ひめのゆめ活動日記

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2008年10月16日
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カテゴリ: 伊豆箱根鎌倉の旅
前回江ノ島に行った時は 橋を渡って江ノ島の参道で 幕末の志士達のエネルギーに遭遇して

刀で切られるということはありましたが いったん鳥居の中に入れば 弁財天からの

サポートを受けて駆け足で階段を上れるくらい元気になりました。( その時のブログ


今回は 幕末に転生を持つ安保さまはいらっしゃらないので参道の古い旅館街を通っても平気でした。

けれども ウキウキして鳥居から一歩踏み出したものの 「あれ? 何か違う、、、。」

身体にものすごい重圧がかかって 足が上に上らないのです。

(どうしたんだろう。どうしたんだろう。 

私は前回弁財天と約束して この地に来ているのに一体全体この足取りの重さは何なんだろう。)



ただ とにかく自分の体が重くて重くて 傘を杖代わりにして 一歩一歩やっとこさで

上っていく始末です。

(何が起きているんだ? 何が起きているんだ?)

考えていると 喜楽さまが見かねて

『そりゃそうでしょ。 エネルギーをいっぱい連れてきているんだから。

真田のエネルギーが来るということは 豊臣のエネルギーも来ているということですよ。

セパレーションすればいいんですよ。』

ああ、そうだった、そう思って私にくっついてきたエネルギーを セパレーションして

切り離そうと思いました。

ところが 真田のエネルギーが一緒についてくると言っています。

私もあえて 連れて行くことにしました。



真田のエネルギーが来るということは 先程の服部半蔵のエネルギーも来る可能性がある。

もしも この江ノ島神社の境内の中を戦いのエネルギーで穢してしまったらどうしよう。

一瞬自分のハートに聞いて 私は決心しました。

「ええい、 真田も服部も憑いて来い!!」

スマイル

今 ついてこい と打つと憑いて来いと出ましたが まさに憑依されながら階段を登っているのですから重いのです。




動きが鈍くなるのです。



でも 私のハートはどんなに体が重くなっても 今日は共に学ぶんだという気持ちがありました。

江ノ島のご祭神の宗像三女神ですが もともとは女神であったものが戦いに使われた、、

しかしながら今 それを戦いではなく平和の女神にもどす必要があるという

気持ちが私の中にありました。

もともとは愛の女神です。

でも戦いの中で ある一族だけの繁栄を得るために使われた。

それは この真田も服部も同じ部分があって 共通の学びがあると感じたからです。


それからは私は真田や服部たちに自分が宗像三女神についてどう思っているかを

話かけながら 一段一段階段を上っていきました。


皆は これがあのひめのさんのブログにかかれている様子なんだと 笑いながら

見守ってくださっていました。

やがて 真田は真田で自分達の家族や一族の為に秀吉さまに命運をかけていったこと

また その想いは服部も同じであったことを話す段になると 重たかった体が

急に楽になってきたのです。

真田も服部も忠義をつくして親方さまにつくし、一族を愛して戦った、、、。

その想いを汲み取っていったとき なんともいえない熱い想いが今まで憎しみで敵対していた

感情の負の部分を溶かしていき始めたのです。


そんなころ やっと奥津宮に到着しました。

何ということでしょう。 この前はあんなに苦しかった江ノ島奥津宮が清清しい気に満ちて

います。

それに 水が! 水が戻ってきているのです。

良かった、よかった、 本当によかった。

私は心から感謝しました。 



と同時に私達は 江ノ島弁財天に関する説明の小さなパネルを発見してびっくりしたのです。


前回ここへ来たときもう苦しくて 苦しくて 奥の宮にも関わらずこのわけのわからない

状態で封印されているのは何だと思っていましたのでこの小さな手水の前に置かれたパネルを

読むゆとりがなかったのです。

そのパネルには この江ノ島の弁財天がここに祭られるようになったいきさつについて

書かれていました。それによると



弁財天を祭ったのが始まり。

ここから 奥州藤原氏への 呪詛が発せられたようです。



京都の高雄神護寺は私にご縁のある寺です。

平将門さま の時も 彼が決起したとき 朝廷は高雄神護寺の霊験あらたと言われた不動明王を

関東に持っていってそれで 将門調伏のための呪詛の護摩法要をしています。

そのために作られたのが 成田山新勝寺でした。(その時の 将門さまに関するブログ です。)


ここでもまた 高雄神護寺が関係して 調伏が行われていたんだ、、、。


私は愕然としました。

文覚上人の尽力があったからこそ 空海様が去られた後に荒廃した高雄神護寺を立て直すことができたのは知っていました。

それが頼朝さまがらみだというのも知っていました。

ただ それが どのように行われたのかは知りませんでした。

女神が戦いに使われて この美しい江ノ島から奥州藤原氏への呪いが発せられたんだ、、、

なんということだろう、 

なんということだろう、、、、


前回ここに来て この女神が封印されているのはわかったのですが それは源頼朝という

人によっておこなわれたのだと思っていました。

それが まさか文覚上人によってなされたとは、、、。 それが前回来た時はまだ

残っていてその封印によって 素晴しいはずのこの江ノ島の弁財天の地場が本来の輝きを

出せないでいたのです。

結界はそれを張った人か それを張った人にゆかりの人が解除するのが良いと思います。

昔、その土地でさまざまな理由によって 結界を張らねばならなかったことを見つめていく

作業がその負の部分に光をいれることになります。

今後 頼朝さまや文覚上人についてもっと見つめることを意図しました。


人々の想いを受け取って よくなかったと思ったことは宇宙中心の愛の前で

訂正して そうして全てのものが宇宙のハーモニーのなかで ともに許しあい、助け合い

学びあって 魂の学びをしていくことを感謝しようと思いました。




私は奥津宮の本殿に向かって 高雄神護寺の関係者として もうこの女神達を調伏のためには

使わないことを意図しました。

また 江ノ島の弁財天をぐるぐる巻きにしている封印のエネルギーを私との関係において

解くことを心から祈りました。


ちょうど良い機会なので 誤解がないようにお伝えしたいのですが

どこかの場所を解放するということについてですが 私はいつもそういう必要を感じた時は

自分の心の中で 自分とのかかわりにおいて その場所を解放しています。

私がかつて その場所を支配したことがあるとすれば 自分とのかかわりにおいて

もしもそのエネルギーが残っているのならば みずからがまいた負のエネルギーを

光のエネルギーに転化したいと切に願って 自分の心の気付きを天に報告して

宇宙の愛がハーモニーのなかで仕事をしてくれるように祈ります。

ですから 時々 どこかの場所を解放しにいくけれども ひめのさんアドバイスお願いします。
といわれることがあるのですが 私には それはできません。

その人がどういう目的で どういうスタイルでその場所に向かっているのかは その人

それぞれで決めるものだと思うからです。

そういう質問メールを下さる方はご了承くださいね。



さて ずっと私についてきた沢山のエネルギーがどうなったかですが

その後 真田と服部のエネルギーたちは 何かを悟って静かに離れていきました。


この出来事は この世に現れている女神達で 本来のピュアな愛のエネルギーを封印されて

別の形で 例えば戦いの為に使われてきた女神たちの解放をおこなう必要があることを

教えてくれました。

この日の出来事は 弁財天という女性性のエネルギーを知るための旅の序章であったようです。


















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最終更新日  2009年10月27日 12時58分02秒
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