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近況ネタなどこっちで綴っていこうかと思います。
2011年09月22日
今日は、保護者として教育委員会の特別支援教育担当の方と話をさせてもらう機会がありました。要望があって、こちらから出向いて時間を取ってもらったのですが、冷静に話しを聞いて下さって、具体的な今後の方法や対処などを論理的にわかりやすく説明して下さり、感銘を受けて帰ってきました。教育者の方に何人も会ったわけではありませんが、論理的に実際の対処方法を説明して下さった点など、きっと信頼のおける方だと思いました。子どもが30人いたら保護者は30人以上。母親、父親、じじばば×2。みんな先生に望むことがバラバラであることが、いろんなお母さんたちとしゃべっているとよくわかります。教育委員会も学校もそりゃあ大変だろうなとひしひし感じます。私は子どもが楽しく学校へ行っていたらそれでいいという考えですが、学力upを強く期待する人もいるし、クラス内の友達関係のことをすごく気にする人もいるし、学校からの電話連絡一つとっても「いちいち連絡してこないで」という人もいれば「全然連絡がない」という人もいて、やっぱり自分が子どもの頃とは保護者の様子も違うなと体感します。これはいい悪いの問題ではなく、時代の流れからして社会がそういう風になってきたのだとしか言えないのだと思います。私は、自分の子もよその子も子どもは子どもだから、悪いことをしていたらしかるべきだといつも思っていますが、実際は後から「あれは一言言うべきだった。自分の子どもだったら口やかましく注意していることだ。」と思うことも多く、なかなか難しいです。大人の人間関係と一緒で、近所の子どもとも普段からかかわりを持って生活していないと声をかけたりしかったりすることは難しいなと感じます。経済が頭打ちになってこれまでのやり方が通用しなくなったり、いろんな人が違う方法を試し始めているように、教育もこれからどんどん新しい方向性が生まれてくるのではないかと期待しています。また、教育委員会などに頼りすぎない、それと両立する形の地域の力がやっぱり大事だと思います。人間は意識だけでなく体を持って生活していて、目も耳も口も手も足もたいていの人はあるんだから、この肉体をフル活用してたくさんの人と関わって生活したいと思います。嫌でもいずれ意識だけの時代になるようです。
2011年09月13日
数年前に、友人から「チャイルドスポンサー」という言葉を初めて聞きました。月々数千円の支援で、発展途上国の子どもを支援することができるのですが、その時に少し気になっていて、その後何かのきっかけでワールド・ビジョン・ジャパンのことを知り、「これかあ」とリンクしました。その時の私は(今もですが)無収入の専業主婦で、入会を少し迷いもしましたが、まだ退職金が残っていたのでその分からお金を出せると思いました。もともと「子どもは四人欲しい」と思っていたけれど、おそらく三人で終わりそうだし、里親とかにも関心はあったけれど、三人の子育てでヒーヒー言ってる今の現状ではとても無理。だんだん自分が子育て向きじゃないこともわかってきていて、でももう一人子どもが欲しい気持ちは気持ちとしてあって、数千円のお金の支援ならできると思ったのでした。「お金の支援ならできる」なんて、国際社会の日本的態度と同じかもしれませんが、それでも、そのことで発展途上国や恵まれない地域の子どもが少しでも救われるのならいいのではないかとも思いました。この団体がしっかりした団体なのかどうかも不安ではありましたが、おかしいと思ったらすぐやめればいいと思っていました。入会して、バングラデシュのナヒド君が私のチャイルドに決まりました。ナヒド君は当時3歳でまだ字も書けませんでしたが、年に1回ナヒド君の近況を知らせるお便りが届いたり、私もバースデーカードを送ったり、そして、先日もバースデーカードのお礼に、アルファベットを少し書けるようになったナヒド君からの手紙(本文はスタッフさん)とお母さんが一緒に写っている写真が届きました。もしかしたら出会うことがなかったナヒド君と、こんなやり取りができてささやかな幸せを感じました。三人の子供の成長とナヒド君の成長が楽しみです。会えなくても繋がれる時代ってすごいなとも思います。
2011年09月11日
長男先週の土曜日から熱が出て上がったり下がったりしていて、月曜日から下痢が始まり、昨夜ガンっと熱が上がって咳き込み始め、今朝は透明の鼻水がタラタラと出てきました。昨日の夜熱がガンっと上がった時点で、明日は病院へ行こうと決めたのですが、今日病院で「風邪をこじらせた感じですね。」と言われ、こうなる前にもっと早く薬を飲んだ方がいいのかもしれないなーと思いました。風邪は勝手に治るという考え方で薬を飲むのもあまり好きじゃなかったのですが、長女を出産して自然育児や薬に頼らない治し方を知ってからは、「これは病院」と判断するまで病院に行かない感じです。次女が一歳の時に肺炎&急性腎炎で入院になったりしたこともあって苦い思い出もありますが、今日も先生に「風邪をこじらせた感じ」と言われて、「すぐに病院へ行って薬もらって飲ませていたら、こんなにたんの絡んだ苦しそうな咳が出ることはなかったかな。」とちょっと考えました。病院へ行かないなら行かないでしっかりお手当てをしてあげたらいいのに、それもやっていませんでした。よく「男の子の方が弱い」と言いますが、我が家の場合もなんとなくそうなのかなという気がします。風邪のかかり方も、ダラダラという感じ。病院へ行く回数も増えている気がします。とりあえず薬をもらってきたので、しっかり飲ませて月曜日には治ってくれていたらいいなと思っています。次女一昨日から耳が痛いと言い出し、いつものように薬草の「ユキノシタ」の汁を垂らせば良かったのですが、「後から絞って入れような。」と言いながらまた忘れてしまいました。昨日の朝はもう大丈夫そうだったので安心していたら、帰宅後やっぱり耳と頭が痛くなって・・・。でも、病院は嫌がるので行ってません。小学校での初めての運動会の練習も始まり、毎日学校から帰ってくると興奮気味に一日の出来事など話してくれるのですが、ちょっと疲れがでたのかなという感じです。朝はぐったりしていたけど、もう遊び始めたので大丈夫そうです。こうやって強く大きくなっていくのかな。
2011年09月10日
救急ネタが続きますが、昨日看護師の友達が「なんですぐに連絡くれへんかったーん!」と駆けつけてくれました。家に来る前に電話をくれた時に「ついでにちょっと聞きたいことがある」と私が言っていたので、友達は血液検査の数値が悪かったのではないかと心配しつつ来てくれたのですが、私が聞いたことは、「救急の先生がめちゃくちゃかっこよかったんやけど、あの人知ってる?!イチローを若くしたような、さわやかな好青年風の人」友達は「はあ~」とあきれていましたが、そのあと私のつたない記憶をもとに自分の薄れた記憶を思い出して、「あの先生かなあ、髪の毛黒くてツンと立ってる?」とその後延々と私のばか話しにつき合ってくれました。私「病院の出入り口で待ってたら、そのうち先生出てくるかなあ?」友達「そら出て来るやろ。」私「名前くらい聞いておいたら良かったわ。いきなり一緒に写真撮ってくださいって言うたら変やんなあ。そのままついて行ったら家もわかるなあ。あ、そうかストーカーはそれぐらい好きやから家までついていくんか。私もストーカーやん。」と、その場面を想像してしまったら、自分のアホさに自分であきれて笑いが止まらなくなり、久々にばか笑いしました。ついでにどうでもいい話しですが、救急車が出動してくれた近所の消防署も友達いわく「イケメン消防士さんが多い」そうです。さらに「もう秋モードで、すね毛ツンツンやってん。剃らなあかんなあと思った時に剃っといたらよかったわ。」「パンツ、中高生みたいなしかも毛玉できかけの綿パンでな、もうちょっとマシなパンツはいてたらよかったあ。」「やっぱ常に勝負下着で、それなりの恰好しとかなあかんなよなあ。化粧もしといたらよかったわ。」としゃべる私に「あんなあ、救急の人はそんなとこまでいちいち絶対に気にしてないし覚えてないから」と友達はあきれて言いました。ちなみに一番困るのは、矯正下着とレザージャケットだそうです。理由は、すぐに脱がせられなくて処置が遅れるからだとか。命の現場で働いている人にお世話になって、息子も将来医者か消防士になってほしいと思ったという話しでも盛り上がりましたが、本音は子どもたち3人とも、自分がついた職業で周りの人と調和して楽しく真面目に働いてくれたらいいなと思っています。私は、仕事は選ばなければならないものだとは思わないし、誰かに勧められた仕事、たまたまなった職業、またなんとなく選んだ職でもいいと思っていて、それよりもそこで一生懸命やることが大事じゃないかと思っています。また、世襲制も悪いことばかりじゃないと思っていて、世襲できる職業があることに感謝して小さいうちからその道のことをしっかり勉強できるなんてなんていいことだろうと思います。で、またばか話しに戻って、「私が独身やったら絶対名前聞いたのにぃ。」と言ったら、友達が「そんなんもよくある話しやん。けど、医者と結婚しても医者の奥さんは寂しいでえ~。ほとんど家にいいひんし。」と。それは確かに寂しい。もしあのお世話になった先生と結婚しても、全然家にいてくれないんだったら本当に寂しい。でも、夫が仕事で何日家を空けようが全く寂しいと思わない。家のことは全く心配ないから(今回は心配かけたけど)、何日でもお仕事頑張ってきて、むしろ家事が楽になって助かります、ってかんじ。不思議だー。「写真が欲しい」とか思ったのって何年ぶりだろう。でも、このわくわく感、「ああ、中学生の恋の気持ちが復活してる!」と思ったら、今この体験ができたことがまたうれしくなったのでした。中学生の3大要素は、「勉強・部活・恋」。私も一応大学生で勉強してて、3月にフルマラソン走るから部活じゃないけどトレーニングするし、それでこの恋(?)今わずかながら接している中学生の3大要素を35歳になって満たしていると思ったら、少し共通要素が増えた気がして、共感できる部分が増えた気がして、ほんとにうれしくなりました
2011年09月09日
先日のことがあっていろいろ感じたことなどを書き留めておきます。困ったときのために同年代の友人だけでなく、異年代それもできればちょっと時間に余裕がある親世代とも関係を深めておくこと。1 動けなくなったときに、助けを求められる友人知人は何人も思い浮かびましたが、夕方の4時になんの問題もなくすぐに飛んでこれる人はそうそういない。仕事をしていたり、子どもを見ながら晩御飯の用意をしていたり。でも、少し年配の人や子どもがある程度大きくなっている人ならゆっくりテレビを見ている人もいるかもしれない。人間関係は同世代だけで築いていてはいけないとつくづく思いました。2 親が元気でよかった。保育園のお迎え、子どもの世話、結局実家の両親に頼ることになりました。高速で1時間の距離を飛んできてもらえることにほんとにありがたいなと思いました。3 やっぱり夫がいないと困る。なんだかんだ言って、結局夫がいれば夫に頼っていたし、夫がすぐ仕事場から駆けつけてくれただろうし、子どものことは何も説明しなくてもやってもらえるから、私は何の心配もなく病院で過ごせただろうと思いました。たまたま夫がいないときに動けなくなったことで、私の生活はしょっちゅううっとおしく感じている夫に支えられているということを痛感しました。4 日本はやっぱり素晴らしい国だ。今の政治はほとんど機能を失っていると思いますが、消防や医療の恩恵に肖り、日本という国、国民性はやっぱり素晴らしいと思いました。動くとまだ少ししんどいですが、ようやく今朝熱も下がり、普通に子育てがこなせるくらいには復活。この3日間、生まれてはじめて「食べることを受け付けない」ということを体験し、これでちょっと痩せるんじゃないかと思っています
2011年09月08日
こんな恥ずかしい話しを書くのもどうかと思ったのですが、感動した話しでもあるので書いておきたくて。その前に、まず昨日、来年3月にロンドンオリンピック女子マラソン代表選考会を兼ねて行われる、「第1回名古屋ウィメンズマラソン」に申込みしました。最近ほとんど走ってないし、走れないし、それなのにフルなんて無謀かと思いながら、ナナさんの「どたんば哲学」に触れた私は、まだ半年あるし無理なことはないと申込みを決めたのでした。そのあと、10日締め切りの仏教文学概論のレポートを書くために説話関係の論文をいくつか読んでいたのですが、どうも起きているとだるいし、頭に入ってこないし、そのうち熱も出てきて。「久しぶりの熱ちゃうかなあ?台風の後の身体のデトックスかなあ。マラソン申込みしたからさっそく身体にまで変化が来たか?」などと思いつつ、レポートを書くのをあきらめてひとまず横になったのでした。3時になり小学生二人が帰ってきて、宿題やお便りに目を通し、とにかく御飯だけは炊いておこうとセットしました。気が付いたら寒気もしていましたが、長男を保育園に迎えに行ってあとは寝ておこうと、車に乗り保育園へ向かいました。玄関で一回うずくまり、保育園まで行けるか心配になりましたが、夫は仕事でしばらく家に帰ってこないし、すぐに保育園まで迎えに行ってもらえる人も思い浮かばず、小雨も降っていたしで、自分で行くことにしました。途中でお総菜などを買うために近所のスーパーに寄り、少し待って駐車場に車を止めたら、なんと手がしびれて変な形に固まってしまい、脂汗もボタボタ出てくるし動けなくなってしまったのです。こんなところでどうしたらいいのかと、すっかり動揺してしまった私は、少し迷ったけれど、なんと119に電話をかけたのでした。今思うと、5分でも車で横になるとか方法はあったんじゃないかと思うけれど、保育園のお迎えも気になるし、家にいる上の子も気になるし、夫には頼れないし、誰かに来てもらっても車が残るから2人で来てもらわないといけないし・・・などと考えていたらどうしたらいいのかわからなくなり、救急車しか思い浮かばなかったのです。消防署からすぐに救急車が来てくれて、それだけですごく安心しました。これまでに何度も「救急車をしょうもないことで呼ぶな」と思ったことがありますが、救急車はなんてありがたいものかと思いました。電話のボタンを3つ押すだけでこんなにすぐに救急車が来てくれる日本に生まれて本当に良かったと心の底から思いました。今は税金を払っていない身ですが、私もやっぱり日本のために税金を納める働き方がしたいとも思いました。さて、ずいぶん長い前置きになりましたが、消防さんに宇治徳洲会病院の救急医療センターに運んでいただきました。そしてお世話になりました。しんどいものの手のしびれがやわらぎ、少しずつ冷静になってきて、たかが熱のしびれ?ごときで忙しい救急の仕事を増やしてしまったことに罪悪感を感じ始めながら、やっぱり日本っていいところだとつくづく思いました。よく覚えてないのですが、手早く処置や採血などしていただき、何より感動したのが、観察室に移ってから、医師や看護師の方が、目線を合わせて話しかけたり症状や検査の状況を説明してくださったことでした。「ここ、やっぱりええ病院やなあ。」と思いました。しんどいし、家にいる子どものことは気になるし、実家の両親と連絡がついて米原から来てくれることになったはいいけど安全運転で着いてくれるかなとも心配ながら、一方で、真剣に仕事されている姿を身体で感じ、感動し、もしかしてこの体験も最近の私の、何かの引き寄せなのかなと思いながら、私もこれくらいど真剣に働きたいと思いました。「姿」って語るんですね。血液検査の結果は、敗血症の疑いがなくもないので念のためばい菌を繁殖させる検査をしましょうということで、1泊だけ入院しましたが、たぶん大丈夫ということで今日帰らせてもらうことができました。まだ熱は上がったり下がったりしていて、ちょっと動くとしんどくなりますが、しょうがないですね。50、60歳ならまだしも、たかが35歳で少しの熱でこんなになる体力のなさにがっくりきていますが、いつまでも何年も前の体力を自分の体力だと思っていてはいけないのだと思いました。救急にお世話になり、1泊の入院で、精算は¥29、840-3万円あったら、迷っていた12月東京での有田和臣先生の授業を受けられたなと頭の中をよぎりましたが、私には関係のないものだと思っていた救急車や救急医療センターにお世話になったこと、しょうもないことで救急医療センターの仕事を増やし、ベットを占領したことを思ったら、とても安い金額だと思いました。消防さん、徳洲会病院のみなさま、助けていただいて本当にありがとうございました。3月の名古屋ウィメンズマラソン目指して、体調が戻ったらぼちぼち走りはじめようと思います。体力つけねば!
2011年09月06日
あまりテレビを見ない私でも知っている「尾木ママ」こと尾木直樹さん。物腰が柔らかな人だなあと思っていたくらいで、どんな教育論なのかも全く知らなかった。たまたま本屋さんで尾木ママの本が並んでいたのでプロフィールを読んでいたら、なんと私と同じ米原市出身。米原からもこんな有名になる人が出ているんだと思うと同時に、無性に勝手に親近感を感じてしまい、今尾木ママの本を読んでいます。『教育格差の真実』は森永卓郎さんとの対談形式になっていて、まだ読みかけですがとてもおもしろいです。経済問題に関心の薄い私ですが、経済の仕組みや金融の仕組みにも興味が湧いてきます。図書館で借りたのですが、自分用に買って手元に置いておきたいと思うくらい。最近はテレビでも教育問題を扱うことが増えているような気もしますが、政治や経済同様に一部の解説者や専門家の話しを聴いているだけでは真実は何も見えてこないということをあらためて知らされました。私は尾木ママの教育論を知ったときに、母親として自分自身がすごく安心できました。尾木ママの教育論、子育て論のもとになっているのは尾木ママのお母さんだと別の本でご本人がおっしゃってますが母親としてやらなければいけないこともたくさんあるなと思いました。実行はなかなか険しい道ですが・・・。でも、子育てがこんなに険しい道になっているのは私が悪いんじゃなくて、子どもを育てるということを後回しにした、政治や経済や社会にも原因があるんだとわかってきました、どうしてこんなに子育てが大変だと感じる世の中になっているのか、教育問題が深刻化しているのか、もっと本質を勉強しなくてはいけないと思いました。東北大震災の後、原発やエネルギー問題について勉強している人も多いと思いますが、何事も、そのことだけを知ろうとしていたのでは、実は真実は見えていないのではないかと本を読みながら思っています。話しがあちこち飛びましたが、それでいいのかどうかの判断は、自分が楽しくやれるかどうか、気持ちよく感じるかどうかではないかと思いました。
2011年09月04日
7月16(土)17(日)スクーリング基礎ゼミ(庄司達也先生)を聴講 芥川龍之介『明治』『羅生門』読解。とてもおもしろかった。18(月・祝)午後宇治文化センターサマーコンサートへ(宇治&久御山の中学・高校が演奏)帰りのバスがなくなり徒歩で帰る。途中中古物件を内覧。この3連休夫と子どもたちは岐阜へ。21(木)夏休み24(日)15時から青少協夏祭り(小学校で)京都府警のブラバンとカラーガードが楽しかった♪27(水)午前 宇特研地域学校。学生ボランティアや教育実習でお世話になった先生方にも会う。午後 四条センターで卒論でお世話になる坂井健先生の「鴎外先生」を受講。鴎外と逍遙の没理想論争や鴎外と東京美術学校、高村光太郎などのつながりを知り面白かった。文学がまだ切り離されてなくて、美術などの分野とも濃く繋がっていた明治はやっぱり面白いと思う。28(木)桃と蘭がふざけてけり合いをして遊んでいて、朝から蘭が肋骨を打撲。痛いと言って泣くので念のため近所の病院でレントゲン。桃がプールに行きたいと言うが、KUMONの宿題をしないので放っておいたら、一人で行くと言って、自分でお弁当を作って自転車でプールへ行った。午後、駿の予防接収へ行って病院を出ようとしたら豪雨。やみそうにないので豪雨の中あさづまさんから自転車で帰宅。「向こうの方のお空が暗くなってきたからそろそろ帰ろうと思って帰ってきた」桃が洗濯物を取り込んでいてくれて、少し濡れていたけどとても助かった。29(金)宝塚へ引っ越ししたsちゃん親子が遊びに来てくれて、久御山プールへ。駿は初めての大きなプールで怖がっていたがみんなで楽しめた。齋藤一人さんの商品が話題にのぼる。8月2(火)アロママッサージへ。蘭のスポーツクラブのお迎え場所を間違えていて、先生に家まで送ってもらった。3(水)KUMON中学校終了課程認定試験。中学生に混じって受けるのはちょっと恥ずかしかった。桃と蘭は家で留守番。帰りにタロット占いに立ち寄り、おみやげにリクエストの八つ橋を買って帰る。4(木)5(金)6(土)の午後 スクーリング「日本文学特講1(鷲原知良先生)」聴講西鶴、芭蕉、近松の作品を読解。桃と蘭は留守番。4(木)は夫の職場の納涼祭で、桃と蘭は2人で先にタクシーで行く。7(日)スクーリング専門総合3を取っていたが取り消し、家を片づける。夫と桃、蘭はプールへ。10(水)桃府立医大受診。採血。2時間近く待ちさすがに疲れた。そのまま、京都駅から桃と蘭は電車に乗ってちいばあの家(私の実家)へ。新快速で約1時間無事に到着。11(木)12(金)13(土)スクーリング午前 「日本文学講読3」近代文学史(坂井健先生)午後 「日本文学特講3」西鶴の浮世草子とその周辺(水谷隆之先生)水谷先生の授業ははじめてだったが、卒論に対するモチベーションがすごく高まった。11(木)スクーリングで友達になったIさん、Mさんと久しぶりに再会。先に卒業したNさんからも電話をもらう。12(金)大学へ向かう電車で以前の職場の上司と5年ぶりにばったり会い、烏丸までご一緒する。定年後も若々しくてやっぱり尊敬できる人だなあと思った。13(土)夜勤明けの夫が駿斗のお迎えに行ってくれたので、助かった。夜から帰省できるようにと洗濯も終わらせてくれていた。滋賀へ。14(日)実家のごえんさんで中学時代の国語先生が、日曜学校のお知らせを持ってきてくれたので、今更だが大学に行っていて教育実習も終えたという話しをすると、とても喜んでくれたようで今勤務している中学校に私の担任だったY先生も校長先生でいるから遊びにおいでと言ってもらう。大阪のおっさん(と呼んでいる)が墓参りで帰省。「年をとっても街の人やし若々しいなあ」と思っていたが、いつの間にか86歳になっていて、歩くのもゆっくりしか歩けなくなっていて、「80過ぎるとやっぱり弱るもんなんやなあ」と感じる。15(月)甥っ子姪っ子たちと琵琶湖で海水浴&バーベキュー。16(火)墓参りを済ませ夫の実家へ向かう。17(水)夫と桃と私の3人でイオン各務原へ。柿安でランチしながら「もし子どもが桃だけやったらこんな感じなんかなあ、楽は楽やなあ」と思う。蘭は「お買い物行きたくない派」なので駿とばあちゃんと留守番。18(木)ゴロゴロとGTOの再放送などを見て過ごす。このゴロゴロ感は家ではなかなか味わえない。19(金)義母に「マーゴの湯」のチケットをもらって、一人のんびりお風呂やさんへ。2時間はいって気分もリフレッシュ。帰りにマーゴで夫にTシャツでも買って帰ろうと思ったが、これというものがなく何も買わずに帰る。20(土)緑ヶ原の夏祭り。明日の科目最終試験を受験するか迷っていたが、やっぱりせっかくなので受験することにし、私だけ電車で先に帰宅する。またまた試験前の一日漬け。21(日)草津で科目最終試験を受験。日本語学概論、学校図書館メディアの構成、教科教育法国語1の3科目。草津会場は初めてだが、試験管の人の近江弁に安心感を感じる。学校図書館~はヤマが当たって、受験した甲斐があった。 試験終了後西淀川区民ホールへ。AZAMIチャリティーコンサートにスピリチュアルカウンセラーとして出店しているけいさんの顔を見に行く。帰りに『吉原炎上』ともう一本DVDを借りて帰りその日のうちに観る。『たけくらべ』の「がらんがらんの音」というのがどういう音なのかわかった。22(月)朝、夫と子どもたちが岐阜から帰宅。午後、桃を連れて児童相談所へ。23(火)大学図書館のポータルサイトで黒田彰先生などの仏教文学に関する論文4件を複写依頼(27日に滋賀から帰宅したときにはもう自宅に届いていて、早いなあ有り難いなあと思う)。 桃が「迷ってたけどやっぱり『うさぎドロップ』を見に行きたい」というので 、蘭のスポーツクラブの後、桃と蘭を映画館へ連れて行く。 24(水)午後、児童相談所で診断書を受け取り、そのまま市役所へ提出。リーガロイヤルの文学講座「樋口一葉」を申し込んでいたが、児相と重なったため欠席。 夕方から子どもたちと私だけで実家へ帰り、桃を醒ヶ井の地蔵盆へ連れて行く。25(木)スタジオアリス彦根店。駿の2歳&七五三撮影という名目だけど、100%桃のためにスタジオ写真撮影。大宮から帰ってきている甥っ子姪っ子と一緒に撮影。26(金)中学時代の恩師が時間を取ってくださったので会いに行く。話しを聞いているだけでエネルギーが湧いてくる感じで、20年前と全然変わらないなあと思う。原田隆史教育研究会のことを教えてもらう。 弟夫婦が甥っ子姪っ子を迎えに埼玉から帰省。27(土)埼玉に帰る弟家族を見送って、私たちも昼過ぎに帰宅。畑の野菜をたくさんもらってきた。実家の畑で取れた野菜はやっぱりおいしい。28(日)夏休み最終日。蘭の工作の宿題ができてなくて、ガムの空き容器にシールをペタペタ貼り付けて貯金箱を作る。29(月)小学校始業式。自然育児友の会で知り合って仲良くなったRちゃんと図書館の帰り道でばったり出会い、遊びに来てくれた。30(火)駿、日帰り入院でMRI検査。寝るまでに1時間かかり、検査後無理矢理起こしたら起きて牛乳を飲み、帰りの車で寝て、9時頃一回目を覚ましたが、そのまま朝まで寝た。駿がなかなか歩かなくて心配したが、とりあえず歩くようになり最近は小走りもする。31(水)8月も終わり。
2011年08月31日
35歳で初めての教育実習。何とか無事終わりました。思った以上にハードな3週間でしたが、家族の支えがあり、もう一人の実習生の人にも恵まれ、充実した3週間を過ごすことができました。時が過ぎれば忘れてしまうと思い、実習日誌には書けないプライベートな記録など残しておこうと思います。実習期間5月23日(月)~3週間。教育実習は、自分の出身校ではなく、今住んでいる校区の中学校にお願いしました。自転車で3分くらいで、これは正解でした。もう一人の実習生さんは、出身校にお願いしたけど実習希望者が多く市内で調整の結果こちらの中学になったそうで、でもそのお陰で私はとてもよかったです。「よかった」って漠然としていますが、昨日ふと気が付いたんですが、私の頑張り方ってたまに他の人と歩調が合わなくなるときがあるんですが、この3週間この実習生さんと一緒に実習してて、控え室に二人でいるときもすっごく素で話ができて、動く早さが同じようなところがあり、へんに遠慮する必要もなく、めちゃくちゃ自分のペースで頑張れたんです。「嫌な気持ちになったりすることがなかったから気が付かなかったけど、この人と一緒でとても私は恵まれていた」と気が付きました。この実習生さん、授業もすごく上手かったし、私と違って冷静沈着で、志が高かったし、希望は小学校らしいのですが、絶対いい先生にならはるなあと思います。それから家族の協力。毎日朝7時半過ぎから夜は平均8時くらいまで学校に行ってたんですが、その間家のことと子どものことは全部主人がやってくれました。私は3週間のうち、掃除機2回くらいと、洗い物を食洗機に入れるのを数回やった程度。洗濯も、買い物も、子どもの学校の用意や連絡帳書き、病院へ連れて行くこと、ぜーんぶやってくれて本当に助かりました。結婚生活10年、何回離婚したいと思ったかわかりませんが、この時にために離婚はなかったのかと思うくらい助けてもらいました。今年は採用試験を受けられないし(卒論が間に合わず、1年延長決定)すぐにお金になるような仕事はできないけれど、自分のお金のためというよりは、この経験は社会のために生かすことで還元させてもらわないとバチがあたるなあという気がします。子どもにも少し寂しい思いをさせたけれど、長女がそれなりにしっかりしてきたのも感じました。一番大事な国語を教えることですが、教えることがこんなに難しいとは思いませんでした。2年生の説明文の単元を5時間×2クラスやらせてもらいましたが、これ以上ヒドイ授業はないだろうというくらいヒドイ授業をしてしまい、担当の先生には迷惑かけっぱなしで単元を最後まで終わりきれず、先生の仕事を増やして帰ってきました。自分が適当に読んで内容がわかるのと、中学生に要点や読み方を教えることは全く違うことでした。あたりまえか。きれいで優しい女の先生が担当だったのですが、私も年取ったとき(先生の年齢は不詳ですが学年主任だったし多分50代のはず)こういう女らしさ綺麗さと知性が備わっていたらいいなあと思いました。3週間の実習で、教師って本当に聖者の職業だと思いました。サラリーマン教師という言葉もありますが、半分以上の先生が8時9時まで仕事をしていて、日付変わるまで仕事をしている先生もいたし、土日も仕事したり部活に出たり。子どもの可能性を信じている聖者じゃなかったら、あのハードな生活を毎日続けることはほとんど無理だと思います。私は今の状況を考えると、やっぱりもう少し余裕を持ちたいし、子どもと一緒にいる時間を持ちたいし、器用に両立できないことが再度よくわかりました。来年の採用試験は京都か滋賀、それから試験日が変わる岐阜か愛知で受けるつもりですが、教員免許と一緒に取る司書教諭の免許を生かして(今の学校状況ではあまり生かす方法がないですが)保健の先生みたいな感じで、図書室の先生みたいなちょっと立ち位置を変えた場所にいけたらいいかもしれないなあと思いました。それから、学校もやっぱり一つの組織で、100%自分のやりたいようにはできないということがよくわかり、私に財力と知性があったら、私が先生を集めて、自分好みの学校をつくりたいなあと(ありえない話しですが)思いました。でも、小さい学校ならできるかもしれないし、そうやって考えていくと、ナナさんのような形やフリースクールに繋がっていくんだという気がしました。いわゆる「大変な学校」で実習させてもらいましたが、本当にいい勉強になりました。気持ちを切り替えて、残りの履修単位を早く克服します。
2011年06月11日
パソコン、どうにもこうにも「楽天ブログ書き込み」にだけ接続しないので、とうとうお金を払ってプロにみてもらうことにした。4時間近くあれこれ見てもらって、結局原因が分からず、おそらくパソコンのどこかに問題があるんだろうけどプロのその人にもわからないとのこと。パソコンを買い換える緊急性はないし、その人に教えてもらった一時しのぎの方法で楽天に接続することに。2003年モデルのノートパソコン、まだまだ使いますよ~。さてさて、通信教育のレポート締切が7日だというのに全然はかどらない。昨日は、自分が学生のときのように、勉強に追い込まれていることを自覚して、「ああ、勉強に追われるってそういえばこんなに辛いことやったんや」と思い出した。ここまでなんとか頑張ってきたから、もう一踏ん張りすれば乗り越えられそうだけど、わからないものはわからないから何も進まない・・・(涙)おまけに、教育実習に行く前に「学校国語」も復習する必要があると思って始めた公文の国語、中学2年生レベルの問題が解けない・・・。2時間考えても、3時間考えてもわからない。自分のあほさに気が付いて冗談抜きに涙が出る。書道のレポートは、草書と仮名で不合格。また10枚をやり直し。ひどい作品だったからやり直しなのは当然だけど、これまたいくら頑張っても、基礎がないからすぐには書けない。いくら1人で頑張っても無理なものは無理なので、これも先生につくことにした。あと1年で残り30単位。毎月1科目試験を受けていけば大丈夫だけど、卒論作業も入ってきたし、11月は介護体験もあるし、うう、やっぱり涙が出てくる・・・・。断乳して1ヶ月。生理が再開するのか、昨日からお腹も何となく痛いような気持ち悪いような。気分はまるで更年期障害かと思うくらい浮き沈みして、旦那にも当たりまくり。旦那がいるから勉強できるんだけど、その旦那がうざい、話しかけるな、っていう気持ちになってしまう。中高生の鬱々して爆発する気持ちが本当に本当によく分かる。本当に「うざい」「しゃべるな」なんだな~。気持ちが分かるのは良いけど、いい大人がそれを爆発させるのは良くないと思いながら、不安定な気持ちは旦那に向かってしまって、まあ旦那のかわいそうなこと。けど、夜の9時。私は子どもを寝かせなきゃならないのに(所要時間なんだかんだ30分から1時間)、そこから1人ゆっくり焼酎飲んでテレビをぼーっと見て自分が寝たいときに寝る旦那にやっぱりむかつく。しょうもないドラマを昼間の専業主婦みたいにぼーっと見てないで、子どもと寝てくれたらいいのに!けど旦那が居るから成り立っている今の生活。ああ、文句を言わない。感謝する。生きて、毎日仕事に行ってくれてありがとう。
2010年11月01日
慣れた楽天の日記は、スイスイ書けて気持ちがいい最近は、旦那さんにイラッとくる事は相変わらずあるけれど、生きていくことに何の不安もなく、雨風しのげて快適に暮らせる家があって、経済的な不安もなく、家族に命に関わるような病気とかもなく、子どもはすくすく育ち、小学校保育園に楽しく通ってくれて、お互いの両親はまだまだ元気に働いてくれて、孫の世話も喜んでしてくれて、こんな幸せなことはないと思う毎日。なので、やっぱり小さくても社会の役に立てるように生きたいなあと思う。たとえば道にゴミが落ちていたら拾うとかそんなことができるように。何が出来るかなあ?教員免許取得を目指しつつ、子育てしつつ、模索しようと思うこのごろ。長女はちょうど一年前に自閉症と診断されて、最初は特別児童扶養手当がもらえるように児童相談所がわかりやすい診断を出してくれたのかなと思っていたけど、実はそうじゃなくて、やっぱり自閉症のよう。自分では発達障害に関してかなりの知識を仕入れたつもりでいたけど、自閉症には明るくて人懐っこい自閉症があるっていうことをつい最近まで知らなかった。これに該当するよう。私も長女のパニックや強い執着に冷静に対処できるようにもっと自閉症に関する勉強もしないといけないのかもしれない。自閉症協会とかいうのもあるようで、そういう会に入ることには、子育てがそのことにばかり傾斜しそうでなんとなく抵抗があったけれど、やっぱりそういう会に入ってつながりを持って知識や情報を仕入れてくることが必要かもしれないなあ。今日は長女の方にかかりきりになって、あやとりをしようと誘う次女の相手をなかなかしてあげられなかった。こういうとき体が三つくらいあったらいいのになあと思う。やっぱり四つかな。子ども一人に一つと家事をやる分と。きっとみんなおんなじこと思ってるんだろうなあ。
2010年07月14日
ただいま旦那のパソコンから更新中。私のパソコンだと日記の書き込みだけなぜか凝り固まって動かなくなる。なぜ?久々に旦那さんのパソコンを触ったら、なんか誇りかぶってる感じがして触るのがちょっと嫌。そういえば、車のハンドルも旦那が運転した後は、タバコのやにが染み付いてるようなねっとりかんがあって不愉快。ほんとマジでタバコ辞めて欲しい。早くタバコを千円くらいに値上げしてくれたらいいのに。そしたらさすがに旦那さんもタバコをやめるのでは?そういうところにがっつり税金かけてほしい!あ、でも酒税はほどほどにしてほしいけど。先週から小学校は短縮授業になって、今週からは短縮の4時間+給食食べて帰ってくるから、長女の帰宅も早い早い。何もしていないのに毎日過ぎていって、いったいどうしたらいいのかと悩むわ。今日はめずらしく子どもが寝た後起きることが出来て、ちょっとあれこれ片付けられたけど、世の中の母親やってる人たちはみんな本当にすごいなあと思う。今日はひとつ気づいたことがあって、長女が帰ってきたときにお客さんがあると、それで長女のペースがすごく狂ってしまって、夜までその弊害が引っ張られるということ。いつもは帰ってきてすぐに宿題をやるようにしているけれど、それができなくなって、本人もやらなきゃと思いながらも、どんどんできなくなっていく。私もこの点にもっと早く配慮してあげるべきだったと反省した。これからは、もっと時間配分に関して長女中心にすべきかなといまさらながら思った。遅すぎるけどね。スーパー大高1200ml
2010年07月14日
2010年07月03日
アルファードの燃費の悪さに嫌気がさしてヴォクシーに乗り換えることにした我が家。 そして来週土曜日に納車だというのに、 この一週間車を使う予定はほとんどないというのに、 エンプティーランプがついて「あ、ガソリン入れなあかんわ」と思いっきり、タンクの口スレスレまで満タンに入れてしまった私(((゜д゜;))) 自分のアホさに涙が…。 旦那のアホさとかなりいい勝負や(トホホ) しっかり八千円分入れたから、まあ一週間子どもの送り迎えなんかに使ったとしても、間違いなく六千円分くらいはドブに捨てたようなもんやなあ…。 これ、旦那が同じことやらかしてたら私はぼろかす言うやろなぁ。
2010年06月25日
肝心な時にいつもつながらない。 あー腹立つ! 用があるからかけてきてるくせに、 電話に出ると 「えっと、何やったっけ…、あ、あのさぁ…」 はよしゃべれ!
2010年06月23日
2010年06月19日
今日、生協で予約した南高梅5キロが届きました。 これは梅シロップ用。 今梅のへそ取り中。子どもの手もなかなか役に立つようになってきたなぁ。 丸一日冷凍するやり方のレシピもついていたので、今年はこのレシピで作ってみます。
2010年06月14日
毎日パソコンを開いて更新しようとするものの、なぜかずっと「更新中」画面になり次の日記更新画面が開きません。 なぜ? というわけでとりあえず携帯から更新しておきます。 無線ランの調子が悪いのかなとも思ったけど他のサイトにはすぐつながるし…。 長い間放置してたからつながってくれないんですかねぇ。
2010年06月05日
家庭菜園と言えるほどたいしたものじゃないけれど、植木鉢にトマトとキュウリの苗を植えました。写真は5月29日のトマトとキュウリ。日中1~2時間くらいしか日に当てることができないせいか、ひょろひょろとやせっぽちですが、トマトは実がつき始めました。
2010年06月01日
日本朗読検定協会の朗読検定というものを見つけて、『準2級A』を受験していたのですが、その結果が届きました。締め切りの2日前に急いで課題をやって、「ああ、これで受かったらまぐれやなあ」と思いながらポストに放り込んだのですが、まさかのまぐれで合格していましたこんなところで運を使ってどうしよう・・・。でも、まぐれでも何でも受かったので、『準2級B』も受けようと思います。今度はちゃんと課題も早くから練習して、記述問題の方もしっかり勉強しよう。あと先日図書館に行ったときに「古典の日」記念 朗読コンテストというのを見つけて、これに挑戦してみようかなあと考えています。大将を受賞したら、もしかしたら東京に行けるかもしれないんです。東京に行きたいなあ。
2010年05月28日
こんなお弁当でも喜んでくれてるので助かります。
2010年05月27日
先週、NPOあんじゅのお料理担当、野村さんから教わったレシピでパンを焼いてみました。ちょっと焼き時間が足りなかったのですが、食べ応えのある美味しいパンが焼けました。これの前に、もう一つ、ドライイーストじゃなくベーキングパウダーを入れてしまった生地を作ってしまい、それはそのままホームベーカリーに放り込んでドライイーストを入れて食パンにしました。そちらも、どうなることかと思いましたが、カリッとしたミミのある美味しい食パンになりました。
2010年05月27日
昨日は桃の「ダンス」の日でした。でも、勝手に「ダンスの日」と言っているだけで、本当は「フェルデンクライス」というのですが・・・。こちらでたまたま見つけたのが半年ほどまえ。桃が「ダンス習いたい!」とまたまた言い始めたわけです、いつものように。言い出したらそれが達成されるまで言い続ける桃さま。ちょうどその頃、羅漢果や薬膳料理、中国気候の辻先生のお宅でクリスタルボウルコンサートがありそこで知り合った方が、近所のダンス教室の先生でした。でも、桃はグループレッスンは絶対に無理。ヤマハの赤りんごからなかよしコース、バレエの体験レッスンで、「先生の話しを聞いて、みんなと同じように、一緒に、言われたことをやるのは無理」ということがよーくわかっていたので、そこへ通うのは無理だということで、選択肢から消え。次に、とりあえず、ダンス教室の先生と出会った時に桃がダンスと言い出したのも何かの縁だと思って、検索してたらこのフェルデンクライスカフェのみゆさんに出会えたのです。「ハーブティー」というのに何かつながるものを感じて、とりあえず、桃のことなどをちょっと話して、一度体験レッスンを受けさせていただいて、それからかれこれ半年、月2回通っています。体験レッスンでお話ししたときに、なんと辻先生のクリスタルボウルコンサートで知り合ったダンス教室の先生も、このフェルデンクライスカフェに通っておられることがわかって、思わぬ繋がりにちょっとビックリしました。桃の好きな曲(ラブ&ベリーのダンスミュージックなど)や、みゆさんのウクレレなどに合わせて本当に好きなように踊らせてもらって、ウクレレにも触らせてもらったり、それから「静かな動き」やリトミックみたいなことも取り入れてもらいつつ(私が何かをして欲しいとお願いしたのではなくて、全部お任せしているのに、体験の時から思っていた以上にすごく桃に良いなあということをしてもらえていて、こんな近所で、こんな素敵な空間と先生に出会えて、なんてありがたいことかと思っています。)1時間くらいいろいろマンツーマンでやってもらって、最後に美味しいハーブティーを私も一緒にいただいて終わりです。私も今気が付きましたが、こちらがみゆさんのブログです。上手いこと素敵な人に会わせてくれた桃さま、かな。それとも、自分に必要な人を引きつける力を持っているのか?!なーんて思ったりして。ちなみに、ピアノはこちらでお世話になっています。ここでも熱心で優しく厳しい、よい先生に出会えました。来月5日は教室のアンサンブルコンサートが、文パルであります。桃と蘭と私と3人で「ほたるこい」を演奏します。話しをフェルデンクライスに戻しまして・・・。桃は今のところ、まだフェルデンクライスそのものをやっているわけではなくて、やりたいことをやらせてもらっている段階で、実は私もフェルデンクライスというものをよくわかっていません。大人のコースもあるので、一度行きたいのですが、旦那さんが仕事で居ない日とか試験前だったりしてまだ一度も行ったことがありません。今日も夜あるんですけどね。旦那さんは今週も金曜日の夜中まで帰宅しないので、夜は動けません。みゆさんのおうちでレッスンを受けていますが、野口整体やハーブティー、昨日は彫刻家佐藤忠良さんという方の『触ることからはじめよう』という教育にも関係する興味深い本などが置いてあって、思わず桃のレッスンを横目に、集中して読んでしまいました。というわけで、「フェルデンクライス」というものがあって、なんだかよさそうですよ~、という紹介でした。あと、みゆさんが「一対一のおつきあいをしたいので『先生』じゃなくて『みゆさん』って呼んでね。」と最初に言われたので、いつもみゆさんと呼んでいます。
2010年05月27日
「ちゃんと、発信しないと」「ひとのとこばっかりたまにふら~っと遊びに行くだけで、これじゃのぞきと一緒やん」と最近反省しました。ちょっと5年ほど前を思い出して、また毎日ブログで日記を書くことを自分に課してみようという気持ちになりました。羅漢果の先生も「日記を書きなさい」とアドバイスしてくださったし。とりあえず、いろいろ分けたりするところまで手が回らないので、つれづれ、何でもあり、の寄せ日記になりますが。昨日この気持ちを書こうと思ったら、私が久々に楽天を開いたから嫌がらせしているのか、パソコンが筋肉痛のように動いてくれなくなって、しんきくさくなってやめてしまいました。今日もちょっと微妙ですが、まあまあキーボードタッチにもちゃんと反応してくれてます。ふう~。最近はというと、先週の今頃は通信の科目最終試験前でピリピリして、旦那さんに意味もなく当たっていまして、今思うと本当に申し訳なかったです。それなのに、先週金曜日桃の授業参観のために半日代休取ってくれて、その後スイミングを見に行ってあげてくれて、土曜日も昼から桃と蘭をつれて、まず桃のスイミングの休校日振替分に行きその後ヤマダ電機でウィンドーショッピングして夕方帰宅、日曜日は、私が科目最終試験日で朝8時から出かけたので、子ども3人を子守し、3時過ぎに駅まで向かえに来てくれました。良くやってくれています。こうやって振り返ると、「感謝せな~」と思います。しかし、ビールの空き缶が部屋に放置してあるのを見た瞬間、脱いだ靴下がそのままになっているのを見た瞬間、連絡もなく帰宅が7時を過ぎた瞬間、「イラっ!!!」ときます。ストライクゾーンがボール1個分しかない私です・・・。
2010年05月26日
「クッキー焼きたい」という桃のリクエストにこたえて一緒に型抜きしました。今日は旦那さんが夜の仕事で早めの晩御飯を食べて5時半に出て行き、まったりして私も心の余裕があり、桃も「待って」というと待てるようになり、手際よくなってきたので楽しく作業できました。しかも分量をかなり適当にした割にはとーっても美味しくできました!追記今日は大学の科目最終試験日でした。最大で、午前2科目と午後2科目の計4科目受験できるんですが、初めて3科目受験しました。勉強しながら「3科目なんて無謀だった・・・」と後悔しつつ、でも最近「何でも自分で決められる」ということを教えてもらって、「3科目受験、合格!」と決めて、自分の秘密の夢手帳(桃のキティちゃんの手帳をもらいました)にそう書き込んで、とにかくできる限り受験モードになって勉強しました。それでも、全部は完璧に覚えきれなくて、試験は与えられた設題に論文で答えるんですが、回答案を作るのに時間がかかって、ほとんど勉強というよりも作業をしただけで覚えられないまま試験に向かいました。「とにかく3科目合格と決めたんだから決めたように行動しなくては」と思って最後の1分まであきらめず頑張りました。(そんなふうにせっぱ詰まる前にもっとちゃんと計画的に勉強したらいい話なんですが、何しろせっぱ詰まって追い込まれないとどうしてもスイッチが入らないのが悲しいですね)で、試験が始まって、午前道徳教育の研究特別活動軒研究午後教育方法学1の3科目受験したんですけど、何とかなりました「自分で決める」って本当に大事なことで、なんてすごいことなんやろかと。もうビックリです。これ、午前と午後の受験科目が違ってたら、答えられなかったなあと問題見てて思いました。回答案作成の作業だけで終わってしまった問題も、うる覚えの記憶を頼りに何とか書けたので、結果が送られてくるのは6月末ですが、たぶん大丈夫だと思います。次は、6月10日までにに文学概論のテキスト読んでレポートを書いて提出して、7月10日までに仏教文学概論のテキストを読んでレポートを書いて提出しないといけません。テキストを読んだだけじゃ、レポートを書けそうにないのでおそらく他の文献も何冊か読まないと・・・。今後は専門の文学系と教職国語科のレポート&試験だけなので気が楽といえば楽なんですが、漢文&言語学系がどうなることやら。近所にそういうのが好きな専門の人がいるのではないかと、アンテナを張っているところです。お茶でも飲みながら話しを聞かせてくれたらと。あと、「書道を習いたいなぁ、1回千円とかで家に教えに来てくれる人いないかなぁ」と思っています。誰か私のアンテナに引っかかって~
2010年05月23日
駿斗8カ月と27日。 いよさんが貸してくれたたホーローおまるを試してみたところ、おしっことうんちが上手にできました。 おまるにぴったりお尻がはいって普通のおまるよりもやりやしそうでいい感じでした。 母はホーローおまるを見て鍋かと思ったそうでウケました。
2010年05月12日
宇治川から撮影
2010年04月04日
2010年03月31日
きっと授乳中だから。めちゃくちゃお腹がすく。っていうか、1日にどれくらい食べているか食事日記をつけたら、きっとおそろしいくらい食べている。蘭を生んだあとはわりとすぐに体重は戻っていたのに、今回は戻そうとする努力をしていないし、食べたいものを食べたいときに食べたいだけ食べていることもあって、恐ろしくて体重計に乗れない。現在産後6ヶ月。そろそろ戻す努力しないともう戻せないかもしれないと思いつつ、「太ってても誰にも迷惑かけてないし♪」とも思ってしまう。それに最近思うのは、体重よりも体が楽に動かせるかどうかのほうが大事じゃないかと。痩せてても体力なくてひょいひょいと動けなかったら家事も子育てもしんどいだけだし、かといって太りすぎても動きにくかったり、お腹の脂肪は動きの妨げになる。まずは楽な体をつくろうっと。
2010年02月25日
旦那のお母さんがアサヒ軽金属のオールパンセットを買い、大きい方は使わないからとくれました。 すごく重宝していて、今日はこれを使ってパンを焼いてみました。 今から試食しまーす。
2010年02月04日
2010年明けましておめでとうございます。お会いしたことがある方も、そうでない方も、通りすがりの方も、皆さま本年もどうぞよろしくお願いいたします。2010年、待ちに待った2010年です。何がって、ようやく重苦しい厄があけます前厄、本厄、後厄、本当に重苦しい3年間がやっと終わります。「悩みがないのが悩みです」と言い続けてきた私ですが、この3年間、特に前半2年間は本当にしんどくて、まあそうはいっても今思うとたいしたこともなかった気もしますが、30を過ぎて初めて悩むということを経験させていただきまして、悩んでいる人の気持ちというものがどんなものか初めてわかりました。最近はその時のしんどさも忘れつつあって、良くも悪くも忘れるのが得意な私はまた「そんなことで悩むのがよくわからん」という心境になりつつありますが、自分の悩みがないときでも悩んでいる人の気持ちに共感できる優しさを忘れないようにしなくちゃいけないなあと思っています。今年の旧正月は2月14日のバレンタインデーなのでそれまでは「喪に服す」ようにひっそり生活しようと思ってますが、そこからは、バリバリ目立ちたがり屋らしく生活できたらと思っています。はやとももうすぐ5ヶ月です。「あーあー」「うーうー」とよくしゃべり、自分の手をおしゃぶりすることや手を合わせて遊ぶのが上手になりなりました。寝返りはまだですが、だいぶ横を向いて背中を浮かせるようになってきました。そうそう、ベビーマッサージの資格を取ったものの「いちいち服を脱がせてやるのが面倒だし、確かに毎日やったらすごくいいことだろうけど、やりたい人がやればいいわ」と人に教える気にならなかったのですが、今自分で効果を検証できるので、検証中です。ベビマの効果と一口に言っても、身体的効果から成人期に至る心理的効果まで長い目で検証しなければならないので、一概にどうだということはできませんが、2ヶ月になったくらいから開始して、1ヶ月ほどでマッサージを始めるとおとなしく「されるがまま」で「よろしく~」という感じに、にこにここちらを向いてくれるようになり、ベビマをするお母さんに身体をお任せしてくれるまでに、2ヶ月の赤ちゃんでだいたい1ヶ月かかるのかなということがわかりました。最初は「機嫌の良いときにやる」という基準に従ってそうするようにしていましたが、眠れなくてぐずぐずしているときにやってあげると機嫌を持ち直して、その後ぐっすり眠ってくれるということなどもわかってきました。便秘にも効果があるのは教えていてもなんとなくわかっていましたが、これも毎日やることで浄化力?が強くなるのか、ほんと毎日たっぷりいいうんちをしてくれます。まあ、検証というのはもっとたくさんの赤ちゃんにずっと続けてやってみて効果を探らないといけませんが、「お母さんも楽しくなる」というのも事実だったようで、私も続けるうちにやるのが楽しくなってきました。詰まり、最初はいちいち服を脱がせてオイルをつけてやるのが面倒だったということです。オイルで思い出しましたが、うちの子はものすごい乾燥肌で、オイルは乾燥肌にもいいはずなんですが使っているセサミオイルがよけいに乾燥を招いているような気がしたので、最近は大人用の自然系のクリームを使っています。あと最近思うのは、育てやすい子はわりと育児書通りにやればやったとおりの反応を示してくれるけれど、育てにくい子(あまりいい表現じゃないですね)はもちろん、大部分の子は育児書通りに成長&反応しないのではないかと。育児書というものをよく知らないと本当にそれに振り回されるなあと思っています。あれはおそらく育てやすい子約2~3割くらいの子が基準じゃないですか?あと助産師さん言われて「その通りだ!」とうれしくなった言葉があって「手がかかる子はいくつになってもずっとかかるし、手がかからない子はずっとかからない」だそうです。赤ちゃんも人間である以上やはりいろいろな個性があって、たとえばいくら2ヶ月からベビマを毎日続けたところで、4ヶ月で寝返りする子もいれば6ヶ月かかる子だっているし、もしかしたら8ヶ月かかるかもしれないわけです。そんなことよく考えたら当然なんですが、赤ちゃんを目の前にするとその当然のことを忘れて「本に書いてあるとおりにやってるのに、まだ寝返りしない」とか「離乳食を食べない」「もう3歳なのにおむつがとれない」と悩んでしまうんですよね。みんなが同じように本の通りに成長する方がおかしい。頭ではわかっていたけど、その辺のことがようやく自分の中にすっと落ちてきました。だから、ちょっと個人的感情が入りますが、育てやすい子しか育てたことがない人や、育てやすい子ばかり育ててきたひと昔前の人や(今の子は環境でDNAが変異してしまっているのか何なのかよくわかりませんが明らかに一昔前の子とは違うんです)、子育てを母親任せにしている父親が軽はずみな気持ちで「母親の育て方が悪い」「甘やかしている」とか言っちゃいけないんですよ。
2010年01月07日
久々の日記出産からあっという間に2ヶ月たちました。。かなり出歩くことも多くなってきました。と言うか、小2と年中の上の子達もいてそうそうじっとしていられるわけもなく、また何故か隙あらばと予定が入ってくるのです・・・不思議とにかく最近の私がどんな感じなのか、家族のこと、などなど思いつくまま、いつか思い出したくなったときのために記録しておきます駿斗 10月15日で2ヶ月。 体重は計ってないのでわからないけど、5500gくらい? ぎゅっと肉が詰まってきました。らん よくしゃべって、うるさいくらい。 駿斗にべったりで朝起きてから寝るまで、ずっとお世話してくれます。 布おむつですが、うんちの時も拭くまではやってくれて、おしっこだけの時は全部換えてくれます。まあ、あとから手直しは必要です。もも 相変わらずです体力が、ないなりにもついてきた感じがします。週1回のスイミングに毎週はりきって通ってます。旦那 一つくらい趣味を作ろうと思ったようで、ラジコンをいじってます。もともと高校の時にちょっとやっていたようですが。私 この間通佛大の信教育のレポート2つ提出出来ました。 本当は9月に1つだけでいいから出せて、10月に試験受けられたらいいなと思っていたのですが、頑張れば出来たかもしれませんが、産後1ヶ月はぼちぼち頑張ろうと思って無理するの辞めました。というか無理しようとも思えなかったし。で、今月は2つレポート出せたので11月の試験が受けられます。 卒業に必要な分のテキスト履修を出来るだけ早く終えて、来年は教職科目の履修だけにしておきたい所です。あと再来年は教育実習と卒論に集中できれば・・・。プラス4月から学生ボランティアに応募しようかなとも思案中。 ようやくピアノを習い始めました。実際に弾いてみると思うように手は動きません。子どもの気持ちがよくわかります。月2回、細々だけど続けたいと思います。目標は来年の発表会で、大好きなのだめカンタービレのテーマソングでもある『ラプソディー イン ブルー』を弾くことです。昨日は桃が土曜参観の振り替え休みで、桃と二人で東山~河原町を散策しました。先週から約束していたことで、蘭を保育園に送ってそのまま出発。車を清水五条に停めて五条坂~清水寺~二寧坂~八坂神社~四条河原町~新京極~六角公園~四条河原町に戻ってケーキヴァイキング~祇園~建仁寺~駐車場と歩きました。駿斗はベビーカーに乗せ、二寧坂の石段はベビーカーかついで下りました五条坂の入り口あたりに手作りガラスのお店があって、桃はそこで長いこと品定めをしていました。かわいいアクセサリーが手頃なお値段だったので、いつもおせわになっている義母にネックレスを選びました。あと最近考えることは、今年の2月に引っ越したところですが、「日当たりのいい家に住みたい」という思いがどうしてもあって、今住んでいる町内はとてもいいところで気に入ったので、近所で南側角地が売りに出たらそこを買いたいと旦那に相談中。なかなか売りに出ない地域で角地となるとなおさらなようですが、不動産屋さんに声だけかけとこうかと考えています。今の家は築7年のセキスイの中古住宅で、以前住まれていた方が丁寧に住まれていたのでとても綺麗で、家は申し分なく、むしろ広さや仕様は私たちにはもったいないくらいだと思ってるのですが、北向きのため日当たりがあまりよくありません。だからこれを引っ越したいというのは単に私の超わがままなのですが、実際に住んでみて家そのものよりも日当たりが私にとって優先順位が高いことがよーくわかったのです。ただ、「厄年に動くのは良くなかった。」という後悔&反省があるので後厄が終わるまでのあと3ヶ月はじっとしとこうと思っています。それに家の前後左右両隣の方がいい方で、ご近所には本当に恵まれているので、この環境は捨てがたく、やっぱり引っ越すにしても20年くらい先でいいかなという思いもあります。不動産屋さんに「南側角地がでたら」と言っておいてもいつその物件が出るか、でるかどうかすらわからないので、まあ厄があけたらとりあえず不動産屋さんにいけばいいかと思っているというわけです。
2009年10月20日
15日土曜日の朝8時20分に3255gの男の子が無事産まれました。産まれる少し前に男の子って言われて半信半疑だったけど男の子でした。名前は駿斗と書いてはやとです。 後腹が痛くて痛くてその日は動けないくらい大変だったけど昨日にはすっかり回復しました。次はおっぱいの張り&乳首の切れる痛みと闘ってます。 上の二人のときみたいにはなかなか強い陣痛がこなかったので、時間がかかった分ちょっと疲れたけどこれでも普通だそうです。でもあんまり歩かなかったからかな、とちょっと反省しました。 また落ち着いたら詳しくアップしたいと思います。
2009年08月17日
大学の夏季スクーリングも8日で無事一段落し、予定していた分は受講することができました。レポートも、たまたまその日の夜寝付けなかったのために二つ仕上げてしまうことができてラッキーこれでいつお産が始まっても大丈夫な状況になったけれど、今度は暇を持てあますというか・・・。何もすることがなくて、かといって何かをやりたいということもなくて。気が付いたところをちょこちょこ掃除したりぶらぶら出歩いたり。しかも、昨日から長女(小2)と次女(年中)は、なんと二人だけで高速バスに乗って岐阜のおばあちゃんちへ行ってしまい旦那と二人きり・・・。先週くらいから長女が「おばあちゃんちに行きたい。」と言っていたけれど出産に立ち会わせる予定だったし、どうせ産まれたらおばあちゃんに会うんだからと思って聞き流していました。本人も「赤ちゃん見たいからおばあちゃんち行くのやめとく。」と言っていたのに、昨日また「赤ちゃんは産まれてからでいい。」と言い出して、「バスに乗って行く。」と言うのでおばあちゃんと相談して行かせることになりました。そしたら次女まで「私も行く。」と言い出してこの時期だしどうせバスが取れないだろうと思っていたらこれが二席並びで空いていて、結局京都駅からバスに乗って二人で行ってしまいました。明日が予定日ですが、出産の立ち会いは旦那だけになりそうです。まるで一人目のお産みたいだなあと思います。旦那と二人きりの家はものすごく静かで、ほんとに暇です。結婚当初ってこんな感じだったんでしょうかね?子育ての忙しさも『幸せ』なのかもしれないと思えてくる程です。まだお腹が下がった感じがなくて、この分だと予定日過ぎての出産になるのではないかという気もしてきましたが、どうなるかなぁ
2009年08月12日
出産予定日まであと20日。でも、これからまだまだ予定が入っている私は赤ちゃんが予定日通りに生まれてきてくれることを願いつつ、ちょっとドキドキ・・・明日(っていうかもう今日になってるけど)は、ナナさんが教えてくれたイベントを楽しみに、家族で南山城村へ。一泊して、翌日の早朝散歩も体験したいんだけど、なぜかお祭り大好き長女が「寝るのはおうちがいい」と言っているため、どうなるかは明日の長女の気分次第になりそうです。28日は長女の小学校の行事があって、29日は検診。午後は特別児童手当申請書をもらいに児童相談所へ。来週の予定はこれくらいだけど、8月に入って1,2日は英語のスクーリング授業で名古屋へ。安く抑えるために高速バスで行く予定です。この授業の予習(訳)を来週の空いているところでやらないといけない3,4,5も9時から17時半まで一日授業があって、6,7,8は午後だけ授業。これは大学で受けるから日帰りだけど、片道1時間はかかるから、朝7時過ぎに家を出て帰宅は19時頃。午後だけ授業の日はお昼に家を出れば間に合うけど、6日は午前中木津(ほとんど奈良寄り)で検診を受けてから北区の大学へ移動。しかもこの8日間で4科目受けるのから、レポートも4科目分書かないといけない。授業に出席できたとしても、それぞれ10日以内にレポートを出して合格しないと単位がもらえないから、ほんとにドキドキ。レポートを出し終えてから陣痛が来てくれることを祈る今日この頃。長女、次女は予定日を過ぎてからの出産だったけど、今回は何となくこれまでと感じが違うような気もして、もしかして早くなるのではないかとちょっと不安でもあり・・・。かといって予定日を大幅に遅れると、今度は実家でゆっくりもできなくなるので(長女が夏休みの間だけ里帰りの予定)予定日通りが一番ありがたい。なるようにしかならないけれど、できれば予定日通りでお願いしますね、赤ちゃん。
2009年07月24日
今日でいよいよ臨月に入りました。体調的に特に心配なことはないけれど、むくみがちょっとあるかな?体重もむくみ具合で上下していることに気づきました。貧血は、中期の検査で8.9だったヘモグロビン値が先日の検査では10.4まで回復し、一安心です。1ヶ月頑張って薬を飲んだかいがありました。薬も何回か飲んでいるうちに、むかつき感なく飲めるようになれました。食事は、食べたいときに食べたいものを食べてました。ひじきが食べたいときはひじき、小松菜が食べたいときは小松菜、レバーが食べたいときはレバー、というふうに。運動は、ほとんどできていません冷たい物、なかなか我慢できません。でも、「これじゃダメだ。」とも思えず、3人目にして毎日やりたいことだけやって本当にストレスのない妊娠生活を送っています。これが吉と出るか凶と出るか・・・。身体を冷やしていると出産時の出血の量が多くなるらしいので、その点だけが若干心配。でも、子どもと一緒に棒アイス?食べたり、スイカ食べたりやっぱり楽しいことは楽しいです。楽しいのに「絶対ダメ!」と決めて完全に我慢するのはやっぱり変だと思うこの頃です。
2009年07月16日
助産院で出産の予定ですが、病院で受けなければならない検査(初期・中期・後期各1回)は、宇治徳州会病院で受けています。妊娠検査を受けた初診以来、河邊(かわべ)先生にお世話になっていますが、この先生のおかげで「京都のお医者さんは冷たい。妊婦の顔も見ず問診する。」という最悪のイメージを払拭できました。それに、お産は病気じゃないからリスクがなければ個人医院の方が絶対いいと思っていたのですが、この先生のおかげで総合病院にもこういう先生がいるんだということがわかって、総合病院もいいなという認識に変わりました。受付の看護師さんもとても丁寧で、必要な検診しか受けにこない私にも丁寧に対応して下さいます。もし万が一、病院での出産になってもここなら安心して納得して出産に臨めそうな気がします。もちろん、予定通り助産院しんかいさんで産めるように体調管理は頑張らなくてはなりませんが
2009年06月19日
約1年ぶりの更新過去の日記を整理しようかと思ったけど、それも今は面倒なので気が向いたらということで・・・。とりあえず、今第3子妊娠8ヶ月です。あと3日で9ヶ月です。坐骨神経痛になったり、貧血が結構ひどかったりと、気をつけなければならない点はありますが、まあまあ順調です。出産は奈良に近い木津の助産院しんかいさんにお願いしました。JR木津駅の近くです。うちから普通に行くと車で40分かかりますが、完全予約なので待ち時間もなく、1人1時間の診察時間を取って下さっているので時間のことを気にせずいろいろ話せるのがうれしいです。助産師のしんかいさんがさばさばした感じでとても話しやすいので、意外と人見知りする私でも「こんなこと話す程のことでもないかな?」とか、今までなら先に考えてしまって言えなかったようなことも話したりできます。入院中の食事も、しんかいさんのお父さんがされている裏の畑で取れた野菜を中心に出して下さるそうで、これまでの経験から産後おっぱいが張ることが目に見えている私にはとてもありがたいです。ヨガやベビーマッサージの教室もされています。2人目をあゆみ助産院で出産し、今回予定日が8月であゆみさんが「お産休み」の月ということであゆみさんから紹介してもらったのですが、今回の妊娠で「出会えた」なぁと感じます。体重がこれ以上増えてもダメだし、貧血の方もこないだヘモグロビン値が8.9でこれもなんとかしないと、しんかいさんでの出産は危険な状態にあるのですが、あと2ヶ月体調管理を頑張りたいと思います。
2009年06月15日
イベントのお知らせです。いのち 知ろう・語ろう・からだのちから会場:ひとまち交流館京都(地下鉄五条または京阪五条からそれぞれゆっくり歩いて10分市バス「川原町正面」徒歩0分)入場無料(ただし22日の左古かず子氏講演会のみ有料)内容★8/22(金)~31(日) 10:00~16:00(最終日のみ15時まで)写真展 「いのち~誕生をみつめて~」母なる誕生の喜び感動をもう一度 松永知恵美氏★8/22(金)10:30~12:00あゆみ助産院院長 左古かず子氏と助産師(足立病院助産師さんと出張開業助産師木村泰恵さん)トークショー当日千円 前売り800円☆親子フェスタ&癒しの森フェスタ・牛乳パックで作って遊ぼ!(ブーメラン・紙トンボ・びゅんびゅんごま)・お話し広場(パネルシアターや絵本)・小野おじちゃんの手品・香りのスプレー作り(アロマのルームスプレー)・言だま(名前で鑑定)・看護士相談コーナー★8/23(土)10:30~12:00 山田恵子氏講演会「将来人の手を借りずに元気で長生きするための秘訣」10:30~13:30 環境芸術家 八木マリヨ氏ワークショップ 「人々のつながり “命のなわづくり”」☆親子フェスタ&癒しの森フェスタ・牛乳パックで作って遊ぼ! (ブーメラン・紙トンボ・びゅんびゅんごま)・お話し広場 (パネルシアターや絵本)・小野おじちゃんの手品・ハーブの手作りせっけん(10:30~13:30)材料費¥500・ステンシル(10:30~13:30)・ビーズアクセサリー・ベビースリング講習会&販売・バランスボール・スイナつぼ療法 夏の疲れ目リフレッシュ・ビジョンヨガ 母と子のタッチセラピー・夏のお顔の疲れを取るアドバイス・お菓子の家で遊ぼう(小さい子向き)前売り・託児連絡先特定非営利活動法人 あんじゅ-癒しの森-TEL 075-333-0820FAX 075-332-8005左古かず子氏講演会の前売りチケットをご希望の方は私からお譲りすることもできますので、ご希望の方はご連絡下さい。
2008年08月19日
今日は自然育児友の会で出会った親子3組で、京奈和自動車道田辺西ICから車で3分くらいのところにある「杉・五兵衛」というところに行ってきました。お天気が心配でしたが、朝に上がった雨はそのまま降らずにもってくれて散策も楽しめました。次女はめちゃくちゃたくさんいるロバの鼻息と声?にびびりまくりでした。とっても怖がりなのです。写真は本館の建物とその奥のほうにある田んぼや池です。田んぼの横にアスファルトの細い道がありそちらから一組のご夫婦がリュックを背負って歩いてこられたので「この道はどこかに繋がってるんですか?」と聞くと長尾駅に繋がっているとのことでした。長尾駅までは歩いて30分くらいと言われていたので、またピクニックでもできればいいなあと思いました。ランチをいただきながらいろいろと話しをして知ることもたくさんあり勉強になりました。一人の方のお父さんは、普通のサラリーマンだったのですが10年前から「いつか食糧危機の時代がくる。いつまでも今のようなことは続かない。」と言って畑を始められたそうです。私も「畑なんて何が楽しいのか?」と思っていた時期がありましたが、今は自分の食べる分くらいは作れたらいいと思います。しかし、畑を借りるとなるとたいそうだし、近所の畑をしている人と仲良くなって作り方など教えてもらえたら良いなあと思うこの頃です。
2008年06月23日
2008年05月25日
お知らせですじょうぶな子どもをつくる基本食 幕内秀夫さん講演会 ■日時:5月25日(日)13:30~15:40(開場13:00) ■会場:宇治市生涯学習センター(宇治市宇治琵琶45-14) ■参加費:1,000円 ■振込先: 郵便振替普通口座 00950-0-319071 学校給食と 子どもの健康を考える会 京都有志の会 ■保育:保育料1000円 保育は事前予約必要。限定数先着順です!お早めに! ※お子様の会場入室はできません、保育利用か、信頼できる方 に預けてご参加下さい。乳児の場合はご相談下さい。 ■問合せ・保育予約:FAX0774-52-6004 TEL080-6172-8756(10:00~18:00)(安田) ■主催:学校給食と子どもの健康を考える会・宇治 当日は、同会場で 使い捨て時代を考える会・安全農産供給センターの ナチュラルフードフェスタin宇治も同時開催! こども広場もあります。試食も沢山。 http://www.tukaisutejidai.com/ 子どもの未来も日本の未来(農業や、食料自給率も)もお米が要!お米が大切! 子どもの味覚は野生的で、苦味、酸味は自然界では危険物。 苦味→毒物 酸味→腐敗 と判断するのですぐ吐き出したりする。 というのがわかると、 なんだ、好き嫌いじゃなくって必要なくてたべてないのか、と楽になります。 子どもはカロリーを溜め込んでしまわず、それをどんどん使って脳やエネルギーに変えて行ってるのですぐにカロリーに変わってくれる食べ物を選んでいます。 糖分、たんぱく質、脂質。 だから、お米でいいんです。 お芋でいいんです。 注意しなくてはいけないのが、 糖分、脂質は、たとえばパンやクッキーやケーキでもとれちゃう。 簡単に、とりこめちゃう。 なので、こどもはお菓子が大好き。(のように見える) こどもは賢いので、すぐに簡単に摂れるほうを選んじゃいます。 だからってお菓子で育てますか? お菓子ばっかりでお米食べないの、という場合はまず、オヤツを見直す。脂質が多すぎるんです。ミネラルがすくなすぎます。 いくらバランス考えても、ミネラルが不足していたら、 身体に入りません。 子どものオヤツは補食。 だから、おにぎりやおいもでいいんです。 ということで、もっと詳しくお聞きになりたい方は是非ご参加を!
2008年05月20日
今日は1年生になった長女が通う小学校で給食試食会があり参加しました。私は幕内秀夫さんの本を読んだり、「学校給食と子どもの健康を考える会」に入っていたこともあり、長女の食べる学校給食がどのようなものなのかと楽しみにして参加しました。私が子どもの頃はこんな企画はなかったし、給食に興味のある保護者なんて少ないんだろうなあと思っていたのですが、行ってみると114名の児童の保護者のうち50名近くの参加で、意外と関心が高いことに驚きました。中には子どもの給食の様子を見たいと言うだけの人もあったかも知れませんが、それにしてもこれはすごいことだと思いました。参加費は230円でした。子ども達の一食分は220円、一月4000円の給食費です。今年度から給食費が値上がりした自治体は多いですがうちの自治体は据え置きで値上がりがありませんでした。試食会の内容は、栄養士さんから市や学校の給食システムの紹介、最近の児童の傾向、給食の取り組みなどとても細かくわかりやすい説明があり(40分間)感心しました。たくさんの方々が給食のためにご尽力くださっているのだと感じました。その間に給食のいい匂いが漂ってきて、センター型が増える中で学校の中に給食室があるのはやはりいいことだなぁ、ありがたいなぁと思いました。私は牛乳を無くせないのか、無くしたかったらどうすればいいのかを質問しました。栄養士の方も実は給食に牛乳は合わないと思っているが、ではカルシウムを補うためにどうすればよいのか具体策が必要、その分おかずを増やすとすれば給食費の値上がりにも繋がるかもしれない、などとわかりやすく答えてくださいました。給食そのものは教育委員会が決めていることなので、教育長に話しをするのが一番早いということでした。牛乳が嫌い、飲めないというお母さん方がたくさんおられて、本気で牛乳なし、完全米飯化するのは、お母さん方と意識を一致させればもしかしたら簡単かもしれないと思いました。ただ今の私は、それ以上にそれぞれの方がそれぞれの立場で給食のことを考えてくださっているということがよくわかるし、署名運動をしたりする意欲が薄いし、そこまではできません。1年生の給食の様子も配膳から見させてもらい、先生の手をかりながらも、もうきちんとお当番さんがしっかり配膳したりしていて感心しました。食器もプラスチックではなく陶器のもので(セラミックかな?)今の子ども達は恵まれているなあと思いました。給食の味は薄味でおいしかったです。メニューは・えんどうご飯・五月汁(豆腐、人参、ごぼう、ふき、わかめ)・白身魚の風味揚げ・牛乳えんどうご飯のえんどうは昨日2年生が剥いたのだと聞いて色々な取り組みをしていただいているのだと感じました。昔はガキ大将は悪いこともするけど給食といえば人の分を取り上げるくらい良く食べたが、今問題があるとされる子どもたちは食べることにも意識が薄く、給食を食べなかったり食べてもものすごい変色があるそうです。それは私も感じています。長女は発達に問題があるものの、野菜が大好きで嫌いなものがないことはほめてあげられる点だなあと思いました。また、学校給食教育部というところから、可愛らしく書かれた献立表のほかに給食だよりというものが配られます。今月は「おやつ」という呼び方の由来や正しい食べ方、朝になると校庭にお菓子のごみが散らかっているらしく「おやつは家で食べましょう。」ということが書かれていました。こんなに色々と時代とともに給食というものの捉え方が変わってきて様子も変わってきているんですね。保護者の責任として給食費を払うのは当然だと思うのですが、払えない人は感謝の気持ちがないのだろうなあと思いました。またこんなに栄養バランスを考えておいしい給食を食べさせてもらって月にたったの4千円!それを高いと思うのは不思議だなあと思いました。
2008年05月16日
1年生の桃、今日から宿題が始まりました。ひらがなのプリントで、授業中に習った字を書くというものです。プリントの表は授業中やってくるので、うらに同じ字を繰り返して書きます。桃は、まだ自分の名前も書けません。小さい頃から絵本を読んであげていたし、今も寝る前に桃と蘭に好きな本を1冊づつ、多いときは2冊づつ選ばせてあげて読んでいるので絵本も大好きなのですが、桃はまだ字が読めないし書けません。私もこれまであえて教えませんでした。自分で読みたい、書きたいと思ったら放っておいても勝手に覚えるものだと思っていました。自分の名前を書きたくなったら「教えて。」と言うと思ったし、何となく日常の中で教えることはあってもあえて無理に教えるということに抵抗があったのです。しかし、いざ学校へ行くとそうも言っていられないという気がしてきました。字が読み書き出来ないことにはその先へ進めないのです。でも、ここで問題なのが、自分が親に勉強を教えてもらった記憶がないので「親が子どもに勉強を教える。」という概念が私の中にないのです。抵抗すら感じます。かろうじて、自分の名前を広告の裏に書きながら教えてもらった記憶はありますが、それも、遊びの延長という感じでした。桃に覚える気がないのに、無理やり書かせたりしたところでいいことがあるのだろうか?と思ってしまうのです。普通の子なら親が教えなくても生活の中で覚えていくもののように思います。でも、桃のように障害がある場合はやはり親が家で教えないことにはとうてい学校の授業についていけません。普通に考えれば、家で教えたらいいのでしょうが、「勉強はやりたいときにやりたい人がすればいい。」と思っている私はどうしてやる気がないのに無理強いしてやらせないといけないのかという気持ちがあります。今日初めて宿題を持って帰ってきて、当然一緒にやらなければ出来ないので、私が字を書いた上をなぞって書く、というやり方で一応宿題をしたわけです。そうやってみて、桃は放っておいたら宿題が出来ないということにあらためて気がつき、「一緒にやらなければいけない」という事実に気がついたわけです。私は「勉強しなさい。」と言われたことがないかわりに、言うことにもとても抵抗があったので子どもにも言いたくないと思っていました。でも、桃の場合何も言わずに放っておいたら本当に何もしないのです。これまで字を教えなかったことは私は間違っていたと思わないし、お陰でその分桃はのびのび成長してきたんじゃないかといいほうに解釈しています。でも、これからはどうしようかなとちょっと今日は考えました。最近そんなに心乱れることがなかったのですが、今朝はGW明けのせいか、機嫌よく起きたのに登校時間になって「行きたくない!」と言ってひと悶着あり、宿題でひと悶着あって、ちょっと反省すべきこともありました。声を荒げて怒ってしまいましたが、怒らない方法もあったんじゃないかと。桃も字を書きたいと思っているけれど、書けないのだと思いました。宿題もやらないならやらないで放っておくという手段があるわけですが、桃の場合はそういう方法ではダメでしょう。やはり「一緒にやる。」ということになりますが、一緒にやってもただ宿題をやった、というだけで理解できていないのが悲しいです。でも、やっぱり無理強いは嫌なので、桃は勉強がさっぱりわからなくても楽しく学校に行って楽しく過ごしてくれたらそれでいいと思います。それだけで十分です。
2008年05月07日
今月も今日で終わりですね。みんなに、これ伝えたいなー、とか思うことが毎日の生活送ってます。喜怒哀楽いっぱいです。夫のこと、子どものこと、社会のこと、エトセトラ・・・。「感じられる」ということに感謝です。でも、かなりぐうたらもしてますが最近「夫婦日記」というのをつけています。一応毎日書くことを決めています。が、実はついつい忘れちゃってなかなか毎日は続きません書くことは1 夫にしてもらったこと2 私が夫にしてあげたこと3 二人で一緒にやったことと今日の反省などです。どうしてこんな日記を(日記というか記録ですね。)はじめようかと思ったのかというと、夫にしてもらっていることに気がついてもっと感謝をしなくてはいけないと思ったからです。そして結構日常生活で助けてもらっているなあと思うこの頃です。感謝の気持ちいっぱいです。たとえば昨日1 夫にしてもらったこと・朝子ども達の着替えをさせてくれて&髪の毛をといてくれた。・布団を上げてくれた。・買い物に付き合ってくれた。・ガソリンを入れに行ってついでに買い足りないものを買いに行ってくれた。・長女が「とろとろハンバーグ作りたい!」としつこいので夕方さらにもう一回ミンチを買いに行ってくれた。・洗濯物を取り込んでたたんでしまってくれた。・晩御飯を作るのを手伝ってくれて、私が玉ねぎをみじん切りしている間にスパゲティを作ってくれてぶりを焼いて、食卓テーブルにカセットコンロとフライパンを出してハンバーグを焼いてくれた。・子どもを風呂に入れてシャンプーしてくれた。(私と入るときはシャンプーしません。)こんなにこんなにたくさんあります。主婦の私はいったい何をしているのかと思ってしまいます。ちなみに私がしてあげたことは、・モーニングコーヒーを入れてあげた。くらいかも今朝も出勤前に「まだねむい~。」と寝起きの悪い長女を起こして着替えさせて髪をといてから出勤してくれました。これを感謝しなくては罰が当たるというものです。こういうことを記録してみないと感謝が薄い私も私ですね。反省します。一昨日、子ども達が寝た後に「やれやれ、私の時間」と本を読んでいたら、DVDを見ながらやたら話しかけてくるので適当に返事していたらそれでも話しかけてくるので、返事するのが面倒になって「先に寝るわ。」と寝てしまった私。「自分のやりたいことをひとまず中断して相手と向き合う」のが私の課題ですね
2008年04月30日
桃が1年生になって一週間がたちました。入学式で緊張していた桃には驚きました翌日から集団登校での登校が始まりましたが、その姿を見送りながら涙がにじんできて、「私ってこんなことで涙が出る人だったのか。」と自分にも驚きました。「集団登校」も日本の素晴らしい文化だと思いました。近所のお兄ちゃんお姉ちゃんが一緒に学校に行ってくれるのは本当に心強くありがたいことです。今のところ、時間通りに起きて朝ごはんもきちんと食べて、学校へ行く時間を楽しみにしています。とても心配していただけに、ホッとするし「この桃がこんなに頑張っている。」と感動しています。世話のかかる子ほどかわいいということでしょうか?私も「小学生の母親1年生」という気持ちがすごく強いです。自分の小学生時代をついこの間のことだと思っていたのに、子どもの登校する後姿を見て感動するということは、自分の気持ちはもう大人になってしまっているのだと思いました。そのことを忘れずに、自分は子どもの気持ちを失ってしまったことを自覚して子どもの気持ちを少しでもわかって上げられるように理解しようとする気持ちを持ちたいと思います。
2008年04月15日
長女の桃花が6歳になりました。生まれて6年たったのか、としみじみ思いました。子育ての3分の1は終わってしまったのかな・・・。大事な6年間だったんだろうなぁ。最近の大きな成長は、自転車のこまなしに乗れるようになったこと。友達のこまなし自転車に乗れるようになったので、桃の自転車のコマをはずしてあげたのですが、18インチは桃には大きかったようで足が届かずこけていました。もうちょっと練習したら、それでも大丈夫そうですが。桃の御用達「*牛さんのケーキ屋さん」=シャトレーゼで大きなホールケーキを買ってきてお祝いしましたが、ご飯を食べてケーキを食べた後にまだ「アイスが食べたい。」と言って夫に怒られてました。*どうしてシャトレーゼが牛さんのケーキ屋さんなのか最初私もさっぱりわかりませんでした。桃が4歳の頃「ケーキ食べたい!」「牛さんのケーキ買いに行く!!!!」「ほら、牛さんと桃があるとこ!」と言います。この頃から誕生日でも記念日でなくてもしょっちゅうケーキを食べたがっていた桃夫に言わせれば「おまえと一緒。」らしいですが・・・それにしても「牛さんのケーキ」って?私もどこのケーキ屋さんを言ってるのかわからないし、その頃にモクモクファームに行ったのでそこで食べたソフトクリームのことを言っているのかとか色々考えましたがわからず、「どこよ?!場所わかるんなら自分で道を教えい!」と。で、桃に言われるままに運転していったら、シャトレーゼに着いたのです。そして、高く上がっている看板をよ~く見て気がつきました。そこには牛さんと桃の絵がはあ~~・・・。すごい・・・。子供の観察力はすごいと感心してしまいました。ほかにもおいしいケーキ屋さんは近くにたくさんありますが、しょっちゅうホールケーキを買う我が家は安いシャトレーゼで十分です。シャトレーゼさんいつもありがとう。最近じゃ「いつもありがとうございます。」と言われるようになりました・・・。
2008年02月28日
昨日伊丹まで帰ってきて、そのまま職場に泊まっていた夫を迎えにいってきました。スーツケースがあるから迎えに来て欲しいと言われて、伊丹までまた行ってきました。伊丹は弟夫婦も住んでいるところで行き慣れたところでもあるので、マイカーで迎えにいってきました。帰りは夫が運転するものだと思ってそうしてもらったら、向こうでは「左ハンドル右車線」で大型車の運転をする生活だったため、何だか微妙な危険な?運転をされ、私が運転した方がよっぽど安全なような感じでしたが、無事家にたどり着きました。車線があって車が流れている所はまだいいのですが、車線がないところで対向車が来たときに右によけたり、ウインカーも左だったらしくワイパーを動かしたり変なことしてました。桃も蘭も本当に大喜びで、ご飯を食べるときも二人で夫を挟んで座り、お風呂は当然一緒にはいるし、夜の絵本も「パパ読んで。」とずーーっとくつきまくりでした。私はお陰で、両手を羽のように広げ、お風呂にもゆっくり入らせてもらいました。子供と私だけの生活もそれはそれで楽で快適でしたが、子育ては一人でやるのと二人でやるのじゃやっぱり全然違うなあと思いました。絵本を読みながら夫が子供より先に寝てしまったので、また私が読み直しをし、子ども達もあっという間に寝てしまいました。1日の夜にまた、伊丹の職場に戻って、日曜日から飛行機で青森に行き、その後そのまま伊丹で仕事をして7日に帰宅予定。1日まで桃と蘭にくっつかれて大変でしょう
2008年02月27日
夫が半年ぶりに帰国しました。伊丹まで出迎えに行って来ました。夫の職場のバスに乗せてもらって行ったのですが、行く途中や、空港のロビーで待っている間何故か涙が出て来てしまい、恥ずかしかったです周りの人は誰も泣いていなかったのです・・・。みんな我慢してたのかな?到着ロビーに出て来た夫は、ちょっと太って、雪焼けして黒くなって、元気そうでした。胃腸が弱いから、やつれて帰ってくるかと思ったけど、向こうでは生活面などなかなか快適な生活をしていたようです。半年ぶりの対面は、意外に普通に話しをし、違和感がありませんでした。桃と蘭が「ぱぱ~♪」とテンション上がりまくりだったので、しみじみと再会を喜ぶとかそんな雰囲気ではありませんでした。昼食を一緒に食べて、その後夫はまだ家には帰って来れないので(明日帰宅します。)先に帰ってきました。蘭が、「パパは?」とすごく悲しそうに聞いてきて、「明日帰ってくるから。」と言うと「明日帰ってくる?」と安心してました。しばらくは仕事だったり休みだったり、不規則らしいですが、まようやく元気に帰ってきてくれました。また四人での生活の始まりです。
2008年02月26日
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