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一昨年になりますが、英紙「Express」(2016年12月7日付)などが、世界的に評価の高い複数の物理学者が「意識は肉体の死後も残り続ける」という驚きの発言をしていると報じています。たとえば、米アリゾナ大学のスチュアート・ハメロフ教授によると、「意識は量子レベルに貯蔵された単なる情報」である可能性が極めて高いというのです。21世紀にも、20世紀に続いて、科学界では大きなパラダイムシフトが起きると予想されますが、20世紀のそれが、「相対性理論」や「量子力学」などに象徴されていますが、それに負けないくらいの大転換が迫っているのです。それは「心」、「意識」、「精神」の物理学なのです。デカルト、ニュートン以来、近代科学は人間の精神を無視した形で発展してきました。「相対性理論」さえ、人間の自由意志は考慮されていません。それに対し、「量子力学」は、解釈によってはですが、自由意志による「観測」という行為が、物理状態を変えることを示唆しています。しかし、この「観測問題」は多くの謎に包まれており、現在、最先端の科学研究が進行しているのです。もちろん、人間は宇宙に対して、傍観者でいるわけにはいかず、明らかに、その中に含まれ、かつ影響を与える要因です。客観的な「観測者」ではないわけです。そもそも近代科学は、宗教からのすさまじい迫害の中から誕生しながら、分業する道を見つけ、それぞれが全く異質なものとして共存してきました。物質世界と精神世界との。それが統一に向かうのではないか、それが今度のパラダイムシフトではないか、と言われています。当然、だからと言って、中性的な神秘主義に戻ることは決して許されません。そういう動きも目立つところが、怖いところですが、今度のそれは、近代科学・現代科学の延長線上に求めるものです。また、逆に、科学的に説明できない現象を拒絶してしまうのも、これまた科学的な姿勢とは言えません。量子力学が見つけている問題というのは、これまでの理論体系とは矛盾するものが多いのですが、その現象を謙虚に認め、それを説明する新しいパラダイムを創造する、というプロセスこそが、科学の神髄だと言えるからです。その流れの中で、量子論の生みの親であるマックス・プランクは、「意識は物質よりも根源的で、物質は意識の派生物に過ぎない」と自身の驚きながらもこの事実を受けいれています。また、ノーベル賞を受賞した理論物理学者ユージン・ウィグナーも「意識に言及することなしに、量子論の法則を定式化することは不可能だった」と語っています。そしてその理論に従うと、肉体(物質)と意識の因果関係が逆転するのです。つまり、意識が現実を生み出しているならば、発生の順番が脳(物質)→意識ではなく、意識→脳(物質)でなければならないため、肉体が死んでも、意識まで消滅する必要はない、ということになるのです。こうして死後の意識世界が認められるというわけなのです。20世紀のパラダイムシフトがそうだったように、21世紀のパラダイムシフトも、宇宙観が根こそぎひっくり返ることが予想されます。ともかく、現在の常識では荒唐無稽に響くような仮説の中に、真理の種が隠されているのは、間違いないでしょう。
2018.05.25
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思考や感情は、脳の機能に直接的な影響を及ぼすことは、容易に想像できると思います。精神科医で神経学者のダニエル・アーメン博士の「魂のハードウェアを癒す」によりますと否定的な思考や感情を浮かべているときと感謝にまつわる思考や感情を浮かべているときとで、脳の血流に明かな差異があるということです。 否定的な思考や感情を体験しているときの血流は、減少します。とくに、小脳や左側頭皮質の活動が減少しているのだそうです。 統合的な動きをコントロールする小脳がほとんど機能しなくなると調整がとれないために、肉体的な苦痛も生じるそうです。情緒不安定になり、とくに理由がなくても、不安に駆られる可能性があるそうです。思考は支離滅裂になり、記憶は混乱。激憤、暗い思考、暴力的な行動に落ち込みやすくなる。否定的な思考は、破壊的な行動をもたらす感情を引き起こすのです。アーメン博士によると「どんなに努力しても三振が続く野球選手のようなものだ」そうです。 思い当たる子がいっぱいいますね。その子の脳は、機能不全に陥っているのです。 一方、感謝を感じ、考えているときの脳の血流は、全般的な増加です。特に、さっきの箇所、小脳と左側頭葉に血流が増加します。また、帯状回と左大脳基底核という、ギアを切り替え、適応を司る部分に、血流が増えていることも。 つまり、感謝の念をもつと、脳の機能全般が活性化し、特に、適応能力が高まり、共同作業がうまくいき、やる気がアップし、思考は明晰になり、焦点がはっきりし、アイデアがどんどん湧いてきます。また、記憶力のバッチリ。体調も万全。というわけです。 当たり前と言えば、当たり前ですね。寅さん自身のことを思い起こしても、昔、コンサルタントの先生に、大変なご恩を受け、大感謝の念で、東京から帰ってきてから、「あなたは、変わった」と女房に言われました。 子どもたちに、「もっと勉強しろ!」 と叱るよりももっともっと、効果的な方法は、すぐに思い浮かびますね。そうです。感謝の念に包ませるのです。 もちろん、「感謝しろ」と説教するのは、アホというもんです。思わず感謝してしまうことを、してあげるのです。ここに、無条件の愛の意味がありますね。条件付きなら、感謝しません。無条件だからこそ、心を揺さぶるのです。 授業を考えてみましょう。先生がここまで、私たちのためにしてくれる、という感動・感謝を目指さなくては、意味がないと思います。常識的な範囲では、エネルギーの無駄です。すべての授業に力を入れるのは不可能です。ほんの、時たまでいいです。(できれば、いっぱい)ええ?そこまで!! と思ってしまう、授業準備をして臨みたいものです。一時間の感動・感謝は、一学期はもちます。いや、私の経験では、一年間どころか、一生継続します。賞味期限はありません。 トータルに考えたら、エネルギーを小出しにするよりも圧倒的な物量を一箇所に詰め込んだ方が、何倍も効果があるということです。 教えるテクニックも大切ですが、それ以上に、先生の投入エネルギーそのものに、子どもは感動し、それが、学習効果に反映されることは間違いのない法則だと思われるのですが、いかがでしょう。 その意味で、私は、科学教室のとき、準備不足を認識しながらも、本番直前には、ここで命が尽きても本望だというくらいエネルギーを出し尽くそうと思ってやっています。ですから、終わった後は、ヘロヘロこんにゃく状態です。 聞くところによると、歌手のコンサートでも同様だとのこと。感動するコンサートは、命を出し尽くすんですね。 もちろん、技術を磨くことは、絶対に大切ですよ。研究あってのモノダネです。 今日も素晴らしい言葉に出合えました。森の声さんの日記「教育は芸術だ」寅さんのアタマの整理の場です。 昨夜の 弓歯科医師の講演会、とってもうれしく、ありがたいことがいっぱいありました。あとで、まとめます。ありがとうございます。
2007.12.09
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