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先週購入してきたユニクロのフリースジャンパーに、ひつじのアップリケを付けた。本当はアイロンで付けるものだが、フリースにアイロンあてると溶けかねない。んで、針と糸で縫いつけた。病状が今のようになってから、もうずっと、お裁縫箱を触っていなかった。今夏ようやく、買ったショートパンツの替えボタンを、タグに縫い付けられるようになった。お裁縫そのものは、学校に上がる前からやっていて、すごく好きだったのに、ここ数年、ぱったりと触れなくなった。たぶん「針」が怖かったんだろうと思う。同様に包丁も怖かったし。採血も怖いし。そんなこんなあってようやく、こんなしょーもないことができるようになった。アップリケを付けてる時は、久々のお裁縫で、ものすごく楽しかったけど、出来上がったのを着てみると、これが超恥ずいのであったやっぱ胸元より、左肩部分にした方が良かった気がするな。迷ったんだよね。
2011/10/29
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昨日、駅のホームで電車待ちしてたら、近くの養護学校の生徒集団が、どやどややってきた。年齢的には、おそらく中学生くらいだろうか急行電車が行った後に指さし確認をする子、その子に絡む子、いろんな子がいた。10人ほどいたと思うが、とにかく、みんながすごく仲良さそうな感じだった。そして電車が来たので、乗りこんだ。その子たちも、違う乗車口から乗りこんだ。車内でもわいわい騒いでいて、ちょっと彼らの動きは派手で目立つものがあった。私は少し離れた空いていた席に座っていたのだが、私の隣に座っていた女子高生たちが、「ねーねー、あれあれ、しょーがいしゃっ」と、彼らをケータイで指しながら、そちらをじーっと見て、げらげら笑っていた。結構露骨であからさまだった。彼らが「障害者」であることは間違いないかもしれないけれど、彼女らの発していた言葉は、単なる事実ではなく、侮蔑した意味での言葉だった。まさか、すぐ隣に座る一見普通そうに見える(であろう)私も障害者手帳を持っているなんて、きっと思いもしないのだろうなあと、思っていた。彼女たちは程なくして降りて行った。スカートの丈が、本当にパンツぎりぎりだったな。私の通った短大は、8/23「『声』は空気の振動のみにあらず、という話」にも書いたように、とにかくユニークな授業をやってくれた。1年生の時、毎週金曜日は終日、自宅近くの養護学校に研修に行かせてもらっていた。「言葉によらないコミュニケーション」を学ぶのが目的だったのかもしれない。私の通わせてもらっていた養護学校は、他の学校より重度の子たちを引き受けていた。重複(障害が2種類)や複合(障害が3種類以上)という子たちばかりだった。いろんな病気の子がいた。そういう子たちと、心を通わせる体験をさせてもらった。ただ、うつ病や統合失調症の子どもはいなかったな。あと、身体障害者もいなかった。ふと思ったのだが、小学校・中学校・高校で、うつ病や統合失調症を発症した子は、どうなってたんだろうかそういえば中学の時、クラスに1人、登校拒否で学校に来られなくなった子がいた。その子は、どんな心理ケアをしてもらっていたのだろうか私自身は、後に抑うつ神経症と診断され、まぁ希死念慮には小学校の頃から付き合ってたが、学校の勉強はそれなりにできたし、休むこともなかったし、一応は通えた訳だけれど。別に、安易に「障害者を隔離するな」だの「普通学級に通わせろ」だのと言うつもりはない。ハンデがある分、どうしても何らかの特別な対応が必要な場合はあるだろうし、その必要度に応じて、きちんと対応できる環境が用意されるべきだと思う。しかし、その結果として、さっきの「障害者」という侮蔑語が出てきてしまうのかと思うと、なかなか複雑な気持ちになってしまう。書店でバイトしてた時のことも思い出してしまったので、ついでに書いてしまおう。時々、車いすのお客様が来店されていたが、その方には、みんなすごく丁寧に接客していた。正直に言えば、過剰ではないかと思ってしまう程に。私は、何と言っても、例の「お兄ちゃん」が車いすユーザーだった。彼は基本的に、「必要ならオレの方から頼むから、その時には手を貸してね。でなきゃ時間はかかっても自分でやれるから、手を貸さなくていいからね」というスタンスだった。彼の意思を尊重し、結果としては要するに、言われるまでは、あえて手を出さなかった。彼が「自分でやれる」ようになるため、どんなきついリハビリをこなしてこられたかを思えば、とても安易には手は出せなかった。そんなことは失礼にあたると思っていた。だからこそ私は、取り立ててその車いすのお客様を特別扱いすることはなかった。おそらく、周囲からすれば、気の利かないヤツだと思われていたかもしれないが。私は、養護学校で「信じて待つ」という言葉を、教え込まれていた。例えば、子どもがボタンを自分でとめようとしている場合。親が手を出せば30秒で済むかもしれない、本人にやらせていたら10分かかるかもしれない。それでも、親が手を出す内は、決して子どもは自力でボタンをとめられるようになれない。そんな例えで「信じて待つ」という言葉を、叩き込まれていた。だからこそ、お兄ちゃんが自力でこなすのを待つのは苦にもならなかったし、車いすのお客様への過剰対応は、実は失礼だったりしてないかと案じていた。って、んなことは、どうでもいいのだが。ある時、入口の前でくるくるくるくる、数回まわらないと入ってこられないお客様がいた。かなり背の高い男性の方で、ちょっと目立っていた。ご本人は苦しそうに顔をゆがめていた。そのお客様のことを、レジの中で先輩バイトが、こっそり私に、「ねえ、あれあれ、精神病だよ、絶対そうだよ」と言った。少し悩んで、「そうですね、おそらくは強迫性障害の方でしょうね」と、固い表情で答えた。なんで、車いすのお客様は過剰接待されて、精神障害者はこういう対応なんだろうなと、思っても仕方のない事を思った訳だった。まぁそんだけのことなんだけどね。まだ、後に自分も精神障害者手帳を手にするとは思ってなかった頃の話。。。
2011/10/05
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10月1日から保険証が変わって新しいのになったので、さっきもらった。裏面を見て、びっくり。臓器提供の意思表示を記載する欄がある。1.私は、脳死後および心臓が停止した死後のいずれでも、移植のために臓器を提供します。2.私は、心臓が停止した死後に限り、移植のために臓器を提供します。3.私は、臓器を提供しません。この1~3に○するようになっている。同封パンフには、親族優先提供や、提供したくない臓器も選択できることが書かれている。保険証の裏面に住所を書かなきゃと思って見て、そんなことを目の当たりに。これまで考えたことがない訳ではない。自分の死後の臓器提供について、主人にあれこれ頼んでいた時期もあった。しかし、ここ数年、こういうことは考えてなかった(それどころじゃなかったんだな)。まぁ今すぐ記載する必要もない訳なので、とりあえず住所だけ書いておこうと思うが、それだと、なんかそのまま忘れちゃいそうな気もするな。死んだ後にまで臓器は必要ない。どうせ全部焼いちゃうんだから、必要な方へどうぞ。以前は素朴にそう思っていたのに、今のこのためらう気持ちはなんだろう?
2011/10/02
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今日、久々にPCのTwitterを立ち上げたら、長崎のマイツイRさんのツイートが目に入った。「毎年8月9日は登校日だった。体育館で原爆のスライドやアニメを観たり、歌を歌ったりしていた。そしてサイレンが鳴り響く11:02に黙祷。」恥ずかしながら、長崎に原爆投下された時間を、これまで知らなかった。今日初めて、8月9日11時2分に黙祷した。そしたら後でRさんがツイートをくれた。「ありがとうございます(^-^) わたしは長崎にいるから忘れないだけかもしれません。」んー、そんなことないよね?日本中の人が、広島を長崎を沖縄を、そして戦争がいかに悲惨を忘れちゃいけないって思う。ただ私が、時間までちゃんと覚えてなかっただけで・・・(^_^;)ゞこちらこそ、おかげで黙祷できました、ありがとうございますと、リプした。こないだ(8月5日)、広島の友人からメールが来てた。んで返事に「明日は広島の原爆の日ですね」と一言書き添えたら、また返事が来た。「息子は今日、『原爆の授業がある』って登校してるよ」翌日8月6日は土曜日だったから、5日に登校してるんだなあと思いながら、でも、広島ではそうやって、毎年『原爆の授業』をやっているのだなあと思った。そして、Rさんのツイートで、長崎でも同様にやっているのだなあと知った。アメリカさんは、いろんな言い訳をして、原爆投下を正当化してるらしいけど、日本は宣戦布告なしに真珠湾を奇襲攻撃して、文句言う資格ないのかもしれないけど、でも、非戦闘員を大量殺戮した事実は、決して許されて良いものではない。しかも、その場で死ぬような方法ではなく、何十年にもわたって、戦争が終わっても、まだじわじわ苦しめるようなやり方で・・・。日本人って、すぐに差別したがる国民性なのかな?広島の被爆者も長崎の被爆者も、原爆の後遺症だけでなく差別にも苦しんだと聞く。そして今、福島の人が、なんか良く分かんない差別を喰らってる。小さい女の子たちが「わたしたちって、きっとけっこんできないよね」って言ってるんだって。福島への放射能汚染で、心ないツイートも数多く飛んだ。「放射能を被曝すれば、子々孫々までカタワになる」というツイートも流れていた。それに反論して、「私の祖父は、原爆投下後の広島で、親戚を探し回って大量に被爆しました。 帰宅して、高熱を出し、白血球の大幅な減少に見舞われました。 しかし、孫の私の代にまで、奇形・障害児は一人も生まれていません!!」とあった。「放射能の被爆によって、頭はパーになってブサイクになる」という卑劣なツイートもあった。明らかに不快にさせるのが目的としか思えないツイートに、ものすごく腹が立った。しかし、それを上手に軽やかにかわす人もいた、「福山雅治って被爆2世だよ」と。できれば、差別する側には立ちたくないなーと、強く思う。もしできそうなら、手を貸す側に立てたらいいなーと、心から思う。戦争に関する本は、子どもの頃に一通り読んだ。自分は戦争を体験してないけど、本で読んだ知識でも語り継いでいかないと。もう戦争は絶対にしちゃいけない。それは日本だけじゃない。8月15日を「敗戦記念日」と言わずに「終戦記念日」ということを誇りに思う。日本は、この先永遠に戦争をしないんだ、だから「終戦」って言い切れるんだ。当初は「敗戦」の事実から目を逸らすために作られた言葉だったのかもしれない。けれど、現代に生きる私は、そう解釈することにした。11日14:46にまた黙祷して、そして15日12:00にまた黙祷しよう。
2011/08/09
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先日の日曜、となりの綾瀬市で朝市が開催されていたので行ってきた綾瀬市の朝市は、毎月第一日曜日に6:30から開催されている。(ちなみに厚木市の朝市は、毎週日曜日5:30から開催されている。こちらも良く行く。)夏場なので朝が早く、冬場と違ってすっかり明るいので、かなりすごい人出だった。初めに2000円分の金券を購入する列に並んだけれど、今までにない所まで並んでいた。金券を買いそびれても、現金で購入できるけれど、金券が入っている封筒が、帰りに商品(今回は醤油1リットル)と交換できるし、たまに、中に「当たり」が入っていると食品をたんまりもらえたりするので、みんな並ぶ。ちなみにその間、旦那はじゃがいもの列に並んでいた。6:30の花火が打ち上がって朝市が始まった。しばらくして金券GET、くじはハズレそのまま、まずはまっすぐ旦那のところへ。旦那は、じゃがいも詰め放題(100円)に並んでいたので、100円分の金券を渡した。旦那が、んしょんしょとじゃがいもを詰めている間に、ぐるっと会場を回った。ブルーベリー摘み取り農園が出店してて、生のブルーベリーがおいしそうだった。それ以上に、ブルーベリーマフィン(1コ100円)が、ものすごくおいしそうで購入した。旦那は入れられるだけ入れて、普通にじゃがいも終了したが、結構大量だった。子どもとかだとムキになって上に積み上げたりとか思い付くままムリをして、その後、じゃがいもが落ちそうで身動き取れなくなった子が複数いたりして、笑えた。その後、釜揚げしらすを配られるまま試食したら、むちゃくちゃおいしくて、これも購入。旦那の大好きな出し巻き卵(しらすや野菜入り)も購入。キムチも購入。あと何買ったっけ まぁいろいろ2000円分消費して、お醤油もらって帰宅。朝食は、旦那が淹れてくれたアイスコーヒーとブルーベリーマフィンになった。このブルーベリーマフィンが、見た目だけでなく、本当においしかった。生の果実だから食感が全然違ってて、甘さも程良くしっとりしてて、おいしかったーその後、旦那が待ち切れずに、なぜか出し巻き卵も食べた。これもおいしかったー朝市にはお値打ちな商品が多くて、いつも贅沢な気分になる体調もあるので、なかなか毎月は行けないけど、こないだは行けて楽しめて良かった
2011/07/05
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7/4は旦那の誕生日。誕生日プレゼントを購入するために駅前に行くことにして、ついでに通院(笑)その後、駅前のマルイで誕生日プレゼントを選んできた。なんでも「ステテコ」が流行っているらしいので、ちろっと見たけど、ひつじはなかった。ペンギン柄のはかわいかったけど、結局断念。ついでに下着(トランクス)も、ちろっと見たけど、やっぱりひつじはなかった。夏場にひつじを探すのは難しい。そうこう思いながらもブラブラしてたら、ひつじ柄の缶に入った紅茶があった。あと、ひつじの置物もあったので、それも一緒にしてラッピングしてもらった。あとケーキケーキケーキ(by萩尾望都)海老名マルイにヤナギタダシのショップが入っていて、そこのを買ってきた。ヤナギタダシは、世界的に大活躍されてたパティシエらしい。帰国時には、大きな衝撃を持って伝えられていたようだ。そんな雑誌を見たことがある。ヤナギさんの奥さまの実家が海老名にあるので、当初はそちらでケーキを販売されていた。初めてヤナギさんのお店に行った時は、たまたまケーキは完売だった。その時に「申し訳ないです」と仰って出てらした方が、今思えばヤナギさんご本人だった。そんなことがあって、また行く気になった。次は、もうちょっと早い時間帯に行って購入。ヤナギさんが数々の大きな賞を取っていることは、地元紙の宣伝で知っていた。「そんな御大層なケーキの良さが、私の舌で分かるだろうか」と思っていたが・・・。一口食べて、びっくりしたことは忘れられない同じように小麦粉とバターと卵とお砂糖と使ってるのが、なんでこんなにおいしいのあまりのおいしさに驚いたのだったご実家の一部を改装してのケーキ販売だったので、お持ち帰りonlyだった。それでも、いつ行ってもひっきりなしにお客さんが訪れるお店になっていた。しばらくして、近所の喫茶店でケーキを持ちこんで食べられるようになった。その後、海老名駅前にマルイ百貨店ができ、ヤナギタダシのケーキが駅前に来た。それまでのショップは、うちからは車でないと行けない所だったので、便利になった。しかし、マルイには、他にもケーキ屋さんが並んでいる。小さくて割高感のあるヤナギさんのケーキからは、なんとなく遠ざかってしまっていた。でも今回は誕生日なので、久々に、そのヤナギタダシのケーキを選んで買って帰った。誕生日プレゼントは、思ったより喜んでもらえた。ひつじたちにも、ケーキも喜んでくれた。それは私にとっても嬉しかった。プレゼントを選びながら、3.11のことが心の隅になぜかあった。こんなふうに、旦那に喜んでもらおうとだけ思ってプレゼントを選べるってことは、なんていう幸せな事なのだろうとか、思ってしまった。旦那は生きているし、プレゼントを選ぶ場所もあるし、お金もまぁそれなりにある。津波で一切合財流されるというのは、本当にどんなことなんだろう。当たり前ってことは、とてつもなく幸せな事なんだと思う。幸せであることを意識しないでいられることほど幸せなことはないと思う。あー、なんか話が逸れてきちゃったよ。戻そう。旦那の誕生日は、繰り返しになるけど7/4で、この日はアメリカの独立記念日だ。妹Fの結婚式でハワイに行った時、旦那がパスポートを見せるたび、アメリカ人は誕生日に気付くと、本当に嬉しそうににっこりして「Good」とか「Nice」とか言ってくれてた。私には、2/11の建国記念日にも、5/3の憲法記念日にも、11/3の文化の日にも、さほど思い入れがない。ただの祝日でしかなかったりする。アメリカ人の愛国心が、羨ましいような眩しいような感じだったのを思い出す。ひつじの紅茶を紹介したかったので、遅ればせながら書いた日記でした
2011/07/04
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昔の、旦那がまだ彼氏だった頃の話。彼氏の家に遊びに行った時に、結婚して子供もいる妹さん(のちの義妹)も遊びに来ていた。んで、彼氏の甥っ子は当時2歳くらいで、言葉が堪能だった。その子どもが私に、何かを話しかけてきた。「あのねえ、いぬは、わんわんっていうよ。 ねこは、にゃーにゃーっていうよ。 うまは、ひひーんっていうよ。 ぞうは、ぱおーんっていうよ。 らいおんは、がおーっていうよ。」こんな感じで、思い付く限りの動物の鳴き声を話しだした。うんうんと聞いていた。そこで、「ひつじは、めーめーっていうよ」と言ったので、ふと思って、尋ねてみた。「ひつじは、めーめーってなくかね、そいじゃ、やぎは、なんてなくね?」子どもは悩んでいた。真剣に考えていた。これまで「いぬ=わんわん」「ねこ=にゃーにゃー」など一対で組み合わせが決まっている。「ひつじ=めーめー=やぎ」は認められなかったのかもしれない。喉元まで「やぎも、めーめーってなくんやよ」と出かかったが、あんなにも真剣に考えている子どもの思考を遮ってはいけない気がした。そのまま見守っていた。すると程なくして、考え込んでいた子供の表情がぱあっと明るくなって、そして言った。「やぎは、なかへん」思い切りよく言い切ってから、不安そうに私を見上げるので、「そうかね、やぎはなかへんのかね、そうかね」と答えたところ、「うん」と明るい表情をした。まぁ自分の甥っ子ならまだしも、彼氏の甥っ子だし、まぁいっかと、そのままにした(笑)その後しばらくして彼氏と結婚し、その子どもは自分の甥っ子になったので、「やぎも、めーめーと鳴く」ことを早急に教えるのは、自分の責務だと感じた。しかし、なかなかそんな機会は訪れなかった。そのうちに我が家は神奈川に引っ越したため、夏と冬の帰省時にしか会えなくなり、そんな話をする機会は、ますます遠のいた。 ようやく話ができたのは、ほぼそれから10年後、甥っ子が小6か中1の夏休みのことだった。この話をしたところ、ゲラゲラ笑っていて、ものすごくウケていた。そのくらいの年頃の子どもにとって、記憶にない自分の出来事は面白いようだ。そして最後に彼は「オレ、ヤギもヒツジもめーめー鳴くって知らんかった」と言っていた。その時にようやく私は、伯母としての責務を立派に果たせたと思ったのだった(笑)そんな甥っ子も、今日6月28日で20歳になった。ひろくん、誕生日おめでとー10代に比べて20代はあっちゅー間に過ぎるからね~とメールしておいたのだった。
2011/06/28
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以前、海老名から秋葉原まで通勤してた事がある(身分はバイト)。いろいろあって秋葉原の本社に通うことになったが、すごーくいろいろあって辞めた。簡単に言えば、派閥争いにバイトながら巻き込まれ、契約満了と言う形式でクビを切られた。その派閥争いでは、部長が退職させられ、課長も退職、次長はヒラに降格。珍しい体験をし、しかもさっさと辞めれて、その時は悔しかったが今思えば切られて良かった。ちなみに、やはりそんなことを頑張ってやってたしょーもない会社は、程なくして、大きな写真機に吸収されていた、やわらかい地図の会社だった(笑)そんなDEEPな話はさておき。帰りは、秋葉原から総武線で新宿まで行き、小田急線に乗り換えて、海老名まで。急行で、50分強。はじめは体力をつけようと立って帰ったが、1週間で電車の揺れが腰に来た。それからは、少なくとも帰りだけは、電車を1本2本見送ってでも待つことにした。新宿は始発なので、待てばたいてい座って帰れる。ムリしないことにした。ただ、皆同じことを考えているので、やはりそうやって待つ人で列はできるのだった。ある日、新宿駅に入ってきた電車のドアが開くや否や、いつものように乗り込み、座席に座ったのだが、あまりにも狭くて、思わず立ち上がってしまった事があった。7人掛けのシートに、8人で座ろうとしていたのだった。立ってしまったことで、私が8人目になってしまい、座る機会がなくなってしまった。はあ、2本見送ったのに・・・しまったなーという顔をしていたことだろう。ふと見たら、そのシートの真ん中あたりに、いかにも人の良さそうなサラリーマンのお父さんがお二人、並んで座っていて、座ってる位置を、きゅんきゅんに詰めてて、私の方を見てニコニコされているのだった一瞬分からなかったが、自分たちが詰めることで、私の分を空けようとして下さってた。「あ、いいですよ、大丈夫です、ありがとうございます」と、手を振って口に出してお礼を言ったことで、シートの他の乗客にも状況が伝わり、みんなして、ちょっとずつ詰めて、結果、やや狭い一人分の空間ができあがった。そして、みなさん満面の笑みで私をご覧になるのだった。深々とみなさんにお辞儀して、座らせて頂いた。やっぱりちょっと狭かったけど、なんだかあったかかった。その後、やはりみなさん、なぜか気が合うのか、誰も降りようとしない(笑)いつもなら、成城学園前とか登戸とか新百合ヶ丘とかで誰かは降りるのに。結局、相模大野まで、シート8人掛けのまま誰も降りなかった(40分以上?)。そんなことを、なんか唐突に思い出したので書いてみました。ではでは
2011/06/20
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【甥っ子の誕生日】甥っ子が、28日に20歳になる。今日27日は10代最後の日だと思って、昨日、彼に久々にメールを送った。そしてしばらく考えて、やっぱり、次の文章も追加した。『NHK(Eテレ)で、28日15:00~に再々放送される「ネットワークでつくる放射能汚染地図」という番組、ネットでずいぶん話題になってるから、もう知ってて観てるかもしれないけれど、もし観てなかったら、是非とも観て下さい。今の福島が置かれている状況を知るのは、辛かったり怖かったりするかもしれないけど、みんなで観て、みんなで福島をサポートしたいと思った番組でした。』甥っ子からの返信はなかった。そして、0時を回って27日になった。旦那に「Hくん(甥っ子)は明日が誕生日やで、今日は10代最後の日やねえ」と言ったところ、怪訝な顔をした旦那にこう言われた。「何いっとるんや、Hの誕生日は来月やて」あれ?間違えちゃったー。うっかり屋さん。えへ。(「うっかりペネロペ」の決まり文句)速攻で謝罪メールを送っておいた。返信ないわけだ(笑)そんな訳で、ここをご覧下さった方も「ネットワークでつくる放射能汚染地図」ぜひご覧下さい。【胃腸炎その後】3日夜から始まった腹痛、未だに相変わらず痛かったりする。実にしつこい。さすがに3週間も付き合ってきたので、空腹時と食べた直後とうんちゃんが出る前が、特に痛むことが分かってきた。GW明け6日に通院した際に、1ヶ月分の胃薬が処方されたものの、腸も痛いのに腸への薬がなかった。そのため、ある一定レベルまでは治ったものの、その後はまるっきり薬が効かなくなってしまった。痛み止めのブスコパンまでパッタリ効果がなくなり、とんでもなく辛い状態になった。あまりの激痛で、横になってスマホをいじるくらいしかできない状態で、痛みの具合をTwitterでつぶやいたところ、即座にリプライ(返信)をもらった。「胃炎で1ヶ月分の薬の処方は変。普通は1週間程度を出して様子を見るものだ。痛み止めでごまかすのも変。病院変えた方がいいかもよ」言われるままに病院を検索。今度は内科ではなく消化器科の個人医院を探し、通院したのが翌日17日。こちらの先生は、丁寧にお腹を触診してくれた。あまりにもあちこち痛むのに、自分でも驚いた。採血と検尿し、その日はお薬は処方されず、翌日また来るようにとのことに。そして、翌日18日、血液検査の結果は異常なし。安堵。胃薬は違うものに変更され、整腸剤が追加されて処方された。この整腸剤によって、その後、痛みはずいぶん楽になった。そうは言っても、まだ痛い。明日、また通院してくる予定。ちなみに体重は、腹痛が始まって最初の4日間で2kg減った。これは純粋に、まともに食べてないせい。その後、食べられる量が増えてきたのに伴い、0.5kg戻った。しかし、最近は量は少なくても、それなりに食べているのに、また体重が落ち始めている。昨日の3週間経った時点で、腹痛前に比べて2.5kg落ちている。実を言うと、最初の2kg減ったあたりまでは能天気に喜んでいたのだけれど、胃腸が十分に機能してなくて栄養を吸収できていないのかと思うと、さすがにちょっとやばい気がしている。あと、胃腸炎になってから、手の甲に謎の湿疹が大量にできてかゆいのだけれど、何か関係あるのかなそれから、胃腸炎でダウン後に1度歯医者に通院してきたが、歯ぐきの状態がすごく悪化していて、先生に驚かれた。胃や腸の粘膜が炎症起こしていることから、粘膜つながりで、口の中も影響を受けていた様子。とりあえず、近況報告でした。今日はここまで。
2011/05/27
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なんかいろいろ思うので、箇条書きでつらつら書きます。●今日は通院してきた。このところ余震が続いており、病院のビルのエレベーターに乗る時に緊張した。 Twitterで、美容院で前髪を切ってもらっている最中に地震が発生して、まだ途中だったのに帰らされたという話や、歯医者で治療中に地震が発生し「このままだとバイ菌が入りますので」と、揺れたまま治療を続行されたとかいう話を聞いている。 しかし、先月美容院で髪を切った時よりも、昨日歯医者で治療をしてもらった時よりも、今日のエレベーターの方が怖かった。実はトイレを我慢しているところだった。●病院では「被災者支援もいいけれどホドホドに」とは言われなかった。ただ「支援するのは自分の生活の50%以下にしましょう、そうでないと共倒れしかねません」と言われた。なるほど。 あと「自分を犠牲にしないように、そうでないと長引く援助ができません」とも言われた。 「人の事をやっていると、その分、自分の事がないがしろになってしまう」ことも言われた。確かにこのところ、被災地の心配ばかりで、自分の病気と以前のように向き合えていない。別にそれを反省する訳ではないが、ただ、そうなってるなあとだけは気付いていたい。●駅前に出かけたついでに、ランジェリーショップ「AMO STYLE」に行ったところ、ショックなことを告げられた。なんと、これまで製造されていた私の身体に唯一フィットするブラの製造終了が決まってしまったとの事 とりあえず近くの大和店に速攻で電話してくれて、そちらのお店の在庫を取り置きしてくれた。今週末にでも買いに行ってこよう。 ただ、それもへたれてきたら・・・どうしよう これまでネット通販などで購入したこともあったが、やはり試着しないとフィットしたものに出会えない。そんなわけで、ここ数年はずっと、その商品を使わせてもらっていたのだが。。。まいったなあ●その足でふらふら映画館にまで足を延ばす。「英国王のスピーチ」が良かったと話に聞き、まだ映画は観られる状態じゃないかもしれないけれど、せめてパンフレットだけでも買っておこうと思ったのだが・・・完売との事。 今日ってこういう日なの●22:36ごろ千葉県で震度5弱の地震あり。ここ神奈川は震度3と出ていた。 千葉の知人に安否を確認したら、もう寝入っていた娘さんは起きることなく寝たままとのこと。 Twitterでも、大きな地震でも起きずに寝ている子どもの話を良く聞く。おそらく大人も子供もみんな、多かれ少なかれ地震酔い(乗り物酔いみたいな感覚)になっている。 多少の揺れには鈍感になっているかと思えば、地震が起きていないのに揺れているように感じる事があったりする。 いざという時、例えば津波被害の怖れがある場合には即座に逃げなきゃいけない訳で、それなのに震度5でも寝たままで大丈夫かという不安がないわけではない。けれどそれよりも、余震に神経質になりすぎてストレスが溜まり込んでしまうより、これでいいのだと思えてならない。 そう思わないではやっていけない、神奈川でもほぼ毎日震度3が起きている今日この頃。●海老名市で支援活動をされているグループが他にもあった事を知った。 「海老名モスク炊き出し隊」さん⇒http://ebiners.exblog.jp/ 知らなかった事を申し訳なく思ってしまう。今日、無事に第6便が出発されたご様子。●mixiの使用スマホのコミュニティに「『「ゆれくるコール for Android』がリリース、先着1万名限定で配信されます。」http://www.srandroid.com/2011/04/yurekuru-for-android.htmlという情報を書きこんだところ、「先着一万名なので、できれば被災地の方に優先してダウンロードしていただきたいですね。」と書きこまれたが、、、被災地って、どこまでを指すの とりあえずうちの場合は震度5弱、市内の友人宅ではTVが落ちて壊れたりとかしたけど、TVニュースには一切取り上げられてないし、計画停電もこなしてきたし、むしろ私は支援物資を送ってきてる方だし、そう思うとやっぱ被災地じゃないってことで、私はダウンロードを遠慮しなきゃいけなかったの 千葉県って、九十九里浜は津波の被害に遭ってるし、浦安市は凄まじい液状化現象が起きて断水してたし、今日の地震では震度5だったけど、なかなかTVニュースになってないから、実は被災地だと思われてないことないかな 兵庫県に、阪神淡路を思い出して怯えてた友人がいるけど、彼女はダウンロードしちゃいけないのかな 浜岡原発近隣の人や柏崎刈羽原発近隣の人も、被災地じゃないから、ダウンロードは遠慮すべきなのかな それ書きこんだ人は「良いこと書いてるぅ」とか思ってるかもしれないけど・・・難しいねえ。 その人に「どこまでの人が堂々とダウンロードして良いのでしょうか」と尋ねようかなと思ったりもしたが、めんどくさいのでやめて、ここでグチるだけにする●元キャンディーズのスーちゃんこと田中好子さん他界、享年55歳。乳がんの再発。 早すぎる、まだお若いのに。もうあの3人が並ぶ事はないと思うと悲しい。●今日4月22日0時をもって東電福島原発から半径20km以内は立ち入り禁止になった。 多数の家畜・ペットは今後世話されることなく餓死を待つ。せめて安楽死させてあげてほしかった。そんな配慮を政府関係者に今さら求めようにも虚しいだけ。⇒http://amba.to/eWSEHT 昨日・今日と、該当地域にお住まいの方が家財道具や仕事道具の持ち出しなどを慌ててされていた。こんなに急遽「禁止」にせずとも、もう少し余裕を持てなかったのだろうか。 中には「アルバムなどは放射線で汚染されている可能性があるから」と持ちだされなかった方もいらしたようだ。胸中を計り知れないものがある
2011/04/21
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今日、虹が出ていた。通院で駅前に出かけ、調剤薬局で薬を調剤してもらっている間に雨が降り出した。あっという間に真っ暗になって、激しく降り始めた。同じ建物(ショッピングセンター)内のマックで時間をつぶそうと思ったけれど、このごろお腹の調子が悪いので間食する気になれず、しばらくぶらぶらして結局、外に出た。通り雨だったようで、思ったよりも小ぶりになっていた。これならいいやと、駅前に向かって歩いたところ。。。目の前に、虹が見えた。うぉー、キレイ 大きい雨が降らなきゃ虹は見れないんだなぁなんてことを思ったりしながら写真を撮った。
2011/03/31
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なんとなく今思ってる事を、つらつら書きます。昨日の夕飯はペットボトルの十六茶で乾杯した。千葉の友人宅の断水が復旧したことへのお祝い。依頼があり次第、友人宅に送ろうと思って購入した箱買いの十六茶だったが、送らずに済んだ。今日が寒いと、被災地はもっと寒いだろうにと思う。今日が暖かいと、被災地も暖かければいいなと思う。 沖縄の暖かい空気を、東北・北関東にごっそり持って来れたらいいのにな。道端で小さな花が咲いている。モクレンも咲き始めている。ホッとする。 神戸の人たちが、阪神大震災の直後は桜を観る余裕がなかったと仰っていたのを思い出す。震災の翌年も、そんな余裕はなかったそうだ。3年目の春にしてようやく「ああ、咲いてるなあ、きれいだなあ」と散歩して観に行かれたという話に、他にいらした神戸の方が一様にうんうんと頷いていらした。 東北・北関東への支援は、思いがけないほど長くなることだろう。今は、地震直後からの緊張が続いていて動けている。そろそろ緊張の糸を緩めても大丈夫かなと思うが、緩めるのが怖い。緩めた瞬間にドカンと来そう。今、リュックの中には常に、生理用品・服用薬(うちにある分全部)・スマホの充電器と急速充電器などを入れてある。 寝る時には必ず、リュックと上着を一緒にして、枕元に置いている。 もうそろそろ、枕元に置いておかなくても大丈夫かなと思いながらも、やっぱりまだ怖い。 ドカンと来て即死するのは怖くないけど、長引く避難所生活で人に迷惑をかけて疎ましがられるのが怖い。トイレに行く時、スマホを忘れず持って入るよう心がけている。当然ながら、エアコンもストーブも炊飯器も電子レンジも、全部コンセントを抜いてある。寒くても、ストーブを付ける前に「そういえば『あずきのチカラ』で身体を暖めればいいや」と思いつく。使い捨てカイロもあるし。 うちは私一人が寒くなければいい。小さいお子さんのいるお宅ではそうもいかない。厚着・膝かけでなるべく努力する。計画停電で節約できた分を東北に送電しているんだと思っていたが、どうも違うらしい。関東(首都圏?)で使う分が足らないので、その分を関東でやり繰りしているに過ぎないらしい。ちなみに、その関東の消費電力の1/3を賄って来てくれたのが、東北地方の福島県の原発なのだそうだ。放射能の風評被害を無くしたいはずなのに、茨城のほうれん草・かき菜・牛乳などが出荷停止になっている。ワイドショーを観ていた限りでは、出荷停止措置をする程のことでもないらしい。 でも、ここで「政府が風評被害を煽ってどうする」などと批判するのも控えたい。そんな心境。今日は16:00から歯医者の予約だった。うちのグループの停電時間帯に当たっていたので不安だった。調べてみたら、歯医者もうちと同じグループ、つまり計画停電中と判明。 しかし雨でこれだけ冷え込んでいるにも関わらず、今日の計画停電は回避され、無事に診てもらえた。 それにしても来週の通院も不安だなあ。 あと、実は来週月曜に美容院の予約を入れてある。髪は今すぐ切らなくても支障ないけれど、地震だからといちいち全て自粛していたら経済がまわっていかない、美容院がつぶれてしまう。と、そこまで考えた上で行ってこようと思うが、ただ計画停電の時間帯にぶつからないか心配。トイレットペーパーの買い占めについて「地震が起きたからって、う×この量が増えるわけでもあるまいし」と批判したが、それを若干訂正。 地震以降、ずっと緊張が続いているため、おなかの調子がおかしい。加えて、寒いのをストーブ点けずに温かい飲み物で乗り切っているため、当然出す方も増える。そんな訳で、トイレットペーパーの消費量が増えてきた気がする。寒さをギリギリまで耐えたけれど、風邪を引いてもいけないので、適当なところでストーブを点ける。暖かい事と電気が来てる事に、ひたすら感謝。こんな気持ち、地震の前には知らなかった。それにしても、我慢大会をやってる訳ではない事を忘れないように気を付けないと無茶しそうだ。どうも私にはテレパシー能力がないので「ありがとう」とか「大丈夫」とか「心配しているよ」とか、どんなに思ってくれていても全く分からない。口に出して言うなりメールくれるなりしてくれないことには、どんなに思ってくれていてもその気持ちは伝わってこない。だから自分も積極的に伝えていこう。 コープやパルシステムの宅配、軒並み牛乳・ヨーグルト・パンが欠品。ただ冷凍パンは配達されていた、ありがたい。 ガソリンは、先週いっぱい品薄が続いて悲鳴をあげた。しかし大体一通りの人が、そろそろ給油し終わったのでは 加えて品薄による使い控えが始まり、徒歩・自転車・バスに切り替える人が増えている模様。今週はガソリンを入れる人が案外少ないかもしれない。ガソリンスタンドのお店の人は大変だ。お昼に観ていたNHKの被災地避難所のニュース。98歳のおじいさんと90歳のおばあさんのご夫婦が映っていた。津波にのまれて命からがら助かったそうで、着の身着のまま財布もないしなどと話していらっしゃったが、最後、静岡の息子さんに何か一言をと言われ、「こっちは大丈夫だから、おまえも身体に気を付けてしっかりやれよ」と仰っていた。なんか、とてつもなくスゴイと思った。 文中の「あずきのチカラ」は、首・肩をじんわりあっためることで、身体中があったまって、とてもいいです。 肩コリに効くよと紹介されて購入したのですが、こんな方面で役に立つとは写真を載せるために楽天ショップのアファリエイトリンクを貼っておきますが、最寄りの薬局に置いてあると思います。【地域限定!6000円以上送料250円!!】桐灰化学あずきのチカラ 首肩用価格:1,330円(税込、送料別)
2011/03/22
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先日、広島のKさん(高校の先輩)からメールがあり、「来月、原宿への出張あり」とのこと。ふーん、こっちにいらっしゃるんだ、遊べたらいいなあと思っていたら、こないだ、またメールが来た。「出張、今週の金曜になりました。泊めて~」だったら「来月」じゃなくて「来週」と書いてほしかったとか、お泊りしてもらうにも、家の中はあまりにもぐっちゃぐちゃじゃんかとか、(家の主婦が病人をやっていて、家の中が片付いているはずがないっ)お客様用のお布団は、安物で、しかも10年以上使ってなかったんで、ついこの間(1月ごろ)に断捨離しちゃったばっかだったりして・・・そんな訳で「ダブルのお布団で3人一緒でも良かったら、お泊めできますが・・・」と返信したところ、案の定、返事はなかったとりあえず、川崎のMさん(同じく高校の先輩・Kさんの同級生)宅なら大丈夫だろうと、そちらで連絡を取ってもらうように頼んだ。今度の土日に、Kさん・Mさん・旦那(実は私にとっては高校のOBだったりする)と、4人で遊べたらいいなあと画策していたが、・・・どうも、KさんとMさんの間で、連絡が取れていないらしい。しかもMさんは、土日に仕事を入れてしまったらしいだいじょうぶかなんかいろいろすごい不安。やっぱ、うちに泊まってもらって、3人でダブルのお布団にくるまるしかないのかとかいう品のない冗談はさておいても、原宿からうちの近くまで来てもらって、こっちのホテルに泊まってもらおうかうちに泊まってもらえないのが、主婦としてほんと情けない。・・・ちょっと落ち込んでるそうそう今週日曜は、Kさんの誕生日だったりする。(←本人は忘れてた)なんか旦那が、Kさんに会えるのを異様に楽しみにしていて、日曜までこちらにいるなら、自由が丘のスイーツフォレストに行きたいようだ。土日にKさんと遊べたら、絶対月曜は反動でダウンして通院できなさそうなので、(具合が悪くて通院できないのは本末転倒だけれど、実際問題として仕方ない)いつもの通院は、明日行ってこよう。中学時代の友人は一人もいない。短大時代の友人は、私が旦那の転勤で引っ越してしまったこともあるのか、なんだかすっかり年賀状だけのやり取りになってしまった。さみしい。そう思うと、高校時代の仲間とは、帰省すれば互いに都合付けあって集まってるし、川崎のMさんは住んでる所が近いので、結構頻繁に遊んでもらってるし、Kさんは、なんか知らないけど毎週月曜12:50ごろに決まってメールくれるし、実は、私をサッカー好きにしたのはKさんだったりするし。高校時代の仲間とは、きっとこうして一生付き合えるのだろうな。かけがえのない仲間と出会えた高校時代に感謝
2011/03/02
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先日、震災ボランティアをやってて、一番しんどかった話を書いてしまいました。書くことで整理してスッキリできると思いきや、なかなか気持ちが切り替わりません。というわけで、今度は、震災ボランティアで見聞きした、あたたかい楽しい話を記載します。道を尋ねるとお礼を言われる話初めて仮設住宅を訪問した時は、なぜかボランティアチームのみんなと一緒でなく、一人別行動で、仮設住宅まで行く事になった。初めての神戸、もちろん道が分からない。自慢じゃないが、方向音痴には定評高い私。○○球場の中にある仮設住宅と言えば誰でも教えてくれるから、とだけ教わっていた。で、最寄り駅まで電車か地下鉄で行って、結局すぐさま人に聞いた。「あの~、○○球場の中にあるとかいう仮設住宅に行きたいんですが・・・」「あぁ、ボランティアで来てくれたのどこから来たのほんまおおきに」・・・一人に聞いただけでは辿りつけず、その後、少し進行しては尋ねるのを繰り返し、みなさん同様に「おおきに」と言ってくれるのが、とっても心苦しかった。だって、まだ辿りついてさえなくて、何にもやってないのにねテレカをもらってしまった話これも同様、仮設住宅に行った時の話。たまたま、どこかのお寺の住職さんがいらしていて、その方とちょっと立ち話をした。古いお寺は被災せずに済んだとか、そんなに大したお話を伺ったわけでもないのだが・・・。別れ際、その住職さんが「話を聞いてくれて、ほんまおおきに」とテレカをくれようとした。恐縮して、「いえ、そんな・・・」と断ろうとしたのだが、・・・結局受け取ってしまった。後で良く見ると、ちょっと使ってあった。日常使用されてたのをくれたようだ。悪いなあ。そのテレカには「がんばろう神戸」と印刷されていた。その事を、ボランティアの先輩の人に話したら、「住職さんだから、檀家さんのしんどい話をいっぱい聞く一方で、 自分の話を聞いてもらえる機会はなかなかなくて、嬉しかったんだろうな」とのことだった。おかんとラブホに入った青年の話これは、実家が神戸だというボランティア仲間から聞いた、その人の友人の話。直下型地震は、神戸には甚大な被害をもたらした一方で、そこから少し離れた所(例えば大阪など)は、神戸に比べ驚くほど被害が少なかったらしい。んで、その友人(たぶん20代前半の男性)は、おかん(おかあさんの関西弁)に、大阪のラブホテルに一緒に行こうと誘われてしまった。目的はもちろん、子作り・・・ではないっおかんはお風呂に入りたかったのである。肩まで浸かってゆ~っくりしたかっただけ。一人だと入りづらいので、男と一緒ならいいやと息子をダシにした。その友人は「最悪の夜だった。もう二度と思いだしたくない」と言っていたそうだ。そう言いながらも、私のボラ仲間にまで喋っていたのだから、いいネタだったのだろう。大量のう×この話これも同じボラ仲間から聞いた話。家が倒壊して、避難所で避難していたおばちゃんが、時々自宅に帰ったりするが、その時に、信じられないほどの大量のう×こが、自宅の裏庭にされていたそうだ「ぎゃ~、なんやねん、こんなたっくさんのう×こ~~~」どうも、一人二人の量ではなかったらしいで、ここからは憶測なのだが・・・。電車やバスが開通しているところには、どうしても限界があった。一方で、消防関係や医療関係、またお役所関係などの公務員の人たちは、電車やバスが通ってないなんておかまいなしに、2時間も3時間も歩いて通勤されていた。朝、それなりに食事をとって、電車に揺られて、あとは歩く。とにかく歩く。ひたすら歩く。どうしても、ある一定の時間が経って、ある程度の距離を歩いていると、生理現象が起きる。小さいのだけに限らず、大きいのも当然・・・。みんな同じ人間だから、似たような周期というか似たような距離で、同様の現象が発生して、そのお宅が、どうやら、その生理現象の我慢の限界地点だったのではというのが、そのボラ仲間の推測だった。水も出ない中、どうやって処理されたのだろう。冬場だからカラカラに乾いてたのかなとにかく、そんなとんでもない事態でさえ笑い飛ばす関西人の心意気に、いたく惹かれたのであった。はあ。こんな話を書けて、これでやっと楽になれる気がします。改めて、NZ地震の被害に遭われた方が、一秒でも早く発見・救出されますよう、そして一日でも早く身体と心の傷が癒えますよう、ただただ祈ってます。
2011/02/25
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ニュージーランドで直下型の大地震が起きて、大変なことになっている。TVのニュースで、きれいな大聖堂が崩れてしまった様子や、がれきの山や、血を流して担ぎ込まれている人の映像などが流れている。みなさん、どうかご無事で・・・なんて言葉は、あまりにもむなしい。なんとか一時間でも一分でも早く救出されるようにと、ただただ祈るばかり。。。いやおうなしに、阪神淡路大震災を思い起こしてしまう。去年も今年も、1月17日には何も書けなかったけれど、今その分が押し寄せてきている。私は、関東に引っ越してから、縁あって震災ボランティアに参加させてもらった。いろいろな出来事を、まざまざと思い出してしまう。日本人留学生が生き埋めになっているというニュースには、たまらず泣いてしまった。泣いてしまうような話を聴く機会があったので。。。これまで、この話は、旦那以外には話した事がなかったけれど、今なら書けそうなので、思い切って書いてみようと思う。でも辛い話なので、どうかムリして読まないでください。震災直後、住む場所は足らず、また全国から援助の手が差し伸べられていた事もあり、仮設住宅の抽選にも当たらず、親戚縁者にも頼れなかった被災者の方々は、機械的に割り振られて、なんの縁もゆかりもない場所に引っ越してきていた。慣れない場所で、神戸からの被災者支援情報も十分には届かないまま、苦労されていた。そんな実態に、横浜のソーシャルワーカーさんが中心でボランティアグループが発足した。そんな、県外被災者の方々を支援するグループに参加させてもらっていた。様々な活動の一つで、確か月に一度(土・日)、横浜に場所を設けて電話相談もやってらした。もちろん素人の私が電話応対をする事はなかったが、お菓子など持参して足を運んだ。電話をかけてくるだけじゃなく、実際に足を運ばれる被災者の方もいらしたし、ボランティア同士で仲良くなった友達と、あれやこれや話をしたりもしていた。そんなある日のことだった。酔っ払いか、もしくはやくざか不審者かと思うような男性が、ぶらっと入ってきた。年は30代半ばくらいに見えたけれど、年よりずっと老けこんだ感じだった。なんか、ものすごくぶっきらぼうに話をしていた。そのボランティアグループの代表の方が、その男性の相手をされたのを見て初めて、あぁ被災者の方だったんだと分かった。その男性の話し始めは聴いていなかった。というか、故意に聴かないようにしていた。素人の私には知識も経験もないので、聴く資格はないと思っていたのだ。けれど、なんとなく場の流れのようなものから、次第に話を聴かせて頂いていた。。。4人家族だったんだそうだ。奥さんと、小学校に上がる前の娘さんと、2~3歳くらいの息子さん。明け方のあの大地震で、全員が家の下敷きになって生き埋めに。。。助けようにも助けられない。自分自身すら身動き取れない。外が次第に明るくなったり暗くなったりする中、声を掛け合って励ましあっていたそうだ。・・・次第に、奥さんと娘さんの声が小さくなっていき、やがて返事がなくなった。男性は、何百回くらい、何千回くらい、奥さんと娘さんの名前を呼んだことだろう。いつあきらめがついたのだろう、いつ分かってしまったのだろう。救助されたのは4日目だったそうだ。「それまで、にょうぼと娘の死体と一緒に埋まってたわけだ」と話された。そこでなぜか私を見て、にやっと笑ったのだった。その後、話は生き残った息子さんと男性との生活の話に移って行った。息子さんが、なかなか保育園に行きたがらず、満足に仕事に行けない様子だった。おそらく男性ご自身が、息子さんと一瞬たりとも離れていたくないのだろう。そして、これも推測だが、男性は十分に働けるような精神・身体状態でもないのだろう。ちょうど、ひとしきり話し終えた時に突然、「え、あ、今、地震起きてる?揺れてる?」と、非常にうろたえた声で話された。話を聞いていた人は落ち着いた様子で「ええ、今、少し揺れましたね」と答えた。その様子に、私はてっきり今本当に地震があったのかと勘違いしてしまった程だった。その男性が帰られた後、他のソーシャルワーカーの方が、ちょっと話をしてくれた。初め、その男性から、そこの電話相談に電話がかかってきた時は、「コメ!・・・コメ!・・・・・・だからあ、コメがないんだよ!」としか話をされなかったんだそうだ。みんなで悩んで、とりあえず米(食料)に困っているのだろうと、カンパし合って、お米やパンやカップめんや、そのほかいろんなものを届けたのだそうだ。そこから始まったやりとりが、これまでにず~っとあったのだった。そして初めて、その男性がどれほどかの勇気を振り絞って横浜まで足を運ばれて、「コメ!・・・コメ!」しか話せなかった方が、自らを振り絞るようにして、おそらく初めて、その辛い体験を口にされた、どうもその場に私は居合わせたようだった。「すいません、実はちょっと働けなくて、食べるものもなくて困ってまして・・・」そんな言い方ができない精神状態でいらっしゃったのだと思う。「コメ!・・・コメ!」さえ、やっとの思いで口にできた言葉だったのだ。その言葉(というか、奥にある見えない心)を汲み取るところから始まり、なんとか、一番しんどい体験を言語化できるところにまでサポートされた皆さんは、本当にすごいと、ただただ感心するばかりだけれど。。。あの「死体と一緒に埋まっていた」という話の後に、私を見てにやっとされた理由が、どうも、ずーっと分からないでいた。そんな話なのに、なんで笑ったんだろう?と。今、書きながら思ったことがある。実はこの文章を書きながら、私はまたしてもぼろぼろ泣いているのだけれど、その話を聴いている時は、「辛いのはこの人なんやで、聴いとる私が泣いてまったらあかん」と、必死にこらえていた。でも、良くも悪くも素直に感情が顔に出てしまう私の事だから、きっと今にも泣きそうな、くちゃくちゃの顔をしていて、しかも我慢してるのバレバレだったのだろう。見ず知らずの、いかにもソーシャルワーカーなどのプロでもない、ふつーのコでさえ、オレの一番しんどい体験を分かち合ってくれた・・・。そんなふうに思って、男性はあの時、嬉しく感じられたのかもしれないと思ってみたりする。何年か経って後、男性は復興住宅の抽選に当たり、神戸に戻られたと聞いた。息子さんも、今頃はもう20歳をこえているのだなあ。今、まさしくこの今、ニュージーランドで生き埋めになっている人がいる。お互い励ましあいながら、頑張って、死と生の境で生きている。なんとか、一分でも一秒でも早く、生きているうちに救助されますように。。。はるか日本にいて、何にも出来ないけど、ただただ祈ってます。
2011/02/23
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天気予報では夜は雨だったのに、思いがけず大降りの雪でびっくり車で出社していた旦那が無事に帰宅して安堵。食後、思い出したように、冷蔵庫にしまっておいたチョコレートを旦那にプレゼント。箱の中には、リキュールが利いた生チョコが入ってて、結構おいしかった。見ての通り、箱もチョコレートで出来ていて、バラがきれい。今日の所は、生チョコを幾つかつまんだだけで、また冷蔵庫にしまわれた。このチョコレートの〆はやっぱ、箱にかぶりつく旦那の写真かな池ノ上ピエール「コフル・オ・ショコラ」
2011/02/14
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インターコンチネンタルホテル横浜のスイーツビュッフェに無事行ってこれた横浜での乗り換え大丈夫かなとか、友人Kちゃんに会うのは久々だけど間が持つかなとか、とにかく、通院と買い物以外での外出は数年ぶりだったので、なんかいろいろ心配してたけど、ぜーんぶ杞憂に終わったものすっごく楽しい時間を過ごせたな~待ち合わせの桜木町駅に着いたら、改札は一つしかなくて、Kちゃんは先に着いてて、会った瞬間のKちゃんの変わらない笑顔で、ひとまず緊張の糸がしゅるんとほどけた。そこから歩いてインターコンチネンタルホテルへ。スイーツビュッフェの会場についたら、開催時間より20分程早かったけど、名前書いて待ってるのかと思って聞いてみたら、すぐ席に案内してもらえてラッキー飲み物はコーヒー紅茶とコーヒーから選べ、2人ともあたたかいミルクティーを選択。紅茶はポットで提供され、なくなってもおかわりを持ってきてもらえるので、気にせず飲めた。さて、いよいよ14時になり、スイーツビュッフェ解禁「ストロベリーフェア」なので、当然イチゴ尽くし。あま~い香りの中、どれもかわいくてキレイホテルのスイーツって、近所の食べ放題のスイーツとは全然レベルが違うわ。とりあえず、一皿目を持って、席に戻る。2人とも気合い入れてお昼は抜いてるので、まずはサンドウィッチから「いただきます」その次に、写真右上(ちょっと分かりにくい)のストロベリーティラミスへ。これがまた、信じられないくらい、すごーくおいしい。甘さ程良くて、濃厚なんだけどしつこくなくて、なんかすっごく大事に食べてしまった。クオリティの高さ、あるいはホテルの本気度を思い知るそして二皿目へ。手前のクレープは、中にはぎっしりイチゴとカスタードがくるまれてて、おいしかった。続いて、恥ずかしながら初めてマカロンを食べた。へぇ、これがマカロンかぁ、おいしい左上の白いのは、ぎゅうひで生クリームをくるんであって、雪見だいふくみたいな感じ。おいしかったけど、ぎゅうひが折り畳まれてるのに気付かなくて、食べるのに難儀した。右上のプリンは、さっぱりあっさりで、これまで濃厚に攻められてたので物足りなかったそして、飽き足らず貪欲に三皿目へ。おいしいんだけど、おいしいんだけど、だんだんおなかが苦しくなってきて、Kちゃんと苦笑。最後の右上いちごゼリーは苦悩と共に食べた。自家製イチゴジャムを、そのままゼリーにしたような感じで、とっても贅沢だった。紅茶は、何杯おかわりしたか覚えてない。5杯やそこらじゃなかった気がする。そんなふうにして、しっかり2時間、良く食べて、良く飲んで、良く喋って、すっかり満足。ただ、スイーツを全種類制覇できなかったのが心残り・・・お会計は、1人2200円。このお値段でこのクオリティはお得すぎステキなイベントに誘ってくれて、Kちゃん、ありがとうこないだ、スマホ003SHのデビューキャンペーンで5000円商品券が2枚届いたんだけど、これがお釣りが出ない商品券で、なかなか使い勝手が悪く、使い道に困っていた。んで、ここで2人分の代金&旦那へのお土産でレジ横のお菓子を735円買って5135円。この商品券+現金で払った。5000円分もの商品券を使う機会ができて良かった。んで、立て替えた分Kちゃんからもらった↓2200円の写真(ターバン巻いてる漱石さん)。そのあと、飲み食いしながら十分しゃべりつくしたはずなのに、更に、ホテルのロビーに居座り、トークタイムPart2が始まった。Kちゃんみたいなコを、話し上手で聞き上手っていうのかもしれない。とにかく楽しかった。何の話をしてたっけ・今のマスコミについて まだ活躍してない祐ちゃんフィーバーよりも、放送すべき事があるでしょう 原油が、先週1バレル80円だったのに今週は1バレル98円になってることとか。 ↑へぇ~そうなんだ、ぜんぜん知らんかった。・ワイドショーをバッサリ 朝からみの○んたは見たくないし、小○キャスターも需要あるのって感じ 朝は結局「スッキリ」見るしかないな~。 昼は、タモリさんはもういいやって感じだし、DONもなんか違うし、やっぱ昼おび 夕方が一番ひどい。名前分かんないけど、あの女キャスターが超イヤ んで、結局19時からNHKのニュース見て、20:45からもNHKのニュース見て、 「あ~、やってる内容、今日も一緒だな~」って思うんだよね~(笑) ↑イヤとか嫌いとか言いながら、えらくまたよく視てない(笑)なんか、他にもいろいろ喋ってたな~。お互いの友達の話とかいろいろ。とにかく、良く喋って、良く笑って、面白かったその後、ようやくホテルを出て、ちょっとローラ・アシュレイに寄り道。その間も喋りっぱなし。んで桜木町駅に戻り、横浜駅まで一緒に行って、「改札出てスグ右に行けば、ちゃんと相鉄線に乗り換えられるから」と心配されながら、あと「楽しかった~ありがとね~」をいっぱい言って「また今度ね」と別れた。無事に楽しんでこれて、ほんと良かった。この後に控えてる三連休について、完全ダウンで寝込んでも仕方ないという覚悟で臨んだ割に、昨日ちょっとダウンした程度で済んで、それも良かった。病気だから大事にしなきゃいけないし、ムリは禁物だけど、多少の負荷も大事だな。というか、多少の負荷なら耐えられるくらいにまでなってきてることを実感できた。去年は病気の底を体験したけど、その分、これからは上向きに回復していけるかなくれぐれもムリはまだ禁物だけど、また前みたいに、いろいろお出かけできるようになりたいし、そのための1歩を踏み出せたなあと思えて、改めて誘ってくれてありがとうって思った
2011/02/10
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なんか今日は珍しく早く目が覚めた。なんかの前兆だったんかもしれない。食事して、洗濯機回しながら、今日が誕生日の友達にメールを書いた。その後、リサガス雑誌の定期購読した第1号・第2号が届いて、そこまでは良かったけど、mixiで、とうとう断り切れずに入ってしまったアプリの初期設定しなきゃとか、友達に誕生日プレゼントを送るのに、同封する手紙も書かなきゃとか、先日寒中見舞いを頂いた方へのお返事も書かなきゃとか、パルシステムのチラシ見なきゃとか、試供品モニターで当選したトマトジュースの感想を、ここ楽天ブログに載せなきゃとか、16時から歯医者の予約が入ってるとか、なんかもう次から次へと、あれこれやんなきゃいけない事でドタバタして、昼過ぎにすっかりダウン(やんなきゃいけない事に押しつぶされただけで、事をこなせたわけではない)ダメだこりゃ、ちょっと休もう。。。スマホのアラームを15時にセットして、布団に横になった。ちょうど寝入ったところで、めったに掛かってこない電話の着信音で、目を覚ます。末の妹のMからだった。母と同居してるのだが、食事をしていたら、いきなり母がぶっ倒れたと。今、救急車で病院に来てるけど、意識もないし。。。涙声のMはかなり動揺していた。私もすっかり動転してたのか、私の頭には「もう死んだ」とインプットされてしまった。慌てて旦那に連絡して事の次第を説明し、歯医者に連絡して予約をキャンセルし、真ん中の妹のFに連絡する。「あれ~ さっきMから連絡あった時は、まんだ『危ない』って言っとったけど、 もう死んでまったかね~。葬儀とか、どうしょうねえ。家族葬とかって、どういうのやろ~ あ、そうそう、葬儀ん時、なんやったらウチに泊まってきゃあね~」なんか、緊迫した状況の割に、の~んびりま~ったりと話すFであった。なにはともあれ、連絡するとこにはして、もうとっくに私の頭は容量オーバー。バタンと意識を失くすように眠りについたまたしばらくして、ラデッキー行進曲のメロディで目を覚ます。これはうちの家電の着メロ。バチッと音がしたかのように起き上がって電話に出たら、Fからだった。「あ、ねーちゃん、ケータイに何へん掛けても出えへんで、こっちに掛けたよ。 ほんでさー、さっき『死んでまった』って言っとったけど、まんだお母さん生きとるがね~」あれ、そやの ここで初めて、死んでないと気付いた話だけ聞いて、電話を切ったら、またバタンキューで眠りに落ちた起きたのは17時。歯医者の予約をキャンセルしといて良かった。洗濯物を慌てて取り込み、いつものように買物に行く・・・が、なんかおかしい。胸がドキドキしてるし、肩ではぁはぁ息をしてるし。何にも言ってないのに、旦那は気を利かせて、いつもよりずっと早く帰ってきてくれた。「なんか調子ヘンなんやけど、お母さんのことで、それなりにまいってまったんやろか」「そりゃそうやろ、だって突然すぎたもん」なんか、旦那のその一言で、ほろっとこぼれそうになった。夜になってMに電話した。意識は取り戻したとのことだった。こんな大変な時なのに傍にいられなくてゴメンと謝って、電話を切った。なんか、そんなこんなで今日はとっても大変だった。お風呂に入って、ようやく落ち着いた感じ。いや~、つかれたつかれた。。。
2011/02/02
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すっかり病気で長患い中、旦那は仕事だけでなく、家事も大半こなしてくれている。そろそろバレンタイン、日頃の感謝の気持ちをこめて、何かプレゼントをしたい。でも、旦那が稼いだお金で買ったプレゼントをあげるのも何か違うしなあ・・・。と思っていたところに、↓こんなのが目についた。Cカンパニーのバレンタイン・プレゼント♪当店人気NO,1の二つ折り財布【3名様】以前、某書店の文具フロアで手帳を担当していた時に、Cカンパニーさんの商品も取り扱っていた。他社さんの手帳も数多く扱う中で、私はCカンパニーさんの手帳が一番好きで、自分の手帳には迷うことなくCカンパニーさんのを購入。ちゃっかり名入れもしてもらって、大事に大事に使い続けて、気が付いたら10年以上経っている。全然飽きもこず、革のへたりもなく、むしろ使い込むほどに味が出てきて愛着が湧いている。そういうメーカーさんのお財布なので、ホント言えば自分が欲しいんだけど、そこは抑えて、今回、旦那へのプレゼントができればなと応募してみた。もしモニターに選んでもらえたら、いいなあ
2011/01/20
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13日深夜、アジアカップ2011の日本VSシリア戦が開催されました。初めはたまたまTVついてて、なんとなく観てただけだったのですが、レッドカード騒動で目が離せなくなり、とうとう最後まで観戦してしまいました。とにかく、大荒れに荒れた試合でした。前半で、日本が1点勝ってる状態から始まった後半。相手国シリアの選手がパス受けてシュートしようとしたところを、GK川島が体でセーブ。その時、副審が旗を揚げており、「あぁオフサイドでしたね」という解説が流れたのですが・・・。主審が、手を大きく左右に振って、オフサイドを取り消す身振りをし、少しの間があってから、高々と、レッドカードを川島に突き付けたいつもクリーンな試合をしてる日本選手のみんなが、みんなで主審に攻め寄って抗議。第2、第3のレッドカードが出ないことを祈りつつ、でも心は選手と同じ。。。でも結局、川島へのレッドカードは覆らず、更に日本スタッフにも退場処分が・・・。そしてPK。絶対入るなって念を込めたけど、あえなく決められ1点取られた。これでふりだし解説の松木さんが、すっかり怒って・・・るのはいいけど、好感持てるけど、なんでオフサイドじゃなくレッドカード&PKなのかは分からずじまい。解説してよね10人になった日本とシリアの攻防はまだまだ続く。なんでレッドカードなのか分からずモヤモヤしたまま、もう心はすっかり応援モードそのうち今度はシリアに、ペナルティエリナ内のファウルやらでレッドカードが出た。今度はシリアが猛反発。なんでレッドカードなのか、私には良く分かんなかった。そうこうするうち、PKを本田が蹴ることになった。実況「PK、本田が蹴りますね、どうでしょうね」解説「黙って見てましょう」←そりゃそうだけど、どんな解説やね本田シュート、相手GKの足に当たりそうでちょいやばかったけど、見事真ん中にゴールこれで2対1、また日本がリードしてる状態に戻った。解説「テレビの前のみなさんも、もっともっと日本を応援して下さい」twitterで「いや、こんな夜中に騒いだら近所迷惑だし」って、つっこまれてたこのまま終わってくれ。。。とは日本を応援してれば誰もが思うところ。そして45分が過ぎ、ロスタイムの表示が出た。それを見て、解説の松木さんの一言。解説「6分 ふざけたロスタイムですね」もう旦那は膝たたいて大爆笑。いや気持ちは分かるけど、すごい「解説」だわ(笑)その後、試合終了。日本の勝利。時計は午前3時半。審判の誤審に振り回された、大荒れに荒れた試合が終わった。誤審した審判たちは護身されてピッチを後に。負けたシリアは収まりがつかない様子。うんうん分かる。私も、日本が勝ったから平静でいられるだけだもん。どんな風に大荒れだったのか、思う程には説明できませんでしたが、異様な試合だったんだと分かってもらえれば幸いです。応援は、すっかりヒートアップしてる解説の松木さんに引きずられた感があるなぁ。もう一度、「6分 ふざけたロスタイムですね」←迷言その後、翌日のニュースで、レッドカードごたごたの経緯が詳しく説明されてた。シリア選手Aからシリア選手Bへのパスであれば、オフサイドの適用になる。で、シリア選手Aと一緒にいた今野が蹴ったボールが、シリア選手Bのところに転がったんなら、シリア選手同士のパスではないため、オフサイドにはならないとのこと。んでその後にGK川島が、ペナルティエリア内でのシリア選手Bへのファウルしたということで、PK&レッドカードなんだそうだ。と言いながら、問題のシーンをスローで見せてくれる。「う~ん、これはどう見ても、シリア選手Aが蹴ってますね~」「ということはつまり、オフサイドだったわけですねよ~」そして、今野が説明するシーンの映像が入る。今野「僕はさわってません(キッパリ)」サッカーには、誤審も判定のうちという感覚があるらしい。審判だって人間だし誤審もありうる、だからそれも受容してやっていこう、という感覚かな。でも、これだけ映像技術が発達してる中で、そろそろ時代にそぐわなくなってきてないこれまでのように、頑なに「誤審を認めさせる」ではなく、例えばテニスのように、何回までと制限を設けながらもビデオ判定できるようにするとか、もっと柔軟にかつ誠実に対応してほしいなあ。それは選手やサポーターを大切にするだけでなく、審判のためにもなるんじゃないかと、しみじみ感じる次第であります。何はともあれ、誤審でGK川島がレッドカード退場になったのは何とか受け入れるとしても、今後何試合かまで出場停止になるのは絶対納得できません日本の文書抗議が遅かったため、今そんな事態になりそうなんだけど、何とかならないかなあ
2011/01/15
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タイガーマスク現象そのものについてのどうこうは、さておいて。昨日、Twitter上で「養護施設の現場を知る貴重な意見として拝読しました」と紹介されたので、早速見に行ったら、そのブログは炎上していた。(そのためブログのURLは記載しません。)そのブログによれば、養護施設で育つ子供たちは、モノには全く不足しておらず、むしろ、例えばおもちゃは一般家庭の子たちより最新モノを沢山持ってるほどなのだとか。一方、虐待など心の傷を受けているにもかかわらず、職員には家事から何から仕事が多すぎ、彼らの心のケアにまで手が回っていなくて困っているとのこと。政府支援がカネ(=安易なモノ)ばかりで、人手に割かれていないという悲痛な叫びだった。だから、ランドセルやおもちゃ・文具などのモノを贈るよりむしろ、1時間でも子供たちの相手をしてあげた方が、子供たちにも職員にも助かるんだとか、できれば里親などを積極的に受け入れてほしいとか、現金であれば、ベッド購入や宿舎の建て替えなどにも使えるからその方が好ましいとか、そういった言葉が並んでいた。そこまでは、まだ良かったけど、その後、自分たちのNPOに寄付してくれれば、寄付されたお金を2倍にも3倍にも有効活用します、みたいに言葉が続いた。なんか高利回り何とかとか先物買いみたいだなあと、私はそこにひっかかった。しかし、他の人たちの攻撃している点は、そこじゃなかった。主な主張は、日本中が温かい気持ちになっているところに水を差すな、というものだった。更に、これはタイガーマスク現象に便乗している売名行為だの、自己顕示だの、目立ちたがりだのという批判だった。あと、寄付を募っている点から「乞食ワロタ」的な書き込みも目立った。もちろん、彼の視点や彼らの活動に理解を示し、トラックバックする人もいるにはいたが。。。そのブログを書いてる人は、よりによって本名も自分の写真も出していた。しかも、本人経歴の所に、書かなくてもいいことまで事細かに自分をさらけだしていた。在日朝鮮人3世であること、家庭環境になんら問題なかったこと、受験戦争には無縁で米国への留学歴があること、3ヶ国語を使えること、などなど。。。(残念ながら、彼がどんな経緯で児童相談所と関わるようになったかの記載はなかった。)ぶっちゃけ、そのブログを攻撃する書き込みは全削除し、好感の書き込みだけを残せば良いのに、彼は、攻撃してくる人たちとの対話を試みていた。・・・それは、真摯な態度なんだけど、ネット上での交流方法ではないんだよねというのを見てしまって、ちょっと胸を痛めた。しばらくしてから、もう一度見に行ってみた。そしたら、私の引っかかった「こちらへ寄付してくれれば2倍3倍~」部分は削除されていた。でも、対話の試みは続いていた。本人経歴も消されてなかった。Twitterだけでなく、2ちゃんでも紹介されてしまったようで、まさか、こんな反響を呼ぶことになるとは思っていなかったのだろう。とにかく、悪い人ではないというのは伝わってくるだけに、気の毒というか、胸が痛んだ。そして、よりによってその翌日、児童養護施設協議会が「お礼とお願い」を出した。たまたま、あと一日こちらの対応が早ければ、もしくは彼の行動が一日遅ければ、彼のブログ(と精神)は攻撃されずに済んだのになあ。とまぁそんなこんな思った次第でした。という話から変えて、全国に広まったタイガーマスク現象について。おそらく、初期に始めた人は、モノのない時代に生まれ育った人なのではないかな。親戚や兄弟の使い古されたお古のランドセルが悲しかったなんて思い出があったりして、一方で、人と人が今よりずっと、あったかい気持ちでつながってた昭和世代の人だと思った。お古は、回される方が悲しい思いをするようなことばかりが強調されがちだが、実は長男・長女も、後に続く兄弟たちが使うことになるからと、大事に大事に使うのだそうだ。まぁそんな話はさておいて。今は確かに、モノのない時代じゃないやね。ランドセルの使いまわしなんて聞かないし。個人的には、ランドセルの寄付であれば、児童相談所や養護施設より、役所に持って行って、生活保護世帯への寄付の方がいいんじゃないかと思っていた。あとこれは、非常に勝手な憶測で、個人的な思い込みに過ぎないけれど、児童相談所に持って行ったところで、倉庫にしまいこまれてオシマイだと思った。(でも、これだけ大々的にニュースになってるから、そんなことないかもしれないけど)幼いころに悲しい思いをした人が、自分がしてもらいたかったことを人にしてあげることで、幼い自分の要求を満たせて嬉しい、というのが、今回のそもそもの発端だったと思う。それはそれで別段悪いことじゃないし、とってもいいことだと思う。24時間テレビが毎年続いているのを見ても、日本はまだまだ捨てたもんじゃないと思うけど、でも、その人たちの善意や厚意が、本当にどこまで、必要とする人に届いているのかな?あるいは、現代の日本の子どもたちの困りごとは、今から50年前の子どもの困りごととは、大きく異なるんじゃないかな?・・・なんか言いたい事がうまく言えてないや。冗長なくせに言葉足らずで、ごめんなさい。善意や厚意が、必要とする人にちゃんと届くような寄付の仕方を考えなきゃってことかな?ちょっとモヤモヤしてますが、これ以上書いても意味なさげなので、ここで筆を置きます。≪追 記≫この日本って国、なんのかんの言われてるけど、結構みんなあったかくていい国じゃんてなこと、今回やっぱり思わずにはいられませんでした。それだけに、惜しいんだよなぁと。。。そんなことを無性に思う次第であります。
2011/01/14
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今日はブログ更新をさっさと済ませて掃除の続きをしたかったけれど、具合が悪くてあっけなくダウン。21時頃ようやく起きてきて、旦那の作ってくれた年越し蕎麦をすすった。年末年始くらい、病気もお休みしてくれればいいのにな。。。例年の年末年始は旦那の実家に帰省するのだけれど、今年は帰省できないほど具合が悪い。姑が、あの広い家で一人で年を越していると思うと胸が痛む。今年は、これまでになく具合の悪い年だった。何度となく死の淵をさまよい、旦那にも友人にも心配をかけた年だった。まだまだ、あまりにも回復しきっていないけれど、ひとまず無事にクリスマスを迎えられお正月を迎えられそうなことに、感謝というより正直にいえば驚いている。少しずつでしかないけれど、元気になっていければ、このしんどさから抜け出せればと、痛切に思う。なんか暗くなってしまったな。最後は明るく締めよう今年もお世話になりました。来年もどうぞ、よろしくお願いします。皆さまが佳いお年をお迎えになりますように
2010/12/31
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ここ数年、年賀状の投函は12月31日になることが多かった毎年毎年「もっと早くから手掛けていれば・・・」と反省しきり。そんなわけで昨年末「来年こそは12月25日までに投函する」とおごそかなる目標を立てたそんなこんなで、今年も年賀状に取り掛かる季節がやってきた。今年は、例年より年賀状の購入時期が遅くなって焦ったその分頑張って、なんとか24日にはフォーマットを完成。あと、旦那が送る分・旦那と私の共通の友人へ送る分・私の友人へ送る分と微妙に変更を加える。そんなこんなで、今年ようやく25日中に完成することができた。。。しかし残念ながら投函にまでは至らず(翌26日の投函となった)。早く作成できた感想として、とにかくものすごく余裕やゆとりが産まれたのが良かった作成中は、ゆとりを持って作業を出来て良かったし、投函後は、もう一切年賀状の事は考えなくて良いので、ものすごく気が楽で良かったこんなにいいものだとは思わなかった。こんなに気楽になるとは思わなかった。ぜひ来年も頑張ろうこれまでずっと、普段なかなか会えないからと、何らか一言を手書きで添えてきたのだけれど、今年はそれをきっぱりやめた。ごく一部を除き、手書きはせず、手書きで添えたかった内容も印刷して記載した。その方が小さな文字でたくさん書き込めるからであって、別に面倒だったわけではない。あと、今年初めてネットでつながっている友人との年賀状やり取りができることになった。ネットの友人と言うのは、思えば不思議な存在だ。私の場合、旦那の転勤で故郷から遠く引っ越してしまったこともあり、旧友とは、既に年賀状だけのやり取りになってしまっていることも少なくない。日頃からやり取りしてて、ずっと身近で、お人柄もそれなりに知っているのは、ネット友人の方が多かったりする。そのくせ実は、本名も顔も名前も住所も電話番号も家族構成も知らなかったりする。(↑まぁ知っている人も中にはいるけどね)。今年、期せずしてネットつながりの複数の友人と、年賀状のやり取りをできることとなった。そのため、年賀状の写真は久々に、旦那とそろって写っている写真をNさんに撮ってもらった。「こういう人が「はざや」なんだなあ」と思ってもらえることだろう。私の方でも、これまでずっとお付き合いさせてもらってきたのがどういう方なのかなあと、種明かしみたいな気持で、わくわくしているそれから、全ての友人宛に、自宅の電話番号・携帯の電話番号・メールアドレスを記載した。旧友たちとの交流が、今ではすっかり途絶えていることに改めて気づき、軽くショックだった。何か変わるきっかけにでもなればいいな程度に思っている。
2010/12/25
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冬至恒例のゆず風呂を楽しませてもらったこないだの日曜日、夫婦ぐるみでお付き合いしているN夫婦からお電話。「今、実家の千葉にいて、これから海老名に戻るとこだけど、夕飯でもどうかな」ということで、一緒に夕御飯。その時に「はい、おみやげ」と、いろいろいただいた。各種ひつじグッズや、奥さんおすすめTOPVALU素煎り黒大豆などなどに併せて、なんと、大量のゆず 奥さんのお母さんが育ててらっしゃるゆずのもぎたて「もうすぐ冬至だから、お風呂に入れてね」とのこと。ということで、昨晩、そのゆずを5つだけお風呂に入れてみた。とにかく、すっごく香りがいいのにびっくり 濃厚で、それでいて爽やか。今まで、スーパーで買ったゆずを浴槽に浮かべていたけど、それとは香りが段違いと~ってもしあわせ~なこころもちになって、ずーっと入っていたいお風呂だった。もぎたてって、こんなに違うんだ。まだあと8つも残っている。新鮮なうちに楽しみたい・・・けど、お風呂に入れるくらいしか思いつかない傷も全然ないキレイなゆずなので、お料理に使えたらいいんだけど。。。何かお知恵がおありでしたら、教えて下さい
2010/12/22
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今日は2週間に一度の通院日。このところ異様に寝つきが悪く、そのため寝起きが昼過ぎになることもしばしば。。。んで今日、ようやく起きれたのが、なんと15時っ16時のバスで駅前に向かおうとしたら、こういう時に限って10分くらい遅れてて、病院の受付が16時半までなんで焦った焦ったなんとか16時半ジャストに入り込めて診察してもらえて、ほっと安堵。帰り、新星堂に寄って宇多田ヒカルの「くまちゃん待ち受け(無料)」をGETしたり、雑貨屋さんを覗いたり、とぶらぶらしてたら、なんか突然、見ず知らずの30歳前後っぽい男性に声をかけられた。「あのぉ、今、お時間ありますか?」「は、はぁ、ありますけど・・・(ぶらぶらしてるとこだし)」「良かったら、どこかでお話しませんか? さっきから見ていて、いいなあ、タイプだなぁと思って・・・」「え、えっと、それは、ちょっと。。。」「それじゃ、せめてメールアドレスとか教えてくれませんか?」「それは、、、(手を左右に振って、NGであることを示す)」いやーびっくりしたぁ。これが、噂に聞く「ナンパ」ってやつ?初体験っすずっとマンガなんかの世界だけの話だと思ってた。あそこでついて行ったら、どういう展開になったんだろう?宗教の勧誘とかされてたりして?どこから付けられてたのか、それ思うと、ちょっと怖いやね。。。まぁそれはそれで置いといて。あちこちで、やたらとひつじが目について、なんだか5個くらいGET。無駄遣いの極みだよと呆れつつ。。。夏場はあんまり見ないひつじ達だけど、 寒くなるにつれて、雑貨小物のひつじが増えてくる感じがする
2010/11/25
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子供だけが写っている年賀状は、正直もらうのが嫌です。子供が欲しいのにできない状況で、そういう年賀状をもらうのは非常に酷です。子供がいないことで、姑・親戚からの数々の言葉にも傷ついてきました。「まだ子供がいないなんて、旦那さんは正常なの?男色じゃないの?」「子供をつくらないなんて、老後の介護はどうするつもり?」「○○(旦那の名前)が死んだらどうするの?(うちに来る気じゃないでしょうね!)」←by姑 などなど。。。子供がいないことだけでも十分悲しい思いをしているのに、その上、そういった心ない言葉にも数多く数多く対応させられ、涙をこぼしてきました。そういった経験が豊富なので、結婚して3年程度以上経ってもお子さんのいないご夫婦に、子供だけの年賀状を送るのは、特に奥様を深く深く傷つける可能性が高いので、極力避けた方がよろしいかと思います。お子さんが生まれて「家族が増えました」年賀状も、子供だけのものを選ぶより、家族がみんな揃って写っている写真を選んだ方がよろしいかと思います。とかいうより、子供だけが写っている年賀状って、新年のご挨拶という観点から言うなら、子供の友達や親戚、家族ぐるみの付き合いをしている間柄以外には、避けた方が賢明ではないでしょうか?現状すっかり年賀状のやり取りだけになっている同窓の友人も少なくありませんが、年賀状をくれる友人の今の顔を見たいとは思うものの、子供だけ見せられてもなぁ。。。あと、視点がちょっとずれますが、子供だけが写っている年賀状というのはおそらく、お母さんが子供をちゃちゃっと写して、それでちゃちゃっとこさえた年賀状なのではないかと思います。その結果、赤ちゃんの髪が剛毛で寝ていたままなのでパンク風に逆立っていたり、着ているシャツがよれよれだったり、複数の子供の内の一人が鼻に指をつっこんでいたり。。。あと、子供たちの表情は良くても、背後のカラーボックスの中が、ぐっちゃぐちゃなのが、そのまま写っていたりとか。。。母親視点では、いつもの見慣れた光景なので、気にならないのでしょうけれど(苦笑)。。。家族みんなの写真では、不思議とそういった珍写真には出会っていないですね。落ち着いて微笑ましく見ることができます。とはいえ、子供だけの年賀状が、そんなひどいものばかりでもありません。「え、これまさか、スタイリストさんつけて、カメラマンが撮ったの!?」と思うような、と~ってもステキな写真の年賀状が届いたこともありました。あとで聞いたら、パパさんが元々カメラ好きで、しかも子煩悩で、日ごろから撮ってる400~500枚の中から選んだ写真だったそうです。。。すげえ。。。
2010/11/17
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友人が、今月4日(月)から中国に出張しておりました。彼の中国への出張そのものは3回目なのですが、今回は、尖閣諸島海域侵犯だの、船長解放したら英雄扱いだの、報復としか思えないタイミングでの邦人3人拘束だの、2人だけ解放して、あえて1人は・・・などといったことが立て続けに起きており、心配せずにはいられませんでした。うっかりしたことに、出国日は知ってましたが、帰国予定日を聞いていませんでした。1回目は2週間、2回目は2週間の予定が延期して3週間。ということで、今回もおそらく2週間だろうと、約2週間後の16日(土)、おそるおそる携帯にメールするも、待てども待てども返信なし。。。デモに次ぐデモ、そしてイトーヨーカドーの襲撃、ノーベル平和賞をめぐる一連の騒動、なにより中国高官が大々的に発言した内容が、「中国人がこういった行動をしても仕方ない事由が日本人側にあるのだ」的な、、、。TVのニュースを、落ち着いて観ていられなくなりました。中国のニュースが流れると、怖くて、慌ててチャンネルを替えました。チリの落盤事故からの救出なら大丈夫だろうと見ていても、なんか気がつくと、「レアメタル大国の中国では、同様の事故は起きてないんかなあ。もう起きてたりして。 国民にも被害家族にも何も知らされず、ろくな救出活動はされてないんじゃないかなあ。。。 ていうか、今回のチリの一件を見て、あの時に真面目に救出しとけば支持率UPになったのか、 とか悔やんでたりしてる人がいたりして・・・」とか、思ってしまうのです。。。中国では、ノーベル平和賞受賞ニュースがTV放送中に突然カット、受賞者の奥さんは軟禁。でもそういうニュースは、たぶん国内にはまともに流れてなくて、学生たちの大規模な反日デモはTVでじゃんじゃん放映して、反日思想をあおりまくる。そして、そういうのにあまりにも単純に乗っかって、デモが暴動化していく大規模集団。。。中国という国が、心底恐ろしくなりました。。。20日(水)15:32に、友人からメールがありました。「帰国しました」と。「今日は寿司を食べるぞ~」と。ほっとしました。安心しました。「おかえりなさい 旦那ともどもマジ心配してました。無事の帰国何よりです」と返信。すると、すぐにまたメールが来ました。「出張メンバーで、もし日本大使館が襲撃されたら、すぐに香港へ逃げよう」と、打ち合わせされていたとの事でした。その後、例によって例のごとく、夕方いつもの歩いて5分足らずのスーパーへ買い物に。いつものお寿司セットより豪華な「大ねたまぐろ寿司」に、なんと半額シールがこれは買いだよ買いと、買い物かごに2パック入れました。んで、その友人に「うちも夕飯お寿司にするよ~」とメールしようとして。。。メールできないんです。。。まだスーパーの店内だというのに、いきなり泣きそうになってる自分がいました。友人が、ほんとに無事帰国したんだと、改めてものすごくホッとしただけなのですが、なんか一生懸命泣くのをこらえていて、ふと気づくと、手もぶるぶる震えているのでした。。。
2010/10/21
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昨夏、友人におまもりをもらって以来、我が家では懸賞が良く当たるようになった気がする。・PASCO リサとガスパール ピクニックに行こうよ!セット・NHK きょうの園芸 バンダナ・雪印 ピングーオリジナル親子タオル・HERSHEY'S アイスクランチボール 商品券2000円分などなど。。。んで今回は、やさぐれぱんだの携帯スタンドが当たった嬉しいもったいなくて、まだビニール袋から出していないのであります(笑)≪追記≫友人が購入してくれたおまもりは↓こちらのお店の「ハッピーセット」お守り札です。山根 和紙の店 http://www.japan-net.ne.jp/~wyamane/
2010/08/27
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こんにちはおかげさまでこのブログも88888アクセスを迎えることができましたいつも見に来て下さる方も、たまたま通りすがった方も、ありがとうございますなかなか体調のすぐれないことが多く、日記をUPできる時とできない時の波が激しいですが、長い目で見守っていただければ幸いです。ひとまずお礼まで、、、とってもありがとですなお、記念すべき88888アクセスは自分で踏みました。。。
2010/04/05
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夕方、旦那からメールあり。甥っ子Hくんが見事志望大学に合格したとのことよかったよかった自分は志望大学落ちて泣いているので、本当にうれしい合格おめでとうメールを送っておいた。夜になって、ちょうどお風呂から出たところ、甥っ子からTelあり。さっそく遊び歩いていて、帰宅が遅くなったんだとか「合格のお祝い、何が欲しい? もらって嬉しいものは贈っても喜ばれるっていうよね。 どう、ひつじのぬいぐるみ? どう、リサガスの電報?」 (←自分の欲しいもの)「・・・そんなんあるんや」何もいらないとのことでした。。。提案したものが悪かったのだろうか?まぁ実家から通うみたいだし、とりあえず今回は現ナマでもいいかな?そういや、自分の妹のほうの甥っ子Sちゃんも進学するんだった(こちらは小学校)。お祝い何がいいんだろ?Hくん達が進学した時は、U隣堂で働いてて、文具コーナーでランドセル買ったんだった。。。妹に尋ねてあるけど、答えが来てないなあ。リサとガスパール【ぬいぐるみ電報】
2010/03/09
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テレビが壊れた電源を切って少し放っておくと復活して観られるようになるのだが、それも時間の問題で、しばらくするとまた「画面中央光一本線」に戻ってしまう。7~8年使っていたので、寿命といえば寿命なのかもしれない。とはいえ、悲しい。。。今日も旦那は休日出勤。明日は職場が停電する(電気関係の保安をする)ので久々に休めるが、テレビを買いに行くことになりそうだ。
2010/01/16
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今日は誕生日朝、妹Fからメールが来た。タイトルは「誕生日おめでとう」。本文が「今日、U君(旦那さん)のお父さんが亡くなりました・・・」ええ~~~っというわけで、正月に帰省したばかりですが、明日お通夜のため急遽帰省することになりました。。。ちょっと出足大変なことになっちゃったけれど、今年は素敵ないい年になりますように
2010/01/09
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新型インフルエンザにかかられた方、また隔離など影響を受けられた方には、お見舞い申し上げます。さて昨晩、旦那はマスク持参で帰宅した。会社で持たせてもらったのかと思いきや、薬局等を何軒かまわってようやく見つけて購入してきたとのこと。妹さんに頼まれたんだそうだ。滋賀でも感染者が見つかったことを受けて、お隣の岐阜でも、高校生はマスクして登校しなきゃいけないとか。甥も姪も高校生なのでマスクが必要だが、それがまた、どこも売り切れてしまって入手できないそこで、まだ感染が拡大していない関東圏ならまだマスクが残っているんじゃないかと連絡してきたのだった。旦那が買ってきた分50枚と、以前に買い置きしてあった分50枚と、計マスク100枚を昨晩の宅配便で送った。そして今日夜になって、東京八王子で女子高生の新型インフルエンザの感染が確認されたと速報がテレビで流れた。う~ん、うちで買い置きしてあった分も送っちゃったし、もうどこもマスク売ってないやね。しまったあどうしよう
2009/05/20
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今日はおさななじみの誕生日。去年は手紙を書いて送ったが、今年はそんな元気なかった。さっき、メールを送ろうと思ったが、携帯にデータが入っておらず、年賀状ひっくり返す元気もなく、それでも頑張って電話してみたが留守電。軽くがっくし。「誕生日おめでとう」とメッセージを入れておいた。そしたら後から折り返し電話かけてきてくれた。それが、なんか、すごく嬉しかったこのところずっと調子が悪くて、できないことばかりの毎日だけれど、今日は彼女に電話ができた。お話ができた。できたことができて、良かった良かった。と思おう。小学校に入る前からの友達だから、知りあってもう30年以上になるのだなあとしみじみ~。長良川の堤防で初めて知り合った日のことを、なぜか今も鮮明に覚えているよ
2009/04/15
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実はこのところ、極端に調子が悪い起きている間はだるくてぼーっとしている上にイライラしているので、なるべく寝ている(寝逃げしている)ような状態。お薬、ちょっと増やされている。こないだの休日、とってもお花見に出かけたかったけれど、そんな体調ではなかった。頑張ってそれでも外出したのだが、だるくてだるくて、結局車の窓から見ただけで帰ってくることとなってしまった。。。さきほど、ようやく少し元気になったのをいいことに、うちから歩いて5分ほどの桜を観に行くことができた。ちょい散り初めかなという感じ。まだきれいなうちに観ることができて、良かった最近は病院への往復も、2回に1回は旦那に付き添ってもらっている。19日に情報処理試験があり、申し込んであったのだが、こんな状態で、試験勉強も十分にできないでいる。当日、一人で試験会場に行けるかどうかわからないし、3時間集中することも難しいだろう。。。ものすごく悔しいけれど、今回の受験は断念することになりそうだ。。。いつになったら良くなるのだろうと、今ものすごくつらい。でも、焦っても仕方ないことが分かっているから、できることをやって、できて良かったと思おう。今日は、桜を観に行けて良かった
2009/04/07
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今日、旦那は出張。帰りに横浜駅で、こんなかわいいチーズケーキをおみやげに買ってきてくれた。味も、思ったよりおいしかった。あんまりかわいいんで、食べるのがもったいなかったよ。The Best Cheesecakeshttp://www.best-cheesecakes.com/
2009/03/19
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今日は春一番が吹き荒れた。生暖かい一日だった。先週末、小田原の曽我梅林に行ってきた。ほぼ満開だった。今年は花が早い。
2009/02/13
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今日の10時から義父の四十九日法要があった。あれから、もうこんなに経ったのかと思う。正直に言ってしまうと、いまだに実感がない。亡くなった時に立ち会わせてもらっていたにもかかわらず。。。年末年始の帰省のときにも、義父はいなかった。ポカンを穴があいているような妙な感じはあるのだが、ひょいと現れそうな気がするのだ。そのくせ、何かの拍子にふと泣き出しそうな気持ちになることもあるのだ。。。昨晩、いつもより早く旦那は帰ってきて、車を飛ばして帰省。こちらに着いたのは26時過ぎだった。法要のあと、高2の甥っ子に、ITパスポート検定に出題される範囲の数学を教えてもらったさすが理系の現役それだけでなく、頭よくて、教え方がうまい。文系の私は、高1ですでに、数学についていけなかった。。。その私にも判るように、集合のベン図や、順列・組み合わせを教えてくれたのだほんと、ありがと~~~♪それにしても、参考書のわずか4~5ページに、3時間ほどかけて教えてもらってしまって。。。こんな調子で、この先、大丈夫だろうか
2009/01/17
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先ほど妹Fからメールが来た。双子を無事出産したとのこと上が女の子で3000g、下が男の子で2200gだったそうだ。よかったよかった今週末に義父の四十九日の法要で帰省する。もし寄っても大丈夫そうなら、寄らせてもらって赤ちゃんに会わせてもらいたいな。ところで、出産祝いの商品選びに悩んでいる。この双子は、妹の3人目・4人目の子供になるのだが、どういったものが喜んでもらえるだろうか自分に子供がいないので、いまいち良く分からない。これはオススメというものがあれば、教えてくださいその後、↓こんなのを見つけてしまいました!オーガニック素材ののギフトセット(ひつじ)「こんなのどう?」と妹にメールしてみた。
2009/01/14
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誕生日は、だれにでも年に一度訪れる特別な日(ごくまれに、4年に1度という方もいらっしゃいますが・・・)今年の誕生日は特に、40代に突入した記念すべき年でもある。そういや10年前の今日って何やってたっけそういや今日も、特に何にもしてないな~何もしてないけど、HAPPY BIRTHDAY TO ME
2009/01/09
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高2の甥っ子がギターをやりたいと言っていたので、今回旦那は、昔使っていたギターを持って帰省。今日、甥っ子にそのギターをあげた。あげるにあたって、まず弦を張り替えてあげていた。それから調弦。私もギターを昔やっていたので、ついつい口が出る次第に手が出る出る手が出たついでに十何年ぶりにギターを弾いた。おかげですっかり指先が痛い。特に左指先。今、PCのキーボードを叩いていて、指先がジンジン熱い。ああ、ほんと楽しかった。甥っ子は「意外に難しいすぐに投げてまうかもしれん」などと口では言いながらも、嬉しそうに練習していた。そして持ち帰っていったのだった。旦那は、ギターを見送らなかった。切なすぎたのかもしれない大事に使ってね
2008/12/30
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年の瀬が近づいてきているので、美容院に行ってきた。かなり混んでいた。疲れた。でも、だいぶさっぱりした旦那も、私が切ったのを見てから、床屋に行ってきた。しかし「今日はもう終わりです」と言われたとかで、むさくるしいまま帰ってきた明日帰省する予定。旦那には、帰省してから近所の床屋にでも行ってもらおう。5日に義父を亡くしたばかりの喪中なので、お正月を祝う気持ちはあまりないのだが、こざっぱりと新しい年を迎えたいと思う。葬儀の後、義母は一人暮らしになってしまった。義妹は毎日通ってくれているようだ。主人にはもちろん、私にとっても心強い。なにか自分にもできることはないかと思い、最近は毎日、義母に携帯メールを送るようにしている。あんまり大したことでもないけどね。。。明日帰省すれば、一週間一緒にいられるようになる。ちょっと心の奥があったかくなる
2008/12/28
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久しぶりの記載なので、何から書いていいのやらというかんじ近所のスーパーに行ったら、ちょうどボジョレーヌーボーの陳列をやっていた。もうそんな季節かあ。買い物を済ませて店を出ようとしたら、店の出入り口でクリスマス・お節料理の試食をやっていたので、ひととおりしっかり食べてきた。おいしかった。改めて、もうそんな季節かあ年賀状の準備もしなきゃな義父のその後について、これまで書けなかったなあ。いざ書こうとしても、記載しようとすることにすごくエネルギーが必要で、エネルギー不足で書けないでいた……。義父の脳腫瘍は、肺癌からの転移だった。なんでも、数年前にレントゲン検診で、肺に影が映っていて、再検診するように言われていたのだそうだ。それが、それきりになっていたらしい。義父は、自身が癌であるとは夢にも思っていなかったらしく、告知された時はかなり動揺されていたそうだ……。肺の腫瘍の組織検査をやったところ、悪性腫瘍だったが、内部細胞が既に壊死していたとのことが若干の救い、と旦那はいう。それでも脳に転移しているのだから、壊死に意味はないと思うのだが……。旦那との感覚のスレ違いが、このところ痛いほど感じられるようになった。15年近く一緒に暮らしてきて、死生観にこんなにも違いがあったなんて思わなかった。スレ違いを感じないように、最近あまり義父の件を話さないようにしている自分がいる。旦那は、私に聞かれない限り話そうとしない。なんかつらい。。。まぁそんな話はまた、今度書くとしよう。エネルギーが切れてきたあれから旦那は、連休はもちろん、主治医から説明のある時も欠かさず、岐阜まで帰省している。平日も遅くまで仕事している。旦那が倒れないようにサポートしたいが、気持ちは空回りするばかり。私の場合、まず自分がしっかりしなきゃね。今週末の連休は、私も一緒に帰省する予定。帰省したところで何ができるわけでもないのだが……。
2008/11/19
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義父(主人の父)のお見舞いで、昨晩から岐阜に帰省中。昨晩、帰ってきてすぐ、お見舞いに行ってきた。義父は、思った以上に元気がなかった点滴に入っている薬(おそらく抗がん剤の)副作用で、かなりぼんやりしているようだ。手すりを伝って歩いてらした。脳腫瘍の浮腫が脳を圧迫してすんなり歩けない状態だと主人から聞いている。以前はヨタヨタ歩いてる自覚がなかったとのことだったが、一度転びかけてようやく自覚され、今はちゃんと手すりを伝ってらっしゃるとのことだった。また、食欲はほとんどないとのこと。そういう話を、ひそひそと聞く。病室も暗くて、みんなひそひそ声で、そんな雰囲気だった。本人が気落ちされているからこそ、みんなもっと明るくふるまえばいいのになあと思うが、それはよそ者の感想だろうか?今は、みんなで病院に行って、検査結果か治療経過の説明を義父本人と聞いている。私は留守番。今まで説明に参加していないので、いきなり私が同席することで義父が不要な心配をしないようにと、席を外している。義父の病状などについては、もうそろそろ説明が済むころだな。ひとまず、ではでは~
2008/10/12
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義父の診断結果を聞くため、旦那帰省する。「呼吸器科」で説明されるとのこと。楽天的なことを言っていられなくなった。もう覚悟をしないといけない。けれど、逆に今になって、いまいち実感が湧かなくなってきた。
2008/09/26
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正直なところ、検査結果を聞いてからずいぶん時間がたつが、まだ少し動揺している。旦那は昨日、休日出勤して仕事を片付け、昨晩岐阜に向かった。今日、再検査(MRIかCTと言っていた)が行われ、脳腫瘍が12個発見されたと、昼過ぎに旦那から連絡があった。2週間ほど放射線治療をするとかで、今日、そのまま入院。転移を疑い、明後日、頭部以外への検査を行う。旦那はかなり動揺していた。少し泣いていた。私もかなり動揺した。電話を置いてから、友人に電話し、30分くらい話をさせてもらって、だいぶ落ち着いた。一番しんどいのは義父自身だし、それを支える義母や旦那や義妹もしんどいのだから、自分は旦那を(できれば明るく)支えなきゃなと気づかせてもらった。夕方、また旦那から電話があり、今度はなるべく元気づけるように頑張ってみた。夕食後、義父にもメールを送った。「元気づけよう」とする自分が、空回りしてる気がしないでもないが、実はメールを書きながら泣いちゃったりもしているのだけれど、頑張って、ニコニコするよう精々心がけよう。今、旦那から電話が又あった。だいぶ元気を取り戻したようだった。
2008/09/22
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昨日、「頭痛がおさまらないから明日(今日)検査を受けてくる」と言っていた義父(主人の父)。今日、義妹(主人の妹)から主人に連絡があり、検査の結果、脳に腫瘍が見つかったとのこと。月曜に、別の病院で再検査し、そのまま入院して手術することになるのではと思われる。再検査の結果を聞くため、主人は月曜は会社を休むことにして、明日から帰省の予定。ただただ、呆然としている。
2008/09/20
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デスクトップ上に表示する(と思われる)FLO:Q×100「おやすみひつじ」の時計があったさっそくダウンロード&インストールしてみた。。。が、できない「ウィジェットマネージャー」とかいうのが起動するらしいのだが、これが延々くるくる回ってて、ちっとも先に進めない。というか、この先がよくわからない。帰ってきた旦那に頼んで、いったんアンインストールした上でインストールし直してもらったのだが、これまたうまくいかないせっかくのかわいいひつじなのに。。。がっくし<追記>その後、ためしに旦那のPCでインストールしてみると、可能だった。ますます、どうしてこのPCでインストールできないのか、分からない。。。
2008/09/11
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今日19時ごろ、いつものように近所のコープに買い物に出かけたところ、東の方向に奇妙に明るく光るオレンジ色の星を見つけた。今、お月さまの近くに明るい少し赤い星がある。それが火星だと思っていたが、それよりずっと明るくオレンジ色が濃かったので、こちらが火星だろうかと思って見ていた。ら。しばらくしたら、見ている前ですーっと消えてしまった。という話を旦那にしたら、「未確認飛行物体じゃないの?」と言われた。もしかしたら もしかしたら そうなのかしら今、旦那と外に出て行って、それを見つけた場所まで行ってきた。この位置から、あの辺に見えたんだと説明。これといった人工物も、当時その位置に見えただろう星も、見つけることが出来なかった。
2008/09/10
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N家を誘って、座間のひまわり祭に行ってきた。きれいだった。そのあと、ヨドバシでWiiを購入しようとしたが、Nさんが、「コジマならゲームソフト全品20%offだよ」と教えてくれたので、コジマでWiiを購入してきた。とうとうWiiデビューゲームは「Wii Sports」「時忘れの迷宮~チョコボの不思議なダンジョン」「めざせ!!釣りマスター-世界にチャレンジ!編-」の3本を購入。ひとまず「Wii Sports」のボーリングを旦那と楽しんだ。今は、旦那が静かに釣りをしている夕方から激しいどしゃ降り。ここしばらく蒸し暑い日が続いていたが、今夜は涼しくなりそうだ
2008/07/26
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