Shinanonokuniのブログ2

Shinanonokuniのブログ2

PR

フリーページ

カレンダー

2013年01月18日
XML
カテゴリ: 国内旅行
1月12日~13日の週末を利用して鹿島・潮来・佐原方面へ行って来た(その5)

香取神宮から循環バスで市内へ戻る。忠敬橋にて下車する。佐原の著名人と言えば、幕末に見事な日本地図を完成させた伊能忠敬である。橋はこの名前に因んだものであろうが、読みは「ちゅうけいばし」であった。

忠敬橋.jpg

この忠敬橋辺りを中心にして景観保全地区となっている。佐原の街並は小江戸とも呼ばれ、江戸時代~戦前の雰囲気を色濃く残している。街の中央を流れる小野川沿いに古い家並みを見る事が出来る。

小野川1.jpg

小野川2.jpg

小野川3.jpg

小野川4.jpg

静かな佇まいの小野川。かつては舟運の交通路として使われていた。また、小野川をサッパ船で遊覧する事も出来る。船には乗らなかったが昨日の潮来の前川とは違って、柳川(福岡県)や松江(島根県)の水路巡りに似た印象を受けた。

樋橋1.jpg

樋橋2.jpg

橋から水が流れ落ちる樋橋。通称「じゃーじゃー橋」と呼ばれている。もともとは灌漑用の水道橋であった。

街を歩いていると頭上を飛行機が頻繁に飛んで行く。成田空港から近い事を実感する。

樋橋の近くにある伊能忠敬記念館へ行く。忠敬は佐原の豪商の家へ婿養子として入り、商売でも才覚を現しお店を大繁盛させた。50歳で隠居して19歳も年下の高橋至時に弟子入りして天文・測量の勉強をした。その後は幕命を受けて全国を測量して廻り、彼の死後弟子達の手によって大日本沿海輿地全図が完成した。その精密な測量で作られた地図は、現在の地図と比較してもまったく遜色無い。明治維新後、陸軍省陸地測量部の手によって西洋式の測量技術を導入して地図が作られるようになったが、忠敬の作った地図の一部は大正時代まで使われていたそうである。感心して同資料館を後にした。

なお、伊能忠敬の旧宅も保存されているが、先の大震災(揺れ)でかなりの被害を受け、復旧工事中であった。

忠敬橋まで戻り、観光案内所となっている町並交流館を覗く。

旧三菱銀行1.jpg

旧三菱銀行2.jpg

赤煉瓦造りの旧三菱銀行佐原支店(現町並交流館)。

この建物も先の大震災で損傷し、外観は復旧工事を受けたらしいが、内部は立ち入り禁止となっていた。ただ、銀行時代の金庫室が展示スペースとなっていて、分厚い壁、分厚い扉で保護された物々しい姿が瞥見できた。

その後町並を眺めながら歩く。木造の古い建物や土蔵も多い。そのほとんどは住宅や商店、飲食店として現役である。一応個人宅なので写真は撮らなかった。

丁度昼時となったので近くの「やま川」で鰻を食べる。成田、佐原など河川・湖沼が多いこの地区は昔から鰻が名物である。

鰻やま川.jpg

美味しく鰻重を戴いた。なお、佐原で一番人気らしい「山田うなぎ店」は店の前に長蛇の列が出来ていた。

これで佐原観光は終了した。本来であればその後銚子に移動して1泊し、銚子観光を行うつもりで居たが、関東甲信越地方大雪の予報を受けて、急遽信州まで逃げ帰った。案の定次の日は大雪で関東地方の交通網は大混乱に陥った。13日に帰って大正解であった。

(鹿島・潮来・佐原紀行の巻 <完>)





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2013年01月19日 17時03分36秒
[国内旅行] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: