♪ サルトルとボーボワールがたわむれに舞ふがごとくに蝙蝠が飛ぶ
ジャン=ポール・サルトルは“実存主義”を世に広め、60年代には“知の巨人”として世界中の若者に大きな影響を与えた作家であり哲学界のスーパースター。
そしてシモーヌ・ド・ボーヴォワールは「第二の性」でジェンダー論の基礎を作り、女性の幸福のために社会通念や偏見と闘い、自由恋愛から同性愛までを実践した作家であり哲学界のミューズだ。
1929年、学生だった二人は、ソルボンヌ大学で運命的な出会いを果たす。そして生涯を通じて影響を与え合い、やがて世界的に有名になった二人は“理想のカップル”と称され、1980年のサルトルの死まで今で言う“事実婚”のパートナーとして支え合った。
映画「サルトルとボーボワール 哲学と愛」
サルトルは出会った瞬間からボーヴォワールの美しさと聡明さに心を奪われる。そして二人はすぐにお互いの中に自分と共通するものを見出し、次第に無くてはならない存在になってゆく。
しかしサルトルはボーヴォワールに、将来への愛を誓いながら他の相手との関係も認め合い、その詳細を嘘偽りなく報告し合うことを提案する。自由恋愛による“契約結婚”である。
女には結婚と独身しか選択の余地が無いという世間の因習に疑問を抱くボーヴォワールは、迷いながらもそれを受け入れる。サルトルはその後多くの女性と関係を持ち、ボーヴォワールは苦悩しながらも、やがて自ら新しい愛のかたちを実践してゆく。
サルトルとボーボワール
2006年のフランスのテレビ映画で、日本では2011年に劇場公開されたこの映画を、残念ながら私は見ていない。
実存主義によるサルトルの思想は、今まさに生きている自分自身の存在である実存を中心とするもの。特にサルトルの実存主義は無神論的実存主義と呼ばれ、自身の講演「実存主義はヒューマニズムであるか」において、「実存は本質に先立つ」とし、「人間は自由という刑に処せられている」との言説には共感できる。
しかし、サルトルはそのような一切を創造する神がいないのだ(無神論の立場)としたらどうなるのか、と問う。創造の神が存在しないというならば、あらゆるものはその本質を(神に)決定されることがないまま、現実に存在してしまうことになる。この場合は、「実存が本質に先だつ」ことになり、これが人間の置かれている根本的な状況なのだとサルトルは主張するのである。(Wikipediaより)
◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。
◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。。◆2014年10月23日から「一日一首」と改題しました。
★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
☆ 短歌集 「ミソヒトモジ症候群」 円居短歌会第四歌集2012年12月発行
● 「手軽で簡単絞り染め」
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