今は亡き親父は、末端まで力の入った角ばった字を書いていた。
その特徴的な字に自分の字が似てきたことに気づいて、敢えて違う書き方をしていた若き日。
謹厳実直のモデルの様な親父に反発して、何かと議論を吹っかけていったあの頃を、最近ふと思い出したりする。
明治・大正・昭和と激動の時代を生きて、何も言わずに逝った親父は、透徹した目で世を見据え、国を思い家族を守ってきた。
不平・不満を聞いたことがなく、曲がったことが嫌いで道理の通らないものへは意義を唱えることもあった。
しかし、総じて物静かな人で、母親にはかなり手こずらせたが親父に怒られたという記憶がない。一度も殴られたことがないので、それを言ったら「殴る必要のあることをしなかったからだ」との返事が返ってきた。
”放任”という無責任の様でその実、”自分で責任を取る生き方”を求めた明治の男。弁護士を目指すもその夢を果たせなかったことで、その夢を子どもに強いる様なこともなかった。
親父のA型の血を引いたのは5人兄弟の中で自分だけだ。今、自分も親父と同じ価値観で生きているような気がする。
親父が生きたあの頃と変わらないだろ朝日が、今朝も、明け空を赤く染めていた。
PR
カレンダー
キーワードサーチ
サイド自由欄
コメント新着