暖冬傾向で、ゴルフ場の予約が多い!
100万ポイント山分け!1日5回検索で1ポイントもらえる
>>
人気記事ランキング
ブログを作成
楽天市場
000000
ホーム
|
日記
|
プロフィール
【フォローする】
【ログイン】
★いきいき健康・ゆとり生活・応援団!
◆私のブログを紹介します。 【その5】
【1】
【2】
【3】
【4】
【5】
【6】
【7】
◆私のブログを紹介します。【その5】
「花は咲く」nhk 東日本大震災復興支援ソング(オリジナル フルバージョン)
↑↑
ランキングに参加中です。
ポチポチポチポチッ
と
☆☆☆☆
お願いします
↑↑
■エピソード(No.9):
ガード下の靴みがき
~♪おいら貧しい靴みがき、嗚呼~あ~あ~あ~夜になっても帰れない‥‥(
水前寺清子
・
宮城まり子
のヒット曲)
(1)紅(あか)い夕日が ガードを染めて ビルの向こうに 沈んだら 街にゃネオンの花が咲く
おいら貧しい靴みがき 嗚呼(ああ) 夜になっても帰れない
(2)墨(すみ)に汚れた ポケットのぞきゃ 今日も小さな お札だけ 風の寒さや ひもじさにゃ
馴(な)れているから 泣かないが 嗚呼(ああ) 夢のない身が つらいのさ
(3)誰も買っては くれない花を 抱いてあの娘が 泣いてゆく 可哀想(かわいそう)だよ お月さん
なんでこの世の 幸福(しあわせ)は 嗚呼(ああ) みんなそっぽを 向くんだろ
‥‥1955(S30)年発売、作詞:宮川哲夫 作曲:利根一郎
「うれしい!ボーナスが出た!」
っていうことで、あれは1971(S46)年の師走、
ミナミ
の難波・千日前界隈もクリスマス商戦たけなわのころで、ジングルベルが
鳴り響いて年末商戦に切り替わろうかというころのバタバタとせわしない年の瀬のころのことでした。
私エージローが
大学
を卒業(S48)するとき、卒業祝い(+就活用)に、二つ年上の長兄が自分のボーナスを割(さ)いて難波・千日
前商店街(デパート雑居ビル)でグレー系のスーツ一式をプレゼントしてくれてとても嬉しく思ったものでしたが、そのとき、兄が何か
奇妙なことを言ってるなと思っていたら‥‥
なんと、その約5カ月後に
千日前デパートビル火災
という雑居デパートビルの大火災事件が発生し、一日中、っていうか、2~3日間も
TV中継が入るほどで、とても驚かされたことがあります。
1972(S47)年5月13日22:27発生、原因は煙草(たばこ)の不始末。
死者118名・重軽傷者78名、日本のビル火災史上最悪の大惨事となったデパート火災。
「兄は預言者なのか!!」
そのとき、兄は大阪なんばデザイナー学院を卒業して心斎橋の(株)ナイティナインというデザイン会社でアートディレクター(商業
デザイナー)をしていました(
※注1
)が、デザイナーなだけにスーツ選びもおしゃれでフォーマルな高級カジュアルだったりするので
「これではちょっと派手すぎるし、高すぎるよー」
「僕は普通のサラリーマン志望なんだし‥‥」
などと、今でいうリクルートファッション系を希望して、何の変哲もないごく普通のありふれたオーソドックス・スタイルなスーツを探
して選んでもらったのでした。
しかし、「ごく普通のありふれた」と言っても一応 専門店だったので、多少はヨーロピアンスタイルのスタイリッシュなスーツとい
った印象があったり、グレーだったので意外とおしゃれでクールな感覚がにじみ出ていたりしました。
つまり、兄は商業グラフィックデザイナーだったので、スーツのセンスやおしゃれ感覚が普通のサラリーマン志望の私エージローの感
覚とは若干異なっていたわけですが、しかし、これは大した問題ではありませんでした。
なぜなら、結局、社会人になって大阪・道修町の東証一部上場企業で創業300年の老舗の大手製薬会社(本社・開発部門)で働き始
めてみると、会社の空気に合わせなければならなかったりするし、最初、年に3~4回はスーツやネクタイ、皮靴なども新調しなければ
ならなかったりしたのですから。
そして、大阪の大手百貨店の
高島屋
の外商部が会社のお昼休みなどにオーダーメイドのスーツの注文を取りに来たりするのでしたが、
かなり高級な生地を使っていたりするので、「年間ボーナス8カ月で福利厚生の充実した歴史と伝統のある安定した老舗製薬会社」(+
社員持ち株制度+社員持ち家制度+企業年金制度)が売りではあるものの、平社員にはとても手が出せるような代物ではなかったりする
のでした。
(
※注1
)
高度経済成長期(1954~1973年)のさなか、明朗快活でちょっと神経質、仕事熱心で頑張り屋さんだった兄はこの5
年後に社長に抜擢(ばってき)され、更にMIYAKE TRADING CO.LTDと社名を変更するなどし、以後30数年、心斎橋
や南船場でベンツオーナー、会社の経営者を務めていました。
そして、今回の火災事件については、千日前デパートでのスーツ選びのとき、店内でスーツの左腕の筒袖の先端部分のタグ(値札+α)
を兄にカットしてもらう際、店員さんから借りた剃刀(かみそり)の刃が服地に軽く接触しただけなのに生地が2cmほども傷ついてし
まった(
※注2
)のでした。
「こういうときは、何か悪いことが起こりそうな気がするんだよな‥‥」
人気TVドラマの警部補
古畑任三郎
似の兄も仕事の関係できっと、この雑然極まりない雑居デパートビルに出入りすることも多かった
はずであり、防災関係のいい加減さなどにいち早く気が付いていた可能性があると思ったりするのでした。
「あの背広を買った千日デパート、あそこはそのうち、何かあるぞ‥‥」
当時、自宅にいたとき、兄はそんなことを言っていましたが、私エージローには何のことだかさっぱり分からず、右から左へ聞き流して
いたのでした。
(
※注2
)
こういうときは大体、小さめの安全な裁縫バサミを、すぐに見つからなければあちこちと探したりして持って来てくれるもの
なのですが、そのときも生憎(あいにく)探し物が見当たらず、仕方なく、裾(すそ)上げなどに使う、よく切れる小型の裁縫用の安全
カミソリを使うことになったのでした。
27才独身、私エージローがまだ結婚する前のサラリーマンで、大阪の食品会社で平社員、言葉は悪いですが、大ファンの
ミヤネ屋
さ
んが使いそうないわゆるペースケ、ペーペーをしていたころ、外へ出て市場調査や新製品開発やクレーム処理、品質チェックなどのため
あちこちの
ダイエー
、
ジャスコ
、
イトーヨーカドー
、
ユニー
など大型スーパーや
天神橋筋商店街
や
千林商店街
、
淡路本町商店街
、公乾会
の公設市場などを車で回ったりしていましたが、たまに大雨に祟(たた)られることもあり、びちゃびちゃの靴のまま疲れて帰宅して、
BQ(バタンキュー)で翌朝を迎えたりすることもありました。
ちなみに、BBQ(バーベキュー)で、びちゃびちゃの靴はなかなか一晩では乾いてくれないことが多いし、乾いてくれないと靴墨(く
つずみ)が塗れないし磨けないし、予備の靴はボロだったり、新しい靴は靴ずれを起こしやすくてフィット感もなくて履(は)きにくか
ったりしますよね‥‥
さらに、上記の千林商店街は、当時のベストセラー「
価格破壊
」(城山三郎著)、「流通革命の真実」(渥美俊一著)で脚光を浴びてい
た有名な大型スーパー「ダイエー」の発祥地である「中内商店」という乾物屋兼八百屋があった商店街ですよね。当時もまだ存在してい
て、外回りのとき、新製品発売の挨拶がてら訪店したりしましたが、商談は当時、大阪・西中島南方駅近くの巨大高層ビル「ダイエー本
部」で仕入部と年間一括契約を行うのが普通で一般的でした。
そして、そんな場合、急いで軽く朝食をとって家を飛び出し、地下鉄に飛び乗り、その途中などで、あとで靴の汚れに気が付いて
「ちょっとぐらいの汚れなら‥‥ま、いっか。」
と、いやな思いをしながら職場に着き、仕事をし、そして外に出なければならないときや、人に会うときに困ってしまうわけで、泥まみ
れの靴では合わせる顔がない‥‥
「昨日は大雨にたたられちゃって、帰りも遅くなって、さんりんぼう、さんざんでした‥‥」
などと変な言い訳をするわけにもいかないし。
あれは確か、会社を出て、地下鉄と環状線がひとつに繋がった大阪・福島駅へ向かう途中の出来事でした。
待ち合わせ時刻に間に合わないと気まずいので、汗だくの速足(はやあし)で歩いていたときのこと。
ふと足元を見て、日中の明るい日差しの中で、日にさらされ直射日光を浴びて汚れがかなりひどいことにショックを受けながら、
「どうしようか?拭くものもないし、困ったな‥‥」
と焦っていたそのとき、ふと右前方20mぐらいのところの大阪環状線のガード下に小さな露天ショップ、
「靴みがき100円」
という黒のマジックかペンキで書いたような雑な手書きの小さな看板が目に飛び込んで来たのです。
「自分の靴ぐらい、自分で磨きますよ。」
咄嗟(とっさ)のことで、気が動転。
「困ったな、でも仕方がないし‥‥みんなに、こんな足元を見られるのも恥ずかしいし‥‥」
思い切って、止むを得ず、靴みがき屋に飛び込んでしまったんです。
「あーすいません、急いでるんですが。」
「わかりやした。」
若い30半ばぐらいの元気そうな、いわゆるまあまあ男前な感じのお兄さんでした(
※注3
)が、その間1~2分、見事な腕捌(さば)
き、ウエスさばきであっという間に、ピッカピカ。まさにプロの技で大満足に仕上がり、
「いやーどうも、ありがとうございました!!助かりました。」
と100円玉を渡して、駅へと急ぎましたが、すご技の連続で今だかつて見たことも無いようなピッカピカに磨き上げられた靴を見て大
満足、晴れ晴れとした爽やかな気分になりました。
(
※注3
)
返事をするかしないうちに、読んでいた新聞をパッと畳(たた)んで横に置きすぐに仕事に入りましたが、この新聞について
は近くの福島駅の構内のKIOSKで仕入れたものだったのだろうと推測され、お客さん相手の商売なので、いろいろな最新情報、つま
り阪神巨人戦のナイターの結果だとか、GIレースの結果だとか、大きな事件の顛末(てんまつ)、経過だとか、株式市況だとか、その
日の天気、社会面のニュースなどを、お客さんのニーズに合わせて予備知識や情報として頭に入れておく必要があったため、時間のある
ときにそっと目を通していたのだろうと考えられました。
また、当時は
ゲルマニウムラジオ
などというのも発売されていて、ボリュームを下げて聴くなどすれば、小型のポケット・ラジオもニュ
ースその他のいろいろな生活情報、音楽情報などを拾い上げるのに大変重宝するものだったように記憶しています。
水前寺清子
(宮城まり子)のヒット曲
ガード下の靴みがき
を思い出しながら、今回のこれは1978(S53)年の6月ごろの話で、大
阪駅構内や周辺などでも当時たまに見かける光景であり、とても商売熱心で、プロの技で自信満々に商売をしている人の元気そうな姿に
感動したのでした。
「でも、ちょっと顔に靴墨を付けたようなあのお兄さん、すっごい儲(もう)けてるらしいよ。」
っていう近所の主婦たちの噂も耳にしたことがあり、太平洋戦争末期の1945(S20)年3月13日の
大阪大空襲
で父母・祖父母な
ど一家の大黒柱などほとんどを失い突然、戦災孤児になってしまったのか、終戦から30数年が過ぎ、焼け跡、焼け野原から大きな発展
を遂げた大阪の、戦後の目覚ましい復興の陰で厳しい生活を余儀なくされている人たちも多くいたはずであり、とても複雑な気分になっ
た一日でした。
しかし、あのとき、私の声を聴き 顔を観て、
「分かりやした。」
と愛想よく元気よく答えた若い35ぐらいのお兄さんの表情がほんの一瞬 10,000分の1秒間ぐらい曇ったような気がしたんです。
しっかり見逃さなかった彼の心の叫びとは:
「50ぐらいの年配で所帯持ちのおじさんなんかの靴なら磨きやすいけど、こんな世間知らずの青二才のような生意気そうなヤツの靴な
んか磨けるもんかい!派手なネクタイ(
※注4
)締めおって、この苦労知らずのお坊ちゃん野郎!自分の靴ぐらい自分で磨け!」(*)
一瞬、心のなかで 10,000分の1秒間ぐらい、そう叫んだような気がしたんです。
そう叫んだあと、全てを忘れて夢中で、大急ぎでプロ仕込みの仕事に取り掛かったような気がしたのです。
(*)このときの27才独身の私エージローの心の叫び:
「冗談じゃありませんよ。人の気も知らないで、何言ってんの。オレ(ボク)はそんな、あーたの考えてるような横着で横暴でいい加減
なヤツなんかじゃありませんよ。今朝、いろいろな事情で、靴をみがく時間がなかっただけですよ。ったく、失礼なヤツだな‥‥笑」
つまり、この若い靴みがき屋さんは明らかに派手なネクタイ(
※注4
)を締めた27才独身の私エージローのことを実に見事に誤解し
ていたわけですが、大阪は人の情の厚い町、福島区内に住む人たちも焼け跡から苦労して立ち上がり、戦後の経済復興、高度経済成長期
の流れに沿って安定した生活を取り戻していたわけであり、同じ町内会のガード下にこんな事情のありそうな露店の靴みがき屋があると
とても気になり、とても放っておけないので、声をかけ事情を聴き、いろいろと町内会でも集まって面倒を見、あれこれと世話を焼いて
いたのではないかなどと容易に想像できたのでした。
(
※注4
)
今回の「派手なネクタイ」に関しては、派手か地味か普通かは感情的なもつれの部分で感じ方が違って来るような微妙な一面
があり、芸能人ではないので、地味な性格の私エージローは大体、やはりいつも普通で地味なネクタイを締めて出勤していたし、当時決
しておしゃれなタイプの人間ではなかったし、ずっと普通の何の変哲もないようなネクタイを締めて内勤の仕事をしていたので、同じ普
通のネクタイでも、さまざまな状況変化に対応して、派手に感じる場合と地味に感じる場合があるということで、この靴みがき屋さん、
年下の若い「派手な」ネクタイの男がやって来たので、一方的に勝手にジェラシー、少し妬(ねた)んだようなのでした。
また、当時、広いオフィスの営業部の女子事務社員Dさんと、少し離れたデスクの若手の営業社員Eさんとの間で、師走の朝礼のあと
の忙しい時間帯に大きな声で、こんなやりとりがあったりしました。
Dさん「あ、きょうは○○さん、彼女とデートでしょ!!」
Eさん「え、藪(やぶ)から棒に、どうして‥‥??」
Dさん「だって、今日はいつもと違って、派手なネクタイ締めてるもん!!」
Eさん「いやいや、そうじゃない。今日は大きな商談があって、お客さんの接待があるんだよ!!」
Dさん「うっそー、デートよ!!匂いで分かるんだから!!デートの匂いがする!!」
Eさん「‥‥待てよ、大きな声で。みんなの前で、朝っぱらから変なこと言うなよ‥‥」
こうして、バツイチの子持ちの30すぎのDさんは、ちょっといい男のEさんにあれこれモーション(打診)をかけたりするのでした。
そして、いわゆる社内恋愛系の話になりますが、その後、DさんはEさんの心をうまく鷲(わし)づかみに掴(つか)めたのか、二人は
うまく行ったのかどうかなどについては、まったく詳細不明です。
なぜなら、この後、私エージローは市場調査、新製品の開発や発売など外回り中心の現場から離れ、白衣に着替えて、工場内の食品衛生
管理、品質管理などの内勤の仕事に戻ってしまったからです。
そして、1979(S54)年4月、大阪市内で「新婚さん」となって、住宅ローンに苦しめられながらも、いわゆる愛妻弁当を持っ
て出勤する内勤の日々が続き、運動不足と食べ過ぎがたたって肥満が気になり始め、勤め先の食品会社・配送センターの主婦の事務員M
さんから、
「うちの息子、長男の面倒を見てもらえない?中学3年で受験生なんだけど、因数分解など数学が大の苦手なのよ。」
と、仕事中に声がかかり、
「了解しました。残業が無くなったので仕事が終わって午後5時半ごろに、ご自宅までお伺いしますので、よろしくお願いします。」
それからまた、管理人さんに許可をもらって、新居の大きな
新築分譲マンション
の1F掲示板に
「中学3年生の家庭教師、承(うけたまわ)ります」
などという張り紙を出したら、2~3日のうちに同じマンション上階の主婦Yさんから電話が来て、
「うちの娘、港南中学校の3年生で受験生なんですが、英語が大の苦手で困ってるんですよ。お願いできませんか?」
母校(第1期生)の後輩だったし勿論、引き受けましたが、当時、月謝は週2回で@25,000円とさせていただいておりましたが、
本業で残業が無くなったころだったのでとても助けられたのでした。(エージローの余談・忘備録)
そして、人間万事塞翁が馬っていうか、苦労(辛抱)する木に花が咲くっていうか、ちなみに、たまに、よくある話ですが、こういっ
た若い元気のある人たちが
吉本興業
にスカウトされたりオーディションに合格していい役をもらい、箕面などの高級住宅街に新居を構
えて、いいお嫁さんをもらってハッピーエンドなんていうような噂を大阪の地元ではたまに耳にするのでしたが、私エージローの住んで
いた近所でも
吉本
へ入ってトントン拍子にいい仕事にありついた、などというような話がよく、たまに、当時、出回っていたような気が
します。 ‥‥‥【文責・写真】エージロー(2014.12.10.Wed.更新)
ただ今20万本のチューリップで花絵中 in 世羅高原
posted by
(C)エージロー
インターネットの新時代・21世紀になったので、長いサラリーマン生活にピリオドを打って、今から10年あまり前になる、2004
(H16)年1月17日からインターネットを導入し、同年2月1日付けで念願の
エムアイ産業翻訳研究所
を立ち上げ、折から開発・発
明された人気の「ブログ」(進化型HP)やSNSを研究し制作・運営して、その間、3人の息子たち(30~34才)も元気に独立し
て、孫が4人。
2010年2月から健康志向の強い団塊の老夫婦二人で年金生活をしながら、インターネット時代の花形、人気の
ネット翻訳業
と
ITコ
ンサルタント業
、
生涯学習教育文化事業
(家庭教師など)を営む生活を地道にコツコツと続けています。
【
お問い合わせ
等】につきましては、
エムアイねっとクラブ事務局
【
e-mail
】、または【
Tel
/
Fax
】0848-38-9511(自宅)、【
携帯
】080-3882-6038(三宅)まで、
よろしくお願いいたします。
【参考】
エージローの楽天【全国総合ランキング】詳報(速報)
エムアイ産業翻訳研究所へようこそ。
【その1】
私のブログを紹介します。
【その1】
私のブログを紹介します。
【その2】
私のブログを紹介します。
【その3】
ワルツ「高原のムスカリのさざ波」
posted by
(C)エージロー
■エピソード(No.10):工学博士(化学)との遭遇
高校3年生のときのクラスメートのB君は大学院在学中に、自然界ではごちゃごちゃに混在するという構造式上の右旋性の天然ゴムと左
旋性の天然ゴムについて、それを別々に、特殊な触媒を使って右旋性と左旋性に分離させることに成功したそうです。
つまり、有機化学でいう
光学異性体
の話なのですが、私エージローの場合、東大・安田講堂がゲバ学生に占拠され東大入試が突然中止に
なった1969(S44)年3月の
大学
入試で必須科目の化学で満点(200点)を獲得し合格したという経緯(いきさつ)があって今
でも化学にはとても興味があり、B君の場合、今回、数多(あまた)あるなかから、ぴったりの触媒を探し出さなければならなかったの
で時間との戦いとなり、たいへん苦労したそうです。
大学院4年間の最後の年に、B君はそれを締め切りぎりぎりの直前に成功させ博士号論文(和文・英文)を全てオフィシャルにして、無
事に博士号を取得し、最高の状態で大学院博士課程を卒業できたという奇跡に遭遇。
「ぼくは、本当に運が良かったんや‥‥」
焼き鳥を食べながら感慨深げに、そんなことを語っていました。
団塊の私エージローが大阪市内の食品会社に勤務していた若いころのある日、新製品開発の試料などを検討するため協力会社で取引会社
でもあるC社の和歌山工場へ単身で阪和線などを乗り継いで電車で不定期通勤(日帰り出張)をしていたころの話です。
高校を卒業するとき、たまたま同じ大阪市立大学工学部(化学科と建築学科)(
※注1
)を受験することになっていたB君に教室で誘わ
れていたので、二人で待ち合わせて試験会場、当時の大阪市東区の大阪市立扇町高校へ行ったのが1968(S43)年3月のこと。
(
※注1
)
「建築学科は難しいぞ‥‥」って、B君が高校在学中に私エージローに言っていましたが、私の母方の祖父が大阪府知事の免
許を持つ一級建築士だったし、結婚して後で知ったことですが、大阪の自宅の近所にも大阪府知事の免許を持つ一級建築士の親類がいて
永年N工務店を営んでおり、さらに一級建築士があと2名ほどいることも知りました。
そして結局、父母や兄が建築デザイン事務所を夢見てしきりに「建築学科」を勧める理由があとで分かったわけですが、小学生のころの
逆まつ毛が原因で左目の視力が低下していたし、私エージローには「建築学科」は全然向いていないような気がしていながら受験したた
めか、結局不合格となりました。
そして、ちなみに、中学三年の卒業のとき、3年間無遅刻無欠席の「三カ年皆勤賞」をいただきましたが、その時は同じクラスメートの
中にもう一人、「三カ年皆勤賞」の受賞者(女子)がいて、
「意外と少ないものだなあ‥‥」
と嬉しく誇らしく思ったものでした。
高校では欠席はなかったものの、寝不足が祟って朝の登校時の5~10分間の遅刻が2年生のときに5回ぐらい、3年生のときに14回
ぐらいあったため、「三カ年皆勤賞」はいただけませんでしたが、これは朝の地下鉄(ラッシュアワーなので3分間隔の運行)を一本乗
り遅れると5分、二本乗り遅れると10分の遅刻となり、校門で待ち構える当番の先生方に朝からガーガー小言を言われるのが大の苦手
でした。
また、大阪市大を一つ受けた時点で、高校2年のときのクラスメートで近所の親友K君が遊びに来て、
「受験生が爆発的に増えてかなり競争が厳しいみたいだから、一旦いっしょに、一年浪人してしっかり受験勉強しないか?」
と持ちかけられ、教育熱心な父とも相談すると、
「確かに、こうも競争が激しいと団塊のお前たちも大変だし、長い人生のなかで、一年ぐらい遊んでも大したことはない、ここは一年、
しっかりと受験勉強をしたほうがいいかも知れんなあ‥‥、だから、生活費その他の心配は全然しなくていいから、集中してしっかりと
勉強しなさい。教育資金などはちゃんと用意してあるからね。」
結局、大自然満喫派系でパイロット希望だったK君と二人で一年間のいわゆる自宅浪人をすることが決まり早速、まず気分転換のため、
1968(S43)年の4月13日ごろから3泊4日の予定で、K君の母方の故郷の富山県方面(永平寺・東尋坊・立山連峰の極楽坂ス
キー場・高岡大仏・富山城・兼六園・黒部立山アルペンルートなど)に向け、自由で気ままな二人旅に出たのでした。
そして、その後、連絡を取り合いながら毎日猛勉強をして当時、工学部建築学科の必須科目だった「物理」よりも現生物資源学部の必須
科目だった「化学」との相性が高校在学中より良かったので、数研出版の「チャート式化学」とその計算問題集を徹底的に攻略し結局、
「開学以来の快挙」だという満点(200点)をとって現三重大学生物資源学部に無事合格。
祖父も家内の叔父も大阪府知事の免許を持つ一級建築士だったので、私エージローの両親や兄妹たちは「建築設計デザイン事務所」を夢
見て熱心に応援してくれていて、それで熊本大学(一期校)と福井大学(ニ期校)の建築学科も受験したわけでしたが、結局、工学部と
は縁がありませんでした。
親友K君は人気の第一希望、大阪府立大学工学部航空工学科を受験したものの不合格となり、熱烈なパイロット希望で国家公務員を受験
して、身体(精密)検査で心臓の状態がわずかに機長職に向かないことが判明し、結局、全国の空港のレーダー室勤務の航空管制官とな
り、41年間にわたり週休三日制の激務をこなし無事に関空(関西空港)で退職し、神戸・芦屋浜に居を構えて現在、神戸のヘリポート
に元気に勤務中です。
それ以来、実に10年余りが経過したころ、たまたま偶然に夕方、仕事の帰り道で、そこそこに混雑する通勤電車(地下鉄)を下りてし
ばらく歩いた路上で突然、後ろからB君に声をかけられ仰天。
「いや~~~ひっさしぶりやねえ~~!!」
「高校を卒業したとき以来やから、何十年振りかやねえ~~~~!!」
「元気にしてたんやね、良かった良かった!!」
っていうことで、「新婚さん」と呼ばれる直前のB君と一緒に地下鉄A駅前の焼き鳥屋へ入り、ビールで乾杯。
夕飯前だったので、空(す)きっ腹に焼き鳥がとても美味しく、よく冷えたビールが空腹の腸(はらわた)にしみ込んで、爽快だったの
をよく憶えています。
時候的には9月下旬ごろの気温で、私エージローも所帯を持つため貯金をはたいて新築分譲マンション購入を決めた1978(S53)
年9月ごろの話で、大阪・御堂筋の三和銀行本店へ仕事の合間に住宅ローンの手続きに行くなど、割合ばたばたしていたころでした。
ちなみに、その2~3年前から、東京の首都圏で戦後初めてマンションブームが起こり始め、それが大阪・近畿圏にも飛び火し始め、
スタイリッシュで快適な住み心地が人気を集めて建設ラッシュが始まり、高度経済成長期のさなか、インフレが続き、私エージローが
購入した4年後ぐらいには、マンションの平均販売価格があれよあれよという間に、あっという間に約2倍に跳ね上がり世間も仰天、
もう庶民にはとても手の届かない状態となったのでした。
それ以来35年余りが過ぎましたが、現在もその跳ね上がった状態のときの販売価格が一般的な価格となって安定しているようです。
そして、不定期にC社の和歌山工場へ日帰り出張をしたりしていたある日、また再び、あれから約1カ月後ぐらいに、元クラスメートで
工学博士である「新婚さん」のB君と、夕方の阪和線の仕事帰りの電車の中で、たまたま再び鉢合わせ。
「いや~~~また会ったね!!」
「いやあ~~~久しぶりい~~~!!」
「どんなん、忙しいー??」
「まあ~ぼちぼちやけど、まあまあ忙しいなあ~」
今度は
浜寺公園
駅で途中下車して、新婚さんの自宅まで押しかけ遊びに行くことになり、美人の奥さんと3人でほかほかの美味しい夕飯
をいただきながら、積もる話に花を咲かせたのでした。
B君はそのとき、食品会社の研究室に勤務していて、個人的には、将来的には、何かの大きな特許を取得し、老後の安定のために少し貯
金をしたいと、その希望、夢を語っていました。
しかし、「二度あることは三度ある」っていいますが、当時、それぞれがそれぞれに忙しく、私エージローの場合、社運を賭けた新製品
の開発(
※注2
)などで大阪から九州・柳川工場まで急きょ飛行機で日帰り出張をしたり、
味の素
の100%出資子会社の京都・宇治工
場へ、当時としては時代の最先端技術だった
フリーズドライ
の製品の開発などで日帰り出張するなど不定期にバタバタしていたので、残
念ながら、さすがに三度目の奇跡は起こりませんでした。
(
※注2
)
当時は、フリーズドライ製法、三菱化学の
脱酸素剤
、林原化学の
プルラン
など、食品の包装資材などの開発も担当していて、
工場内の研究開発室で毎日、造粒機や乾燥剤、調味液、大腸菌群検査、重金属検査など食品衛生法に沿ったものの開発のため、地下鉄御
堂筋線・江坂駅近くの
日本食品分析センター
に出入りするなどし、営業品目、商品アイテム数を増やすことは会社の悲願だったので、営
業本部付きの新製品開発プロジェクトチーム(5名)が発足しました。
「昭和元禄花盛り」と謳われた高度経済成長期のさなか、作れば売れるといういい時代だったので、ヒット商品などの市場調査のため、
あちこちの大型スーパー回りを続けて、新製品4品目の開発に漕ぎつけ、当時、1台1500万円のオートパッカーを製造工場内に導入
して試作を続け、工場・配送センターを含めた本社内の社員・パートさん全員による試食アンケート(食味テスト)、統計学でいうとこ
ろの無作為化二重盲検試験(カイ二乗法による有意差検定)を実施し、先発メーカーの製品と比較しても何ら遜色がないことを確認し
て、外回りの営業部員全員が商品サンプルを車に積んで大阪市内・府下・近畿圏内のあちこちにその配布を始めました。
ところが、いつまで経(た)ってもさっぱり売れず、まったく注文が来ず、閑古鳥(かんこどり)が鳴き始めて在庫の山、いわゆるデッ
ドストックが厳しくなり、営業本部からクレームが来るという想定外で予想外の展開となったのです。
「開発した本人が、開発者がまず、売って来るべきではないのか!!」
「よし、分かった。それじゃあ、5人で外を回ろう!!」
当時は地下鉄で通勤していましたが、自動車の運転免許を取得して間がなかったものの、人より1時間早く出社してタイムレコーダーを
押し、1300CCのトヨタハイエースに乗って交通量の多い大阪市内を午前9時までの約1時間、西区の阿波座方面、靱(うつぼ)公
園周辺などをグルグルとあちこちと試運転して帰り、ミーティングのあと一人一人がばらばらになって大阪市内・大阪府下などを乾物の
商品サンプルを持ってばらばらに回ることになり、それが1978(S53)年の11月初旬ごろのことでした。
そして、それから約1か月ぐらいが経過した12月初旬ごろのこと、私エージローが今日はどこを回ろうかと思案しながら、適当な駐車
場に車を置いて、日本一長い大型の
天神橋筋商店街
の広々としていて長いアーケード2.6キロをゆっくりと北に向かって1キロほど歩
いていたときのことでした。
「よし、はい、それじゃあ、これを5万人分、うちの商店街の年末の福引きの末等に使わせてもらいますから、5万食分、年末までにき
っちり5万個を用意してくださいね。原価の件や、単価についてはまた、あとで話を詰めましょう。」
「ありがとうございます。了解しました。早速手配をさせていただきますので、今後ともひとつ、よろしくお願いいたします。」
ついに、そのときが来ました!!
これが初めて新製品が売れた瞬間、肩の荷が下りた瞬間でした。
天神橋筋商店街の商店街組合連合会の年輩の会長と直接事務所で新製品の発売についての商談をさせていただいた結果、タイミングよく
大型の注文がとれたのでした。
1ケース(パッキングケース)が30個入りの商品なので、
50,000個÷30個/箱=1,667ケース(箱)
結局、この話を会社へ持ち帰ると、あまり期待されていなかっただけに、年末商戦ですでにバタバタしていた師走の社内はパニック状態
となり、工場の生産ラインの予定がすでに満杯状態でほとんどゆとりが無いという状況のところへ突然、新製品の大量注文が舞い込んだ
ため、嬉しい悲鳴のなか、製造部や営業部、総務部などとミーティングを繰り返して、徹夜残業も止む無しか、でも製造スタッフの健康
管理も最優先にしないといけないし、
「確かに、残業手当はたくさん付くけど、頑張りすぎて体を壊(こわ)したんじゃあ、シャレにならないし、元も子もないしネ。」
「じゃあ、残りの800ケースは早めに生産の予定を組んで、来年(の年末)に回せばいいんじゃないの。来年のことを言うと鬼が笑う
かもしれないけどねー」(社長)
「年内に1,600ケース」は、とても製造が追いつかないし間に合わないので、
「取り敢(あ)えず、年内に800ケースを納品する」
という話し合いで一件落着、決着をみるに至ったのでした。
そして、この呼び水をきっかけに、あちこちから注文が入るようになり、味の素や
ヤマキ
など大手食品メーカーの製品などとコラボした
お中元・お歳暮の組み合わせ商品としてアイテム数が増えることとなり、ますます売れる商品に成長して、あれから36年が経過した現
在も全国区の大型スーパーや百貨店などのギフトコーナーの主力商品としてよく目にすることがあり、ますますバラエティーに富む商品
が開発され、全国的な規模でますます順調に売り上げを伸ばしているようです。
最後に、「働かざる者食うべからず。」
団塊の世代の1949(S24)年生まれは全国に270万人いて、生まれた時から厳しい生存競争に直面していたわけでしたが、のん
びりとして穏やかで真面目で地味な性格のA型、団塊の私エージローの場合、若いころから子育てが終了するころまで、いつも内面は前
向きないわゆる猛烈社員であり企業戦士であったので、「働かざる者食うべからず。」を実践して来たと言えるでしょう。
そして、2010(H22)年2月より団塊の老夫婦二人で年金生活をし本籍地の法定家督相続人(跡取り・世継ぎ)(
※注3
)となっ
た今も、
翻訳業
、ITコンサルタント業、生涯学習教育文化事業(家庭教師など)を営む筋金入りのばりばりの現役なのであります。
(
※注3
)
本家最後の生き証人であり長男の嫁で永年真鍋島農協の組合員だった畑作りの名人のA婆ちゃん(1905~2007)は
102才3カ月まで元気に長生きをしましたが、2007(H19)年06月02日(日)、突然、お別れの日がやって来ました。
これが天寿を全(まっと)うした人の晴れやかさなのかと思ってしまうぐらい、その日の岡山県玉野市は朝から雲一つない青空の広がる
快晴の一日で、ツツジ、フジ、アヤメ、バラなどの花が咲き乱れ緑したたる霊園パークは爽やかに晴れ渡り、心地よく新緑の初夏の風が
吹きわたっていました。
そして、その斎場で深い悲しみのなか、亡骸(なきがら)を荼毘(だび)に付すとき、進行係の市の担当者が大きめの声で、
「それでは喪主の方、前へ出て着火ボタンをお願いします、押してください。」
と参列者全員に向かって告げたとき、多少戸惑いましたが、周りから
「早く!」
と催促されながら、その着火ボタンを押したのは他ならぬこの私エージローでした。
そして、遅まきながら、このとき初めて、やっと頑固な風邪が治り多忙な毎日を送っていた私エージローは、好むと好まざるとに拘(か
か)わらず、自分が突然、喪主になっていることに気が付いたのでした。
‥‥‥【文責・写真】エージロー(2014.12.10.Wed.更新)
■エピソード(No.11):王将にまつわる話
王将
‥‥‥‥
村田英雄
の300万枚のミリオンセラー・ヒット曲で 1961(S36)年11月にレコード発売。
(1)吹けば飛ぶよな 将棋の駒に 賭けた命を 笑わば笑え うまれ浪速の 八百八橋 月も知ってる 俺らの意気地
(2)あの手この手の 思案を胸に やぶれ長屋で 今年も暮れた 愚痴も言わずに 女房の小春 つくる笑顔が いじらしい
(3)明日は東京に 出て行くからは なにがなんでも 勝たねばならぬ 空に灯がつく 通天閣に おれの闘志が また燃える
歌手:村田英雄
作詞:西條八十
作曲:船村徹
最近は、コンピュータとプロ棋士が対局をする電王戦が注目されていて、第3回目の今年もプロ棋士の1勝4敗という結果となり、プロ
棋士の敗戦が続いているようですが、コンピュータが独自の縦横無尽な定跡破り・型破りな手を指して初手合いのプロ棋士を混乱に陥れ
ているのかもしれません。
「でも、コンピュータはそんなに強いとは思いません‥‥」(敗戦のプロ棋士)
1997(H9)年ごろだったか、名人戦の挑戦者に決まった現日本将棋連盟会長の谷川九段が地元神戸(大阪)から東京へ対局に出る
とき、その壮行会の席上でこの大ヒット曲「王将」を熱唱したそうですが、会場の熱心なアンコールに応えて2~3回も酒の勢いでこの
不朽の名曲「王将」を歌い続けたというエピソードが残っているようです。
以前定期購読していた「将棋世界」にそんな記事が掲載されていたのを憶えていますが、私エージローの場合、大阪のアーケード街に何
度も鳴り響いていたようなこの曲を痺(しび)れるような思いで聴いたのは小学6年生のころで、TVや紅白などで頻繁に歌われていた
ので、お気に入りの歌詞も自然にそのほとんどを憶えています。
それから、2~3年が経過した中学生のころ、弘法(空海)も筆の誤り、っていうのか、達筆だった父が親友の船大工さんの仕事場から
厚さ10cmほどの杉の板をもらって帰り、彫刻刀で簡単な筋を引いて手作りの将棋盤を作り、兄と三人でぱちぱちとはさみ将棋を指し
て遊んでいましたが、やがて本将棋を教わるようになり、へぼの中飛車を教わって、時間のあるときに一家でのんびりと将棋を楽しんで
いました。
そして結局、おそらく、この全国的なヒットを飛ばした名曲のお陰で日本の将棋人口はかなり、一気に、爆発的に増えたものと想像され
るのでした。
■
振猛流の糸谷七段(26)竜王位を奪取。
■
「振猛」の糸谷七段が竜王位奪取。快挙、広島県出身棋士56年ぶり。
- 2014.12.06.
‥‥(つづく)
‥‥‥【文責・写真】エージロー(2014.12.10.Wed.更新)
花絵の中でウキウキわくわく
posted by
(C)エージロー
【1】
【2】
【3】
【4】
【5】
【6】
【7】
当サイト
TOP
へ
ジャンル別一覧
出産・子育て
ファッション
美容・コスメ
健康・ダイエット
生活・インテリア
料理・食べ物
ドリンク・お酒
ペット
趣味・ゲーム
映画・TV
音楽
読書・コミック
旅行・海外情報
園芸
スポーツ
アウトドア・釣り
車・バイク
パソコン・家電
そのほか
すべてのジャンル
人気のクチコミテーマ
今日の体調
金曜日の夜は穏やかな天気頼む
(2024-11-17 15:34:36)
スポーツジムに通っている人
11/24トレーニング
(2024-11-24 19:54:08)
万歩計
1万歩越え
(2022-02-27 11:29:33)
© Rakuten Group, Inc.
X
共有
Facebook
Twitter
Google +
LinkedIn
Email
Mobilize
your Site
スマートフォン版を閲覧
|
PC版を閲覧
人気ブログランキングへ
無料自動相互リンク
にほんブログ村 女磨き
LOHAS風なアイテム・グッズ
みんなが注目のトレンド情報とは・・・?
So-netトレンドブログ
Livedoor Blog a
Livedoor Blog b
Livedoor Blog c
楽天ブログ
JUGEMブログ
Excitブログ
Seesaaブログ
Seesaaブログ
Googleブログ
なにこれオシャレ?トレンドアイテム情報
みんなの通販市場
無料のオファーでコツコツ稼ぐ方法
無料オファーのアフィリエイトで稼げるASP
ホーム
Hsc
人気ブログランキングへ
その他
Share by: