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昨日の続きです
木は神聖なものだ。
木と話をし、木に傾倒することのできる人は、真理を体得する。
木は教訓や処世術を説くのではない。
細かいことにはこだわらず、生きることの根本法則を説く。
ある木が語る。
「私の中にはひとつの核、ひとつの火花、ひとつに思想が隠されいる。
私は永遠の生命の一部だ。
永遠の母が私を相手に行った試みと成果は二つとないものだ。
私の形姿と私の木目模様は二つとないものだ。
私の梢の葉のこの上もなくかすかなたわむれや、
私の樹皮のごく小さな傷痕も唯一無二のものだ。
私の使命は、この一回かぎりのものの中に永遠なものを形づくり、示すことだ」
ある木は語る。
「私の力は信頼だ。私は自分の父祖のことを何も知らない。
私は年毎に私から生まれる幾千もの子どもたちのことも知らない
私は自分の種子の秘密を最後まで生きぬく。
それ以外のことは何も私の関心事ではない。
私は神が私の中に存在することを信じる。
私は自分の使命が神聖なものであることを信じる。
この信頼に基づいて私は生きている。」
私たちが悲しみ、もう生きるに耐えられないとき、一本の木は
私たちにこう言うかもしれない。
「落ち着きなさい!落ち着きなさい!私を見てごらん!生きることは容易でないとか、
生きることは難しくないとか、それは子どもの考えだ。
おまえの中の神に語らせなさい。
そうすればそんな考えは沈黙する。
おまえが不安になるのは、おまえの行く道が母や故郷からおまえを連れ去ると思うからだ。
しかし一歩一歩が、一日一日がおまえを新たに母の方へと導いている。
故郷はそこや、あそこにあるものではない。
故郷はおまえの心の中にある。
ほかのどこにもない」
まだ続きますが
よろしければ貴方ご自身でお読みになって…
「土と植物を相手にする仕事は、瞑想するのと同じように、魂うを解放させてくれるのです」
―ヘルマン・ヘッセは後半生、執筆に費やす以外の時間はほとんど自分の庭で過ごした。
一見、隠居趣味のように見える庭仕事の中に、
ヘッセは尽きぬ愉しみと、のちに彼の文学へと結実するさまざま
な秘密を発見した。
「自然は寛大であると同時にまた容赦のないものである」
―ヘッセは庭に佇みつつ、観察し、考える。
本書はヘッセが庭から学んだ自然と人生に関する真理を綴った書である。
と紹介されていました。
興味をもたれた方はお読みになってください。
ヘルマン・ヘッセ
『庭仕事の愉しみ』より
V/ミヒェルス編
岡田朝雄 訳/草思社
―白樺―
さまざまな形を生む 詩人の夢も
これほど精巧な枝々となることはできまい、
これほど軽やかに 風にたわむことはできまい、
これ以上けだかく青空の中に高まることはできないだろう。
情けふかく 若々しく 過度にほっそりと
白樺よ、お前は明るい長い枝々を
どんなそよかぜにも敏く動かす、
不安の思いを抑えながら。
しずかに揺れて
敏感におののいているお前の姿が、
わたくしには思われるのだ、情けの深い、純潔な
若き日の恋の心の象徴のように。
by ヘルマン・ヘッセ
世界の詩集/角川書店/片山敏彦/星野慎一 訳