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【キプロス機墜落】8月14日、キプロス・ラルナカからアテネに向かっていたヘリオス航空機・ボーイング737型機がアテネ北方約40キロのカラモスの山中に墜落した。同機はキプロスのラルナカからアテネを経由し、プラハに向かう予定だった。ギリシャ政府当局によると、乗客・乗員121人の全員が死亡した。外国人はドイツ人パイロットとアルメニア人の4人家族のみだった。12人がギリシャ人で、残る104人はキプロス人だった。ギリシャ当局(軍)は当初ハイジャックの可能性は捨てきれない言っていたが、キプロス・ギリシャ両国の当局者はテロの可能性は否定している。ギリシャ空軍は、同機の交信が途絶えたことを受けF16戦闘機2機を緊急発進、上空でキプロス機に接近したが、そのときの様子は、操縦席に機長の姿はなく、副操縦士も座席に倒れこんでいたという。さらに、乗客らしい2人が操縦室に入って機体を操作しようとしていたとも伝えた。操縦室内の酸素マスクは下りていた。パイロットの話:「事故機の機長席は無人で、副操縦士は操縦室で倒れ込んでいた。乗客らしい2人が操縦室に入ってきて、機体を操作しようとしていた」また、墜落を目撃した人は、「戦闘機が超低空で飛んでいるのを見た数分後、大きな音がして、航空機の破片が空に舞うのを見た」と語った。さらに墜落までの最大約2時間、操縦士も乗客も意識を失うか死亡した状態に陥ったため自動操縦で飛行していた可能性があると報じられてもいる。フライトレコーダー、ボイスレコーダーは回収され、分析のためパリへ送られる。解析にはフランス航空当局が当たる。墜落した機体から運び出された遺体のほとんどが内部まで凍結していた。ほとんどの遺体は「カチカチに凍っていた」。ロイター通信は事故現場を目撃した住民の話として、地面に投げ出された遺体は全て、酸素マスクをしていたと伝えている。 そして、墜落直前に、乗客の1人が親せきに携帯でメールを送っていたと世界中のメディアが伝えた。乗客のメール:「パイロットが青くなった」、「凍えるように寒い」、「いとこよ、さようなら」。しかし、この携帯メールの話は嘘だった。つまり、メールを受信したという32歳の男(ギリシャ在住)の作り話であり、男は逮捕・起訴された。なぜこのような嘘が世界中に転電され、世界中のメディアがそれを報じてしまったのか、大きな疑念が残る。NHKは、旅客機は墜落の前に上空を旋回し続けていたことがわかったと報じている。 CNNは、15日に、「墜落したとき6人が生きていた」と報じていた。これに続いて、ロイターも17日に検死官の話として、「これまでのところ6体の遺体を検死したが、死亡時に心臓や肺に循環があったことを示す証拠が出ている」、「意識があったことを意味するものではないが、呼吸などはあったことになる。つまり、生存していたということだ」と報じた。CNNは17日になって、アテネの主任検死官の話として、「司法解剖した副操縦士や客室乗務員をふくむ20人について、墜落時には生存しており、地上激突による負傷が死因」だと明らかにしたことを伝えた。つまり、「墜落時には20人とも心肺活動があり生存していた」と。この中には副操縦士と女性客室乗務員の遺体が含まれているとも。共同通信によると、旅客機があと5分飛行を続けた場合、アテネ市街地に墜落する可能性があり、カラマンリス・ギリシャ首相と軍首脳は撃墜命令を出す態勢に入っていた。詳しくは以下に記事と写真を集めてあるので、興味のある人は、以下を読むなりして各自検証して下され。キプロス機墜落・121人乗りキプロス機、アテネ近郊の山間部に墜落・キプロス旅客機がアテネ北方の山中に墜落、121人が搭乗・121人死亡 機長ら意識失う?・アテネ近郊にキプロス機墜落、乗員乗客121人絶望か・搭乗の121人全員死亡-加圧系統故障が原因?・空調障害、全員死亡か・キプロス機墜落、121人全員が死亡・乗客が操縦試みる? 機長不在のキプロス機で・アテネ近郊の旅客機墜落「生存者なし」…48人が子供・自動操縦で飛行か キプロス機墜落 空調障害説、疑問の声多く・キプロス機遺体、内部まで凍結…急激な気圧低下か・乗客乗員あわせて121人全員が絶望か 夜を徹しての捜索活動・アテネ墜落機から刻々実況メール、最後は"さよなら"・キプロス機墜落、121人全員死亡を確認・墜落前に死亡か キプロス機墜落・乗客乗員全員が死亡、大半「凍結状態」・遺体の多くが凍結状態 自動操縦飛行の可能性も・遺体の大半、凍結状態 温度・気圧、急低下裏付け・墜落旅客機、操縦はドイツ人パイロット・「機内凍えるよう」はうそ キプロス機墜落で男を逮捕・墜落事故 操縦不能の原因調査・乗客乗員の一部は墜落直前に生存していた可能性・副操縦士ら、墜落時には生存 キプロス機事故・あと5分で事故機撃墜も ギリシャ首相ら検討と報道http://blog.livedoor.jp/ayaka222a/archives/50011304.html【コロンビア機墜落】8月16日、今度は南米で旅客機が墜落した。墜落した旅客機は乗客152人乗りのコロンビアの民間航空会社「ウエスト・カリビアン航空」のMD80系ジェット旅客機で、同機は中米パナマのパナマ市からカリブ海のマルティニク島(カリブ海の仏領)に向かう途中の観光客によるチャーター機であった。乗客152人、乗員8人の計160人が乗っていたと報じられている。乗客全員がマルティニク在住のフランス人で、乗員はコロンビア人、そして乗客・乗員は全員が死亡した。墜落した場所は、南米ベネズエラ西部のスリア州。ベネズエラのチャコン内相によると、墜落直前、同機から同国の航空当局に、エンジンの一つが故障したので緊急着陸したいとの連絡が入った。直後に二つ目のエンジンも故障したとの報告があった後、通信が途絶えた。ウェスト・カリビアン航空MD82型旅客機航空機の残がいを調べる救助隊員現場からは、墜落機のブラックボックス1個が発見されている。墜落機は墜落前、カラカス国際空港の管制官へ、エンジン2基に障害が続いて起きたと連絡し、緊急着陸を要請していたが、約10分後にレーダーから消えたという。機長は最後の交信で、エンジン2基とも不調のため飛行高度を9450メートルから4270メートルまで下げると報告していた。こちらも以下に記事を集めてあるので、詳しくは以下でどうぞ。ベネズエラでコロンビア機墜落・160人乗った旅客機が墜落、全員死亡か、ベネズエラ・ベネズエラで旅客機墜落 乗客152人絶望か・乗客ら160人死亡か ベネズエラ西部・乗客152人は安否不明・乗客・乗員160人全員が死亡・乗員乗客160人、全員死亡・乗客乗員160人全員死亡か・160人乗り旅客機、ベネズエラで墜落…全員死亡・乗客乗員は全員死亡=仏航空当局・ブラックボックス発見=仏人客1人、直前に搭乗中止・コロンビア機が墜落・152人乗りの旅客機墜落・今度は南米で…旅客機墜落http://blog.livedoor.jp/ayaka222a/archives/50015247.htmlライブドアのブログ検索によるサーチ結果。キプロス機 墜落ベネズエラ 旅客機墜落当ブログ「灼熱」は、先日、2004年08月16日の開設から1周年を迎えました。開設からの1年間でアップした記事(日記)は249件で、総アクセス数は約50万という数字が残りました。また、1日の最高アクセスは、7月28日の13377でした。(1年という区切りを迎えましたので、簡単ですが報告させてもらいました)今後とも「灼熱」をよろしくお願い致します。m(_ _)m
2005年08月17日
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これは下の日記の続きです。次の日記を先にお読み下さい。『世界権力の構造の秘密』からイングランド銀行とウィリアム3世に関する記述● イングランド銀行の設立者たちイングランド銀行の株主たちは初期には「1300人協会」と呼ばれた。株主にはイングランド国王と女王も名前を連ね、それぞれ1万ポンドずつの価値に相当する株式割当を受けた。マールボロ公爵は1万ポンドを出資した。彼は1697年には例の「仲介手数料」のなかから多額の金を東インド会社にも投資した。のちに彼はハドソン湾会社の総督になるが、この会社は75%の配当金を出した。※ ここでいう「東インド会社」とは、オランダではなく、イギリス東インド会社を指してると思われる。シュローズベリー卿は1万ポンド、ゴドルフィンは7000ポンドを投資した。ゴドルフィンは、イングランド銀行が商売に融資するばかりでなく、英国の戦争経費もまかなうことになるだろうと予言したが、その予言は以後300年にわたって正しいことが証明された。ヴァージニア・カウルズは『大マールボロ公爵伝』に次のように書いている。「英国は戦争により世界の支配勢力に生まれ変わった。イングランド銀行の信用制度のおかげで、無理をせずに戦争の重荷に耐えることができたからである」イングランド銀行特許状の応募者にはさらにウィリアム・ベンティンクがいた。初代ポートランド伯爵の彼は、もともとオレンジ公ウィリアム家の近習だったが、1670年のウィリアムの最初のイングランド訪問に随行し、1677年のメアリーとウィリアムの結婚にいたる難しい交渉を担当し、さらに1688年のウィリアムのイングランド侵攻にさいしては細部の詰めを行なった。ベンティンクはポートランド伯爵という爵位を授与され、ウィリアムのもっとも信任の厚い外交政策代理人となった。1984年の今日、第九代ポートランド伯爵キャヴェンディッシュ・ベンティンクは、英国バイエル社およびドイツの原子力化学中央共同体の会長である。外交官としても卓越した経歴の持ち主で、1922年に外務省に入り、パリ会議、ハーグ会議、ロカルノ会議で英国代表をつとめた。1939~45年には参謀本部統合情報局議長をつとめ、1945~47年という重大な時期にポーランド大使に赴任した。この時期にポーランドは英国の内々の支持によってソ連の勢力下に入ったのである。このほかのイングランド銀行の特許状への応募者のなかに、チャッツワース邸を建てたデヴォンシア公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュがいる。ウィリアム三世へのイングランド王位就任の招請状にも著名した人物である。1702年のアン女王戴冠式では執事長を果たした。第11代公爵はリズデイル男爵の娘デボラ・フリーマン─ミットフォードと結婚した。その義兄になる現在のリズデイル男爵はチェース・マンハッタン銀行の副頭取である。リーズ公爵のサー・トーマス・オズボーンも特許状応募者である。ウィリアム招請状にも署名している。大蔵卿をつとめ、ウィリアムとメアリーの結婚に尽力した。彼は英国でも最高とされる遺産を残すことになった。このほかの特許状応募者には以下の人びとがいる。ペンブルック伯爵トーマス・ハーバート、カーナーヴォン伯爵(同時にポーイス伯爵、ブラッドフォード伯爵)、エドワード・ラッセル卿(1697年オルフォード伯爵を授爵)、ウィリアム・パターソン、サー・テオドール・ジャンセン、ヒュー・チェンバレン博士、ジョン・アスギル、ニコラス・バーボン博士、ジョン・ホランド(スコットランド銀行創立者)、マイケル・ゴドフリー(初代イングランド銀行副総裁)、サー・ジョン・フーブロンと一族20人、ソロモン・デ・メディナ、サー・ウィリアム・スコーエン、サー・ギルバート・ヒースコート(ロンドン市長、新東インド会社設立)、サー・チャールズ・モンタギュー(初代ハリファクス伯爵、現伯爵はハンブローズ銀行役員)、ノルマンディー侯爵ジョン・シェフィールド(バッキンガム伯爵の爵位も保持)、アランデル伯爵トーマス・ハワード、チャールズ・チャプリン、ジョン・ロック。サー・ジョン・クラパムは『イングランド銀行の歴史』のなかで次のように書いている。1721年までスペインとポルトガルのおおぜいのユダヤ人がイングランド銀行の株を買い続けた。つまり、メディナ、2名のダ・コスタ、フォンセーカ、エンリケス、メンデス、ヌネス、ロデリケス、サルバドール・テイグセラ・デ・マットス、ハコブ・ハコブス、テオドーレ・ハコブス、モーセス・アブラバネル、ハコブ・アブラバネル、フランシス・ペレイラなどである。クラッパムはまた、1751年以降はイングランド銀行の株はごくわずかしか取引されず、2世紀以上にわたってしっかり保有されてきたと書いている。● 前例をことごとく破り、英国金融界に君臨したモンタギュー・ノーマン卿20世紀になってからのイングランド銀行最大の重要人物はモンタギュー・コレット・ノーマン卿だった。その祖父にあたるジョージ・ウォード・ノーマンは1821年から72年までイングランド銀行総裁をつとめた。これほど長く総裁をつとめた者はほかにいない。さらに、もう1人の祖父のコレット卿も1887年から89年までイングランド銀行総裁をつとめ、25年間にわたりロンドンのブラウン・シップレー商会の共同経営者だった。モンタギュー・ノーマンは1894年にニューヨークに派遣され、ブラウン・ブラザーズの事務所で働いた。W・A・デラノ一家と近づきになり、ブラウン・ブラザーズの共同経営者のマルコウ家と生活を共にした。1907年にノーマンはイングランド銀行の理事に選出された。1912年には神経に衰弱を来たし、スイスでC・G・ユングの治療を受けた。1916年にイングランド銀行副総裁となり、のちに総裁となって1944年までつとめた。ウォールストリート・ジャーナル紙は1927年にモンタギュー・ノーマンについて次の記事を載せた。「イングランド銀行総裁のM・コレット・ノーマン氏は現在英国の銀行家のなかで抜きんでた存在である。英国の銀行家で今日の彼ほど英国金融界に独立崇高の存在となった者はいまだかつてほかにいなかった。つい先ごろひき続いて第8年目の総裁に選ばれたばかりである。戦争(第1次大戦)以前は総裁を2年以上つとめることは許されなかった。しかしノーマン氏は前例をことごとく破ってきた。彼は、イングランド銀行と同じく大蔵省も動かしている。従業員をのぞいて彼にはだれも仲間がいないようだ。インタヴューにはまったく応じない。彼は英国の金融界をそっくり自家薬篭中のものにしている」1人の人間がイングランド銀行をだれからも拘束されずに勝手に動かしたなどと考えることは、語るに落ちるというものである。ロスチャイルドは? そのほかの株主たちは?キャロル・キグレーは『悲劇と希望』で「M・ノーマンは『わたしは通貨の支配権を握っている』といった。彼はヨーロッパの通貨支配者といわれる」と書いている。※ キャロル・キグレーの『悲劇と希望』を解説した本が、先日取り上げた『世界の歴史をカネで動かす男たち』である。『世界の歴史をカネで動かす男たち』の書評も書きました。『世界の歴史をカネで動かす男たち』の感想と私見http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200507280001/『世界の歴史をカネで動かす男たち』の感想と私見の続きhttp://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200507280002/※ モンタギューノーマンと仲良しだったニューヨーク連銀の初代総裁ベンジャミン・ストロングは、1928年にヨーロッパから戻った数週間後に亡くなっている。ストロングの後継者はジョージ・ハリソンである。J・ヘンリー・シュローダー・ワッグのライオネル・フレイザーは自伝の『すべての一般の利益』のなかで、ノーマン卿から個人投資を託されていたと書いている。また、ヘルバート・ワッグの会社について「この会社は偉大にして絶大な力を持つロスチャイルド商会の公式な株式仲買人であった」と語っているが、この会社は以前はハルバーシュタット出身の宝石商で、のちにロンドンの銀行(J・ヘンリー・シュローダー・ワッグ)となった。1960年に合併する前、ワッグもシュローダーもロンドンで159年間商売を営んでいたのである。別の作家は、ノーマン卿がイングランド銀行の方針を決定する前に、しばしばJ・P・モルガンに相談したといっている。ゴードン・リチャードソンはJ・ヘンリー・シュローダーの会長を1962年から72年までつとめ、その後1972年から83年までイングランド銀行の総裁となった。その後に総裁を継いだのがロバート・レイ・ペンバートンである。彼はナショナル・ウェストミンスター銀行の会長であり、エクイタブルの役員でもあり、セシル─バークレー一族と婚姻関係を結んだ。※ J・ヘンリー・シュローダー商会の重役には、アレン・ダレス(CIA長官)がいる。兄のジョン・フォスター・ダレス(国務長官)とアレン・ダレスのダレス兄弟は、シュローダー銀行を代表(代理人)していた。1889年に生まれたクルト・フォン・シュローダー男爵は、1933年にナチが権力を握ったのち、国際決済銀行のドイツ代表に指名されている。クルト・フォン・シュローダーはハインリッヒ・ヒムラーの友人であり、ナチに資金援助していたが軍事法廷で裁かれることはなかった。シュローダーは1945年に米国の捕虜キャンプで逮捕されデュッセルドルフに拘留されたのだが、なぜか戦争犯罪人として裁かれなかったのである。「フォン・シュローダーはヒットラーあるいはゲーリングと同じぐらい罪を犯している(1948年2月29日ニューヨーク・タイムズ)」● イングランド銀行理事を構成する現在の面々イングランド銀行の現在の理事は次のとおりである。G・W・マクマーン、サー・エイドリアン・キャドベリー、レオポルド・ド・ロスチャイルド(N・M・ロスチャイルド&サンズ)、ジョージ・V・ブランデン、A・D・ラクニス、G・A・ドレイン、サー・ジャスパー・ホロム、D・G・スコーレー(S・G・ウォーバーグ会長)、J・M・クレイ(ハンブローズ銀行会長)、サー・デイヴィッド・スティール(BP会長)、ネルソン・オブ・スタッフォード卿、ウィアー卿、E・A・J・ジョージ、サー・へクター・レイン、サー・アラステア・ピルキントン。※ 各自それぞれの役職がこれまた豪華なんですが、役職を全て記載するのも多すぎて大変なので省略。イングランド銀行はスコットランド銀行も支配している。その会長はバルフォア卿ロバート・ブルースである。爵位のバルフォア・オブ・バーリーは1607年の創設である。スコットランド銀行の理事には、バークレイズ銀行の理事でもあるクライズミューア卿とハリバートンの役員ポルワース卿閣下がいる。ポルワース卿の娘はカナダ総督のモーラン男爵と結婚したが、かつてハンガリー大使、チャド大使を歴任した。
2005年08月13日
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イングランド銀行や同銀行に特許状を与えたウィリアム3世に関して、少し古い本をいくつか引っ張り出して再読していた。やはり『民間が所有する中央銀行』で米連邦準備制度について詳しく報告した著者ユースタス・マリンズが、イングランド銀行についても詳しいように思えた。イングランド銀行について未読の人は次の日記から先にどうぞ。イングランド銀行設立から見えてくるもの(2005年07月29日)http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200507290000/マリンズの『民間が所有する中央銀行』は過去に何度か取り上げているので、興味のある人は過去の日記をお読み下され。ついでなので日本銀行に関する日記もURLを示しておきましょう。連邦準備制度(2004年08月16日)http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200408160000/中央銀行の役目は、銀行システムを監視し、貨幣量を調節することである(2004年08月19日)http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200408190000/連邦準備制度(FRB)や、ヴォルカー元FRB議長について(2004年08月31日)http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200408310000/引き続き、連邦準備制度について…(2004年09月01日)http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200409010000/ジェームス・べーカー元米財務長官・国務長官(2004年10月16日)http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200410160000/日本銀行の総裁とか日本銀行について(2004年08月28日)http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200408280000/日本銀行について少し…(2004年12月27日)http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200412270000/さて、マリンズの『世界権力の構造の秘密』からイングランド銀行とウィリアム3世に関する部分を抜粋引用する。「※印」の部分は私である。なおこの本は、日本語版が1995年に出版されているので10年前のものであるが、原書は1992年に米国で出版されたものとのこと。これは第二版なので初版はもっと古い(84年ころ)と思われる。10年以上も前に出版された本書は、いま再読しても興味深い内容になっている(細部の検証は必要だと思うけど、引用部分で私の認識と大きく外れる個所はない)。● 裏切り者たちによる不名誉な「名誉革命」ロスチャイルドが関与している他の企業もそうであるが、イングランド銀行は1694年の創立以来ずっと国際的陰謀とスパイ活動の中心となってきた。ただし、ロスチャイルドがイングランド銀行と関わりをもつにいたるのは、ようやく1812年のことだった。ワーテルローの戦いでイギリスが敗れたという根も葉もないうわさが、ロンドン証券取引所になぜかパッと広まると、これを利用してネイサン・マイアー・ロスチャイルドは財産を6500倍に増やしたのである。イングランド銀行はもともと革命から誕生した。オレンジ公ウィリアム三世が国王ジェームズ二世を王座から追放した革命(名誉革命)である。イングランド銀行の特許状がウィリアム三世によって授与されて以来、国王に対する反乱は一度も起こっていない。革命には不可欠の資金源を支配下に収めてきたので、王室はずっと安泰だったのである。国王チャールズ二世(在位1660~1685)はバッキンガム公爵(ジョージ・ヴィラーズ)以下の5閣僚(クリフォード、アシュレー、バッキンガム、アーリントン、ローンダーデイル……その名前を組み合わせるとCABAL(陰謀)ということばになる)のおかげで不安定な地位をなんとかもちこたえたが、陰謀を意味する新しいことば[CABAL]をつくりだしてしまった。オラニエ公ウィレム1世(1533~1548)はサクソニー家のアン、ブルボン家のシャルロット、コリニー家の王女らと結婚すること数度におよんだ。今日、ヨーロッパを支配する各王室および、領国をもたない王室もすべて、オレンジ公ウィリアム三世の直系子孫である。すなわち、オランダのユリアナ女王、デンマーク女王マルガレータ、ノルウェーのオラフ五世、スウェーデンのグスタフ、ギリシアのコンスタンティン、モナコのレニエ大公、ルクセンブルク大公ジャンなどである。※ アンソニー・サットンも、「ヨーロッパの王族はすべてサックス=コーバーグ=ゴータ家に起源があり・・」と言っていた。シュローズベリー卿(チャールズ・トールボット)はチャールズ二世からもジェームズ二世からの重用されていたのに、革命で中心的な役割を果たした。1668年トールボットは1万2000ポンドを携えオランダに赴いてウィリアムを支持し、ともに帰還すると、国務大臣に任命された。シドニー・ゴドルフィンはジェームズ二世の最後の忠臣の1人であったが、ウィリアムのイングランド侵攻に先だって、サンダーランド公爵やポーツマス公爵夫人とともにウィリアムに通じ、のちにウィリアムによって大蔵省の長官に任命された。ノーサンプトン伯爵でロンドン主教のヘンリー・コンプトンはジェームズ二世によって失脚の憂き目に遭った。このためウィリアムに対するイングランドへの招請状に署名した。1688年にはもとの地位への復職がかなった。息子のフランシス・コンプトンは玉璽尚書となった。初代マールボロ公爵のジョン・チャーチルは、1688年の8月にはオレンジ公支持の態度を明らかにしていた。ところが一方では、ジェームズ二世の疑惑を鎮めるため、1688年11月10日、新たに忠誠宣誓書に署名している。1688年11月24日の革命にさいしては、オレンジ公ウィリアムの勢力に加担した。※ マールボロ公爵はウィンストン・チャーチルの先祖で、チャーチルの義理の娘がパメラ・ディグビーである。ウィリアムはジェームズ二世の娘メアリーと結婚していて、正当なイングランド王位継承権をもっていたが、ジェームズ二世が王位にあるあいだは、権力を握ることは無理だった。そこで、1万名の歩兵と4000名の騎兵を引き連れて、イングランドに侵入したのだったが、大王国を征服するにしては小さな兵力であった。ウィリアムにつき従ったのは、チャーチル、ベンティンク(初代ポーランド伯爵)、シュローズベリー伯爵、ポルワース卿(今日子孫の1人はアングロ・アメリカン銀行の主要メンバー)だった。ジェームズ2世はフランスのルイ14世の宮廷に逃れ、廃位を宣言された。これがのちのイギリスの歴史で「名誉革命」と讃えられた事件である。1694年ウィリアムはイングランド銀行に特許状を与えた。この時からいまにいたるまで、革命は一度も起きていない。英国のいかなる政治勢力も、そうした挑戦を支援できるだけの資金を集めることができなかったからである。● トン税法のペテンによってイングランド銀行が誕生したウィリアム三世のもとには、イングランド側にも国王ジェームズ二世から寝返った支持者がいたが、アムステルダムから彼らにつき従ってイングランドにやってきた一団の強欲な金貸したちもいた。この連中はウィリアム軍への物資納入業者でもあった。ウィリアムが公務として最初にやったことの1つが、ソロモン・デ・メディナをナイト爵位に叙任することだった。マチャドはスペインで、ペレイラはオランダで、ウィリアム軍に糧秣を供給した。メディナが物資供給したのは、フランダースのマールボロ公だった。ヨセフ・コルティソトはスペインでゴールウェイ卿に物資を供給し、アブラハム・プラドは7年戦争のとき英国軍に物資を供給した。※ ソロモン・デ・メディナ、マチャド、ペレイラ、ヨセフ・コルティソト、アブラハム・プラド、これらの人物はユダヤだと思われ。ウィリアム三世の治世でもっとも重要な事績は、1694年のイングランド銀行への特許状の授与であった。ただし、王の伝記作者たちのほとんどがこの顕著な事実を見落としている。当時、紙幣発行つまり通貨発行の権限をもつ中央銀行という概念は、すでにヨーロッパで根を下ろしていた。アムステルダム銀行がはじまったのは1609年で、銀行の会員たちはウィリアムのイングランド侵攻を支援した。ハンブルク銀行は1619年に特許状を与えられた。スウェーデン銀行が紙幣発行業務をはじめたのは、1661年であった。これらの銀行を特許状によって設立した金融業者たちの先祖はヴェネツィアとジェノヴァの銀行家であった。世界の権力の趨勢がヨーロッパの北部へと移行するに連れて、金融業者たちもそのあとに従ったのである。たとえば、ハンブルクのウォーバーグ家の発祥は、ヴェネツィア最大の銀行家アブラハム・デル・バンコ一族であった。イングランド銀行の特許状による成立についてはおもしろい技法が明るみに出ている。つまりイングランド銀行特許状はトン税法案(船舶トン数1トンごとに課税する法案)の一部に滑りこませてあったのだ。この技法はのちに議会操作の常套手段と化していく。特許状には次の条項がある。「船舶のトン数に課せられる地方税と関税を、対フランス戦争の遂行のために総額150万ポンドを自発的に融資する者たちへの保証金とする」ジェノヴァ銀行、ヴェネツィア銀行、アムステルダム銀行などヨーロッパのほかの銀行は主に預金銀行であったが、イングランド銀行は銀行自身の信用を貨幣に鋳造する業務をはじめた。通貨主義(マネタリズム)の走りである。まもなくイングランド銀行はシティーに金融勢力という「新興階級」を創りだした。この新興階級は、大土地所有に資産を依拠する旧来の金持ちたちに対抗する勢力であった。※ チェンバレンやブリスコウに代表される「土地銀行」企画者側は、イングランド銀行の企画をはげしく批判した。イングランド銀行の設立株式の所有者500人のうち450人までがロンドンに住んでいた。世界に冠たる現在の金融センター「シティー」がその優位性を確立する夜明けであった。※ 上の日記「イングランド銀行の設立者たち:英国金融界に君臨したモンタギュー・ノーマン」に続きます。
2005年08月13日
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『阿片王』は、里見甫という人物を詳細に描き、“幻の帝国”満州国を支配していたアヘンに関わる暗部を掘り起こした興味深い内容です。まだ読み終えていないので書評は控えますが、里見甫や甘粕正彦などの上海・満州国の暗部に興味のある人にお薦めです。機会があったら、詳しく取り上げたいと考えています。以下に、毎日新聞のサイトから『阿片王』の紹介と、新潮社のサイトから『阿片王』の「序章」から先頭部分の転載、同じく新潮社のサイトから著者・佐野眞一と保阪正康の対談を紹介します。本書は、満州国の暗部に関わった「関東軍」や「特務機関」などの重要人物が大勢登場し、400ページを超える厚さでとても興味深い内容になっていると思っています(まだ読了してませんが)。今週の本棚・本と人:『阿片王 満州の夜と霧』著者・佐野眞一さん◇昭和史の闇で輝きを増す男--著者・佐野眞一さん主役が満州(現中国東北部)で阿片(アヘン)密売を牛耳った里見甫(はじめ)。作者はノンフィクション界きっての才知豪腕の持ち主。この大取り合わせによって、昭和史の暗部で蠢(うごめ)く人々の実態をまるで喜劇を見るように楽しむことができる。「前の戦争の発火点である満州国がいつ終わったのかを誰も特定できない。甘粕正彦(満州国要人)が自殺した瞬間か。ソ連軍の侵攻が始まった時か。そうじゃない。世代的な問題かもしれないけれど、けじめをつけたかった」宮本常一(民俗学者)の生涯を追っていた10年前。里見の遺児の奨学基金募集名簿を入手した。その発起人には、岸信介、佐藤栄作、児玉誉士夫、笹川良一、甘粕四郎(正彦の実弟)、松本重治、伊藤武雄(中国研究家)……と、首相からジャーナリスト、政界のフィクサーに至る幅広い顔ぶれが名を連ねていた。「満州は何によって支えられていたか、その下部構造を書かなければいけない。換金作物は阿片だけ。日中戦争とは20世紀の阿片戦争。関東軍と蒋介石が阿片を奪い合ったゲームだったのです」この構造の全体を知り得る人物は里見だけだという。「とにかく魅力的なやつ。怪物と呼ばれた人物は歴史上たくさんいるが、里見は掘れば掘るほど暗闇の中で輝きを増していく印象でした」主役の立ち位置に加えて、巧みな演出が読みどころだ。「あそこでコーヒーを飲んでいるのは東条じゃないか。笹川なんか、チンピラ扱い。(そうそうたる人物も)そんなふうにした。ぜいたくな作りになっているんです」物語にいざなうピエロ役として晩年の里見に仕えた秘書的人物を探り当てた。名簿に記された唯一の女性が「男装の麗人」で、里見の片腕だったことも突き止めた。<戦後の高度経済成長は失われた満州を日本に取り戻す壮大な実験でなかったか>。このモチーフに沿って、めまぐるしく人が動き、通り過ぎる。が、里見は戦後、なぜか歴史の表舞台から退場した。「そんな生き方を強いたのは戦後の薄っぺらな残酷さでしょうか」<文・桐山正寿/写真・近藤卓資>(『阿片王 満州の夜と霧』は新潮社・1890円)毎日新聞 2005年8月7日 東京朝刊http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/news/20050807ddm015070138000c.html幻の帝国は、阿片が支配していた――。構想十年、壮大な人間喜劇!策謀渦巻く満州帝国を、闇で牛耳った一人の男がいた。最も危険な阿片密売を平然と仕切り、巨額の資金を生み出した怪傑・里見甫。その謎に満ちた破天荒な人生を克明に掘り起こし、麻薬と金に群がった軍人、政治家、女たちの欲望劇を活写する。誰も解明できなかった王道楽土の最深部に迫り、戦後日本を浮き彫りにする著者の最高傑作。 四六判変型/446ページ/1890円(定価)/ISBN:4-10-436903-9/発売:2005/07/29 佐野眞一 (さの・しんいち) 1947(昭和22)年、東京生まれ。早稲田大学文学部を卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。1997年、民俗学者・宮本常一とパトロン・渋沢敬三の生涯を描き上げた『旅する巨人』(文藝春秋)で第28回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。その他の著書に『巨怪伝』(文春文庫)、『東電OL殺人事件』『だれが「本」を殺すのか』(共に新潮文庫)、『小泉純一郎 血脈の王朝』(文藝春秋)など。http://www.shinchosha.co.jp/cgi-bin/webfind3.cfm?ISBN=436903-9阿片王―満州の夜と霧―東京・文京区の団子坂下から森鴎外記念本郷図書館方面に向かってだらだら坂をのぼっていくと、まばらな商店街が見えてくる。そこを通りすぎ、何本目かの角を曲がると、車一台がやっと通れる細い路地に入りこむ。くねくねと曲がりくねったその道を百メートルほど進んだ左手の住宅密集地の奥まった一画に、ひときわみすぼらしい二階建ての木造アパートが建っている。築後三十年は経っているだろう、路地に直接面していないこともあってつい見過ごしてしまいそうな粗末な建物である。そこをはじめて訪ねて行ったのは、二○○二年夏の暑い日の午後だった。道路のアスファルトは灼熱の太陽にあぶられ、いまにも溶けだしそうだった。狭い路地には陽炎がゆらめき、くすんだ木造アパートをなおさら古ぼけて見せている。そのアパートは一、二階あわせて四部屋しかなく、二階の二部屋と一階の一部屋は空き部屋のようだった。人の気配がするのは、日がほとんど当たらない一階の一室だけだった。それが私が長年探してきた男がひそんでいるはずの部屋だった。部屋にはカギもかけられておらず、すすけたベニヤ張りのドアは開けっぱなしになっていた。玄関にかけられた紺色の長い暖簾が風にかすかにゆれている。「失礼ですが、伊達宗嗣さんですね」そう来意を告げると、うす暗い室内からかなりの大男が暖簾をわけ、ぬーっといった風情で現れた。そして、こちらの身元をさぐるような目つきで少し睨めてから、こう言った。「きみが佐野くんか、待っていたよ」事前に連絡を取っていたわけではなかった。突然の訪問だったにもかかわらず、こちらの名前を正確に言い当てたのは、初対面のその男が、私の作品をなめるように読み、その一部始終を脳裏に深く刻みこんできたからだとしか思えなかった。この訪問より六、七年前、私はある月刊誌に今回のテーマの原型ともいうべき歴史ノンフィクションを発表していた。そのなかに、物語を解きあかす上で最も重要なキーマンでありながら、ある時点からぷっつりと消息がとだえてしまった伊達宗嗣という謎めいた男の名を記していた。伊達が開口一番言った言葉は、彼のすぐれた情報収集能力をいみじくも語っているようだった。私の出方を物陰からじっと偵察しつづけてきたとしか思えないその言葉を聞いたとたん、暑い日盛りのなかを歩いてきたせいでべっとりとシャツに張りついた背中の汗が冷たいものにかわった。日のあまり差さない玄関先につったった伊達の容貌は魁偉で、くたびれたがんもどきを彷彿とさせた。三角の小さな目に時折、油断ならない光が走るのは、彼がこれまでどんな人生を過ごしてきたかを指し示す、消すに消せない痕跡のように思われた。ここ数年、私は満州にとりつかれていた。建国後わずか十三年で地上から消滅した「満州帝国」という人工国家を視野に入れない限り、「戦後日本」、とりわけ高度成長期の日本の本当の姿は見えてこない。日本は、敗戦後十年足らずで高度経済成長の足がかりをつかんだ。それは、わが国がいち早くアメリカの核の傘のなかに入って、軍事防衛問題をほとんど、アメリカという世界の警察国家にまかせっぱなしにし、経済分野に一意専心することができたからにほかならない。昭和二十五(一九五○)年に勃発した朝鮮戦争による特需景気は、その先駆けをなすものだった。だが、そうした側面もさることながら、日本の高度経済成長のグランドデザインは、かつての満州国を下敷きにしてなされたような気がする。時の総理大臣として、高度経済成長に向け号砲を打ったのは、将来の総理大臣を嘱望される安倍晋三の祖父の岸信介である。その岸が産業部次長として満州に赴任し、満州開発五カ年計画を立て満州国の経済政策の背骨をつくって、後に「満州国は私の作品」と述べたのはあまりにも有名である。世界史的にも類をみない戦後の高度経済成長は、失われた満州を日本国内に取り戻す壮大な実験ではなかったか。そんな思いが私をきつくとらえていた。戦後高度成長の象徴である夢の超特急も合理的な集合住宅もアジア初の水洗式便所も、すべて満州ですでに実験済みだった。多感な思春期に高度成長と遭遇した私にとって、満州はいつか描かなければならない骨がらみの重い宿題となっていた。そのテーマで私が最も強く心ひかれたのは、「満州の夜と霧」とでもいうべき深い闇に溶け込んで容易に姿を見せない甘粕正彦と、里見甫という二人の男だった。彼らの謎に満ちた存在自体が、私の「満州」であり、戦前と戦中、戦後をつなぐためには欠くことのできないカギだった。甘粕は大正十二(一九二三)年九月の関東大震災直後、無政府主義者の大杉栄と、その家族を扼殺したとして検挙され、仮出獄後、満州に渡って数々の謀略に加わった。最後は満州映画協会(満映)の理事長におさまって、関東軍をもしのぐ実力をふるい、「満州の夜の帝王」と恐れられた。一方、里見は中国各地のメディア統合を図って、満州国通信社(国通)のトップに君臨したあと、「魔都」上海を根城にアヘン密売に関わり、「阿片王」の名をほしいままにした。二人は、阿片という満州最深部の地下茎でつながり合っている。その鉱脈を探り当てることが、いつしか私のライフワークとなっていた。その取材中、浮かびあがってきたのが伊達だった。日中戦争下における阿片問題にはじめて光をあてた『続・現代史資料(12)阿片問題』(みすず書房・一九八六年六月)の月報に、「里見甫のこと」という文章が載っている。書いたのは、伊達宗嗣といい、その人物こそ、私がやっと探しあて、いま目の前にいる伊達本人だった。〈わが国の阿片問題について語るとき、避けて通ることのできないのが、「里見機関」(宏済善堂)の存在である。主宰者の里見夫(リーチェンプ)(東亜同文書院十三期=大正五年六月二十五日卒業 昭和四十年三月二十一日歿、享年六十八歳)は、戦後、極東国際軍事裁判でA級戦犯として、巣鴨拘置所に収容されたが、何故か無罪放免になった〉 里見夫とは、里見甫の中国名である。里見のプロフィールを冒頭でそう簡潔に紹介した月報には、満州と阿片の関係や、里見と甘粕との関係も的確に述べられており、短文ながらそれを書くための知識と情報のおびただしい埋蔵量が感じられた。http://www.shinchosha.co.jp/books/html/4-10-436903-9.html【「特集 戦後60年を読む」特別対談】なぜ僕たちは、「昭和」を書くのか佐野眞一『阿片王―満州の夜と霧―』、保阪正康『あの戦争は何だったのか―大人のための歴史教科書―』保阪正康×佐野眞一※ 文字数オーバーのため、リンクの紹介にさせていただきます。以下のリンクをクリックしてリンク先で「対談」をお読み下され。http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/436903-9.html
2005年08月09日
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中野会が解散だそうである。これは山口組の渡辺五代目の引退と関係ありかと思える出来事だろう。中野会長は、五代目山口組若頭補佐、二代目山健組舎弟頭補佐、初代健竜会相談役などを務めた人物である。山口組若頭を殺った男―白昼の惨劇、その全真相をあばく!木村 勝美(著)価格: ¥1,680 (税込) 単行本: 309 p ; サイズ(cm): 20 出版社: イースト・プレス ; ISBN: 4872575911 ; (2005/07) ● 五代目山口組若頭決定● 稲川会三代目会長死去● 六代目山口組誕生● 中野会解散2005年は、ヤクザ組織にとって大激動の年のようである。司若頭誕生(5月10日)、二代目宅見組が若頭補佐へ昇格(6月6日)、渡辺五代目の引退(7月29日)、中野会解散(8月8日)。この一連の動きから何かが見えるのではないだろうか……気のせいかもしれんが。※ 本日、どうやら六代目山口組の若頭が決まったらしい。若頭は二代目弘道会だとか(違ったら即訂正します)。ZAKZAK(警察のリークだろう)が流した「若頭は二代目宅見組」というのはガセ情報だったと。しばらく山口組の動向から目が離せない。山口組から永久追放された中野会が解散届を提出平成9年に神戸市で起きた指定暴力団山口組の最高幹部の射殺事件以来、同組と対立関係にあった中野会(中野太郎会長)が大阪府警に解散届を提出していたことが8日、わかった。中野会長は、山口組の渡辺芳則五代目組長を出した山健組出身。平成元年に渡辺組長が五代目を襲名したのに伴い、直系組長に昇格し、最高幹部の若頭補佐に任命されるなど、同組内では中心的な役割を担っていた。しかし、9年8月、神戸市中央区のホテルで傘下組員が山口組ナンバー2の若頭、宅見勝・宅見組組長=当時(61)=を射殺。山口組から絶縁(永久追放)された。その後、拠点を神戸市須磨区から大阪市天王寺区へ移したが、中野会長が病気で療養するなどに伴い、組織は衰退していた。ZAKZAK 2005/08/08http://www.zakzak.co.jp/top/2005_08/t2005080827.html指定暴力団中野会が解散=大阪府警指定暴力団中野会=大阪市天王寺区、中野太郎会長(68)=が8日までに、大阪府警捜査4課に解散届を提出した。組員が7日、府警本部に持参したという。中野会は、指定暴力団山口組傘下の有力団体だったが、1997年に同組幹部の宅見勝宅見組組長=当時(61)=が神戸市内で殺害された事件で、組員の関与が明らかになり、同年に絶縁処分を受けて独立。99年、暴力団対策法に基づく指定暴力団に新たに指定された。 (時事通信) - 8月8日17時1分更新http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050808-00000074-jij-soci【2005年8月8日】 暴力団中野会が解散届 指定暴力団中野会が大阪府警に中野太郎会長(68)名の解散届を提出していたことが8日、分かった。中野会長の健康問題などが理由とみられる。中野会は山口組系の2次団体だったが、1997年の山口組の最高幹部殺害事件を巡り絶縁処分となって独立。99年に府公安委員会から暴力団対策法に基づく指定暴力団とされていた。府警によると、山口組からの絶縁後、組員は減少し、現在二百数十人。http://www.nikkei.co.jp/kansai/news/28120.html中野会を指定暴力団とした警察のもくろみとはキツネ目事件調書(2002-8)http://www.zorro-me.com/2002-8/ag020808.html--迷走する山口組--若頭射殺から3年(2)若頭不在3年、異常事態の背景山口組のナンバー2、宅見勝若頭を射殺し、山口組から絶縁された中野会。京都府八幡市の中野太郎会長(63)の自宅前では現在も京都府警による24時間態勢の張り付け警戒が続く。一時の緊張感は薄れたものの、中野会長のろう城生活はすでに2年10カ月。府警によると、お忍びで外出することもあるという。中野会は昨年7月、暴力団対策法に基づき「指定暴力団」となった。組織を絶縁された者は足を洗って堅気になるのがヤクザ社会の掟だが、中野会長は「親分(渡辺5代目)から『謹慎しとけ』と言われただけ」と、自らの引退と組の解散を拒絶しているためだ。山口組側は「中野会の指定は警察が勝手にやったこと」と冷静に受け止めているが、「絶縁した組の存続を認めないのが、山口組の掟。いずれ中野会との間で決着をつけんといかんやろ」(山口組関係者)との声がもっぱらだ。事実、宅見若頭の射殺事件をめぐっては、すでに実行犯として中野会ヒットマン3人に懲役20年の判決が出されており、残る2人も殺人容疑で指名手配されている。中野会を絶縁した山口組としては、このまま中野会の存続を容認することは対外的なメンツからもできないわけだ。だが、山口組は中野会への報復禁止の方針を強く打ち出している。このため、力づくではなく、話し合いによって、中野会長の引退・解散を図り、中野会問題に決着をつける方針だが、ネックとなっているのが、前回にも触れた後継若頭人事だ。捜査関係者も「中野会長に引導を渡すのは、後継若頭の役目。それが若頭就任の条件だが、後継が決まっていない現状では、(引退勧告に)動くに動けないので、中野会問題は事実上、タナ上げ状態。最近の定例会でも中野会の『な』の字も出ていない」と指摘。後継若頭人事が暗礁に乗り上げているのは、有力候補と目されていた若頭補佐の桑田兼吉・山健組組長(59)と司忍・弘道会会長(57)の2人が宅見事件後、相次いで銃刀法違反容疑で逮捕、起訴されたためだ。桑田組長は、すでに今年3月6日、東京地裁で懲役7年の判決を受けている。控訴したものの、保釈は認められず、不在の状態が続いている。司会長も大阪地裁で係争中で、山口組の有力筋は「これまで若頭人事が最高幹部会の正式な議題として協議されたことは一度もない」という。一般企業でいうと、若頭という役職は「専務」にあたる。当然、「社長」である親分が次の若頭を指名できるが、過去の山口組の慣例からは、まず最高幹部会で協議したうえで、若頭を選出し、親分の承認を得て正式決定する運びになっている。だが、最高幹部会では不在の2人に遠慮してか、協議を行えないでいる。警察当局の新・頂上作戦が的中したわけだ。後継若頭が未決定のため、宅見若頭の組葬も開催のメドがたっていない。通常、一周忌までに組葬が営まれる。山口組執行部では、生前の宅見若頭の功績から射殺された直後に「後日、改めて組葬を営む」と決定・通達したが、「組葬がのびのびになっているのも、新しい若頭(かしら)が執行委員長を務めることになっているからや。若頭が決まって、中野会問題にかたがついたら組葬を営むことになるやろ」(別の山口組関係者)という。若頭ポストが3年近くも空席というのは、山口組の歴史をひもといても過去にない。その意味でも異常事態なのだが、暴力団担当のベテラン捜査員はこう言い切る。「決まらん理由は有力候補が捕まっているだけやない。宅見があまりにも偉大すぎて、後継者が育たんかったのが原因や。3代目の田岡が死んで、4代目の最有力だった山健(山本健一若頭)が急死した時と同じで、抜きんでた実力者がおらんからや」山口組は4代目をめぐり、一和会との分裂を起こし、骨肉の争い「山一戦争」を繰り広げた。苦い経験を知る執行部としては、現状を維持するのがやっとなのだろう。(山口組取材班)http://www.zakzak.co.jp/tsui-sat/tsuiseki/contents/0805_02.html若頭射殺から3年(1)http://www.zakzak.co.jp/tsui-sat/tsuiseki/contents/0805_01.html若頭射殺から3年(3)http://www.zakzak.co.jp/tsui-sat/tsuiseki/contents/0805_03.html若頭射殺から3年(4)http://www.zakzak.co.jp/tsui-sat/tsuiseki/contents/0805_04.html六代目山口組(2005年07月28日)http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200507280000/【五代目山口組】新若頭補佐のプロフィール(2005年06月30日)http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200506300000/山口組若頭とは何か(2005年06月06日)http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200506060000/五代目山口組の若頭が決定した(2005年05月11日)http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200505110000/どうなる五代目山口組若頭(2005年02月01日)http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200502010000/
2005年08月08日
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中国海洋石油による「ユノカル買収劇」はいったいなんだったのだろうかと考えている最中なんだが、それはともかく、エクソン・モービルとロイヤル・ダッチ・シェルの会長が近く退任するとともに、両社とも新しい会長が決まったようである。エクソン・モービルの現会長リー・レイモンドが今年末で退任し、後任にはレックス・ティラーソン社長が昇格するもようである。ティラーソンはテキサス州出身で75年にエクソンに入社し、2004年からエクソン・モービルの社長を務めている人物。エクソンが先週発表した決算では、第2四半期(4-6月)として過去最高益となったようである。一方、英蘭ロイヤル・ダッチ・シェルは、2006年6月に携帯電話機最大手のノキア(8月1日のプレスリリース:ノキア、経営陣の継承計画を発表)からヨルマ・オリラ会長(CEO)をロイヤル・ダッチ・シェル会長に招へいする人事を発表した。シェルの現会長は、2003年に英国から「ナイト爵」の称号をもらったサー・フィリップ・ワッツ(Sir Philip Watts)が「原油埋蔵量の水増し問題」で失脚した後を継いだ人物、ご存知ビルダーバーグのメンバー(2005年ドイツでのビルダーバーグ会議に出席している)であるイェルーン・ヴァン・デル・ヴェール(Jeroen van der Veer)が2004年から務めている。ヴェール会長の後任となるヨルマ・オリラは、シティコープ(現シティグループ)などを経て1985年にノキアに入社した人物として知られている。ノキアでのCEO就任は92年であるから、ノキアのトップに13年間君臨していたことになる。※ 最近、石油・ガスの無機起源説に脚光、つまり石油資源は無尽蔵にあるのではないかという「説」が有力視されてきているようである。・原油の無機起源説に脚光・石油資源は無尽蔵?・ロシアはピークオイルがシオニストの嘘だと証明したhttp://blog.livedoor.jp/ayaka222a/archives/29483255.htmlエクソン会長退任へ2005年08月05日(金) エクソン・モービルのレイモンド会長兼CEOが今年いっぱいで退任します。レイモンド会長は、99年のモービルとの合併を指揮し、エクソン・モービルを純利益で世界最大の企業に育てました。後任にはティラーソン社長が指名される見通しです。一方、ロイヤルダッチシェルでは、世界トップの携帯メーカー、ノキアのオリラCEOが来年6月から会長に就任します。 http://www.tv-tokyo.co.jp/biz/nms/days/050805/n3.htmシェル会長にノキアのオリラ氏・来年6月に就任英蘭ロイヤル・ダッチ・シェルは4日、来年6月に携帯電話機最大手のノキア(フィンランド)のオリラ会長兼最高経営責任者(CEO、54)を会長に招へいする人事を発表した。シェルは埋蔵量の相次ぐ下方修正などで投資家の信頼を失っており、経営の透明性など企業統治の改革を約束してきた。ノキアの躍進を支え、経営手腕に定評のあるオリラ氏に白羽の矢を立てた。オリラ氏は今月1日、来年6月にCEOを譲り、経営の一線から退くことを発表した。ノキアにも非常勤の会長としてとどまるが、オランダのシェル本部に週2―3日出社して経営陣に助言する。オリラ氏は「エネルギー産業が転換期にある時に巨大なグローバル企業で働けるのは素晴らしい機会だ」と述べた。シェルは昨年1月から経営の重要指標である埋蔵量を5回も下方修正したほか、先月はロシア・サハリン沖の天然ガス事業の総事業費を当初予定の2倍の200億ドルに引き上げて投資家を再び怒らせた。社外からオリラ氏を招き、社風を改革する。(ロンドン=佐藤紀泰) (10:16) http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20050805AT2M0500705082005.htmlエクソンモービル、レイモンドCEOの後任にティラーソン社長ニューヨーク(ウォール・ストリート・ジャーナル)メジャー(国際石油資本)の米エクソンモービル(NYSE:XOM)は4日、リー・レイモンド会長兼最高経営責任者(CEO、66)が今年末で退任すると発表した。後任にはレックス・ティラーソン社長(53)が昇格する予定。同氏は2004年3月に社長就任が決まった時点で、会長兼CEOの後継候補となった。同社によると、取締役会はティラーソン氏をレイモンド氏の後継者として承認する見通し。ティラーソン氏は、ゼネラル・エレクトリック(GE)のジェフリー・イメルト氏が2001年にジャック・ウェルチ氏からCEO職を引き継いだ時と同様のジレンマに直面している。前任者の伝説にどう従うかということだ。レイモンド氏は1993年、当時好調だった旧エクソンのCEOに就任し、あらゆる点でさらに大きな成功を収めた。99年には同業のモービルとの合併を巧みに指揮した。エクソンモービルは時価総額でみると、米国の上場企業で最大であり、世界の上場エネルギー企業のなかでも最大。一部のアナリストは、原油価格が変動しても同社の財務が安定していたのは、レイモンド氏の厳しく管理する経営スタイルがカギを握っていたと考えている。そして、ティラーソン氏も同様に厳格で実践的な手法をとるかどうかに注目している。ケンブリッジ・エネルギー研究所のダニエル・ヤーギン会長は、「ティラーソン氏の下で同社が成長を続けるには、規模もコストも大型化しているプロジェクトのリスクについて話し合う必要がある。大規模な新プロジェクトの費用は、レイモンド氏がCEOに就任した当時は数億ドルだったが、将来は100億ドルを超える」と指摘した。ティラーソン氏は、社長に指名されて以来、公の場に出ることが多くなった。円滑なCEO継承の計画を印象づけるために、レイモンド氏とともに投資家やメディアの前に現れることも多かった。業界関係者は、社外の人たちからは短気だと言われているレイモンド氏に比べ、テキサス州出身で75年にエクソンに入社したティラーソン氏は物静かで上品な物腰だと感じている。それ以外、経営スタイルについては両者の違いはほとんどなさそうだ。長年CEOになるための経験を積んできたティラーソン氏は、エクソンモービルの中核である生産畑を歩んできたところなど、これまであらゆる点でレイモンド氏と同じ道をたどっている。ティラーソン氏は、未開発の大型油田が残っている数少ない地域の一つであるロシアへの投資計画を立案した。同氏は、収益力が頂点にある企業のトップに立とうとしている。昨年は、需要増と供給懸念で原油価格が上昇したことから、同社の利益は過去最高の253億ドルとなった。今後は、経過年数の長い油田に代わる、豊富な埋蔵量の油田を探し出し、成長を続けるための方法を見つけなければならない。ただ、大規模な油田を確保するのは次第に難しくなってきているため、この責務はより困難で、より多くの費用がかかり、これまで以上に競争が激しさを増すとみられる。さらにエネルギー企業は、原油を入手するために、地理的・政治的に対立する地域での巧みなかじ取りを迫られる。エクソンモービルの利益が大幅に増加していることから、同社が今後数十年間首位を保つために必要な、原油と天然ガスの新たな供給源を保証するために、豊富な手元資金を積極的に使うべきなのに、レイモンド氏はそうしていないと、一部の投資家は批判している。同社は先週、設備投資と探査のための支出は4-6月期に増加したと明らかにしたが、「市場に供給不安が広がったからといって、十分に検討せずに投資を増やすことはしない」と落ち着いている。ティラーソン氏は4月のウォール・ストリート・ジャーナルとのインタビューで、「生産の拡大よりも利益拡大を重視する」との姿勢を示した。同氏によると、エクソンモービルは、開発可能な地域に原油換算で約730億バレル相当の埋蔵量を確保しているという。以前は生産が難しかったような地域でも生産できるようにするための新技術を開発し、供給量を増やすのが最優先課題だとしている。またティラーソン氏は、「地球温暖化という厄介な問題についても、レイモンド氏と同様に科学的な方法で取り組む」としている。同業の英BP(NYSE:BP)やロイヤル・ダッチ・シェル(NYSE:RDS.A、RDS.B)は、代替燃料の開発促進を目指し、環境に配慮した立場をとっている。http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/media/djAUG7968.html石油メジャー(2005年04月16日)http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200504160000/※ ビルダーバーグで少し気になっていたことを思い出したのだが、ビルダーバーグのメンバーだったウィム・ドイセンベルク(ウィレム・ダウゼンベルヒ)欧州中央銀行(ECB)前総裁(初代総裁)が7月31日に“死”んでいる。サウジアラビアのファハド国王や自民党衆院議員の永岡洋治の「死去」による報道が大きかったためか、あまり大きく扱われていなかったようであるが、簡単に報道を抜粋すると以下のようだったようである。オランダ中央銀行総裁を務めたオランダ出身のウィム・ドイセンベルクは、7月31日、フランス南部のオランジュ近郊にある別荘で死亡しているのが見つかった。70歳。ドイセンベルクはアビニヨンに近いフォコンの別荘に滞在していたらしいのだが、プールで心臓発作を起こし水死した模様とCNNが報じている。共同通信によると、救急隊が蘇生を試みたが手遅れだった。自宅はアムステルダムにあったようである。プールではなく、家の中で死体が発見されたとしている記事もあるようである。動機は不明だが、“事件”を想像してしまうのは、私だけであろうか。詳しい記事は以下で。8月1日のメモ・ECB前総裁が死去 仏南部の別荘で見つかる・「ミスター・ユーロ」・ドイセンベルクECB前総裁が死去・欧州中銀の初代総裁、ドイセンベルク氏が死去・ドイセンベルク・前ECB総裁が死去・Wim Duisenberg死去http://blog.livedoor.jp/ayaka222a/archives/29388876.html
2005年08月05日
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現在、通貨(紙幣)を発行しているのは日本銀行である。そして現在の日本は財政赤字状態にある。税収が45兆円ほどであるが、国債の利払いだけで18兆円が消えている。財政赤字を“やりくり”する方法にはいくつかあるが、日本は、主に国債の増刷と「国債サイクル」の維持で“やりくり”しているようである。財政赤字は国債発行が必要とされている。日銀保有の金塊がFRBの金庫にあるように、財務省が保有する米国債も現物は日本にはないという。イラクの外国資産が凍結(没収)されたように、米国債を引き出しドルの信用を落とすような動きがあったなら、米国はそれらを封鎖・凍結する可能性すらある。したがって米国債を売ってそれで財政赤字を穴埋めする方法は現実的ではない。現在の日本の借金は約95%が国内から(自国通貨で)調達されているので、幸か不幸か、破産はしない。しかし、国債費が税収の半分近くを占めている状況は、どうみたって異常である。このままいけば、利払い費が税収を超える日も遠くないうちに訪れるかもしれない。超低金利の現状からもし金利が上昇すると、利払い費が増加することになる。この借金(利払い)地獄から脱出する方法があることにはある。それは国家が紙幣を発行することである。「政府紙幣」の発行である。中央銀行だけが紙幣を発行している現状からの脱出でもある。政府が紙幣を発行するということは、これは国債と違って借金ではない。したがって政府紙幣で現存する国債を買い取ってしまえば、利払い費も削減されることになる。ただし、ハイパー・インフレにならないように政府紙幣の発行限度を慎重に制限する必要があるだろう。国債発行も政府紙幣発行も、インフレ圧力は同じと見てよいだろうと思う。現在の日本はデフレ経済であるが、無制限に政府紙幣を発行すればハイパー・インフレになるのは当然である。しかし政府紙幣発行は、大きなリスク・危険を孕む「政策」であることを同時に理解しなければならない。それは、中央銀行を通じ貨幣を発行し、通貨の流通が貸し付けから始まるという現在の「経済システム」を崩壊させてしまうほどの威力をもつ強烈な手段が政府紙幣の発行だからである。政府紙幣の発行で国債を発行する必要がなくなるのである。つまり、国際金融家がイングランド銀行の設立から300年以上も「維持」してきた権益(経済システム)を破壊してしまう行為が政府紙幣の発行であると理解しなければならないだろう。日本が政府紙幣を発行するということは、国際金融家=英米政権の反対を押し切り“宣戦布告”する覚悟と、その後の“制裁”を受ける覚悟が必要となるだろう。いずれ政府紙幣は日銀券を駆逐することになると考えられる。貸し付けから始まる“悪貨”は駆逐されるはずである。日本がもつ産業力=供給力を維持することを忘れてはならない。バブル形成やいままでの国債発行を見てわかるように、政府紙幣発行に制限を掛けるのは難しいと考えられるので、政府紙幣発行は限定的なもの(新規国債発行の代わりと利払い費とか)にするのが“良策”のような気がするのだが……国民の税金が借金(国債)の利払いに消えることを防ぎ、現在の財政状況を“好転”させる方法は、政府紙幣の発行が唯一の方法なのかもしれない。しかし、政治的に政府紙幣を発行することが本当に可能なのだろうかという疑念が私の中では消えない。つまり政府紙幣の導入は、日本が独自で進めるのではなく、欧米の経済学者(や政府)を巻き込んで声を大にして議論し、導入への道を開いていく必要があるのではないか。政府紙幣の導入は、間違いなく国際金融家の利害と衝突するものである。英米の反対を押し切って強行的に政府紙幣を導入したら、それは“宣戦布告”と等しい行為になる可能性が高い。つまり輸出入の停止などの“制裁”を受ける覚悟も必要なのではないか。わたし自身は、導入は現実的ではないが、政府紙幣の発行に反対はしない。ただし導入には政治的なリスクを軽減する必要があるだろうと思っている。以下、「政府紙幣発行を」という記事を、8月1日の「日本海新聞」より転載。一月三舟 -岩國 哲人- 「政府紙幣発行を」2005/08/01の紙面より(日本海新聞)必要なお金を調達するために、世界の政府や大企業が債券や株式を発行する。そういう世界で三十年、米国で、欧州で、日本で、私は証券の発行と引受の仕事に携わってきた。政府が足りない財源を手当てしようとする時には四つの方法がある。まず第一に税金を増やす。第二に国債を発行する。第三に政府通貨を発行する。第四の方法としては国有財産の処分である。この第四の方法は、政府の土地、建物、道路とか郵便などの政府所有の事業を民間に売却することだが、金額も限られているし、何度も繰り返すわけにはいかないから、結局方法としては増税、国債、政府通貨の三つしかない。好景気であれば国民に痛みを与えない増税も可能だが、バブル崩壊後のわが国の十五年間は、とても増税を許すような環境ではなかった。にもかかわらず、九七年に目先の財政再建にとらわれすぎて強行した橋本内閣の増税が、家計を傷め、個人消費を停滞させ、不良債権を増大させた。そして倒産の増加と銀行破たんヘの対応に追われ、さらなる税支出を要することになり、悪循環を引き起こしたことは記憶にも新しいことである。国債大量発行で借金地獄増税が失敗だったと気付いた自民党政府は、もう一つの方法、国債発行へと急傾斜する。その結果、国債発行は橋本、小渕、森、小泉内閣のもとでわずか八年の間に三百兆円も増加し、国内総生産の規模五百兆円を大きく飛び抜けて七百兆円。言うまでもなくわが国の歴史始まって以来の巨額な借金となり、GDP比率で他の先進国と比較しても堂々たる世界一の借金大国となってしまった。昨年の数字で見れば、一年間の税収四十五兆円に対して利払費が十八兆円。政府の将来見通しでも十年後は税収五十兆、利払二十兆と、税収の四割を、借金返済に回すどころか、利払いだけに回さなければならないという自転車操業。福祉の充実など夢のまた夢。サラリーマン家庭に例えてみるなら、月給五十万円を手にするや、脱兎のごとくサラ金へ走り、二十万円の利子を支払い、その場で家計の不足分二十万円を新たに借りて借金の残高がまた二十万円増えて来年の利子もそれに応じて増え、借金の山が雪だるま式に増えて、いずれは利払費が五十万円になる。借金をまじめに返そうと思えば、飲まず食わず電気も使わず、家賃を払うどころではない。毎月の給料の全額を利払いだけにひたすら充当し、借金残高は一銭たりと減らず、親から子へ、子から孫へと、「借金(かりがね)一家」の悲惨なホームレス、青テント暮らしが永久に続く。それでもまだ甘すぎるかも知れない。今は超低金利のゼロ金利政策が実施されているからこそ国債の年間利払額が十八兆円とか二十兆円で済んでいるが、これが通常の金利に復帰すると、利払費は増え、借金残高が増え、借金地獄への転落スピードが加速する。働いても働いてもラクになれない。(税金を)払っても払っても安心できない。平和国家も福祉国家も文明国家も遠くへ遠くへと消えてゆくばかりではないか。政治の英智と勇断が今こそ必要だ。デフレ経済下で唯一の方法この恐ろしいシナリオから一日も早く脱出して、明るく元気な日本を取り返す第一歩を踏み出す方法は一つしかない。政府紙幣の発行である。増税は新たな増税を産み、国債発行は新たな国債発行をもたらす。増税も不要、国債増加も不要の政府紙幣発行こそがデフレ経済のもとでは可能な唯一の方法であり、救国の発想である。国境を越える通貨「ユーロ」が誕生して「多国一通貨」が実現し、一方では小地域内でのみ通用する地域通貨「一国多通貨」も実現した。いわゆる「一国一通貨制」を絶対普遍の法則と思い込む必要はないし、中央銀行だけが紙幣発行を独占できるというのは錯覚でしかない。加えて二十一世紀のグローバル現象である。人間に国籍はあってもカネには国籍のない時代がやってきた。日本の資産家の運用対象も、政府が勧めようと勧めまいと、円証券だけでなく、ドル、ポンド、ユーロの証券にも向かい、「資産の多通貨時代」が始まっている。わが国の通貨の歴史を紐(ひも)といても、むしろ複数の通貨が発行され、流通していた時代がほとんどであった。江戸時代、鎖国体制のもとに国内産業の振興と物資の流通が進展した時代に、貨幣の役割も当然のことながら飛躍的に高まり、その中心となったのが「銀貨」と、徳川政権で発行された「金貨」であった。金貨は東日本で、銀貨は西日本で流通し、しかもその交換レートは変動しながらも十分に信用され、日本の通貨としての機能を果たしてきた。政府通貨発行で財源確保政府の立場に戻して考えるなら、国債という「借金」ではなく政府自身の通貨を発行すること。攻める財政をさらに一歩進めるなら、現存する国債を政府紙幣で買入消却して年間二十兆円の利払負担を削減すること。仮に十兆円減らせばその十兆円を年金財源に充当するか、少子化対策に使うか、道路公団の借金を返済して、四十五年後ではなく、四年後に高速道路無料化を実現して経済の活性化と税収増加に結びつけることもできる。このように、政府通貨発行で十分な財源を確保すれば景気の回復は間違いない。景気回復が税収増をもたらせば、増税内閣どころか、国民待望の減税内閣が実現する。政府だからこそできる、政府だからこそやらねばならないことをやらない、そういう無為無策、無能無気力の政府には三文の価値もない。おカネを合法的に印刷できるのは日本銀行と政府である。政府通貨は今でも五百円、百円などの硬貨発行の形で行われている。政府通貨は、見方を変えれば、「無利子の、返済期限のない、買い物にも使える、国債」とも言えるだろう。新しい通貨の発行は景気の過熱やインフレを招くのではないかと懸念する人があるかも知れないが、政府通貨も国債もその発行限度は国会などで厳しく審議されなければならない点で共通しており、国債発行なら安心、政府紙幣発行ならインフレという議論には全く根拠がない。金利ゼロで銀行などに大量の資金を供給する超金融緩和策を何年も続けている異常な金融政策の最大の理由は国債の受け皿を作ることである。日銀が全額買い受けることは禁止されているために、民間の金融機関にコスト・ゼロでカネを提供して国債で収益を挙げさせる…、これは偽装された日銀引き受けであり、日銀財務諸表の粉飾決算であり、カネボウの粉飾問題と何ら異なることがない。国家ぐるみの偽装や粉飾から一日も早く脱却し、誇り高き経済国家への道を進むべきではないか。(衆議院議員、元出雲市長) http://www.nnn.co.jp/rondan/sansyu/050801.html※「政府紙幣発行を」と言っている衆議院議員・岩國哲人とは、民主党「次の内閣」国土交通大臣、民主党「次の内閣」政治改革担当大臣などと言われた人物である。1959年:東京大学法学部卒業1959年:日興證券株式会社入社1977年:二人の娘の教育のため銀座支店長栄転の辞令を返上し、モルガン・スタンレー投資銀行へ1984年:世界最大の投資銀行、メリル・リンチ社へ 日本法人の社長・会長に1987年:メリル・リンチ社本社上席副社長に就任2004年:1月~ 民主党「次の内閣」国土交通大臣 国土交通委員会委員 武力攻撃事態等への対処に対する特別委員会委員 政治倫理審査会筆頭幹事 国土開発幹線自動車道建設会議委員 10月~ 民主党「次の内閣」政治改革担当大臣 予算委員会委員 財務金融委員会委員 政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会委員
2005年08月03日
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米経済誌フォーブスが「世界で最も影響力のある女性100人」を28日に発表した。1位は2年連続でコンドリーザ・ライス米国務長官だった。日本人からはダイエーの林文子会長が66位に選ばれている。全ランクを見たい人は、上の「世界で最も影響力のある女性100人」をクリックして直接フォーブスのサイトでご覧下さい。ここ2日間で5件の日記をアップして疲れぎみなので100人全員を紹介する気にはなれません(笑)1.コンドリーザ・ライス(米国務長官)2.呉儀(中国副首相)3.ユリア・ティモシェンコ(ウクライナ首相)4.グロリア・アロヨ(フィリピン大統領)5.マーガレット・ホイットマン(イーベイ社長兼CEO)6.アン・マルケーヒー(ゼロックスCEO)7.Sallie Krawcheck(Citigroup)8.Brenda Barnes(Sara Lee)9.オプラ・ウィンフリー(テレビ番組司会者)10.メリンダ・ゲイツ(ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団)15.アウン・サン・スー・チー26.ヒラリー・ロダム・クリントン(上院議員)46.ローラ・ブッシュ(ファースト・レディ)66.林文子(ダイエー会長兼CEO)66.ルイーズ・フレシェット(国連副事務総長)1.コンドリーザ・ライス(米国務長官)2.呉儀(中国副首相)3.ユリア・ティモシェンコ(ウクライナ首相)4.グロリア・アロヨ(フィリピン大統領)5.マーガレット・ホイットマン(イーベイ社長兼CEO)6.アン・マルケーヒー(ゼロックスCEO)7.Sallie Krawcheck(Citigroup)8.Brenda Barnes(Sara Lee)9.オプラ・ウィンフリー(テレビ番組司会者)10.メリンダ・ゲイツ(ビル・ゲイツ夫人)トップスリーまでは「灼熱」でも過去に取り上げています。「コンドリーザ・ライス国家安全保障問題担当・大統領補佐官」(2004年11月16日)「呉儀」(2005年05月23日)「ユリア・ティモシェンコ」(2005年02月10日)にはティモシェンコの画像があります。「世界で最も影響力ある女性100人」…1位ライス 2位ドタキャン呉副首相 【ニューヨーク28日=時事】米経済誌フォーブスは28日、「世界で最も影響力のある女性100人」を発表し、トップに2年連続でライス米国務長官=写真=を選んだ。2位は中国の呉儀副首相、3位にはウクライナのティモシェンコ首相が入った。同誌はメディアへの登場回数や経済的な影響力を考慮してランキングを作成した。日本人では、ダイエーの林文子会長兼最高経営責任者(CEO)が66位。世界的ベストセラー「ハリー・ポッター」シリーズの作者J・K・ローリングさんは40位にランクインした。米大統領選挙の年だった昨年、4位と5位を占めたブッシュ大統領のローラ夫人とクリントン前大統領のヒラリー夫人(上院議員)はそれぞれ46位、26位に順位を落とした。一方、昨年8位のメガワティ・インドネシア前大統領は再選に失敗したのが響いて圏外に。同誌は今年4位に入っているフィリピンのアロヨ大統領についても「間もなく同じように消える可能性がある」と指摘している。ZAKZAK 2005/07/29http://www.zakzak.co.jp/top/2005_07/t2005072920.htmlライス長官が首位=最も影響力ある女性-米誌番付 【ニューヨーク28日】米経済誌フォーブスは28日、「世界で最も影響力のある女性100人」番付を発表し、国家元首や芸能人、企業トップを差し置いてコンドリーザ・ライス米国務長官が首位に選ばれた。ライス長官は2004年の番付でも、米大統領補佐官(国家安全保障担当)としてトップにランクされており、2年連続の首位。2位も2年連続で中国の呉儀副首相が選出されたが、他のアジア女性は軒並みランクを落とした。昨年8位のメガワティ・インドネシア前大統領は再選に失敗したのが響いて10位どころか、100位のランク圏外に消えた。昨年3位のインド与党・国民会議派のソニア・ガンジー総裁も同様に、圏外。政治的危機に直面しているフィリピンのアロヨ大統領は4位、3位にはウクライナのティモシェンコ首相が入った。経営者では、オンライン競売大手イーベイのホイットマン社長兼最高経営責任者(CEO)がトップ、全体では5位にランクされた。ゼロックスのマルケーヒーCEOが6位。テレビ番組司会者のオプラ・ウィンフリーさんが9位、前年の62位から躍進した。10位は米マイクロソフトのビル・ゲイツ会長の夫人で慈善団体ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団の共同設立者、メリンダ・ゲイツさん。そのほか、クリントン前大統領のヒラリー夫人(上院議員)が26位、世界的ベストセラー「ハリー・ポッター」シリーズの作者J・K・ローリングさんが40位、ブッシュ大統領のローラ夫人が46位。(時事通信) - 7月29日9時9分更新http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050729-00000037-jij-entルーカス監督が年収トップ フォーブス誌の著名人番付【ニューヨーク27日共同】米経済誌フォーブス最新号は「世界の著名人番付」を発表し、映画「スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐(ふくしゅう)」が公開されたばかりのジョージ・ルーカス監督が4位に入った。年収は2億9000万ドル(約316億円)でトップだった。著名人番付は年収やメディアへの露出度を基に同誌が独自に作成。首位は米国で週に3000万の視聴者を引き付け、世界112カ国で番組が放送されている人気トークショーの女性司会者、オプラ・ウィンフリーさんで、2位はプロゴルフのタイガー・ウッズ選手、3位は俳優で映画監督のメル・ギブソンさん。また、女子テニスのマリア・シャラポワ選手が年収1820万ドルと、女性スポーツ選手の最高額所得者となり、57位に入った。日本人は発表になった100位以内に誰も入らなかった。(共同通信) - 6月28日8時32分更新http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050628-00000037-kyodo-soci
2005年07月29日
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昨日も少し触れたことだが、イングランド銀行が確立されたことは現在の我々にも大きな影響を与えている。そこでもう少し、このイングランド銀行を検証したい。イングランド銀行の設立が1694年であり、このイングランド銀行が近代的中央銀行制度の模範になっていると言えることから、イングランド銀行が設立されたことの意味やその背景を考えることで何かが見えてくるかもしれないと思っている。現在の日本を支配しているのは米国であるが、日本が米国に支配される前の日本の支配者は英国だったと思っている。政治的支配力も重要だが経済的支配力もわれわれの生活を大きく左右する。日本の中央銀行は日銀券を発行する「日本銀行」であり、日本銀行の設立は明治である。この時代の支配者は英国であり、明治維新そのものが英国による“演出”であった。戦後になって米国が日本を支配するようになると、戦後直後の日銀総裁が就任に占領軍の承認を得ていたことからも見えるように、日本銀行は米国の意思を強く反映する機関になった。しかしこれは、支配者が英国から米国に代わったように見えるが本当は同じ“勢力”だと思っている。ロンドンからニューヨークに活動拠点を移した“国際金融グループ”が日本を含む「先進国」の経済をコントロールしているからである。この「国際金融家」の経済的権力掌握が明確に確立されたのがイングランド銀行の設立にあったとしたら、米国の連邦準備制度(FRB)を「私有」し、さらには各国の中央銀行を「管理」するスイス・バーゼルの国際決済銀行(BIS)を「私有」することも、イングランド銀行を「私有」した同じ「国際金融家グループ」であると理解できるだろうと考える。同時に、世界銀行もIMFも「国際機関」の仮面をかぶった“私有機関”であると判断できるはずである。まず、イングランド銀行設立の時代の統治者に注目することが重要だろう。イングランド銀行に独占的な発券権利=通貨発行権を与えた統治者(国王)とそれ以後の統治者(国王)ということになる。女王エリザベス1世(テューダー家)が亡くなるとスコットランドからジェームズ6世がやってきてジェームズ1世として君臨した。スコットランドの王朝はスチュアート朝だったことから、この1603年がイングランドでのスチュアート朝の始まりである。ジェームズの子であるチャールズが1625年から国王になると、不満の蓄積が爆発したからか革命(清教徒)が起こり処刑されてしまう。その後、王政復古によりチャールズの息子であるチャールズ2世が1660年に亡命先(フランス)から帰国し国王となり、1685年に亡くなると、チャールズ2世の弟であるヨークがジェームズ2世として王位を継いだ。ジェームズは前国王と同じように親仏派だったと言われている。このスチュアート朝時代には、イギリス東インド会社とオランダ東インド会社がアジア地域の貿易支配で争っていたように、経済的に全盛期にあったオランダと戦争が行なわれていた。そして世界貿易においてイギリスがオランダを圧倒するようになった。この時代のオランダの統治者は、現在も存続しているドイツ起源のオラニエ家(オレンジ公)である。さて、ジェームズ2世のときに起こったのが1688年の「名誉革命」である。この「名誉革命」でジェームズ2世はフランスに亡命(追放)した。このときオランダからやってきたのがオランダ総督オレンジ公ウィリアム(オランダ名でウィレム)である(ウィリアムの妻はジェームズ2世の長女メアリー)。そしてこのウィリアム(3世)が1689年に統治者として国王となり、ケンジントン宮殿で死去する1702年まで君臨した。これにより英蘭戦争を繰り返していたオランダとは“同盟”のような関係(正確にはメアリーとの結婚からとも言える)になったが、ウィリアムの「敵」であるルイ14世が君臨するフランスとの戦いに引き込まれていくことになる。これによって戦費(借金)が増大したはずである。フランスとイギリスの「スペイン継承戦争」や植民地アメリカ大陸での植民地争奪戦などは“ブルボン王朝と名誉革命政権との戦争”と言えるだろう。イングランド銀行の設立は1694年であるからこのときの国王はウィリアム3世(メアリーとの共同王位)であり、イングランド銀行に発券業務=通貨発行権を与えた(特許)のはウィリアム3世である。ウィリアムはオランダとイングランドとスコットランドこれら3国の君主だったわけだが、イングランド銀行を設立したのは、初代大蔵卿チャールズ・モンタギュー(ハリファックス伯爵)とスコットランド人のウィリアム・パターソンであった。チャールズ・モンタギューはニュートンの弟子であり、ニュートンが造幣局長官に就任したのはモンタギューの任命による。また、1695年にはスコットランド銀行(発券銀行)も創業している。※ 追記サー・ジョン・フーブロン(Sir John Houblon:1632-1711)イングランド銀行創始者。1632年に7人兄弟として生まれる。フーブロンと他の兄弟4人はイングランド銀行設立メンバーとなり、1694年にフーブロンが初代総裁となる。在職期限の1697年まで勤務したが、亡くなるまで管理者として勤続しました。もうひとつ注目しておくことがある。ウィリアム3世が亡くなるとメアリー女王の妹アンが女王になるが、このとき1707年にスコットランドとの関係を「連合」から「合同」にした(グレート・ブリテン王国の成立)。イギリスはスコットランドからジェームズ6世がやってきてジェームズ「1世」を名乗って以来スチュアート王朝になったわけだが、これは「同君連合」であり国家としては別々であった(スコットランドはフランスと友好関係にあり“外国人”のウィリアムが国王になることをすんなり認めなかった)。この“併合”により以後のスコットランド(スチュアート朝)はイギリスの歴史に合流したことになる。注目するのは次である。アン女王が1714年に亡くなると、ドイツのハノーヴァー家からやってきたゲオルクがジョージ「1世」として国王になった。このとき王朝がスチュアートからハノーヴァーにかわったのである。ここから英国はハノーヴァー朝になった。21世紀の現在もこのハノーヴァー朝(現ウィンザー家)が続いている。ハノーヴァー朝はザクセン=コーブルク=ゴータという家名を持ち、オランダから独立したベルギーでは、初代ベルギー国王のレオポルド1世がザクセン=コーブルク=ゴータ家であり、これは現在も続くベルギー王国の起源になっている。上にも書いたように、オランダの統治者オラニエ家(オレンジ公)もドイツに起源を持つ。以上のことから見えてくるのは、この時代に英国は乗っ取られたということになる。英国に“寄生”した主体は「国際金融家」であろう。莫大な戦費を必要としていた英国に、イングランド銀行は国家の債券を担保に「銀行券」を発行していた。そして紙幣が発行されたのである。すなわち「金本位制」が本格的に確立されたということ。これは“大事件”である。商業銀行が金貨を預かり紙幣を渡すシステムになったことで何が起こるか。紙幣が流通し通貨として浸透してしまえば、金利目当てに金貨を預ける人が急増することはあっても、紙幣から金貨に交換する人は殆どいなくなる。「紙幣システム」が浸透しそれが安定すると、金貨を引き出す必要がなくなるのである。預金業務を行なう銀行に莫大な量の金貨が“吸い上げられた”のである。もっと言えば“盗まれた”つまり詐欺である。この金貨はイングランド銀行を中心とする金融家が“吸収”したはずだ。そしてイングランド銀行は民間銀行であり、イングランド銀行を「私有」していたのは預金業務を行なっている商業銀行の金融家たちなのである。通貨発行権を金融家に握られることはなんとしても阻止しなければならない。なぜなら、通貨発行権を国家が握っていれば国家が通貨(紙幣)を使うことで通貨を供給できる(たとえば、雇用するとか何かを買うという意味)が、通貨発行権を金融家が握ると流通は貸し付けから始まることになるからである。通貨供給が利息付きの「借金」から始まるという「経済システム」になる。イングランド銀行は金融家グループが握ったのである。金融家は、近代的中央銀行制度を確立しそれを掌握したことで「経済システム」そのものを支配できるようになったのである。国家=政府への貸し付けを通じ政策に影響を与えることで「国民の命運」まで掌握できるだろう。われわれが生きる現在の世界は、この「経済システム」のなかにいる。この金融家グループが米国に“公的な顔”をした連邦準備制度(FRB)を創設したのであり、FRBもイングランド銀行と同じように“公的な顔”をした民間銀行なのである。連邦準備制度は民間が所有しているので「連邦」ではなく、準備金の必要がない紙幣を“創造”するので「準備」でもない。連邦準備制度理事会も重要な存在だと思っているが、FRBの中枢はニューヨーク連邦準備銀行なのでここを支配することが最重要になるはずだ。ニューヨーク連銀の初代総裁はベンジャミン・ストロングであり、ストロングを総裁に推薦したのはモルガンとクーン・ローブ商会である。あの「ジキル島の会議」にはストロングも参加しており、クーン・ローブ商会の共同経営者であるポール・ウォーバーグと、J・P・モルガンのネルソン・オールドリッチ(ネルソン・ロックフェラーの祖父)が「ジキル島の会議」の中心である。連邦準備制度はポール・ウォーバーグの素案に沿って創設された。ベンジャミン・ストロングはモルガンのバンカ-ズ・トラストの頭取を務めていた。そして、ニューヨーク連銀の総裁となったベンジャミン・ストロングは、イングランド銀行の総裁モンタギュー・ノーマンと強固なつながりを持ち、英米の中央銀行は連動した。ノーマンはヒャルマール・シャハトの親友であった。この時代の中央銀行支配者は、ベンジャミン・ストロングとモンタギュー・ノーマン、そしてドイツ帝国銀行(ライヒスバンク)総裁のヒャルマール・シャハトであり、この3人は1927年7月に何やら重要な会議を開いていた。※ モンタギュー・ノーマンの祖父は2人(父方と母方)ともイングランド銀行の総裁を務めたらしい。ブッシュ家につながる「ブラウン・ブラザーズ」を支配していたのはモンタギュー・ノーマンである。ノーマンは1944年までイングランド銀行総裁を務めたが、1944年と言えば「ブレトン・ウッズ会議」である。ノーマンのお友達であるBISの理事だったシャハトはニュルンベルグ裁判(国際軍事裁判)で無罪になっている。こうした各国(といっても民間だけど)の中央銀行制度は各国の政治体制と経済を支配下におさめ、世界的な金融管理制度を創設した。もちろん日本も管理されている。こうした管理制度の頂点に位置付けられたのがスイス・バーゼルにある国際決済銀行(BIS)であり、日本銀行(日本政府が過半数の株を所有している)もBISにコントロールされているはずである。※ コメントへ続きます。
2005年07月29日
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これは下の続きです。下からお読み下さい。さて、先頭でも書いたが、英国のチャタムハウス(RIIA)と米国の外交問題評議会(CFR)は1902年に死んだセシル・ジョン・ローズ(1853-1902)のDNAをもつ機関である。本書はこれらの設立過程に詳しい。ローズに決定的な影響を与えた人物がジョン・ラスキンと書いてあるので、この人物は重要である。ジョン・ラスキン(1819-1900)は裕福なワイン商人の息子としてロンドンで生まれその財産を受け継いだ。オックスフォードを卒業したラスキンは美術・文学・建築・数学・ラテン語・ギリシア語を学んだ。プラトンの『国家』を「毎日といっていいほど読みふけった」ラスキンがオックスフォード大学で美術の教授職に就くと、ラスキンの着想は英国貴族社会の後裔である生徒たちに影響を与えることになる。キグリーの言葉をそのまま引用する。「ラスキンはオックスフォード在学生に、彼らが特権的支配階級の一員であると語りかけた。彼らは教育、美、法の支配、自由、上品さ、自己規律という気高い伝統を継承しているが、その伝統が英国下層階級や英国人を除いた世界の大衆に広まらない限り、この伝統を維持するのは困難であり、伝統が保存に値しないと語った。もし貴重な伝統がこの2つの大多数に広まらなければ、少数の英国上流階級はこの大多数の前に屈し、伝統は失われる。それを防ぐには、伝統が大衆と帝国に広まらなければならない」スクーセンの解説に従えば、この「衝撃的」なメッセージのあった就任記念講義をセシル・ローズという在学生が手書きで記録し、ローズは30年間それを手放さなかった。ところで本書から少し離れてしまうが、ローズの名前から頭に浮かぶものといったら「ローズ奨学金制度」が有名である。米国では1904年以降、すでに2800名を超えるローズ奨学生が誕生しており、ローズ奨学生で有名なビル・クリントンが大統領になったとき、その政権にはウールジーCIA長官やライシュ労働長官、タルボット国務副長官といったローズ奨学生が多かったため“ローズ奨学生政権”と言われたほどだった。ローズ奨学金制度のおそろしさは、これを日本に置きかえて考えると想像しやすい。若きクリントンにローズ奨学生として学ぶきっかけを与えたのは、上院で16年間も外交委員長を務めたフルブライト上院議員であり、フルブライト自身もオックスフォードで学んだローズ奨学生だった。このフルブライトがローズ奨学金を真似て設立したのが有名な「フルブライト奨学金制度」である。フルブライトは広島に原爆が投下された2週間後に「フルブライト計画」の法案を米国議会に提出していた。このことからフルブライト奨学金制度も敗戦国に対する植民地政策のようなものであり価値観を植えつける“洗脳教育”であると理解することが重要なのである。ローズ奨学金も旧大英帝国連邦の国がその対象であり米国も植民地だった経験をもつ。「フルブライター」と呼ばれるこの留学制度利用者は日本人だけで約6000人も存在する。本書に戻ろう。再びキグリーの言葉を引用する。「セシル・ローズの目的は、英語圏の人々を結集して世界中の全居住地を彼らの支配下に置くという野望に尽きる。このためローズは莫大な私財の一部を寄贈してオックスフォードにローズ奨学金を設立し、ラスキンの望みどおりに、英国支配者階級の伝統を英語圏に広めようとした」そしてローズのようにラスキンを崇拝するグループができ、そこにはあのアルフレッド・ミルナー(ミルナー卿)、アーノルド・トインビーなどがいた。同様のグループがケンブリッジにもでき、キグリーの表現に従えば「帝国主義者である英国一過激なジャーナリスト」のウィリアム・ステッドがこのグループをローズに引き合わせたことで、ローズとステッドは、ローズが16年間夢見ていた秘密ネットワークを組織した。これは公式には1891年2月5日とされている。このネットワークの“創始者グループ”として幹部メンバーになったのは、ステッド・ブレット(イッシャー卿)、アルフレッド・ミルナー、アーサー・バルフォア(卿)、ハリー・ジョンソン(卿)、ロスチャイルド卿、アルバート・グレー(卿)などであり、指揮を執ったのはローズである。支援組織(後にミルナーが組織する円卓会議)として知られる外郭団体もでき、こうして1891年3月までにネットワークの中核ができあがった。ローズが1902年に死んだ後は、ミルナーがローズ遺産の筆頭管財人に、ジョージ・パーキンがローズ信託財団の理事長に就いた。1905年まで南アフリカ総督兼高等弁務官を務めていたミルナーに仕え、ミルナーの影響下にあった者たちを称して「ミルナーの幼稚園児」と呼ばれたが、彼らは1909年から1913年にかけて英国の主だった属領や米国で「円卓会議グループ」を組織。そしてこのミルナーを中心とするグループが、ローズ支援者のエイブ・ベーリー(1864-1940)やアスター家から資金援助を受け、1919年に設立したのが王立国際問題研究所(チャタムハウス)となるようである。ローズが死んだ1902年は、連邦準備制度を米国に創設するためにポール・ウォーバーグが米国にやって来た年であった。ミルナーの幼稚園児たちが「円卓会議グループ」を組織し終えた1913年、米国では12月に連邦準備法が通過した。キグリーによると、「ローズ~ミルナーグループ」の権勢と影響力について、どれだけ大げさに言っても誇張ではないとして、一例としてロンドンタイムズの経営権を握っていたことを挙げている。その後1922年にロンドンタイムズの社主がアスター家となる。ミルナー自身は、1901年にロンドンのモルガン銀行から10万ドルという桁外れの年収を提示され共同経営者に加わってほしいと要請されたがそれを断り、ミッドランド銀行の前身であるロンドン共同出資銀行など多数の官立銀行の総裁におさまったとのこと。ミルナーに断られたモルガン銀行はE・C・グレンフェルにロンドン支社を任せ、それがモルガン・グレンフェル商会となった。ここで確認しておこう。国際金融家を代表する形でセシル・ローズがつくりあげたネットワークは、少数の「円卓会議グループ」だった。英国の「円卓会議」グループの創始者はアルフレッド・ミルナーである。ここから英国や属領に「円卓会議グループ」が組織され、これらの「円卓会議グループ」の活動拠点として構築されたのが王立国際問題研究所である。したがって王立国際問題研究所の中核は、各地に潜む「円卓会議グループ」となる。米国の外交問題評議会は王立国際問題研究所のニューヨーク支部としての役割を果たす。つまり外交問題評議会は「米国円卓会議グループ」の拠点であり、外交問題評議会の中核は、少数精鋭の「米国円卓会議グループ」となる。王立国際問題研究所と外交問題評議会は、「各地にある円卓会議グループ」の活動拠点であり、前線基地なのである。そして、英国ではミルナー・グループが、英国の支部である外交問題評議会ではモルガン・グループが、それぞれ牛耳っている。したがって前線基地である活動拠点(王立国際問題研究所と外交問題評議会)は「秘密ネットワーク」どころか逆にある程度は開かれた組織なのだろう。スクーセンによると、外交問題評議会(CFR)本部ビルはロックフェラー家から寄贈された。そしてCFRを公式に創設した功労者はエドワード・マンデル・ハウス大佐であり、そのハウスの補佐役としてウォルター・リップマン、ジョン・フォスター・ダレス、アレン・ダレス、クリスチャン・ハーターが厳選され、これらの補佐役はCFRの中核メンバーであるとするジョセフ・クラフトの弁を紹介している。CFRを財政的に支えているのは、どうやら、ロックフェラー財団、カーネギー財団、フォード財団などに代表される「非課税財団」のようである。これらの財団資金を通じて大学などの教育に影響力を行使しているようでもある。とまあ、いろいろとここまで抜き出してみたけど、後半以降はスクーセンの“演説”が独壇場になっていき、例えばその内容は、マッカーシーの話や共産党がどうだのソ連のスパイがどうだの・・・面白いと思うひともいるんだろうけど、わたし的には退屈な話であり、スクーセンのFBI的な思考による解説が全体の価値を下げているといった印象が強い。価値があるのは『悲劇と希望』から引用されたキグリーの「暴露」なのである。後半以降は『悲劇と希望』を引用することも検証することも忘れてしまったかのようにスクーセンが独占してしまう。とても残念でありもったいない。キグリーの『悲劇と希望』は、とても興味深い内容でありもっともっと検証する価値のある大書のような気がしてならない。歴史学教授として近代史を「暴露」したキグリーの『悲劇と希望』は、スクーセンが解説しながら引用する本書の数倍の重みがあるはずだ。これでは不十分であり、欲求不満になる。アルルさんがこの欲求不満を解消してくれるだろうと勝手に期待してみる。
2005年07月28日
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『世界の歴史をカネで動かす男たち』を他のいくつかの本と一緒に読んだ(といっても22日には読み終えていたんだが)。全体を通して特に目新しい発見はなかったように思うが、21世紀の現在でも英米の外交政策として全世界に大きな影響力をもっている英国のチャタムハウス(RIIA)と米国の外交問題評議会(CFR)の形成過程について、また、この周辺にいるセシル・ローズの遺志を移植された人物たちについて書かれた部分なんかは面白く読めた。70年に出版したこの本でスクーセンはビルダーバーグについても書いている。この本の著者であるW・クレオン・スクーセンは、1911年にカナダで生まれた米国人で、ジョージ・ワシントン大学を卒業し、法学学位、弁護士資格を得たあと、FBIに入局し16年間在職、FBIではフーヴァー長官の秘書官を務めた経歴があり、ソルトレークシティ警察署長、警察雑誌(法と秩序)編集長、大学教授という経験を積んできた人物のようである。本書の原書であるスクーセンが書いた『裸の資本主義者(Naked Capitalist)』は1970年なのでいまから35年前に出版されたものということになる。スクーセンはキャロル・キグリーという人物が書いた1300ページの大書である『悲劇と希望(Tragedy and Hope)』の中からいくつもの文章を抜き出し、それをスクーセンの立場や視点から解説することで自身の私見を述べる、こんな感じで最後まで進んでいく。監訳者は太田龍であり最後に「監訳者解説」として登場するが、またいつもの調子の彼独特の表現を使うのでそこをきちんと読み込むには彼の使う「単語」や「文体」に慣れていないと多少の“苦痛”を伴なうかもしれない(笑)。しかし、あくまでもこの本の著者はスクーセンであって太田龍は「邦訳者」である。しかし重要なのはスクーセンでもなく、資料と成りうるキグリーが書いた内容であり、太田龍が書くような難解かつ信用していいもんか考えるだけでも疲れてしまうような「解説」はどうでもよいのである(私はそれなりに楽しく読ませてもらっているが)。キグリーは1966年に1300ページの『悲劇と希望』を公刊した。これをスクーセンが研究し、『悲劇と希望』を引用しながら解説・注釈を加えたものが本書である。したがってもっとも重要なのは“インサイダー”であるキグリーの“暴露”内容ということになる。「訳者」の都合を考えずに勝手な感想を言えば、太田龍には、スクーセンの『裸の資本主義者』ではなく、キグリーの『悲劇と希望』を翻訳して日本に紹介してもらいたかった。なぜなら、スクーセンの解説・注釈に特に興味深いと思える部分はなかったし、スクーセンの解説が入ることでキグリーの書いている「エスタブリッシュメント=グローバリスト」の考えを複雑にしてしまっている印象が強いからである。「世界の権力構造を解明した作品」を書いたキャロル・キグリーは、学生時代のビル・クリントンの指導教授であり、ハーバード大学教授、プリンストン大学教授から国務省のキャリア外交官を育成するエリートコース、ジョージタウン大学の外交学科歴史学教授という経歴をもつ自他ともに認める「エスタブリッシュメント」の学者であり、「国際金融家」が描く世界を“希望”とし、それに抵抗することは“悲劇”でありもう手遅れであると語る人物として紹介されている。したがって『悲劇と希望』を書いたキグリーは、歴史学教授の肩書きを背景に「国際金融家」の現代史を描き、その「国際金融家」が動かす社会に肯定的な立場でいると思われることからグローバリストと表現でき、これは著者スクーセンの立ち位置とは対極になる。本書では権力の中枢を「国際銀行家」と表現しているが、個人的には銀行家よりも金融家(カネでカネを稼ごうとする人)と書くほうがしっくりくるので引用以外では「国際金融家」と表現する。本書でいう国際銀行家とは、英国では「マーチャントバンカー」、フランスでは「プライベートバンカー」、米国では「投資銀行家」と呼ばれるものを指しており、これらは貯蓄銀行や商業銀行などの「普通の銀行」とは異なっていると定義し、その理由を5つ挙げている。1.彼らは世界主義かつ国際主義の立場をとる。2.政府と癒着し、政府の負債問題にきわめて関心が高い。3.彼らの関心の的は債券であり、実際の商品にはあまり関心を示さない。4.したがって彼らは熱烈なデフレ支持者である。5.彼らは徹底的に秘密主義を貫き、政界の裏に財政的影響力をもつ。国際金融家として最大なのはマイヤー・アムシェル・ロスチャイルドの末裔であるとキグリーは書いている(私は違うと考えているが)。その他に具体的に名前の挙がっている銀行一族は、ベアリング、ラザード、アーランガー、ウォーバーグ、シュロダー、シーリングマン、シュパイヤーズ、ミラボー、マレット、フォールド、モルガンである。キグリーは世界史の中に燦然と輝く出来事として1694年のイングランド銀行の設立を挙げる。それは、紙幣を使うようになったこと(つまり金本位制が本格的に確立したことも含めて言ってるんでしょう)、銀行家が「無」から現金や預金、貸付金を“創造”したことと説明され、そしてイングランド銀行を設立したスコットランド人のウィリアム・パターソンが語った言葉、「銀行は無からつくりだされたあらゆる資金の利息をかせげる」で結んでいる。近代的中央銀行制度の確立と紙幣発行(金本位制)が本格的に確立されることになるイングランド銀行(発券銀行であり預金業務も行なう商業銀行という顔をあわせもつ民間銀行)の設立とは、歴史的な“大事件”だったのである。設立の中心人物は、ウィリアム・パターソン(創設者であり最初の取締役の1人)ともうひとり、初代大蔵卿チャールズ・モンタギュー(ハリファックス伯爵)であろうと私は思っている。ニュートンを造幣局長官に任命したのはモンタギューである。また、イングランド銀行設立の翌年に設立されたスコットランド銀行にも注目する必要があると考えている(創設者はホランドというスコットランド人)。これら発券銀行の設立がスコットランド人を中心とするものだったことは興味深いことである。イングランド銀行を“私有”した国際金融家グループが現在の米国にある連邦準備制度を“私有”しているのである。どちらも“公的機関を装った”民間銀行である。イングランド銀行に発券業務などを特許したのは「名誉革命」によって成立した新王朝である。集めた資金120万ポンドを利子付きで国王に貸し付けたのであるが、貸した120万ポンドに利息を付けて返してもらうだけで済むものを、貸し付けた金額と同額の発券(貨幣=通貨発行)を許したのである。つまり「無から120万ポンドが生み出された」わけである。これは「国債」という形で米国や日本の中央銀行にも取り入れられている制度である。「王政下のイングランド銀行は王に呑み込まれるか、銀行が王にとって代わるかである」と言われる所以である。独占的通貨発行権を握るものがその国の真の支配者となる。キグリーは書いている。1946年に労働党政権がイングランド銀行を国有化したにもかかわらず、「国際金融家」はいまだにそのいくつかを私有しており、コート(役員会)と呼ばれる重役陣には、ラザード、ハンブローズ、モルガン・グレンフェル、ならびに彼らが支配する企業からの代表が名を連ねた、と。1961年にイングランド銀行の総裁に指名されたのはベアリング(クローマー卿)であったとも。(参考までに、英国金融界を牛耳っていたのが、ベアリング・ブラザーズ、N・M・ロスチャイルド、J・ヘンリー・シュローダー、モルガン・グレンフェル、ハンブローズ、ラザード・ブラザーズなどの17社で、それは合計100人足らずの共同経営者を抱えたマーチャントバンカーという私企業であるとキグリーは書いてる)米国では1880年代から1933年にかけて金融資本主義の全盛期であり、この期間に金融家が莫大な富を結集させ構築した金融支配構造は並外れて複雑だったようである。ここにできあがった権力は、ニューヨークに本拠を置くJ・P・モルガンと、オハイオに本拠を置くロックフェラーであり、この2つが協力すると米国の経済界をほぼ支配できたし、少なくとも連邦レベルまでは政界もほぼいいなりだったと。英国では公的機関に変装したイングランド銀行を“民間”が私有し独占するとともに金融界を支配したが、同じような「金融支配センター」がフランス、ドイツ、イタリア、スイスにも誕生したと。米国でも中央銀行制度の確立が不可欠になったとされている。20世紀の初めころにはロックフェラーも銀行一族となり、チェース銀行とナショナル・シティ銀行を買収した。その後、チェースがウォーバーグのマンハッタン銀行と合体することでチェース・マンハッタン銀行が誕生する。米国の連邦準備制度(FRB)というのも、これまた民間が所有してるくせに“公的な顔”を持ち、実態は政府・財務省から「独立」している機関である。制度導入の中心人物であるポール・ウォーバーグは1902年にドイツからやって来た。ポールはクーン・ローブ商会のニーナと結婚し同社の共同経営者となり、ネルソン・ロックフェラーの祖父であるネルソン・オールドリッチ上院議員と共に制度導入の中心となって動いた。ここから「ジキル島の秘密会議」を経てハウス大佐なんかも登場しながら舞台が整い、1913年12月22日、ついに連邦準備法が通過する。FRBについては過去に私もここ「灼熱」で何度も取り上げて書いてるので、特に詳しくやる必要もないでしょう。政策などを動かしているのはニューヨーク連邦準備銀行でありここを所有している株主が最重要となる。こうした各国(といっても民間だけど)の中央銀行制度は各国の政治体制と経済を支配下におさめ、世界的な金融管理制度を創設した。もちろん日本も管理されている。こうした管理制度の頂点に位置付けられたのがスイス・バーゼルにある国際決済銀行(BIS)であり、日本銀行(日本政府が過半数の株を所有している)もBISにコントロールされているはずである。※ 文字数オーバーのため続きはこちら。
2005年07月28日
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山口組に大きな動きがあったようだ。渡辺五代目組長が退任し名誉総裁に就き、司忍若頭が六代目組長に就任する模様である。これによって司氏が山口組の頂点に立つことになる。また、ZAKZAKの記事によると、六代目山口組の若頭には二代目宅見組組長の入江禎若頭補佐が昇格する見通しだという。入江氏の若頭昇格が本当なら、入江氏は先月になって若頭補佐に昇格したばかりなので、英・瀧澤・桑田・古川・後藤といった若頭補佐を一気に飛び越えた衝撃的な「出世」を果たしたことになる。若頭が入江氏ということであれば、六代目山口組は「弘道会─宅見組」ラインで固まったということだろう。これは、もしも、司六代目に何かあった場合、入江氏が七代目を継ぐ可能性が高いことをも示唆している人事である。司氏が若頭に就任したのは5月であり、入江氏の若頭補佐就任も6月である。したがって今回の五代目体制から六代目体制への移行は、弘道会が二代目弘道会となった3月以前から動いていたことなのだろうと窺い知ることができる。また、組内で最大である山健組の桑田組長が不在中にこれらの動き(決定)が起こっていることから、今後の山健組の動向に注目したいと思っている。山健組からは先日2つの組織が直参に昇格しており、そのひとつ極心連合会の橋本氏は若頭補佐に昇格していた。これは山健組の力が分散したと受け取ることもできる人事なのである。以下、記事を転載する。山口組トップ交代…六代目に弘田組組長「司忍」が内定「六代目」誕生へ-。傘下に4万人弱の組員を抱える日本最大の指定暴力団、山口組(神戸市)の五代目、渡辺芳則組長(64)が退任し、次期組長に現在NO・2ポスト「若頭」を務めている篠田建市(通称司忍)弘田組組長(63)が内定したことが27日、兵庫県警の調べで分かった。トップ交代は16年ぶり。組織内で主導権争いが起きる可能性もあり、警察当局は警戒を強めている。 ◇平成9年に宅見勝・宅見組組長=当時(61)=が射殺されて以降、8年に渡って空席だった「若頭」に今年5月、昇格したばかりの篠田組長が、“菱の代紋”で知られる山口組の頂点に立つ。 六代目決定は、29日に神戸市の総本部で開く予定の臨時幹部会で正式に報告される見通しだ。 出身組織で自ら会長も務めた弘道会(名古屋市)は、五代目の出身母体である山健組(神戸市)に次ぐ勢力を持つとされている。トップの交代は、渡辺組長が五代目として就任した平成元年4月以来、16年ぶり。 その渡辺組長は、抗争相手と間違え組員に射殺された警察官の遺族が損害賠償を求めた訴訟で昨年11月、最高裁判決が使用者責任を認定。同組長は同月に“休養宣言”をしていた。体調不良も指摘されており、執行部は合議制で運営されていた。退任後は「名誉総裁」など新設ポストに就くとみられる。篠田組長は拳銃を所持したボディーガードの共犯として、銃刀法違反罪で起訴され、懲役6年の実刑とした大阪高裁判決を不服として上告中。警察庁によると、山口組の組員(構成員と準構成員)は15年末で3万8100人。全暴力団構成員に占める割合が44・4%に達する国内最大の指定暴力団。 調べなどでは、山口組傘下の暴力団では構成員数や資金力をめぐり二極化が進行。内部のバランスが変化しつつあるともされ、トップ交代を機に組織内で主導権争いが起きる可能性もあるという。◆山口組の歴代組長◆ 初 代 山口春吉 大正4年─14年 2代目 山口 登 大正14年─昭和18年 3代目 田岡一雄 昭和21年─56年 4代目 竹中正久 昭和59年─60年 5代目 渡辺芳則 平成元年─17年 6代目 篠田建市 平成17年─ http://www.sanspo.com/shakai/top/sha200507/sha2005072802.html山口組6代目決定、63歳弘田組組長が跡目相続全国最大の指定暴力団山口組(総本部・神戸市)の渡辺芳則五代目組長(64)が新設する名誉総裁のポストに退き、六代目組長にナンバー2の若頭の司忍・弘田組組長(63)が就任することが27日、兵庫県警の調べでわかった。山口組の跡目相続は16年ぶり。県警などによると、六代目の決定は25日に開かれた執行部会で承認された。29日に神戸市の総本部で開催される臨時直系組長会で約100人の直系組長を集め、正式に発表する。後継の若頭には若頭補佐の入江禎・二代目宅見組組長(60)が昇格する見通しだ。六代目組長に就任する司組長は平成元年の渡辺五代目組長体制発足後、若頭補佐に就任し、執行部入り。トップを務めてきた直系組織、弘道会(名古屋市)は中部経済の好況などに伴い、渡辺五代目組長の出身母体で最大の直系組織、山健組(神戸市)に次ぐ、勢力になっていた。今年5月には宅見勝・宅見組組長=当時(61)=が平成9年8月に射殺されて以来、8年間空席だった山口組ナンバー2の若頭のポストに就任していた。司組長は拳銃を所持していたボディーガードの共犯として銃刀法違反容疑で大阪府警に逮捕され、昨年2月、大阪高裁の懲役6年の実刑判決を不服として最高裁に上告中。警察庁によると、昨年末現在の山口組の勢力は約3万9200人。ZAKZAK 2005/07/27http://www.zakzak.co.jp/top/2005_07/t2005072763.html山口組組長16年ぶり交代 ナンバー2の若頭に指定暴力団山口組(神戸市)の渡辺芳則組長(64)が退任、次期組長はナンバー2ポスト「若頭」の篠田建市(通称司忍)弘田組組長(63)に内定したことが27日、兵庫県警の調べで分かった。山口組組長の交代は16年ぶり。渡辺組長は「名誉総裁」など新設ポストにつくとみられるが、トップ交代を機に組織内で主導権争いが起きる可能性もあり、兵庫県警などは警戒を強めている。組長決定は、29日に神戸市の総本部で開く予定の臨時幹部会で正式に報告される見通し。抗争相手と間違え組員に射殺された警察官の遺族が損害賠償を求めた訴訟で昨年11月、最高裁判決が渡辺組長の使用者責任を認定。渡辺組長は同月に“休養宣言”をしていた。篠田組長は拳銃を所持したボディーガードの共犯として、銃刀法違反罪で起訴され、懲役6年の実刑とした大阪高裁判決を不服として上告中。今年5月、若頭になった。(共同通信) - 7月28日0時15分更新http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050728-00000000-kyodo-soci<山口組>5代目渡辺組長が引退へ 16年ぶりに交代全国最大の指定暴力団「山口組」(総本部・神戸市灘区)の渡辺芳則組長(64)が5代目組長を退き、6代目組長に組ナンバー2で若頭の篠田建市(通称・司忍)・弘田組組長(63)=銃刀法違反罪で最高裁に上告中=が就任することが27日、分かった。兵庫県警も新人事を把握しており、準構成員も含めて約3万9000人(警察庁調べ)といわれる山口組が再編・拡大を強める可能性があるとみて警戒を強めている。組長交代は16年ぶり。(毎日新聞) - 7月28日3時7分更新http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050728-00000024-mai-soci山口組組長が交代か=抗争に警戒強める-兵庫県警全国最大の指定暴力団山口組の渡辺芳則組長(64)が退く見通しであることが28日、兵庫県警の調べで分かった。名誉職的な地位に就く可能性があり、後任候補にはナンバー2の若頭、篠田建市弘田組組長(63)の名前が挙がっているという。県警はトップ交代をめぐる動きが抗争につながらないか警戒を強めている。 (時事通信) - 7月28日12時0分更新http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050728-00000055-jij-soci【五代目山口組】新若頭補佐のプロフィール(2005年06月30日)http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200506300000/山口組若頭とは何か(2005年06月06日)http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200506060000/五代目山口組の若頭が決定した(2005年05月11日)http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200505110000/どうなる五代目山口組若頭(2005年02月01日)http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200502010000/※ 13時現在、本日のアクセス数が7000を越えている。
2005年07月28日
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『世界の歴史をカネで動かす男たち』国際エスタブリッシュメントの金融支配W・クレオン・スクーセン(著)「プラザ合意」から「金融ビックバン」、そしてついには「郵政民営化」……なぜ日本経済はかくも翻弄されるのか?その根本原因を暴く重要書を初邦訳。本書は日本の出版界、学術界から黙殺された米国の重要な書籍の邦訳である。ここに描かれた国際エスタブリッシュメントの行状は、プラザ合意、金融ビックバン、バブルの崩壊、そして昨今の郵政民営化という虚名に隠された郵便貯金の市場への開放と、今日の日本経済の惨状を鮮やかに説明してくれる。そう、世界の歴史をカネで自在に操る人々が存在するのである。長年FBIで数々の機密捜査情報に接した著者が、日本経済を翻弄し続ける根本原因である、国際エスタブリッシュメントの金融世界支配の構図を暴く。本書について1966年、米国で「世界の権力構造を解明した作品」と大書された『悲劇と希望(Tragedy and Hope)』が刊行された。「現実世界を牛耳っている人々の心を理解したいなら、その心を形づくっている著書を読むといい。金融資本主義権力が抱く遠大な計画は、各国の政治体系と全世界の経済をみずから牛耳ることができる世界的な金融支配体制の構築に他ならない」、そう語ったのは著者、ジョージタウン大学歴史学教授キャロル・キグリーである。だが、1300ページを超えるこの大著は、凡百の歴史書とは異なっていた。なぜならキグリー教授は、自他ともに認める「国際秘密ネットワーク」の一員であり、本書の執筆によってその権力構造の最高機密を暴露することになるのを自覚していたからである。ちなみにキグリー博士はビル・クリントン前大統領の学生時代の指導教授(メンター)であり、1990年代に復刊された新版には「私は、キャロル・キグリーという学者が解き明かしてくれた真実の言葉を聞いた」という推薦の辞を寄せている。刊行後ほどなくして、『悲劇と希望』は全米の書店から姿を消した。権力の中枢がキグリー博士の暴露を時期尚早と判断したからだ。そして1970年、本書の原書である『裸の資本主義者(Naked Capitalist)』が、長年FBIに奉職し、「警察の化身」の異名をとるW・クレオン・スクーセンによって刊行された。『悲劇と希望』が端緒を開いた巨大な国際金融陰謀の全貌を暴き、そして第二次大戦前後から米ソ冷戦時代までの米国の対外政策に満ちみちた数々の欺瞞に筆誅をくわえたのである。本書は日本の出版界、学術界から黙殺された米国の重要な書籍の邦訳である。ここに描かれたいわばハゲタカ外資の始祖ともいうべき国際エスタブリッシュメントの行状は、プラザ合意、金融ビックバン、バブル経済の崩壊、そして昨今の郵政民営化という虚名で覆い隠された郵便貯金の市場への開放と、今日までの日本経済の惨状を鮮やかに説明してくれる。そう、世界の歴史をカネで自在に操る人々が確かに存在するのである。(編集部)【もくじ】・誰が世界制覇を企てているのか・キャロル・キグリー博士が世界の秘密権力構造を題材にした本を書く・おそらく私たちにはそうした展開を予想できたはずだ・銀行家一族は巨大ネットワークを構築して大型金融取引や政府業務を支配する・主要な銀行一族王国を列挙する・これは「ユダヤ人の陰謀」などという問題ではない・国際銀行家は普通の銀行家と異なっている・金融権力の中枢が秘密を守る方法・独自の金融システムに対する政府の干渉を避ける作戦・ロスチャイルド家──最古の銀行王朝のひとつ・プライベートバンカーは無から債券をつくりだす手段としてイングランド銀行の設立を決める・イングランド銀行は政治権力の秘密センターになる・英国金融界に巣食う王朝権力について・同じような金融王朝が米国でも発展した・米国における王朝の独占的金融構造・米国の銀行一族が連邦準備制度の組織を決める・こうした「主だった実業界指導者」とは誰か?・連邦準備制度の最初の試みが失敗する・連邦準備制度がとうとう現実化する・しかし、誰が連邦準備制度をコントロールするのか?・世界的権力を秘かに操る人々の目標とは何か?・驚くべき現象についてのキグリー博士の説明・ジョン・ラスキンがオックスフォード大学にやってきた・ジョン・ラスキンとは何者か?・ラスキンは英国支配階級が世界的使命をおびていると教えた・セシル・ローズは世界連邦を夢見た・ローズは世界連邦を目指す長期戦略を開始した・ローズは幅広い支援を受けて秘密ネットワークを組織した・ローズの秘密ネットワークの原型・ローズ死後も秘密ネットワークは永遠に続く・秘密ネットワークはしだいに他国に広まった・外交問題評議会と太平洋問題調査会の設立・秘密ネットワークが英国の政府、メディア界、大学に巨大な影響力を獲得できた理由・世界連邦の中心をアメリカに置くという提案・ローズ~ミルナー秘密ネットワークが米国に影響力を広める・J・P・モルガン、ロックフェラー等の米国人超富豪がローズの秘密ネットワークに加わる・英米秘密ネットワーク同盟の形成・秘密ネットワークの米国支部を機能させること・強力な秘密社会ニューヨーク支部・ニュー・リパブリック誌の創刊・ウォルター・リップマンとニュー・リパブリック誌・大学の世界で影響力を獲得すること・秘密ネットワークにはニューヨークの有力な法律事務所が含まれていた・米国新聞界におけるネットワーク権力構造のはじまり・アングロ・アメリカ秘密ネットワークが英米のあらゆる社会階層に浸透した理由・秘密社会は共産主義・社会主義陰謀グループとどう連繁したか・秘密ネットワークが共産主義者の主要支援者になった理由・秘密ネットワーク米国支部がかろうじて露見を免れた理由・共産主義支援の背後にある理由付け・ラモントはさまざまな共産主義プロジェクトでモルガンを代表した・ラモント家は共産主義者の活動拠点を援助した・ラモント家は活動を暴露しようとする米国政府をはねつけた・モルガン~ロックフェラー~カーネギー財団は中国を共産主義陣営に売り渡した・太平洋問題調査会は極東における米国の外交政策の決定権をどのようにして握ったか・キグリー博士は事実を認めるが、明白な背徳行為による壊滅的結果を曖昧にする・議会による太平洋問題調査会の審査であきらかになったこと・中国人の利益については言うまでもない!・キグリー博士は反共産主義者がまったく的外れであると語る・ジェローム・グリーンはロンドン~ニューヨーク枢軸の頂点にいかにして登りつめたか・ジェローム・グリーンこそ太平洋問題調査会というクモの巣の主である・共産主義者の陰謀よりもさらに大きな謀略がある・外交問題評議会の権力と人脈・非課税財団は米国文化特有の憲法とイデオロギーの要素を弱体化し破壊する・非課税財団が現行犯で捕まった・スキャンダルが大衆の目に触れない理由・議会のショッキングな発見にもキグリー博士は痛痒を感じなかった・議会委員会は非課税財団の権力について述べたキグリー博士の言葉を証明する・フォード財団が特別な関心を呼ぶ・マクジョージ・バンディがフォード財団理事長になる・米国の名士に対するキグリー博士の評価・米国の教育が破壊されていく・では結果として教育はどうなったか?・眠れる巨人がゆっくりと目を覚ます・ハリー・ホプキンスはロシアに原爆の秘密とウラニウムを渡す・国務省はロシアの東欧乗っ取りに関与した・国務省は共産主義の中国制覇を演出した・国務省高官アルジャー・ヒスはソビエトスパイであることが発覚した・朝鮮戦争、マッカーサー解任、ジェンナー委員会報告書・米国民を覚醒させたマッカーシー聴聞会・ジョゼフ・マッカーシーが単独キャンペーンを展開する・1953年、マッカーシー委員会が明らかにした事実・共産主義者を擁護したツウィッカー大将・マッカーシー非難キャンペーンが開始された・マッカーシーについてのキグリー博士の見解・大詰めの前奏曲・反撃の狼煙、ルーサー兄弟の覚書・保守的教育計画を阻止するワシントンのキャンペーン・ケネディ暗殺とエスタブリッシュメントの隠蔽工作・1964年の共和党大会とゴールドウォーターのキャンペーン・ハントリー・ブリンクリーはゴールドウォーターが勝ったはずだと認めている・ゴールドウォーター現象に対するキグリー博士の驚くべき反応・伝統的アメリカ精神の維持を求める人々に対するキグリー博士の意見・キグリー博士によるプチブルの定義・ゴールドウォーターキャンペーンが新旧富裕層の戦いであるというキグリー理論・ビルダーバーグ・グループ──キグリー博士が示す国際エスタブリッシュメントの一例・億万長者が開催したパグウォッシュ会議・ワンワールド社会主義国家への圧力・私たちに対抗策はあるのだろうか?・監訳者解説世界の歴史をカネで動かす男たち国際エスタブリッシュメントの金融支配著者: W.クレオン・スクーセン /太田竜 出版社:成甲書房ISBN:4880861855サイズ:単行本 / 252p 発行年月: 2005年 08月 本体価格:1,800円 (税込:1,890円) http://books.rakuten.co.jp/afa8/NS/『秘密結社』(2005年06月27日)http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200506270000/
2005年07月22日
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「イ・アイ・イ」グループを率いた元東京協和信組理事長の高橋治則が18日に死去した。死因は「くも膜下出血」と報じられている。高橋は長銀破綻の黒幕的な存在としてマスコミに叩かれてきた「日本のバブルの申し子」である。日本のバブルを「象徴」する存在だった高橋を語らずにバブルを「総括」することはできない。高橋は95年に逮捕され、その後、1審2審とも実刑判決(平成11年10月に東京地裁にて4年6ヶ月の実刑判決、2年前の東京高裁で3年6ヶ月、上告)、つまり10年を超える争いをしていた重要人物なのである。「長銀=新生銀行」の「闇」を語る上でも、高橋の存在は特に重要であるはずだ。高橋の「イ・アイ・イ」は世界各国に多数のリゾートホテルを所有していた。その資産は3兆円とも言われていたが、これらの物件を調達するための資金は旧長銀がその殆どを提供していたのである。その旧長銀は新生銀行として平成16年2月19日に上場した。上場の少し前、新生銀行の破綻の危機が噂されたことがある。公的資金を8兆円も投入し「再生」した銀行が「破綻の危機」とはどういうことか。これが「イ・アイ・イ・インターナショナル関連訴訟」つまり「和解交渉」だったのである。破綻した「イ・アイ・イ」の資産が不当に安く売却され損害をこうむったとして、メインバンクだった長銀を相手に損害賠償を求めた訴訟がこれにあたる。この訴訟で旧長銀の不法行為が認定されれば、新生銀行が損害賠償を払うことになるのである。さらにこの訴訟は、東京以外でも、「イ・アイ・イ」がリゾート・ホテルを所有していたアメリカの各地でも起こされていた。これらの補償的損害賠償額が場合によっては、アメリカでの懲罰的損害賠償も合わせると、なんと最大で6兆円を超える危険を孕んでいたのである。グアムで起こされていた訴訟のなかで旧長銀の内部資料が大量に押収され、旧長銀が「イ・アイ・イ」から優良物件を騙し取りながら他の金融機関には追加融資をさせ、自分たちだけの延命のために「イ・アイ・イ」やその他の金融機関を詐欺にかけていたことが明らかになってしまったのであった。新生銀行は平成16年3月15日、東京地裁に和解希望の上申書を提出、4月10日には預金保険機構の子会社・整理回収機構(RCC)を仲介役として「イ・アイ・イ」の破産管財人と和解交渉をスタートさせていた。この和解交渉は新生銀行の上場後の出来事であり、主役は高橋治則である。高橋の長銀に対する怨念から新生銀行の上場目前に意図して起こされた訴訟であることは明らかだろう。和解は交渉最終日だった5月10日に成立した。追い詰められていたのはティモシー・コリンズを中心とするリップルウッド、そして外資から“リモコン操作”されている竹中平蔵大臣だったと推定できる。もしも新生銀行が再破綻するようなことがあれば、8兆円もの公的資金を投入した日本政府の金融政策の基盤が大打撃を受けることから、小泉首相にとってもなんとかしなければならない問題だったであろう。同じように、旧長銀を買収したリップルウッドの背後にいたゴールドマン・サックスや米国政府にとっても最悪のシナリオは悪夢だっただろう。それぞれにそれぞれの思惑がある和解交渉だったのである。和解は成立したと書いたが、合意した和解金額がなぜ「たったの」218億円だったのか不思議に思った。「巨額賠償請求」と見られていたのに218億円では安すぎる。この「低額和解」に反対する日米双方の訴訟弁護団を押し切って合意を図ったのが高橋だったと言われている。いくら「銀行の和解金額としては前例のない高額」だったとしても、こんな低額で和解するにはなにか“裏取引”があったと見るべきだろう。ところで、高橋が2審でも有罪判決となり上告中だった「背任罪」であるが、これは東京協和信用組合と安全信用組合に対する背任行為であった。高橋の主張は「本来なら長銀が弁済する責任があった」である。合意した「低額和解」218億円は、2信組に対する「背任額」221億円と同規模なのである。2004年6月16日、新生銀行から管財人の口座に和解金が振り込まれた(管財人が債権者に返済するので高橋の元には1円も入らない)。これらの動きと一致するように、破綻した東京協和信用組合の業務を引き継いだRCCが、高橋に「刑事上の法的責任を求めない」とする文書を差し入れていたのである。6月23日に交わされた合意書では、「以後、民事上および刑事上の法的責任を求めるものではない」とされており、つまりこれは刑事告訴していたRCCが高橋に対する告訴を取り消したことを意味する。さらに、新生銀行、破産管財人、清算人などのすべての関係者が、それぞれの立場から原判決の見直しによる、最高裁判所の再考を要望する事実確認書、並びに上申書を提出したのである。これは「わが国の裁判史上、稀に見る急転直下の動き」だという。さらにさらに、新生銀行はリップルウッドが旧長銀を買収したときの条件(条項)に基づき、和解金のうち174億円を預金保険機構(すなわち日本政府、つまり日本の税金)に支払い請求した。ここまで見てきて感じるように、なにかすっきりしないのである。上のほうでも書いたように、高橋は、1審で4年6ヶ月の実刑判決、2年前の東京高裁では3年6ヶ月と減刑されたが最高裁まで争う姿勢を崩していなかった。つまり、「2信組のカネを流用した背任というのは長銀の情報操作であり、2信組のカネには手をつけていない」と主張し続けそれを証明するために10年以上も裁判闘争をし、その裁判経費が40億円と莫大な金額になってもそれをまかないながら自分の意地を貫いていたわけである。高橋はこう語っている。「もし、自分が2信組の資金を私的に流用などしていたら、とても裁判は戦えないですよ。勝ち目なしですから、もう、『はい、はい』と、罪を認めて刑務所に入り、すぐ帰ってくる道を選びます。そうしていれば、もうとっくに決着していますよ。しかし、それでは私の良心というか正義感がもちません。自分や自分を信じてくれた家族や友人、そしてリゾート開発という戦場でともに闘った仲間の名誉のためにも、陰で積み重ねられてきた長銀の不正行為やリップルウッド、新生銀行のデタラメを許すわけにはいかないのです」このように強い意志を語っていた高橋だったが、「くも膜下出血」で2日前の18日に亡くなってしまった。59歳。産経の記事によると「新宿区の病院で死去」となっているが、そのほかの詳しいことはどこの新聞社もいまのところ報じていない。先日の「本間忠世の“死”に対する“闇”」を見てもわかるように、高橋のような重要人物が死んだ場合、それが病気・事故・自殺など、どのように報じられても、私は“事件”の可能性を疑うことを忘れないようにしている。アメリカで起こした裁判では、高橋が勝訴している。サイパンの裁判では、新生銀行に対する損害賠償請求額は「1兆円を超えるという額」になった。もし新生銀行が負ければ、懲罰的賠償(見せしめの効果を狙って)で請求額の3倍まで賠償させることが可能である。つまり3兆円‥‥「日本のバブルの申し子」が逝ってしまった。日本は「バブル」に踊り、そして「バブル崩壊」という経験をした。「バブルの申し子」は、自分を騙した相手に怨念を持ち、自分の正義感を信じ、名誉のために闘っていた。「バブル崩壊」と「デフレ不況」に苦しむ日本(人)は、“バブルの総括”をしたのだろうか。日本を支配しているのは米国である。「プラザ合意」も「前川レポート」も米国だった。現在すすめられている「郵政民営化」も米国から命令されたものだから政権は従うのである。小泉首相(政権)は2001年6月にブッシュ(政権)と「日米投資イニシアティブ」を設置したが、ここから命令されている「会社法制の現代化」という名の下に進められている「近代的なM&A手法」を受け入れ、それを平成19年(だったと思う)に解禁しようとしていることにも注意を向ける必要があるだろう。最新の「日米投資イニシアティブ報告書」は7月6日に公表されている。日米投資イニシアティブ報告書2005年7月(PDF形式)http://www.meti.go.jp/press/20050706004/050706nitibei2.pdf対外経済政策総合サイトhttp://www.meti.go.jp/policy/trade_policy/n_america/us/index.html【ハゲタカが嗤った日】リップルウッド=新生銀行「隠された真実」http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200410010000/新生銀行http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200501220000/【週刊ポスト1999年10月15日号】長銀「われらが血税5兆円」を食うユダヤ資本人脈ついに掴んだ!http://blog.livedoor.jp/ayaka222a/archives/16461401.htmlイ・アイ・イ高橋治則氏死去=旧2信組背任事件で上告中旧2信組乱脈融資事件で背任罪に問われ、上告中だったリゾート開発会社「イ・アイ・イ-インターナショナル」元社長で、元東京協和信用組合理事長高橋治則(たかはし・はるのり)被告が18日午前9時36分、くも膜下出血のため東京都新宿区の病院で死去した。59歳。長崎県平戸市出身。遺族の希望で住所は非公表。葬儀は22日午後0時30分から東京都港区西麻布2の21の34の永平寺別院長谷寺で。喪主は長男一郎(いちろう)氏。1、2審で実刑判決を受け、上告していたが、近く公訴棄却される。 (時事通信) - 7月19日17時0分更新http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050719-00000066-jij-soci※ 6月28日に国際熱核融合実験炉(ITER)の誘致・建設が南フランスのカダラッシュに決まったと正式に発表された。これは核融合(炉)により太陽で起きている現象を地上で再現し、そこからエネルギーを取り出す基礎技術を探る実験炉のことで「磁場核融合」である。核融合にはもうひとつ「慣性核融合(レーザー核融合)」がある。ITERの実験炉本体建設がフランスに決まったと発表された数日後、立花隆が、アメリカの核融合の拠点である「NIF」の全容を中心に、「ITER」の舞台裏など、核融合に関する興味深い記事を書いていた。この記事内容が本当なら、いろんな意味で、やはりアメリカは凄い国である。長文だけど、核融合をよく理解していなかった私にとって、かなり興味深い内容だったので紹介します。日本が「核不拡散条約」なんかを大義名分としてきたプルサーマルとか破綻した高速増殖炉なんてのは、いったいなんだったんだろうか。立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」 ・第24回 国際熱核融合炉「ITER」 日本への誘致“失敗”の舞台裏・第25回 1枚の写真が指し示すアメリカ「ITER」撤退の真相・第26回 アメリカの最新核融合拠点 国立点火施設「NIF」の全容http://blog.livedoor.jp/ayaka222a/archives/28485541.html
2005年07月20日
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7月11日、ロシア最高検はロシア元首相ミハイル・カシヤノフの不正について告発した下院議員アレクサンドル・ヒンシュテインの訴えにより、公訴にふみきった。同日の「UTRO.RU」によると、公訴はロシア連邦刑法165条(虚偽または信用の悪用による財産侵害)に基づくもの。現在、最高検はこれについて公式コメントは控えている。ロシアの野党政治家はカシヤノフに対する最高検の公訴について選挙前の作為とたとえている。政界の重鎮カシヤノフは辞任一年後、政治活動に積極的に関わり、広範な野党勢力の候補として大統領選に参加もありえると表明していた。「これはロシアではよくある、選挙前の図式で、はるか遠くにある進入路で潜在的対抗馬の名誉を汚すやり方だ」と過去に大統領選を経験している下院議員ニコライ・ハリトノフの発言。「“別荘事件”を発展させた“統一ロシア”党アレクサンドル・ヒンシュテインの訴えはおそらく、予防的な意味で、元首相が大統領選に立候補するつもりならば、最高検はさらに重い証拠を見つけるだろうと、カシヤノフに暗示しているのだ」と発言した。これは国有施設だった別荘の処分に関連したもので、カシヤノフが首相時代に政府の決定に基づいて競売に付されたところ、「結果として」カシヤノフがこの別荘を手に入れた。しかしその過程において不正があり、カシヤノフはダミー会社を通じてタダ同然で別荘を手に入れた、という告発のようです。「タダ同然」とは、土地だけで時価2800万ドル(約32億円)の別荘を100万ドル(約1億1000万円)ほどで入手したとのヒンシュテインの告発を指す。それに対しカシヤノフは、「政府勤務時代と首相解任後を通じ不正な商取引を行ったことはない」と主張しているとのこと。最高検はプーチン大統領の統制下にあり司法機関を使った政敵弾圧との見方が強いと、多くのマスコミが報じている。この動向も気になるので追っていきます。ミハイル・ミハイロビッチ・カシヤノフ元首相。Profile1957年12月8日生まれ。モスクワ州ソンチツェボ出身。1983年(MADI)国立モスクワ自動車道路大学卒業1981‐1990年ロシア連邦国家計画委員会勤務。1991‐92年ロシア連邦経済省対外経済局副局長、後に局長。1993‐95年対外債務局局長。1995‐99年大蔵省次官。1999年蔵相。2000年1月第一副首相兼蔵相。同年5月より首相。2004年3月辞任。http://www.russigator.ru/people/kashiyanov.htmlロシア・カシヤノフ首相との日露首脳会談ロシア検察当局、カシヤノフ前首相の捜査を開始=通信社2005年 07月 11日 月曜日 12:08 JST [モスクワ 10日 ロイター] ロシアのインタファクス通信は関係筋の話として、ロシア検察当局が、カシヤノフ前首相に対する刑事捜査を開始したと報じた。検察当局からのコメントは得られておらず、インタファクス通信も、なぜ捜査が開始されたか伝えていない。しかし、それより前のカシヤノフ前首相の側近らに対する捜査が、カシヤノフ氏に政治に関わらないよう警告するものだった、との見方が大勢となっている。カシヤノフ氏は、2004年に再選を目前にしたプーチン大統領から解任されたが、今年になり、大統領が民主主義を逆行させていると厳しく批判しつつ政界に復帰した。プーチン大統領が任期切れとなる2008年には、ロシア連邦大統領選挙へ立候補することも示唆しているが、一部のコメンテーターらの間では、同氏がウクライナのような民主改革を主導できる唯一の政治家だとの見方もある。インタファクス通信は、同氏が不動産を違法に取得した疑いで捜査されていると報じている。http://www.reuters.co.jp/newsArticle.jhtml?type=worldNews&storyID=9024596ロシア検察庁、前首相を刑事訴追…「政敵つぶし」とも【モスクワ=古本朗】ロシア連邦検察庁は11日までに、ミハイル・カシヤノフ前首相を国有別荘地購入に絡む詐欺容疑などで刑事訴追した。前首相はプーチン現政権下での民主化後退を糾弾、2008年大統領選挙に民主勢力の統一候補として出馬する意欲を示しており、訴追は、プーチン大統領の側近陣による新たな「政敵つぶし」との見方が強い。インターファクス通信などによると、訴追は与党「統一ロシア」の下院議員の告発に基づくもの。この議員は、前首相が在任(2000年5月~2004年2月)中、国有別荘地を不正手段により「タダ同然」で入手した、などと告発した。ラジオ局エコー・モスクワによると、カシヤノフ氏は、容疑内容を全面否定。検察庁は公式の説明を避けている。同氏は、収賄のうわさをメディアに取りざたされるなど毀誉褒貶(きよほうへん)相半ばする人物。首相辞任後の今年はじめから、現政権による言論抑圧などを非難し、民主野党勢力の団結を呼びかけた上で、次期大統領選への意欲を示唆した。プーチン大統領の側近陣は大統領選に向け、3選禁止の憲法規定を改正して現在2期目のプーチン氏を続投させる選択肢を含めた体制維持の方策を検討中で、有力政治家カシヤノフ氏の野心を危険視している模様だ。(2005年7月11日19時46分 読売新聞)http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20050711i111.htmロシア:最高検、前首相の捜査開始 国家財産不正取得容疑【モスクワ杉尾直哉】インタファクス通信は11日、ロシア最高検が国家財産に損害を与えた容疑などでミハイル・カシヤノフ前首相(47)に対する捜査を開始したと伝えた。カシヤノフ氏は04年2月にプーチン大統領に首相を解任された後、政権を「非民主的」と批判、今年2月には次期大統領選挙(08年)への出馬を示唆していた。「クレムリンによる政治的捜査の可能性もある」(野党・ロシア共産党のジュガーノフ委員長)との観測も広がっている。最高検によると、最高検は、与党・統一ロシアのヒンシュテイン下院議員から受けた告訴状に基づき捜査を進めているという。ヒンシュテイン氏は11日、キルギス大統領選挙監視で訪問中のビシケクで、毎日新聞の電話取材に「カシヤノフ氏は、国家保有の別荘を不正な商取引で取得した。6月24日、最高検に100ページ以上の証拠書類を提出した」などと語った。カシヤノフ氏は11日、インタファクス通信に対し、広報担当者を通じて「政府勤務時代と首相解任後を通じ不正な商取引を行ったことはない」と疑惑を否定するコメントを出した。カシヤノフ氏の元盟友で、プーチン政権を批判していたロシア石油大手ユコスのホドルコフスキー元社長は今年5月、脱税・横領などの罪で懲役9年の実刑判決=上訴中=を受けており、欧米諸国から「民主化後退」の批判が再燃する可能性もある。毎日新聞 2005年7月11日 21時47分 (最終更新時間 7月11日 22時38分)http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/news/20050712k0000m030089000c.htmlロシア前首相を最高検が捜査 新たな政敵追い落としか2005年07月12日22時31分ロシア最高検は11日、カシヤノフ前首相が国家資産の豪華別荘を不正な手段で取得した疑いがあるため、詐欺などの容疑で捜査を始めた、と発表した。 同氏は最近、プーチン政権への批判を強め、08年に予定される次回大統領選に野党候補として出馬する可能性を示唆している。政権が司法機関を使って新たな政敵の追い落としに乗り出した、との批判が野党陣営から出ている。 容疑は、首相を解任される直前の昨年2月、モスクワ市郊外にある国家資産の別荘(敷地面積11.5ヘクタール)を首相権限で転売し、ダミー会社を通じて取得した、という。同氏は外国で休暇中だが、報道官を通じて完全否定している。政権与党「統一ロシア」のヒンシュテイン下院議員が検察に「土地だけで時価2800万ドル(約32億円)の別荘を100万ドル(約1億1000万円)ほどで入手した」と告発していた。 この別荘はモスクワ郊外の一等地にあり、旧ソ連時代にはブレジネフ政権ナンバー2のスースロフ政治局員が住んでいた。現在は隣にノーベル賞作家ソルジェニーツィン氏や、新興財閥指導者で富豪のフリードマン氏の別荘もある。 カシヤノフ氏はエリツィン前大統領に近かったが、プーチン政権でも初代首相として4年近く在任。政権内の治安閣僚ら強硬派と距離が生じ、昨年の大統領選の直前に解任されていた。 すでに最高検は、野党陣営を資金面などで支援していた石油会社ユコスのホドルコフスキー元社長の脱税事件の捜査を主導し、5月に懲役9年の刑に追い込んでいる。今年に入って政治活動を再開したカシヤノフ氏は、こうした政権の政治手法を「民主主義からの後退」とし、批判を繰り返していた。 http://www.asahi.com/international/update/0712/011.html※ おまけ。露国内航空5社が合併へ、最大手アエロフロートへ対抗 FujiSankei Business i. 2005/7/15ロシアの地方航空5社は、同国最大手アエロフロート・ロシア航空に対抗するため合併すると発表した。 モスクワタイムズによると、合併の意向を示したのはロシア国内線第4位のクラスエアのほか、ドモデドボ、サマラ、オムスカビア、シバビアトランスの5社で、これらは現在「エアユニオン」という航空グループを形成している。合併に必要な法改正が行われるまで、5社はそれぞれのルートや乗り継ぎの調整などを行い、協力を強化する。 エアユニオンの今年の年間搭乗者数見込みは450万人とみられ、国内線ではアエロフロート(同720万人)に次ぐ国内2位の規模。アエロフロートによると、ロシア国内の航空会社は、約230社に上るという。 http://www.business-i.jp/news/world-page/news/200507140007a.nwc
2005年07月15日
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日本債券信用銀行債務超過額:3兆 943億円平成10年12/13に一時国有化。総資産:6兆5772億円公的資金注入:3兆2000億円、資本増強:2000億円※ 日債銀の貸出記録には朝鮮信用組合への何億ドルもの疑わしい記録が残っている。※ 平成11年5月の金融再生委の資産判定で1兆2000億円の「譲渡不可能=不適資産」が含まれていることがリークされた。※ この銀行は平成12年9月4日「あおぞら銀行」として「瑕疵担保条項」とともに民間に譲渡された。社長本間忠世は16日後に自殺(本当に自殺か、その真相は謎。97年以降に起きた政府高官や大銀行のトップの急死はこれで7人目)した。平成15年9月、普通株式について証券取引法による公開買付が実施され、主要株主であったソフトバンク株式会社は同社保有のすべての普通株式を、サーベラス エヌシービー アクイジション エルピー ジェネラル・パートナー サーベラス・アオゾラ ジーピー・エルエルシーに委譲。2004年9月30日現在、サーベラスとオリックスと東京海上が持つ「あおぞら銀行」の株数と割合は、以下になっている。サーべラス1,753,328(所有株式数・単位:千株)61.84%(発行株式総数に対する所有株式数の割合) オリックス株式会社425,04114.99%東京海上火災保険株式会社425,04114.99%「あおぞら銀行」の取締役社長は水上博和である(写真中央の白髪)。会長はマイケル E. ロッシ。副会長がピーター C. ヘイガン。取締役には、前会長のエドワード G. ハーシュフィールド、サーベラスのクエール会長、オリックスの宮内義彦などの名前がある。(2005年6月30日現在)※ 余談だが、新生銀行の取締役からデイヴィッド・ロックフェラーとヴァーノン・ジョーダンの名前が消えた(6月24日と30日にそれぞれ退任)。ジョン・リードとポール・ボルカーは現在も取締役にいる。米サーベラスのクエール会長「対日投資80億ドルに」(2005年6月24日)米サーベラス・グローバル・インベストメンツのダン・クエール会長は24日、「日本への投資額はこの8年間で合わせて80億ドルに達した。今後もさらに投資を続ける」と述べた。傘下に収めているあおぞら銀行については「業績が好転しており、経営内容に満足している」と語った。あおぞら銀の株主総会に出席するために来日したもので、都内で日本経済新聞記者と会見した。クエール氏は日本経済について「不良債権の処理という大きな宿題を達成し、企業改革という新たな課題に取り組むべき段階に入りつつある」との認識を示した。http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20050625AT1F2401924062005.html預金保険機構:買い取り債権は総額1兆6573億円金融庁は17日、98年に経営破たんした旧日本長期信用銀行(現新生銀行)と旧日本債券信用銀行(現あおぞら銀行)から預金保険機構が買い取った債権が、計486件で総額1兆6573億円になったと発表した。簿価から2割以上目減りした債権を簿価で購入する約束した瑕疵担保条項に基づき、預保が引き取った。預保が実際に支払った金額は両行が積んだ貸し倒れ引当金を除いた1兆2214億円で、今後、不動産などの担保資産の売却で回収できない部分が国民負担として確定する。同条項に基づく両行の申請期限は00年の営業譲渡から3年後の03年3月末で終了しており、今後新たに引き取る案件はない。【斉藤信宏】毎日新聞 2005年6月18日 0時15分日債銀・本間社長の自殺がもたらすもの(00/10/03)日本債券信用銀行がソフトバンクを中心とする企業グループ(オリックスと東京海上火災保険が参加)に正式に譲渡されてからわずか半月後の9月20日午前、新社長に就任したばかりの本間忠世氏が、出張中の大阪市内のホテルで死亡しているのが発見された。自殺だった。本間氏は5通の遺書を残していた。2通は家族あて。そして残りの3通の中には、ソフトバンクの孫正義社長にあてたものもあった。そこには「期待されていたのにお役に立てず申し訳ございません」、こうしたためられていたという。何が本間氏に死を選ばせたのか。その理由は窺い知れない。だが、日本銀行のエリートとして理事にまで上り詰めた人の死である。新日債銀の社長に就任したばかりということを考え併せると、本間氏が相当なプレッシャーの中に置かれていた、とは容易に想像できる。「今から思えば、最初の取締役会が本間氏にはショックだったのかもしれない」――。9月4日、預金保険機構から正式に譲渡を受けた日債銀は東京・九段の本店で、初の取締役会を開いた。出席者は、本間氏ともう1人の常勤役員である小寺義信専務、それに11人の社外取締役──孫氏、宮内義彦オリックス会長、樋口公啓・東京海上火災保険社長と新たに社外取締役に名を連ねた常盤文克・花王特別顧問、成毛真インスパイア社長(マイクロソフト前社長)、池尾和人・慶応義塾大学教授、笠井和彦ソフトバンク取締役、ダン・クエール米国元副大統領らである。(中略)ビジネスモデルは完成したが…孫氏が日債銀買収に意欲を燃やしたのはそもそも、ソフトバンク・グループが進めるベンチャー投資の一翼を担わせるためだった。新興ネット企業を中心とするベンチャー企業投資と、そうした企業の株式公開による付加価値で時価総額を極大化してきたのがソフトバンクである。孫氏はそのために、右腕である北尾吉孝ソフトバンク・ファイナンス社長に投資事業を任せ、ベンチャー企業の株式公開の場としてナスダック・ジャパンを開設した。直接金融の舞台を整えた孫氏にとって、足りなかったのがベンチャー企業群に運転資金を提供する間接金融機能である。それが日債銀買収の動機であり、その実現をもって孫氏のビジネスモデルはほぼ完成した。ところが、皮肉なことに最近、ソフトバンクグループ内部にはある種の「遠心力」が働き始めている。象徴的なのが、孫氏と北尾氏の関係。今年春ごろから孫氏と北尾氏の間には微妙なすきま風が吹き始めたと言われる。もともと日債銀買収には消極的と言われた北尾氏がソフトバンクの常務を退任してソフトバンク・ファイナンスの社長に専念し始めた5月ごろから、株式市場には「北尾氏がソフトバンクからの独立志向を強めている」との見方が強く流れ始めた。加えて、北尾氏とナスダック・ジャパンの佐伯達之社長との関係の悪さは知る人ぞ知る。孫氏が「ソフトバンクのための市場」という批判をかわすために、ナスダック・ジャパンの運営に物申さなくなっている半面、北尾氏は同市場に上場したグループ会社株の取引低迷に業を煮やして、「他の市場への上場を検討する」と発言するなど、揺さぶりを強めている。そのため佐伯氏は、当初は予想もしなかった孤軍奮闘を強いられている。こうした状況に加えて、後継社長のもとで、日債銀までもが「ソフトバンク離れ」の姿勢を強めたとしたら…。本間氏の予期せぬ死が、ソフトバンクグループに働く「遠心力」をより一層強めるきっかけになる。こう考えるのは、穿ちすぎだろうか。(田村 俊一、小栗 太) http://bizns.nikkeibp.co.jp/cgi-bin/search/wcs-bun.cgi?ID=113274&FORM=biztechnews「日米中21世紀の展望」(平成13年5月)国際未来科学研究所代表・浜田和幸(略) もっと最近の例では、日債銀という銀行のケースがあります。今ではあおぞら銀行と名前が変わりました。あれがおかしくなって、結局ソフトバンクの孫さんとか、東京海上の樋口さんとか、オリックスの宮内さんらがお金を出して受け皿を作った。その新しい頭取になった本間さんという方が大阪で自殺をしたという事件がありましたね。何で自殺をしたのか。日銀から建て直しのために来られて、頭取になってまだ2週間たらず。その人が最初のあいさつ回りに行って、泊まったホテルで首を吊って死んだ。その事件が起こった後も大阪の曽根崎警察署というところは、検死も何もしなかった。すぐ東京に送り返して、荼毘にふしてしまった。司法解剖ということを全くやらなかった。そのお兄さん、本間長世さんという有名なアメリカ文学者は、「弟が自殺するわけがない」とおっしゃっていました。 ところが、荼毘にふされてしまっては、原因の究明のしようがない。実は先月アメリカの有力経済誌「フォーブス」で、「本間頭取の死因は自殺ではなくて、他殺であった疑いが濃い」との記事が大きく出ました。要するに、北朝鮮関係の朝銀関与説です。そこの不良債権の取立て問題で本間さんが大阪に乗り込んだところ、こういう世界の人たちとトラブルがあったというのです。 あの日の晩も打ち合わせが終わって、9時過ぎにホテルの部屋に戻ってきた。それから休むまでの間に、その世界の人たちが押しかけてきたとの情報があるのです。たまたま隣室に泊まっていた人がいた。なんだか隣りの部屋がうるさい。叫び声がするというのでホテルのフロントにクレームをつけているんですよ。しかし、そういったことは一切ふせられて、何か原因はわからないけれども自殺ということで処理された。 アメリカの雑誌はそのあたりを詳しく調べまして、あれは他殺であったことをにおわす記事を大きく載せたのです。何でそういう記事を載せたのか。結論が大事です。要するに日本では金融機関が不良債権の処理とか機構改革といった課題に対して、まともに取り組んでいない。それどころか、全く進んでいない。だからそういうところにお金を預けたり、投資をするのは危険だ、という結論になっている。 まずは関心をつかむために、あれは自殺でなくて他殺だったということを大きく報じて、記事を読んでみると日本の金融機関がいまだに過去の呪縛に引っ張られていると断じている。よって、お金は日本の金融機関でなく、アメリカのしっかりとしたところに預けないさいよ、という筋立てになっている。恐ろしいまでの情報操作です。(略)http://www.joho-shimane.or.jp/cc/sic/news/no59.htm※ 浜田氏の文中に登場する「隣室に泊まっていた人」とは、「フォーブス」の日本支局長・フルフォードによると、タレントの森公美子です。日本債券信用銀行社長の本間忠世氏死去!(朝日) 本間忠世氏(日本債券信用銀行社長、元日本銀行理事)は、20日午前9時11分、急性心不全のため大阪市内の病院で死去、60歳。葬儀・告別式の日取りは未定。喪主は妻美智子さん。自宅は東京都渋谷区代々木4の55の5の104。 日銀では、初代の信用機構局長、理事として、大手金融機関の破たん処理策などにかかわり、金融システム維持に奔走した。国有化を経て民間銀行として再出発した日債銀の新社長に今月4日、就任。破たん銀行の経営再建に乗り出したばかりだった。 本間社長は19日午後から、取引先のあいさつ回りなどで大阪へ出張していた。宿泊先の大阪市のホテルで20日朝、秘書が迎えに行った際、ぐったりしていたという。病院に運ばれたが、まもなく死亡した。新社長に就く前後から、新銀行の経営を軌道に乗せるため、新規事業の立ち上げの検討などで多忙だったという。 本間社長は1963年、日本銀行に入行。日銀では、初代の信用機構局長、理事として、大手金融機関の破たん処理策などにかかわり、金融システム維持に奔走した。 (21:53)
2005年07月14日
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破壊王が逝ってしまった‥‥脳内出血らしい。プロレスラーの橋本真也氏が死去2005年7月11日(月) 15時24分 スポーツナビ “破壊王”のニックネームで親しまれたプロレスラーの橋本真也さんが11日午前、横浜市内の市立大付属市民総合医療センターで死去した。40歳だった。死因は脳内出血とみられる。橋本さんは1984年に新日本プロレスに入門。その後独立し、2000年11月には新団体「ZERO‐ONE」を設立したが、2004年11月に活動を停止。橋本さんは右肩を手術し、リングから遠ざかっていたが、リハビリをしながら復帰を目指していた。 11日午前、横浜市内の病院で亡くなった橋本氏http://sports.yahoo.co.jp/hl?c=sports&d=20050711&a=20050711-00000024-spnavi-spo破壊王・橋本急逝…夕方に弁護士が会見破壊王・橋本真也さんが急逝した。詳細は、11日夕方に担当弁護士が記者会見を開催する予定。橋本は1965年(昭和40年)7月3日、岐阜県土岐市生まれ。柔道で活躍し、84年4月に新日本プロレスに入門した。同9月1日、後藤達俊戦でデビュー。89年から武藤敬司、蝶野正洋と闘魂三銃士として人気を集めた。93年9月、94年5月にIWGP王座を獲得。98年にはG1クライマックスを制覇するなど、その体格を生かした破壊力抜群の蹴り、チョップで時代を築いた。99年1月に小川直也に敗れ引退を表明するも、ファンからの強い要望で同10月の藤波辰爾戦で復帰した。しかし、新日本と対立し、同11月に解雇され、ゼロワンを創設し、01年3月に旗揚げ戦を行った。以降は、全日本、ノアなどの他団体と積極的に交流し、団体の枠を越えた戦いを次々と演出した。03年2月にはグレート・ムタを破り、全日本の3冠王座を奪取、小川とはOH砲としてコンビを結成しゼロワン、全日本、ハッスルなどで共闘した。藤原喜明と保持するNWAインターコンチネンタルタッグ王座をかけ、大谷晋二郎と大森隆男組と対戦した04年8月31日ゼロワン盛岡大会が最後の試合となった。[2005/7/11/15:38]http://www.nikkansports.com/ns/battle/f-bt-tp0-050711-0016.html 左から、橋本真也、片山晋吾、小川直也のハッスルポーズ名前・橋本真也 生年月日・昭和40年7月3日 身長・183cm出身地・岐阜県土岐市デビュー・1984年4月新日本プロレス入門、同年9月練馬区南部球場特設リングでデビュー(対後藤達俊)【IWGPヘビーチャンプ戦歴】1993年9.20、グレート・ムタを破り第14代IWGPベビーチャンプ1994年5.1、 第16代 IWGPヘビーチャンピオン(対 藤波)1996年4.29、第19代 IWGPヘビーチャンピオン(対 高田延彦)【新日引退から復帰~解雇~ZERO-ONE設立】2000年4.7、小川戦に敗れ、公約通り引退。4.10、猪木がUFO入りを勧誘。8.23、復帰会見。「もう一度"四角い戦場"に戻らせて頂きます。帰りたいです。」10.23、新団体「ZERO」を設立。他団体への参戦構想を示す。11.16、近日中にZERO-ONEを株式会社として登録し、橋本が代取になると発表。http://matz.szero.net/HASIMOTO.htmlオーちゃんの秘蔵写真・with 破壊王http://www.ogawanaoya.com/photo/0111.htmlニュース速報:2005年7月11日(月)【ファイト】プロレスラーの橋本真也さんが死去プロレス界で絶大な人気を集めた橋本真也(はしもと・しんや=本名・同)氏が11日午前、脳内出血のため、横浜市南区の横浜市立大付属市民総合医療センターで死去した。40歳だった。 関係者によると、橋本氏の同居人が同日午前8時55分、意識朦朧(もうろう)としている橋本氏を見つけて119番。午前10時半に心肺停止状態で病院に運び込まれたが、まもなく死亡が確認されたという。死因は脳内出血とみられる。http://www.sanspo.com/sokuho/0711sokuho029.htmlプロレスラー橋本真也さん急死、40歳心肺停止状態で病院に搬送 40歳の若さで急逝した橋本さん。多くのファンを魅了した=平成15年4月、日本武道館 「破壊王」「闘魂三銃士」としてプロレス界で絶大な人気を集めた橋本真也(はしもと・しんや=本名・同)氏が11日午前、脳内出血のため、横浜市南区の横浜市立大付属市民総合医療センターで死去した。40歳だった。通夜と葬儀・告別式、喪主は未定。橋本氏に関する代理人を務める弁護士法人「フェニックス」の関係者が同日午後、死亡を認めた。 捜査関係者によると、橋本氏の同居人が同日午前8時55分、フラフラになって意識朦朧(もうろう)としている橋本氏を見つけて119番。午前10時半に心肺停止状態で病院に運び込まれたが、まもなく死亡が確認されたという。死因は脳内出血とみられる。 人気プロレスラーとして長く活躍した橋本氏だったが、関係者によると、最近は自らの故障や主宰するプロレス団体をたたんだことによる借金問題、夫婦間のいさかいなど、仕事や家庭内のトラブルが絶えなかったとされる。 昨年12月、9時間半にわたる右肩の大手術を受けて成功。その後、リハビリに入り、肩が上がる程度まで回復していたという。ただ、プロレス団体の招請も固辞し、手術以降、表舞台に出ることはなかった。 橋本氏は昭和40年7月3日生まれ、岐阜県土岐市出身。 学生時代は柔道で活躍し、59年4月に新日本プロレスに入門。アントニオ猪木に師事して同年9月1日デビューし、同期の蝶野正洋、武藤敬司とともに「闘魂三銃士」と呼ばれた。 得意技は垂直落下式DDT、水面蹴り。「破壊王」の異名をとり、IWGPヘビー級王座、同タッグ王座を獲得。平成12年4月、小川直也戦に敗れ、公約どおり新日に辞表を提出した。ファンの復帰嘆願を受けて同年8月23日に引退撤回。しかし復帰戦後、独立宣言し、11月13日付で新日プロを解雇され新団体「ZERO-ONE」を設立した。 全日本プロレスにも参戦し、三冠ヘビー級王座も獲得したこともあった。しかし、昨年11月、「ZERO-ONE」の崩壊宣言をした後、約1億円の負債をすべて背負ったとされ、フリーの道を歩み始めたばかりだった。ZAKZAK 2005/07/11http://www.zakzak.co.jp/top/2005_07/t2005071120.htmlターザン山本氏「あの体形で心臓に負担」「最近は不整脈も」 力道山に始まり、アントニオ猪木、故ジャイアント馬場が築いた日本プロレス界の伝統を引き継ぐ「闘魂三銃士」の一人として、これまでマット上で大暴れをしてきた破壊王・橋本真也さん。その急死の報は11日、プロレス界にとどまらず、関係者の間に強い衝撃を与えている。 「亡くなったと聞いて、ああ、そうなってしまったのかとも思いました。あの体形なので心臓には負担もあり、最近は不整脈が出たりしているという話は聞いていました。それに色々とトラブルが重なり、精神的にも追い詰められてもいましたから…」と声を落としたのは、プロレス評論家のターザン山本氏。 その人柄を山本氏は、「新日本プロレスにいた全盛期には、武藤敬司さん、蝶野正洋さんとともに、将来のプロレス界を担う『闘魂三銃士』の一人といわれた。格好のいい武藤さんとシティーボーイの蝶野さんに挟まれ、柔道出身で太めの橋本さんは、愛嬌のある三枚目でギャグの対象となりやすい愛すべきキャラクターだった。でも、岐阜出身だったので織田信長を信奉し、天下を獲るという野望も持っていた」と振り返る。 そして、「プライベートでもトラブルが多くて不運だったが、何より無念だったのは肩の負傷だろう」と唇を噛んだ。 三銃士の一人として、破壊王のニックネームを持ち新日プロで活躍した橋本さんは、柔道王としてプロレス界に殴り込んだ小川直也さんと名勝負を繰り返した後、同プロから独立。新団体「ZERO-ONE」を立ち上げた。 だが、肩などに故障を抱えながら、団体の顔として無理して出場を重ね、結局、経営不振で代表を辞め、多額の借金も背負ったといわれている。昨年末には右肩を手術し、リハビリ中だった。 生前に橋本さんと親交が深かった出版プロデューサーの高須基仁さんは、「スピード、パワーを兼ね備えたアメリカンスタイルのプロレスラーの最高峰だった。馬場、猪木の後を継ぐ華のある選手として、前田日明と双璧だった。“最後のプロレスラー”を失い、めちゃめちゃ悲しい」と肩を落とした。 高須さんが最後に会ったのは今年2月で、「そのときに着ていた真っ白なスーツ姿が忘れられない。『ZERO-ONE』の代表を解任されたが、格闘技ブームのなかでも“エンターテインメントプロレス”の新団体を設立しようと、自分にも『誰かいい選手いない?』と聞いてきた。あんなに元気だったのに、信じられない」と目を伏せた。 橋本さんの功績について、格闘技ジャーナリストのタダシ☆タナカ氏は、「80年代後半から90年代にかけて、闘魂三銃士として新日本プロレスの最盛期を支えたプロレスラーだった。ゴールデンタイムにテレビで放映されたころの最後のスターで、ある意味、プロレス界の世界の中心が日本だったころの象徴でもあった」と語る。 今年に入り、表舞台に、その名が登場したのは、5月14日の新日東京ドーム大会、ハッスルハウス7札幌大会の両方から来場を呼び掛けられたためだった。しかし、橋本さんは、どちらにも姿を出さず、「仮に復活することが不可能であったとしても、己の道は己が決めます」とファクスでコメントしたのが最後の言葉となった。ZAKZAK 2005/07/11http://www.zakzak.co.jp/top/2005_07/t2005071121.html
2005年07月11日
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しばらく充電してました。ぼちぼち再開していく予定です。三菱重工がウエスティングハウスを買収する意向とのニュースが少し気になったので今後の動向を追っていこうと思ってます。※ ウエスティングハウスは米ペンシルベニア州に本社を置く原発メーカー大手。1957年に米国初の原発を建設。94年に米3大ネットワークのCBSを買収しメディア事業にも参入。99年に原子力部門が英核燃料会社(BNFL)に売却された。従業員数約9000人。現在のウエスティングハウスの親会社は英核燃料会社で、原子炉メーカーとしてGEと同様に世界をリードする企業。これと深くつながるのがベクテル社(ボヘミアン・グローブ)。三菱重工業:WH買収検討 米原子力技術流出懸念で曲折も三菱重工業が米原子力プラント大手ウエスチングハウス(WH)の買収を検討していることが9日明らかになった。原子力利用で大きな発言力を持つ米国のメーカーを取り込むことで、プラント輸出に弾みを付ける狙いだ。ただ、米国では安全保障にかかわる原子力技術の流出を懸念する声も根強い。三菱重工が国際的な原子力プラントメーカーとしての地位を固めるには、日本の官民あげて核不拡散や安全を担保するための体制整備が不可欠になる。三菱重工は原子炉容器や蒸気発生器などの部品を輸出しているが、プラント全体は未経験。「運転や管理のノウハウを相手国に移す経験が不足していたことや、元は米国から導入した技術だから、米国に遠慮して輸出に消極的だった」(政府関係者)とされる。しかし、95年の「もんじゅ事故」などで原子力への逆風が強まり、国内での新規立地が停滞。国内の原発関連メーカーは、老朽化した原発の建て替え需要が見込める2030年ごろまで輸出でつなぐしかない情勢で、経済産業省も総合資源エネルギー調査会の原子力部会で輸出政策を議論する見通しだ。一方、WHが売りに出された背景には、スリーマイル島原発事故(79年)から原発の発注が途絶え、原発を建設するための技術基盤を失ったことがある。WHが建設した原発の主要部品の交換などは、今では日仏のメーカー頼りの状況だ。ただ、かつての「教え子」である三菱重工による買収に、米国側がどのような反応を示すかは未知数だ。核拡散のリスクが高まることへの懸念に加え、原発需要が見込まれるアジアでの商機を逸しかねないからだ。米政府は04年に原発の対中輸出を解禁し、WH・三菱連合が中国の原発建設の入札に参加。「チェイニー副大統領が訪中した際、米国製原発を売り込んだという情報もある」(経産省幹部)とされる。ただ、輸出先で原発の事故が発生した場合、同タイプの原発の一斉停止にもつながりかねない。それだけに、三菱重工のWH買収に国内外の理解を得るには、さまざまな課題が残っている。【山本明彦】毎日新聞 2005年7月9日 19時30分 (最終更新時間 7月9日 23時30分)http://www.mainichi-msn.co.jp/keizai/kigyou/news/20050710k0000m020042000c.html三菱重工、米ウエスチングハウスの買収提案三菱重工業は米原子力大手ウエスチングハウス(WH)の買収に乗り出す。WHの親会社、英核燃料会社(BNFL)も売却に前向きで、年内の契約締結に向け交渉を進める。買収額は2000億円規模に上る見通し。三菱重工は世界で最も稼働実績が多い加圧水型軽水炉(PWR)分野でWHと提携関係にある。世界的なエネルギー需要拡大に伴い、原子力発電所の海外新設が増えるとみて、基礎技術の囲い込みを狙う。 BNFLは原発の燃料製造、使用済み燃料の管理などを手掛けるが、英国の電力自由化により経営環境が厳しく、傘下のWHを放出する方針。三菱重工は既に買収の意向を伝えた。米国への政治的配慮から米エンジニアリング会社などと組んで提案、BNFLからWHの技術者や研究施設などをすべて引き継ぐ。現在、複数の米企業と協議中。三菱重工にとっては初の大型M&A(企業の合併・買収)となる。 (07:00) http://www.nikkei.co.jp/news/main/20050709AT1D0702908072005.html三菱重工、米原子力大手のWHを買収へ三菱重工業が、米原子力大手ウェスチングハウス(WH)を買収する意向を示していることが9日、明らかになった。買収総額は2000億円程度になる見通し。原子力発電所建設で、加圧水型軽水炉の技術を共有するWHを買収することで、今後電力需要の拡大が期待される中国などで、原発建設を積極的に展開する狙いがあるとみられる。WHの親会社である英核燃料会社(BNFL)は、経営難からWHを売却する意思を表明している。これに対し、三菱重工は買収の意向を伝えたという。買収候補には、複数の企業や投資ファンドが挙がっているという。早ければ、年内にもWHの売却先が決まる見通しで、三菱重工は現在、資金調達方法などの検討を進めている。(2005年7月9日13時7分 読売新聞)http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20050709i404.htm三菱重工の米WH買収提案、三菱商事も参加へ三菱重工業による米原子力大手ウエスチングハウス(WH)の買収計画に、三菱商事が参加する見通しとなった。WHの親会社、英核燃料会社(BNFL)の売却方針に対して、三菱グループとして買収を提案する姿勢を打ち出し、信用力を高める狙い。三菱商事は一部を出資する方針で、米国など海外での原子力発電所の受注活動でも連携する。 三菱重工は三菱商事のほか、米エンジニアリング会社などと組んで買収を目指す。三菱重工がメーカーの立場として計画を主導するが、三菱商事も一部資本参加する見通し。買収額は2000億円規模に上るとみられ、グループとして提案する方が資金調達面でも有利になると判断したもようだ。 (16:00) http://www.nikkei.co.jp/news/main/20050709AT1D0900L09072005.html三菱重工、米原発メーカー買収へ中国での需要増見込む三菱重工業は九日、米原発プラントメーカー大手のウェスチングハウスの買収を提案したことを明らかにした。経済の急成長により一段とエネルギー需要の増加が確実な中国での原発建設ラッシュなどを見込み、三菱重工として初の大型M&A(企業の合併・買収)で原発事業の強化を狙う。今後、ウェスチング社の親会社の英核燃料会社(BNFL)との間で、金額など条件面の交渉を進める。買収額は数千億円規模になる見込み。資金調達の負担を減らすとともに、基幹産業であるエネルギー企業買収に対する米国内の反発を緩和するため、買収に当たっては、ファンド会社やエンジニアリング会社など米企業と連合を組むことになりそうだ。三菱重工とウェスチング社は、加圧水型軽水炉(PWR)と呼ばれる方式の原発の製造や維持、管理をめぐり、相互補完の契約を結んでいる。二〇〇五年には、中国が浙江省と広東省に建設予定の原発計画にグループを組んで応札するなど、関係が深い。http://www.chunichi.co.jp/00/kei/20050709/eve_____kei_____001.shtml三菱重工、米原発大手を買収へ 技術取り込み事業拡大2005年07月09日11時53分 三菱重工業が米原子力大手ウェスチングハウス(WH)の買収に名乗りを上げたことが9日、明らかになった。WHの親会社である英核燃料会社(BNFL)が売却の意向を示しており、両社は来週にも正式な交渉に入る。買収金額は10億ポンド(約2000億円)規模とみられる。世界的なエネルギー需要の高まりで、中国などで原発の新設が活発になっており、WHの技術力を取り込んで事業拡大を図る。 WHは、加圧水型と呼ばれる軽水炉を57年に世界で初めて商用化。三菱重工が原発事業に参入する際、技術を導入した「先生」にあたる。その後、主にWHが設計、三菱重工が建設を担当する協力態勢を構築。2月には中国で原発4基の建設に共同で応札している。 米国でもブッシュ政権が選挙で原発推進を公約しており、米での事業拡大のためにも買収が必要と判断した。「WHが他社の傘下に入ると事業に支障を来しかねない」(三菱重工幹部)という事情もある。買収にあたっては、三菱商事、米国企業との企業連合を組む方向で調整している。米複合企業のゼネラル・エレクトリック(GE)や仏原子力大手、米系企業買収ファンドなども、買収に関心を寄せているもようだ。 BNFLは原発の燃料製造や使用済み燃料の再処理などを手がけ、99年3月にWHを傘下に収めたが、近年は電力自由化などの影響で業績が低迷。収益力回復へWHを売却する方針を決めた。 加圧水型軽水炉は、世界に約430基ある原発の65%(発電容量ベース)を占める。GE、東芝、日立製作所は炉内で水を沸騰させる沸騰水型を採用している。 三菱重工は、これまで国内で営業運転中の原発53基のうち23基を建設。原発を扱う事業部門は05年度に260億円の営業利益を見込み、中核事業のひとつ。http://www.asahi.com/business/update/0709/008.html三菱重工業:米国の原子力プラント大手WHの買収検討 三菱重工業は9日、米国の原子力プラント大手ウエスチングハウス(WH)を買収する検討に入ったことを明らかにした。買収額は2000億円規模になる見通し。三菱重工は今後の海外展開に必要なWHの設計技術を取り込みたい意向だ。WHの親会社である英核燃料会社(BNFL)が複数企業に売却を打診しており、米ゼネラル・エレクトリック(GE)、仏フラマトムANPなど海外の大手企業も買収に意欲を示している。三菱重工はこれまでのWHとの協力関係を基礎に買収を成功させたい考えだ。 三菱重工はWHから加圧水型軽水炉の技術を導入して1957年に原発の開発を始め、国内で23基を建設した。現在、国内需要は頭打ちだが、エネルギー需要の増加で海外での原発建設は増えると見込まれ、今年2月には中国で実施された原発建設の入札にWHと組んで参加するなど、海外展開の強化を図っている。WHが他の企業に買収された場合、海外展開に大きなマイナスになると判断した。 WHはGEと並ぶ米国の原発大手。GEが沸騰水型軽水炉を手掛けるのに対し、WHは加圧水型が専門。総合電機メーカーだったが、99年に原発部門がBNFLに売却された。BNFLは使用済み核燃料からプルトニウムを取り出す再処理などを手掛けているが、電力自由化で再処理費の値下げなどを迫られており、WHを売却して経営効率化を図る。【山本明彦】毎日新聞 2005年7月9日 11時20分http://www.mainichi-msn.co.jp/keizai/kigyou/news/20050709k0000e020035000c.html
2005年07月10日
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米スポーツ界の長者番付を「スポーツイラストレーテッド」最新号が発表した。上位5人は、1.タイガー・ウッズ(8640万ドル)2.アンドレ・アガシ(4570万ドル)3.シャキール・オニール(4170万ドル)4.オスカー・デ・ラ・ホーヤ(4000万ドル)5.ミハエル・ヴィック(3710万ドル)以上のようになった。以下に「スポーツイラストレーテッド」のサイトから写真付きで上位15人を紹介しましょう。1.タイガー・ウッズ(8640万ドル)2.アンドレ・アガシ(4570万ドル)3.シャキール・オニール(4170万ドル)4.オスカー・デ・ラ・ホーヤ(4000万ドル)5.ミハエル・ヴィック(3710万ドル)6.Kevin Garnett(3000万ドル)7.Peyton Manning(2970万ドル)8.LeBron James(2830万ドル)9.Phil Mickelson(2740万ドル)10.Dale Earnhardt Jr.(2720万ドル)11.Alex Rodriguez(2600万ドル)12.Derek Jeter(2570万ドル)13.Tom Brady(2450万ドル)14.Manny Ramirez(2420万ドル)15.Kobe Bryant(2320万ドル)ウッズ、95億円稼ぐ 米スポーツ界長者番付2005年7月1日(金) 15時13分 共同通信 米の専門誌「スポーツイラストレーテッド」最新号は米スポーツ界の長者番付を発表、1位はゴルフのタイガー・ウッズで、2004年の収入は約8637万ドル(約95億円)だった。獲得賞金や広告出演料などを基にしていて、ウッズは賞金以外の収入が8000万ドルになる。2位も広告出演料が主のテニスのアンドレ・アガシで約4568万ドル。3位がバスケットボールのシャキール・オニール(ヒート)で約4170万ドル。野球はアレックス・ロドリゲス(ヤンキース)の11位が最高で、約2600万ドル。米国人以外では、F1のミヒャエル・シューマッハー(ドイツ)が8100万ドルでトップ。3000万ドルで2位のサッカーのデービッド・ベッカム(英国)に大差をつけている。女性では、テニスのマリア・シャラポワ(ロシア)が約2300万ドルで1位。日本人では、イチロー(マリナーズ)が2050万ドルで最高。松井秀喜(ヤンキース)は1300万ドルとなっている。(ニューヨーク共同) [ 7月1日 15時13分 更新 ] http://sports.yahoo.co.jp/hl?c=sports&d=20050701&a=20050701-00000171-kyodo-spo【2005年版】セレブリティ100(2005年06月20日)http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200506200000/
2005年07月01日
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鉄壁の陣で臨む平成の菱軍団「新戦略」を徹底検証する!!【新若頭補佐のプロフィール】大勢力の中で磨かれた異能の親分宅見組、山健組、弘道会という大組織で早くから頭角をあらわした実力派の輝かしい軌跡今回、若頭補佐に昇格したのは入江禎・二代目宅見組組長、高山清司・二代目弘道会会長、橋本弘文・極心連合会会長の3人である。入江若頭補佐は昭和19年12月9日生まれの60歳。出身は愛媛県宇和島市で、地元の高校を中退後、大阪に出て賭場に出入りしていた時に、当時宅見組長が所属していた山口組系福井組の関係者と知り合い、その縁で組員になったといわれる。昭和53年1月に宅見組長が福井組若頭から山口組直参に昇格した際に、宅見組長の盃を受け、いきなり宅見組若頭補佐に登用されている。一見、温厚そうに見えるが、松田組との「大阪戦争」で報復戦に打って出て、一和会との「山一抗争」でも配下の組員が一和会系幹部を射殺するなど、武闘派としても知られる。宅見組で本部長を務めた後、昭和59年に若頭となり、当時、四代目山口組若頭補佐として、さらに平成元年の五代目体制発足後は若頭として多忙を極めた宅見組長に代わって宅見組の要役として対外的な交渉など組運営を実質的に仕切ってきたという。宅見組が急速に勢力を拡大させていったのも、山口組若頭の率いる組織であるというブランドだけでなく、入江組長の功績が大きかったというのが、関係者の一致した見方だ。宅見組長はその実績を高く評価し、何度も直参昇格を持ちかけたが、入江組長は「ずっと親分についていく」とこれを固辞したと伝えられる。平成9年8月、宅見組長が中野会ヒットマンに暗殺されると、跡目は難航するとの見方が出ていたが、「四十九日法要」直後の宅見組緊急総会で入江組長の二代目継承を内定。山口組本家も最高幹部会でこれを承認し、同年10月25日に継承式、盃直しを行い、12月に渡辺五代目から盃を受け直参に昇格した。中野会に対する報復攻撃でも系列組織が武闘派ぶりを見せ付けている。直参昇格後の平成13年12月には総本部当番責任者に登用され、幹部候補として注目されていた。高山若頭補佐は昭和22年9月5日生まれの57歳。地元・愛知県の出身で、昭和42年に当時、名古屋で強力な地盤を築いていた弘道会の前身である弘田組傘下の有力組織だった佐々木組に加入。佐々木組若頭を経て昭和51年に佐々木組が菱心会と改称すると理事長に就任、同会傘下に高山組を結成し、さらに弘田組の直参となった。当時、名古屋を中心とする中京地区は地元独立組織と弘田組が激しい抗争を繰り広げ、司・弘田組若頭も長期服役を余儀なくされているが、高山会長もまたこの過程でめきめきと頭角を現し、昭和55年に弘田組若頭補佐に登用された。四代目の座を巡る暗闘の過程で山口組から一和会が分裂した昭和59年、弘田武志組長が引退を決意、司会長がその地盤を引き継ぐ形で弘道会を結成すると、引き続き若頭補佐を務めると同時に、渉外委員長を兼任した。さらに平成元年に五代目体制が発足し、司会長が五代目山口組若頭補佐に就任するのに前後して、弘道会若頭となった。司会長は当時、「若頭補佐として本家のことで忙しく、(弘道)会のことはすべてカシラに任せている」と周囲に語るなど、全幅の信頼を置いていたという。その後、弘道会が急速に勢力を拡大、組員4000人を超え山健組に次ぐ勢力となったのも、高山会長の手腕によるところが大きいという。水面下で司若頭誕生に向けて大きく動き出していた今年初め、高山会長は自ら率いる高山組を後進に譲り、自らは総裁となった。その直後の3月、今度は司会長の跡を次いで二代目弘道会会長に就任、翌4月に直参に昇格している。同時に司若頭は二代目弘道会総裁となり、弘田組組長として引き続き執行部の一翼を担うこととなり、5月に若頭に就任したのだった。そうした意味では、司若頭の誕生と高山若頭補佐の人事は一体のものであったといえよう。橋本若頭補佐は昭和22年1月8日生まれの58歳。昭和38年ごろに当時、大阪の独立組織であった南一家吉田組に加入したが、吉田組解散を機に自ら橋本組を結成。「喧嘩に負けたことがない」という武闘派ぶりが注目され、昭和51年に子分を引き連れ初代山健組に加入した。山本健一初代が死去し、渡辺芳則二代目体制になると、自らの組織を極心連合会と改称、その力量が高く評価され、若頭補佐、若頭代行を歴任。平成元年に渡辺組長が山口組五代目となり、桑田組長の三代目山健組体制となると若頭に就任している。山健組勢力の拡大に余り関心を示さなかった山本初代に代わり、山口組内で最大勢力にまで押し上げたのは、渡辺二代目、桑田三代目、そしてこの2人の組長を最高幹部として支えてきた橋本会長の力量によるところが大きいというのが、周囲の一致した見方でもある。また、山一抗争では報復戦に兵隊を送り込むなどイケイケぶりが目立つが、経済的手腕も秀でたものがあり、渡辺五代目の信頼も厚い。桑田組長が銃刀法違反事件の共謀共同正犯の罪に問われ社会不在となると、文字通り留守を預かる「司令官」として活躍、さらに山健組勢力を拡大し、現在の7000人体制を築き上げた。桑田組長の有罪が確定すると、平成15年5月にその後を睨んだ山健組の組織改革が断行され、橋本会長は初めて設けられた組長代行のポストに就き、組長不在の山口組最大勢力を切り盛りしてきた。かなり以前からその実力が認められ、直参昇格の噂が絶えなかったにもかかわらず、直参昇格が今年4月となったのは、桑田組長が社会不在になったことで、山健組をまとめていく必要があったためとみられている。満を持しての直参昇格、そして若頭補佐昇格といえ、巨大組織をまとめてきた手腕が、新執行部の中でどう生かされるのか、注目されている。今回の若頭補佐人事で注目されているのが、3人の出身母体である。入江組長の二代目宅見組は前若頭が率いてきた組織であり、二代目体制になる際に、後に直参となった天野洋志穂組長率いる天野組が独立したことなどから、一時より組員は減ったとはいえ、山口組内でも有数の勢力である。そして高山会長の二代目弘道会、そして橋本会長の所属していた山健組は、山口組一、二を争う勢力を有しているのは言うまでもない。「長年にわたって若頭不在が続き、今や当代も休養中ということもあって、新執行部の当面の課題は組織固めだ。となれば、派閥のバランスを考えた今回の人事はまさに絶妙のものといえる。とりわけ高山会長、橋本会長は直参に昇格してわずか2ヶ月での執行部入りで、これまでの最短記録であった渡辺五代目のそれを大きく上回っている。まさに迅速、かつ大胆な人事だ」(事情通)さらに、これまで69.4歳だった執行部の平均年齢が、67.0歳にまで若返ったことも注目に値するだろう。※ 直参昇格の噂があった井上邦雄・山健組若頭(四代目健竜会会長)ですが、P.27に「井上若頭が桑田組長の養子となり、戸籍上も実子となっていることもあって、『山健組の跡目として残したのではないか』との観測が広がっている」とありました。どうなる五代目山口組若頭(2005年02月01日)http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200502010000/五代目山口組の若頭が決定した(2005年05月11日)http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200505110000/山口組若頭とは何か(2005年06月06日)http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200506060000/
2005年06月30日
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前回の日記「秘密結社」の続きになります。毎度のようにビルダーバーグに関する部分を抜き出して紹介(転載・保存)します。リップルウッドとビルダーバーグ会議ネオコン人脈も蝟集する世界最強の秘密結社ビルダーバーグの真実EUやNATO関係諸国と合衆国を連結するビルダーバーグ国際会議を開くのに、ホテル全体を借り切るのは分かる。しかし、従業員やガードマンまで自前で連れてきて、借り切るのはホテルの建物だけ、それも会議場はもとより全室徹底的に盗聴装置の有無の点検と排除をやり、普段詰めているホテル側の従業員やガードマンは全員、会議期間中は休みをとらせ、ホテルに近づけないし、関係者はコンピューターに指紋が入力してあるので闖入者は直ちに発見され、手錠をかけられ収監されるか、逃亡を図れば銃撃される──こんな国際会議があるのである。それが「ビルダーバーグ」だ。むろん、メディアも近づけない。会議の中身はもとより、出席者まで秘密厳守。こうなれば、「一時的秘密結社」としか言いようがあるまい。当然、陰謀史観論者には恰好の「陰謀機構」として扱われてきた。アメリカの秘密結社と言いにくいのは、これを造ったのがポーランド人、彼がシャッポに頂いたのがオランダの王室だからである。従って、会議に呼ばれるのは大西洋をはさんだ欧米の指導者たちになる。その点、英米絡みで発足したRIIAとCFRよりは、他のヨーロッパ諸国を含むので、今日のEUやNATOを組み入れた広がりを持ちうる。だからこそ、陰謀史観論者らの間では、「いよいよロスチャイルドとロックフェラーが手を組んで『世界統一政府』の実現に乗り出した」と喧伝された。ただし、それ以外の地域は原則として入らないので、次に触れる「日米欧委員会」へと発展する前段階の過渡的なものだとも言えよう。ちなみにビルダーバーグにはオーストラリアは入れたのに、日本は地域外という理由で入れなかった!発足は1954年、5月29日から翌30日のわずか2日間、オランダの片田舎イースターベークにあるビルダーバーグ・ホテルを右の調子で借り切って行われたのが組織名の由来にもなった。総合司会はオランダのベルンハルト公である。前述の「壮大な地域」戦略にもかかわらず、1950年代に入ると、早くも合衆国のヨーロッパ関与は低下し始めていた。ビルダーバーグは、米側若手幹部のヨーロッパ政財界という舞台への登竜門に活用され、「合衆国大西洋審議会」など公的な機関を補完する非公式な機能を期待されたのである。もっともこの時期、赤狩りが進行中で、これまた一種の陰謀史観であることは前述した。赤狩りとの因縁は、ビルダーバーグ・ホテルでの最初の会議に出たC・D・ジャクスンがこう発言したことだ。「マッカーシーが暗殺の銃弾に倒れようと、生体から腫瘍を切除する通常のアメリカ式手続きで排除されようと、ここに予言します。次回のビルダーバーグまでには彼はアメリカ政治の表舞台から消えているでありましょう」。ジャクスンはCIAの心理戦争担当幹部で、米側のビルダーバーグ国際推進委員だったが、肝心なことは、彼の予言は後に実現したことである。1980年代、反ウーマンリブの女性側闘士となるフィリス・シュラフリーは、ビルダーバーグが「事件を企み、見かけはただ起こっただけと見せかける」と書いている。近年の例では、「仏国民戦線(NF)」のジャン=ル・ペンの失脚にもビルダーバーグが関与したというのが陰謀史観論者の定説になっている。この国粋主義政党が15%の票をとったとき、「自由貿易」を唱え、「グローバライゼーションの高僧たち」と呼ばれてきたビルダーバーグ側は仰天、彼を標的にしたというのだが、事は選挙である、どう「標的にした」のか?ビルダーバーグにはメンバーはいない。毎年違う開催地で、D・C・ジャクスンもその1人である非公式な「国際推進委員会」の諮問に応じて、ベルンハルト公が80名から100名ほどの招待者リストを作成、欧米から彼らが集まって開催された。三分の一が官庁と政界、残りは金融、企業、労組、教育、メディアなどの幹部からなる(メディア自体は会議場からシャットアウトだが、近年物故した『ワシントン・ポスト』のキャサリン・グレアムのようなメディア関係者やABCの「世界のニュース」担当のピーター・ジェニングズのようなスター・キャスターらは他言無用を受け入れれば招待されるのだ)。しかし、彼らはあくまで「一私人」として出席するのであって、それぞれの組織団体を一切代表しない。公式言語は英語と仏語である。ところが、ロバート・エリンジャーというアメリカ人ジャーナリストが調べてみると、米国務省や英外務省は、会議出席者の旅費を出していることが分かった。その中には、「共産中国の国境を越えた最初のアメリカ人高官」とふざけた、後のCFR会長で中国大使、クリントン政権の国務次官補、ウィンストン・ロードもいたのである。国際推進委員会は、ヨーロッパと合衆国にそれぞれ名誉事務総長を置いたが、前者には後述するビルダーバーグの仕掛人、ヨーゼフ・レティンガー博士、後者には諜報部門や安全保障部門の人物が関与、特に「スティムスン・グループ」、そしてCIA幹部、CFR機関誌『フォーリン・アフェアーズ』編集長のウィリアム・バンディが二代目で就任した。マッカーシーがCIAに「赤狩り」の矛先を向けたとき、彼の凋落が始まったと言われるが、トルーマン政権の国務長官だったディーン・アチスンの女婿バンディは、ニクスンの赤狩りでしとめられた前述のアルジャー・ヒスを守ろうと死力を尽くした。国際推進委員会には、ここが不思議な点だが、米側ではキッシンジャーは、無名のハーヴァード教授時代から出ている。青田刈りの印象が強い。推進委員ではないけれども、クリントンもアーカンソー州知事時代から会議に呼ばれ、その直後、大統領選に出馬して当選しているのである。これも青田刈りとして、陰謀史観論者が騒ぎ立てる。ビルダーバーグ創設者レティンガーと「ヨーロッパ合衆国」ビルダーバーグは本部を持たない点が秘密結社としては異色だ。さらに、舌禍を恐れて発言が端的さを欠かずにすむよう、記録は一切とらないというのだが、それでは討議内容が忘れられてしまう。動議提出、議決、政策公表も行わないという。しかし極秘事項として、初回会合の決議事項が残されているのだ。傑作なことに、これらのデータは陰謀史観論者らが、潜入させたスパイその他、あらゆるコネを通して収集しているのである。第2章のスカル&ボーンズの情報が、この有名クラブに嫉妬した他のクラブの学生が「墓陵(ザ・トゥーム)」に侵入して盗み出した資料に依存しているように、秘密結社情報の出所には共通性がある。ともかく、それによれば、こうある。「長期の計画、現今の危機の彼方を展望する国際秩序を展開させることについては、従来は十分な配慮がなされてこなかった。時至れば、世界の出来事に対するわれわれの観点は全世界に拡大されてしかるべきである」。「国際秩序」という言葉には、陰謀史観論者らは舌なめずりしたことだろう。「現今の危機の彼方を展望する国際秩序」を見通すには、相対立する見解が共通の広場で戦わされることが前提となる。その意味では、CFRの精神が踏襲されているわけだ。舌禍を恐れないで機密事項まで口にするらしいことは、1971年のビルダーバーグの後で、ある大統領側近が一部の国内外の実業家らにニクスン政権の経済凍結の情報を漏らし、15ないし20億ドル稼がせたとか、ニクスン訪中を漏らし、対中貿易に一足早く手を打たせたという告発となって表れる。この「側近」は、キッシンジャーと見られている。「現今の危機の彼方を展望する」側面は、例えば、第3回会議(フレーデンスボルグ、デンマーク)では、早くも国連においては第三世界諸国の参加で欧米側の支配が停止される懸念が議題に上り、ソ連が猛烈な経済発展にもかかわらず消費が欧米の半分以下だから(つまり余剰が軍事力競争にまわされている)、NATO諸国の政経および文化的連携を強調することで対抗すべきだとする主張がなされている。過去半世紀の結果で見ると、ビルダーバーグに呼ばれた人物の大半が、その後、前述のキッシンジャーやクリントンのように、各国政財界その他で一層頭角を表している。歴代英首相のすべてが、首相になる前にビルダーバーグに出席した。ジスカール・デスタン首相は蔵相時代に出席、ヘルムート・シュミットは1974年の会議に出たとたん、首相になった。ケネディは国務・国防両省の高官を、「ビルダーバーグ同窓生」から選んだ(これはCFRとダブる)。後述するカーター政権は、「日米欧委員会閥」が有名だが、結果的に「ビルダーバーグ閥」でもある。前述のエリンジャーは、1977年4月、イングランド南西部のリゾート、トーケイでビルダーバーグが開かれる前日、会場のインペリアル・ホテルに投宿、深夜、会議場に侵入して、ビルダーバーグの会議槌を失敬したものの、翌朝、米のシークレットサービスと英側の警察特殊班に退去を命じられた。同ホテルの長年のなじみ客ともども追い払われたのである。傑作なのは、1976年、ベルンハルト公が田中角栄を倒したあのロッキード疑獄に巻き込まれ、ヴァージニアのホットスプリングズでの会議がビルダーバーグ始まって以来初めて中止になったことだ。公は辞任、元英首相の貴族ロード卿(アレック・ダグラス)と交代、以後は数名の委員長が交代している。では、ビルダーバーグを造りあげたのはどんな人物だったのか? ヨーゼフ・ヒエロニムス・レティンガー博士は、1888年、ポーランドのクラコフ生まれ、ポーランド貴族の庇護を受けたのは、後々、ベルンハルト公始め、ヨーロッパの王侯知見にとり入る才能の早いめざめと言えた。この庇護のおかげで18歳でパリに出て、ソルボンヌで医師免許を取得、以後、両大戦の狭間で辛酸をなめる母国のため、英仏の上層部にコネを造り続けた。1924年、レティンガーは初めてヨーロッパ統一を思いつき、主に英政界で動き始めた。第二次大戦では、ロンドンのポーランド亡命政権に関与、母国の地下抵抗運動とも現地で連絡をとるなどしていたが、戦後、1946年5月、英側のCFR、RIIAで早くもソ連の脅威について講演、これが「ヨーロッパ運動(EM)」の口火となった。1948年7月、チャーチルらと渡米、「アメリカ統一ヨーロッパ委員会(ACUE)」を立ちあげた。ナチスをアメリカの助けでやっとのことで下したチャーチルが、押し寄せるソ連の脅威に対抗して「ヨーロッパ合衆国」の形成を主張したのは有名だが、その背後にはこのレティンガーがいたのである。ACUEには、例のアレン・ダレス、そしてCFR理事長ジョージ・S・フランクリン二世(デーヴィッド・ロックフェラーとハーヴァード同窓)が関与、多少の援助を行っている。レティンガーがビルダーバーグを思いついたのは、NATO諸国間でのリーダーたちの交流と意見交換の場としてであり、EMのオランダ人幹部の口利きでベルンハルト公の担ぎだしとなった。合衆国のとりこみを図るべくレティンガーらが渡米、アイゼンハワー大統領、デーヴィッド・ロックフェラーその他と会談、特にアイゼンハワー政権の心理戦争担当の特別補佐官に任命されかけていた前述のジャクスンと下ごしらえを手がけ、前述のビルダーバーグ・ホテルでの最初の会合となるのである。霊験あらたか、この翌年の会議(西独ガルミッシュ)で「欧州共同体(EC)」の早期結成が強調され、ついにEC設立条約、「ローマ条約」(1957)の成立を見た。
2005年06月29日
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秘密結社アメリカのエリート結社と陰謀史観の相克著者: 越智道雄出版社:ビジネス社ISBN:4828411976サイズ:単行本 / 253p 発行年月: 2005年 06月 本体価格:952円 (税込:1000円) http://books.rakuten.co.jp/※ 「序章」から抜粋。秘密結社は、権力から非合法化されている「野党型秘密結社」と、国家の権力者が善悪入り乱れた権力行使の現場を隠すための「与党型秘密結社」に大別される。後者の場合、「内閣(キャビネット)」という言葉自体、「私室」、つまり秘密結社を意味している。アメリカは大英帝国に楯突いて独立したこと、カトリシズムに楯突いたプロテスタンティズム主流の国であること、この2つから建国の運動律に色濃く「野党型秘密結社」の要素が根を下ろした。その凝結核は前述のようにフリーメースンだったが、その経緯は第1章で扱う。大英帝国を凌駕し始める時点で、アメリカにも「与党型秘密結社」が不可欠になってきた。その凝結核として「スカル&ボーンズ」を第2章で扱いたい。ただ、元来が野党的リーダーシップなので、与党型への転換は未だに不器用であり、その典型が現下のブッシュ政権の無骨さに露呈しているとも言えるだろう。他方、20世紀に入って、ヨーロッパが衰退、西端を合衆国、東端をソ連にサンドイッチされて、その間でいかに均衡を保持するか、その懊悩の只中から大英帝国に生まれてきた「均衡保持型秘密結社」、「ミルナー・グループ(MG)」を第3章で扱う。このMGから派生したのが「王立国際問題研究所(RIIA)」、その米国版、冒頭で触れた「国際関係審議会(CFR)」、一種の「大西洋同盟」である「ビルダーバーグ(BB)」、日本の台頭に引きずられて生まれてきた「日米欧委員会(TC)」等々については、第4章で扱う。なお、TCの訳語は近年「三極委員会」と、原語により忠実になったが、一般には馴染みが少ないので、以前の「日米欧委員会」のままにした。そして寡頭政治(オリガーキー)的に権力を行使するエリート層に対する一部民衆の痛烈な疎外感から生まれてきた「陰謀史観」の理解の手引として、代表的な「陰謀史観論者(コンスピラシー・セオリスト)」、「キリスト教右翼」の「テレビ説教師」、パット・ロバートスンを第5章で取り上げたい。なぜなら、陰謀史観がばらばらの小規模なものに止まるかぎり問題は比較的少ないのだが、アメリカにおけるキリスト教徒右翼は3500万人にも達しており、彼らの無知蒙昧さをあざ笑うだけではすまなくなっているからである。レーガンもブッシュ大統領も自分がキリスト教右翼であると公言したからこそ、当選できたのだから。【本書の内容】序章 今日のアメリカ秘密結社の機能と日本 アジアでの自国の相対化を先読みできる日本版CFRは? 「アジア新三国志」は日中印? 米中印? 現代人は「市民」で同時に「結社員」第1章 アメリカ建国とフリーメースン 大英帝国への反逆の核になったフリーメースン 海賊になった十字軍、陸にあがった海賊 合衆国を「巨大ロッジ」として建国したメースンたち ワシントンの就任式、合衆国建国? メースン建国? 首都に浮かび上がる「悪魔の五芒星形」 「議事堂フクロウ」と「トリプル・タウ」 なぜ多数のメースンがアメリカ建国に関わったのか? 奴隷取引で蓄財した今日の銀行群 阿片の富が流れ込んだアイヴィーリーグ メースンの使命終了と新たな結社の登場第2章 スカル&ボーンズ なぜ他愛もない学生クラブがアメリカ秘密結社の代表なのか 「人肉を食らう」とは「弁証法的手口」? ボーンズマンは敵味方の境界を越えて一枚岩か? 表の世界と裏の世界の価値観を入れ換える儀式 ボーンズマンが陰謀史観論者らにネタを提供するシニシズム ブッシュ親子が政権に登用したボーンズマンは11名 7人の大統領に仕え、反日を説いた「日本の宿敵」 「スティムスンの幼稚園」と「園児」たちの中核 「後期スティムスン・グループ」と「ヴェトナム瓦解」 「与党型秘密結社」が見切った現下のアメリカの宿命第3章 世界統治面での「均衡保持型秘密結社」の原型 古今未曾有「大英帝国連邦」妄想に取り憑かれた男 「セシル・ローズの秘密結社」の存在理由 アルフレッド・ミルナーと彼の「幼稚園児たち」 国際連盟を舞台に帝国連邦が米ソの均衡をとる野望 「フォーニー・ウォー」がなぜ起きたのか? 与党型秘密結社から均衡保持型秘密結社への移行第4章 今日の均衡保持型秘密結社 米行政独自の「政治任命職」は陰謀史観の温床? CFRの成立とその生みの親ハウス大佐 情報ゼロの政権に驚嘆すべき巨視的展望を提供 CFR案(米中復交)を横取りしたニクスンたち ニクスンの疎外感と陰謀史観論者らの疎外感 EUやNATO関係諸国と合衆国を連結するビルダーバーグ BB創設者レティンガーと「ヨーロッパ合衆国」 「国家群の経済的越境」とTC誕生の背景 TC三角形の日=欧を結ぶ辺の糞詰まり レーガン政権に噛みついた均衡保持型結社としてのTC 同一シンクタンク・メンバー同士が現実政治の場に立つと 何がカーターに火中の栗を拾わせたか 「強化合宿型折衡」、稲妻の雷雨のうちに終了第5章 陰謀史観論的結社としてのキリスト教右翼 「頭脳」のネオコン、手足のキリスト教右翼 「新世界秩序」、ブッシュ版とロバートスン版 「大淫婦」と「再臨キリスト」、湾岸戦争 諸問題の現実的解決の不在につけこむ幻想的解決 最低線のキリスト教徒を政治化した「支配神学」終章 「9/11」 秘密結社衝動の日常化と「新世界国家」 今日のフリーメースンと「9/11」で震撼した結社衝動「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」平成17年(2005年)6月26日(日曜日)第1165号 臨時増刊<<今週の書棚>>越智道雄『秘密結社(アメリカのエリート結社と陰謀史観の相克)』(ビジネス社) アメリカ通の越智道雄教授の新作は、科学万能時代の先進工業国家にさえ、いまも蔓延する、いかがわしき陰謀史観と、過去はともかく現代社会では、いかがわしくもかび臭い秘密結社の深奥部にぐさりとメスをいれた力作となった。これらは日本でもっとも誤解されている話題である。 評者(宮崎)は、この種の話は興味津々。いやはや面白いなぁ。まず普通のアメリカ通でも知らない克明な政治人脈の情報が満載されていて、この本、新書版スタイルだが、書き加えられている内容はゆうに単行本を越える。 ホウジという男が居る。『フォーリン・アフェアーズ』という、国際情勢を分析する雑誌をつくるCFR(国際関係評議会)の編集長をつとめる。日本の右派のなかには、ここが世界謀略の総本山と位置つける向きもあって、ともかく毀誉褒貶が激しい。 ホウジに象徴されるアメリカ人エリートらの世界解釈とは? 北朝鮮と韓国の関係は、「東独と西独でおきた事柄をデータ・マップとして北朝鮮=韓国にかぶせ、北朝鮮の崩壊度と韓国側の衝撃度を、とっくにシミュレーションし終え」ており、「韓国には自作の作戦がある」とCRFは見ているという。 筆者の越智教授は「韓国と中国との提携がはやまる」と考えており、「金正日以後の政権保持は殆ど僥倖に近い。かつての東独の崩壊で西独が激しくよろめき、さしものマルクも未だにかつての強さを回復出来ない」ように、経済的に強くなった韓国さえ、単独では北朝鮮の難民を支えきれず、「韓国は倒壊する懼れが高い」。 だから中国とて表向きの強硬態度とは別に、内心では気が気ではなく、アメリカから見れば、こうした朝鮮半島の危機に際して、日本との安保条約を充実しない限り、日本が核武装するだろう、とホウジらは描いている事実も紹介される。 (なるほど、先日のキッシンジャー論文も、まさにそういう考え方に近い分析をしていましたっけ)。 またブッシュ大統領の反テロ戦争は「あくまで口実」であり、中央アジア、中東、つまり「ロシアの下腹」と「中国の背後」にアメリカ軍を駐屯させる戦略行使である、と結論している。このへんは評者(宮崎)の分析と軌を一にしている(拙著『テロリスムと世界宗教戦争』(徳間書店、2001年を参照)。 さてアメリカにおける「ネオコン」と「キリスト教右派」をいかなる構造図式で描いているか、と言えば「ネオコンが頭脳」で「手足がキリスト教右派」。つまり「ブッシュ息子政権が頭脳はネオコン、心臓と胴体は米系多国籍企業、腕力は軍産複合体、手足はキリスト教右派という異種縫合の『フランケンシュタイン』である」とみる。 本書は、こうした視点に立脚して「フリーメーソン」(米国歴代大統領のうち25人)、「スカル&ボーンズ」(ブッシュ・ジュニアもケリーもエール大学の学生秘密結社で同窓)、またCFR、BB(ビルダバーグ)、TC(日米欧委員会)、最後に「911テロ」前後の陰謀史観について細密を極める分析がある。 この本はしかしながら、従来ありがちだった陰謀、秘密結社を大げさに取り上げて、過大な脅威を煽る類書と、越智道雄教授とは明らかに立場をことにしている。越智教授は淡々として事実を列記し、その人脈、裏側でのコネクションを叙するのである。 これ以上詳しく書くと本の販売に影響がでるだろうから、陰謀のプロセスなどは本書にあたってもらうほうがいい。 とにかく面白いが、蛇足をひとつ。この書籍は基本的にアメリカの政治知識が乏しいと理解できない難解な箇所も多い。http://www.melma.com/mag/06/m00045206/
2005年06月27日
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シェブロンが米石油大手ユノカルを買収することで「合意」したと4月上旬に発表されたが、ここに再度、中国3位の石油会社CNOOC(中国海洋石油)が割り込んできたことでこの買収劇が揺れている。CNOOCがユノカル買収に提示する金額はシェブロンの提示額を10%上回る200億ドルと言われていたが、本日の発表によると、現金で185億ドル(約2兆円)だったようである。ユノカルがシェブロンと合意したようにこのままシェブロンと合併するのか、今回のCNOOCによる買収案を受け入れるのか、それともシェブロンが買収金額を増額することでシェブロンが買収するのか、これらは今後の動き次第でどう変化するのかわからないとしか言えないだろう。CNOOCの傅成玉・会長兼最高経営責任者(CEO)は、本日23日に、「取締役会は、2カ月にわたり買収案を検討した後、全会一致でユノカル買収案を支持することに合意した。われわれはこの案件を完了し、買収を成し遂げる決意を固めた」、「ユノカル株主にとって非常に良い提案だ。すべて現金で支払われる」とコメントしている。さて、ここで私が注目したいのが、このCNOOCがユノカルを買収することで取締役会が本日「全会一致で合意」した背後にいた“まとめ役”がロスチャイルドだったということである。フィナンシャル・タイムズは21日に、「CNOOCの4人の取締役が明日か23日にも開かれる取締役会で、4人の非常勤取締役に買収案を支持するよう求めるという。非常勤取締役は4月時点で買収提案に反対していたが、英投資銀行のロスチャイルドを中心とした顧問団がまとめている報告の内容次第で支持に回るとみられている」と報じていた。フィナンシャル・タイムズは17日にも、「中国海洋石油は今年4月、経営陣が練っていたユノカルの買収計画に非常勤取締役が反対し、取締役会が分裂していた。その非常勤取締役を英投資銀行ロスチャイルドが率いる独立アドバイザーのグループが説得する可能性がある」と報じていた。ロスチャイルドが説得したことで本日のCNOOCの取締役会が「ユノカル買収を全会一致で合意」したと読み取ってなにも問題はないだろう。CNOOC側についているアドバイザーは、ゴールドマン・サックス・グループとJPモルガン・チェースであることにも注目しておきたい。CNOOCはユノカル買収の資金として、ゴールドマン・サックス・グループとJPモルガン・チェースから、30億ドルのつなぎ融資を確保している。※ ユノカル買収で合意していたシェブロンとは、メロン財閥の「ガルフ石油」とロックフェラー財閥の「スタンダード石油カリフォルニア」、そして「テキサコ」、これらを“合体”させた巨大企業である。・・・と、以上のようにロスチャイルドの名前が登場したので、これまで以上にユノカル買収がどうなるのか興味を持って見たきたわけです。それで、ユノカルとは関係ないんだけど検索中にさきほど発見したのが以下の記事2つ。ロスチャイルド:アジア業務拡大狙う―香港ジャーディンとの関係活用 (ブルームバーグ) 2005年6月23日(木)19時07分6月23日(ブルームバーグ):投資銀行大手ロスチャイルドは、同業で香港のジャーディン・マセソン・ホールディングスとの関係を生かし、世界で最も急速に伸びている合併・買収(M&A)市場であるアジアでのシェア拡大を狙っている。アジアで1830年代に業務を開始したジャーディンは、ロスチャイルドの英部門の経営権を持つ会社の株式20%を、英保険ロイヤル・アンド・サン・アライアンス・インシュアランス・グループから1億8500万ドル(約200億円)で取得することで合意した。ロスチャイルドのマネジングパートナー(パリ在勤)、ライオネル・ジンスー氏は22日の電話インタビューで、「われわれの顧客はアジアに大きな関心を寄せている」と述べた上で、同社の香港事業は「欧州の投資銀行に似つかわしい」規模に成長するとの見通しを示した。中国3位の石油会社、中国海洋石油(CNOOC)は、米石油会社ユノカルに現金185億ドル(約2兆100億円)での買収を提案。提示額は同業の米シェブロンが先に合意していた買収案の額を上回った。ロスチャイルドは、この買収提案でCNOOCに対する助言業務に携わった。http://money.www.infoseek.co.jp/MnJbn/mn_jbntext.html?id=23bloomberg15aN7MIsu5Ui7Mロスチャイルド、ジャーディンと提携してアジアで業務拡大へ(6/23)※世界有数の独立系投資銀行グループ、ロスチャイルドがアジアでプライベート・バンキングと投資銀行業務を拡大する模様だ。これは香港の商社であるジャーディン・マセソンが、英国の保険会社のロイヤル・サンアライアンス(RSA)からロスチャイルドの持株会社株式20%を取得すると決定したことが契機になっている。取得価格は1億870万ポンド。ロスチャイルドのフランスと英国の投資銀行業務を統括するデービッド・ロスチャイルド男爵は、ジャーディンと協議を行なう前にロスチャイルドが株式を取得する方式も検討したが、「企業文化の側面から外部の株主がいた方が健全であり、その方が会社機構の整備が進むと考えた」と明かしている。同氏は、今回の株式の売却は会社の構造を変えるステップではないかとの見方を否定し、「会社の構造を変えるという議論はなく、会社を上場したり売却したりする意思はまったくない」と述べている。ロスチャイルドの英国、米国、豪州の投資銀行の親会社はロスチャイルズ・コンティニュエーション・ホールディングス(RCH)であり、RSAはこのRCHの20%の持分をジャーディン・ストラテジック・ホールディングスに売却する。ジャーディン・ストラテジック・ホールディングスは、ロスチャイルドで唯一の「非ロスチャイルド系の」株主となり、ジャーディンからはRCHの取締役会に2名の取締役を送る。この2名の取締役は、アジアにおけるプライベート・バンキング業務の構築と投資機会の開拓を担当する予定だ。(英フィナンシャル・タイムズ特約)※ ジャーディン・マセソン社は、1832年にウィリアム・ジャーディンとジェームス・マセソンにより、中国の広州に設立された会社で、デント社やボーンズのラッセル&カンパニーと並ぶ「アヘン貿易」の中心的企業であり、坂本竜馬や岩崎弥太郎などを背後から操った明治維新最大の黒幕トーマス・グラバーの黒幕的(グラバー商会の資金源)な存在でもある。したがって現在の「三菱財閥」にはグラバーの“血”が流れている。明治維新とはなんだったのか:トーマス・グラバーについてhttp://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200408220000/最新日本政財界地図(19)http://www.yorozubp.com/0411/041117.htm米英に操られた幕末の日本http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200412290000/グラバー考(「明治維新とグラバー」考)http://www.marino.ne.jp/~rendaico/ロスチャイルドと野村証券が提携http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200502150000/日興コーディアル証券がLCFロスチャイルド・グループと提携http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200504200001/中国海洋石油の傅CEO:ユノカル買収案についてコメント (ブルームバーグ) 2005年6月23日(木)14時52分◎ユノカル従業員の扱いや、同社への投資方針について:「合併後の新会社では、ユノカルの従業員のかなりの部分を雇用し続ける。われわれは今後も、ユノカルの従業員の専門知識を活かしたい」「われわれはメキシコ湾への投資を継続する」「予見し得る将来、ユノカルの経営に変更を加える計画はない」◎米監督当局による買収案承認の見通しについて:「これは純粋な商取引だ。米国の国家安全保障に対しマイナスの影響はないと考える。米政府は世界規模の自由貿易を推進している。米企業も中国の資産を買収している」「われわれは、米政府がこの取引を支持することに自信を持っている」◎合併の戦略的根拠について:「両社とも主力はアジア事業だ。両社が1つになれば、世界で最も成長が速い地域の1つであるアジアで、主導権を握ることになる」◎取締役会の意見対立に関する一部報道について:「取締役会の意見対立に関する報道は誤りだ。われわれが買収案を検討する上で、予想以上に時間がかかっただけだ。従って3月には、買収案を進めることができなかった」「取締役会は、2カ月にわたり買収案を検討した後、全会一致でユノカル買収案を支持することに合意した。われわれはこの案件を完了し、買収を成し遂げる決意を固めた」 ◎買収提案のメリットについて:「ユノカル株主にとって非常に良い提案だ。すべて現金で支払われる」「米国にとっても良いことだ。ユノカルの米国産石油とガスは引き続き米国内で販売される。資産は重複しておらず、大規模な従業員削減は見込んでいない」「適切な事業であり、買収提案は十分採算に合うものだ」楊CFOは、CNOOCがアジアを中心とした国際的な探査・生産でリードするだろうと述べた。◎株式売却の可能性について:「2年以内に増資によって調達し直す予定だが、まだ具体的な日程はない」◎ユノカル買収後のCNOOCに対する信用格付けについて:「統合後の会社は投資適格級にとどまると考えている」◎買収後のユノカル資産売却の可能性について:「ユノカルはカナダ資産を売却中で、これは多くの関心を引いている」「中核資産を売却する計画は現在のところない」「資産をさらに開発するか分離するか保持するかは、戦略と景気に照らして合理的に判断する」◎買収提案に対する米監督当局の認可見通しについて:「米規制当局のスタンスについて憶測をめぐらしたくない。われわれは米規制当局の要請に協力していく。承認を得る自信がある」◎親会社の中国海洋石油総公司と共同で買収提案をしなかった理由について:「わが社は実際には親会社から財政面で大きな支援を得ている。同じ分野での競合はしたくないため、親会社との共同提案にはならなかった」◎同業のペトロチャイナ(中国石油)との競争について:「埋蔵量に関しては、ペトロチャイナが引き続き上回っているが、国際的な知名度については、統合後のCNOOCの方が高くなる」http://blog.livedoor.jp/ayaka222a/archives/25916232.htmlイスラエルとロスチャイルドの百年戦争(6月22日 田中 宇)http://tanakanews.com/f0622israel.htm
2005年06月23日
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現段階で具体的にどうだということではないんだが、どこか気になる事件である。現在までの報道を簡単にまとめると以下のようになる。東京都板橋区成増1丁目にある「佐藤工業」と電子部品製造会社「サンリッツ」の2社の共同社員(独身・単身)寮「サンリッツ佐工・成増寮」で、20日の16時40分頃、1階(3階建て)の管理人室で爆発があり、管理人夫婦が死んでいるのが見つかった。2人は住み込みの管理人、永友正徳さん(44)と妻の圭子さん(42)である。この寮には47の部屋があり、2社を合わせて約20人が住んでいるという。2人の頭には鈍器などで殴られた跡があり、首や胸には刺し傷があった。永友正徳さんは首などに数カ所の刺し傷が、圭子さんは胸などに数十カ所の刺し傷や切り傷があった。台所のガスコンロのホースが刃物で切断され、元栓は開いていた。床には灯油のようなものがまかれ、血の付いた包丁が残されていた。ドアや窓は爆発で吹き飛んだが、施錠されていた。外部から侵入した形跡がみられないことと、検視の結果などから2人の刺し傷や後頭部の傷が第三者につけられたものと判明したことから、警視庁捜査1課と高島平署は殺人事件と断定した。犯人が2人を殺害後、外から鍵をかけたと見られている。現場に残されていた凶器とみられる包丁は、被害者宅にあったものと判明。室内にまかれていた灯油も、中国新聞によると管理人室のものとみられている。また、台所にタイマー機能の付いた調理用の電熱器があったことから、犯人が夫妻を殺害後に電熱器のタイマーをセットし、室内に充満させたガスに引火させた可能性が高いと報道されている。死後硬直の状況などから、夫妻は出火の数時間前の20日昼前後に殺害されたとみられることが分かった。そして室内が荒らされた様子はなかった。司法解剖の結果、正徳さんの死因は頭を鈍器で殴られたことによる脳挫傷と判明。圭子さんは胸を刺されたことによる失血死だった。圭子さんは午前8時ごろ寮内で普段通りに仕事をしていた。正徳さんも遺体発見時、作業に使うズボンとシャツを身に着けていた。永友さん夫婦は高校1年の息子(15歳)と3人暮らしだったが、息子の行方が20日午前5時40分ごろに寮付近で目撃されのを最後にわからなくなっている。この息子が高校を無断で欠席したのは、今月の14日と、事件当日の20日とそれ以降だけとのこと。鍵がかけられていたこと、頭を殴った鈍器が不明だが凶器のひとつである包丁が被害者宅のものだったこと、時限発火装置と見られるものを仕掛け爆発をさせた可能性の高い計画された殺人であること、これらをどう見るか……。事件の記事をいくつか転載しておく。社員寮で爆発、管理人夫婦が死亡か・殺人事件で捜査20日午後4時40分ごろ、東京都板橋区成増1、中堅ゼネコン「佐藤工業」の社員寮一階の管理人室で爆発があり、管理人夫婦とみられる男女が死んでいるのが見つかった。頭を殴られたような跡があったほか、切り傷を負っており、警視庁捜査一課と高島平署は殺人事件として捜査を始めた。 調べによると、死亡したのは寮の管理人の永友正徳さん(44)と、妻の圭子さん(42)とみられ、台所付近で倒れていた。男性は首など数カ所、女性は胸などに約10カ所の切り傷があり、近くに血の付いた包丁があった。 管理人室の出入り口のドアや窓は施錠されていたとみられる。台所では、ガスコンロのホースが切られてガスが出ていた。同課などは何者かが夫婦に切りつけるなどした後、ガスに引火させたとみて調べている。 同社などによると、社員寮は同社と板橋区の電子部品製造会社の社員が暮らす独身・単身寮で、約30室。現場は東京メトロ成増駅から南に約200メートルの住宅街。近くには板橋区立成増小学校もあった。 (22:50) <ガス爆発>社員寮管理人室で夫婦2人死亡 東京・板橋20日午後4時40分ごろ、東京都板橋区成増1の準大手ゼネコン「佐藤工業」(中央区)など2社の共同社員寮(3階建て)1階管理人室で爆発があり、6畳和室に倒れていた住み込みの管理人、永友正徳さん(44)と妻圭子さん(42)が病院に運ばれたが、間もなく死亡した。2人の頭には鈍器などで殴られた跡があり、首や胸には刺し傷があった。警視庁捜査1課と高島平署は、何者かが2人を殺害、その後充満していたガスに引火して爆発したとみて、殺人容疑で捜査を始めた。調べでは、永友さんは首などに数カ所の刺し傷が、圭子さんは胸などに数十カ所の刺し傷や切り傷があった。台所のガスコンロのホースが刃物で切断され、元栓は開いていた。床には灯油のようなものがまかれ、血の付いた包丁が残されていた。ドアや窓は爆発で吹き飛んだが、施錠されていたという。永友さん夫妻は03年3月からこの寮の管理人をしており、高校1年の長男(15)と3人暮らし。寮の住人が20日午前8時ごろ、圭子さんの姿を見たという。長男と連絡が取れないことから、同課で行方を捜している。現場は東武東上線成増駅の南約400メートルの住宅街。佐藤工業と電子部品製造会社「サンリッツ」(板橋区)が約47室を共同で使用していた。隣の内装工事会社社員(24)は「ドンという音がして揺れ、ドアが衝撃で曲がった。慌てて外に出ると、社員寮1階の窓ガラスが6枚ぐらい粉々に割れ、火が見えたので、同僚と消火した」と驚いた様子で話していた。近所の主婦(81)は「永友さんは穏やかな人柄で、毎朝寮の前の掃除をしていた。『きれいになりましたね』と話しかけると、笑顔で応えてくれた」と話していた。【長谷川豊、佐々木洋】(毎日新聞)- 6月21日1時23分更新<板橋夫婦殺害>時限式発火装置で引火、ガス爆発か東京都板橋区の社員寮で20日、管理人の永友正徳さん(44)夫妻が殺害され、ガス爆発が起きた事件で、タイマーのついた発火装置が使われた可能性が高いことが、警視庁捜査1課と高島平署の調べで分かった。同課は何者かが夫婦を殺害した後にガスを充満させ、設定時間に発火するように細工をしたとみて調べている。また永友さん夫妻の高校1年の長男(15)が20日から連絡が取れないため、何らかの事情を知っている可能性もあるとみて、同課で行方を捜している。同課の調べでは、爆発現場の室内から、タイマーがついた電熱器が見つかった。ガスコンロのホースは刃物で切断され、都市ガスの元栓は開いたままで、爆発当時、ガスが充満していたという。一方、長男は都内の高校に通っているが、20日から休んでいるという。同日午前5時40分ごろに、管理人室前にいるところを寮の住人が目撃したが、その後の足取りは判明していない。その際、住人が「おはよう」と声を掛けたが、長男は何も話さなかったという。一方、妻の圭子さん(42)は同日午前8時ごろに目撃されていた。【長谷川豊】(毎日新聞)- 6月21日12時57分更新電熱器で時限発火か…寮爆発・管理人夫妻殺害東京都板橋区の中堅ゼネコン「佐藤工業」社員寮の管理人室で20日夕、ガス爆発があり、室内で管理人の永友正徳さん(44)、圭子さん(42)夫妻が殺害されていた事件で、同室の台所に、タイマー機能の付いた調理用の電熱器があったことが21日、警視庁捜査1課の調べでわかった。同課は、犯人が夫妻を殺害後に電熱器のタイマーをセットし、室内に充満させたガスに引火させたとみて、爆発の原因を詳しく調べている。また、行方がわからなくなっている都立高校1年の長男(15)は、21日も所在が確認できておらず、同課で引き続き捜している。長男は、17日の金曜までは登校していたが、20日は無断欠席し、21日も登校していないという。調べでは、電熱器は食事などを温めるためのもので、最長12時間のタイマーが付いていた。管理人室の台所付近には灯油がまかれ、ガスコンロにつながるホースが切断されていた。爆発前、同室のドアや窓ガラスは閉まっていたことがわかっており、室内は密閉され、ガスが充満した状態だったとみられる。ドアは外からカギがかかっていた。(読売新聞)- 6月21日14時37分更新東京・板橋区社員寮爆発死亡事件 夫婦は自宅にあった包丁で刺され殺害された可能性東京・板橋区で20日、社員寮で爆発が起き、管理人の夫婦が死亡した事件で、夫婦は自宅にあった包丁で刺されるなどして殺された可能性が高いことがわかった。この事件は20日夕方、板橋区の社員寮の管理人室で爆発が起き、管理人の永友正徳さん(44)と妻の圭子さん(42)が死亡しているのが見つかったもの。近所の人は「布団を重ねて山のようにして、火が出ていたので、ちょっと不自然だなというのは感じました」と話した。2人は、20日昼にはすでに死亡していたとみられ、硬いもので殴られていて、妻の圭子さんには数十カ所の刺し傷があり、包丁など、自宅にあったものが使われた可能性が高いことがわかった。また、タイマーのようなものを使い、時間差で爆発させた可能性があるとみられている。警視庁は、所在がわからなくなっている高校1年生の長男(15)が、何らかの事情を知っている可能性があるとみて、行方を探している。高校によると、長男はこれまで無断欠席するようなことはなかったという。[21日14時11分更新]昼間に殺害の疑い 事件の朝、妻の目撃情報東京都板橋区の社員寮で20日夕に爆発が起き、管理人永友正徳さん(44)と妻圭子さん(42)が殺害されているのが見つかった事件で、圭子さんが同日朝、入居者に目撃されていたことが21日、警視庁捜査1課と高島平署の調べで分かった。捜査1課は2人が20日の昼間に殺害されたとみて、犯行時間の特定を進めている。司法解剖の結果、永友さんの死因は頭を鈍器で殴られたことによる脳挫傷と判明。圭子さんは胸を刺されたことによる失血死だった。(共同通信)- 6月21日20時49分更新事件の記事は以下に集めてあるので記事のURLなど詳しくは以下で。今後も以下に集めていく予定。【板橋・管理人夫婦殺害事件】・社員寮で爆発、男女2人死亡・社員寮で爆発、管理人夫婦が死亡か・殺人事件で捜査・社員寮管理人室で夫婦2人死亡・管理人夫婦殺害される=胸などに刺し傷、頭部陥没・殺害の管理人夫婦、体に刺し傷 社員寮爆発・ガス爆発、寮管理人夫妻殺される…15歳長男が姿消す・管理人夫婦殺害される 15歳長男追う・ガス爆発 社員寮管理人室で夫婦2人死亡・爆発で管理人夫婦死亡は殺人・社員寮で爆発…死亡夫婦に傷があり殺人事件と断定・凶器は室内の包丁か 東京の管理人夫婦殺害・ガス充満させ逃走後爆発か 死因は失血死・時限式発火装置で引火、ガス爆発か・タイマー電熱器で爆発か・現場にタイマー付き電熱器=逃走後爆発の仕掛け?・電熱器で時限発火か…寮爆発・ゼネコン社員寮で爆発、管理人夫婦殺害・管理人夫婦殺害、時限式の発火物が・社員寮爆発、現場に時限式の発火仕掛け・東京都板橋区・時限発火装置で爆発か 証拠隠滅を図った疑い・ゼネコン社員寮で爆発・室内に時限式発火装置、犯行後に工作か・時限発火装置仕掛ける・タイマー式電熱器に引火し爆発か・夫婦は自宅にあった包丁で刺され殺害された可能性・昼間に殺害の疑い 事件の朝、妻の目撃情報・昼間に殺害、時限発火装置で爆発かhttp://blog.livedoor.jp/ayaka222a/archives/25920968.html
2005年06月21日
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今月フォーブス誌が発表した2005年版セレブリティ100(日本語では「世界の有名人パワーランキング100」とか「世界の実力派セレブ上位100人」などと訳されている)を以下にフォーブスサイトにあった写真付きで紹介します。今回1位にランクされたのが、米テレビ番組女性司会者オプラ・ウィンフリー(2億2500万ドル)で昨年(2.1億ドル)は3位だった。2位がタイガー・ウッズ(8700万ドル)で、ウッズは昨年(8000万ドル)も2位。3位がメル・ギブソン(1億8500万ドル)で、昨年(2.1億ドル)の1位から3位へ。4位が『スターウォーズ』のジョージ・ルーカス(2億9000万ドル)。5位は昨年29位だったNBAのシャキル・オニール(3340万ドル)。6位がスティーブン・スピルバーグ(8000万ドル)で、昨年(7500万ドル)の9位からアップ。7位がジョニー・デップ(3700万ドル)で、昨年(2800万ドル)は10位。8位がマドンナ(5000万ドル)。9位がエルトン・ジョン(4400万ドル)。10位がトム・クルーズ(3100万ドル)で、トムは昨年(4500万ドル)の12位から今回トップ10入り。では以下にズラッと並べます。カッコ内は、順位隣りが昨年順位、名前隣りが収入ランク。1位(3)オプラ・ウィンフリー(年収2億2500万ドル・2位)2位(2)タイガー・ウッズ(8700万ドル・4位)3位(1)メル・ギブソン(1億8500万ドル・3位)4位 ジョージ・ルーカス(2億9000万ドルは「Pay Rank」1位)5位(29)シャキル・オニール(3340万ドル・26位)6位(9)スティーブン・スピルバーグ(8000万ドル・5位)7位(10)ジョニー・デップ(3700万ドル・21位)8位 マドンナ(5000万ドル・11位)9位 エルトン・ジョン(4400万ドル・15位)10位(12)トム・クルーズ(3100万ドル・30位)11位(36)ブラッド・ピット(2500万ドル・50位)12位(44)ダン・ブラウン(7650万ドル・6位)13位 ウイル・スミス(3500万ドル・24位)14位(11)デヴィッド・レッターマン(4000万ドル・16位)15位 ランス・アームストロング(2800万ドル・41位)16位(7)マイケル・ジョーダン(3300万ドル・27位)17位(16)ミヒャエル・シューマッハー(6000万ドル・8位)18位 Will Ferrell(4000万ドル・16位)19位(18)Kobe Bryant(2880万ドル・39位)20位 P Diddy(3600万ドル・23位)21位(52)Jay Leno(3000万ドル・34位)22位(6)J.K. Rowling(5910万ドル・9位)23位(27)Metallica(3740万ドル・20位)24位 ジェニファー・ロペス(1700万ドル・63位)25位 Desperate Housewives(560万ドル・92位)26位(22)デビッド・ベッカム(3250万ドル・28位)27位(23)Howard Stern(3100万ドル・30位)28位(20)Rush Limbaugh(3000万ドル・34位)29位 Shania Twain(3400万ドル・25位)30位(12)Peter Jackson(4700万ドル・13位)31位 デンゼル・ワシントン(3000万ドル・34位)32位 Rod Stewart(3100万ドル・30位)33位 Michael Vick(3750万ドル・19位)34位 Bette Midler(3100万ドル・30位)35位(48)The Olsen Twins(2100万ドル・59位)36位(42)Jerry Bruckheimer(6600万ドル・7位)37位(17)Jennifer Aniston(1850万ドル・61位)38位(53)Derek Jeter(2250万ドル・50位)38位(24)ジュニア・ロバーツ(800万ドル・82位)40位 プリンス(4970万ドル・12位)41位(35)デビッド・カッパーフィールド(5700万ドル・10位)42位 Tobey Maguire(3200万ドル・29位)43位(21)The Eagles(4500万ドル・14位)44位(39)Ray Romano(3650万ドル・22位)45位 ニコール・キッドマン(1450万ドル・70位)46位 Jeff Gordon(2340万ドル・53位)47位(62)フィル・ミケルソン(2680万ドル・48位)48位(32)アレックス・ロドリゲス(2750万ドル・45位)49位 マット・デイモン(2700万ドル・46位)50位 Adam Sandler(2800万ドル・41位)51位(79)オスカー・デ・ラ・ホーヤ(3800万ドル・18位)52位(97)リンジー・ローハン(1100万ドル・77位)53位(49)LeBron James(2290万ドル・56位)54位(72)Hilary Duff(1500万ドル・68位)55位(70)パリス・ヒルトン(650万ドル・87位)56位(51)ビル・クリントン(600万ドル・89位)57位 マリア・シャラポア(1820万ドル・62位)58位 Drew Barrymore(2200万ドル・58位)59位(33)Andre Agassi(2620万ドル・49位)60位(67)Manny Ramirez(2420万ドル・52位)61位 Van Halen(2960万ドル・38位)62位(63)Serena Williams(1270万ドル・73位)63位 Valentino Rossi(2800万ドル・41位)64位(61)Jessica Simpson(800万ドル・82位)65位(44)サンドラ・ブロック(1050万ドル・78位)66位(14)キャメロン・ディアス(1300万ドル・72位)67位(86)Regis Philbin(2000万ドル・60位)68位(47)James Patterson(2700万ドル・46位)※ 文字数がオーバーしたので以下にアップしました。100位まで全部を見たい人は以下でどうぞ。http://blog.livedoor.jp/ayaka222a/archives/25804226.html
2005年06月20日
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現在パリ郊外で6月13日から19日まで航空ショーが開催されおり、ボーイング社とエアバス社の受注合戦が繰り広げられているようだが、私は今回のショーの目玉となっている、世界最大の旅客機エアバスのA380に注目している。A380の開発コストは137億ユーロ(約1兆8500億円)にのぼり、11年間もの歳月がかかったとか。定価は2億8200万ドルで、最近までの受注数は154機と伝えられているが、採算点にはあと約100機の受注が必要だとも。1号機はシンガポール航空に引渡され、来年後半には就航の予定。エアバスとボーイングがパリ航空ショーでこれまでに獲得した受注額は、現在までに合計343億ドル(約3兆7400億円)となっており、ボーイングのルイス・プラット会長も「久しぶりの活況であることは間違いない」と述べている。エアバスのA380の「披露宴」は、約5000人を集めて1月18日に南仏トゥールーズで開かれた。A380の開発にあたってきたフランス・イギリス・ドイツ・スペインのシラク・ブレア・シュレーダー・サパテロも、当然、この「披露宴」に現れ、シラク大統領は「人類と工業界の最高傑作」とA380を絶賛し、ブレア首相は「ヨーロッパの協調体制、経済的力強さ、そして技術革新の象徴」と語った。日本は、ボーイングに忠誠を誓っているのか、国をあげてボーイング(7E7など)を支援しており、政府が先頭に立って補助金を出し、そこに3重工やメーカーが参画し、全日空や日本航空などが発注するという「流れ」が出来上がっているらしい。現在までのところ、全日空や日本航空はA380を発注していないもよう。2階建ての超巨人旅客機A380が初飛行したのが、4月27日の10時29分から14時23分まで。乗り組んだのは6人で、4時間弱の飛行を行なった。テスト・クルー6人の乗りこみ離陸着陸初飛行を終えた乗員たち※ 上の下から4つの写真は「サムネイル画像」なのでクリックで拡大します。写真は「航空の現代」さんのA380が初飛行にあったもの。初飛行の当日は快晴で、A380の離陸を約3万人が見守った。トゥールーズ市内では2ヵ所に巨大スクリーンが設置され、さらにテレビでも生中継された。800人乗りのドデカイ旅客機が立派に空を飛べることが実証され、それが目撃されたということになる。以下はパリ航空ショーの初日の様子が詳しく書かれている「エアバスA380とA350」という記事を転載。エアバスA380とA350「2階建ての超巨人旅客機A380は、パリ航空ショーの初日、堂々たる飛行ぶりを披露した。会場の人びとは息を呑んだまま、ただ黙って上空を見つめるばかりだった……」当日の新聞は、A380が初めてルブールジェで飛んだときのもようを、そう伝えている。同機はショー開幕の前日、22回目の飛行でルブールジェに到着した。飛行時間は、すでに100時間を超えたところである。デモ飛行は離陸重量705,000ポンドでおこなわれた。降着装置は最後まで出したままで、観衆の目の前を低く通過すると、背中を見せて急旋回した。ショーの初日は、まずシラク大統領を迎えた開会式で飛行して見せ、午後からの飛行プログラムでも飛んだ。2日目以降は最終日まで、毎日午後、1回ずつ飛ぶ予定。したがって、パリまでの往復と会期中の飛行を合わせると全部で10回飛ぶことになる。これまでは、初飛行から1カ月半の間に21回の飛行であったから、A380の飛行回数はこの1週間余りで5割増しということになる。ただし飛行時間は、さほど増えるわけではない。A380の速度は、最大マッハ0.89、最大運用速度340ノットで設計されているが、これまでの試験飛行中に375ノットのダイブ速度を達成した。また試験飛行時の総重量は常に最大離陸重量122万ポンド、最大着陸重量112万ポンドでおこなわれている。したがって航空ショーでの70万ポンド余という重量は相当軽いことになる。これらデモ飛行中のデータも、ツールーズの試験飛行センターではテレメトリーで受信し、解析を続けている。もうひとつの話題A350は、「ニューヨーク・タイムズ」によると、カタール航空が6月13日、パリ航空ショーの会場で、エアバスA350を60機発注するつもりと語ったという。とすれば、これで同機は、ほぼ確実に正式の開発着手へ進むことになろう。カタール航空はA350と同時に、ボーイング777についても20機を発注するらしい。同航空は従来エアバス機だけを使ってきたので、ボーイング機を導入するのは初めてである。これらの受注見こみを加えると、A350の受注数は合わせて90機になる。内訳はスペインのエアヨーロッパから10機、新USエアウェイズから20機、そしてカタールから60機である。エアバス社は、ショーの終わりまでには100機を超えると強気の見こみを語っている。A350の開発着手は、ショーの直前、9月末まで延期された。それまでにはエミレーツ航空からも50機の注文を得られるものと、エアバス社は期待している。A350の開発には、43.5億ユーロ(約5,800億円)の費用を要する。エアバス社は、そのうち3分の1の資金援助を関係4カ国の政府――フランス、ドイツ、イギリス、スペイン――に要請している。これに対してアメリカ側は世界貿易機関(WTO)に提訴し、欧州側も反訴の構えだが、そうした状況がA350の開発遅延にも影響しているらしい。もっとも、エアバス首脳はパリ航空ショーの会場で、いざとなれば政府の支援がなくとも開発に踏み切ると、強気の姿勢を見せた。(西川 渉、2005.6.15)http://www2g.biglobe.ne.jp/~aviation/paris2005b.htm受注合戦と敵方論評受注合戦パリ航空ショーの2日目、6月14日の会場でエアバス社はA350について、クェートのリース会社ALAFCOから確定12機、仮6機の注文を獲得したと発表した。これでA350の受注数は、前日に発表されたカタール航空の60機、ならびにそれ以前の受注を合わせて100機を超えることとなった。これでショーの直前、エミレーツ航空が発注しないと公表してひやっとさせられたエアバスだったが、なんとか面目を保つことができたといえよう。 エアバス社は、A350のほかにも、インドのジェット航空からA330について確定10機、仮10機の注文を受けた。 一方ボーイング社も、同じジェット航空から777と737について、それぞれ10機ずつの注文を受けた。ジェット航空は来年からインドと米国の間で定期運航を開始する予定。将来は787の購入も検討中という。 またボーイング社はショーの初日、カタール航空から20機の777を受注した。うち10機は超長距離用の777-200LRである。このときボーイング社は、カタールから787の注文を取るため、引渡しポジションをあけていたことも確かである。それが777に代わったことになる。 なおカタール航空は現在A330とA340を合わせて40機など、1996年以来エアバス機ばかりを運航している。 ライアンエアはボーイング737-800を5機発注した。同航空は現在230機の737を運航しており、格安運賃による航空事業を展開している。 さらにILFCリース会社はボーイング737-700/-800を20機と777を8機発注した。 これで777の受注総数は700機近くになり、737は新世代機だけで2,600機に達する。 (略)http://www2g.biglobe.ne.jp/~aviation/paris2005c.htm欧州エアバスと米ボーイング、アジア系航空会社からの受注好調2005年6月16日(木)07時27分6月15日(ブルームバーグ):航空機メーカーで世界最大の欧州エアバスと同2位の米ボーイングは、開催中のパリ航空ショーで今週、年間受注数のほぼ半数を獲得した。アジア系航空会社からの需要増加が受注を後押しした。ボーイングのルイス・プラット会長は、「久しぶりの活況であることは間違いない」と述べ、「航空機メーカーは引き続き上向きだ。輸送量は回復しており、航空会社が苦戦している米国でさえ、米同時多発テロ後の水準をかなり上回ってきた」との見解を示した。エアバスとボーイングがパリ航空ショーでこれまでに獲得した受注は、合計343億ドル(約3兆7400億円)と、ルクセンブルクの国内総生産(GDP)を上回る。アナリストの間では両社の好調な受注について、中国やインドの中産階級が増加し、航空需要が高まっていることや、米国の航空需要の回復を背景に、航空業界の成長が数年間持続する兆候だとみられている。D.A.デービッドソンのJBグロー氏は、「インドと中国は人口が多く、中産階級が増加しているが、航空インフラはほとんど整備されていないため、両市場からの需要は予見できる将来、持続し得るだろう」と指摘した。インドのキングフィッシャー航空はエアバスの二階建て超大型旅客機「A380」5機を含めてエアバス機15機を30億ドルで発注。インドのジェットエアウェイズは14日、米ボーイングの「777」10機と「737」10機を28億ドルで注文した。カタール航空は13日にエアバスの「A350」60機とボーイング「777」20機の合計152億ドル相当を発注した。http://money.www.infoseek.co.jp6月14日に日仏が共同開発で合意した次世代“コンコルド”のイメージ図
2005年06月16日
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どうもチュバイス・統一エネルギーシステム会長の周辺になにやら怪しい動きがあるように見える。3月17日(モスクワ時間9時30分ころ)、チュバイスの乗った車が首都郊外の別荘から出勤する途中に、モスクワ近郊で何者かに銃撃された。襲撃は地雷を爆破させたり自動小銃を乱射するという激しいもので、まず、道路の脇で強力な爆発が発生、続いて2人組の男が小銃を撃ち始め、車を降りた護衛がこれに応戦し銃撃戦になった。地雷は直撃しておらず、チュバイスの乗っていた「完全防弾のBMW」は、フロントガラス・前輪・ボディなどに自動小銃を被弾したが無事に逃げきった。チュバイスも護衛も無傷。チュバイスは同日、「誰の仕業かは十分わかっている。国内エネルギー業界の改革と民主勢力の統一をあくまで続けていく」との声明を発表している。捜査当局は暗殺未遂事件として捜査していると、多くが報道した。モスクワ検察庁は翌18日、事件容疑者の1人を拘束したことを明らかにした。だが、その後、これに関する記事が出てこないので、拘束された容疑者が本当に実行犯だったのかわからない。拘束・逮捕されたのは、ウラジーミル・クワチコフという軍人恩給者だった。18日、ロシア軍総司令部は、クワチコフが軍諜報本部(GRU)の職員であったとの報道を否定。多くのマスコミはチュバイス暗殺未遂容疑で逮捕された軍人恩給者ウラジーミル・クワチコフがGRUの一員であっと報道していた。「コメルサント」紙はクワチコフはGDUの大佐だったと伝えた。チュバイスにしたら、実行犯などどうでもいいのだろう(そんなことないか)。「誰の仕業かは十分わかっている」のだから。5月25日には、大規模停電で首都モスクワと近郊が大混乱に陥った。不思議なことに、この停電に対し、チェチェンのバサエフ司令官が27日に工作隊が変電所を攻撃したとする「犯行声明」を出した。だがロシア政府はチェチェンの関与とテロ説を否定。真偽は不明である。ロシア連邦保安局(FSB)も6月10日、停電の原因となった変電所の火災が妨害工作の結果だったとする証拠はないとの見解を示した。※ バサエフ(Shamil Basayev)は昨年ロシア・北オセチアで起こった「学校人質事件」を指揮したとされている“あやしい”人物である。 「学校人質事件」の前週には、ほぼ同時刻に相次いで消息を絶った「旅客機2機が墜落」するという不思議な“テロ”が起こっている。数日後にはバサエフが「旅客機同時爆破」についても関与(犯行)を認めたと報じられた。私は「両事件」とも、真相が明らかになっているとは思えないでいる。プーチン大統領は、停電は電力独占企業「統一エネルギー」の経営の欠陥が原因であると、名指しで非難した。チュバイス会長を間接的に非難したということだろう。チュバイスは26日夜に検察の尋問を受けている。尋問の時間は4時間にもおよんだとのこと。28日にチュバイスは「ロシア統一電力システム(EES)社長を辞めるつもりはない」と、テレビ局「ロシア」の番組「ミラ-」で発言。「チュバイス辞任を熱心に期待し要求している、なじみの顔ぶれの“親しい人たち”のリストを見ると心が痛む。これは全てロゴジン一派、同じくジュガノフ一派、それに恥ずかしくも組したヤブリンスキーの仕業だ。慌てないでくれ、期待しないでくれ、そうしたことにはならないだろう」「ロシア統一電力システム社代表の任命と解任の決定は株主がやるのだが、今回は国だ」と発言した。石油の次は電力に触手 ロ政権、エネルギー支配へ2005/06/08 18:37【モスクワ8日共同】ロシア石油大手ユコスを国営企業傘下に収めるなど、エネルギー産業の国家管理強化を進めているプーチン大統領が、今度は電力産業の支配に触手を伸ばしている。クレムリンの思惑が露見したきっかけは、5月25日にモスクワ市などで起きた大停電。復旧には丸1日を要し、市内の地下鉄車内に約2万人が、約1500人がエレベーターに一時閉じ込められるなど、約500万人が影響を受ける大混乱となった。責任を問われたのが国営電力会社「統一エネルギー機構」。同社社長を務めるチュバイス元第1副首相は、新興財閥が影響力を振るったエリツィン政権下で、旧ソ連崩壊後の国営企業民営化を主導した。プーチン政権にとって、チュバイス氏は国家の富を新興財閥に渡した張本人だ。http://www.kobe-np.co.jp/kyodonews/news/00010286kd200507081800.shtmlロシア語で「オリガルヒ」を日本語では「新興財閥」「寡占資本家」などと訳されているが、プーチンが明示した定義では、「略奪したカネを元手に、行政府との特別なパイプを使って、さらに国の富を略奪する人のことを指す」となる。オリガルヒを誕生させた重要人物が、エゴール・ガイダル副首相兼経済財政相と、“ガイダル内閣”で国家資産管理委員会議長を務めたアナトリー・ボリソビッチ・チュバイスである。アナトリー・ボリソビッチ・チュバイス統一エネルギーシステム(UES)会長。エリツィン時代後期、ベレゾフスキー、アブラモービッチと共にロシアの政界をコントロールしていた新興財閥。Profile1955年6月16日ベラルーシに生まれる。1977年レニングラード技術経済大学を卒業。90年からレニングラード市執行委員会副議長、第一副議長、ペテルブルグ市長主席顧問を歴任。92年6月にロシア連邦政府、民営化担当副首相に就任。ガイダル首相代行と共に市場経済改革を実施した。チュバイスは主に民営化を担当。 しかし、急速な民営化はロシア経済を崩壊に導いた。旧ソ連時代、ロシアには私有財産が存在していなかった。よって民営化された企業などを買い取る資金力のあるロシア人はいない。そこでチュバイスが考案した民営化の原則とは、「現在手元にある物は、あなたの所有になる」というもの。これによって国営石油会社の社長は、一夜にして民営化された石油会社の社長となった。チュバイスの民営化は、得たものがアパート一軒だった人から巨大企業を手に入れた人まで様々で、大変不平等な結果をもたした。この改革で、後に政界を操るようになる新興財閥が生まれ、貧富の差が増大した。94年11月より有価証券委員会担当第一副首相。96年1月解任。96年の大統領選挙ではベレゾフスキーや他の新興財閥と協力し、エリツィンを再選に導く。チュバイスは選挙対策本部の中枢で指揮をとった。96年7月より大統領府長官。97年3月解任。第一副首相兼蔵相に就任。97年11月解任。その後UES会長に就任。チュバイスは98年8月、ガイダルと共に、キリエンコ首相(当時)にルーブルの切り下げを迫った。同首相は、その勧告に従ったが、これが引き金となり金融危機が発生。http://www.russigator.ru/people/cyuba.html92年1月2日、「ガイダル改革」の価格自由化がロシア全土で始まったが、1ヵ月後には値段が4~5倍というインフレも起こった。インフレを避けるためか、価格自由化とともに、超緊縮財政、通貨供給量の抑制なども導入した。物価が高騰し通貨の価値が暴落するなかでの通貨不足は、「痛み」が激しすぎて、価格自由化の弊害が目立ち、ガイダルは批判にさらされることになる。これらの混乱を歓迎したのが、銀行・金融業の、「モスト・バンク」を経営するメディア王・グシンスキー、「バンク・メナテップ」の石油王・ホドルコフスキーたち、つまり、将来のオリガルヒたちである。こいつらは、外貨とルーブルの鞘取りを主要業務としていたため、ルーブルが急落・暴落していくことで莫大な利益を生み出し、ハイパーインフレ下でロシア政府が発行する超高利回り国債に投資して、資産を増やしていった。ガイダルとチュバイスの改革がオリガルヒを誕生させたと言われる理由がこれである。国民が受けた「痛み」とは逆に、「あぶく銭」が雪だるま式に増えていったのである。この「あぶく銭」が民営化された企業を買収することになる。価格自由化と民営化はセットで行なわれ、結果的に経済混乱もセットだった。民営化の統轄責任者がチュバイス国家資産管理委員会議長である。チュバイスはオリガルヒと同じ、ユダヤ系である。チュバイスがユダヤ系だという事実は重要である。なぜなら、オリガルヒとチュバイスがグルで国家資産を略奪した可能性が高いという仮説が成り立つから。チュバイスが選んだ方式は、「民営化小切手」だった。国民に民営化小切手を無償で配布し、それを使って企業を民営化するというやり方。この方式を、92年8月にエリツィン大統領に署名(大統領令)させると、10月に小切手の公布がさっそく始まった。公布の対象は全ロシア国民(子供も含む)で、1人当たりに公布する証券の額面が1万ルーブル(約32ドル)。1億4400万人(国民の97%)が民営化小切手を受け取った。換金するのも企業の株券と交換するのも、国民の自由である。92年は4万6000社を超える企業が民営化された(中小企業が中心)ようだが、大手国有企業は殆ど民営化されず、年末にはガイダルは政府を追い出された。チュバイスは、国有企業の株式を担保にして民間銀行から国が融資を受ける「株式担保融資」と民営化をセットにした手法を実施した。これに「あぶく銭」をたらふく持っている金融家が飛びつくのは当然である。なぜなら、財政危機の政府が、受けた融資を返済する可能性は殆どないからである。つまり、「融資=対象企業取得」となるわけだ。ホドルコフスキーたちがユコスの株を78%取得したのもこれだった。2003年には時価総額が300億ドルを突破したユコスの株を、3億5000万ドルで取得していたらしい。このようにチュバイスの行なった手法は、特定の勢力の資産を巨大化させたのである。もっと言えば、国家資産を“仲間”に「山分け」したとも言えるのである。民営化責任者のチュバイスと、山分けを受けた勢力がグルだったと解釈するのが自然だろうと思う。その後、チュバイスはベレゾフスキーたちと組んでエリツィンの再選に協力し、大統領府長官、第一副首相兼蔵相を務め、国営電力会社「統一エネルギー機構」のトップに就任したのである。そして、現在のチュバイスが、大停電を理由に、プーチンの標的になっている。ここで考えたいのが、先日の大停電は、偶然にそれをプーチンがチュバイス追い出しに利用しているのか、それとも“怪しい人物”バサエフが言うように「テロ」だったのか、或いはチュバイスを追い出す「やらせ」だったのか・・・ということである。『ソロスの資本主義改革論:オープンソサエティを求めて』http://blog.livedoor.jp/ayaka222a/archives/25111965.html
2005年06月14日
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米経済誌フォーブスが「日本の富豪40人」という日本の長者番付を初めて発表したらしい。フォーブスのサイトを探してみたんだが、私の探し方がいけないのか、リストを発見できなかった。まだサイトには掲載されてないのかもしれない。とりあえず、いま現在で記事になっている情報を基に並べておく。詳細がわかったら40人全員を並べたいと思っている。1.佐治信忠(サントリー社長)58億ドル2.福田吉孝(アイフル社長)57億ドル3.武井保雄(前武富士会長)52億ドル4.糸山英太郎(新日本観光会長兼社長)49億ドル5.木下恭輔(アコム会長)47億ドル6.岩崎福三(岩崎産業会長)44億ドル7.毒島邦雄(SANKYO会長)43億ドル8.堤義明 (前コクド会長)37億ドル9.孫正義 (ソフトバンク社長)36億ドル10.森章 (森トラスト社長)32億ドル40.堀江貴文(ライブドア社長)6.45億ドルこれしかわからない。フォーブスは3ヶ月前の3月10日に「世界の長者番付」を発表しているので、それと見比べてみたら、少し順位に変動があった。それと、3月のときには10億ドル以上の資産保有者が24人だったが、日経の記事によると、今回の40人の中の29人が10億ドル以上の資産を保有してるとなっている。以下が、3月に発表された「世界の長者番付」に登場した24人の日本人。77. 佐治信忠一族(サントリー) 58億ドル80. 福田吉孝一族(アイフル) 57億ドル84. 武井保雄一族(武富士) 55億ドル103.糸山英太郎(新日本観光) 49億ドル111.毒島邦雄一族(SANKYO) 47億ドル111.木下恭輔一族(アコム) 47億ドル117.岩崎福三(岩崎産業) 44億ドル122.孫正義(ソフトバンク) 43億ドル149.堤義明(コクド) 37億ドル170.森章(森トラスト) 32億ドル170.柳井正(ファーストリテイリング)32億ドル203.伊藤雅俊(イトーヨーカ堂) 29億ドル228.重田康光(光通信) 26億ドル228.滝崎武光(キーエンス) 26億ドル272.船井哲良(船井電機) 23億ドル272.吉田忠裕(YKK) 23億ドル292.神内良一一族(プロミス) 22億ドル366.山内博(任天堂) 18億ドル387.岡田和生(アルゼ) 17億ドル437.福武總一郎一族(ベネッセ) 15億ドル488.大島健伸(SFCG・旧商工ファンド)14億ドル507.盛田英夫一族(レイケイ=ソニー)13億ドル548.馬渕健一一族(マブチモーター) 12億ドル584.韓昌祐(マルハン) 11億ドル先日の【2004年高額納税者番付】は以下でご覧ください。http://blog.livedoor.jp/ayaka222a/archives/22203150.htmlそれと、ちょうど昨日の朝鮮日報に、「世界の長者番付」で日本人24位にランクされている「マルハン」の韓昌祐会長の記事がありましたので、それも転載しておきましょう。「底から這い上がって億万長者」…パチンコ業界ナンバーワン経営者の韓昌祐会長日本のパチンコ業界を率いる「マルハン」の東京本社会長室には韓昌祐(ハン・チャンウ、74)会長が勲章を授与された写真が大きくかけられている。 1999年、日本政府から受けた勲3等「瑞宝章」だ。 日本政府から勲章を受けた海外在住の韓国人は李煕健(イ・ヒゴン)新韓(シンハン)銀行創立者と韓会長の2人だけだという。 韓会長は最近もう1つ「勲章」を授与された。米国フォーブス誌が選定した世界億万長者ランキングで日本国内の24位にランクされたのである。日本で上位30位以内の韓国系企業家は、孫正義ソフトバンクグループ社長(8位)に続いて2人目だ。彼の純資産は11億ドル(約1182億円)。フォーブス誌は「彼はあらゆる差別の中でも昨年、売上額1兆3000億円を記録し、パチンコ業界ナンバーワンを獲得した不屈の経営者だ」とし「「マルハン」の快速疾走は続くだろう」と激賛した。 7日、東京本社で会った韓会長は「今回は日本国内24位に終わったが、来年はロッテを抜くだろう」とし「2010年には売上げ5兆円を記録し、韓国、日本を合わせて5位以内に入る」と自信をのぞかせた。 日本屈指の企業家として登板した韓会長の人生は波乱の連続だった。 15歳の1945年10月21日、夜11時。会長は故郷の三千浦(サムチョンポ)近海に立った。日本でレンガを積む仕事をしていた実兄の招きを受けてそのまま密航船に乗り込んだ。「5~6時間もあれば行けたのに24時間もかかりました。船が波に揺れて気がもうろうとした状態で、到着した所が下関でした。米2袋と英語の辞書が私の荷物の全部でした。旅館に入って横になっていたが、目がぐるぐる回って畳を手でつかもうとしていました」 それから3年間熱心に勉強した彼は、日本の有名私立大学の法政大学経済学部に進学した。しかし大学を卒業したとしても、韓会長のような韓国人が職を得ることができる時代ではなかった。 そこで会長は52年当時、京都から列車で4時間の峰山で、機械20台でパチンコ事業をしていた義兄のところへ身を寄せた。パチンコとの初めての出会いだった。 義兄の下で仕事を習った会長だったが、67年自ら「ボウリング場」事業に飛び込んだ。ボウリングブームが吹いたときであった。しかし行きすぎた拡張戦略をし、42歳だった72年当時、60億円の借金を抱えてしまった。今のお金に換算すれば1200億円にも達する金額だった。 「毎日自殺しようと決意しては子供たち(7人、当時は6人)と両親の顔が浮かび、戸惑う日々が続きました。そのようなある日、絶望の中でヘミングウェイの『老人と海』を思い出したんです。不屈の意志で魚を捕ろうとする老人の姿が浮かび『若い私にできないわけがない』と闘志がわいたんです」 そうして会長は「本業」のパチンコに戻ってきた。車で寝泊りをしながら全国を回った。良い店舗の位置を1つ1つ確認し、売場を1つ2つ増やしていった。 「借金元金を1年目は毎月25万円、2年目は毎月50万円、3年目は毎月75万円ずつ返して行きました。ハングリー精神とチャレンジャー精神で粘りました。そんなとき運良く、お客さんが来るようになったんです」 いろいろな差別が彼を困らせた。地域社会では韓国人という理由で青年会議所(JC)にも加入できなかった。 「悲しかったが差別はどの国にでもあることだと自分に言い聞かせました。差別を減らすためには知性と教養を増やし、経済的成功を果たして、そして地域社会に奉仕しなければならないと考え、ほかの人々が8時間仕事をするとき、15時間仕事をしました」 95年には夢に描いた「東京入城」に成功し、売上げは幾何級数的に増えた。マルハンは現在、日本全国に180カ所の店舗、機械台数10万台の最大規模のパチンコを誇る。従業員も7000人に達する。 「細心の気配りが売上げを左右します。例えばその日お金をたくさん使った顧客にはそっと近づいて『ああ、申し訳ないです』話しかけて少し玉を融通してあげたり、たばこ1箱サービスしたりするんですよ。また売り場にたばこの臭いを除去する施設を設置し、それでも足りず簡易シャワー施設まで設置した。恋人たちのための専用座席も用意しました」 会長は「パチンコ」が持つ否定的認識を払拭させるのに成功した人物にも評価を与える。 「パチンコというとやくざのような暴力組織や不正な金を連想するでしょう。数年前まで私の会社に入る職員たちは『父母の反対が厳しい』『彼女が別れようという』など訴えてきていました。私は衝撃を受けました。それでどの超一流企業より、透明な経営をするという目標を立てました。今はあらゆる収入と経費などがリアルタイムで電算処理されるようにし、金融当局も感嘆して行くほどです」 パチンコ業界に明るい大阪商業大学の谷岡一郎学長は「『マルハン』がパチンコ業界を浄化し、パチンコに対する国民認識が改善された」と話す。 マルハンはまた、収益金の1%を地域社会の奉仕に充てている。 マルハンには毎年東京大学、早稲田大学など名門大卒業生を含む5000人の入社希望者が殺到する。入社競争率は10対1を超。 マルハンは東京証券取引所に上場するために現在金融当局と協議中だ。だが上場の目的がほかの会社と違う。 「私は上場を通じてお金を儲けたり資金を調達したりしようとはしません。マルハンの上場は透明な会社であることを社会に知らせ、私が日本で60年間してきたことに対する社会の評価を受けようとするものです」 「パチンコ王」と呼ばれるのに実際、パチンコの実力はどの程度かという質問に、会長は「パチンコ人生50年だが、実際にしてみたのは10回にもならず、それもせいぜい1000円程度だ」とし、大笑いしていた。 韓会長は「お金をたくさん儲けたのかはわからないが、お金の運用については落第点」とし「私のポケットにある全財産の10億円に、信用で5億円を借り、15億円分株式を買ったのだが、今4億円になってしまった」と打ち明けた。「それで息子らにはくれぐれも株式投資はするなと言っている」と話す。 東京=金玄基(キム・ヒョンギ)特派員2005.06.09 11:25:52 http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=64371&servcode=300§code=300日本の富豪、1位は佐治サントリー社長・米誌が番付米経済誌フォーブスは9日、「日本の富豪40人」を初めて発表した。1位はサントリーの佐治信忠社長で資産額は58億ドル(約6200億円)。10億ドル以上の資産を保有するのは29人で、40人の資産額は合計で870億ドルに上った。資産額はフォーブスが保有株式の時価(株式未公開の場合は公開したとして推計)などから算出。IT(情報技術)長者ではソフトバンクの孫正義社長が最高で9位。ニッポン放送株買収劇で話題を集めたライブドアの堀江貴文社長は6億4500万ドルでちょうど40位に最年少で滑り込んだ。上位にはアイフルの福田吉孝社長が2位に入るなど消費者金融会社の現・前経営者が並んだ。証券取引法違反罪で起訴された堤義明コクド前会長は8位。詳細はフォーブスの6月20日号に掲載される。(シンガポール=宮内禎一) (23:53) http://www.nikkei.co.jp/news/sangyo/20050609AT1D0909C09062005.html※ 参考までに、フォーブスが5月に発表した「韓国40大富豪」では、1.李健煕(三星電子会長)20億ドル2.李在鎔(三星電子常務)17億ドル3.鄭夢九(現代自動車会長)16億ドル4.辛東彬(ロッテグループ副会長)10億ドルなどとなっており、サムスン(三星)グループの「サムスン家」が、李健煕会長の妻や妹を含む親せき8人を合わせると、40人中、10人もランクインしていた。(2位の李在鎔は、李健煕会長の一人息子)
2005年06月10日
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【山口組の歴代若頭】(昭和30年以降)※ 星印は、後の山口組組長・地道行雄(地道組)─────昭和30年~43年・梶原清晴(梶原組)─────昭和43年~46年・山本健一(山健組)─────昭和46年~57年★竹中正久(竹中組)─────昭和57年~59年・中山勝正(豪友会)─────昭和59年~60年★渡辺芳則(二代目山健組)──昭和60年~平成元年・宅見 勝(宅見組)─────平成元年~09年・司 忍 (弘田組)─────平成17年~【五代目山口組の若頭補佐】・英 五郎(英組組長)・瀧澤 孝(芳菱会総長)・桑田兼吉(三代目山健組組長)・古川雅章(古川組組長)・後藤忠政(後藤組組長)※ 本日、五代目山口組・新若頭補佐が発表されたらしい。若頭補佐に昇格(就任)したのは3人。・入江 禎(二代目宅見組)・高山清司(二代目弘道会)・橋本弘文(極心連合会)入江氏の昇格は意外だった。高山(高山組総裁)氏は「二代目弘道会」の会長就任から今回の補佐へ、橋本(極心連合会会長)氏は「三代目山健組」の組長代行から今年になって本家直参へ昇格したばかりだった。高山・橋本の両氏は、一気に補佐へと駆け上ったということになる。若頭に司氏が就任したことで「新体制」が整いつつあるようだ。司氏にしたら、あとは自身の裁判の行方が・・・ということだろうか。【新若頭決定に至る主な経緯】平成9年・8月、宅見事件勃発・9月、中野会会長絶縁・11月、司若頭補佐、滝澤若頭補佐に逮捕状・12月、桑田若頭補佐逮捕平成10年・5月、司若頭補佐出頭・逮捕・9月、倉本若頭補佐死去・10月、岸本総本部長が舎弟頭と若頭を兼務すると決定平成11年・7月、中野会が暴対法に基づく「指定暴力団」に。司若頭補佐が保釈金10億円で保釈・9月、中野会ナンバー3の山下重夫若頭射殺平成12年・3月、東京地裁が桑田若頭補佐に懲役7年の実刑判決。控訴平成13年・3月、大阪地裁、司若頭補佐に無罪判決。検察側控訴・7月、滝澤若頭補佐逮捕・10月、東京高裁、桑田若頭補佐の控訴棄却。上告平成14年・4月、中野会ナンバー2の弘田憲二副会長射殺・7月、後藤組長が若頭補佐に昇格平成15年・5月、最高裁、桑田若頭補佐の上告棄却。懲役7年が確定・6月、滝澤若頭補佐が保釈金12億円で保釈。総本部で宅見若頭の「7回忌法要」・12月、宅見事件以来中止されていた事始め復活平成16年・2月、大阪高裁、司若頭補佐に懲役6年の逆転有罪判決。上告・3月、大阪地裁、滝澤若頭補佐に無罪判決。検察側控訴。桑田若頭補佐収監・4月、「使用者責任」を盛り込んだ改正暴対法施行・11月、最高裁、京都事件の損害賠償訴訟で渡辺五代目の使用者責任認める決定。緊急直系組長会で渡辺五代目の長期休養宣言と、執行部による集団指導体制発表・12月、事始めとそれに代わる忘年会中止。直参がブロックごとに五代目に年末のあいさつ平成17年・3月、弘道会が二代目弘道会となり司初代会長が総裁的立場で後見し、高山清司会長体制に・4月、弘道会から高山会長、山健組から橋本・極心連合会会長、太田守正・太田会会長が直参に昇格。直参100人体制復活。司若頭補佐が弘田組組長を名乗ると発表・5月、司若頭補佐の若頭昇格が発表※ 以下抜粋。ヤクザ社会で最も苛烈な運命を背負う山口組若頭とは何か日本一の巨大組織である山口組で若頭という位置は特別な意味を持つその影響力は組織内にとどまらずヤクザ社会全体にも投げかけられるいまあらためて考察する「山口組若頭」論若頭という役職若頭は一般家庭の長男にあたる。五代目山口組は、暴対法が施行された平成4年3月1日の時点では、組長以下舎弟23人、若中98人の計122名で構成されていた。当時の若頭は宅見勝宅見組組長。若中98人の長兄ということになる。舎弟は組長の弟だから若中にとっては「叔父」にあたる。俗に山口組は系列を含めるとざっと4万人などと言われるが、厳密には山口組の組員は渡辺芳則組長から直接盃を受けた舎弟と若中を合わせた122人なのだ。集団指導体制のもとでは、執行部が合議で同意したことを最終的に若頭が決定を下すかたちになる。若頭のポストは、責任だけが重く報われることが少ない激務の連続である。組内の序列は確かにナンバー2だが、若頭を務めたからといって、次期組長の座が約束されているわけではない。山口組の歴代組長の中で、組長の座に座ったのは四代目の竹中正久組長と渡辺芳則組長の2人だけに過ぎない。山口組を神戸の地方やくざ組織から全国組織に育て上げ、36年間、組長の座にあった三代目の田岡一雄組長は若頭を務めていない。全国制覇の先頭に立つ三代目体制が軌道に乗ると、初期の若頭・安原は舎弟に直り、地道行雄が若頭に昇格した。山口組はこの地道若頭の時代に急激に全国に勢力を伸ばす。神戸に拠点を構える地道自身も、系列約50団体、850人を抱える地道組組長として地方進出を果たしたが、この時代、ほかに先導役を担ったのは、菅谷組、小西一家、柳川組だった。兵庫県警の手になる『山口組壊滅史』は、山口組の進出手段についてこう書いている。〈まず興行を理由に県外へ乗り込んで、地元暴力団に対する賛助の形式で興行を開催し、利益の一部配当を行って友誼関係を形成し、興行権欲しさに地元各組織が山口組傘下に下ってくるようにしむける〉〈この場合、東京以西に於いて、有名タレントに対する絶対的支配権を有する神戸芸能社の出張所、営業所を設置するという名目は、ローカル暴力団にとって垂涎の的であり、世論と取締りの高潮によって次第に資金源の減少した各組織は、争って山口組へ走った〉正に怒涛の進撃である。目をつけた地域で、地元暴力団の対立がないときは、地元出身者や縁のある幹部級を派遣して支部的なたまり場を設け、付近の不良を糾合して支部設置へもっていった。支部設置に地元暴力団の反対があるときは菱形の代紋で威嚇して抗争に持ち込み、相手側を圧倒する組員を動員して、一挙にこれをたたき潰し、進出基盤の確保を計った。第一次頂上作戦の標的にされた地道行雄の晩年は不遇だった。この頂上作戦は熾烈を極めた。一例をあげると、組の解散を迫る警察は、ある直系組長の息子の通う小学校の正門前にあえて写真つきの指名手配のビラを貼った。当時の最高幹部7人衆のうち岡精義と安原政雄の実兄・安原武雄は山口組を脱退、松本国松は組を解散、藤村唯夫は病死、直系組長の中にも脱退、解散が相次ぎ、安原政雄も安原会を解散した。山口組を除く広域組織もすべて解散に追い込まれた。そうした中で田岡一雄の身辺を心配した地道行雄は、解散論をとなえ田岡の不興をかい、若頭のポストを辞任、舎弟に直るのである。そのあげく昭和44年5月、肺がんで亡くなった。地道のあと若頭に就任したのは、穏健派とされる梶原清晴である。地道が13年間、若頭を務めたのに対し、梶原の存在はわずか3年だった。梶原若頭の急死は、山口組執行部に混乱をもたらした。田岡組長は依然病床にあり、後任の若頭人事について未だ決めていなかったからである。若頭は若頭補佐の中から選ばれる。山健執行部の采配梶原が急死した当時の若頭補佐は山本広、山本健一、菅谷政雄、小田芳一、小田秀臣、中西一男の6人だった。6人はとりあえず互選で若頭を選び、あとで田岡組長の承認を得ることにした。投票の結果は山本広が4対2で山本健一を上回ったが、田岡組長の決断で投票は反故になり山本健一と決まった。山健が田岡組長に直訴したと伝えられたが、そのことによる“後遺症”は残らなかった。“イケイケ派”と呼ばれた山本健一若頭の登場は、山口組を活性化させた。就任時は、山健執行部は新たに竹中正久が入り、7人の若頭補佐でスタートしたが、6年後の昭和52年には12人体制に強化され、大平一雄、清水光重、小西音松、加茂田重政、中山勝正らが加わった。(大幅に略)田岡組長は56年7月死去、山本若頭もあとを追うように57年1月、容態悪化で刑の執行停止を受けたあと2月4日死去した。まだ56歳の若さだった。四代目の贈名をという声が一部で出たがかなわなかった。詰めを急ぎ過ぎた竹中体制田岡組長、山本若頭を相次いで失った山口組は、四代目人事を一周忌まで凍結させることを決めた。その過程で57年6月、山本広若頭補佐が組長代行に、竹中正久が若頭に就任した。ここまでは無理のない人事だったが、しだいに力をもってきた組長代行の山本広と若頭竹中正久を巡って、どちらを支持するかで直系組長の思惑が表面化していく。田岡組長の一周忌が終わった8月、山本代行は四代目立候補を宣言する。フミ子姐に説得されて断念したが、9月の定例会で再び立候補を宣言、このときは竹中若頭が拘置中で不在だったため、竹中派の猛反発を買い、改めて入れ札で決定することを決めた。入れ札が行われる前日、山本広は再びフミ子姐に呼ばれ、「あんた組を割る気か」となじられ、立候補を無期延期する。この時点ではすでに分裂は避けられない事態となっており、ついに59年5月、フミ子姐は先代零代として四代目に竹中正久を指名、これを受けて竹中正久は、6月5日の山口組定例会で、四代目に就任することを宣言する。7月10日に四代目襲名式を終えた竹中正久は、あまりに一和会の切り崩しを急ぎ過ぎた。そのため追い詰められた一和会の刺客に、翌60年1月、愛人のマンションに赴いたところを襲撃され、中山勝正若頭、南力南組組長ともども射殺される。四代目就任後わずかに半年である。山本健一若頭の死去にともない、山健組若頭だった渡辺芳則は二代目山健組を継承すると同時に三代目山口組直系組長に昇格する。山健組を引き継いだ渡辺芳則は、組織強化策を取り、瞬く間に山健組を千人を超える強力組織にのしあげた。竹中四代目体制下では若頭補佐に抜擢され、竹中四代目が射殺されたあと中西一男が組長代行に就任すると、今度は若頭に選任された。山口組でこれほどスピード出世した人はほかに見当たらない。宅見若頭の悲劇五代目問題が正式に浮上したのは、一和会が解散、山本広会長が本家に謝罪してからである。当初、五代目には中西一男代行が名乗りを上げたが、一和会問題の解決に尽くした渡辺芳則若頭の功績が評価され、少数派となった中西代行は立候補を辞退、渡辺五代目が実現した。この過程では一和会問題の解決をめぐって、四代目の実弟・竹中武組長と対立が生じたが、渡辺若頭派は乗り切った。その渡辺支持派の参謀格が宅見勝だったのである。宅見若頭の功績は、渡辺五代目誕生への布石と山一抗争でがたついた山口組の再編に尽くし、五代目山口組を飛躍的に発展させたことであろう。宅見若頭は、稲川会の石井隆匡二代目会長と並んで「経済やくざ」として知られ、外野席では「2、3千億の金なら自由に動かせる」などと言われていた。しかし平成9年8月、神戸市内のホテルで、同じ中野太郎若頭補佐が率いる中野会のヒットマンに銃撃されて死んだ。事件に深くかかわっていたと見られる中野会幹部が韓国で変死したため、事件の真相は、いまだにはっきり判っていない。そのあと若頭と舎弟頭を兼任した岸本才三総本部長の隠れた功績は山口組内部で高く評価されている。※ コメント欄に続く
2005年06月06日
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ガスプロムは、ソ連崩壊後に国家財産を引き継いで設立された「準国営」の世界最大の天然ガス企業であり、ロシアのガス生産の約9割を採掘し、国内のパイプライン網を独占する巨大企業である。ガスプロムからの税収は、ロシア政府(国家)歳入の約25%を占めているという恐ろしい規模である。従業員数は33万人で関連企業を含めると数百万人になる。ロシア政府は現在、ガスプロムの株式38%を所有しているが、ロスネフチとの合併が白紙になったことで出資比率を現在の38%から50%以上に引き上げる(予定)。ロシア連邦政府の保有比率が全体の35%を下回らないこと、外国企業による保有比率が20%を超えないことが定められている。(ガスプロム株は、ガスプロム・インベストホールディング、ガスプロム・ファイナンス、ガスプロム・バンクなど関連会社と思われる企業が10%以上保有している:03年)ガスプロムは天然ガスの大部分をパイプラインによって欧州に輸出しており、ロシアからの欧州向け天然ガスの約8割が通過するのが「ガスの女王」が首相を務める隣国ウクライナである。ガスプロムは欧州に流通する天然ガスの約25%を供給している。※ レオニード・クチマ前大統領の義理の息子であるヴィクトル・ピンチュークは、ウクライナで2番目の富豪といわれ、ウクライナの多くのメディアを“コントロール”している。首相のユリア・ティモシェンコもウクライナの新興財閥の1人である。ティモシェンコは、95年から97年まで「ウクライナ統一エネルギーシステム」の社長を務めた。ガスプロムが創設されたのはソ連石油ガス工業省が廃止された89年で、初代社長に就任したのがガス工業相を務めたビクトル・チェルノムイルジンだった。チェルノムイルジンが92年にエネルギー担当の副首相から新首相に任命されると、後任はレム・イワノヴィッチ・ヴャヒレヴ(89年から副社長)が務めた。ヴャヒレヴはチェルノムイルジン首相の盟友だと言われている。(98年3月チェルノムイルジン首相解任、後任にキリエンコ。同年8月キリエンコ首相解任、後任にプリマコフ。99年5月プリマコフ首相解任、後任にステパシン。同年8月ステパシン首相解任、後任にプーチン。同年12月エリツィン大統領辞任、代行にプーチン。00年5月プーチン大統領就任、首相にはカシヤノフ。04年2月カシヤノフ首相解任、後任にフラトコフ)2001年、ヴャヒレヴが社長を退くと、プーチン大統領の腹心と言えるアレクセイ・ミレル(エネルギー省次官)が後任の新社長に就任した。ミレルが現在のガスプロム社長である。会長がメドベージェフ大統領府長官。● ミレルは1962年にレニングラードで生まれる。(同郷のプーチンは52年生まれ)● レニングラード金融経済大学を卒業。(プーチンはレニングラード法学部)● 91~96年、ミレルはサンクト・ペテルブルグ市対外関係委員会勤務。91年から対外関係委員会の議長に就任したのがプーチン副市長(92年から94年が副市長兼対外関係委員会議長、94年から96年までは第一副市長)なので、ミレルはプーチンの部下である。● 96年、サプチャク市長が市長選で敗れたことにより、ミレルは株式会社「サンクト・ペテルブルグ海港」に移る。(プーチンは大統領府総務局副局長に就任、98年には連邦保安局の長官)● 99~00年、ミレルは株式会社「バルト・パイプラインシステム」代表取締役。00年8月からはエネルギー省次官。(99年8月にエリツィン大統領はステパシン首相を解任、後任首相候補としてプーチンを指名。同時にプーチンを大統領の後継候補にすると公言、00年にプーチンは当選に必要な投票総数を超える得票で大統領当選)ロシア国内においてガスプロムは、天然ガス生産で95%、ガス輸送で100%のシェアを誇る独占企業である。ガスプロム以外では、ロスネフチとスルグトネフテガスが天然ガス生産を行なっている。 ※ ロスネフチはソ連時代の石油工業省を母体に1933年に設立され、ロシア政府が株を100%所有している国営企業。社長はセルゲイ・ボグダンチコフ(ユガンスクネフチガスの社長にも就任)。会長がセチン前大統領府副長官。確かロスネフチは、「中国石油天然ガス集団公司」と深い関係を結んでいたと思う。それと、既に(2月から)ロスネフチはユコスに代わって中国へ石油輸出を始めてると思われる。ロシネフチの04年の純益は3億8600万ドル(約400億円)。上に書いたようにガスプロムの会長がメドベージェフ大統領府長官であり、ロスネフチの会長がセチン大統領府副長官なのである。つまり、長官と副長官が対立している構図が浮かび上がっている。ガスプロム──メドベージェフ会長・ミレル社長ロスネフチ──セチン会長・ボグダンチコフ社長ようするに両社にプーチンが送り込んだ重要人物がいるのだが、この両社は対立している(ように見える)。そして、先日も書いたように、セチン会長のロスネフチがガスプロムとの暗闘で勝利した。ガスプロムは国営化(現在は準国営)されるのである。国営化後のガスプロムをロスネフチがコントロールすることになる(はず)。さらに今度は、なんとガスプロムが「シブネフチ」を買収する予定であるという。計画では、ガスプロムはシブネフチの株式57.5%を取得するとのこと。シブネフチとは「ユコス」と合併するはずだったユコスが株式の34.5%を保有する民営石油大手である。そう、エクソン・モービル、シェル、BPに続く第4のメジャーになるはずだった、あの「ユコス・シブネフチ」の片割れである。ロシア政府はガスプロムの保有株を現在の38%から国有化に向けて保有比率引き上げをする、これによってガスプロムは最大80億ドル(約8560億円)の資金を得て、これをシブネフチの買収に投じるらしい。しかし、シブネフチ側は「わが社を買収しようという企業があったとしても、われわれが身売りをする気がない以上、起こりえない」と否定している。…うーむ、でも「起こりえる」のが現在のロシアであろうと思う。ユコスが持つシブネフチの株は、裁判所が資産として凍結している。ユコスの子会社だった「ユガンスクネフチガス」だって、株式を差し押さえ04年11月にロシア政府はユコスから追徴金(日本円で3兆円)を回収する手段として、ユコスの主力生産を担う子会社ユガンスクネフチガスの株式売却を決定し12月19日に入札を行うと発表、12月19日には予定通り入札を実施したのである。これを落札したのが“2日前に設立されたばかり”の「バイカル・ファイナンス・グループ」だった。落札金額は93億5000万ドル(約9500億円)。この2日後、ロスネフチがバイカル・ファイナンス・グループを買収したと発表。買収金額は、わずか1万ルーブル(約4万円)。ユガンスクネフチガスはロスネフチ(国営)に買収されたわけである。そして予定では、ロスネフチがガスプロムに統合されるはずだった。だけど、ユガンスクネフチを取り込んだロスネフチがガスプロムをコントロールすることになったと。しかもガスプロムは準国営から国営化。ロスネフチはガスプロムに統合されることを拒んだわけです。そりゃそうだ、理由ははっきりしている。世界最大のガス企業に統合されればロスネフチなど消えてしまう。ユガンスクネフチを落札すると見られていたガスプロムは、米国ヒューストンの連邦裁判所から、入札3日前の16日に競売参加の中止を命じられてしまった。これによってロスネフチが優良企業であるユガンスクネフチを手に入れた。セチン会長とボグダンチコフ社長の「KGB人脈・シロビキ」による逆転劇がこれを機に現実味が出てきて、本当に逆転してしまったということだろう。シブネフチを含めてガスプロムやロスネフチが今後どのような展開を見せるのか注目したい。この展開は今後も“ストーカー的”に観察しなければ、現段階では詳しくは解らないのだ……なんせ日本語によるロシアの情報(記事)は極端に少ないのである。2001年の総資産ベースの「ロシア企業ランキング」では、00年1位だった「ルクオイル」を抜いて、総資産139億6700万ドルでガスプロムが1位になった。00年のガスプロムの総資産は59億ドルだったので2倍以上の急激な増加である。前年トップだったルクオイルは、94億ドルから88億ドルに資産を減らし3位となっている。驚くのがユコスである。ユコスは00年に14億ドルだった資産を01年には6倍以上の87億ドルに増やし4位に急浮上した。同年01年に発表された「2000年度の純利益ランキング」では、トップがルクオイルの34億ドル。2位がユコスの33億ドルである。00年はプーチンが大統領に就任した年である。ガスプロムは21億ドルで3位。ユコスは、00年度には既にガスプロムよりも儲けていたわけである。※ ルクオイルは91年に国営石油会社3社を統合して設立。社長は石油ガス工業省高官であったワギト・アレクペーロフ。03年のキャンプデービッドでのブッシュ大統領とプーチン大統領の首脳会談では、ルクオイルのアレクペーロフの姿があった。パパ・ブッシュがプーチンの保養地ソチを訪問したときにもアレクペーロフがいた。ルクオイルの04年12月期の売上高は前期比53%増の338億4500万ドル(約4兆757億円)、純利益が同10.8%増の41億1500万ドル(約4362億万円)。※ 03年のガスプロムは史上最高の業績をあげ、収入は29%増加、純利益は2.7倍、株価は60%上昇。欧州諸国へのガス輸出量は、金額にして160億ドルと史上最高を記録。株価の総価値額は、99年の46.7億ドル、00年には79.4億ドル、01年は113.5億ドル、02年が204.3億ドル、03年が269.9億ドルであり、なんと、この4年間の平均年間上昇率は55%という恐るべき驚異的な上昇だった。「ガスプロム」「ロスネフチ」「ユコス」……これらに共通するのが日本に関係する「サハリン・プロジェクト」と「東シベリアの資源開発」、そして「太平洋石油パイプライン・プロジェクト」です。さて、どうなることやら。ロシアのエネルギー動向http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200506010000/
2005年06月05日
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「ユコス問題」の中心人物であるミハイル・ホドルコフスキーに対し、モスクワのメシャンスキー地区裁判所は5月31日、横領と脱税の罪で禁固9年の実刑判決を言い渡した。なんと判決文朗読は、5月16日から2度の週末を挟んで12日間におよび、「現代ロシアで最長の刑事判決言い渡し」となった。弁護側は控訴すると思われる。イリーナ・コレスニコワ裁判長は31日、1990年代の国有資産売却の際にホドルコフスキーと同様の罪で起訴されたユコス持ち株会社「メナテップ」のレベジェフ会長の両氏が組織立って、10億ドル規模の詐欺行為を行なったとする検察側の立証を認める判決を下した。同裁判所は、レベジェフに対しても9年の刑を言い渡した。 これにより、政治的迫害として非難されていた同裁判は、開始から11ヶ月で幕を閉じた。 ロシアがホドルコフスキーを逮捕するとともに、ユコスに280億ドル(約3兆220億円)の追徴課税を求めて以降、欧米各国は、プーチン大統領の民主化への取り組みについて懸念を表明していた。ロシアでの一連の騒動を受け、投資家らは昨年95億ドルもの資金をロシアから引き揚げたと言われている。 判決は、ホドルコフスキーが、1.個人所得税約5453万ルーブル(約2億954万円)を脱税2.民営化された肥料開発会社の株式を違法に取得3.ユコスに属すべき資金約26億5000万ルーブル(約101億8326万円)を政商ウラジーミル・グシンスキーに違法に移転した――など、検察が起訴した11件のうち9件で有罪を認定した。これに対してホドルコフスキーは、「潔白が祖国で立証されることが私にとっては原則的に重要だ」と述べ、プーチン政権から刑の軽減と引き換えに出国を求める裏取引を持ち掛けられたが拒否したことを示唆した。ホドルコフスキーの父も「素知らぬ顔でここから逃げろとは息子に言えない」と述べ、禁固9年という量刑と出国問題に密接な関係があったことを強く示唆した。また、ブッシュ大統領は31日のホワイトハウスでの記者会見で、「ホドルコフスキーは公正な裁判の前に有罪が決まっていたように見える。刑務所に投獄されてから裁判を受けたようなものだ」と批判した。バウチャー国務省報道官はロシアの「法の支配」の現状に憂慮を示し、「ロシアは(投資の減少などで)代価を支払い続けることになるだろう」と警告した。私は 2005年04月13日の日記で「ガスプロムは、ロシア国営ロスネフチを、76億ドルで6月末までに買収完了する見込みである」と書いたのだが、実はこの流れにも変化が出てきている。報道を基にして私見などを簡単に説明すると、プーチン政権は、世界最大の天然ガス企業体ガスプロムに国営石油企業のロスネフチを吸収合併させようとして、巨大な国営エネルギー企業体の創設に向けて動いてきた。しかし、ガスプロム側に当初予期せぬ資金問題が起きたことからこのシナリオに狂いが生じ、ガスプロムのミレル社長は、ロスネフチの吸収合併を断念し、ガスプロムの全発行株式の約4割を保有する政府に自社株式を売却することで完全な国営企業となることを明らかにした。ロスネフチ側が、発行済み全株式の約10%分に当たるガスプロム株を130億ドル(約1兆4000億円)で6月24日までに国に代わって買収する計画であることも明らかになった。したがってロスネフチは、ガスプロムの株式を直接取得することでガスプロムへの発言権を増し影響力を行使できるようになるはずである。これにより、当初ガスプロムを中心に描かれてきた新国営エネルギー企業体の青写真は、一転してロスネフチが主体となることが決定的となったわけである。ロスネフチはプーチンが側近のセチン前大統領府副長官を会長に送り込むまで石油業界第6位の影響力の小さな企業だったわけだが、ユコスの6割の石油を産出する中核子会社を吸収したことで一挙に石油生産シェア20%の最大手に躍り出た。エネルギー戦略の主導権がロスネフチに移ったことは、セチン会長人脈がガスプロムとの暗闘で勝利したことを意味する。ロスネフチとは、「シロビキ」という旧ソ連国家保安委員会(KGB)勢力が牛耳る国営石油企業である。ガスプロムのミレル社長は5月18日、ロスネフチとの合併を断念したことを明らかにしている。 つまりこうである。国営ロスネフチは、6月24日までにガスプロムの10.07%の株式を130億ドルで買収する計画を立てた。これにより、国が保有する4割近くの株式とあわせることでガスプロムの国営化が達成されるわけである。そしてロスネフチが、実質的に国営化後のガスプロムをコントロールすることになる、と。従ってプーチン・セチン人脈は、ユコスが欧米の石油メジャーに吸収されることを以上のようなやり方で防いだと見ていいと思う。もちろん今後の展開しだいではどうなるかは解らないという不安定な状況にあることは間違いないだろう。ただ、ホドルコフスキーはユコス・シブネフチの40%をエクソン・モービルに売却するつもりだったのであり、プーチンによるホドルコフスキー逮捕と事実上のユコス解体によって、ロシアの天然資源を欧米の石油メジャーから守ったのは確かだと見て取れるのである。ロシアでは“泥棒”のホドルコフスキーなどが逮捕され裁かれているが、「オレンジ革命」をはたしたウクライナでは、“ガス泥棒”のユリア・ティモシェンコが首相に就任するという違いがある。「美しい」ユリア・ティモシェンコの写真と記事はこちら。http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200502100000/さて一方、カスピ海石油をロシアを通さず地中海へ運び出すBTCパイプラインが完成し、5月25日にアゼルバイジャンのバクーで開通式が行なわれた。これに対しロシアは、国内産やカスピ海沿岸の石油を黒海から地中海、イスラエルを経てインドなどアジア市場に輸出する南方ルートを計画しているため、これは石油をめぐる新たな「グレートゲーム」の幕開けとなると言われている。ロシアの南方ルートは、黒海沿岸ノボロシースクまでの既存のパイプラインを生かし、タンカーでイスラエル北部まで搬送、さらにイスラエル縦断パイプラインで紅海へ積み出すというもの。最終的にはBTCに匹敵する日量100万バレルを見込む。日米欧はBTCパイプラインの完成により、ロシアとOPEC加盟諸国の関与を受けない巨大供給源と輸送路を獲得することになる。日経の5月25日の記事を抜粋するとカスピ海送油管が開通へ・ロシア迂回し日米欧に供給新送油管はアゼルバイジャンから、グルジアを経てトルコ南部に抜ける1700キロメートル強を結ぶ。名称は「バクー・トビリシ・ジェイハン(BTC)」ルート。輸送能力は日量100万バレルで総工費は36億ドル。石油はバクー沖合のカスピ海底にある鉱区「アゼリ・チラグ・グナシリ(ACG)」から供給する。可採埋蔵量は54億バレルとインドネシア1国分を超える。 石油開発事業、輸送事業とも日米欧が国際企業連合を形成、英BPが主な運営主体を務める。日本からは両事業に国際石油開発と伊藤忠石油開発が資本参加している。以上のようになっている。いちおうは国際石油開発と伊藤忠石油開発も参加しているが、これらの主体は、記事にあるように「BTC」も「ACG」も英石油メジャーのBPである。日本が「おいしい餌」にありつけるはずがないのである(笑)以下に、参考までに「BTC」と「ACG」の資料を貼って本日は終わりにします。【ACG 事業概要】事業実施主体 BP(英)可採埋蔵量 約54億バレル(契約期間終了の2024年まで)生産開始 1997年11月現在生産量 日量約220千バレル計画生産量 2005年からの本格生産によりピーク時には日量約110万バレルを計画尚、伊藤忠は1996年よりACG 事業に参加している。【BTC 事業概要】事業実施主体 BTC Co.BTC Co.主要株主BP(英)総延長 約1,760km総費用 約36億米ドル通油能力 日量約100万バレル通油開始 2005年11月● 参加者【ACGプロジェクト】SOCAR(アゼルバイジャン) 10.0000%BP(英) 34.1367%Unocal(米) 10.2814%Statoil(ノルウェー) 8.5633%TPAO(トルコ) 6.7500%Amerada Hess(米) 2.7213%伊藤忠商事(日) 3.9205%国際石油開発(日) 10.0000%ExxonMobil(米) 8.0006%Deveon Energy(米) 5.6262%【BTCプロジェクト】SOCAR 25.00%BP(英) 30.10%Unocal(米) 8.90%Statoil 8.71%TPAO 6.53%Amerada Hess 2.36%伊藤忠商事 3.40%国際石油開発 2.50%Agip(伊) 5.00%Total(仏) 5.00%ConocoPhillips(米) 2.50%※ 関係する日記石油メジャー(2005年04月16日)http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200504160000/
2005年06月01日
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稲川会の三代目会長が29日に病死(敗血症)した。稲川会は稲川角二(聖城)氏が一代で築き上げた東日本を代表する組織。昭和60年に稲川角二氏は会長から最高位の総裁に就任し、石井進(隆匡)氏が二代目会長の座に就きました。平成2年(90年)、総裁の実子である稲川土肥(裕紘)氏が三代目会長に就任し、現在に至っていました。その三代目会長が亡くなったわけです。 毎日新聞の記事によると、四代目会長には、実子の稲川英生氏が就くらしい。まだ30歳(確か大卒)という若さである。もちろん年齢は関係のない器量重視の世界だろうけど、「山口組」の渡辺五代目や司若頭、「住吉会」の西口総裁や福田会長(小林会)との“バランス”を考えると……世襲も考えもんかもとか思ったりします。先日も取り上げた「日本財団」も世襲だしねえ。そんなに“血が重要”なのかねえと思ったりも。世襲による不満が悪い方向(分裂や抗争)へいかなければいいのかもしれないけど、考えられる問題は多いんじゃないのかな(無関係の私が考えたり言う必要のないことではありますけれども)。今後の「稲川会」にも注目していこうと思います。指定暴力団・稲川会会長が死去警視庁組織犯罪対策3課によると、指定暴力団稲川会の稲川土肥(とい)会長(64)が29日朝、入院先の東京都内の病院で死亡した。死因は病死とみられる。同課の調べでは、稲川会は東京、北海道と18県に勢力があり、構成員約5100人、準構成員約4400人。本部事務所は港区六本木にあり、暴力団対策法に基づく指定の代表者は父親の稲川角二総裁(90)。(2005年5月30日3時9分 読売新聞)http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20050520ic01.htm稲川会:3代目会長が病死 警察当局、警戒強める指定暴力団稲川会(本部・東京都港区)の稲川土肥(とい)3代目会長(64)=通称・裕絋(ゆうこう)=が29日病死したことが警察当局に入った情報で分かった。4代目会長には実子で英生(ひでき)本部長(30)が就くとみられる。稲川会長は、父で同会トップの稲川角二総裁(90)=通称・聖城(せいじょう)=と共に同会を率いてきた絶対的存在だっただけに、同会内部の混乱や他団体の攻勢などの可能性もあり、警察当局は警戒を強めている。警視庁によると、稲川会は92年に都公安委員会から指定された指定暴力団。20都道県に360組織、構成員約5100人、準構成員も含めると約9500人(昨年12月現在)で、山口組、住吉会に次ぐ全国3番目の規模。戦後、角二総裁が静岡県熱海市を拠点に結成し、2代目は佐川急便事件で暗躍した故・石井進元会長。土肥会長は90年10月に3代目に就き、96年9月に山口組の渡辺芳則・5代目組長と「同盟」を結ぶ「五分の盃(さかずき)」を交わしている。葬儀会場については、熱海市との見方が強いが、まだ正式には決まっておらず、警察当局は情報収集に全力を挙げて警戒している。毎日新聞 2005年5月30日 3時00分http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20050530k0000m040121000c.html稲川会の会長が都内の病院で死去指定暴力団、稲川会の稲川裕紘こと稲川土肥会長が、29日、東京都内の病院で、敗血症のため 死去しました。稲川会長(64)は、稲川会を創設した稲川角二総裁(90)の長男で、1990年、会長に就任しました。しかし、数年前から肝臓病を患い、入退院を繰り返していて、29日朝、東京都内の病院で、敗血症のために死去しました。 警視庁によりますと、稲川会は山口組、住吉会に次ぐ、国内3番目の指定暴力団で、構成員は周辺者も含めておよそ1万人、勢力範囲は1都1道18県に及んでいます。 稲川会をめぐっては、今年1月、東京・浅草寺周辺で系列暴力団の組長ら6人が、偽の旧1万円札を使ったとして逮捕されたほか、3月には最高幹部の一人である理事長補佐(62)が、競売妨害の疑いで逮捕されています。(30日 10:49 )http://news.tbs.co.jp/part_news/part_news1201386.html指定暴力団・稲川会会長が死去2005年05月30日11時08分指定暴力団稲川会の稲川土肥(とい)(通称・裕紘)会長(64)が29日朝、東京都内の病院で、死去したことが分かった。警視庁によると、稲川会長は、病気で長期入院中だったという。30、31日に静岡県内で通夜・告別式が開かれるため、警察は警戒を強めている。 稲川会長は稲川会を創設した初代会長・稲川角二総裁(90)の長男で、90年10月に就任した。 組織犯罪対策3課によると、稲川会は港区六本木7丁目に本部事務所を置き、勢力範囲は東京や北海道のほか、神奈川、静岡、愛知など18県。構成員・準構成員は約9500人で、山口組、住吉会に次ぐ3番目の規模。 http://www.asahi.com/national/update/0530/TKY200505300123.html?t【平成15年末現在】組織別 構成員 準構成員 合計 構成比率山口組 19600 17300 36900 43.3%稲川会 5100 4600 9700 11.4%住吉会 6500 5800 12300 14.4%これが、2005年02月03日の読売の記事によると、2004年末時点で、山口組が 39200人で全体の45.1%を占めていて、稲川会が 9500人で、住吉会が 12600人とのこと。山口組の増加と割合(比率)が圧倒的ですね。【稲川会】暴力団稲川会は、東京都港区に主たる事務所を置き、平成11年末現在の勢力範囲は1都1道22県に及び構成員(組員)約5300名、準構成員(準組員)約4100名、合計約9,400名を擁するといわれ、東日本有数の広域暴力団です。この稲川会は、現総裁、稲川角二(聖城)が一代で築き上げた団体です。稲川角ニは、大正3年横浜で生れ、昭和14年、25歳のころ神奈川県下で1、2を争う博徒、堀井一家三代目(通称片瀬一家)親分、伝兵衛こと加藤伝太郎に実力を見込まれ子分盃を受け、博徒として第一歩を踏み出したといわれています。昭和16年に至り、当時関東一の親分と称されていた網島一家二代目、通称鶴岡一家親分、鶴岡政治郎の代貸となりましたが、終戦後の昭和23年、静岡県下の温泉郷、熱海市内でいわゆる戦勝国となった不良連中が横暴を極めた際、地元を縄張りとしていた博徒山崎一家の要請を受けた鶴岡政治郎の命により、熱海入りした稲川角ニは、またたくまにこれらを制圧しました。その功績を買われて山崎一家の縄張りを譲り受けた稲川角二は、熱海、湯河原一帯に縄張りを確立、熱海市を本拠として「稲川組」を誕生させたのが、現在の稲川会の始まりといわれています。その後、名称を「鶴政会」「錦政会」「稲川一家」と改称しながら各地に進出して勢力の拡大を図り、昭和47年11月に現在の「稲川会」に改称しています。なお、その間、昭和34年には稲川興産(株)の看板を掲げ東京都内の進出も果たしています。さらに、昭和60年10月、組織改編を断行、稲川角二は会長から最高位である総裁に就任、二代目会長には石井進を指名しましたが、平成2年10月には、稲川角ニの実子、稲川土肥が三代目会長となって現在に至っています。このように稲川会は、稲川角二が一代で確立した組織だけに、絶対的な権力を有する総裁のもとで統制をされており、一枚岩の団結を誇っていますが、一方、他団体に比較し厳しい上納金徴収制度を取っているともいわれ、傘下団体の中には、上納金の捻出に苦しみ、不義理や滞納によって降格、破門などの事態も出ているといわれています。なお稲川会も現在、暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律に基づき、東京都公安委員会から「指定暴力団」に指定されています。 http://www.web-sanin.co.jp/gov/boutsui/mini34.htm五代目山口組の若頭が決定したhttp://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200505110000/
2005年05月30日
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たまには、最近読んだ本を取り上げてみる。ネット上ではハンドルネーム「アルルの男・ヒロシ」で登場している中田安彦の「処女作」である『ジャパン・ハンドラーズ』を読んでみた。彼は「ジャパン・ハンドラーズとアメリカ政治情報」というブログも立ち上げているので、そこで今後のフォローをしていくようである。私は、アルルの男・ヒロシ氏が「分析」されたネット上での投稿(言論)を好んで読んでいる読者でもあるので、『ジャパン・ハンドラーズ』を買ってみた。「情報」としては、私にとって目新しいものがなかったのが残念であるが、「監修のことば」で副島氏が「この本は対日グローバリスト名鑑である」と書いているので「資料」的な意味合いが強いのだろう。何かを「暴いている」といった印象もなかった。内容について批評するのではなく、第5章「世界を動かすインナー・サークルと国際金融資本の正体」のなかでロックフェラーのことが書かれている部分を資料としてここに転載(紹介)する。文中のリンクや写真は、私(HEAT)が加えたものである。なお、この本の「解説」が「今日のぼやき」サイトの「665」に載っているのでそれも紹介しておく。今日のぼやきhttp://snsi-j.jp/boyaki/diary.cgiジャパン・ハンドラーズ日本を操るアメリカの政治家・官僚・知識人たち(中田安彦・著)なぜ日本はアメリカに逆えないのか!? アメリカの対日戦略を立案するシンクタンク・大学・政府機関の全貌を完全網羅。気鋭の評論家がアメリカ帝国「繰りの手口」を実名250人を挙げて解説する。アメリカの“貴族”ロックフェラー家アメリカには「貴族社会」というものは存在しないと思われているが、ロックフェラーやモルガンなどの“オールド・マネー”出身のエリート名家が、貴族のような存在となっている。彼らは欧州貴族たちの「カウンターパーツ」でもあるが、その中でもロックフェラー家は、日本との関係が深い。(略)現在のロックフェラー家の一応の当主は、デヴィッド・ロックフェラー・ジュニア(62歳)で、初代当主の石油王ジョン・D・ロックフェラー一世(スタンダード石油創始者)から数えて、五代目に当たる。この父親が詳しく後述するデヴィッド・ロックフェラー・シニア(1915年~)だ。彼には、他に4人の兄弟がおり、デヴィッドは5番目の末弟にあたる。上から順にいえば、ジョン・D・ロックフェラー三世(1906~1978年、アジア・ソサエティ創設者)、ネルソン・ロックフェラー(1908~1979年、フォード政権副大統領)、ローレンス・S・ロックフェラー(19010~2004年、リーダーズ・ダイジェスト、マグダネル・ダグラスの両社と深い関係)、ウィンスロップ・ロックフェラー(1912~1973年、アーカンソー州知事、クリントン元大統領の“実父”説あり)が彼の兄弟たちだ。彼ら5人は、二代目当主のジョン・D・ロックフェラー二世(1874~1960年)の息子に当たる。ジョン・D・ロックフェラー三世と日本戦後、日本を含むアジアとのかかわりを再開したのは、ジョン・D・ロックフェラー三世である。彼は、吉田茂首相らが出席して行なわれたサンフランシスコ講和条約調印(1951年)の時にも、民間人なのに調印団の中の一員として立ち会っていた人物だ。彼は、第二次世界大戦が終わった1940年代後半に、ロックフェラー家のお抱え弁護士でこのときは対日講和団使節団長をしていた、ジョン・フォスター・ダレス(のち国務長官、CFRメンバー)に同行し、日本の指導者たちと親交を深めた。その中には、昭和天皇ご一家も含まれている。ただ、ジョン・D三世はただ単に、日米のエスタブリッシュメントと知的交流だけが目的で戦後間もない時期にアジアとかかわりを持ったのではない。もちろんそういうエリート同士のネットワーク作りという目的もあったが、実は本当の目的は、「反共の砦」をアジアの各地域に作るとともに、戦前からロックフェラー家が日本に作った投資資産の保全をしようというものだった。彼は、1907年にニューヨークと日本に設立された、日本との交流窓口であるジャパン・ソサエティ(一説には日本海軍にスタンダード石油が石油を売るための営業窓口だったという)を復活させ、独自にアジアの美術を収集するという、いかにも貴族趣味がうかがわれる目的で、アジア・ソサエティを1956年に設立している。さらに、日本においては、松本重治(元同盟通信編集局長)や、松本が記者をやめてから助手を務めた高木八尺東大教授、左翼・リベラル派の都留重人、新木栄吉(駐米大使、日銀総裁)ら数十名のメンバーが集まって設立した国際文化会館の設立に、深くかかわっている。(略)「小沢革命」の黒幕!? ジェイ・ロックフェラー三世が復活させた日米人脈は、その後、三世の息子であるジョン・D・ロックフェラー四世上院議員(ジェイ・ロックフェラー)に引き継がれる。JOHN D "JAY" ROCKEFELLER IV ジェイは、1955年の国際文化会館の設立式にも両親(母親は、ブランシェット・ロックフェラー)とともに立ち会っている。これが初めての訪日だった。彼は1961年にハーバード大学(極東言語・歴史専攻)を卒業する前の3年間を、父の友人であったライシャワーのアレンジで、日本のICU(国際基督教大学)に留学している。どうも、ハーバードでの学生生活がうまくいっていなかったのが原因の一つのようだ。(略)現在のジェイは、アメリカの最貧州の1つで石炭・鉄鋼産業が盛んなウェスト・ヴァージニアの上院議員を1984年以来務めている。彼は2000年の大統領選挙に出ると噂されたこともある。日本との関係でいえば、彼は日本のトヨタ自動車の工場を選挙区内に誘致するなどして、地元の雇用を拡大させていることがまず真っ先に挙げられよう。彼の公式ホームページを見ると、「今日どこそこに○○工場を誘致しました。これで3000人のアメリカ人の雇用が増えました」ということが誇らしげに書かれている。また、ジェイは、小沢一郎民主党副代表の著書『日本改造計画』の英語版の序文を書いている。このことから、1990年代初頭の「小沢革命」の黒幕の1人として噂されたこともある。この著書は、小沢議員の政策秘書を1988年から務めた、CIAの諜報員であったルイーザ・ルービンファインという人が“翻訳”した。彼女は、SAIS・ライシャワーセンターの研究員や、ジョージ・ワシントン大学補助教授を歴任し、現在は同大シグール・東アジアセンター研究員である。このルービンファインやロックフェラーと小沢議員のコネクションが健在なのかどうかはよくわからない。ジェイは、父親からの流れを引き継いで、アジア・ソサエティの理事を務めたり、リチャード・サミュエルズ教授が議長を務める、日米友好基金の名誉会員でもあり、密かに日本とのつながりは残している。しかし、数年後までは彼自身はいまの上院議員の任期が続くことから、雇用やテロ防止のための情報収集など国内問題に気を配らなければならないこともあり、世界のインナーサークルとの“交流”は主に、妻で、公共放送やペプシコーラなどの社外取締役を兼任しているシャロン・パーシー・ロックフェラーという女性に任せているようだ。(略)彼女は、最近では1997年に、アメリカ内で開かれたビルダーバーグ会議に出席していることが、資料により確認できる。Bilderberg 2005デヴィッド・ロックフェラーの文化交流人脈現在は91歳のデヴィッド・ロックフェラーもまた、ジャパン・ソサエティの名誉会長を長年務めた。彼自身が会長就任を受けたが、自ら前に出て行くことはせず、駐日米大使も務めたロバート・インガソルをジャパン・ソサエティの正式の会長にしたそうだ。彼自身が、「読売新聞」が91年に主催したソニーの盛田昭夫元会長らとの紙面での対話企画でそのように語っている。現在もジャパン・ソサエティのレセプションには息子のデヴィッド・ロックフェラー・ジュニアとペアでしばしば出演するが、理事会の名簿には名前は見あたらない。デヴィッドは、「日米財界人会議」などの「インナーサークル」のメンバーとして、日本の財界人とのビジネス上の交流にも熱心だったが、注目したいのはフジサンケイ・コミュニケーション・グループ(FCG)や皇族である故高松宮殿下とのかかわりだ。FCGはグループ企業として、現代彫刻を草原内に展示した「箱根・彫刻の森美術館」を持っており、「ニューヨーク近代美術館」の名作展を日本で主催したりもしている。このニューヨーク近代美術館というのは、ロックフェラー二世夫人だった、アビー・オルドリッチ・ロックフェラーが1929年にニューヨークに設立した、現代アート中心の美術館である。(略)また、FCGは、1988年に、世界の芸術文化に造詣が深かった故・高松宮殿下のご意志を継ぎ発足した、「高松宮殿下記念世界文化賞」を後援している。この国際顧問として、中曽根康弘元首相、シュミット元西独首相、シラク仏大統領などの西欧著名人と一緒に、デヴィッド・ロックフェラー父子が名前を連ねている。(略)デヴィッド・ロックフェラーと日米欧三極委員会このデヴィッド・ロックフェラーと日本政財界との関わりで、最大のものは日米欧三極委員会の設立だろう。当時、チェイス・マンハッタン銀行頭取の座にあった彼の頭の中には1つの構想があった。それは、経済的に勃興しつつある戦後日本とヨーロッパ(とりわけ西ドイツ)、アメリカを「世界の三極」として結びつけ、米国主導の安定した世界秩序を維持しようという試みである。(略)ロックフェラーは当初、経済大国となった日本をビルダーバーグ会議に合流させたいという考えをもっていたが、日本をメンバーに加えることに、西側の「大西洋同盟重視派」が反対し頓挫している。結局、自ら三極委員会を設立して「対等なメンバー」として、日本を招き入れたということらしい。実際、ビルダーバーグのメンバーと三極委員会の北米メンバーはかなりの部分で重なっているが、ビルダーバーグには今も日本人は1人もいない。いわゆる秘密クラブの中で、この三極委員会は日本人に最も門戸が開かれていると言えるだろう。あまりマスコミに取り上げられることはないが、公式ホームページもあるし、会議の内容は毎年「トライアングル・ペーパー」というリポートとして発行されている。
2005年05月27日
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※ これは、下から続いていますので下からお読み下さい。「ベスト映画100」の続きです。Pulp Fiction(1994)パルプ・フィクションThe Purple Rose of Cairo(1985)カイロの紫のバラPyaasa(1957)渇きRaging Bull(1980)レイジング・ブルSchindler's List(1993)シンドラーのリストThe Searchers(1956)捜索者Sherlock, Jr.(1924)キートンの探偵学入門The Shop Around the Corner(1940)街角-桃色の店-Singin' in the Rain(1952)雨に唄えばThe Singing Detective(1986)Smiles of a Summer Night(1955)夏の夜は三たび微笑むSome Like It Hot(1959)お熱いのがお好きStar Wars(1977)スター・ウォーズA Streetcar Named Desire(1951)欲望という名の電車Sunrise(1927)サンライズSweet Smell of Success(1957)成功の甘き香りSwing Time(1936)有頂天時代Talk to Her(2002)トーク・トゥ・ハーTaxi Driver(1976)タクシードライバーTokyo Story(1953)東京物語A Touch of Zen(1971)侠女Ugetsu(1953)雨月物語Ulysses' Gaze(1995)Umberto D(1952)ウンベルトDUnforgiven(1992)許されざる者White Heat(1949)白熱Wings of Desire(1987)ベルリン・天使の詩Yojimbo(1961)用心棒「名作映画100本」邦画は「生きる」など4本…米誌【ニューヨーク=白川義和】米誌タイムは22日、同誌の映画評論家が選んだ「名作映画100本」を発表した。日本映画では、黒沢明監督の「生きる」(1952年)と「用心棒」(61年)、小津安二郎監督の「東京物語」(53年)、溝口健二監督の「雨月物語」(同)が選ばれた。洋画では「カサブランカ」(42年)、「アラビアのロレンス」(62年)、「ゴッドファーザー」(72、74年)、「スター・ウォーズ」(77年)、「E.T.」(82年)、「シンドラーのリスト」(93年)、「ロード・オブ・ザ・リング」(2001~03年)、「ファインディング・ニモ」(03年)などが入っている。(2005年5月23日11時41分 読売新聞)http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20050523i505.htm「生きる」など4邦画も タイム誌がベスト映画100本発表 米誌タイムは22日、同誌が選んだ「ベスト映画100本」を発表した。黒沢明監督の「生きる」(1952年)など、日本映画4本が含まれており、「生きる」は50年代の最高傑作に選ばれた。ベスト映画100本は23日発売の同誌最新号で一部が紹介される。100本に順位は付けられていない。ほかにベスト100本に入った邦画は小津安二郎監督の「東京物語」(53年)と溝口健二監督の「雨月物語」(同)、黒沢監督の「用心棒」(61年)。洋画では「カサブランカ」(42年)、「アラビアのロレンス」(62年)、「ゴッドファーザー」(72年)、「シンドラーのリスト」(93年)、「ロード・オブ・ザ・リング」(2001年)などが入選した。年代ごとの最高傑作としては「メトロポリス」(20年代)、「孔雀夫人」(30年代)、「市民ケーン」(40年代)、「生きる」(50年代)、「仮面 ペルソナ」(60年代)、「チャイナタウン」(70年代)、「デカローグ」(80年代)、「パルプ・フィクション」(90年代)、「トーク・トゥ・ハー」(2000年代)が選ばれた。(共同)(05/23 10:13)http://www.sankei.co.jp/news/050523/bun046.htm
2005年05月23日
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タイム誌が22日、「ベスト映画100本」を発表した。日本映画からは、「生きる」、「用心棒」、「東京物語」、「雨月物語」が選ばれたようである。100本に順位は付けられてないが、「市民ケーン」、「アラビアのロレンス」、「ゴッドファーザー」、「シンドラーのリスト」、「パルプ・フィクション」、「酔拳2」、「お熱いのがお好き」……などなど、私も何度も観た映画が並んでいる中、デビッド・クローネンバーグの「ザ・フライ」が選ばれているのが嬉しかった。クローネンバーグの作品はどれも好きなもんで。以下に100本すべてを「タイム」のサイトから紹介します。http://www.time.com/time/2005/100movies/index.htmlhttp://www.time.com/time/2005/100movies/the_complete_list.htmlAguirre: the Wrath of God(1972)アギーレ 神の怒りThe Apu Trilogy(1955・1956・1959)大地のうたThe Awful Truth(1937)新婚道中記Baby Face(1933)紅唇罪ありBande a part(1964)はなればなれにBarry Lyndon(1975)バリー・リンドンBerlin Alexanderplatz(1980)ベルリン・アレクサンダー広場Blade Runner(1982)ブレードランナーBonnie and Clyde(1967)俺たちに明日はないBrazil(1985)未来世紀ブラジルBride of Frankenstein(1935)フランケンシュタインの花嫁Camille(1936)椿姫Casablanca(1942)カサブランカCharade(1963)シャレードChildren of Paradise(1945)天井桟敷の人々Chinatown(1974)チャイナタウンChungking Express(1994)恋する惑星Citizen Kane(1941)市民ケーンCity Lights(1931)街の灯City of God(2002)シティ・オブ・ゴッドClosely Watched Trains(1966)The Crime of Monsieur Lange(1936)ランジュ氏の犯罪The Crowd(1928)群衆Day for Night(1973)映画に愛をこめて アメリカの夜The Decalogue(1989)デカローグDetour(1945)まわり道The Discreet Charm of the Bourgeoisie(1972)ブルジョワジーの秘かな愉しみDodsworth(1936)孔雀夫人Double Indemnity(1944)深夜の告白Dr. Strangelove: or How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb(1964)博士の異常な愛情/または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったかDrunken Master II(1994)酔拳2E.T. The Extra-Terrestrial(1982)ET8 1/2(1963)The 400 Blows(1959)大人は判ってくれないFarewell My Concubine(1993)さらば、わが愛/覇王別姫Finding Nemo(2003)ファインディング・ニモThe Fly(1986)ザ・フライThe Godfather, Parts I and II(1972・1974)ゴッドファーザーThe Good, The Bad and The Ugly(1966)続夕陽のガンマンGoodfellas(1990)グッドフェローズA Hard Day's Night(1964)ハード・デイズ・ナイトHis Girl Friday(1940)ヒズ・ガール・フライデーIkiru(1952)生きるIn A Lonely Place(1950)孤独な場所でInvasion of the Body Snatchers(1956)ボディ・スナッチャー/恐怖の街It's A Gift(1934)かぼちゃ大当たりIt's A Wonderful Life(1946)素晴らしき哉、人生!Kandahar(2001)カンダハールKind Hearts and Coronets(1949)カインド・ハーツ・アンド・コロネッツKing Kong(1933)キング・コングThe Lady Eve(1941)レディ・イヴThe Last Command(1928)最後の命令Lawrence of Arabia(1962)アラビアのロレンスLeolo(1992)The Lord of the Rings(2001-03)ロード・オブ・ザ・リングThe Man With a Camera(1929)カメラを持った男The Manchurian Candidate(1962)影なき狙撃者Meet Me in St. Louis(1944)若草の頃Metropolis(1927)メトロポリスMiller's Crossing(1990)ミラーズ・クロッシングMon oncle d'Amerique(1980)アメリカの伯父さんMouchette(1967)少女ムシェットNayakan(1987)Ninotchka(1939)ニノチカNotorious(1946)汚名Olympia, Parts 1 and 2(1938)オリンピアOn the Waterfront(1954)波止場Once Upon a Time in the West(1968)ウエスタンOut of the Past(1947)過去を逃れてPersona(1966)ペルソナPinocchio(1940)ピノキオPsycho(1960)サイコ※ 文字数がオーバーしたため、上に続きます。
2005年05月23日
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中国国務院の呉儀・副首相が来日している。呉儀は女性としては最高位の閣僚で、中国共産党指導部の政治局でも唯一の女性委員。--------------------【呉儀の略歴】呉儀、女性、漢民族。1938年11月生まれ、湖北省武漢市出身。1962年4月、中国共産党に入党。1962年8月就職。北京石油学院石油精錬学部卒業。高級エンジニア。現職、中国共産党中央政治局委員、国務院副総理。1956年―1962年、西北工学院国防学部、北京石油学院石油精錬学部に在学。1962年―1965年、蘭州石油精錬工場エンジニア、政治部弁公室担当責任者。1965年―1967年、石油工業部生産技術司生産処エンジニア。1967年―1983年、北京東方紅石油精錬工場エンジニア、技術課副課長、課長、副総エンジニア、副工場長。1983年―1988年、北京燕山石油化学工業会社副総経理、党委員会書記。1988年―1991年、北京市副市長。1991年―1993年、対外経済貿易部副部長、党グループ書記。1993年―1997年、対外貿易経済合作部部長、党グループ書記。1997年―1998年、中央政治局委員候補、対外貿易経済合作部部長、党グループ書記。 1998年―2002年、中央政治局委員候補、国務委員、国務院党グループメンバー。 2002年―2003年3月、中央政治局委員、国務委員、国務院党グループメンバー。 2003年3月、中央政治局委員、国務院副総理に選出。 第13期中央委員候補、14期、15期、16期中央委員、15期中央政治局委員候補、16期中央政治局委員。 --------------------5月17日の中国外交部孔泉・報道官の定例記者会見によると、「呉副首相の日本での活動は2つの部分に分かれる。第1は愛知万博への出席で、21世紀都市発展フォーラムに出席し、フォーラムに出席の主要なメンバーと会見する。愛知万博の日本側責任者と会見し、中国館ナショナルデーの開幕式に出席する。また中国館、韓国館、日本館およびその他一部の国、企業の展示館を見学する」、「第2は日本訪問で、・・・現在のところ小泉首相、中川経済産業相との会見が決まっている。このほか、日中貿易センター創立50周年の記念式典に出席し、日本経済新聞社主催の国際会議「アジアの未来」に出席して講演する」……となっていた。中川昭一(経済産業相)、北側一雄(国土交通相)、橋本龍太郎(元首相)、茶道裏千家の千玄室(前家元)、高村正彦(日中友好議員連盟会長)、田中真紀子、豊田章一郎(万博協会長)……などとは、北海道入りする前に愛知で会っている。20日から北海道入りしていた(22日は王毅駐日大使などと一緒に釧路管内の観光地を視察、夜には日中経済協会と日本国際貿易促進協会が都内で開いた夕食会に出席した)呉儀は、本日23日午前、都内で開いた国際交流会議「アジアの未来」特別セッションで講演し、中国経済について「2020年までにGDPは4兆ドル余り、輸出入総額も2兆ドル余りに達する」との見通しを示した(「アジアの未来」2005)。講演する中国の呉儀副首相=23日午前、東京・大手町の日経ホール22日には自民党の武部勤、公明党の冬柴鉄三両幹事長が訪問中の北京市内の人民大会堂で胡錦濤国家主席と会談しているが、日本では呉儀・副首相が本日23日午後に小泉純一郎首相、民主党の岡田克也代表と会談する予定である。会談要旨 両幹事長と胡錦濤国家主席【北京22日共同】自民党の武部勤、公明党の冬柴鉄三両幹事長と中国の胡錦濤国家主席の会談要旨は次の通り。▽靖国神社参拝胡主席 目にしたくない動きが日本にある。A級戦犯がまつられている靖国神社への日本指導者層の参拝、歴史を美化した教科書、台湾に言及した日米両政府の共通戦略目標などだ。武部氏 過去の過ちを二度と繰り返してはならず、歴史を風化させてはならない。若い人たちに伝えたい。台湾問題については日本政府の「一つの中国」という認識にみじんも変わりない。冬柴氏 過去に中国を侵略し、多大な迷惑を掛けた。歴史をかがみとして日中友好を築いてきた先人に恥じない努力をしたい。▽胡主席の提案胡主席 先の日中首脳会談で示した(歴史への反省など)5提案を政党間交流を通じ、具体化へ努力したい。武部氏 小泉純一郎首相の「主席の5提案に対応したい」との言葉をここで伝えたい。▽日中関係胡主席 中日関係が困難に直面している時に両国の政権与党が対話を強化することは、中日関係を発展の方向に推し進める上で積極的な意味を持つ。中日関係の友好発展は両国の根本的な利益にかなう。中日関係というビルの建設は、れんがを一つ一つ積み上げないとできないが、そのビルは一瞬にして壊すことができる。一部の人が中日関係の発展を阻害しようとしていることを憂慮する。武部氏 戦後日本は平和国家の道を歩んだことを自負している。そこを評価してもらいたい。▽ビザ発給問題武部氏 中国人団体旅行客のビザ発給対象地域拡大について、小泉首相が(来日中の)呉儀副首相との会談で合意するだろう。 First upload: 5月22日20時47分 http://www.chugoku-np.co.jp/NewsPack/CN2005052201004513_Detail.html来日中の呉儀・副首相は、2004年8月に『フォーブス』が発表した「世界で最も影響力のある女性トップ100(The World's 100 Most Powerful Women)」でコンドリーザ・ライス大統領補佐官(現・国務長官)に次いで2位にランクインしているほどの人物であり、「中国で最も強力な女性」と書かれている。石油技師出身の呉儀は20年にわたって石油畑を歩んだ後、北京副市長就任、対外貿易相(対外経済貿易部長)、国務委員、副総理という要職を務めてきた。ローラ・ウェルチ・ブッシュやヒラリー・ロダム・クリントンというファーストレディを抜いて2位にランクされているのだから「評価」がかなり高いと言えるだろう。【世界で最も影響力のある女性トップ10】1.コンドリーザ・ライス(米国)2.呉儀(中国)3.ソニア・ガンジー(インド)4.ローラ・ブッシュ(米国)5.ヒラリー・クリントン(米国)6.サンドラ・デイ・オコナー(米国)7.ルース・バーダー・ギンズバーグ(米国)8.メガワティ・スカルノプトリ(インドネシア)9.グロリア・アロヨ(フィリピン)10.カーリー・フィオリーナ(米国、ヒューレット・パッカード)12.シェリー・ブレア(イギリス・ブレア首相夫人)22.エリザベス女王(イギリス)23.リン・チェイニー(米国)● ……と、これを書いている途中で、小泉首相と呉儀副首相の会談が中止になったとのニュースが流れた。民主党の岡田代表との会談も中止。24日午前に帰国する予定だった副首相は、本日午後に帰国するという。中国:来日中の呉儀副首相、小泉首相への表敬取りやめhttp://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20050523k0000e010049000c.html小泉首相との会談中止 中国副首相「緊急の公務」23日午後に予定されていた小泉純一郎首相と中国の呉儀副首相の会談が急きょ取りやめになった。同日朝、中国側が「緊急の国内公務で、予定を早めて帰国しなければいけなくなったため」と首相サイドに会談の中止を申し入れた。副首相は午後に帰国するという。細田博之官房長官は同日午前の記者会見で、公務の内容について「分からない」と述べた。外務省筋も「中国側から詳しい説明はない。ただ、こちらから中国側に『靖国問題と関係があるか』と聞いたところ『ない』ということだった」と述べた。民主党筋によると、首相との会談後に予定されていた民主党の岡田克也代表との会談も中国側の申し入れで中止された。First upload: 5月23日11時41分 http://www.chugoku-np.co.jp/NewsPack/CN2005052301000799_Politics.html※ 会談が中止になった中国側の真意はわからないが、「緊急の公務が入った」との中国側の説明をそのまま聞き入れることは現段階ではできない。中国副首相、東アジア共同体で日中協力を中国の呉儀副首相は23日午前、都内で開いた国際交流会議「アジアの未来」(日本経済新聞社主催)特別セッションで講演し「中日協力はアジアの平和、安定、発展の必要条件」と強調、東アジア共同体の実現に向けた関係強化を訴えた。日中関係では北朝鮮の核問題など安保面の連携促進を呼び掛ける一方、歴史問題への日本の取り組みを改めて強く求めた。人民元改革は必ず実施するとの立場を改めて表明した。講演テーマは「アジアの振興と中日両国の共通の責任」。副首相は東南アジア諸国連合(ASEAN)と日中韓3カ国を軸に構成する東アジア共同体が政治、安全保障、社会を含む「オールラウンドな協力の枠組み」となるべきだと提唱した。その具体策としては(1)ASEAN+日中韓の計13カ国間の協力拡大と深化(2)日中韓3カ国間の連携促進(3)13カ国以外のアジア域内国との関係強化に努力――を列挙。特に日中韓協力は「地域協力を引っ張り、建設的な役割を果たす」存在だと位置づけた。共同体構想に絡んで指摘される中国の覇権主義は強く否定。「共に勝者になる“ウィン・ウィン”の関係を堅持してはじめて、アジア諸国は未来が開かれる」とも力説した。同時に、アジアの一体化に向けて目標と原則を提唱。政治的相互信頼強化、冷戦思考の安全保障観の転換、文明の多様性尊重などを挙げた。日中関係の現状について、呉副首相は「周知の原因によって、満足のいくものではない」と指摘。「経済面の共通の利益は言うに及ばず政治、安全保障面の共通の利益も関心を払い、追求すべきだ」と強調した。呉副首相は、中国側が日中関係冷え込みの主因と位置づける歴史認識の問題にも言及。「日中の重要な仕事は首脳会談の成果を急いで実行に移すこと」だと述べた。4月にジャカルタで行った小泉純一郎首相と胡錦濤中国国家主席の首脳会談を受け、小泉首相の靖国神社参拝や歴史教科書の記述、台湾政策など日中間の不安定要因への対応に関し、日本が実際の行動で示すよう改めて強く要請したものだ。人民元改革では「改革は必ず行う。それは中国政府の一貫した姿勢だ」と改めて表明した。 http://www.nikkei.co.jp/hensei/asia2005/
2005年05月23日
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19日発売の経済誌「BRW」は、「長者番付ベスト200」を発表した。200人の合計資産額は、833億7000万豪ドルだったという。1位が豪州一の大富豪でメディア王のケリー・パッカーで69億豪ドル。先日、ケリー・パッカーとマカオの「カジノ王」スタンレー・ホーが、共同でマカオ市内の1等地を2億1400万ドル(約225億円)で購入し、カジノ付きホテルを建設すると発表していた。ホテルの完成予定は2008年で、マカオで最大のカジノ場となる予定である。ちなみにマカオは、今年か来年にはラスベガスをギャンブル収入で確実に抜く“市場”である。そのマカオで最大のホテルを豪州の大富豪パッカーがオープンさせるのである。昨年のマカオのカジノ収入は52億ドル(約5460億円)に達しており、ラスベガスの53億ドル(約5565億円)とほぼ同じ規模である。2位はウエストフィールド(小売不動産)のフランク・ローウィー会長で資産48億豪ドル。ローウィーは、ウエストフィールド・ショッピングセンター・チェーンの総師。3位はビシー・インダストリーズ(包装)のリチャード・プラット会長で47億豪ドル。女性の1位は、故ラング・ハンコックの娘ジナ・ラインハート(資源ハンコック・プロスペクティング会長)で9億豪ドル。総合では20位となっている。昨年は4億豪ドルだった。女優のニコール・キッドマンは女性7位で1億9000万豪ドル。総合では136位。他にはグレッグ・ノーマンが資産2億5000万豪ドルで111位。資産10億豪ドル以上の「ビリオネア」は前年より6人増えて17人。番付入りした人を州別で分けると、ニューサウスウェールズ州77人、ビクトリア州55人、WA州20人、クイーンズランド州29人、南オーストラリア州8人。タスマニア・北部準州・首都圏特別区はゼロ。【オーストラリア長者番付トップ10】1.ケリー・パッカー(メディア)69億豪ドル2.フランク・ローウィー(小売不動産)48億豪ドル3.リチャード・プラット(製造)47億豪ドル4.ヘンリー・トリグボフ(不動産)20億豪ドル5.デビッド・へインズ一家(投資)19億豪ドル6.レン・エイントワース親子(ゲーム機製造)16億豪ドル7.ジョン・ガンデル(不動産)15億豪ドル8.ケリー・ストークス(メディア・小売り)14.2億豪ドル9.ブルース・ゴードン(メディア・投資)13億豪ドル10.ボブ・オートリー一家(ワイン)12.6億豪ドルThe billionaire boomFortunes have been added to spectacularly, diluted, reduced and lost in the past year.By Robert SkeffingtonBRW. 19 May 2005The ranks of the billionaires are swelling. In the 2005 BRW Rich 200 there are six new billionaires, bringing the total to 17. There is also a billionaire debutante on the list. The Brisbane retailer and property investor John Van Lieshout appears for the first time on the Rich 200 (valued at $1 billion) and is Queensland's first billionaire. Kerry Packer remains Australia's richest person, valued this year at $6.9 billion, an increase of $400 million in the past 12 months. There has been some change in the rankings just under Packer. In 2004, the shopping centre magnate Frank Lowy and cardboard king Richard Pratt were equal second, both valued at $4.2 billion. This year, Lowy takes second place by increasing his wealth by $600 million, compared with Pratt's increase of $500 million. In addition to Van Lieshout, new billionaires include the gaming entrepreneur Len Ainsworth, whose fortune has risen from $962 million to $1.6 billion. The biggest shareholders in Rural Press, John and Tim Fairfax, increased their fortunes to $1 billion from $750 million due to the increase in the media company's share price. The property developer Lang Walker has also had a good year; his wealth increased from $759 million in 2004 to $1.16 billion. Another billionaire is Bruce Gordon, whose WIN television empire contributes to his $1.3-billion fortune. His wealth has risen from $660 million due to the success of the company and BRW's better understanding of his business. In the family section of the Rich 200, there is also a new billionaire family. Melbourne's Wilsons, who are now worth $1.07 billion, have benefited from the strength of the building and construction industry. The share price of their plumbing supply company, Reece, has skyrocketed in the past 12 months. Their wealth has increased from $650 million in 2004. There are now four billionaire families in Australia - the Smorgons, Libermans, Besens and Wilsons. The 2004 version of the Rich 200 was dubbed "The richest list of all" due to the success of those on the list and the substantial increase in wealth from previous years. The 2005 list dwarfs last year's record of wealth. The minimum amount to get on the Rich 200 increases from $100 million to $110 million. The total wealth held by those on the Rich 200 this year is $83.37 billion, an increase of 16.57% from 2004. The average fortune in 2005 is $417 million, up from $357 million in 2004. Almost whatever way the 2005 Rich 200 is examined, the rich have done well. Seventy-two per cent of those on the list increased their wealth, and fortunes rose regardless of industry or region. Even though the bar has been raised for entry to the Rich 200, plenty of entrepreneurs make their debuts this year. There are 21 new entrants. Most of them have made their fortunes through property development or in the resources sector. New entrants include Tony Perich, a big landholder in western Sydney, who is benefiting from the rezoning of his property for residential use. He is the second-highest debut on the list, worth an estimated $515 million. Another property-related new entrant is Tony Lennon. The 63-year-old Perth real estate agent seems unaffected by his $200-million fortune, which he made through the listing of the real estate business Peet & Company. The recent resources boom has had a big effect on the Rich 200. Despite the erratic share price of Fortescue Metals Group, its biggest shareholder, Andrew Forrest, debuts on the list at $340 million. As Forrest makes his wealth from iron ore, coal miners are also raking it in. The three principals of Excel Coal, Tony Haggarty, Chris Ellis and Roger Massy-Greene, debut on the list with fortunes of $190 million, $150 million and $110 million respectively. Most of those on the Rich 200 have increased their wealth, but there are some standouts. The biggest proportional rise in wealth in the past 12 months is by Queenslander Ken Talbot, whose wealth is derived from his shareholding in Macarthur Coal. In 2004, his wealth was a respectable $130 million; this year it has risen nearly 290% to $506 million. Another big resources-related wealth increase came from Gina Rinehart, whose fortune increased by 125% from $400 million to $900 million. The increase in demand and price for iron ore has boosted her fortune, based on the minerals royalty established by her father, Lang Hancock. Not only does this income stream fuel her wealth, but Rinehart is on the cusp of establishing her own mining venture, Hope Downs, which could lift her fortune even further. A substantial wealth increase was also achieved by John Grill, whose fortune rose by more than 100%, to $234 million. Grill, who has spent his entire professional life as an engineer, is not your typical brash entrepreneur. Through his share ownership of the engineering consultancy WorleyParsons, his wealth is substantial, and he has a reputation for being hands-on in the company's projects, which include work on pipelines, mines and in the petrochemical sector. Back to earth To reinforce the fact that the wealthy have had a good year, even some of the falls in wealth are not as bad as they might seem. The biggest fall was that of Gordon Fu. His valuation fell 30% from $583 million to $407 million. But this is more of a revision than a loss, due to BRW having a better understanding of the debt position of Australia's biggest private shopping-centre owner. One group of people on the list that have experienced a genuine deterioration in their financial position are the founders of Flight Centre. Geoff Harris, Bill James, Jim Goldburg and Graham Turner have created a remarkable company and established substantial fortunes. But due to the fall in the share price, their valuations have dropped 10-15%. Harris goes from $350 million to $300 million; James from $281 million to $246 million; Goldburg from $145 million to $127 million; and Turner from $330 million to $295 million. These falls are a small reduction in the fortunes of a group of entrepreneurs whose wealth growth looked unstoppable. The Flight Centre share price rose from $1.21 at the beginning of 1995 to a high of $28.46 in mid-2002. Until the beginning of 2005, the price was about $19, but during the year it has fallen below $14. (以下略)http://brw.com.au/freearticle.aspx?relId=13648※ 『別冊ブブカ7月号』をアップしました。少し重いかも…マスコミに登場しない”創価学会”の文字 その裏にあるものは・・・ ・大手雑誌に広告出稿し、批判記事、学会犯罪の記事を封じ込め ・広告出稿受け付けず学会記事を書く週刊誌には執拗な嫌がらせ ・裁判に持ち込み言論弾圧 ・創価学会の抗議・裁判・出版妨害事件リスト ・雑誌潰し法「個人情報保護法」・・・・法務委員長は公明党が独占 在日の犯した性犯罪事件 ・女児レイプを繰り返したパウロ永田も在日 ・世間を騒がせたルーシー・ブラックマンさん事件 ・目白通りの19件強姦魔 ・世にも恐ろしい、韓国人性犯罪データ ・韓国人男性の55,2%は女性の「イヤ」を額面どおりに受け止める必要なし ・韓国の2000年度の強姦事件は日本の8~9倍と突出 http://blog.livedoor.jp/ayaka222a/archives/22513871.html
2005年05月20日
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国税庁は16日、2004年分の確定申告で所得税額が1000万円を超えた高額納税者を全国の税務署で公示、上位100人を公表した。10億円以上を納めた「大長者」は前年の2人から6人に、3億円以上も85人から107人に増えた。公示対象者も7万5640人と4年ぶりに増加した。いろいろと「部門」ごとに「番付」が発表されているので、まとめて以下に掲載する。【俳優・タレント】順位 氏名 税額1(1) みのもんた 20,1012(-) 中居正広(SMAP) 18,7453(2) 石橋貴明(とんねるず) 15,2914(5) 木梨憲武(とんねるず) 13,5055(3) 浜田雅功(ダウンタウン)12,5286(7) 中村玉緒 10,7947(4) 松本人志(ダウンタウン)10,7388(-) 太田 光(爆笑問題) 10,6399(-) 田中裕二(爆笑問題) 10,17610(9) 木村拓哉(SMAP) 9,803【歌手】1(4) 宇多田ヒカル 36,5952(1) 稲葉浩志(B’z) 17,5773(5) 矢沢永吉 17,0424(2) 浜崎あゆみ 13,7855(3) 松本孝弘(B’z) 12,9136(6) 桑田佳祐 11,9067(8) 櫻井和寿(ミスチル)11,4178(-) 長渕 剛 10,5849(10) 藤井フミヤ 10,19310(-) 北島三郎 9,445【プロスポーツ】1(-) 佐々木主浩 野球 23,8792(1) 清原 和博 野球 16,9953(8) 上原 浩治 野球 14,8764(-) 小笠原道大 野球 14,3775(2) 中村 紀洋 野球 14,1196(-) 城島 健司 野球 13,8007(-) 小川 直也 プロレス 13,7808(6) 丸山 茂樹 ゴルフ 13,7699(-) 立浪 和義 野球 12,40010(-) 松中 信彦 野球 11,581【その他】1(-) 平山 郁夫 日本画家 16,8832(3) 高橋留美子 漫画家 14,2713(-) 大川 隆法 宗教家 14,1604(4) 千 玄室 茶道家 14,0875(5) 青山 剛昌 漫画家 13,8316(-) 假屋崎省吾 華道家 13,4197(8) 秋元 康 作詞家 13,4078(1) 千 宗室 茶道家 12,4669(-) 岸本 斉史 漫画家 11,26910(6) つんく 音楽プロデューサー 11,268【作家】1(1) 西村京太郎 14,8872(6) 片山 恭一 14,2093(5) 村上 春樹 8,6904(3) 養老 孟司 8,6495(7) 浅田 次郎 7,5066(2) 内田 康夫 6,7457(4) 宮部みゆき 6,3448(8) 赤川 次郎 5,8959(-) 江國 香織 5,86010(-) 市川 拓司 5,654【国会議員】1(-) 大久保 勉 参・民主 6,4502(2) 松本 龍 衆・民主 3,4993(-) 石田 勝之 衆・民主 2,6724(10) 河野 洋平 衆・無所属 2,6215(5) 堀内 光雄 衆・自民 2,2656(7) 中原 爽 参・自民 2,1207(-) 河本 三郎 衆・自民 1,9988(-) 中村 博彦 参・自民 1,9149(6) 仲村 正治 衆・自民 1,88510(-) 中村 正三郎 衆・自民 1,693(単位:万円、カッコ内は前年順位、-は11位以下、敬称略)【主な司会者の納税額】氏名 納税額 推定所得 みのもんた 20101 55000関口 宏 6855 19200森本 毅郎 5213 14762小倉 智昭 5161 14621大塚 範一 4445 12686古館伊知郎 4166 11932福留 功男 3710 10700久米 宏 3544 10251筑紫 哲也 3186 9278田原総一朗 2756 8121生島ヒロシ 2058 6235安藤 優子 1066 3554渡辺 真理 1064 3548麻木久仁子 1013 3410【主な歌姫の納税額】宇多田ヒカル 36595 99578浜崎あゆみ 13785 37929MISIA 7068 19775倉木麻衣 6396 17595持田 香織 5736 16175矢井田瞳 3583 10356松浦 亜弥 2570 7618安室奈美恵 2439 7264夏川 りみ 2004 6089鬼束ちひろ 1983 6032中島 美嘉 1847 5664平原 綾香 1175 3848大塚 愛 1142 3759一青 窈 1069 3562矢口 真里 1038 3478【注】単位は万円 【ジャニーズ軍団の納税額】ジャニー喜多川 社長 33126 90202藤島メリー 副社長 32967 89772藤島ジュリー景子 副社長 23820 65051中居 正広 SMAP 18745 51335木村 拓哉 SMAP 9803 27167草なぎ 剛 SMAP 9796 27148堂本 光一 KinKi 5580 15754堂本 剛 KinKi 4647 13232稲垣 吾郎 SMAP 4528 12910長瀬 智也 TOKIO 3998 11478香取 慎吾 SMAP 2965 8686城島 茂 TOKIO 2784 8197国分 太一 TOKIO 2784 8197松岡 昌宏 TOKIO 2385 7118東山 紀之 少年隊 2183 6572滝沢 秀明 タキツバ 1871 5729岡田 准一 V6 1857 5691近藤 真彦 ソロ 1720 5321井ノ原快彦 V6 1212 3948三宅 健 V6 1193 3897【注】タキツバはタッキー&翼。【近畿の芸能人】順位 氏名 職業 所得 納税額 前年1 島田 紳助 タレント 22648 8131 62 上沼恵美子 タレント 18594 6631 13 倉木 麻衣 歌手 17959 6396 34 藤田まこと 俳優 13264 4659 45 天童よしみ 歌手 12305 4304 56 藤原 紀香 女優 11043 3837 27 矢井田 瞳 歌手 10356 3583 78 岡村 隆史 タレント 8537 2910 89 西川きよし タレント 8510 2900 -10 桂 南光 落語家 7505 2528 10【注】数字はサンケイスポーツ独自計算による推定所得額。単位は万円。-は前年度11位以下(公示対象外含む) 【主なお笑いタレント】氏名 納税額 推定所得石橋貴明 15291 42000木梨憲武 13505 37172浜田雅功 12528 34532松本人志 10738 29694太田 光 10639 29427田中裕二 10176 28175島田紳助 8131 22648タモリ 7690 21456明石家さんま 7602 21218ビートたけし 6932 19408上沼恵美子 6631 18594志村けん 6273 17627所ジョージ 5106 14472矢部浩之 3452 10002岡村隆史 2910 8537磯野貴理子 3109 9075三宅裕司 2615 7740小堺一機 2480 7375今田耕司 2377 7097久本雅美 2275 6821内村光良 1994 6062長井秀和 1874 5737伊東四朗 1663 5167【2004年高額納税者番付】順位 氏名 所得税額 前年1 清原達郎(投資顧問会社部長)東京 369、238(8)2 斎藤成(前消費者金融会社会長)栃木 120、152(―)3 柳井正(ファーストリテイリング会長) 108、393(26)4 斎藤一人(健康食品販売業)東京 107、388(1)5 高田和彦(元自動車部品メーカー役員) 105、056(―)6 吉田嘉明(ディーエイチシー社長)千葉 101、221(2)7 深江今朝夫(呉服・服地販売会社会長) 99、700(18)8 福田吉孝(アイフル社長)京都 92、708(27)9 吉田照哉(社台ファーム代表)東京 92、457(12)10 田中孝顕(自己啓発用資材販売会社社長) 88、916(―)11 樋口百合子(下着販売会社社長)北海道 88、791(4)12 木村育生(インボイス社長)東京 85、568(―)13 里見治(セガサミーホールディングス会長 85、203(21)14 安嶋幸直(携帯電話関連サービス会社社長 75、120(―)15 川辺泰男(社会福祉法人理事長)神奈川 74、292(―)16 今野謙一(健康食品販売会社社長)東京 73、181(63)17 秋山光男(不動産管理会社経営)東京 70、194(―)18 山本英俊(パチンコ機器卸会社社長)東京 66、380(―)19 吉田勝己(ノーザンファーム代表)東京 66、276(38)20 崎山育夫(コンピューター機器販売会社社長)63、656(96)21 山口喜久二(健康食品会社会長)東京 62、503(―)22 佐藤茂(賃貸住宅ニュース社会長)東京 61、801(―)23 土屋嘉雄(スーパー経営会社社長)群馬 57、396(29)24 荒川亨(ソフトウエア開発会社社長)千葉 57、226(―)25 馬渕健一(マブチモーター名誉会長)千葉 56、926(―)26 武藤則夫(菓子メーカー社長)茨城 55、935(―)27 石原昌幸(パチスロ機器製造会社会長)東京 55、474(―)28 梅沢秀文(婦人服製造販売会社会長)東京 55、074(―)29 重田康光(光通信会長)東京 54、942(―)30 堀口利美(健康食品卸売会社社長)東京 53、830(95)31 和田克也(健康食品販売会社社長)東京 53、722(86)32 元谷外志雄(都市開発会社代表)石川 53、529(24)33 馬渕隆一(マブチモーター会長)千葉 53、300(―)文字数がオーバーしたので、34位以下とソースは次でお読み(確認)下さい。http://blog.livedoor.jp/ayaka222a/archives/22203150.html
2005年05月17日
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「TVのチカラ」をたまたま観た。本日の放送内容は、「熊本・院長夫人惨殺事件」だったがこの事件は憶えている。これは2004年3月13日の午後に起こった事件だが、異様に思える殺害方法などに興味を持った私は、当時、この事件の記事を読んでは保存していた。院長(旦那)がゴルフ練習に出かけて戻るまでの90分の間に千鶴子さんは殺された。発見者は院長。何が異様かというと、顔や頭を集中的に攻撃した殺害方法。首から下は、検死の必要がないほど「きれい」だったという。犯人は殺害後に家の中を“物色”している。先ほど観た番組では「夫人に対する怨恨」か「夫人の金銭トラブル」が事件の動機ではないかと扱っていたが、私が当初から想像していたのは、「怨恨」であればそれは夫人ではなく院長に対する恨みではないかということと、「怨恨」以上に考えられるのが怨恨に偽装した「計画的殺人」ではないのかということだった。残念ながら番組では私の想像には触れられていなかった。そして、「計画的殺人」なら、“依頼者”がいる可能性があると思っていた。ま、私の推測なので、「妄想」と思ってもらって構わないのですが……番組からは、「仕事部屋が最も荒らされていた」、「玄関に落ちていた包丁は、根元から直角に曲がっていた」という情報が印象に残った。それにしても、気味の悪い事件です。以下に「TVのチカラ」と、PC内に保存してあった当時の記事を転載しておきます。熊本・院長夫人惨殺事件有力情報 追跡!先週放送で、続々と有力情報が!いずれも、軽自動車が絡んだ情報。警察も、を追跡しているという…。犯行後、自宅を出た犯人は、向かいの薬局から軽のワゴン車で逃げていた…情報から、不審人物の存在も浮上!そして金銭問題の影が…地元の交友関係を追跡!被害者:中津千鶴子さん(当時49歳)事件概要…●熊本県宇土(うと)市走潟(はしりがた)町。2004年3月13日(土)、九州新幹線が営業を開始したこの日、のどかな町の病院で悲劇は起きた。 午後2時少し前。午前中の診療を終えた院長は、いつも通りゴルフの練習に出かけた。1時間ほど練習し、家に戻ったのが午後3時半頃。車を降りて玄関前に立った時、院長は異変に気付く。院長「ドアの前に血痕が少し、落ちていたんです。嫌な予感がして慌てて玄関を開けたら、そこは“血の海”でした」●ドアの中はまさに、地獄絵だった。辺りは血の海、天井や壁にまで血しぶきが飛び散っていたという。そこに倒れていたのは、愛する妻だった。院長はとっさに妻の容態を見たが、すでに絶命していた…●院長はすぐに警察に通報。殺人事件として捜査が開始された。当初、犯人逮捕は時間の問題とされたが、畑などに囲まれた現場は、普段から人通りが少なく、目撃情報が皆無。捜査は難航…。千鶴子さんの死因は?●顔面を鈍器のようなモノで殴られての失血死。顔面には、殴打の形跡が50箇所以上あったという。遺体の側には、根元から曲がっていた中津家の包丁が落ちていたが、千鶴子さんにはほとんど切り傷がなかった状況から分かる犯人の行動●玄関で倒れていた千鶴子さん。犯人は千鶴子さんを殺害後、家の中を物色。千鶴子さんのバックと、彼女が着ていた黒のハーフコートが持ち出されていた。しかし、同じ室内にあった財布や手提げ金庫は手つかずのまま残っていた。犯人は現場に多くの痕跡を残していたが、指紋だけは検出されていない。・犯行後、家の中を物色・キッチンで血のついた手を洗った・血のついた足跡は向かいの薬局まで続いていた●犯人の足跡を分析した警察は、履いていた靴は「ナイキのエアモック」と発表。サイズは24・5。靴のルミノール反応から、犯行後、向かいの薬局まで歩き、そこから 車などで逃亡した可能性が高い。家族の悲しみ…●殺された千鶴子さんは、病院の経理を担当。明るく気さくで、患者にも評判が良かったという。実際、患者とのトラブルもなかった。中津家は5人家族、3人の子供は事件当時、県外に住んでおり、家には、夫婦2人だけだった。子供が成長、これからは夫婦2人でのんびり暮らしていこうと言っていた矢先の悲劇……。今年、成人式を迎えた長女は、母が好きだった着物姿を見せてあげたかったという。犯人扱いされた父…●第一発見者は夫である院長。警察は当初、院長の取り調べを行っている。その噂は町中に広がり、いまだに院長が犯人と思っている人もいる程だ。噂のせいで、病院は今も閉めたまま。再開のめどは立っていないという。「なんとしても、迷宮入りだけは避けたい…妻の無念を晴らしたい」坂本氏による鑑識…●家の中には、犯人が残した痕跡が今でも残っていた。・ふすまについた血痕・玄関の床(フローリング)に凶器の跡●これら痕跡から、犯人につながる手がかりを探ることは出来ないか?『TVのチカラ』は、元滋賀県警鑑識課坂本啓一氏に鑑識を依頼した。そこで判明したのは……・玄関の床にあった傷は犯行時、千鶴子さんを狙って外れた凶器の跡・凶器は直径3センチ程度のハンマーと特定!・あまり強い力ではない。犯人は女性の可能性も?・新たに手袋痕も発見、軍手ほど編み目が荒くない手袋のはず。犯人は「手袋」をはめた「左手」に「ハンマー」を持ち、倒れた千鶴子さんの顔面を50回以上も叩き続けたのだ!「TVのチカラ」SOSファイルhttp://www.tv-asahi.co.jp/telechika/contents/sos/0092/宇土・医院長夫人殺害 自宅内に物色跡 聞き込み捜査続く宇土市走潟町の「走潟町医院」院長の中津卓郎さん(54)方で十三日、妻の千鶴子さん(49)が殺害された事件で、県警捜査本部による十五日午前の捜査で、自宅内を物色した形跡があることが分かった。盗まれた金品があるかどうか分かっていない。司法解剖の結果、死因は頭や顔を殴られ、刺されたことによる失血死と断定。顔見知りによる犯行の可能性も含めて、自宅周辺で聞き込み捜査を続けている。調べでは、千鶴子さんの頭や顔には刃物による刺し傷に加え、鈍器などで殴られた際にできる傷も相当数あった。首から下に傷はなく、防御しようとする際にできる傷もなかった。遺体のそばに残されていた包丁以外に、別の凶器が犯行に使われた可能性があるとみて調べている。(略)自宅のインターホンにはモニターが付いており、訪問者を確認できるという。これまでに、犯行時刻ごろ現場に出入りした人物の目撃情報はない。医院長妻殺害 靴跡が近くの薬局まで、車で逃走か宇土市走潟町の医院長宅で妻の中津千鶴子さん(49)が殺害された事件で、県警捜査本部の十八日までの調べで、血の付いたスニーカーの跡が中津さん宅から近くの薬局に向かって残っていたことが分かった。県警は、中津さん宅を出た犯人が薬局付近で車などに乗って逃走した可能性があるとみて、捜査を進めている。 調べでは、中津さんが血まみれで倒れていた自宅の玄関から台所などにかけ、血の付いたスニーカーの跡が残っていた。靴跡は屋外にもあり、玄関から道路を隔てて約三十メートル離れた薬局の方へ続いていたという。薬局の前には車数台が駐車できるスペースがある。また、スニーカーは靴底の形状などから、海外のメーカーのブランドと判明。県警は販売ルートなどを調べている。これまでに、有力な目撃情報や包丁以外の凶器などは見つかっていない。宇土市医院長妻殺害 県警が靴跡と同じスニーカーなどの詳細公開宇土市走潟町の「走潟町医院」院長の妻中津千鶴子さん(49)が自宅で殺害された事件で、県警捜査本部は三十一日午前、犯人が現場に残した靴跡と同じスニーカーの写真と、現場から犯人が持ち去ったとみられる千鶴子さんの黒いハーフコートと手提げバッグの詳細を公開した。 県警によると、スニーカーはナイキ「エアーモック」(中国製、八千八百円)。サイズは男女兼用で二十三~三十センチがある。黒、茶、青、ベージュ、グレー、モスグリーンなどがあり、県内で約千五百足が販売された。ハーフコートは女性用でサイズは九~十一号。直径三、四センチのボタンが付いており、右衣の前下部に黒い花柄のレース地が縫い付けてあり、「へっぽこ先生原宿」のロゴが入っている。バッグはベージュ色の布製。横約三十センチ、縦二十センチで、上部にファスナーが付いている。県警は、犯人が返り血を隠すためコートを盗んだ可能性もあるとみている。(略)宇土市の医院長夫人殺害 事件から1カ月、捜査難航宇土市走潟町の「走潟町医院」院長の妻中津千鶴子さん(49)が殺害された事件は、十三日で発生から一カ月。県警捜査本部は連日百五十人態勢で捜査を続けているが、犯人像、犯行動機などに多くの“ナゾ”があり、難航している。 【空白の1時間】事件が起きた三月十三日は土曜日。中津さん夫妻は一緒に昼食をとり、夫は急患を診察後の午後二時ごろ、ゴルフ練習場へ出かけ、三時半に帰宅したとき、千鶴子さんは殺害されていた。 死亡推定時刻は三時ごろで、犯行は二~三時とみられる。夫はよく練習場に通っていたという。千鶴子さんが一人になる時間帯を知っていたのか、偶然なのか、不明なままだ。 【数十カ所の傷跡】千鶴子さんの頭と顔には数十カ所の傷があり、死因は失血死。遺体の横には中津さん宅で使っていたとみられる包丁が残っていたが、致命傷は金属製の鋭利な鈍器で殴られたような頭部の傷だった。 残忍で執ような犯行にみえる半面、包丁を残しながら鈍器を持ち去るといった計画高い面もうかがわせる。 【絞れぬ動機】犯人は居間で、たんすなどを物色。千鶴子さんの黒いハーフコート、ベージュの布製手提げバッグを持ち去ったとみられる。ただ、現金の入っていた手提げ金庫、預金通帳などは残している。 一方で、千鶴子さんの周りに目立ったトラブルは浮かんでおらず、県警は金品目的かえん恨か、殺害動機を絞りきれずにいる。 【足取り見えず】靴跡などから犯人は玄関から侵入し、玄関から逃走したとみられ、道向かいにある調剤薬局の敷地まで靴跡が残っていた。県警は靴底からナイキ製スニーカー(エアーモック)と断定。ただ、靴からは犯人の性別、年齢層などは判然としない。県警は写真を公表し、チラシを配るなどして情報提供を呼び掛けている。 ※ 文字数制限があるため記事を全部ここに載せることができないので、以下に記事を全て「略」無しでアップしました。興味のある人は以下でお読み下さい。熊本・院長夫人惨殺事件http://blog.livedoor.jp/ayaka222a/archives/22170786.html
2005年05月16日
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イラクで斎藤昭彦氏を拘束したと言われている「アンサール・スンナ軍」を名乗る組織が、ウェブサイトに、斎藤氏らの車列を襲撃した様子とするビデオを公表した。襲撃した様子を撮影してるというのも、用意周到というか……で、それをウェブ上にアップする、なんとも・・・ですねえ。私は「ogrish.com」にアップされた映像を観ましたが、1分9秒くらいのところで「ジャパニーズ」だか「ヤパニーズ」と叫んでいる声が聞こえました。日本人らしき映像は無し。いちおう「オグリッシュ」の映像は保存してあります。次をクリックすれば観れます。'ambush_in_iraq1.wmv'(Part 1)2分19秒'ambush_in_iraq2.wmv'(Part 2)2分16秒「オグリッシュ」は以下。http://www.ogrish.com/archives/May 15, 2005New Video By Ansar al-Sunnah Army Shows Japanese Ambush in IraqA militant group that allegedly kidnapped a Japanese man in Iraq has released a new video apparently showing the scene of the ambush that led to his capture, a Japanese news agency reports.Download 'ambush_in_iraq1.wmv' (Part 1)Download 'ambush_in_iraq2.wmv' (Part 2)The Ansar al-Sunnah Army claimed on its website last week that it ambushed a group of five foreign workers, killing four and kidnapping the fifth - Japanese citizen Akihito Saito, 44.Tokyo has been unable to independently confirm Saito's whereabouts or condition.The group's website had a new video purportedly showing their attack, but Saito's image could not be confirmed, Japan's Kyodo News agency reported from Cairo.Japan's Foreign Ministry said it couldn't immediately confirm the report.An unidentified man who survived the ambush has told Japanese officials that Saito was severely bleeding after being shot, and it was unlikely that he could have survived.Japanese Foreign Minister Nobutaka Machimura said the government had tried to contact the captors through intermediaries: "We are trying everything we can, but so far he has not been found."Last year, when five Japanese were taken hostage in Iraq and later released, many Japanese criticised them for recklessly endangering themselves.In October, when Iraqi militants beheaded a Japanese backpacker, many in Japan blamed the victim for his own death.But those incidents also fuelled opposition to Japan's presence in Iraq. Many Japanese have criticised it as a violation of Japan's pacifist constitution.襲撃ビデオ公表 スンナ軍を名乗る組織 【11:42】 【カイロ15日共同】英国系警備会社の斎藤昭彦さんを拉致したとするイスラム過激派「アンサール・スンナ軍」を名乗る組織は15日、ウェブサイトに、斎藤さんらの車列を襲撃した様子とするビデオを発表した。映像中、斎藤さんの存在は確認できない。 映像本物の可能性高い 外務省幹部 【14:33】 外務省幹部は15日午後、斎藤昭彦さんを拉致したとするイスラム過激派「アンサール・スンナ軍」を名乗る組織がウェブサイトに流した襲撃のもようの映像について「本物の可能性が高い」と述べた。斎藤さんの安否情報なし 外務省幹部 【14:40】 外務省幹部は15日、イスラム過激派がウェブサイトで流した映像について、拉致されたとされる斎藤昭彦さんの安否に直接結び付く情報はなかったと述べた。http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=HKK&PG=FLASHスンナ軍が「襲撃」ビデオ公表=「現場の確率高い」-外務省・邦人拘束事件イラクで英警備会社所属の斎藤昭彦さん(44)が武装勢力に拘束されたとみられる事件で、外務省の対策本部は15日、犯行声明を出したアンサール・スンナ軍を名乗る組織がウェブサイトに掲載した斎藤さんらの車列を襲撃した際のものとするビデオ映像を確認した。同省は「現場のものである確率が高い」とみて、さらに分析を進める。外務省幹部によると、ビデオには斎藤さんらしき人物の姿は映っておらず、斎藤さんの安否にかかわる新たな情報は含まれていない。 (時事通信) - 5月15日15時0分更新http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050515-00000679-jij-intアンサールスンナ軍が襲撃時の映像をHPで公開イラクで元自衛官の斎藤昭彦さん(44)を拘束したとみられる武装勢力が、斎藤さんらを襲撃した時の様子をウェブサイトで公開しました。斎藤さんを拘束したとみられる「アンサール・スンナ軍」を名乗る組織は、「アメリカ軍の業務に従事する外国人4人と裏切り者のイラク人12人を殺害する」とした映像を公開しました。映像には、炎上した車や瀕死の状態で路上に倒れている数人の外国人とみられる男性らを次々と銃で撃ち続ける場面などが映っています。映像のなかでは、「重傷を負った日本人が捕虜になった」と説明されている個所もありますが、斎藤さんの姿を確認することはできません。一方、外務省も15日、この映像を分析した結果、襲撃現場を撮影したものであることや、「アンサール・スンナ軍」のウェブサイトで公開されていることから、映像の信ぴょう性は高いとの見方を示しました。 [15日15時52分更新]http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann/20050515/20050515-00000020-ann-int.htmlスンナ軍が襲撃時映像公表 斎藤さんの姿確認できずイラクのイスラム過激派「アンサール・スンナ軍」を名乗る組織が15日、行方不明になっている英国系警備会社の斎藤昭彦さんらの車列を襲撃した様子として、ウェブサイト上で公開した映像。車が激しく炎上している 【カイロ15日共同】英国系警備会社の斎藤昭彦さん(44)=千葉市出身=を拉致したとするイスラム過激派「アンサール・スンナ軍」を名乗る組織は15日未明(日本時間同午前)、ウェブサイトに、斎藤さんらの車列を襲撃した様子とするビデオを公表した。映像に斎藤さんの姿は確認できない。斎藤さんの拉致を同組織が9日に公表して以来、事件に関する映像は初めて。映像中、「ジャパニーズ(日本人)、ジャパニーズ」との叫び声も聞こえており、日本人の存在を示唆している。声の主は不明。映像には「アルアサド(米軍)基地で、十字軍崇拝者と契約を結んだ4人の外国人に対する神の判決の執行を示すビデオ。この作戦で重傷を負った日本人が捕らえられた」との説明が付けられており、長さは約6分。(共同通信) - 5月15日15時27分更新http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050515-00000038-kyodo-int襲撃時映像公表 政府「本物の可能性高い」【カイロ15日共同】英国系警備会社の斎藤昭彦さん(44)=千葉市出身=を拘束したとするイラクのイスラム過激派「アンサール・スンナ軍」を名乗る組織は、15日未明(日本時間同午前)、ウェブサイト上で、斎藤さんらの車列を襲撃した様子とするビデオ映像を公表した。斎藤さんの姿は確認できないが、映像の冒頭に「重傷を負った日本人を拘束」との説明文があった。日本政府は「(映像は)本物の可能性が高い」としている。事件発生から同日で1週間。拉致を同組織が9日に公表して以来、事件に関する初めての映像。日本人の存在を強調することで、日本政府への揺さぶりを狙ったとの見方もある。同組織は9日の声明で斎藤さんの映像を「近く公表する」としていたほか「殺害した者の証拠書類や写真も公表する」としており、予告の一部を今回実行した可能性がある。(共同通信) - 5月15日17時17分更新http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050515-00000075-kyodo-intイラク日本人「拘束」事件斎藤さんの弟、新たな映像に「兄と特定できない映像に違和感」イラク西部で斎藤昭彦さんを拉致したとする武装組織「アンサール・スンナ軍」は15日、斎藤さんらの車列を襲撃した様子とする映像をウェブサイトに公開した。斎藤昭彦さん(44)の弟、博信さんは15日夕方に記者会見し、今回の映像について、「外務省の担当の方たちが分析したところによると、映像に写っている中で、兄と思われるものは確認できないと」、「なぜ襲撃時のあわただしいような感じの映像があって、もし拘束しているとすれば、落ち着いた感じの映像が出せないのかということですよね」と話した。また、博信さんは、あえて昭彦さんと特定できないような映像を公開したことに違和感を感じるが、家族として最悪のケースも考えていると話した。[15日18時8分更新]http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn/20050515/20050515-00000044-fnn-soci.html
2005年05月15日
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山口組若頭が正式に決定した。発表は10日になってるが、4月下旬には“内定”していた。山口組若頭のポストは宅見氏が97年に射殺されて以来、約8年間空席の、注目ポストだったのである。若頭に就任したのは、通称・司忍こと篠田建市・弘田組組長である。司氏は、「弘道会」の跡目を高山清司氏に譲り、みずからは「弘田組組長」に就任すると4月に発表したばかりだった。これにより高山氏が「二代目弘道会」を継ぐことになり、司氏が若頭に就任した今後、高山氏にも注目しなければと思っている。山口組は、“山健組時代”から“弘道会時代”へと移っていくのか……どうだろうか。今回の人事が大きな意味を持つ動きであるのは間違いがなく、将来の「六代目」への大きなポイントとなるのは確かである。渡辺五代目は、昨年11月28日に「使用者責任逃れ」のためなのか「長期休養」と発表されている。※ 弘道会は、名古屋市中村区に本拠を置く山口組の2次団体。前身は弘田組。※ 司忍(篠田建市・1942年1月25日)氏は、五代目山口組若頭補佐(中部ブロック長)、弘道会会長だった人物。直参昇格は、四代目山口組の1984年6月。若頭補佐就任が五代目山口組の1989年5月。2004年2月24日、大阪高裁で懲役6年の逆転有罪判決を受け上告、判決後収監、10億円の保証金で即日保釈。週刊アサヒ芸能 5・19号【社会】山口組No.2ポストが復活 5月10日(火)指定暴力団山口組(神戸市)の最高幹部、宅見勝・宅見組組長=当時(61)=が1997年8月に射殺されて以来、空席だった山口組ナンバー2のポスト「若頭」に篠田建市(通称司忍)弘田組組長(63)が就任したことが10日、分かった。兵庫県警は、約8年ぶりのナンバー2ポストの復活は、昨年11月の渡辺芳則5代目組長(64)による“休養宣言”後、組織内の求心力低下を食い止めるのが狙いとみて警戒を強めている。篠田組長は拳銃を所持していたボディーガードの共犯として銃刀法違反容疑で大阪府警に逮捕され、昨年2月、大阪高裁の懲役6年の実刑判決を不服として最高裁に上告中。10億円の保釈金を払い保釈されている。http://www.sanspo.com/sokuho/0510sokuho093.html山口組NO・2ポスト8年ぶり復活指定暴力団山口組(神戸市)の最高幹部、宅見勝・宅見組組長(当時61)が1997年8月に射殺されて以来、空席だった山口組NO・2のポスト「若頭」に篠田建市(通称司忍)弘田組組長(63)が就任したことが10日、分かった。兵庫県警は約8年ぶりのNO・2ポストの復活は、昨年11月の渡辺芳則5代目組長(64)による「休養宣言」後、組織内の求心力低下を食い止めるのが狙いとみて警戒を強めている。篠田組長は拳銃を所持していたボディーガードの共犯として銃刀法違反容疑で大阪府警に逮捕され、昨年2月、大阪高裁の懲役6年の実刑判決を不服として最高裁に上告中。10億円の保釈金を払い保釈されている。[2005/5/10/20:19]http://www.nikkansports.com/ns/general/f-so-tp0-050510-0024.html最近の山口組の動向(2004年10月14日)http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200410140000/どうなる五代目山口組若頭(2005年02月01日)http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200502010000/※ 12日午前、追加暴力団組織・山口組のナンバー2決まる 警察は警戒を強化日本最大の暴力団組織・山口組ナンバー2の若頭に、銃刀法違反で上告中の山口組系弘道会最高幹部・篠田建市被告が10日、定例会で選ばれたことが警察の調べでわかった。山口組のナンバー2の座は、97年の宅見組長殺害事件以降、空席となっていた。警察では山口組が活動を活発化させるのではないかとみて、警戒を強めている。[12日2時52分更新]http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn/20050512/20050512-00000012-nnn-soci.html
2005年05月11日
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※ 午前1時15分詳しいことは不明だが、イラクで日本人が拘束されたもよう。日本人の名前は「さいとう・あきひこ」さん(44歳)と共同が報じている。「さいとう・あきひこ」さんは重傷。この件は、更新していく予定。以下、速報記事。日本人は東京都出身の44歳 武装勢力に拘束 【01:12】 【カイロ9日共同】旅券によると、イラク武装勢力に拘束された日本人男性は1961年1月5日生まれの44歳で本籍は東京都。 ウェブサイトに旅券の写真 「さいとう」さん名義 【01:08】 【カイロ9日共同】イラクの「アンサール・スンナ軍」を名乗る武装勢力が9日、ウェブサイト上に「さいとう・あきひこ」さん名義の旅券とみられる写真を掲載した。 日本人は重傷か 武装グループ声明 【01:06】 【カイロ9日共同】9日の犯行声明によると、武装グループは拘束したとする日本人が重傷を負っているとしている。情報未確認と外務省 イラクでの邦人拘束情報に 【01:04】 外務省海外邦人安全課は10日未明、イラクでの邦人拘束情報について共同通信の取材に「情報は入っていない」と述べた。日本人の名前は「さいとう・あきひこ」さん 【01:01】 【カイロ9日共同】9日の犯行声明によると、イラク武装勢力が拘束したとする日本人の名前は「さいとう・あきひこ」さん。イラクで日本人拘束か 武装勢力が犯行声明 【00:57】 【カイロ9日共同】イラクの武装勢力「アンサール・スンナ軍」を名乗るグループが9日、イラク西部で激しい戦闘の末に、日本人を拘束したとする犯行声明をウェブサイト上で出した。http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=HKK&PG=FLASH※ 1時45分更新------------------米大使館は「情報ない」 日本人拘束について 【01:39】 東京の米国大使館の報道官は10日午前1時半、イラクの日本人拘束について「現時点では何も情報は入っていない」と述べた。 米国防総省は情報なし 日本人拉致の情報 【01:35】 【ワシントン9日共同】米国防総省当局者は9日、イラクで日本人が拉致されたとの情報について「聞いていない」と述べた。滞在情報ないとイラク日本大使館 【01:34】 【カイロ9日共同】在イラク日本大使館の職員は9日、武装勢力に拘束されたとみられる日本人について「そういう名前の人がイラク国内にいたとは承知していなかった。調べているが、具体的には分かっていない」と述べた。自衛隊員に異常なし 防衛庁 【01:31】 防衛庁によると、サマワの陸上自衛隊員に行方不明者はいないという。米軍施設勤務の可能性 ウェブサイトの写真から 【01:31】 【カイロ9日共同】イラクの武装勢力が9日公開したウェブサイトには、米国防総省発行の男性の身分証明書や武器所持の許可証とみられる写真もあり、男性は米軍施設で警備関係者として働いていた可能性がある。男性は「齋藤昭彦」さんか イラクで拘束か 【01:20】 【カイロ9日共同】武装勢力がイラクで拘束したと9日、ウェブサイト上に声明を出した日本人男性の旅券の署名とみられる写真は「齋藤昭彦」さんと書かれているように読める。 ------------------<イラク>日本人拘束か 武装グループが声明イラクの武装勢力「アンサール・スンナ軍」を名乗るグループが9日、イラク西部で激しい戦闘の末に、日本人を拘束したとする声明をウェブサイト上で出した。日本外務省や首相官邸は、日本人の拘束について「情報は入っていない」としている。ウェブに掲載された旅券の映像によると、この日本人の名前は「さいとう・あきひこ」さん。本籍は東京都で、1961年1月5日生まれの44歳という。声明によると、武装グループはこの日本人が重傷を負っているとしている。(カイロ共同)◇「確認できてない」と政府イラクで日本人が武装勢力に拘束されたとの情報について政府筋は10日未明「外務省にも首相官邸危機管理センターでも確認できていない。現段階では報道の情報しかない」と語った。外務省領事局も「聞いていない。未確認」としている。(毎日新聞) - 5月10日1時29分更新http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050510-00000007-mai-int------------------イラクで日本人拘束か 武装勢力が犯行声明2005年05月10日01時29分イラクのイスラム教スンニ派の武装勢力「アンサール・アルスンナ」が9日、イラク西部アンソールで日本人を拘束したとする犯行声明をインターネットのサイトで出した。声明によると拘束したとされる日本人の名前は「さいとう・あきひこ」とされている。銃撃の末、武装勢力に拘束され、重傷を負っているという。 ウェブサイトによると、旅券は96年9月に発行された。61年1月生まれとされ、44歳と見られる。米軍基地から出てくる車数台を見張っていた。待ち伏せ地点に車列がさしかかった所で交戦した。相手はイラク人12人と外国人5人だった。戦闘の末、全員を拘束し、16人を殺害した。残った1人を拘束している。ウェブサイト上には、「さいとう」さんの旅券と身分証明書が映された。そこには英語で「バスラ・エアステーション」「アクセス・オンリー・2・オペレーショナル・エリア」などと記されている。 イラク戦争後に現地で日本人が巻き込まれた事件としては、03年11月に外務省の奥克彦参事官(当時)らが乗った車が銃撃され、殺害された。04年4月にはファルージャ西方でNGO活動家の高遠菜穂子さんら3人、同年4月には、バグダッド西方でフリージャーナリストの安田純平さんらがそれぞれ武装グループに拉致されたが、後に解放された。 同年5月には、フリージャーナリストの橋田信介さんら2人が殺害された。10月には旅行者香田証生さんが人質に取られ、殺害された。 http://www.asahi.com/international/update/0510/002.html?t1イラクの武装勢力「アンサール・スンナ軍」を名乗るグループのウェブサイトに掲載された「さいとう・あきひこ」さん名義の旅券イラクで日本人拘束か 武装グループが声明 【カイロ9日共同】イラクの武装勢力「アンサール・スンナ軍」を名乗るグループが9日、イラク西部ヒート近くで激しい戦闘の末に、日本人を拘束したとする犯行声明をウェブサイト上で出した。声明によると、この日本人は重傷を負っているという。日本外務省や首相官邸は、日本人の拘束について「情報は入っていない」としている。 ウェブに掲載された旅券の映像によると、この日本人の名前は「さいとう・あきひこ」さん。本籍は東京で、1961年1月5日生まれの44歳という。漢字は不明だが、直筆のサインは「齋藤昭彦」と読める。パスポート番号の記載もあった。1996年9月3日に発行された。 さらに米国防総省発行の身分証明書や武器所持の許可証とみられる写真もあり、米軍施設で警備関係者として働いていた可能性がある。 http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=HKK&PG=STORY&NGID=intl&NWID=LATEST※ 2時10分更新 ogrish.com に掲載されたパスポートとIDhttp://www.ogrish.com/※ 2時25分更新------------------イラクで日本人を拉致、イスラム教過激派が犯行声明【カイロ=柳沢亨之】イラクからの報道によると、イラクのイスラム教過激派組織アンサール・スンナ軍を名乗るグループが9日、同国西部で、激しい戦闘の末、日本人1人を拉致したとする犯行声明をウェブサイト上に流した。 ロイター通信によると、声明は、バグダッド近郊の米軍基地から出た車両を襲い、日本人「警備要員」の身柄を確保したとした。 また、「彼は重傷だ。まもなく彼のビデオ映像を公開する」と予告している。 また、声明には旅券のコピーが貼付され、「サイトウ・アキヒコ」との名前が読みとれたと伝えた。 (2005/5/10/02:05 読売新聞 無断転載禁止)http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20050509it16.htm------------------イラク武装勢力、日本人拘束とネットで公表 【バーレーン=加賀谷和樹】イラクの武装勢力「アンサール・スンナ軍」を名乗る組織が同国内で日本人を拘束したとインターネット上で公表したことが9日、明らかになった。ロイター電によると、勤務先であるバグダッド近郊の米軍基地を出たところを同組織に待ち伏せされた。 ウェブサイト上には、拘束された日本人の東京都で発行されたパスポートなど人物の特定につながるデータが掲載されているもよう。1961年生まれの男性で、「さいとう・あきひこ」さんとされる。 AP通信は、米軍に雇用された5人の外国人と12人のイラク治安部隊が襲撃され、この日本人だけが重傷ながら生き残ったと伝えた。 同組織はイスラム・スンニ派を中心とし、国民議会選挙への不参加を呼びかけるなど米国主導の民主化への妨害を繰り返していた。1月末にはサマワの陸上自衛隊部隊に雇われている地元住民に対し「日本人は汚れた仏教徒。労働をやめなければ殺害する」とした脅迫ビラを配った。 (01:58) http://www.nikkei.co.jp/news/main/20050509AT2M0902M09052005.html------------------日本人と連絡取れずと警備会社 【02:20】 【カイロ9日共同】キプロスの警備会社の職員は9日、拘束されたとする日本人が同社で働いていることを確認した上で「イラク国内で24時間前に攻撃があってから、連絡が取れていない」と述べた。「事態は進行中」と警備会社 日本人雇用の警備会社 【02:06】 イラクで武装勢力が拘束したとされる日本人を雇用していたとみられるキプロスの警備会社は日本時間の10日、共同通信の取材に「事態が進行中のため、今は話せない」と話した。
2005年05月10日
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北朝鮮の万景峰号(万景峰92)の入港が約半年ぶりに今月末には認められるもよう。万景峰号は(3月に施行された)改正油濁損害賠償保障法に基づく船主責任保険の問題で入港ができなかったわけだが、「万景峰号」を所有する船舶会社は4月12日に、日本の港に入るために必要な船主責任保険に加入したことを証明する「保障契約証明書」を、国土交通省関東運輸局(横浜市)に申請していた。「万景峰号」は昨年12月2日に新潟を出港以来、運航がストップしていた。※ 同法は、座礁などで環境が汚染された場合の費用などを保障する「船主責任保険」に加入していない船舶の入港を、今年3月1日以降禁止するもの。事前の調査で北朝鮮の船の9割以上が同保険に未加入だったため、実質的な経済制裁の効果もあるとされていた。保険会社名はわからないのだが、船主責任保険の契約を結んだのは、英国領バミューダにある保険会社だと毎日新聞が先日報じていた。万景峰号:英国領バミューダの保険会社と契約北朝鮮の貨客船・万景峰号が改正油濁損害賠償保障法に基づき船主責任保険の契約を結んだのは、英国領バミューダにある保険会社であることが分かった。3月の同法施行以来、同社の保険に加入した船から申請が出るのは初めてで、国交省は保険が適正かどうか慎重に審査する。毎日新聞 2005年4月13日 3時00分おそらく、この「バミューダにある保険会社」が再保険を掛けた。再保険の引き受け先は、世界最大の保険引き受け組織の「ロイズ・オブ・ロンドン」である。ロイズが再保険先なら支払能力が担保されるのが通常なので、これで「万景峰号」の入港が認められる可能性が高い。「近代保険制度」はロイズ(17世紀)から始まったと言っていいだろう。ロイズがつくったとも言える。エドワード・ロイドが経営したコーヒーハウスに起源を持つ。コーヒーハウスが300年後にはロンドンで異彩を放つビルになった。建物名「Lloyd's of London Insurance Market and Offices」のことである。「建築マップ」のサイトから「ロイズ・オブ・ロンドン」の写真を一部お借りする。設計者はパリのポンピドー・センターと同じリチャード・ロジャース。チャールズ皇太子は「石油コンビナートみたいだ」といって批判したそうだが……Lloyd's of London Insurance Market and Officeshttp://www.archi-map.net/~tks_design/uk_london/lloyds/lloyds01.htmlリチャード・ロジャース略歴1933、イタリアのフィレンツェに生まれる。4歳の時イギリスに移住。1961、イェ-ル大学大学院修士課程建築科修了。1962、イギリスに戻り、スー・ロジャース、ノーマン&ウェンディ・フォスターと「チーム4」を設立。1971、「ピアノ&ロジャース」設立。パリのポンピド-・センターの設計コンペに入選。1985、RIBA(王立英国建築家協会)金賞受賞。1997、英国女王よりロードの称号を受ける。主要作品1971-77、ポンピドー・センター(パリ)1978-86、ロイズ・オブ・ロンドン(ロンドン)1990-94、チャンネル4社屋ビル(ロンドン)1989-95、ヨーロッパ人権裁判所(ストラスブール)1996-99、ミレニアム・ドーム(ロンドン)http://www.belbien.net/magazine/london/01/01.htmlロイズは17世紀のロンドンに誕生したが、ロイズの歴史はまさに損害保険の歴史と言っても過言ではないであろう。特に海上保険分野では他の市場の追随を許さず、ロイズが世界中の海運に関する情報を独占していた時代もあった。ロイズは長い歴史の中で幾度かの危機を迎えたが、そのたびに内部の改革を行い、あるいは新種保険を取扱い、そして新しい資本を導入して、危機を乗り越えてきた。ロイズは1688年頃にロンドンに誕生した。ロンドンにコーヒーショップが1652年に生まれて以来、商人、ジャーナリストや医者が仕事や社交の会合の場所としてコーヒーショップを利用していた。テムズ川沿いにオープンしたEdward Lloyd’s coffee house に客としてやってきた海運業者らの間で、海上保険の取引が行われるようになり、ロイズが誕生した。自然発生的な誕生であることから、正式な設立年月日は明らかではない。海運業者らが集まるコーヒーショップとして、このころに有名になり、1688年2月発行のLondon Gazetteという新聞にこのcoffee house に関わる広告が掲載されていることから、1688年頃の誕生と言われるようになった。1871年ロイズ法(Lloyd’s Act)によりロイズは法人化された。この法人化が、今日のロイズの基盤を築いたとロイズは自ら評価している。ロイズ法はロイズを法人と定め、ロイズ委員会に対し、会員を管理する権限を付与したばかりでなく、会員以外の者がロイズの保険証券に署名を行ったり、ロイズのスタンプを作成、使用することは犯罪行為であると定めた。また会員の権利保護に万全を尽くし、破産、詐欺や信用毀損行為などによる除名手続も規定した。さらに海運情報をロイズの業務の一環として認めている。ロイズはこの海運情報を独占することで優位に立っていたが、これは世界中に張り巡らせたエージェンシーと信号所によるところが大きい。特に信号所は海運情報の独占に貢献し、1890年代後半以降の無線の発明、普及までこの独占は続いた。このようにロイズの法的存在、規約、バッジの規定などは1871年であり、その意味でロイズの歴史は300年ではなく、100年と見ることも可能である。ロイズは300年にもわたり、一部の特権階級の間で運営されてきた。また仲間内の秘密主義も温存され、シンジケートに資本を提供しているネームに対しても情報提供の義務はなかった。ロイズはイングランド銀行よりも長い歴史を有しているのである。PDFだが、詳しくは以下で読める。上はPDFからの抜粋。http://www.sj-ri.co.jp/quarterly/data/qt31-2.pdfロイズ(Lloyd's)とは、ロンドンにある世界的な保険市場であり、二つの意味がある。国際的な保険市場としてのロイズ イギリスのシティ(金融街)にある保険取引所、またはそこで業務を行なっているブローカー(代理店業者)およびアンダ-ライター(保険引受業者)を含めた保険市場そのものを指す。法人としてのロイズ イギリス議会制定法によって法人化された団体。ブローカーとおよびシンジケートを会員とするロイズ保険組合のことを指す。Corporation of Lloyd'sとして知られる。ロイズ保険組合はブローカーとアンダーライターを会員とする自治組織であり、通常の保険会社と異なり、ロイズ保険組合自体が保険引受業務を行なうのではない。保険を引き受けるのは、無限責任を負うアンダーライターであり、ロイズ保険組合はロイズ保険ビルを所有し、取引の場(ルーム)と保険引き受け業務に関する事務処理サービスを会員に提供するために存在している。この複雑な二重性はよく使われる「われわれは個人としてはアンダーライターだが、全体としてはロイズである」という言い回しにあらわされる。会員は保険金の支払に上限を定めない無限責任を負うとされ、保険会社の再保険の引受け先として知られる。ロイズの仕組みロイズでは個々のアンダーライターが直接保険取引を行なうのではなく、シンジケートと呼ばれる会社を通じて保険を引き受ける。アクティブアンダーライターあるいはリーディングアンダライターと呼ばれる保険引受業務を実際にロイズで行なうアンダーライターがシンジケートを組織し、他のアンダーライターは無限責任を持つシンジケートへの出資者としての形をとる。ロイズには300あまりのシンジケートがあり、海上保険や火災保険、盗難保険などそれぞれ得意とする分野の保険を引き受けている。中には、ネッシーが捕獲された場合の懸賞金などを保証するなど風変わりな保険ばかりを引き受けるので有名なシンジケートもある。各シンジケートの保険引き受け能力は、出資するアンダーライターの人数と出資額によって決まる。ロイズで保険をかけるにはブローカーを通じて行なう。ブローカーはスリットと呼ばれる保険証書を持って、ロイズのルームにいる各シンジケートのアクティブアンダーライターたちを回って交渉し、危険を分散するために複数のシンジケートに分割して保険を引き受けさせる。保険を引き受けたシンジケートは、支払いが生じたときのために他のシンジケートに再保険をかける。被保険料収入はそれぞれのシンジケートに、保険料の引き受け割合に応じて分配される。アンダーライターは保険証書の下に署名するところから名づけられた。名前を書くことからネームと呼ばれることもある。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%BA万景峰号、ロイズと再保険=月内にも入港可否判断-改正油賠法で国交省北朝鮮の貨客船「万景峰92」号が改正船舶油濁損害賠償保障法に基づき、英国の保険会社と契約を結び、同社が世界最大の保険引き受け組織「ロイズ・オブ・ロンドン」(ロイズ保険組合)に再保険を掛けたことが4日、分かった。国土交通省が外交ルートを通じて契約内容を調査しており、5月中にも入港可否を判断するとみられる。ロイズとの再保険が確認されれば支払い能力が担保されるとの見方が一般的で、万景峰号の入港が認められる公算が大きくなった。 (時事通信)- 5月5日6時1分更新保険は、保険契約者同士が互いに助け合うという社会制度であって、契約時点で遠い将来が約束されるものだ。ロンドンで300年以上の歴史を誇るロイズ保険を例にとってみよう。彼らが、いかなる場合にも、全財産をはたいても、幹部が保険契約者に支払いをすませてきたのは、その社会的約束を一度でも破れば一切の信用を失うからである。つまりロイズはシンジケートと呼ばれる複数の保険引受団のグループから成り、それぞれのシンジケートは「ネーム」と呼ばれる個人会員で構成され、個人会員が「シャツのボタンを売っても保険金支払いを完了する」という無限責任を持って保険金を支払うことになっている。その信頼性を保証するため、歴史的には、ロイズ会員は貴族と大資産家に限られ、したがってその会員になることは最高の栄誉であった。「日本のゆくえアジアのゆくえ」広瀬隆(著)のP135~136からの引用。
2005年05月06日
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詳しいことは不明だが、西武グループ買収をモルガン・スタンレーが準備しているとのこと。ここ数週間、“内戦”が続いているモルガン・スタンレーだが、1日には同社の取締役会がフィリップ・パーセル最高経営責任者(CEO)の続投を支持したと発表したばかり。西武グループに関しては、当初、53カ所とされた西武グループの売却・撤退候補が、3月28日、突然85施設にカサ上げされた。これは、約160ある西武グループ施設のほぼ半分に相当する。西武グループ経営改革委員会(委員長・諸井虔太平洋セメント相談役)が追加候補を上乗せしたのである。西武グループとしては過去最大の500億円規模の投資とされるホテル、これは4月11日にオープンしたばかりの東京プリンスホテルパークタワーのことであるが、パークタワーも改革委の「売却・撤退候補」の中にあるとのこと。日経によると、モルガン・スタンレーが用意する総額は「1兆6000億―2兆円」。3月25日には、ゴールドマン・サックスが9000億円で「西部グールプ買収を提案」と日経が報じたが、「西武鉄道グループに対する買収提案はしていない」とゴールドマンの広報担当者が明らかにしたとロイターが報じた。しかし、本日の日経によると、「米ゴールドマン・サックスは9000億円の買収案に5000億―6000億円を上積みする方向で一部金融機関と接触を始めた」となっている。一方、クレディ・スイス・グループと共同で村上世彰の「M&Aコンサルティング(村上ファンド)」も西武グループの完全買収を提案している。これらのことから、西武グループ買収が“おいしい”ことが解る。新生銀行の例があるように、今後、西武グループ「買収」には何が起こるか(どんな圧力が加わるか)わからないので、目を離さずに見ていこうと思っている。西武、米モルガンも買収提案へ・1兆6000億―2兆円準備再建中の西武グループに対し、複数の外資系金融機関が巨額の買収提案を準備していることが2日、明らかになった。米モルガン・スタンレーは西武グループが抱える連結有利子負債の繰り上げ返済を含む総額1兆6000億―2兆円の買収案を用意。米ゴールドマン・サックスは9000億円の買収案に5000億―6000億円を上積みする方向で一部金融機関と接触を始めた。外資による買収攻勢の活発化で西武グループ再生計画は予断を許さない状況となってきた。 (07:00) http://www.nikkei.co.jp/news/sangyo/20050503AT1D0205802052005.html米モルガン・スタンレー取締役会、パーセルCEOへの支持を確認2005年 05月 2日 月曜日 09:40 JST [ニューヨーク 1日 ロイター] 米モルガン・スタンレーは1日、同社取締役会が4月30日に開いた会合で、フィリップ・パーセル最高経営責任者(CEO)への支持姿勢を確認したと発表した。取締役会は、既に発表されたカード事業「ディスカバー・カード」分離以外にリストラ(事業再構築)による変更を行わない方針も明らかにした。今回の会合では、モルガン・スタンレー社則にあるCEO解任規定について、取締役会の75%以上の同意を必要とするという項目を外して50%以上の同意と入れ替えることも決めた。モルガン・スタンレーではここ数週間、元取締役などがパーセルCEOに対し、数人の役員退職に続いて辞任するよう迫る活動を繰り広げている。http://www.reuters.co.jp/financeNewsArticle.jhtml?type=industriesNews&storyID=8354974米モルガン・S:株式トレーダー8人がドイツ銀行に移籍-人材流出続く4月20日(ブルームバーグ):米銀大手モルガン・スタンレーの機関投資家向け株式トレーダー8人が同社を退社し、ドイツ銀行に移籍したことが明らかになった。モルガン・スタンレーでは、過去3週間以内に経営委員会メンバーの5人が退社するなど、人材流出が相次いでいる。 ドイツ銀行は20日、モルガン・スタンレーからロバート・カロフスキー氏とジョセフ・フェラリーズ氏を引き抜き、キャッシュ・エクイティ部門のマネージングディレクターとして採用したことを明らかにした。 また、同じくモルガン・スタンレー出身のドナルド・ヒーリー氏とブライアン・リグニー氏、エリック・シェンカー氏もマネージングディレクターとして起用。また、ブライアン・ドゥーガン氏とウィリアム・マシューズ氏、ジョン・パストレリ氏は、ディレクターとして採用した。 モルガン・スタンレーでは1週間前、投資銀行部門トップのジョセフ・ペレラ氏とテリー・メギド氏が辞任したばかり。元幹部や株主からは、フィリップ・パーセル最高経営責任者(CEO)の退任を求める声が高まっている。 また、モルガン・スタンレーは20日、米国債取引の元責任者であるトーマス・ジューターボック氏が退社したことを明らかにした。 更新日時 : 2005/04/20 23:50 JSThttp://www.bloomberg.com/apps/news?pid=90003015&sid=aPaRX7j5hObI&refer=jp_europe米モルガン・スタンレー:英HSBCが買収提案も、8.1兆円で-英紙 4月3日(ブルームバーグ):3日付の英紙インディペンデンスは、時価総額で欧州最大の銀行、英HSBCホールディングスが、証券2位の米モルガン・スタンレーに400億ポンド(約8兆1000億円)で買収を提案することを検討していると報じた。HSBCの内部からの情報を基に伝えた。 同紙によると、HSBCの投資銀行部門の上級取締役らは、モルガン・スタンレーの買収を検討することをジョン・ボンド会長に進言している。取締役は、モルガン・スタンレーの米国のリテール(小口金融)部門ディーン・ウィッターについて、HSBCと事業の相互補完効果があると指摘したという。 HSBCは投資銀行部門確立のため、2003年にモルガン・スタンレーの元副会長ジョン・スチュジンスキ氏を起用している。 モルガン・スタンレーのフィリップ・パーセル最高経営責任者(CEO)は、一部の元幹部から退任を迫られている。ロバート・スコット元社長やS・パーカー・ギルバート元会長は3月29日に、スティーブン・クロフォード氏とゾーイ・クルーズ氏を共同社長に指名した28日の人事は両氏が先に表明した懸念に答えていないと主張した。 モルガン・スタンレーの時価総額は627億ドル(約6兆7500億円)。 (インディペンデンス、4月3日) 更新日時 : 2005/04/04 06:14 JST http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=90003017&sid=amB2pU3mfQY8&refer=jp_japanHSBC:MS証券買収で投資銀行業務拡大検討か 発信:2005/04/04(月) 10:32:56 世界最大級の総合金融グループの持ち株会社である匯豊控股有限公司[香港上場、HSBC(エイチエスビーシー)、0005]は、750億ドルを投じて、世界第2位の証券会社であるモルガン・スタンレー証券に資本参加するもよう。4日付で香港・財華網が英インディペンデント紙を引いて伝えた。同紙は関係者からの情報とした上で、HSBCの董事らがモルガン・スタンレー証券の株式買収を通じて、投資銀行業務の拡大を検討するようジョン・ボンド主席に「具申」していると伝えている。(編集担当:緒方隆次) http://news.searchina.ne.jp/2005/0404/stockname_0404_013.shtmlゴールドマン・サックスが西部グールプ買収を提案(2005年03月25日)http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200503250001/
2005年05月03日
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政府が医療費の「免責制度」導入を検討しているとのこと。具体的な免責金額がわからないのだが、これが導入されたら自己負担額が増えることになる。日本の医療費は約31兆円、GDP比で7.8%、これは世界で17番目なんだそうである。医療費の対GDP比でトップは米国。でも米国の場合は、公的な補助が低いので、その分、米国民は自力で医療費を負担しているはず。米国ではおよそ3000万人が無保険者だと言われている。さらに米国では 個人破産の半数は医療費が原因(暗いニュースリンク)という驚くべき数字があるのである。しかも「病気のために自己破産に陥った人々の大半は中産階級で医療保険加入者」だという。一定額以下は全額負担 政府検討 医療保険に免責制度病院などでかかった医療費は原則、患者の自己負担三割となっているが、一定額以下については全額を自己負担とする「免責制度」の導入を、政府が検討していることが二十九日、分かった。免責額は数千円程度を想定しており、軽い病気の診療代は医療保険の対象外となる。低所得者には減免措置を講じる考えだが、「医療抑制につながり、症状が悪化してからの受診で結果的に医療費がかかる」などとの批判も強く、実現まで曲折が予想されそうだ。免責制度とは、医療機関でかかった医療費のうち、定められた金額以下を患者の全額自己負担とし、それ以上の医療費については原則、自己負担三割の現行保険制度を適用する考え方。例えば、二千円以下を免責金額として、保険対象外とした場合、医療機関で一万円の医療費がかかったとすると、現行制度では患者本人は三割にあたる三千円が自己負担となるが、免責制度が導入されると、二千円に加え、残りの八千円の三割にあたる二千四百円とあわせた四千四百円が自己負担になる計算だ。具体的な免責金額については今後、議論が進められるが、「国民の理解を求めるためにも、最初から高額に設定するのは無理」(政府関係者)との見方は強く、減免措置など低所得世帯に対する一定の配慮もあわせて検討する。(産経新聞) - 4月30日3時16分更新http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050430-00000006-san-polこの記事を読む限り、「軽い病気の診療代は医療保険の対象外となる」のだから、この場合、現在の3割負担が実質10割負担になる。記事にあるように仮に「免責2000円」で医療費が1万円なら4400円の自己負担となり、現在(3割負担)の3000円から5割弱の1400円も自己負担が増額になることになる。これでは病院に行く人が減るはずである。なぜなら、健康だから病院を利用しないのではなく、自己負担金が家計を圧迫することを避ける人が増えると思えるからである。さて、誰がこのように貧乏人に過酷な「免責制度」を導入するように動いているのだろうか。首相官邸のサイトに「懇談会」の発言が掲載されていたので、それをざっと読んでみた。第8回まであって次回は5月17日だそうである。「懇談会の議事要旨」を読んでわかったのは、「懇談会」のなかで「免責制度」導入を口にしていたのは、杉田亮毅委員であるということ。4月14日に開催された第8回には杉田委員は出席していないが、第6回、第7回で杉田委員は「免責制度」に触れている。以下にそれを抜粋する。第6回社会保障の在り方に関する懇談会(平成17年2月16日)議事要旨あと残された問題は政治的に聖域になっているが、高齢者医療が優遇され過ぎているんではないか。確かに罹病率が高くなって病院に行く度合いが増えるのも確かだが、本当に必要で病院に行くのか、行かないと気が済まないという人がいるのではないか。 高齢者医療が現在原則1割負担になっているが、個人的な考え方ですが、今の年金で受けている高齢者の生活水準等から見ると、2割原則でも耐えられるのではないか。それから、特に高齢者の中でも、年金を制限されている高額所得者はもう少し高い負担、今、一般は3割負担なので、最低このぐらいは負担していただいても十分耐えられるのではないかと思う。 それから、損害保険で免責制度というのがあるが、ある一定のところまでは保険では見ないという考え方は、その基準の決め方にもよるが、それほど大きくない金額で、例えば、1,000円とか2,000円とか、どれぐらいの負担になるか計算してみないとわからないところがあるが、結構効果が大きいということであれば、免責制度という考え方が医療保険に組み込まれることで、改善の余地はあるのではないか。医療保険が崩壊するよりは、その方がいいと感じている。保険制度の改革の場合には、基本的には、やはり皆保険という考え方である。保険制度を崩壊させないという前提で、崩壊させないためには国民にもこれだけのことを耐えてもらわなければいけない、あるいは受けてもらわなければいけない、という説得の仕方をしていただきたい。崩壊しても構わない、民間の健保で何とかなるという考え方は、まずいと思う。第7回社会保障の在り方に関する懇談会(平成17年3月18日)議事要旨現在は1割負担、2割負担になっているが、私は高齢者に覚悟していただいて、やはり原則2割負担でお願いしてはどうかと考えている。その場合のシミュレーションをやっていただき、次回の資料で用意していただきたい。これは政治家の皆さんも勇気を持って、老人層に語りかけていく必要が与野党ともあると思う。 それから、年金の猶予をされるようなある程度所得の高い方については、一般と同じ3割を負担していただく。これは我々も実施した場合に、どのぐらいの医療費の抑制になるのかシミュレーションをやっていただきたい。 一般の患者負担を先の改正で3割に上げたが、患者が減り、開業医が悲鳴を上げたという話を聞き、効果が大分あったのではないかと思っている。1割から2割、2割から3割に負担が増えるということは、相当の受診抑制効果があるということの証明ではないかと思う。 それで、どうしても払えない人については、生活保護などの社会保障によって面倒を見る。介護の自己負担も医療の自己負担にそろえていくことが必要だ。 それから、ある小額の治療費については、一種の免責制度のような制度も医療保険の中に導入していくという努力もしてみてはどうか。社会保障の在り方に関する懇談会http://www.kantei.go.jp/jp/singi/syakaihosyou/kaisai.html以上は杉田亮毅委員の発言である。「懇談会」の出席者は以下のようになっている。【第6回】石弘光委員、笹森清委員、潮谷義子委員、杉田亮毅委員、西室泰三委員、宮島洋委員細田内閣官房長官、尾辻厚生労働大臣、竹中内閣府特命担当大臣(経済財政政策)、今井総務副大臣、上田財務副大臣、小此木経済産業副大臣【第7回】石弘光委員、笹森清委員、杉田亮毅委員、西室泰三委員、宮島洋委員細田内閣官房長官、尾辻厚生労働大臣、西川内閣府副大臣、今井総務副大臣、上田財務副大臣、保坂経済産業副大臣ここで簡単な疑問。杉田って誰よ、と。【名簿】社会保障の在り方に関する懇談会石 弘光 (税制調査会会長)笹森 清 (日本労働組合総連合会会長)潮谷 義子 (熊本県知事)杉田 亮毅 (日本新聞協会理事)西室 泰三 (日本経済団体連合会副会長)宮島 洋 (社会保障審議会年金部会長)[政府側]内閣官房長官内閣府特命担当大臣(経済財政政策)総務大臣財務大臣厚生労働大臣経済産業大臣【構成】(1) 懇談会は、内閣官房長官、内閣府特命担当大臣(経済財政政策)、総務大臣、財務大臣、厚生労働大臣及び経済産業大臣並びに別紙に掲げる者により構成する。 (2) 懇談会は、内閣官房長官が主宰し、厚生労働大臣がこれを補佐する。 (3) 懇談会は、必要に応じ、関係大臣その他関係者の出席を求めることができる。 http://www.kantei.go.jp/jp/singi/syakaihosyou/konkyo.html「日本新聞協会理事」とある。なるほどね。この人は「日本経済新聞社」代表取締役社長の杉田亮毅ですね。杉田亮毅「懇談会」の第5回で、「(杉田委員)私は、日本新聞協会の推薦ということになっているが、一ジャーナリスト杉田として発言してくる、ということで了承を得ている」と、杉田亮毅委員は発言していた。今後、「免責制度」が導入されることになるのかはわからないが、その「旗振り」が誰だったのかを記憶しておこうと思う。杉田委員の発言は「日本新聞協会」の考えを反映したものなのか、誰かの利益を代表している意見なのか、杉田個人の考えなのか、これらが見えないので勝手な憶測で判断することは控えるが、杉田委員のいう「免責制度」が導入されれば、われわれ貧乏人(国民の大半)が困ることになるのである。健保3割負担で「患者減った」(東奥日報)四月から健康保険の本人負担が三割に引き上げられたことの影響について、県保険医協会(河原木俊光会長)は、会員医療機関にアンケートし、結果を発表した。回答のあった七十三医療機関(医科四十七、歯科二十六)のうち、52%に当たる三十八機関が「(サラリーマン本人)患者が減った」と答えたほか、「家族」患者数も三十六機関(49%)が「減った」と回答した。負担増は本人だけでなく、家族の受診にも影響を与えていることが分かった。(中略)また、医療機関に寄せられた患者の声には「長引く不況の折、体調が悪くても我慢するしかない」「検査をやめたり、薬を減らしている」「高額ではない治療をしてほしい」など深刻なものがみられた。同協会は「健保負担増は受診抑制、重症化してからの受診につながりかねず、命にかかわる大きな問題。国に引き下げを働きかけていきたい」と話していた。 http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2003/0602/nto0602_4.html健保三割負担でアンケート 「生活圧迫している」9割(山陰中央新報)県保険医協会(古沢正治会長、七百二十人)は、サラリーマンの医療費負担率が四月から三割(旧二割)にアップしたことについて二十六日、患者と医師を対象に行ったアンケート結果を公表。負担増が生活を圧迫していると答えた患者は全体の九割に上るなど、厳しい実態が浮き彫りになった。(以下略)http://www.sanin-chuo.co.jp/news/2003/05/27/07.html
2005年05月01日
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「この電車には乗ってはいけない」老女に降ろされ危機一髪謎の老女が事故を予言した? 鹿児島県在住の女性(22)は25日、交際相手の男性(25)に会うため事故を起こした快速電車に乗っていたが、オーバーランした伊丹駅で「この電車に乗ってはいけない」と叫ぶ60~70歳代の老女に突然、腕を引っ張られ、電車から引きずり降ろされた。「携帯電話の電源も切りなさい」と言われたため従ったが、ホームで事故のアナウンスを聞いて振り返ると、すでに老女の姿は消えていたという。その後、女性は老女が自分を事故から救ってくれたと考えて、警察に「探してください」とお願いしてるという。※ 上のソースは、以下の2ちゃんねる「オカルト板」。@@@ オカルトニュース/2004.08~ @@@http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/occult/1093364732/267-269※ 本日未明に、以下の「ありがとう浜村淳です」も聞きました。現在は既に27日の放送に更新されてましたので、以下の内容を聞くことはできませんが…-----------------------未来が予知できる人います?その12572 :本当にあった怖い名無し :2005/04/26(火) 20:56:59 ID:HRqd8prV0>>531 >>537-542別スレで、今朝のラジオ番組「ありがとう浜村淳です」でこの記事が取り上げられていたとありましたので、確認してきました。http://mbs1179.com/arigato/今ならば上記のリンクで26日の放送を聞くことができます。明日の昼には更新してしまうので、お早めに。該当の部分は12分過ぎから、コピペとほぼ同じ、元ネタは報知新聞。・鹿児島在住の22歳女性が彼氏に会うため大阪に向かっていた。・伊丹でオーバーラン、女性は降りるつもりはなかった。・伊丹駅停車時、後ろから60~70代の老婦人が「アンタ、これに乗ってたらあかんよ、はよおりー!」と腕を引っ張って電車から引き摺り下ろされた。・また、老婦人は携帯の電源を切るように言ったので、電源を切ったところで、事故のアナウンスを聞いた。・ああ助かったと思って、回りを見たが老婦人の姿はなかった。・女性はこの老婦人を探してくれるよう警察に依頼している。http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/occult/1111267654/572-----------------------JR福知山線事故722 :本当にあった怖い名無し :2005/04/27(水) 09:20:28 ID:6r2rLR7s0婆さんの話(12分20秒頃にその話が聞ける) ttp://mbs.co.jp/radio_bar/asx/arigatou/arigatou.asx http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/occult/1114413246/722「乗客580人」変わる可能性 JR西「目視の概数」2005年04月27日12時23分犠牲者が100人を超える恐れが出てきたことで、JR西日本が発表している約580人という脱線した快速電車の乗客数自体が見直される可能性もある。同社はダイヤ編成に役立てるため、車掌が目視で乗客数を数え、あらかじめ定められた駅にその数を書いた紙を置く仕組みがある。同社は「指令所を通じて乗客数を把握するとともに、実際に数えた車掌からも聞き取ったうえで公表した」と説明しており、「約580人」という数字は目視で数えた概数にすぎないとしている。県警と尼崎市消防局によると、26日までに判明した負傷者の数は456人。死者数を合わせると発表されている事故列車の乗客数に近づく。死傷者数はさらに増える可能性があり、後部の車両に乗っていてけががなかった人などを合わせると580人を超える可能性がある。http://www2.asahi.com/special/050425/OSK200504270040.html脱線事故の死者91人に、先頭車両付近に依然十数人[尼崎 27日 ロイター] 救助活動が3日目に入った兵庫県尼崎市のJR福知山線の脱線衝突事故で27日、死者91人が確認された。昨夜からの救助活動で、新たに18人の遺体が収容された。引き続き先頭車両付近には、生存反応がないものの、十数人が取り残されているもよう。(ロイター) - 4月27日13時10分更新http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050427-00000785-reu-bus_all列車衝突、50人以上死亡か スリランカ【ニューデリー27日共同】スリランカ中部で27日、列車とバスが衝突し、AP通信によると、25人が死亡した。コロンボの警察広報官はロイター通信に対し「60人近くが死亡、約40人が負傷した恐れがある」と語った。現場は中部アラッワの踏み切りで、急行列車が路線バスと衝突した。警察などが現場に向かっており、生存者の救出を急いでいる。First upload: 4月27日13時29分http://www.chugoku-np.co.jp/NewsPack/CN2005042701001563_World.html-----------------------スリランカで列車とバスが衝突、50人以上死亡か[コロンボ 27日 ロイター] スリランカ中部で27日、旅客列車と路線バスが衝突。50人以上が死亡、約40人が負傷している可能性がある。コロンボにある警察非常事態センターの広報担当者は、「コロンボとカンディーを結ぶ急行列車が路線バスと衝突した。われわれは、60人近くが死亡している恐れがあるとみている」と述べた。事故は、現地時間午前8時半(0230GMT、日本時間午前11時半)ごろ、首都から約60キロ北の踏切で発生。列車はカンディーに、バスはコロンボに向かっていたという。(ロイター) - 4月27日14時28分更新http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050427-00000799-reu-intドイツでも列車脱線=1人死亡、15人負傷【ベルリン26日時事】ドイツ南部バイエルン州のウンターベンゲンで26日、ドイツ鉄道の乗客53人を乗せた3両編成の列車が踏み切りで道路舗装用の車両と衝突して脱線し、列車の運転士が死亡、乗客15人が軽傷を負った。(時事通信) - 4月27日1時1分更新http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050427-00000493-jij-int
2005年04月27日
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※ 13時24分、詳細は不明。茨城で特急脱線 JR常磐線羽鳥駅付近【13:18】 JR東日本によると、26日午後、茨城県のJR常磐線羽鳥駅付近の踏切で、トラックと特急電車が衝突、特急が脱線したもよう。http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=HKK&PG=FLASH※ 13時40分、更新。「乗客にけがなし」とのことです。<スーパーひたち>トレーラーと衝突、乗客にけがなし 茨城26日午後0時48分ごろ、茨城県美野里町のJR常磐線羽鳥駅構内の踏切で、進入してきたトレーラーと上野発いわき行き下り特急「スーパーひたち23号」が衝突、先頭の11号車が脱線した。トレーラーの運転手が軽傷、乗客にけがはない模様。【斎藤正利】(毎日新聞) - 4月26日13時35分更新http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050426-00000044-mai-sociスーパーひたち:トレーラーと衝突、乗客にけがなし 茨城26日午後0時48分ごろ、茨城県美野里町羽鳥のJR常磐線羽鳥駅近くの脇山踏切で、上野発いわき行き下り特急「スーパーひたち23号」(11両編成)が、立ち往生していた大型トレーラーと衝突。スーパーひたちの先頭車両が脱線した。県警石岡署の調べでは、トレーラーの運転手が軽傷の模様。乗客にけがはないという。調べでは、踏切内で脱輪し、トレーラーの運転手が踏切の緊急ボタンを押したが間に合わなかったらしい。常磐線は勝田~土浦間の上下線とも運転を見合わせた。【長野宏美】毎日新聞 2005年4月26日 13時31分http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20050426k0000e040082000c.htmlトレーラー衝突、特急脱線 茨城県の常磐線踏切26日午後零時50分ごろ、茨城県美野里町のJR常磐線羽鳥駅付近の踏切にトレーラーが立ち入り、上野発いわき行き特急スーパーひたち23号(11両編成)と衝突した。特急の先頭車両が脱線した。JR東日本によると、乗客にはけが人はいない。茨城県警によると、トレーラーの運転手が軽傷。同県警が事故原因を詳しく調べている。(共同通信) - 4月26日13時38分更新http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050426-00000155-kyodo-soci※ 14時10分更新。25日の他の路線の記事を貼っておきます。-------------------------線路に置き板:列車が緊急停車 札幌市のJR学園都市線25日午後3時20分ごろ、札幌市北区拓北のJR学園都市線拓北駅-篠路駅間の下り線路上に板が置かれているのを浦臼行き普通列車(5両編成、乗員・乗客95人)の運転士が発見した。急ブレーキをかけたが間に合わず、板をひいて停止した。乗員・乗客にけがはなく、列車にも異状はなかった。札幌北署は何者かが線路に板を置いた可能性があるとみて往来危険の疑いで調べている。同署などによると、板は木製で、車輪に押しつぶされて砕けたため、大きさははっきりしないが、レールをまたいで置いてあった。線路の両側には侵入防止さくがあり、現場から約30メートル離れた踏切から何者かが侵入したらしい。この影響で同列車は7分遅れた。【鈴木勝一】毎日新聞 2005年4月26日 3時15分http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20050426k0000m040173000c.html-------------------------4月26日(火)線路上に放置の自転車と衝突 松本の篠ノ井線 25日午後7時20分すぎ、松本市芳川野溝のJR篠ノ井線松本木工踏切内で、上諏訪発松本行き下り普通列車(3両編成)が線路上に放置されていた自転車と衝突した。列車は自転車を300メートルほど引きずり、南松本駅手前の宮田踏切付近で停止。乗客ら約120人にけがはなかった。松本署は、列車往来危険の疑いで調べている。調べでは、運転士は松本木工踏切の約50メートル手前で自転車に気づき、ブレーキを掛けたが間に合わなかった。踏切は幅約2メートルで、警報器と遮断機が付いている。自転車は列車2両目の下部に引っ掛かって大破していた。所有者は不明。放置を目撃者した人がいないか探している。JR東日本長野支社によると、この事故で松本-塩尻駅間の運行を一時停止。上下線の特急、普通列車計12本が最大で1時間14分遅れ、約2500人に影響が出た。http://www.shinmai.co.jp/news/20050426/KT050425FTI090028000022.htm -------------------------金属製ふた巻き込みJR特急が緊急停車…大阪 25日午後2時6分ごろ、大阪市北区大深町のJR貨物線で、新大阪発白浜行きのJR西日本の特急くろしお19号(6両編成)が金属製のふたのようなものを車体の下に巻き込み、緊急停車した。約200人の乗客にけがはなかった。列車は現場に約45分停車し、再び出発した。府警曽根崎署は悪質ないたずらとみて、列車往来危険の疑いで調べている。調べなどによると、現場は大阪駅の西約300メートルにある西梅田一番踏切から新大阪側へ約80メートルの地点。車体側の列車自動停止装置(ATS)が作動して緊急停止したとみられる。車体の下を調べたところ、長さ約195センチ、幅約36センチ、厚さ約2センチの金属製で網状の下水溝のふたのようなものが、進行方向に向かって左側の下部に巻き込まれていた。ZAKZAK 2005/04/26http://www.zakzak.co.jp/top/2005_04/t2005042604.html※ 昨日のJR福知山線脱線事故に関する記事。現場のカーブに進入した際の速度が、時速108キロだったそうです。脱線前、非常ブレーキを高見運転士がかけていたことも分かっているとのこと。興味のある方は下のURLをクリック。・非常事態の現場から生々しい叫び声(探偵ファイル)・先頭車両、脱線後にバウンドして激突…死者73人に(読売新聞)・オーバーラン、実際には40メートル・JR脱線事故の死者73人、3人を救出(ロイター)・テレビ大阪東京支社代表が死亡(flash24.kyodo)・JR西日本会見の一問一答(中国新聞)・衝撃の1日 JR列車脱線事故ドキュメント(asahi.com)・モニター制御装置が速度記録=非常ブレーキでデータ5秒間・速度など記録した車両モニター、5両目から無傷で回収・制限超え100キロ走行(毎日新聞)・時速108キロでカーブ走行 尼崎JR脱線(神戸新聞)http://blog.livedoor.jp/ayaka222a/archives/20068209.html
2005年04月26日
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20人閉じ込められる 脱線事故で 【10:52】 兵庫県警によると、脱線事故で約20人の乗客が閉じ込められているという。死者は2、3人 脱線事故で兵庫県警 【10:51】 兵庫県警によると、脱線事故で死者2、3人、けが人60人以上が出ているという。乗客数は580人 脱線転覆した電車 【10:31】 JR西日本によると、乗客数は580人。官邸連絡室設置 電車事故で、政府 【10:28】 政府は25日午前、JR福知山線の電車事故で、首相官邸の危機管理センターに「官邸連絡室」を設置、情報収集に当たった。乗客多数閉じ込められる JR福知山線 【10:17】 兵庫県警によると、電車内に乗客多数が閉じ込められているという。乗客は約200人 脱線転覆した電車 【10:16】 JR西日本によると、脱線転覆した電車には乗客約200人が乗っていた。マンションに激突した車両は、マンション1階部分にめり込むような状態になり大破している。電車は脱線後に車に衝突 兵庫県警 【10:08】 兵庫県警によると、電車は脱線後に車に衝突したという。 http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=HKK&PG=FLASH兵庫 JR福知山線で列車横転 3人死亡、60人以上がケガhttp://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn/兵庫・尼崎市のJR宝塚線で車と衝突した電車がマンションに衝突 死者は2~3人のもようhttp://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn/尼崎で電車脱線、マンションに激突JR西日本に入った情報などを総合しますと、25日午前9時20分頃兵庫県尼崎市潮江4丁目で、JR福知山線の宝塚駅発の上り快速電車が車と衝突しました。この事故で、7両編成の電車の前3両が、線路脇のマンションに衝突・横転し、脱線・大破しました。 JR西日本によりますと乗客はおよそ200人で、尼崎市の消防局によりますとこの事故によるけが人は50~60人にのぼり、死者も出ているということです。現場は、尼崎駅と塚口駅の間で、尼崎・潮江の第一新横枕 踏み切りで、警報機も遮断機もある踏切です。 兵庫県警によりますと、列車内に乗客多数が閉じ込められている模様です。 国土交通省では、近畿運輸局に対策本部を設置。北側国土交通大臣は「事故の状況は聞いている。対策本部を立ち上げた」とコメントしました。 国土交通省は今回の事故レベル4、これは死者10人から数十人が発生した事故にあたり、過去の例では91年の信楽鉄道事故が事故レベル4にあたります。 国土交通省で本省に対策本部を設置することになります。この事故で、さきほど、総理官邸内の官邸連絡室が設置されました。 国土交通省によりますと、1番先頭の車両は女性専用車両の可能性もあるがまだ確認はできていない、と しています。(25日 10:30)[25日10時45分更新] http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn/電車衝突:JR電車が脱線、マンションに激突 3人死亡、けが人多数脱線で大勢の負傷者がはこび出される=兵庫県尼崎市潮江4で2005年4月25日午前9時47分、本社ヘリから関口純写す25日午前9時20分ごろ、兵庫県尼崎市潮江4のJR福知山線尼崎-塚口間の第一新横枕踏切(警報機、遮断機付き)で、宝塚発同志社前行き上り快速電車(7両編成、乗客約200人)とワンボックス型の乗用車が衝突。電車の1~3両目が横転した。横転した車両は進行方向左側の線路脇のマンションに突っ込み大破した。横転した車両には乗客が取り残されたため消防隊員らが救出作業を行っている。兵庫県警によると、この事故で少なくとも3人が死亡し、50~60人がけがをしたという。また、JR西日本によると、午前10時現在、乗客20人以上が病院に運ばれたという。現在、JR福知山線尼崎-広野駅間の上下線で運行を見合わせている。電車に乗っていた通勤途中の兵庫県西宮市、会社員、林貞夫さん(52)は「急ブレーキがかかって立っていた乗客全員が前のめりに倒れた。車内で悲鳴が響き、かばんが散乱した。左側の窓からは前方に横転した女性専用車両が見え、身動きできなくなっている女性もいた。大勢のけが人が出ている」と話していた。 乗車していた毎日新聞経済部の久田宏記者(30)は「突然の衝撃でふっとばされた。何が起きたか全く分からなかった」と事故の瞬間を語った。7両のうち真ん中付近の車両に乗っていた同記者によると、車両が左に傾いた後、ドカンという音とともに強い衝撃があり、体が吹き飛ばされた。気づくと車両は横転しており、「助けてくれ」「落ち着こう」などの声が車内から聞こえた。割れたガラスからはい出すとマンションの駐車場に車両が横転していた。同様にはい出した人の大半が血を流していた。久田記者自身も頭を打ち、鼻血が出たほか、眼鏡が吹き飛んだという。現場は、尼崎駅北西約約1キロの住宅街で、尼崎市中央卸売市場の近く。2005年4月25日http://www.mainichi-msn.co.jp/kansai/news/20050425org00m040007000c.html※ 以下、11時45分更新。運転士閉じ込められる 車両の中に 【11:41】 JR西日本によると、脱線した電車の運転士は車両の中に閉じ込められているという。 死者は16人 福知山線事故 【11:41】 兵庫県警によると福知山線事故の死者は16人。 搬送者180人超える 脱線事故 【11:37】 尼崎市消防局によると、脱線事故の搬送者は180人を超えた。車衝突との関係分からず JR西日本 【11:36】 JR西日本によると、脱線と自動車衝突との前後関係は「分からない」としている。運転経験は1年未満 事故の運転士 【11:32】 JR西日本によると、運転士の運転の経験は11カ月で23歳。 JR西日本社長が謝罪 福知山線の事故で 【11:30】 JR西日本の垣内剛社長は25日記者会見し、福知山線の事故について「鉄道事業者として非常に申し訳ない気持ちでいっぱいだ」と謝罪した。運転士は重体 事故の電車 【11:30】 兵庫県警によると、電車の運転士は重体という。 死亡した2人は女性乗客 脱線転覆事故 【11:23】 兵庫県警によると、死亡した2人はいずれも乗客の女性という。脱線が先と兵庫県警 駐車中の乗用車に衝突 【11:21】 兵庫県警によると、カーブで電車が単独で脱線、その後、駐車場に駐車中の乗用車に衝突した可能性が高いという。確定的な原因言えない 事故について官房長官 【11:19】 細田博之官房長官は25日午前の記者会見で、JR福知山線事故の原因について「確定的なことは申し上げられない」と述べた。※ 以下、12時25分更新。福知山線事故死者25人に 尼崎市消防局 【12:20】 尼崎市消防局によると、JR福知山線事故の死者は25人となった。 負傷者200人を超える JR福知山線脱線事故 【12:14】 尼崎市消防局によると、脱線事故の負傷者は220人を超えた。死者は18人 尼崎市消防局 【12:02】 尼崎市消防局によると死者は18人。 http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=HKK&PG=FLASH兵庫・尼崎で電車脱線事故快速電車が脱線しマンションに激突した事故で、救出活動が続く現場(25日午前10時30分ごろ、兵庫県尼崎市)(時事通信社)12時12分更新※ 以下、13時20分更新。福知山線事故の死者37人に 兵庫県警 【12:55】 兵庫県警によると、福知山線事故の死者は37人となった。死者29人、負傷者222人 JR福知山線事故 【12:47】 尼崎市消防本部によるとJR福知山線事故の死者は29人、負傷者は222人となった。 JR福知山線脱線事故 乗客「伊丹駅を通り過ぎ、その後かなりのスピードで走っていた」25日午前9時20分ごろ、JR福知山線の塚口駅と尼崎駅の間で7両編成の電車が脱線し、沿線にあるマンションに激突する事故があった。4両目に乗っていた乗客は「伊丹駅を通り過ぎてしまって、停止するものを忘れられたか、わからないんですけれども。いったん止まってバックして、お客さんを伊丹駅から乗せるみたいな感じになったんです。普段、伊丹駅で快速も止まるんですけども。ちょっと遅れましたということと、行き過ぎましたということをおわびでアナウンスがあったんですけれども。そこからはものすごいスピードで...遅れてるのかぁと思うんですけど、すごい怖いぐらいのスピードで走ってたんでね。これは何かあったら怖いなと思いました」と話した。また、6両目に乗っていた乗客は「何か、急に...わたしは座っていたんですけれども、何か前に投げされてるような形で、その車両の前まで、後ろから『ダァー』っと人が押し流されるような形でいったんですよ。悲鳴とか聞こえましたね。外を見たときに、ひょっとして、何か車と電車がぶつかったんかなっていう感じで、結構、人が外に投げ出されているような感じでした。ひどい人は、下半身血だらけとかですね。そういう方がおられますね。気を失ってる方とかも」と話した。また、近くに住む住民は「かなり大きな音がして、何なのということで、ちょっと線路の方をのぞいてみたら、煙っていうのか、砂煙みたいじゃないですけど、(煙)がものすごく発生していてですね、視界を何かこう、さえぎられるような『ガァー』というか。急ブレーキをかけた音も聞こえました」と話した。けが人の様子とか見えるか尋ねると、住民は「見えますね。結構ひどいというか、状況みたいで。見たわけではないですけれども、亡くなられた方もいるようです。車両とマンションとに挟まれている人がいると言ってたような気がします」と話した。[25日13時3分更新]http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn/JR電車が脱線、マンションに激突
2005年04月25日
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【PRIDE GRANDPRIX 2005 開幕戦】日付 4月23日(土)開始 16:00 会場 大阪ドームPRIDE Official Website【対戦カード】中村和裕 ケビン・ランデルマンヒカルド・アローナ ディーン・リスター近藤有己 イゴール・ボブチャンチンビクトー・ベウフォート アリスター・オーフレイムホジェリオ・ノゲイラ ダン・ヘンダーソン桜庭和志 ユン・ドンシククイントン・ジャクソン マウリシオ・ショーグン吉田秀彦 ヴァンダレイ・シウバ吉田締まった、シウバは1キロオーバー桜庭、ふんどし姿で前日計量をパスPRIDE GP 2005 開幕戦 2005年4月23日 21:00~23:09史上最大トーナメント格闘技の世界選手権!▽王者のバンダレイ・シウバに吉田秀彦挑戦▽日本のエース桜庭がピンチ…韓流日本キラーと激突▽KO必至! 近藤VSボブチャンチン▽日本勢1回戦で全滅の危機…熱狂と興奮の当日中継!「世界最強の男」を決めるPRIDEグランプリ。昨年はヘビー級グランプリが開催され、決勝ではエメリヤーエンコ・ヒョードルVSアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラがアクシデントによるノーコンテストに終わったものの、大晦日の男祭りで再戦し、ヒョードルが勝利し、2004年のPRIDEヘビー級グランプリの王者となった。今年はミドル級グランプリが開催され、ミドル級最強の王座をかけ、16人のファイターがトーナメントで激突する。4月5日に都内のホテルで、主催のドリームステージエンタテインメントが記者発表を行い、ミドル級グランプリ1回戦の全カードが出そろった。注目カードである“PRIDEの顔”桜庭和志が対戦するのは、韓国柔道界“無冠の帝王”ユン・ドンシク。判定に恵まれず、韓国代表の座を逃していたが、その実力からファンの間では“悲運の柔道王”と呼ばれる実力者だ。世界選手権、アジア大会などで数々の好成績を収め、国際大会47連勝という記録を誇る。中でも、対日本人の勝率は高く、瀧本誠、古賀稔彦、矢崎雄大ら名立たる強豪選手を下している。韓国人特有のパワーとスピードを活かした腕ひしぎは必殺の切れ味を持つ。また、1992年バルセロナオリンピック柔道78キロ級ゴールドメダリストの吉田秀彦の対戦相手は2003年のミドル級グランプリで互角に闘いつつも判定負けした宿敵ヴァンダレイ・シウバ。吉田はシウバと再戦することについて「2月のPRIDE29でシウバにリング上から指名されたのですが、ここで受けなかったら逃げたことになるし、2年前の借りを返したいと思い、対戦を決めました。シウバから指名されてラッキー。4月23日に向けて、ハードな練習を積んでいますので、皆様におもしろい試合をお見せしたい」と決意を語っている。日本期待の吉田秀彦、桜庭和志らが男の意地をかけて闘うこの大会を、フジテレビ系列では大会当日4月23日(土)放送の『PRIDEミドル級GP 開幕戦』<21時~23時9分>でお届けする。4月23日に大阪ドームで開催されるPRIDEグランプリ開幕戦の全カード吉田秀彦 VS ヴァンダレイ・シウバ桜庭和志 VS ユン・ドンシク近藤有己 VS イゴール・ボブチャンチン中村和裕 VS ケビン・ランデルマンアントニオ・ホジェリオ・ノゲイラ VS ダン・ヘンダーソンクイントン・“ランペイジ”・ジャクソン VS マウリシオ・ショーグンビクトー・ベウフォート VS アリスター・オーフレイムディーン・リスター VS ヒカルド・アローナPRIDEは、打撃技も組技OKの総合格闘技。ルールや制約の少ない闘いなので、迫力であるとか、真実性といったおもしろさがある。体を鍛え抜いた選手が、世界最強を目指す戦いを繰り広げる。■司会 小池栄子 内田恭子(フジテレビアナウンサー) 高島 彩(フジテレビアナウンサー)■解説 高田延彦■実況 三宅正治(フジテレビアナウンサー) 長坂哲夫(フジテレビアナウンサー) 佐野瑞樹(フジテレビアナウンサー) 桜井堅一朗(フジテレビアナウンサー) 森脇 淳(東海テレビ)■チーフプロデューサー 清原邦夫(フジテレビ スポーツ部)■プロデューサー 佐藤大輔(フジテレビ スポーツ部)■ディレクター 佐藤大輔(フジテレビ スポーツ部)■制作 フジテレビ スポーツ部 http://www.fujitv.co.jp/b_hp/pride/index.html※ 試合結果は、民放放送終了後に更新する予定。【結果】○ 中村和裕 VS ケビン・ランデルマン ●(判定3-0)○ ヒカルド・アローナ VS ディーン・リスター ●(判定3-0)● 近藤有己 VS イゴール・ボブチャンチン ○(判定0-3)● ビクトー・ベウフォート VS アリスター・オーフレイム ○(1R・フロントチョーク)○ ホジェリオ・ノゲイラ VS ダン・ヘンダーソン ●(1R・腕ひしぎ逆十字)○ 桜庭和志 VS ユン・ドンシク ●(1R38秒・グランドパンチTKO)● クイントン・ジャクソン VS マウリシオ・ショーグン ○(1R・TKO)● 吉田秀彦 VS ヴァンダレイ・シウバ ○(判定1-2)
2005年04月23日
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【プレスリリース】発表日 2005/04/20(日興コーディアル証券)日興コーディアル証券、BPEREと提携し日本市場でのプライベートバンキングサービスを開始LCFロスチャイルド・グループと日興コーディアル証券の日本におけるプライベートバンキングビジネスに関する業務提携についてエドモン・ドゥ・ロスチャイルド・ヨーロッパ・プライベートバンク(以下BPERE)と日興コーディアル証券は業務提携に基づき、日本のお客様に対し本格的なプライベートバンキングサービスを提供することを決定しました。2003年以来、BPEREが行った市場調査と日興コーディアル証券を通じた一部のサービス提供の結果、日本の市場は非常に有望であり、また、日興コーディアル証券がBPEREの日本におけるパートナーとして最もふさわしいと判断したからです。今後、BPEREは日興コーディアル証券を通じて日本のお客様に「伝統」と「革新性」に基づいた最適な資産運用・管理サービスを提供します。具体的には、日興コーディアル証券プライベートバンキング部を通じて、BPEREが世界中のお客様に提供している資産運用手法をベースとするファンドの販売やロスチャイルド家の持つ多種多様なノウハウをファミリーオフィスサービスとして提供していきます。さらに、両社はお客様のグローバルなニーズに対応するため、中長期的により幅広い連携を図っていきます。今回の日本市場への本格的な参入に関して、BPERE取締役会長のベンジャミン・ドゥ・ロスチャイルド男爵は以下のようにコメントしています。「潜在的な成長力が大きい日本の市場に、日興コーディアル証券という強力なパートナーを得て、本格的に参入できることを非常にうれしく思います。日興コーディアル証券とは一昨年来より様々な分野での協働を行ってきました。また、社長の有村氏と私個人の間にも、同じビジネス哲学や人生観を共有できる友人として強固な信頼関係を築いてきました。このような信頼関係に基づいて提供される私たちのサービスは、日本の市場においても他国の市場同様に支持されると確信しています。」また、日興コーディアル証券取締役社長の有村純一は、以下のようにコメントしています。「当社はお客様の幅広いニーズに対応するための体制整備を積極的に進めています。富裕層ビジネスにおいて2世紀半にわたる経験と実績を誇るBPEREの日本戦略におけるパートナーとなることで、当社が提供するプライベートバンキングのサービスは飛躍的に向上し、日本において最も革新的なものとなると考えています。」《ロスチャイルド家について》ロスチャイルド家は欧州をルーツとし、2世紀半にわたって金融業を営む世界有数の資本家です。一族の主流のうち、ジュネーブ家(スイス)はプライベートバンクを中核とするLCFロスチャイルド・グループを形成して個人富裕層の資産管理ビジネスを行っています。またロンドン家(英国)とパリ家(フランス)は、別々に投資銀行業務を中核とするビジネスを展開しておりましたが、一昨年に事業統合し投資銀行グループを再編成いたしました。《LCFロスチャイルド・グループ(Groupe LCF Rothschild)について》LCFロスチャイルド・グループは、ジュネーブを本拠とする金融持株会社の傘下に世界各地30拠点で2,000人の従業員を抱え、プライベートバンキング、保険、不動産、ワイン、レジャー、観光などのビジネスを展開しています。現在の会長はベンジャミン・ドゥ・ロスチャイルド男爵です。《BPERE(Banque Privee Edmond de Rothschild Europe)について》BPERE(所在地:ルクセンブルグ)は、親会社であるBPER(所在地:ジュネーブ)と共にLCFロスチャイルド・グループの中核として、プライベートバンキングを主要業務としています。同分野ではグループ全体で110人のポートフォリオ・マネージャーが個人富裕層資産を一任運用しています。 《日興コーディアル証券プライベートバンキング部について》"日興プライベートバンキング"は公開企業オーナーを中心とするお客様を対象に、資産保全の理念のもと、資産ポートフォリオの最適配分、金融資産運用、相続・事業継承、経営などに関する個別・長期・包括的提案をお客様との対話を通じて行っております。東京、大阪、名古屋、京都、福岡の5拠点より、日興コーディアルグループの経営資源を効果的に活用したサービスを提供しております。http://release.nikkei.co.jp/detail.cfm?relID=98827&lindID=3 LCF ROTHSCHILD GROUPhttp://www.lcf-rothschild.com/en/groupe/home/index.asp※ ベンジャミン・ドゥ・ロスチャイルド男爵は系図右下の人物かと。 The Rothschild familyhttp://www.lcf-rothschild.com/en/groupe/rothschild/family.asp日興、ロスチャイルドと提携・国内富裕層向け資産運用日興コーディアル証券はスイスの大手金融グループ、LCFロスチャイルドグループと提携して富裕個人向けの資産運用サービスを強化する。20日に発表する。ロスチャイルドが運用する投資信託を国内で販売するほか、今夏にもロスチャイルドのネットワークを生かして海外不動産、美術品などの売買仲介サービスに乗り出す。海外大手との提携で、成長が見込まれる富裕層向けビジネスの競争力を高める。 提携により、日興コーディアルの顧客はロスチャイルドが世界の富裕層向けに提供している資産運用・管理サービスを受けられるようになる。 (07:00) http://www.nikkei.co.jp/news/main/20050420AT2Y1900C19042005.htmlロスチャイルドと業務提携=富裕層向け資産運用で―日興*日興コーディアル証券は20日、スイスの大手金融グループ、LCFロスチャイルドグループ(本部ジュネーブ)と富裕個人向けの資産運用業務で提携すると発表した。ロスチャイルドの投資信託を国内で販売するほか、海外不動産の情報などを提供する。富裕層向けビジネスは国内金融機関が成長分野として力を入れており、日興は業務提携により顧客の掘り起こしを進める。 (時事通信) - 4月20日20時4分更新http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050420-00000591-jij-biz【参考】2005年02月21日の日記「リーマン・ブラザーズ」から引用。=============================================トラヴェラーズは97年に日興證券を買収(実質)していますので、日興ソロモン・スミス・バーニー証券=日興コーディアルグループは、ワイルを中心とするロスチャイルド系だということが解ります。=============================================リーマン・ブラザーズhttp://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200502210000/ロスチャイルドと野村証券が提携http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200502150000/
2005年04月20日
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