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シニアの方たちからは、船への不平不満しか聞こえてこず、 船内が大変悪い雰囲気になりました。 そして、ある日、船の一番大きな部屋で、この状態をなんとかしようということで、 若者、シニアみんな集まって話し合いの場が設定されました。 シニア、若者、双方日々喧々諤々していたので、 このような場を仕切るのは、とても大変なのことなのですが、 この話し合いの場をしきっていたのが、 船の階段ですれ違うたびに気になったあの女の子だったのです。 若いながらも、彼女のみごとな仕切りで会は決裂することなく、おさまりました。 言いたいことを公の場で言いつくしたシニアの方々の不平不満の声は、 その日以来、だいぶおさまり、 船にはまた日常の空気が戻ってきたのでした。 つづく
2009年07月09日
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3か月で世界一周する船でしたが、この船に参加できる人は限られています。 まず、普通に勤めていたり、学校のある人はなかなか参加できないでしょう。 ですから、3カ月も自由に時間の取れる若者か、 すでにリタイアしているシニアの方々が、大半なのです。 この船は若者が運営している船で、船の上のイベントは有志主催の自主的なものです。 シニアの方々には、自らイベントを主催するようなバイタリティーのある方はなかなかいないので、 どうしても、船内のコンテンツは若者よりになってしまいます。 船というのは、周りは海で逃げ場がなく、非常に閉じられたせまいところです。 そこに長い間いるとさすがに飽きてきます。 とくに、お年寄り向けのイベントは非常に少ないですから、悲惨です。 あるお年寄りは、 「私の楽しみはこの朝食の日本食だけじゃ・・・。」 と朝のビュッフェでつぶやいていました。 (いまは回数も重ねて、お客さんの意見も反映されて改善されていることと思います。) ところで、船の食事は特別なディナーの日以外はすべてビュッフェ形式で、 朝、間食、昼食、おやつ、夕食、夜食、と1日6回食べ放題です。 僕の気になる女性も、この環境に3カ月もいるせいか、 かなり裕福な体になっていました。(あんまし書くとあとが大変なので…。) さて、シニアの方々からすると、 まさかポスター張りはやりませんし、退職後によし!豪華に船で世界一周!とかなり奮発して、いい部屋に申しこむ方も多く、 (ちなみに私は一番安い部屋で、船の一番したの窓のない、狭い部屋に2段ベットで4人でとまる、カビだらけの悲惨な部屋でした。) シニアの方々は高いお金を払って、船内では若者ばかり楽しんでいるので、 もう、不満がたまりにたまり、非常に険悪な状況になっていたのです。 つづく
2009年07月06日
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僕の乗る船は、12月にシンガポールを発ち、東に一周して3月にシンガポールに戻ってくる船でした。すでに出発して2カ月たった2月に他の方数名と一緒にローマから参加しました。 高校1年の時に香港に行った時以来の久しぶりの海外でした。 ヨーロッパは英語が通じるだろう、なんて思っていましたが、 イタリアでは予想以上に英語が通じない、という印象がありました。 僕は、よその土地にいくと市場など覗くのが好きです。 その土地土地の果物や野菜、物価などなどがわかり、生活が感じられるからです。 それから、ギリシャ、イスラエル、エリトリア、インド、シンガポールに寄港しましたが、 ・こんにちは ・これいくら? ・ありがとう この最低3つを現地の言葉で事前に覚えるようにしてました。 あと、港に滞在するのは時間に比例してお金がかかります。 ですから、比較的安いこの船は、やはりあまりゆっくり滞在ができないのです。 大抵1日、たまに1泊、そんな感じでけっこう現地で過ごす時間は短いのです。 ですから、全日程のほとんどは海の上です。 ですから、船の中では、次の寄港地についての勉強会が開催されたり、 講座を開きたい人が、自主的に開いたり、 いろんな係りがあって、 新聞を発行したり、 ゲスト担当の係りがいたり、 僕も長倉広海さんという写真家の方の担当になりました。 彼は紛争地やアマゾンの原住民の写真を撮ったりしています。 アフガンにはマスードというすばらしい英雄がいたのですが、 9.11のテロの直前に暗殺されてしまいました。とても残念です。 アマゾンの原住民の子どもたちの最高の笑顔を見て、 将来、子どもたちに、こんな笑顔であってもらいたい、 と思ったのを思い出します。 そして、それは今、スクールで現実となっています。 つづく
2009年07月04日
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僕は学生時代、体育会のラグビー部で4+1年間過ごしました。 「学部は?」と聞かれたら、「ラグビー部」です、と答えるでしょう。 5年間体育会で過ごすと、きままに海外旅行なんて機会がなかなかなく、 留年したので、同期の卒業旅行にも参加できず、 さいごに、いっちょ海外にいくか!と思っていると、 学内に、よく張られている「ピースボート世界一周」のポスターが目に入ったのです。 筑紫哲也さんが、「若いころに単身船に乗ってアメリカに行った」とか書いてあったり、 そして、当時読んでいた灰谷健次郎さんもその船に乗るというではありませんか! よし、これ乗ろう!とその場で決めました。 12月末から3か月で世界一周をする船でしたが、 私は2月にローマから船に乗り、最後の1か月に参加するコースに申込ました。 説明を聞きに行くと、ポスターを張ると旅費が安くなる、とのことで、 わたしもちょっとポスター張りをやってみました。 1時間あたり1000円~2000円を旅費から引いてくれるのですが、 中にはそれで無料で世界一周してしまう若者もいるそうです。 あのポスターは日本中のどこでも目にするのはそんなしくみがあったんです。 つづく
2009年07月02日
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前の日記で「どのようにして学校をつくったんですか?」というご質問をいただいたので、お答えしようと思います。これを機会に、今までのストーリーをシリーズにしてお話します。私は新卒でまず企業に就職したのですが、どうしてもサラリーマンという人生は私にあわず、1年でやめてしまいました。今から11年前の話です。でも、他になにもやりたいことが見つからない私は、ただ家に引きこもってインターネットにふけるぐらいしかやることがありませんでした。何カ月も引きこもっていると、だんだん自分の存在意義がうすくなって、このままなくなってしまってもいいんじゃないのか、なんて考えが頭をもたげてきます。死というキーワードがちらついてくると、私は元来見かけによらず小心者なので、とっても怖くなってきました。死にたくない、と思った私は、誰かに助けを求めようとしました。そして、卒業旅行先で知り合ったある女性を思いだし、連絡を取ることにしたのです。つづく(しばらく毎日かけそう!)
2009年07月01日
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