はにわきみこの「解毒生活」

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2005.04.06
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 レクチャーは、足がつく深さから始まった。水面に浮かべたボードに腹ばいになり、背中を反らせて両手で波をかく、パドリングの練習である。

「これができないと、波のある位置まで動けないからね。しっかり背中をそらせて!」

 水面に龍一の頭がぽこんと飛び出ている。
 板が水面と私をへだて、沈まないよう命綱の役割をしてくれる。
 予想していたよりも、怖いとは感じなかった。沖の方からゆっくりと水がもりあがってくる。板に乗っていると、するりとその山を越えて沖へと近づける。
 龍一が見守っているという安心感もあり、どんどん水をかいていく。

「この辺で、ボードにすわってみようか」

 こぐ手を止めて、水に浮かべた板に馬乗りになる。上半身だけ水面にでていて、腰から下は水に浸かっている。腰でバランスを取らないと、ひっくり返ってしまいそう。
 言われるままに手でくるくると水をかいて方向を変え、岸に目をやった。

 景色が目に入ると、ざあっと血の気が引いた。


 軽いパニックに襲われて、私は板からすべりおりた。両手でボードをつかみながら足の下の海がどれほどの深さか確かめてみようとする。おろかな行動だった。
 もちろん足がつくほど浅いわけがない。
 恐怖心がフルスロットルで私を身動きのできない場所へと連れ去る。
怖い!

 立ち泳ぎで浮かんでいた龍一の顔がこわばった。

「阿南、怖くなった? ちょっと待って。ボードを絶対離すなよ?
 大丈夫、ボードをしっかり握っていれば、おぼれたりしないから。さっきと同じように板の上に乗ってこげば、岸につけるから」

 絶えず話しかけてくれるのだが、私の体はガチガチに固まってしまい、なんの命令も受けつけない状態になっている。かろうじて、頭を水面より上にだすことがやっと。

 龍一がこちらに泳ぎながら近づいてくるのが見える。
 そばまできてくれればどうにかなるかしら。浅くなった呼吸でそう考えていると、突然、後頭部から波をかぶった。水を吸い込んでしまい、むせる。
 片手を離して顔についた水を拭っている間に、もう一度水が襲撃した。

 この勢いで波をかぶっていたら、溺れるのは時間の問題だ。と、次にやってきたのは、ついさっきの2回とは比べものにならない大きさの波なのだった。
 両手でボードをつかもうとしたが、つるりと滑る。

 あっ、と思う間もなく、私は水の中にはまりこんでいた。

 頼みの綱のボードは、手の届くところにはない。

 どうしよう。こんなところで私、溺れて死ぬのかしら。


 だめだ、海の深さなんかどうでもいい。
 とにかく、平泳ぎで顔を出しながら、少しずつ進むしかない。
 思うように動けないのは、私の手から離れたボードが、勝手に岸に向かって動いているから。足首につけたコードで体が引っ張られているらしい。

 どうしよう。すでにだいぶ水を飲んでしまっているし、呼吸を整える余裕もない。
 心臓が激しく収縮を繰り返し、頭の中には、不安感がどす黒い入道雲のようにわき上がる。これまで海を避けてきたのはなぜだった?
 冷静な自分の声が、エコーをかけながら耳の中に渦巻く。

「だから言ったじゃない、やめておけって」

 必死に岸を目指す途中、後ろから頭に何かが激突した。水から顔を上げると、それは私の足につながっているはずのサーフボードだった。
 いったいどうなってるのよ、と泣きたくなったところで、ここがすでに足のつく浅瀬であることがかった。
 砂浜にあがると、転ぶようによつんばいになる。

鼻水が垂れていることに気づき、手鼻をかむ。口の中に入った砂をぺっぺっと吐き出す。 つい数時間前には、海って気持ちいいじゃない、と思ったのがウソのようだ。
 体中がガクガクとふるえる。

 せき込みながら、深呼吸を試みているところへ、龍一がやってきた。

「阿南、大丈夫? 少し休んだ方がいい」

 私の足首からボードをはずし、抱えて歩く龍一の後ろ姿を見ながら、私はよろよろと車へ向かって歩き出した。
 水を浴びて海水を落とし、体をタオルでくるんでいるところへ、千紗がやってきた。

「リュウ。言ったでしょう。無理させちゃダメだって」

「ああ。でも、阿南は昔、泳ぎが得意だったんだ。だから大丈夫だと思って」

え? 何言ってるの? 私が泳ぎが得意だったって?  龍一はヘンなことを言う。

「とにかく! プールで泳ぐのと海とは違うし。波乗りに興味がない人を沖に連れ出すなんてムチャなのよ。さあ、もう今日は上がり! リュウ、彼女を宿まで送ってあげて。これで海が嫌いになったりしたら、可哀想だと思わないの?」

 千紗は、テキパキと私の着替えを手伝ってくれた。乾いた服を着ると、ホッと人心地がついた。龍一が私のレンタカーを運転すると言い、私は黙って助手席に乗り込んだ。

 ちょうど昼時ではあったが、とてもじゃないけど食欲なんかない。

「阿南、ごめんな。怖い思いさせて」
「うん。最初は楽しかったんだけど。沖にでてから、急に怖くなってきて。岸から離れていることがものすごく嫌だったの。ちゃんと陸に戻れるのかしら、って不安がどーっとやってきて」

 せっかく、千紗がいないところで二人になれたというのに、何か会話をするほどの元気は残っていなかった。途中、食料品店で果物とミネラルウォーター、龍一用にビールの6本パックや食べ物を仕入れて、海の見える私の部屋へと戻った。

「いい部屋だね」

 龍一にそう言われると、嬉しくなった。そうだ、私はこれまで子供時代からずっと親に与えられた部屋で暮らしてきた。自分がこだわって探した部屋を誉められるのは、気分がいいものだ。

「私、シャワーを浴びたら少し休憩する。龍ちゃんはすぐ戻る?」
「いや。もう少しここにいてもいいかな。さっき頭、打ったでしょう。具合が悪くなったら怖いし」
「わかった」

 海で溺れそうになる。
 この旅に出てから、あんなに不安な思いをしたのは初めてだった。普段の暮らしでは、死にそうな思いなんてしたことがない。
冷静であれば溺れる事なんてないはずだったが、パニックになると、人は持っている能力のすべてを放棄することになるのだ。

 私は太陽から体を守ってくれたサンスクリーンを洗い流すと、サッパリとした格好で部屋に戻った。

「少し眠ったら。体もずいぶんビックリしただろうから」

 龍一の言葉に視線を落とすと、赤いブツブツの色がまた一段と濃くなっていた。
 ソファに腰掛けてビールを飲む龍一に見守られ、私は溺れる心配のない、シーツの海にと仰向けになった。





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最終更新日  2005.04.06 12:44:50


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