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はらだよしひろ

はらだよしひろ

2005.12.08
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カテゴリ: カテゴリ未分類
私が密かに好きな人がいる。と言っても、片思いとかの恋愛ネタではない。

昨日と一緒で隠れファンバラシみたいなもの。

実は、僕は伊福部昭ファンである。
「誰それ?」と言う人もいるだろう。

一番分かり易く説明すると、
「ゴジラのテーマ」の作曲者である。

日本の映画音楽の基礎を作った人とも言えるし、
日本的アジア音楽の体現者とも言える。

アイヌの旋律を主題にしたオーケストラ曲や器楽曲をいっぱい書いているが、

しかも、伊福部家は「孫子」を家学としていたので、小さい頃から孫子を徹底的に仕込まれたらしい。(孫子じゃあないかもしれない)
しかし、彼自身は北海道のど田舎に生まれ、小さい頃はアイヌの子供たちと一緒に良く遊んだらしい。

大学の専攻は林学(北海道大学)である。そのころ、無謀にも北海道の札幌と言うところで、サティなど、当時最前衛の音楽をアマチュアなバイオリンの腕で日本初演を行っていたらしい。(ちなみに、林学関係のエピソードがある。横浜のホテルにど田舎な格好で入った伊福部は、はじめ、従業員に胡散臭そうに見られていたが、玄関の床板の材質の名前を思わず口にしたら、あわててホテルの主人がやってきて、従業員の態度が変わったと言う話である)

大学卒業後、国有林の管理官として、北海道の厚岸と言うところに赴任する。これまた輪をかけて田舎である。が、彼はこの地にて作曲家としてのデビューを果たす。
「チュレプニン賞」という日本人作曲家開拓のための賞がフランスで行われ、一位を獲得。その名もまた「日本狂詩曲」。ちなみにここでもエピソードがある。当時の日本の楽壇は、ドイツ的音楽を書くのが正統とされていた。が、この曲はあまりにも日本的情緒にあふれていたため、こんなのは国辱物だから、フランスに楽譜は送るのはやめよう! と言う意見が会ったらしい。
とにかく、東京の楽壇では全く知られていない人間がいきなり一位になったものだから、日本の楽壇はてんやわんやだったらしい。
ただ、いずれにせよ、伊福部はすぐにプロの作曲家として転向はしない。林学の仕事に携わりながら、作曲活動をする事になる。

終戦後、彼は林学の職を辞し、いきなり東京音楽学校の講師になる。GHQの公職追放によって、講義を行う人が少なくなった為、呼ばれたのだ。
そして、映画音楽にも携わるようになった。そして、ゴジラのテーマが生まれた。


いずれにせよ、伊福部昭も意地の人です。意地の人にこそ価値が生まれるものだと思います。





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Last updated  2005.12.08 15:36:17
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