しあわせのかたち

しあわせのかたち

2006/04/18
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 春ですなあ。でも寒いですなあ。

 なーんか最近、エントリが抽象的で観念的なもんばっかりになってる気がする。
 ま、いーんだけどさ。そして今日のもえらく観念的デス。よろしく。

 今回は不倫について語るわけだけども、私がこういうテーマで考えるとき、「法」についてはあまり勘案しない。「法=倫理とか道徳」とかになっている人は、(「骨の髄まで近代人ですねえ」とは思うが)このログを読むと不快だと思うのでやめたほうがいいと思います。はい。

        ※

 どうして現代日本では、結婚したらそれぞれの妻や夫以外を愛することは許されないのだろうか。もちろんこれは結婚しているカップルにかぎらない。彼氏や彼女がいたとしたら、その特定の相手のみに貞操を守ることが社会的によしとされている。それが現代日本の性的観念だ。

 もちろんこれは「制度」であり、「権力」である。
(ついでに前近代的でもある)

 その制度と権力によって、姦淫者は許されない。(ということになっている)



 この個々人の心理作用を、M・フーコーは「パノプティコン」と名付けた。
 監獄である。
 史上最強の「監視者」とは誰あろう「自分自身」(の良心とか常識とか社会的倫理観とか公共心とか信仰心とか)なのだ。

 不倫を告白するサイトを見ると、どこからともなく飛んできた「名無しさん」や「通りすがり」が、「そんなことをいつまでも続けていてはいけない」と、ブログ執筆者に対して(真剣に相手に関わる覚悟を寸毫も持たないまま)暴力的に書き散らす。


 そしてなにより重要なのは、たとえそうした無責任な他者による介入がなかったとしても、たいていの不倫者はその告解(不倫の告白)において「自身の行為は罪であり、いつしか自分は罰を受けるべきだ」(ないしはいずれ「通常の状態」に戻るべきだ)と理解していることにある。
(多くの者はその理解により得られる背徳感を、不倫相手のその相手自身の魅力だと無自覚に誤解する)

 不倫とはほぼ無条件で「更生」されるべき行為であり、不倫者とは「矯正」されるべき対象なのだ。それはたとえ「自分自身」がその行為をなしていても、である。いや、自分自身がやっているからこそ、自分自身が「裁きたい/裁かれたい/裁かれるべきだ」と思い込む。
 現代日本では、通常、このような情動がまったく起きない人は厚顔と称され忌み嫌われる。

 誰だって「周囲から忌み嫌われる」なんてのは嫌だ。
 その「そんなのは嫌だ」という心理それ自体が暴力装置として駆動し、「制度」を完成させている。


 ここにおいて、書き手が一定以上の容姿を持つと判明している場合には、異性は「俺もあたしも」と意味不明で誇大な期待を抱き、同性は必要以上に忌避するケースが多々見られるが、これは前述の「背徳感」とそれがもたらす愉悦により説明できちゃうわけね。



       ※

 誤解されるとアレなんで書いておくが、私は「だから不倫はどーってことない」だとか、「みんなバンバンフリーセックスしてもOKぢゃん」とか、「不倫者たちは許されるべきだ」とか、あるいは「つか俺だってやってるしなんか悪いの?」とか言うつもりはまったくない。やってないし。


 ただこの社会制度は「面白いなあ」とは思っている。だってそこには「近代」が覆い隠した欺瞞があり、「ねじれ」があるんだもの。これはさあ、17世紀に生きたT・ホッブスってオッサンがかました壮大なハッタリに、ものすげー多くの人が引っ掛かってるだけなんじゃないかと思うんだよね。


 だって考えてごらんよ。
「近代」の重要なルールとして、「人は他人に迷惑をかけず、自分たちの合意があれば何をしても構わない(個の自由、権利の保証)」というのがあるわけでしょう。いやあるんだよ。それが保証されて初めて「個」が成り立ち、その「個」の契約的集合体が「近代社会」(国家とかね)だと規定されてるんだから。



 で。
 ということは、当人同士の了解さえあればフタマタだろうがサンマタだろうが、誰に何を言われる筋合いはないわけだ。だから私は、不倫を忌避し、個々人が勝手にそれを断罪するのは「前近代的だ」と書いたわけだ。

「自己」は「社会」(他者)がないと立ち現われない。
 しかしいったん立ち現われた「自己」は、(自由と権利を保証されているがゆえに)自身が所属する社会を選び取ることができる。

 けれども。前近代的な制度を一切残さない社会なんて、この地上にはないんだよね。フタマタ、サンマタを許す社会はあるけれども、それは別の強い前近代姓を孕む社会だったりする。

 そして仮に「近代性を強く保持したままの男女の関係が成り立つ社会」が創出したとして(現代フランス都市部がわりかし近かったりする)、それはリバタリアン(自由主義者)が夢見たエルドラドであり、その彼らが夢想するユートピアに立って初めて、彼らはハタと気づくわけだ。

 あれ? これって「強い者が勝つ」ルールぢゃん、と。
 弱肉強食で、「万人が万人を脅かす」、素敵な奪い合いの世界だよ。

 強い男(ないし女)が異性を独占し、君臨する世界なわけだ。

「それじゃあマズい。あまりに厳しい。なんとかしよう」と思って創出されたハズの「近代社会」が、その自身が内包する「近代」によって、前近代社会を目指してしまう。

 ここに近代が拭い切れない前近代性があり、限界があるわけだ。

 ホッブス爺さんが「このままじゃイカン。厳しい。みんなすぐ死んじゃうよ」と危機感を抱いたのは、百年戦争でズタボロになった欧州で、という思想背景がある。
 勝手に誰かが誰かを殺しまくる社会はもうまっぴらだ。最低限「命」だけはなんとかしよう、と思い付いたのが「リバイアサン」の創出だった。
 その心情はよくわかる。

 だから「自分の命」だけは保証されるし、主権を持つ者には「抵抗権」が認められている。「近代」という時代はそれに与する人々を豊かにし、「命」だけでなく「資産」や「家族」や「自由」や「権利」に対する侵害にも、抵抗権を認めるに至った。

 けれどもここにきて。
 21世紀の近代のどん詰まりに立って。
 再び弱肉強食の世界(前近代に限りなく近い近代)へと立ち返る道を向かっているわけだ。

 面白いよねえ。


 探しものは見つかっていない。

 私は不倫を告白している、という行為自体は別になんとも思わない。

 けれども、その自身の「罪」に厚顔でいるよりは、悩み、さいなまされ、苦しみ、「明日は今日よりもうちょっとよくなる」と信じて生きている人には、けっこう好感を持っています。
 前近代でいいぢゃん。ひとりでいるよりはふたりのほうがいいし、できれば愛する人とは「ふたりきり」になりたいもんだよ。

 社会とは、その構成単位が小さくなればなるほど、そしてその外部が強大であればあるほど、結束を強める性質を持つ。
 この広くて無秩序な世界に、「ふたりきり」なら最強だよ。

 イエスという2000年前に生きた人類史上最強のホラ吹きは、たぶんそれを知ってたんだろうねえ。
 だから「姦淫はやめとけ。ろくなことにならんよ」というそれまでの民間伝承(旧約聖書)を、自身も強く引き継いだんだろうね。





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Last updated  2006/04/18 08:28:37 AM


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