昔は世の中全体が貧しく、遊ぶと言ったら自然を相手にするか自分たちの体を使って遊ぶしか暇をつぶす方法がなかった。特に冬はじっとしていると寒いので、体を使って遊んで寒さをしのいだものだ。
馬乗り、馬跳び、相撲、陣取り、押しくら饅頭、鬼ごっこ、リム回し、縄跳び、ゴム飛び、缶蹴り、チャンバラ etcと、
今の子供たちは、市販のゲームで遊ぶことが主流になっていて、自分たちで遊びを工夫するようなことが無くなった。
そして、昔は「○○ちゃん、あーそぼ」と言って友達の家へ行って声を掛けたものだが、自分の子供が小学校に上がるころ(20年ほど前)になると「○○ちゃん、遊べる?」に変わってしまった。
その上ケータイが必需品となり、今ではケータイで全てが済んでしまう。友達の家まで行かずして答えが出る。もし遊ぶ相手が見つからなくても、ケータイがあればゲームで時間は潰せるし、寂しさも解消してくれる。
最近の日本の子供の体力が、世界的に見てもかなり劣っている事が社会問題にもなった。最近、少しは持ち直してきたらしいが、かつての昭和時代のような水準には到底届きそうもない。
11歳の体力比較 政府広報(H21.10月)
その昭和を子供時代で過ごし、体力だけが頼りで生きてきたのが、今の60代70代の中高年だ。その甲斐あってかやたらと元気で、登山や山歩き、マラソンや旅行にと、大挙繰り出してはにぎわいを見せている。
冬の寒さにもめげる様子は見せず、山スキーまでチャレンジする人たちもいる。
その若い気分で体力を過信して事故を起こし、新聞を賑わす中高年が多いのも事実。それは、如何にそういう場面に中高年の多くが関わっているかを物語っている。
この様に、子供時代にしっかり体を作っておくことの必要性は疑う余地が無い。その重要性に対し、政府・文部科学省も腰を上げて様々な対策を始めてはいる。
遊びを通して体力をつけるためのエクササイズを提言し、地域や学校などに向けて指導しているようだ。しかし、そんなお仕着せが生活の中に浸透するはずもない。教育ママ的な前向き思考の父母たちが、幼児教育の一環として通わせる塾のようなものが流行り、そこに行けない子供たちがますます遊び相手を失っていくのではないか。
一等賞をつけない運動会という発想がそもそも間違いで、それを根底から見直す時代に来ている。
博愛と平等主義は、美しい精神には違いないが全体を弱体化させるのも事実。
どんどん人口が減って、逆ピラミッドが上へと昂進していく状況にあって、みんな仲良くお手手つないでというのでは誰もが満足な人生を歩めない。
個がますます顕在化していき、その個性が活かされるような社会になるためには、先ずは基礎的な体力と精神力が必要になって来る。
それは本来、遊びで養われるべきものだと思うのだが、なかなか難しい問題だ。
人間の能力がますます落ちて、その代わりを機械が務める。テクノロジーが人間を追いこして久しいが、ますます機械に頼らなくては生きていけない人間になっていく。
それが、幸せなことなのか不幸なことなのか、判断は分かれるところ。
立ち止まることの無い生物と歴史の宿命は、どこまでも果てしなく続き、未来は明るいものと思う事でしか生きられない。どんな世の中が来ようと、その場に居合わせた者がその時の最善を尽くして生きて行くしかない。
過去は参考にはなるにしても決め手にはなりえず、太陽の周りを廻りながら宇宙船地球号は漂流を続け、人類という稀有な生物がいつまで支配続けるのだろうか。
「ナメクジ」は、巻貝のカタツムリの仲間でありながら家という殻を捨て、繁殖の相手も不要な雌雄同体となって、2億年を生き続けているという。自分が進化するのではなく機械を進化させて、その不備を補っている人間。
ノロウィルスの変異にもついて行けず、進化どころか退化の方向へ向かって、最後はサイボーグとなって存在し続けるのだろうか。
◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」と
タイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。
◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。
★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
◆ ジョーク、冗談、ユーモアは生活の調味… 2014.10.22
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