオンの着いた「ホテル」で、しかもその文字の横には温泉マークがある。前に、韓国に旅行した友達が、韓国のホテルで温泉マークがついているのは全部ラブホテルなんだよと言っていたのを聞いたことがある。「ほんとに、温泉マークだ~!」と感動し、つまり、その辺一帯は、どうもラブホテル街だったようだ。それに加え、あまり人気のない、カラフルな電飾のある屋台や飲食店が立ち並ぶ中を通り抜け、なんだか不思議の世界に迷い込んだような雰囲気の中、このバス一体どこに連れて行かれるんだろうと、不安半分、笑い半分の気持ちだった。そして、着いたホテルでは、流暢(?)な日本語で、レセプションの人が迎えてくれた。でも、あやしい色の光の廊下、部屋の雰囲気もなんとなーく怪しく、もしかしてここも元は・・・なんて思ってしまった。(これが韓国の普通のホテルだったらごめんなさい)部屋のテレビには、NHKが映り、1年ぶりに日本のテレビを見ることができた。(でも、ちょうど統一地方選挙の速報の時で、番組はずーっとそれ。石原さんの顔を見ていてもつまらないので、ペ・ヨジュンの映画をやっていたので、そちらを見た。どっちもどっち!?)朝食券もちゃんとついていて、翌朝1階のラウンジに行くと、一人一人ちゃんと朝食が準備されていて、大画面では再びNHKが流れていた。。。7時には、空港へのピックアップのバスがまた迎えに来て、私たちを送ってくれた。そしてついに、9時には日本へ向かう飛行機に乗り込み、なんだか全てがとても不思議な体験だった、つかの間の韓国の滞在も終わった。この頃には、NZを発った時の感慨もどこへやら。やっぱり、顔はみな同じでも、そこは紛れもなく「外国」。それなりの緊張がありました。。。すごいことは、とにかく、韓国の人たちは、カタコトでも、みんな日本語が話せる。飛行機を含め韓国にいる間は、いつも、英語で話せばいいのか日本語でいいのか、話す時いちいち混乱しました。 (ホテルから撮った写真)
2007.04.09
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日曜日、ホストファミリーが車でオークランド空港まで送ってくれた。本当にこれまで全然、「帰国する」という実感がわいてなかったのだが、空港に近づいてきて、飛び立つ飛行機を目にし始めた途端、急に、実感としてわいてきた。近づいてくる「ホストファミリーとの別れ」、そして「NZとの別れ」が急に現実のものとなって胸に迫ってきた。思わず涙が出そうになったが、そこではこらえた。空港に着いて、チェックインを済ませ、1時間ほど時間があったので、みんなでお土産やさんをみたり、カフェでモーニングティーをとり、いつものように、楽しく冗談を言い合い、写真をとったりしながら、笑って最後の時間を過ごした。そして、ついに「別れ」の時。涙はこの家族には似合わない。家族みんなとハグし合い、それでも私はなるべく笑顔でいようとした。でも、、、ホストマザーの目に涙が浮かんでるのを見た瞬間、ずっとこらえてきたものが、一気にこみあげてきた。一度そうなったら、もう止まらない。もう何も言えず、ただ泣きながら、「もう行くね」と言って、足早に、ゲートをくぐった。中に入ってからも、なかなか涙をとめることができませんでした。。。。でも、実はその後が、ちょっとまぬけだった。出国審査を受けようとしたら、空港税をまだ払ってないことに気づき、再び、さっき入ってきたゲートを出て、それを払いにいかなくてはいけなかったのだ。もう、ホストファミリーはそこにはいなかったけど、涙と鼻水でなんだかもうぐちゃぐちゃな顔で、何やってるかわからずいつまでもその辺をウロウロとし続けていて、空港の人にも「大丈夫?」と心配され、かなりアホっぽかった。。。ホストファミリーはといえば、私と別れたその後、飛行機の見えるデッキから、私の乗った飛行機を、最後まで見送ってくれたそうだ。離陸の瞬間は、「さみしさ」「悲しさ」1年間の色々な思いが沸き起こり、再び、涙がとめどなくあふれ出た。1年間という時間、思いを整理するには、あまりにも短い「別れ」の時でした。
2007.04.08
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今日は、午前中、日本へ送る荷物を郵便局へもって行き、(たった小さな箱一つなのに、重いせいか、何と船便にもかかわらず、190$もした!)これで、ケンブリッジの町とも最後。そして、前のホストマザー、今ではNZの大事な友達の一人マリリンとも、お別れをしてきました。夜は、ホストファミリーと最後のディナー。最後に、みんなが大好きだった、お好み焼きを作ってあげました。(いつものごとく、すごい量だけど、みんなでペロリ)お礼のプレゼントに、ホストファザーとマザーには、NZ名産のパウア貝の入った鉢植え。息子のミッチェルには、最後まで悩んだ結果、ケンブリッジに唯一ある若者のお店で買ったTシャツをプレゼントした。(どんなのを買っていいのか、全くノーアイデアで、店員さんに選んでもらった。男の子のプレゼントは難しい!!)そして、これまで撮った写真を、手作りのアルバムにしてプレゼントした。みんな、どれも気にいってくれたようで良かったです。冗談のコメントを入れながら作ったアルバムには、みんな大うけだった(大成功!)そしてついに、明日には、たくさんの思い出と、おみやげと、増えた体の「お肉」(1年で8kg!)を抱えて、NZを発つ。ソウルで1泊しないといけないので、日本へはあさっての着。オークランド空港までは、ホストファミリーが、朝早くなのに2時間もかけて、車で送ってくれる。この1週間で、たくさんの人と、お別れをした。でも、不思議だけど、誰にしても、また絶対にいつか会えるような気がして、涙は出ても、一生のお別れ、という感じがしない。今だけの別れという感じがする・・・きっと、いつかまた私はNZに戻ってくるんだろうと思う。いずれにしても、とにかく、バタバタと忙しかった日々で、正直、全然感慨にひたっている暇もなく、1年のNZ生活を振り返るのは、日本に帰ってからになりそうです。それに、帰ったらさっそく、SchoolTripで今頃は日本に一足先に着いているであろう、日本語のK先生と、7人のケンブリッジ高校の生徒たちと、東京で再会することになっている。なんだか、不思議な感じ!でも、とっても楽しみです。もうすぐ、このブログも終わりになるけど、とりあえず、この続きの日記は、日本で、ということになります・・・・
2007.04.07
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今週は、ほんとにバタバタと忙しく過ぎていってしまった。毎日が、色々な人たちとの別れで、やっぱり、「さよなら」を言う時は、泣いてしまう。エクスチェンジレッスンをしていた、南アフリカ人の友達Wandaとその家族との別れは、ほんとに辛かった。いつもは彼女の家に訪問するのだが、今回は小さな彼女の息子が病気になってしまったので、最後に二人でゆっくりと、外で食事をしに行った。今までにしたことのない、お互いの人生の深い話をすることができて、お互いにその思いを共感しあい、涙を流した。スーパーの掲示板に張った、たった一枚のメモが、こんな素敵な出会いをもたらしてくれたことに、感謝します。学校最後の2日間は、各クラスごとで私のフェアウェルパーティーをひらいてくれた。お菓子やジュースをもちより、数人の生徒は手作りのケーキを持ってきたり、お母さんが作ってくれたお菓子をもってきくれた。おしゃべりしたり、写真を撮ったり、私がNZに来る時もってきていた日本の写真を、大画面で見せたりして、みんなで楽しんだ。一番上の、12年生と13年生の合同クラスでは、お好み焼きパーティーをやった。日本人の留学生の生徒たちがよく手伝ってくれて、みんな初めて食べる「お好み焼き」にうれしそうだった。そして、全てのクラスで、生徒の寄せ書きがされたカードをもらった。最初のクラスのパーティーでそれをもらった時は、全く予期していなかったことなので、思わず感動して泣いてしまい、その後のスピーチはめちゃくちゃになってしまった。。。でも次のクラスからは、なんとか泣かないようにこらえた。これらのカードも、大切な日本へのおみやげとなりました。日本語をとってる子たちは、上の学年になればなるほど、みんな、日本に行きたいと思っている子がたくさんいる。そして、実際、交換留学や短期留学、ホームステイ、そして今週K先生が7人の生徒を連れて行く修学旅行(?)など、彼らには、結構たくさんの日本へ行くチャンスが、毎年ころがっている。だから、きっと、生徒の誰かしらとはまた日本でいつか会えると、信じている。あー、みんな、ほんとうに、ほんとうに、いい子たちでした・・・たくさんの思い出をありがとう。
2007.04.06
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学校で、生徒によって行われる劇を見に行った。年に1回この時期行われるもので、毎年オーディションをやって、配役を選び、「ドラマ」や「音楽」の先生たちの指導のもと、2ヶ月くらいの間で、練習をして、3日間公演する。普通の劇かと思っていたら、「ミュージカル」だった!こちらでは、学校でこういう「ミュージカル」をやるのは普通のことらしく、しかも、その質の高さに驚いた。歌も、ソロがたくさんあったり、プロのダンサーさながらのダンスグループがいたりと、本当にすごかった。そして、やっぱりこっちの子って、元々表現力が豊かだし、日本人のように恥ずかしがることがないので、日本の、文化祭や学芸会で見るような学生の劇とは、ほんとうに全然違った。上手い、下手以前に、一人一人の、その表現力やパワフルさに、圧倒された。衣装や、舞台装置もこっていて、ほんとに、お金を出して見る価値のある、すばらしい舞台でした。(先生は、タダだったけど...)
2007.04.03
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ついに、帰国1週間前となった。先週から、小学校訪問したり、他の学校の日本語の先生のお手伝いをしたり、友達の家に日本食を作りに行ったり、バタバタと忙しく、恐らく最後の1週間も、学校の授業を含め、夜は色々と食事誘っていただいたり、学校の劇を見に行ったり、あっという間に忙しく過ぎていってしまいそうだ。それらに加え、最近は日本へのおみやげや、こちらの人へのお礼のプレゼントに、ずっと頭を悩ましていたが、とりあえずは一通り、そろった。銀行も解約し、こちらの人たちにあげる写真も全部現像し、いらない服や靴はセカンドハンドショップに持っていき、人から借りていたものを、それぞれの人たちに返し、少しずつ部屋を整理しながら、この週末、やっとパッキングにとりかかることができた。そんなわけで、バタバタしているせいか、日本に帰る、という実感が、実際のところ今だにあまりわいていない。。。それでも、現実は確かに、少しずつ人々との「別れ」が始まっている。今週末は、町の本屋さんへ、最後のピアノを弾きに行った。そして、おばあさんのところに通っていた英語も、ラストレッスン。「これで最後」「もう会えない」そう一瞬でも思ったら、簡単に涙は出てきてしまう。1年間の思いは、濃く、たくさんありすぎて、それらを全て思い返してしまったら、たぶん、涙はいくらあっても足りないと思う。でも、この先も、できるだけ笑顔でお別れしたい。生徒との別れも、泣くのはすごく簡単。でも、できるだけ、笑顔でお別れできたらいいなと思う。
2007.04.01
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最近、ケンブリッジには、続々と日本の学生がたくさん来ている。2,3週間前は、ケンブリッジにある中学校に、日本の幕張の学校から25人もの生徒が2週間滞在しにきていた。(この2つの学校は、交流が深く、毎年生徒を交換留学させている)1週間前には、私が行ったハウタプ小学校に、秋田からの中学生が来ていたし、そして今週は、ケンブリッジの姉妹都市である北海道の美幌町から、4人の高校生が来た。10日間のNZ滞在で、ケンブリッジではそれぞれが、地元の家庭に4日間ホームステイをし、1日だけケンブリッジ高校にも見学に来た。私も、学校で初めて彼らに会い、その夜町の役所みたいな所で行われたフェアウェルパーティーにも参加させてもらった。4人の日本の高校生たちは、みんな感じの良い子たちで、ホームステイ先は、全員、ケンブリッジ高校で日本語クラスをとっている生徒の家。ケンブリッジの生徒たちにとっても、良い日本語の勉強になって、お互いにすごく良い体験をしているようだった。フェアウェルパーティーでは、普段授業ではおとなしく、絶対に自分から日本語なんか話さない男の子が、ステイさせている日本人の子に、何度か日本語で話しかけているのを見て、私も、日本語のK先生も、なんだか顔がほころんでしまった。(たった一言、二言だけだけど)こういうチャンスって、彼らにとっても、すごく良いモティベーションになると思うしやっぱり教えてる側としても、そういうのを見るとうれしいものですね。日本人の子たちも、つたない英語で、一生懸命自己紹介をしたり、校歌をみんなの前で歌っていた。 それにしても、本当に、NZと日本は交流が盛んだなあと改めて思う。小学校に行った時、小さな子でも、「こんにちは」や「ありがとう」をふつ~うに知っていることに驚いた。日本人にとって、「英語」は世界共通語だから知っていても不思議はないとしても、「日本語」は彼らにとっては、あらゆる世界の言語の中の単なる一言語。でも、私たち日本人にとっての英語と同じくらい、日本の言語や文化に関する知識を、NZ人はみんなもっている。これって、すごいこと! だし、うれしいこと!北海道の、ずっと北の端にある「美幌」という小さな町。すっかりケンブリッジの住人になっている自分としても、いつか行ってみたいです。。。(つい最近、町の外れに小さな日本庭園があるのを見つけました。(美幌との交友関係の証として作られた。)1年いたのに、全然気づかなかった。。。)
2007.03.30
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トンガリロ・クロッシングに行った次の日、実はもう一つ、初めての体験をした。それは、何と「ヒッチハイク」!自分がヒッチハイクをすることになるなんて、考えてもみなかったけど、たまたまそんなことに・・・日曜日、ケンブリッジに帰る前に、どうしても途中のタウポによって帰りたかった。タウポは何度か訪れているけど、好きな町の一つだし、帰国前に見おさめをしておきたかったのと、日本へのおみやげがまだそろっていなく、少しショッピングもしたかった。でも、タウポに行くバスは、午後しかない。ケンブリッジにも今日中に帰らないといけないので、このバスを利用するなら、タウポには寄っていけないことになる。何か手段はないかと考え、宿のスタッフのすすめで、宿のダイニングルームの掲示板に、誰かタウポまで乗せて行ってくれる人を求むメモも貼ってみたけど、誰からも反応はなし。どうしようかと当日の朝まで考えた結果、たった30分の距離だし、ヒッチハイクしてみようか・・・色々な人に、聞いてみたけど、みんな「NZは安全だから大丈夫だよ」「簡単だよ」「10分も立ってれば見つかるよ」と気軽な言葉。前の日に、バスの相談をしていたインフォメーションセンターの女性でさえ、「ヒッチハイクにすることにした」と言ったら、「そうなの。がんばってね!」と軽い一言。旅をしている間、ヒッチハイクをしている人はたくさん見かけたし、それだけで何週間も旅行している話もよく聞いた。(まあ、あまり女一人でそれをやっている人はいないだろうけど・・・)いずれにしても、旅人の間では極めてポピュラーなので、うっかり自分もできるような気になってしまった。。。というより、何もすることのないトゥランギで半日過ごすなら、どうしてもタウポに行きたかった!そして、決意を固め、緊張の中タウポへつながるメインロードの脇に立った。何台かの車が通り過ぎるとき、親指を立たせ、合図してみると、ほどなく一台の車が止まった。10分どころかたった1分! ほんとに簡単だった!乗っていたのは、オークランドに住んでいる人で(国籍はヨルダン。旅で色々な国の人に会ったけどヨルダンとは初めてです)、同じく昨日トンガリロクロッシングに来た人だった。ちょうど、オークランドに帰る途中、タウポに寄って何かマーケットをやっている両親をひろっていくということで、何てグッドタイミング。幸運にも、決して怪しい人ではなく、とても良い人で、無事タウポまで乗せていってくれました。(タウポでも、結局、彼は夕方まで暇で何もすることがないらしく、私の買い物の間中つきあってくれて、色々な話もでき、これも一つの良い出会いでした。)でも、ステイ先に帰ってホストファミリーにこの話をしたら、「You are crazy!」と驚かれた。。。確かに、気持ちはわかります。いくら、NZは他の国より安全と言ったって、やっぱり旅行者がらみの事件はたくさん起きてる。まして、ヒッチハイクなんてなんて危険な!と、地元の人が思うのは当然。旅行者仲間での感覚とは少し違う。でも、どうしてもタウポに行きたかったんだもん!!
2007.03.27
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週末は、NZでの最後のビックな体験ができた。NZでも有名なトレッキングコースの一つ、「トンガリロ・クロッシング」に行ってきた。金曜のうちに、近くの町トゥランギに行き(ケンブリッジからバスで3時間ほど)、1泊し、次の日1日歩いた後また1泊し、日曜に帰ってきた。トンガリロ国立公園は、NZ最古の国立公園で、北島の最高峰マウント・ルアペフ、そしてマウント・ナウルホエ、マウント・トンガリロの3連峰を含む、7万ヘクタールにも及ぶ広大な面積をもつ。マウント・ルアペフは、冬にスキーでも来た所で、この辺一帯は冬は雪に覆われ、その上、火山活動が今も活発な地域なので、植物が育たない為、NZでよく見かける森林は全くなく、どこまでも荒涼とした風景が広がっている。この独特の火山地帯の風景は「ロード・オブ・ザ・リング」の撮影地としても使われたらしい。「トンガリロ・クロッシング」は、これらの山の合間を抜けて歩くコースで、17kmを7、8時間かけて歩く片道走行の道。土曜の朝、トゥランギの宿から、シャトルバスでスタート地点まで行き、トレッキングをスタート。驚いたのは人の多さ!最初から終わりまで、ほとんど人が連なっている中を歩く感じだった。これまで、NZの色々なところを旅したけど、市街地以外の、自然の中にこんなに人がいるのを見るのは初めて。この地域は、天気が全て。去年の9月に私も一度友達と行こうとしたが、天気が悪くて(シーズンがちょっと早かったのもある)あきらめた。多くの人が、来ようとしても、天気が悪くあきらめた経験を何度もしている。ところが、今日は、雲ひとつない最高の天気!恐らく、NZ中から人が集まってきていたのだと思う。コースは、しばらく続く平らな道を進むと、あとは結構急な登り坂が頂上までずっと続く。道なき道の、ほとんど「岩のぼり」で、かなりきつかった。でも、その途中で見える景色はどれも絶景!マウント・ナウルホエを真横に見、岩山を登った上からは、言葉ではとても表現できないほどのNZの壮大な景色と、その遥か向こうには富士山に似た山マウント・タラナキが見えた。 クレーターの谷間を歩き、さらに岩山を登ると、まさにそこは火山地帯。赤色をした切り立った山に噴煙があがり、硫黄の臭いがした。そこからは山の反対側の景色も望めた。山の上なのに、噴火でできた大きなクレーターは、ほんとにまっ平ら。自然の地形の不思議さを目のあたりにした。 このコースで一番標高の高い地点を過ぎると、「エメラルドレイク」「ブルーレイク」と呼ばれる、火山口にできたいくつかの美しい湖に着いた。ランチはここでとった。 その後は、ひたすら山肌を3時間ほど歩き、下山。またその途中の風景がすごい!NZ1大きいタウポ湖を眼下に、地平線まで見渡せる広大な景色を見ながらずっと下っていくのだ。 この最後の3時間は、バスがピックアップしに来る時間が決まっていたので、少し急ぎ足で、ほとんど休憩も取らず、ひたすら歩き続け、最後の方はかなりしんどかった。足の疲労も限界で、コースの最後に通った森林の中から、駐車場のバスのクラクションの音が聞こえた時は、ほっとした。この日1日、歩き始めた頃に出会った、ヘイスティングスから来たというおじさん(?年齢不詳・・)とほぼずっと行程を共にした。スティックも貸してくれ、なんだかんだとずっと面倒を見てくれた。思ったよりも、一人で来ている人が少なく、たくさん人がいたので、話相手ができて良かった。ホストマザーロビンの職場の上司夫婦もこの日来ていて、歩いている時、偶然出会った。(やっぱり小さな国ですねえ。。。)南島でも、色々な所を歩いたり登ったりしたけど、このコースは、また全然違う、地球離れした見たこともない風景ばかりで、すごく楽しかった。帰国前2週間で、最後の良い体験ができました。とにかく、天気が完璧だったのが、最高のラッキー。やっぱ日ごろの行い!?(トゥランギのインフォメーションセンターに、なぜかおひなさまの人形が・・・)
2007.03.26
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初めてNZの高校に来た時も、日本の学校との違いに、本当に驚いた。学校のシステム、雰囲気、先生や生徒のふるまい、あらゆることが全部異なっていたが、小学校にしてもやっぱりそう。生徒の純粋さは、ケンブリッジ高校にしてもそうだが、ケンブリッジ自体が小さな田舎町で、親がファーマーだったりすることも多く、いわゆる「いなかの子供たち」、であることも理由にある。ハウタプ小学校はその中でも小さな学校で、余計にアットホームな雰囲気だった。周りの人の話だと、NZでも、やっぱり都会の子どもは、いなかの子とは全然違うという。そういうのは、どこの国でも一緒なようだ。教室は、とにかくカラフル!生徒の書いた絵や作品が貼ってあるだけでなく、恐竜がぶらさがっていたり、幼稚園を思わせるような装飾がどの教室にも施されていて、とにかくいるだけで楽しくなるような部屋だ。そして、各教室には時間割りがなかった。1日の時間は、1時間半を1ピリオドとして、午前中に2ピリオド、午後に1ピリオドある。細かく時間を区切ってないので、フレキシブルに活動ができ、基本的な年間計画がある以外は、各先生が自由に好きなように時間を使える。日本の学校と言えば、もう小学校1年から、とにかく教科書にそって勉強する、というイメージがあるけど、そういうのとは全く異なる。この4日間の中で見学できた授業でも、とにかく、いつどのクラスを見ても、絵を描いていたり、色をぬっていたり、文章を書いていたり、ビデオを見ていたり、なんかしら子供が作業をしている光景が多かった。教科書にはない授業。マリリンから少し話を聞いただけでも、すごく興味深い、想像力や五感を豊かにするようなアクティビティをたくさん取り入れているようだった。NZという国は、旅をして初めて知ったが、アーティスティックな側面もあり、どこの町に行っても、オリジナリティにあふれた素敵なアートの店がたくさんある。恐らく、こういう自由な教育、想像力を伸ばす教育が、そういう逸材をたくさん生むんだろうなあと思った。 そして、先生同士もよくコミュニケーションが取れていて、フレキシブルに動ける。一人の先生が、水泳の担当で行かなければいけない時、他の先生が来て、2つのクラスを一緒にして何か他のことをやる。他のクラスの教室でビデオを見させたければ、時間を調節し、生徒を移動させ教室を取り替える。先生が1日中、自分のクラスだけにずっといるってことは、あまりない。全ての先生が全ての生徒のことをよく知っているし、子供も全ての先生をよく知っている。これは、小さい学校だからできることだと思うけど、とても素晴らしいことだと思った。「フレキシブル」これが、高校にしても小学校にしても、一番、日本の学校のシステムと大きく違うことだと思う。日本は、とにかく「きちんと」「時間通り」「決まっている」ことが好き。だから、型にはまった行動しかできないし、何かを変えるにしても、誰かの許可が必要だったり、決めるまでにとにかく時間がかかる。でも、こちらは常に誰もが、その場の判断で、一番良いように動いているし、それでうまくお互いの連携も保っている。(時々、しまりがないなあと思うこともあるけれど・・・)本当に、「縛る」ものが、極めて少ないように思う。だから、生徒にとって良いことだったら、臨機応変に何でもやるという感じがする。(右の写真はスタッフルームです。) それから、NZの学校システムは、先生たちにもやさしい。高校にしても小学校にしても、マリリンのようなリリーフティーチャーというのが存在し、休みを取る先生がいたら、いつでもその日だけそういう先生が変わりに来てくれるのだ。だから、普通はなかなか休みにくい日本の先生に比べ、先生が休みたい時に安心して休めるシステムがある。小学校では、さらに月に2日、出勤はしても、授業はリリーフテイーチャーにまかせ、自分の仕事に時間をあてられる日があるという。これも良いシステムだと思う。とにかくいつも忙しい学校の先生にとっては、こういう時間が取れるということは、とっても助かることなんじゃないでしょうか。ランチタイムは、教室の中ではなく、こうして、みんな外で好きなところに座って食べる。高校も同じ。なんか、毎日がピクニックみたいで楽しそう!
2007.03.24
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小学校での特別授業最後の日は4年生のクラス。1日、これまでやってきたことと大体同じことをやったが、このクラスでも、私あてのカードをそれぞれの子が作ってくれて、自分自身への、大切な日本へのおみやげとなった。この日は、最後のあいさつの時、どうしてもこらえきれず泣いてしまった。この4日間、本当に素敵な時間を過ごさせてもらった。今では、学校中の子供が私の名前を知っていて、校内で会うたびに「Hello Akiko!」「Konnichiwa!」と、声をかけ、親しそうに寄ってきてくれる。それらの全てに感謝し、ただただ子供たちには「ありがとう」と言いたかった。でも、1日おいて次の日、実はもう一度学校を訪れる機会があった。ちょうどその日、日本の中学生たちが、文化交流の目的で、このハウタプ小学校を訪れるというイベントがあり、私も、見学させてもらいに来た。ほとんど毎年のように、こんな風に日本の学生が訪れて、文化交流をしているようで、子供たちが日本のことを良く知っているのもうなずける。この日来ていたのは、秋田県から来た中学生15人ほど(と先生2人)。ホールでは、出迎えの歌がNZの子供たちによって歌われ、その後、日本の子供たちの日本紹介(もちろん英語で)、日本の歌、そしてNZの子によるマオリの伝統ダンスや歌なんかが、披露された。学校を案内されたり、宗教の授業を見学したりした後は、日本とNZの子供が入り混じり、お互い、日本の遊びや書道、着物、マオリのダンスなどを教えあい、自由に交流の時間をもっていた。 引率の先生方とは、少しだけ話をすることができたが、二人とも典型的な、日本の「先生」という感じで、とても静かで、少し緊張しているようだった。こういう時、私は、NZの小学校側の人間でもないし、かといって日本人グループ側でもないし、なんか、不思議な感覚がする。1年も生活していると、気づかぬうちに半分は、感覚がこちらの人みたいになってるんだと思う。そして、普段の生活で、ちゃんとした「日本人」と接する機会というのがほとんどないので、たまにそういう人に会って話すと、これもまたなんだか変な感じがする。。。ちゃんとした敬語で話せてたかなあ・・・・?この日、週末の小旅行に行く予定があった為、私が学校にいられたのは、途中まで。学校を出る前に、校長先生にお礼を言い、「本当に楽しかった。また、いつかここに来たいです。」と言ったら、「いつでも戻って来ていいよ。もうすぐ日本語の本格的な授業を取り入れることになる。だから先生として来たらいい。ぼくが仕事をあげるよ!」と、言ってくれた。そんな未来が実現したら、楽しいかも!
2007.03.23
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先週に引き続き、今週は、小学校の6,7年生のクラス(合同クラス)と、4年生のクラスを訪れた。6,7年生のクラスには2日間いたので、たっぷりと時間があり、おりがみや紙相撲などに加えて、おはしの使い方やおはし競争、そしてなんと書道までやることができた。おはしは、多くの子が既に使ったことがあって、みんなとっても上手。高校でやったのと同じように、グループにわけてピーナッツ(殻つき)をつまんで移動させる競争をやった。勝ったグループには、日本のステッカーをあげた。みんな大喜びだった。少し不器用な子は、どうしてもうまくピーナツがつかめず苦戦していたけど、この学校の子たちは本当にすごく良い子ばかりで、グループにそういう子がいても誰も非難したり追い立てたりせず、みんなで応援してあげていた。(そんな子たちも、2日目にはみんな上達していてびっくり!子供ってやっぱり何でも習得が早いですね) 書道は、幸運にも、学校に日本の書道の筆と墨汁があり、子供たちも本物を使って、日本の「書道」に触れることができた。デモンストレーションとして、私の名前や、いくつかの漢字を書いて見せた後、子供たちに、一人一人の名前の日本語でのつづりを教え、書かせることにした。日本語で書かれた自分の名前を見ると、みんな「Cool!」と大興奮!他の紙にまず鉛筆で練習してから、本番の大きな紙に筆を使って書いた。初めて書く日本の文字なのに、みんなとっても上手。日本の文字を書いてみる体験は、どの子供たちにもすごく楽しい体験だったようで、4年生のクラスでは、自分の家族の名前や友達の名前まで「書いて」「書いて」とせがまれた。 2日目の午後は、普通の授業も見てみたかったので色々なクラスを観察する時間をもらった。そして、1時間ほどたって教室に戻ってみると、、、素敵なサプライズが私を待っていた。その1時間の間に、生徒全員一人一人が、私の為に手作りのカードを書いてくれていたのだ。色を塗ったり、絵を描いたり、立体的に作ってあったり、それぞれ個性的に素敵にデコレーションされたカードに、私あてのメッセージが中に書いてあった。「すっごく楽しかった!」「日本のことをたくさん教えてくれてありがとう」「いつか日本に行きたい!」「You are so cool!」など...この2日間で楽しかったことや、自分自身の自己紹介、私へのお礼の言葉がたくさん書かれてあった。そして、さっき書道の時間に教えたばかりの彼らの日本語での名前や、私の名前(漢字)も書いてあったりと、ほんとに、これはもう感動ものだった!さらに、女の子たち数人からは小さなうさぎのぬいぐるみのプレゼント。ただ、ただ、私は「ありがとう。」しか言えませんでした。そして帰りの時間。他のクラスでやったのと同じように、「さようなら」を教え、一人一人に日本のあめをあげた。数人の女の子たちとはハグし合い、中には「Bye Akiko・・・」と、本当に悲しそうな顔でなかなか帰らない子もいて、なんだか、胸がキュンとなってしまった。(「明日も違うクラスにまた来るよ」と言ったけど「明日は水泳に行くから来ないの・・・」と余計悲しい顔になってしまった。。。)たった2日間なのに、こんなにも楽しんでくれて、こんなにも日本文化にも興味を示し、しかもちゃんとそれらを吸収し、そして、こんなにも私を慕ってくれたことに、私の方が、本当に感謝とともに感動をもらいました。
2007.03.22
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NZは今日から、サマータイムが終わり、また時計を1時間後ろにずらす。てっきりそれが4月からだと思っていた私は、朝もう9時だと思て起きて、のこのことリビングルームに顔を出すと、ホストファザーとマザーが、「あらっ今日はどうしたの早いわね」とびっくり顔。リビングの時計を見たらまだ8時。(週末は大体朝寝坊なので・・・)あれっと思って、自分の時計を持ってきて見せたら、何と、今日の朝2時から、冬時間に戻ったそうな・・・10月にサマータイムになった時にも、旅行中で、だいぶ混乱したが、やっぱり、なんてまぎらわしい!!たった1時間とは言え、結構大きな1時間。サマータイムの習慣のない日本人としては、ほんとに混乱するし、国中すべてが、一斉に時間をずらすなんて、やっぱりなんだか変な感じです。。。サマータイムの終了とともに、先週くらいから、急に季節も秋めいてきた。半そでから長袖やジャケットが必要な時期へ。今日、公園を歩いていたら、たくさんの栗やどんぐりが落ちていた。そういえば、少し前から梨が結構出回っている。でも、NZは日本と同じく四季があるけれど、やはり少し気候が違うのか、季節の変わり目は日本ほどはっきりしていないように思う。栗がおちているのに、まだセミがたくさんないていたり、まだまだ真冬の気温なのに、春の花がたくさん咲いていたり(太陽の力かな)、いつも、季節の入れ替わりの時期が、長く、それぞれの季節がだぶっているように思う。日本ではあっという間にきてすぐに「夏」になってしまう「春」が、こちらはすごく長いように感じた。同じように、「秋」という季節も「冬」に比べると長い。去年来た時も、ちょうど秋が深まっていったこの時期。もう季節が一順したんだなあと思うと、とても不思議な感じがする。そして、1年という時間の中で、こんな風にそれぞれの季節をちゃんと感じながら生活したことは、日本の今までの生活ではなかったような気がします。。。
2007.03.18
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さっそく最初は紙ずもうの時間。初めに、日本の相撲のビデオを見せてあげたら、みんな見たこともない大きな力士の姿に大興奮!相撲の試合は誰が見ても勝敗がわかりやすい。子供たちも、力士が倒されると、「おー!」と歓声をあげていた。紙ずもうは、高校でやったのと同じように、あらかじめ力士の絵の書いてある紙を渡し、自分ではさみで型通りに切って色をぬらせた。まだ、はさみが上手に使えない子も多かったが、色塗りは楽しそうで、塗り終わるとみんな私に見せてきた。コピー用紙の箱を土俵に見たたての紙相撲も、当たり前だけど、やっぱり高校生とは全然反応が違う。高校では、コンペティションにしたりしてどうやったら楽しめるかと工夫が必要だったが、ここでは、そんな必要もない。ちょっとやり方だけ教えたら、誰もが箱の周りに集まり、勝手にみんな楽しそうに遊んでいる。1日を通してずっとそうだったが、高校生との大きな違いは、何でも全てのことに、本当にみんな興味深々で、大きな目を見開いて、耳をダンボのようにして話を聞き、そして、すっごく楽しんでくれることだ。この「紙相撲」も、とても気に入ったようで、みんな昼休みもずっとやっていた。おりがみは、「かぶと」を作った。一つ折るごとに、「Akiko!」「これでいいの?」「合ってる?」とみんな大熱中。(ほんとにかわいい!)無事、みんな「かぶと」を作ることができて、紙ずもうで使った人形にかぶせたりしてた。新聞で作ったら自分でかぶれるよ、と教えてあげた。 日本の写真は、PCをプロジェクターにつないで、数十枚見せたが、説明をしながらで結局1時間位かかってしまった。彼らの年では、じっとしているには結構長い時間のはずなのに、みんなの興味は尽きず、どの写真にも1枚1枚に歓声が上がり、質問の手もたくさん上がった。(残念ながら今回は時間の関係で、あまり一人一人の質問を聞いてあげることができなかった。)日本のゲームとして、フルーツバスケット(自分が大好き)を教えたが、椅子を使わずやったにも関わらず、ちゃんとゲームが成り立っていてびっくり。中途半端に時間が少しだけ余った時「にらめっこ」も教えてあげた。なんか、いまいちルールがよくわかってなかったようだけど、とにかく何にしても楽しんでくれる。「おもしろいゲームだね!」なんてうれしそうだった。今日は、1日の最後に全校集会があったので、持ってきた浴衣を着せてのちょっとしたファッションショーもできた。モデルは最上級生8年生の女の子にお願いして、教室で、日本の民謡をかけながら、着せるところをみんなに見せてあげた。その3年生のクラスの一人の女の子が、今日チャイニーズの服(なぜか)を着てきてくれていて、一緒にファッションショーに立たせることになった。その子には、マリリンが持ってきた日本の「こけし」を持たせ、浴衣の子には扇子も持たせ、なんだか日中ごちゃごちゃでよくわからないけど、とにかくかわいいモデル二人ができあがった。集会では、二人とも舞台の上で堂々と歩き、拍手をあびていた。 そして、教室での最後のあいさつ。日本語の「さようなら」を教え、言えた子一人ずつに日本のあめをあげ、無事、初日が終わりました。1日目の感想としては、とにかく、やっぱり小さい子はかわいい!集会でマリリンが私のことを全校生徒に紹介してくれた時も、自分のクラスに来てもらえる生徒たちは、「わーい!」と歓声をあげていた。そういえば、こういう何かのスペシャルゲストって、小学生の頃、自分もすごくうれしかった気がしたのを思い出しました。そんな風に自分の訪問を素直に喜んでもらえるのもうれしいし、当たり前だけど、いつも接している高校生たちとは、同じことをやっても全然反応が違う!これだけ興味をもって何でも楽しんでくれると、やりがいがあるし、自分も楽しい。ほんとに、来る前の緊張と不安はどこへやら、とっても充実した楽しい1日になりました。来週の訪問も楽しみです。
2007.03.16
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ケンブリッジの小学校を訪問した。前のホストマザー、マリリンは小学校のリリーフティーチャーをやっていて、彼女の学校に連れて行ってもらえることになったのだ。最初は観察するだけのつもりだったのだけど、日本の文化紹介も私がやらせてもらえることになった。今クライストチャーチにいる友達が、この1年の後半は小学校で活動していて(アシスタントではなく一人で全部やっている)、高校とはまた全然違った、純真な子供たちに囲まれ充実した日々を送っているのを聞いていて、私もとても興味があった。今回は、全部で4日間訪問し、3つの学年のクラスで文化紹介をやることになったのだが、話が決まった時から、マリリンは「何をやっても何時間使ってもいいわよ。全てが子どもたちにとって良い体験だから」と言ってくれていた。やりたいことはいくらでもあり、色々と悩んだが、結局、各学年、1日ジャパンデーにして、おりがみ、紙ずもう、日本の写真、浴衣、日本の子供のゲームなど、時間がある限りできるだけ色々なことを体験させてあげることなった。ハウタプ(Hautapu)小学校は、ケンブリッジでも市街地からちょっと離れた、周りは全部牧場に囲まれているようなほんとのいなかにある小さな小学校だ。1学年1クラスずつしかなく、1年生から8年生までの生徒が学んでいる。高校でアシスタントをやっているとは言っても、自分で授業をやるとなるとやっぱり緊張する。その日は、朝もアラームいらずでパチッと目が覚め、自己紹介の心配から始まって期待と同時に不安でいっぱいだった。でも、学校に着き、マリリンと今日1日過ごすことになる3年生の教室に入った瞬間、すぐに緊張はとけた。既に何人かの生徒が登校していて、「Hi Akiko!」と、声をかけてきてくれたのだ。前の日に、マリリンが生徒に、私が来る事やどんな事をするかなど、少し話しをしてくれていて、どの生徒も満面の笑みと興味深々の顔で私を迎えてくれた。NZの小学校は5歳の誕生日と同時に就学が始まるので、3年生と言っても、日本で言えばちょうど1年生くらい。いつもでっかい高校生を相手にしているのと比べたら、ほんっとにかわいいい!来る早々、一人の男の子に、小さなジャグリング用のボール一つを、「はい、プレゼント!」と言って手渡された。
2007.03.16
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帰国が近づき、さて、英語力はこの1年でどれだけのびたのだろうか・・・<英語がのびたなと感じる時>・クレームが言えるようになった時。・隣の知らない人同士の会話や、遠くで話している人の会話の内容がわかった時。・「冗談」がわかった時。・特にホストファザーの冗談がわかるようになった時。(会話の80%は冗談なので、最初は全然わからなかった)<落ち込む時>・相変わらずTVのニュースやドラマの会話が聞き取れない時。(映画とかは集中して見るので大体内容は理解できるが、普通のテレビ番組を見る時って大体ボーッと見ることが多いので、全く集中力がない状態で見ると、今だ、何言ってるか全然ついていけない。)・大勢の会話の中では、相変わらず「聞き役」にしかなれない時。・学校の生意気な生徒やミッチェル(ステイ先のわんぱく息子)の言葉に、言い返したいのに言い返せない時(かなり悔しい!)。帰ってから一応腕だめしでTOEICも受けてみようと思っているので、来た時から始めて今だ終わらない文法書を今も少しずつ解いて、学生以来すっかり忘れてる基礎力を取り戻しながら、リーディング用の本も少しずつ読んでいる。あと1ヶ月だけど、こちらにいる間はやっぱりできるだけもがいてみようと思っています。。。
2007.03.15
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気づいてみれば、NZ滞在も1ヶ月をきった。4月の上旬には、学校の1学期が終わるのと同時に、帰国することになる。長いようで、やっぱりあっという間の1年。帰国日が近づいてくると、正直、日本に早く帰りたい気持ちは大きくなってくる。早く、自分の家でくつろぎ、美味しい日本食を食べ、友達と言葉を気にせず話がしたいなあと、すごく思う。でもその反面、こちらの、本当にのんびりとした、大らかな人々や自然に囲まれた、ゆっくりとした生活から離れなければいけないのも、すごく残念で、周りの人から「また戻ってくる?」「ずっとこっちにいればいいのに」「何で帰るの???」なんて言われると、「そうだなあ。またすぐ戻ってこようかなあ。」なんて気になってしまったりする。そうは言ってもまだ4週間近くはあり、実際帰国モードには私自身はまだまだなっていないのだが、この前たまたま学校の生徒に、この4月には帰るという話をしたら、すごく悲しそうな顔をされて、急に私も実感がわいてきて、少し悲しくなったりした。いずれにしても、まだ振り返るには少し早い。残りの日々も、学校の活動を含め、小学校訪問したり、最後の小旅行として考えているトンガリロクロッシングでのトランピングに行ったりと、結構忙しい日々になりそう。帰ってからのこととかも、色々と考えてしまう今日この頃だけど、とりあえずは、悔いのない日々を過ごしたい。。。
2007.03.15
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週末の土曜日、前から一度やってみたかったワイカト川のリバークルーズに、日本語のK先生と先生友達メアリーと一緒に行った。いつもの通り、車がなく一人での移動ができないので、隣町ハミルトンのメアリーの家に金曜の夜は泊まらせてもらった。その夜は、いつもお世話になっている二人へのお礼に、彼女の家で、何日か前にホームステイ先でも作って好評だった(たぶん?)、日本のハンバーグとグラタンを作ってごちそうした。ご飯も炊いて、久しぶりの日本の味に、自分でも大満足。自分で作ったとはいえ、やっぱり日本食を食べるとほっとする。次の日の昼食も、ハミルトンで何度も行ってる美味しい日本食レストランで、お寿司を食べ、二食続けて日本食が食べれるなんて、ほんとになんて幸せ。午前中は、ハミルトン博物館やアートギャラリーを見て周り、マーケットへ。そろそろ、日本へのおみやげのことも考えないといけない時期なので、何か良いものはないかと見て周った。NZ原産カウリの木の小さな小物をいくつかゲットし、パウア貝の埋め込まれた素敵な鉢植えを見つけたので、ちょっと早いけど、ホームステイ先へのプレゼントとして買った。そして、午後。「ワイパ・デルタ」という、ワイカト川(ハミルトンやケンブリッジを流れている、NZで一番長い川)のクルーズに乗り込んだ。私たちが行ったのは、アフタヌーンティーのクルーズで、所要時間1時間でお茶とケーキつき。この日はとても暑かったけど、川の上は涼しく、ゆっくりと進む船の上で、美しいワイカト川の景色を眺めながらお茶とおしゃべりを楽しんだ。川沿いに立つ家々は、大きくて素敵な家ばかりで(それなりの値段はするんだろうけど...)改めて、こういう所にほんとにいつか住めたら、というより住みに戻ってきたいなあと思った。。。。
2007.03.12
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洗濯物の違いに限らず、そもそも、NZの清潔さの観念は、やっぱり日本とは全然違う。特に世界一きれい好きと言ってもいい日本人からすると、受け入れ難いことが多い。。。。「キレイな雨」信仰について言えば、雨に限らず、湖の水にも同じような信仰がある。湖遊びに行って帰ってきた時のこと。寒かったのもあったが、私だけ急いでシャワーを浴びてさっぱりしてたら、他の家族に「湖の水はキレイなのよ。飲んでる水と同じなのよ。せっかく体にも良いのに、流したら意味ないじゃない!」とすごく驚かれた。「でも、植物や砂も体についてるし、気持ち悪い」とか色々説明したが、最後まで彼らは不思議そうで、私はすっかり変な人扱いだった。ほんとに山の中の人気のない自然の中にある湖ならともかく、いくらきれいな水と言ったって、ダムでしきられ、人間がボートで遊び、山からここまで来るのにどれだけ人間世界を流れてきてるのか、科学的なことはわからないけど、ちょっと考えてみても、そこまでキレイなはずがない!他にも、大体どの家でも、食器をふく布巾も、台布巾も一緒くた。家の中は、NZは靴を脱ぐ家庭も多いが、なんかそれがとても中途半端な区分け。汚い運動靴とかでは上がってこないが、革靴やヒールの綺麗な靴では、平気で土足で歩いている。たとえ家の中が裸足だとしても、彼らは外も平気で裸足で歩くので、意味がない。そして、前にも書いた「洗剤を食べる習慣」。変な洗剤信仰もある。。。とにかく、あまり物事を科学的に考えることはNZ人は得意じゃないようだ。そのくせ、思い込みはものすごく強く、何の根拠もないことを信じきって行動している。いつも、絶対に違う!と思いつつも、「そんな事で言い合いしても」と反論したいのを我慢し歯がゆい思いをしています・・・
2007.03.09
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週末、家では1日に4、5回は洗濯機をまわす。でも、NZの家の庭は広い。洗濯物を干す場所もたっぷりあり、ダブルサイズのシーツを何枚洗っても、十分に全部干せる。日本の小さなベランダでほそぼそと干すのとは違って、太陽の下で、広々と干し、数時間でカラっと乾く洗濯物は、本当に気持ちいい。ただ、NZの生活習慣の違いと言えば、洗濯物に関しても色々と違いがある。来た時から色々なことに驚き、もうだいぶ慣れたものの、やっぱり受け入れ難いことも多々ある。。。来る前にも聞かされていて本当だったのが、雨が降ってもそのまま洗濯物を干しっぱなしにすること。その後また太陽が出てくれば、そのうち乾く、というとても大らかな考えなのだ。というより、どうもこちらは雨に対する変な信仰がある。雨は普通の水よりも、とってもキレイで、体に浴びればシャワー代わりに、髪が濡れればよりサラサラでキレイに、だから洗濯物も雨にあたればむしろキレイになる、という感覚があるらしい。そしてもう一つ、洗濯機をかけた後、平気で1日、前なんか2,3日留守にするのに、そのまま洗濯物を洗濯機の中に放置したままでいる。暑い中、その中で微生物がうじうじとわいてくるのが目に見えるような気がするが、そういうのも全く気にしない。前の家でも、洗濯物を、閉めきったクローゼットの中に干しているのにびっくりした。ホストマザーは、「ここは温水器があって暖かいからいいのよ」なんて言っていたけど、そこでも、あたたかく湿った空気の中で、どれだけの微生物が繁殖するのか想像しただけで気持ちが悪く、私が干す時は、必ず、外に干していた。そのくせ、変なことには細かく、洗濯物は、色ものと白のものは、必ずわけて洗う(^^;)。最初の一度や二度は、確かに色落ちするのを気をつけないといけないかもしれないが、何度も何十回も洗ってるものを、いくら白いものと洗ったからって、そんなに影響があるとは思えないのだが、これは、NZではどこの家でもそういう習慣のようだ。そして、今の家がたまたま大らかなのか、NZがそうなのかよくわからないが、何でもかんでも、洗濯機の中に入れてしまう。スカートもワンピースでもレースのものでも何でも。日本みたいに、すぐにクリーニングに出したりということもせず、生地が「傷む」という考えもあまりないみたい。私は、自分の大事な服は、今でも自分で一応手洗いしているが、最初はネットに入れて洗っていたものも、だんだんとNZスタイルに変わってきてしまい、今では伸びるのも形が変わるのも気にせず、平気で洗濯機につっこむようになってしまった・・・・
2007.03.09
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この間、初めてベビーシッターのアルバイトをやった。(NZに来て実に初めての収入!)ベビーシッターと言っても、赤ちゃんの世話をするわけではない。NZでは、14歳以下の子供を一人で家に置いておくことが法律で禁じられているので、両親がいない時は、必ず他の年上の兄弟や、誰かしら大人が家にいなければいけない。だから、両親が夜出かける時なんかに、ベビーシッターを雇うのはとても日常的なことで、世話をする、というより要はただその家に大人が一人いればいいだけ。それで、今回私は、隣の家の10歳の男の子マシューのベビーシッターを頼まれたのだ。両親が出かける夜7時頃、その家に行ったのだが、マシューの就寝時間は何と7時半!つまり、それから彼らが帰ってくる9時過ぎまで、私はほんとにただそこにいればいいだけ。その間は、お茶飲んで、テレビ見たり、パソコンしたり、本読んだり、何をしてもいい。それで20$もらえるなんて、何て簡単なバイト!マシューはとっても良い子で、私が行った時はちょうど学校の宿題をしていたが、ちゃんとそれをすぐに済ませ、ママの言われた通り、10分だけ許されたコンピューターゲームをやり、シャワーを浴び、少しだけ私とお話して、8時にはベッドルームに行った。マシューは、一人っ子(NZではかなり珍しい)で、両親も彼をすごく大事に育てている様子。学校も、隣町ハミルトンの私立の小学校にわざわざ行かせていて、毎日大量の宿題が出るらしいが、毎日ママが全部必ずチェックしてやらせてるみたいだ。私が興味深そうに見ていると、「公立と違って、授業もすごくハイレベルなことをやってるのよ」と誇らしく語っていた。この日も、夫婦でその小学校の先生とのミーティングに行っていたようで、帰ってくるなり、物音で起きて来たマシューに、、「先生が、あなたはとても良い子だって言ってたわよ。ママとても誇らしかったわ」と言い、ぎゅーっと我が子を抱きしめていた。公立育ちで、親は完全放任主義だった私としては、なんとなく「クスクス」と笑ってしまいそうな光景だったが、国は変われども、教育熱心な親というのはどこでも同じようだ。大らかなイメージのNZでも、やはり家によってその辺の主義は違う。教育熱心な親はやっぱり子供を、設備や教育環境の整った私立に行かせるし、今の私の学校(公立)でも、もっと勉強させる為に私立に転校させられた生徒もいた。ちなみに、私のステイ先の家は真逆。大体、ミッチェルの部屋には、15歳の学生にして勉強机がない!(どの部屋にも無く、もちろん私の部屋にもない)勉強する環境が「ゼロ」な家なのです。学校から色々な不祥事(教室から追い出されたとか)で電話がかかってくる事も頻繁にあるようだが、両親は大して気にしてない。とにかく、元気に育てばいい、というような、おお~らかな家なのです。
2007.03.07
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そういえば、ホリデーの旅行から帰ってきた2日後、家族にもう一人新しいホームステイの生徒が増えた。(はずだった・・・)今の家は、常に家族以外のスペアの部屋が2つあるので、いつでも2人までは受け入れ体制をとっている。見学しに来たその日に直決。次の日には引越してきた。16歳のその男の子ジョーはイギリス人。お父さんがNZ人で、今回、私の行っているケンブリッジ高校に留学する為にNZに来た。1ヶ月の間は、ここケンブリッジに住む叔父夫妻の所に暮らしていたのだが、新学期が始まるのに合わせて、私の家に移ってきたのだ。第一印象は・・・あまり、愛想は良くなかった・・・態度も横柄だし、ホストファザーやマザー、誰に対しても、あまり打ち解ける感じではなかった。でも、まあ年頃の男の子。それに、偉そうな態度をしていても、見知らぬ国に16歳という若さで一人で来て、ホームステイなんてするのも初めて。慣れない生活に心細くないわけがない。私としては、横柄な態度は、そんな気持ちの裏返し、と好意的に受け取っていた。実際、時々私に見せてくれる笑顔は、とてもかわいいもので、見かけほどそんなに悪い子じゃないと思っていた。でも・・・・彼が来てから、1週間後のこと。朝はいつも誰にとってもラッシュタイム。特に、1つのバスルームを子供たち全員(つまり私を入れてその時は3人)で使うので、順番に上手く使わないとまわらない。ホストマザーは、前にNZ人の男の子を預かっていた時も、特に朝なかなか起きない男の子たちを、叩きおこし、全員が学校に遅れないようにまわそうとしてくれていた。でも、こういう共同生活が、彼には無理だったようだ。その日の朝。何度ホストマザーが声をかけても、ジョーは起きてこない。部屋の中から何か叫んでいたが、ホストマザーもついに怒って、部屋に怒鳴り込み、何かものすごい言い合いになってしまった。結果、その場ですぐにホストマザーは近くに住んでいる彼の叔父に電話し、ジョーはジョーでプイっと家から出ていってしまった。ホストマザーも「何て態度!私はもう彼にこの家にいてほしくない」と言い残し、仕事へ行ってしまい、数十分後に、彼の叔父が家に来たが、ジョーは既に家にはいないし、私もその時はすぐに学校へ行かなければいけなかった。そして、夕方、学校から帰ってきてみると、彼の叔父が、彼の部屋の持ち物を運び出している所だった・・・・そう、あっという間に彼の短い滞在は終わったのです。こういう時の決断もみんな早い!日本人なら、せっかく受け入れてるのだからとか、「こちらにも責任があるかも」とか、色々考えて、とりあえず話し合いを、なんてことになりそうだけど、その辺が違う。「頼んで来てもらってる訳じゃない」という毅然とした立場を持っているし、逆に言えば、この家は生徒を受け入れた時点でその子を家族の一員としてみている。だから、ホストマザーやホストファザーは本当の親同然。口ごたえした時点で、それは大問題なのだ。彼らの言う事を聞かなかったり、家族のルールを守れないのであれば、もうこの家にはいられない。朝の小さな出来事、でも彼のホストマザーにとった態度は、許されるものではなかった。。。まあ、当たり前っちゃあ当たり前のことなんだけど、なあなあ主義、他人への異常な気遣い、そして何事にも決断に時間がかかる日本と比べると、NZの、こういう時の物事の対処の違いや速さに驚く。。。いずれにしても、こうして、イギリス人のニューファミリーは1週間でさよならとなった。後から聞いてみると、色々とやっぱり彼は問題児だったようだ。イギリスの学校も退学になってこちらに追いやられてきたらしいし、叔父夫妻の家では、免許ももってないのに勝手に車に乗り壊してしまったり、毎日お酒も飲んでいたという(もちろんまだ法的に×)。ホストマザーは「学校も、卒業まで続くとはとても思えないわ」と言っていた。そんな彼を、つい先日、学校で1ヶ月ぶりに見かけた。「Hello!」と声をかけると、前にも時々見せてくれたあのかわいい笑顔でニコッと答えてくれた。「一応まだ学校にはいたんだ・・・」と内心ホッ。彼はイギリスの都会育ち。この大らかなNZの地で、彼の中で何かが変わっていってくれることを願うばかりです。。。
2007.03.04
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NZの夏は日が長い。 サマータイムで1時間時計をすすめているせいもあるが、 夜は9時になってもまだ明るく、10時頃になってやっと暗くなりはじめる。 だから、4時や5時に仕事から帰ってきても、まだ外で遊べる時間はたっぷりとある のだ。 日本では、遅くまで働いて、満員電車に揺られて帰宅した後は、 遊ぶ時間ももちろんないし、気分的にもヘトヘトでもうあまり動きたくないもの。 平日に出かけると言ったら、せいぜい仕事帰りに飲んだり食事をしたりするくらいの こと。 でも、その辺の感覚がこちらは全然違う。 とにかく、スポーツやレジャーが日常の一部になっているNZ人は、 仕事の後だろうが、平日だろうが、全く疲れもみせず、みんなアフター5にそれらを楽しむのだ。 月曜だろうが何だろうが、曜日も関係ない。 この前なんか、月曜の6時近くなってから、隣の家族と一緒に、近くの湖に湖遊びに行こう ということになった。 この日はものすごく暑くて、確かに湖やプールに行くには絶好の日。 何事にも、大体が何の計画もなく「思い立ったらすぐ行動」がNZスタイル。 私としては、その日学校ではクラスがめいっぱいあってちょっと疲れていたので、 「えっこれから行くの!?」と内心乗り気ではなかったが、 一人でお留守番もなんだか寂しいし、とりあえずついていくことにした。 隣の家には、自家用クルーザーがあり(結構NZでは普通のこと)、しょっちゅう湖や ビーチで水上スキーなんかを楽しんでいる。 水上スキーは難しいので、私はできなかったけど、 「ビスケット」と呼ばれる浮き輪みたいのにつかまって、それをクルーザーでひっ ぱってもらう簡単なやつをやった。 速さやスリルは水上スキーと全く同じで、これはすっごく楽しかった。 みんなも大好きで、順番にやって、ホストマザーや隣のママは二人してすごい 悲鳴をあげていた。 カヤックにも乗ったり、疲れたらポテトチップを食べながら湖畔でのんびり。 8時過ぎまで、湖遊びを楽しんだ。 来る前はちょっと億劫に感じたけど、来てみたら楽しくて疲れも逆にふっとび、 私も、NZ人のアフター5スタイルをしっかり満喫させてもらいました。
2007.03.01
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先週は、水泳大会、今週は運動会と、学校では行事が続いている。日本では、「学校行事」といえば、学校生活の中でもかなりのウエイトを占める重要なイベント。小学校から高校に至るまで、何に対してもやたら熱がこもっていて、何週間も何ヶ月も前から、全校あげて準備や練習をして本番を迎えるのが普通のこと。(中学の運動会なんて、私の記憶では、ほとんど軍隊なみだった。)でも、ここはNZ。そんな準備や練習など、1時間足りともない。全体できちんと並んで開会式、なんてこともないし、そもそも、そういう学校行事に、こっちは親が見に来るなんてこともないので、普通に一日が始まり、普通にいつもの授業が終わる時間に終わる。私は、カメラを片手にフラフラと見て周ったが、全校生徒は「ハウス」と呼ばれる5つのグループのどれかに属していて、水泳大会も運動会も、そのハウスごとで勝敗を競って行われるので、一部の生徒たちは、旗をふったりして、一生懸命ハウスの為に応援していた。それでも、日本のように、声を張り上げて競う応援合戦や、練習に練習を重ねて披露される応援団やチアリーディングやダンスのパフォーマンスみたいなものはないし、やっぱりだいぶ地味だ。そして、いつものごとく、初めから終わりまで、なんかしまりがない・・・なんとなく事が進み、生徒も好きなところにいて、移動もダラダラ。結果的に大体時間通り終わるので、先生たちは時間管理はしてるのかもしれないけど、大したプランもなく進めている(ように見える)運動会は、どちらかと言うと単なる「競技会」の趣でフィールドの様々な場所で、徒競走、幅跳び、砲丸投げなど、色々な競技が行われていた。そして、先生たちの仕事と言えば、芝生の上で応援も何もしないでさぼってる生徒を、ひたすら叩き起こし、所定の場所へ行くよう促すこと。生徒も生徒で、みんなそんな風にマイペースに動いているので、高校生でも小学生みたいにお尻をたたかないと動かないのだ。つまり、ほとんどの先生たちの仕事は、行事の「進行」ではなく(それは体育の先生たちでやってる)、生徒の「見張り役」と言った所。学校の各出入り口にも、生徒が逃げないよう先生が配置され、やっぱりここは、学校というより「Zoo」!?でも、逆に言えば、学校行事一つとっても、日本ほど全てが組織立てられ、綿密にきちんと計画された上に物事が遂行される国は、他にはないんじゃないかと思う。授業をつぶして、何日も何十時間もかけて練習する日本の体育祭を初めとする「見せる」学校行事は、こちらの生徒や先生が見たら本当に驚くでしょうねえ。。。そういえば、「前ならえ」って、日本以外の国にあるのかなあ。。。
2007.02.26
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南島でやったホーストレッキングがほんとに楽しかったので、ケンブリッジに帰ってきてからも、またぜひもう一度やりたかった。ホストマザーに話したら、「私もずっとやってみたかったの!」とすごい乗り気。さっそく、車で1時間弱ほどで行ける、Pirongia という山でのホーストレッキングに申し込み、この日二人で行くことになった。ホストマザーは馬に乗るのは子供の時以来で、ちょっと緊張ぎみの様子。今日は私たちの他に2人トレッキングに一緒に行く人がいた。オーナーの女性に連れられて、さっそく山へ。羊や牛を間近に、牧場を通りぬけながら丘をアップダウン。壮大な景色は南島と同じだった。2日目の慣れがあり、カメラを片手に写真を撮りながら、ゆっくりと進んでいたのだが、それが少し油断しすぎた。ある時、馬が急に走り出そうとし、片手で手綱を握っていたのもあり、バランスを崩し、必死でしがみつこうともがいたが、結局、おっこちてしまった。。。何箇所か足に打ち身ができたくらいで怪我はなかったが、それ以来少し恐くなってしまった。その馬がまたちょっときかん坊で、全然言うことを聞かない。歩き出す時は、私のサインでというより前の馬が歩き出すからで、止まるのも私の指示ではなく前の馬について止まるだけ。最後まで、彼とはあまり仲良くなれなかった。。。。ただ、トレッキングのコースは、南島の時より、今回の方が丘のアップダウンが多く、時々、細い小道を通りぬけたり、山道みたいな所を登ったり、森林を通りぬけたりと、コースが変化にとんでいて、よりおもしろかった。ホストマザーも、大満足でした。
2007.02.24
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タイトルの写真を、また変えてみました。今回のホリデーで南島に行った時の写真です。大好きになったテカポ、マウント・クック、クイーンズタウンの写真。既に、自分もこの美しい風景が懐かしい。。。。これを見ながら、自分もあと2ヶ月がんばります!
2007.02.18
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新学期が始まって最初の1週間が終わった。いつも休み明けの最初の1週間は、体が慣れてないのかすごく疲れる。。。。1ヶ月半の夏休みを終えて戻ってきた生徒たちは、みんな、肌は良い色にこんがりと焼けていて、いかにも夏を満喫した様子。伸び盛りの9年生や10年生は、一目で背が伸びたなーと感じる子も多く、なんだか、みんな少したくましくなったように感じた。日本語のクラスも、新年度になって新しくなった。今年のクラスはどれもいい!今年から少し語学履修のシステムが変わったことで、去年頭を悩ました動物園のような生徒たちをみることが、もうなくなった。新入生の9年生を除いては、10年生以上のクラスはどの学年も、運よくとっても良い子たちだけが残って、うるさい悪がきどもは、履修から外れた。特に、思春期と成長期で一番難しい時期と言われている10年生(14,15才)のクラスは、去年は全員が必修だった為、あらゆる生徒が混じり、毎日が台風のような騒ぎだったのが、今年は、本当に日本語をやりたくて来ている子だけが取っていて、しかもみんながみんな良い子たち。クラスの大きさも、それぞれ半分以下になったので、少人数制で授業ができ、K先生の声のトーンも、授業の進度も、去年とは驚くほどに違うのだ。私にとっても、たぶん自分が慣れたのや、去年から見ている生徒は自分になついているので、安心感があるのもあると思うが、本当に今年のクラス編成は、去年とは天と地の差のようで、K先生とも、授業が終わる度に「いいですねー!!!」と喜びあっている。9年生から10年生の生徒は、体の成長とともに本当に色々なことが変わっていく時期。静かだった子がいきなりうるさくなりはじめたり、純真だったのが知恵もついてきて、ひねくれはじめたりと、体の大きさだけでなく色々な変身をとげるようだ。去年9年生のクラスに、日本語に興味津々で、いつも目をキラキラさせて何にでも素直に反応していたかわいい男の子がいた。今年も当然日本語を取ってくれてはいたのだが、休みが明けて、その子を初めて見た時、「あれっ何か違う」と感じた。あの「キラキラ」した純真な目の輝きがすっかり消え失せてしまっているのだ。授業自体は、前と同じように一生懸命やってはいるが、全体的に態度も何となくデカくなっていて明らかに去年とは何かが違う・・・日本の「ゲタ」を見せた時「はいてみていい?」とうれしそうに言っていたその子。今見せても、何の反応もしないんだろうなあ。これが、「成長」するってことなんですねえ・・・K先生とも、「なんだか悲しいですねえ」と、その子を見る度に二人で残念がっている。。。。。
2007.02.17
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今日はバレンタインデー。日本では、どこに行ってもバレンタイン一色のチョコレートであふれているんでしょうね。。。そして、誰もが色んな「思い」でこの1日を送っていることでしょう・・・(日本独特の”風習”があるせいか、よく考えるとバレンタインデーって、日本では結構一大イベントですよね!?)こちらのバレンタインデーは、もちろん日本とは全然違い、男女の両方がお互いに、花やプレゼントをし合う日です。学校でも、今日、最上級生の生徒たちが、数人の男の子と女の子のグループで、天使のような格好をして、各クラスにカーネーションの花を配って歩いていて、日本語クラスにも来て、数人の生徒にカーネーションを手渡していた。(後から聞いたら、これって、誰かあげたい人がいる生徒が、花を事前に購入しておいて、それをその天使たちが代理で、相手の所に行って配ってあげるシステムらしい。名前は書いてあったり匿名だったり、「I love you」なんてメッセージが入っていたり。Cool!!! )家では、ホストファザーとホストマザーは二人で外へお食事に。昨日の夜、ホストファザーから、私と息子のミッチェルに、「ロビン(ホストマザー)には明日まで内緒だよ。」とこっそりと告げられた。二人が連れ立って食事に行くなんて、普段はまずないこと。そう、これはホストマザーへのちょっとした「サプライズ」だったのです!ほんとサプライズが好きな国!でも、とっても素敵。夜、いつもは、穴のあいたTシャツに短パン、裸足のホストファザーも、きちんとシャワーを浴びて、少しだけおめかしして、ホストマザーを連れて、町のレストランへ出かけていった。NZの夫婦って、離婚率も高いけど(ホストマザーも一度離婚している)、うまくいってる夫婦は本当に仲が良い。いまの家の二人は、そんなにベタベタしてる方ではないけれど、すっごく仲が良い。結婚後15年以上たった今でも、ソファに座る時は他にスペースがあっても必ずぴたっと隣同士に座るし、こうやって特別な機会はちゃんとお互い大事にするし、普段の会話を聞いていても、明るい二人なので、冗談や憎まれ口は常に言い合っているけど、その会話がなんともほほえましい。お互いを思いやって、お互い大好き!って感じがすごく伝わってくる。日本では、子供がいると、子供の前では、なんていちいち気にしそうだけど、こちらはそういうのもあまり関係ない。それからいつも、ほほえましいなあと思って見ているのは、この国では、おじいちゃんおばあちゃんでもみんな、何歳になっても、二人で手をつないで歩いていることだ。まあ、日本とは文化の違いだけど、やっぱり、こういうのっていいなあって思う。そうそう、私のバレンタインデーはと言えば、今日も学校で何かしでかして先生にクラスから追い出され、夜はサッカーから戻り「自転車で転んじゃったよー!」と擦り傷だらけになってきた14歳の息子ミッチェルと二人、一緒に夕食にナチョスをほおばり、スイートな夜を過ごしました。。。。
2007.02.14
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ということで、ケンブリッジでの生活が再び始まった。旅から帰ってきたら、自分の部屋に、私がいない間に届いていた、日本の友人や親戚からの年賀状や少し遅れたクリスマスカードが、たくさん置いてあった。NZで年賀状を受け取るって変な感じ!でも、異国の地での日本からの暖かいメッセージはすごくうれしかった。1ヵ月半近くの旅でさすがに疲れもたまっていたので、数日間は、家から出ることもなく、ひたすら寝ては起きて食べ、また昼寝し、夜はまた早く寝る・・・というように、完全に休息モードだった。というより、もう動きたくなかった。3,4日すると、やっと旅の疲れもとれてきて、旅モードからホームステイの生活に、体と頭もやっと順応してきた。南から北に久しぶりに来てびっくりした事は、北島は暑い!!!夏とは言え、冷たい空気と朝晩の冷え込みに本当の夏は感じられなかった南島とは全然違い、こちらは本当に夏!!!しかも、この辺は湿気のある地域で、まるで日本のように蒸し暑い。ちょっと動くと、汗がじわーっと出てくるような暑さに加え、これは南もそうだったが日本とは比べ物にならないくらいの強烈な太陽の日差し。ここ数日は、一層家から出たくなく、まったく動きたくなかった。あまりの暑さに、昨日の夕方、大粒の夕立が降った時なんか、ホストマザーや隣人と一緒になって、雨の中に裸足で走り出て、水溜りでジャブジャブ、コンクリートの上に寝そべり(昼間太陽で熱せられていたのですごく暖かくて気持ちよかった)、雨を浴びた。こういうことって、日本では絶対にしないこと。こんな風に、時々自然の中で、童心に返れるのが、こちらの人々や生活の素敵な所なんですよね。。。十分に休息もとった所で、いよいよ明日からまた学校も始まります。。。
2007.02.11
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もう一つ。今回、日本からの家族との旅行で、良い体験をした。ずっと、こっちで一人で旅をしてきて、すっかりNZ式公共サービススタイルに慣れてしまっていた。つまりそれは、・バスは時間通りには来ない。・ドライバーは、自分のランチの為なら平気で出発時間も遅らせる。・チケットというものを確認することをせず、ファーストネームを言ったらそれで全てOK。・ツアーでは、細かいスケジュールはいつも知らされることなく(というよりあまり決まってない)、何となく事が進んでいく。・外国人も、その中で自分の好きなようにいつもマイペースな行動。(なので、時々、誰かがバスに置いていかれる・・・)・ガイドやガイドを兼ねたドライバーの話は、特に言うべきことが決まってるわけじゃなく、その個人の人柄や興味で、人によって好きなことをしゃべってる。・・・・・というように、基本的に全て、「適当」。。。でも、家族との旅行で初めて、日本式ツアースタイルを経験し、改めて日本人の真面目さと几帳面さを思った。バスは時間通り、というより言われた時間よりいつも早く来るし、集合時間も絶対厳守(一度遅れて怒られた・・・)。常に5分前行動!ミルフォードサウンドへの1日トリップのバスは、一応現地の誰もが利用する一般観光バスだったので、日本人にはヘッドフォンが与えられ、日本人ガイドが、NZ人のドライバー兼ガイドの通訳をして流してくれた。でも、聞いてると半分は、この後の予定や必要な持ち物の説明などこと細かく説明していて、ガイド内容もいかにも決められたものを話している様子。(その間、ドライバーは自分の奥さんの話なんかしてる...)宿へのチェックイン、空港への送り迎えも、常に日本人が待機していて、私たちの世話をしてくれたが、その度に、まあ説明が細かくて長い。。。常に私たちのトイレの心配をしてくれて、航空券なんか数日の間に何度チェックされたことか。本当に、子供に説明するように丁寧に細かく色々と教えてくれる。もちろん、場合によっては、それくらいのガイドが実際必要なのかもしれないが、基本的に全てが「自己責任」で、「適当」なNZスタイルにすっかり慣れてしまっている私にとっては、あまりの面倒見の良さは、少々面倒くさく感じた・・・そして、びっくりだったのが、日本人ツアーガイドだけが、この異国の地でもみなきちんとスーツ(しかも黒!)を着て対応している。大体、この国でネクタイをしめてる姿なんて、平日でよっぽど大きな街の中でもない限り、まず目にすることがない。そもそも、土地柄に合ってないのだ。なので、私的には、彼らのその姿はとっても浮いて見えた。いくら日本人的礼儀とは言え、現地で旅行客を迎えるなら、もう少し「NZ」してもいいのに・・・・決して、彼らを批判しているわけじゃない。こんな「適当」な国にいても、そんな風に「日本スタイル」をキープできる彼らはすごいと思うし、やっぱり日本人をお客さんにしている以上、そうせざるを得ないのだろう。私としては、久しぶりにきちんとした敬語を聞いて、なんだかとっても懐かしかった。そして、外国人の誰もが、日本人についての印象を言う時、第一に「Polite」と言うその意味が、この日本のツアーガイド一つとっても、改めてまたわかったような気がした。。。。やっぱり日本人はとことん「Polite」なのですね。。。
2007.02.10
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やっと、約1ヶ月半の旅の記録と写真を全部更新し終えた。。。旅の記録は、どれも時間のない中、いつも急いで書きなぐっている感じなので、全く推敲もできず、読み返すと変な文章が多く、自分自身の記録とはいえ色々な人が見ているので、ちょっと恥ずかしい・・・おいおい、見返す時間がもしできたら直していきたいと思います。。。旅を通して、今回の旅は、前回2回の北島での旅と比べても、本当に色々な体験ができた旅だった。旅の一番はやはり出会い。様々な国の人々、地元の人、そして多くの日本人との出会いと彼らとの会話は、少しずつ私を大きくしてくれた。そして何よりも、南島の自然の美しさは、本当に感動した!自分は今北島に住んでるけど、多くの観光客がそうであるように、もしNZに観光だけで来るならやはり南島に来るべき!と思った。北島にもたくさん素敵な所はあるけれど、自然の雄大さと美しさを味わうならやはり南島。どこに行っても、どっちを向いても絵になるその風景には、本当に時々言葉を失うほど素晴らしかった。そして、もう一つ今回の旅で気がついたことがあった。NZは、どこに行ってもゴミというものが全く落ちてない。旅の間中、どんな観光地でも、山の中でも町の中でも、ほとんど落ちてるゴミを見かけることがなかった。日本ではどんな観光地に行っても、必ずどこにでもゴミが落ちている。自然の中でさえ。実はこれは、世界遺産のマウント・クックに行った時に気づいた。マウント・クックにひけをとらない富士山という日本の美しい山が、ゴミがあまりにも多い為、今だに世界遺産として認められていないというのは有名な話。その事実を、美しいNZに来て間のあたりにした気がした。それ以来、どこに行ってもクリーンなNZの地と、日本の違いに愕然とした。美しいのは自然だけじゃない。それを守っている人間の心もそこに反映されているようだ。前に私のエージェントの人が、言っていた。「あんなにも綺麗好きで清潔な日本人なのに、公衆トイレがあれだけ汚いのが信じられない。」と。確かにそう思う。どんなに社会が発展して人々の生活が進歩しても、こういうところで、文化のレベルが決まる。お尻は機械に洗ってもらっても、自分のゴミすら始末できないのではどうしようもない。自然を守ろうとかそんな大げさなことではなく、自分の出したゴミはきちんと自分で捨てるという当たり前のことをみんながすればいいだけ。でも、それすらできない日本人は、残念ながら、少なくともNZより文化レベルが低いと言わざるを得ないのではないでしょうか・・・・
2007.02.10
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ロトルアからケンブリッジへ戻って来た後は、ケンブリッジの町や公園を紹介しながら散歩し、家に帰る前に、前のホームステイの家に彼らを連れて行った。前のホストマザーも、彼らに会うのをとても楽しみにしていて、お茶やお菓子とおみやげ(素敵なカウリの木でできたワイングラス!)まで用意して待っていてくれた。とにかく、時間があまりないので、お互いの紹介と、ほんとに少しの話ししかできなかったが、私も、彼女に家族を会わせることができてうれしかった。その後、私がアシスタントをしている学校を通りがてら見せて、再びホームステイ先へ。こちらの家族と、改めて初めての対面!!行って見れば、日本の家族とNZの家族の対面です。私自身にとっても、実に1ヶ月半ぶりの再会。ちょっと緊張していたけど、みんないつものごとく冗談交じりで暖かく迎えてくれた。ディナーは既に用意されていて、すぐに食卓へ。私の家族も、ホストファミリーも、みんなどことなく緊張の面持ちだったけど、いつものホストファザーの冗談やそれに上手くのっかってくれるおじの絶妙なトークで、和やかな時間を過ごすことができた。ホストマザーは、私たちの為に、前種類の肉(チキン、ポーク、ラム)を用意しておいてくれた上、NZで特別な時に食べるデザート「パブロヴァ」(メレンゲのケーキ)まで作ってくれていた。私の家族にとっても、NZの普通の家庭の味を知ることができて良かったと思う。ただ、何にしても時間がない!家に着いたのが、7時半。次の日は朝5時に空港行きのシャトルバスが迎えに来るので10時前にはみんな就寝準備に入り、実質2時間ほどしかみんなで過ごす時間はなかった。(後日、こちらの人も、私の家族も、もちろん私自身も、「もっと、色々話したいことがあったのに・・・・」と、ちょっと不完全燃焼な感じもあり、あまりにも短い滞在を残念に思った。)次の日の早朝。ちょっとおもしろかった。家族が全部準備ができたのがバスが来る時間の20分前。まあお茶でも飲んでゆっくり待とうよ、と私もホストファミリーも思ったのだが、日本の家族は、もう靴もはいていてすっかり準備万端。どんなに勧めても、立ったまま玄関の前から20分間動こうとしなかった。私とホストファミリーは、それを横目に、時間までソファでくつろいでいたのだが、こんなところに、やっぱり「日本人」を感じてしまい、なんだかとてもおかしかった。やっぱり、日本人は「10分前行動」!空港行きのシャトルバスは、時間通りに無事家の前まで迎えに来て、(実はこれを予約したの1ヶ月以上も前だったので、ちゃんと来るか、実は私もちょっと不安だったんだけど・・・)私はそこで家族を見送った。あっという間の1日のケンブリッジ滞在と、1週間(弱)のNZ旅行は終わった。典型的日本人の旅行スタイル、とは言え、私たちの場合、添乗員もつかず、ほとんど自由の旅だった。天気にも恵まれ、見る所は全部素敵な場所。現地の人にもたくさん会え、美味しいものもたくさん食べれて、彼らにとって結構満喫した1週間だったんじゃないかと思う。というより、私自身にっとてもすごく充実した楽しい旅行だった。一人旅とはまた違った楽しい時間を持つことができて、はるばる日本から来てくれた家族に本当に感謝です。一つ思ったこと・・・こういう時、きちんと通訳ができるくらいにもっと英語力をあげたいなあ・・・・
2007.02.06
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6日目。今日から明日にかけては、ツアーからは完全に離脱。自分たちでロトルア観光に行った後、そのまま私の住むケンブリッジを訪れ、ホームステイ先に全員で1泊することになっていた。私がアシスタントをしている日本語のK先生とその友達、いつも私もお世話になっているメアリーが、ロトルアを案内してくれた。私を含めて家族も、初めて接する私の知人たちにちょっと緊張・・・朝、二人はハミルトンで私たちを待っていてくれて、メアリーは、みんなをハグとキスで迎えてくれた。そして、とりあえず荷物だけ置きにいったんケンブリッジの家へ。そこで、ホストマザーとも初対面!数十分のモーニングティーをみなで囲み、しばしの談話。ただ、今日1日ずっとそうだけど、とにかく時間に余裕がないので、お互いの紹介もそこそこに、さっそくロトルアへ向かった。マオリ文化の色濃く残るロトルアでは、家族に、ぜひマオリのショーを見せてあげたかった。色々な人に聞いて、良いと言われた「Te Puia」テ プイア に行くことにした。私も、ここは初めて行ったのだが、前に私が見たショーよりずっと内容も良く、ランチにハンギ(マオリ伝統の料理)も食べることができた。周りの地熱地帯でも、間欠泉や沸騰する泥地を見学することができて、家族にとっても、1ヶ所でロトルアを十分に知ることができる良い場所だった。メアリーは、ツアーガイドもしたことがあり、本当によくNZのことを知っている(彼女はアメリカ人)。ガイド付きのツアーをただでしてもらっているようなもので、色々な予備知識も得ることができて最高だった。 私のおじは、英語がしゃべれる。仕事で使っていたこともあって、ボキャブラリーも私よりもはるかに多いし、リスニングは、英語を使うのが久しぶりだったのとNZ英語は初めてなので、ちょっと苦労していたようだけど、スピーキングに関しては、言いたいことは大抵言える位のレベルだ。それに、色々なことに興味があるようで、誰に会っても、積極的にコミュニケーションを取ろうとしていて、いつも率先して彼らと話をしていた。これが、私にとっては大助かりだった。私の英語は、まだ自分が聞いたり話したりするのが精一杯で、通訳ができるほどの余裕はない。単純に、もし3人の、英語が話せない人を連れているだけでも、結構大変だったと思うし、NZに来て以来、基本的に自分はいつもお客さんだった。いつも誰かに誰かを紹介されて、というのばかりだったけど、初めて、自分がしきって自分が相手に紹介しなければいけない立場になる。だから、ホストファミリーやメアリーに会わせるのも、上手くみんなでコミュニケーションが取れるかどうか、実はすごく心配だった。「シーン」ってなっちゃったらどうしよう、とか。。。前に、K先生が、ご両親がNZに彼女を訪ねてきた時も、二人が全く英語が話せなくて、ずーっと彼女が通訳をしていたのだが、何日もそうしてると、通訳する方もされる方も気を使って、お互いにすごく疲れてしまった、なんて言っていた。今回の滞在はごく短いものだったけど、やっぱり自分が中間にたって、人を紹介するというのは色々気を使うもの。(あまりそういうのに慣れてないし・・・)でも、おじのおかげで、いつも私は安心してその場にいることができたし、通訳も二人がいれば十分だった。ロトルアへの車の中でも、助手席でメアリーを独占してずーっと話してくれていたので、私は安心して後ろでゆったりK先生とおしゃべりができました。。。
2007.02.05
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5日目は、さっそくもう北島へ飛ばなくてはいけない。ラッシュ!ラッシュ!午前中のうちに、クイーンズタウンの空港からオークランド空港へ。いいとこ取りの旅とはいえ、この旅、半分以上は「移動」に費やしている。。。オークランドでは、数時間ほど添乗員付きの市内観光があり、その後は、旅は早くも、家族水いらずでの最後の夕食。ハーバー沿いのお勧めと言われたレストランで食事をしたが、どうもそこのレストラン、日本人の団体観光客にもよく使われているお店のようで、日本語のメニューもあり、日本人もたくさんいた。ウェイトレスも、とても日本人に慣れていて、ビールを勧める時、beerではなく「bi-i-ru」と発音してくれていた(笑)。料理は、シーフードの盛り合わせを頼んだが、お寿司あり、たくわんやガリまでついて、味も極めて日本的。NZ料理ではないけど、美味しくいただきました。
2007.02.04
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4日目、ついに私も初めて行く「ミルフォードサウンド」へ!1日がかりのトリップだったが、すごく楽しかった。クイーンズタウンからティアナウの町までバスで移動。そして、そこからミルフォードサウンドへ行くまでに通る「ミルフォードロード」がまず素晴らしかった。フィヨルドランド国立公園に位置するこの地域。よくこんな所に道を作ったなあと思うような道で、頭上に山が迫ってくるような迫力ある風景に、道中、バスの中では誰もが感嘆の声を上げていた。天井がガラス張りになっているそのバスは、このミルフォードロードを走る為に特注で作らせたものだという。切り立った山が連なる風景は、「ロード・オブ・ザ・リング」で撮影に使われた場所だと説明された。「ミラーレイク」と呼ばれる小さな池のような湖は、その澄んだ水で有名。この日はうってつけの晴天で、水面にははっきりと目の前の山並みが映し出されていた。 そして、「ミルフォードサウンド」に到着。さっそくクルーズの船に乗り込んだ。目の前にはまさに絵葉書の風景が広がり、ちょっと感動!船に乗った後は、まずバイキング形式のランチをとった。私たち家族はバイキングだったけど、他の団体の日本人たちはみんな折り詰めの幕の内弁当(もちろん和食)みたいのを食べていた。ツアーって、どこまでも日本的だなあ・・・クルーズは2時間ほど、入り江を抜け、外海の入り口まで行って、また引き返してくる進路。絵葉書の風景は基本的にずっと続き、終始、甲板に出て景色を楽しんだ。途中、滝が見えたり、オットセイやイルカの群れにも遭遇した。この旅で、どちらももう何度も目にしているけど、特に船に着いてくるような様子を見せるイルカの群れには、やっぱり目を奪われる。どこに行っても、こういう自然の動物がたくさん見られるNZは、本当に良い所だなあと改めて思う。 たっぷりと、フィヨルドランドの美しい入り江の風景を堪能し、クルーズが終わると、またバスに乗り、クイーンズタウンへの帰途についた。1日の疲れで、バスに乗ると数分で眠りにおちた。。。。
2007.02.03
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3日目は、バスでクイーンズタウンへ移動。7時間近くかかるが、その途中で、マウント・クックとテカポを通った。私が大好きになったテカポは、「善き羊飼いの教会」を見る為だけのたった15分の滞在。。。でも、テカポ湖の美しさにはみんな感動していた。この日は天気も良く、マウント・クックの眺めも最高!絶好のルックポイントで、湖越しの壮大なマウント・クックの眺めを堪能した後は、マウント・クックのビレッジにも少しだけ(ここもほんの30分程度。なんて忙しい日本人の旅。。。)立ち寄った。ほんの、1週間前に日本人のおじさんたちにケーキをごちそうになったカフェで、マウント・クックを見ながらランチをとった。クイーンズタウンに着いたのは、夕方遅く。ホテルに着いた後、街におりて、少しだけプラプラした後、夕食をとった。この家族との1週間の旅で、私にとって何が感動だったかって、食事がまともなものを食べれること!一人旅中は、朝昼晩全部自炊で簡単なものしか作ってなかったし、何か買う時でもせいぜい10$以下のテイクアウト。それが、この旅行では、ちゃんとした食事が毎食食べられる!なんて贅沢!!!クライストチャーチで食べた夕食も、当たりのレストランで、すごく美味しかった。名物のマッスル(ムール貝)、ラム、サーモンなど、美味しいものは一応NZには色々あるんだけど、今の環境だと、外食をしない限り、あまり食べる機会がない。(スーパーで買って家で食べるラムは正直、あまり美味しくない・・・・)クイーンズタウンでは、これもNZ名物クレイフィシュ(伊勢えび)を初めて食べることができた。そしてその時食べたデザートの「クレームブリュレ」は感動もので、NZで食べた最も美味しいデザートだった。。。(きっと日本で食べても) それから、ホテル。当たり前だけど、ツアーで泊まるホテルは、バックパッカーズホステルとは全然違う。バスもトイレも共同、男も女もまぜこぜで常に気を使い常に誰かが出入りするドーム部屋、そしていつもギシギシ音がする二段ベッド・・・これまでのそんな生活とは違い、きれいで広いバスルームでゆっくりシャワーを浴びて、静かな部屋で手足を伸ばして眠ることができることに、ほんとに、幸せを感じました。。。
2007.02.02
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次の日は、クライストチャーチで1日自由行動。彼らが、ファームツアーに行ってみたいと言うので、現地のツアーで行くことになった。これが、とっても内容の濃い充実したツアーだった。数人の小さなツアーだったので、「羊の毛刈り」を自ら体験させてもらえたり、トラックの荷台の干草の上にみんな乗せてもらったり、牧羊犬が羊を追い集めるところを間近で見学したり、牧場の人がモーニングティーをふるまってくれたりと、短い時間の中でも盛りだくさんで、私も初めて経験することをたくさんすることができた。牧場の人たちの人柄にも触れることができて、こういうのって、団体ツアーなら絶対できないこと。家族も、すごく満足してたみたい。それにしても、一人70$のこのツアー、日本語ガイドつきだと何と一人140$。倍の値段なんてびっくり! 他にも、エイボン川でパウンティング(船頭さんがこいでくれるボートに乗ってゆっくりと川を周れる、昔行われていたという船遊び)をしたり、広場の大聖堂の上まで登ったり、トラムに乗ったり、私が一人の時周った場所を再び訪れたり、おみやげを買ったりして、2日間のクライストチャーチを満喫した。(旅のしょっぱなから、みんなおみやげの心配!「日本人」だよね~)
2007.02.01
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日本の母とおば夫婦の3人がNZに1週間遊びに来た。ここクライストチャーチで合流して、ツアーで南島を周り、その後北島のオークランド、そして、最終日にケンブリッジに来て私のホームステイ先にみんなで泊まる予定。ツアーと行っても、結構自由なツアーで大きな移動以外は、ほとんど自由行動で食事も全て自由だ。車に乗れるなら、レンタカーを借りて、みんなを好きな所に連れて行けたのだが、残念ながらペーパードライバーの私には無理。。。ツアーで周った方が、移動も楽だし、今回は私がそれに便乗する形になった。一人旅では行かずにとっておいたミルフォードサウンド以外は、既に、私にとっては周った所をもう一度行くことになるわけだけど、一人で行くのとはまた違うし、2回目というのも楽しいもの。クライストチャーチやクイーンズタウンは、一人で旅している時も、この時の為に下見も兼ねて周っていた。私の予算では入ることができない、美味しそうなレストランとか・・・とりあえずは、クライストチャーチ空港でみんなをお出迎え。そういえば、外国の空港で誰かを出迎えるなんて初めてのこと!自分がすっかり現地人になった気がした。10ヶ月ぶりの母親との対面、おば夫婦とも2年ぶりくらいの再会で、しかもこんな風な出会い方は初めて。なんだか、少し照れてしまった。ツアーのガイドの人も既にそこに来ていて、もう一組の家族と共に、さっそくクライストチャーチの市内観光に出発。ずーっとNZを旅してきたけど、日本語のガイドなんて初めて!かなり新鮮だった。やっぱり言葉が全部わかるっていいなあ。。。バスに乗らないと行くことができなかった、「モナベイル庭園」や、見晴らしの良い丘の上に立つお城のような建物「サイン・オブ・タカヘ」(今はレストランとして使われている)へ連れて行ってもらえたので、私としても満足だった。
2007.01.31
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今日は、一人旅最終日。明日は日本から来る家族と合流して、1週間のツアー旅行に出ることになる。クライストチャーチは既に何日も滞在してるけど、市内を観光するのは実に今日が初めて。ただ、明日、あさっても、家族とクライストチャーチ観光ができるので、今日は、歩いて行ける場所で、一人でのんびり見たい所を先に周ることにした。明日以降に行けるレストランチェックも含めて。朝は、ゆっくり起き、11時頃から行動を開始した。市内を流れるエイボン川の川沿いの美しい風景を見ながら、まずは「クライストチャーチ・アートギャラリー」へ。立派な建物で中身も充実、でもタダ! 隣にある「アートセンター」は、元カンタベリー大学の校舎だったというその古い建物に、様々なアーティストの創作活動と展示・販売の場が作られ、敷地も広くかなりの規模で、とっても楽しめる場所だった。中にあった「ファッジ・コテージ」ではチョコレートを試食、ついつい美味しそうなディスプレイにつられて、いくつかファッジを買ってしまったが、いつものごとく、1かけらで、板チョコ一枚分食べた後のような強烈な甘さには、最後には頬がつりそうになるのだが、完食。 東京ドーム何十個か分はある「ハグレー公園」をプラプラと歩き森林浴をした後は、エイボン川にかかる有名な橋「追憶の橋」を見て、シティ・モールを通り、ガイドブックに載っていた、「スブラキ」が美味しいというギリシア料理のお店を見つけ、テイクアウトして大聖堂スクエアで座って食べた。 のんびりモードの今日は、なんだかこれでもう疲れてしまったので、後は映画でも見て時間をつぶそうと、アートセンターの中に併設されている映画館に行って、映画を見た。でも、何を間違えたか、思っていたのと違うのを見るはめになってしまい、しかも、1日歩いた疲れで、最初の数十分寝てしまった為、完全に話に遅れを取り、その後ストーリーを取り戻すのにずいぶんかかった。良い映画だったと思うけど、半分しか楽しめませんでした。。。街の中心部に戻ってからは、インターネットカフェでブログを更新して、宿に戻り、この旅、最後のバックパッカーズホステルでの夜を迎えました。(明日からは、静かな部屋で手足を伸ばして一人でゆっくり寝れる!)
2007.01.30
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クライストチャーチからバスで2時間ほどの、アカロアという町へ行ってみた。アカロアは、クライストチャーチの南東に位置するバンクス半島にある小さな港町で、フランス系移民によって開拓された町だ。旅で会う人がみな、とても良い所だと言っていたので、ぜひ行きたいと思っていた。時間が許すなら、何泊か滞在したかったが、今回は無理。朝と夕方で往復してくれるバスを使って、1日トリップにすることにした。アカロア湾は、四方をバンクス半島の美しい緑の丘陵地帯に囲まれたこじんまりとした港。青い海の上には白いヨットがたくさん浮かび、どこを見渡しても美しい風景で、とても落ち着く静かな場所だ。フランスの面影が残る町、というといかにもお洒落な感じがするが、、着いてみると、本当にフランスの国旗が所々に掲げてあり、通りの名前もフランス名だったり、建物も少し雰囲気が違ってお洒落な感じがした。(とは言っても、私たちアジア人には、西洋の建物のどれがイギリス式でどれがスコットランド式でどれがフランスなんて見分けるのは実際のところ難しい・・・・) 小さな町なので、4時間もあれば、大体の見所は全部見て周れた。町の端にある小さな灯台を見た後、一本道でハーバー沿いにずっと歩けるメインロードを散策。お洒落なホテル、カフェ、レストランが並ぶ中、美味しいと聞いていた、フィッシュ&チップスのお店にさっそく入り、ランチをとった。NZに来て、9ヶ月。フィッシュ&チップスもさすがに珍しくなくなり、今回の旅では初めて食べた。味はまあ美味しかったけど、そのチップスの量で、最後にはやっぱりちょっとうんざりしてくる・・・アカロア博物館では、「ラングロ・イテブノウ・コテージ」という19世紀に南島で建てられた最も古い建物の一つと言われている建物を見ることができた。見た目よくわからないけど、19世紀のフランス様式のとても貴重な遺産らしい。その他、セント・ピーターズ教会、セントパトリック教会、トリニティ教会(工事中だった・・・)など、19世紀から残る建物を見て周り、残りの時間で、通りにたくさん並ぶアートギャラリーやおみやげ物屋を見て周った。NZは、私の住むケンブリッジもそうだが、大きな街よりも、特に小さな町に、アーティスティックでお洒落な店がたくさんあることが多い。大きな町のおみやげ物屋では買うことができない、独創的で素敵な作品がたくさんあり、懐が許すなら、いくらでも買いたくなってしまう所を、いつも我慢して、ただ見ている・・・町の端まで歩き一通り見た後は、アイスクリームを食べながら、元来たバスストップへとゆっくりと歩いて戻り、クライストチャーチへ戻るバスに再び乗りこんだ。
2007.01.29
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日本から家族が旅行に来ていた為、更新がずっとできませんでした。すでにケンブリッジに帰ってきていますが、旅の続きをもう少し・・・(ついでに、旅の写真を、全記事一気にアップしました!)テカポを後にし、バスで4時間。クライストチャーチへ。いよいよ、一人旅も最後に近づいてきた。南島一大きな街、クライストチャーチ。やっぱり都会です!着いた日は日曜で、この週に行われていた1年に一度の街をあげての大道芸フェスティバルの最終日。(日本人の芸人も出ていたらしい。)街の中心、大聖堂スクエアでも、大道芸人のパフォーマンスを多くの人が囲んで見ていた。 バスが着いたのは3時過ぎだったが、移動だけの日でも結構疲れるもの。もうこの日はゆっくりしようと、荷物を宿に置いた後は、大聖堂スクエアで、パフォーマンスを見たり、大聖堂の中を見たり、屋台カフェでお茶してのんびりしていた。6時から大聖堂ではチャペルがはじまるということで、中に入ってみると、そこでは偶然、数日前ダニーデンで同じ宿だった女の子と再会。彼女は、2日前に既にクライストチャーチに入っていて、明日には元々ワーホリで来ているオーストラリアに帰ってしまう。二人でチャペルを見た後、少し話をして、あまりにも、この日は疲れていて眠かったので、早々に宿に戻った。
2007.01.28
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テカポで有名なのは、ターコイズブルーの湖と、もう一つ、「善き羊飼いの教会」とその近くに建てられている牧羊犬の銅像。その景色は、いつも対岸からずっと見ていたけど、3日目にして、初めてその近くに行き、中に入ってみた。小さな小さなその教会は、湖のほとりにひっそりと建っている。(でも、テカポで見るものはそれしかないので、いつも観光客であふれている)結婚式なんかにもよく使われるらしく、ちょうど前の日誰かが式を挙げていたようだ。こんな所で結婚式をあげるなんて、ロマンチックですね。石造りのそのこじんまりとした教会は、中も小さくひっそりとしていたが、祭壇の後ろの大きな窓からは、テカポ湖とサザンアルプスが見渡せ、まるで、美しい絵画をバックにしてるような造りになっていた。他で見る教会とはまた違い、何か開放的で、特別な雰囲気を作りだしていた。記念に、教会のポストカードを買おうとした。でも、1$するところ、その時お財布には70cしか入っていなく、番をしていたおばあさんにその事を言うと、「それでいいよ。」「God bless !」と言い、ポストカードを手渡してくれた。私は、感謝してそれを頂き、ちょうどこの後の家族との旅行で、またここテカポには寄る予定になっていたので、「必ず残りの30cは後で払います。」と約束して、教会を出ました。 この教会を含め、ほんとに、ほんとにテカポは素敵な所でした。。。
2007.01.28
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テカポ2日目、朝はゆっくりと起きた。宿はいつもDormという雑居部屋。その時によって人数も違い、ベッドも二段ベッドだったり普通のベッドだったり色々。当然、二段ベッドで人数が多ければ多いほど、人の出入りや音でよく眠れない。ただでさえ、ちょっとの物音で私は起きてしまう方なので、旅中は、はっきり言っていつもかなりの睡眠不足・・・なので、たまには目覚ましをかけず、寝たいだけ寝る日がないと、とてもやってられない。テカポで泊まった宿は、Dormとは言っても4人部屋でベッドも一人でゆったり。ゆっくりと眠ることができた。朝食の後、宿の人が良いと教えてくれた、マウント・ジョンという山(というより丘)へ登ってみた。結構急な登りだったが、1時間ほどで登ることができた。頂上に着いてみると、その景色にはびっくり!!!テカポ湖、テカポの町はもちろん、サザンアルプスの山並み、近隣の湖、と365度のパノラマで景色が見渡せた。テカポの地形は、近くに大きな山がなく平地が広がっているので、そこには視界をさえぎるものが何もないのだ。はっきり言って、NZと特に南島を旅した中でも、この場所は最高の場所!とさえ思った。テカポは、星が綺麗に見えることでも有名で、マウント・ジョンの山頂には、いくつかの天文台も置かれている。そこにはカフェも併設されていて、また、そのカフェからの眺めが最高だった!!!ちょうどそのカフェには、ワーホリで働いている日本人の女の子がいて、色々と話をしたが、こんな所で働けるなんて、なんてうらやましい!コーヒーを飲みながら、景色をボーッと眺めてると、何時間でもそこにいられた。(結局2時間以上、そこにいた)NZ一(と私は思った)の景色を満喫した後は、登りとは違う、丘をぐるっと周るコースで、ゆっくりと山を降りた。これが結構長く、降りは2時間以上もかかってしまった。。。 前に書き忘れたが、今の時期、NZではある彗星が見えている。ダニーデンの宿で、たまたま教えてもらい、空を見たらすぐに見つかった。南西の空に、くっきりと真下に落ちる彗星の姿。彗星を見るのって、実は初めてかも!たまに、日本でも「○○彗星が今なら見える」とか聞くけど、星を見るのは好きだけど、どこかに行ってまでとか、それほど興味はなかったので、見たことがなかった。でも、この彗星は、見つけるのも簡単で肉眼でもはっきり見える。名前が知りたくて、マウント・ジョンの天文台に行った時、そこの人に聞いてみた。名前は「McNaught彗星」やっぱり誰かの名前らしい。そうそう、彗星が英語で「Comet」だということも今回初めて知りました。(ダニーデンで一緒に見た日本人がちょうど同じ年代で、「コメットさん」を知っていたので盛り上がった。古い・・・。今の20代は知らないだろうなあ。。。。)
2007.01.27
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マウント・クックでの2日目は、午前中しか時間がなかったが、一つ、結構急な山登りを含むコースを歩いた。運悪く、午前中は最悪の天気で、マウント・クックも他の山も全部雲に隠れ、良い景色とは言えなかった。ただ、かなりの高さまで上がったので、ヴィレジや周りの山を一望できて、見晴らし的には良かった。 うらめしいことに、ちょうど山を降りたら雲が動き始め、マウント・クックもくっきり!残りの時間、バスの出発ギリギリまで、マウント・クックが見えるところまでまた走り、写真を撮りまくった。そして、午後にはバスで2時間ほどゆられ、湖の町テカポへ。湖の町はこれまで何度か行っているけど、テカポ湖は全く違う景色だった。深いターコイズブルーの色をした湖は、本当に息をのむほど美しく、海の色、というより変な例えだけど、プールの色のようだった。この辺の氷河が溶けて湖になっているので、こんな色になるらしい。周りは、サザンアルプスの山に囲まれ、町もヴィレッジという感じで、小さな小さな町。ここも、来るのがとても楽しみにしていた町で、時間あれば、もっと何日もいたかったが、今回は2泊の滞在。着いた日は、湖畔を散歩したくらでゆっくりとしたが、本当に、どこを取っても絵になる風景。NZは今、日が落ちるのが夜10時頃なので、遅すぎていつもはなかなか夕焼けの風景を見ることができない。でも旅も終わりに近づいているし、この美しいテカポではぜひ見たいと、2日とも、夕食後サンセットの頃に、宿から出て夕焼けを楽しんだ。
2007.01.26
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