とうとう朝青龍が引退を発表しました。
ヒール役でも憎めないところのある横綱で、人気があった分、角界への影響は大きいでしょう。
強い強いと言っても周りが弱いからそれが余計に目立つわけで、特に三役(横綱意外の大関・関脇・小結)は目を覆いたくなるほどの体たらく。ほかの力士にも覇気がまったく感じられず、淡白な取り組みが多い。
余りのひどさに貴乃花が強引にでも理事選に出馬しなければならない心境に至ったのでしょう。もう黙って見過ごすことは出来ないほど、どん詰まりに来ていると・・・
このタイミングは正しく世の流れというもので、横綱は辞めるべき運命の赤紙を握ったという事でしょう。その辺の風を読む”感”は、さすがに鋭いものがある。 (どうやら相撲協会でも今回の事は看過できず、引退勧告をしていたようです。懲戒免職ともなれば協会にも汚点が付くし、本人も退職金は出ない上に失うものも大きいとみて、引退を選んだというのが真相らしい。)
今までの数々の不祥事も、確信犯的なところがあって、このぐらいならまあ大丈夫という読みがあってのことでしょう。それだけ協会は嘗められていたということ。
今の団塊ジュニアの風潮が角界にも溢れていて、闘魂だの苦節だの根性だのという言葉を忌み嫌うような雰囲気が、無気力相撲を蔓延させているのでしょう。
はたきこみ、引き落としの多いこと。
サラリーマン的関取達は、ただ様式の中に身を置いて「単なる伝統の継承者」ぐらいにしか思っていないのではないか。
伝統は、本来、新しいものを次々に取り込んで進化していかなくては生き残れないものです。
様式を守るだけでは伝統は受け継がれません。博物館に飾っておくだけのものになってしまうのです。
「ゆく川の水は絶えずして、元の水にあらず」ということは全ての事に当てはまります。
相撲だって例外ではありません。
今回の二つの問題で、少しは協会の体質が変わっていくだろうと、相撲ファンは注目しています。
三寒が四温を追いやっているように、伝統・習慣・風習なんてぶっ飛ばすような気概を持って協会の運営をおし進めてほしいものです。
外人を力士に迎え入れるという、画期的な英断を下した実績があるのですから・・・・
「日歌」が千首を超えたのを機に、 「游歌」 とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。
★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
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